周のプロレス塾

2017年02月05日

今フジテレビで見ていました

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今フジテレビの「ウチ来る!」で、この二人(北斗晶・佐々木健介)を見ていました。私はプロレスが好きでテレビでよく見ていたのです。懐かしいなあ。  もうプロレス会場にも行きました。女子プロレスも好きでしたね。私はラッシャー木村のファンでしたものです。 2017020510
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2016年09月15日

力道山を思い出す

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 私は昨日書きました『「三種の神器」とは平成の今は何でしょうか』で、5番目の写真で、「あれ、これは昭和33年のテレビだが、力道山のテレビ画像が写っている」とすぐに気がつきました。
 もう懐かしいと同時になんだかやるせない思いになりました。
力道山は1924年11月14日から1963年12月15日の生涯で、満39歳で亡くなりました。出身地は朝鮮咸鏡南道洪原郡新豊里で、日本名は百田光浩(ももたみつひろ)で朝鮮名は金信洛(キム・シルラク)でした。身長176cmで体重116kgで大相撲の力士出身です。
 力道山が亡くなったときに(力道山は暴力団員に刺されて亡くなりました)、ものすごいショックでした。「あんなに強い力道山もナイフで刺されれば死ぬのだ」という事実がものすごく悲しかったものでした。
 ここにいくつかの画像を載せます。悲しいやるせない思いです。2016091508
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2016年08月02日

千代の富士のことで

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 千代の富士貢(ちよのふじみつぐ)さんが亡くなりました。私は彼は大好きでした。
 彼は北海道松前郡福島町の出身です。1955年6月11日から2016年7月31日の生涯でした。私よりも随分年下なのになあ、と思ったものでした。まだ61歳だったのですね。彼は58代横綱でした。
 なんか寂しくなるなあ。
 人が生きていることは、こんなことに幾度も遭うのだなあ。2016080205
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2016年08月01日

国際プロレスを思い出す

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「ラッシャー木村を思い出していました 2」として書こうと思いましたが、画像を選んでいるうちに、この題名にしました。
私は「ラッシャー木村対アントニオ猪木」の試合を2回とも蔵前国技館にリンクサイドに行きましたものです。ただ2回目はゴールデン街で知り合った人が、あまりに私はしつこくラッシャー木村ばかりいうので、彼もなぜかラッシャー木村ファンになり、でも会場では2人対(1万人ー2人)で、応援の声も出せずに(出したらアントニオ猪木ファンに殴られてしまう)、ひっそりとラッシャー木村を応援していたものです。
 私は埼大むつめ祭行きましても、私がラッシャー木村を応援していると、普段なら昔の学生運動の話を聴きたがっていた後輩たちも私の話にはあきれていました。
 でも実にこうした画像を見ると懐かしいです。160080117
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ラッシャー木村を思い出していました

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 私は本日10時から「愛整骨院」で治療でした。その治療のときに、私はベッドに横になりながら、ラッシャー木村を思い出していました。
 私のクライアントで代々木上原に8階建てのビルを借りていたことがあります。私はそこに週1くらいの頻度で訪れていました。そこであるときに道路上でこのラッシャー木村さんに会ったことがあるのです。
 私はものすごく感動し、彼が去ってから、すぐに「ラッシャー木村がいたよ」と電話しました。でもその電話に出たその会社の女の子は、まったく感動なんかしないどころか、「何なの………?」という感じでした。
 でもあんなことが現実にあったのでしたね。

 懐かしい思い出です。
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2016年07月03日

鶴ヶ峰・栃錦

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 今はテレビでも相撲を熱心に見ることなどなくなっていますが、私が小学生の頃は実によく見ていたものです。
 私が覚えているのは、鏡里・吉葉山・千代の山・栃錦4横綱の時代からでした。そのあとの若乃花の時代まではテレビでよく見ていたものでした。そのあとの柏戸大鵬の柏鵬時代からはそんなに好きではありませんでした。栃錦・若乃花の栃若時代は実にテレビで相撲中継を見ていたものでした。
 そして私は栃錦の好敵手といえる鶴ヶ峰も大好きでした。私は栃錦のファンでしたから、でも同じくファンだった鶴ヶ峰との対戦では困ってしまったものです。
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 その鶴ヶ峰が鎌倉鶴が丘八幡宮のすぐそばのお店においでになったときは、ものすごく驚いたものです。そしていつもそのお店の前を通るときには、ものすごく嬉しかったものでした。
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 もう今は通っても鶴ヶ峰さんの姿を見ることはできません。
 ただ鶴ヶ峰さんの息子の寺尾さんも大好きでした。


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2011年03月08日

八百長

 この「八百長」という言葉を広辞苑で調べてみました。

  明治初年通称八百長という八百屋が、相撲の年寄某との碁の手
 合わせで、常に一勝、一敗になるようあしらっていたことに起る
 という。相撲や各種の競技などで、一方が前もって負ける約束を
 しておいて、うわべだけの約束をしておいて、うわべだけの勝負
 を争うこと。なれあい勝負。

