2016年12月28日

「筑摩書房を思います」に書いたことですが

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 この日11月19日(土)に午前9時に、瀧野川第五小学校に着きました。自宅から日本交通で行きましたものです。
 瀧野川第五小学校の講堂に入るともういっぱいの方がおいでになっていました。

 それで私が以下のように書いたことですが、『ここの画面の「三国志」は「三国志演義」や「吉川英治三国志」ではなく、陳寿が書いたもので、初めて日本語に訳されたもの(註が裴松之の書いたもの)です。江戸時代の人も誰も読んでいなかったのでしたね。』

 これは江戸時代は「三国志」をみんながよく読んでいたように見えても、実は一部だけを読んでいるだけで、『陳寿「三国志」裴松之(はいしょうし)の註を含んで』をすべて読んだ人は一人もいなかったのです。このことが悲しい真実なのです。
そういえば、『陳寿「三国志」』は誰も、陳寿の書いたものと、「裴松之の註」とは誰もが陳寿の書いた本文より、「裴松之の註」のほうが量が多いと思っていますが、真実は本文の方が量があるのです。私もそれを知りまして、実に驚いたものでした。
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