将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Category: 周の介護について

11011303 義母が「わが家」からの電話があって、それで私と二人でこの家から1Fまで行こうと、部屋を出ました。そのときに、義母は転んでしまいました。幸い頭とかを打つことはなく、左腰を廊下で打ったのでしたが、もう私はこれは出かけられないなと判断し、部屋の玄関に運びました。それが大変に痛がるのです。
 でもとにかく玄関に入れて(そうしないと、大変に寒いのです)、1Fで「わが家」のスタッフの方に事情を言いまして、また家に戻り、どうやら、ベツドまで義母を運びました。
 それで今は眠ってもらっています。義母が何も故障がない状態で転ぶとは思いもしませんでした。医者へ連れて行くのも、今の状態では無理です。寝てもらうしかないなあ。幸い私には外出する用事がなかったのが幸いです。
 でもこれからは、いつも手を握っていないといけないですね。そのことを心がけていきます。

ed25f1e6.jpg 12月26日から、義母は介護サービスの西が丘園というところに行っていました、。それで、私が書いていました「わが家のおかあさん2009.12.26」は実質的には、「わが家」の連絡帳としては使っていません。
 12月26日の午前10時40分に車でお迎えに来てくれて、お泊りでした。
 それでいつもなら、また車で家まで送ってきてくれるのですが、今回は年末でそれが無理で、妻と二人で西が丘園(北区桐ヶ丘)まで出迎えに行きました。
 前にも行ったことがあるので、バスで行きましても、すぐに園は判りました。そして午後3時30分に義母を向かえ、用意していたタクシーで家まで帰ってきました。
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 義母は先々週の13日から一昨日20日まで、お泊まりをしてくれていました。それで一昨日の午後2時に帰ってきました。でも私はいつもの通り義母を迎えて、特別に何も考えていませんでした。
 ところがたぶん2時30分頃急に電話がなりまして、出るとここのマンションの管理人さんが、私の義母を今預かっているといいます。もう私は驚愕して、すぐに1Fに降りて、義母を預かりました。義母の手を握って部屋まで帰りました。管理人さんは、4Fの方が義母を連れてきてくれたということでした。
 私は自分の部屋に入っていても、ドアをあけたりする音は判るわけですが、このごろは、義母はひっそり判らないように出ていくので、気づかないことがあるのです。でもだからこそ、ドアには二つも鍵(これは外からも鍵であけられます。私たちは中から開けられます)のほかに高い位置に鍵をかけています。これは中からしかかけられません。
 でも、私は義母が帰ってきたのに、この鍵をかけてなかったのでした。

 それで、すぐに私の妻も帰ってきました。それで、事態を説明し、私は4Fの方へのお礼の手紙を書いたことを、妻にいいまして、妻と話して、何かお礼のお菓子を手に入れにいきました。王子権現坂の狸屋へ行きまして、ご主人と少しお話して、「じゃ、このお菓子がいいのでは」というので、手に入れて、帰ってきて、4Fのお宅へすぐに持って行きました。
 でもそこでお話すると、義母は何故か柳田公園の方まで行っていたようです。それで、「なんだかこれはおかしいな」と気付かれて、このマンションまで連れて帰ってきてくれました。そして管理人さんに渡して、それで私に電話があり、それで判明したわけです。
 この4Fの方は、私の義父のことは顔を知っていて、義母が柳田公園まで歩いているので、なんだか変だと気付かれたようです。
 私も妻もそもそも、ここの住民ではありませんでしたから、義父や義母のことを少しでも知っている方のことを何も知りません。
 だから、こんな有り難い方々のことも、実にちゃんと知りません。もう実に有り難く感謝するものです。

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 わが家のおかあさん2009.05.21周の心よっしー は さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by yossi    2009年05月21日 10:34
親の介護 ご苦労 お察しします。わたしも、しばらくは自宅で親を見ていました。男のわたしが食事、衛生面での世話していました。他界するまえ3年、おやじは怪我をして介護施設に入りました。悩むところです。ご奮闘ください。

 どうもありがとうございます。あなたのやってきたことを考えると、私のやっていることなんか、たいしたことだと思えないですよ。私は妻のやっていることを手伝っているだけです。それにすぐ近くには、長女がいてくれます。孫が来てくれたときも、ポコ汰なんかまだ小さいのに、義母の部屋に入ったり大変なことです。なんだか、まだあんなに小さいのに手伝ってくれている感じなのですね。こうやって大きくなっていくんだよなあ、と思います。ポニョもいつもおおばばにも笑顔で接していてくれて私は嬉しいばかりです。
 思えば、私の父も母も、もう戦後一緒に住みだしてからは、自分の親にはほぼ会えないところばっかりを引越ばかりしていました。それと比べれば、私たち夫婦は幸せです。
 いつもこの介護のことは話すようにしています。飲み屋でもよく話しています。誰もみな少しは関係があるのです。地方から出てきている方は、その地方の故郷では自分の兄弟姉妹が親の面倒を見ているということをよく聞きます。忘れてはならない、忘れられないことであると思うのですね。

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dd2889b5.jpg 毎日義母をみていて、思えばいつも「大変だなあ」とばかり思ってしまいます。私よりも、妻のほうが大変なことだろうと考えております。でもときどき、「それなら、お母さんをどこかに預けてみればいいのに」という考えを聞くことがあります。そのように言われることを、妻と今朝話していました。妻と話したのは、私たちには決してそんな考え思いはないのだということです。
 私の兄夫婦は、私たちの母の介護をずっとやっていてくれました。でもかなり大変だったと思います。その中で、私の母を介護施設に預けようかという話がありました。私も妻もそれについては何もいえません。私たちはただ、話を聞いているしかないのです。とくに私たちは、我孫子を離れ(これは当初は一時のつもりでした。だから住所移転するにも3年後になったものでした)ることはしませんでした。でも王子の家にいつも住んでいたのでした。
 そのときに、私の長女おはぎが、「おばあちゃんを施設に入れるというのなら、私が教員を止めておばあちゃんのことをみている」と言い出したのでした。これは強烈な主張でした。
 このことは私たちでは言えないことでした。ために、母をどこかの施設に預けるということはなくなったのでした。
 思えば、私の長女もそして次女も、あんなに強く優しい娘になったのも、それは私の母のおかげであり、そして私の義母のおかげです。もちろん、私の父、私の義父のおかげでもあります。私たちはけっしてそのことを忘れません。
 そして今も残っている義母のことは、私の父母と私の義父のことを思い出して、これからも私と私の妻のそばで一緒に暮らしていきます。そうする私には、いつも母の声が聞こえているのです。「お前、あのお母さんに嫌われているんじゃないだろうね」。私はいつも応えています。「そんなことないよ。いつも同じように接しているだけだよ」。私はただ自分の母の言うことにうまく応えられるようにしていくだけです。
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 義母はどうやらしばらくお泊まりしていて、もうすっかり忘れています。「わが家」に行くということを少しも思いだしません。ずっと故郷の下関に帰るということばかり言い続けています。ちゃんと何度説明しても判らないようです。
 もう私も困りはてました。いや、下関に帰るということで、たくさんのものを用意してしまうから、大変なのです。それをみなもとへ戻さないとなりません。

