将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Category: 周の漢詩の話

2017042404 私はいつも毎朝ここのサイドバーを見ます。そしていつもサイドバーで小さくUPされてしまっているものを訂正します。ほとんど新しく書いてあることに関連した画像をUPすることになります。今回は漢詩作成のことでした。
2017042403続きを読む

14043006
 現在ここのサイドバーの人気記事(画像付)で、トップが周の漢詩入門「杜甫『梅雨』」になっています。
 ただ一昨日だかに、NHKテレビで「梅雨というのは日本人が言い出したもので、江戸時代からだ」と言っていました。それを聴いて、私はこの「杜甫『梅雨』」をすぐに思い出し、「オイオイ、杜甫の『梅雨』があるじゃないか」と言っていました。
 私はここに書きましたように、私もかつては知らなかったわけです。私はこう書いていました。

 私は梅雨(つゆ)というのは、日本にだけあるものだと思い込んでいて、この「梅雨」という言葉も日本のものだと思い込んでいました。
 でもこの詩を読んで、梅雨というのは、中国にもあり、4月(もちろん旧暦の夏の初め)のことだと気が付きました。


 そうなのですね。NHKテレビも杜甫を振り返ってほしいものです。

13090807 私が当然この詩は書いていると思ったものなのですが、書いていませんでした。それで以下にこの詩のことが書いてあります。よくここを読むといいですね。
   寒山寺の鐘が響く水郷・蘇州
 これは人民中国の日本語版です。
   

楓橋夜泊  張継
 月落烏啼霜満天 月落ち烏(からす)啼いて霜天に満つ
 江楓漁火対愁眠 江楓漁火愁眠に対す
 姑蘇城外寒山寺 姑蘇城外の寒山寺
 夜半鐘聲到客船 夜半の鐘声客船(かくせん)に到る

 この七言絶句は忘れることはないでしょう。

13083106 これは曹操の『歩出夏門行(ほしゅかもんこう)』という詩の一節です。実は私は曹操という詩人が昔から好きで、この将門Web(昔のホームページでは、「三曹の詩」という部屋を持っていたくらいです。とくに、私は『短歌行』という詩は好きで、昔から全文暗記暗誦できためもです。
 思えば、大学1年のときに、夏休みに秩父の山の中をこの詩をうたいながら歩いていたことは忘れられません。
 それで私の将門Webの中でも、いくつも彼の詩を紹介してきました。だが私には、この『歩出夏門行』は今もやっていないのです。いや詩自体が長詩であり、かつインターネット上でも、この詩すべては解説がありません。
 いくつものインターネット上でもこの詩の一部「駐雖壽」以下の一節しか紹介されていないところばかりです。
 私もやろうとしても、長大な詩なので、時間が莫大にかかるばかりです。
 でも前々から、やらなくちゃあな、と思ってきた詩なのです。
 しかし、とにかく長大な時間ばかりかかります。
 この詩に夢中になっていると、ただただ時間がかかり、「あれ、もうメシの時間だ」(実はもうはるかに過ぎている)と忘れるばかりです。
 とにかく、またやっていきます。

13022803 ここの写真を見て私は「あ、蘇東坡の蘇州夜曲だ」と声に出してしまいました。そして次の歌詞も出てきます。

  君がみ胸に抱かれてきくは 夢の船歌恋の唄
13022804  水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳がすすり泣く

 もちろん、私は最後の「鐘が鳴ります寒山寺」まで自然に歌えます。
 これは李香蘭(山口淑子)の歌ですね。私は渡辺はま子もよく唄ってくれた歌(作詞西条八十、作曲服部良一)だなあと思い出します。
 そして私は蘇東坡の詩を思い浮かべるのです。私は蘇軾というよりも蘇東坡(これはこう蘇軾が称したのです)と言ったほうが親しく思える詩人です。
 私は以下のように、いくつかこの詩人の詩を紹介しています。

  蘇軾『六月二十七日、望湖樓酔書』
  蘇軾『贈劉景文』
  蘇軾『澄邁駅通潮閣』

 しかし私がよく思い出し、口から出てくるのも、この下の詩なのです。

  飲湖上初晴後雨  蘇軾
 水光瀲灧晴方好 水光瀲灧として、晴れ方(まさ)に好(よ)く、
 山色空濛雨亦奇 山色(さんしょく)空濛(くうもう)として、雨もまた奇なり。
 欲把西湖比西子 西湖を把(と)って、西子に比せば、
 淡粧濃抹總相宜 淡粧濃抹、総て相(あい)宜(よろ)し

 おそらく私には、この詩人が中国の詩人では一番好きでしょう。私は王朝雲という女性とのロマンスが好きです。
13022805 蘇軾の生涯は、1037年1月8日から1101年8月24日でした。また私は彼の詩を幾度も読んでいくでしょう。そして西施のことも松尾芭蕉(「象潟や雨に西施がねぶの花」の俳句)のことも思い浮かべているでしょう。

12081010 もう一度書きます。
 以下は私は過去に書いたものです。

2012年3月6日のポメラの2

 私はポメラが通信機能のないことに気がつき、驚喜しました。それまでは(府中にいるときはまったくその通りでした)、いくつもの長文の漢詩等を心の中で読み上げたものです。この漢詩等をここにあげます。でもここであげるのも実に大変なのですね。このポメラのそれが欠点です。だから私はみな登録しているのです。登録しているから、以下実際にポメラにも書けるのです。

  文天祥「正気歌」
  曹操「短歌行」
  曹否「短歌行」
  土井晩翠「星落秋風五丈原」
  諸葛亮孔明「前出師表」
  マルクス・エンゲルス「共産党宣言」(大内兵衛・向坂逸郎訳)

 あと何だったかなあ。曹操、曹否、曹植はもっとすべての詩を読み上げているものですが、私が暗記暗誦できているのは、上の二つの「短歌行」なのです。
 あと藤田東湖「正気歌」も広瀬武夫「正気歌」も好きで読み上げていたものです(東湖のは暗誦できませんが、広瀬武夫のはできます。そんなに長くないし)。

 いやもちろん、漢詩は絶句や律詩は中国のも日本のもけっこう暗記暗誦できるのですが、問題は長いものでないと、こうしたじゅにの隣にいるときでは、私が困ってしまうのです。

 この千葉こども病院にいる私の孫じゅにのそば(今はちゃんと退院できました)では、携帯電話は電源を切らないとなりません。そうすると私は何もすることがないのです。いや眠っているじゅにの顔を見ていても、それが一時間くらいならいいのですが、時間はものすごくあるのです。
 それで3日目からは、ポメラなら、「あ、これは携帯機能はないんだ」と気がついて、これで書き出したものなのです。
 だから、それまでは心の中で『土井晩翠「星落秋風五丈原」』等々を暗誦するばかりだったのです。
 そんなこの詩は大好きなのです。

12081009 この詩をもう一度読んでほしいのです。

   星落秋風五丈原(せいらくしゅうふうごじょうげん)
       土井晩翠(どいばんすい)

 祁山(きざん)悲秋の 風更(ふ)けて
 陣雲暗し 五丈原(ごじょうげん)、
 零露(れいろ)の文(ふみ)は 繁(しげ)くして
 草枯れ馬は 肥ゆれども
 蜀軍の旗 光無く
 鼓角(こかく)の音も 今しづか。

