周の『よむ・かく・生きる』

2017年01月20日

廃品回収と古紙回収

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私は小学校6年の6月に名古屋市北区大曽根から鹿児島市南千石町へ引っ越ししました。名古屋市は六郷小学校で鹿児島市は山下小学校でした。
 それでこの二つでは学校で「廃品回収」と「古紙回収」(「こし回収」とも「ふるがみ回収」ともいいました)というふうに、名古屋ではビン缶も回収しますが、鹿児島では新聞紙のみの回収でした。これには私たち子どもも親も戸惑いました。すぐに慣れましたが。それに、そういえばどこでもあの頃は新聞にはチラシはそんなに折り込まれてはいなかったのです。
 私の家では毎日新聞と日経新聞を入れており(日本の大きな会社の鹿児島支部でしたから、私の家が購読していたのは毎日新聞だけでした)、それでも子ども心にも「ここではビン缶はどうしちゃうのかあ」と気になったものでした。
 このことが大きく思い出すことなのです。
ここの挿絵は、上が名古屋市で下が鹿児島市のつもりで入れたものです。
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2017年01月19日

これはクレープです

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  ついでに私は「ステテコ」の上はここに掲げた「クレープ」を着ています。このように前でとめるものです。
 私はいつも「クレープを着ないステテコなんて………」と言いまして、訂正されていたものでした。娘二人は「あの広告で言っているのはクリープだ」というのですね。

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これはステテコです

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これが私が日々穿いているステテコ(ズボン下)です。私は中学2年の時から身につけています。
 もちろんその下は褌です。そして30歳の時から赤フンにしました。このステテコを売っている会社もステテコという法人名なのですね。
 これはここのサイドバーに載せるために書いたものです。



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2016年12月29日

可愛いスーチャン

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 私は「練鑑ブルース」に以下のように書いています。

軍国歌謡であった「可愛いスーチャン」の曲に、歌詞をのせて唄っています。もともとの原曲がいいわけなのか、たいへんにしみじみと聞ける歌です。

 でもそもそもこの「可愛いスーチャン」そのものを知りたいという声がありましたので、以下書いていきます。2016122805
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可愛いスーちゃん  作詞・作曲者:不詳
1 お国の為とは言いながら
  人の嫌がる軍隊に
  召されて行く身の哀れさよ
  可愛いスーちゃんと泣き別れ
2 朝は早よから起こされて
  雑巾がけやら掃き掃除
  嫌な上等兵にゃいじめられ
  泣く泣く送る日の長さ
3 乾パンかじる暇もなく
  消灯ラッパは鳴りひぴく
  五尺の寝台わら布団
  ここが我らの夢の床2016122807


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2016年10月17日

飛騨高山を思い出しました

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 私はここに1973年9月に行っています。お酒も美味しいものでした(でも飲んだ銘柄を正確に思い出せません)。
 いい旅行でした。帰りは富山を回って帰っています。たくさん思い出すことがあるのですが、ただただはるかな昔のことになってしまいました。でもとにかくいい街でした。懐かしく思い出します。また行けることがあるかなあ。
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2016年10月04日

四つ葉のクローバー(イラスト)

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今回は四つ葉のクローバーのすべてイラストです。朝ドラを見ているといいですね。
 私のように花に関心がないものにもいい刺激になります。「四つ葉のクローバー」って実際に探してみようかなあ。
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四つ葉のクローバー

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NHKテレビの朝ドラで四つ葉のクローバーが出てきましたので、インターネット上で探しました。たくさんありまして、次のUPでイラストの四つ葉のクローバーをあげてみます。
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2016年10月03日

西田佐知子「アカシアの雨が止むとき」

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 この歌を忘れることはできないことでしょう。いつも歌い、そして涙になっていたものでした。いつも樺美智子さんを思い出しています。歌手の西田佐知子さんも絶対に忘れられないです。

作詞 水木かおる
作曲 藤原秀行
歌   アカシアの雨が止むとき
歌手 西田佐知子
1 アカシアの 雨にうたれて
  このまま 死んでしまいたい
  夜が明ける 日がのぼる
  朝の光の その中で
  冷たくなった わたしを見つけて
  あの人は
  涙を流して くれるでしょうか
2 アカシアの 雨に泣いてる
  切ない胸は わかるまい
  思い出の ペンダント
  白い真珠の この肌で
  淋しく今日も 暖めてるのに
  あの人は
  冷たい瞳(め)をして 何処(どこ)かへ消えた
3 アカシアの 雨が止む時
  青空さして 鳩がとぶ
  むらさきの 羽の色
  それはベンチの 片隅で
  冷たくなった 私のぬけがら
  あの人を
  さがして遥(はる)かに 飛び立つ影よ2016100128
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  私は決して米国を敵と考えていたわけではありません。私が嫌いだったのは、日本帝国主義です。もちろん私は反共、反マルクス主義はとなえていたものです。もうすべてを忘れられないです。2016100311



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2016年09月27日

木曽節で思い出す

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 今日が9月27日で、2年前の2014年9月27日で、長野県の木曽御岳さんが大きな噴火をして、丸2年が経過しました。
 この御嶽山噴火は、2014年(平成26年)11時52分に発生しました。長野県と岐阜県の県境に位置する御嶽山(標高3,067m)の噴火なのです。登山者ら58名が死亡しました。日本における戦後最悪の火山災害なのです。
 それで木曽節を思い出し、私の口から「木曽のナー 中乗りさん 木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ 夏でも寒い ヨイヨイヨイ」と出てきました。
 この一番上の画像は今の穏やかな美しい御岳さんです。
 この民謡の歌詞は以下の通りです。

  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
木曽のナー 中乗りさん
木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ

袷ょ(あわしょ)ナー 中乗りさん
あわしょやりたや ナンジャラホーイ
足袋もそえて ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ

人はナー 中乗りさん
人は見目(みめ)より ナンジャラホーイ
ただ心 ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ

心ナー 中乗りさん
心細いよ ナンジャラホーイ
木曽路の旅は ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ

笠にナー 中乗りさん
笠に木の葉が ナンジャラホーイ
舞いかかるよ ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ

木曽のナー 中乗りさん
木曽の名木 ナンジャラホーイ
ヒノキにサワラ  ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ

ネズコにー 中乗りさん
ネズにアスヒに ナンジャラホーイ
コウヤマキ ヨイヨイヨイ
合唱:上と同じ
  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 いつまでもこの木曽節とともに、私は忘れません。
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9月26日で「洞爺丸台風」「伊勢湾台風」を思い出しました

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 昨日9月26日で、いくつもの台風を思い出しました。ここの画像では、その事故に遭う前の洞爺丸をあげました。このときは、秋田市で父と同じ職場だった渡辺さんという女性が札幌の我が家に来てくれていて、帰るはずだったのですが、なぜか兄弟3人ではものわかりのいい私がそのときだけはむちゃくちゃな無理(私はとにかく「今日は帰るな」とだけ言ったのでした)を言って、彼女はどこかで電話を借りて当日乗る予約の汽車をキャンセルしました。その汽車が乗るのが洞爺丸だったのです。これは実に大変なことでした。これは昭和29年のことでした。2016081705
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 そしてまた昭和34年の同じ9月26日私の家族5人は名古屋市北区大曽根で「伊勢湾台風」に遭ったのです。もうものすごい台風でした。私はもう忘れられません。私の家は窓ガラスがすべて割れました。なにかが当たって割れるのではないのです。強い風で割れるのです。
こうした台風の恐ろしさを忘れることはないでしょうね。


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2016年09月25日

将門神社(我孫子市日秀)のことで

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 私のこのホームページは、「将門Web」といいます。私は昔から我孫子市日秀(ひびり)に生まれた平将門さまが大好きなのです。私のホームページは「将門Web(しょうもんうぇぶ)」と読みます。我孫子市日秀にある神社は将門神社(まさかどじんじゃ)と読みます。
私は平将門さまを祭神にしている神田明神は昔から訪れていました。そしてこの我孫子市湖北にある将門神社にも訪れていました。娘二人を連れて来たこともあります。
 しかし最初訪れた頃は実に寂しいとしてしか感じられない神社でした。今こうしてインターネットで見てみると、少しはよくなっているようで、それが嬉しいです。
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2016年09月14日

現在今の「三種の神器」はこれだと思います

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現在今の「三種の神器」はこれだと私は思います。カー(自動車)・スマートフォン・電気冷蔵庫です。
 パソコンがなくてもスマホがあればすべて間に合います。電気冷蔵庫がないと今の生活はどうにもなりません。そんな事態は今は考えられないのじゃないかなあ。自動車があって今はどこへでも行けます。
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「三種の神器」とは平成の今は何でしょうか

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 もともとの「三種の神器」はこれです。天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天照大神から授けられたという八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ、これは{天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)}ともいう、この剣(つるぎ)のみが皇居ではなく熱田神宮にあります)なのです。
 三種の神器は戦後は「洗濯機・冷蔵庫・テレビ」だったのですが、平成の今は何でしょうか?
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 私も明確にいいきれないので、こうして画像を載せます。2016091413
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2016年09月12日

鳩ケ谷市を思い出した

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 今日「愛整骨院」で治療を受けているときに、はるかな思い出を呼び覚ましました。先生方の一人と患者さんの一人が話していたのでした。
 私は知らなかったのですが、もう鳩ケ谷市というのはないのですね。川口市に編入されたのでした。そうかと実に考え深いです。
 私が1969年12月10日に浦和地方裁判所前で埼玉県警に逮捕されて、朝霞警察署に連れていかれたのですが、それを思い出したのです。私はパトカーに乗るなり眠りだしました。私は前日から大宮のある精神病院の看守で徹夜の仕事アルバイトでした。その時逮捕されたのは4人でした。
 パトカーが着いたときに、朝霞と聞いて「あ、朝霞野戦病院があったところだ」とつい声を出してしまいました。朝霞野戦病院撤去闘争に1年数か月前に来た思い出が甦ったのです。
 私が見せられた逮捕状には、「殺人、殺人未遂、凶器準備集合、建造物侵入」という4つの罪状が書いてあったのです。
 しかし、罪状もひどいが、本当にひどい事件(逮捕した埼玉県警、逮捕状を出した裁判所がひどい)でした。私たちはいわゆる埼玉県警だけではなく、いわゆる新左翼からも糾弾を受ける事態だったのでした。
 そのとき私たち翌年にかけて逮捕されて埼大生は全部で25人で、みんな埼玉県の各警察署に分散留置され、だが同時に鳩ケ谷市議会で逮捕された保守系選挙関係者(自民党ではありません。自民党からも嫌われていた部分)も逮捕留置されていたものでした。
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2016年09月11日

私はエディタで書いています

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 私は「直木賞受賞者受賞作品名2」にこう書きました。

「今はもう誰もパソコンのワープロソフトで書いているだろうな。ワープロソフトは私のように使わない人もいるかもしれませんが」

私はワープロというのは使ったことがないのです。エディタのみです。昔は「VZエディタ」を使っていましたが、それが廃止され、次は「WZエデイタ」でした。それも廃止され、今は「秀丸」を使っています。漢字かな入力ソフトはずっとVJeを使ってきましたが、それも廃止になり、今はウィンドウズに標準でついている漢字かな入力ソフトを使っています。2016091111
 もうこんなものなのですね。



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2016年09月09日

上中里さわやか橋

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 前にUPしました「踏切」の6番目の画像が私には、おはぎの家のそばの「上中里さわやか橋」に思えるのです。違うのかもしれませんが、ここの画像をいくつかあげてみます。
 ここは毎日ポコ汰とポニョが瀧野川第五小学校に通う路の踏切です。あまりに鉄道が多いので、今はこの画像のように橋がかけられています。「上中里さわやか橋」という大きな橋です。ここを通って二人は毎日小学校へ行き来するわけです。来年4月からはポポも同じに通うわけです。2016090905
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2016年09月08日