 でもとにかく、9時45分頃義母は出かけました。今度は妻のところへ行きます。思えば、今の私には、日本がんセンターへ行くのはやすらぎですね。

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a2f6bda0.JPG 昨日義母は午後1時40分に帰宅しました。私は12時20分には帰ってきていました。
 それから夕方には、長女おはぎが来てくれて助かりました。
 ただ私は何故か疲れていまして、昨日は午後8時5分には眠ってしまいました。でも義母に夜中の1時と3時に起こされました。また、「お母さんはどこへ行った」という疑問でした。
 きょうは、義母をわが家に送りまして、それから私は妻を迎えに行きます。
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60afc8a8.jpg もう義母は熱も下がっていますので、わが家に行かせようとは思っていましたが、でも「行かない」ということも覚悟していました。その時には、私がまた1日一緒に過ごします。
 でもさきほどは、「お母さんとお医者さんへ行く」と言っています。「いや、いつものわが家に行くのよ」というと、かなり怒っています。「わが家」が認識できないようです。
 もう私は困り果てています。出かける気持にはなっているのですが、ここにはいない自分の母親と病院へ行く気なのです。もう私にはかなり怒っています。最後は私にコートを投げつけました。私はもう精神的にも肉体的にも、ただただ疲れてしまっています。
 それでもどうやら出かけてくれました。また「わが家」のスタッフの方に迷惑をかけてしまっているかなあ。
 思えば介護というのは、みんなこんな感じのことを続けているのかなあ?
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33da46cf.JPG 昨日の21日には、義母がデイサービスから午前11時すぎに戻ってきました。熱が8度を越えているというのです。それでわが家の車を降りたところで迎えた私はすぐに、行きつけの医院へ行きました。そこで診てもらいまして、帰ってきて、私はすぐに薬局へ行きまして、薬をもらってきて、飲んでもらったはずなのですが、でも義母は飲んでいなかったのです。もう私は困り果てました。妻が帰ってきて、どうやら飲んでくれました。
 それで今朝は世田谷のクライアントへ行く予定だったのですが、急遽ケータイメールで変更を申し出しました。実は、きょうは8時頃長女の家へ行ってポニョをみたあと、9時近くに保育園へ連れていきまして、そのあと王子で南北線に乗る気持でいました。「自転車をどうするかな。長女のところに置いておくか」なんていう気持でした。でも保育園のほうもこちらの事情を判ってくれて、ポコ汰とポニョを長女から一緒に預かってもらえるとのことで、これは一つありがたかったのですが、さらに私のクライアントにも無理をいいましたものです。
 私の妻が8時30分に近くの接骨院へ行きまして、帰ってきました。足を怪我しているのです。それできょうは、義母を私がずっと診ていなければなりません。
 きょうはいろいろ連絡もとります。Gメールもケータイメールもありがたいです。電話での連絡は無理です。いえもちろん、電話での連絡もいくつもありますが。
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d35568aa.jpg 妻がわが家に連絡しましたら、義母を迎えてくれることになって、実に有り難いし、嬉しいです。それで今は、妻が病院へ行っています。義母のことを相談しに行っているのです。でも思えば、明日はまたたくさんのことがあるのですね。でも明日は明日です。
 でもたった今も義母が外へ出ていこうとするので止めました。
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88115011.jpg 今朝は、普通通りに義母をわが家に送り出すつもりでしたが、熱を計りましたら、けっこうありますので、わが家はお休みさせないとなりません。そうすると、私が一日見ていますが、こうなるともう外出はできませんから大変なのです。きょうは、妻が送る担当なので、まだいてくれますので、もうすぐ医者に連れて行って、そのあとは私が一日みています。
 ただ、明日は私も外出するので、簡単にはいきません。まあ、明日のことはまた明日になってからのことですね。
 どうしても、何事もうまく展開してくれるばかりじゃないのですね。
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 義母は、今朝は、どうにもならなくなりまして、食事を終えて、自分の部屋で眠っているとばかり思いましたら、オーバーを着て出かけようとします。私はあわてて止めますと、「弟を迎えに行く」といいます。それで、「そんな話は私は聴いていない」ということで、山口の弟さんの家に実際に電話して、弟さんと義母で話してもらいます。話は、弟さんが「自分のほうから行くから、家は知っているから、迎えにこなくていい」ということで、それは義母も納得したようです。でもすぐ5分後、今度は「四国の息子に会いに行く」と言いまして、また出て行こうとします。これまた私が止めます。なんだか、今朝は私は義母と格闘(義母は軽い身体なので、「格闘」なんて言えませんが)ばかりしていました。
 でもちょうどそのときに、「わが家」が迎えに来てくれる電話がありました。お泊まりがなくなりましたので、ニチイの方が頼んでいてくれたのです。
 それで、義母は四国に行く気で、そこに向かいました。
 でも実に有り難かったです。

 でもでも、とにかく明日マザー牧場に家族全員で行くつもりでしたが、私の妻は無理になりました。私の次女のブルータスとポコ汰とポニョがどんな愉しい顔をしてくれるか、それを見つめている妻を見ていたかったのですが、それは無理です。

 私は、ここで鴎外の「舞姫」のことを書いていましたが、もうそれはパソコンの前でのことで、もう散々の大騒動でした。

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 私の義母は、16日からある介護施設にお泊まりで、22日に帰宅の予定でした。ところが昨日17日午前10時少し前にそこから電話があり、熱が少し高いということで、帰宅することになりました。実は私は前日に、この日は、朝10時40分に九段下のクライアントへ行く予定で約束していました。
 それで、では昼に義母を受け取りますということで、私はとにかく南北線で急ぎました。そのときが、もうすぐ市ヶ谷です のケータイからのUPでした。

 それで用を終えて急いで帰ります。地下鉄の中で、相手のサービスへ午後1時には私が帰るのは無理で、1時10分になることを連絡します。この日は、妻への歩きながらケータイメールをしていたものです。私にケータイで連絡がつかないと、妻との連絡を介護サービスがとるだろうからです。
 それで急いで帰って、鳴る電話を取りました。そして10分後に義母が来るということでした。でも実際には、路が混んでいるのでしょう。30分後になりました。
 ただ、義母は思ったよりも元気でした。「ああ、これなら預かっていてくれればいいのになあ」なんていう思いもチラとありました。でも私の義母です。とにかく、昼食を食べてもらい、ベツドに入ってもらいます。
 私の妻が、午後3時に帰宅してくれました。
 どうやら義母は安心です。私も少し気が楽になりました。あとは、明日医者へ連れていくことですね。

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 先週の土曜日(1月17日)の午後6時から、私の義母がデイサービスを受けています「わが家」で、家族交流会が開かれました。
 私はこの「わが家」が北区志茂にありまして、私の友人のKさんの家の近くなので、まずは彼女のところに「狸屋」の和菓子を届けるつもりで、彼女の家に行きましたが、何故か留守です。ケータイをかけましたら、彼女はまだ会社で仕事をしています。
 それで持っていきましたお菓子を、彼女の指示のところにおいて、そこから歩いても3分くらいのところにある「わが家」を目指しました。

 でももう真っ暗になっている時刻で、いくら番地を探しても、みつかりません。もうさんざん探して、私は妻に電話して、「わが家」の電話番号を聞きまして、電話して迎えに来てもらいました。迷惑な人間ですね。
 それで午後6時10分くらいに私が着きまして、会が開始されました。
 とっても私にはいい会合でした。私は義母が、毎日ここで過ごしていることを思い浮かべていました。(実は、たった今も義母とのとんちんかんな会話がありました)。

 でも他の家族の方ともお会いできて、嬉しかった思いです。
 ここに掲げた絵は、「わが家」のドアを開けたところに掲げてある絵です。切り絵なのかなあ?