11030801 さて私たちプロレスを大好きな人間にとって、このプロレスを「八百長」といわれる関門がいつでも存在します。これほど最初から「八百長」といわれ、何をやっても、「しょせん八百長」といわれるものも他にはないでしょう。 ここで唐突に思い出すわけですが、私たちが昔学生運動をやっていたとき、とくに1967年の10・8羽田闘争のころ以降ことですが、よく日本共産党=民青の連中は、三派全学連の機動隊との激突に関して、「あれはなれ合いのプロレスだ」とか嘲笑したものです。「やらせ」であり、「八百長」であるというのです。よくは知らないのですが、日共にはプロレスというのは軽蔑したショーなのでしょうか。スポーツとは認めないのでしょうか。しかし、いみじくも「プロレスだ」と決めつけられても、プロレスがそのころも好きだった私には何の嫌な思いにもなかったわけなのです。

 まず本当ならどこをもってプロレスを「八百長」と呼ぶのか、決めつけるのかはっきりさせてもらえばいいのですが、まずはっきりとはしません。まずもともと、プロレスを「八百長」と決めつける人は、まともにプロレスファンと話そうとはしませんから、なんだかよく分からないままなのです。しかし私はときどき悪ふざけをします。野球のファンに対して「あれこそ八百長じゃないか、プロレスこそ真面目で高度なスポーツなのだ」と。野球ファンは、大体にプロレスと比較されること自体を認めませんから、これは面白いことになるわけです。
 プロレスは野球のようにルールがはっきりしていないということなのでしょうか。レフリーによって、カウントの取り方のリズムが違う、同じレフリーでもまた時間の取り方、数え方がいつも微妙に違う、だからうさんくさいとなるのでしょうか。私にいわせれば、だからプロレスは高度で面白いとなるのです。レフリーはこのわざは決ったなというとき、もう反撃できないなというとき正確に3カウントをとります。まだ充分にやれると判断できるのなら、そのカウントはどうしても3つ目はたたくのが遅くなるものなのです。

 いったい野球は、あたってもいない死球をあたったというそぶりをする打者がいたり、どうしてもボール球をストライクであるとみせたがるキャッチャーがいるのでしょうか。プロレスなら、相手のわざをうけて、たしかにそのわざは俺にはきいたけれど俺はまだこのように反撃するのだと観客ならびに、レフリーに対してアッピールしていくでしょう。けっして、相手のわざを基本的にはよけたりしないのです。ましてそこらをごまかしはしません。観客は、ああそうかあのわざはきいているなと常に判断するから、真面目にそれに対して、だけどこうして反撃できるということを納得できるように闘わなければならないのです。

 プロレスは基本的には、毎日やっています。冬の間休んだりはしません。それがまたプロレスのいいところであるわけです。ジャイアント馬場が未だリングに上がっているというので、これまたけなす人がいるようです。いやアメリカでは、ルーテーズもカールゴッチもリングに上がることがあるといいます。だけどこれがプロレスのロマンなのです。ジャイアント馬場がリングを走るとき、観客からかならずどよめきがおきます。そしてジャイアント馬場からスリーカウント奪った日本人レスラーは未だにいません。ここらへんも「八百長」といわれるところなのでしょうか。だけど試合をみてみるがいいのです。
spt024  多分日本で一番強いのではないかと思われた時代のジャンボ鶴田も、世界には通用しても、馬場をピンホールできなかったのです。これは残念ながら、鶴田の駄目だった部分でもあり、馬場との格という問題もあります。プロレスは単純に強いから、若いから勝てるスポーツではないのです。

 一体プロレスのなにが「八百長」といわれるのか、私にはよく把握できていないために、どうも論点をしぼりきれないのですが、これは今後もおりにふれてプロレスの素晴らしさを主張していくことにより、またうかびあがってくる問題だと思います。(1998.11.01)



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相手のわざを受ける

11030720 相手のわざを受けるとは何をいうのか。これはレスラーでいうと、アントニオ猪木とか藤波辰巳とか思い浮かべるかも知れないが、まず日本のレスラーはすべてこのことを分かって試合に望んでいると思う。すなわちプロレスでは、相手の得意なわざにはつき合ってあげるということである。
 これを聞いて、そらもう目を輝かす人がいるかもしれない。「そうだ、だからプロレスはおかしいんだ、いかがわしいんだ。真剣に相手に勝つことを考えるなら、相手のわざをうけることはないじゃないか」と。
 私にいわせれば、またここがプロレスの高度なスポーツたるところなのです。同じ格闘技でも相撲の場合なんか、始まったらなるべく相手に相撲をとらせず、一方的に自分の得意わざで勝負に勝つ人が名人とか、強い横綱とかいわれるのだと思います。もしも貴の花や若の花が毎回相手の得意わざを必ず一度は土俵上で受けた上で相手に勝つという思想をもったしたら、彼らはすぐに相撲界から消えていることでしょう。

 だがプロレスを考えると、ある選手がもしあいてのわざを全て拒否して、一方的に勝ったとしたら観客である私たちは満足するでしょうか。プロレスは相手の協力がないと成立しないわざがたくさんあります。
 例えばひんぱんに見られるドロップキックですが、あれはロープからかえってくる相手にうつのが常道です。あれはロープから相手がまともにかえってきてくれないとできはしません。だいいちロープへ投げられたら、投げられた選手は必ず背中でロープをうけて、相手のところへかえっていくようになっています。しかしこれがあくまで基本なのです。これは古典的な女子プロレスなんかでも執拗に訓練されるところであるわけです。

