周の歌の話

2017年08月25日

金色夜叉の歌

2017082506      私の次女ブルータスが家族4人で熱海へ行くというので、前に「金色夜叉の歌」に関することをこのサイトに載せました。それでまた実際に歌詞を載せてみます。
2017082505
1.熱海の海岸 散歩する
貫一お宮の二人連れ
共に歩むも今日限り
共に語るも今日限り
2.僕が学校 おわるまで
何故に宮さん待たなんだ
夫に不足が出来たのか
さもなきゃお金が欲しいのか
3.夫に不足は ないけれど
あなたを洋行さすが為
父母の教えに従って
富山一家に嫁(かしず)かん
4.如何に宮さん 貫一は
これでも一個の男子なり
理想の妻を金に替え
洋行するよな僕じゃない
5.宮さん必ず 来年の
今月今夜のこの月は
僕の涙でくもらして
見せるよ男子(おのこ)の意気地から
6.ダイヤモンドに 目がくれて
乗ってはならぬ玉の輿
人は身持ちが第一よ
お金はこの世のまわり物
7.恋に破れし 貫一は
すがるお宮をつきはなし
無念の涙はらはらと
残るなぎさに月さびし2017082507 
  やっぱりこの歌は哀しいです。もし尾崎紅葉が命を長らえていたら、もっと幸せになる二人を書いていたに違いありません。

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2017年07月28日

上海帰りのリル

2017072805      毎朝見ています「ひよっこ」のテーマ曲を聴いていまして、私が以下のように書きました(コピーです)のですが、

『話題になった歌い出しの歌詞の「リル」ですが、どうやら人名のようです。歌詞が公式に出る前は「愛のことばを射る」と思った人も多いようですが正解はリルでした。昭和初期に流行した、「上海帰りのリル」という歌からの引用ではないかと推測されています。』2017072804
 それでこの「上海帰りのリル」をここに書いてみました。私が好きな歌です。そしてよく唄う歌でもあります。
2017072801
歌  上海帰りのリル
歌手 津村健
作詞 東海林寿三郎
作曲 渡久地正信
編曲 林伊佐緒

船を見つめていた
ハマのキャバレーにいた
風の噂はリル
上海(しゃんはい)帰りのリル リル
あまい切ない 思い出だけを
胸にたぐって 探して歩く
リル リル 何処(どこ)にいるのかリル
誰かリルを 知らないか

黒いドレスを見た
泣いていたのを見た
戻れこの手にリル
上海帰りのリル リル
夢の四馬路(スマロ)の 霧降る中で
何も言わずに 別れた瞳
リル リル 一人さまようリル
誰かリルを 知らないか

海を渡ってきた
ひとりぼっちできた
のぞみ捨てるなリル
上海帰りのリル リル
暗い運命(さだめ)は 二人で分けて
共に暮そう 昔のままで
リル リル 今日も逢えないリル
誰かリルを 知らないか
2017072803
   出だしからすべて唄える歌でもあります。また唄った歌手の津村健さんも声も顔もよく思い出します。そうなのだなあ。もう懐かしくてたまりません。津村健(1923年12月12日〜1961年11月28日)さんは、富山県のお生まれなのですね。いくつものことを思い出します。
2017072802


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2017年07月15日

「緑の丘の 赤い屋根」の歌詞

2017071501   こうやって頭の中を巡っていた歌の歌詞を正確に知ることができました。

鐘の鳴る丘
(1947年昭和22)
作詞 菊田一夫
作曲 古関裕而
歌  川田正子  美空ひばり

一)
緑の丘の 赤い屋根
とんがり帽子の 時計台
鐘が鳴ります キンコンカン
メイメイ小山羊も ないてます
風がそよそよ 丘の上

黄色いお窓は おいらの家よ
(二
緑の丘の 麦畑
おいらが一人で いるときに
鐘が鳴ります キンコンカン
鳴る鳴る鐘は 父母の
元気でいろよと 言う声よ
口笛吹いて おいらは元気
(三
とんがり帽子の 時計台
夜になったら 星が出る
鐘が鳴ります キンコンカン
おいらは帰る 屋根の下
父さん母さん いないけど
丘のあの窓 おいらの家よ
(四
おやすみなさい 空の星
おやすみなさい 仲間たち
鐘が鳴ります キンコンカン
昨日にまさる 今日よりも
明日はもっと しあわせに
みんな仲良く おやすみなさい2017071502

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2017年03月09日

渡哲也「東京流れ者」の歌詞

20170309022017030218
  私の結婚式ではこの歌を流したものです。20170302192017030220  渡哲也の「東京流れ者」の歌詞を書きます。これは日活の映画「東京流れ者」(監督は鈴木清順)のテーマ曲でした。私は一体この歌をどれくらい唄ってきたことでしょうか。 ただこの映画は女性にはとても嫌な(というよりばかばかしく感じるようです)もののようです。映画の中で渡哲也が放つセリフはどれもばかばかしく感じるようなのです。
そのことを一番感じたのはこの映画のヒロイン松原千恵子さんなのではないでしょうか。
でも私はこの映画は大好きです。何度見てきたことでしょうか。そしていつも映画での渡哲也と同じに声をだして唄ったものでした。
この歌は次の二つがあります。

渡哲也「東京流れ者」
   作詞:川内和子(川内康範の変名) 2017031129採譜・補作曲:叶弦大 編曲:小杉仁三

何処で生きても 流れ者
どうせさすらい ひとり身の
明日は何処やら 風に聞け
可愛いあの娘の 胸に聞け
ああ 東京流れ者

流れ果てない 旅に出て
いつか忘れた 東京の
泣いてくれるな 夜の雨
男いのちは 赤く散る
ああ 東京流れ者

風はひとりで 吹いている
月もひとりで 照っている
俺はひとりで 流れ者
明日の墓場は わからない
ああ 東京流れ者

夢はいらない 花ならば
花は散ろうし 夢も散る
どうせ散るなら 男花
恋もすてたぜ 義理ゆえに
ああ 東京流れ者

渡哲也「東京流れ者」(日活主題歌バージョン)
    作詞:高月ことば
2017031304
黒いジャンパーに 赤いバラ 
きざななりして ゴロ巻いて
渋谷新宿池袋
風もしみます 日の暮れは
ああ 東京流れ者

弱い犬ほど 吠えまする
俺は黙って 闇の中
御用のある時ゃ 呼んどくれ
きっとお役に 立ちまする
ああ 東京流れ者

二十三区を はみ出して
いつか武蔵野吉祥寺
たった五尺の この体
どこに置場も ござんせん
ああ 東京流れ者

   最後の「ああ 東京流れ者」の歌い方が違います。もう何度も唄ってきました。私は新宿ゴールデン街「ひしょう」には、この上の歌のテイチクのレコードを置いてきたものです。でも誰かが持って行ってしまったものでした。悔しいな。

   監督の鈴木清順をいつも思い出します。
201703086020170308612017030862
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2017年02月27日

「東京流れ者」を載せました

20170227022017022708   ここのサイドバーで私の住む家のそばの「柳田公園」の写真を載せたものが、ここのサイドバーに載りましたので、急遽替えました。いえ「柳田公園」の写真はいいのですが、サイドバーには小さすぎるのですね。それで替えたものなのです。続きを読む

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2016年12月07日

『「電車ごっこ」の歌詞』は今朝書いていました

2016120701
「電車ごっこ」の歌詞は昨日の夜から今朝まで書いていました。それからまた眠っていままた起きています。
 いつもこんなことなのですね。仕方ないなあ。
 やっぱりばあばがいないと不規則になってしまうのですね。

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2016年12月06日

「電車ごっこ」の歌詞

2016120622
  昨日(12月6日)はどうしてか18時35分に眠ってしまい、22時5分に起きて、それまで私に聴こえていた(自分でも唄っていた)「電車ごっこ」の歌の歌詞を書いていました。

  運転手は君だ
  車掌はボクだ
  あとの4人は 電車のお客
  お乗りはお早く 動きます
  チーン チーン
2016120625
  それでもう眠れないので、こうして起きだして、正確に書いていきましょう。
この歌の電車とは、都電(唄われた頃は東京市電)なのですね。

   電車ごっこ
          作詞 井上 赳(いのうえたけし)
          作曲 信時 潔(のぶとききよし)

  運転手は君だ 車掌はボクだ
  あとの4人は 電車のお客
  お乗りはお早く 動きます
  チーン チーン

  運転手はじょうず 電車は速い
  つぎは僕らの 学校前だ
  お降りはお早く 動きます
  チーン チーン
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2016120624
いい歌です。私の孫の前でも私が唄いましょう。そして、孫も一緒に「電車ごっこ」をやりましょう。いいな、これはいいことです。まだ小学校へ入る前のポポも覚えてほしいです。
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2016120714






  



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2015年05月25日

茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠

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 ここの画像はライブドアで見まして、私は『「茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠」も大事な意味があるんだよな』と思い、インターネットで調べました。
15052502
 ここの最初の画像は、静岡県の茶畑です。3番目の画像は、茶摘5円切手(1949年発行)です。この歌詞の最後の一節にあるように、今も茶を摘む際には茜の襷を掛けて行われる。そしてウィキペディアでは、次のようにあります。
茜は、止血剤として知られている。ゆえ、指先に怪我をしやすい茶摘みという作業に際して、襷の茜成分を擦り込みながら作業を継続するという先人の知恵がこの装束にあると、大津市無形文化財である草木染名人の三代目太田藤三郎は分析している。
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 これは前から言われていて、私は日本人が先祖から受け継いでいることはすごくいいなあと思ってきました。