 それから、私は、もう午後8時ですから、もうKさんが帰っているかなあ、と寄ってみましたが、灯りはついているのですが(弟さんがつけたようです)、それで安心して帰りました。
 でも来るときは、東十条のほうを通って来たのでしたが、この帰りは北本通りをひたすら走りました。そうすると、かなり近いということが判りました。
 家に帰ってから、Kさんにケータイメールすると、そのあとすぐに返信が来ました。思えば、私がもう少しあとの時間だったら、彼女と北本通りで遇っていたはずでした。
 でも思えば、だから私はせっかく圧倒的美女と会える機会を、またできなかったものでした。

e3e87fad.jpg わが家のおかあさん2009.01.20 で最後に書きましたことは、私たち夫婦には大変なことです。もし私が眠っていたら、大変なことになっていました。でもほぼ私は朝5時代には起きているからいいのですが、そうでないときもあります。
 たぶん、昨日の夕方義母が喋っていたことで思い出すと、どうも食事を自分が作らないとならないとの思い込みから、それで買物に出たのではないかと思います。
 私の妻が私の母にも、同じようなことがあり、義姉が大変だったことを話してくれていたことを思い出しました。私の母も、義姉が気がつかないように、こっそりと外に出てしまうのでした。
 さきほどの事態も、ここの玄関のドアには、ドアを開けるとベルがなる仕組みにしていましたから、私が気がついたのです。エレベーターに乗って外に出たら、もう判らなくなります。まだ暗い時間でしたから、警察の方々でも大変なことでした。
 もっと私が最新の注意をしていかないとなりません。ちゃんと義母をみていこうと、深く決意しました。
 それとドアの鍵ももっと工夫しないとなりませんね。
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00db5ed8.jpg さきほど8時10分頃、私の部屋に義母がやってきて、お金が必要だといいます。私の妻に渡すのだといいます。そんなこと、一言も聞いていないというと、お金が必要だが、それは妻に渡すためで、だから妻から手渡ししてもらわないと困るというという変なことで、少し判ったのか、今度はガス会社が取りに来ているから、払わないとならないといいます。でもこれまた自動振替で支払っていますから、現金なんか必要ありません。

 妻と電話で話したので判りましたが、義母はきょう山口の故郷へ帰る必要があると思っているらしいのです。だからお金がいると思っているようなのです。
 そして私が義母の部屋に行くと、もうガス代のことなど忘れています。でもお金がないと困るということだけは言っています。何に必要なのかは、説明できません。
 毎日毎日、こんな会話を何十回と続けています。

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c38f304b.jpg 今は義母をデイサービスに送る約40分くらい前です。この時間のすごし方が一番神経を使います。私は私の部屋の中にいるわけですが、ときどきリビングに行きます。やはり、義母が持っていく荷物が2つになっていました。もっていかなくてもいいものが、実に多く入っています。
 そして義母は、きょうもデイサービスに行くとは思っていません。さきほどは病院へ行くのだと思っていることがわかりました。また、山口の実家へ帰るとも思っています。故郷の家で誰かが亡くなって、その葬式に帰るのだといつも思い込んでいます。
 デイサービスのマイクロバスに乗る寸前に、違うところへ行くのだと判るようです。
 でも昨日のように、電源を切られたら大変です。でも、すべて電源の電気の色が見えるところはすべて隠しました。電話の番号は見えないようにしています。今朝は大丈夫のようです。
 いつも義母に、私の振る舞いは、少し冷たいのじゃないか、と思って、そのあと義母に心の中で謝っている私なのです。
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61124451.jpg 少し前に、私のパソコンのインターネットが突如つながらなくなりました。「あれまたお義母さんが切ったかな!」という思いで、リビングへ行きまして、調べますと、やはり電気が切られています。でも、電源は入っているはずなのですが、電気が点灯していません。それから継続しているモデム、ルーターも点灯していません。どうやら、そのさらに大元を切ったようです。そこは触れられないようにしてあるのですが、でも調べると、わざわざ電源をすべてはずしてありませす。
 少し怖いことには、電気ストーブも消えています。スイッチで消したのではなく、電源をはずしたことで消えていました。もう電話も使えなくなっています。
 困り果てました。でも義母に聴いても、少しも記憶していません。
 ちょっと、インターネットが接続できない(いや、自分のサイトだけは、自分のパソコン内からでも接続できるわけで、これでは判らないのです。他のサイトにつながないと判らないですね)というときは、すぐに調べないといけないですね。電話が使えない、ストーブが消えている、等々は大変なことになる怖れがあります。
 介護している私たちが十分注意するべきなのです。
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 今私は、私の書いてきました

 http://shomon.livedoor.biz/archives/cat_50006774.html 周の介護について

を読み返していました。
 その中で 介護の秘訣は「がんばらない」 の2 を読み返していました。私は次のように書いています。

 私の友人・知人でも、自分の親を介護している方が何人もいます。ただ、その多くの方はどうしてもそのことを公には明らかにしていません。かなりきつい生活でしょうが、黙ってやっている姿を想像します。私としては、とにかく連絡を取り合おうよ、と言っているつもりです。そしてそれに一番いいのが、このブログだと思っています。

 このことを今も思います。私が義母を介護していると言っても、それはやはり妻がいて、私と一緒にやっているからです。そして長女が近所にいてくれています。
 それに毎日のデイサービスをやってくれています「わが家」のスタッフの方みなさん、それにそのスケジュールを管理してくれていますニチイ学館の方(昨日もこの家に来て打ち合わせしました)にも実にお世話になっています。
 こうしたたくさんの方との連携がかなり大切なものです。それがなかったら、私なんかやっていけていません。
 そしてできたら、そのことをできるだけ公開することです。もちろん、公開といっても、各名称や住所を公開することはけっしてやるべきではないですが、でも介護のさまざまな経験や思いは書いていくべきだと思っています。きっと多くの方の参考になるはずなのです。そして実際に私も多くの方のそうした経験や悩み等々を読んで、かなりいい参考になっているのです。
 なかでも、こうしたインターネット上の経験談や情報は実にありがたいです。家にいて、そのまま簡単に読んでいけるわけなのですから。

 そんな思いを強く持ちました今朝です。

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3c0cea86.jpg 昨日の夕方はかなり疲れていまして夜の9時15分には眠ってしまいました。ひさしぶりにお酒は飲まず(私は2週間に1度は断酒します)、ただ眠りました。夢は見たのですが、その内容は覚えていません。私はいつも夢の内容は鮮明に覚えているのですが、思い出したくないのです。いえ、内容が思い出したくないのではなく、とにかく、そんな夢を思い出すことをしたくない気持です。いや、ある年上の男性と長くお話していた内容でした。その内容を思い出すと、思い出すことがもう面倒です。そして朝5時45分の目が覚めました。
 昨日の夕方は、とにかく義母には悪いことをしました。私が立ちふさがったり、身体を手で止めてひっぱったりしたのは、本当はいけないことです。でも私も必死だったのです。とにかく、義母がここから出て行って、また迷子になり、他の方々に迷惑をかけるわけには行きません。
 私の義姉が、私の母を介護していてくれたことを思い出します。実によくやってくれていました。私が今義母を介護しているのは、もう当たり前なことです。でもでも愚痴ですが、昨日はとにかく疲れ果てました。
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dd57cd70.jpg さすが、義母を今朝デイサービスに朝10時10分の送ったあとはぐったり疲れていました。義母は、もうデイサービスの車に向かう頃には、もう「わが家」に行くつもりになれているはずなのですが、きょうは、エレベーターの中からも、「お母さんはどこにいるの?」と聞いてきました。車に乗る直前に、「お母さんは45年前に亡くなったと聞いていますよ」といつもの通り応えましたが、こんな瞬間には初めてです。症状がどうしても進んでいる感じです。私なんかは、何になっているのかなあ。
 私の母をずっと看てくれていた義姉のまっちゃんを思い浮かべます。私もちゃんとやらなければいけないのです。でもどうしても疲労していまいます。
 あ、今朝もらった葡萄をポコ汰に届けようかな。
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 朝、義母のお迎えが来てくれて、それで送り出すと、少しだけ気持に余裕ができます。もっとも私もすぐに出かけなくてはならないのですが。

 もう毎日同じことを繰り返しています。飲む薬のことを毎日何度も聞かれています。「どれを飲むの?」と聞かれるので、「全部飲むのです」というと、今朝は「薬を見もしないで」と言われてしまいました。でも私も仕方ないのですよ。毎日繰り返し同じことをやっているのですから。
 それで義母を送っていくときに、私は心の中で反省しています。「もっと優しい言葉で話すべきだ」と。

