将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Category: 周の詩歌の館

15042803
 雨日嵐山に遊ぶ
186 筏士の蓑やあらしの花衣(天明三)

187 傾城は後の世かけて花見かな(安永九・二・一五)

188 花に舞ハで帰(かえる)さにくし白拍子(安永九・二・一五)

189 花に来て花にい(ゐ)ねぶるいとま哉(安永九・二・一五)

     なには人の木や町にやどりゐしを訪ひて
190 花を踏し草履も見えて朝寝哉
15042804
「傾城」とか「白拍子」という言葉が出てきて私は驚きました。蕪村もそういう世界も知っていたのだ。もう当たり前の教養人だもなのな。教養人はこうした世界にも堪能なのです。これで高杉晋作の「三千世界の鴉(からす)を殺し、主(ぬし)と朝寝がしてみたい」という都々逸を思い出しました。15042805

15042215
 高野(かうや)を下る日
181 かくれ住(すみ)て花に真田が謡かな(安永九・二・一五)

182 玉川に高野(こうや)ヽ(の)花や流れ去(安永九・二・一五)

183 なら道や当帰ばたけの花一木(ひとき)(天明三)

   日暮るゝほど嵐山を出る
184 嵯峨へ帰る人はいづこの花に暮し(安永九)

185 花の香や嵯峨のともし火消(きゆ)る時(安永六)
15042216
 181の真田とは九度山に隠栖した真田昌之・幸村親子のことだとのことです。そうなのか、けっこう知られていたことだったのだな。宮本武蔵もここを尋ねたときに誘われたと聴いています。もう有名なことだったのだなあ。
これで私にはごく親しい世界になってきたものです。そんなことを知っていて、ここに書いている蕪村の存在っていいものだなあ。15042217

15042212
176 花に遠く桜に近しよしの川(天明二)

177 花に暮(くれ)て我(わが)家遠き野道かな(安永二・三・七)

178 花ちるやおもたき笈(おひ)のうしろより(安永九・二・一五)

179 花の御能(おのう)過(すぎ)て夜を泣ク難波人(安永九・二・一五)

180 阿古久(あこく)曾のさしぬきふるふ落花哉(天明二)
15042213
 もう5月になってしまい、私の好きな桜の花を見られません。でも明日5月2日には私の次女ブルータスの家で家族10人で会うことができます。みんな好きだろうケーキ(ちょっとケーキとはいえないのかな)も用意できました(明日到着するはずです)。
 そうした瞬間を用意できて私は嬉しいです。また蕪村の詩を思い浮かべていくでしょう。15042214

15042502
171 まだきとも散リしとも見ゆれ山桜(安永七〜天明三)

172 嵯峨ひと日閑院様のさくら哉(安永七〜天明三)

173 みよし野ゝちか道寒し山桜>(天明二)

174 旅人の鼻まだ寒し初ざくら(天明二)

175 海手より日は照りつけて山ざくら(安永四・二・一〇)
15042801
 こうして山桜が出てくると、本居宣長の「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」を思い出します。この歌にある山桜を思いながら宣長の心を思います。私たちが見ている桜とは違うものなのでしょうね。もっと今の桜のほうが綺麗なようです。美しいと言っていいでしょうね。
 今「愛整骨院」にあわてて行って帰ってきました。私が開始時間を間違えて記憶していたのです。しょうがない駄目な私です。15042802

15042206
 暁台(けいたい)が伏水(ふしみ)・嵯峨に遊べるに伴ひて
166 夜桃林を出てあかつき嵯峨の桜人(安永五・二)

167 暮んとす春をゝしほの山ざくら(安永五・二・二〇)

168 銭買(かう)て入るやよしのゝ山ざくら(安永五・二・二〇)

   糸桜賛
169 ゆき暮て雨もる宿やいとざくら(安永二・三・七)

170 哥屑の松に吹れて山ざくら(安永九・三・二〇)
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 どうしても170の「哥屑の松」の『「哥」をどうやって画面に出そうか』なんてことばかり考えてしまいます。蕪村はパソコンでインターネットに書くなんてことを少しも想定していないのですから、仕方のないことです。でも同様に、これからもたくさんの新しい事態が生まれてくるのですね。そして私にはその私の未来に来るのだろう多くの事態が想像もできません。悔しいと同時に納得もしています。15042208

15041323
161 几巾(いかのぼり)きのふの空のありどころ(明和六)

162 やぶいりのまたいで過ぎぬ几巾(いか)の糸(安永七〜天明三)

163 木(こ)の下が蹄(ひづめ)のかぜや散(ちる)さくら(明和七)

164 手まくらの夢はかざしの桜哉(安永三・一・二七)

165 剛力(がうりき)は徒(タダ)に見過ぬ山ざくら(安永五・二・一〇)
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 162の「やぶいり」って何だっけ?ということで、インターネットで見てみました。ウィキペディアには、以下のようにあります。「藪入り(やぶいり)とは、かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日。1月16日と7月16日がその日に当たっていた。」
「そうか、そうだったな」ということで、こうして正確に知ることはいいです。パソコンとインターネットとウィキペディアにものすごく感謝します。15041325

15041320
156 雛祭る都はづれや桃の月

157 喰ふて寝て牛にならばや桃花(もものはな)(明和年間)

158 商人(あきんど)を吼(ほゆ)る犬ありもゝ花(安永二・三・七)

159 さくらより桃にしたしき小家(こいえ)哉

160 家中衆(かちゅうしゅ)にさむしろ振ふもゝの宿(安永七〜天明三)