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2015年04月23日

文部省唱歌「靴が鳴る」の2

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 私はこう書いていました。

近所のセブンイレブンから帰ってくるときにそこにいたおばあちゃんが自分の孫娘だろうと手をつないで、歌を唄っていました。

 このおばあちゃんは私の前では、「靴が鳴る」を1番のみ2回唄っていたのでした。だから私はよく聴こえていたのでした。
 実はそこは八百屋の前でした。いつも店主さんが大声で売っている声が聴こえています。私はいつもその声を遠くからでも聴いています。
 声を聴くたびに私はとっても嬉しくなっています。


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2015年04月22日

文部省唱歌「靴が鳴る」

15041327
 ちょうど1年くらい前に、私が近所のセブンイレブンから帰ってくるときにそこにいたおばあちゃんが自分の孫娘だろう(と私は予想したのですが。ただし「おばあちゃん」と言いましても私よりは若いです)と手をつないで、歌を唄っていました。

 靴が鳴る
作 詞 清水かつら
作 曲 弘田龍太郎

1.お手(てて)つないで 野道を行(ゆ)けば
  みんな可愛(かわ)い 小鳥になつて
  歌をうたへば 靴が鳴る
  晴れたみ空に 靴が鳴る
2.花をつんでは お頭(つむ)にさせば
  みんな可愛(かわ)い うさぎになつて
  はねて踊れば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る
15041328
 そのときには私の心は、どんなに嬉しくなったことでしょうか。私は「あのおばあちゃん、若いのだろうに、よくお孫さんに唄ってくれるな、いいなあ」。私もそのおばあさんと一緒に声は出さないのですが、「歌をうたへば 靴が鳴る 晴れたみ空に 靴が鳴る」と口の中であわせていたものです。


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2015年04月17日

八代亜紀が唄う「竜二」

15041313
 私が今朝「周の掲示板」に書きました映画「竜二」の八代亜紀が唄う歌です。

竜二
作 詞 吉岡 治
作 曲 三木たかし
 歌  八代亜紀

 あいつと冬には 別れてみせる
 お酒を飲んで 賭けてたと
 竜二... 冗談だよね 竜二
 窓を氷雨がたたく
 冷たくしても かまわない
 あなたがそばにいるだけで眠れるわ
 好きだもんァァ好きだもん
 好きだもん好きだもん竜二...竜二15041314
 あと2番3番は書きません。いくらこのライブドアで歌詞を書いていいといっても避けたほうがいいでしょう。
 私はいつもこの八代亜紀が唄う「竜二」が甦るのです。


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2014年09月15日

やっぱり私は書いていました

14090607
 私がこの一つ前のUPで、以下のように書いていたのでしたが、

2014/09/15 05:47李香蘭が先日の日曜日亡くなったのですね。ものすごく彼女のことを思います。彼女の唄った歌『支那の夜』を思い出します。私が何度も唄ったものでした。

 ああ、そうだ。「李香蘭『支那の夜』」をインターネットから歌詞を書きましょう。

 やはり書いていました。以下にです。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/52065599.html

 この歌の歌詞は上にも書いていますが、再び書きましょう。渡辺はま子も唄った歌なのですね。
 ものすごく懐かしい歌です。そして私はいつも蘇東坡の「飲湖上初晴後雨」の絶句を思い出すのです。14090608

1. 君がみ胸に抱かれてきくは
 夢の船歌恋の唄
  水の蘇州の花散る春を
  惜しむか柳がすすり泣く
2.花を浮かべて流れる水の
  明日の行方は知らねども
  今宵うつした二人の姿
  消えてくれるないつまでも
3.髪に飾ろか口づけしよか
  君が手折りし桃の花
  涙ぐむよなおぼろの月に
  鐘が鳴ります寒山寺
1409150314091502
 いい歌です。いつも私が唄ってきたものです。


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2014年02月19日

「故郷(ふるさと)」

14021707
 私が書きました2014年2月19日のポメラで次のように書きました。

この文を書いた最初から、私の頭には「〜志を果たして、いつの日にか、帰らん〜」という「故郷(ふるさと)」の歌が浮かんでいました。

 この歌を私はものすごく思い出しました。この歌は、1914年(大正3年)の尋常小学唱歌の第六学年用で発表されたということです。
 こんな古い歌なのに、私はすべて思い出せるのですね。故郷というものがないといえる私だからかな。いえ、私には日本中に故郷はあるのです。

「故郷(ふるさと)」

作詞 高野辰之
作曲 岡野貞一

一兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷
二如何(いか)にいます父母
恙無(つつがな)しや友がき
雨に風につけても
思ひ出づる故郷
三志を果たして
いつの日にか歸らん
山は悗故郷
水は罎故郷

 私のすべての思い出が甦ります。14021708

 ここの掲げた写真の路は17日に歩いたポニョとポポの保育園からの帰る道です。ここが私にははるか昔私が4歳の頃通った秋田市の幼稚園の行きかえりの路に思えるのです。それに似ているのです。いや本当は似てないのかもしれませんが。はるかな思い出だけなのです。昭和26、7年の頃かなあ。


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2013年09月13日

婦系図の歌で「湯島の白梅」

13091006
 私は周の掲示板で、

私はいつも歌の「湯島の白梅」を思い出します。このあと将門Webでも書いてみましょう。

と書いていながら、やっていませんでした。反省して、今書きます。これは昭和17年(1942)の歌です。

作詞 佐伯孝夫
作曲 清水保雄
歌  小畑実・藤原亮子
制作 滝野細道

一(藤原亮子)
湯島通れば 想い出す
お蔦主税(ちから)の 心意気
知るや白梅 玉垣に
残る二人の 影法師
二(小畑実)
 忘れられよか 筒井筒(つついづつ)
岸の柳の 縁むすび
かたい契りを 義理ゆえに
水に流すも 江戸育ち
三(小畑実・藤原亮子)
 青い瓦斯燈(がすとう) 境内を
 出れば本郷 切通し
あかぬ別れの 中空(なかぞら)に
鐘は墨絵の 上野山

 この中の筒井筒とは、「丸井戸を囲った垣」のことで幼い頃男女が遊んだ場所の意味です。幼馴染の二人ということですね。
 この小説は、ここのサイドバーにあります青空文庫で以下で読めます。ただし、とても長い作品ですよ

  泉鏡花『婦系図』
  http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/1087_34456.html

 この作品では、お蔦の「

別れろ切れろは芸者のときに言う言葉……今の私にはいっそ死ねと言ってください

」が実に有名です。

 私はこの泉鏡花の作品としては、他に『高野聖(こうやひじり)』『歌行燈(うたあんどん)』を中2の時に読んでいます。
 この作家は、1873年(明治6)11月4日〜1939年(昭和14)9月7日の生涯でした。私は尾崎紅葉、徳富蘆花、小栗風葉と並んで私の好きな作家です。


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2013年05月30日

「この道」を思い出す

13052805 私は今はポニョと一緒にいますで次のように書いていました。

 今教育テレビで「この道」を聞いています。私の父が歌ってくれたことを思い出します。いい歌がたくさんありますね。
 あとでこの歌をこの将門Webに書いてみましょう。

 これは私のポニョと教育テレビを見ていたときに、流れた歌でした。私の父が歌ってくれたというのは、札幌に住んでいた頃で私が幼稚園の頃の話です。

歌名 この道
作詞 北原白秋
作曲 山田耕筰
大正15年

この道はいつか来た道
 ああ そうだよ
 あかしやの花が咲いてる

あの丘はいつか見た丘
 ああ そうだよ
 ほら 白い時計台だよ

この道はいつか来た道
 ああ そうだよ
 お母さまと馬車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
 ああ そうだよ
 山査子(さんざし)の枝も垂れてる

 前にここに書きました時計台の鐘もそうですが、札幌という街はこういう歌のイメージがいくらでも私の心の中に広がってきます。



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2013年04月26日

時計台の鐘

13042604  この画像を見て私はこの歌を思い起こしました。ただ私は「時計台の歌」と記憶していました。情けないです。正確に、「時計台の鐘」です。
 作詞作曲は高階哲夫さんで、奥さまのアルト歌手のます子さんが昭和2年に歌われたということです。
  このことは、札幌市時計台ーあゆみ時計台の鐘 二木紘三のうた物語に書いてあります。

歌名 時計台の鐘
作詞 高階哲夫
作曲 高階哲夫
昭和2年

1 時計台の鐘が鳴る
  大空とおく ほのぼのと
  しずかに夜は明けてきた
  ポプラの梢(こずえ)に日は照りだして
  きれいな朝(あした)になりました
  時計台の鐘が鳴る
2 時計台の鐘が鳴る
  アカシヤの樹(き)に日は落ちて
  しずかに街(まち)も暮れてゆく
  山の牧場の羊の群れも
  だまっておうちへかえるだろう
  時計台の鐘が鳴る

 ただ私はこの歌は知らないといえるのですね。でも「知らないのに何故唄えるのだろう?」と思ったものです。
 私の弟がこの歌を「母がよく唄ってくれた」と何かに書いていたのですが(作文かもしれない)、兄の私がよく覚えていないのですね。思えば、私はこの札幌は幼稚園に7ケ月いただけで、弟はさらに小さかったのですから、よく記憶にあったものです。あ、でも私は小学校入学は札幌で、小学校2年の1月までいたものでした。弟は名古屋の南区の桜小学校から入学したのですた。