 いつも、私の義姉が私の母を介護してくれていたことを思い出します。実によくやってくれていました。私は自分の母親ですから、どうしても母の認知症状がそんなに進んでいるとは思えませんでした。いや、これは、母を日々看てもいない私なんかには判らないことなのです。

 もう、今は義母の介護で、少々私は疲れ気味です。もう頭を切り替えて、次のことに向かうべきなのですが、でもなかなか難しいことです。でもやり抜いていきましょう。

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 わが家のおかあさん2008.09.30ナミちゃんから以下のコメントがありました。

1. Posted by なみんと    2008年09月30日 14:29
周さん〜お久しぶり。。
お義母様のことを皆さんで見守っていらっしゃるのですね。お義母様は御自分の家族のことをいつも思っているのですね。お優しい方だとおもいます。
周さんが・・みんなで助け合いましょうよ。。とおっしゃった様に私も同じように思います。

 いつもどうもありがとう。昨日は、9月8日に依頼していましたものが出来たという連絡が先週土曜日にありましたので、夕方池袋まで行ってきました。その帰りに、「千駄木『浅野』」で飲んできました。昨日の夕方は、妻が義母を迎えるので、私も自由になれるのです。
 なんだか、池袋もたくさんの人がいて、谷中もたくさんの人でした。
 義母はたしかに、自分の父、母、夫をいつも探しています。父と母はいつも夢に出てきているのでしょう。ただ現実に探されて、それを聞かれても困り果てます。28日には、自分の息子が、王子病院に入院していると思い込み、そこへ探しに行きまして、大変なことになりました。でもそんなとき、自分の存在の無力さを知らされるわけですが、それでもなんとか役にたてるのではないかと、必死になっている思いです。
 きょうは、妻がお休みしまして、義母を病院に連れていきます。なんだか、耳が聞こえづらくなっているので、それを直すのです(いえ、もう何度も行っているのです)。

   そして長女と二人の孫が来てくれます。そのことが、今ももう待ち遠しいです。

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f1ee76e3.jpg きょうは、私が義母をデイサービスに送る日で、私が義母と家で待っています。もうそろそろ、義母にそのこと(お迎えの電話があるから、用意しましょうね)を伝えようと(もちろん朝から何度もこのことは、「○○時くらいになったら」と伝えてはいます)、義母の部屋を開けると、そこには居ません。あれ、これは大変です。でも私の部屋の横を通るのですが、音が聞こえないことが多いのです。義母はこのごろ足は達者なので、外へ出てしまうことがあるのです。あわてて外へ出ようとしたときに、電話がなり、長女おはぎからです。「おばあちゃんが1階でうろうろしていて…………」ということで、7階のこの部屋まで連れてきてくれます。
 デイサービスから電話があって、ちゃんと私が連れ出しますと、管理人さんが声をかけてくれました。義母が路をうろうろ歩き出すので、心配して声をかけたら、偶然うちの娘がポコ汰と一緒に現れたのです。
 義母はけっして遠くへはいかないのですが、こうして一人で外へ出てしまうと大変なことです。私の母も、足が丈夫で、けっこう勝手に外を歩いてしまい、いつも義姉がそのあとを追いかけていたものです。
 これは私がいけないのです。この部屋に入ってパソコンを打っていると、他のことが見えなく、聞こえなくなってしまうことがあります。
 ちゃんと反省して、これからはきちんとやり抜きます。
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459bf90f.jpg 私はよく義母の薬をとりに行きます。17日にも9時台に近くの薬局へ薬をとりにいきました。妻の薬もありました。こんな土曜日の午前中ですと、私と同年代かそれ以上上の男性が多いです。午後夕方になると、子どもを連れたお母さん方が多いです。
 この私の今いる王子の私の住んでいるところの近く08051702は、かなり医院が多いのです。そしてかなりお年寄りも多いです。
 なんだか、私はこの街がとっても好きです。

 ここのあげた写真は、その薬局の中で撮りました。ミッキーマウスが上の隅で眠っていたのです。

673ad8a6.jpg 昨日私のケータイに義母のデイサービス先のわが家から電話がかかってきました。それで義母が39度の熱だったというのです。でもそののちはおさまったようです。

 それで義母が5時に帰ってきてから、すぐそばの吉田医院に行きました。ちょうどわが家の車から降りるところに、車椅子(私のところは、玄関に義母用の車椅子を置いてあります)で、医院に向かいます。 病院で看てもらって、どうやらたいしたことはないようで、少し安心しました。病室に義母と入って、先生の話を聞きましたが、そのときに私ははるかな昔、雪の日に弟を連れて橇に乗せて病院に行った札幌の冬を思い出していました。たしか12月の夕方のことでした。そのときの病院の診察室の様子が私の脳裏に甦ったのです。

 私はしきりに、弟のそのときの姿を思い出していました。

 その帰り、車椅子を押している私には、あの札幌の遠い日に、帰りの吹雪の中、弟を橇に乗せるのではなく、二人で懸命に橇を押して走っていたことが甦りました。母がとても心配して迎えに来てくれていました。

 でもあの頃は電話もないわけで、大変なことでしたね。私が小学校2年で弟が幼稚園生のことです。

  義母は昨日医院では、36度の平熱だったのですが、今朝は38度と少し高熱です。だからデイサービスはお休みします。 妻がもうすぐ出かけますので(いつも土曜日に鍼灸に通っています)、私が義母をみています。義母が私ならば、少しは安心してくれるのが嬉しいです。

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07121205 本日は水曜日で、義母のデイサービスがお休みの日です。でもきょうは妻の担当なので、私は自分の部屋からはほぼ出ません。
 でも義母のいるときに、電話がかかってくると、義母は大変に、「何事があったのか?」と心配してしまうので、私の部屋にある子機をすぐ取るようにします。そうすると、午前中10時頃のはお墓の営業でした。もう私は、すぐに断り切ります。営業されている方には、少し気の毒ですが、長々電話していたら、それこそ義母は大変に心配していまうのです。
 でも相手は、そんなことを何も気にしていないのですよね。大変に面倒で、困ったことです。
 とにかく、この営業の電話は、実に大変に迷惑です。もちろん、仕事をされ、生活されている方にも迷惑ですが、こうして介護をしているものには、実に大変な迷惑です。

 私の亡くなった母のことでも、実に何度も経験しています。

 あるときに、私が母の家に行きましたら、ちょうど義姉がどこかへ出かけていまして、玄関で女性が二人で、私の母に何か署名をさせようとしていました。私は大事なお客さんなのかと思いまして、「母ではちゃんと応対できませんから、私が替わりましょう」というと、そのうちに二人は消えました。よくよく考えると、相手は、何かの営業だったのか、何かの宗教団体だったように思います。
 私の母は昔はしっかりしていたものだったのですが、85歳を過ぎると、もう判らなくなっていました。丁寧に説明されれば、署名でも印鑑でも押してしまいますよ。
 介護している私たちがしっかりしなければならないのです。