15041321
 私は果物は嫌いでした。でもこうして蕪村が桃を書いているのを知り、桃は好きになろうと思いました。
 雛人形は娘二人の家に贈りまして、それぞれポニョとじゅにを思いこれも好きになりました。みーねえが雛人形が誰も見ていないところでお菓子を食べるのじゃないかとこっそり見張っていたことを思い出します。私があげた素敵なお菓子でした。
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15041318
   上巳(じょうし)
151 古雛(ふるびな)やむかしの人の袖几帳(そできちょう)(安永七〜天明三)

152 箱を出る貌(かほ)わすれめや雛ニ対(安永七〜天明三)

153 たらちねのつまゝずありや雛の鼻(安永七〜天明三)

154 出代(でがわり)や春さめざめと古葛籠(つづら)(明和年間)

155 雛見世(ひなみせ)の灯(ひ)を引(ひく)ころや春の雨(明和六)
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 こうして蕪村の俳句を詠んでいきますと、俳諧をどうしても思うのです。今は五七五で文字を並べただけでは俳句とはいえないのでしょうが、石川力夫が府中刑務所の独房の壁に「大笑い三十年の馬鹿騒ぎ」と書いて自殺したことを思います。私のいた府中刑務所にもあんなことがあったのですね。私の孫じゅにが最初府中の東京子ども病院へ救急車で運ばれたのですが、そのときにタクシーの中から府中刑務所の壁を見て、ちらとこのことも思ったものでした。K15041567

15041801
146 つゝじ野やあらぬところに麦畑

147 つゝじ咲て石移したる嬉しさよ

148 近道へ出てうれし野ゝ躑躅(つつじ)哉

149 つゝじ咲て片山道の飯(めし)白し

150 岩に腰我頼光のつゝじ哉
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 こうしてつゝじの季節になったのですね。150で大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)を退治した源頼光(みなもとのよりみち・らいこう、948〜1021年8月29日)が出てきます。典型的な摂津源氏ですね。酒呑童子は越後の生まれとも言われています。鬼ではなく、大盗賊だったのでしょう。この鬼退治をした中に坂田金時、金太郎がいました。
 ここには、その源頼光と酒呑童子の画を載せます。蕪村の時代にはこうした伝説がもう今と同じ物語になっていたのですね。
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15041329
   加久(かく)夜長帯刀(やたちはきのをさ)もの也けり。古曾部(こそべ)の入道はじめてのげざんに、引出物見みすべきとて、錦の小袋をさがしもとめける風流などをおもひ出(いで)つゝ、すゞろ春色にたへず侍れば
141 山吹や井(ゐ)手を流るゝ鉋屑(天明二・一二)

142 居(すわ)りたる舟を上ればすみれ哉(明和年間)

143 骨(こつ)拾う人にしたしき菫かな(安永七〜天明三)

144 わらび野やいざ物焚(たか)ん枯(かれ)つゝじ(明和年間)

145 野とゝもに焼(やく)る地蔵のしきみ哉(明和年間)
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 これはどの句もその絵が見えてきます。143を詠んで、私も何度も骨を拾ってきたものです。ああ、あの時はどうだった、彼の骨はこう拾った、彼女の骨はこうだったと思い出したものです。思い出せば、何度もあるのですね。
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15041305
136 うつゝなきみごゝろの胡蝶哉(安永二・一・二七)

137 暁の雨やすぐろの薄(すすき)はら(安永五)

138 よもすがら音なき雨や種俵(安永九・二・一五)

139 古河の流を引(ひき)つ種おろし(安永九・二・一五)

140 しのゝめに小雨降出す焼野哉(明和年間)
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 これを読んで、少しは俳句というものが江戸時代の庶民にも身近になってきた気がします。そうして俳句はみんなに親しまれてきたのかなあ。いやこれらは私にはよく分からないのですが、芭蕉の時代よりは前に進んだ気がしています。
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15041201
131 閣(かく)に座して遠き蛙をきく夜哉(安永四、二)

132 苗代(なわしろ)の色紙に遊ぶかはづかな(天明二)

133 日は日くれよ夜は夜明ケよと啼蛙(天明三・二)

134 連哥(れんが)してもどる夜鳥羽の蛙哉(天明三)

135 独鈷(とくこ)鎌首水かけ論のかはづかな(明和八)
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 135の「独鈷(とくこ)鎌首水かけ論」とは六〇〇番歌合わせの際のある二人の論争を言うようです。「あれは水掛け論だ」と見られてしまうことが当時もあったのですね(今もあるのですが)。15041302

15040705
126 野ばかまの法師が旅や春のかぜ(安永七、九)

127 片町にさらさ染(そむ)るや春のかぜ(安永七、九)

128 のうれんに東風吹(ふく)いせの出店哉(安永八)

129 河内路(ぢ)や東風吹(ふき)送る巫女が袖(安永八)

   几董(きとう)が蛙(かはづ)合(あはせ)催しけるに
130 月に聞(きき)て蛙(かはづ)ながむる田面(たのも)かな(安永四、二)
15040706
 126の「野ばかま」というのは註にこうあります。「武士の旅行用に着用した袴」ということです。なるほどなあ。127の「さらさ」は南蛮渡来のシャムロ染めという華麗な染色ということです。これもなるほどなあ、と思います。
15040707

15040701
121 大津絵に糞落としゆく燕かな(安永七・一二)

122 大和路の宮もわら屋もつばめ哉(安永八)

123 つばくらや水田(みづた)の風に吹(ふか)れ側(がわ註)(安永三・二・二一)

124 燕啼て夜蛇をうつ小家哉(安永二・二)