 もう昔の話になってしまうわけですが、私たちは、長州のサソリ固めが見たい、ハンセンのウエスタンラリアートが見たいと会場に足を運んでいるのに、ところがあいての選手がまったくそのわざにつき合わなかったらどうなるでしょうか。相手の選手を卑怯な奴とブーイングするの違いありません。すなわち相手の得意わざは、少なくとも一度は出させてそれを受けて、その上で相手に勝つのがいいプロレスラーであり、いい試合だといえるわけです。これはプロレスラーの基本であると思います。その中で藤波や鶴田のように相手のわざを受けるタイプと、長州、天竜のように自分からガンガンいくタイプとがあるのだということだと思います。どちらにしても原則は同じなのです。プロレスは相手のわざを受けなければ成立しない高度なスポーツなのです。

spt028 そしてこの流れの中でレスラーは相手に勝つことを目指さなくてなりません。どう考えても、相手が自分より格下で簡単に勝てるとしても、その相手の力を十分に出させた上で、あいての得意業を十分観客にもアッピールさせた上で、勝利するのが優れたプロレスラーであるわけなのです。(1998.11.01)



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プロレスって一体何だ

11030719 私はプロレスをかなり好きな方だと思います。ただし、このごろはさすが会場にはいきません。
 前には、毎日東スポを買っていました。ただただプロレスの結果が知りたいからです。
 ただ私は天龍が全日本プロレスを去ったころから、何故か前ほどプロレス情報誌を買わなくなりました。それに団体が増えすぎて、プロレス全部を見ているのがとても大変な努力を必要とされるように感じるからです。
 でも、またプロレスへの熱い思いを思い出していきたいと思います。

 この「プロレスって一体何だ」というテーマは、これからもたびたび繰り返される問かけだと思います。この問に絶えず答えていく気持ちをもって今後論を展開して参ります。
 やはり何と言っても、この日本ではサッカーも野球も絶大な人気があります。この日本人の好きな野球と比較すると、プロレスとはどう違う存在なのでしょうか。

 たとえば、野球で9回裏ツーダンから、逆転ホームランが出たとします。そのチームのファンはものすごく感激し、相手チームのファンはもうすごく悔しがったり、相手を褒めたたえるかもしれません。しかし、プロレスはこうはいかないのです。そこがプロレスの高度なスポーツたる所以があります。 プロレスでそれに類するシーンがあったら、すなわちずっとやられていた選手が、最後の瞬間にアッという感じで勝利をものにしたとしたら、プロレスは野球のように感激するわけにはいかないのです。すなわちプロレスは、

  どうしてあのように勝ったのか

という理由が必要なのです。どうして、あそこまで負けていたのに、どういうことでそれをはねのけ勝利したのかということを観客が納得できないと駄目なのです。勝った負けたが問題ではなく、

  どのように勝ったのか、あるいは、どのように負けたのか

spt026が観客の頭の中で説明できないと駄目なのです。そして選手はそれが明らかに分かるように闘わねばなりません。あっ!と思っていたら、勝負がついていたでは観客は納得できないのです。これがプロレスのむずかしいところであり、かなりに高度なところであるわけです。これが同じ格闘技といっても、相撲やボクシングとはかなり違うところだと思うのです。(1998.11.01)



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私はラッシャー木村が好きでした

11030718 私はよくプロレスに関する論争をしたものでした。まずは、いろいろな飲み屋でいわゆる野球ファンとの論争です。「プロレスは八百長だ」などという野球ファンに対して、「野球こそが八百長じゃないか」なんて、激しく言っていたものです。そんなときの私のプロレス論をここにあげています。
 まだ少ししかUPしてありませんが、実のこの時代には、もっとたくさん喋っていたものでした。
 そして問題は、よくこうして論争していたゴールデン街では、野球ファン対プロレスファンは、6対4くらいの割合だったのですが、実にゴールデン街なわけで、いつもプロレスファンの言い方が野球ファンを圧していました。
 しかし、問題はその先なのです。
 プロレスファンというのは、プロレスファン同士になると、これまた激しく論争になっていくものなのです。そして、プロレスファンの党派的割合といいますと、猪木ファン9割と馬場ファン1割が戦っていました。もう猪木ファンが圧していまして、彼らは彼らの中でも論争をしていました。だが、その中にあって、私は唯一ただ一人ラッシャー木村ファンでした。私はもう猪木ファンとどこでも、限りなく論争言い合いを続けたものでした。
spt027 ラッシャー木村が猪木と初めて戦った、10・8と11・22の蔵前国技館にも、私はラッシャー木村を応援に行ったものでした。
 それが、たった今、ラッシャー木村の引退という事態を目の前にしています。なんだかいいようのない、寂しさと、そして恐ろしいばかりの時間の経過を感じています。
 できたら、私の「ラッシャー木村論」を書いて行きたいなとばかり思っております。(2004.07.19)


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2011年02月23日

ミスターY「女子プロレスの読み方」

11022208ミスターX「プロレス名勝負の読み方」
またこの著者には現在の(勿論過去のもいいのですが)女子プロレスの数々の名勝負も論評してほしいと思います。現在の女子プロレス4団体(+いくつか)の試合内容はかってないほどの水準にあります。今は男性のプロレスファンも多く会場につめかけるほどの内容の深さを保っています。

