周の雑読(漫画・コミック)備忘録

2015年12月06日

「ゲゲゲの鬼太郎」のこと

15120501
 水木しげる(1922年3月8日〜2015年11月30日)さんが亡くなったというニュースを聴いたとき私はもうただただ動揺しました。どうしてなのだろう。ニューギニア戦線・ラバウルでは片腕を失いながら生きてこれたのに、なんだか悔しく寂しい思いです。15120122
 ただ私はNHKテレビで「ゲゲゲの女房」を見たことが実に懐かしく思い出されます。 主役の松下奈緒・向井理さんはこれで私は大ファンになって、もうほかの水木しげるの漫画も戦争の思い出も読んだものでした。15120124
 それで私はすぐに画像を求めて、12月2日の私の「縄文時代と弥生時代」という書き込みに、3つの画像、砂かけばばあと一反木綿とこなきじじいをUPさせてもらったものでした。15120123
 いままた深く合掌しました。



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2012年10月25日

つげ義春『つげ義春作品集』

12102512 一昨日どうしてかつげ義春のことが頭に浮かび、それで何故か私の後にある本棚にこの本がありました。
 でも読もうと思いましたが、「多分、今の俺ではみんな読めないだろうな」と思ったものです。

書 名 つげ義春作品集
著 者 つげ義春
発 行 平成八年七月十日
定 価 1,200円
発行所 日本文芸社
読了日 1996年7月10日

 やっぱり今また読みましたが、気持が暗くなり本を閉じました。なるべく見て読んで、笑うようにしているのですがね。私はこの本が発行されたときにすぐ購入して読んだように思いました。
 作品は以下が掲載されています。

  隣の女
  散歩の日々
  少年
  ある無名作家
  近所の光景
  池袋百点会
  石を売る
  無能の人
  鳥師
  探石行
  カメラを売る
  蒸発12102513

 読んでいると、どうしてもつらいです。
 昨日インターネットで検索しました。「たしか弟さんも漫画家だったよな」。
 でも検索すると、私のサイトが出てきました。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51914280.html
      つげ義春『無能の人』

 でもこの本も今はありません。
もっきり屋の少女」「ゲンセン館主人」「李さん一家」「ねじ式」みんな私に12102514は、印象深い思いがあります。
「もっきり屋の少女」での「ガンバレちよじ!」なんていつも私は口からでますね。

 弟さんのつげ忠男さんの漫画作品もガロで随分みていた思いがあります。



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2012年10月15日

佐々木倫子『おたんこナース』

12101404 これの第1巻を読んだときに、久し振りに愉しい漫画を読んだという思いでした。

書 名 おたんこナース全6巻
著 者 佐々木倫子
原案・取材 小林光恵
発行所 小学館

 新人の看護婦の物語です。この主人公のナースのことが読んでいる人は誰でもが好きになってしまうと思います。
 1巻で、尿瓶の匂いを嗅いでいる彼女の懸命な姿がいい。もっともっていろいろといいところがたくさんあります。

 3巻を読んだときは、1、2巻を読んだときよりも、なんだか迫力が薄らいだ感じを持ちました。読み終わった途端、私は子どもたちに言いました。

   これは漫画というより、小説なんだね

 ひとつひとつのお話を読んでいると、宮部みゆきや北村薫の短編ミステリを読んでいるときのような優しい気持になってきます。淡々と過ぎていく病院の生活の中で、それこそたくさんのさまざまな人生と出来事が起きていくのが、それこそ淡々と描かれていきます。これが迫力がなくなったと、私が感じるところなのでしょうか。いや、むしろ私もこの物語の熱心な読者になってしまい、そのまま素直に自然にこの話を受け入れてしまっているのかもしれません。
 でも、やはりこの主人公のナースの似鳥ユキエさんがいいな。好きになれます。生まれが茨城県になっているから、私は苗字からきっと筑波山の裏手あたりの出身かななんて想像してしまいます。彼女の寮生活の回想では、母親は彼女に乾燥芋を送ってきます。実は、あんなのを送られたって、故郷を思い出したくもないだろうな、なんて茨城生まれの私は思ってしまいます。
12101405 この3巻では、お医者さんとのからみはなく、すべて患者さんとのお話です。病院というのは、考えてみれば医者よりも看護婦さんとつき合う時間のほうが多いよなと私は思います。だからけっこう医者からではなく、看護婦さんから見た患者さんの姿というのは、けっこう大切な観点であり、面白い世界が展開されているのではと想像します。そんな視点をよく、この漫画では描けているのではないかなとに思いました。

 4巻では、似鳥ユキエの父方の祖母が亡くなり、その葬儀の模様が描かれています。似鳥ユキエの故郷は茨城県の筑波山の裏のあたりではないかと推測しますが、そこでは葬式がかなり私たちが接するものと違います。まずいまでも火葬はせず、土葬だということなのです。数々の変わった風習があって、ユキエはいろいろとこっけいに失敗してしまいます。
 でもこれでユキエは人の死が悲しいことばかりではないということを知ります。病院でいつも「死」に接せざるを得ない看護婦のユキエにはいい経験になったようです。
 なんとなく笑うシーンより涙ぐんでしまうような場面の多い巻でした。

12101406 私はこの漫画は、ある会社の女性社員から借りて読んでいるのですが、まずはその会社の社長宅へ行っているそうです。私のところだと、私の一家4人だけではなく、兄嫁とか姪のところも回るために、まずはその社長を優先するのです。こうしてあちこちでみな読んでいるのです。(2004.03.29)



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2011年05月13日

尾瀬あきら『夏子の酒』

書 名 夏子の酒
著 者 尾瀬あきら
発行所 講談社
全12巻第1巻1988年12月17日第1刷発行

11051302 仕事で徹夜が続いたりして、その仕事が一段落して、何か酒が飲みたいなと思ったときに、どうしても私は飲みたい酒が「日本酒」でしかないないことを、身体から感じてしまいます。
 私はビールもワインもウォッカも焼酎も泡盛も飲みますが、やっぱり疲れたときなどは身体が日本酒を欲しているのです。このどうしても飲みたくなってしまう日本酒なのですが、実際にはどの日本酒でもいいというわけではありません。むしろ酒屋に並んでいる酒ではその味に満足できないものが多いと思います。ごく少数のいい美味しい酒と、大部分のまずい酒があります。そんな美味しい酒を作る酒造を舞台にした漫画があります。
  テレビでも放映された漫画です。

  昭和五十五年(新潟県三島郡久須美酒造)専務久須美記廸氏は、
 杜氏の会合で「昔、亀の尾という名米があった。その米で醸した
 吟醸酒は最高のものだった」という老杜氏の話を聞き、ほうぼう
 を探しまわった末に、長岡の農業試験場で亀の尾を発見したので
 した。
  わずか十本の稲穂を譲り分けてもらい、二年越しの栽培ののち、
 八十俵の収穫を得てそれをもとに『亀の翁』という素晴らしい吟
 醸酒を生みました。
 「酒造りは米作り、米作りは土づくり、土づくりは人づくりから」
 と語る同専務の志を端的に物語るこのエピソードを、なんとか漫
 画で表現できないものだろうかと考えたのがこの「夏子の酒」と
 いう作品の発端です。      (第2巻「巻末に添えて」)

 私は2度読んでみました。なんだか作中の夏子の酒造りに関する熱意と、それを支えているたくさんの人たちの愛に何度も涙が溢れてしまいました。ここまで酒造りに情熱をもつ蔵元があれば、それは間違いなく旨いだろうなと思います。
 この漫画の中に名前だけ出てくる埼玉の神亀酒造の専務さんとはお会いして一緒に飲んだことがありますが、確かに本物の酒造りに情熱をかけている方でした。現実の世界にも、この夏子のような酒造りに命をかけている人がいることは実感できます。

 もう過去の幻だった龍錦という米を必死に栽培して、それから酒を造っていくのですが、その米作りの過程からさまざまなエピソードで話が展開されます。ここで豪田という有機農業を一人でやっている男が登場してきます。この男のやり方を夏子は学んでいき、やがて村全体も同調していきます。私は絵でみる限りは、この豪田という人物は好きなのですが、言っているセリフはどうにも嫌になってきます。

  作物を売って利益を得ようとするなら  それはもう農業ではな
 い (おれたち百姓は儲けちゃいけないのかという問に) いか
 ん!  農作物は飢えの時も飽食の時も分かちあうものでなければ
 ならない まして国や企業の利益追及の手段であってはならない
 !! 農業に金と物の論理を持ち込んではならない!
  生命の倫理に立ち自然に感謝し 質素に生きること………!!
  それが百姓の条件だ

 私がそばにいたなら冗談ではないよというところです。日本の農業をあくまで守ることこそが大事で、そのためには農民はいまのままの姿でいるべきだと言われているようです。ちょうど井上ひさしの言っていることを思い出しました。井上もそんなに日本の田園風景と農業が大事だというのなら、自分で農業に従事してみればいいのだ。農民の一人一人が、都市へでていこうとしたり、あるいは農村の生活を変えようとしたり、自分の好きなようになっていきたいと考えるのはいいことなのです。どうして農民にだけ、つまらない倫理を強制しようというのでしょうか。有機農業が好きならただ黙ってやっていればいいのです。
 この漫画には少しそこのところが感じられるところが「ちょっと危険だな」なんて感じました。いくら世にいわゆるにせものの酒が横行しているといっても、大部分の大衆はそれを飲んできたのです。ただあまりのまずさに、日本酒そのものが誤解されたり、日本酒離れがおきてしまいました。だからこうして夏子のような努力はいいことなのです。

 ただ、いったい夏子はこの「夏子の酒康龍」をどのような価格で販売するのでしょうか。いくらいい酒といっても、私はそれがあまりの値段だったときには、いくら非難されてももっと安い三倍増醸酒を飲んでいくでしょう。本物の酒を追及してきた雑誌「酒」に、その広告面には「酒」が非難してやまない本物ではない酒の大手メーカーがのっていたことを思い出します。 それにしても、この漫画の最後に、やっと夏子が求めた「夏子の酒」が出来るところは感動的です。私もとにかく、こうした酒がのみたくなりました。

  感心される酒よりも感動する酒がつくりたい

という言葉がこの中で出てくるのですが、これはまったくこのとおりです。有機農業も、本物の酒も、どうにも感心させることばかりを考えていて、押し付けがましいのです。私は酒を造るあるいは酒を飲む思想がどうあれ、ただ口にしたときに、無性に感動してしまう、そうした酒に出会いたいものなのです。こうした言葉があることが、この漫画が私に最後まで読ませてくれた本当のところだと思っています。 (1994.11.01)



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2011年05月12日

いがらしみきお『ぼのぼの』

11051202書  名  「ぼのぼの」1巻〜9巻
著 者 いがらしみきお
発行所 竹書房
定 価 1巻〜8巻1冊500円、9巻550円

 私は現在まだ9巻までしか読んでいません。

  ボクはここにいる
  ボクはここにいる
  ボクがここにいるのは
  いるからだ
  ボクがここにいるからだ
  ボクはいればいいんだ
  ここにいればいいんだ
  ボクはいればいいんだ
  ここにいればいいんだったら

 これが1巻の最初にでてくる詩(?)です。
 この「ぼのぼの」は、らっこの子どもの「ぼのぼの」を中心とした、なんといったらいいかのか、そうですね、心がほのぼのとしくるような漫画です。
 私がこの漫画を知ったのは、あるコンサルタントの先生から、

 「なに経営コンサルタントで『ぼのぼの』もしらないの」といわ
 れ、「はあ、いや『日経流通新聞』は読んでるんですけれど、ぶ
 つぶつ...」

なんてことしか言えず、恥いって、いっきに購入し、「なるほど」なんてつぶやいたものです。いつも、新しい巻がでると娘が教えてくれたり、姪が買ってきてくれたりします。
 それで私がこの中の登場人物で、いや登場動物で一番興味があるのがスナドリネコさんです。
 第1巻の紹介欄にはこのスナドリネコさんのことを

  怠惰と自由と健康を愛するネコ。
  すべては謎につつまれているが、いつか明かになるハランバン
 ジョーの過去にすべての読者は感動するであろう。(かどうかは
 わからないが)

とあります。そしてもう7巻あたりになると、そろそろその正体がその過去がはっきりしそうになります。

  スナドリネコさんはね
  傷だらけだったんだよ
  すごく疲れていたんだよ
  動けなかったんだよ
  スナドリネコさんはね
  海から来たんだよ

 よく私たち一家一族その他で、スナドリネコさんてなんなんだろう、過去になにがあったんだろうって話していたものでした。そして私は思っているのです。

  スナドリネコさんはね
  実は吉本隆明なんだよ

 私は毎巻ごとに読むたびに、いつもこのスナドリネコさんのハランバンジョーの過去が明らかになってくれないものかと期待していました。彼の正体は一体何なのか。彼はどこで何をやっていたネコなのか、それが大変に興味あるのです。
 この本の最初に「今回登場する主なキャラクター」というページがあります。以下1巻ごとに、スナドリネコさんの紹介のところを見てみます。

 1巻
  怠惰と自由と健康を愛するネコ。
  すべては謎につつまれているが、いつか明かになるハランバン
  ジョーの過去にすべての読者は感動するであろう。(かどうか
  はわからないが)
 2巻
  あなたが困難で不幸だと思える状況に陥った時、そばにいつも
  平気な顔をしている者がいたらどうだろう。あなたは抱きしめ
  るだろうか。ハラをたてるだろうか。
 3巻
  彼のスキなことは寝ることだ。今回の彼はスキなことにいそし
  んでいる。しかし、これこそが嵐のまえぶれなのである。(か
  どうかはわからないが)
 4巻
  紹介なし。
 5巻
  自分を愚かだと思いながらもそれをしなければいけない時が我々
  にもある。彼はできれば誰も助けたりなどはしたくないのだ。
 6巻
  今回も寝てばかりいます。ワタシのところのネコもそうでして
  ね。寝てる分には罪がなくて結構なもんですよ。
 7巻
  過去を暴かれそうなスナドリネコ氏であるが、最近の若い人と
  いうのは友達の親の職業とかも知らないのが多いそうですね。
  いや関係ないですけど。
 8巻
  残念ながら彼の過去は暴かれない。なぜかというと彼がそうの
  ぞんでいるからだ。
 9巻
  今回も出ません。映画の方の出演でなかなか忙しいようです。

ということで、まだまだ彼の過去はあきらかにはされないようです。しかし、少しずつわかってくるようです。スナドリネコさんは、7巻で

  スナドリネコさんはね
  傷だらけだったんだよ
  すごく疲れていたんだよ
  動けなかったんだよ
  スナドリネコさんはね
  海から来たんだよ

とされるように、海の向こうからやってきたようです。しかも傷だらけで、疲れはてていました。そして島の海岸から絶壁をあがってそこで寝たようです。

  そのあとボクとおとうさんは
  スナドリネコさんを
  繁みの方へ連れて行って
  寝かせてあげたんだよ

  寝ていると思った
  スナドリネコさんは
  薄く目をあけて
  ボクをジーッと見てたんだよ
  ボクは少しはずかしかったなぁー

  スナドリネコさんは
  動けるようになるまで
  川のほとりに住んでいたんだよ

  スナドリネコさんは
  空を見上げながら
  はじめて話をしたんだよ
  「ここは寒い所だな」

  そしてボクもはじめて
  話をしたんだよ
  「おじさんはどこから来たの?」
  スナドリネコさんは
  何も言わないで
  ボクをめずらしそうに
  見ているだけだったんだよ
          (以上8巻)

 9巻でヒグマのカシラにしつこく聞かれて、「実はオレは記憶喪失だったんだ」とスナドリネコさんは告白します。そうすると彼はこのぼのぼのたちの島へ来る前の自分についてはまだ何も思い出せないのでしょう。
 多分彼はこの島へたどり着く前に激しい闘いの中にいたのだと思います。そして敗北してしまったのでしょう。彼の身体が傷だらけだったことがそれを表しています。彼はいまこの島でそのことを思い出そうとしているのだと思います。彼は寝ているばかりで何もやろうとしません。誰にも関わろうとしません。でもどうしてもさまざまなことに自然に関わってしまい、彼が動くと何故か結果として人助け(正確には動物助け)をしているようにもなってしまいます。そして島のみんなが、彼に注目しています。

  ボクたちはスナドリネコさんにジリツのことを聞きてみること
 にした
  スナドリネコさんはねむっていた
   ………………………………
 スナドリネコ「なんだおまえら なにか用か」
 ぼのぼの「スナドリネコさん ジリツってなにかな?」
 スナドリネコ「ジリツ?」
 ぼのぼの「スナドリネコさんもジリツしてるの?」
 スナドリネコ「ウンウン オレか?」
 スナドリネコ「うーん そいつはちょっとむずかしい問題だな」
   ………………(スナドリネコさんは寝てしまう)……
  あっそうだ シマリスくんのおねえさんはすぐ寝たりするのは
 ジリツしてないんだと言っていた
  じゃあスナドリネコさんはジリツしていなんんだろうか だろ
 うかったら
 スナドリネコ「ウンウン どうなんだろうな」
 ぼのぼの「えっ スナドリネコさんは 今寝ていたんじゃないの?」
 スナドリネコ「オレはおきているふりして寝ていたり 寝てるふ
       りしておきてることができるだ」
 ぼのぼの、シマリス、アライグマ「ええっ それはスゴイッ」「よ
                くわからないけど」 (4巻)

 記憶喪失にあるとしても、たしかにスナドリネコさんの身体には過去の何かが残されているようです。やがてすべてを思い出して、この島から出て行くようになるのでしょうか。そのときにはぼのぼのたちはおとなになっているのでしょうか。どうにもあまりに謎だらけなのと、あまりに話の展開がゆったりしすぎています。
 スナドリネコさんが実は吉本(吉本隆明)さんなら、こうして寝ている期間に、「言語にとって美とはなにか」と「共同幻想論」からさらに「心的現象論」に向っているところです。たぶんだからこそ、スナドリネコさんのあの姿は、いま共同幻想と対幻想と自己幻想の3つの軸を構想し、たどっているところなのかもしれません。

  スナドリネコさんは
  おきているふりして寝ていたり
  寝てるふりしておきてることができる
  どうしてそんなことするんだろう
  どうしてそんなことするんだろう
  そんなことをするとどうなるんだろう
  そんなことをするとどうなるんだろう
  どうなるんだろうはジリツできるんだろうだろうか
  どうなるんだろうはジリツできないんだろうだろうか
  だろうだろうかったら             (4巻)

 このスナドリネコさんの正体は何か。彼のハランバンジョーの過去とは何か。いつも気になっています。(1998.11.01)



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2011年05月09日

青木雄二『ナニワ金融道』

書 名 ナニワ金融道  壱
著 者 青木雄二
発行所 講談社

 この漫画はコミック「週刊モーニング」に連載されていた作品です。
 この漫画の壱巻の目次をみてみましょう。

 1発目 会社が倒産してもうた
 2発目 払わん方が悪いんじゃ!
 3発目 カモが荷物まとめて夜逃げした!
 4発目 たとえ逃げてもカモはカモや!
 5発目 金さえ払ろたら文句ないわい!
 6発目 最後に一発、かましたろ!
 7発目 ババ掴まされてしもたがな!
 8発目 金融屋が泣き寝入りすると思うなよ!
 9発目 追い詰めたぞ!
 10発目 ナニワの借金返済法!

