周の雑読(文学哲学篇)備忘録

2015年04月22日

「Le Petit Prince」2

15041326

 また書きます。どうしたらいいのだろうか。

 On disait dans le livre:<>

相変わらず、これだけしか書けません。やっぱり『源実朝「金槐和歌集」』や「蕪村俳句集」を書くのとは違います。
 しかし前回も言ったわけですが、『語の上の「´」等』はどうするか、困り果てています。

 どうやら、私が書く「Le Petit Prince」の文章を、パソコンが本文とは認識してくれないようです。困り果てました。


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2015年04月12日

「Le Petit Prince」1

15041302
私は『「Le Petit Prince」を書くつもりなのですが』に、「現在やっている蕪村の俳諧を書くのが終わってからです。」と書きましたが、もうやってしまおうかなあ。画像もUPするつもりです。ただし、フランス語独特の語の上の「´」等はどうするかは、今後考えていきます。Antoine de Saint-Exuperyはアントワーヌ・サンテグジュペリと書いていきます。(もう著作権は消滅しているのです)

Le Petit Prince
ANTOINE DE SAINT−EXUPERY15041303
       
 Lorsque J'AVAIS SIX ANS j'ai vu,une fois,une magnifique image,dans une magnifique image,dans un livre sur la foret vierge qui s'appelait Historires vecues.
Ca representait un serpent boa qui avalait un fauve.Voila la copie dessin.

でも私はこれだけで疲れました。いつものことですが、これを書くだけでなく、他(ほか)のこともいっぱいやっているものですから(私は言い訳を言っているだけです)。


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2014年12月01日

サンテクジュペリ『星の王子さま』池澤夏樹の新訳

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これを私は一昨日に手に入れまして(アマゾンで)すぐに読みました(少し時間はかかりました)。
 そして私はすぐにポコ汰・ポニョ・ポポに読んでもらい(パパミツ君もママおはぎも読んでくれるはずです)そのあとはブルータス家へ送り、じゅに・ブルータス・ナオキ君にも読んでもらうつもりでした。

書 名 星の王子さま
著 者 アントワーヌ・ド・サンテクジュペリ
    Antoine de Saint Txupery
訳 者 池澤夏樹
発行所 集英社
読了日 2014年11月29日

 ところが読んでみまして、このサンテクジュペリの本がなまやさしい本ではないのだということを充分に分かりました。原語のフランス語で読んだときは、もうフランス語を読むことに必死で私はよく分かっていなかったのですね。
 訳者の池澤夏樹さんが「タイトルについての付記」で言っています。

 ぼくの訳でも内藤濯氏が作った『星の王子さま』というタイトルをそのまま使うことになった。この邦題は優れている。実際の話、これ以外の題は考えられない。

 私は昔日本テレビの「笑天」で三遊亭円楽(5代目)が自分のことを「星の王子さま」というのが嫌いでした(私は5代目円楽さんは大好きでしたよ)。そしてこの『星の王子さま』というのは原作の「Le Petit Prince」でどうしてこう訳すのだという思いがあったものです。

 原題を直訳すれば、『小さな王子さま』ということになるだろうけど、元の Petit に込められた親愛の感じはそのままでは伝わらない。

 それで「主人公を特定する形容がほしい」ということで、

 こういう時に日本では古来、その人が住むところの名を冠した。「桐壺の更衣」も「清水の次郎長」もこのゆかしい原理から生まれた呼び名であり、「星の王子さま」もこの原理にそった命名だからこそ、その定訳となったのだ。
14120103 なるほど、そうなのか。清水次郎長は本名を山本長五郎というのだから、私もちゃんと知らないといけないなあ。ちゃんと判らないといけないのだ。
14120104
「桐壺の更衣」は、原文が
 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむ ごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
なのですが、これも私はよく知らないといけないなあ。私は「紫式部『源氏物語』」は「与謝野晶子『新訳源氏物語』」と「谷崎潤一郎『新々訳源氏物語』」を読んでいるわけですが、私は「吉本隆明『源氏物語論』」が一番いいなあ。谷崎さんは、真面目すぎてちょっと源氏物語では私は苦手に思えるのですね。
 あ、池澤夏樹さんの新訳「星の王子さま」の話だった。とにかく、これはいいのだけど、私には難しすぎるのです。また何度も読んでいくしかないだろうな。



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2012年12月30日

三浦暁子『北原怜子 ”社会の吹き溜まり”に咲いた一輪の花』

12123004  これを読んだのは12月5日で、それへの私の思いを今になって書いています。

書 名 北原怜子 ”社会の吹き溜まり”に咲いた一輪の花
    10人の聖なる人々 THE TEN SAUNTS
著 者 三浦暁子
発行所 学習研究社
発行日 2000年4月4日第1刷発行
読了日 2012年12月5日

 最初に以下のようにあります。

 ・・・。これから書こうとするのは、昔話ではなく、おとぎ話でもない。太平洋戦争が終わったばかりのころの日本で起こった実話なのだ。

 私は椎名麟三『「蟻の町のマリア」を見て』で、次のように書きました。

 私はこの映画を小学校4年生で見たのです。名古屋の今池の内山小学校で全員で見に行ったと思い出します。

 そうなのです。でも今から50数年昔なのに、いくつもこの映画のシーンが甦るのです。ただ今になってこうして本を読むことによりいくつものことを知りました。私がいつも私の孫のじゅにへ会いに行っていたときに、京葉線の中で「ここら先が『蟻の町』かな?」なんて思っていたのはみんな間違いで、

 舞台となるのは、東京は浅草の隅田川のほとり、言問橋のたもとである。

ということなのです。もう何もかもが、いや昭和20年代も30年代も遠いのですね(ただし、北原怜子きたはらさとこは昭和33年に亡くなっています)。
 彼女の生涯は1929年8月22日〜1958年1月23日でした。私はまた今も涙になってしまいます。神がもしいるとするならば、神はこうした人を早く自分の元につれて行きたいのでしょうか。どうしても不可解です。
 この町に小沢求という人物が現れます。そして松居桃楼(とうい)という人物も現れます。いや私は私の書くものの中に彼らを書いておきたいのです。そしてそして、ここに北原怜子という山の手育ちのお嬢さんが現れるのです。もう今の私も涙ばかりになっています。いいなあ、良かったなという思いと、何故神は不条理なことをするのだという思いです。
 どうにもこの文章は涙が出てばかりで、困ってしまいます。
12123005 また最後の以下の文章で同じになる私です。涙で困るばかりです。

 レリーフにゆっくりと目を移してみた。すると、十字架を背負って歩むキリストの傍らに、ひっそりと、でも、くっきりと北原怜子がたたずんでいたのである。



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2012年12月27日

大西巨人『三位一体の神話』へのコメント

12113009 私が書いた大西巨人『三位一体の神話』へMさんから、以下のコメントがありました。

教えて下さい。
大西巨人の「三位一体の神話」の「三位一体」はキリスト教のそれとは特に関係ないのですか?人間関係のたとえで言われているわけで、内容はキリスト教とは何の関係もないのでしょうか?

