12111408 私は以前に、周の文学哲学歴史話に以下のことを書きました。

  夏の桀王の愛した女、末喜

 これは私があるサイトに書いたものでした。それをあとで私のブログにもUPしたものです。そこには、以下のように書きました。

17代の最後の帝が桀(けつ)王という帝でした。この傑が、山東半島の有施氏を討ったときに、この有施氏から献上されたとされる美女がこの末喜(ばっき)でした。彼女は絹を裂く音を好んだために、多くの絹が集められました。また彼女のために祝宴では池に酒を満たして樹々に肉を吊るすことが行われ、もはや傑王は政治をまともにやりませんでした。
 ために、商(殷)の湯王に桀王は滅ぼされます。南方に末喜と逃げて、そこで二人とも亡くなったと言われています。

 この美女を喜ばせるために帝である傑が酒池肉林をしたり、高価な絹を引き裂いたというのは、後代の殷の紂王の妃妲己(だっき)や、西周の幽王の妃褒じ(ほうじ)のエピソードと同じです。
 おそらく、それら後期の出来事をここでも引用したのだと思われます。ただし、司馬遷はこの末喜のことは記していません。