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f889d587.jpg 義母のデイサービスをやってくれている「わが家」から電話があり、昨夜(だと思います)、園に窃盗が入り、警察に現場検証で、「お迎え」が遅れるということで、少々焦りましたが、でも約1時間遅れくらいでお迎えに来てくれるという電話が入りました。
 まだ喪中の葉書をだすのに、切手を買いにもいかなければ、ならないし出すべき書留もあります。それにもっとやる支払いがいくつかありました。
 そしてまたすぐに出かけないとなりません。
 でも義母には、いつも焦らせないように、私のほうが必ず余裕のある姿勢を示します。
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07112801 このところ、もう1年11ケ月も義母のデイサービスをやってくれている「わが家」との毎日の「お便り帳」に、こちらから書く文面に、こちらで撮りましたデジカメ画像を印刷して載せるようにしています。あちらからは、いつも必ずデジカメ画像が掲載されています。
 それであちらからの画像が、いつも義母が載っています。私がそれに載せる画像は、いつも私のブログに載せている写真ですから、ほぼ風景とか花の写真になっています。
 もういつもブログに載せるわけで、人の顔が写るようにはいつも写真を撮らないようなクセがついてきました。
 そしていつも私が撮りました人が写っている写真は、写真用紙に印刷していますが、このデイサービスのお便り帳のは、みな普通紙に印刷しています。それで私も真似して普通紙に印刷するわけですが、こうして普通紙に印刷するのも実にいいものですね。
 人の顔ではなく、秋の風景で、少し紅葉が写るものは、普通紙のほうがいい場合もあるように思います。

 なんだか、義母のお便り帳に画像を載せる(写真を貼るわけですが)と、なんとなく載せた景色等のことも、より私には親しい光景になってきています。
 これは思いがけないいいことでした。

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 私の「疲れた」に、もともと私がこれを書くことになりましたブログのUPを書いた イグレックの大学物語 の彼女が、以下のコメントをくれました。

1. Posted by igrek    2007年11月05日 11:47
周様 このように書いていただいたのを読むと涙が出てきます。母を今年の冬も2ヶ月預かりました。そのときは私はまだ大学生ではありませんでした。
仕事優先で外に出かけていましたが、大学に入ってからはほとんどの時間を勉強に宛ててきました。そうしたかったし、そうしないとついていけません。
それが今、ほとんどできません。これがイライラの原因です。勉強部屋に入ると、母が来て、決まり文句をいいだします。全く集中ということが出来ません。
デイサービスの利用を始めましたが朝から「いかない」と始まって結局行くのですが、行くまでに私の1日のエネルギーを消耗する感じです。出かければ今度は夕飯の支度夫と母と両方。
今はこのことに私が早く慣れて精神的に強くなりたい。そのことだけです。ながなが愚痴を言ってしまいました。お許しください。

 私こそありがとうございます。
 私はもう昨年10月から御茶ノ水の事務所も、この王子の妻の実家に引越しました。自宅と王子の家と、クライアントへ行くことで、事務所にいけないという事態も多くなったからです。でもやはりそれ以上に、義母の介護が大事なことでした。
 今はあるクライアントの事務所につめていることも多いのですが、いつも4時過ぎると、あわてて王子まで帰ってきています。義母はデイサービスから夕方5時には帰ってきますから。
 でも妻とは一日交代ですから、夕方妻が5時に帰る日もあり、そうしたときに、ときどき外でも飲んでいます。
 でも水曜日はデイサービスがお休みの日で、これも妻と一週間交代です。それでも私の事務所用の部屋に籠もってパソコンに向かって、義母のことをすっかり忘れ果てていると、義母とはやはりまずい関係になってしまいます。義母は、もうパソコンなんて何の道具だか一切判りませんからね。「ずっと電気をつけっぱなし」というので、「もったいない」ということばかり気になるようです。
 でも妻も私もどうにも身体が王子の家に貼り付けになれないときには、長女が義母を看てくれています。
 でも、私はいつも、長女に怒られています。

 そんなにイライラしないの
 もっとおばあちゃんが判るように穏やかに話すの

 私はその長女の言うことを、「俺はどうしてちゃんとできないのかなあ」といつも反省して聞いています。
 そして、そんなときに、そばにいる孫のポコちゃんの存在は本当に私には嬉しいことなのです。
 でも今は、長女に怒られていることがあって、私は今後またちゃんとやっていこうと思っています。いえ、何、お酒を飲んでから(たとえわずかのお酒でも)は、ポコちゃんのところへは行かないことです。そうしないと、私は孫からも信用されなくなってしまいます。

 私の母は89歳で亡くなりました。亡くなったあとから、デイサービスに行っていたところの同じお仲間からのたくさんの寄せ書きの記録がありました。それを読んで、「ああ、母には、こんなに新しい友だちがたくさんいたんだなあ」と思い、うれしい限りでしたが、私なんかは、母の生前には、そのことは何も知らないことでした。
 その私の母のことを思い、私はその母の霊に、「私は今、王子でお義母さんをいつも看ているんだよ」と報告しています。母はいつも私が行くと、「お前は、あちらのお母さんに嫌われているんじゃないだろうね」といつもいつも念を押されていたものでした。
 だから、そんな私の母の霊にいつもちゃんと応えるようにしていくつもりでおります。

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 私がいつも読んでいます イグレックの大学物語このUP がありました。この彼女はインテリアデザイナーの方なのですが、そして私と同じ世代なのですが、今は現役の大学生でもあるのです。ただ九州に独りでいた88歳のお母さんを自宅に引き取ってから、こうして「疲れた」という状態にならざるをえないようです。心配なことです。
 私も妻と二人で、義母の介護をしてもう1年10カ月です。だから自宅は我孫子ですが、もうずっと東京北区王子に居ます。もう次女もお嫁に行ったので(今年3月末)、こうこちら王子に全面的に引越する予定なのですが、まだまだ手間がかかっています。義母は83歳ですが、妻だけでなく、私も少しは役にたっているかなあ、と思っているところです。私のところは、同じマンションの別な階に、長女家族3人が居てくれます。これが精神的にも実際にも実に助かることばかりです。
 私の母は8月に89歳で亡くなりました。それまでずっと義姉が母を介護してくれていました。弟も私も協力しましたが、弟の奥さん、私の妻、そして私たちの子どもたちの世代もみな協力してきました。ただし、私たちよりも、やはり義姉が一番大変だったのはもう間違いないことです。一緒に住んでいるというのは大変なものだと思いますね。それは私がこうして一緒に住んでいて、十分に感じています。私も孫の顔が見られ、孫を腕に抱けることがあるから、こうしてもっているようなものです。
 ただ義母は、水曜日と日曜日以外は介護のデイサービスに行ってもらっています。これは実にありがたい大事なことです。それと1カ月1度ほど、5日から1週間お泊まりの介護サービスも受けています。
 介護というのは、家族みんなでやっていくものだと思っています。そうでないと、やりきれません。私のあるクライアントの社長もお母さんの介護を続けています。前には、その大変さが、判っているつもりでしたが、自分が介護をする立場になって、そのことが始めて理解できたように思っています。
 私は自分の義姉のことも、私のほうでも大変に感謝し、協力しているつもりでしましたが、自分で義母を介護する立場になって始めて、義姉の大変さが理解できた気がしています。そしてでも、義姉は、その持ち前の明るさを少しも失っていません。私の二人の娘のことも、いつも気にかけてくれ、いつも可愛いと思ってくれています。
 私たちが懸命にやっていることが、私たちの子ども、そして孫にも充分に伝わっていくことだろうと確信しています。

 でも、こうしてインテリアデザイナーの仕事をやって、そして主婦でもあり、大学生でもあり、そしてこうしてお母さんの介護もされていることに私は大変に敬意を感じているところです。

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 ポコちゃんのハイハイ へのコメント に次のように書きました。

