将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Category: 周の着物・下駄

2f271b43.jpg 7月18日に、千駄木『浅野』で食事したあと、よみせ通りの『アラスアラサン』でハンカチを買ったあと、この三崎坂の『ひらいや』に寄りまして、この写真の下駄を買いました。これはお店の女将さんが選んでくれたものです。
 こんな下駄を手にしたのは、始めてですが、翌日の根津『海上海』にもこれで行きました。やっぱりこういう下駄を選んでいただいて嬉しいものです。勧められないと、こういう下駄を私が選ぶことはまずありえないですからね。
 でもこの谷中根津千駄木の街はいいです。それに日暮里、西日暮里を加えた(町名ですと、西日暮里ですね)街は歩いていて、とても好きです。

1a0334fb.jpg 私の家族5人は、7月19日に根津『海上海』に昼食を食べにいきました。そのときに、長女の家族3人は、みな帽子をかぶっています。「パパっ、帽子はないの?」と言われて、「あれっ、あったかな、どうだったかな?」と判らない私です。それで「あ、あの帽子屋で買おう!」と言ったのですが、すぐにそんなことを忘れ果て、王子駅まで行ってしまいました。
 そうしましたら、昨日私が午前中、ポコ汰の顔を見に行きましたら、ミツ君がそれから赤羽に買い物に行きました。おはぎとポコ汰は、私たちの家に来ました。
08072102 そしてミツ君は、私にこの写真の帽子を買ってきてくれました。それがこの画像なのです。私はもう嬉しくなって、ずっとかぶっていましたら、さすがに、妻に「家の中で帽子をずっと冠っていないで」と怒られました。
 それで今後は、外出のときには、この帽子を私は冠っています。見かけたらよろしくね。

d1024531.jpg ここに掲げた画像が、7月1日に購入した下駄です。ちょうど千駄木「浅野」に入りまして、すぐに三崎坂の「ひらいや」へ行きまして購入したものです。この店のホームページは、私のこのブログのサイドバーにバナーを置いています。
 私はいつもここで下駄を購入し、そして前の下駄と交換しています。
 それでこのお店で女将さんとお話しまして、彼女が私と同じお歳だということが判りました。私と同じ昭和23年生まれなのです。
08070202 しかし、もうこうして下駄に履き慣れると、もう靴を履く気持になれないですね。

9b7e2435.jpg 先週12日に、ここに写真を置きました下駄を買いました。これはクライアントからのからの帰りに、谷中により、「谷中工芸展」でのいくつかの店を見たあと、前に 下駄を千駄木夜店通りで見つけた で書きました店で買ったものです。
 このお店は、長くおやじさんが病気で休んでいたのですが、しばらく前から開店しているようになっていました。それでやっとこの12日にこの下駄を買えました。これはおやじさんが選んでくれたものです。この下駄は2,000円です。ただし、写真は昨日の夜撮ったものです。
 もう私は嬉しい思いばかりでした。
 この下駄を買って、その下駄を履いて、私は近くの アラスアラサンで、携帯電話入れと、名刺入れ(この名刺入れの中は、こうなっています)を買いましたものです。
 そしてそのあと、古書店で本を買って、浅野で飲んだものです。アメリカ人のラスベガスから来ている老年のご夫婦も来ていました。何か話したような気がしますが、記憶がとだえています。

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 じじとしての私 へコメントナミちゃんから、次のコメントがありました。

1. Posted by なみんと    2007年09月21日 10:59
周さん!おはようございます。

赤ふんの二人を想像すると可笑しいやらなにやら・・みんなが・・確かに感動しちゃうかもしれませんが・・ママは絶対怒りますよ。周さん!これは
禁句です。<じじの楽しい気持ちをぶち壊してゴメンナサイネ>

 ありがとう。まあ、下着はやたらに見せるものではないですからね。それに大人用の赤ふんはありますが(私のこのブログのサイドバーにそのお店のバナーを置いてあります)、こんな小さな赤ちゃん用はないなあ。
 たぶん、お風呂(王子温泉は、温泉のようですが)で、二人で赤ふんだと、みんなに注目されるだろうなあ。
 でも昨日の夜も、長女のところで食事したのですが(もう今は、このマンションの家は、下水道工事で大変なのです)、もうとっても可愛い笑顔を見せてくれるポコちゃんです。ただ、どうしてもじじよりは、ママやパパのほうがいいようです。少しさみしくなってしまっています。

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  谷中の町を歩いているときに に書きましたが、私がこのとき行ったのが、このお店でした。

