12110305  帝舜は、民間人としてはものすごく兄象にも優しく、帝になったあとも実に優れた人物でした。でもでも、この舜は、また別に「俊」といい、私には、ものすごく怖いあらぶる神でもあります。
 私は大学4年の頃、「舜あるいは俊のことで」という文章を私の担当の東洋史の先生に提出したことがあります。私は学生運動ばかりをやっていましたが、このような東洋史もやっていたのです。東洋史の先生は、東西交流史が専門で私のこんな話はわけが分かりません。授業にはまったく出てこないで、刑務所にも長く拘留されているばかりで、たまに出てくると、そのような文章を提出するので困ったものだったでしょう。何しろ、その先生についているのは、私一人なのですから。
 なお間違いなく、神話が嫌いだった司馬遷は、舜に関して少しも神のような話は書いていません。だが私には、俊はそのような面も大きく持っている存在なのです。
 この俊の妻が嫦娥(じょうが)ともいわれ、これは月のことです。私は蛾を見ると、あるいは蚊に身体を刺されるといつもこの嫦娥を思い出します。そしていくつもの神話があるのです。
 おそらく神話が嫌いだった司馬遷が書かなかった俊のことを思います。「俺は単に優しい息子、真面目な帝だけでなくて、怖いあらぶる神でもあるんだよ」と言っていたのではないかと思うのです。