 ええと、今頃になって返信するわけで申し訳ありません。昨日は私の次女ブルータスの娘のじゅにの保育園のクリスマス会に行きまして、それが君津市の保育園なもので、東京アクアラインを東京駅からの高速バスで行きまして、帰りもまたこのバスで長い時間がかかりました(帰りは渋滞で大変でした)。
 その帰りのバスの中で目をつぶって、ずっとこのコメントにどう答えようかと考えてきました。私に答えられるのかどうかは甚だ自信がありません。
 そもそも三位一体とは、キリスト教での、父と子と精霊が一体であるということですが、父は神で子はイエスで、そして精霊って、何なのとよく理解できません。そして子であるイエスは、神に対して、

三時ごろイエス大聲に叫びて『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言ひ給ふ。わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひしとの意なり。(マタイ傳第27章46節)」

というわけなので、神と一体だとも私には思えないの12113010ですが。
 それで、私が以下に書いているところですが、

 ただかなり最初から愉しかったのは、この登場人物の名が、「シェイクスピア『オセロ』」の各人物の名からパロディ化しているということです。

 尾瀬路迂(おせみちゆき)───オセロ
 葦阿胡右(いくまひさあき)───イヤゴー
 枷市和友(かまちかずとも)───キャシオー

 この著者の遊び精神に大いに敬意を感じます。(1993.04.30)

「シェイクスピア『オセロ』」は以下の内容です。ウィキペディアをそのままです。

ヴェニスの軍人でムーア人であるオセロは、デズデモーナと愛し合い、デズデモーナの父ブラバンショーの反対を押し切って駆け落ちする。オセロを嫌っている旗手イアーゴーは、自分をさしおいて昇進した同輩キャシオーがデズデモーナと通じているとオセロに讒言する。真実味を増すために、イアーゴーは、オセロがデズデモーナに送ったハンカチを盗み、キャシオーの部屋に置く。これを知ったオセロは怒り、イアーゴーにキャシオーを殺すように命じ、自らはデズデモーナを殺してしまう。だが、イアーゴーの妻のエミリアは、ハンカチを盗んだのは夫であることを告白し、イアーゴーはエミリアを刺し殺して逃げる。イアーゴーは捕らえられるが、オセロはデズデモーナに口づけをしながら自殺をする。

 私は高2のときにシェイクスピアは全作品を読みました。この『オセロ』は最初は中2のときに読んだものです。このオセロがムーア人なのか黒人なのかは分かりませんが、シェイクスピアはムーア人としていますが、イギリスのお芝居等では肌の色はただ黒いとなっているだけのようです。
 分からないのですが、大西巨人はこの『オセロ』を焦点に当てているように私は思います。尾瀬路迂は大西巨人その人であり、葦阿胡右は井上光春であると確信できます。そこらへんにこの作品の根底があるのではと私は思います。
12113011 そのことくらいしか、今の私は想像できないです。
 そのくらいしか私は展開できなくて申し訳ありません。
 私は大西巨人さんと吉本(吉本隆明)さんの対談がとても好きでした。そのことのみをいつも考えています。



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2012年12月11日

椎名麟三『「蟻の町のマリア」を見て』

X12121007 2ページという短い評論です。

「蟻の町のマリア」という映画を見た。いい映画だった。

で始まる短い評論です。
 私はこの「蟻の町」というのがどこにあるのか、想像が出来ていませんでした。私はこの映画を小学校4年生で見たのです。名古屋の今池の内山小学校で全員で見に行ったと思い出します。

書 名 「蟻の町のマリア」を見て
    椎名麟三全集17
著 者 椎名麟三
発行所 冬樹社
発行日 昭和五十年三月三十日初版第一刷発行
読了日 2012年12月5日

 なんだか、今も読んでみて、深くこの北原怜子さんの生涯を思います。なんだか、この椎名麟三の文章をすべて抜き出したいような思いにとらわれます。
「『蟻の町』って、言問橋のそばなんだ」と私は始めて知りました。もっと海沿いのほうだと思い込んでいたものでしたが、もっと私が身近に歩いてもいたところでした。
 もう私なんかには知りようもない町であり、出来事なのかな、と今思ってしまいました。



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2012年11月25日

私の土井晩翠『星落秋風五丈原』へのコメント

12112424  私の土井晩翠『星落秋風五丈原』に、通りすがりさんから、以下のコメントがありました。

2. Posted by 通りすがり   2012年11月24日 20:14

松岡殿
近代以前の日本も支那も所謂旧暦(太陰太陽暦)を使っていたのは常識以前の話。八月は夏に決まってます。wikiなんぞ見てるヒマがあったら、ちっとはまともな本を読みなさい。
周殿
芥川賞作家が「青年日本の歌」を作詞って…
たしかにあの人は詩人でもありますがw
三上卓中尉に失礼ですよ。

 私の書いたことへは、以下でもうレスいたしました。ありがとうございました。

「青年日本の歌(昭和維新の歌)」の作者名を間違えていました

 それで松岡さんが書かれたことに関してですが、私はこれでは納得できません。旧暦では

  春 1月、2月、3月
  夏 4月、5月、6月
  秋 7月、8月、9月
  冬 10月、11月、12月

だと思っていました。だから、この「土井晩翠『星落秋12112503風五丈原』」で8月と書いてあるのは、当然秋だと思っていました。これは私は常識だと思い込んでいましたが、違うのでしょうか。
 それから私もWikiは見ることがありますよ。「まともな本」とはどういう本のことでしょか。具体的にあげてほしいです。



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2012年11月06日

宮城谷昌光『布衣(ほい)の人』

12110603 私は司馬遷『史記五帝本紀第一丹朱・象』で次のように書きました。

 また舜の弟の象(しょう)ですが、これも最初には父と母と一緒に舜を殺そうとしたとあります。でも私は宮城谷昌光がけっして象を貶してばかりは書いていません(作品名が何だったか思い出せない)。象もまた兄舜を認めたのだろうと思います。

 この宮城谷昌光の作品を読みました。前に読んでいたことを思い出しました。王子図書館にて「宮城谷昌光全集第1巻」を借りてきたのです。
 最初の「暮れのこる野畦(のみち)に、二つの影がある」という文を読んで、私は思わず涙を浮かべていました。もう昔読んだこの小説の中身を思い出したからです。どうしても舜(この小説では俊となっています)の気持の美しさに私は涙となるのです。
 でもこの父親瞽叟は盲目でした。それは司馬遷も書いていたのです。私はそれを覚えていない自分の恥ずかしさにたまりません。
 でもこの小説には他にも幾人の人物も出てきます。でもみな司馬遷が本紀に書いている人物ばかりです。舜のあと禅譲によって後を継ぐ禹の父親鯀(こん)も出てきますが、堯帝に罰せられるだけの人物です(彼が悪いわけではないのですが、治水事業で失敗します)
 この悪いとしか思えない父も亡くなり、俊は「ーわたしが今日こうあるのは父のおかげである」と悲しみます。
 一旦は俊を殺そうとまでした象ですが、この俊がやがて亡くなったときの、この葬られた遺体の陵を守って死んでいったのは象でした。
 最後に

  俊はまた舜とも書かれる

で、この作品は終わっています。



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2012年10月31日

藤沢周平『ささやく河(彫師伊之助捕物覚え)』

12103024 これはかなりな推理小説ともいえるように思います。私はちょうど先ほど書いた2作とこの作品の間に、パトリシア・コーンウェル『検屍官』を読んでいたので、またこの話の事件の展開、犯人の追及などの展開にかなり興味をもてました。