 丞相(じょうしょう)病 あつかりき。

 中原をなんとしても蜀漢に取り戻すために、諸葛亮孔明は五丈原に出撃するのですが、それをに立ふさがるのが司馬懿仲達です。この事実には、今も私は涙になります。
 この詩の最後で、次のようにあります。

 草廬にありて 龍と臥し
 四海に出でゝ 龍と飛ぶ
 千載の末 今も尚
 名はかんばしき 諸葛亮。

 私はまた涙を大量に流すのです。今の私がそうなのです。

12081008 私の「周の漢詩の話6『「星落秋風五丈原」の読み方』」に、以下のコメントがありました。

1. Posted by さぬき   2012年08月11日 11:40
 最新ページは存じませんが、仙台では
「更けて」を(たけて)と、歌っていたように記憶しております。
老婆心まで。

 ちょっと、これで「老婆心まで」と書いてありますので、漢和辞典を二冊調べましたが、読みで、「更」を「ふ」ではなく、「た」と読む読みは書いてありません。「仙台では」とありますが、その「仙台では」とは何のことでしょうか。宮城県仙台市ということでしょうか。
 私はこの詩を読んで暗誦しましたのは、中学2年のときです。鹿児島の山形(やまかたと読みます)屋というデパートの前にあった「センバ」という大きな古書店で購入しました。
「たけて」ですから、書くとすれば「長けて」でしょうか。
 これで簡単に推測すれば、例えば、与謝野鉄幹の「人を恋うる歌」の

  妻をめとらば 才たけて

でしょうか。これは「長(た)けて」で、才能のある妻を恋するということです。
 ですから、さぬきさんが昔唄われていたというのは、記憶違いか、「仙台では」とかいう人たちが間違えていただけです。

12070501 少し前にゆっこさんという方の、「陸游『遊山西村』」へのレスを書きました。彼の『釵頭鳳』という詩を書こうにも、実にこれが大変です。
  このIS01では登録してしまいますが、彼が生涯好きだった唐婉(とうえん)の「婉(本当に字は女へんではなく、王へんなのです)」は登録できないのです。
  これが実に大変です。インターネット上に漢字がないのですね。
 問題は紙の上にはプリントできても、インターネット上で出てこないと大変なのです。これが実に大変です。そのたびに大変な時間をかけて苦労しています。
 いつもいつも大変な思いをしています。

201705081711090507  この文をここに書きます。そして電車の中でIS01で何度も読んで、記憶して、暗記暗誦できるようにします。
なお、文はそのままにして、書き下し文に色をつけました。それから、これは「出師表(すいしのひょう)」の「前」だけです(「後」は孔明の作詞したものではありません)。

先帝創業未半、而中道崩[歹 且]。今天下三分、益州罷敞。此誠危急存亡之秋也。然侍衞之臣、不懈於内、忠志之士、忘身於外者、蓋追先帝之殊遇、欲報之於陛下也。誠宜開張聖聴、以光先帝遺徳、恢弘志士之氣。不宜妄自菲薄、引喩矢義、以塞忠諌之路也。

先帝業を創めて未だ半ならずして、中道にて崩[歹 且]する。今天下三分して、益州罷敞する。此れ誠に危急存亡の秋なり。然れども侍衞の臣、内に懈らず、忠志の士、身を外に忘れるのは、蓋し先帝の殊遇を追うて、之を陛下に報いんと欲するなり。誠に宜しく聖聴を開張して、以って先帝の遺徳を光いにし、志士の氣を恢弘すべし。宜しく妄りに自ら菲薄として、喩を引き義を失い、以て忠諌の路を塞ぐべからざるなり。

宮中・府中、倶為一体。捗罰蔵否、不宜異同。若有作奸犯科、及為忠善者、宜付有司、論其刑賞、以昭陛下平明之治。不宜偏私、使内外異法也。

宮中・府中は、倶に一体なり。蔵否を捗罰して、宜しく異同あるべからざる。若し奸を作し科を犯し、及び忠善を為す者あれば、宜しく有司に付して、其の刑賞を論じ、以て陛下平明の治をあきらかにすべし。宜しく偏私して、内外をして異法を異にするべからざるなり。

侍中・侍郎、郭攸之・費[ネ 韋]・董允等、此皆良実、志慮忠純。是以先帝簡抜、以遺陛下。愚以為、宮中之事、事無大小、悉以諮之、然後施行、必能裨補闕漏、有所広益。将軍向寵、性行淑均、暁暢軍事。試用於昔日、先帝称之曰能。是以衆議、挙寵為督。愚以為、営中之事、事無大小、悉以諮之、必能使行陣和睦、優劣得所。

侍中・侍郎、郭攸之・費[ネ 韋]・董允等、此れ皆良実にして、志慮忠純なり。是を以て先帝簡抜して、以て陛下に遺す。愚以為へらく、宮中の事は、事大小と無く、悉く以て之に諮り、然る後に施行せば、必ず能く闕漏を裨補して、広益する所有る。将軍向寵は、性行淑均にして、軍事に暁暢。昔日に試用せられ、先帝之を称して能ありと曰く。是を以て衆議して、寵を挙げて督と為す。愚以為へらく、営中の事は、事大小と無く、悉く以て之に諮らえば、必ず能く行陣をして和睦し、優劣所を得る。

親賢臣、遠小人、此先漢所以興隆也。親小人、遠賢臣、此後漢所以傾頽也。先帝在時、毎與臣論此事、未嘗不嘆息痛恨於桓・霊也。侍中尚書・長史・参軍、此悉貞亮死節之臣也。陛下親之信之、則漢室之隆、可計日而侍也。

賢臣を親しんで、小人を遠ざけるのは、此れ先漢の興隆する所以である。小人を親しんで、賢臣を遠ざけるのは、此れ後漢の傾頽する所以である。先帝在し時、毎に臣と此の事を論じて、未だ嘗て桓・霊に嘆息痛恨しないことはない。侍中尚書・長史・参軍、此れ悉く貞亮にして節に死するのが臣である。陛下之に親しみ之を信じれば、則ち漢室の隆んであることを、日に計えて侍つ可きである。

臣本布衣、躬耕南洋。苟全性命於乱世、不求聞達於諸侯。先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣於艸盧之中、諮臣以当世之事。由是感激、許先帝以駆馳。後値傾覆、受任於敗軍之際、奉命於危難之間。爾来二十有一年矣。先帝知臣謹慎。故臨崩寄臣以大事也。

臣は本布衣、躬から南洋に耕す。苟くも性命を乱世に全うして、聞達を諸侯に求めず。先帝臣が卑鄙なるのを以てせず、猥りに自から枉屈して、三たび臣を艸盧の中に顧み、臣に諮るに当世の事を以てする。是に由りて感激し、先帝を許すに駆馳を以てする。後に傾覆に値い、任を敗軍の際に受け、命を危難の間に奉ずる。爾来二十有一年なり。先帝臣が謹慎なるのを知る。故に崩ずるに臨んで臣に寄せるのに大事を以てする。

受命以来、夙夜憂慮、恐付託不効、以傷先帝之明。故五月渡瀘、深入不毛。今南方已定、兵甲已足。当奨卒三軍、北定中原。庶竭駑鈍、攘除姦凶、以復興漢室、還于旧都。此臣所以報先帝、而忠陛下之職分也。至於斟酌損益、進尽忠言、則攸之・[ネ 韋]・充之任也。