なかなか凄まじいですね。
11050819 小さな印刷屋に勤めていた主人公が、会社が倒産したことにより、本音で仕事ができる金融業を天職と決め、その世界にはいっていきます。この金融というのは、いわゆる街金です。
 私も仕事柄、街金と接することあります。私の会社が借りているということではないですよ。クライアントの関係でどうしても接することになることがあるのです。取り立て屋さんともつき合いありますしね。でも私はこれらの筋の人、わりと嫌いにはなれないんですね。まあたちの悪い弁護士なんかよりは、ずっとましな人のほうが多いみたいに思います。どんな職業でもいろいろな人がいるのでしょうけれども。
 この漫画は面白いですね。勿論ほとんど知っていることばかりですが、その知識の総整理になるのでしょうか。
 私いつも思うのですが、税理士や弁護士の先生方もっと勉強していただきたいと思いますね。いやちゃんとしている先生方は勿論いますよ。でも多くは不安ですね。自分で手形も切ったことのない人が、手形のしくみなんか実感として分かるんですかね。
 経営者はいつもいろいろ相談したいんですよ。相談したいけど、「この帳簿屋さんじゃなあ、この会計屋さんじゃなあ」「この先生じゃ六法からしかしゃべれないからな」とあきらめちゃうんですよ。そんな先生方より、まだこのような漫画のほうが役に立ちます。
 私の子どもは娘だけなので、つい女の子の漫画の知識だけになってしまいます。たまにはいろいろ視点変えるのもいいですね

 上は壱巻のみ読んで書いたものです。次の日弐参四卷と読みましたところ、ちょうど参議院選挙のときで、この漫画を引用した文をUPしました。以下がそれです。
                  
92-07-26「こどもじみた甘え」

 92年7月25日(土)毎日新聞夕刊の「近々片々」で

  あす投票。人は、投票率の低い選挙を「低調」と断定できる。
 が、棄権とは無言だから「政治批判が高まる」とか「天下太平な
 んだ」とかは一つの解釈である。投票前の「判断牛歩」と違って、
 「有権者辞職」はこどもじみた甘えに似る。政治の幼児化の温床
 になる。

とありました。なるほどね。でもなんといわれても、いいけど、「政治の幼児化」ってどういう意味なのかな。投票率が99%なんて自治体や国が、55%なんて地域や国より大人だってことかな。そういうことでしょうね。どうせ私は参議院選挙はいきません。(あ、私は小泉郵政選挙から、選挙に行くようになりました)
 ちょうど金曜日から引続きよんだ「ナニワ金融道」の弐卷に市議会議員選挙のことが書いてある。これは傑作ですよ。候補者の一方に金を貸した街金が、日曜日なのに全員出社して、選挙速報を見ます。

 「さあ 選挙速報が出まっせ」
 「ワシら選挙こんだけ関心もって見るのはじめてや!」
 「人はおのれの利害がからんでこそ本気になるものやで!」
 「古井も大手も(この二人が立候補して競っている)ワシらも同
 じでんな!」
 「スポーツの試合見るような気分にはなれんの〜」
 「酒もチビリチビリですわ」
 「あと2時間セーブして飲むのもしんどいもんや」
 「いつもの今頃やったら目一杯飲んであとは寝たらええだけやか
 らなー」
 「古井の当選が決るまでは酔うわけにはいかんで!」
 「そやがな!」
 「オッ出たで」
 「サァやるぞ!」
 「開票率10%ではどないも予想できんな」
 「あと2時間たったら50%にはなるでしょう」
 「開票率50%で400票の差や どっちに転ぶかわからんで!」
 「大手の逆転もあるで」
 「ヨシ桑田に灰原 お前ら古井のガラ押えにかかるんや!」
 「逃がしたらアカンで」
 「わかりました」

 しかし、この選挙の展開は面白いですよ。地域選挙のこと、よく分かる気がします。
 私は毎日新聞夕刊の「近々片々」より、これのほうがまっとうなこと書いているように思えますがね。
 いつも思うのですが、今の政治が汚いから、いまこそ立ち上がるんだ、私たちは清潔なんだなんていうのが私は一番信じられないし、信じないんですね。そんなの戦前にもいたぞ。戦前の大政翼賛会ってなんだったのだ。私はいまもその大政翼賛会がある気持がしますよ。(1993.07.26)



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2011年05月08日

三好銀『三好さんとこの日曜日』

11050703 なんだか読んでいて随分昔を思い出します。昔はみんなこんな感じで生きていたなあ、と。

書  名 三好さんとこの日曜日
著  者 三好銀
発行所 小学館

 三好さんという夫婦と梅という猫の一家の毎日曜日が淡々と描かれます。著者自身の日常のことなのでしょうか。
 私たちが20代の中頃は、みんなこんな感じの生活でした。たいがい同棲していたりして、中には猫買っている夫婦もいて、こんな日常がありました。この漫画と違うところといえば、この漫画では三好夫婦の生活は現代のことだから、部屋数は多いみたいだし、着る服も私たちの時よりたくさんもっているようです。あと違うのは、私たちはしょっちゅう集まっては飲んでいたことでしょうか。
 ちょうど「ガロ」でつげ義春読んだり、漫画アクションの上村一夫「同棲時代」の展開にはらはらしたりしたものです。狭いアパートで泣いたり笑ったり、騒いだりしていたものです。私たち埼大の元活動家連は、実に女性はしっかりしていました。男どもはみんなときどき土方のアルバイトしていたりで、酒だけは毎日飲んでいた。また多くの後輩たちが運動をやっていて、まだまだごたごたしていた時代でした。しかしよく私たちは食事は作っていましたね。夫婦によっては交替でやっているのと、毎日じゃんけんで決めているのもいた。なんだかとにかく貧しくて、悲しかったな。
 でももうそんな生活はなくなってしまいました。もうみんな子どもができたし、もうばらばらになってしまいました。奥さん含めてみんなで集まれるのは、お葬式のときくらいになってきました。

 それがこの漫画を読むと、その時代をまだ今でもそのまま生きているような夫婦と猫一匹の生活があります。あとがきにこのようにあります。

 「まさか自分がこんな職業につくなんて、思ってもみなかった」
 私はこの様な発言を見聞きする度に、不思議で、そしてうらやま
 しくて仕方なかった。一度でいいから、実感としてこの様な言葉
 を行って見たいものだと思っていた。それ位、今までの自分の生
 活が、なんとなく予想通りで意外性に乏しいもののように感じら
 れたからだ。だけど最近、どうもその感じ方は間違っていたのか
 もしれないと思う様になった。

 私はよくクライアントの若い社員などから相談を受けます。「人生は一度しかないのだから、若い今こそやりたいことをやりたい」というようなことです。私はいつもそれに否定的に答えます。人生を一つの職場、一つの仕事で淡々と可もなく不可もなく生きられるならそれが一番いい生き方なのだ、と。きょうと明日のことくらいしか考えず、世界で何が起ころうと、ただ自分の子どものことくらいしか心配せず、ただそのまま老いていくような生活者が一番いいんだ、と。
 私は相談する彼彼女の両親のことを聞きます。たぶん子どものこと考えて、単調に生きてきたと思える親が多いと思います。それは大事で立派な生き方なんだと、私は主張します。そしてあなたもそれを真似ていけばいいのだと、私は言うのです。
 そして大事なのは、そのような生き方が素晴らしいにもかかわらず、実際には誰もそのようには生きてこられなかったということなのです。私の両親には、あの戦争がありました。彼らの親たちにも、大変なことがあったはずです。ただそれをなかなか見ることはできない。子どもからみれば、なんてつまらない単調な生活をおくってきたのかとかしか分からないものなのです。

 三好夫婦と猫の梅にも毎日単調な日々が続きます。別に特別なことは何もおきません。「あの問題でもやっぱり自民党はよくない」とか、「原発は危険だ」などという人物が出てきたり、言葉がならんだりするわけでもありません。夫婦に危機がおとずれる訳でもありません。ときどき梅に何かが起こるくらいです。
 私なんかが、結局やり続けられなかった生活を、この三好夫婦はそのまま続けています。たぶんこのまま続くのでしょう。絵は若い夫婦ですが、本当はもっと年とっているのではなどと想像します。
 とにかく読んでいて悲しく、優しくなれる漫画です。そしてなんだか力強くもなれた感じです。(1993.11.01)



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2011年05月06日

横山光輝『三国志』

11050508 お隣の家から借りて、思わず読み耽ってしまった漫画です。

書 名 三国志
著 者 横山光輝
発行所 潮出版社「希望コミックス」

 やはりこの60巻は読み応えがありました。通して2度読みましたが、けっこう時間がかかりました。
 最初読み始めたときには、「なんだ吉川英治の真似ではないの」と思いました。だが段々読み進むうちに、「三国志演義」そのものから書いているのかなというふしがあります。
 私たちの接する「三国志」というのは、通常羅貫中の書いた「三国志演義」です。そしてさらに我々日本人には吉川英治「三国志」に一番接してきたものだといえるかと思います。この吉川英治「三国志」も「三国志演義」から書かれたものです。
 本来「三国志」というのは、晋の陳寿が書いた「三国志」という歴史の本でした。ただ内容は「演義」とはかなり違っています。三国のうち魏を正統として書いているのです。そして実に簡潔です。いや簡潔、簡略すぎるといっていいでしょう。これがのちの世まで残る名著になったのは、南北朝時代の宋の文帝が、「あまりに簡略」と不満を述べ、裴松之(はいしょうし)という人に、「三国志」の補正をさせたことにあります。このことが、陳寿「三国志」を不朽の名著にしました。
 実にこの裴松之の付けた註こそが、陳寿の書いたものよりも膨大な量であり、実に内容が豊富であり、面白いのです。のちの「三国志演義」も、この裴松之の註から生まれたともいえるでしょう。私たちの知っている「三国志」のたくさんのエピソードは、実は陳寿ではなく、裴松之の註に書いてあるのです。
 ところで、この陳寿作・裴松之註「三国志」は、実は日本で訳されたことは、長い間ありませんでした。日本で初めて全訳されたのは、昭和五〇年代のことです。筑摩書房の「世界古典文学全集」でです。当初は高橋和己が訳す予定だったのです(高橋和巳は亡くなってしまいました)。私は高橋和己の訳でも読みたかった気がしています。
 でも、ということは、すなわち、これだけ日本人に親しまれた歴史物語なのですが、正史「三国志」というのは、この日本でそれを通して読んだ人は、江戸時代、明治時代もまずほとんどいなかったのだといえるでしょう。
 それが今では、いわば正史であろうが演義であろうが吉川英治であろうが、誰でも読め、さらに光栄のパソコンゲームともなっていて、まさしく、このところ永遠に続く「三国志」ブームのような雰囲気があります。そしてそのブームのまた一つの中心が、この漫画である横山光輝「三国志」といえるでしょう。

 これを読んで新しく知ったこともいくつかありました。戦いのときに、銅鑼を鳴らして合図したり、味方を鼓舞したりするのは、なるほどなと思いました。おそらく最初の「てっぽう」も、こうした合図の道具だったのでしょう。そうすると、我が国の合戦では、こうした銅鑼は使っていなかったのかな。太鼓だったのでしょうか。
 また関羽の八十二斤の青龍刀や張飛の一丈八尺の大矛などを、絵でみてみるとよく判ります。ただ、あれで馬上で闘うのは、かなりな苦労でしょうね。一騎討ちのシーンなどをみると、日本の平重盛と源義平との闘いなどとは少し違うようだなと思いました。源平合戦のほうが、華麗な感じがしています。三国志では、なんだか、闘いの場の大地そのものがもっと無味乾燥なところという気がしています。
 それにしても、当初さまざまな群雄たちが集う、中国の大地が、どうしてか諸葛孔明が現れると、雰囲気がまるで違ってしまいます。戦の仕方ががらりと違ってきます。孔明の出現により、三国志は群雄たちの物語ではなく、孔明の世界になってきてしまうのですね。孔明はいつも勝利していますが、どうしても魏を倒すことができません。
 絵を見ていて、関羽、張飛などは、こんな顔していたのかななどと思いましたが、劉備はもっと太っているんじゃないのなんて思いました。董卓はもっと腰の幅が大きかったはずです。私がどうみても、この姿は違うんじゃないかと思ったのは、曹操の部下の、徐晃はもっと優男ではないのか、張コウはもっとひげ顔なような気がする。呉の陸孫はいくらなんでも、美丈夫なはずではないのか。等々のことを思いました。

 この漫画から三国志の世界に入っていくやりかたもあるのでしょうね。おそらくどこかでこれから三国志を見ている少年に会えるような気がします。そのときに、おそらくいろいろなことを言うことが出てくるでしょうね。そんな出会いを今からずっと期待していたく思います。(1998.11.01)



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2011年05月04日

吉田秋生『BANANA FISH』

2017082803書 名 BANANA FISH
著 者 吉田秋生
発行所 小学館フラワーコミック
第19巻1994年10月20日初版第1刷発行

a247f72c.jpg 最後の19巻に「光の庭」という言わばこの物語の後日談とでもいうべき短い話が載っています。「BANANA  FISH」の話が終ってから7年後の話です。私はこれを読んでいて、思わず涙が溢れました。どうにも「女の書いた三国志か」なんて、「BANANA  FISH」を斜にみていたのですが、この「光の庭」で、その思いが消されてしまいました。この物語はやはり、愛の物語なのでしょうか。
この漫画を読み終わった頃、ある夜遅く山の手線の池袋から日暮里まで乗っている中で、こんなことがありました。吊革につかまっている女子高校生3人が声高に漫画の話をしています。あまりに大きな声です。その前にはちょうど30代のサラリーマンが7人座っていました。誰も寝ることもせず、スポーツ新聞を読むこともなく、いわばこの3人の高校生の大声に怒っているようです。全員が「お前等、高校生なら漫画ばっかり読んでんじゃないよ」というような顔つきです。
一人の女の子が一冊の漫画を手にして振りながら、他の二人に「これは絶対読むべきよ」と力説しています。内容を詳しく大声で説明しています。そしてまた違う漫画の話をしています。その大声に、もう「限界に来た」というサラリーマンが何か言おうかなという雰囲気に、私は酔いもあって、機先を制して私は彼女たちに話かけました。メモを開いてペンを持ちました。

あの、急に話しかけてごめんなさい。あなたが先ほど話してい
た漫画の題名を教えてもらえますか。私もぜひ読んでみたいので
す。

女の子たちは最初めんくらってようですが、「さっき話していた漫画ですか?」ということで、教えてくれました。驚いたのは7人のサラリーマン達です。
「もっと大馬鹿の、女子高生にゴマする最悪おやじが登場した」という目で私を睨みます。その視線の冷たいこと。でも私とその3人で会話が始まりました。  ところが彼女たちがあげてくれる漫画の数々を私は一つも知らないのです。それで私は苦し紛れに、「バナナフィッシュならいいなあと思っているんだけど」と言いました。そうしたら漫画を一番喋っていた子が、急にパット顔が明るくなり、