   オーダーメイド下駄・草履のひらいや

 ここは、前に 谷中で下駄屋さんを知りました で書きました下駄屋さんでした。これは3月9日に始めて行きまして、購入して、そのときから履いていたのでした。
fdece8fe.jpg ここで購入した下駄が、この写真のものです。
 この前に行って購入したのが「いつかなあ?」と判らなくなっていたのですが、このブログで書いていることで、3月9日だと判りました。そして翌日から履いていました。そうすると、私はちょうど4カ月と10日履いていたのですね。

 きょう少し飲みましたが にも載せましたその下駄の画像をここにも掲げました。
 実は私は、もう先日革靴を履いて歩いてみて、靴ではうまく歩けなくなっている自分に気がつきました。
 いや、これはまずい事態ですから、靴でも普通に歩けるように訓練するつもりでいますが、もうだんだん、とんでもないじじいになりつつありますね。いや、おそろしいことに私はこけて転んでしまうのです。
 でもこのひらいやさんで、下駄を買う瞬間のわずかな時間がとても貴重なときに思えたものです。

07031002 昨日3月9日、私は秋葉原から谷中に向かいました。午後5時ごろ夜店通りにつくように急いでいました。私は下駄が買いたかったのです。
 昨年10月13日に鎌倉で下駄を買ってから、もう下駄が実に楽で、これのみで歩くようになっていました。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50801714.html  由比ヶ浜大通りで買った下駄

 それで、このときは、「また鎌倉まで行かないと下駄は買えないのかなあ」なんていう思いでした。だって今住んでいる北区王子でも、私の自宅のある我孫子でも下駄屋さんなんて、どこにもないとしか思えませんでした。
 ただ何かの用があって、谷中の夜店通りを歩いていたときに、「白石履物店」という下駄屋さんを見つけ、私は1月12日に

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50876658.html  下駄を千駄木夜店通りで見つけた

に書きましたように、「ああ、こんないい下駄屋さんがあるんだ」と喜んでいました。
 でも、その後なんどかここを訪れても、いつも店が閉まっています。
 私は私がここの来るのが、いつも飲みに来ることで、早くて午後6時半頃なので、「今度は5時前に来よう」と思い込んでいました。
 それで昨日は午後5時を少し回っていましたが、意気揚々とこの下駄屋さんに急いでいました。でもでも、午後5時5分だったのですが、やはり店が閉まっています。もうこのときの私の消耗感と言ったら、いいようがありません。「一体、いつなら下駄が買えるのかなあ。また鎌倉まで買いにいくかなあ」という思いで、とにかくがっくりきていました。

 それで、いつも飲んでいます「浅野」へ入りました。それで、マスターにこの「下駄屋」さんに入れないから、下駄が買えないということを愚痴りますと、最初は、「じゃ、午前中に来たら」なんて言っていましたが、そのうちに、「じゃ、あそこへ行ってみたら」といいます。団子坂にあり、すぐ歩いていける距離です。
 私はすぐに、「じゃ、ちょっと買ってきますから」とビールもお酒もそのままに、店を出ました。そして数分後次の店に入りました。

   http://www.getaya-net.com/  草履と下駄のひらいや

 いやはや、ここのは実にいい下駄がたくさんあります。いくつもの下駄を見せてくれました。私はもともとださい人間なので、こんなに素敵な下駄を見ても困るだけです。そもそも私は何を買うのにも、ただ一瞬で決めてしまいます。でもこのお店のご主人(奥さまでした。彼女が実際に作っているそうです)はいくつもの下駄を丁寧に説明してくれます。
07031003 それで私が購入しましたのが、ここの画像の下駄です。
 そしてこのお店の名前を聞きましたら、お店の名刺をいただきました。そしてホームページがあることも(名刺にURLが載っていました)、教えてくれました。それで私も名刺をお渡ししまして、私にもホームページがあることをお知らせしました。