 伊之助のところでちょっとしてことから面倒をみている白髪の老人が突如殺されてしまいます。さてそれでまた八丁堀の同心から頼まれてしまいます。こうして伊之助が事件の解明をしていっても、手間賃がでるわけではないのです。でもやっぱり伊之助は次第にこの事件に関わっていきます。これには25年前に起きた未解決の押し込み強盗事件にさかのぼらなければなりません。そのときの被害者にあたっていきます。
 この伊之助はまたかなり腕っぷしもたつのです。前の事件のときにも、伊之助のこの腕で活躍する姿が表れてきます。その意味ではまた、これはハードボイルド小説でもあるのです。
 またこれに続く伊之助の活躍する物語を書いてほしいなと思います(もう無理なことですが)。そこではもう伊之助はおまさと一緒になっているでしょうか。まだ彫師の親方にさぼるので(どうしても事件解決に動くので、本業の仕事がおろそかになる。職場の人たちは彼のそうした姿のことは何も知らない)、怒られてばかりいるのでしょうか。12103025

 でもやはりどうなろうと、伊之助の住む裏店の長屋は変わらないし、そこの住む人の姿も変わらないように思います。それがおそらくそのまま、江戸時代がおわり、明治大正昭和となってもそのまま、おそらくはついこのあいだまでそのままで存在していたように私は思ってしまうのです。



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藤沢周平『漆黒の霧の中で(彫師伊之助捕物覚え)』

12103023 伊之助が腕のいい岡っ引きだったことは、八丁堀の同心ならよく覚えています。それでどうしても、彼に事件をみてほしいという依頼がきます。伊之助は職場では前歴を隠していますから困ってしまいます。また死んだ女房とのことで岡っ引きという仕事は嫌で堪らないのです。でもまた伊之助は探偵の仕事はやはり好きなのです。したがってやはり深みにはまっていきます。また八丁堀の同心も現役の岡っ引きたちも、そんな伊之助に頼っていくのです。

 ある朝あがった不審な水死体の身元を探ってほしいとの依頼があります。現役の岡っ引きたちでは、伊之助のようにきめ細かく執拗な探索はできないのです。しかし調べていけばいくほどますます謎が浮んできます。

 これも見事伊之助がこの謎を解き明かします。



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藤沢周平『消えた女(彫師伊之助捕物覚え)』

12103021 伊之助は独りで下町の裏店に住んでいます。ときどき仕事帰りによるめしやのおまさというおさななじみと顔を合わせるのが、なんだかひとときのやすらぎのようにも思えます。でも伊之助はおまさと深い関係になるのは恐れています。死んだ女房とのことがあるからです。
 その伊之助のところに、昔の岡っ引きの仲間の弥八が頼み事にやってきます。家出したおようという娘を捜してほしいというのです。おようはあるやくざものと逃げてしまいましたが、ある日一本の簪とともに手紙がとどけられます。それにはひとこと「おとっつぁん たすけて」と書かれています。弥八はもう年をとっており、なんとか伊之助を頼りにしてきたわけです。伊之助は断るわけにはいきません。彫師の仕事の合間に弥八の娘を捜すことになります。

 裏店にひっそり住んでいる伊之助、その伊之助に惚れているおまさの姿などの描写は藤沢周平らしい筆の運びでその光景が目に浮んでくるようです。思えば江戸時代というのはそんなに遠い世界ではなく、ついこのあいだまですぐそこに存在していたように思えてきます。私たちがついこの間まで生活していた空間だって、こんな形がよくあったように思います。私なんかが住んでいたアパートの生活もこんな伊之助たちが住んでいた裏店の長屋の雰囲気がありました。もちろん私たちには、電気も水道もガスもあったわけですが、わずかの米を炊いで、魚を焼き、味噌汁をあたため、飯をかきこんでいる伊之助の姿などは私たちのアパート生活とまったく同じです。
 私はいまでも谷中千駄木根津の街なみが好きなのですが、ときどき飲みにいっていくつも細い路をわざと入り込んで歩いたりします。細い路地に植木がたくさんおいてあったり、三味線の音が聞こえたり、としよりが手拭片手に銭湯へ向12103022ったりしています。いまにも伊之助のような職人がひょいと姿を現しても不思儀ないようにも思ってしまうのです。ただ、たったいまは急速にその街なみが変化しつつありますが、とにかくもっと今のうちにあのような街をよく歩いておきたいと考えています。
 伊之助はかなり大変な苦労をしておようの消えたわけを探っていきます。やはりこれは伊之助でなければさぐりだせないようです。



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藤沢周平『彫師伊之助捕物覚え』

書 名 藤沢周平全集第十一巻『彫師伊之助捕物覚え』
著 者 藤沢周平
発行所 文芸春秋社

 藤沢周平の捕物小説です。以下の3篇が収録されています。

消えた女(彫師伊之助捕物覚え)(「赤旗日曜版」昭和53年1月〜10月)
漆黒の霧の中で( 〃 )(「小説新潮スペシャル」昭和56年冬号〜昭和57年秋号)ささやく河(〃)(東京新聞」ほか5紙、昭和59年8月1日〜昭和60年3月30日)

12103019 この3篇とも捕物帳としては珍しいほどの長編です。そして岡本綺堂「半七捕物帳」や野村胡堂「銭形平次捕物控」の主人公と違って、主人公伊之助は十手をもつ同心でも岡っ引きでもありません。毎日版木を彫る通い職人です。むかし十手をあずかっていたということがありました。しかしそのときの女房おすみが男をつくって逃げ、その男と一緒に心中してしまいました。おすみは岡っ引きという仕事を心から恐れ嫌っていたのです。そのことで伊之助は岡っ引きを辞めました。そしてそのことが今も伊之助の心には大きな傷あとを残しています。
 この伊之助は岡っ引きとしてはかなり優秀だったの12103020です。だから昔の同心から、どうしてもいろいろ手伝ってほしいという依頼がはいります。彼はなんとかことわりたいのですが、どうしてか結局はそれぞれの事件に深く関わってしまいます。

 以下3つの作品を書いて行きます。これは1991年の1月に読んでいたものです。



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パトリシア・コーンウェル『検屍官』

12103012書名  検屍官
著者  パトリシア・コーンウェル
訳者   相原真理子
発行所 講談社文庫
定価  680円(これは私の読んだ時期のものです。今は違います)

 最初にこの本を手にとってときから、タイトルからしてサイコスリラーであろうと思っていました。どうにもこうした残虐な殺人事件がこれでもかこれでもかと出てくるスリラーは読むのが最初から嫌になってしまうのですが、これはそんなに単純な作品には思えませんでした。
  主人公は女性検屍官ケイ・スカーペット、舞台は米国バージニア州リッチモンド。作者は警察担当記者として犯罪記事を長く書いてたのち、バージニアの検屍局でコンピュタープログラマーとして働いていたということですから、自分の知っている世界を縦横に描いているといえるかと思います。

 リッチモンドで数カ月の間に4人の女性が殺されます。この4人目の屍体の現場検証にケイが立ち会うところからこの話は始まります。すべて残虐な殺し方で同一犯人によると思われます。担当の刑事ピート・マリーノとケイとはどうにもうまがあいません。何故かマリーノはインテリ嫌いで実地的な勘によるのか、4人目の被害者の夫を疑っています。ケイはあくまで科学的な分析から犯人像に迫ろうとしています。ケイには、とてもマリーノのやり方が嫌でたまりません。これはかなり面白い組み合わせです。この二人の対立は最後まである緊張感をもって継続されていきます。マリーノのような刑事のみが事件を解決するスリラーだって多々あると思うのです。12103013

