周の『よむ・かく・生きる』

2017年08月19日

PLAYBOYのロゴマーク

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2017年07月19日

関西では「焼き鳥」ではなく「串カツ」だ

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   私が初めて関西の京都へ行ったとき(私は当時の私の彼女と行きました)、私の友人(私と安田講堂で闘い、拘留され、また別な件でも長く浦和拘置所に入っていた)が京都先斗町で飲もうということになり、「関西では焼き鳥ではなく、串カツだ」ということで飲んだものでした。私は初めてであり、彼の言う通りに飲んで食べたものでした。
   それがこの串カツでした。
   もう初めてでしたが、じつにいいものだと気がつきました。懐かしいなあ。20170719222017071923続きを読む

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いつもみてしまうCMの2

2017071919
    前に書いた「いつも見てしまうCM」ですが、最初はシーサーでいいのですが、次は「モアイ」のようです。それでこうしてモアイ像を入れました。ちゃんと見ていかないといけないなあ。
    テレビCMも丁寧に見ていきましょう。こうしたことは正確にやっていきましょう。
20170719202017071921続きを読む

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うちは焼き鳥ではなく焼き豚です

2017071906      昔飲んだ船橋の駅近くの飲み屋で「うちは焼き鳥はありません。焼き豚(とん)です」と書いてある飲み屋がありました。そうなのだなあ。いくつの店もあったのでしょうが、こう書いてある店はここだけでした。上の画像は焼き鳥、下2枚の画像は焼き豚です。
  懐かしい思い出です。
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「私の住んだ街」に船橋が抜けていました

20170719042017071902    ここのサイドバーで「私の住んだ街」で千葉県船橋市を載せるのをすっかりわすれはてていました。慌ててこうして載せました。
 こうして画像を載せるのにいくらかインターネットで船橋を見ました。もう懐かしいばかりです。私の後輩でここへ来てくれたのは、彼だなあ。引っ越しで北浦和から運んでくれたのは彼だったなあ、なんて思い出していました。みんな私の大事な後輩です。また改めてお礼をいいましょう。
 フナッシーが大事な存在です。
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2017年07月18日

いつもみてしまうCM

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    ママの怒った顔は、シーサーに似ている〜
ジャミラの時もある〜

   もう私は「シーサー」と「ジャミラ」を探しました。20170718112017071812   私はただただ優しい甘いじいじになります。2017071801
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2017年07月17日

大阪弁のことで

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大阪弁を書いてみましたら、興味がわきましたので、さらに書いてみます。
   面白いですね。私の故郷の茨城弁に関することよりも面白く感じます。
   こんなことなのですね。
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大阪を思います

20170717022017071703 この大阪の街の画像を見ていくつも思います。私はただ懐かしく思い出しますのです。ここで何度も飲みました。「北」で飲むより「南」の方がよかったです。
でもまた別に書いて行きましょう。
20170717072017071706201707170220170717012017071705続きを読む

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2017年07月16日

私は「川を越えると茨城か」と思っています

2017071522   一つ前にUPしたことの続きです。
2017071521
   私はいつも思うのです。南千住で「川を越すと茨城か」と。でも私のこの認識は間違えています。川は墨田川でもう一つ江戸川を越えなければならないのですが、それを渡っても千葉県下総の国です。
  ここはまだ葛飾区です。ここはいつも車寅次郎が行くところ(実は寅さんが生まれたところでもあります)なのです。それで超えてもまだ下総の国は続き、やっと大きな川の利根川を越えてやっと茨城なのです。だからまだまだあるのです。2017071601続きを読む

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2017年07月01日

いつも姪に言われていました

2017070117  
2017070118   私はいつも会うたびに言っていたのです。姪が南千住の大きな素敵なマンションに住みだしたときから、
2017070119       南千住の駅前の飲み屋には、『「地下足袋の方お断わり」という紙が貼ってある』と言いまして、

「周ちゃんはいつもいうけれど、それは一体いつの話だ」と言われてあきれはてていたものでした。2017070120
  でもこういう偏見も忘れちゃあ、いけないよなあ。こういう偏見は確かにひどいですね。周ちゃんはいつも偏見だらけのひどい伯父さんになっていました。2017070121続きを読む