 やっぱり、こうして素敵な下駄がたくさんあって、そしてそれを丁寧に作ってくれる方がいるというのは、嬉しいことですね。

 あ、そうだ。この店のホームページは、ここのサイドバーにバナーを置きました。

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 私が学生の時代から着物であちこち歩いていました。でも下駄の姿でもけっして足袋は履かなかったものでした。そういえば、着物の下にも股引き襦袢を付けませんでしたね。
 それで、ある年配の優しい女性が、私に「着物のときには、こういうものは付けてもいいのよ」と下着と足袋を買ってくれました。たしか、大学4年か5年のときだったかと思い出します。
 でもその後、足袋を履くことのないままにきまして、このごろ下駄を履くのに、もう私の年齢では素足ではつらいのです。
 それで我孫子の自宅へ帰って、足袋を探して持ってきました。1足はもう使えないほどくたびれていて、あと2足ありましたから、それを交互にしてはいていました。
 ところがそのうちに一足の一つの足袋がどこかへ行ってしまいました。
 それで困り果て、9日に足袋を買おうと思いました。それで、王子銀座商店街ホームページから 王子銀座商店街振興組合加盟店一覧 を見まして、ながじまや に行きました。
 それでやっぱり履いてみますと、大変に気に入りましたので、昨日13日ももう一つ購入に行きました。

 購入したのは、

   きねや足袋株式会社  埼玉県熊谷市問屋町3-1-7

の「金印綾紺足袋」というものです。
 でもまた領収書をもらってくるべきだなあ。2度買ったのに正確な値段は忘れてしまいました。

 写真は、その今私が履いている足袋です。

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 私は 由比ヶ浜大通りで買った下駄 で書きましたように、この下駄をこのところずっと履いていました。でもこればかり履いているので、だんだんと下駄がちびてきました。さて下駄を買いたいのですが、王子のどこでも売っていません。着物を売っている店はいくつかありますし、そこで足袋は買えますが、下駄はありません。雪駄は売っていますが、下駄はないのです。
 それで、またこの下駄を買うために鎌倉の由比ヶ浜大通りまでいくかと思っていました。
 ところが、12日の夕方、千駄木の浅野に行くときに、夜店通りで、この下駄屋を見つけました。また違う日に来ようと思いましたが、自分に「違う日っていつのことだ」と自問して、また戻って店に入りました。
 店のおやじさんは、すぐにこの写真の下駄を選んでくれました。今思えば領収書をもらっておけば良かったな。領収書があれば、その店の名前も住所も判るからです。今では、もう店の名前すらわかりません。

 浅野で飲んだあと、もう1軒行こうと歩くなか、「そういえばさっきの下駄屋さんはここらへんだったよなあ」と思って道を行き戻りしましたが、もう日が暮れていて、お店も灯を落とすと、もう判らなくなってしまうのです。
 ここの画像が、その私の買いました下駄です。でもとてもいい下駄です。2,000円でした。
 また近いうちに買いにいかなくちゃと考えています。

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 私の 由比ヶ浜大通りで買った下駄まっくまっく のプラムさんからコメントをいただきました。

1. Posted by プラム    2006年10月27日 13:46
周さんが、下駄が無いって騒いでいたので、気にして靴屋さんの前を通ると覗き込んで見るとあります、ありますよ。
人形町駅すぐ側の草履さんには、どっしりした高そうな下駄が並んでいますよ。
春日部でも見かけたよぉ〜。
でも、今回買った下駄は鎌倉でのものだから、履くたびに鎌倉を思い出しませんか。
あ、鎌倉を下駄で歩くのもいいかもしれませんよ。

 ア、そうか、人形町ならあるんだ。ちゃんと見ておけばいいことですね。今住む王子も、私の自宅の我孫子も、下駄を売っている店は思いつきません。
 私が最初に鎌倉に行きましたのは1970年の8月だったと覚えています。私は大学4年生でした。その後大学5年、6年と何度か鎌倉を歩いています。そのときはすべて下駄を履いていましたよ。
 私は京都の街も、沖縄の街もすべて下駄を履いて歩いていました。鹿児島に行ったときに、私の中学時代の友人たちが、「あ、今も下駄履いて、歩いているんだ」と驚いていたものです。あれは1974年の5月のことでしたね。

 これからあちこちを下駄で歩くつもりでしたが、例えば、今住んでいる王子のマンションなんか、下駄で歩くと、廊下での音が気になるのですね。

 それとやはり、着物で歩くことだよなあ。私は大学5、6年の頃は結構着物姿で歩いていたのですが、もうそういうこともなくなってしまいましたね。第一、今はノートパソコンをいつも背負って歩いているじゃないですか。あれを着物ではどうするかというのが問題です。いえ、実は創作着物を作っている方に相談したことがあるのですがね。
 彼女考え込んでいたなあ。
 私はね、着物でも似合うリュックサックを作ってほしいのですね。

