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 私は以下に書いています。

   alt="かにた婦人の村と「噫従軍居慰安婦」">(1998.04.27)

 私は1998年の2月14日(土)にここを訪れたことをずっと忘れていません。私が書いたことですが、また繰り返します。

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 職員の方の説明の中で、彼女たちの住む部屋には、テレビはないそうです。テレビがあると、それにばかりにかかりきりになるからでしょう。その替わりに食堂にテレビがあって、それを曜日を限って見ることができます。見るのは、みんなの希望でテレビ番組を職員の方が録画するそうです。でもなんと言っても、みなに人気のあるのが「フーテンの寅」さんだそうです。

  寅さんなら、また同じのを見てもいい

というそうです。そしてみんな、実によく見ているそうです。彼女たちが一番飢えているのは、「家族」になるのでしょう。
 あの半端者の寅さんでさえ、優しい家族がいます。どんなになっても歓迎してくれる故郷を持っている寅さんです。そして女性には優しい寅さんです。いや寅さんだけではなく、寅さんの周りにいるどの男性たちも、女性には優しいのです。そんなところにきっとあこがれてしまうのでしょう。渥美清さんが亡くなって、もう寅さんの映画が作られないことには、とても残念なことのようです。
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ここにこの「噫従軍慰安婦」の碑があります。私は以下のように書いています。

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 この施設は、敷地面積108,911平米という、実に広大な敷地であり高台にあります。館山の旧海軍砲台跡に1965年建てられたものです。ちょうど館山で東京湾を入ってくるだろう敵国軍艦を砲撃できるだろうという砲台跡地です。 この高台の一番上の山の上に「鎮魂碑」がが建てられています。その碑には

    噫従軍慰安婦

と標されてします。
 その場は、ちょうど東京湾の館山沖が見渡せて、晴れた日には富士山も見えるというところで、実に気持のいい広さを感じるところです。
 この鎮魂碑から見た景色がちょうど太平洋戦争にて激戦地になったパラオの風景とそっくりなそうです。そのパラオにて従軍慰安婦として苦労された方が、同じくあの戦争で苦労された方々を鎮魂する碑ということでした。この鎮魂とは慰安婦の方々のみでなく、同じく苦労された兵隊さんも含んでいるという説明でした。
 この碑の前で見た景色を私は忘れることはできないでしょう。どんなにパラオの地で日本へ帰りたかったことだろうなと思うのです。私たちの今の平和を築く礎になった多くの方々を決して忘れてはならないと、私はそのときにも深く思いました。
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 今も思うのです。忘れてはいけないことです。「従軍慰安婦」という言葉は明確にあやまりですが(私の父も義父も外地に行きました。父は中国大陸・インドシナ・シンガホール・ビルマ・スマトマまで、義父は旧満州です)、その従軍した軍隊に従軍慰安婦などというものはいませんでした。
 ただ今もこうしたことを平気で書かれる人がいるということが私はもう許すことができません。