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1965年6月30日の武道館でのビートルズ公演

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 このことでも私のいた横浜東高校でも大きな論議になったものです。そのことをあとで書きましょう。大事なことだと思うのです。忘れられないことです。そしてこういう意見を述べた私が東大安田講堂で闘っていたということは大きなことに思われたのです。
 でも大事なことですね。私は挙手して大声で自分の意見を述べたのです。
 大切な思い出です。
2017070114201707011120170701152017070116続きを読む

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2017年06月30日

サイドバーの浅野ゆう子さんの画像で

2017062906
 最初はお尻だけが写っていまして、あれだけでは、見てくれる方があんまりにわけが分からないので失礼だと思い、サイドバーの上に顔写真も載せたものです。
 いくつも考えるものなのです。続きを読む

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2017年06月27日

「『いばらぎ』ではなく『いばらき』です」ということ

2017062726「ひよっこ2017.06.27」の最後で書いた母親美代子の言うことは大切です。でもこれは分からないかなあ。  
  茨城人はみんな分かるのだ。私も茨城人だからわかるのだ。私は分かる(私は「除く諸生党」)のです。
2017062727続きを読む

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2017年06月26日

王子野戦病院闘争を思い出した

2017062602  実に懐かしく思い出します。あの時は私は大学1年生だったなあ。この時は2度目に来たものでした。柳田公園が集会場でした。1968年3月28日でした。あのときは三里塚闘争と交代で行ったものなのだなあ。上の画像は現在の野戦病院跡です。
2017062603続きを読む

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2017年06月25日

寅さんが「群馬はふうけんてきなところだから」は第3作では言っていないのだ

20170625102017062511    もう困りました。第3作「男はつらいよ フーテンの寅 」を見ても、このセリフは見つからないのです。困ったなあ。この作品はマドンナは新珠美千代です。
    どうしたらいいでしょうか。私は悠木千帆さんの前で喋るとばかり思い込んでいたものです。また新たに捜索します。
   けっこう調べるのは大変な作業です。
2017062512続きを読む

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2017年06月24日

「群馬というのは『ふうけんてきなところ』だから」という寅さん

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  これをどんなに喜んで見ていた、そして喋ったことでしょうか。ある港区の会社で、これを言いましたところ、「先生、それは『ほうけんてき』と読むのです」と言った女性がいました。私は「うん、そうだよ、ふうけんてきな地方なんだよなあ」といいました。あきれちゃうよね。寅さんを見ていないのだ。
  もうこんな人が今もいますね。「ふうけんてき」で何がいけないのだろうか(書きますと「封建的(ほうけんてき)」なのです)。でも寅さんならこう読んでしまっていいのだ。
   しかしこうしていまも「ふうけんてき」なおバカがいるのだ。
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私はいつも歌が頭の中を巡って起きるのです

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  これは毎朝のことです。で、私の記憶はどうしても細部がいい加減です。そこでその歌の歌詞をインターネットで調べるのです。でも歌詞はここではあげられないから(見るだけ読むだけです)、仕方ないのですが、このライブドアでは認められているのです。私がここにサイトを置いている最大の理由なのです。
  そうなのですね。
2017062403続きを読む

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2017年06月23日

「練鑑ブルース」を思い出した

2017062302
   この歌を思い出しました。懐かしいです。私は前に将門Webに書いたことがあるなあ、と思い出し、探してみました。
 以下にありました。懐かしいばかりの思い出です。朝霞署の留置場の中で夜にヤクザの方に唄ってもらったものです。その彼の歌声にみんな涙を出したものでした。みんなというのは看守の警官も同じでした。
 懐かしいなあ。以下に私は書いています。

    練鑑ブルース
      
   懐かしく思い出し、唄ってくれたヤクザのAさんを思い出します。  
2017062301
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2017年06月20日

「葉隠」を思い出した

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   私はこの「葉隠」を府中刑務所に拘留されている時に読みました。のちに、福島県のヤクザの大親分が刑務所に入っているときに読んだということを直接聴きまして、その時は実にお話ししたものでした。懐かしいです。
  松雪泰子さんが佐賀県のご出身だということで、思い出したものです。
  いろいろと思い出すことが浮かんできます。
20170620042017062005続きを読む