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2013年03月12日

私はこの花を見ると

13031106 いつも「蘇州夜曲」での以下の歌詞を思い出しています。

3.髪に飾ろか口づけしよか 君が手折りし桃の花
  涙ぐむよなおぼろの月に 鐘が鳴ります寒山寺

 この画像は私のご近所にある「桃の花」です。
 桃の花をこうして見ていまして、いつも私は「涙ぐむよなおぼろの月に」というところで、涙汲んでいます。
 こうした歌詞を思い出し、そして実際に桃の花見ることが出来て私はいつも嬉しいのです。
 昨日吉田医院に行きまして、その帰りに薬局の帰りにこの桃の花をみました。



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周の歌集「蘇州夜曲」

13031206 この歌がいつも思い出されてきます。

歌名 蘇州夜曲
作詞 西条発十
作曲 服部良一
昭和15年
歌 渡辺はま子
歌 李香蘭(山口淑子)

 この歌は私は、渡辺はま子の歌として、また李香蘭(山口淑子)の歌としても、よく聞いてきたもので、また私自身が歌ってきました。
 この歌は昭和15年の映画「支那の夜」の劇中歌です。

1. 君がみ胸に抱かれてきくは
   夢の船歌恋の唄
  水の蘇州の花散る春を
  惜しむか柳がすすり泣く
2.花を浮かべて流れる水の
  明日の行方は知らねども
  今宵うつした二人の姿
  消えてくれるないつまでも
3.髪に飾ろか口づけしよか
  君が手折りし桃の花
  涙ぐむよなおぼろの月に
  鐘が鳴ります寒山寺

  私はいつもこの歌を蘇東坡の「飲湖上初晴後雨」の絶句から生まれてきたと思っています。

       飲湖上初晴後雨  蘇軾
 水光瀲灧晴方好 水光瀲灧として、晴れ方(まさ)に好(よ)く、
 山色空濛雨亦奇 山色(さんしょく)空濛(くうもう)として、雨もまた奇なり。
 欲把西湖比西子 西湖を把(と)って、西子に比せば、
 淡粧濃抹總相宜 淡粧濃抹、総て相(あい)宜(よろ)し

 でも私ももっと学んでいかないといけないなあ。



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2013年03月03日

周の歌集「うれしいひなまつり」

1303020813030207 今日は2013(平成25年)3月3日のおひなまつりの日です。
 昨日私は三人の孫(ポコ汰、ポニョ、ポポ)のまごころ会保育園のお雛祭りに行きまして、ものすごく嬉しい思いでした。私はどんどん演技が進行しますで次のように書きました。

 今はポコ汰が壇上で唱っています。
「明かりをつけましょう、ぼんぼりに〜」の歌です。
 あとで、この歌詞を私のブログにUPします。

 ところが、ウィキペディアで読みますと、単純には書けないのだ、単純にはコピーできないのだということを感じました。
 以下のようにあります。

 題名どおり、ひな祭りを歌った曲。1935(昭和10年)、サトウハチローが娘に雛人形セットを買ってやった前後に作詞したとされる。それに河村が曲をつけ、1935(昭和11年)1月にレコードが発売されている。

 一方で、歌詞の中に官女から嫁いだ姉を連想するくだりがあるが、これについては、嫁ぎ先が決まった矢先に18歳で結核で亡くなったサトウハチローの姉のことを歌っているものであり、この曲が短調なのはハチローの姉へのレクイエムだからであるとの解釈もある。
 サトウハチローが作詞した楽曲の中では最もよく歌われるものの一つともいわれ、日本では広く知られた曲となっている。一方、歌詞には雛人形を歌った内容としては不正確な描写が含まれており、作詞したサトウハチローはこうした誤りを気にし、晩年までこの曲を嫌っていたという。具体的には、男雛と女雛を「お内裏様とお雛様」と呼ぶのはこの歌から広まった誤用で、また右大臣を「赤い顔」としているのも誤りである。13030209

 それでも、私は以下に歌詞をあげます。私の二人の娘夫婦にも4人の孫にも伝えたいからです。
 私の次女ブルータスは昨日ケータイメールで孫じゅにの顔写真を送ってくれました。私はそれをパソコンに送付してよく見ているものです。
 そういえば、長女おはぎのポニョにも、次女ブルータスのじゅににもお雛祭りのお菓子は送りました。

歌名 うれしいひなまつり
作詞 サトウハチロー
作曲 河村光陽

 あかりをつけましょ ぼんぼりに
 お花をあげましょ 桃の花
 五人ばやしの 笛太鼓
 今日はたのしい ひな祭り

 お内裏様と おひな様
 二人ならんで すまし顔
 お嫁にいらした 姉様に
 よく似た官女の 白い顔

 金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
 かすかにゆする 春の風
 すこし白酒 めされたか
 あかいお顔の 右大臣

 着物をきかえて 帯しめて
 今日はわたしも はれ姿
 春のやよいの このよき日
 なによりうれしい ひな祭り

 どうしても、この歌を唄ってしまいます。そして孫の二人、ポニョとじゅにをいっぱい思います。ポコ汰とポポには、「男の子には5月5日の祝うときがあるんだよ」と言ったものです。



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2013年02月11日

讃美歌「いつくしみ深い」

13021104 昨日西ノ宮の義母と義父のお墓の前でこの賛美歌を歌いました。昨日が義母の一周忌の日だったのです。
 次の二つを歌いました。

いつくしみ深い
1
いつくしみ深い 友ともなるイェスは
うれいも罪つみをも ぬぐい去さられる。
悩なやみ苦くるしみを  かくさず述(の)べて、
重荷(おもに)のすべてを  み手てにゆだねよ。
2
いつくしみ深い 友ともなるイェスは
われらの弱よわさを 共(とも)に負(お)われる。
嘆(なげ)き悲かなしみを ゆだねて祈り
つねに励(はげ)ましを 受けるうれしさ。
3
いつくしみ深い 友なるイェスは
愛のみ手により 支(ささ)え、みちびく。
世の友われらを 捨てさるときも
祈りに応えて なぐさめられる。

主よ、みもとに

主よ、みもとに近づかん。
十字架の道 行(ゆ)くとも
わが歌こそ、わが歌こそ、
「主よ、みもとに近づかん」。
2
さすらう間(ま)に 日は暮れ
石にまくら するとも、
夢にもなお、夢にもなお、
主(しゅ)よ、みもとに近(ちか)づかん。
3
天よりとどく かけはし、
われをまねく みつかい。
恵みうけて、恵みうけて、
主よ、みもとに近づかん。
4
目覚(めざ)めてのち、ベテルの
石を立てて 捧(ささ)ぐる
祈りこそは、祈りこそは、
「主(しゅ)よ、みもとに近(ちか)づかん」。
5
天翔(あまが)けゆく つばさを
与(あた)えらるる その時
われら歌わん、われら歌わん、
「主よ、みもとに近(ちか)づかん」。13021101

 私も賛美歌はもうあちこちで歌ってきています。



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2013年01月17日

ハッピーバースデーの歌の日本語歌詞

2016120505
2016120504

13011706 私はこれを書きましたときに、丘灯至夫(おかとしお)さんの日本語の歌詞を始めて知りました。すぐにUPしようと思ったのでしたが、すっかり忘れていました。

 お誕生日のうた
   作詞(訳詞) 丘灯至夫

  うれしいな 今日は
  たのしいな 今日は
  誕生日 おめでとう
  お歌を歌いましょう
           
  Happy birthday to you,
  Happy birthday to you,
  Happy birthday, dear [お祝いする人の名前],
  Happy birthday to you.

 これを今度孫のところで唄おう!



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2013年01月13日

ハッピーバースデーの歌

2016120508

13011307 私はこれをwikipediaで読みました。今日の「はやく起きた朝は・・・」で磯野貴理子さんが教えてくれたのです。
 元になった曲の歌詞は以下です。

Good Morning to All の歌詞
 Good morning to you,
  Good morning to you,
  Good morning, dear children,
  Good morning to all.

 そして、この替え歌がハッピーバースデーの歌となったのです。

Happy Birthday to You
  Happy birthday to you,
  Happy birthday to you,
  Happy birthday, dear [お祝いする人の名前],
  Happy birthday to you.