バナナフィッシュは最高ですよ。でもあれ19巻があるの知っ
ていますか(つまり19巻はあとで発売されたのだろうと推測し
ます)。その19巻がいいんですよ。

と教えてくれるのです。そうこうしているうちに日暮里駅についてしまいましたが、私は今、その子の言葉が正しかったことを、自分が流した涙で確認できたように思います。

まずこの物語はニューヨークの少年たちの抗争と大人社会との戦いの物語です。主人公アッシュは名前から予測できるように「アイリッシュ」系の少年グレン隊を率いています。その少年が米国の政治経済まで牛耳ろうかとでもいえるような巨大なマフィア組織と戦っていきます。黒人グループや中国人グループとも抗争したり、協力したりするなか「友情」というような形を作りながら、戦いは推移します。その中でたまたまニューヨークに来た日本人の少年と愛を育んでいきます。画面は殺伐とした殺し合いの中で、でもこの愛と友情が最後まで貫かれていきます。そして大きな特徴は、活躍するのが美少年ばかりであり、女性はまずほとんど登場しないということです。
私はどうしても女性の作家というのは、男を美少年たちをこうした存在と想像してしまうのかという思いでした。随分前にある本屋で女性の作家が書いた「三国志演義」を立ち読みしました(題名も作家名も忘れた)。驚きました。周瑜や諸葛孔明がみな同性愛の世界で描かれているのですね。私はなんだか「なんでこうなるの、こうするんだ」と思ったものです。

   <美少年たちの同性愛>
  わたしたちはこの作品のはじめに、じぶんを虚像に同化させるために、不可避的にじぶんの実像を腐蝕してゆく人物たちのうごめく世界を求めたかった。だが作者は束の間のうちに少女コミックにしばし執着されている世界、美少年をめぐる、美少年たちの同性愛の世界を、言語の劇画的な手法で描きたいという願望に乗りかえていったようにおもえる。わたしたちは、主人公の美少年今西良(ジョニー)が、同性愛の行為のなかで終始一貫して、ただ苦痛に身を縮め、顔をひきつらせるだけの、ただのエロス的な愉悦を感じないという <苦> としての設定のなかに、かろうじて作者の資質をみることになっている。こういう <苦> に溺れ込むエロス的な関係は、作者の嗜好以外には存在しえないからだ。
「空虚としての主題−背景のしくみ」1982.4.24福武書店

  これは栗本薫「真夜中の天使」について論じているわけだ。栗本の嗜好でしかないというところが、やはり私にはどうしてもその中に入り込んでいけないところなのだろうと思う。どうにも美少年間の愛を描いた女性による作品というのはどうにも苦手でしかない。どうして女性たちはあのように空想してしまうのだろうか。 (「吉本隆明鈔集」より)

  女性の作家たちは、どうにもどこか勘違いしているような気がしています。どうして女性たちはあのように美少年の形を描いてしまうのだろうなんていつも不思議なのです。私にとっては、あくまで「対幻想」という形が当り前であり、美少年同士では「対」にはなれないのです。そのように私は思ってきました。
「葉隠」でいう「忍ぶ恋」というところの愛は実は男色のことなのですが、これは理解できる気がします。

日本紀愚眼にのぞけば、天地(あめつち)はじめてなれる時一
つの物なれり、形葦芽の如し、是則(すなわち)神となる、国常
立尊(くにとこたちのみこと)とまうす、それより三代は陽の道
ひとりなりして衆道の根元を顕はせり、天神四代よりして陰陽み
だりに交はりて男女(なんにょ)の神いでき給ひ、なんぞ下髪
(さげかみ)のむかし、当流の投島田、梅花の油くさき浮世風に
しなえる柳の腰、紅の湯具、あたら眼(まなこ)を汚しぬ、是等
は美兒人のなき国の事欠ける、隠居の親仁の玩びのたぐひなるべ
し、血気壮の時、詞(ことば)を交はすべきものにあらず、総て
若道の有難き門に入る事おそし、 (井原西鶴「男色大鑑序」)

「唐獅子牡丹」において最後の殴り込みに健さんが出かけると、街角で池部良が匕首を持って待っています。そして同行することを申し出ます。健さんは目で挨拶して了解します。そして二人は死出の旅に出かけます。私はあの二人の道行が「男色」の基本的なものなのように思っています。このことを「葉隠」でも井原西鶴でも言っているように私は思っているのです。
それが、女性が描くとどうしてあのような形になってしまうのでしょうか。

ただし、女性があのようなものと空想してしまうにしろ、この漫画が愛の物語であることには間違いないように思いました。そしてまさしく現代はどうも、愛が「対になる関係」ではなく、「個を確認する」ところから始まるような思いを私はしてきています。
ミシェル・フーコーが亡くなったときに、彼はホモセクシャルでエイズであったと伝えられました。私は彼の言うところはなかなか難しくてよく理解できていなかったのですが、私は吉本(吉本隆明)さんとの対談のころから吉本さんを通すことによっていろいろなことが見えてきていました。かれが歴史をどう理解しているのかというような点が非常に理解しがたかったのですが、次第に何かがつかめてきました。ただ、マルクスが展開するに至らなかった国家の問題を吉本さんは「共同幻想論」において解明しました。その「共同幻想論」におけるもっとも大事なことが「対幻想」という概念であると思います。対幻想が共同幻想と向き合うときに「国家」が成立したといえるのではないか(周はかなりはしょって言っています)ということだろうと思うのです。
そうした私の確認の中で、ミシェル・フーコーの死は、何か違うものでしたた。そしてこれはどうも、現在の世界は「対になる関係」ではなく、男であれ、女であれ、「個を確認する」ところからこそ、愛が始まるのではないのか、と思いはじめたのです。このことは吉本さん自身も言ってきているように思います。
そうしたときに、私はこの「BANANA FISH」を思い出してしまったのです。アッシュが個としての寂しさを根柢に秘めていたからこそ、「人間は本来独りで寂しい存在」なのだということを確認できたからこそ、愛を求めていけたように私には思えているのです。それをとくに、この19巻を読むことにより、深く理解できてきたように思えています。
ともあれ、とにかく読んでみてよかったなと深く感じることができた作品でした。(1995.11.01)

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2011年04月01日

さくらももこ『まる子 毛糸のパンツをいやがる』

 きょう発売のりぼん2月新春特大号に載っている「ちびまる子ちゃん」が最高に面白いです。

 その77・「まる子 毛糸のパンツをいやがる」の巻

という題名になっています。

 まる子「毛糸のパンツなんてもうはかないよ だれもはいていな
    いもん」
 おかあさん「べつにいいでしょ ほかの人がはいていようがはい
      てなかろうが あったかいんだから あんたは小さい
      んだから よけいなこと気にすんじゃないの」
 まる子「いやだよ たまちゃんやお姉ちゃんもはいていないんだっ
    て言っているもん わたしだけはいているなんて みんな
    にバレたら大恥だよ」
 ヒロシ「なんだよオレなんか町内の旅行でモモヒキはいているの
    みんなにバレたけど ぜんぜんはずかしくなかったぜ」
 まる子「モモヒキならまだいいよ 毛糸のパンツだよ パンツが
    毛糸でできているんだよ よく考えたらヘンだよアレ」
 ヒロシ「ぜいたくな話じゃねェか」

11033015 まる子は幼稚園にいるときから、こんな感じである。でもこんな思いではだれにでもあるのじゃないだろうか。本当をいえば、ヒロシだってあったはずなのだ。大人になるということは、恥をだんだん忘れていくことでもある。「さるのこしかけ」によれば、このまる子が大きくなったさくらももこは、夫のガラパンを毎日はいていてもうそれを恥と感じてはいない。この巻は、よく誰もがもっている子どものときの感性を描いていると思う。 これはまる子だけが特異なのではない。あの恥なんかなにも感じないようなはまじが、花輪君の家に招かれて、靴下に穴が空いていて、それが恥ずかしくて椅子に座りっぱなしのシーンがある。はまじですらそうなのだから、子どもはだれもこんな思いに深く悩んでいることがあるのだ。だけどヒロシはもう忘れてしまっている。ほとんどの大人はそうなのだろう。さくらももこの感性が優れているのは、こうしたことを鮮明に思い出させてくれることにある。
 今後もさまざまに「ちびまる子ちゃん」をもっと眺めてみたいと思います。 それから1月14日「ちびまる子ちゃん」第10卷の発売です。映画もありますね。(1992.12.29)



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2011年03月18日

つげ義春『無能の人』

11031810書 名 無能の人
著 者  つげ義春
発行所 日本文芸社

 この本を読んだときに「実にひさしぶりにつげ義春の世界に耽ってしまったな」という感じでし。映画でもかなり評判になった「無能の人」です。
 私がつげ義春を知ったのは、あの「ガロ」全盛の時代です。たくさん読んだように覚えています。「もっきり屋の少女」「ゲンセン館主人」「李さん一家」「ねじ式」等々どれもこれも印象深かったものです。「日本漫画全集」の「つげ義春集」ももっていたはずなのですが、いま本棚にはありません。だからこれらの作品も細かいところまでは内容を自信をもって思い出すことができません。
 前に私がよくやる詩吟の一節が、埼玉大学の学園祭「むつめ祭」の統一テーマになったことがあります。それは71年のことです。

    呼狂呼賊任他評
     −我がなすことは我のみぞ知る−

というテーマでした。それで次の72年にもまた私の同じような内容とテーマが選ばれてしまいました。(この年から「統一テーマ」とはなく「メインテーマ」というようになりました)

    狂わせたいの
     −花弁はうずく女は叫ぶ、俺の墓はどこだ−

という内容でした。山本リンダの歌がはやった年でした。それでこの年のむつめ祭のポスターをこのテーマにあわせてどうしようかということになり、どうしてかつげ義春でいこうということになりました。たしか「ゲンセン館主人」だと思うのですが(たった今は作品集がないから調べられない)、千葉の夜の海を背景に男が手を広げてこちらを見ている絵があります、それに私のテーマをすりこんだポスターにしたのです。暗い海と、暗い顔したつげ義春の描く男の両側に、私のテーマが書き文字で並びます。この絵の使用をつげさんは電話のみであっさりと認めてくれました。
 このポスターは大学のみならず浦和中に貼り出されます。しかもあのころは、当時の学生運動のステッカーと同じようにむやみにどこでもボンドで貼ってしまいます。とうぜん非合法ですから、敵対勢力(当然敵は日共)にははがされてしまいます。それでもなんせはがしにくいですから、その後何年にわたっても、あらゆるところにこのポスターの残骸がのこっていました。それが、なんだかいいのですね。もう半分破られていて、しかもよごれているのに、つげ義春の描いた男は、あちこちで黙って私たちを見つめているのです。
 その男の残骸がだんだんなくなっていって、もうすっかり浦和の街が綺麗になった頃には、どうしてかつげ義春はあまり作品を発表しなくなってしまいました。
 私たちの友人にはけっこうつげのファンが多かったですから、みんなでどうしたんだろうなんて噂しあいました。たいがい、どうも本人自身がこの「無能の人」のようになってしまったらしいというような話をしていたように思います。
 この「無能の人」に収められた6つの連作は、1985年6月から86年12月まで、日本文芸社季刊誌「コミックばく」に連載されました。

 ……連載は継続される予定であったが、雑誌が休刊となり、現在
は中断したままである。いずれ続きを発表する機会があれば描いて
みたい気はあるが、発表の場がなければ、これきりでもいいと思っ
ている。           (「単行本のためのあとがき」)

 まさしくこの「あとがき」につげの現在があらわれているように思えます。「これきりでもいい」。いつ終っても、またもしかしたらまた書いていってもいいというのでしょう。
 作品の内容はつげ自身をモデルにしたと思える男が、石屋をはじめてしまうところからはじまります。

  おれはとうとう石屋になってしまった
  ほかにどうするアテもなかったのだ
  マンガ業、中古カメラ業、古物業と手を出してみたけれど
  ことごとく目ろみがはずれてしまった
  この石屋だってまるで素人だ
  本を読んでちょっと知識を仕入れただけなのだ
  ただ元手がかからないということが
  おれに向いていたのかもしれない (第一話「石を売る」)

ということだけで石屋になるのです。だけどこんなことでうまくいくはずがありません。第二話ではなぜ石屋になったのかという話が続きます。読む人によっては気がめいってくるかもしれません。
 本当はつげは乞食になりたいのかもしれません。でもいまの時代だとそうした道はむずかしいのでしょう。この本に彼の「乞食論」というインタビューがのっています。

 山人としてはやはり山窩を考えますね。山窩は関係としての異人
とみるのはちょっと微妙ですけれどね。独自の世界を築いてますか
ら。それでまあ、乞食にはなれないからせめて山窩になりたいなん
て思うわけ。           (「乞食論−乞食・山人」)

 だが現実にはもう山窩の世界などなくなってしまったわけだから、こうしてつげは漫画のなかでそうした世界に近いと思うことを書いているのかもしれません。そしてできたら、その漫画も書かなくてもいいのなら書かないでいたいのでしょうか。
 やはりもう少し、つげの作品をすべて読んでみてから、またこの「無能の人」を読み返してみたいと思います。それにはなんとか昔の作品群を手に入れないとならないようです。(1998.11.01)

 もうつげさんは今どうされているのでしょうか。そのことをしきりに思う私です。(2011.03.18)



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2011年02月26日

さくらももこ『ヒデじいのお見舞いにいく』 にコメント

11022508 さくらももこ『ヒデじいのお見舞いにいく』ティーカッププードル さんにに以下のコメントをいただきました。

1. Posted by ティーカッププードル   2011年02月21日 15:55
 ちびまるこちゃん、大好きで〜す・・。

 ありがとうございます。私はいつもこのちびまる子ちゃんが好きで、実は最初の巻を買ったときに大変なことになったものでした。
 私は手に入れた日に横浜の二俣川の友人のレストランの飲み会で、来てくれた後輩の女の子の娘さんに、この巻をあげたのでした。でもその後、この最初の巻はどこでも売れ切れで大変でした。二人の娘には、「まだ手に入らないの?」と責められ、大変でした。たしか5日後くらいに、どこかでやっと手にれたものでした。
 だから、こうした巻は2巻手に入れるようにしたものでした。
 私は、私の友人に誰にも、この『ちびまる子ちゃん』を推薦していましたから、テレビ放送のときには、誰もが見ていてくれました。私の友人の男性・女性、その奥さん、旦那さん、それに、息子さん、娘さん、みんなです。
 ある息子さんなんか、小学校低学年の子どもでしたが、みんなの前でこの『ちびまる子ちゃん』のテーマソングを自然に唄ってしまい、そこでは先生はじめみんなに笑われましたが、みんながこの番組のファンになってくれたようです。



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2011年02月22日

柊あおい『耳をすませば』

11022201書 名 耳をすませば
著 者 柊あおい
発行所 集英社
1990年2月20日第1刷発行

 次女から薦められて読んでみました。中学生の女の子の恋のお話の漫画です。

 主人公月島雫は本好きな中学生の女の子です。学校の図書館も、県立図書館にもよく行って、本をよく借りています。なんだか妖精の話と童話とかが好きなようです。ところが彼女が借りる本には、その貸出カードを見ると必ず同じ人が先に借りています。彼女はなんだかその相手が気になります。何とか彼より先に本を借りてみたいと思うのです。そしてその相手は、苗字は同じだが名前の違う二人のようです。兄弟なのだろうか。

 ここで、いまの図書館の方式だと(つまりコンピュータだと)、前に読んだ人の名なんか判らないから、こんな夢は生まれてこないでしょうね。私も小中学生の頃、自分の読む本を私の以前に読んでいた人のことは、なんだか気になったものです。この著者もたいへんに本好きで、よく図書館を利用したのでしょう。雫も毎日のように図書館でたくさんの本と出会います。
  雫は本を読むと

 ……私ね
 いつも本読んで
 つまんなかったり  感動したり  いろいろ感じるけど
 そんなとき
 音がするの

という思いがするのです。「ウーン、これ分かるな」なんて思ってしまいました。
 だけど雫は最近その音があんまり聞こえなくなってきています。すると雫が気になる弟のほうの男の子がいうのです。「じゃ、自分で書いてみれば?」

   <関係> の概念は、かならずしも眼に <視える> ものだけをさ
 すとはかぎらない。心的世界が関与しているかぎり視えない <関
 係> も含まれる。そして、この視えない <関係> を人間が了解し
 うるにいたったことには、聴覚がかなりな深さで加担しているよ
 うにおもわれる。天空や自然森林の奥から聴こえてくる音や叫び
 が、どんな対象から発せられたか判らないとき、人間はその対象
 物を空想においてつくりあげた。そして <視えない> ものを <視
 える> ものにおきなおすすべを意識としてえたとき、人間の <関
 係> の世界は、急速に拡大し、多様になったとかんがえられる。
 聴覚と視覚の空間化度が、そのまま時間性として受容されること
 がありうるのは、このふたつの感官作用が、視えない <関係> 概
 念を人間にみちびくのに、本質的に参加しているからである。
      (吉本隆明「心的現象論序説型甘世界の動態化」)

 それで雫は書き始めます。

 音を  光を  思いを
 伝えるために
 大切だから  言葉にしよう
 ……消えないように

 雫が偶然知った「地球屋」というアンティークショップがあります。そこには不思儀な猫の置物があります。その猫はドイツと日本をかけて50年経っても恋人を待っているという訳があるようです。雫はこの猫とその猫の行方の知れない彼女を探す旅に出る物語を書き出します。実はそのことを前に夢で見ていたこともあったのです。

  中学生の頃といえば、大変に多感であり、さまざまなものに感動することができるはずです。耳をすませばいろいろな音が聴こえてくるのでしょう。やがて次第にその音が小さくなって大人になるのかもしれません。でもこの雫はいつまでも、耳をすませばこうした音が聴こえてくるに違いありません。私もいつまでもそうした少年の日の心と耳は忘れていないつもりです。(1995.01.05)