 この刑事以外の人物もひとりひとりがかなり特徴があり存在感をもっています。これらの描き方はかなり見事であり、また読んでいる私たちにも、けっして主人公であるケイのみが真実を解き明かしてくれるかどうかは判らないところです。
 何者かが検屍局のコンピュータに侵入していることが判ります。そして捜査資料が何故かマスコミにもれているようです。辣腕の女性記者アビー・ターンブルを問いただしますが、彼女は何も明かしません。次第にケイは立場が悪くなっていきます。
 しかし、5人目の被害者が出てしまいます。しかもそれはアビーの妹です。段々とどうしてかケイに犯人が迫ってきている感じが読んでいるものに伝わってきます。私はこの人物こそ真犯人だろうと思っていたのが、最後に見事外れてしまいました。いや思わず著者の手法に感心してしまいます。

 主人公ケイは40歳の離婚女性であり、しかも勝手な妹の子どもを預かっています。ケイも当り前の人間ですから、プライベートな時間と空間では好きになれそうな男性と付き合います。しかし、この凶悪犯は、どのような時間と空間にも出現してくるかもしれないのです。
 こうしたスリラーを読む度に、アメリカって怖い国だなとか、ウチの娘は日本に生まれてよかったなとか、たった今アメリカへ行っているあの娘は大丈夫かなとか、誰もが考えるようなことを私も思ってしまいます。しかし、この作品はそうしたアメリカの残虐な事件が、本当に恐怖を与えるのは、事件そのものの残虐さよりも、この作品に登場する人物の間に生じる疑惑や不信による恐怖なのだということを教えてくれているように思います。残虐な事件があるからアメリカ人はすぐに銃をぶっ放すのでは12103103なく、誰も彼も対人間に対して不信感しかないのだから、その恐怖感が引き金を引いてしまうのだと思うのです。この作品の中で真犯人が判っていく過程で、登場人物の中にさまざま人間的な信頼感が復活できた形があるように思えるところが、なんにしても救いがあるように思えました。
(この作品を読んだのは、発売されたばかりでしたから1992年1月だったと思います)



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2012年10月26日

「マタイ傳」

12102610  マタイ傳の第7章の一部です。

求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。

 私はいつもこの「マタイ傳」を開いています。
 吉本(吉本隆明)さんの「マチウ書試論」があるから、私はこのマタイ傳をよく読むようになったものです。吉本隆明さんのいうマチウ書とは、マタイ傳のフランス語訳での言い方です。
 いつもマタイ傳ばかり読んできましたが、ここ二年くらいは「マルコ傳」も読むようになりました。このマルコ傳の第一五章を読むと、イエス・キリストのことを思います。
 インターネットですと以下をよく開きます。

  マタイ傳福音書

 私なんか『聖書』など読んでも、がらにも合わないし、第一さっぱり分からないし、信仰心ももともとないから、ただ分からないことだらけです。
 ただいつも「マチウ書試論」を思い浮かべ何度も何度も読んでいるものです。
 でも口語訳はどうしてもなじめないものですね。ただ実際の教会の牧師さんの言葉を聞くと、私には口語訳で充分な気がしています。



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2012年02月09日

遠藤周作『札の辻』

12020814 私がひさしぶりに、「ニュース将門」を書いたのですが、そのときに、ガラパゴスを見て読んでいまして、この今日の一面の「春秋」あったところを読みまして、私はまた実際の紙の新聞も読んでしまいました。

作家自らタイトルを「日向(ひなた)の匂い」と決め、広告も打った。が、編集者には迫力がないと思われてならない。考えに考えたのだろう。ぎりぎりになって作家に書名を変えたいと申し入れる。その結果、遠藤周作の代表作は「沈黙」として世に出ることになった。

 私は遠藤周作は少しも評価できない作家でしたが、府中刑務所の中で、ラジオ放送で聞きました「札の辻」(ただし私は藤棚という作品名だと思いこんでいました)はものすごく迫力を感じていたものでした。
 そして、この「沈黙」は保釈になって読みまして(また3カ月後逮捕起訴されることになりましたが)、この作家をものすごく評価するようになったものです。

 ただし、インターネットで検索しますと、またしても出てきたのは私のサイトでした。その中でも「沈黙」はいいのですが、「札の辻」というのはあれじゃ分からないな。私には今も、この作品の貧弱なキリスト教徒(実は彼はユダヤ人でナチスに殺されます)の、札の辻での声が今の今も聞こえるのです。



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2011年09月10日

與謝野晶子訳「源氏物語」

11091005 何年か前に、金曜日の夜に帰宅するときに、コンビニの周りで「少年ジャンプ」の発売を待っている多くの男の子たちの姿を見たものでした。本屋だと月曜日発売のジャンプを誰よりも早く読みたいのです。そして彼らが読みたい漫画はもちろん「ドラゴンボール」でした。
 私はこの少年たちの姿を見るときに、いつも平安の時代に紫式部の出す「源氏物語」を心待ちにしているたくさんの少女たちの姿を重ね合わせて感じていました。そして、この少女たちのずっと後輩に與謝野晶子がいるのだな、と思うのです。

書名     源氏物語
訳者     與謝野晶子
発行所   角川文庫

 私が源氏物語の世界に初めて接したのが、ちょうど21歳のときでした。谷崎潤一郎「新々訳源氏物語」をいっきに読んでしまいました。当時私は学生運動のことで、府中刑務所の拘置所にいたので、ひとりで誰にも邪魔されることなく読むことができました。しかし、かなり難しいのです。ちょうど中央公論社版で毎巻に登場人物の関係図があり、それを見ながら、「あ、そうか、これはこういう関係か」なんて確認しつつ読んだものです。
 しかしそれにしても難解なことには変わりありません。源氏と各女性たちとのあいだにとりかわされる短歌なんか、いくら読んでもさらによく分かりませんでした。これだと原文の源氏って、もっとむづかしいんだろうななんて想像していました。

 ところが、吉本さんの源氏に関する文とか、小林秀雄に関する文などを読むようになってから、どうも私のこの源氏に対する感じはなにか違うのじゃないかなと思い至るようになりました。
 もっと源氏は軽く読んでいけるものなのではないか。手軽に読んでのちに、いろいろなことが見えてくるのではないのかと思い到ったのです。谷崎源氏では、あまりに律儀に律儀に忠実に原文にそっているだけで、少しも面白く読んでいけません。そうしたときに、昔中学生のころ、少し接したことのある、與謝野晶子の訳で源氏に迫ってみたいと思いました。
 そしてどうやら、吉本さんのいうことの意味が少しは判ってきたものです。

 小林、宣長の源氏理解の欠陥

  宣長の「物のあわれ」論は、「源氏物語論」としてだけでなく、文学論としても画期的なものだったが、敢えていえばもうひとつこの物語の奥行きを測るところまではゆかなかった。
 わたしたちが現在『源氏物語』をたどるとき、この作品が作者と語り手の完全な分離に耐えるものであることが、すぐに理解される。宣長の『源氏』理解と、それをいわば円環的に追認し、情念を傾ける小林秀雄の『源氏』理解の欠陥は、すぐに「宇治十帖」を論じている箇所にみることができる。
「小林秀雄について」1983.5「海」に掲載 「重層的な非決定へ」1985.9大和書房に収録 「追悼私記−小林秀雄批評という自意識」1993.3JICC出版局に収録

 つまり現在の「源氏」理解では、この物語が作者と語り手の完全な分離に耐える優れた作品であるという点まで到っているということだと思う。小林にも宣長にも、そのことの読みが欠けていたということなのだが、小林にはさらに宣長の「物のあわれ」論にも至っていなかったのではと思われるのも吉本さんの指摘である。(「吉本隆明鈔集」より)