「武蔵(むさし)と「武蔵(たけぞう)」

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私が毎日書いております「とと姉ちゃん」の星野武蔵は、名前は「武蔵(たけぞう)」というようです。この名前の「武蔵」ではやはり宮本武蔵が一番知られているわけですが、そもそも一番知られている吉川英治の「宮本武蔵」では、その中で盛んに「武蔵(たけぞう)」と言われています。
 そもそもこの宮本武蔵は、岡山県宮本村で生まれています。父は剣術家の新免武蔵守無二と言われています(新免無二は養父だったとも言われています)。
 私はどうしても「武蔵(たけぞう)」という呼び名が好きなので、そして吉川英治の「宮本武蔵」は好きなのですが、彼はお通さんと恋もするのです。ただどうにもいわゆる「五輪書」を書いた宮本武蔵はどうにも好きになれません。幕府も細川藩もどうにもこの宮本武蔵は嫌だったでしょうね。ただ、この「五輪書」の五輪がオリンピックのマークになっているのだなあ。
 これは近くの愛整骨院に行く前と帰ってから書きました。治療の間宮本武蔵のことばかり考えました。私は父親の新免無二がただただ厳しくのみ育てたように思います。
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 吉川英治は恋もする武蔵を作り上げてくれました。そのことが私には嬉しいです。


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京都錦小路を思い出す

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「京野菜のことで」を書いたときに、錦小路を思い出していました。私が京都へ行ったら、必ず訪れる街ー必ず歩く路です。必ず京野菜を見て、そしてそれで満足し(でも今度はどこかで食べよう)、そして必ずどこかで飲んで(過去には「リラ亭」で飲んでいました。今はマスターが亡くなられて、もう別な店に行きます)。
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 元赤軍派の友人と飲むのもいいなあ。2016090802



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2016年09月07日

京野菜のことで

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  ここで「鎌倉野菜のことで」を書いたときに、同時に京野菜のことを思い浮かべていました。
  そうなのです。京都の商店街(この場合は錦小路)を歩いていて、こうして京野菜を思い浮かべることは嬉しいことであるわけです。もう同時にインターネットで「京野菜」と入れて、もう同時にいくつも画像を見ていました。おそらく京都の貴族(それが源頼朝かなあ)が京野菜に習って鎌倉でも野菜を育てたのでしょう(頼朝自身がやったわけではないでしょうが)。私は頼朝って、少しも好きになれない京都人ですが、このことだけはいいことをしたのかなあ。
 とにかく私は京都へ強烈に行きたくなっています。昔の赤軍派の友人が『唯円「歎異抄」』の読書会をやっている(それがここのサイドバーの「消費者・行政サービスIC」なのです)のですが、それに絶対に行きたいなあ。
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踏切を思いました

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 突如踏切を思いました。おはぎの家へ往復するのには、東北線か高崎線を越すところの踏切があります。3人の孫たちは、自転車でこの家に来るときは、あすこを越えてくるのだなあ。少し心配になりました。私じいじはもう自転車には乗れないですからね。
 でも孫たちはとても元気です。いつもばあばが行って帰ってくると、この孫たちのことを聴くのがとても楽しみなのです。
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2016年09月06日

鎌倉野菜のことで

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 テレビでもやっていました。でも私はそれほど集中して見ていませんでした。ただ昨日愛整骨院で桑尾先生の治療のとき、それを言われそれで思い出していました。
 私は鎌倉はけっこう訪れていて(でも今は年に1、2回かなあ)、この鎌倉野菜を置いてあるところは、親しく思ってしまうのですね。2016090519
 前にテレビで早見優さんが娘さんと、ここに来ていて、私は「じゃあ、今度ここで会えることもあるのかなあ」などとありえない望みを持ったものです。2016090521
 それでもこうして「鎌倉野菜」を思うことはいいです。また鎌倉を訪れるときに、どこかで食べてみましょう。


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2016年08月31日

日本交通のタクシー

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先ほど、上のカードを受け取りました。昨日インターネットで依頼したものです。この日本交通は実にいいのです。
 でも一つ文句があるから、今度依頼したときに、運転手さんに言いましょう。前に王子まで行ってもらうときの話です。前にここの将門Webでも書いています。
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2016年08月20日

祈ります

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私はこうして、あることを願います。私はこうしてインターネットで将門Webで祈るしかできないのです。
  どうか、叶えてください。お願いします。お願いが叶えられたら、私は神様にも仏さまにも大感謝して、今後は一切悪口なんかいいません。
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節分の思い出

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「とと姉ちゃん」を見ていて、「節分」を思い出しました。まだポコ汰が小さいときに、おはぎの家で節分をやりました。おはぎの面はおはぎの作る面で怖いのです。でもポコ汰は「ママ〜!」とそばへ行ってしまいます。「それはママではなく、悪い鬼なのだ。豆をぶつけろ!」という私の言うことにポコ汰は奮起して鬼は逃げていきました。そのあとはすぐにお面を外したポコ汰の優しいママです。
 でもこの時もぶつける豆はわずかで(ちらかるから)、大部分は小さな袋に入っていて、あとで歳の数だけ食べさせます(もっと食べてしまいますが)。いくつでも思い出す節分の思い出です。
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2016年08月19日

温泉卓球

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 こうして「温泉卓球」のことを書きます。「卓球温泉」ともいいます。松阪慶子主演の映画もありました。いつも家族で温泉に行くと必ずやります。
 私はここで提案したい。「温泉卓球」を卓球とは別なスポーツとしてみんなでやろう。ここで松阪慶子さんがいうように、相手が打ち返せるようにやることが大事です。そして必ず浴衣を着てやることです。勝敗は、楽しくやるチームが勝利するのです。ただし、時間は30分の制限で、見ている人の判定で勝敗が決まります。30分実に楽しい雰囲気でやれることが勝利になるのです。勝つのは楽しくやることです。
 そして、この「温泉卓球」は男女ペアのチームで闘います。仲が良くて、雰囲気もいいペアが勝利するのです。いいスポーツだよねえ。
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2016年08月15日