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文章より画像の方が数倍数十倍のものが伝えられる

2017062001     
このことはいつも感じることです。いくら文章で書いても、それよりもこうして画像で示したほうが見ているほうには分かりやすい、情報が伝わることが速いのです。そのことをいつも感じています。続きを読む

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2017年06月14日

私が生きてきました故郷2巣鴨

2017061411  私はここに昭和23年に住んでいたと思います。記憶は全くないのです。ただここにいるときに父と母に浅草に連れて行ってくれたのではないかと思います。兄も一緒だったはずです。60歳を過ぎて浅草を歩いたときに「あれ、なんか前にもきているのじゃないかなあ」と思ったからです。ただ、もう父にも母にも聴くことはできません。兄にも聴けません。もうみんな墓の中なのです。
 ただこうしてUPしますと、いくつも思うのです。王子から乗る都電でここに載せた地図でその路線図があり、「ああ、そうだなあ」と思い出すのです。
 それと、この下の地図ですが、娘二人が大学へ入ってアパートを借りて住んだときに、そのアパートから巣鴨駅まで歩いたり、古河庭園あたりを歩いたりしたものでした。懐かしいです。
   それに染井霊園も懐かしい。このそばのプールには、今もポコ汰・ポニョが通っています。もうすぐポポも行くのでしょう。
201706140820170614092017061410続きを読む

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2017年06月12日

私が生きてきました故郷1茨城県東葛飾郡佐貫村

2017061201  私は年代を書きますと、1948(昭和23年)5月30日に茨城県東葛飾郡佐貫村に生まれています。すぐに東京都豊島区巣鴨に引っ越ししました。そのあと秋田市に引っ越しする列車の音が私の記憶にある一番昔のものです。でも赤ちゃんの時に母に抱かれて浅草にも行ったように思います。その浅草の光景が私の脳に甦るのです。続きを読む

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2017年06月11日

私が生きてきた故郷

2017061101   サイドバーの「私の住んだ街」にも書いていますが、ここで詳しく書いてみましょう。
私が生まれたのは茨城県東葛飾郡佐貫村です。ただし、生まれただけで、記憶はありません。
次の東京豊島区巣鴨でも記憶はありません。
2017061114
この巣鴨から次の秋田へ行く電車の中の音が私には一番古い記憶なのです。ただ浅草に行ったような記憶がよみがえるのです。
201706111520170618012017061117201706111820170611192017061102201706110320170611132017061120続きを読む

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2017年03月13日

またですがもう起きています

2017031303 いつものことですが、もう目覚めました。続きを読む

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2017年01月20日

廃品回収と古紙回収

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私は小学校6年の6月に名古屋市北区大曽根から鹿児島市南千石町へ引っ越ししました。名古屋市は六郷小学校で鹿児島市は山下小学校でした。
 それでこの二つでは学校で「廃品回収」と「古紙回収」(「こし回収」とも「ふるがみ回収」ともいいました)というふうに、名古屋ではビン缶も回収しますが、鹿児島では新聞紙のみの回収でした。これには私たち子どもも親も戸惑いました。すぐに慣れましたが。それに、そういえばどこでもあの頃は新聞にはチラシはそんなに折り込まれてはいなかったのです。
 私の家では毎日新聞と日経新聞を入れており(日本の大きな会社の鹿児島支部でしたから、私の家が購読していたのは毎日新聞だけでした)、それでも子ども心にも「ここではビン缶はどうしちゃうのかあ」と気になったものでした。
 このことが大きく思い出すことなのです。
ここの挿絵は、上が名古屋市で下が鹿児島市のつもりで入れたものです。
2017012010


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2017年01月19日

これはクレープです

2017011911
  ついでに私は「ステテコ」の上はここに掲げた「クレープ」を着ています。このように前でとめるものです。
 私はいつも「クレープを着ないステテコなんて………」と言いまして、訂正されていたものでした。娘二人は「あの広告で言っているのはクリープだ」というのですね。

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これはステテコです

2017011910
これが私が日々穿いているステテコ(ズボン下)です。私は中学2年の時から身につけています。
 もちろんその下は褌です。そして30歳の時から赤フンにしました。このステテコを売っている会社もステテコという法人名なのですね。
 これはここのサイドバーに載せるために書いたものです。



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2016年12月29日

可愛いスーチャン

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2016122806
 私は「練鑑ブルース」に以下のように書いています。