命を受けてより以来、夙夜憂慮し、付託の効あらずして、以て先帝の明を傷つけることを恐れる。故に五月瀘を渡って、深く不毛に入る。今南方已に定まり、兵甲已に足りる。当に三軍を奨卒して、北のかなた中原を定める。庶はくは駑鈍を竭し、姦凶を攘除し、以て漢室を復興して、旧都に還さんことを。此れ臣が先帝に報いて、陛下に忠なる所以の職分である。損益を斟酌し、進んで忠言を尽すに至っては、則ち攸之・[ネ 韋]・充の任である。

願陛下託臣以討賊・興復之効。不効則治臣之罪、以告先帝之霊。若無興徳之言、責攸之・[ネ 韋]・充等之咎、以彰其慢。陛下亦宜自謀以諮諏善道、察納雅言、深追先帝遺詔。臣不勝受恩感激、今当遠離、臨表涕泣、不知所云。

願はくは陛下臣に託するには討賊・興復の効を以ってしなければならない。効なければ則ち臣の罪を治して、以て先帝の霊に告げることだ。若し徳を興す言が無ければ、攸之・[ネ 韋]・充等の咎を責めて、以て其の慢を彰はせ。陛下も亦宜しく自ら謀って以て善道を諮諏し、雅言を察納して、深く先帝の遺詔を追うことである。臣恩を受けて感激に勝えず、今当に遠く離れるのに、表に臨んで涕泣し、云う所を知らない。

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201705081611090505 私は今毎日のように、私の孫じゅにの病院へ行っています。ただ、じゅにの部屋では、ケータイもIS01も一切電源を切らないとなりません。
それでじゅにが目を覚ましているときはいいのです(そのときは懸命に声をかけたり、まずお顔をいつも見ています)が、もうただ眠っているときは、私はやることがないので、昔から同じなのですが、いくつもの長文を心の中で読み上げています。
それが、文天祥『正気歌』、諸葛亮孔明『出師表』、土井晩翠『星落秋風五丈原』曹操『短歌行』、マルクス・エンゲルス『共産党宣言』(大内兵衛・向坂逸郎訳)等々なのです。
でもその中で、「諸葛亮孔明『出師表』」が全文はしっかりと出てきません。それで、ここに書いて行きます。電車の中等では、IS01は読むことができますから、そこで正確に記憶して行きたいと考えています。IS01で私のホームページ(ブログ)は開くことができるのです。それで私の頭の中に記憶します。
「文天祥『正気歌』」「土井晩翠『星落秋風五丈原』」「曹操『短歌行』」は私のインターネットに書いてあります。
だから、あとは「諸葛亮孔明『出師表』」だけなのです。

なおこれも「諸葛亮孔明『出師表』」も、適当なカテゴリがないので、「周の漢詩の話」に入れました。

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2016122701
2016122618

10112704 以下のUPをしまして、写真を載せました。

  広瀬武夫の像のことで

 前にUPした中で、「これは解説しないといけないかな?」と思っただけで、そのまま忘れていたことがありました。以下のUPなのですが

  今月始めのホームページの容量
  本日お台場でブームのコンサート その2

 このUPに載せた写真が以下です。(この写真は、上の私のリンク先にあります)

 この時UPした写真の像は広瀬武夫と杉野兵曹長です。このことは以下に書いていますので、読んでみてください。

  広瀬武夫「正気歌」(この詩はまた紹介して、リンクできるようにします)

 私にとっては広瀬武夫の詩をよく詠いますので、実に親しい思いがあるのですが、先日ある方と話していて、私のブログでもちゃんと書いておかないと、全然判らない、知らない方もいるんだなということを感じました。(2005.07.13)

 それで、これにコメントをいいただきましたので、さらにUPしました。

 広瀬武夫の像のことで に次のようなコメントをいただきました。

もともと芸術系には強くないのですが・・・
やはり知らない名前でした(^^;

 植木屋の恋愛事情・株式上場2005(もう今現在はこのサイトはありません)さんのコメントです。

 コメントをありがとうございました。そうですね。広瀬武夫というと、今では「知らない」と言われても仕方なのかもしれませんね。

 ずいぶん前に、nifty ででしたが、日露戦争でのこの広瀬武夫のことを書きまして、広瀬はロシア語に堪能で、しかもロシアを愛していたので、この戦争は実は残念だったろうというようなことを書きましたら、それに異議を言われた戦前に生れた女性がいました。私は少し「なんでこんな当然の思いを判らないのかな」ということで、その根拠を書きませんでした(根拠は当然いくつもあるのですよ)。
 そしてこのとき観戦将校の一人に、米軍には第2次大戦後の日本占領の米軍のマッカーサー将軍の父親がいたことを書きましたら、このことも、それは父親ではなくて、マッカーサー自身ではないかと言われて、これもまた閉口しました。
 すぐにある方が、このことの2点を普通に指摘説明してくれて(児島讓「日露戦争」を読めばすぐ判るんですが、いえ、他の本でもいいんですが)、やっとおわかりいただいたのですが、少し面倒なので、困りました。戦後昭和23年の生まれの私なんかよりも、もっと戦中派のほうが知っているはずという思いだったのですがね。でもこんなことは普通の知識の話なんだと私は思うのですね。

 広瀬武夫については、私は詩吟を詠うことで、実に親しい存在でした。私の詠う「正気の歌」は実にいい詩吟です。私は過去何度も大きな会場で詠ってきました。いい詩です。
 実は夏目漱石がこの広瀬武夫の詩を、「平仄や韻がちゃんとしていない」ということで、褒めていないのですが、私は、それはもういいすぎだよとしか思わないのです。たしかに漱石の漢詩はそうした法則をちゃんと守っていますからね。でもでも、私はこの広瀬武夫の詩のことでは、漱石のほうにこそ異議があるのです。(2005.07.15)

 私は漱石は大好きです。でも広瀬武夫の詩について言われると、困ってしまうのです。「それはどうだけど、仕方ないじゃない」という思いなのですね。(2010.11.28)

10112513 私のメルマガの「周の漢詩入門」なのですが、「第216号」にて、この「周の漢詩入門」が書けませんでした。

 この「周の漢詩入門」を書こうといくつか予定していた幕末の詩人たちの詩を見てみました。今回はこのメルマガの配信がこの「周の漢詩入門」のみを書き上げられなく、月曜日配信できませんでした。3日は家族で出かけて午後9時半頃帰宅しまして、これに取り掛かりました。
 ところが私が予定していた幕末の志士たちの何人かの七言絶句なのですが、詩吟の教本の詩句ではどうしても納得できないのです。前々から、私はこのことに大変不満でした。「これじゃ、七言絶句とはいえないじゃないか」という思いなのですね。だから、今までここで披露してきた漢詩については、詩吟の教本とは違って、独自に調べてきたつもりです。「これが、この詩人がもともと書いただろう詩そのものだろう」というものを紹介してきたつもりです。
 どんなに口調がよく、どんなにいい詩句が使われていたとしても、その詩人の作詩した詩そのものでなければ意味がありません。
 そんな中で、今回予定していた幕末の詩人たちのいくつもの七言絶句が一つもここに書くことができないのです。とくに詩吟の教本は、その詩を作った詩人の詩を別に作り替えているとしか思えないものがいくつもあるのです。
 これはもうものすごく悩みました。「これじゃ、彼が作詩した詩とはいえないじゃないか。これでは紹介できない」という思いですね。
 七言絶句でなく、律詩や長詩を紹介していけば、まだ紹介できるいくつもの詩があります。今後はそうした詩を探して、ここで紹介してまいります。(2005.05.04)