昨日14日食べたラーメン

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 14日、君津市のブルータス・じゅにの家で食べたナオキ君の作ったラーメンがとても美味しくてでもそれを伝えるのは不可能なので、画像だけでもと思いましたが、これまたそれも撮ってないので、仕方ないので、インターネット上で「ラーメン」と入れて見てみました。
 それで当日食べたラーメンの少しは似ているだろうと思える画像を見つけてみました。いくつも載せてみます。卵は切ってはいないくて、丸まんまのものです。デジカメで撮っておけばよかったなあ、と悔やむばかりです。
 ポコ汰・ポニョ・ポポもこの一番上の画像のように美味しく食べました。じゅにはまだたべられません。
 これでUPします。
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2016年07月20日

下北沢の「古書店『ほん吉』」

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 私が毎日見ています(見られないこともありますが)フジテレビの「じゅん散歩」で下北沢を紹介していました。ここは大昔から訪れていた街です。
 そこを高田純二さんが紹介していました。もう私にはわすれられない街であるわけです。私は我孫子の家では大量の本を抱えていました(大量のレコードもありました)。それらを一部を残して処分する必要に迫られました。16071307
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 そのときに、私のクライアントであり、友人の菊地魁(本当の名前には「ム」がありません)さんが紹介してくれたのが、この下北沢の「古書店『ほん吉』」さんでした。店主はまだ若い女性ですが(最初の写真の女性)、下北沢から車で我孫子まで来てくれて買い取ってくれました。
 私はどんなに助かったことでしょうか。ただし、私は最初に自分の足で下北沢の店を訪れ(持って行った古書は「ハリーポッター」の本1冊でした)、それで店も見て店主の彼女にも会い、私は彼女にもう満幅の信頼を置くようになっていました。16071309
 だからこうしてすべて彼女にお願いしたのです。思えば、その前にはこの下北沢で飲んだこともあるのだなあ。そのときの店の女性もよく覚えている方です。すべてが懐かしいです。


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2016年05月15日

GRコード

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 これをどう言うのかわからなかったのですが、もうすぐわかりました。「GRコード」というのですね。そうなのだ。知らないというのは恐ろしいことです。でもインターネットで調べたり、ばあばに聴いたりして大変でした。16051502
 そして私はすぐに忘れてしまうので、こうして将門WebにUPしておくのです。そうすれば、あとで助かるのです。


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2016年01月06日

『今「新聞雑誌回収袋」を注文しました』の2

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『今「新聞雑誌回収袋」を注文しました』を書いていて、思うことがあるのです。私の家におはぎの家族が来ますと、おはぎは、実に新聞よりもチラシを熱心に見ています。そうだよな、新聞よりも折込チラシのほうが大事だよなあ、と思うものです。
 私はおはぎ家の3人の孫を見ていて、このチラシ・新聞を見ること・読むことは大切なことだと感じるわけです。テレビを見るよりも、インターネットを見るよりも、チラシ・新聞を見ることのほうが大事だと私には思えます。
 ただ今はなかなかそれがうまくいきません。私は学生のときも下宿で新聞を購読していました。ずっと子どものときから、毎日新聞でしたので、我孫子に住んでいるときは、販売店を調べて電話して注文したものです(販売店は驚いていましたが)。ここ王子に来て、義父の関係で日経新聞にしました。日経産業新聞・日経MR新聞(前には日経流通新聞という名称でした)は私が御茶ノ水の事務所にいたときから購読していたものです。16010203
 孫にどの新聞を読ませようかと思うものです。チラシが大事ですからね。テレビで浅田真央のスケートを見ていても、いつもスケート場の低い壁の広告が気になります。あの壁の広告で実際のその会社の製品を思い浮かべるのです。あそこにある会社を現実の世界でも思い浮かべるのです。
 あ、そうだ。ここのサイドバーにもそれらの広告バナーが載せられています。大切だよなあ、と思うものなのです。



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2015年12月26日

「ゲゲゲの鬼太郎」の歌

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ゲゲゲの鬼太郎のアニメの歌詞を書こうとしましたが、「歌詞を載せてはいけない」ということで、コピー(複写)することはできません。
 ただこのライブドアでは認められているのです。ですから簡単にコピーすることはできませんが、歌詞を私は懸命に写しとることはできます。15122625

ゲゲゲの鬼太郎
作詞 水木しげる
作曲 いずみたく

1.ゲッゲッ ゲゲゲのゲー
  朝は寝床でグーグーグー
  たのしいな たのしいな
  おばけにゃ学校もしけんもなんにもない
  ゲッゲッ ゲゲゲのゲー
  みんなで歌おう ゲゲゲのゲー

2.ゲッゲッ ゲゲゲのゲー
  昼はのんびりお散歩だ
  たのしいな たのしいな
  おばけにゃ会社も仕事もなんにもない
  ゲッゲッ ゲゲゲのゲー
  みんなで歌おう ゲゲゲのゲー

3.ゲッゲッ ゲゲゲのゲー
  夜は墓場で 運動会
  たのしいな たのしいな
  お化けは死なない 病気もなんにもない
  ゲッゲッ ゲゲゲのゲー
  みんなで歌おう ゲゲゲのゲー
  みんなで歌おう ゲゲゲのゲー15122626
 この『「ゲゲゲの鬼太郎」の歌』は実にいいですね。熊倉一雄さんの顔と声が浮かんできます。「おばけにゃ学校もしけんもなんにもない」というのは嬉しいな。
 もう孫たちとも仲良く唄える歌です。



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2015年11月03日

私が常時ベルトにつけているバック

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 私がいつもベルトにつけているバックです。3週間くらい前からつけています。中にいくつかのものを入れています。
 これでいつも歩いているわけです。夜眠るときにはこれをはずします。15102304
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 もうこれで何がなくてもすべて対応できます。