  この歌は、以下で聴くことができます。もう著作権は消滅しているということです。

  http://www.youtube.com/watch?v=XiyiiJORRMc
   ハッピーバースデー トゥ ユー - YouTube

 私も娘や孫の前ではいつも歌いますよ。



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2012年11月24日

「青年日本の歌(昭和維新の歌)」の作者名を間違えていました

12112418  私は土井晩翠『星落秋風五丈原』で以下のように書いていました。

この詩の語句はまた三木卓「青年日本の歌(昭和維新の歌)」でもいくつか使われていますね。

 申し訳ないです。この歌の作詞作曲者は、三上卓です。訂正しました。



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2012年10月08日

どんぐりころころ

12100802  どんぐりころころは、大正時代に作られた唱歌童謡ということです。

歌名 どんぐりころころ
作詞 青木存義(1879〜1935年)
作曲 梁田貞(1885〜1959年)

1  どんぐりころころ ドンブリコ
  お池にはまって さあ大変
    どじょうが出て来て 今日は
    坊ちゃん一緒に 遊びましょう
2 どんぐりころころ よろこんで
  しばらく一緒に 遊んだが
  やっぱりお山が 恋しいと
  泣いてはどじょうを 困らせた

 もう現在は「作詞、作曲ともに著作権の保護期間が満了しており、パブリックドメインとなっている」ということです。
 それでこれには、今日(2012.10.08)の日経新聞の「春秋」に3番があるとありまして、さらに4番もあるとありました。私もインターネットで調べてみました。
 これは平成年間になってからのことのようです。

歌詞 岩河三郎
3 どんぐりころころ 泣いてたら
  仲良しこりすが とんできて
  落ち葉にくるんで おんぶして
  急いでお山に 連れてった

 さらに次の歌詞があります。

歌詞 桂文枝
4 どんぐりころころ 帰ったら
  仲間がみんな  拾われて
    お話相手が いなくなり
    どじょうに会いに 転がった

 この桂文枝とは、落語家の前の桂三枝さんです。これで「どんぐりころころ」の歌はエンドレスになるのですね。
 なお、この4番は以下で読みました。

  http://sanshi.laff.jp/blog/ 席亭 桂三枝の 落語的日常

 なお現在は、桂文枝さんとなったのですから、ホームページも以下になりました。12100803

  http://bunshi.laff.jp/ 六代 桂文枝 上方落語のつぼ

 私は上方落語って、どうしてもなじみがなく、好きになれなかったのですが、この桂文枝さんで、大変に好きになれたものです。



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2012年08月31日

証成寺のことで

12083009 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」での、昨日以下のUPがありました(全部引用して申し訳ないです)。

まだまだ暑いです 投稿者:なな  投稿日:2012年 8月30日(木)23時28分54秒
  周さんが投稿されるフリー画像を見ていると、疲れが癒されます。
昨日は休みで、地元だというのに今まで一度も訪れたことのなかった証成寺へ。(しょ、しょ、しょじょじ…のあの寺)
小さな庭の木々に住職さんが書いたと思われるたくさんの短歌の短冊がほほえましかったです。素朴で素敵でした。うっかり写真撮るの忘れました。近いのでまた足を運ぶでしょう。素敵な小さな庭なのです。
今日は、職場の方々に歓迎会をしていただきました。入社1週間、少し気を張り過ぎだった感もあります。先輩の足を引っ張らないよう、業務的な動きを覚えこむのでいっぱいいっぱいで、自然な笑顔ではなかったかもしれません。
歓迎会の席でさえ、なんとなく気後れしてうまく喋れないときがありました。
なにより、何事も「楽しむ」ことを忘れてはいけないと思いました。

疲れが癒されます」とまで書いていただきまして、私は嬉しいばかりです。この証成寺は、木更津市にあるのですね。12083101

   http://www.shojoji.net/ 
    狸ばやしのお寺「護念山 證誠寺」

 実は私の次女ブルータスが、ここ木更津市の教員なのです(住んでいるのはお隣の君津市です)。そして、その子どもじゅには、今はブルータスと一緒にいつも元気にいます。
 実は先日の私の妻と、じいじばあばで二人で行ってきたのです。ブルータスもじゅにも、パパのナオキ君も、あちらのじいじばあばにも会ってきました。
 じゅにはとってもいい子なのですが、でもママのブルータスにはわがままにもなるらしく、でもでもそれがじいじばあばには、とっても嬉しかったのです。「わがままになってもいいよ、じいじとばあばにももっとわがままになって」という気持です。ただし、もちろんそのまがままは注意しますよ。
 この「しょうじょうじの狸ばやし」が以下の通りです。

『証城寺の狸囃子』(作詞・野口雨情/作曲・中山晋平)
1.証 証 証城寺 証城寺の庭は
ツ ツ 月夜だ 皆出て 来い来い来い
己等(おいら)の友達ァ ぽんぽこぽんのぽん
2.負けるな 負けるな 和尚さんに 負けるな
来い、来い、来い 来い 来い 来い
皆出て 来い来い来い
3.証 証 証城寺 証城寺の萩(はぎ)は
ツ ツ 月夜に 花盛り
己等は浮かれて ぽんぽこぽんのぽん12083010

 いい歌、素敵な唄ですね。私も大昔から好きな歌です。以下に英語版のこの歌があります。

      http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=FycWm8KUK90
    Sho-Jo-Ji by Eartha Kitt 証城寺の狸囃子

 こうして、この歌を聴いて、私はまた自分の孫じゅにを思い浮かべています。



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2012年06月23日

「周の歌集」を終えます

12062203「周の歌集」を終えます

  以下に書きましたように、

   日本の新しい著作権法

 今後は、もうUPしません。ただ以前にUPしたものは、このままにしておきます。これで、もう公開していいというのは、著作者の亡くなった50年後ですから、当然私は生きていませんので、これでもう書いていくことはないでしょう。



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2012年04月25日

周の歌集(周の「革命の歌」)「青年日本の歌」

歌名   青年日本の歌(昭和維新の歌)
作詞作曲 三上 卓

一 汨羅の淵に波騒ぎ
  巫山の雲は乱れとぶ
  混濁の世に我立てば
  義憤に燃えて血潮沸く
二 権門上に傲れども
  国を憂うる誠なし
  財閥富を誇れども
  社稷を思う心なし
三 ああ人栄え国亡ぶ
  盲たる民世に踊る
  治乱興亡夢に似て
  世は一局の碁(ご)なりけり
四 昭和維新の春の空
  正義に結ぶ丈夫(ますらお)が
  胸裡百万兵足りて
  散るや万朶の桜花
五 古びし死骸(むくろ)乗り越えて
  雲漂揺の身は一つ
  国を憂いて立つ時に
  丈夫の歌なからめや
六 天の怒りか地の声か
  そもただならぬ響きあり
  民永劫の眠りより
  醒めよ日本の朝ぼらけ
七 見よ九天の雲は垂れ
  四海の水は雄叫びて
  革新の機(とき)到りぬと
  吹くや日本の夕嵐
八 ああうらぶれし天地(あめつち)の
  迷いの道を人はゆく
  栄華を誇る塵の世に
  誰が高楼の眺めぞや
九 功名何か夢の跡
  消えざるものはただ誠
  人生意気に感じては
  成否を誰かあげつらう
十 やめよ離騒の一悲曲
  悲歌慷慨の日は去りぬ
  われらが剣(つるぎ)今こそは
  廓清の血に躍るかな

12042404 この歌を「革命の歌」に入れてしまうのには、異議があるかもしれません。だが私にとってはこの歌もまたこの日本を何とか変えようとした若者たちの革命の歌だと思っているのです。
「汨羅」とは楚の屈原が身を投げたところです。その日が5月5日で、端午の節句の日になっています。屈原のために河に投げ入れる竹の簡がやがて粽(ちまき)になりました。私は甘いものは好きではないので、食べることはありませんが、粽をみるといつも屈原の気持を思い浮かべます。この屈原の魂を慰めるために、沖縄のハーリー祭りとか長崎のペーロン競争とかいうボート漕ぎ競争が始まったといわれています。屈原の存在した南中国の流れがこの日本にも強く結びついているのだなと思います。
 その屈原の編纂した詩集「楚辞」はたいへんに北の「詩経」とは異なっています。たくさんの詩の章があり、それぞれ印象深く読んでいけるのですが、とくに「離騒」という章は憂国の詩です。楚はついに屈原のいうことをきくことなく、やがては秦に滅ぼされてしまいます。戦前の多くの若者たちも、「やめよ離騒の一悲曲」という詩句にふるいたったことでしょう。東北の農村は疲弊し、財閥も政党も己のことしか考えていない。いまこそ屈原のように詩を作り、身を投げるのではなく、「剣」と「銃」をもって立ち上がるのだというのでしょう。
 だが私は最後の「廓清の血」というところは「革命」であってほしかったと思います。二・二六の磯辺浅一ならためらわず「革命」というように思うのですが。
 またこの歌詞を読んでいますと、土井晩翠「星落秋風五丈原」の詩を思い出します。いくつも同じ語句が使われています。三上さんは土井晩翠の「天地有情」を愛読していたのだろうなと思います。私も「星落秋風五丈原」は一時は全文暗誦できるほど好きな詩です(あまりに長大な詩なもので、今は全文暗誦はできません)。私は諸葛亮孔明という人は、「三国志」の世界(「演義三国志」や吉川英治「三国志」)では、さほど好きになれないのですが、この土井晩翠の詩の世界では、どうしても涙を流してしまうほど、その気持に惹かれてしまいます。天は孔明に勝利をもたらすわけではありません。黙って見ているだけなのです。だが孔明が亡くなったときに、天は星を流すのです。これが天地有情なのですね。だが三上さんにとっては、天はどうしてくれたのでしょうか。
 数年前に亡くなりました私の友人であった彦由常宏さんと舞踏家の麿赤児さん(麿さんも実に私の親しい大好な友人です)が、この三上さん宅に会いに行ったことがあったそうです。三上さんは、快く会見してくれたそうです。私もぜひ同行したかったものだと悔やまれます。
 私は昔労働組合を作ったときに、みんなで唄う労働歌に、「インターナショナル」と「ワルシャワ労働歌」とこの歌(あともうひとつ「唐獅子牡丹」も)を印刷してみんなに渡しました。現実に皆で唱うことはありませんでしたが、組合結成の最初のころのある旅館でやったあつまり(なんと社員パートのほとんど全七〇名くらいが集まった、私はそのとき司会議長をやりました)で、最初に私一人でこの歌を一〇番まで唄いました。あるパートの若い女の子がこの歌も「ワルシャワ労働歌」と同じくらいいい歌だと感激してくれたものです。
 また私たちの埼大の関係で集まるときには、「ワルシャワ労働歌」も唱いますが、必ずこの歌も唱ってきたかと思います。(1998.12.01)