10112503 昨日20日に、19日の毎日新聞の1面の「余録」を見まして、二日酔いの頭の中で思いだしていました。宋の詩人林逋のことです。

余録:「梅白し昨日や鶴を盗まれし」は芭蕉が、京都・鳴滝の山荘に知人を訪ねた時の句である(「野ざらし紀行」)。梅林の白梅は見事だが、鶴は昨日盗まれたのか姿が見えないという。梅を妻に、鶴を子供に見立てて暮らした中国・宋の隠者林逋(りんぽ)に知人をなぞらえたのだ▲井波律子さんの「奇人と異才の中国史」(岩波新書)によると、この林逋、40歳の時から故郷の西湖のほとりにある孤山にこもった。時勢と歯車が合わず、詩作を重ねながら各地を遍歴した末の隠遁(いんとん)だ。山中では梅と鶴、そして召使役のシカと一緒の暮らしであった▲とくに妻に見立てたくらいだから、梅マニアである。梅林の中に住んで、詩にも多く梅を詠んだ。中でも有名なのは「衆芳は揺落せしに、独(ひと)り喧妍(けんけん)たり」(多くの花は寒さで枯れ落ちたのに梅花だけは鮮やかに美しく咲いている)で始まる七言律詩である▲詩人の名声を伝え聞いた宋の皇帝は彼に食べ物や衣料を贈ったし、地方官からの援助もあったらしい。なのに、林逋は宋王朝への忠誠を拒む意味の辞世を残して死んでいる。要するに浮世の義理とはまったく無縁の人だったわけだ。超俗と反骨こそが隠者の隠者たるゆえんなのだろう

 ここまでは林逋のことですが、そのあと自民党旧橋本派への裏献金のことが書いてあります。
 私の将門Webは、周の漢詩塾というページがあるためでしょうが、その管理人は、漢詩に関しては何故か詳しいのではないかという誤解を抱く方が多いようで、その手の質問のメールをよくもらいます。この林逋のことでも、質問のメールをもらったことがあります。

  林和靖のことで

 私は、こうしたことに関しては、「私が漢詩について詳しいというのは誤解なんだよな」と思いながら、知っている詩でも、なんでも、まずはとにかくインターネットで調べます。私が知っていて、しかもそれについて将門Web上に書いておりますと、Googleの検索でも、私のホームページが出てきます。
 そのあと、なんとか時間を作って、神田の本屋街を歩くことになります。ただし、質問してくる人でも、まったく自己紹介もなく、なぜその詩を知りたいのか、どこでその詩を知ったのかをまったく説明もなく、ただ聞いてくる方がいます。なんか、こちらがすぐに答えるのが当然だというような感じのメール内容です。私はこうした無礼なメールには何も答えません。
 でも、私が全然知っていなかった詩や詩人についても、こうした質問で、私自身が新たに勉強できることも多いのです。
 この林逋という詩人もそうでした。私が知らないことのほうが羞しいくらいの詩人でした。言い訳をいうとすれば、私は漢文も漢詩もまともに習ったことはないのですよ。すべて自分で学んだだけなので、仕方ないのですよ。(2005.02.21)

2018061101周の掲示板」での漢詩に関する質問に私が答えた内容です。

教えて下さい 投稿者:きらきら  投稿日: 7月29日(火)23時37分20秒
初めてお便りします。漢詩については全くの初心者で中学生の時に少し興味をもったくらいですが最近ちょっとした事から、興味を持ち始めるようになりました。只今私は海外で生活をしており、ある友人が今住んでる国から日本へ帰る時に「梅花処落疑残雪」と言う漢詩?らしいものを書で書いてこちらの年配の先生においておいていったそうです。ですが、意味がわからず、その方が私に聞いてきたのでいろいろと検索した結果、こちらのHPが大変詳しく載っていると思って、メールしました。よろしければ、この句の意味教えて下さいませ。

Re.教えて下さい 投稿者:周  投稿日: 7月31日(木)00時03分04秒

はじめまして。
私は以下で書いていますように、漢文や漢詩についてはまったくの素人です。詩吟は長年やってきましたが、漢詩そのものは、よく判らないのです。また自信もありません。それと、詩吟の教本は持っていますが、漢文関係の資料は、ほとんどもっていないのです。

漢文が読めないこと

ですから、こうした問いをいただきますと、とにかく困ってしまうのです。
それで、私もこうした問いがあるときには、まず最初に検索エンジンとくにGoogleで調べるしかないのです。それによって、探っていくのがまずは最初にやることです。ですから、これは誰でもできることです。そして、そのあと、私は神田の本屋街を歩くことになります。

ある友人が今住んでる国から日本へ帰る時に「梅花処落疑残雪」と言う漢詩?

検索により判りましたのは、これは「梅花処落疑残雪」ではなく

梅花落処疑残雪

であるはずです。平仄を漢和辞典でしらべればはっきりしますが、もう面倒なので、間違いなくこの句です。
それで、これは初唐の詩人の杜審言の七言律詩です。この詩人は杜甫のお祖父さんです。
それでこの句の意味を探るにも、この七言律詩を全文読まないとならないのですが、残念なことにインターネット上では、中国の簡体漢字で表現されているので、読むことができません。題名は大(酉甫)とあります(おそらく酉と甫で一つの字です)。
それで、これではしょうがないので、きょうの夕方時間ができたものですから、神田の本屋街を歩きました。だがこの七言律詩は見つけられないのです。
「唐詩選」には杜審言の詩は3つ載っています。だがみな短い詩だけで、これはないのです。古書店街を探して、さらに和本を探せば、この詩は見つけられるかと思いますが、そんな時間はありませんでした。
したがって、作者が判って、七言律詩ということは判りましたが、その詩文がでてきませんので、この句の意味も判りかねます。
おそらく、また足で探せば、この詩を見つけることはできるでしょう。そのときには、この句の意味はこうではないのか、ということは言えるかと思っております。
とにかく、検索で見てみてください。中国語フォントがあれば、画面上では見ることができますよ。ただし簡体漢字ですから、私たちには読めません。できたら台湾の方なりが、舊漢字で書いてインターネットにのせてくれれば、私たちにも容易に読めるし、意味も判るかと思うのですが、残念です。
きらきらさん、申し訳ありません。時間的にも、このくらいなことしか言えません。

以上が私が答えた内容です。ただ、ものすごくこの杜審言の七言律詩を正確に知って、内容を細かく判りたいのですが、どうにも探し出せません。少々困っています。
どうしても、漢詩や漢文を調べるのは、苦労してしまうなといつも思っています。(2003.12.08)

続きを読む

10112210 以下は漢詩ではなく、土井晩翠の詩についてのことです。私は

   土井晩翠「星落秋風五丈原」

を最初に書いた時点では、私自身がこの詩をすべて暗誦し、かつよくあちこちで暗唱していたものですから、あまりこの詩に読みかなをふるというような意識がありませんでした。だが、次のメールをいただいたときに、「そうではないんだな」と思ったものでした。