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2011年02月21日

さくらももこ『ヒデじいのお見舞いにいく』

11022102 まんがの『ちびまる子ちゃん』の登場人物は私にとって、みな興味深い人たちなのですが、ヒデじいのこともいつも私は気になってきました。そのヒデじいの過去があきらかになるお話です。これはもうコミックス版に収録されています。

題 名  ちびまる子ちゃんその93、94「ヒデじいのお見舞にいく」の巻
著 者  さくらももこ
発行所  集英社「りぼん」1994年9月、10月号

 花輪クンのうちの執事のヒデじいが夏バテで寝込んでしまい、まる子とたまチャン、はまじ、永沢くんがお見舞に行く話です。そのお見舞の席で、花輪クンがヒデじいの過去をみんなに語りはじめるのです。
 ヒデじいはなんと、この花輪家に45年も勤めているのです。花輪クンのおじいさんに使えていたのです。そのおじいさんは弁護士兼大地主でした。私の想像ではヒデじいは弁護士おじいさんの秘書兼執事兼代書屋みたいな存在だったようです。23歳で大学を卒業したばかりの春、この家にやってきました。
 さくらももこが私より17歳下で、まる子はももこだと考えると、小学3年生であるのは昭和50年になります。そうするとヒデ23歳というと昭和5年のこととなります。93話では、ヒデとトシ子さんという女性との恋が少し語られます。なんと若き日のおヨネばあさんも出てきます(でも、このおヨネさんが登場したのは漫画では初めてのことです。おヨネばあさんは2世帯住宅のコマーシャルでまる子と友蔵といっしょに出ていた)。 さてこの恋がどうなるのかが94話の回になります。ちょうど日本はまさしく戦争への道をひた走っている時代です。いったいどうなるのでしょうか。

 私はこのヒデじいのような人が一番好きになれるのです。きょうのことしか考えずひたすら自分の仕事をもくもくとやりとげようと努力しているヒデじいというような感じがしているのです。
 さて94話では、ヒデはトシ子さんと結婚します。

 昭和5年春───
 ヒデ24歳
 とし子19歳
 若い2人の門出であった

 まる子やはまじは喜びます。トシ子さん20歳のときの写真を見て、とても美人なのでみんな声をあげます。
 昭和6年に春にはヒデ夫婦に娘が生まれます。「春子」と命名します。この春子はこのまる子たちが生きている昭和50年(計算するとそうなるはず)には、もう43、4歳になっています。

 春子は元気に  素直に  すくすく大きくなっていった
 ヒデはとても幸せであった
 とし子「ほら  おとうさんよ  おかえりなさい」
 ヒデ「ただいま」
 愛する妻と可愛い子供に囲まれて平和な日々をすごしていた

 ところが、やはりこの昭和は戦争の時代であるわけです。幸せなヒデ家族の姿を思い浮かべていたまる子やたまちゃん、はまじ、永沢くんも、この「戦争」という言葉に茫然としてしまいます。

 昭和18年
 ついに  ヒデのもとへ赤紙が届く  ヒデ37歳  妻32歳
 「とし子  今までありがとう」
 「春子  おかあさんの言うことをよくきくんだよ」
 娘春子は11歳であつた

 ヒデは南方戦線に出征したようです。島で若い戦友と二人で敵陣に迷い込んでしまいます。この光景はちょうど大岡昇平「野火」「俘虜記」を読んでいるような気になります。米兵に見つかって「ホールドアップ」をかけられ、死を覚悟しますが、その米兵が地雷に触れて倒れてしまいます。その米兵も死ぬ直前に写真の恋人か妻に別れを告げています。

 Good……bye Mary……
 ……I love……you forever………

 もうヒデもこの死んだ米兵も誰も戦争の意味なんて分かっていません。はやく終ってくれればいいのです。ただここらへんの描き方は、著者の思い入れなのだなと思いました。ヒデには戦争が終るのがもうそろそろだということが分かっているようです。これにはまた違う思いもあるように思います。戦争が無意味だとか、いつ終わるとか何にも疑問を抱かなかった若者が大勢いたように思うのです。
 やがて戦争が終り、ヒデの死を覚悟していたトシ子と春子のもとに帰ってくることができました。おそらく多くの日本人と同じく、これからヒデはまた懸命に働いていくことになったのでしょう。

 まる子「よかった ヒデじいはもうずっと家族みんなでいられる
    んだね  一生はなれないで」
 ヒデじい「さくらさん 一生はムリですよ  娘は16年前に嫁に
        行きましたし 妻は10年前に亡くなりました」

 トシ子は「幸せでした ありがとう」といって亡くなりますが、もうヒデは生きる希望を無くしてしまいます。そのときにヒデを救ってくれたのが、花輪クンの誕生でした。ヒデは花輪クンの世話役をたのまれることことにより、生きる目的と希望をもっていくのです。花輪クンの誕生を

 私を助けてくれる天使が現れたのです

とまでヒデじいはいうのです。このことは花輪クンも始めて聞く話のようです。花輪クンは誰も見えないように涙をこぼします。あのキザな花輪クンにもこうしたシーンがあるときがあるのです。ただし彼はそうした自分の姿を友だちにはけっしてみせようとしません。
 こうしておっちょこちょいのはまじも、暗い永沢くんも、みんなヒデじいの話を聞いていきます。どんな子どもにも判ることっていくらでもあるのだと思います。子どもたちに大人が出逢ったさまざまなできごとを教えていくのはいいことなのだと思いました。
 また花輪クンとヒデじいが出てくる時に、まる子たちも私たちも優しい気持で見つめていくことができるように思います。(1994.09.08)



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2011年01月27日

ハルノ宵子『道楽屋宇宙戦争』

11012703 またこの漫画を読んでいるわけですが、この作品は、その前にある『天界の音』と並んで古道具屋の上柳千(せん)の話です。
 前にも思ったのですが、この千は、私には吉本隆明さんを思い出させます。一見何をやっているか判らないのですが、実は人類を破滅から救うようなことをひっそりとやってしまうのです。
 中にある「姉について」で、妹のよしもとばななが、で次のように言っています。

  姉は何だかよくわからないけど「愛」にあふれた人で、作品も
 そうで、その「愛」はとてもはげしく熱く巨大に今日も燃えつつ、
 大宇宙とつながっているようなのです。

 なんだか、このことが実によく判ります。
 でもできたら、また漫画の新しい作品を見せてもらえないかな。そのことを強く希望します。(2010.06.26)



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ハルノ宵子『緑の呪文』

11012702  この作家は、1957年12月28日に生まれています。
  私の好きな吉本(吉本隆明)さんの長女で、よしもとばななのお姉さんです。彼女の本はどこかにあるはずだと、今探しました。いえ我孫子の自宅の引越しで、本は大量に古書店に引き取ってもらったのですが、吉本さんの本とその他いくつかの本は持ってきたはずなのでした。
 この本『虹の王国』(JICC出版局)を今取り出してきました。
 でもだめです。またこの本の中の、この『緑の呪文』を読んで涙を流してしまいました。この最後のページに、主人公とエリンが腕を組んでいるシーンがあります。

  ありがとう… 僕の中の エリン
  約束だね… 一緒に野球を 見に行こう!

 このハルノ宵子さんの漫画はどれもいいです。私はそのすべてを持っているはずですが、どこにあるのだろう。
 この本のちょうど中頃に、妹の吉本ばなな(まだ「よしもと」じゃないんだ)が「姉について」という文を書いていてくれます。

  姉・ハルノ宵子は、放っておくと昔からとても乱暴者で大胆な
 ので、小心者の私にはとてもできないようなことをして笑わして
 くれます。……

 またハルノ宵子さんの漫画を読んでいきたい思いです。(2010.06.23)



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2011年01月01日

「ちびまる子ちゃん」のヒロシと友蔵

2017010920
2017010919

10123114書  名 ちびまる子ちゃん
著  者 さくらももこ
発行所 集英社

「りぼん」に連載されていた漫画でした。もう連載は終わっています。我が家では、「りぼん」に連載のころから皆で注目しだし、単行本になったときにも早速購入しました。テレビ放映になったときにも、全員で懸命に見ていました。
我が家の年賀状に次女が小学2年生のときに「ちびまるこちゃんのようなマンガをかきたい」というコメントを書いて、いろいろな私の友人家族から、「ちびまる子ちゃんって、何?」なんて質問されたものでした。それで私の友人たちもテレビ放映されるときには、注目して見ていたようです。
この漫画の中についてはいくつも書きたいことがあります。ここではとくに父ヒロシとおじいちゃんの友蔵のことを書いてみます。

この漫画のなかで、私の好きな人物を順にあげると、

父ヒロシ
おじいちゃん友蔵
母すみれさん
ハマジ

ということになるでしょう。ちびまる子そのものはあんまり好きになれません。

まず、ちびまる子の父「ヒロシ」ですが、このおとうさんは何なのだろう。まずなにを商売にしているのだろう。誰もからよくきかれます。「答えは八百屋です」ということにしていますが、これでいいのでしょうか。この答えは作者自身が言っているのだけど、あの漫画をみているとどうもそう思えません。
作者は野菜とか、店風景かくの面倒だからといっているのですが、実はいまどうしょうかと考えているのではないかな。「あんたねえ、このワタシがそんなこと悩んでるわけないじゃん」という、さくらももこの声がきこえる気がしますが、やっぱり私には、あのヒロシはサラリーマンなのではないかな、なんて思えてしまいます。テレビの「ちびまる子ちゃん」では、やってきたヒロシの年下の同僚と屋台で飲むシーンがありました。あの同僚の愚痴とかヒロシのなぐさめかた考えると、やっぱり「地道な八百屋」とは思えません。「地道なサラリーマン」なのではないかのかな。
ところでこのヒロシ、昭和ひとけた生まれです。私は、よくこの世代と東京でも、私の住んでいるあたりでもそうなのですが、ディスカウントショップで遭遇したものでした。よくいろんなもの買い込んでいますね。やっぱり青春がなんにもない時代だったからなのでしょうか。
おもえばこの昭和ひとけたとは、いろいろなところでぶつかりあいました。むかし学生運動やっているころもよく飲み屋で喧嘩になりました。特攻隊にあこがれたひとたちがいちばんうるさかったものです。よく喧嘩して、何度も何度も言い合ううちに親しい友だちになったひとも何人もいます。言い合いして、「俺のうちへこい」といわれ、ついていくと、予科練のその時代の写真いっぱい見せられたことあります。この先輩は特攻隊でいっちゃったんだとか、俺はいまこうして生きているんだとかいろいろ話しましたね。でも私は私の主張をやめません。それがよかったんだろうけど。
ヒロシは、水洗トイレをうけつけない。ディスコをデスコという。

「ばかぬかせっ。水洗便所ほどケッタくそわるいもんはないぜ ありゃ  クソが水にまきこまれて苦しみながらながれていくじゃないか おまいはあんなもん毎回見たいのか。このヘンタイ」(「ちびまる子ちゃん」第1巻)

「デスコ? おまえデスコにいこうっていうのか」
父はディスコといえない。“さすが昭和ひとケタうまれ”とみょうに納得してしまった。(「ちびまる子ちゃん」第1巻)

  まる子は「おとうさん」といわない。「ウチのヒロシはね」なんて喋る。まる子とは友だちのようだ。

父ヒロシは、昭和九年に清水市で生まれ、それから何十年もその地で育ってきた。子供の頃から呑気者で、別に何のとりえもなく、他人から憎まれもせず誉めるられもせず、また他人を特に憎みもせず、ただただ酒と魚を食べて生きている男である。(「たいのおかしら」)

このエッセイのこの書きだしを読んだだけで、私は「いいな、いいな」と思ってしまうのです。私もできたら、こんなふうに描かれるような存在になりたいなと思います。

相変わらずヒロシは大笑いもせず怒りもせず、気ままに生きている。『ちびまる子ちゃん』に描かれるようになってから、他人にまで「あ、父ヒロシだ」などと呼び捨てにされる事もあるらしいが、それでも平気で生きている。
母の話によれば、ヒロシは最近太ってきた様子である。腹が出てきて仕方ない、と母は力なく語っていた。腹が出ようが出まいが、ヒロシにとってはそんなことはどうでもいいのである。彼にとって一番の問題は、近所のおいしい魚屋が定休日 のときはどこで買うのがベストであるか、という事ぐらいなものなのだ。(「たいのおかしら」)

この父ヒロシは、このエッセイに書かれたことも一生知らないで過ごすかもしれないようです。私はそんなヒロシこそ、いい存在だなと思ってしまいます。誰だってきょうのことくらいしか考えずに生きられるなんていいことなのですよ。
たぶん戦中、戦後大変苦労していまの「さくら家」をつくりあげたのでしょう。まる子がなんといおうと、いつまでも毎日酒飲んでいってほしいものです。

おじいちゃん友蔵も大変愉快な人物です。さくらももこの本当のおじいさん友蔵は、作者にいわせれば、「祖父は全くろくでもないジジィであった」(「もものかんずめ」)ということですが、この「ちびまる子ちゃん」の友蔵は、作者も大好きなおじいさんのようです。
まる子の夏休みの宿題を家族が手伝って、おじいちゃんが日記を担当すると、

8月15日天気晴
けふは終戦記念日なので、私は目をつむり、感無量になりました。思へばあの日、父母とラジヲの前で(「ちびまる子ちゃん」第1巻)

と書いてしまいます。そうすると年はいくつなのでしょうか。生まれは明治40年くらいかな。戦時中に米軍の焼夷弾攻撃の中みんなを指揮して町の被害を最小限に防いだと死後、町で最初の「名誉町民」にされます(もっとも「おじいさんはただ逃げまわっていただけ」とおばあさんがバラすが)。とすると日中戦争くらいは参加したのかな、年金生活者だから軍人恩給をもらっているのかな、なんて思ってしまうのです。
いつもいつもまる子にだまされています。それでもまる子にかまわれるのがたのしいようです。この友蔵もまる子の友だちのようですね。

「サザエさん」とくらべると、さくら家は友だち家族なのですね。
子どもたち小さいときに、よく友だちがあっまったときなんか、この「サザエさん」と「さくら家」の家の間取りはどうなっているのだろうなんて話すことがありました。間取りだけでなく、いろんなところ、この二つの家族は対照的ですね。「サザエさん」の家族は、かろうじて家父長制を保っている気がします。「さくら家」だと、みんな友だちなんですね。わが家もみんなそんな感じです。(1992.06.25)

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2010年12月28日

桐島いつみ『好青年なヒモ』

10122504 桐島いつみの「まっかな人間像その13/ヒモ」が大変に面白いのです。さまざまなヒモの実態を描いているのですが、最高に傑作なのは、「好青年なヒモその2」です。
 そこの会話を以下に書き出してみましょう。

 ヒモ「別れたい?」
 その女「そう」
 ヒモ「…………そうだよね ………いつかはそう言われると思ってたよ」
 ヒモ「ヒモなんて……社会のダニみたいなもんだし」
 その女「ダニならいいのよ」
 ヒモ「え…」
 その女「私はね…同情されたいのよっ」
    「あんたっ そのお金だけはやめてっ うるせえっ バシーッ
    とかされて あんな男やめなさいよ 不幸になるだけだよとか
    言われても でもだめなの 愛しているのとか言って泣く そ
    んな生活にあこがれてたのよっ」
 ヒモ「………………………」
 その女「…………………それなのに」
 その女「あんたがヒモのくせに いい人だから 同情どころか うら
    やましがれてんのよ どうしてくれんのっ」
    「お金だって もっと豪勢に使えばいいのに 安売りのスーパー
    で買い物して 自炊して……」
  (背景に特売のチラシを見て「ムッ今日はタマゴが安いぞっ」とい
  うヒモの絵)
 ヒモ「だって 君の給料じゃ…」
 その女「女のサイフ心配するようなヒモはいないわよっ」
 その女「お願いだから もっとヒモらしくしてちょうだいっ 昼間の
    ボランティアとか 早朝ジョギング 公園のそうじもやめて」
    「自堕落な日々を送ってっ」
 ヒモ「自堕落な日々って…………」
 その女「最低 昼すぎに起きて……」
    「一日ファミコンしているとか パチンコとか 麻雀とか 
    競馬とか…」
    「桐島みたいな生活してりゃいいのよっ」
    (ちなみに桐島とは当然作者のこと)
 ヒモ「わかった……努力してみるよ」
 その女「お願いよっ」
 ヒモ「あ」(馬券をみているヒモの姿)
 ヒモ「こんなにもうかっちゃったよ  どうしょう~~~~~」
  (と札束の山を指さし青ざめているヒモ)
 その女「別れてちょうだい」(と泣いている女)

 実に笑ってしまいました。他のも大変に面白く笑えるのですが、今の中学生、高校生の女の子はこんなの読んで笑っているんですね。実に時代が変わってしまったなと思います。変わって、表現できて、それをみな読めるのです。
 この作者の桐島いつみという漫画家もかなり私たちの時代では考えられなかったような作家なように思います。吉本ばななとかさくらももこなんかと同じような資質を感じてしまいます。
 私のようなおじさんはただおどろくばかりです。とてもかなわないな、ついていけるかななんて思ってしまいます。
 もちろん大いに評価し、好きになっているのです。(1994.09.10)