 私はこの長大な物語のなかで、好きになれるところ、好きになれる女性といったら、空蝉と夕顔でした。だが、たとえばどうして、空蝉は源氏の思いを拒絶するのか、どうして夕顔は突然死んでしまうのかがよく判りませんでした。

  こうした空蝉とか夕顔とかいうようなはなやかでない女と源氏
  のした恋の話は、源氏自身が非常に隠していたことがあると思っ
  て、最初は書かなかったのであるが、帝王の子だからといって、
  その恋人までが皆完全に近い女性で、いいことばかりが書かれて
  いるではないかといって、仮作したもののいうように言う人があっ
  たから、これらを補って書いた。なんだか源氏にすまない気がす
  る。(「夕顔」)

 こうして「なんだか源氏にすまない気がする」といっているのは、語り手なのですが、作者は「すまない」といっているわけではなく、厳然と読者に対して向っている力強い女紫式部を感じてしまいます。ここらのことが、與謝野晶子が「源氏物語」の中に力強く自立した女を感じてこうして訳していった動機なのかなとも思います。「源氏物語」は源氏の華やかな女性遍歴の物語なのではなく、その中に力強い作者の存在をも感じられるのです。おそらくは藤原道長に口説かれたこともあったであろう作者が空蝉の姿でもあり、また夕顔を殺してしまうのは、源氏自身のなかにある、「貴種」としての、もうひとりの源氏なように思います。
 與謝野晶子には、「源氏物語」はよく読み込んできていた物語なのだと思います。だから、読んでいると、書いているのが、紫式部なのか、與謝野晶子なのが判らなくなってくるところがあります。これが谷崎源氏だと、おおいに違うのですね。正確に正確に、そして谷崎はこの物語に魅せられすぎているように思われます。それに対して、與謝野晶子には、この物語がもう自らのものとして、こなれすぎているような感じがあります。谷崎は何度も何度も源氏を訳しなおします。多分もっと生きていたら、また訳し直して完全なものを作ろうと考えたのではないでしょうか。與謝野晶子はそうではなく、こんなに面白い身近な物語を、出来るだけ大勢の女性たちに読んで貰いたいとのみ思っていたように、私には思えるのです。
  ただ私にはまだまだ源氏にはもう少し迫り足りないように思っています。また何度も、読み返していきたいなと思っているところです。(1998.11.01)



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2011年08月27日

「呉子」

書  名 呉子
著  者 呉起
発行所 明治書院

11082704 世に「孫子」の兵法というのはよく知られています。日本では武田信玄が、西欧ではナポレオンが座右にしていたといいます。そしてその作者は孫武と孫濱(この字は本当はさんずいではなく月です)であるとされ、海音寺潮五郎や陳舜臣の小説にもなっています。近年孫濱の兵法書が山東で発見され、実に「孫子」と孫濱の兵法書は別であり、「孫子」は孫武のみが作者らしいということが分かり、話題になったことがあります。
 それに比べて「孫呉の兵法」といわれながら、なんと「呉子」をあつかった書物の少ないことでしょうか。岩波文庫にすら「呉子」はありません。「孫子」の書きだしが、

  兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからず。

というおごそかな語句、戦争の哲学から始まるのに対して、「呉子」は、

  呉起儒服して、兵機をもって魏の文侯に見ゆ。

という非常にわかりにくい文から始まるのをみても、「呉子」はとっつきにくいのです。簡単に兵法を説いていくわけではないのです。
 実に孫武という人はあまりはなばなしい経歴があるわけではありません。呉王闔閭に仕えたとされているだけなのです。それでも「孫子」の価値はいささかも失なわれないのです。だが、「呉子」は作者呉起のひととなりを知らないと、なにも分かりえないということがいえると思います。

 人間呉起を知るには、まず司馬遷「史記」列伝です。しかし私にとっては残念なことにあの司馬遷さえもこの呉起をよく理解しえていたとは思えません。立身出世主義者であり、冷血とか酷薄とかいわれているわけです。
 魯の国に仕えていたとき、隣国斉の大軍が攻めてきます。呉起を将軍にせよという声があがりますが、彼の妻が斉の国の出であることで、反対されます。呉起は自ら妻の首を切って(註1)、斉軍に急襲勝利します。しかし、魯の人たちはそんな呉起を罷免します。そして、魏の文侯に出会うことになります。

(註1)このことによって、自分の妻さえ殺してしまう呉起のこと
 を誰もが冷酷だというわけなのです。「そんなにまでして出世し
 たいのか」という声もあったことでしょう。でも、呉起はこのあ
 と妻帯はしていません。私には、その後の呉起の心には、いつも
 この自ら首を切った若き妻の面影が残っていたのだろうと思うの
 です。

 この文侯に会って、呉起は一番幸せだったのではないでしょうか。文侯は呉起を魏の西河の大守に任命します。

  西河を守り、諸侯と大いに戦うこと七十六たび、全く勝つこと
 六十四たび、余はすなわち均しく解く。

 強国秦と接して、無敗でありました。
 ところが、名君文侯が亡くなり、息子の武侯がそのあとを継ぐと、もう魏は呉起を必要としなくなります。ここらへんは「史記」にくわしく書いてありま
す。
 そして、また魏を出て、楚の国で悼王のもとで改革に勤しむこととなります。

  かれの不幸は、悼王の死があまりに早かったことにあるのだと
 思われる。もしも悼王の死が遅れて、少なくとも十年か五年の執
 政期間がかれに許されたならば、一切が安定して、かれの功績は
 決して商鞅に劣らなかったであろう。戦国時代の局面は主として
 秦と楚との争覇であるから、呉起の覇業がもしも楚国で成功して
 いたのなら、後に中国を統一したという功業は必ずしも秦人の手
 におちるとは限らなかっであろう。
  (郭沫若「十批判書」

 悼王が亡くなり、呉起も殺されます。その最後は実にドラマチックです。

「呉子」の全編は魏の武侯の問に答える形ですすめられます。「呉子」のひとつひとつの言葉は、「孫子」よりもより直接的です。哲学というより法家思想といえるでしょうか。多分この二つの差は、春秋時代と戦国時代の違いもあるかと思います。
 本来なら詳細にわたって「呉子」の解説をすべきなのでしょうが、私としては「孫子」とはちがった悲劇的かつ凄まじい生き方をした呉起とその「呉子」の存在を知ってもらいたいというところがこの紹介文の趣旨であるわけで、これで終りたいと思います。(1998.11.01)



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2011年08月16日

周の雑読備忘録「車家の謎・寅の巻」

11081606 この本も、12日に「私たちの寅さん」を読み終わったあと、すぐに読み終わったものでした。だが、「私たちの寅さん」の目次を抜書きしていたあと、その日も翌日もその翌日もずっと時間がなかったもので、今日の今になってしまいました。