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2015年09月13日

私萩原周二の名刺

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 私はときどき会いました方々に名刺をお渡しします。それがこれです。ただ私が特定できるものは、隠しました。そこには紙を貼りました。今でも5日に一度くらい電話が入ります。3年くらい前に折り返し電話をかけたら、韓国語で話すばかりで、さっぱり分かりませんでした。
 メールもみな、ロシア・ヨーロッパ各国・南米諸国、中国、韓国等々で、5年くらい前に英文で、「ひどいメールが入って迷惑しているから、止めさせてほしい」と、その一つのウクライナのプロシキサーバーに出しましたが、返事はありませんでした。
 ただ、そうしたサイトはここのサイドバーにあるサイトで「不良だ」と指摘してきましたが、もう5年前に上限の100件を超えました。今はケータイメールにも入りますから、アドレスも電話番号も名刺には入れていなくて、それのアドレスと電話番号のゴム印二つを常時持参(ベストのポケットに入れて)しています。ときどきそれを押します(これは常時印字できるのです)。私は口で説明も手で書くのも苦手なのですね。15091101
ただこれはずっと続くのでしょうね。



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2015年09月10日

「読めません」と書いたのが読めました

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以下のように書いていたものが、すべて読めました。

註1「塋窟」は読めません。
註2「石棺」は読めません。
註3「海嘯」は読めません。
註4「暈」は読めません。
註5「極冠」は読めません。

「塋窟」は「えいくつ」です。「石棺」は「せっくつ」です。「海嘯」は「かいしょう」です。「暈」は「かさ」です。「極冠」は「きょくかん」です。
 漢字林で必死に調べましたが、それよりもインターネットが一番いいようです。
 そうか、大事なことを知ったなあ。もうインターネットで書いてみることです。
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未来社の「埴谷雄高評論集」全21巻

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 私はこれを「滑車と風洞」まではすべてもっていました。ただ読んだのは「幻視のなかの政治」だけです。いずれはすべて読もうと考えていたわけですが、吉本(吉本隆明)さんと埴谷雄高がいわば喧嘩別れして(前にも述べましたように、最後は埴谷雄高が謝罪しました)、そして私はそのお二人の喧嘩の最初にすべてを売り払いました。
 以下その全巻の名を載せてみます。

「濠渠と風車(ほりわりとふうしゃ)」  発行日: 1957年3月7日
「鞭と独楽(むちとこま)」 発行日: 1957年6月14日
「墓銘と影絵(ぼめえとかげえ)」 発行日: 1961年6月26日
「罠と拍車(わなとはくしゃ)」 発行日: 1962年1月18日
「垂鉛と弾機(くれーんとだんき)」 発行日: 1962年4月23日
「幻視のなかの政治」 発行日: 1963年4月25日
「甕と蜉蝣(わなとかげろう)」 発行日: 1964年7月31日
「振子と坩堝(ふりことるつぼ)」 発行日: 1964年8月13日
「彌撒と鷹(みさとたか)」 発行日: 1966年11月8日
「渦動と天秤(かどうとてんびん)」 発行日: 1968年12月11日
「兜と冥府(かぶととめいふ)」 発行日: 1970年7月8日
「橄欖と塋窟(がらんと註1)」 発行日: 1972年6月19日
「鐘と遊星(かねとゆうせい)」 発行日: 1975年9月18日
「石棺と年輪(いし註2とねんりん)」 発行日: 1976年6月2日
「蓮と海嘯(はすとうみ註3)」 発行日: 1977年11月5日
「天頂と潮汐(てんちょうとうしお)」 発行日: 1980年12月25日
「暈と極冠(註4と註5)」 発行日:1984年5月30日
「雁と胡椒(がんとこしょう)」 発行日: 1990年7月20日
「滑車と風洞(かっしゃとふうどう)」 発行日: 1991年2月20日
「虹と睡蓮(にじとすいれん)」 発行日: 1995年5月30日
「螺旋と蒼穹(らせんとそうきゅう)」 発行日: 1995年9月20日

 最初は早稲田の文献堂で買いました(最後までここで購入しました)。15090206
註1「塋窟」は読めません。
註2「石棺」は読めません。
註3「海嘯」は読めません。
註4「暈」は読めません。
註5「極冠」は読めません。
 なおほかの読みも正確かどうかは分かりません。漢字林で調べても分からないのです。調べたりないこともあるのかもしれません。

 これは定価も高いのですね。これは未来社ではなく、埴谷雄高の意向だったようです。私には読者を馬鹿にしているとしてしか思えません。
 私は会話の中で、吉本(吉本隆明)さんを貶し、私が「じゃあ、誰がいいの?」といって激しく迫ると、最後には「埴谷雄高!」と答えた方が3人います。でもそうすると私がしつこく「死霊」の話をしていくと、その誰もが実は何も読んでいないのだということが分かったものです。15090207
 誰もが学生運動をやったものより、こうした埴谷雄高のほうがはるかに優秀なのだといいたいのでしょうが、テレビで見ていて学生運動を馬鹿にしていた埴谷雄高のような『真のマルクス主義者』の実態は、実に情けないものでした。
 そうしたことをいくつも思い出すものです。



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2015年09月09日

星砂と竹富島のことで

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 私が始めてこの星砂を見たのは、1975年の5月末の沖縄県竹富島ででした。その時に実際に星砂を見て、そしていくつかの小さな星砂の瓶(まだ星砂ばかりでした)を買いました(ただこのときの小さな瓶は誰か数人にあげました。私の弟とその彼女が「本当に星の形をしているんだ」と喜んだのを覚えています)。ここにあげた二つの星砂は、「ザ・ブーム」が沖縄那覇で公演をしたときに、ばあばとおはぎとブルータス(まだ二人とも子どもがいないのだから、もう随分昔のことだ)が行きまして、私に御土産で持って来てくれたものです。
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 ただ私が行きました1975年のときに、コンドイ浜にいたら、ある人が軽トラックで小さなブルトーザで浜の砂をかき集めていました。星砂をとっているのです。もう今はやっていない、もうできないでしょうが、嫌な思い出です。
 私のこの二つの星砂は、今の私のすぐ後の本棚に置いてあります。
 インターネットで「星砂」と検索しました。「竹富島」も検索しました。それがここにあげましたものです。それと竹富島の景色も載せました。15090610
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2015年09月06日