   無為庵会
125 曙のむらさきの幕や春の風(安永七、九)
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(註)この字も違うのです。白の下に八を書くのですが、漢字は見つけられましたが、将門Web上に書くことができません。そして読みは今回は「がは」です。
 こうして今回も「大和路」という言葉から関西を思います。今回も「ああ、そうだ。蕪村は関西なのだよなあ」。また芭蕉の「奥の細道」を思うのです。
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    懐旧
116 遅き日のつもりて遠きむかしかな

117 春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉

118 畠(はた)うつや鳥さへ啼(なか)ぬ山かげに

119 耕(たがやす)や五石の粟(ぞく)のあるじ貌(註)

120 飛(とび)かはすたけごゝろや親雀
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(註)ここも105の註で書きました通りです。
 117の句は「春の海ひねもすのたりのたりかな」と覚えていました。こうした漢字熟語を使うのですね。蕪村の海を見ている視線を思います。この海は大阪湾なのだろうか。そうするとこの蕪村の目の前にある海が私も想像できます。私は鎌倉でウインドサーフィンに乗ったときの海を想像していたものでした。
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15040102
111 畑うちや法三章の札(ふだ)のもと

112 きじ啼くや草の武蔵の八平氏

113 きじ鳴(なく)や坂を下(くだり)の駅舎(えきやどり)

    西山遅日(せいざんちじつ)
114 山鳥の尾をふむ春の入日(いりひ)哉

115 遅(おそキ)日や雉子の下りゐる橋の上
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 111の法三章とは註に前漢の劉邦がその前の秦の苛政を改め法をわすか三章としたことをいうそうです。でも今でも秦の始皇帝は中国では大変にほめられてもいるから、難しいですね。私は蕪村の感じるとおりだと思います。
 112の「武蔵の八平氏」とは、秩父・畠山・長野・江戸・渋谷・川越・豊島・稲毛の八氏だということです。関東は平氏が多いのだよな。いや源家も多いですが。
15040104
 画像はおはぎ家族がディズニーランドから御土産で持ってきてくれたコーヒーです。私はこれで実に40年ぶりくらいにコーヒーを飲みました。また当分口にはしないでしょう。

15033007
    琴心(きんしん)挑美人(びじんにいどむ)
106 妹(いも)が垣根さみせん草の花咲ぬ

107 紅梅や比丘より劣る比丘尼寺(びくにてら)

108 紅梅の落花燃らむ馬の糞

109 垣越(かきごし)にものうちかたる接木哉

110 裏門の寺に逢着(ほうちゃく)す蓬(よもぎ)かな

15033008
 私は108の「紅梅の落花燃らむ馬の糞」ついて、過去こう書いています。

百姓の働くつらさと地車をひいている男の姿を見ている蕪村の視線を感じます。

紅梅の落花燃ゆらむ馬の糞

紅梅の咲く寒い日にも、馬車を動かしている男たちがいます。
こうした蕪村の持つ二つの面、ものを写実的にとらえ表現できる感性と、時代の流れの中のつらい面を知りながら、それをただ見ていることしかできないつらい感性が感じられます。

15033009
こうして蕪村は見ていることしかできない「つらい感性」をいっぱい感じたことでしょう。
 このことを今は私こそが大いに感じているところです。

15033003
101 柴刈に砦を出るや雉の声

102 亀山へ通ふ大工やきじの声

103 兀山(はげやま)や何にかくれてきじのこゑ

104 むくと起(おき)て雉追ふ犬や宝でら

105 木瓜(ぼけ)の陰に貌(註)類(かほたぐ)ひ住(す)きゞす哉
15033004
(註)この字は違うのです。白の下に八を書くのですが、漢字は見つけられましたが、将門Web上に書くことができません。なんか、情けないです。
 きじがいくつも歌われています。でもここでも「俳う」と書いても、「うたう」とは読まないよね。私の父の家の庭には鶯は来ましたが、きじはなかったと思いますね。この蕪村は私より230年昔の人ですが、もう大きく違っているのだなあ。それを大きく感じます。15033005

15033015
   芭蕉菴会
96 畑(はた)うつやうごかぬ雲もなくなありぬ

97 はた打(うち)よこちの在所の鐘が鳴(なる)

98 畑打(うつ)や木間(このま)の寺の鐘供養

   小原
99 春雨の中におぼろの清水哉

100 日くるゝに雉子(きじ)うつ春の山辺かな
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 けっこうポメラにいくつもの蕪村の俳句を書きました。ばあばが帰って来るまで時間があったからです。
「芭蕉菴」とは京都一乗寺村の金福寺に蕪村らに建てられた草庵だということです。江戸深川の芭蕉菴(こちらは芭蕉が建てた)とはえらく赴きが違います(深川の芭蕉菴は随分前に私は訪れました)。いろいろと芭蕉と蕪村は違いますね。それをものすごく感じています。
15033017

15032915
   ある人のもとにて
86 命婦(みょうぶ)よりぼた餅たばす彼岸哉

87 そこそこに京見過しぬ田にし売(明和初)

88 なつかしき津守の里や田螺あへ(安永五・二・二〇)

89 静さに堪えて水澄(すむ)たにしかな(安永五・二・二〇)

90 鴈(かり)立(たち)て驚破(ソヨヤ)田にしの戸を閉(とづ)る(安永五・二・二〇)

15032916
 田螺を売っているのですね。今度食べるときには蕪村を思い出します。こうして田螺を食べるのは日本人だけかなあ。
 ぼた餅を食べるのも日本人だけかなあ。私は今も食べられませんが(もう50数年口に入れていません)、今度は口に入れてみようかなあ。あ、少しだけ口に入れてみればいいのだ。
15032917

15032912
81 玉人(タマスリ)の座右(ざいう)にひらくつばき哉(安永八)