書 名 車家の謎・寅の巻
著 者 寅さんをこよなく愛する会
発行所 KKベストセラーズ
発行日 1993年7月5日初版発行
読了日 2011年8月12日

目次
まえがきにかえて
第1章 寅の生い立ちの巻
 寅さんは何歳のときに家出をしたのか?
 寅さんの出生の秘密とは?
 寅さんの親父さんはどんな人だった?
 寅さんのお母さんは、何をやっている?
 寅さんの隠れた才能とはいったい何かな?
 寅さんが子どもの頃にやっていたイタズラとはどんなこと?
 寅さんは警察に捕まったことがあるか?
 寅さんは勉強が出来たか?
 寅さんは病気で入院したことがあるけれど、どんな病気だった?
 寅さんは目がいい? それとも良くない?
 寅さんが高校を退学になったいきさつは?
 寅さん、堅気になったことがあるのか?
 寅さんが肌身離さず持っているものとは?
 寅さんの名ゼリフには、どんなものがある?
 寅さんの好物はいったい何?
 寅さんが嫌いなものは何だ!?
 寅さんがもらったものには、どんなものがある?
 寅さんはどの税務署で税金を払っている?
 寅さんはどこでクマに食われそうになった?
第2章 寅の生活の巻
 寅さんが勘違いをしていることってナンだ!?
 寅さんはどんなお洒落をしている?
 寅さんは洋服を自慢したことがあるか?
 寅さんはパンツ派? それともフンドシ派?
 寅さんが持っているカバンの中身は?
 寅さんが泊まるのは旅館だけ?
 寅さんはケチケチ旅行の名人?
 寅さんの財布の中身、いったいいくら入っている?
 寅さんはギャンブルに強い? それとも弱い?
 寅さんがお金をあげるときの言葉は何?
 寅さんは毎回、どんなものを売っている?
 寅さんは、写真を撮るとき、どんなことをするのかな?
 寅さんはテレビに出演したことがある?
 寅さんはどのように自己紹介しているのかな?
 寅さんはゴルフがうまい?
第3章 寅とマドンナの巻
 寅さんの女性の好みは?
 寅さん、どんな恋愛テクニックを持っている?
 寅さんとマドンナ、肉体的なふれあいがあった?
 寅さんの恋に賭ける覚悟、真似できるもんじゃないぞ!
 寅さんと結婚してもいいといった女性は?
 寅さんが仲人をやったことがあるって本当?
 マドンナの名前、あなたは何人知っている?
第4章 さくらと博の巻
 さくらが大事に持っている写真とは?
 さくらの年齢、いったいいくつ?
 さくらは結婚する前、何をやっていた?
 さくらの隠された才能とは?
 さくらと博、いつ家を持ったのか?
 さくらと博のなれそねは?
 さくらが寅さんだけに告白した秘密とは?
 博の経歴はどうなっている?
 博の趣味は?
 博が独立しようとしたきっかけは何?
 博が印刷所でおこした自己とはどんなものだった?
 満男がいった初めての冗談、ことばの遊びとはぃつたいな〜んだ?
 満男は寅さんが好き? 嫌い?
 満男をどのように教育してきたか?
 満男の恋人の泉ちゃん、どんな女の子?
 博の父親は何をやっている?
第5章 とらやの巻
 おいちゃんがおばちゃんにプロポーズした言葉は何?
 おいちゃんがもっとも気にしていることって、ナニ?
 おいちゃんの病気が心配だけど、どんな病気なの?
 おいちゃんがよく間違えることといったら何?
 おいちゃんの枕元に出たものとはいったいナンだ?
 おいちゃんとおばちゃんは信心深い?
 おいちゃんとおばちゃん、どれくらい旅行にでかけている?
 寅さんがいないときのとらやは、どんな雰囲気?
 とらやのみんなの小さい頃の夢は何?
 とらやの歴史ってどうなっているの?
 とらやで起きたガス爆発。何が原因だった?
 とらやのみんなが初めて飛行機に乗ったのはいつ?
第6章 柴又・ご近所の巻
 舎弟の登、いったいどんな商売についていたのか?
 舎弟の原公は、どんな商売をしている?
 タコ社長が忙しそうにしている訳は?
 タコ社長のプライベートはどうなっている?
 タコ社長の娘・あけみちゃんが結婚したのは?
 寅さんはご近所でどのように噂されているの?
 午前様は寅さんのことをどのように見ている?
 寅さんシリーズのタイトルを教えて!

 以上を記しながら、また寅さんの映画を見直してみたいという気持になりました。
 だが、やはりどうしても見てしまうと、悲しいのですね。
 今まで私は以下のようにこの映画のことを書いてきたものです。

2008.06.25「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋
2008.06.25「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 の2
2008.07.06「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 の3
2008.11.10「かがり 寅
2010.10.26「男はつらいよ『寅次郎の青春』」(1993.01.04)

 思えば、たくさんのマドンナの中で、私はいしだあゆみが一番好きになれるかな。そして2008年も2009年も2010年にも、私はすべて、あじさい寺成就院へ行っています。
 でもやはりどうしても映画を見ても、成就院に行きましても、いつも悲しい思いになっています。



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2011年08月12日

周の雑読備忘録「私たちの寅さん」

 この本は、テレビの前で昼食を食べながら、たちどころに読んでしまったものでした。

11081109書 名 私たちの寅さん
編 者 「私たちの寅さん」刊行委員会
発行所 星雲社
発行日 1996年11月30日第1刷発行
読了日 2011年8月12日

目次(あいうえお順)
実在の友達という感じ        秋山 仁(数学者)
生涯かけた「造形」見事       井上ひさし(作家)
彼らしい死に方           永 六輔(作家)
夢に終わった”アフリカ編”   オスマン・サンコン(タレント)
「ねぶた」と棟方志功と渥美清さん  片岡鶴太郎(タレント)
寅さんは亡くなったが、平成も
いい笑いでいこう          加藤芳郎(漫画家)
寅さんは大人の夢物語        川本三郎(映画評論家)
「寅さん」の世界
失われた楽園の物語         京極純一(東大名誉教授)
お天気衛星
暑さの峠越え         倉嶋 厚(気象研究家・エッセイスト)
優しかった兄ちゃん         黒柳徹子(女優)
三十年来のお付き合いを
させていただいて          佐藤蛾次郎(俳優)
仕合せそうな顔して
人生の至福語れる特技        佐藤忠男(映画評論家)
鍛えた話芸の素晴らしさ       佐藤忠男(映画評論家)
七〇年以降の「日本の顔」      白井佳夫(映画評論家)
ごく自然に、余韻残して       白井佳夫(映画評論家)
「寅さん、どうぞごゆっくり」    高木屋のおかみさん
渥美清と寅さん           谷沢栄一(関西大学名誉教授)
仕事にありつけると祝杯       谷 幹一(コメディアン)
キャラクターの魅力が
「寅さん」長寿の秘密        友成純一(演劇評論家)
寅さんへの手紙
役者はつらいよ、楽しいよ      長山藍子(女優)
寅さんへの手紙
生き方の「我が師」         畑田重夫(国際政治学者)
旅人かえらず・・・         梁木靖弘(演劇評論家)
最後の「笑い」批判         ポール牧(コメディアン)
寅さんへお恋文だった、
主題歌「男はつらいよ」       星野哲郎(作詞家)
寅さん的なるもの          松尾羊一(放送批評家)
寅さん               窓・《眠》(朝日新聞)
さようなら、渥美清さん
生涯ボランティアに生きた寅さんの心 山田和夫(映画評論家)
最後の映画スター          横澤 彪(コラムニスト)
長寿映画・寅さん          吉田 武(共同通信編集委員)
渥美さん逝って知る秋の風
日本映画に刻んだ庶民の心      淀川長治(映画評論家)
評伝・社説
禁欲的な映画スター<評伝>      秋山 登(朝日編集委員)
評伝 渥美清            吉田 武(共同通信編集委員)
みんなを愛した寅さん        中村輝子(共同通信編集委員)
庶民の”代弁者”だった寅さん    神奈川新聞社社説
実生活でも人情家          長谷川正人(赤旗記者)
海外からのメッセージ
「小さな自由」の具現者       フランス・ルモンド紙
「アジアのチャップリン」と
渥美清さんを称讃          米紙ニューズウィーク
「昔流の行き方」失う        ニューヨーク・タイムズ
渥美清さん死去「大変なショック ヘルムート・チリク(前ウィーン市長)
「アジアのチャツプリン」        赤旗
寅さんの観客動員八千万       朝の風(赤旗記者)
『男はつらいよ』全四八作一覧
出所一覧表