今回の東京オリンピックのエンブレム問題

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 2020年の東京オリンピックなのですが、ここの2番目の画像が不採用ということで、使われないことになりました。私は最初にベルギーの方から異議が出たというときに、今回の提案の画像とベルギーの方のすでに使われている画像を見比べて、「これは駄目だ」と声を上げました。私も32歳から数年赤坂の広告制作会社(親会社は大きな広告会社)の責任者をやっていたのです。
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 そのとき、2020年の東京オリンピックに携わる方の言を聴いていて、「こりゃあ、素人ばかりなのだなあ」と思ったものでした。
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 とにかく、まずこの不快に思ってしまうエンブレムが取り下げられたのは、いいですが、次のものを早急に決めてほしいです。15090209
 もっと選考段階から、公開してほしいです。


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印鑑のことで

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 私は一つ前のUPで、印鑑がいいということを書きました。私はここに載せました私自身の署名も印鑑にして、それで押印しているのです。
 私の従姉妹の一人がドイツ人と結婚しているのですが、彼は日本びいきで、印鑑を使っていました。私の両親の家の隣家の娘さんがギリシア系米国人と結婚したのですが、あるときに印鑑を押してもらうことがあったのですが、もうカタカナの姓名の印鑑を使っていました。私の「どうして?」という視線に、その旦那様は「もう日本では印鑑がないと生活できません」というのです。
 私の父の葬儀のときに、その娘さんは「クリスチャンですから」と合掌するのですが、でももう印鑑はなくてはならないものなのです。15071207
 そして私の使うハンコはどれももう朱肉も何もいりません。私の4人の孫ももうそうしたハンコをプレゼントしました(4人とも名前だけのハンコです)。もちろん4人ともいづれは自分でつくるでしょう。でも今はこれでいわば、あちこちに押しているのです。15071208


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2015年09月05日

私の「萩原周二」という署名

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 私は常に自署するときに「萩原周二」と書くのですが、でも字がもう嫌になるほど汚い字なので、常に印鑑ですめば、それでいつもやっています。手紙はよく書くのですが、これはパソコン印字ですからいいのですが、でも1か所だけ自署しなければなりません。でも仕方ないから、汚い字でそれに印鑑を押して済ませています。日本にこの印鑑というものがあってどんなに助かっていることでしょうか。
 でも自分の署名もなんとか、したい、なりたいと思ってきました。それでここのサイドバーにある「署名ドットコム」で私の署名を作成してもらいました。本当はこれで練習しないとならないのですが、そんなことをやるわけがありません。そこで、この署名の印鑑を作ってもらいました。もうこれで手紙も押していきます。
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 手紙も「書く内容だ」なんていえる私ではありません。だから私は内容を大量に書くのです。パソコンだから、それは可能です。でも1行自分の署名だけが嫌でした。でももうこれでいいでしょう。そして私は押印を加えるのです。
 これで勘弁してください。



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2015年09月02日

星砂の島「竹富島」

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 以下に書きましたが

   http://shomon.livedoor.biz/archives/52188036.html
     昨日の「日の丸」の会合
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 私は過去この日の丸土建が行きました沖縄へ行ったのです。行った先は、沖縄北部の名護市久志でした。その村は東シナ海ではなく、太平洋に面したところでした。
 そこで毎日土方作業をするなか(米軍基地の内外で、海洋博へ送電線を作る仕事でした)、当時の私の彼女が迎えに来てくれて、その娘と那覇空港からさらに南島の石垣島、その島のそばの竹富島に行きました。15083103
 島の港(何もない、この4番目の画像)へ着いて、トラックに乗ると、「あなた方、今日泊まるところがあるの?」と話しかけてきたのが、新田さんでした。私たちは、彼の家へ行くことになりました。それがあと(何年もあと)で、新田荘と言われるようになっていました。15083105
私がここで泡盛を頼むと、驚かれました。沖縄の人は何故かまずい日本酒が好きだったのです。あ、「まずい」というのは日本酒の大銘柄のものばかりがあったものでした。
 ただし、オリオンビールだけはよかったものでした。
 次の日は石垣島の北部の村へ行ったものでしたが、そこも素敵なところでした。


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2015年08月30日

昨日の「日の丸」の会合

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 昨日2015年8月29日(土)に「日の丸土建」の久しぶりの同窓会でした。会場は千代田区飯田橋駅前の「茶き茶き 飯田橋駅前店」です。ここのサイドバーにバナー(私が勝手にバナーとしました)が置いてあります。
 北は秋田県湯沢市から、南は沖縄県からも来てくれました。懐かしいお顔と会えました。お話できました。
 さすがみんな年をとりました。ただ私なんかが最長老のほうなのかなあ。帰りはタクシーで野村和正さんが送ってくれました。
 でも楽しい同窓会でした。
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2015年08月29日

いくつものシーサー

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このシーサーは私の長女おはぎが作ったものです。この家のリビングのテレビの下にあります。もっとたくさんのシーサーがあったと思っていたのですが、今の私の家ではこれしかないのです。こんどおはぎの家でも撮ってきましょう。
 ただし、もう私の家にはおはぎの作ったものがシーサー以外にもたくさんのものがあります。今度また撮ってみましょう。
 シーサーは獅子です。これを沖縄ではこう言ったのですね。ただし、そんなに古いものではなく、江戸時代の最初の頃から存在したようです。15082911
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 沖縄の家では必ず屋根にのっています。そこではこうして、一対ではなく、一匹でいるようです。
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私の好きな沖縄

