周の雑読備忘録(朗読篇)

2009年03月21日

周の雑読備忘録「森鴎外『舞姫』」

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 昨日私は、長女家族4人と私の次女ブルータスの住む君津市へ行ってきまして、ブルータスとナオキ君の案内で、マザー牧場に行ってきました。
 午後1時頃牧場に入りまして、ようやく雨がやみ、みるみるうちに、実にいいお天気になって行きました。かなり大時間を過ごして、そのあとブルータスとナオキ君の家へ行き、そしてある素敵なお店に食事に行きまして、そして帰りました。
 その帰りの車の中、私は電子辞書で、「森鴎外『舞姫』」を聞いていました。もうあと3分の1くらいをまだ聞いていなかったのでした。
 太田豊太郎は、エリスとの間に赤ちゃんができるのですね。

 戸の外に出迎へしエリスが母に、馭丁を労(ねぎら)ひ玉へと銀貨をわたして、余は手を取りて引くエリスに伴はれ、急ぎて室に入りぬ。一瞥(いちべつ)して余は驚きぬ、机の上には白き木綿、白き「レエス」などを堆(うづたか)く積み上げたれば。
 エリスは打笑(うちゑ)みつゝこれを指(ゆびさ)して、「何とか見玉ふ、この心がまへを。」といひつゝ一つの木綿ぎれを取上ぐるを見れば襁褓(むつき)なりき。「わが心の楽しさを思ひ玉へ。産れん子は君に似て黒き瞳子(ひとみ)をや持ちたらん。この瞳子。嗚呼、夢にのみ見しは君が黒き瞳子なり。産れたらん日には君が正しき心にて、よもあだし名をばなのらせ玉はじ。」彼は頭を垂れたり。「穉(をさな)しと笑ひ玉はんが、寺に入らん日はいかに嬉しからまし。」見上げたる目には涙満ちたり。

 でもでも、エリスとの愛で、職場を失った豊太郎も、友人の相沢謙吉のおかげで、復職でき、やがて、日本に帰ります。
 でもこの小説の最後には、次のようにあります。

 嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡(なうり)に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。

 でも私から言わせてもらえば、この豊太郎は勝手な男だよなあ。エリスはパラノイアになったということが書いてあります。
 実際には、再び鴎外に会うために、東京までくるわけですから、そういうことはなかったのでしょうが、実は、この真相はよく判っていないのです。
 でも思えば、この森鴎外の舞姫のことを、私に教えてくれましたのは、吉本(吉本隆明)さんの講演の中でのことでした。

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2009年03月12日

周の雑読備忘録「宮沢賢治『なめとこ山の熊』」

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 私はこの物語を中学生のときに読んでいました。でもこの朗読を聞き出すと、もう物語のすべてが私に甦えってきます。最後に熊に殺されてしまう小十郎、そしてその小十郎の死の対して、殺した熊自身が「殺すつもりはなかった」ということも思い出してきたのです。
 そして最後に、何匹もの熊が小十郎お死骸を囲んでいます。そのシーンも明確に私の脳裏に甦ってくるのです。
 前に読んだのはいつかなあ。中学生のときではなく、小学校5年の時だったかもしれないなあ。
 あのときは、名古屋の北区の六郷小学校で、担任の嶋先生が授業中に読んでくれたものでした。ぜひとも、小学生のときに、こうしたいい物語を生徒さんたちに読み聞かせてほしいものです。思えば、私の次女ブルータスが百人一首ゲームを小学生のクラスでやっているのはいいことなのですね。