軍国歌謡であった「可愛いスーチャン」の曲に、歌詞をのせて唄っています。もともとの原曲がいいわけなのか、たいへんにしみじみと聞ける歌です。

 でもそもそもこの「可愛いスーチャン」そのものを知りたいという声がありましたので、以下書いていきます。2016122805
2016122804
可愛いスーちゃん  作詞・作曲者:不詳
1 お国の為とは言いながら
  人の嫌がる軍隊に
  召されて行く身の哀れさよ
  可愛いスーちゃんと泣き別れ
2 朝は早よから起こされて
  雑巾がけやら掃き掃除
  嫌な上等兵にゃいじめられ
  泣く泣く送る日の長さ
3 乾パンかじる暇もなく
  消灯ラッパは鳴りひぴく
  五尺の寝台わら布団
  ここが我らの夢の床2016122807


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2016年10月17日

飛騨高山を思い出しました

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 私はここに1973年9月に行っています。お酒も美味しいものでした(でも飲んだ銘柄を正確に思い出せません)。
 いい旅行でした。帰りは富山を回って帰っています。たくさん思い出すことがあるのですが、ただただはるかな昔のことになってしまいました。でもとにかくいい街でした。懐かしく思い出します。また行けることがあるかなあ。
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2016年10月04日

四つ葉のクローバー(イラスト)

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今回は四つ葉のクローバーのすべてイラストです。朝ドラを見ているといいですね。
 私のように花に関心がないものにもいい刺激になります。「四つ葉のクローバー」って実際に探してみようかなあ。
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四つ葉のクローバー

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NHKテレビの朝ドラで四つ葉のクローバーが出てきましたので、インターネット上で探しました。たくさんありまして、次のUPでイラストの四つ葉のクローバーをあげてみます。
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2016年10月03日

西田佐知子「アカシアの雨が止むとき」

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2016100126
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 この歌を忘れることはできないことでしょう。いつも歌い、そして涙になっていたものでした。いつも樺美智子さんを思い出しています。歌手の西田佐知子さんも絶対に忘れられないです。

作詞 水木かおる
作曲 藤原秀行
歌   アカシアの雨が止むとき
歌手 西田佐知子
1 アカシアの 雨にうたれて
  このまま 死んでしまいたい
  夜が明ける 日がのぼる
  朝の光の その中で
  冷たくなった わたしを見つけて
  あの人は
  涙を流して くれるでしょうか
2 アカシアの 雨に泣いてる
  切ない胸は わかるまい
  思い出の ペンダント
  白い真珠の この肌で
  淋しく今日も 暖めてるのに
  あの人は
  冷たい瞳(め)をして 何処(どこ)かへ消えた
3 アカシアの 雨が止む時
  青空さして 鳩がとぶ
  むらさきの 羽の色
  それはベンチの 片隅で
  冷たくなった 私のぬけがら
  あの人を
  さがして遥(はる)かに 飛び立つ影よ2016100128
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  私は決して米国を敵と考えていたわけではありません。私が嫌いだったのは、日本帝国主義です。もちろん私は反共、反マルクス主義はとなえていたものです。もうすべてを忘れられないです。2016100311



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2016年09月27日

木曽節で思い出す

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 今日が9月27日で、2年前の2014年9月27日で、長野県の木曽御岳さんが大きな噴火をして、丸2年が経過しました。
 この御嶽山噴火は、2014年(平成26年)11時52分に発生しました。長野県と岐阜県の県境に位置する御嶽山(標高3,067m)の噴火なのです。登山者ら58名が死亡しました。日本における戦後最悪の火山災害なのです。
 それで木曽節を思い出し、私の口から「木曽のナー 中乗りさん 木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ 夏でも寒い ヨイヨイヨイ」と出てきました。
 この一番上の画像は今の穏やかな美しい御岳さんです。
 この民謡の歌詞は以下の通りです。

  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
木曽のナー 中乗りさん
木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ

袷ょ(あわしょ)ナー 中乗りさん
あわしょやりたや ナンジャラホーイ
足袋もそえて ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ

人はナー 中乗りさん
人は見目(みめ)より ナンジャラホーイ
ただ心 ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ

心ナー 中乗りさん
心細いよ ナンジャラホーイ
木曽路の旅は ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ

笠にナー 中乗りさん
笠に木の葉が ナンジャラホーイ
舞いかかるよ ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ

木曽のナー 中乗りさん
木曽の名木 ナンジャラホーイ
ヒノキにサワラ  ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ

ネズコにー 中乗りさん
ネズにアスヒに ナンジャラホーイ
コウヤマキ ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ
  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 いつまでもこの木曽節とともに、私は忘れません。
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9月26日で「洞爺丸台風」「伊勢湾台風」を思い出しました

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 昨日9月26日で、いくつもの台風を思い出しました。ここの画像では、その事故に遭う前の洞爺丸をあげました。このときは、秋田市で父と同じ職場だった渡辺さんという女性が札幌の我が家に来てくれていて、帰るはずだったのですが、なぜか兄弟3人ではものわかりのいい私がそのときだけはむちゃくちゃな無理(私はとにかく「今日は帰るな」とだけ言ったのでした)を言って、彼女はどこかで電話を借りて当日乗る予約の汽車をキャンセルしました。その汽車が乗るのが洞爺丸だったのです。これは実に大変なことでした。これは昭和29年のことでした。2016081705
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 そしてまた昭和34年の同じ9月26日私の家族5人は名古屋市北区大曽根で「伊勢湾台風」に遭ったのです。もうものすごい台風でした。私はもう忘れられません。私の家は窓ガラスがすべて割れました。なにかが当たって割れるのではないのです。強い風で割れるのです。
こうした台風の恐ろしさを忘れることはないでしょうね。


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2016年09月25日

将門神社(我孫子市日秀)のことで

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 私のこのホームページは、「将門Web」といいます。私は昔から我孫子市日秀(ひびり)に生まれた平将門さまが大好きなのです。私のホームページは「将門Web(しょうもんうぇぶ)」と読みます。我孫子市日秀にある神社は将門神社(まさかどじんじゃ)と読みます。
私は平将門さまを祭神にしている神田明神は昔から訪れていました。そしてこの我孫子市湖北にある将門神社にも訪れていました。娘二人を連れて来たこともあります。
 しかし最初訪れた頃は実に寂しいとしてしか感じられない神社でした。今こうしてインターネットで見てみると、少しはよくなっているようで、それが嬉しいです。
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2016年09月14日

現在今の「三種の神器」はこれだと思います

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現在今の「三種の神器」はこれだと私は思います。カー(自動車)・スマートフォン・電気冷蔵庫です。
 パソコンがなくてもスマホがあればすべて間に合います。電気冷蔵庫がないと今の生活はどうにもなりません。そんな事態は今は考えられないのじゃないかなあ。自動車があって今はどこへでも行けます。
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「三種の神器」とは平成の今は何でしょうか

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 もともとの「三種の神器」はこれです。天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天照大神から授けられたという八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ、これは{天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)}ともいう、この剣(つるぎ)のみが皇居ではなく熱田神宮にあります)なのです。
 三種の神器は戦後は「洗濯機・冷蔵庫・テレビ」だったのですが、平成の今は何でしょうか?
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 私も明確にいいきれないので、こうして画像を載せます。2016091413
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2016年09月12日

鳩ケ谷市を思い出した

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 今日「愛整骨院」で治療を受けているときに、はるかな思い出を呼び覚ましました。先生方の一人と患者さんの一人が話していたのでした。
 私は知らなかったのですが、もう鳩ケ谷市というのはないのですね。川口市に編入されたのでした。そうかと実に考え深いです。
 私が1969年12月10日に浦和地方裁判所前で埼玉県警に逮捕されて、朝霞警察署に連れていかれたのですが、それを思い出したのです。私はパトカーに乗るなり眠りだしました。私は前日から大宮のある精神病院の看守で徹夜の仕事アルバイトでした。その時逮捕されたのは4人でした。
 パトカーが着いたときに、朝霞と聞いて「あ、朝霞野戦病院があったところだ」とつい声を出してしまいました。朝霞野戦病院撤去闘争に1年数か月前に来た思い出が甦ったのです。
 私が見せられた逮捕状には、「殺人、殺人未遂、凶器準備集合、建造物侵入」という4つの罪状が書いてあったのです。
 しかし、罪状もひどいが、本当にひどい事件(逮捕した埼玉県警、逮捕状を出した裁判所がひどい)でした。私たちはいわゆる埼玉県警だけではなく、いわゆる新左翼からも糾弾を受ける事態だったのでした。
 そのとき私たち翌年にかけて逮捕されて埼大生は全部で25人で、みんな埼玉県の各警察署に分散留置され、だが同時に鳩ケ谷市議会で逮捕された保守系選挙関係者(自民党ではありません。自民党からも嫌われていた部分)も逮捕留置されていたものでした。
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2016年09月11日

