2012年06月02日

吉本隆明鈔集479「内向の程度が精神の半分以上になったとき、老齢の自意識が始まる」

12060103 身体の運動性がにぶくなってくるとともに、精神現象が身体に対して内向してくる。それまで、自己の身体に関心をもつのは怪我か病気のときだけだったのに、内向の度合いが、だんだんと増してゆく。そして、内向の程度が精神の半分以上になったとき、老齢の自意識が始まるのだという気がする。この自意識がどれだけ続くのか、外の人間社会の関係に戻るのかは、個人的にちがってくるだろう。わたし自身を振り返ってみると、飽きもせず現在も続いている。まるで少年がはじめてのことにぶつかったような調子で、まだ <考えること> が存在している。そして、決してこの精神状態をあなどったり軽んじたりする気にはなれない。しかし、青春期から成人期の前半くらいの活動の盛んな人からみたら、ばかげたことに精力をさいていると思うに違いない。わたし自身もそうだったし、もっと悪たれていえば、無関心に近かったと言うべきかもしれない。それでいいのだ。
『老いの超え方』2006.5.30「あとがき」朝日新聞社

 私もこの1年くらい前(これは2005年くらいの時です)から、気持が内向していると思います。内向で自己の人体の具合の悪さを気にするようになった。こんなことはかって私には無かった経験なのです。不思儀に思うと同時に、こうして吉本さんの言葉を読むと、私もまた誰もがたどってきた道を歩いていることを確認すると同時に、「でも同じようにすましてはいかないぞ」とばかり思っているところです。



トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