 映画で松竹の『男はつらいよ』は、、ずっと見てきたわけですが、第1作が69年8月27日で、第48作が95年12月22日でした。
 マドンナとしては第47作のかたせ梨乃が印象が薄いですが、他の回もいくつも内容を覚えているものです。
 王子の義父と義母の家へ来るときに、いつも見ていたものでした。娘二人はいつも見ていて、少し大きくなると「寅さんって、あれで食べていけるのかなあ?」なんて心配していたものです。

  周の映画演劇館「男はつらいよ『寅次郎の青春』」

 この映画はマドンナが後藤久美子で、私は彼女の大ファンですから、この作品は実に良かったのですが、でもやっぱり寅さんのことが心配で(役の寅さんも、俳優の渥美清も)なんだか見ていて悲しかったものでした。
 もう映画館で見ることはできないだろうな。テレビでやるときに、黙ってみていよう。 この本の中では、片岡鶴太郎さんの言が、私には良かったです。



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2011年05月29日

山崎豊子『大地の子』

書 名 大地の子
著 者 山崎豊子
発行所 文芸春秋社

 最初に上巻を友人から貸してもらいました。たいへん忙しい時期だったのですが、電車の中等々で次の日に読み終りました。すぐに中、下巻を貸してもらい、またすぐ読み終りました。なんだかすぐに最後まで読まないといけないような小説だったのです。それにしても、私は借りて読めばいいのだから楽だけど、貸してくれる方はその度に飲んだりしなくちゃならないから、大変かな。
11052719 それでその友人が「これは泣くぞ」といったのですが、まったくその通りでした。これは電車の中で読むのは恥ずかしいですね。自宅でもテレビを見ているふりしながら、随分涙流しました。悲しくて、悔しくてたまらないのですよ。
 昔ある人が本多勝一の中国のこと書いた本(題名はうろ覚え)を薦めてくれたことあります。旧日本軍がやったことを詳細克明に現地で調査取材している本でした。薦めてくれたのは、スポーツのライターで、過去日本がいかにひどいことを中国にしたのかというのをこれで知ったということと、これを書いている本多勝一のようなジャーナリストに自分もなりたいのだ、というのが彼女の理由でした。でも私はこの本を読んでいくうちにだんだん腹がたってきたのですね。

  君はこの本多勝一のような死んだ目を持ってはならない。本多
  勝一は過去の日本の「南京大虐殺」を考古学でやるように発掘取
  材している。だが現実に目の前でおこっている、文化大革命に目
  を向けようとはしなかった

と彼女への手紙で書きました。この男は、実に目の前で起きている旧日本軍がやったことと同じかそれ以上ひどい事態に目を向けることなく、よくまあ過去のこと掘り出していたものだと思います。これでジャーナリストなのですか。
 文化大革命とは、本当に恐ろしい馬鹿なことをやったものですね。でもまた同じことおきるかもしれない。1989年4月の天安門事件はついこのあいだですものね。著者があとがきで

  一九八四年から取材を始めたが、取材の壁は高く険しく、やむ
  なく撤退の決意をした時、胡耀邦総書紀との会見が実現した。取
  材の経緯をお話しすると、「それはわが国の官僚主義の欠点だ、
  必ず改めさせるから十年がかりでも書くべきだ、中国を美しく書
  かなくて結構、中国の欠点も暗い影も書いてよろしい、それが真
  実であるならば、真実の中日友好になる」と励まされ、取材強力
  の約束をされた。

ということで、この小説はできあがる。だが、そのあと天安門事件はおきたのだ。しかも弾圧した張本人は、文革で一番批判されたトウ小平である。

芙蓉鎮」という映画もこの文革の時代を描いている。だがあの中で二人の男女が何年も何年も街の道路の掃除をやらされているが、あのシーンはすべて夜である。実にあの二人は、昼間強制労働させられたあと、夜にはああして道路の掃除をやらされていたのだ。だがあの映画ではそこらへんのところがあいまいにしている。まだまだ文革の真実の姿は描けないのでしょうか。

 この小説は、日本の残留孤児が敗戦時、戦後苦労して養父母から育てられ、「小日本鬼子」ということで、文革で迫害される様が克明に描かれています。なんて日本はひどいことしてしまったんだ、マルクス・レーニン主義なんてのはなんてひどいんだ、毛沢東はなんて駄目なのだ、そしてなんてこの主人公以下のたくさんのひとたちはこれほどまでに、苦しめられるのだと怒りと悔しさと悲しみでいっぱいになります。
 私が知っているかぎり、文革のひどさをこれほど描いた作品は初めてです。強制労働の場をみると、ソルジェニーツィンの数々の小説を思い出します。結局中国もソ連も同じなんだ。ヒトラーはひどかったけれど、スターリンはもっとひどかった。そして、中国共産党っていったいなんなのだ。
 ちょっとこの小説と関係ないけれど、PKOで日本の自衛隊がカンボジアへいくことなんかないのだ。ポルポトのやったことの責任は中国共産党にとらせろ。彼らがひとつひとつ地雷を取り除けばいいのだ。おまえらが教えたんじゃないのか。技術的に日本にしかできないというのなら、「資金」をだせ。そして「日本軍国主義の復活」なんていうんじゃねえ。おまえらにそんなこという資格あるのか。…………もちろん、中国の民衆には日本帝国主義を非難する資格はありますよ。だけど、自国の人民をあれほどの地獄におくりこんだ中国共産党など、日本軍国主義とやらとどう違うというのだ。
 中国のひとは現在日本にたくさんきているから、よく接することあります。中国の古典は日本の古典でもあるから、よく話しますが、非常に楽しいですね。筆談はできるわけだし、古典ならいろいろ話せますね。でもどうも現代のことはうまく話せない。話してくれないのですね。
 この小説も、多分日本人が書いたから、山崎豊子が書いたから、最後が非常に感動的です。私に本を貸してくれた友人も「最後が感動的だよ」と内容は話さず言ってくれました。でもあの結末で本当なのでしょうか。もっと悲惨なことがたくさんの現実なのではないでしょうか。もちろん私はあの最後でいいし、そうであってほしいのですが。
 でもけっこうたくさんの人が読んでいる小説のようですね。中・下巻を借りたとき、神保町の「ランチョン」だったのですが、テーブルの上の「大地の子」みて、あの店のママ(みたいな女性)が

  この本お読みなんですか。いい小説ですね。もう私はこの本い
  ろいろなひとに貸して、いまも誰かのところ回ってますよ

と話しかけてきました。あの年代のひとにはたまらないでしょうね。きっとみんな残留孤児をテレビでみて涙流していたのだろうな。
 それから、上巻の収容所のなかで、主人公が初恋の恋人に日本人であることを告白して彼女から非難されたこと思いだしたその夜隣の大学教授が突然死ぬところでは、思わずボロボロと涙をこぼしてしまいました。それが、6月26日の昼、川崎法務局のとなりのレストランで食事中だったのですが、まえの2人の若い役人のかたは、この中年のオッサンはどこかおかしいのではと思われことでしょうね。訳が分からなかったでしょうが、私はあのとき日本のやってきたことと、文化大革命のひどさ不当さに、怒りと悔しさと、主人公への悲しさでいっぱいだったのです。(1992.07.12)