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2012年04月24日

周の歌集(周の「革命の歌」)「青年同盟の歌」

曲名  青年同盟の歌
作詞  飯淵敬太郎

一 同志よ固く結べ 生死をともにせん
  如何なる迫害にも あくまで屈せず
  我等若き兵士 プロレタリアの
二 朝焼けの空仰げ 勝利近づける
  搾取なき自由の国 戦い取らん
  我等若き兵士 プロレタリアの
三 かたき敵の守りよ 身をもてうちくだけ
  血潮に赤く輝く 旗をわが前に
  我等若き兵士 プロレタリアの
四 残虐の敵すべて 地にひれ臥すまで
  真紅の旗を前に 戦い進まん
  我等若き兵士 プロレタリアの

12042307 この歌を最後に聞いたのは、七二年の何かの集会のときの共産同戦旗派の歌声でしょうか。何故かあの党派はあの頃、この歌が好きなようでした。私たちが唄ったことはほんの数回しかなかったかと思います。まあ私たちの時代の学生運動で、「プロレタリアの兵士」という感じはもちませんでしたから。もつどころか、私なんかは、学生が「プロレタリアの兵士」なんて形容矛盾だよ、なんて思っていました。
 三番は以下の歌詞もあるようです。

三 打ち進む赤旗を 血潮もて燃やせ
  爆破せよ心臓もて 暴虐のとりで
  我等若き兵士 プロレタリアの

 原曲はユダヤ人プロレタリアートの闘争歌ということで、ロシア革命に散ったユダヤ人革命家たちに唄われたものでしょう。1923年(大正12)に生まれた共産主義青年同盟の歌として唄いだされたもののようです。(1998.12.01)



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2012年04月23日

周の歌集(周の「革命の歌」)「さらば恋人」

歌名    さらば恋人
訳詞    東大音感合唱研究所
イタリア闘争歌

一  ある朝目覚めて  さらばさらば恋人よ
    目覚めて我は見ぬ  攻め入る敵を
二  我をも連れ行け  さらばさらば恋人よ
    連れ行けパルチザンよ  やがて死す身を
三  戦さに果てなば  さらばさらば恋人よ
    戦さに果てなば  山に埋めてや
四  埋めてや彼の山に  さらばさらば恋人よ
    埋めてや彼の山に  花咲く下に
五  道行く人々  さらばさらば恋人よ
    道行く人々  その花めでん
                (昭和三十五年)

12042205  この歌は歌声酒場などでよく唱われたものなのではないかと想像します。私は歌声酒場なんて行ったことはありません。どうにも、あのような存在は日本共産党のためだけのもののように思えていたからです。
  でも私たちの仲間(いわゆる三派新左翼系)にも、もともと高校時代は民青だったとかいう人は何人もいましたから、彼等はこうした歌の雰囲気を大いに知っていたのだと思います。
  だけど歌詞はあんまり感心できないですね。なんでこうして特攻隊みたいなことを詩いあげるのでしょうか。たとえ何のためだろうと、死を礼賛することなんか、本来なら「革命」とは無縁のものなのです。(1998.12.01)



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2012年04月22日

周の歌集(周の「革命の歌」)「国際学連の歌」

歌名    国際学連の歌
訳詞    東大音感合唱研究所
作曲    ムラデリ

一  学生の歌声に
    若き友よ手を伸べよ
    輝く太陽青空を
    再び戦火で乱すな
    ※我等の友情は
      原爆あるも断たれず
      闘志は火と燃え
      平和のために闘わん
      起てよ団結固く
      我が行く手を守れ
二  闘いと労働もて
    我等が英知を鍛えん
    平和を愛する若者は
    海山越えて呼び合う
    ※繰返し
              (昭和二十九年)

12041726 この歌を唱ったのは、私の年代までだと思います。私より2年下の後輩たちからは唱うことはなかったと思います。全学連がいわば革マル派に横取りされて、三派全学連が結成され、国際学連がどうしてか日共民青全学連を認めてからは、もう私たちには、国際学連などどうでもよくなったのだと言えるでしょう。
 私がこの歌で印象強い思い出といえば、一九六七年十二月二十三日、埼大でそれまでの日共民青の自治会支配に対して、あらゆる学生が立上り、自治会を自分たちで作りあげたときに、私の先輩の松山さんが、

   それではみんなで「国際学連の歌」を唱おう

と呼びかけ、みんなで唱ったことです。私も壇上でスクラムを組み唱いました。当時の私たちの前には、佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争と、埼大のバス代値上げ阻止闘争という緊急の課題が二つありました。この二つを闘い抜くために、私たちは、闘う自治会を作ったのです(しかし、そののち私たちの自治会は中核派の政治的ひきまわしの中で瓦解してしまった)。あのときの力強い歌声を思い出します。
 でも、そのときがこの歌を唱った最後でしょうか。私の後輩たちの中には、これは日共民青の歌だと思ってしまっていたのもいます。なんだかそうした人に、「いや違うよ」という気持もなくなってしまっていたように思います。
  もちろんアメリカでもヨーロッパでも、その学生たちと連帯するのはいいのですが、スターリン主義のいうとおりの国際学連など、もうどうでもいいのです。それにしても今はこの国際学連ってのはあるのかな。(1998.12.01)



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2012年04月21日

周の歌集(周の「革命の歌」)「大杉栄追悼歌」

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20161116160
20161116161

歌名  大杉栄追悼歌
作詞  中浜鉄
 曲   三高寮歌「紅燃ゆる」の譜

一 紅燃ゆる反逆の
  血潮はにおう春の宵
  チャンチュウの香に浸りつつ
  プロステチュートを想う哉
二 我れ痩せ我はあえげれども
  我等何をか求むべき
  千代田の森にうそぶけば
  若きニヒルは踊る哉
三 生の解説に撤したる
  我等何を語るらん
  街頭に踊る兇刃の
  にごれる血潮はたぎる哉
四 ああ瞞着は三期なり
  ああ暴政は終期なり
  冷えて起たざる者二人
  灰燼の下よこたわる
五 ああ人間よ黎明よ
  秋空の下星仰ぎ
  瞳に涙あふる時
  弔の歌唄う哉

12041716 大正十二年(一九二三)の関東大震災で、大杉栄は虐殺されました。作詞したとされる中浜鉄以下は、この復讐を誓います。そして実行にうつります。私も、「え、これは中浜鉄の作詞なのか」と驚いたところです。思えば、大逆事件の時には、大杉は赤旗(せっき)事件にて拘留中であり、免れたわけなのだが、この時はなんということであったでしょうか。ちょうど荒畑寒村はロシアに密航しており、灰燼の中の上野駅にたったとき、この親友の死をどう悔しがったことでしょうか。
 そういえば、大昔京都へいったとき、立命館の黒ヘルの諸君が、たいへんにこの中浜鉄のファンだったのをよく覚えています。(1998.12.01)



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2012年04月20日

周の歌集(周の「革命の歌」)「インターナショナル」

2017082101 私たちが昔から学生運動や、労働運動で歌ったものでは、何といってもこの歌であろう思います。

原作詞 ユージェヌ・ポチェ
作曲  ピエール・ドジェイテール
曲名  インターナショナル(戦旗社版プロレタリア歌曲集)
作詞  佐々木孝丸
佐野  碩

一 立て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
覚めよわが同胞 暁は来ぬ
暴虐の鎖断つ日 旗は血に燃えて
海をへだてつ我等 腕結びゆく
※いざ戦わんいざ 奮い起ていざ!
ああインターナショナル 我等がもの
いざ戦わんいざ 奮い起ていざ!
ああインターナショナル 我等がもの
二  聞け我等がおたけび 天地轟きて
屍越ゆるわが旗 行手を守る
圧制の壁破りて 堅きわが腕
今ぞ高く掲げん わが勝利の旗
※繰返し

曲名  インターナショナル(無産社版プロレタリア歌曲集)

立て! 呪われしもの! 立て! 飢えたるもの!
正義の焔は今こそ燃ゆる
過去をば捨てて 奴隷を立て! 立て!
世は覆がえる無より総べてに!
この戦いに集えよ! 明日は
インターナショナル 我等がもの
この戦いに集えよ! 明日は
インターナショナル 我等がもの