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 私が沖縄を訪れたのは25歳の時でした。私は埼玉大学を出たあと、ある印刷屋に勤め、辞めて浦和で飲んでいたのですが、急遽東京駅から汽車にのり、名古屋・京都・大阪と飲み続けました(それぞれの街をけっこう歩きました)。鹿児島で知っている友人の店でも飲み(そこのお母さんが私の母を懐かしく思い出してくれました)、鹿児島港から船で沖縄へ向かいました。この船の中で読んでいた『トゥキュディテス「歴史」』は実によく覚えています。
 それで那覇に着いて、泡盛の二日酔いの中で気がついたのは、もうヘルメットをかぶって塔に登っているときでした。15082902
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 あそこの飯場では、ただただ泡盛を飲み(昼はオリオンビールでしたが)、米軍用飲み屋で(辺野古社交街というところでした)のみ、そしてけっこう手紙を書いていました。 当時の彼女が来てくれて、竹富島、石垣島も行きました。竹富島の新田荘もよく思い出します。15082907
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 私は沖縄が大好きです。ただ私は奄美含めた南島が好きなのです。私はこうして南島が好きでいるのは、もちろん島尾敏雄、そして柳田国男、そして吉本(吉本隆明)さんのおかげです。


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2015年08月27日

私の好きな秋田

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 私は日本中をあちこちですごしました。秋田、札幌、名古屋、鹿児島、横浜、浦和、沖縄、船橋、我孫子、東京北区………等々です。私が好きなのは、秋田と沖縄です。
 そこで、この画像を載せます。15082602
 そして私の母は、私に「周二(しゅうじ)」ではなく「千秋(ちあき)」という名前をつけたかったようです。それで最初東京豊島区巣鴨から引越しした秋田に千秋公園(せんしゅうこうえん)という秋田城のそばの公園に驚いたようです。
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 それと、この秋田から、私の家では秋田犬を飼いだしました。それが秋田から、札幌、名古屋(南区・千種区、北区)、鹿児島、横浜、我孫子と秋田犬と連れて歩きました。全部で200頭を超えていたでしょうか。
 でも思い出しても、いつも秋田犬のことばかりが頭の中に浮かんできます。


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2015年08月26日

私が思い出したことで

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 私が「2015年8月23日のポメラ」で、「テレビで中国人が博多ラーメンで並んでいることで、私が気がついたことがあります」と書いたことです。中国人はこうして静かに並んで待つという習慣になれていないのだと思います。それは中国の人にも韓国の人にも感じます。でもそれで思ったことです。それに私にはやたらに中国人が「痰を吐く」ということがやたらにインターネットを見ていて感じることです。
 でも私は5年くらい前にも、このマンションの前の道(少し広い通り)で路を掃除しているおじいさんが、「どうして人はこういう路でやたらに痰を吐くのか?私は一度もそんなことはしたことがない」と言ったことです。
 そして私は4年くらい前にも自転車に乗った(そのときは駅前の銀行の前だったから押していましたが)若いお母さんが、そこにあった自転車の駕篭に、飲み終わったボトル(小さな缶)を捨てたことを思い出しました。そのときは、その自転車には小学校3年生くらいの男の子が乗っていました。男の子は「お母さん、なんということをしてしまうのだろう」という顔をしていました。実に私はあのお母さんは息子にとんでもないことを見せたのです。その息子はお母さんのしたことを否定するか、肯定するのかもしれません。でもどちらにしろお母さんはとんでもないことを息子にしてしまったのです。15082403
 私はあるときに中国人の若い女性の家で彼女が携帯電話で会話するのを聴いていました。最初はその電話の会話に、普通に感じていたのでしたが、私は次第に「これは相手と喧嘩しているなあ」と感じました。電話が終わった後、聴くと親しい友だちだということで、懐かしく会話していただけなのです。ただそばにいる私には、「喧嘩している」と感じたわけです。そこで私は気がついたのです。私も中学生の頃は、ああいう話し方をしていたのかもしれません。そういえば、私が中学生の頃もやたらに痰を吐く、男の子女の子がいました。15082404
 中国も李白や杜甫、白楽天の時代はおおらかに話せたのかもしれません。でもこうして思うと、今の中国人が「喧嘩している」ように感じてしまう話し方は、実は日本人も私も同じことがあったのです。そこを明確に、認識しないと駄目なのだと私は自分に言い聞かせています。


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2015年08月03日

浴衣(ゆかた)のことで

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私は「2015年8月2日のポメラ」にこう書いていました。

ばあばに話したのですが、昔は(江戸時代も鎌倉時代も平安時代も)風呂に入るのには、今のように素裸にはならなかったのです。

 これはこういうことなのです。

  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
『浴衣(ゆかた)の由来』
浴衣(ゆかた)の語源は、昔、風呂に入る時に着用していた着物、湯帷子(ゆかたびら)からきています。
 平安時代に貴族(高貴の人たち)が入浴時にまとった湯帷子(ゆかたびら)にさかのぼるといいます。
 今のように湯につかるのではなく、当時は、蒸気を浴びるサウナのような蒸風呂で、汗を吸い取るため、またヤケドをしないように麻の薄い単(ひとえ)を着ました。これが「湯帷子」です(本来白っぽい麻地のものにかぎられていました)。
 室町時代には手拭いならぬ「身拭い」(身ぬぐい)と言っていました。
江戸時代になり、町人文化の発展にともなって、ゆかたも進化してきました。
浴衣が庶民の間にひろがったのは江戸後期に風呂屋が普及したことによります。このころは風呂には裸で入るようになっていた。だから浴衣もはじめは湯上りの汗をふき取るために、今のバスローブのように風呂屋の2階などで着ていたものが、次第にそのまま着て外へ出るようになり、下着から外着へとその用途を変えていきました。生地も木綿に変わってゆきました。
  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆15071347
 それで天保の改革のころから、木綿のゆかたがますます発達して(絹を着てはいけないから)、風呂には今のように素裸で入るようになったのです。そしてゆかたで外を歩く姿がもう一般的なのです。
 私は学生の時から、着物で歩いていました。ゆかたで歩くことはまずなかったのですが(今は短パン、ベストで歩いています。ベストのポケットにいくつものものを入れています。IS01は実にもう離せません)、もうこれがないと、どこでもインターネットにアクセスできません。15071348