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2010年12月23日

白六郎『あゆみの明日もの語り』

10122306書 名 あゆみの明日もの語り うたごえ天国
著 者 白 六郎
発行所 あけび書房
定 価 700円

 短大を卒業したばかりのあゆみという女の子が、ある出版社に入るところから物語は始まります。
 みたところ社員数80人から150人くらいの会社でしょうか。また本社のビルは8階建くらいで、場所は本郷か神保町、水道橋、お茶の水というところでしょうか。私はこうして勝手に推測してしまいます。
 私はこうした規模の会社にいたことは2回あります。実際にはもう少し社員数は両方とも多かったかもしれません。とくに私が27歳から28歳のころ務めていた会社に、このあゆみの入った夢民出版は似ているように思いました。なんだか、漫画を読みながら、その会社にいたときのことをさまざまに思い出してしまいました。

 最初の出社の日、あゆみは前の日の酒のみすぎのまま家を出ます。私も最初の出社のとき同じでした。私の場合はさらに当日夕方私の歓迎会までありましたが。
 あゆみは入社式の社長の挨拶の中で「質問があります」と手をあげてしまいます。「うん、俺も同じことやったな」なんて思いました。私の場合は40分も社長が大演説をしたあと、すぐに「理事長(そこの会社は社長とは言わなかった)、ここで今質問があります」と手を上げ立ち上がっていました。私の場合は、あゆみのようにまともな質問ではなかったのですが、会社としては前代未聞のことでとまどったようです。
 でもその前に会社へ入ると、すぐにビラをくれる山城君という第1組合の書記長に

 でもやっぱし  そういうカツコってダサイと思うな~  あたし

といってしまうあゆみはいいですね。私がこの漫画で唯一不満なのは、この組合の山城君がハチマキにゼッケンをしていることです。私はこれだけは嫌ですね。私も入った会社で労働組合を作ったわけですが、こうしたカッコだけは絶対に反対しました。
 それでその山城君のことを、「でもちょっとかわいかったな……」と思ってしまうあゆみも好きですね。女性が男性をこうした視線で見るのは、きわめて素敵です。
 それとあゆみがその第1組合の部屋に行って、部屋を開けると煙草のけむりでいっぱいというのも、よく私には経験したことがあります。左翼学生運動にしろ、労働運動にしろ、よく狭いところで大勢で煙草が吸えるものです。私は左翼が煙草の吸殻を平気でどこへでも捨てるのが許し難かったものです。私は煙草だけは永遠に口にすることはないでしょう。
 そのあと、会社前で4時間のストライキの中、アジをしている山城君の姿がありますが、これも同じ風景を私は思い出しました。私たちは最初48時間ストライキを決行しましたが、やることがあんまりないので、会社前の街頭で集会を開きました。私は司会進行、兼アジテーション係、ついでにシュプレヒコール指導係、革命歌の先導といろいろやっていました。けっこう社員のみならず、通行人、近所のお店の人たち、神田警察にも受けていたように思っています(警察はいいすぎです。ただすぐに神田警察は当然警戒にきました)。とにかく愉しかった。面白かった。
 この夢民社でのあゆみの仕事もまったく私のときと同じ環境なように思います。毎日毎日残業ばかりで、しかもその手当はつきませんでした。そして休日出勤だらけで、その手当が600円でした。だから私たちは組合を始めたわけなのですが。
 職場の上司の主任の女性が子どもを保育園に迎えに行けなくなり、替わりにあゆみがいくことを申しでるのですが、そのときのあゆみが他の同僚にいう言葉がいいのです。

  これは主任だけの問題じゃないでしょ  女の職場で女どうし助け合わ
 なくってどうするんですか!

 実に職場で、女性の敵に女性がなるのをいくつか見てきました。私が一番嫌悪したことでした。それと、自分の子どもを保育園に迎えにいくのは母親だけの問題ではないんです。私はこの主任の亭主を問題にしたい気になってきます。
 しかし、

  共働きなのに家事一切手伝わない男ザラだし  育児も地域教育もパー
 トナーにまかせっきりの男多いネ

という文では、今またあわてました。あせって、いま食器の洗いかたずけやりました。私は食事のあとかたずけ、洗濯、ゴミ資源かたずけとよくやっている気になっているのですが、ときどきさぼります(ゴミ資源かたずけは私しかやらないけど、これは妻と子どもの方も反省してほしいな)。やっぱりやっぱりよくないですね。
 山城君が出社すると、彼の机がないということがあります。これは実際にこういう目にあった友人がいます。彼も有名な出版社の少数組合なのですが、朝こうした事態にあったことがあると言っていました。厳重に抗議して元に戻させたようですが。まったく腹のたつことです。
 会社側の策謀で山城君が暴走族に襲われるところは(これは内容を読むと判りますが、会社の社長専務が指示したものではない)、私はこうした目にはあいませんでしたが、私の友人では現実にいます。これまた誰もが知っている有名な出版社でしたが、その中で頑張っていた私の友人のKは実際に歩いていたところを、バイクではねられました。真相はわからないし、そのバイクの相手も捕まりませんでしたが、おかげで彼には今も後遺症が残っています。それにこうしたときには、はっきりいって警察はあてにならないのですね。Kはどうみても正当であり、合法なことやっていたのに、警察の介入により逮捕され、起訴され、東京拘置所に拘留されました。私も彼も、この年になって(たしか彼も私も39歳くらいのときだった)、拘置所の接見室ごしに語りあうとは思いませんでした。それが私と彼の13年ぶりの出会いだったのですから。
 山城君の昔からの彼女が、この山城君の怪我入院の中で、彼から去っていくところは、なんだかどうにも彼女を責める気にもなれません。私もちょうど会社で組合を作って闘争を激しくやりだしたころ、長く付き合っていた彼女に去られてしまいました。大変に悲しく辛いことでしたが、とにかく私は組合の闘争だけはそのまままっすぐに進んでいきました。私のその彼女も、けっこう大きな会社で組合をやっていたのですが、私のように全く組合のない会社、あれよあれよという間に組合作りから無期限ストライキまで組織してしまったのには、彼女なりに「この人は永遠に仕方のない人だ」と判断されたように思ったものです。

 でも山城君はこのあゆみさんがいて良かったわけですね。私も同じようなものでしたが。
 ただ、この漫画の解決の仕方はどうなのでしょうか。他からの情報で、会社の譲歩を獲ち取るというのは、不満なだとは思いません。山城君とあゆみが幸せそうで、いいのですが、やっぱり組合の団結の力のみで勝利していく姿のほうも見たいような気になりました。
 それにしても、このまゆみはたいへんに好きになれます。酒好きで、単ゲバでいいですね。こんな人は女性であれ、男性であれ、私は大好きになってしまいます。
 とにかく私の勝手な思い込みでした。だからこれは「書評」というよりは、私の思い出の断片です。(1995.06.04)

 その思い出をさらに思い浮かべます。
 私が昔いた会社でのいろいろなことを思い出したものです。懐かしい思い出です。そういえば女性の多い職場でした。それも似てますね。

 そうですね。私のいた会社での労働運動が、山城君たちの組合と違うのは、ハチマキやゼッケンを絶対拒否したこともありますが、けっして出版労連とは連携しなかったことです。出版労連の方は専従が来て、なんか指導したかったようですが、私なんか、その連中に会いもしませんでした。
 それに闘争の形態として、ビル全体の内側も外側もすべてビラステッカーだらけにしてしまったことかな。あゆみたちが山城君を守るのに、会社の屋上で「夕涼み会」をやるところがありますが、私たちは組合を結成して第1回の闘争に全面勝利したあと、みんなで突如伊豆湯が島温泉へ行ってしまったことがあります。これは会社はまったく訳の判らないことで、しかもかなりな脅威だったようでした。
 なんせ会社の組合員やパートだけじゃなく、出入りの業者(印刷屋や広告代理店)、近くのレストランや食堂の店員、すぐそばの神田錦町郵便局の職員数人、それにどこの病院だかわからないけど看護婦さんたち(思い出せば松竹の女医の歯医者さんもいたな、なんでかな)数人、誰かの住んでいる近所の元気なおばさんたち等々と大勢そのまま連れていってしまったのです。私の埼大関係の友人も5人来てくれました。
 しかも私は驚いたのは、組合員たちはこの温泉に来る前に、次週の何日からの第2波の無期限ストライキを決めてきていたのです(私はもっと早く温泉に行って飲んでいたから知らなかった)。実に愉しいことでした。
 そんな私の思い出をありありと目の前に再現してくれた漫画なのです。(1995.06.06)



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2010年12月18日

佐々木倫子『動物のお医者さん』

10121709 これは「花とゆめ」という雑誌に連載されていた漫画です。
 女性向けの漫画というと、どうにも読む気にもなれないものが多いのですが、これは大変に楽しい漫画です。

書名  動物のお医者さん  全12巻
著者  佐々木倫子
発行所 白泉社
定価  1冊390円

 北大(と思われる)の獣医学部での大学生活を描いた漫画です。主人公ハムテル(勿論本名は別にある)とその友人の二階堂という二人の獣医を目指す学生と、その担当教授漆原教授や1年先輩のもう社会人である菱沼聖子を中心として、楽しくばかばかしくも学園生活が展開されていきます。そして、獣医学部ということもあるのでしょうが、いろいろな動物が出てきます。
 ハムテルの家で飼っているのが、顔はいっけん怖ろしいが、じつはやさしいシベリアンハスキー犬「チョビ」、どうしてか関西弁のネコ「ミケ」、ハムテルの家での最強の生物ニワトリの「ヒヨ」、いつも幸せそうなスナネズミが大事な登場人物としていきいきとしています。そして、それに頑固で元気なハムテルのおばあさんも大事な登場人物です。そしてもう一つ、大事なのは、舞台が雪国である札幌ということでしょうか。

 私はちょうど昭和29年に札幌で小学校に入学したのですが、そのころから札幌という街は妙にハイカラで垢抜けた感じのする、はっきりいって私には好きにはなれない街でした。この漫画が描いているのは、もちろん現在に近い札幌なのでしょうが、何故かよく札幌の雰囲気をとらえているように思えます。雪の季節にいろいろな行事を作って遊んでいるしまうところなんか、よくあの街を思い出してしまいます。
 またこの大学での学園生活の描き方ですが、これもまたよくあるように思います。私なんかは学生生活といえば、それこそ学生運動ばかりだったのですが、それにしても、ここに描かれているように、けっこう楽しく過ごしたものでした。大学の先生方とも、職員の方々ともよく付き合いました。私なぞはそれこそもう、自分とは関係ない学部の先生方からも、いろいろと目をかけてもらいました。それはいまでも続いています。
 登場人物のなかで菱沼聖子という、とても変わった女性が、もう就職したのに、毎日のように大学の研究室にやってきて、またいつもなにか引き起こしているのもよく判る気がします。もっとも、この女性がこの漫画からいなくなると、とても寂しくなるでしょうから、作者としても、このままにしておくのは当り前だと思われますが。

 それと、やはりこの中で描かれる動物たちがなかなかいいのです。先に紹介した登場人物以外にもたくさん出てきます。この動物には、こんな習性があるのかなんていつも興味深く読んでいくことができます。これからの社会では、多分こうした動物と人間のふれ合いが大切なものになってくるでしょうから、そんなときにこのように動物と人間の関係を描いてくれることはいいことだなと思います。この漫画読んで、「ああ、私も獣医さんになりたいな」なんて考えてくれる子がでてくれば、嬉しいことだなと思うのです。
 12巻にて、2、3年後にハムテルと二階堂が一緒に動物病院をやるであろうというようなところで、この漫画は終わりとなります。私はこの二人と菱沼さんがいずれ結婚してほしいな、そして漆原教授がその結婚式の披露宴で、どんなことをするのか、喋るのかが愉しみだったのですが、それは、もう判らないままで終わりました。

 さてそれで、私がこの漫画を読んでて一番思うことは、この著者は、けっして自分の過去の体験や思い出からは、この漫画を描いてはいないであろうということです。おそらくは、彼女は、こうした雪国札幌も、こうした学園生活も、こうした獣医学のことも、すべて何も知らなかったはずです。ただただ、自らの克明な取材と丁寧な研究のみで、この漫画を展開していると思われます。それは読んでいてさまざまに感じるところがあるわけなのですが、そこがこの漫画を読んでいくところの面白いところなのです。この著者が、自らその取材に必死になっているときに、私たちは読んでいて大いに笑うことができるのだと思います。それが、他人まかせになってしまったら、それこそ魅力ないものになってしまうでしょう(もっとも10巻の最後には、勝手な著者のために、必死に資料集めに走り回るマネージャーの姿を描いていますが。だが、ああした自らの姿を書けることは、やはりよく判っているのだなと思います)。 もっと先の話が読みたいなと思いながら終わってしまった作品でした。(2004.02.28)



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2010年12月17日

桐島いつみ『まっかな人間像』

10121611 昨日夜12時近く、電車にのって帰宅していましたら、21、2歳位の3人の女性の会話が聞こえてきました。どうやら3人は、どこかの居酒屋のアルバイトをやっているようです。小さな声でしたし、私はちょうど「周の吉本隆明語彙集Ver2.0」をベージプリンタで印刷したばかりで、それを読んでいたのですが、どうしてか聞こえてきたのです。どうやら、嫌な客の話のようです。

 「結局店長が一番大変なのよね」
 「でも、ああゆう客は頭にくるね」
 「そういう客には、こっそり、ツメのアカとかはなくそとかつばとか入れ
 てだしちゃうのよ」
 「え、なに、それ」
 「いや、ある漫画に描いてあったの」

 そこで私は、「あ、それ、桐島いつみじゃないの」と思った次第なのです。
 この「まっかな人間像」という漫画は、毎回登場人物が違います。さまざまな人間のいきざまが描かれています。はじめのころは、なんでこんな風に人生を見ているのかな、多分若い作家なのだろうに、どうしてこうまで見てしまうのだろう、と思っていたものですが、だんだん読んでくるにしたがって、いや、若い世代にこうした人生を見せていってもいいのではないかなと思うようになりました。

書名    まっかな人間像その9/ウェイトレス
著者    桐島いつみ
発行所  集英社「ぶーけ」1993年10月号
定価    「ぶーけ」の価格は400円

 この号での「ウェイトレス」は、若い女の子がファミリーレストランのウェイトレスとして、嫌な客とのふれ合いを克服していく様が書かれています。なんだ、こんなことあるわけないじゃないか、と最初に思い、さらになんでまたこんなウェイトレスの姿を描くのかななどと思いました。ところが、昨日の夜の若い女性たちの会話を聞いた瞬間に、いやそうじゃないな、桐島いつみはけっこう人間を深くとらえているのかもしれないなと考えてしまいました。そう思ったのには、もう一つのことを急に思い出したからです。
 私の父が昔話してくれたことですが、父が昔戦争のときにスマトラ島へいたときに、同僚である将校の従卒が、このウェイトレスと同じようなことを将校に対してやっていたとの話でした。人間が自からの相手への不満を晴らす方法は、昭和19年での戦争の中でも、今の時代でも同じなのでしょうか。 こうしたことを思い浮かべさせてくれたもので、私はまたこの桐島いつみの漫画を読み返してしまいました。この漫画には、「日本一のスーパー・リアル・ギャグ!!」というタイトルがついています。そうしたさまざまな人生を描いたとしても、少し笑えるところもありますが、少しまたうすら寒くなってきます。これをまた若い少女たちが読んでいるのですね。
 ただ、この「ウェイトレス」で描いている姿は、私はやはり違うように思います。違うというのは、人間はもしどうしても自分が許したくない相手がでてきたら、それに対して、相手が判らないところ復讐するのではなく、明確に相手に判る形でやるのがあたりまえではないのかと思うからです。「言論には言論で、暴力には暴力で」対決していくのが原則であり、そうした姿が人間であると思っています。
 私は学生運動の時にも、労働運動の時にも、必ず相手が判る形で対峙してきました。また仕事上のあまりな無理をいうお客さんの場合にも、必ず相手に対して判る形で論議してきたかと思います。それが人間の生き方だと思うからです。
 ただしこれは、作者の桐島いつみへの異議ではありません。こうした思いを抱かせてくれた彼女の作品を高く評価するものです。(1994.05.01)



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2009年11月09日

周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第16巻」

JIN(仁) 第16巻 (ジャンプコミックスデラックス)
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 龍馬暗殺を阻止すべく、南方仁は仁友堂全員で京都へ旅立ちます。龍馬暗殺は歴史の事実であるわけですが、ぜひとも阻止していただきたいなと思います。
 それと龍馬の船中八策は実にいいです。これで思い出していました。
 あ、龍馬の船中八策を以下あげてみます。

一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
一、有材の公卿・諸侯及(および)天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
一、外国の交際広く公議を採り、新(あらた)に至当の規約を立つべき事。
一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。
一、海軍宜しく拡張すべき事。
一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。
 以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内(うだい)万国に徴するに、之を捨てて他に済時の急務あるべし。苟(いやしく)も此数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立するも亦敢て難(かた)しとせず。伏(ふし)て願(ねがは)くは公明正大の道理に基(もとづ)き、一大英断を以て天下と更始一新せん。

書 名 JIN−仁−第16巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2009年10月7日第1刷発行
読了日 2009年11月5日

 この単行本の裏面にある解説です。

 幕末の世で築き上げてきた医学的業績と知己により、窮地を脱し、仁友堂に戻った南方仁。偽薬の疑いも晴れ、ナポレオン三世からの仏国招待、松本良順からも奥医師へ誘われる。だが、たとえ歴史を変えようとも龍馬暗殺を阻止したい仁は仁友堂総出で京へ旅立つ!!