82 初午(はつうま)やその家いへの袖だゝみ(明和六)

83 はつむまや鳥羽四塚(よつづか)の鶏の声(安永七、八)

84 初午(はつうま)や物種(ものだね)うりに日のあたる(明和六)

85 莟(つぼみ)とはなれもしらずよ蕗のとう(明和八)
15032913
 蕪村は私は俳人の中では一番親しい思いでした。でもそんな私の思いを見事私は裏切っています。私は全然分かっていなかったのです。これなら芭蕉もやってみるかなあ。私の安易な思いが見事あわらになるのですね。これは実に情けないことです。
 もっともっと親しくなっていくべきだなあ。
15032914

15032908
76 柴漬(ふしずけ)の沈みもやらで春の雨(天明二)

77 春雨やいさよふ月の海半(安永三・二)

78 はるさめや綱が袂(たもと)に小(こ)で(ぢやう)うちん(明和六・二・一〇)

   ある隠士のもとにて
79 古庭に茶筌(ちゃせん)花さく椿かな(明和六・二・一〇)

80 あぢきなや椿落(おち)うづむにはたずみ(安永三・一)
15032909
 毎回のことですが、今回は79の「茶筌(ちゃせん)」の筌の字を出すのが大変でした。そしてまたそれを単語登録するのも大変なのですね。私は「単語登録」もどうやったらいいのか明確に分からなくなってしまっているのです。
 思えば、こうして文庫本に載せていくのも大変だろうな。活字を作ってしまうのも大変なことです。だから蕪村にはできるだけ、ううん、何をお願いするべきなのかなあ。
15032910

15032904
71 滝口に燈(ひ)を呼(よぶ)声や春の雨(安永三・二)

72 ぬなは生ふ池の水(み)かさや春の雨(安永四・二)

   夢中吟
73 春雨やもの書(かか)ぬ身のあわれなる(安永五・二)

74 はるさめや暮なんとしてけふも有(天明二)

75 春雨やものがたりゆく蓑と傘(天明二)
15032904
この5つの句すべてで「春の雨」「春雨」が使われています。いつもこの3月だと、ヘルマン・ヘッセの「春の嵐」を思い出すのですが(けっこう激しい嵐が吹き荒れますね)、いよいよ春が寒い冬を追い払うのですね。ああ、孫に会ってこの激しい嵐のことも喋りたいな。
 それに私は75の「蓑と傘」の傘は持っているのです。背中のリュックサックには常時傘が入っています。今蓑はどうしようかなあと真剣に思いました。
15032905

15032901
66 蛇を追ふ鱒のおもひや春の水(安永七〜天明三)

   西の京にばけもの栖(すみ)て、久しくあれ果たる家有けり。今は其(その)さたなくて
67 春雨や人住て煙(けぶり)壁を洩(も)る(明和六・二・一〇)

68 物種(もろだね)の袋ぬらしつ春のあめ(明和六・二・一〇)

69 春雨や身にふる頭巾着たけり(明和六・二・一〇)

70 春雨や小磯の小貝ぬるゝほど(明和六・二・一〇)
15032902
 67の「西の京にばけもの栖(すみ)て」ってどういうことだろうと思ったわけなのですが、註にも何もありません。京都の西ということかなあ。
 今は春雨が振る季節なのですね。15032903

15032901
61 橋なくて日暮んとする春の水(安永四・一)

62 春水や四条五条の橋の下(安永七〜天明三)

63 足よはのわたりて濁るはるの水(安永七〜天明三)

64 春の水背戸に田作らんとぞ思ふ(安永七〜天明三)

65 春の水うたゝ鵜縄(うなは)の稽古哉(安永七〜天明三)
15032902
 63の「足よはの」とは女子どものことだと註にあります。62の「四条五条の橋の下」とは加茂川を渡る橋のことかなあ。そう思うと景色が浮かんできます。なんだか京都へ行きたくなりました。そして加茂川(鴨川)を見て先斗町で飲んでいたい気持がわいてきます。
15032903

15032601
56 よき人を宿す小家や朧月(安永三・二・二一)

57 さしぬきを足でぬぐ夜や朧月(安永八)

   野望
58 草霞み水に声なき日ぐれ哉

59 指南車を胡地に引去る日ぐれ哉(安永三・一二)

60 高麗(こま)舟のよらで過ゆく霞かな(明和六)
15032801
 59の「指南車」とは、車上の人が常に南をさすように作った車だといいます。黄帝が蚩尤(しゆう)を討つために作ったものだと註に書いてあります。私は諸葛亮孔明が作ったものだとばかり思っていました。この上の像はその蚩尤です。
 高麗(こま)を私は(こうらい)と読んでいました。しっかり蕪村の俳句も詠んでいかないとならないなあ。
 なお58には制作の年月日は記してありません。15032801
 今玄関の花を撮りました。

15032006
51 折釘に烏帽子かけたり春の宿(安永五・三・一〇)

52 公達に狐(きつね)化(ばけ)たり宵の春(安永七〜天明三)

   もろこしの詩格は千金の宵をゝしみ、我が朝(てう)の哥人はむらさきの曙を賞す
53 春の夜や宵あけぼのゝ其中に(安永二・一・二七)

54 女倶(をんなぐ)して内裏拝まんおぼろ月(明和九)

55 薬盗む女やは有おぼろ月(明和年間)

15032007
「漢字林」ははずすことができません。インターネットで読んだのですが、英語の筆記体を見事書けるのは日本の60代の女性だといいます。米国人はもはや筆記体が大部分実際に手で書けません。フランス人も大部分の人は筆記体を手で書くこと(大文字の筆記体)はできません。今回も53の「哥人」は大変です。「漢字林」とインターネットがあって始めて画面上に記(しる)すことができます。
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15032001
   几董(きとう)とわきのはまにあそびし時
46 筋(すぢ)違(かひ)にふとん敷(しき)たり宵の春(安永七・三)