12041902 この「インターナショナル」は、一八七一年のパリコンミューンで闘ったユジェーヌ・ポチェがイギリス亡命の中で書いたものです。この詩が、一八八八年にピエール・ドジェイテールという労働者によって作曲されました。その後フランスのすべての社会主義者によって歌われ、さらに外国の革命家たちが、この歌を祖国へ持帰りました。ロシアには一九〇二年に翻訳されています。そして十月革命後、ソビエトの国家の国歌となります。
日本では、一九二二年にロシア革命五周年を祝うということで、文芸誌「種播く人」の中で訳詩され、歌われるようになりました。最初は、「無産社版プロレタリア歌曲集」の方が歌われていました。しかし、この詩はあまりに間延びして力強さに欠けるというので、昭和の初めになって、佐々木孝丸と佐野碩が作りなおして、今歌われる形になりました。
佐々木孝丸さんといえば、新劇の俳優さんであり、昔テレビでその優しい顔を拝見したのをよく覚えています。またやくざ映画の最高傑作といわれる山下耕作「総長賭博」で右翼役として出演されていました。
この佐々木さんがいわれるのには、佐々木さんたちが作詞した「インターナショナル」には、「ああインターナショナル  我等がもの」というところの「ああ」という歌詞はなかったといいます。いつのまにか、なんだかあのように歌うようになってしまったといいます。たしかに、原語のインターナショナルにはそんなのはないのですね。ここは実に日本的だと思います。あれで日本人はとても気持よく酔ってしまうんですね。
私はこの佐々木さんが、原語のフランス語で歌われた(要するに佐々木さんは日本語のは自分が訳したのと違っているので唄いたくないのです)インターナショナルのテープを持っています。ときどき仕事の合間なんかに聞いています。
そういえば、アメリカ映画でジョン・リード(アメリカのジャーナリストで「世界をゆるがした十日間」というロシア革命の本を書いた)の生涯を描いた「レッズ」という映画では、全編にわたってこのインターナショナルの歌がながれます。ソ連社会主義に勝利しつつあるアメリカ資本主義の大いなる自信かと思ったものです。
原語の「L’INTERNATIONALE」は、実に全部で六番まであります。(1998.12.01)

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2012年04月19日

周の歌集(周の「革命の歌」)「アナーキストの歌」

歌名 アナーキストの歌
   「赤旗の歌」の譜

一 革命の旗黒旗は 我等の頭上に靡く
  自由に災ける叛逆の 血潮は旗を染めぬ
   ※黒旗よわが旗よ  その旗蔭に生死せん
        民衆よ武装せよ  我等は黒旗守る
二 アナーキストの愛す旗の色 労働者皆この歌歌う
  暗き地底に歌ひびき 市井に歌声たかく
   ※繰り返し
三 ロシアにこびて神聖の 旗を汚すは誰ぞ
  金と地位とにまどいたる ボルシェヴィキの奴等
   ※繰り返し
四 尊き犠牲も色どりし 我等は黒旗守る
  道に殉ぜし犠牲の 戦士の屍を包む
   ※繰り返し
五 赤き血潮の冷えぬ間に 黒旗かざして進む
  来たれ牢獄絞首台 これぞ告別の歌ぞ
   ※繰り返し
                  (大正十三年1924)

12041713「赤旗の歌」に対してのいわば「黒旗の歌」です。大正大震災のあとに作られたのではないかと思われています。ただ「赤旗の歌」の譜で唄うのは少し悲しいかな、というところでしょうか。
 それにしても、この時代に

  ロシアにこびて神聖の 旗を汚すは誰ぞ
  金と地位とにまどいたる ボルシェヴィキの奴等

と言いきってしまうのは、実にいいですね。
 私はゴールデン街で知り合った笹本雅敬さんというアナーキトの友人がいました。何年か前にその方は亡くなったのですが(まだ若かったのに。最後まで彼はスペイン革命に関する本の出版をやっていました)、そのお葬式で私は驚いてしまいました。この日本にあんなにたくさんのアナーキストがいたのですね。実に白髪の元気な方が大勢いました。(1998.12.01)



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2012年04月18日

周の歌集(周の「革命の歌」)「赤旗の歌」

歌名  赤旗の歌
作詞  赤松克麿
作曲  I・W・W闘争歌

一 民衆の旗赤旗は 戦士の屍を包む
  死屍固く冷えぬ間に 血潮は旗を染めぬ
   ※高くたて赤旗を  その蔭に誓死せん
        卑怯者去らば去れ 我等は赤旗(せっき)を守る
二 フランス人は愛す旗の光 ドイツ人はその歌歌う
  モスコー伽藍に歌ひびき シカゴに歌声高し
   ※繰り返し
三 力なく道暗けれど 赤旗(せっき)は頭上に靡く
  いさをと誓いの旗を見よ 我等は旗色変えじ
   ※繰り返し
四 富者に媚びて神聖の 旗を下(おろ)すは誰ぞ
  金と地位とに惑いたる 卑怯下劣の奴ぞ
   ※繰り返し
五 我等は死す迄赤旗を 捧げて進むを誓う
  来たれ牢獄絞首台 これぞ告別の歌ぞ
   ※繰り返し
          (大正十年1921)

12041705 I・W・Wというのは、アメリカの労働組合の世界産業労働組合のことです。この歌はのちに日本共産党の議長になりました野坂参三が大正10年にイギリス官憲から国外追放になったときに、日本に持ち帰った革命歌です。もともとはイギリスの労働歌でした。
 この歌の歌詞に関しては、まず、「死屍(しし)固く」という箇所は、本来は「四肢固く」でした。原詞がそうだったのですが、「しし固く」ではよく判らないので、「屍」にしてしまったものでしょう。もう一つは、「誓死せん」というところなのですが、これも原詞では、「死ぬも生きるも共にせん」というような意味なのですが(だから本来なら「生死せん」でいいはず)、何故か「誓死せん」となってしまい、同志の死を前にして、死を誓うというような、いわば日本的な精神の吐露のなってしまっています。これは本来の革命歌にはないことだったでしょう。
 ただ、私たちの時代には、この歌はまったく唱ったことはありません。だって、「アカハタ」なんていう音(おん)が出てくるのでは、声に出せるわけがないじゃないですか。もう私たちの敵である日本共産党の歌だと思われても、仕方ないでしょう。そして、「本来はそうではないのだ」なんて言う気にも全くなりませんでした。
 それから、ここでついでに言いたいのですが、一体野坂参三は、何重スパイだったのでしょうか。彼の生まれ故郷の援者・日本官憲・アメリカ共産党・アメリカ官憲・イギリス官憲・スターリン・中国共産党・日共国際派・日共所感派…………、一体いくつのスパイを演じていたのでしょうか。そして、こんな男を長年議長にしていた日本共産党って、一体何なのだ。(1998.12.01)



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2012年04月17日

周の歌集(周の「僕たちの唄」)「埼大の歌」

12041308 1972年の埼玉大学のむつめ祭で、東京都板橋区にある城北毎日販売の新聞配達の人たちと我が埼玉大との野球大会をやりました。それが楽しく終って、飲み会になったとき、彼らは早稲田大学の人が多かったので、急に「都の西北〜」と唱いはじめました。双方とも学生運動の当事者による縁の野球大会だったのですが、早稲田と埼大はいろいろ張り合うところが多く(今でもゴールデン街では張り合っています)、また早稲田の人は不思議なことに、党派乗り越えて(革マルと日共除くと、みんな右翼まで含めて)一致して早稲田に誇りをもっており、そんな校歌をよく聞きます。ただし、このときも肩くんで、「ワセダ、ワセダ」と唱うところを「バカダ、バカダ…」と唱っていましたが、それで次に私たち埼大の番となりました。私たちの大学に校歌などあろうはずがなく、急に金沢という傑作な男が、次の歌を唄いだしました。

歌名 埼大の歌
 唄  埼大歴研

  埼大の歌です君も僕も
  あなたもわたしも朗らかに
  忘れた歌なら思い出しましょ
  みんな見事にうたいましょ

 この時以来何かがあるとこの歌が唄われます。
 でもあのころはよくこうした野球大会なんてよくやりました。埼大対日の丸土建とか、城北毎日対日の丸土建とか、そのほか学内の対抗戦もよくやりました。たいがい埼大の連中は二日酔いなので散々でした。それに学生活動家というのは、私含めて、運動オンチがたくさんいるからそれがまた面白かったですね。そして終ったあとの宴会がまた凄まじい。いつも歌合戦、踊り合戦などして大変でした。
 そういえば、「寒風吹き荒ぶ中、誰も見てない運動会」なんていう立看板出して、運動会やったこともありますね。見物する奴はいないけれど、かなりなサークルが集まり、大変に楽しんだのを覚えています。
 なつかしい思い出です。(1998.12.01)



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2012年04月16日

周の歌集(周の「僕たちの唄」の「はじめに」)へまっくまっくのプラムさんからのコメント

12041306 周の歌集(周の「僕たちの唄」の「はじめに」)まっくまっくのプラムさんからの以下のコメントがありました。

1. Posted by プラム   2012年04月15日 22:25
周さん、お久しぶりです。
久々に訪問しました。
相変わらずお酒、飲んでいるのでしょうか。
お孫さんに囲まれて毎日賑やかにされているのでしょうね。その様子が浮かびます。
私ですが、結構なんだかんだと忙しくしてまして中々プログ更新できないでいます。今度、機会がありましたら是非お会いしたいです。

 もちろん今も毎日飲んでいますが、昔のようには腹いっぱいは飲んではいませんよ。今は一日カンビール2缶です。
 でも孫は、長女おはぎのところが三人で、これはものすごく可愛くて可愛くて仕方ないです。昨日も行ったのですが、昨日はうまくポニョには会えなかったのです。今日はもうしきりに会いたいです。
 そして次女ブルータスのじゅにももう可愛いばかりです。少し前に、ブルータスのお義母さんから、電話がありました。

  あんなに、毎日のように会っていたのに、もう今はおじちゃんが来ないので、今度来てください。

という内容でした。
 そうよね、じゅににも会いたいです。今のところ仕方ないのかなあ。でも今度私もじゅにに会いに行きます。

 プラムさんのブログは読んでいますよ。大阪へ行って、息子さんと街を歩いたのですね。素敵な写真を何枚も見ましたよ。
 大阪は遥かな昔行った思い出があります。今度義母の納骨で、神戸へ行きます。そのときに、お墓の前で、義父のこと、義母のことを、いくつも思い出すでしょう。