 小十郎は白沢の岸を溯(のぼ)って行った。水はまっ青に淵(ふち)になったり硝子(ガラス)板をしいたように凍ったりつららが何本も何本もじゅずのようになってかかったりそして両岸からは赤と黄いろのまゆみの実が花が咲いたようにのぞいたりした。小十郎は自分と犬との影法師がちらちら光り樺(かば)の幹の影といっしょに雪にかっきり藍(あい)いろの影になってうごくのを見ながら溯って行った。
 白沢から峯を一つ越えたとこに一疋の大きなやつが棲(す)んでいたのを夏のうちにたずねておいたのだ。
 小十郎は谷に入って来る小さな支流を五つ越えて何べんも何べんも右から左左から右へ水をわたって溯って行った。そこに小さな滝があった。小十郎はその滝のすぐ下から長根の方へかけてのぼりはじめた。雪はあんまりまばゆくて燃えているくらい。小十郎は眼がすっかり紫の眼鏡(めがね)をかけたような気がして登って行った。犬はやっぱりそんな崖(がけ)でも負けないというようにたびたび滑りそうになりながら雪にかじりついて登ったのだ。やっと崖を登りきったらそこはまばらに栗の木の生えたごくゆるい斜面の平らで雪はまるで寒水石という風にギラギラ光っていたしまわりをずうっと高い雪のみねがにょきにょきつったっていた。小十郎がその頂上でやすんでいたときだ。いきなり犬が火のついたように咆(ほ)え出した。小十郎がびっくりしてうしろを見たらあの夏に眼をつけておいた大きな熊が両足で立ってこっちへかかって来たのだ。
 小十郎は落ちついて足をふんばって鉄砲を構えた。熊は棒のような両手をびっこにあげてまっすぐに走って来た。さすがの小十郎もちょっと顔いろを変えた。
 ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐(あらし)のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛(か)み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。
「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」
 もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。
 とにかくそれから三日目の晩だった。まるで氷の玉のような月がそらにかかっていた。雪は青白く明るく水は燐光(りんこう)をあげた。すばるや参(しん)の星が緑や橙(だいだい)にちらちらして呼吸をするように見えた。
 その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環(わ)になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸(しがい)が半分座ったようになって置かれていた。
 思いなしかその死んで凍えてしまった小十郎の顔はまるで生きてるときのように冴(さ)え冴(ざ)えして何か笑っているようにさえ見えたのだ。ほんとうにそれらの大きな黒いものは参の星が天のまん中に来てももっと西へ傾いてもじっと化石したようにうごかなかった。

 もう小十郎は、結構な歳になっていました。彼も他の熊たちと同じように、死ぬときになったのです。
 それにしても、やはり宮沢憲治もいいですね。朗読で聞いていて、私が涙を流すような物語ではないのに、私は涙を流していました。
 もっとたくさんの小説の朗読を聞いていきたいです。

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2009年03月10日

周の雑読備忘録「森鴎外『高瀬舟』」

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 京都に行ったときは、いつもこの高瀬川を見ています。「こんな細い川が鴎外の小説の舞台なんだ」といつも思っています。
 ただし、私が読んだのは中学2年のたしか5月のことでした。

 高瀬舟(たかせぶね)は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島(ゑんたう)を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞(いとまごひ)をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた、默許であつた。

 いつも京都では、見慣れてしまっていた細い川で、でも急流です。私はこの川を見ても、なんどもとにかく、そこのあたりで飲んでしまいます。
 でも今度はもっとちゃんと歩いてみようかなあ、という気持になりました。

 いつの頃であつたか。多分江戸で白河樂翁侯が政柄(せいへい)を執つてゐた寛政の頃ででもあつただらう。智恩院(ちおんゐん)の櫻が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍らしい罪人が高瀬舟に載せられた。
 それは名を喜助と云つて、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。固より牢屋敷に呼び出されるやうな親類はないので、舟にも只一人で乘つた。
 護送を命ぜられて、一しよに舟に乘り込んだ同心羽田庄兵衞は、只喜助が弟殺しの罪人だと云ふことだけを聞いてゐた。さて牢屋敷から棧橋まで連れて來る間、この痩肉(やせじし)の、色の蒼白い喜助の樣子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬つて、何事につけても逆はぬやうにしてゐる。しかもそれが、罪人の間に往々見受けるやうな、温順を裝つて權勢に媚びる態度ではない。
 庄兵衞は不思議に思つた。そして舟に乘つてからも、單に役目の表で見張つてゐるばかりでなく、絶えず喜助の擧動に、細かい注意をしてゐた。

 思えば、この京都にしても、私が今もときどき歩きます鎌倉にしても、もう少し前もって下調べしてからいこうと考えたものです。
 そしてでも、また最後はどこかで飲んでいるのですね。
 この小説の喜助が、はたして罪悪に値するものなのか否かは、私には、この同心と同じように判断できません。ただ、この喜助が島送りになるのに、明るい顔をしていて、「二百文の鳥目(てうもく)」で、島で何かをやっていこうと考えていることは、私にはとても嬉しい思いになれることです。

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周の雑読備忘録「芥川龍之介『羅生門』」

09031003 思い出せば、この作品を読んだのも中学2年のときでした。それからもう45年以上経っていたのでした。
 とても短い小説です。黒澤明「羅生門」に取り入れられた作品です。あの映画は、風景背景はこの『羅生門』から出来ており、物語の筋が『薮の中』から出来ています。