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 私はずっと下駄を探していました。
 しかし下駄がないのです。まず下駄屋がありません。それから和服の関係の店でも雪駄はありますが、下駄はおいていないのです。これは浅草まで行かないと駄目かな、なんて思っていました。
 私は中学生のときから下駄でした、もちろん、中学校へは運動靴でいかなければなりませんが、普段は常に下駄でした。
 高校に入学した鶴丸高校でも、運動靴でしたが、生徒会で、生徒が下駄を許可しろと大声でみんなで叫んでいたのを覚えています。当時新設された鹿児島中央高校では、皮靴をみな履いてもいいようになっていて、それが高校の一つの売り物だったようですが、鶴丸高校では、みな下駄を主張していたのです。

 その後、私は横浜の横浜東高校に転入し、でもここでも普段はずっと下駄を履いていました。そして大学もずっと下駄でした。
 でも思いだしても、私はどうだったのか思い出せないことがあります。いつも下駄を履いていたのに、いざデモへ行くとなると、運動靴だったわけですが、運動靴はどうしていたのかな。どっかに置いていたのかな。大学内にずっといたわけだから、どっかに置いていたのかな。
 東大闘争に行ったときには、一体下駄はどこに置いていたのかな。今もこれがさっぱり解明できません。
 それで府中刑務所から保釈で出所して、また逮捕され、また保釈で出所した70年の4月の頃は、赤羽の雪印でアルバイトをしていましたが、あのときは下駄だったと思いますが、靴はどこに置いていたのでしょうか。靴がないと、デモとかゲバルトのときに困るよね。どうしていたのかな。
 北浦和の路上で、何故だったか民青の阿呆を、下駄で殴った思い出があります。だって私よりがたいのいい男なんだもの。下駄で顔を殴ったら、次には警官を連れてきたものでした。

 それで就職しても、相変わらず下駄履いていました。会社の面接受けるときも下駄でしたね。
 沖縄へ行ったときに、さらに南島へ行くときに、南西航空のエアーホステスが私の下駄を見て困っていました。でも仕方ないからそのまま乗ったと思いましたね。

下駄2 この写真の下駄を鎌倉の店で買いましたときに、ご主人は嬉しそうな顔をしていましたね。ずっと解説をしてくれました。でも私は、ずっと昔から履いているのだから、そんなことみんな知っているんだって。でも私は嬉しいから、お話を聞いていました。
 あ、この店の名前ですが、今調べても判りません。領収書をもらっておけば良かったな。しまったなという思いです。あ、また下駄を買いにいけばいいのか。

 さて、これで王子の街を歩くぞという気持でしたが、ところがところが今の都会は大変ですね。面倒ですね。

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 私の 雑記帳:「ふんどし」が今夏の目玉商品 東京・銀座まっくまっく の彼女からコメントをいただきました。

私の4?年の人生の中で、ふんどしを下着としている人は周さんだけで〜〜す。
今年の目玉商品なんていいですねぇ。
でもブームにはなってほしくないな。
赤ふんの周さんと同様の人が沢山いたらつまらないじゃないですか。

 たしかに、「ふんどしをする人が増えた」なんていうことは、ときどき聞きますけれど、実際には「本当かよ」という思いですね。私もときどき質問されたことが何回かあります。「ふだんはパンツしているんですか?」。このたぐいの質問がいくつもあります。でも私はそれこそ、中2のときから、これしかないのですよ。ようするに、もう私の生涯の中でパンツは存在しません。

 前にも書いたことですが、私は東大闘争で逮捕されたときに、留置場では長いものが禁止ですから(なんでも首をくるる怖れがあるそうです)、例えばベルトはだめなんです。同時にふんどしもだめです。でもこのときの東調布署では、何人もの看守がきて、「あ、お前がふんどしの16号か(私は黙秘していたので、東調布16号と呼ばれていました)」なんて言われたものでした。
 その後移管された府中刑務所でも、また各看守の驚いた視線をいつも感じていたものでした。

 でもね、ようするに私の赤ふんはいいのよ。前に柏祭りで、私たちが店をやっていたときに、打ち上げで大きな飲み屋で飲んでいるときに、大勢の若い方のグループの中で、やたらに自分の下のふんどし姿を見せる男がいました。そのうちに、だんだんそれを見るのが煩わしくなってきて、「周さん、ちょっと見せてやったら」といわれて、私は「あ、いいよ」というので、満座の中で、ズボンを脱いで赤ふんを見せました。そのときの、あの若者の驚きといったらなかったですね。その後実におとなしくなりました。だって彼のは、ただの白い下着のふんどしでしかありませんでしたが。もちろん、私もただの下着の普段着です。

 でもコメントをいだだきありがとう。

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