 扉にある著者の書いていることです。

 遂に政権交代となった幕末日本。巨大な前政権は、ほぼ250年以上政権を運営しながらも海外から波及した大きな時代の変化に適切に対応することが出来ず、民心を失い、ついには大政を奉還しなくてはならない事態となってしまいました。・・・何だか今の日本と似ていませんか? だとすれば、これからよく長く続く戦と混乱の時代が続くのでしょうか?新しく民主的な日本の始まりとなることを筆者も祈らずには、いられません。

 このドラマは、このあとどうなるのかなあ。できたら、龍馬が暗殺される寸前に2000年の仁が生きていた世界に、龍馬こそが旅だってほしいな。
 ただそうなると、また別な物語になるのでしょうね。そんな物語もまた見てみたい思いになります。

 この漫画は、私の妻も昨日8日に読み終わりました。私の長女も読み始めていますから、これで私の家族4人が読んでいることになります。



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周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第15巻」

JIN(仁) 第15巻 (ジャンプコミックスデラックス)
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 この巻でナポレオン三世が活字だけはでてきます。この南方仁がこの皇帝から招待もされます。できできたら、普仏戦争の中でナポレオン三世に会い、またビスマルクと会う仁も見せてほしいです。

書 名 JIN−仁−第15巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2009年7月8日第1刷発行
読了日 2009年11月5日

 この単行本の裏面にある解説です。

 将軍家茂の死去。幕府への不信感から庶民の不満は高まり、江戸から華やかな賑わいが消えていく。そんな時、横浜を訪れた仁は野風と再会し、彼女の結婚式に招かれる。だが、喜びの最中、横浜を飲み込む大火が起こり・・・!? 野風の旅立ち−−燼の章、感涙の完結話収録!!

 扉にある著者の書いていることです。

 今年(2009年)丁度開港150年を迎えた横浜。筆者も40年程前に通学で通った町であり、懐かしい思い出のある港町です。今回「仁」で描くにあたり、その歴史を調べてみると、昔歩いた通りや公園に様々な歴史が刻まれていることに気づかされました。150年前どころか40年前に比べてみても、いわゆる欧米人の姿をこの町で見かけることはなくなりましたが、日本全体が世界に開かれている現代では当然のことでしょう。けれど江戸時代の最後に多くの庶民が人生を賭してこの港から世界へ旅立っていった事実に、改めて何か新しいものに挑戦してゆく勇気をもらった気がしました。

 野風がフランス人と結婚して、この物語からは去ります。だから彼女にパリで会うシーンもいれて欲しいのですね。
 陣幕が出てきますが、彼がこうした作品で出てくる話は私は初めてですね。ただ、なんとなくこの漫画の陣幕はとてもいい顔をしています。なんとなく彼はもう少し獰猛な顔をしているように私には思えています。でもこれでいいかなんていう気持になりました。

 松本良順が「長州征伐以来世間はタガがはずれた桶のよう」と言っていますように、この長州との戦いに敗れた幕府は、もうどうしようもない状態になります。おそらく市井に生きている庶民にもそれは感じられたのではないかなあ。



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周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第14巻」

JIN(仁) 第14巻 (ジャンプコミックスデラックス)
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 この漫画でも、勝海舟が大きな役割を果たしています。彼はけっこう漢文を書いているのですね。でもそれが少しいい加減な感じで、私は「ああ、海舟らしいな」と思うのですが、多くの人は100%書き下し文ができないといけないと思うらしいのです。もう少々嫌になってしまいます。海舟はもうものすごい知識人だと思われているのですね。

書 名 JIN−仁−第14巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2008年 月 日第1刷発行
読了日 2009年11月5日

 この単行本の裏面にある解説です。

 薩長同盟を成立させた龍馬は、寺田屋事件で重傷を負うも、仁が広めたペニシリンにより回復する。歴史のうねりに係わっていく事に不安を感じる仁。そんな中、勝海舟の正室・民がくも膜下出血の危機に。先端医療機器のない幕末で高度な脳外科手術に挑む仁だが!?

 扉にある著者の書いていることです。

 明治維新を待たずして、すでに一般の日本国民による積極的な海外進出は始まっていた。これは新鮮な発見でした。すでに開国は必然的であり、政府の中心がいかなる勢力に替わろうと止めようがないものであったのです。改めて「維新」というものの正体が、いわゆる「文明開化」の美しい響きで飾られるようなものでないことに気付かされました。

 この巻で、軽業師の話が何故あるのかなあ。それでこの人たちはパリ万国博に行くのですが、実際はどうだったのかなあ。これは記録が残っていますよね。
 龍馬がお龍と霧島温泉に旅行に行くところが書いてあります。これが日本で最初の新婚旅行といわれているものですね。いや「日本で最初の」と書きましたが、世界でも最初じゃないのかなあ。ヨーロッパで例があるのかなあ。新婚旅行には行かなかった私はおおいに反省するところです。
 でも勝海舟の奥方が、くも膜下出血で手術の前に仁に「けれど・・女として言い残すことは・・、殿と同じ墓だけは入りたくな・・い」と言うのは、実にいいです。よく判ります。



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2009年11月08日

周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第13巻」

JIN(仁) 第13巻 (ジャンプコミックスデラックス)
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 けっこう「読めない漢字、書けない漢字」が出てきます。漢和辞典で大変です。いや、書けなくても別にそのままでもいいはずではないのかとも思うのですが、でもでも必死になってしまいます。時間だけがかかりますね。
 思えば、漢和辞典だけは実によくひいているものですね。いや今回も「讖の章」の字も判らなかったなあ。あ、「しん」と読みます。ただし、これは15巻です。

書 名 JIN−仁−第13巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2008年11月9日第1刷発行
読了日 2009年11月5日

 この単行本の裏面にある解説です。

 ペニシリン講義に訪れた長崎で、仁は薩長同盟に奔走する龍馬、そして長州志士・東修介と再会する。だが修介は同盟画策の真意を問い、龍馬にも刃を向ける/激動の幕末に生き、未来を切り拓かんともがく若き魂たち。彼らとの出会いを通し、仁の心に去来する思いは!?

 扉にある著者の書いていることです。

 長崎取材に行った時、古の丸山遊郭の面影をとどめる料亭、花月を訪れました。龍馬をはじめ志士達が往来したこの場所でわたしが一番強い印象を受けたのは、ある部屋に残る原爆の爆風でひしゃげた木の欄干でした。長崎は山襞が入り組み、原爆による被害も場所により大きく違うと聞いていました。幕末の洋館から原爆の傷跡まで、激動の日本の近代史が並んでいる長崎の街を見て、改めて「歴史の重さ」に胸を衝かれる思いがしたのです。

 思えば、この物語の主人公の南方仁は、いわゆるスーパーマンではありません。ただただ何故か130年前の時代に来てしまい、そこでもただ真面目に生きているだけなのですが、でも何故か大きな歴史のうねりの中にも入りこんでしまいます。このままいけば、坂本龍馬の暗殺も防げるのかもしれません。想えば、「ただ真面目に生きているだけ」ということが、そういうことに出会うのかもしれません。これを読んでいて、そんなことを思いました。
 龍馬を殺したのは見回り組みで、もうすでに犯人は判っているわけですが、私にはその真相が本当のこととは思えないのです。だから、できたら、この南方仁にそれ(龍馬の暗殺)を防いでほしいのです。
 しかし、この作品ではいわば龍馬は脇役であるわけですが、でもやはりいいです。高杉晋作もいいですね。思えば、長州藩は実に多くの人材を失いました。土佐藩もそうです。
 薩摩藩はそうでもなかったわけですが、でもでも西南戦争で多くの人材を失いました。そういえば、私の故郷の水戸藩も実に多くの人材が亡くなりました。私はいつもそのことを思い出しています。

 思えば、実際の歴史でもこういう南方仁のように生きてしまう人物がいるのかもしれないな。



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2009年11月07日

周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第12巻」

JIN(仁) 第12巻 (ジャンプコミックスデラックス)
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 この巻で、仁は自分の祖先に嫁ぐであろうお初という少女に出会います。もうここらへんのことは、実は南方仁の思いも、読んでいる私たちにも明確には理解できないことです。

書 名 JIN−仁−第12巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2008年8月9日第1刷発行
読了日 2009年11月5日

 この単行本の裏面にある解説です。

 仁が不思議な縁を感じた少女・お初が、転落事故で重傷を負ってしまう!仁と咲は輸出法をも導入して彼女を助けようとするが、一縷位の希望が見えたその時、何と仁の身体がタイムパラドックスで消滅しかける!仁、そしてお初の運命は!? 衝撃と感涙の「蜃の章」収録!!

 扉にある著者の書いていることです。

 今年に入っていくつかの悲しい訃報が続きました。特に自分よりずっと若い編集者や作家の死は、生まれた以上は必ず死なねばならぬのが当然だとしても、どうにもやるせない理不尽な思いが中々、心を去りませんでした。
 平均寿命が現代人の半分くらいで子供の死亡率も大変高かったという江戸時代の人々は愛しい人の死をどのように受け止めて生き抜いていたのだろうと想像してみます。そして思い至ったことは、人が物語を紡ぎ出さずにいられないのは、生きる喜びや死への恐れや悲しみが根本にあるだろうということでした。「仁」を通して生と死のドラマをより深く描いていこうと思います。

 しかし、シーボルトの娘のいねに会うととは、もう私は感動しきりです。こんな出会いがあるとは、ただただ私は驚きかつ感激しています。
 ただお初が出てきて、仁が消えてしまう現象があるのですが、実は私はそこは全然判りません。いえ、物語の展開そのものが判らないのです。私はたぶん、阿呆なのですね。



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「村上もとか『JIN−仁−』は16巻まで読みました

1a8e1e2e.jpg それで、私の妻も読むことになりまして、昨日1巻から6巻までまたミツ君から借りてきました。
 それで私は、今この作品の簡単な感想を書いているのですが、どうしても時間がかかります。
 それと、「この単行本の裏面にある解説です」と「扉にある著者の書いていることです」といのを今付け加えているところです。
 どうしても時間が取られますが、これを書くことにより、また深くこの漫画を読み直している気持になれます。
続きを読む

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2009年11月06日

周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第11巻」

JIN(仁) 第11巻 (ジャンプコミックスデラックス)
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 最初に

 神田川沿いに
 足をのばして
 昌平橋の袂まで
 やってきた

とあります。ここは、私はずっと事務所を置いていた御茶ノ水です。湯島聖堂はすぐそばでした。ただ南方仁は2000年よりも130年昔のこの場所を歩いているのです。

書 名 JIN−仁−第11巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2008年5月7日第1刷発行
読了日 2009年11月5日

 この単行本の裏面にある解説です。

 現代医・南方仁が幕末へ時空転移(タイムスリップ)して三年。この地で生きる事を決意した仁は、医術の現場を変えるべくペニシリンの粉末化に情熱を注ぐ。そんな折の川越藩出張診療への途次、仁は不思議な少女との出会いを果たすことに・・・/  運命の衝撃新章「蜃の章」開幕!!

 扉にある著者の書いていることです。

 この巻で舞台となっている川越藩を取材したのはもう4年以上前の暮れのことでした。だだっ広く暖房のない城内はとても寒く廊下の床板は氷の様に冷たく、写真撮影をしていると足裏が痺れて感覚が失われてくるのです。きっと江戸時代にはもっと寒かったはず。当時の城勤めの人たちも案外に厳しい生活を強いられていたのだなあと実感することが出来ました。こうした五感で感じる時代感を大切にして描いていきたいと思っていきたいと思っています。

 しかし、いいですね。私は昨日読んだはずなのに、またページを開いて、涙を流しています。
 私が涙を流したのは、次のところです。

「おめでとう純平・・・お前の子供だね」・・・と
 母の声が聞こえました!

 このことによって、ペニシリンを粉末にすることができるだろうということなのです。ただし、これは大変なことです。
 そしてこのことは、仁と咲が川越に往診に行こうとする前に偶然できるのです。そしてそのときに、仁は咲に、金剛石の指輪を渡すのです。これは今でいえば、結納ということになるのでしょうか。
 私も自分の結納のときを思いだしました。
 他にシーンでも私は涙を流すことがありました。



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周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第10巻」

JIN―仁 (第10巻) (ジャンプ・コミックスデラックス)
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 歌舞伎は私は好きなのですが、実際に歌舞伎座へ行ったことを思い出すと、七代目菊之助の襲名披露しか思い出しません。あのときは、幕間に並んでいた藤純子をずっと見ていました。そうですね、3年前に神戸へ行ったときに、そのことをずっと思い出していたものです。いえ、私は藤純子のお母さんの本をずっと読んでいたのでした。(この『おそめ』が藤純子のお母さんです)。

書 名 JIN−仁−第10巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2008年1月9日第1刷発行
読了日 2009年11月5日

 この単行本の裏面にある解説です。

 歌舞伎役者・澤村田之助の依頼を受け、瀕死の鉛中毒役者・吉十郎の治療を始めた南方仁。限られた治療法と薬剤しかない中、吉十郎を最後の舞台へと立たせるべく、懸命の治療を施す仁だが、果たして奇跡は!?江戸の人々の熱き生き様に心討たれる「賑の章」収録!!

 扉にある著者の書いていることです。

 仁が住む場所を浅草に設定したのはこの町に現代でも江戸の記録が残されているような気がしたからです。たとえば江戸切絵図にも記されている浅草寺近くの蛇骨長屋(このあたりを掘った時、大蛇の骨の骨・・・たぶん恐竜の骨・・・が出てきたのでこの名がついた)、ここには江戸期より湯屋があり今でも蛇骨湯という名で下町の人々に親しまれています。この湯に浸りながら界隈の人達の人情味あふれた会話を聞いていると、ここは他所よりも江戸が近くにあるなあとしみじみ思えてくるのです。

 歌舞伎を思い出すことと、そして相撲の陣幕を思い出します。私はこの漫画では不知火とののことが書かれていますが、私には鬼面山との優勝争いが思い出されます(たしか、これで二人は同時横綱になったと思うな)。でも陣幕は薩摩藩のお抱えの力士だったのでしたね。もう、明治も私たちの時代もすぐそこに迫っているのです。
 吉十郎の、自分の子どもへの思いに涙が出てしまいます。
 そうですね、私はこの作品でどのくらい涙を流していたことでしょうか。いつも思わず涙を流しています。



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周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第9巻」

JIN(仁) 第9巻 (ジャンプコミックスデラックス)
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書 名 JIN−仁−第9巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2007年5月7日第1刷発行
読了日 2009年11月5日

 この単行本の裏面にある解説です。

 和宮暗殺未遂の容疑で江戸の牢屋敷に入れられた南方仁。その腐敗した闇の秩序と、牢名主の非情な仕打ち、そして、役人の厳しい拷問を前に、仁の運命やいかに・・・!? 勝海舟・坂本龍馬・野風・咲など、仁を救わんと奔走する人々の運命も一変する注目の急展開!!

 扉にある著者の書いていることです。

 この巻では前巻と趣を変え、歴史上の有名人ばかりでなく名も無い市井の人物を登場人物にしています。それと同時に徐々に江戸の庶民文化や娯楽の世界を作中で紹介していきたいとも思っています。幕末の本当の主人公は維新回天の志士達ではなく、その時代を必死に生き抜き、働き、子を育て、そして何よりもよく遊んだ江戸の庶民達だと思うから。

 前巻で小伝馬町に入牢した南方仁は、牢の中で作造りになりそうになります。ところがこの巻の最初で、牢名主の耳にゴキブリが入り込みます。それでその事態に仁はその解決方を伝授することで、作造りを逃れます。
 私の入っていた府中刑務所にも実に大きく元気なゴキブリがいました。到底人間に耳なんかに入り込めない大きさでした。夜中、それらのゴキブリと格闘していたことを思い出します。
 しかし、仁のもともとの、和宮の暗殺疑惑は晴れたはいません。そして石抱きの刑を受けてしまいます。そして一緒に牢に入っている咲にも同じ刑をすると言われたときに、仁はもう妥協しそうになりますが、そのときに呼び出しがあり、仁は無罪放免を言われます。
 牢の外で、たくさんの人が頑張っていてくれたのです。思えば、私が2度の逮捕起訴拘留された件でも、何人もの方がいろいろとやってくれたものです。私はそのことをけっして忘れません。



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2009年11月05日

周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第8巻」

JIN(仁) 第8巻 (ジャンプコミックスデラックス)
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 咲の母親の栄の脚気に合ったお菓子というので、南方仁が和菓子をいくつか作ります。それがものすごく嬉しいシーンです。「安道奈津(あんドーナツ)」や「富醂(プリン)」「佐舞麗(サブレイ)」。みんな嬉しいです。
 私もたくさんのお菓子をあちこちで買い求め、あちこちに持って歩きました。ただし、私はいっさい口にしません。私は酒飲みなのです。でもこうしたお菓子を持っていくのが好きです。

書 名 JIN−仁−第8巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2007年5月7日第1刷発行
読了日 2009年11月4日

 この単行本の裏面にある解説です。

 脚気の食事療法の為、仁が考案した新発送の菓子が江戸で売り出される売り出される!野風をモデルにした歌舞伎の大ヒットも手伝い、仁友堂は一気に追い風ムードに・・・。そんな中、奥医師・松本良順から依頼された超重大秘事とは!?未だ安寧なる江戸で仁の運命が激しく揺れ動く!!

