1205091112050912 近代の詩が西欧近代を文明開化として受け入れようとしたとき、詩人たちは七・五調の長歌の伝統的な形式を基にして新しい内容の叙事・叙情詩を作ろうと試みた。このことは、伝統の古典秩序のなかに西欧の近代秩序の分離された諸相をはめ込むことで、当然、異和を引き起こした。西欧近代の精神秩序を重んじて表現すれば、七・五音律の秩序は乱れることになるし、七・五調の形式秩序を固執しようとすれば、西欧近代の精神秩序は、形式の枠組みから制約されることになる。たとえば北村透谷の「蓬莱曲」のような長編譚詩は前者の例であり、藤村の『若菜集』の詩篇は後者の例にあたるといってよい。
「詩学叙説」2006.1.31思潮社『詩学叙説』

 こんなことを指摘しているのは、やっぱり吉本さんしかいないのではないか。今、この日本近代の詩人たちが抱えてしまった問題を考えてしまいます。この違和感の中で、各詩人たちは実に呻吟していたのだろうなと今やっとそのことに気がついた思いが私はしています。