12111418 司馬遷『史記』では、湯(とう)の前に幾人もの王がいます。

契(けい、始祖)
昭明(しょうめい、契の子)
相土(そうど、昭明の子)
昌若(しょうじゃく、相土の子)
曹圉(そうぎょ、昌若の子)
冥(めい、曹圉の子)
振(しん、冥の子)
微(び、振の子)
報丁(ほうてい、微の子)
報乙(ほういつ、報丁の子)
報丙 (ほうへい、報乙の子)
主壬(しゅじん、報丙の子)
主癸(ほうじん、主壬の子)
天乙(てんいつ、主癸の子)

 最後の天乙が成湯(せいとう)が殷の帝になります。
 実は、インターネットの記述と私の持っている「司馬遷『史記』」との記述が若干違います。私は私の「司馬遷『史記』」(筑摩書房世界文学大系)に従いました。
 契は、帝舜のときに禹の治水を援けた功績で商(しょう)という地名にに封じられました。帝コクの次妃であった簡狄(かんてき)が玄鳥(げんちょう、つばめ)の卵を食べたために生んだ子とされています。
 この殷は紀元前17世紀頃から紀元前1046年まで存在しました。