13013007 マルコ傳を読み始めます。私は吉本(吉本隆明)さんの『喩としてのマルコ伝』を読むことにより、このマルコ傳も読むようになったものです。
 私は「神と子と聖霊」の聖靈がよく分かりませんでした。でも今は少しは分かってきた思いがします。

第1章
 神の子イエス、キリストの福音の始。
預言者イザヤの書に、
 『視よ、我なんぢの顏の前に、わが使を遣す、
   彼なんぢの道を設くべし。
    荒野に呼はる者の聲す、
  「主の道を備へ、その路すぢを直(なお)くせよ」』
と録(しる)されたる如く、バプテスマのヨハネ出で、荒野にて罪の赦(ゆるし)を得(え)さする悔改(くいあらため)のバプテスマを宣傳(のべつた)ふ。
ユダヤ全國またエルサレムの人々、みな其の許に出で來りて罪を言ひあらはし、ヨルダン川にてバプテスマを受けたり。ヨハネは駱駝の毛織を著、腰に皮の帶して、蝗(いなご)と野蜜(のみつ)とを食へり。かれ宣傳へて言ふ『我よりも力ある者、わが後に來る。我は屈みてその鞋の紐をとくにも足らず、我は水にて汝らにバプテスマを施せり。されど彼は聖靈にてバプテスマを施さん』
 その頃イエス、ガリラヤのナザレより來り、ヨルダンにてヨハネよりバプテスマを受け給ふ。かくて水より上るをりしも、天さけゆき、御靈、鴿(はと)のごとく己に降るを見給ふ。かつ天より聲出づ『なんぢは我が愛しむ子なり、我なんぢを悦ぶ』
 かくて御靈ただちにイエスを荒野に逐ひやる。荒野にて四十日の間サタンに試みられ、獸(けもの)とともに居給ふ、御使たち之に事へぬ。
 ヨハネの囚はれし後、イエス、ガリラヤに到り、神の福音を宣傳へて言ひ給ふ、『時は滿て13013008り、神の國は近づけり、汝ら悔改めて福音を信ぜよ』
 イエス、ガリラヤの海にそひて歩みゆき、シモンと其の兄弟アンデレとが、海に網うちをるを見給ふ。かれらは漁人(すなどりびと)なり。イエス言ひ給ふ『われに從ひきたれ、汝等をして人を漁(すなど)る者とならしめん』彼ら直ちに網をすてて從へり。少し進みゆきて、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとを見給ふ、彼らも舟にありて網を繕ひゐたり。直ちに呼び給へば、父ゼベダイを雇人とともに舟に遺して從ひゆけり。
 かくて彼らカペナウムに到る、イエス直ちに安息日に會堂にいりて教へ給ふ。人々その教に驚きあへり。それは學者の如くならず、權威ある者のごとく教へ給ふゆゑなり。時にその會堂に、穢れし靈に憑かれたる人あり、叫びて言ふ『ナザレのイエスよ、我らは汝と何の關係あらんや、汝は我らを亡さんとて來給ふ。われは汝の誰なるを知る、神の聖者なり』イエス禁(いまし)めて言ひ給ふ『默(もだ)せ、その人を出でよ』穢れし靈その人を痙攣(ひきつ)けさせ、大聲をあげて出づ。人々みな驚き相問ひて言ふ『これ何事ぞ、權威ある新しき教なるかな、穢れし靈すら命ずれば從ふ』ここにイエスの噂あまねくガリラヤの四方に弘りたり。
 會堂をいで、直ちにヤコブとヨハネとを伴ひて、シモン及びアンデレの家に入り給ふ。シモンの外姑(しうとめ)、熱をやみて臥(ふ)しゐたれば、人々ただちに之をイエスに告ぐ。イエス往きて、その手をとり、起し給へば、熱さりて女かれらに事ふ。
 夕となり、日いりてのち、人々すべての病ある者・惡鬼に憑かれたる者をイエスに連れ來り、全町こぞりて門に集る。イエスさまざまの病を患ふ多くの人をいやし、多くの惡鬼を逐ひいだし、之に物言ふことを免(ゆる)し給はず、惡鬼イエスを知るに因りてなり。 朝まだき暗き程に、イエス起き出でて、寂しき處にゆき、其處にて祈りゐたまふ。シモン及び之と偕にをる者ども、その跡を慕ひゆき、イエスに遇ひて言ふ『人みな汝を尋ぬ』イエス言ひ給ふ『いざ最寄の村々に往かん、われ彼處(かしこ)にも教を宣ぶべし、我はこの爲に出で來りしなり』遂にゆきて、あまねくガリラヤの會堂にて教を宣べ、かつ惡鬼を逐ひ出し給へり。
 一人の癩病人みもとに來り、跪(ひざま)づき請ひて言ふ『御意(みこころ)ならば、我を潔(きよ)くなし給ふを得ん』イエス憫(あはれ)みて、手をのべ彼につけて『わが意なり、潔(きよ)くなれ』と言ひ給へば、直ちに癩病さりて、その人きよまれり。やがて彼を去らしめんとて、嚴しく戒めて言ひ給ふ『つつしみて誰にも語るな、唯ゆきて己を祭司に見せ、モーセが命じたる物を汝の潔(きよめ)のために献げて、人々に證(あかし)せよ』されど彼いでて此の事を大(おおい)に述べ13013009つたへ、あまねく弘め始めたれば、この後イエスあらはに町に入りがたく、外の寂しき處に留りたまふ。人々四方より御許に來れり。

 こうして『マルコ傳福音書』を改めて読んでいくことができるのは、私にはとても幸運なことです。なんとしても理解できるように努力します。