私はエディタで書いています

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 私は「直木賞受賞者受賞作品名2」にこう書きました。

「今はもう誰もパソコンのワープロソフトで書いているだろうな。ワープロソフトは私のように使わない人もいるかもしれませんが」

私はワープロというのは使ったことがないのです。エディタのみです。昔は「VZエディタ」を使っていましたが、それが廃止され、次は「WZエデイタ」でした。それも廃止され、今は「秀丸」を使っています。漢字かな入力ソフトはずっとVJeを使ってきましたが、それも廃止になり、今はウィンドウズに標準でついている漢字かな入力ソフトを使っています。2016091111
 もうこんなものなのですね。



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2016年09月09日

上中里さわやか橋

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 前にUPしました「踏切」の6番目の画像が私には、おはぎの家のそばの「上中里さわやか橋」に思えるのです。違うのかもしれませんが、ここの画像をいくつかあげてみます。
 ここは毎日ポコ汰とポニョが瀧野川第五小学校に通う路の踏切です。あまりに鉄道が多いので、今はこの画像のように橋がかけられています。「上中里さわやか橋」という大きな橋です。ここを通って二人は毎日小学校へ行き来するわけです。来年4月からはポポも同じに通うわけです。2016090905
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2016年09月08日

「武蔵(むさし)と「武蔵(たけぞう)」

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私が毎日書いております「とと姉ちゃん」の星野武蔵は、名前は「武蔵(たけぞう)」というようです。この名前の「武蔵」ではやはり宮本武蔵が一番知られているわけですが、そもそも一番知られている吉川英治の「宮本武蔵」では、その中で盛んに「武蔵(たけぞう)」と言われています。
 そもそもこの宮本武蔵は、岡山県宮本村で生まれています。父は剣術家の新免武蔵守無二と言われています(新免無二は養父だったとも言われています)。
 私はどうしても「武蔵(たけぞう)」という呼び名が好きなので、そして吉川英治の「宮本武蔵」は好きなのですが、彼はお通さんと恋もするのです。ただどうにもいわゆる「五輪書」を書いた宮本武蔵はどうにも好きになれません。幕府も細川藩もどうにもこの宮本武蔵は嫌だったでしょうね。ただ、この「五輪書」の五輪がオリンピックのマークになっているのだなあ。
 これは近くの愛整骨院に行く前と帰ってから書きました。治療の間宮本武蔵のことばかり考えました。私は父親の新免無二がただただ厳しくのみ育てたように思います。
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 吉川英治は恋もする武蔵を作り上げてくれました。そのことが私には嬉しいです。


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京都錦小路を思い出す

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「京野菜のことで」を書いたときに、錦小路を思い出していました。私が京都へ行ったら、必ず訪れる街ー必ず歩く路です。必ず京野菜を見て、そしてそれで満足し(でも今度はどこかで食べよう)、そして必ずどこかで飲んで(過去には「リラ亭」で飲んでいました。今はマスターが亡くなられて、もう別な店に行きます)。
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 元赤軍派の友人と飲むのもいいなあ。2016090802



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2016年09月07日

京野菜のことで

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  ここで「鎌倉野菜のことで」を書いたときに、同時に京野菜のことを思い浮かべていました。
  そうなのです。京都の商店街(この場合は錦小路)を歩いていて、こうして京野菜を思い浮かべることは嬉しいことであるわけです。もう同時にインターネットで「京野菜」と入れて、もう同時にいくつも画像を見ていました。おそらく京都の貴族(それが源頼朝かなあ)が京野菜に習って鎌倉でも野菜を育てたのでしょう(頼朝自身がやったわけではないでしょうが)。私は頼朝って、少しも好きになれない京都人ですが、このことだけはいいことをしたのかなあ。
 とにかく私は京都へ強烈に行きたくなっています。昔の赤軍派の友人が『唯円「歎異抄」』の読書会をやっている(それがここのサイドバーの「消費者・行政サービスIC」なのです)のですが、それに絶対に行きたいなあ。
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踏切を思いました