47 肘(ひぢ)白き僧のかり寝や宵の春(明和六・三・一〇)

48 春の夜に尊き御所を守(もる)身かな(明和六・三・一〇)

49 春月(しゅんげつ)や印金(いんきん)堂の木間(このま)より(安永四・二)

   春夜聞琴
50 瀟湘(せいしょう)の鴈(かり)のなみだやおぼろ月(安永四・二)
15032002
 なんとしてもやりぬく所存です。いくつもの漢字を出すのに「漢字林」とインターネットに頼りきりです。やがては「俺は蕪村についてはやったのだ」といえるだろうと思い、それだけが頼りです。鎌倉で実朝と話すときに、「私は俳諧の蕪村もやったのです」といい、実朝の怪訝な顔を想像します。
15032003

15030606
41 養父入(やぶいり)や鉄○(かね)(註1)もらひ来る傘の下(安永七〜天明三)

42 やぶ入は中山寺の男かな(安永七・一二)

   人日(じんじつ)
43 七(なな)くさや袴(はかま)の紐の片むすび(安永五・一)

44 これきりに径(こみち)尽たり芹の中(明和年間)

45 古寺(ふるでら)やほうろく捨(すつ)るせりの中(安永七〜天明三)
15030607
(註1)「しょう」という字なのですが、「漢字林」で見つけられてもここでは出せない私なのです。なかなか漢字を出すのは大変なのです。
 45の「ほうろく」は焙烙のことです。素焼の平たいなべです。蕪村の目の前ではこうした鍋も捨ててしまう世の中なのです。それを蕪村はこうして俳句で詠むだけなのです。何か今も言えていることかなあ、と思ったものです。
15030608

15030604
   早春
36 なには女(め)や京を寒がる御忌詣(ぎょきまうで)(明和六・一・一四)

37 御忌(ぎょき)の鐘ひヾくや谷の氷まで(安永四・一・二五)

38 やぶ入の夢や小豆の煮るうち(明和年間)

39 藪いりやよそ目ながらの愛宕山(さん)(安永七・一二)

40 やぶいりや守袋をわすれ草(安永七〜天明三)
15030605
「やぶいり」という言葉が出てきます。ウィキペディアでは、次のようにあります。

薮入りとは、かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日。1月16日と7月16日がその日に当たっていた。

 なるほどな。だからこれは1月16日のことなのだなあ。
「守袋」もインターネットで検索します。この画像が出てきて、私は熱心に読みます。
15032501

15030506
31 燈(ひ)置(お)カで人あるさまや梅が宿(天明二)

   あらむつかしの仮名遣ひやな。字儀に害あらずんば、アヽまヽよ
32 梅咲(さき)ぬどれがむめやらうめじややら(安永五)

33 しら梅の枯木にもどる月夜哉(明和七前)

34 小豆(あづき)売(うる)小家の梅のつぼみがち(安永七〜天明三)

35 梅遠(をち)近(こち)南(みんなみ)北すべく(安永六・一・一四)
15030601
 梅を見ています。私もこの季節梅を見ています(記憶にあるのは白梅です)。
 ここの一番上の写真はここのサイドバーにあるメヌエット(我孫子駅北口にあります)のケーキです。今度また行ったときに、義姉や姪やその息子たちに持っていきます。15030602

15022811
 それで私が今読んでいるのは「『蕪村俳句集 付春風馬堤曲他二篇』岩波文庫」です。この文庫本の表紙に以下のようにあります。

俳人は自分の句集など出さなくてもいいというのが蕪村(1716−83)の口癖であったが、実はひそかに自選句集を書き進めていた。しかか死によって未刊、しかもひとり娘の婚嫁の資として頒布されてしまう。長年にわたり自筆句集を求めていた校注者は、約7割を復元、本文庫には、その1055句に「春風馬堤曲」など俳詩3篇を加え一本とした。

 なんかこれを読みまして、ものすごく残念な思いです。「1055句の約7割を復元」というところです。なんとか10割行ってほしかったものです。でもこれはいたしかないというしかないのかな。
 とにかく、私はこうして読んで、私の思いも付け加えてインターネット上にUPしていきます。

15022615
   摺子木(すりこぎ)で重箱を洗ふがごとくせよとは、政(まつりごと)の厳刻なるをいましめ給ふ。賢き御代の春にあふて
26 隅ヽ(すみずみ)に残る寒さやうめの花(天明元)

27 しら梅や北野ヽ(の)茶店(ちゃや)にすまひ取(とり)(安永七・一二)

28 うめ散るや螺鈿(らでん)こぼるヽ卓(しょく)の上(安永七〜天明二)

29 梅咲いて帯買ふ室(むろ)の遊女かな(安永七〜天明三)

30 原八(げんぱち)をわたりて梅のあるじ哉(安永七〜天明二)
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「原八(げんぱち)をわたりて」というのは、大阪市の淀川の渡し場で、桜宮に近いところのようです。私は蕪村を芭蕉と同じように江戸に住んでいた(芭蕉は伊賀上野の出なのですが)と思い込んでいましたが、自分の無知をまた確認しました。
『「蕪村俳句集」5』で、「だが私は新たに知りました。もっと先に知っているべきだったのだなあ」と書いたことですが、「注」を書かれた尾形仂(つとむ)さんがすべてをやってくれたのです。彼のことはウィキペディアで経歴を読みました。芭蕉についてもいっぱい書かれているのですね。15022617