 なんてことを書いていたら、本当に書いてくれました。ただし、前に書いてくれたのはミスターXで、今回はミスターYということになっています。

書  名 女子プロレスの読み方
著  者 ミスターY
発行所 ポケットブック社

 現在は女子プロレスがたいへんに面白いのです。男子プロレスが14団体もあり、団体交流戦などは、一部を除いてできていないのに、4団体ある女子プロレスでは、この夢のオールスター団体対抗戦といえるようなものを実現してしまっているからです。そしてその対抗戦に限らず、戦いの質も高くなっており、またプロレスファンが喜ぶ数々のドラマや名勝負があり、またたくさんの選手たちにさまざまな深みが感じられるようになったからだと思います。それがまた、以前には女子プロレスというと、若い女の子だけが見るものだったのが、いまではたくさんの男性ファンが会場につめかけるところでもあるかと思います。昔のように歌を唄うセレモニーもなくなりつつあります。歌なんか唄っていられないのです。
 前には、女子プロレスといえば全日本女子プロレスだけであり、25歳停年制で、女子プロレス史上最強といわれたジャガー横田も、デビル雅美も、クラッシュギャルズもJBエンジェルスも引退してしまいました。それが、全日本以外の団体もできて、デビルや、JBの立野紀代も元気に復活活躍しています。いまでは、長与千種までプロレスにもどってくるかもしれません。そして、ブル中野によって全日本の25歳停年制もとりやめになってきました。
spt029 今女子プロレスが大きく変わっているのです。そんな現在の女子プロレスを知る入門書としては、この本が最適ではないかと思いました。
 現在の女子プロレスで私がどうしても注目してしまう選手といったら、次の4人でしょうか。もちろんプロレスに関わるすべてが好きなわけですが、とくにそのなかでも、この選手を見ていたいな、やっぱりいいなと思う選手です。
 まずは、北斗晶、デビル雅美、ブル中野、神取忍でしょうか。そのあとというと、尾崎魔弓、アジャ・コング、キューティ鈴木、そして女子ではありませんが、全日本のミゼットプロレスの3人の選手でしょうか。
 たとえば、尾崎魔弓なんて、155センチしかなく、割りと美人の顔した選手です。でも試合になるととても大きく感じるんですね。たいへんにダイナミックな動きをする。しかも、美人レスラーとして化粧をきちんとして、衣装を考え、長い髪のまま試合に臨んでいるのはたいしたプロ根性だなと感心します。

  男子のレスラーと女子プロレスの話をすると、「男のやってい
  るこれこそがプロレスなんだ」という言葉がちょくちょく出てく
  るのだ。
  しかし、すべての男子レスラーが女子プロレスに対して偏見を
  持っているかと言うと、そうではない。たとえば天龍源一郎は、
  「たとえ女子プロ
 レスラーでも、俺は同じ職業の人間として、同じプロレスラーと
  して相手に敬意を表する」「どんな小さな女の子でも、その人が
  プロレスラーだったら、俺はプロレスラーとして、同業者として
  認める」と発言している。世間一般の女子プロレスの認識が上がっ
  てきているのに、男子プロレスラーから見た女子プロレスの地位
  は依然として低いままだ。そのギャップを認識すべきだと天龍は
  言う。「おまえらが考えている女子プロレスじゃないんだよ。い
  まは」こうも天龍は言っている。

 この天龍のいっている認識こそ、現在そしてこれからの女子プロレスを表していると思います。いくら多くの男子プロレスラーが偏見をもっていようと、もうこの現在の女子プロレスの隆盛はたひとりひとりの女子プロレスラーが作り出したものなのです。そしてこの女子プロレスラーの頑張りこそ、この多くの男子プロレスラーのみならず、多くの女子プロレスに対する偏見への闘いでもあると思うのです。

 全日本女子の松永高司会長は、かなり真面目に女子プロレスを考えてきました。プロレスが力道山時代の興業というような形をかたくなに守っているかと思います。また、25歳定年制も、有名な「三禁(酒、煙草、男は禁止)」というのも、よく女の子を考えてきたものなのでしょう。わずか15歳くらいの女の子を親から預かるのだから、きちんとその子を管理し、もし好きな男ができるようなら、プロレスをめでたくやめて、家庭を作りなさい、25歳になるころにはそう考えなさいということなのでしょう。だが、今では違うように考える選手が出てきているのです。
 べつに女である私も、男子プロレスラーと同じようにもっとプロレスをやりつづけたっていいではないのか。別に25歳すぎたら、結婚して、家庭に入らなくてもいいではないのかと。さらには、いや家庭人になって、奥さんだったり、子どもがいたりする女子プロレスラーがいたっていいのではないのかと。男子プロレスラーはそうしているではないのか。
 だからデビル雅美はプロレスを他団体にいってまで続けています。リングを降りたら彼女ほど女らしいレスラーはいないのではなでしょうか。なにしろ、料理が好きで、レース網が趣味だという。だが、リング上での彼女の顔はまるで般若のようで素敵です。ブル中野は、ジャイアント馬場やアントニオ猪木を意識しながら、プロレスをやってきたという。馬場があの年になっても、みんなに親しまれてプロレスをやるように、女子である私が同じようにプロレスラーを続けてはいけないのだろうか。北斗晶は女子プロレスラーには珍しく男子プロレスのビデオなど、けっして見ようとしないといいます。男子プロレスよりも自分のプロレスの方が上だという誇りがあるようなのです。風間ルミは大変な酒豪だという。なんで女だからといって、男子プロレスラーと同じように豪快に酒を飲んじゃいけないのだ。
 こうして今女子プロレスの世界は確実に変わってきています。私にはとてもいいことだなと思えます。今後もさらにこの女子プロレスに注目していきたいと考えています。

 最後に全日本女子プロレスのみに残っている、ミゼットプロレスについての記述をみたいと思います。このいわゆる小人プロレスはテレビの映像にはけっして出てきません。また地方でしか興業しないということです。

