2012年05月10日

吉本隆明鈔集456「近代の詩が西欧近代を受け入れるときの異和」

1205091112050912 近代の詩が西欧近代を文明開化として受け入れようとしたとき、詩人たちは七・五調の長歌の伝統的な形式を基にして新しい内容の叙事・叙情詩を作ろうと試みた。このことは、伝統の古典秩序のなかに西欧の近代秩序の分離された諸相をはめ込むことで、当然、異和を引き起こした。西欧近代の精神秩序を重んじて表現すれば、七・五音律の秩序は乱れることになるし、七・五調の形式秩序を固執しようとすれば、西欧近代の精神秩序は、形式の枠組みから制約されることになる。たとえば北村透谷の「蓬莱曲」のような長編譚詩は前者の例であり、藤村の『若菜集』の詩篇は後者の例にあたるといってよい。
「詩学叙説」2006.1.31思潮社『詩学叙説』

 こんなことを指摘しているのは、やっぱり吉本さんしかいないのではないか。今、この日本近代の詩人たちが抱えてしまった問題を考えてしまいます。この違和感の中で、各詩人たちは実に呻吟していたのだろうなと今やっとそのことに気がついた思いが私はしています。



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この記事へのコメント

1. Posted by 目森一喜   2012年05月10日 17:57
現在私たちの使っている言葉である近代日本語は、明治時代に政府が「標準語」として作ったものが最初ですが、その後、政府(官僚)と文学者が営々と作り続けて来たものです。
「電算機」用語の「初期化」などは官製ですし、「微苦笑」などは文学から出た言葉です。そうそう「暴力団」というのも、大正時代に役人が作った官製用語です。
文学者が微細な機微を表現しようと、言い回しに苦労したり、造語をしたりして来た悪戦、苦戦、苦労を、時々思います。
近代文学者のそうした苦闘がなければ、今、私達の言葉は相当に味気ない、つまらないものとなっているでしょう。
明治の文学者は「西欧的」な精神と「標準語」を相手にしていたわけです。ほぼ何もないと言っていいかもしれない状態です。そこから現在の日本語に至る言葉の近代の過程は、「言語にとって美とは何か」で文学の側から吉本さんが丹念にたどったぐらいで、手をつける人がいませんね。

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