 この王子は、実にたくさんの小さい子どもを連れたお母さんに会います。

 でも昨日も王子を自転車で走りながら思ったのですが、王子は子ども・赤ちゃんをよく見かけます。ちょうど私の娘の年齢くらいのお母さんがよく連れて歩いています。でも同じくらいによくお年より、老人にも会います。私のいく理髪店プラドで、「王子には、床屋が多い」といいましたら、「王子はお年よりが多いのね」と言われたものです。私は「あ、そうか」と思ったものです。若者は男性でも、美容院に行きますが、私は美容院には入れません。
 でもそのお年よりがけっこう、歩くのも困難な方をよく見かけます。昨日は、義母の介護のケアマネージャーの方が今後のスケジュールの打ち合せ確認で、おいでになっていて、そこで車椅子の話になりました。私のこの王子の家では、彼女の紹介で、車椅子を1台、ずっと借りているのです。
 それで、その他の車椅子とその関連の商品のパンフレットを見ました。たくさんの移動のための歩行補助器具を見ましたが、私がこの王子で見かけるものもいくつかありました。けっこう何人ものお年よりが、そういう製品に手をおいて、ゆっくり歩いています。よく「ああ、あのおじいさん、前にも会ったけれど、大丈夫かなあ?」なんて思っています。
 年をとって、歩くのが困難になっても、ああいう製品で独りでも歩かれているのを見るのは嬉しいことです。やっぱり、独りであちこち歩く用があるし、街を歩きたいよね。でももう自分の日本の足で歩くのは困難だということがあるのだと思います。
 そうしたら、それを補助してくれる子どもたちの存在が大事ですが、こういう歩くことを補助してくれるものも大事です。
 杖をついているおじいさんも多いのですが、杖では役に立たない方も多いと思うんですね。家に閉じこもりがちになってしまうよりも、できるだけ歩いたほうがいいと思うのです。
 それと、こうしたお年よりをいつも見つめている私たちの存在の仕方も大事だと思います。お年よりは、たぶんやたら構われるのは嫌でしょうから、でも困っているときには、誰かそばで気づいた人が手助けするべきだと私は思っています。
 そんなことを考え、よく街を自転車で走ったり、歩いたりしています。
 そうでですね、私が思うのに、この北区もお年よりが多いけれど、ときどき行く世田谷区もお年よりが多いと感じています。いや、この東京全体も、おそらく日本全体がそうなのでしょうね。

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07012703 私はたとえ私一人でも、義母の介護をしていこうと決意しています。でもやはり妻がいてくれると助かります。義母が自分の娘がいてくれると、なんだか安心しているのを強く感じます。
 やはり介護というのは、私たち家族みんなでやるべきことなのですね。私も長女夫妻がそばに住んでいてくれることで非常に助けられています。そして私も少しは子どもを持って大変な気持のときに長女の少しは役にたっているかと思っています。
 自分の初孫を見ているときの実に愉しい気持、義母を見ているときの、少々「大変だなあ」という気持。このことが今の私には同時にいくつあります。
 そしていつも自分の母親のことも思い浮かべています。母には優しい義姉がいてくれて実に嬉しいです。そして、しょっちゅう面倒を見にきてくれる弟夫妻がいます。私もまた会いにいかないといけないなあと強く思っています。
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 私がこうして義母を介護していることは、「実に私にもいいことである」などと私はいいたいわけなのですが、ことはそんなに簡単ではありません。なんというか、やはり私自身も疲れ果てます。これほど神経を使い、これほど疲れることだとは夢にも思いませんでした。

 思えば、私の義姉も、私の母の介護をずっと続けてくれているわけです。ときどき訪れる私なんかには到底判り得ない大変さがずっと続いてきたのだと想像します。
 私の弟もよく母のところを訪れてきてくれています。いつも義姉のためにいろいろなことをしています。弟は私のような酒飲みではないですから、酒は飲まず、いつも車の運転をしていくつものことをしていてくれています。
 ただその弟でも、やはり義姉の大変なことは到底理解できないのではないかなと思っています。まして私なんかはどうにも及びもつかないところに義姉はいてくれます。
 また母のところへ行きますと、必ずまた言われることでしょう。

   お前は、あちらのお母さんに嫌われているんじゃないだろうね

 私はいつも答えています。

   そんなことはないよ

 でも、今度は、私は「そんなことはないよ」という根拠を詳しく母に語ろうと思っています。もちろん、愉しい話として語りますよ。

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ed94b4e3.jpg いつも義母は、自分が昔住んでいたところの話を少しする。でも私は当然なのだがまったく知らないのだ。義母は、義父と結婚していわば始めて自分の故郷とは違ったところに住むようになったのだろう。
 そういえば、私の母はまったく違う。母は父と一緒になって戦後になると、日本中を引越して回ったが、実は母の父親が長男なのに、「俺は百姓は嫌だ」と家を飛び出し、国鉄に勤めた。それであちこちの駅長を勤めたのだが、実に驚くほど転勤している。母が10年くらい前までよく会っていた友だちは、みな全然違う地方の人たちなのだ。ただただ私は驚いてしまう。だから思えば、あの母の友人たちは、大正時代の友だちなのだなあ。
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 わが家のおかあさん2006.12.11 に書いたことですが、義母のために長女が作ってくれた義母のための家系図が実に役だっています。
 いつも義母は、私のところに聞きにきています。自分の夫のことだけでなく、それ以上に自分の母親のことを聞いてくるのです。でもその祖母は私が妻と結婚する前に亡くなっていますので、私はお会いしたことがないのです。そのことを私は何度も繰り返し説明してきました。
 でも、今回長女の作った家系図は実にありがたいです。大きく書かれており、写真も貼られています。もちろん写真のないかた(デジカメ画像のない方は印刷できないのです)は、その名前と亡くなった歳が書いてあります。
 これを私は指さしながら、何度も説明しています。もうすぐ長女おはぎの下にも、新たに、私の孫の名前が書かれ写真が貼られることも説明しています。
 義母を中心として、家系図は下の世代でも拡がり、上の世代でも拡がっていくのが、これが私たちの生きている人間の関係なのですね。これが私たちの親族・姻族のつながりなのですね。

 聖書のイエス・キリストの家系図でも、日本の天皇家の家系図でも、縦に長くつながっていますが、実はもっと大きなつながりがたくさんあるのですね。
 私一人を中心に置いて考えても、父と母とが二人で、祖父と祖母が四人で、その曾祖父・曾祖母が八人と、倍々に増えていきます。同時に私の子どもたちも、私の場合は2人ですが、二人の娘が4人子どもを産むと全部で8人です。それがまた4人産むと、一挙に32人のひ孫になります。
 私の父は9人兄妹でした。法事のときは、たくさんの人が来ますが、その中の人に聞いても、「私もよく判らないんですよ」といいます(でも本家の私の従兄はさすがすべて把握しています)。
 私の母は4人兄姉で、その親戚がみな集まったことがありますが(いとこ会と称しています)、それはもうにぎやかなことです。
 でも、私の次女ブルータスの結婚式も、私の関係のブルータスの従姉妹4人と、妻の関係のいとこ2人が来てくれて、それぞれのつれあいも子どももいますから、全部で20人になります。これは嬉しいな。

 義母の介護をやっていますと、たくさんのことを新たに知ってきます。これは嬉しいことです。

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06112101 私のところは妻と私で一日交代で、義母の面倒を見ています。今朝は、妻が早く出かけて、私が義母を送り、夕方妻が母を迎えます。きのうはその反対でした。
 でも今朝7時20分に出かけた妻から7時40分にケータイメールがありました。義母に薬を出すのを忘れたというのです。義母の薬はたくさんあります。それをちゃんと出しておかないと、義母は自分では飲むのを忘れています。だから、それを用意して、義母の部屋に持っていきます。
 実はたった今も、義母は私の部屋に別なことで質問にきました。

 思うのですが、こうした介護というのは、いや少なくとも私たち夫婦の場合としかいえないかもしれませんが、夫婦一緒にやんないと無理ですね。一人で介護していたら、身体以上に精神がまいってしまいます。
 それと、自分の娘(私たちの場合は娘です)がそばにいてくれるのが実にいいです。これは大切なことですね。だから、娘の子ども、私の孫が生まれたら、私の両親がやってくれていましたように、私もちゃんと孫の世話を懸命にします。
 こうして、私の両親も義理の両親も、私の子どもたちにしてくれていたことを私たちも自分の孫にしていくのですね。大事なことだな。嬉しいことだなあ。

