2012年05月26日

吉本隆明鈔集472「自己としての自己」

12052501 <自己としての自己> あるいは <個人としての個人> (個人主義といってもいいんですけれど)というものは、たとえば政治家になろうと、実業家になろうと、学者になろうと、それはもう誰からもまったく制約されない、自由であるというふうになります。徹底的にそうかんがえたほうがいい。それをはじめから倫理的にいろんな制約をつくるようなかんがえ方をしたはだめであって、それはもうそれでいいんだとかんがえたほうがいいですね。政治家なり学者なり実業家になって、社会的な意味において <自己> というものを問うたときに、それが過剰だったり過小だったりということでもってほかに累を及ぼしてしまうというのだったら、そのときはじめて <個人としての個人> は批判、否定の対象となる。だけど <個人としての個人> というのを純粋にとり出した場合には、それはもう何になろうと何をしようと自由であるということです。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「記<空隙>より出る言葉」

 このことは、そういうふうに考えるように生きてきたつもりですが、もっと徹底して自分でそう考えていこうと思いました。ただ、これは吉本さんには、前々から吉本さんの核に存在する考え方のように思えます。徹底して自分は自由であると考え尽くすことが大事だなと私は思っています。



トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