15022608
21 白梅(はくばい)や墨芳しき鴻○館(安永四・一)

22 しら梅や誰むかしより垣の外(安永四・閏一二)

23 舞ヽ(まひまひ)の場(には)もふけたり梅がもと(安永五)

24 出(いづ)くべとして出(で)ずなりぬうめのやど(安永七〜天明三)

25 宿の梅折(をり)取(とる)ほどになりにけり(安永七〜天明三)
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 これも『「蕪村俳句集」4』と同じで「知っています句もないので」というところですが、次第に蕪村になれてきました。もともと好きに思えた俳人だったからなのかなあ。
 だが私は新たに知りました。もっと先に知っているべきだったのだなあ。
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15022605
16 捨(すて)やらで柳さしけり雨のひま(安永四・一)

17 青柳や芹生(せりふ)の里のせりの中(安永六・一)

18 出る杭をうたうとしたり柳かな(明和八)

   草庵
19 二(ふた)もとの梅に遅速(ちそく)を愛す哉(安永三)

20 うめ折て皺手(しわで)にかこつ薫かな(安永三・一二)
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 知っています句もないので、でも焦る思いもなく、読んでいます。今は詠むのではなく、ただ読むだけです。今何故かブルータスを思いました。そしてじゅにのことも思います。今度会えるときには、少しは蕪村の句を紹介できるかな。ブルータスは小倉百人一首はやっていますから、こうしてじいじは俳句も覚えているのだよ(実際は覚えてはいませが)。
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15021983
11 鶯や茨(いばら)くヾりて高う飛ぶ(安永九・一)

12 うぐいすの啼(なく)やちいさき口明(あい)て(安永六)

   禁城春色暁蒼ヽ
13 青柳や我(わが)大君の草(字が違います)か木か(明和九)

14 若草に根をわすれたる柳かな(天明二)

15 梅ちりてさびしく成(なり)しやなぎ哉(天明二)

15021984
 こうして蕪村の句が読めて行きます。嬉しいのですが、でもやっぱり私にはまだ蕪村は遠い人です。ずっと読んでいけば、きっと身近な蕪村になってくれるでしょう。そんな日が早く来てくれないものかなあ。15021985

15021980
6 うぐひすソ相(そそう)がましき初音哉(明和八)

7 鶯を雀カと見しそれも春(明和八)

   画賛
8 うぐひすや賢過たる軒の梅(明和九)

9 鶯の日枝(ひえ)をうしろに高音哉(安永三・一二)

10 うぐひすや家内揃ふて飯時分(めしじぶん)(安永五)
15021981
 いやまだ始めたばかりなのに実に大変です。漢字が出てこないのです。「漢字林」ではその字は探せたのですが、漢字そのものは画面上には出せないのです。もうこれは大変な苦労です。ああ、蕪村の俳句を味わうことなんか、私にできるのでしょうか。
15021982

15021975
 私は与謝蕪村の俳句を書き始めました。どうやったらいいのか検討がつかなかったのですが、今まで源実朝『短歌』を書いてきたことが実にいいことに思えたのです。
 私は以前に以下を書いています。
   「『与謝蕪村の詩』
 これでどうやって行くのかが目安がつきました。
 私は実朝の短歌についても、以前に「源実朝『短歌』」を書いています。それで、実朝の全部の歌が載っているだろう『金槐和歌集』をやることになりました。(ただし、一部は載っていません。実朝の最後の日の朝の歌「出でて去なばぬしなき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな」は載っていません。これは厳密には実朝が作った歌ではないでしょう)。15021976
 とにかくまた私はやっていきます。

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1 ほうらいの山まつりせむ老(おい)の春(安永四・一・二〇)

2 日の光今朝や鰯のかしらより(明和九)

3 三椀(さんわん)も雑煮かゆるや長者ぶり(明和九)

   離落
4 うぐいすのあちこちとするや小家(こいへ)がち(明和六・一・二七)

5 鶯の声遠き日も暮にけり(明和六・一・二七)
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 与謝蕪村の俳句をやっていきます。蕪村は私には一番親しんでいた俳句です。俳句には短歌と同様に苦手意識しかなかったのでしたが、なんとかその句の全文を書くことにより、親しんでいけたらいいなと思うものなのです。
15021974

15021970
     道のほとりにをさなき童(わらは)の母を尋(たずね)ていたく泣くを、そのあたりの人に尋(たづね)しかば、父母なむ身まかりにしと答へ侍しを聞て
七一七 いとほしや見るに涙もととまらず親もなき子の母を尋ぬる

     慈悲の心を
七一八 物いはぬ四方の獣(けだもの)すらだにもあわれなるかな親の子を思ふ

     建暦元年七月洪水漫天民愁嘆きせむ事を思ひて一人奉向本尊聊致念と云
七一九 時により過ぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ

15021971
 こうして最後に七一七と七一八の歌を知り、私は大変に嬉しくなりました。私が昔書いていました、「源実朝『短歌』」に書いていた通りです。
でもこれは吉本(吉本隆明)さんが書いていることなのです。それを私はいわば後追いしているにすぎないのです。ただ、私は高校2年のときから、実朝の歌を万葉調の歌として褒め、古今集・新古今をただ貶す正岡子規には大きく異議をとなえていました。思い出せば、古典の先生(これが担任でした)には迷惑だったかなあ。まだ私は吉本(吉本隆明)さんのことは少しも知らないときでした。思えば、それから時間が経ちましたが、こうして読むことができました。
 このあとの岩波文庫「源実朝『金槐和歌集』」には賀茂真淵の言葉が書いてあるのですが、もう読んでみて書く気がなくなりました。
 さあ、次は何をやりましょうか。15031901
 それから、この花は今もここの玄関にあるお花です。ようやく花びらが開いてきたのです。