『星落秋風五丈原』の読み方を教えてください」
   Sent: Friday, December 27, 2002 6:09 PM

 初めまして、Tと申します。兵庫県の小学校4年生担任をしています。

 国語の授業の最初5分程度を暗唱テストに当てています。子どもたちは、少ない子で10個、多い子で32個の詩文を合格しています。子どもたちの希望で、今、暗唱詩文集第2弾を作っています。

 そこで、『星落秋風五丈原』を選びました。しかし、私の教養がないため、読み方が分かりません。インターネットでたくさん調べたのですが、分かりませんでした。
 そこで、お願いがあります。読み仮名があっているか、見て頂きたいのです。(★)は、読み方が分からないものです。

『星落秋風五丈原』(★)

土井(つちい)晩翠(ばんすい)

祁山(きざん)悲秋(ひしゅう)の風(かぜ)更(ふ)けて
陣雲暗(じんうんくら)し五(ご)丈原(じょうはら)
零露(れいろ)の文(ぶん)は繁(しげ)くして
草(くさ)枯(か)れ馬(うま)は肥(こ)ゆれども
蜀軍(しょくぐん)の旗光(はたびかり)無(な)く
鼓角(つづみかど)の音(おと)も今(いま)しづか
丞相(じょうしょう)病(やまい)あつかりき

清渭(★)の流(なが)れ水(みず)やせて
むせぶ非情(ひじょう)の秋(あき)の聲(★)
夜(よ)は關山(かかやま)の風(かぜ)泣(な)いて
暗(あん)に迷(まよ)ふかかりがねは
令(れい)風霜(ふうそう)の威(い)もすごく
守(まも)る諸營(しょえい)の垣(かき)の外(そと)
丞相(じょうそう)病(やまい)あつかりき

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           T  
gttaqua@yahoo.co.jp
http://www.geocities.co.jp/NeverLand-Mirai/6533/
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「Re:『星落秋風五丈原』の読み方を教えてください」
            Sunday, December 29, 2002 1:19 PM

 ちゃんとメールします。最初私の港区のクライアントでTさんのメールを読みましたときは、「星落秋風五丈原」が全文でてくるのかと思い込んでいました。それで、「時間がないけれど、少し書こう」と思いましたら、2連だけのご質問だったのですね。

国語の授業の最初5分程度を暗唱テストに当てています。
子どもたちは、少ない子で10個、多い子で32個の詩文を合格しています。子どもたちの希望で、今、暗唱詩文集第2弾を作っています。

 これはものすごくいいですね。できたら、「平家物語」の最初なんかもやってほしいな。
 それで、最初はまずT先生に正確に読んで生徒たちに聞かせてほしいものです。日本の古典というのは、まず第一に読んで聞かせるものなのです。だから「音(おん)」で綺麗に聞こえないといけないと思うのです。その綺麗な日本の古典の音(おん)は、必ず彼らの心の中に染みていくと思います。
 この「星落秋風五丈原」もそうですね。小学生でも、この美しい日本語の音(おん)をたくさん覚えてほしいと思うんです。そして、このときの五丈原の戦いを教えてあげてください。地図を書いて教えてあげてほしいな。
 この詩は七五調で書かれています。だから、そういう音(おん)の詩として声に出して読んでいただきたいのです。

『星落秋風五丈原』(→ほしおつしゅうふうごじょうげん)(或いは→せいらくしゅうふうごじょうげん)

陣雲暗(じんうんくら)し五(ご)丈原(じょう はら→げん)
零露(れいろ)の文(ぶん→ふみ)は繁(しげ)くして

蜀軍(しょくぐん)の旗光(はた びかり→ひかり)無(な)く

 七五調ですから

 蜀軍の旗 光無く

と読むわけです。

鼓角(つづみかど→こかく)の音(おと)も今(いま)しづか
丞相(じょうしょう→じょうしょう)病(やまい)あつかりき

清渭(→せいい)の流(なが)れ水(みず)やせて
むせぶ非情(ひじょう)の秋(あき)の聲(→こえ)
夜(よ→私は「よる」と読んでしまいます。字余りですが)は關山(かかやま→かんざん)の風(かぜ)泣(な)いて
暗(あん→やみ)に迷(まよ)ふかかりがねは

守(まも)る諸營(しょえい→「しょえい」でいいのでしょうが、私は「とりで」と読んでしまいます)の垣(かき→私は「かきね」と読みます。字余りですが)の外(そと)
丞相(じょうそう→じょうしょう)病(やまい)あつかりき

 でもやはりいい詩ですね。諸葛孔明は、この詩だけで、彼の人となりが目の前に浮んでくる感じがします。

 T先生は、きっと素敵な授業を展開されているのでしょうね。私の娘二人も小学校の教員です。私はずうずうしく娘の学校へ行ってしまうのですが、今の子どもたちの素晴らしいところには感激してしまいます。私なんか思えば、音楽も苦手で、美術なんか、もっと苦手でした。それから、こうした詩を読むのも少しも好きでありませんでした。それは本来は私自身がいけなかったのでしょうが、もう少し先生方も楽しく教えてくれればよかったのにな(もっとも人数が多かったから、その当時の先生は大変だったでしょうね。私が小学校1年の札幌でのクラスは70名の生徒でひしめいていました)。日本のたくさんの詩が、音(おん)として美しい調べをもっていることが判ったのなら、もっと早くから好きになれたはずなのです。
 そんなことを思いました。萩原周二


「申し訳ありません」
         Sent: Saturday, January 11, 2003 12:57 PM

 今になって訂正します。申し訳ないです。

零露(れいろ)の文(ぶん→あや→ふみ)は繁(しげ)くして

「あや」でも間違いではないのでしょうが、やっぱり音で読んでいくと「ふみ」ですね。 ごめんなさい。

と前に書いたところですが、ずっと気になっていまして、この部分だけずっと音に出して、暗唱していましたが、やはり「あや」でなければいかないのだと気がつきました。
 これは「ふみ」だと文書とか手紙となってしまいます。「したたり落ちる露の模様は………」という意味ですから、「文」はいわば「文様」ですから、「ふみ」や「ぶん」ではなく「あや」と、作者も詠んだのだと思います。
 たいへん、今になりまして申し訳ありません。できましたら、次の版のときに訂正いただけますか。
 申し訳ありませんでした。頓首 萩原周二


 以上のメールは他にもいくつかやりとりしたのですが、これで「周の詩歌の館」のUP分にも誰でも声に出して詠めるように、ふりがなをつけることにしました。(2003.01.13)

10112203 今回は、前回で書いたことの典型的な証明みたいな内容のメールです。その前回の文は以下で読めます。

  漢文が読めないこと

 私にはこの程度しか答えられないのです。

「申し訳ありませんが、教えて下さい。」Friday, January 11, 2002 3:31 PM

突然、メールし、失礼します。
私は下記のとおりの一般サラリーマンですが、会社の中で次の漢詩(それすらも定かでありませんが)の意味が話題になり、その意味を解明しようと躍起になっておりますが、残念なことに正確に訳せる輩がいません。ついては読み方と意味を教えていただければ幸いです。