  彼らの試合には、いわゆる“人権擁護団体”や“PTAオバサ
  ン”から一方的なクレームがつくのだ。「可愛そうな身体障害者
  を見世物にしている」というのが、彼らの言い分だ。しかし、ミ
  ゼット・レスラーにしてみれば、これはちゃんちゃらおかしい、
  いやとんでもない話だ。「人の仕事を奪わないでくれ。だったら
  あんたたち、生活の面倒みてくれるんですか?僕たちがやりたく
  てやっている仕事なのにそれを奪うんですか?  僕たちは仕事を
  しちゃいけないんですか? 僕たちは人前にでちゃいけないんで
 すか?」と、ミゼット・セスラーは憤る。

 まったく彼らのいうとおりです。これこそ人権侵害です。私はこうしたミゼット・プロレスを内包している女子プロレスのリングと世界を高く評価します。(1993.11.03)



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2011年01月23日

夢枕獏『仰天・平成元年の空手チョップ』

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11012108書  名 仰天・平成元年の空手チョップ
著  者 夢枕獏
発行所 集英社

 これは、プロレスファンなら誰でもが見たい試合がおこわれたというSFです。その試合とは、力道山対前田日明です。そしてその試合の前座にジャイアント馬場対アントニオ猪木が組まれています。

 どうして昭和39年に亡くなった力道山と前田が試合なんかできるのでしょうか。それはこれが夢枕獏の描くSF小説だからなのです。平成2年8月13日東京ドームにてこの試合が開かれます。死んではいなかった力道山は、このとき39歳という設定です。
 この本は内容が全くの架空の話でありながら、登場するプロレスラーはすべて実名です。ここまで書いてもいいのかななどと心配にもなります。

  悪意はさらさらなく、ただただ、わたくしにとっての夢のプロ
 レス状況というものを、正直に、受けをねらいつつ書いていった
 ものでございます。嫌いなプロレスラーひとりもなし。
                      (「あとがき」)

 そうです。全編を通じて著者のプロレスならびにプロレスラーへの愛と夢を感じてしまいます。

 それにしてもまず馬場と猪木の関係に関しては見事に書いてあります。

  もし、G・馬場という人物がいなかったら、猪木は東京プロレ
 スをやらなかったでしょう。馬場に挑戦はもちろん出来ません。
 新日本プロレスを始めなかったでしょうし、モハメッド・アリの
 みならず、異種格闘技戦をやったりもしません。IWGPもなかっ
 たことでしょう。
  つまり…………。
 「現在のおれ、アントニオ猪木という男はいないことになる」
  そう、猪木はつぶやきました。
  これまでのあれもこれも、結局、つまるところ、おれの人生と
 いうのは、“G・馬場よりもA・猪木の方が上である”
  それを世間に、いいえ、自分に証明しようとするはてしない過
 程であったのではないか。
       (「7.アントニオ猪木、ついに決心すること」)

 「馬場さん。次は我々が闘う番です」
  と、そんなことを言われていまったこともありました。
 「よし、やろう」
  とは、言いましたが、あれはファンへのリップサービスです。
  実際にやれるわけがないのは、猪木も充分に承知しているはず
 でございます。それをあえて、やろうというのは猪木のスタンド
 プレーでございます。
  昔から、目立つことには努力を惜しまないやつだったな………。
  猪木がやろうと言っても、できないと正直に言うしかありませ
 ん。自分までが猪木に合わせてやろうといったら、たいへんなこ
 とになってしまいます。
  試合前にクリアしておくべきことが無数にあるのでございます。
  だからできないというのですね。
  言うなれば、猪木に、無理やり“できない”と言わせられてい
 るのと同じでございます。
        (「8.ジャイアント馬場、長い默考のこと」)

 これは今では誰しもが到達している常識的なことなわけですが、かなりこの二人のプロレスラーの関係を簡潔にいいあらわしていると思います。やはり力道山亡きあと、今日に至るまで、この二人によって日本のプロレスが回ってきたのは間違いないのです。

 このSFでもこの二人はやがて闘うことを決意し、闘いの準備に入ります。そして実際の試合の場面もあるのですが、かなり愉しくかつ綿密に読んでいくことができます。
 しかし本来メインイベントである、力道山と前田の関係は、どうしてもうまく描けていません。どうしてもやはり無理があるのですね。ひとついいシーンと思ったのは、試合の前日に前田のUWF道場に天龍がやってきます。天龍はなんとしても前田に力道山には負けてほしくなく、力道山と同じ力士出身のレスラーとして、相撲のガチンコの技を教えにくるのです。ここのところは、かなり天龍の性格なりをよく描いていると思います。ちょっと感動してしまうところです。
 あとの鶴田、藤波、長州らの扱いは少々乱暴です。致し方ないのかなというところもあるのですが。

 さて当日の試合会場の最初からなかなか楽しめます。なんと、馬場-猪木戦の前に大仁田-タイガーマスク(初代佐山サトル)の試合が飛び入りで組まれます。
 そして試合当日は実に全てが愉しいのです。

  おお、ゲスト席の、遥か後方には、自費で入場されたらしい、
 門茂男氏の姿もございます。      (「神々の宴のこと」)