 扉にある著者の書いていることです。

 幕末に活躍した人物を調べると、様々な相関図が浮かび上がります。近藤勇が象山の遺児・怜二郎に関して「君も何かとやっているから心配無用」という心のこもった手紙を怜二郎の叔父である海舟に送っていたり。また近藤は医学所頭取・松本良順をたずねて世界情勢を聞き、さらに新撰組内の衛生環境改善を良順に依頼しました。コチコチの守旧派というイメージとは違う近藤勇の人物像が浮かび上がってきます。歴史の裏の人間関係に改めて興味がわいてくるのです。

 徳川家に入った和宮のために上に書いた「安道奈津(あんドーナツ)」を持って行きます。でも何故かそれを口にした和宮が倒れます(どうやら別人が入れた毒のようですが)。ために、南方仁は小伝馬町に入牢することになります。もう一番大変な事態になります。
 私は若き日に刑務所へ入ったことがありますが、つねに、この江戸時代の監獄のことを考えていました。この私では生き延びることは不可能だったことでしょうね。
 でもでもこの南方仁には耐え続けてほしいものです。



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周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第7巻」

JIN(仁) 第7巻 (ジャンプコミックスデラックス)
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 南方仁が西郷隆盛の手術をするシーンがあります。隆盛が陰嚢がフィラリアで、巨大になっているところが出てきます。実は私も父と鹿児島で朝風呂に行きまして、見たことがあります。父は相手の許可を取って、その睾丸に触っていました。風土病なのだという説明を聴いたものでした。

書 名 JIN−仁−第7巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2007年2月7日第1刷発行
読了日 2009年11月4日

 この単行本の裏面にある解説です。

 佐久間象山の治療のために京都へ赴いた南方仁。何かを成すために導かれたと感じ取る仁を待ち受けていたのは、維新の立役者・西郷隆盛とも出会いだった。薩摩勢の殺気渦巻く屋敷の中で、西郷の虫垂炎の治療に臨む仁。維新の未来を賭けた奇跡の大手術が今、始まる!!

 扉にある著者の書いていることです。

 取材で福島県の会津へ行きました。戊辰戦争の時の白虎隊の悲劇でも知られていますが、古い武家屋敷や陣屋には未だその時の弾丸が柱に深くくい込んだまま残り、商家には侵入した薩摩軍が略奪をほしいままにした後、帳面に書きなぐった部隊名が残されています。なんと身近でリアルな戦争に臭いでしょう。禁門の変には会津、薩摩、共に幕府軍の味方同士だった共藩の兵が血で血を洗う戦いをくり広げた非情さに胸が塞がる思いがしました。

 新撰組の沖田総司が出てきます。今でも女性にはものすごい人気ですね。この漫画で描かれるような人だったのでしょう。
 南方仁に心底惚れている(それは医師としての仁にも、そして男性としても惚れているのです)橘咲の母親の栄が脚気になる。この病もあの時代は大変な病気でした。
 そういえば、のちの明治時代になって、日本海軍は高木兼寛が食事を麦飯にすることで、これを防ぎましたが、陸軍は脚気で倒れる兵が続出しました。あの旅順攻略戦では、ロシア軍の銃で倒れるように脚気で倒れる兵のほうが多かったようです。でもこの陸軍の軍医だった森鴎外が、このことを認めません。彼は亡くなるまで、このことを認めませんでした。
 でもこのことも、この漫画では書かれています。
 とにかく、読んでいて、たくさんのことの、あの幕末の時代を思い出してきます。



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周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第6巻」

JIN―仁 (第6巻) (ジャンプ・コミックスデラックス)
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 3日に5巻までを読んで、さらにそのあと6、7、8巻を引き続き読みました。でもそのあとの9、10巻がないことにとても焦ったものです。

書 名 JIN−仁−第6巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2006年12月9日第1刷発行
読了日 2009年11月4日

 この単行本の裏面にある解説です。

 南方仁が百数十年の時を超え、幕末の時代に迷い込んで2年。時は少しずつ未来に近づいていく・・・。京都では池田屋事件が起こり、歴史はついに激動の時代に突入する。そして、瀕死の佐久間象山の治療のため、仁も血風渦巻く動乱の京都へ! 激動の京都篇開幕・・・!!

 扉にある著者の書いていることです。

 さて、この巻ではいよいよ尊攘派と佐幕派が鎬を削る幕末の京都が舞台となります。それにしても長州藩が天皇奪還をねらって起きた禁門の変で炎上した洛中の地域は、南北だけでも御所から現在の京都駅前にある西本願寺の際までという広大さ。改めてこの動乱の時代に失われた前途有能な人命と貴重な文化財の多さに深くため息をついてしまいました。しかし狭い路地の入り組んだ京都は何度でも再生を繰り返す滅びることのない迷路都市です。この先も折りにふれ物語の主要な舞台となり、登場人物の運命に魅力的な陰影を与えてくれることでしょう。

 幕末の実際の人物が出てきます。南方仁は佐久間象山の身体を診ることになり、坂本龍馬と京都まで行くことになります。もう龍馬は、船で江戸と大阪を行き来しているのです。
 この佐久間象山が治療するのですが、その治療治療中に象山は、南方仁が生きていた西暦2000年の東京を夢にみたことを思い出します。それは象山が子どもの頃10歳のときのことでした。でも残念なことに象山はしれで亡くなります。
 最後に象山は、南方仁に語ります。

 わしが見た未来の世界のことは誰にも語らぬと決めていた・・いつか わしと同じ未来を見たものと出会うまでは・・
 交代だ・・わしに替わってお主が・・闘う番だよ
 この時代があの未来に・・近づく為に・・

 象山のことをいろいろと思い出していました。



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2009年11月04日

周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第5巻」

JIN―仁 (第5巻) (ジャンプ・コミックスデラックス)
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 この漫画の最初から出てくるのが、橘咲です。彼女はいいですね。この娘のことを南方仁は何故好きにならないのかなあ。

書 名 JIN−仁−第5巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2005年12月7日第1刷発行
読了日 2009年11月3日

 この単行本の裏面にある解説です。

 幕末にタイムスリップした現代医・南方仁。幾多の知遇を得て幕末の人々の息遣いに触れた仁は、この時代で生きていくことを決意する。東洋医学と西洋医学の融合した新しい治療所作りに動き始める中、密かに仁を慕う吉原随一の花魁・野風に病変の徴候が現れて!?

 扉にある著者の書いていることです。

 作画するにあたり、あちこちの江戸資料館を取材しています。そこで感じたのは、近頃の展示が視覚的で、とても楽しめるところが増えていることです。たとえば深川の資料館などそれほど広いスペースではありませんが、そこに住む住人の年齢、性別、職業等が細かく考察され、しかも実際の季節の移り変わりと共に展示も変化させてゆくという念のいれようです。ここで想像をかきたてられる江戸庶民のリアリティを、どこまで再現できるかに挑戦することも、この漫画のひとつのテーマだと思っています。

 この巻では、新門辰五郎が出てきます。歴史上の人物ですが、彼の気っ風みたいなものをこの漫画でもそのまま感じました。
 この巻では野風の乳癌の手術に成功します。それへの橘咲の対応もいいです。私の妻が今年の4月末から5月の連休にかけて入院し、乳癌の手術をしました。見事成功して、私も娘二人もものすごく喜んだものでした。そのことを思い出していました。
 しかし、発行日を見ますと、発行にはかなり時間がかかっているのですね。私のようにまとめて読めるのはいいですが、実際にこれが発行されるごとに読んでいた人は大変でしたね。



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周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第4巻」

JIN―仁 (第4巻) (ジャンプ・コミックスデラックス)
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 ペニシリンを苦心して作ります。青かびから作るんだよね。思えば、私なんかペニシリンにお世話になったことあるのかな。
 でもでも、いくつかのことを思い出しました。ペニシリンに関する哀しい思い出です。戦後は大変なことがいくつもあったのですね。

書 名 JIN−仁−第4巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2004年11月9日第1刷発行
読了日 2009年11月3日

 この単行本の裏面にある解説です。

 数奇な運命を辿り、幕末に降り立った現代医・南方仁。卓越した医療技術で注目を浴び、独自に天然ペニシリン精製も成功させた。しかし、優れた技術から疎まれ、医学界から攻撃が始まる中、皮膚移植手術を行う事に。だが、手術の鍵となるペニシリンに危機が迫っていた!!

 扉にある著者の書いていることです。

 初秋に鹿児島県妙見温泉を訪れました。坂本龍馬が妻、おりょうと本邦初の新婚旅行をした所です。龍馬たちも立ち寄った犬飼の滝への道は両側に迫る迫る山と、刈り取りを待つ田圃の間を縫うように続き、所々まっ赤な曼珠沙華の花が群れて咲いていました。ここでは百数十年の時の流れはたちまち逆流し、今にも山の細道に龍馬負債が姿を現すかと思ったその時、峡谷の空を旅客機がジェット音を残して横切りました。「なんだ幕末なんてついこの間のことなんだな。」私は白昼夢の余韻にときめきながら暫しそこに立ちつくしていました。

 いつも思うのですが、南方仁は、この時代に行って、飲み水はどうなのだろうな。それとトイレが大変でしょうね。そんなことを思います。
 三代目澤村田之助の描き方がいまいち判りません。金貸しのばばあが、ひどい奴みたいで、それは判りましたが、この澤村田之助はよく判らないなあ。



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周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第3巻」

JIN―仁 (第3巻) (ジャンプ・コミックスデラックス)
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 坂本龍馬と知り合った南方仁ですが、龍馬によって遊郭の吉原に連れていかれます。龍馬も当然金は持っていないわけですが、でもでも店主と縁があったようです。

書 名 JIN−仁−第3巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2003年5月3日第1刷発行
読了日 2009年11月3日

 この単行本の裏面にある解説です。

 幕末にタイムスリップした医師・南方仁は坂本龍馬と知り合い、遊郭・吉原に連れられていく。最高級の花魁・野風との出会い、店の主の手術を経て、二人は吉原の町を知ってゆく。絢爛たる輝きの裏には、花魁達を苦しめる瘡毒の蔓延が・・・。仁は新たな戦いを決意し!!

 扉にある著者の書いていることです。

 父が満91歳で逝きました。若い頃日本画を学び、戦後は映画会社の美術係りとして働き、有職故実を得意とした父は、この作品を描くにあたり大変に心強いブレーンとなってくれました。この一年数か月、病床にあっても『仁』の掲載をいつも心待ちにしてくれていました。丁度この巻の最終話を枕頭に届けた暫く後、桜咲く前のお彼岸に旅立ちました。最後の感想は聞きはぐってしまいましたが、きっと、「決して満足せず、より質の高い面白い漫画を描き続けろ」と、明治生まれの人らしく叱咤してくれたことでしょう。
 この巻を父・練三に捧げます。

 この遊郭の店主の突然の病を仁は見事治すことになります。この店主は、花魁の野風を育てた人間でした。
 私は、吉原を歩いたことがあります。男性は私を含めて4人だったのですが、それを10人を超える女性たちが囲んで歩いてくれたものでした。吉原は、今はものすごいソープランド街なのです。あ、でもあれはもう10年前だなあ。
 この花魁の野風がいいです。テレビ番組でも中谷美紀さんなのですが、ものすごくいいです。彼女がとっても好きになれます。



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周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第2巻」

JIN―仁 (第2巻) (ジャンプ・コミックスデラックス)
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 この号で、背景に生麦事件があります。あれは実に嫌な事件です。あれが薩英戦争になるわけです。だが、当時のインドや清の対応とは、この日本は違ったと思いますね。

書 名 JIN−仁−第2巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2002年4月9日第1刷発行
読了日 2009年11月3日

 この単行本の裏面にある解説です。

 謎の急患の手術を終えた後、逃走した患者と揉み合って幕末の江戸へタイムスリップした脳外科医・南方仁/ 現代の医術で江戸の人々を救う決意を固めた仁は負傷した外国人水兵を見事な手術で治療/ 続いて流行中の虎狼痢(コレラ)の伝染を阻止しようとするが・・・。

 扉にある著者の書いていることです。

 江戸時代は思っている程に遠い過去ではありません。何故って、その時代に人々を苦しめた病気、例えば結核や性病にしたって、ほんの50〜60年前まで人類を苦しめてきた難病だったのですから。人と病気との闘いに古いものも新しいも無いと改めて思いました。そして更にさまざまな制約の中で想像以上に新医学の吸収に貪欲であった江戸時代の医師たちに心からの敬意を抱かずにはいられないのです。

 この巻で、緒方洪庵が出てきます。「そんな馬鹿な。洪庵は大阪に居たのではないか」と思い調べてみましたが、この作品のとおり、この時期は江戸にいて、1863年に亡くなっています。
 この緒方洪庵の大阪船場に開いた適塾には、大鳥圭介、大村益次郎、橋本左内、福沢諭吉もいるのですね。私は靖国神社の大村益次郎の像を思い浮かべていました。こうした人物と南方仁がいつか出会うこともあるのかなあ。
 それと坂本龍馬が出てきます。龍馬というのは、来年のNHKの大河ドラマでやるということですが、昔の『竜馬がゆく』とは違ってもっと違う人物だったように私には思えます。思えば、この漫画で描かれている龍馬が私には、もっと本当に近い人物に思えます。



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2009年11月03日

周の雑読備忘録「村上もとか『JIN−仁−』第1巻」

JIN―仁 (第1巻) (ジャンプ・コミックスデラックス)
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 日曜日テレビで、このマンガをテレビ画像にしているのを見ています。

書 名 JIN−仁−第1巻
著 者 村上もとか
発行所 集英社
定 価 530円
発行日 2001年4月9日第1刷発行
読了日 2009年11月3日

 この単行本の裏面にある解説です。

 現代の脳外科医・南方仁は頭部裂傷の緊急手術の執刀中、頭蓋骨内封入奇形胎児を発見、摘出する。手術後、謎の声が"元へ戻シテ"と仁に囁き、更に仁は逃走したオペ患と揉み合ううち、何と幕末へワープしています。近代器具なき現代医・仁の医術は幕末に通じるか?

 扉にある著者の書いていることです。

 臓器移植だクローンだ、はては人ゲノムの解読だと、まるで不可能など無いかのような最先端の医学の進歩。しかし、未だ人間は誰でも必ず死を迎えます。今から百数十年前の江戸時代、今では難病でも何でもない病気やケガで人々が命を落とした時代を我らの先祖はどのように生き、そして死んだのか。そしてその現場に現代の医師が臨んだ時、どのような治療が可能なのか。そんな空想に医学的考証を加えた命のドラマを描いて行きたいと思います。応援ヨロシク/

 この漫画はもともとは『少年ジャンプ』で連載されたもののようです。私はテレビで見たばかりです。私はてっきり1、2回で終わる番組だと思っていたのですが、きょうミツ君の単行本で読んでいて、ひとりで、あちこちの場面で涙を流していたものです。
 この巻に最後の方で、勝麟太郎が出てきまして、現実の歴史にかかわっていくわけですが、これはどういうことだろうと思ってしまいました。いや、実はテレビの番組では真面目には見ていないのですね。
 とにかく、今は5巻まで読みました。そのあとも引き続き読んでまいります。
 あ、今この物語の主人公の名前が南方仁だと判りました。私が判るのが遅いんだなあ。



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2009年10月04日

鐘成律子さんは「かねなりりつこ」と読むのでした の2

 この「週刊アスキー」での「ハニカム」は、このWikipediaで見ますと、鐘成律子さんの他の人物は、以下の通りです。

9c34068f.jpg御手洗 勉(みたらい つとむ)
湧水 萌(ゆうすい めぐみ)
音節 舞(おとふし まい)
米斗 王里(よねと おうり)
守時 規子(もりとき のりこ)
妙子(たえこ)
糸丑 治五郎(いとうし じごろう)

 これを読む限り、実に変わった姓名の方ばかりですね。御手洗は、当然に島田荘司の小説に出てくる探偵の「御手洗潔」を思い出します。
 でも、こうして物語の中身を知ることができて嬉しいです。

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2009年08月19日

周の雑読備忘録「手塚治虫『MW(ムウ)供戞廚悗離灰瓮鵐

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 周の雑読備忘録「手塚治虫『MW(ムウ)供戞目森一喜さんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by 目森一喜   2009年08月19日 05:22
 宇宙を行く女性というと、エイリアンという映画がそうですね。まあ、アレは単性生殖ですが、やはり、どう見てもメスです。ですから、シガニー・ウィーバー演じる地球人女性との戦いは、女の戦いなんですね。で、その過程でオスはみんな死んでしまいます。トホホ。最後は、女性が生殖機能から分離され、生命は培養器から誕生する事となります。すると、機械と人間の垣根もなくなります。
 MWではありませんが、各国が無力化剤と称して毒ガス兵器を研究してます。その中には敵を同性愛者にしてしまおうというものもあります。旧ソ連圏では子供を実験台に使っていますね。

 これを読んで、でも私では判らないので、でもひょっとしたらという思いで、「シガニー・ウィーバー」を検索しましたら、「ああ、やっぱりあの女優さんだ」となりました。彼女は私よりも1歳年下なだけなんですね。そうすると彼女は今60歳ということですね。また

   シガニー・ウィーバーが60歳にして「エイリアン」に復帰か?

