12042906 そうしますと人間の総量というのは年齢にふさわしくだいたいが同じなのではないかと思います。アバウトで言えば人間としては変わりがないのです。知識を増やせば知識を増やした分だけ他のことについての見解や体験とか考え方とかはあまり豊富でないということになります。この学校は世間からあまりよく言われていないけれども、学生はすごくいろんなことについてちゃんとした考えをもっているじゃないか、見解を披露しているじゃないかとわかったんです。それでこれはちょっと違うぞ、社会的にというか世間的にというか一般社会のいう学校の優劣や人間の優劣は、総合的に見ると、───僕は勝手に「人間力」という言葉を勝手に作っいるのですが───、「人間力」においてはまず何の隔たりも変わりもないと思いました。
「子供はぜーんぶわかってる」2005.08.25批評社

 これはもうすごく納得します。私もこういうことに気がついていたような思いがあります。もちろん吉本さんが言われて、私はその大事さにはじめて目が醒めるように気がつくわけなのですが。でも、このことはもっと多くの人が判ってほしいな。ただし、また一番理解できないことでもあるでしょうね。

 この人間力というのは根本的に何なのか。一言でいうと、自己についての自覚ということになります。
 つまり思考することと実行することの間にはあるひとつの空隙、分離があって、その分離のなかに人間だけが言葉を見出したりするわけです。ある何かを行うことがいいことか悪いことかというのは、かんがえではよくわかっているんだけれど、実際にそれを行うことの間には完全に分離がある。この分離が非常に重要なことで、その場合にはかんがえる自己であるところの <自己としての自己> と、何かを行うところの自己である <社会的自己> との分離ということになります。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「記<空隙>より出る言葉」」

 この分離した二つの自己を自覚しないとならないわけですが、私がそれをできているのかというのをいつも考えます。これが自覚できることが、私の人間力なのだから、絶えず私はそのことを自覚しているつもりです。