 「室有芝蘭気味別
  胸無城府天地寛」

というものですが、いかがでしょう?
気が向いたらで結構ですので教えて下さい。

   会社名 住所 氏名等々

「Re: 申し訳ありませんが、教えて下さい。」
             Tuesday, January 15, 2002 12:33 AM
(略)
ついては読み方と意味を教えていただければ幸いです。

 まず返事が遅くなり申し訳ありません。実は私は詩吟を長年やっているだけで、漢詩や漢文について詳しいわけではありません。また自信もありません。ただ、判る限り判断しました。

 「室有芝蘭気味別
  胸無城府天地寛」

 以上は、普通なら

  室は芝蘭あり、気味は別も
  胸は城府になく、天地寛し

と読めるようですが、一見漢詩の句のように思えます。
 ただ、最後の「別」は入聲の「屑」という音で、「寛」は平聲の「寒」という音なので、韻が合いません。合わないとなると、七言絶句の転句と結句のようにも思えます。
 だがそうすると「室有芝蘭気味別」は平仄が合っているのですが、「胸無城府天地寛」のほうは、2字目の「無」が平で、4字目が上聲で仄音でいいのですが、6字目の「地」がまた去聲で仄音になり、ここは平音でなければならないわけですから、これでは漢詩にはなりません。
 従って、私の拙い判断では、これは詩ではなく、文章の中の語句であるだろうと思います。
 そうなると意味としても、他の文章も参照しないと、判らないといえるかと思いました。
 お役にたてず申し訳ありません。
(2002.05.13)

10112107 私が、「周の漢詩塾」というページを持っているせいでしょうか、よくメールで、「この漢文はどう読んで、どういう意味なのか」とか「この漢詩は誰の作品で、またどう読むのか」という質問を受けます。
 それで、私はそうした「漢文を読むのが得意だ」という誤解を私に抱いてくれないようお願いしたく文を書いてみました。

 私は実にたいしたことはないのです。私は昔から、よく「漢文に詳しい」という誤解で、よく質問を受けてきました。だが私は、高校時代は漢文の授業はほとんどなかったのです。高3のときには、週1時間はあるはずなのに、「大学受験で漢文が関係あるのは」私だけでしたから、授業は古文に振り返られました。私はそれが不満で仕方なく、私が授業をやったことがあります。それで大学は学生運動ばかりやったいたわけですから、まともに漢文を習ったことは皆無なのです。
 でもなぜか「詳しい」のではないかということで、いろいろと質問を受けてきました。一番私が不安なのは、漢文を読まされることです。私は漢文の読み方なんて、まったく自信がないのです。ただけっこう読んできましたもので、かろうじて暗記しているだけで、読み下す能力があるわけでも、できているわけでもないのです。
 あるとき(学生のときに)、社青同解放派の後輩が、ある長大な漢詩をもってきまして、それを書き下し文にして読んでくれといいます。思い出せば、なんで彼はあんなもの必要だったのかな。
 私は「ああ、嫌だな、俺はこんなのが一番困るんだ、俺が漢文得意だってのは誤解なんだよなあ」と思いながら、仕方ないから、その文を見ました。だが

 なーんだ、これは劉希夷の『代悲白頭翁』じゃないか、これなら暗記しているよ

ということで、いっぺんに得意な顔の私になります。
 これが最初だったのですが、こうした経験が何度もあります。
 近ごろでも、例えば中華料理屋いったときに、そこにある壁とか掛け軸みたいなものに何か書いてあって、それを「何て書いてあるの? 周さんなら読めるでしょう」なんていわれるのが一番恐ろしいのです。
「嫌だな、嫌だな、俺はそんなになんでも判るわけないんだよ、誤解だよ、嫌だなあ」なんて思っていまして、それでも仕方ないから、それに目を向けると、

 なんだ、これは諸葛孔明『出師の表』じゃないか。これなら暗記しているよ

ということで、今度は、それこそ得意になって読んで見せまして、さらに聞かれてもいないことまで喋りだします。
 ちょうど2年前にも同じようなことがありました。仕事で行っていたのですが、相手は小学校中学でずっと校長を務められた先生でして、しかも習字の大先生です。彼の自宅の習字の道場で、私は正座をして、いつもお話していました。ところが2年前に、なぜか上に飾ってあった彼の作品に目が行ってしまいました。それでですね、先生が「あれ私が書いたのだけれど、読めるかな?」といいます。私は「またやめてくれよ、とうとう、この大先生の前で耻かくんだな」と思いながら、見ますと、それは五言絶句、そして作者の名前は書いてなかったのですが、

 なーんだ、これなら俺は知っているよ

ということで、声を出して読み上げて、さらにはその詩人の話をはじめます。先生は「君の年だと、漢文なんてたいして習っていないだろうに」と感心してくれます。
 でもでも、これはたまたま私が知っていただけなのです。私は白文を出されて、「書き下してみよ」と言われたって、まず私が知っていないものはできないのです。書き下す能力などないのです。ただただ、ひたすら覚えているだけなのです。
 それで、いつもこうして自信がないのに、なぜか切り抜けてきたのです。それは、なるべく日本人なら読んでいるべきであろう漢文を私がひたすら読んできたからです。そしてなるべく暗記しようとしてきました(今は随分忘れ果てましたが)。
 1969年1月に東大闘争で、逮捕起訴されて、府中刑務所にいたときには、独房の中で、「古文真宝」とその受験用参考書を差し入れもらって、懸命に読み書き覚えました。また「孫子」を全文書き抜きまして、これまた全て暗記しました(今は忘れた)。
 そうしたことだけなのです。

 ところで、ところがですよ、このごろ私は判って来たのですが、私のやり方というのは、そもそもの学び方なんじゃないのかということなのです。私は頼山陽とか菅原道真という漢詩人は、「俺とは違って、ちゃんと読めたんだろうな」とばかり思い込んでいたのですが、どうもそれは違うのじゃないかな。それは実際に多くの中国人と接してみてそう思うこと、すなわち彼らにも漢文は、とてつもない古典であり、学んでいるものは読めるが、知らないのは読めないということを知ったからです。かつ、以下のことで、私はなにかが解けてきました。
 魯迅に「五猖会」という短編があります。その中で、子どものときの魯迅がお祭りにみんなで行きたいのに、父親が『鑑略』という清の王仕雲作の韻文による初級通史を全部暗誦しろというのです。

 「よく読んで暗誦するんだ。暗誦できんと行かさんぞ

 魯迅が暗誦できなければ、魯迅のみならず、兄弟も、親戚も友だちも、母親もその祭りに行ってはいけないといわれます。子どもの魯迅には、絶対絶命のときです。
 ところがどうしても遊びに行きたいのと、子どもたちみんなの思いが通じたのか、魯迅はとうとう何故か全文を大声で暗誦することができます。ただただひたすら棒暗記して必死になっただけなのです。

 彼らはみな待ちあぐんでいる。日はさらに高く昇った。
 急に私は、もう十分自信がついたと思った。すっくと立ち上がって、本を持って父の書斎へ行った。一気に暗誦し、夢心地で暗誦を終えた。
 「よくできた。行ってよろしい」父は、うなずいて言った。

 魯迅は必死に暗記したのです。

 粤自盤古(ゆえつーばんくー) 生于太荒(しょんゆーたいほわん) 首出御世(しょうちゅーゆーしー) 肇開混茫(ちゃおかいほんまん) (そもそも盤古(ばんこ)氏、太古に生まれ、 はじめて出でて世を統(す)べ、はじめて混沌を開き)

