12010915 思えば、じゅにのウンチの処理をしながら、各三国志を思い出していたものでした。

2012/01/10 12:56家を出るのが遅くなりましたので、今になりました。途中で昨日もらいましたメールで、北方謙三の名前がありまして、この彼の「三国志」のことを考えました。あとで私のブログで改めて書きます。
 もう私はいくつものことを正確に思い出せないのですね。これはまったくまずいです。情けないです。いや私には北方謙三さんへの批判があるのですね。
 それにしてもやはり吉川英治という人は、すごいです。彼の「三国志」は、原作の正史「三国志」よりも、「三国志演義」よりも上なのじゃないかなあ。いや、私は吉川英治を思い出すなか、「私本太平記」も思い浮かべました。
120109162012/01/10 13:22いや上の三国志を思い出す中、私はじゅにのウンチの処理をしました。
 いや私はそのほかに、横山光輝のマンガの三国志、柴田錬三郎の「英雄ここにあり」を思い出します。そして宮城谷昌光の「三国志」(これはまだ完結していない)ですね。
 そのほか私は吉川英治の作品を思い出します。
 上の2作のほか、「新平家物語」「宮本武蔵」「鳴門秘帖」・・・
(この間は食事でした)
「太閤記」「神州天馬境」「天兵童子」「新・水滸伝」・・・でもでもこうして各作品の固有名詞を書くのも、ものすごくこのポメラという機器は大変です。この機器の大きな欠陥じゃないかなあ。
2012/01/10 14:36そうですね。明日から、このポメラで私が過去読んだ各作品名を書いていこうかなあ。プロレタリア文学とか自然主義文学とか、今では誰も(私も)読まないだろう作品が最初です。
 この機器ポメラで書くのは大変なのですね。そもそも辞書があまりに悲惨です。それで普通なら、機器を投げ出したくなるものです。
 それを私はやっていこう。
2012/01/10 15:36私は高校2年のときに、文学史の近代現代文学の中で、「吉川英治は扱われないが、何故か」とただしました。大衆文学という言葉が出るなか、私はでも「今純文学というと、いわば「伊藤整『「変容』」くらいなもので、だから吉川英治のほうが偉大で、何故それを認めないのか、そもそもこういう文学史がくだらない。例えば近代文学でも坪内逍遥「小説神髄」より、「二葉亭四迷『小説総論』」の方が遙かに上だ」と述べたものでした。
 しかし、このときの現代国語の先生は、「ボクは『小説総論』は読んでいないんだ」といいまして、実にその翌週には、これを全文ガリ版で印刷してきたものでした(あの頃は、パソコンもコピーもないのです)。
 そのことを今でも懐かしく思い出します(この先生は10年くらい前に亡くなりました)。

 この最後に書いた先生を思い出します。彼は東大を出た先生で、彼が亡くなってしまった我孫子の湖北の家の前まで行きまして、私は涙が止まらなかったものでした。