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7dfe15bf.jpg 義母を朝デイサービスに送るとき(たった今も送りました)に、私は必ず義母に手を振ります。園の車が見送れるところまで必ず手を振ります。義母も必ず手を振ってくれます。私は必ず私の歯が見えるような思いで、歯を見せて笑うようにしています。
 そして実は、このときに、自分の母親のことをいつも思い出しています。母はどうしているのかな。母もまた大変に個性の強い人間ですから、またデイサービスでいろいろと頑張っているんだろうな。いろいろと主張しているんだろうな。
 今度私の次女ブルータスの小学校の運動会にいくつもりですから、そのときに母の家にもよりましょう。
 また義姉の話を聞くのも愉しみです。
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b2a9f3d2.jpg どうやら、義母をデイサービスに送り出しました。なんだか、いつまでもこうしたことに慣れていない私を感じています。
 いつも義母を送ることで、かなりな時間前から用意しています。私はずっとパソコンを打っていますが、でも実は気持は義母のことでいっぱいです。いつもブログを打ちまして待っているわけですが、その他いくつものことがあります。洗濯もしますし、台所の洗い物もします。そしてこうしてブログも打っているし、そして月曜日はメルマガの発行日です。
 でもでもいくつものことがあっても、やはり義母を送ることがまず第一に大切なことです。きょうは、義母を送り出した今、なんだかぐったり疲れています。
 妻は昨夜からずっと眠られなかったと言っていました。私はただただすぐ眠っていただけです。だが、今朝も朝7時まで眠ってしまいました。このごろ眠りすぎですね。
 これからもっと暑くなるからそのことでも大変になりますね。
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06070702 介護の秘訣は「がんばらない」の「(8)必ず社会と接点を持つ」を持つを読みまして、「この通りだなあ」という思いが実に強いです。
 夕刊フジBLOGでは次のようにあります。

(8)必ず社会と接点を持つ
 「介護のために仕事をやめるのは反対です。時間がなければ常勤を非常勤にするなどして、社会との接点は絶対持ち続けてください。専業主婦なら、パートでもおけいこごとでも、何でもいいから外に出ることです。外と接点を持たない介護者は、必ず追い詰められ悲惨な状況を招きます」

 私の友人・知人でも、自分の親を介護している方が何人もいます。ただ、その多くの方はどうしてもそのことを公には明らかにしていません。かなりきつい生活でしょうが、黙ってやっている姿を想像します。私としては、とにかく連絡を取り合おうよ、と言っているつもりです。そしてそれに一番いいのが、このブログだと思っています。

 このブログで、自分の好きなことを発信して、その中で少しその自分の親の介護のことも触れてくれればいいのです。それは、今後引き続き介護に携わる多くの人たちに、大変に参考になると思うのです。そしてその「介護する」ということは、すぐに「介護される」ことに入れ替わるのです。

 このブログで、日々発信することは、おおいに外の社会と接点を持つことになります。今の北朝鮮のミサイル発射について黙っていることができるでしょうか。そうしたことに、自分の思いを述べることは大切です。そしてそのことは、社会全体の思いを知らないと、自分の意見も述べることはできません。
 ぜひとも、このブログで、自分のいろいろな思いを発信していきましょう。

 介護の秘訣は「がんばらない」  へ

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06062602 義母はたった今は1週間のデイサービスで泊まっています。今の義母は前よりはしっかり記憶がありますから(義母は一時眠ってばかりいる状態だったのですが)、少々寂しいなという思いかな、なんて気になっています。ただ、ここは前回も私が一緒に行ったのですが、よく先生方がうまく義母を扱っていてくれます。
 これは実に嬉しいです。私が自然に黙って去るようにしむけてくれているのですね。
 こうして1カ月に1度1週間、義母にお泊まりしてもうらようにしています。
このときに、妻も私も自宅へ帰りまして、衣更やいろんなことをするようにしています。次女の様子もこのときに確認できています。次女とこのときに話すとそれは愉しいのですね。

 介護するといいましても、私も妻も、私の二人の娘も仕事を抱えているわけです。その送り迎えでも、私と妻で必死になっています。それに長女夫妻がすぐそばにいてくれることが、精神的なことにみならず、実際に実に助かっています。
 おそらく、これからますますこうした介護する、介護を受けるということが大きくなっていくかと思います。こうして、そばに家族がいるというのは実にいいことですね。
 そしてこのことは、さらに大事なことになっていくかと思っています。
 私もやがては、介護が必要なことになるのでしょうが、できるだけこうして家族・姻族で仲良くやっていくつもりでいます。
 そしてそのときに、こうしてインターネットを介して、パソコンやケータイでの密接な連絡が大事ですね。

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 たった今の少し前に、義母をデイサービスに送るときに、エレベーターの中で、義母に「松本さん、お元気ですか?」と声をかけてくれた方がいました。上の階のAさんという方です。
 義母を送るのを見てくれていまして、そのあと義父が3月9日に亡くなりましたことを言いましたら、驚いておられました。
 私たちも、義父が亡くなったときに、判る限りは知らせたと思っていましたが、こうして義父がご近所で知り合った方には、まったく判らなかったものでした。
 今、こうして声をかけてくれて、とても嬉しい思いです。

 その彼女も、この7月に娘さんの家に引っ越されるということでした。やはり、年寄りだけですごすのは無理がありますものね。思えば、私たちももっと早く、ここへ来ていれば、義父は今も元気でいたかと思いますね。
 やはり、自分の家族・親族とそのそばに住んでいるということは大事なことです。

 今私たち夫婦は、長女夫妻と同じマンションに住んでいます。私はしょっちゅう娘の部屋に行きまして、どうでもいいことをやっていまして、いつも娘に怒られています。
 でもいつまでも、私はこうしていたいです。やがて孫ができれば、その孫は私にこそ一番親しい関係になるはずです。

 問題は、次女だなあ。次女が結婚する相手は、私も大好きな彼だし、そのお母さんも美人で、私は大好きなのですが、その住んでいるところが、我孫子と同じ千葉県なのですが、それがね、アメリカより遠い千葉県なんだよな。千葉県は大きいのですよ。上総・下総・安房という3つの国が一緒になりましたからね、大きいのですよ。
 それが唯一不安で不満です。

 私たちの近くに、みんな引越してくればいいんだよなあ。

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 私が藤原隆家のペンネームで書いております ニュースきくち ですが、昨日書きました 開設から13年、ミサワホームの有料老人ホームがリニューアルオープン を読んでおりまして、私の母と義母の介護のことを考えました。

 今義母のために、車いすが借りてあります。大変に軽いものなので、ちょうど10年くらい前に車いすと接していたことのある私は驚いています。
 義母を車いすにのせて、王子の街を歩きますと、隣を義母の娘である妻が一緒に歩いて話しかけていますが、私一人と義母だけだとどうなるのかな、なんて考えています。もちろん、おそらく私はずっと義母に話しかけていきますね。

 やっぱり大事なのは、すぐそばで介護する私たちの意識であり、やる行動だとは思いますが、同時に、介護される側が毎日利用生活する介護施設の問題です。私たち普通人が、歩いたり、お風呂に入ったりする感覚ではなく、あくまで介護される側のお年寄りが、どうなのかということを絶えず考えた施設をこそ必要としていることはいうまでもありません。
 こうした施設を建築していければ、あとは介護する側の意識と姿勢が問われる問題だろうと思っています。これも大事で難しい問題なんですけれどね。(藤原隆家)

 義母を車いすで連れていきましたのは、王子駅前のある銀行でした。どうしても義父の相続に関して、義母が直接いきまして、係の方と直接話すことが必要だったのです。
 それでお借りしています車いすに義母に乗ってもらいました。義母は最初は羞しがっていましたが、隣を歩く自分の娘(私の妻)とお喋りするうちに、そんなことはすぐに忘れてしまったようです。こうして、娘とお喋りしながら街を歩けることは実に愉しいいいことです。
 私は後から押しているだけで、会話には加わらず、ときどき相づちを打っているだけですが、実に愉しい時間でした。