 こんなどうでもいいような1行だけでも、プロレスファンはにやりとしてしまうのです。
 馬場-猪木戦のリングアナウンサーがラッシャー木村、レフェリーは鉄人ルーテーズと神様カールゴッチ。だがルーテーズはこの試合のレフェリーは元国際プロレスの吉原だといいます。もちろん吉原はもうこの時点で亡くなっていますから、かわりに力道山がレフェリーを務めることになります。そのほか大変に愉しい演出が用意されています。

 力道山と前田の試合は馬場-猪木戦よりはどうしても迫力にかけます。レフェリーに木村政彦がなるという設定もどうにも無理があります。木村の遺恨は力道山亡きあともあまりいい形ではなく残っているように私には思えるものですから。

 さて、試合終って力道山はまた帰っていきます。帰って行く先は、過去ではなく、またプロレスの未来の世界なのかもしれません。結局これだけの愉しいプロレスのイベントは力道山でなければできないということも残念な結論としてもあるように思います。(1993.05.01) 



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2011年01月16日

ミスターX『プロレス名勝負の読み方』

11011510書 名 プロレス名勝負の読み方
著 者 ミスターX
発行所 ポケットブック社
1993年4月30日 初版第1刷発行

 これはプロレスへの一番の入門書といえるかと思います。プロレスにおける名勝負とは何か。これにはたくさんの名勝負とその意味が書かれています。しかもこうしたプロレス関係の有名本とちがって、話が力道山時代からはいるのではなく、かなり近年のプロレスが語られているのが特徴です。

  名勝負のほんとうの意味を理解している人は意外にすくないよ
  うだ。
  たとえば、以前、全日本プロレスのマットで行われたジャンボ
  鶴田と長州力の一戦である。この試合は、新日本の長州力がジャ
  パン・プロレスを設立し、全日本に乗り込んだときの一戦である。
  試合は六十分一本勝負で行われ、両者は熱戦の末、六十分時間切
  れ引き分けに終った。
  プロレスファンの中には、この結果だけ見て、この一戦を鶴田
  と長州の決着はつかなかった熱闘とだけ考えている人もいるだろ
  う。しかしこの試合には、名勝負と呼ぶにふさわしいさまざまな
  意味がふくまれている。たとえば、この大一番は事実上、長州の
  完敗だった。六十分時間切れ引き分けはクラシックなレスリング
  を信条とする全日本の“お家芸”であり、長州は完全に六十分ほ
  んろうされた。長州は、これで全日本のスタイルの頑固さに気づ
  いて新日本にUターン、いまの地位を築いた。
  (「ミスターXからの再挑戦状………まえがきにかえて」)

 これはあの試合を見て、私もこのとおりに感じたものです。試合直後長州は鶴田に手をさしのべ握手しました。そして「鶴田って、なんであんなに余裕があるんだ」というコメントをしていました。あのあと天龍がこの長州が鶴田と握手したことには激怒したようです。鶴田に合わせたら駄目なんです。なんでこれで「俺たちの時代だ」なんて宣言できるのだと、天龍は怒ったのです。

 この本は全編どこでも「そうだ、その通りなんだよ」と唸ってしまうところばかりです。そうです、プロレスってこのように見られるからこそ面白いのです。興味もてるタイトルだけ上げてみましょうか。

  なぜ、ハンセンは馬場戦以降、全日本でトップをはり続けるこ
  とができたのか
  なぜ、タイガーマスク対キッドは、新日本を地獄に落とす原因
  になったのか
  なぜ、天龍は鶴田に異常なまでのライバル心を燃やしたのか
  なぜ、藤波は猪木に勝ち新日本を変えることができなかったの
  か
  なぜ、前田には対ハン戦以外に名勝負がないのか
  なぜ、高田に無残なKO負けを喫した北尾は、その後悪役でな
  くなったのか


等々です。これらの問にどのくらい答えられるでしょうか。私はこんな話を飲み屋でできるのならずっとやっていたいし、いくらでも話していけるように思います。 

spt023 ただ現在とこれからのプロレスがこうした名勝負を出し続けることができるのかということになると、少々不安になります。また今プロレスファンの若い人を見ていると、「俺とは同じような視点では見ていないな」と感じてしまうことが多いのです。それはそれで致し方ないのですが、少々寂しくもなってきます。
 それとプロレスマスコミにおけるつまらない視線を放つ人の存在発言も問題だなと思います。例えばターザン山本の数々の発言です。私はとても不愉快になります。あんな批評から、若いプロレスファンは学んでほしくないなあ。
 またこの著者には現在の(勿論過去のもいいのですが)女子プロレスの数々の名勝負も論評してほしいと思います。現在の女子プロレス4団体(+いくつか)の試合内容はかってないほどの水準にあります。今は男性のプロレスファンも多く会場につめかけるほどの内容の深さを保っています。
 しかし、それにしてもいまは団体数が多いし、試合も必然的に多いから、もう全てに注目しているのは難しくなりましたね。これはいいことなのかな。どうなのだろうか。
 それにしてもプロレスの好きな人は勿論のこと、プロレスが何故いいのか判らない方も是非読んでいただきたい本だと思いました。(1993.08.01)



shomon at 11:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2011年01月02日

村松友視プロレス3部作

11010205書  名 私、プロレスの味方です
    当然、プロレスの味方です
    ダーティ・ヒロイズム宣言
著  者 村松友視
発行所 情報センター出版局