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周の歌集(周の「僕たちの唄」)「黄金虫」

歌名 黄金虫
唄 埼大歴研

黄金虫は虫だ
金蔵建てた虫だ
子どもに水飴虫だ

12041004  この歌は私が大学に入学したときから先輩たちに教わりました。なんだか判らないのですが、これは随分古くから歌われていたというのを聞いています。なんでも山村工作隊のころからだということです。
  何度もなんども歌われて、また下の世代に伝わっていきます。さすがにこのごろの若い世代には知らない後輩もいることでしょう。私が彼らの前で唄わないからいけないのかもしれません。
  私はさらに

やっぱり虫だ
どうしたって虫だ

と唄っています。想えば悲しい歌ですね。(1998.12.01)



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2012年04月15日

周の歌集(周の「僕たちの唄」の「はじめに」)

12041002 私が埼玉大学に入学したのは、1967年(昭和42)で、大学を出たのが1973年(昭和48)でした。私はここで激しく学生運動に邁進していたわけですが、そこで親しくなった友人たちもまた学生活動家ばかりでしたが、みな過激派でもありましたが、同時に一緒にアルバイトをして、親しく飲み開ける友人たちでもありました。
 また、大学6年のときに知り合った「日の丸土建」の仲間も、同じく左翼過激派の仲間であったわけですが、

   日の丸土建

これまた、私たちと同様、よく飲みあう友人であったわけです。
 そのよく飲む酒に、一番合う肴といいますと、それは皆で唄う歌でありました。そのいつも唄う歌で、私たち独特の歌がたくさんありました。それをここにまとめようと思っています。
 まだ3つしかあげていませんが、もっともっとあるのです。とくに、日の丸土建は実によく唄いました(よく踊ったし、花見のときなんか、周りに見学者の列ができました)。これは私たちの記憶の中にあるのですが、早くここに記録しておきたいと思います。
 面白い歌ばかり、たくさんありますよ。(2005.02.28)



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周の歌集(周の「僕たちの唄」)なのですが

12041001 周の歌集(周の「僕たちの唄」)「カラスの歌」なのですが、これで「周の歌集」というカテゴリを作ろうとすると、もう「カテゴリの上限を超えている」ということで、できません。もうとても困りました。
 それでいくつものカテゴリを整理していきたいのですが、そう簡単に行かないのです。困りました。
 どうしていきましょうか。
  
  これも私の過去のホームページに載っていたものです。もうこの「周の歌集」はかなりな量があるのです。どうするかちゃんと考えなければならないですね。この「僕たちの歌」はいいのですが、中には著作権との問題もあるので、慎重に考えていきます。



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周の歌集(周の「僕たちの唄」)「カラスの歌」

12040715歌名 カラスの歌
 唄  埼大歴研

  カラスなぜカラス
   カラスはカラス
  カラスはカラスだから
   カラスなのよ
  カラス カラスと
   カラスはカラス
  カラス カラスは
   カラスだよ
  カラスなぜカラス
   カラスはカラス
  カラスはカラスだから
   カラスなのよ

 これは、大学時代に、よく唄った歌です。この歌は途切れることなくずっと唄っていました。下手をすると無限に続くから、途中で止めないといけない。しかし、この歌には由緒なんかなかった気がしますね。
 でもよく唄ったなと思うところでいろいろあるわけです。不思儀に不思儀によく唄っていたなあと思い出します。(1998.12.01)



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2008年05月23日

「歌手 谷真酉美さんの歌で」

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 私が毎日読んでいます長春有情さんの2008/ 5/22 23:19 [ No.2716 / 2719 ]の書込みの「歌手 谷真酉美さんの歌で」で、書いてある歌が以下のようにあります。

‥腓離屮襦璽后‐赦38年
芭蕉布 昭和40年
G澆畔実癲‐赦16年
の个涼亙神 昭和10年
ス餠の町 昭和9年
γ砲僚秕陝‐赦10年
Δ瓩鵑海せ毒蓮‐赦贈隠固
長崎物語 昭和13年
須佐卓郎さんの音楽ルームより
そのあと歌のない歌謡曲
二木こう三の歌物語
,△△修譴覆里
∪塚佞療
アムール河の流血や
けにさく花
ケのブルース
Δ△覬の午後

 私がこの中で実際に唄えないのは、「芭蕉布」だけで、あとはすべて唄えます。でもこの「谷真酉美」って、これはどういう歌手なんだろう? と思いました。
 それでインターネットで検索しました。すると、私が知らないことが羞しいことのほうなんだと判りました。

   http://8.health-life.net/~susa26/ikoi/tani.html 谷真酉美プロフィール

 それで、この方の歌がインターネット上でいくつも検索できます。
 そしてこのことに関しましては、菊池章子さんが唄われた『星の流れに』で説明してある次のサイトで私も判ってきました。

  http://blog.goo.ne.jp/hiranohideki/e/8068bb48f31714f397514c9b4f4dface    『星の流れに』 - 一部のインターネットメディアにおいて実名を曝さずに市民記者になる方法

 なるほどなあ、と思いました。
 そして以下のホームページも見つけました。

   http://www2.ocn.ne.jp/~takurou/ たくろうの名曲玉手箱

 これは実にいいホームページを知ることができました。ここのサイドバーにもリンクしておくようにします。

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2005年12月23日

東京音頭・平成版「大江戸東京音頭」

 mF247オープンウエスタ川本久美恵さんから コメント をいただきました。

2. Posted by kawamoto    2005年12月23日 02:01
まだ、よく飲み込めていないのですが、東京音頭・平成版「大江戸東京音頭」を配信してもらうこと考えてみようかと思います。
iPod向きの曲ではないかもしれないけれど。。。

 私は、これに以下のようにレスしました。

3. Posted by 周    2005年12月23日 06:42
 いいですね。もう今でもiPodには、この曲はいれられますよ。この大江戸東京音頭をみながiPodのイヤホンを耳に入れながら、踊っている姿というのがいいなあ。

 いえ、もちろんiPodだけではなく、ソニーでもパナソニックの機器でもいいのですが、これを皆がもっていまして、踊るのはいいなあ。でも踊りだから、会場で流すほうがいいのかな。もちろん、会場全体で流しますのも、その音源はiPodです。
 そして、このiPodを身につけた大勢が踊るのが神宮球場です。これは、ぜひ実現させたいな。
 この東京音頭・平成版「大江戸東京音頭」については、以下を見てください。

   http://www.v-esta.co.jp/ooedotokyoondo/top.htm  大江戸東京音頭

 でもなあ、今私こそが、このURlを見てみますと、CDを配信しているところがありますから、それを実際に50円〜100円くらいで配信できるのかな。
 kawamotoさん、そこらへんの問題のクリアと、そしてmF247側の了解の問題だと思いますよ。



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2005年12月22日

mF247オープン

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 私が PC・携帯電話・iPod で書きました丸山茂穂 さんが言われていました mF247 が20日正午オープンしました。私も知りまして21日夕方メンバー登録しました。
 それで無料でダウンロードできる曲があったので、その夜やったのですが、とてもとても混みすぎてできません。
 私は他の曲をダウンロードしました。でもサ、このダウンロードしたファイルをどうやってiPodに入れたらいいの? 私しゃ、まだそんな段階なんですよ。ファイルはパソコンに間違いなく入りましたが、どうするの? もう私は駄目なおじさんだなあ。
 でもこれがすぐ判ったら、もう私もインターネット上に、私の詩吟をUPしちゃうよ。もちろん私のは、無料のフリー詩吟です。
 これでそのうち、私の詩吟をあちこちで聴こう。

 とにかくこうして、iPod等々でたくさんの唄を聴こうね。

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2005年11月20日

練鑑ブルースで思い出す

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 藤田さんコメントをありがとうございます。昨日書き込まれてすぐ携帯がなりまして、このコメントを拝見しましたが、とっさに「藤田典」さんという名前が誰のことか分かりませんでした。母の家に行っていまして、しかもそのときはノートパソコンを持っていませんでした。この頃もう以前のようにいつもノートパソコンをかついでいないのです。
 いえね、もう重すぎるのですよ。いやパソコンだけですと、たいして重くないのですが、そのほかいろいろと持つでしょう。各種ケーブル・各種小物が実にそれこそたくさんあります。もういくつものいろんな袋に入れて、それが鞄に入っています。前には小さなプリンタも持っていたのですよ。旅行先や電車の中でこれで印刷していたものでした。運動会で印刷していたこともありましたね。
 そしてその他本やいろいろと持って、それから仕事で必要なものはもともとみな持っています。それをすべてかついでいたわけなのです。
 でも近ごろはもう、そんなに持てなくなりました。とくに、もうすぐそばの母の家に行くときなんかは、リックは担がなくなりました(ただし、今は母の家ですが、パソコンはもってきました。でも電源ケーブル入りの袋は持ってこなかったから、電気が切れるまでの時間だけ、これを打ちます)。

周さん、
お体の調子は如何ですか?
そちらでは
木枯らし一号も吹いたとか、
風邪など召しませんように…。

 私の身体は、なんとか少し回復してきたといいたいところです。ただ、もう前のようには無理もできないし、前のように大酒も飲めないですね。でもとにかくなんとか、今少し生きていかなとなりません。二人の娘の子どもと会いたいです。
 でもこのところ、二人の娘に怒られたり、意見されたりすることが多くて、もう少々辛いです。

