2013年02月03日

新新宗教のことを考えました

2017073103 私が今ずっとUPしています「聖書」のマルコ傳ですが(この前には「マタイ傳」をUPしました)、それで私が「新新宗教」について考えて、私のこのサイドバーにある「グーグル検索」で、「このブログ内を検索」をしますと、以下のようなものが出てきました。その一部を以下にあげてみます。

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2012年05月17日吉本隆明鈔集463「宗教」
宗教というのは人間(人類)の精神的活動の始源になったものだ。これは様々な形をとって現在(二〇〇六年)にまで至っているが、大別すればその変遷は二つにわかれるといえよう。ひとつは外形を著しく変化させて倫理道徳になったり、さらに法律になったり、民族国家やその下の日常的な生活社会になったりして現在に至っている。もうひとつの精神活動は外形は宗教の形をとりながら、キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教、儒教や神道など、地域種族のちがいによって、さまざまな宗教を生み出している。
(『還りのことば』2006.5.1雲母書房「まえがき」)

これほど明確によく言いきってくれているものです。概念としては判っているつもりでしたが、こうして言葉で書かれるとはっきりしてきた思いが私にはしています。宗教の中で、いろいろな形があることよりも、宗教が、倫理道徳になったり、法律になった元なのだということが今の私にははっきりしてきている思いがします。

2011年04月10日吉本隆明鈔集「宗教」
ちょっとかんがえると、宗教は阿片であるとか迷妄であるとか簡単に片づけられそうにみえますけれど、しかし、なぜ人間が宗教的あるいは観念的には、馬鹿馬鹿しいくらいの迷妄になりうるかということの根柢は、そうたやすいものではありません。なぜたやすいものでないかといえば、そのほんとうの基盤は、最初に申しあげましたように、社会そのものの現実的な要素の中にあって、迷妄はその一つの象徴たるにすぎない面があるからです。それからもう一つは、観念の問題としての伝承、つまりこれは、言葉を通して、言葉として残されたものを通してというのが多いわけですけれど、伝承されたものから影響を受けやすいという、そういう両方の面から、迷妄性の根柢は、かなり深いように思われます。だから、人間の観念的な可塑性とは、ほんとうは、いかようにも迷妄になりうるし、また、いかようにも科学的にもなりうることを指しています。
(「国家と宗教のあいだ」原題・緊急の思想的課題1970.4.29西荻南教会主催講演於杉並公会堂  「海」中央公論社1970.7月号に掲載  「知の岸辺へ」1976.9.30弓立社に収録された。「信の構造Part3全天皇制・宗教論集成」1989.1.30春秋社に再録。「語りの海吉本隆明1幻想としての国家」1995.3.18中公文庫に再録)

このことをよく踏まえておかないと、宗教のみならず人間の観念性を見誤ってしまうのだ。人間は観念的にはどのような異常性も狂気性をも持ちうるのだ。その自分の特殊な観念を世界に普遍なものと思い込んでしまう。だから一見馬鹿馬鹿しい迷妄さも、全くの科学性も同じところに存在してしまうことがあるのだ。

2011年11月08日吉本隆明鈔集272「新新宗教と超人的」
中世の浄土教とか日蓮宗とか曹洞宗とかの当時の新興宗教は、超人的というのはやめようじゃないか、つまりこれは倫理の言葉とか倫理の行いとかに直さなかったらだめなんだというかたちで、それぞれの宗旨、宗派はちがうんですがやったようにおもいます。なんといったらいいか、倫理的な教義の純粋化といいますか、純粋化と倫理化がいっしょになってというかたちであったとおもうんです。現在の「新新宗教」はその逆であって、旧来の倫理がだめじゃないかとおもわれはじめたときに、いままであった倫理を解体してもう一度新しく通用する倫理をつくろうとするところはどこにもなくて、従来の倫理は基本的に終っちゃったというかたちになっている。やっぱり超人的なことにもう一回入っちゃっているような気がします。

(1992.9、10田原克拓によるインタビュー 「時代の病理」1993.5春秋社に収録)

  昔の新興宗教といわれていたものと、今日の新宗教はかなり違う。それで新新宗教と名付けているわけだ。おおきな特徴がこの超人的ということである。教祖なりがかなり超人である。昔の新興宗教の教祖がただの主婦であったり、ただのおっさんであったりしたのとはおおきく違っている。それは現在の若者なりの抱く悩みなりの要素がかなり違ってきているからだと思う。
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私は明治から昭和戦前の新宗教と、ついこのごろの新新宗教とは大きく違うことを考えています。これは今日の午前10時頃、ここの自宅のポストに今の新13020205新宗教の本が投げ込まれたからです。それでしばし考えたものなのです。
私が歩く路でも昔の新宗教の看板を掲げているところがあり、でも今の若い人(と言ってももう新新宗教の人もそんなに若くないだろうが)はもう「超人」でないと魅力はないのだろうな。
でもまた今は違ってきていると思います。



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shomon at 13:53│Comments(0)clip!吉本隆明鈔集 

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