 プロレスのことを考えるとき、どうしてもこの村松友視のいわゆるプロレス3部作を読み返さなければならないと考えます。この3部作によってプロレスファンは理論的な支柱といったようなものを与えられたといえるかと思います。この3部作以降あらゆる飲み屋で、声高にプロレスを論ずるというようなことが出現したように思います。
 しかしプロレスを語ることが、もはや特別のことではなく、「過激なプロレス」などということばが死語と化している現在、この3部作の再検討再批判をすることは私たちプロレスを語るものにとって通らなければならない宿命のように考えます。

 この「私、プロレスの味方です」は猪木プロレスの信奉者を多く輩出したと思うのですが、実は当時新日本プロレスで前座レスラーを務めていた前田日明は次のように受け取っています。

  村松氏は猪木さんをアメリカン・プロレスとして最大限に評価した。
  アメリカン・プロレスとしても素晴らしいことを書いた。これは猪木
  さんにとって大変な支えになった。……俺なんか村松さんが『私、プ
  ロレスの味方です』の本を出したとき、てっきり『けしからん』といっ
  て怒ると思ったら、以後猪木さんと村松さんと友達になってしまい
  『一体どうなっているんだ』と思った。俺たちは前座でゴッチ流の試
  合ばっかりやっていたからね。   (「週刊プロレス200号」)

 日本プロレス−全日本プロレスの流れに対して、猪木は同じアメリカンプロレスでもカール・ゴッチというガチガチのセメントプロレスラーを利用し、「ストロングプロレス」と称して馬場プロレスを乗り超えようとしていました。しかしテレビ放映がつき、興業として考えるとき、ゴッチのプロレスでは主流にはなれないのです。ゴッチのプロレスからはタイガーマスクは出てこられないのです。そこでゴッチから離れて、それでも猪木プロレスを支えるものとして、この村松理論を猪木は利用したと思います。それが「過激なプロレス」であり、馬場プロレスを「プロレス内プロレス」と切捨てることにより、新日本の優位を保とうとしました。これは見事に成功したと思います。
 実にあの時代はどこの飲み屋でも猪木プロレスの信奉者との論争をよくやったものです。そして彼らが口を揃えていうのが、馬場プロレスのけなしであり、それの根拠がこの村松からきていました。はっきりいって「過激」だか「プロレス内」だか、どこが違っていたというのでしょうか。

  こんなプロレスをやっていたら、10年もつ私のプロレスの寿命が
  5年になるかもしれません。が、こうなったら、どんな相手の挑戦で
  も受けます!(昭和48年12月10日ジョニー・パワーズを破って
  NWF世界ヘビー級チャンピオンになったときのリング上でのインタ
  ビューでの猪木の答え)

 この猪木の「こんなプロレス」という言葉を、村松は「過激なプロレス」と命名します。そしてさらにこの「過激なプロレス」は「過激な観客」を生んだといいます。まさしくこの「過激に闘う者」と「過激に見る者」により、日本のプロレスは黄金期を迎えることになります。

spt022 猪木の派手な闘いと全日本に対する攻撃性と馬場のいつもくちごもる姿勢の中で、プロレス界は推移しました。猪木が馬場が当然受けられないことが分かっていて、試合を挑戦するやり方にかなりな根拠を与えていたのも、この村松の分析です。しかし、その何年後かに、猪木は弟子である前田からの挑戦には、馬場ほどの困難さ(要するに放送局の問題など)は全く存在しないにも拘わらず、避けて終りました。いったいこれがどう「過激なプロレス」とやらなのでしょうか。どうみても馬場も猪木も同じプロレスだったのです。村松がなにか理屈をつけ、猪木がそれを利用しただけなのです。

 私はこの村松3部作が果たした役割は評価したいと思います。プロレスに「市民権」といえるようなものを与えたかと思います。「力道山のころは見たんだけどね」などといってそれで言葉が終ってしまうような人たちに対しても、いまのプロレスはそのときより一歩前へ行っているんだと言えるようなものにしたと思います。
 しかし、またさまざまな問題点もプロレスの世界に持ち込んだように思います。同じプロレスの中に、何か団体ごとに優劣があるかのような錯覚です。この害はかなりなものであったと思います。新日ファンに国際プロレスの金網デスマッチを頭から馬鹿にしてしまうような傾向を持たせることになってしまいました。私は当然かなり言い合いしたものです。

 それが次第に矛盾をきたしてくることになります。猪木にさまざまな矛盾が現れてくるとき、レスラー猪木と人間猪木を別に考えるというような傾向までありました。
 もはやかっての「過激なプロレス」とやらの信奉者も、いまやその過去を振り返るときです。プロレスが本当に好きなら、プロレスの中に本物、ニセモノなどという視点をもってはならないと思うのです。このところの問題を、私たちは誰もがこそこの村松のプロレス3部作の総括検討批判から始めるべきだと思うのです。

 それから私は村松のプロレス以外の小説等々は愛読しています。またそれらもいずれ私の書評で扱ってみたいと考えております。(1993.04.17)



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2010年12月30日

ブル中野『金網の青春』

10123004 あるときに大前研一「加算混合の発想」の本を手に入れたくて、いろいろ書店をさがしまわったのですが、どこにもなくて、何故かついプロレスのコーナーへいって、次の本買ってしまいました。

書  名 金網の青春
著  者 ブル中野
出版所 フジテレビ出版

 それで遅めの昼食をとりにレストランにはいって、読みはじめました。ところが、最初の次の文字を見た時から、すぐに目に涙が浮かんできて困りました。すぐ隣にお客がいるのに恥ずかしいですよね。