という記事もありました。
 ソ連は最悪最低の国家でしたね。スターリン主義というのは、もうどうしようもない存在です。でもでも、私は「スターリン主義」というのが、マルクス主義だと思っているのですね。ただし、マルクス主義とマルクスというのは違うのかな、とは私は思っています。

 でも手塚治虫のこの漫画を読んでいまして、昔沖縄で隊列をなして行進していたアメリカ兵を思い出します。変な隊長もいて、雨が振っても、隊列を組ませてずっと行進させるのもいるのでしたね。あの兵隊たちが、すぐにベトナムへ行ってベトナム人を殺していたわけです。

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2009年08月18日

周の雑読備忘録「手塚治虫『MW(ムウ)供戞

MW(ムウ) (2) (小学館文庫)
MW(ムウ) (2) (小学館文庫)
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 この漫画を16日に妻に貸していまして、妻は読むのが早いので、私もこの「供廚鬚△錣討篤匹鵑任い泙靴拭

書 名 MW(ムウ)
著 者 手塚治虫
発行所 小学館文庫
定 価 581円+税
発行日 1995年3月10日初版第1刷発行
読了日 2009年8月16日

目次
 協力者
 邂逅
 標的[ターゲット]
 封じこめ
 アラベスク
 倒錯
 エピソード
 仮面の訪問
 R基地に悪魔がきた
 人質
 破滅への出発
 最後の賭

 手塚治虫の作品は、私にはいつも必ず人が死んでしまうことが、少し嫌になっています。それと、私はどうしても登場する女性の主要メンバーが気になります。
 私は以下のように書いたことがあります。

「鉄腕アトムというのは、実は女の子なのだ」というのは、手塚治虫自身が言い切っているようです。

   アトムは女性なんです。
   (手塚治虫「虫られっ話」潮文庫/ジュディ・オングとの対話)

 このことは、私は以下に書いております。

   http://shomon.net/manga/bookma2.htm#tezuka 手塚治虫「アドルフに告ぐ」

 だから、どうしても主要登場人物の女性は、同じ顔をしています。いつも手塚治虫の描く女性なのです。
 そしてこの物語では、結城美知夫が女に変幻したときの顔姿は、まさしくこの手塚治虫の描く女性なのです。
 アトムは永遠に宇宙を飛び続けるのでしょう。でも、この本当は女性なのだ、ということはずっと解けていかないものとして残るのかもしれません。

 このMWの物語もまた、ずっと私の心の中に残っていく作品でしょう。



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周の雑読備忘録「手塚治虫『MW(ムウ)機戞

MW(ムウ) (1) (小学館文庫)
MW(ムウ) (1) (小学館文庫)
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 ひさしぶりに手塚治虫の漫画を読みました。ただ、私はこれはすぐにでも読み終わるだろうと考えていましたが、そうはいきませんでした。私が15日に 「2人の微SHOW」を見てきました の東京駅までの往復で読めると考えていたのですが、そんな簡単な内容ではありませんでした。

書 名 MW(ムウ)
著 者 手塚治虫
発行所 小学館文庫
定 価 581円+税
発行日 1995年3月10日初版第1刷発行
読了日 2009年8月15日

 映画化されたようです。でも配役の結城美知夫と賀来巌が玉木宏と山田孝之なのですが、どちらがどちらを演じるのでしょうか。とにかく、それは見てから考えてみましょう。

目次
 誘拐
 悪夢
 一蓮托生
 トライアングル
 報復
 悪魔の化身
 虎口に入る
 栄光の夜
 殺しのプレリュード
 疑惑の穽
 第三の証人
 廃墟
 島の果て
 再会

 この題名のMWとは、MANとWOMWNの略であるといいます。なるほどなあ、という思いですね。

 60年安保闘争と70年安保の間に沖縄の「沖ノ真船島」である出来事がありました。ちょうどアメリカがベトナム戦争をやっていたときです。
 この島で結城美知夫と賀来巌は出会います。ただそのときは、この島にいた住民も賀来巌以外の仲間もすべて死んでしまいます。一緒に洞窟にいた結城美知夫も二人だけで生き残ります。
 こうなった原因は、米軍も持っていたMWという毒ガスのようなのです。
 生き残った二人は、どうしてか、結城美知夫は銀行員になり、賀来巌は神父になっています。ここから、この二人を中心とする奇妙な縁が続きます。
 本来は、普通の優しい少年であった美知夫は、米軍の毒ガスのためか、自分の受けた経験のせいか、大変に恐ろしい人間になっています。そんな美知夫を救いたいという思いで、巌は神父になるのです。
 ただどうみても、この二人の闘いは悪魔である美知夫のほうが勝っているようです。だが、その美知夫の身体には毒ガスの影響なのか、死の姿が迫っています。だがそのときに、美知夫には、自分の死とともに、全人類全世界にも死を至らせようとします。それを巌は絶対に阻止しようとします。
 この二人の闘いがこの物語の話なのです。

 映画を見てみたいなととにかく思ったものです。



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2009年07月30日

周の雑読備忘録「戸部けいこ『光とともに……』13」 の2

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 私は 周の雑読備忘録「戸部けいこ『光とともに……』13」 に次のように書いていました。

 私が小学生の頃は、「自閉症」なんて言葉そのものがありませんでした。ただ、私が小学校4年のときの名古屋市千種区の内山小学校には、「特殊学級」クラスがありました。あれが今の自閉症児だったのでしょうね。

 私の脳裏にものすごく甦ってきます。あれは私が10歳のときでした。その年の学芸会で、このクラスの子どもたちが演劇をしてみせてくれていました。内容は、軽度の自閉症(その頃はそんな言葉もありませんが)の子が、重度の自閉症の子をいじめる内容でした。そのときの私にはその内容の深さは判りませんでしたが、今になってはやっと判ります。
 この私は41年の年月が経過してはじめてその演劇の内容が判ったものなのです。
 あのクラスは、もう中学生になった生徒も、そのクラスにいました。そういう年上の生徒さんが下の子たちをみていたように思います。
 でも私は小学校4年だけで、次の5年のときは、北区の六郷小学校に転校していました。
 思えば、この『光とともに……』には実によく描いていてくれます。
 第14巻で、雅人のお母さんと奥野さんの会話が次のようです。

 へえ……
 さっぱり わかりませんわ
 だいいち  昔はいなかった  でしょう?
 聞いたこと ありませんもの

 それは ただ知られて なかっただけで
 わしが思うに いつの時代にも どこの国にも
 いたのじゃ ないかなァ

 この雅人のお母さんも判っていません。でももっと判っていない人がいるのです。私も判っていないのです。

続きを読む

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戸部けいこ『光とともに……』について

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 ここに「戸部けいこ『光とともに……』」を読んだあとの私の拙い思いを書いてきました。でも今出版されているのは、14巻ですべてなのです。そのあとももちろん、読んでいきますが、今のところは仕方ありません。
 それで、しばらく読むのを中止していた北方謙三『水滸伝』も今後読んでいきます。これは以下の巻で止まっていました

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51584217.html
       周の雑読備忘録「北方謙三『水滸伝 十四 爪牙の章』」

 私は北方謙三さんはいくつもの作品を読んできていますが、こうして長い作品は途中でくたびれてしまうことがあるのです。
 また読んでまいります。

 今までの「戸部けいこ『光とともに……』」については、

  周の雑読(漫画・コミック)備忘録 

を読んでみてください。

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周の雑読備忘録「戸部けいこ『光とともに……』14」

光とともに 14―自閉症児を抱えて
光とともに 14―自閉症児を抱えて
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書 名 光とともに……14
       自閉症児を抱えて
著 者 戸部けいこ
発行所 秋田書店
定 価 760円+税
発行日 平成21年2月10日初版発行
読了日 2009年7月30日

 何故かトイレの中で読んでいるうちに、パソコンの前でも最後まで読んでしまいました。そしていつも同じなのですが、私はいくつものページで涙ばかりになっていました。
 雅人が、自分の母親の家に引越する気持になります。同居するわけですが、雅人と幸子の家族には、光と花音がいるのです。これではどうなってしまうかと大変に気になります。雅人のお母さんの前で、幸子と雅人はどうしてもすれ違います。見ている私たちが知るだけなのです。
 このお母さんが、長野県の小淵沢に住んでいる奥野さん(彼はある作家の家の留守番をしているようです)を尋ねます。小淵沢も私はよく知っていますので、「ああ、あそこか」なんて思い出していました。
 最後のぺージに、このお母さんと奥野さんの会話があります。

 孫なのに
 バカにして

 毛嫌いして……

 ひどい
 おばあちゃん
 ですわ

 そんなこと
 ないですよ

 あなたは
 後悔している

 すごく
 いい人ですよ

 もう私はただただ涙が溢れるのです。
 その前のページで奥野とお母さんの会話が次のようです。

 IQ高かったり
 言葉の遅れない
 自閉症の人も
 いるんですよ

 だから
 わかりにくくて
 教授も大人になって
 診断されたって
 言っていました

 専門医が
 少ないせいか
 病院にいく度に
 いろんな診断名を
 つけられたって

 へえ……
 さっぱり
 わかりませんわ
 だいいち
 昔はいなかった
 でしょう?
 聞いたこと
 ありませんもの

 それは
 ただ知られて
 なかっただけで

 わしが思うに
 いつの時代にも
 どこの国にも
 いたのじゃ
 ないかなァ

 なんせ
 最初の論文が
 書かれたのが
 20世紀半ば
 だっていうし

 ここ
 2〜30年で
 ようやく
 わかってきた
 ことだから

 こうした会話のあとで、上のお母さんのことばがあるのです。
 少なくとも私は必ず理解できるようになっていこうと思っています。



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2009年07月29日

周の雑読備忘録「戸部けいこ『光とともに……』13」

光とともに 13―自閉症児を抱えて
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書 名 光とともに……13
    自閉症児を抱えて
著 者 戸部けいこ
発行所 秋田書店
定 価 760円+税
発行日 平成20年5月30日初版発行
読了日 2009年7月29日

 この号ももうあちこちで私は涙を流しました。やっぱり電車の中では読めないですね。私は松戸自主夜間中学校で過ごした日々を思い出していました。
 私が接してした自閉症児のA君を思い出していました。私は他のボランティアで来てくれる中で、このA君をからかう子を決して許しませんでした。「ボクはいじめをしているわけじゃない。そうですよね……」と言い張るのですが、でも私は許しませんでしした。「そういう君の態度、姿勢がいじめなのだ」と私はいい続けたものです。

 この物語の、光君の妹花音ちゃんは、どんなに辛いことでしょうか。どんなに大変なことでしょうか。でも漫画の中でもお母さんがけっして理解できているわけではありません。
 今も224ページで、花音ちゃんが「バカって 言うほうが バカなんだか からねーっ」というシーンには、ただただ涙がでます。実は言った飯田君だって、いけないわけではないのです。
 でもでも、やはり言わなければならないのです。
 私が小学生の頃は、「自閉症」なんて言葉そのものがありませんでした。ただ、私が小学校4年のときの名古屋市千種区の内山小学校には、「特殊学級」クラスがありました。あれが今の自閉症児だったのでしょうね。
 201ページの「中学校篇第18話」にある言葉が以下です。

  お兄ちゃんの
  バカバカバカ
  大嫌い

   また
   花音のオモチャ
   こわしたね

      でも……

  お兄ちゃんを
  バカにする人は
  もっともっと
  大嫌い───

 私は花音ちゃんに嫌いになられないかなあ。私も努力しなくてはいけないのです。いや「努力」しないで、普通に振舞ったら、私は何もかも気がつかないのです。



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いつも本を読んでいますが

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 私が本を読むのは、いつも電車に乗ったときです。でも、その他でも、ここでトイレに入るときには読んでいます。
 とくに、戸部けいこ『光とともに……』は、電車の中では読めないのです。だからどうしても読み進みません。電車の中で、私のようなじいじが涙を流していてはおかしいでしょう。
 今もトイレの中で、この本の13巻を読んでいて、また涙を流してしまいまして、もう読み続けることができなくなりました。

 だから、どうしてもこの漫画はその感想を書きますのが、なかなかできません。

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2009年07月23日

周の雑読備忘録「戸部けいこ『光とともに……』12」

光とともに 12―自閉症児を抱えて
光とともに 12―自閉症児を抱えて
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書 名 光とともに……12
    自閉症児を抱えて
著 者 戸部けいこ
発行所 秋田書店
定 価 760円+税
発行日 平成19年12月30日初版発行
読了日 2009年7月22日

 お母さんが最初の恋を思い出すところがあります。現在の夫雅人さんに似た感じの人でした。自分の娘花音ちゃんが他の子と遊んでいうときに思い出すのです。
 でも私はここのあたりがよく絵を見ても内容が把握できません。お母さん同士でカラオケ店に行くのですが、それも私にはもう遠い話になってしまいました。

 花音ちゃんの小学校の卒業式で、光を雅人の母親が預かるところがあります。もう読んでいる私も心配になります。でもこの義母も大変なことを必死でやっているのです。
 雅人が住んでいるマンションの管理組合の理事長になるところもありますが、これは私も我孫子のマンションで経験しました。

 でも光のことでは、光の母親とその祖母の雅人の母とでは意見が食い違うところがあります。
 もう読んでいて、深く考え込んでしまうところです。

 最後に『井上春子「発達障害のある子の祖母として」』があります。

 私の孫は31歳、私は今年86歳になりました。
 子は日々体験を通し学び育つけれど、その子を見ながら親も育っていくものだと思う。生活は共にしたことはありませんが、娘親子を見守りながら、祖母の私も色々と学ばせてもらいました。

 『子供しかるな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ』と誰かが言っていた。子育ては出生の声と同時に始まり、親は子供の終生を案じているものだと思います。

 こうして読んだことの記録を書いておくことはいいなあ、とつくづく感じています。



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2009年07月12日

周の雑読備忘録「戸部けいこ『光とともに……』11」

光とともに 11―自閉症児を抱えて
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 やっぱり同じです。部屋に籠もって読むしかありません。やっぱりどうしても私が涙が溢れてしまうからです。

書 名 光とともに……11
    自閉症児を抱えて
著 者 戸部けいこ
発行所 秋田書店
定 価 760円+税
発行日 平成19年6月30日初版発行
読了日 2009年7月12日

 もうお義母さんの言葉で、私はもう涙を流すしかないのです。このお義母さんは、こんな人だったのですね。嫌です。嫌です、悔しいです。人間って、こんなはずじゃありません。

さっきまで お母さんって 言っていた私が
お母さんと 呼ばれている
母であって 娘 私にとっては どちらも大切───

 でももう花音ちゃんも大きくなりました。
 赤松先生も今も頑張っています。前にはあまり好きになれなかった先生ですが、今はだんだん好きになりました。

 最後のほうで、このご夫婦のすれ違いが書いてあります。でも二人はちゃんと分かり会えたようです。
 こんなことってあるよなあ、としみじみ読んでいました。

 いえ、上のように書きましたが、やはりこのお義母さんもいい方なはずです。



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周の雑読備忘録「戸部けいこ『光とともに……』10」

光とともに… (10)
光とともに… (10)
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 この漫画はなかなか読み進みません。もうどのページでの私が涙が溢れてしまうからです。だから外で電車の中では読めませんし、パソコンのそばで独りで読んでいても、いつもページを閉じてしまいます。

書 名 光とともに……10
      自閉症児を抱えて
著 者 戸部けいこ
発行所 秋田書店
定 価 760円+税
発行日 平成18年9月30日初版発行
読了日 2009年7月12日

 光が日光自然教室へ行きます。一日生徒を引率する赤松先生は緊張のしっぱなしです。光が帰ってきたときの、お母さんと赤松先生の会話が以下です。

お母さん「赤松先生 本当にありがとうございました!
     大変なこと いっぱい あったんじゃないですか?
     ごめんなさいです ほんとに」
赤松先生「いえ…… 大丈夫です なんてこと ありません」
赤松先生(心の中で)「この人はよく12年間も笑顔で育ててきたな」

 最後に、お母さんの言葉です。「このやわらかく かけがいのない 七月小の空気を いつまでも 宝のように しまう 私でした

 私はもう涙が溢れてしまうのです。

 つばさ君がいつも光のことも見てくれています。美羽ちゃんのことも見てくれています。

お父さん「なんだかつばさ君 すっかりお世話係だね」
お母さん「話しかけて返事くれるの彼だけだし 先生もつい頼っちゃうんだろうね」

 でもこのつばさ君を他の子どもたちがいじめています。もう涙が出て腹の立つところです。

七月小最後の日に つばさ君は 言ったそうです。
つばさ君「先生笑ってよ 笑わないと 幸せが 逃げちゃうんだよ
     さよなら」

 赤松先生は、最後にこう思います。

 そう言えば僕 いつも不機嫌な顔していたな…
 イライラして つい どなりちらして…

 つばさ君に …………
 もっといっぱい 笑ってあげれば よかった ───

 最後に『おおきくなったら、明るく元気に働く大人に』(Rくんママ佐藤和美)という文があります。この作品の光君のお母さんのモデルになった方なのでしょう。

 Rと関わったことのないお友達が「Rくんはちょっとおかしいよね」などと言い出すと「Rくんはおかしい人じゃない。楽しい、愉快な人だ」と言ってくれた子。「Rくんはおかしくないよ!がんばっているんだよ!」と怒り出した子。発表回のとき、Rの発表している様子がおかしかったのか、笑い出した子供たちに対して、「あんなに一生懸命やっているRくんを、どうして笑うんだ!」と真剣に怒ってくれた子。みんな大人に植えつけられたものではなく、日々の関わりの中で感じて、発信してくれたことがとても嬉しく感じました。

 また私は涙になりました。でも、私だって、少しも判っていない人間なのです。



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