 暫(しばらく)、死んだやうに倒れてゐた老婆が、屍骸の中(なか)から、その裸(はだか)の體を起したのは、それから間(ま)もなくの事である。老婆は、つぶやくやうな、うめくやうな聲を立てながら、まだ燃(も)えてゐる火の光をたよりに、梯子(はしご)の口まで、這つて行つた。さうして、そこから、短い白髮(しらが)を倒にして、門の下を覗(のぞ)きこんだ。外には、唯、黒洞々たる夜があるばかりである。
 下人は、既に、雨(あめ)を冐(をか)して、京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。

 思い出してみれば、芥川龍之介は、中学生のときに読んだきりですね。思えば、もっと作品があるのですから、全作品を読んでみましょう。
 随分前に、ポーランド人の女性で、埼玉大学で、芥川龍之介を研究しているという方とお喋りしましたね。その方との会話もよく憶えています。

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2009年03月08日

周の雑読備忘録「梶井基次郎『檸檬』」

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 この作品も昨日聞いていました。私にはあまり好きだとはいえない作品でした。いえ、梶井基次郎がそれほど好きではなかったものなのです。たしか、高校1年のときに、梶井基次郎の作品はいくつか読んでいたと思います。
 でも昨日、2009年3月7日のポメラ に次のように書いたように、

今家でテレビを見ながら、耳は梶井基次郎の「檸檬」を聞いています。

ということでした。
 でも私は前に読んだ思い出とは違う感覚をおおいに抱いたものでした。

 何處をどう歩いたのだらう、私が最後に立つたのは丸善(まるぜん)の前だつた。平常あんなに避けてゐた丸善が其の時の私には易(やす)々と入れるやうに思へた。
「今日は一つ入(はい)つて見てやらう」そして私はづかづか入(はい)つて行つた。
 然しどうしたことだらう、私の心を充してゐた幸福な感情は段々逃げて行つた。香水の壜にも煙管にも私の心はのしかかつてはゆかなかつた。憂鬱が立て罩(こ)めて來る、私は歩き廻つた疲勞が出て來たのだと思つた。私は畫本(ゑほん)の棚(たな)の前へ行つて見た。畫集(ぐわしふ)の重たいのを取り出すのさへ常に増して力が要(い)るな! と思つた。然し私は一册づつ拔(ぬ)き出しては見る、そして開(あ)けては見るのだが、克明にはぐつてゆく氣持は更に湧(わ)いて來ない。然も呪はれたことにはまた次の一册を引き出して來る。それも同じことだ。それでゐて一度バラバラとやつて見なくては氣が濟(す)まないのだ。それ以上は堪らなくなつて其處へ置いてしまふ。以前の位置へ戻(もど)すことさへ出來ない。私は幾度もそれを繰返(くりかへ)した。たうとうおしまひには日頃(ひごろ)から大好きだつたアングルの橙色の重い本まで尚一層の堪(た)え難(がた)さのために置いてしまつた。――何といふ呪はれたことだ。手の筋肉に疲勞が殘つてゐる。私は憂鬱になつてしまつて、自分が拔いたまま積(つ)み重(かさ)ねた本の群(ぐん)を眺(なが)めてゐた。
 以前にはあんなに私をひきつけた畫本(ゑほん)がどうしたことだらう。一枚一枚に眼を晒(さら)し終つて後(のち)、さてあまりに尋常な周圍を見廻すときのあの變(へん)にそぐはない氣持を、私は以前には好んで味つてゐたものであつた。………
「あ、さうださうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶ひ出した。本の色彩をゴチヤゴチヤに積みあげて、一度この檸檬で試(ため)して見たら。「さうだ」
 私にまた先程の輕(かろ)やかな昂奮が歸つて來た。私は手當り次第に積みあげ、また慌しく潰(くづ)し、また慌しく築きあげた。新(あたら)しく引き拔いてつけ加(くは)へたり、取り去つたりした。奇怪(きくわい)な幻想的(げんさうてき)な城が、その度(たび)に赤くなつたり青くなつたりした。
 やつとそれは出來上つた。そして輕(かる)く跳(おど)りあがる心を制(せい)しながら、その城壁の頂きに恐(おそ)る恐る檸檬を据ゑつけた。そしてそれは上出來だつた。
 見わたすと、その檸檬の色彩(しきさい)はガチヤガチヤした色の階調をひつそりと紡錘形の身體の中へ吸收してしまつて、カーンと冴(さ)えかへつてゐた。私には埃(ほこり)つぽい丸善の中の空氣が、その檸檬の周圍だけ變に緊張してゐるやうな氣がした。私はしばらくそれを眺めてゐた。
 不意に第二のアイデイアが起つた。その奇妙なたくらみは寧ろ私をぎよつとさせた。
 ――それをそのままにしておいて私は、何喰はぬ顏をして外(そと)へ出る。――
 私は變にくすぐつたい氣持がした。「出て行かうかなあ。さうだ出て行かう」そして私はすたすた出て行つた。
 變にくすぐつたい氣持が街の上の私を微笑(ほほえ)ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆彈を仕掛(しかけ)て來た奇怪な惡漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆發をするのだつたらどんなに面白いだらう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「さうしたらあの氣詰(きづま)りな丸善も粉葉(こつぱ)みじんだらう」
 そして私は活動寫眞の看板畫(かんばんゑ)が奇體な趣きで街を彩(いろど)つてゐる京極(きようごく)を下(さが)つて行つた。