  私は、九年もプロレスをやってきた。そんな中でとにかく良く見る
  夢がある。遠い昔だが、私がいじめられて泣いていた時の夢である。

それでまた人の見てないところで読みはじめたのですが、とにかくこの本は泣けましたね。まあ私は涙腺がゆるいんですが、それにしてもこれほど涙がでた本はめずらしいです。

 私子供の時からプロレスは好きでしたが、こと女子プロレスになると全く関心がありませんでした。ところが私には女の子どもが二人できたのです。それで赤ちゃんのうちからプロレス好きにしようと、懸命にテレビを見せました。それで、これが大木金太郎だの豊登のまねだの、「これが鉄の爪だ」などと教えていました。
 ところがところがすこしずつ大きくなるにしたがって、だんだん血だらけのプロレス見るの恐がるようになったんですね。これは困った、ということになりましたが、女子プロレスだけは嫌がらなかったのです。それでつい私も女子プロレスを見るようになりました。

 それで真面目に見はじめるとまたこれがけっこうおもしろいんですね。私が見始めた頃の女子プロレスというのは、プロレス世界の古典なのですね。完全に善玉と悪玉に分かれているし、審判部長とかコミッショナーなんていっても、みんな身内で、本当に昔の零細プロレス会社が必死に興行している感じで、非常によかった。しかもそのころはジャガー横田が頂点にいましたが、この選手は良かったですね。プロレスなんか全く興味のなかった女房もファンになったくらいです。デビル雅美も良かった。彼女は小倉生まれだから、彼女がリングで見栄をきると私はいつも無法松を思い出してしまうんです。
 それからダイナマイトギャルズ、クラッシュギャルズ、JBエンジェルスがいて、この中野になります。最初はぶちかまししかできない不器用な選手でした。それが、ヒールになってダンプ松本と組んだあたりから、輝きだしました。そこらへんのうちわ話、いろいろと書いてあります。でもヒールだから大変だったみたいです。
 クラッシュ・ギャルズのファンたちから石をなげられるところがあります。最後のプリティ・アトムの言葉が泣けるんですね。

  私がバスに乗ろうとする時には、ファンの子は石を持って待ってい
  る。私に雨のように石が飛ぶ。目にあたる。だから目をあけていられ
  ない。前に進めない。頭にすごい痛みを感じた。ファンの子が何かを
  私の頭にぶつけた。地面におちてチャリーンという音がした。おそる
  おそる目をあけて見ると、自転車のベルのフタだった。私の頭から血
  が流れ落ちた。そしてファンの子達は「お前なんか、死ね」「やめち
  まえ」「ハゲ」「デブ」。激励どころか、ヤジばかりだった。耐えら
  れない。もうそんな言葉は聞きたくない。いそいでバスの中に乗り込
  む。バスに乗り込む寸前まで、石は投げつけられる。
  髪を刈った頭から血が流れている。そんな痛みならがまんできる。
  しかし、さすがにこの時ばかりは心の痛みが大きかった。そんな時、
  ミゼット・プロレスのプリティ・アトムさんが「ヒールだから、仕方
  ないんだヨ! こんなことはがまんしなくちゃ。これからもっともっ
  と辛いことがあるんだからナ」。そう言ってくれた。私はその言葉の
  あたたかさに涙が止まらなかった。

 このアトムも小人プロレスのスターでした。この人たちの苦労もほかで読んだことあります。でもほんとうにあたたかい世界なのだなと思いました。
 いまもブル中野は世界一強い女です。彼女のジャーマンなんか完璧ですよ。ラフも強いし、いいですね。私はブル中野の強烈なファンです。(1992.06.05)



shomon at 12:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2010年11月22日

周のプロレス塾が何もないのはまずいな

10112110 私のもともとのホームページの将門Webは、「周のプロレス塾」は結構な部屋だったのですが、今このサイドバーのバナーをクリックして、「あ、まずい」と思いました。もうこの頃は、何も書いていないのですね。

 私の「読書さとう」では、

  村松友視『プロレス3部作』
  ブル中野『金網の青春』

を書いたのですが、これじゃまずいよな。いや本の紹介だけでなく、いろんなことを書かなくちゃいけないよなあ。
 私は国際プロレスのラッシャー木村が一番好きで、猪木との対戦は蔵前国技館の特別リングサイトに行きまして、応援していたものです(でも応援と言っても、猪木プロレスは観客が殺気だっていて、木村の応援の声なんかあげられません)。
spt025 この木村に私は偶然代々木上原駅前で会いました。木村はそこに乗ってきた自転車から降りていました。私は感動して、その駅前の私のクライアント(8皆建てのビルで地下から8階までのすべてを使っていた会社でした)の2階の総務の女の子に、ケータイで伝えたのですが、その子は何も感動しなかったようです。(綺麗な子だったのに、私はものすごく、その子にもがっかりしました)。
 とにかく、私はラッシャー木村の大ファンでした。



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2005年08月02日

菊地孝「誰も書かなかったプロレスの内側」

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書 名 誰も書かなかったプロレスの内側
発行所 菊地孝
定 価 980円
発行日 昭和57年10月25日初版
読了日 2005年7月31日
 
 もうずいぶん昔の本なのですが、ひっぱりだしてきて読みました。なんだか懐かしい昔のことがたくさん出てきます。あの頃はよくプロレスを見ていたなと、それこそ懐かしく思い出しました。
  残念なことにAmazonで、この本が出てきません。
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shomon at 13:04|PermalinkComments(1)TrackBack(0)clip!