「ネリカンブルース」には、
個人的にも、思い入れがあります。
関西でも、歌詞を変えて流行っていました。
その旋律は今でも脳裏に張り付いています。

 練鑑ブルースは、私がいわば最初に聞きましたのが、70年の1月10日くらいです。当時勾留されていた埼玉県朝霞警察の留置場の中です。ヤクザの国井さんという方が夜に唄ってくれました。埼玉県の留置場では各房の前にその房に留置されている被疑者(被告人になってもなかなか拘置所に移管されずここに拘置されることが多いのです。明治時代の監獄法のままだからなのです)の逮捕された被疑事件の逮捕された罪名が書いてあります。
 それで、私はこのときの罪名が4つでして、上から「殺人・殺人未遂・建造物侵入・凶器準備集合」とありました。まったく今思いましても、許し難い罪名です。よくまあ、あんな罪名をかぶせたものです。(でもちょっというと、これは国家警察権力が悪いだけじゃないよ。マスコミも新左翼の諸君も、私たちを反革命殺人者と言っていたな。今思い出しても、許せないな)
 だから、同じ留置場でも、私はその中でも罪名が重いわけなのですが、とにかく私は幼い可愛い顔していたので、留置場の中では誰とでも親しくなりました。そして私はいわば一番その留置場でも一番古くなるので、とにかく私はなんとなくなんでも決めていました。
 だから、私が夜は、「国井さん、練鑑ブルース唄ってよ」なんていうわけなのです。

 そしてその国井さんの歌は身が震えるほど、いい歌でした。いい声でした。とにかくいつも涙が出たものです。まあ、彼は実に歌が上手でした。
 懐かしく思い出すなあ。

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2005年11月19日

練鑑ブルースのことで

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 また らんぶる さんの トラックバック で書いてありました内容で書きたいことがあります。いえ、他にもたくさんあるのですが、すべて書きますと、なんだか私のほうが書くことがなくなります。

興味があるというよりは、昔の映画や唄や文学など懐かしくなるものばかりである。藤田敏八があると、そういえばあの頃「妹」とか「赤ちょうちん」など藤田敏八の映画ばかりみていたなとか。

 藤田敏八さんは、好きでした。生きているうちにお会いできなかったのが残念です。晩年は俳優として映画に出ている(テレビにも出ていましたが)ほうが印象的ですね。とくに、鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」があまりに印象に残っているでしょうか。原田芳雄さんも、荒戸源次郎さん(二人とも「ツィコネルワイゼン」ですね)もご一緒に飲んだこともありますが、藤田敏八さんとは機会がありませんでした。

高倉健のやくざ映画があると、新宿東口の新宿昭和館地下で見ていた頃を思い出したり、練鑑ブルースがあると、中学校のとき流行っていて、唄っている人がけっこういたなとか。これが、軍国歌謡の替え歌とは、知らなかったとか。

 もう私は昭和館の常連でいましたよ。昔船橋で働いていたときに、月曜日しか休みがなく、その日かならず昭和館で見ていました(あと浅草でのヤクザ映画を見ていました)。見たあと、ゴールデン街で必ずまた飲んでいました。

詩の内容では、「青い車に 乗せられて・・・・練馬区の東京少年鑑別所」は、はっきり覚えているが、後ははっきりしない。「父さん、母さん許してね・・・・・・」という詩があったと思うが、周さんの詩の中ではないとか。

「練鑑ブルース」は、もちろんちゃんとレコードになった歌ではありませんし、「放送禁止だったこともあって、歌詞をはっきりさせるのは大変に難しいことです。私が

   http://shomon.net/uta/utanin1.htm#nerikan  練鑑ブルース

に書いたのは、「それでもこれならいいだろう」ということで書きました。
 でもでも、この中でも

七 許してください お母さん
  写真片手に 眼に涙
  許してください お母さん
  長い夜の夢でした

というのは、私が思い出の中で作ってしまっています。
 実はこの時、朝霞警察の留置場の中で、ヤクザの国井さんは、もっと長くこの歌を唄ってくれました。でも彼自身もうまく全部唄えないところもあったのです。

 次のような歌詞も思い出します。

  父さん母さん 許してね
  これから真面目に なりますと
  言った意見も 上の空
  可愛いスケちゃんの 事ばかり

 ただですね。中(中というのは、ムショの中ということ、留置場も拘置所も同じです)で思い出すのは、可愛いスケちゃんのことと、あとは母親の思い出だけなのです。どうしてもこのときのヤクザの彼からも「父」という声は聞けませんでした。私が中に入っていたときも、母も父も頑張りまして、とくに父はテレビにも出て、娑婆でも懸命に集会やったりデモしたりしてくれていましたが、やはり中の私には母親の思いだけなのです。

 今、詩吟で思い出しました。松口月城の「母」という七言律詩で、

  非行少年 獄舎に泣く

という句から始まるのですが、中に入れて歌う短歌に、次のようにあります。

   呼びたくも呼ぶことならぬガラス戸に 息吹きかけて母と書くなり

 でもでも、それを今になって私は、母のことしか思い出さなかった私を、ああ、俺はとてもまずかったなと思いまして、私は父の形見の腕時計を今いつも胸ポケットに入れていまして、ときどき手ににぎりしめて、父を思い出しています。

 それで、この「練鑑ブルース」は、その私が初めて知りました朝霞署の留置場で、夜のみ留置場の勤務になるある年老いた警察官の方が

   その歌は、歌詞がいいんじゃないよ。曲がいいんだよ。

と言ってくれました。「練鑑」や少年刑務所がいいわけではないのでしょう(練鑑だけでなく、少年刑務所で唄ったこの歌もあります)。たしかに、この歌の元歌の「可愛いスーチャン」の曲がいいのでしょうね。

 そうえいば私の 周の仁侠の歌 の はじめに に次のように書きました。

 私は娘二人の文教大学の父母会で、何人もの大学の先生方とお話するのですが、その中で、長く少年院等々の介護官を勤められていた方が「人間科学部」の教授におられます。実に温厚な人格者です。この方にお会いした最初のときに、私はすぐに「練鑑ブルース」を唄いだしました。そうすると、その先生は、「その歌は、私がこの仕事についたときに、真っ先に知った歌です。少年たちの悲しい歌ですね」と言われました。私も悲しい歌だけれど、いい歌でもあるなと思っています。

 この通りですね。私たちも朝霞署の留置場で、いつもこの歌を聞いて涙を流していたものでした。
 懐かしくいくつものことを思い出します。

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君が代のことで少し

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 らんぶる さんの 君が代 を拝見しました。思えば、こうして「君が代」というような題名で堂々と書かれているのはいいですね。どうしても「君が代」に関しては、この「君」が問題なようで、「君」が天皇なら、「代」となると、「天皇の代」ということで、よくないということなのか(そうなんだろうな?)、いつも否定の意見しか聞いてきませんでした。

 私が大学1年(私たちは1年のときから専門の授業がありました)のときに、政治学の授業(演習だったかな?)で、私が「君が代」のレポートをしました。
 私は、「君が代」を、折口信夫と高崎正秀の言われる内容で展開しました。「君が代」は「古今集」の「詠み人知らず」の時代の歌です。本来は「君が壽」でした。「あなたのお年」というような意味ですね。
 それでとにかく、この演習では、当然馬鹿日共民青の諸君はとにかく私の内容を否定し頭から貶します。そして当時街頭では私とスクラムを組んでいた、いわゆる新左翼の人たちも、徹底して私のいうことを否定してきます。だまっているのはいわゆる一般学生ですが、彼らも私の言うことに少しも同意したくないようです。でも私はただただ徹底して「君が壽」を肯定していきます。
 なさけないのは、担当の教授です。何を言ったらいいのか判らなかったのだろうな。
 でもでもとにかく面白い時間でした。思えば、折口信夫のいう内容なんて、みんな知らないものね。

 とにかく、私はこの「君が代」はずっと好きですよ。そもそも私は「日の丸」も好きです。昔はいつも日の丸を身につけてデモに行っていたものでした。

 まあ、そんな時代からも、もう随分な時間が流れました。

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2005年03月28日

仁侠の歌

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 私の 周の掲示板 にmooさんという方が書き込んでくれまして、そこで私が以下のように答えたのですが、
 
 この「網走番外地」の歌は、もともと別に唄われていたもののようです。おそらく、ムショで唄われ続けていたのじゃないかな。こういうムショ等で唄われていたというのは、いくつもあるのですよ。たとえば、「練鑑ブルース」、「夢は夜ひらく」等々。
 それで、これは健さんの歌も実にいいのですが、渡哲也さんも唄っていまして、これもまたいいです。また松方弘樹も唄っていますよ。歌詞はすべて違います。
 たしかに、この歌の歌詞をちゃんと調べて書いておきたいですね。ただ、たとえば、渡哲也さんの「網走番外地」なんて、もう手に入らないですからね。でもやはりやっておかないとならないですね。
 
 思えば、この渡哲也さんの「網走番外地」を調べるのはしんどいなあ。昔はレコードを持っていたのですが、もうないしねえ。
 どなたか、ご存知なら教えてください。
 私の 将門Web には 周の仁侠の歌 と 渡哲也の歌 がありまして、私は仁侠の歌を蒐集しているところです。
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