 魯迅は、みなで遊びに行きたいががために必死に暗記して暗誦できました。でも最後に魯迅は書いているのです。

 こんな本だが、私は今では最初の四句を覚えているだけで、後は全部忘れてしまった。確かそのころ、『鑑略』を読んだほうが、『千字文』や『百姓姓』を読むより、古代から現代までの大略が分かるから、ずっと役に立つと人が話しているのを耳にしたことがある。古代から現代までの大略がわかるのは、むろん、結構にはちがいないが、私には一字も理解できなかった。「粤自盤古(ゆえつーばんくー)」は「粤自盤古」だ。読んで、棒暗記するだけだ。「粤自盤古」だ! 「生于太荒(しょんゆーたいほわん)」だ!……

「私には一字も理解できなかった」と魯迅は書いているのです。

 私が中学生のときに、このところを読んでも私にはなんの感慨もありませんでした。でも今やっと、このことの大きな意味が私には浮かんできたのです。中国人でも、あの魯迅でも、ただただ暗記して暗誦するだけで、意味なんか判っていなかったのです。書き下して、その意味を咀嚼するなんてことよりも、ただただ、暗誦していっただけなのです。私の方法も同じでした。ただ、誰にも強制もされませんでしたが、ただただやってきました。それが今思えばよかったのかな、と思ってきたのです。

 もう一ついいます。私は詩吟をやっているわけですが、私と同じ流派で、やはりまたみなに「あれだけ詩吟をやっている人なら、漢文を書き下すのは得意なのだろう」ということで、ある町にある勝海舟の書いた碑の漢文を読み下してほしいと、そこの自治体の方から頼まれた人がいます。彼もまた「俺は漢文が得意なわけではないのだ。誤解なんだ」ということなんですが、でも必死にやってみました。どうやら「8割は書き下せた」といいます。でも「あと2割方は判らないよ」というのです。日本人の書く漢文は、またかなりいい加減なことがありますから、その書いた当人が「書き下し文」を書き残してくれないと、完全に読み下すのは不可能です。8割読めれば、私は正解だと思います。
 でもみな「この人なら漢文がよく判るのだろう」と10割を求めるものなのですね。これは辛いことです。
 この彼とはよく話しているのですが、それで私も彼も言うことですが、

 こうしてインターネットの世界が発達した今こそ、漢文教育が大事なんだよな

ということなんです。私ももういちど、ちゃんとした漢文を習ってみたいものなのです。できたら私も漢文の先生についてじっくり教えていただきたいものです。(2002.04.22)

20170424022017042401
10112012 私のサイトに、「周の漢詩入門」というページがあるからか、よく漢詩に関した質問のメールをいただきます。
そんな中で、漢詩作成について返事をしたものがありますので、ここに書いておきます。

メールをありがとうございました。こんなに返事が遅くなり申し訳ございません。メールをたくさんいただくもので、順番に返事を書いているものですから、今になってしまいました。

叙勲のお祝いのオリジナル漢詩を作りたいのですが、製作注文を受けてくださるようなお店はないでしょうか?

まず、こうしたことを受けてくれる「お店」などというのはないと思います。検索エンジンのgoogleで、「漢詩」と入れても、請け負ってくれるというところはないようです。ただ、インターネット上には、漢詩作成についてのホームページもいくつかあるようです。それから漢詩作成のソフトもあるようです。私が使ってみればいいのですが、とにかく時間が作り出せません。以下にあります。

(もう現在はないサイトです。)

それで最初に書きましたように、こうしてメールの返事が遅くなりましたのは、たくさん返事を書かなければいけないこともありましたが、なんとか、漢詩作成に関する資料を手にしてからと思っておりまして、それで今になってしまいました。

私が最初に「漢詩作成」ということで、勉強(といえるかどうか自信はありませが)をし始めたのは、高校生のときです。当時「吟と友」という詩吟の雑誌(月刊)に、「漢詩作成講座」という連載が開始されました。この連載をされた先生が誰だったか、記憶がさだかではないのですが、たしか宮崎東明先生ではなかったかと思うのですが、もう30数年前なので、記憶があやふやです。
それで、この連載が2年くらい続いたころ、それまでの掲載分がまとめて単行本になりました。実は、この本を探しに探したのですが、見つからないのです。そして今は、この雑誌社も存在しません。
ただ、ここで教えていました漢詩作成講座は、実によく理解できる内容でした。まず日本語で、できたら4行で書きたいことを書きます(4行というのは、最初の最初は、七言絶句がいちばん入りやすいからです)。それで、それをまずは漢語にしていきます。それで、このときに平仄と韻の規則があるわけですが、まず最初の起句が決まれば、それで韻を漢和辞典なりで調べまして、「漢詩含英異同辯」という辞書をひきますと、承句、結句の語句もいくつも出てきますから、それを使っていきます。この「異同辯」を使うと、平仄も合わせてある語句がいくつも出てきますので、それで全部の句をとにかく並べるだけならべてみます。
そして、これから推敲になります。これが大変なのですね。この漢語を使いたいとなっても、平仄が合わないと使えません。そして俗語は使ってはいけないとか、同じ字を繰り返し使ってはいけない(同じ句の中ならいい)ということがありして、これにものすごく時間がかかります。
ところが、これまた面白いもので、「詩語粋金」「幼学便覧」「幼学詩韻」等々という江戸時代の漢詩作りのアンチョコ本がいくつもあります。これは、日常のことでも、時節のことでも、とにかく漢詩作りにうまく合わせた語彙集なのです。これもまた平仄は規則通り合わせてありますから、これを使えば簡単です。例えば、「中秋」ということなら、たくさんの語句が並んでいるわけですが、もしも雨が降って、月が見られなかった場合には、「中秋無月」ということで、できるようになっています。
私は、この講座で、すぐに「漢詩含英異同辯」を買いにいきました。神田の「松雲堂書店」です。今でも、ここで作成販売しています。また上の数々の和本は東大前の古書店等々で求めました。
かくして、このようないくつもの資料をもって作詩していくわけです。ただ、とにかく時間がかかります。
でも、とにかくできましたら、最低限「漢詩含英異同辯」を手に入れられ、ご自分でやってみられることが一番だと思います。
(2002.02.25)

続きを読む

10112009始めまして Thursday, January 25, 2001 3:37 PM
始めまして、ホームページを拝見致しました。
私、在日韓国人で○○県○○市に在住しております
Mと申します。

下記漢詩は、私の先祖 高麗の三隠の一人で、”陶隠” 李 崇仁の漢詩です。
しかし、私には理解出来ません、、、
初対面で失礼とは想いましたが、詩の内容を御教え願い無いでしょうか。
又、漢詩入門についてどうすれば良いか、良い方法が有ればと思います。
ホームページ上でも?
韓国の、漢詩について資料等?
宜しくお願い致します。

  山 北 山 南 細 路 分
  松 花 含 雨 落 紛 紛
  道 人 汲 井 歸 茅 舍
  一 帯 青 煙 染 白 雲

(以下周よりの返答)

「Re: 始めまして」 Thursday, January 25, 2001 6:51 PM
 はじめまして。
 ええと私は漢詩や漢文のプロではありませんので、教えられるほどのものを持っていません。
 以下を読んでいただければ、判るかと思います。