 私はこの作品が大正十四年一月のものであり、その本屋が丸善で、場所が京都の京極であることを始めて知ったものでした。

 私が大学へ入ったときに、ある美少女に、文学では「梶井基次郎が好きだ」と言われて、私は何故好きになれないかというのを、この作品を例にして語ったものでした。でも今になって、私がその当時、この作品をどう口に出していえたものなのかは、今になってもさっぱり判りません。
 もうすべてが、大昔のことになってしまっています。

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周の雑読備忘録「中島敦『山月記』」

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 昨日私は秋葉原へ行ったときに、私の常に携帯していますカシオのXD-SF6200で、中島敦『山月記』を聞いていきました。もちろん、目ではこの電子辞書の画面を見ています。画面は縦書きで見ることができます。

 私はこの小説を読んだのは、高校1年のときであるし、この朗読でも前にも江守徹さんのCDでも聞いたことがありました。今回のは違うかたです。
 こう始まります。

 隴(ろう)西の李徴は博學才穎(さいえい)、天寶の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた。いくばくもなく官を退いた後は、故山、(くわく)略に歸臥し、人と交を絶つて、ひたすら詩作に耽つた。下吏となつて長く膝を俗惡な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺さうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に驅られて來た。この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに烱々として、曾て進士に登第した頃の豐頬の美少年の俤は、何處に求めやうもない。數年の後、貧窮に堪へず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになつた。一方、之は、己(をのれ)の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遙か高位に進み、彼が昔、鈍物として齒牙にもかけなかつた其の連中の下命を拜さねばならぬことが、往年の秀才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として樂しまず、狂悖(はい)の性は愈抑へ難くなつた。一年の後、公用で旅に出、汝水(ぢよすゐ)のほとりに宿つた時、遂に發狂した。或夜半、急に顏色を變へて寢床から起上ると、何か譯の分らぬことを叫びつつ其の儘下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻つて來なかつた。附近の山野を搜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなつたかを知る者は、誰もなかつた。

 私の印象では、もっと短い小説でした。こうして朗読になって、全部を聞いていますと。とても長く聞こえるのです。
 そして前から気になっていた箇所ですが、李徴が自分の詩を朗読するところです。

 袁參(この參は本当はにんべんがついています)は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随(したが)って書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡(およ)そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁は感嘆しながらも漠然(ばくぜん)と次のように感じていた。成程(なるほど)、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処(どこ)か(非常に微妙な点に於(おい)て)欠けるところがあるのではないか、と。

 何故、袁參は、この李徴の詩をこう感じてしまうのでしょうか。しかし、この詩は小説でも記されてはいません。
 このあと、さらにここで、虎になった李徴が続けます。

 羞(はずか)しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己(おれ)は、己の詩集が長安(ちょうあん)風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟(がんくつ)の中に横たわって見る夢にだよ。嗤(わら)ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁は昔の青年李徴の自嘲癖(じちょうへき)を思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐(おもい)を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。
 袁は又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。

  偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
  今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
  我為異物蓬茅下 君巳乗召気勢豪
  此夕渓山対明月 不成長嘯但成吼
  (召と吼のみは違う字です。表示できません)

 時に、残月、光冷(ひや)やかに、白露は地に滋(しげ)く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖(はっこう)を嘆じた。

 しかし、この七言律詩は、平仄も韻も対句もちゃんと出来ています。虎の身になった李徴がどうしてこうして作詩ができるのか、私にはもう羨ましいばかりです。

 でもこうして朗読で、文学作品をこうして再び自分の耳で聞くことも、実にいいことですね。

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