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13021205 私の浅田次郎「黒書院の六兵衛」(263)にmatoyaさんから次のコメントがありました。

1. Posted by matoya   2013年02月07日 20:43
  周さんこんばんは、いつも楽しくブログ見てます。淀屋辰五郎(本編の辰平とは別人物)に私は思いがあります、淀屋の話の前に、お稲荷さんの話ですが、我が家からほど近いところに土佐稲荷神社があります、元土佐藩邸で維新後の版籍奉還、藩営事業廃止令によって、岩崎弥太郎が藩営事業を屋敷ごと買い入れ、その後に三菱の創業の地となり、屋敷内の鎮座していたお稲荷さんを神社として建立、現在は三菱グループの守護神社となってます(神社紋はスリーダイヤ)。そこから北へ15分ほど行くと土佐堀川沿いに薩摩藩邸跡があります。坂本龍馬が勝海舟の紹介で、西郷隆盛に初めて会ったといわれてます。その並びにある長州藩邸跡を見ながら15分ほど土佐堀を遡ると淀屋橋のたもとにつきます。淀屋辰五郎が、屋敷と川向の米市場との往来の為寄進したものです、淀屋の初代・常安は大坂の陣で徳川方につき、戦場に棄てられた武具類の回収をして大儲け。その財力で淀川を改修、中之島を開発。2代目の言当はに米市を開く。財を成した淀屋は大名貸付を始め、4代目の重當の時代には貸付額が20億両(現在のお金で120兆円とも200兆円とも)。5代目の淀屋辰五郎の時代、突然米商の免許取消、家財没収、大坂をところ払いに。表向きは、贅沢な生活の幕府よりのお咎め。実は大名の借金を踏み倒し。4代目重當13021206は闕所(けっしょ:財産没収刑)を予想していたのか、現在の鳥取県倉吉に牧田仁右衛門にのれん分け。そこで米屋を開かせた。牧田家はその後、大坂へ淀屋清兵衛という名で店を出し、淀屋橋を買い戻します。そして、幕末突然大坂と倉吉の両方の店を閉鎖売却、全財産を倒幕資金として朝廷に献金、忽然と姿を消す。160年前の淀屋本家の辰五郎の幕府への仇討かと思うのは私だけでしょうか。

  まずこうして、せっかくコメントをいただいたのに、それへのレスがこうして遅くなり、申し訳ありません。
  私は今回義母の一周忌で三ノ宮のお墓へ行っていました。その行くときにIS01でのUPの今はこうして乗っていますと。ものすごくいっぱいのことを思い出しますに

ああそうだ、私のブログで書かれたコメントにレスを書かなくちゃいけないんだ。

と書きましたのは、このコメントへのレスだったのです。
 岩崎弥太郎、坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛と言いますと、幕末明治維新を大きく感じますね。長州藩は木戸孝允しか残らない感じで多くの志士たちが亡くなっていますね。そういうことでは土佐勤皇党も同じです。そして薩摩も、比較的残っていたはずなのですが、西南戦争で多くの志士たちが亡くなりました。
13021207 そして、江戸幕府も実に多くの方が亡くなりました。思えば、維新のときからずっと生きていたのは山縣有朋くらいかな。そんなことを思います(私はこの人物が大嫌いですが)。
 そういう思いの私には、この今の的矢六兵衛にはいささか不思儀な思いになります。そして小説の中の淀屋辰平にも、なんだかいつも「この人物は何を考えているのだろう」という思いを抱いていますが、でもこのmatoyaさんの書かれたコメントを読んで、「え、モデルがいたのか」(多分モデルと言えるのじゃないかな)と思ったものです。
 しかし、武士というのは、どうしても多くの血を流しながらも、ずっと自らの階級を守っていくのですね。フランス革命やドイツ革命等とは大きく違いを感じます。ロシア革命や中国革命とも違います。アメリカ独立革命ともイギリスのいくつもの革命とも違います。
 そこに日本の特殊なことを感じ、でもそれが今思うと、よかったのかなあ。北一輝も懸命にこの日本の違いを考えたことだと思います。銃殺されたときに、何を考えたのかなあといつも思います。おそらく昭和天皇を否定した思いだったでしょうね。彼は「天皇万歳」とは叫ばなかっ13021208たはずです。
 でもこのmatoyaさんのコメントで淀屋本家の辰五郎のことも大きく知りました。ありがとうございます。
 まだまだ知らないことばかりがあるのですね。