 ○○○○
 ○○○○

 私はまともな漢文教育そのものを受けたことはないのです。ですから、自信がありません。
 でも李崇仁という詩人(まったく知ったことが初めてです)のこの詩について、私なりに解釈します。

 山北山南細路分 山北山南細路分る
 松花含雨落紛紛 松花雨を含んで紛紛として落ちる
 道人汲井歸茅舍 道人井を汲んで茅舎へ帰る
 一帯青煙染白雲 一帯の青煙白雲を染める

 山の北や南の細い路に分け入れば
 松の花が雨を含んでぱらぱらと落ちる
 僧侶たちは井戸の水を汲んで宿舎へ帰る
 一筋の煙が白い雲を青く染めていく

 道人というのは、道教の僧侶なのかなとも思いました。仏教の僧侶もこういうのかもしれません。
 それで、この詩は七言絶句ではないのですね。平仄も押韻も違います。

又、漢詩入門についてどうすれば良いか、良い方法が有ればと思います。
ホームページ上でも?
韓国の、漢詩について資料等?
宜しくお願い致します。

 韓国の漢詩の資料というのはまったく判りません。日本の場合は、大学入試にもまだ「漢文」があるところがありますから、それらのたくさんの教科書や参考書等々が一番の入門書ではないかなと思います。
 それと、私はやはり「詩吟」から入られるのが一番いいのではないのかと思いますよ。 不十分ながら、お返事いたします。萩原周二

「御礼」 Thursday, January 25, 2001 7:42 PM
早速の、御返事有難う御座いました、
心から御礼申し上げます!!!!

近くであれば、一緒にビールを飲みたい気持ちです、
私も、昭和22年生れの53歳で、歳も同じぐらい、
○○は、魚の美味しい処、、、良い店が在ります。
有難う御座いました。

10111808  これは私のメルマガの第39号に載せました文章です。

「中国の詩人を教えてください」 Sunday, February 25, 2001 9:31 AM

初めまして。
突然ですが、30年間詩吟に触れているということでメールさせて頂きました。中国の漢詩を書いている人で“りんなせい”?と言う人を知っていたら教えて下さい。“りんなせい”は中国の菅原道真と言われている人らしく梅の句がたくさんあるそうです。何故、“りんなせい”を知りたいかというと 昨日お茶の先生が 茶杓(抹茶をすくうスプーンみたいなものです)にその名前をつけたと言ったからです。お茶に興味がありますか?お茶の道具に名前をつけそこからいろいろと連想します。“りんなせい”と茶杓につけた理由は梅を想像させる為だそうです。
(“りんなせい”→中国の菅原道真(梅の歌をたくさん作った人)→梅の季節にぴったり)。
昨日初めて知った詩人なのですが、どのような人か興味があります。梅の句一つでも知りたいなぁと思っています、知っていらっしゃったら教えて下さい。お願いします。

(以下は、周よりの返答)
Re.中国の詩人を教えてください Sunday, February 25, 2001 10:46 AM

 突然ですが、30年間詩吟に触れているということでメールさせて頂きました。

 正式にやりはじめてから、もう32年目ですが、まだまだ未熟だなと思っております。未熟というより、なんだか自分でも自分のことを「生意気な奴だな」と思っております。

 中国の漢詩を書いている人で“りんなせい”?と言う人を知っていたら教えて下さい。“りんなせい”は中国の菅原道真と言われている人らしく梅の句がたくさんあるそうです。

 う、よく判らない、知らないなというところです。それで調べてみました。

  林逋(967〜1028)、字は君復(くんぷう)、銭唐(今の浙江省杭州市)
 の人。西湖中の弧山という小島に隠栖して、城市に足を踏み入れること二
 十年、梅を妻とし鶴を子として終り、死後、和靖(わせい)先生の諡号を
 賜った。               (岩波文庫「中国名詩選下」)

 北宋時代の隠栖詩人ですね。名を林逋、号を林和靖というようです。
 この人に関した俳句として芭蕉の「野ざらし紀行」

  梅白し昨日や鶴を盗まれし

があります。芭蕉が、三井秋風という人の山荘を訪れたときの句です。

  梅の咲き匂う三井秋風さんの山荘の庭園には必ず鶴がいると思ってきてきたのに鶴はいない。これは昨日盗まれちゃっんだろう。

 この句は、林和靖が、梅林に住んで梅を妻とし、鶴を子として生活していたということを思い出しての句です。
 林逋の漢詩もありますが、七言律詩しか見当たりませんので、この芭蕉の句でごかんべん願います。

 お茶に興味がありますか?

 大昔大学生のたしか5年か6年生の頃に、東京新宿の伊勢丹の表千家の茶道教室に通ったことがあります。私の時代は、三派全学連そして全共闘の時代であり、私も激しい活動家でしたが、私たちの大学の活動家は、けっこうお茶をやったり(華道もいました)するものが何人もいました(ついでに、早稲田の左翼活動家は、どうしてか剣道や丈道という武道をやる人が多かった)。
 ただし、私は茶道そのものは好きになれません。少しも日本的なものも感じられません。そんなことの内容は、私のホームページのあちこちで書いてきております。(後略)               萩原周二
  (2001.04.09)

10111802 さきほど(1995年3月30日のこと)パソコンに向っていたら、何の気なしにテレビの話が耳に入ってきました。筑紫哲也と永六輔が喋っていましたが、永六輔はなんだかの文章(何なのかはよく聞いていなかった)で、「人間」というのを、「にんげん」と読んでは駄目で「じんかん」と読まなくちゃいけないと強調していました。
 私は筑紫も永も、もともと嫌いでしかもその馬鹿さぶりがいい加減にしてほしいという気持を昔はもっていました。もうちかごろは「嫌いな」対象ですらなくなってしましたが、またこうした阿呆なことを得意げに言っていると、それこそまた嫌になってしまいます。
 いいですか、「人間」をまさしく文や詩によっては「ひと」ではなくいわば「人間の世の中」「世間」というふうにとらえたりするのは当り前のことであり(原典の「荘子」を永は知らないのでしょうね)、(「荘子」を「そうし」とも「そうじ」とも読む)それをわざわざ読みで区別することはないのです。もちろん「じんかん」と読んで間違いではないわけですが「にんげん」と読んでも間違いではないわけで、むしろ日本の文や詩の場合も、「音(おん)」としてどう綺麗に聞こえてくるかが問題なのだと思うのです。意味から無理やり、読み方を規制することはないのです。
 釈月性の「題壁」という詩(註1)の、結句の

   人間到處有青山  人間(にんげん)到る処青山有り

を「じんかん到る処青山有り」と読まなくてはならないと、執拗に言い張る人がいるわけですが、それこそ素人であり、漢詩の何たるかを知りません。いったいどちらの音で詠ったほうが、この詩を表せるものなのかわかりそうなものです。

  (註1)そういえば、この詩を釈月性の詩ではなく、村松文三の作だと主張するまた馬鹿な先生方がおいでになります。あなた方はいったいいつの知識で言っているのですか。漢詩の研究だって、日進月歩があるのですよ。

     釋月性「題壁」

 まあ、永六輔は阿呆だからいいけれど、あんな馬鹿な与太話に惑わされてほしくありませんね。(1995.03.30)

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