15021967
七一二 現(うつヽ)とも夢とも知らぬ世にしあれば有(あり)とてありと頼むべき身か

     わび人の世にたちめぐるを見て
七一三 とにかくにあれば有ける世にしあればなしとてもなき世をもふるかも

     人心不常といふ事を
七一四 とにかくあな定めなき世中(よのなか)や喜ぶものあればわぶるものあり

     世間つねならずということを人のもとに読(よみ)てつかはし侍り
七一五 世中(よのなか)にかしこきこともわりなきも思ひしとけば夢にぞ有ける

     日比病(ひごろやまふ)すとも聞かざりし人あかつきはかなく成にけるを聞(き)ヽてよめる
七一六 聞(きき)てしも驚くべきにあらねどもはかなき夢の世にこそ有けれ

15021968
 こうして「巻之下」も終わりに近づいています。これだけの歌を書いて、そして今にまで伝える実朝の思いを私も感じます。そして私の次女のブルータスが生徒にずっと「小倉百人一首」を教えていること、ここに来た孫たち三人がやっていたことを思います(孫たちは「坊主めくり」をやっていたのでしたが)。そのときに、偶然私の手に実朝の「世中(よのなか)は常にもがもな渚こぐ海人の小舟(をぶね)の綱手かなしも」がありました。そしてその時に私は実朝を強烈に思いました。
 吉本(吉本隆明)さんが「源実朝」を書いたことを強烈に思うのです。源家なんていう貴種はもはや必要のないものになっていたのです。そのことを強く感じていただろう実朝はそれでもだからこそこうしていくつもの歌を詠んでいったのです。
15021969

15021964
     千鳥
七〇七 朝ぼらけ跡なき浪に鳴(なく)千鳥あなことごとしあはれいつまで

     桜
七〇八 空蝉の世は夢なれや桜花咲(さき)ては散りぬあはれいつまで

七〇九 いにしへの朽木(くちき)の桜春ごとにあはれむかしと思ふかひなし

     蘆
七一〇 難波がたうきふししげき蘆の葉におきたる露の哀(あはれ)世中(よのなか)

     無常を
七一一 かくてのみありてはかなき世中(よのなか)を憂しといはむあはれとやいわむ

15021965
 こうしてこの「源実朝『金槐和歌集』」も終わりに迫っています。でも私の心はまだ実朝の心に迫り足りません。なんなのかなあ。私にはどうしても空虚感をまだ持ってしまうのですね。まだどうしても実朝には迫りきれていません。
 この空虚感がどうにかならないかなあ。
15021966

15031604
     かち人の橋わたりたる所
七〇二 かち人の渡ればゆるぐかつしかのまヽの継(つぎ)橋朽(くち)やしぬらむ

     故郷の心を
七〇三 いにしえを忍ぶとなしに磯の神ふりにし里に我は来(き)にけり

     まないたといふ物の上にかりをあらぬさまにして置(おき)たるを見て
七〇四 あはれなり雲井のよそに行(ゆく)雁もかヽる姿に成(なり)ぬと思へば

     黒
七〇五 うば玉のやみのくらきにあま雲のやへ雲がくれ雁ぞ鳴(なく)なる

     鶴
七〇六 沢辺より雲ゐに通ふあしたづも憂きことあれや音のみ鳴(なく)らむ

15031603
 鎌倉武士にとっては実朝は、貴族のおぼっちゃんでしかなかったのだろうな。その多くの視線を感じていたことでしょう。そしてそれは母政子の視線にも言えるのです。ただこの『金槐和歌集』のみがありました。少しはいいと感じてくれたのが藤原定家だったのです。それを思うと私は嬉しいのです。15031608

15022809
     又のとし二所へまゐりたりし時箱根の水海を見てよみ侍る歌
六九七 玉くしげ箱根の海はけゝれあれやふた山にかけて何かたゆたふ

     民のかまどより煙のたつを見てよめる
六九八 みちのくにこゝにやいづく塩釜の浦とはなしに煙(けぶり)立(たつ)見ゆ

     浜へ出たりし海人のたく藻しほ火を見てよめる
六九九 いつもかく寂しき物か葦のやにたきすさびたる海士の藻塩火

     山のはに日の入(いる)をよみ侍ける
七〇〇 紅のちしほのまふり山のはに日の入(いる)ときの空にぞ有ける

     二所詣下向に浜べの宿の前に前川といふ川ありなが雨ふりて水まさりしかば日暮てわたり侍し時よめる
七〇一 浜べなるまへの川せろ行(ゆく)水の早くも今日(けふ)のくれにけるかな

15022807
 六九八と六九九の「塩」が二つとも違う「しほ」(この二つは同じ字です)なのだが、画面上に出せなくて困ってしまいます。前にも同じことがありました。
 でもこうして六九八の「民のかまどより煙のたつを見て」を見ると、「実朝もそうした民の家を視ていたのだなあ」と思い少し嬉しくなります。
 私は昔から鎌倉の海は見ているのですが、今度行くときには実朝の視線で見てこようと思いました。
15022808