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 突如踏切を思いました。おはぎの家へ往復するのには、東北線か高崎線を越すところの踏切があります。3人の孫たちは、自転車でこの家に来るときは、あすこを越えてくるのだなあ。少し心配になりました。私じいじはもう自転車には乗れないですからね。
 でも孫たちはとても元気です。いつもばあばが行って帰ってくると、この孫たちのことを聴くのがとても楽しみなのです。
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2016年09月06日

鎌倉野菜のことで

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 テレビでもやっていました。でも私はそれほど集中して見ていませんでした。ただ昨日愛整骨院で桑尾先生の治療のとき、それを言われそれで思い出していました。
 私は鎌倉はけっこう訪れていて(でも今は年に1、2回かなあ)、この鎌倉野菜を置いてあるところは、親しく思ってしまうのですね。2016090519
 前にテレビで早見優さんが娘さんと、ここに来ていて、私は「じゃあ、今度ここで会えることもあるのかなあ」などとありえない望みを持ったものです。2016090521
 それでもこうして「鎌倉野菜」を思うことはいいです。また鎌倉を訪れるときに、どこかで食べてみましょう。


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2016年08月31日

日本交通のタクシー

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先ほど、上のカードを受け取りました。昨日インターネットで依頼したものです。この日本交通は実にいいのです。
 でも一つ文句があるから、今度依頼したときに、運転手さんに言いましょう。前に王子まで行ってもらうときの話です。前にここの将門Webでも書いています。
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2016年08月20日

祈ります

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私はこうして、あることを願います。私はこうしてインターネットで将門Webで祈るしかできないのです。
  どうか、叶えてください。お願いします。お願いが叶えられたら、私は神様にも仏さまにも大感謝して、今後は一切悪口なんかいいません。
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節分の思い出

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「とと姉ちゃん」を見ていて、「節分」を思い出しました。まだポコ汰が小さいときに、おはぎの家で節分をやりました。おはぎの面はおはぎの作る面で怖いのです。でもポコ汰は「ママ〜!」とそばへ行ってしまいます。「それはママではなく、悪い鬼なのだ。豆をぶつけろ!」という私の言うことにポコ汰は奮起して鬼は逃げていきました。そのあとはすぐにお面を外したポコ汰の優しいママです。
 でもこの時もぶつける豆はわずかで(ちらかるから)、大部分は小さな袋に入っていて、あとで歳の数だけ食べさせます(もっと食べてしまいますが)。いくつでも思い出す節分の思い出です。
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2016年08月19日

温泉卓球

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 こうして「温泉卓球」のことを書きます。「卓球温泉」ともいいます。松阪慶子主演の映画もありました。いつも家族で温泉に行くと必ずやります。
 私はここで提案したい。「温泉卓球」を卓球とは別なスポーツとしてみんなでやろう。ここで松阪慶子さんがいうように、相手が打ち返せるようにやることが大事です。そして必ず浴衣を着てやることです。勝敗は、楽しくやるチームが勝利するのです。ただし、時間は30分の制限で、見ている人の判定で勝敗が決まります。30分実に楽しい雰囲気でやれることが勝利になるのです。勝つのは楽しくやることです。
 そして、この「温泉卓球」は男女ペアのチームで闘います。仲が良くて、雰囲気もいいペアが勝利するのです。いいスポーツだよねえ。
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2016年08月15日

昨日14日食べたラーメン

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 14日、君津市のブルータス・じゅにの家で食べたナオキ君の作ったラーメンがとても美味しくてでもそれを伝えるのは不可能なので、画像だけでもと思いましたが、これまたそれも撮ってないので、仕方ないので、インターネット上で「ラーメン」と入れて見てみました。
 それで当日食べたラーメンの少しは似ているだろうと思える画像を見つけてみました。いくつも載せてみます。卵は切ってはいないくて、丸まんまのものです。デジカメで撮っておけばよかったなあ、と悔やむばかりです。
 ポコ汰・ポニョ・ポポもこの一番上の画像のように美味しく食べました。じゅにはまだたべられません。
 これでUPします。
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