12100909  私の「周の掲示板」にnelu(かわふくG)さんから、次の書込みがありました。

今日は10月8日です。 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年10月 8日(月)14時20分41秒

 私は1948(昭和23)年5月30日に生まれました。父がスマトラ島の捕虜収容所から出られたのが、前年秋のことでした。それで父は自分の家に帰るよりも、母の実家へ帰ってきたのです。常磐線の佐貫駅に、母は兄を連れて(兄は昭和17年2月に生まれたから、この時が初対面でした)迎えに行ったのですが、帰ってくるはずの列車から降りてこないで(父は佐貫駅をよく知っていたので、窓から降りるということをしないで、ちゃんと降りて、反対側から、「おおい」と声をかけたようです)、みな(母と父と兄)が出会えたのです。 それで私が翌年の昭和23年5月に生まれました。父はすぐに戦前に勤めていた会社に復帰しました。
 父は中国戦線にも行っており、さらに帰国してサラリーマンをやり、また招集でベトナムのシンゴラに上陸して、太平洋戦争が始まり、シンガホール攻略線に参加し、その後タイからビルマへ行きまして泰緬鉄道を作りました。この鉄道を作ったことは父には大切な思い出のようでした。
12100910 だから、戦後の「戦場にかける橋」をよく見ていたものです。でもいろいろと、「事実はこうだった」といくつものことがあったようです。また父はチャンドラボースを大変に尊敬しており、ともにインドまで行きたいという思いが強かったようです。
 その後部隊が三つに分けられ、一つはフイリピンへ向かい輸送船が攻撃され全滅、一つはインパール作戦に向かい、父はスマトラ島へ向かったのです。インパールだったら、戦死していたでしょう。
 私が最初お付き合いした女性のお父さんが、このときインパール作戦に参加された方でした。そのお父さんは、私にはただの娘の彼氏なのに、このインパール作戦のことを詳しく聞いたりして、それで親しくなったものでした。どうしても12100913お父さんには、娘も妻もそうしてもそういう話はだめなようでした。私は「お父さんは、インパール作戦に参加しているんじゃないか」と言っても、娘ではどうしても関心はないものなのですね。
 またこのあとも書きます。今は出かけるところがあるのです。