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2015年08月01日

7月26日の「笑天」の画像

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 私は大昔から、日本テレビの日曜17時30分から18時まで放映されている「笑天」は見ていました。
 それで7月(2015年)26日には、「2015年7月31日のポメラ」に載せた写真で日本テレビの若手アナウンサーが登場して大切りのメンバーといくつものことをやっていました。そのときにデジカメで撮りましたものです。
 そうですね。私は林家木久扇が一番好きかな。15072607
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 三遊亭円楽は、昔青山学院で学生運動のときに共産同叛旗派で私のいました埼玉大学もその拠点校でしたから(少しくどいですが、私は一貫として「反共」です。マルクス主義なんか大嫌い)、実によく知っているのです。


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「2015年7月31日のポメラ」に載せた写真で

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 ここに載せた3つの画像は、

  東覚寺
  田端2−7−3

の前にある仁王なのです。7月25日に谷中に行きましたあとタクシーで北区豊島の自宅へ帰るときに田端駅のそばを通過するときに、私の目には1秒くらい、この赤い仁王様が見えました。私はすぐに「ああ、『赤紙仁王』か」と思ったものでした。
 インターネットでは次のようにありました。

  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
不動堂前にある一対の仁王像は、「赤紙仁王」と呼ばれています。

「赤紙仁王」は、寛永18年(1641年)に僧・宗海が疫病を鎮めるために建てたといわれる石の金剛力士立像で、病のある場所と同じ部位に赤紙を貼って祈願すると病気が治るといわれ、病気の癒えた人はわらじを奉納するならわしがあります。

また、境内には「むらすずめ さわくち声ももゝこえも つるの林の鶴の一声」という太田南畝の狂歌を彫った竹型の石造もあります。
  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆15071344
 こうしてとてもいいところが北区にはありますね。いや、日本中にあるのです。


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2015年07月27日

浅丘ルリ子の「私の履歴書」の7

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『「私の履歴書」の5』を書いていながら、私はどうしても不満でした。私には寅さんとのことがもっと書かれると思い込んでいたのです。でもそれが今日書かれていたのでした。もう私はすぐに読んで、また涙を浮かべていました。
 今日のタイトルは以下の通りです。

(26)寅さん リリーと結婚、かなわず 遺作、がん治療しながら撮影

 この上の画像には以下の「寅さん(左)との最後の共演シーン」のタイトルがあります。なんか悲しいです

 リリーという当たり役をもらった山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズ。「忘れな草」(1973年)「相合い傘」(75年)「ハイビスカスの花」(80年)と出演し、4度目の「紅の花」が公開されたのは95年12月のこと。

 あの作品がシリーズ48作目にあたる同作品が寅さん役を務めてきた渥美清さんの遺作となってしまった。と浅丘ルリ子さんが言われるとおり渥美清さんの遺作だったのですね。
 まだ68歳だったのに………。私も今は67歳です。
 浅丘ルリ子さんは、山田監督に直談判します。

 「山田さん、お願いです。寅さんとリリーをどうか結婚させてやってください」

 私は涙ばかりです。

妹のさくら役の倍賞千恵子さんが涙ながらに寅さんに訴える。

 「いまだから言うけど、お兄ちゃんとリリーさんが一緒になってくれるのが私の夢だったのよ……」


 何故実現してくれなかったのだろう。さくらも強く願っていたはずなのに。
 もうここでは、いくつもの画像を出していきます。私は涙ばかりなのです。
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2015年07月26日

浅丘ルリ子の「私の履歴書」の6

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昨日この『浅丘ルリ子の「私の履歴書」』をUPしようかと思っていました。でも「一日待とう」と思いました。それで一日待ちまして、こうして石原裕次郎さんの画像をここにUPすることができました。
ここのサイドバーにもUPされるでしょうから、やはり石原裕次郎さんの画像を一番目に掲げたいのです。
 この石原裕次郎さんの画像には、「闘病の末、52歳で急逝した裕ちゃん」とのコメントがあります。もう私は涙ばかりです。
「心の恋人」「日活の同志」という文字にも私は涙ばかりです。もう全文を読んで涙ばかりです。どうして神はこんなつらいことばかりを強いるのでしょうか。
 ここにある「不思議な現象」とは、以下のようにありました。

 部屋のドアが音もなくスッと開いたのだ。風もないのに……。
 「あ、裕さんが入ってきたわ。きっと会いに来たのね」
 北原さんが驚いたようにつぶやいた。天国にいる裕ちゃんが私に会いに来てくれたのだろう。独りぼっちで寂しかったに違いない。そう思うとうれしくなって、私の目から再び熱い涙がポタポタとこぼれ落ちた。


 神は残酷だなと思います。もうこれはあまりにつらいことに、私がかってに「神は残酷だ」というだけなのですが。
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 そのほかの『(24)夫婦共演』、『(23)プロ魂』、『(22)初舞台』、『(21)鶴橋監督 TVドラマ、心の闇描く』もすべていいです。
 『(21)鶴橋監督 TVドラマ、心の闇描く』での浅丘ルリ子さんの次のことばで、

「テレビジョンとはギリシャ語とラテン語の合成語で遠くのものを見るという意味」が鶴橋さんの口癖。

私は、自分が何も知らなかったことを大きく知りました。
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2015年07月05日

昨日の「まごころ会保育園」の七夕の会

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 昨日は実にいい時間を過ごせました。園でもらいましたお弁当も美味しく食べました。でも越谷じいじがものすごく孫たちに人気があり、もう越谷へ泊まりに行くと大変でした。でもまた連休に行くということで収まりました(ポニョは行けないので、悲しくて泣いていました)。
 また会いたいな。15070423
 画像は昨日会が終わった時間です。それとポポがかぶった帽子です。


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