15021960
六九二 年ふれば老(おい)ぞたふれて朽(くち)ぬべき身は住江の松ならなくに

     屏風の絵に野中に松三本生ひたる所をきぬかづける女一人とほりたり
六九三 おのづから我を尋ぬる人もあらば野中の松よみきとかたるな

     三崎という所へまかれし道に磯辺の松としふりにけるを見てよめる
六九四 磯の松いくひさゝにかなりぬらむいたく木だかき風の音かな

     ものまうでし侍り時磯のほとりに松一本ありしを見てよめる
六九五 梓弓いそべに立てるひとつ松あなつつれづれげ友なしにして

     あら磯に浪のよるを見てよめる
六九六 おほ海の磯もとどによする波われてくだけてさけて散るかも
15021961
 もうこうして「巻之下 雑部」の140にいたりました。六九六の「あら磯に浪のよるを見て」とは実朝の前にはどんな景色が見えていたものなのでしょうか。鎌倉の海を思います。私が鎌倉で今見るのと同じ景色なのでしょうね。
15021962

15021957
     雑歌中に
六八七 世にふればうきことの葉の数ごとにたえず涙の露ぞおきける

六八八 嘆(なげき)わび世を背くべきかた知らず吉野の奥も住(すみ)うしといえり

六八九 いづくにて世をばつくさむ菅原や伏見の里も荒ぬといふ物を

六九〇 春秋はかわりゆくともわたつ海(み)のなかなる島の松も久さしき

     屏風歌
六九一 とよ国のきくの浜松老いにけり知らずいく世の年か経にけむ
15021958
 六八七の「たえず涙の露ぞおきける」というところで、いくつも同じだなということを感じます。実朝はいつもこう感じていたのだろうな。義時は「面倒な貴族のおぼっちゃんだなあ」と絶えず思っていたことでしょう。
 それがこの鎌倉という地だったのですね。父頼朝を殺した関東武士団は恐ろしい存在だったのでしょうね(今も関東武士団が頼朝を殺したとは確認されていませんが)。
 実朝をいつも思い浮かべます。15021959

15021951
      相州の土屋と云(いふ)所に年九十にあまれるくち法師ありおのづからきたる。昔語(むかしがたり)などせしついでに身のたちゐにたへずなむ成(なり)ぬる事をなくなく申し出ぬ。時に老といふ事を人々に仰せてつかうまつらせし次(ついで)によみは侍し
六八二 我いくそ見し世の事を思ひ出のあくるほどなき夜の寝覚に

六八三 思ひ出(いで)て夜はすがらに音(ね)をぞなく有し昔の世々のふること

六八四 中々に老いはほれても忘れなでなどか昔をいとしのぶらむ

六八五 道とほし腰はふたへにかヾまれり杖にすがりてこヽまでもくる

六八六 さりとも思ふ物から目を経てはしだいしだいに弱る悲しき
15021952
 六八五の「腰はふたへにかヾまれり杖にすがりて」というのはまだ若いだろう実朝がどうして歌うのかなあ。いくらこうして読んできても実朝の真実の姿は私にははっきり見えてきません。
 ただ、私も実朝の歌にかかりきりにもなれないから、はっきりとは実朝の歌も気持も把握できていません。ただただ読んでいくだけなのだなあ。
15021953

15021947
     大嘗会の年の歌に
六七七 黒木もて君が作れる宿なれば万世ふともふりずも有なむ

六七八 いまつくる黒木のもろやふりずして君はかよはむ万世までみ

     太上天皇御書下預時歌
六七九 おほ君の勅(ちょく)をかしこみちゝわくにこころはわくとも人にいわめやも

六百○ 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

六八一 ひむがしの国にわがをれば朝日さすは藐姑射(はこや)の山のかげとなりにき
15021948
 ここまで書いてきてもまだまだ私には実朝の歌を理解するのはほど遠いのです。仕方のないものです。ただ読むだけではなく、こうしてその「実朝の歌を手で書いていけば少しは理解できるかなあ」と思っていましたが、まだまだ理解するのには遠い世界のようです。でも私はこうして書くしかないのです。歌を読むだけではなく、書いていくほうが理解することに近ずけると思っているのです。
15021949

15021938
六七二 君が代に猶(なほ)ながらへて月きよみ秋のみ空のかげを待たなむ

六七三 万代に見るともあかじ長月の有明の月のあらむかぎりは

六七四 朝ありて我代はつきじ天の戸や出(いづ)る月日の照らむかぎりは

六七五 君が代も我世もつきじ石川やせみの小川のたえじと思へば

六七六 宮柱ふとしきたてて万代に今ぞさかえむ鎌倉の里
15021939
 こうして実朝はいくつもの歌を詠みます。私には苦手意識しかなかった詩歌ですが、こうしてここまでいたりました。ただただ実朝に感謝します。実朝のおかげで、今後「古今集」にも「新古今集」にも与謝蕪村にも迫ることができるでしょう。
 ただそうした詩歌はどのように解明していくのかは、私には大きな課題です。
15021940

15021935
六六七 相生(あひおひ)の袖のふれにし宿の竹よゝは経(へ)にけりわが友として

     寄苔祝という事を
六六八 岩にむす苔のみどりの深き色をいく千年までと誰(たれ)か染めけむ


六六九 たまだれのこがめにさせる梅の花万代(よろづよ)ふべきかざしなりけり

     桜花さけるを見て
六七〇 宿にある桜の花は咲にけり千とせの春もつねかくし見む

     慶賀の歌
六七一 ちヾの春万(よろづ)の秋にながらへて月と花とを君ぞ見るべき

15021936
「相生(あひおひ)の袖のふれにし」って、どういうことだろうと漢字林で調べました。「ああ、そうか」なんていいながら、実は分かっていないのかもしれません。800年の昔が実は私には正確には分からないのかもしれません。
 梅の花、桜の花は見ているのですが、よく私には分かっていません。今年の3月から4月初めには鎌倉の桜を見に行こうかなあ。
 実朝は私に歩いて花を見ようとする意欲をわかせてくれるのです。
15021937

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