 銀行の用は、もう実に時間がかかり、義母には面倒だろうなと心配しましたが、どうやら終わりました。そしてまた車いすを押している私は、自分の母を思い浮かべていました。

   私の母も父が亡くなりましたじばらくあと、歩行するのが困難になり、しばらく杖をついていたことがあります。でも今はもう杖をつかなくても歩いています。ただ、もう一人で歩かせることはしていません。ときどき、家の周りを義姉と一緒に歩いています。
 今度は、必ず母と一緒に歩こうと決意している私です。

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 ちょうど、さきほど10時7分前に義母はデイサービスに出かけました。
 私は部屋に帰りまして、冷蔵庫からビールを取り出して飲み出しました。以下先ほど出しました妻へのケータイメールです。

今お義母さん出かけました
なんだかかなり行くとき、大変でした。わが家の方に待たせてしまいました。さすがぐったりして、今ビール口にしました。でもお義父さんの笑顔の写真見ると、私も笑顔を返します。

 妻は昨日も今日も明日も出社です。
 義母は、何故か行くのがいやなのかな。だから、なんだかゆっくりしています。私は心の中は「わが家」のスタッフの方に申し訳ない気持で、実に焦っています。でも顔の表情だけは普通にしているつもりです。
 でも、さすが義母の部屋に声をかけ、それでもゆっくりしているのに急いでもらうようにいいます。
 そしてどうやら、デイサービスの方に義母を渡しまして、手を振ってさよならしました。でもいつも「わが家」のスタッフの方には、感謝しています。よくやってくれますよね。私ではとても無理ですね。

 部屋に帰って、それでリビングにある義父の写真を見ます。義父は笑顔で私を見てくれています。私は、「あ、ビール飲もう」と冷蔵庫を開けました。義父も許してくれるはずです。ねッ、そうですよね。

 あ、私も出かけよう。私の故郷の一つの横浜を歩こうかな。

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 義母はきょうから3日ショートステイのお泊まりです。11時40分に出かけました。けっこうこれが大変でした。お泊まりですと、持っていくものがいくつもありますね。それを妻が用意していたのですが、義母が着るはずの服他を自分の部屋の持っていってしまい、私ではわけが判らなくなりました。妻の携帯に電話しても、ちょうど病院にいるので、でられません。
 でも、もう私の判断でやり抜きました。

 でも、その後妻とは何通も携帯メールで、義母のことを連絡しあいました。「とにかく私にも大切なお母さんです」。

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 私がこのブログで わが家のおかあさん を書いています。これは私の義母が「わが家」というデイサービスに毎日行っているのですが(水曜日と日曜日はお休みしています)、そこの「お便り帳」とでもいう連絡帳に私が書いているものです。

 それで、私はきょうも義母を送りました。
 ちょうど運転をされてきてくれる方と私が少しお話をしていましたら、義母が車のドアをたたいて私に連絡をくれました。いつも私が手を振るのに、忘れていると思ったのかもしれません。それで当然私は「いってらっしゃい」という手を振ります。
 車が私の目の前を去り、左折して見えなくなるまで私は必ず手を振っています。

 そしていつも私はそこで、私の母を思い出しています。私の母はもう89歳です。母も毎日デイサービスに行っていますが、すべて私の義姉にまかせっきりです。これは本当に私も私の妻も義姉には、頭があがりません。

 思えば、この介護の問題は私に限らず、今多くの方が抱えていることでしょうね。

 それで思うのですが、私の二人の娘は、義母のことも母のことも、実に優しい目で見ていてくれています。いつも優しくそして祖母にはたぶん可愛い孫として振舞っていてくれます。これは私にはとても嬉しいことです。二人の祖母とも、この私の二人の娘にはいつも喜んでいます。いや、私の母の場合は、私の姪たち3人もよく母に優しい目をくれています。
 思えば、このことは祖母が孫である二人の私の娘に実に優しくきちんと接していてくれたからですね。私の義母も、この王子から、遠い我孫子までよく来てくれて、娘たちを可愛がってくれていました。その思い出が娘たちの脳裏には刻まれているのです。
 そしてこのことが、二人の娘が自分の職業である教員をやっていくことに、大変にいいことをしてくれたと私はつくづく思っています。
 このことは大切なことだなと思います。「介護」ということを考えると、今私たち家族がやっていることは大事なことをたくさん教えてくれているなあと思っています。

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134a1c29.jpg 義母がよくやくデイサービスに慣れてきたかなと思っています。義母が「なにか手伝いましょうか」という言葉を言ってくれます。これはデイサービスの場でも、私たちに対しても言ってくれています。
 私はなんだか、こうした言葉を聞くたびに、とても嬉しい気持がこみ上げてきます。
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 この「周の介護について」を私のブログで書き始めて、そして私のメルマガに転載していたときに、メリマガには次のように書いていました。

 周の母親は、現在88歳です。義父も義母も80代です。この3人に関して、私たち夫婦、私の娘二人がたった今、そして今後やってまいりますことをここに書いてまいります

「もう今は3人ではないんだな」と思います。そして不思儀なことなんですが、もう亡くなって10年が過ぎているのに、私の父の語った言葉をいくつも思い出します。
 義父と違って、私の父は勝手に生きていた男でしたが、今思い返すと、いくつものことを教えてくれたなと思い出しています。
 今思い出したのは、私の妻のことを言っていた言葉です。妻のことを大変に誉めていましたが、また同時に妻の弱い点も指摘してくれていました。今になって、そのことを強く思い出します。思えば、父もありがたい存在だったのですね。

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 義父が亡くなりました9日のことです。私は義母をつれてと義父の病院から戻ってきていました。義母に昼食を食べてもらったあと、ベッドで寝てもらいました。
 でも午後1時少しすぎに、妻から、義父が亡くなりましたことを電話で知らせてもらいました。義母にはどう伝えていいのだろうと悩みました。でもそのままに時間だけが過ぎましたが、私は義父の顔を思い出して、つい涙を流してしまいました。悲しくて哀しくて、小さな声をあげてしまいました。けっして隣の寝室にいる義母には聞こえないように泣いたのです。

 でも義母が部屋から出てきました。私の泣いているのに気がついたのです。黙って私の両手を握ってくれました。もう私は、泣くのを止めるどころかさらに声をあげてしまいました。

 義母には、私が少し苦手だったかもしれません。いつもあまり喋らないで、パソコンを打っている私です。
 でもこのときに、少しは心を通じることができたのかもしれません。

 ただ、そのときが、こうして義父が亡くなったことのことだったのです。もっと私が努力していくべきだったなと深く反省しています。

 義母を送りにいきましたが、もう車に乗っている方たちと顔なじみになったようです。なかなか他の方とうちとけるのが少々難しい義母かなと思っていましたが、これで一安心です。嬉しいな。
 以下は今朝、義母に持たせた「お便り帳」に私が書いたことです。

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 ひさしぶりの「我が家」でしたが、どうやらさほどの本人の混乱もなかったようです。まずはよかったです。こうして、一緒にすごしていますと、いろいろなことを新たに知ります。
 義母は山口県生まれで、私の母は茨城生まれです。そして性格もかなり違うのに、もう「これは同じだ」と思いますのは、二人とも、やたらに、あちこちの電気を消してしまうことす。「あれ、これ使えないな」なんていうときは、どちらの母も、本人が電気を消しています。(2/17周)
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 私はこれをプリンタで打っています。私の汚い字ではみっともないですからね。朝の忙しい瞬間にノートを持ってプリンタのところへ行き、印字しています。
 でも、義母が行くときに、きょうもまた車の中から、私に挨拶をしてくれました。その笑顔が私にはとても嬉しいです。

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