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2011年05月27日

目黒孝二『活字三昧』

11052606「本の雑誌」の発行人目黒孝二さんは、私がいつも本の紹介を参考にしている人です。椎名誠が昔勤めていたあるデパートの業界誌の後輩で、その縁で今「本の雑誌」をやっているわけです(椎名誠は「本の雑誌」の編集人)。たいへんな読書家というよりも、「活字中毒者」とまで言えるほどの、読書好きです。

書 名 活字三昧
著 者 目黒孝二
発行所 角川文庫
1996年1月25日第1刷発行(92年9月に単行本として刊行)

 実は、私はこの人と本を読むことについて競争をしている気が少しありました。だが、この本を読んで、「もうまったくこの人には足もとにも及ばない」と分かりました。この人は、年間1000冊の本の読破を目指しているというのです。目標が1000冊ということは、きっと950冊くらいは実現できているわけでしょう。私は年間300冊を目標にして読んでいるだけです。これはもう、問題になりません。
 しかも読む量の問題だけではなく、この本を読むと、著者の読む本の種類の幅の広さにも驚きます。そしてその幅に広さの一つ一つの中で、さらに深く深くその中に入り込んでいくのです。そしてその幅が広いということが、たくさんの著者の本やいろいろな業界の本を読むということだけではなく、各社の文庫本のことでも、過去数度あった文学全集のブームのことでも、実に詳しく迫っていくのです。
 たとえば、彼の蔵書のことではないのですが、次のようなことを書いています。

  数年前に、ある読書人の書棚を見て感心したことがある。その
 人は数多くの文学全集の中からディケンズの巻だけを買い、自分
 の書棚にディケンズ・コーナーを作っていたのだ。これが見事だっ
 た。
  中央公論社・世界の文学から『大いなる遺産』、筑摩書房・世
 界文学体系から『荒涼館』、集英社・世界文学全集ベラージュか
 ら『リトル・ドリッド』、河出書房・世界文学全集グリーン版か
 ら『二都物語』『クリスマス・キャロル』、講談社・世界文学全
 集(昭和42年スタート)から『オリバー・トゥイスト』、同・世
 界文学全集(昭和49年スタート)から『エドウィン・ドルードの
 謎』、新潮社・世界文学全集(昭和2年)から『世の中』、同・
 世界文学全集(昭和35年)から『デイヴィット・コパフィールド』
 と、各社から一巻ずつ買い求めると、ディケンズの代表作の大半
 がそろってしまうのである。
  これはディケンズだから出来ることで、他の作家ではこうはい
 かないだろう。        (「大ロマン全集を待望す」)

 このような関心を持つこと自体が私にはすごいことだなと思ってしまうのです。私は、「リトル・ドリッド」「エドウィン・ドルードの謎」「世の中」の3つの作品は読んでもいませんし、作品名すら知りませんでした。「ディケンズ全集」というものが刊行されていないのですから、私も「荒涼館」とか「デイヴィット・コパフィールド」は、上の全集で読んだ(「荒涼館」は筑摩でも「文学体系」ではなく、2段組みの文学全集だったと覚えている)のですね。あとは、文庫本やその他で読んだものだと思います。
 私はディケンズが特別に好きだというわけではありません。ただ、英語をやっている人が比較的接することの多い作家であることで「知らないとまずいかな」なんて思いで読んできました。私が英語ができるわけではないが、内容を知ってりゃいいだろうなんて思いだったのです。あるときにアルバイトで使った学生が、卒論で「デイヴィット・コパーフィールド」をやっていたというので、「読んでいて良かったな」と思ったものです。いろいろと話すことができたからです。なんとなく、私のもつ思いと、目黒さんのもつ本への思いも似たとこもあるのではないかと思ったところなのです。なんとなく、作品を楽しむとか、その作家が好きだということではない、こだわりなのですね。
 しかし、それにしても目黒さんの年間1000冊の量と私の300冊では、かなりな差があるものですね。悔しいのですが、「俺はその差700冊分を、大酒飲んだり、詩吟やっているんだぞ」ということで、自分を慰めています。(1997.08.15)



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2011年05月26日

宮部みゆき『魔術はささやく』他1篇

 ミステリー界での人気作家である宮部みゆきの初期の作品です。
 この作家は、1960年生まれといいますから、かなり若い作家ですね。この著者が書いた最初の長編が「パーフェクト・ブルー」で、次に書いた長編が「魔術はささやく」で、この作品で新潮社の第2回日本推理サスペンス大賞を受賞します。

書 名 魔術はささやく
著 者 宮部みゆき
発行所 新潮文庫

11052512 事件は3人の若い女性が次々に不可解な自殺をしてしまいます。だがこの3人の死が関連があるらしいというのは読んでいる私たちしか判りません。この自殺はかなりな謎を秘めているのです。どうして自殺してしまったのか見当がつかないのです。4人目の女性はおびえてしまいます。いったいこの自殺をさせたものは何なのか。どうにかその背後にいるらしい人物が浮んできます。しかし、どうやって自殺させることができるのだろう。3人目の自殺した女性を轢いてしまった運転手の甥が次第にこの謎に迫っていきます。
 この甥の守にも、さまざまな世界を抱えています。不幸な過去、そしてそれを問題にする周りの眼である、彼の通う高校。そして割りと愉しく働いているバイト先。学校にも、バイト先にもいやな奴もいれば、いい人たちもいます。とくにバイト先での同僚たちはどうみても珠玉のような人が何人もいます。この人たちひとりひとりの描き方がとても気持がいいのです。この著者はよくこのように人をみているのだなと思いますし、また著者の生きて働いてきた空間での人間の付き合い方がまともだったのかもしれません。このような細部にわたる登場人物の描写まで丁寧なのは、あまり他にはないように思います。作家というのはどうにも、職場ではうまくいかなかったような人が多いように思いますので、こんなに職場の人間の描き方がいいと、これはこの著者の人間としての資質がかなり優れているのだなと思ってしまいました。
 さてこの物語は、もっと社会的な問題なども絡ませながら、次第に事件を解明していきます。この3人の女性、そしてまた男性が殺されますが、それらを演出しているのは「魔術」としてしか思えないのです。「あ、なんだ、魔術ではなく、催眠術か」とも思わせますが、本当はそれもこの事件の解答ではないのです。
 実に読んでみて満たされた思いがあります。これを初めて読んだときに「これほどの作家がミステリーの世界にいるのだな」と思ったものでした。

書 名 パーフェクト・ブルー
著 者 宮部みゆき
発行所 創元推理文庫

「魔術はささやく」で感激してしまったので、すぐ引続き読んでみました。これは著者最初の長編小説です。ただ、この作品から「魔術はささやく」をみると、随分と僅かな間に著者が成長してしまったのだなという感じを持ちました。ということは、この作品はやはり少し幼い感じが残ります。
 高校野球のスーパースターが、全身にガソリンをかけられ焼殺されます。蓮見探偵事務所の加代子調査員は、この殺された高校生の弟と一緒に、この事件の第一発見者になってしまいます。そしてこの事件をさぐっていきます。この背景には何か社会的な問題が隠されていそうです。どうしても私にはこうして社会的な背景を出してくるのが安易にも思えました。これだとどこにもあるような話だなというところです。
 そうですね、あと多分この作品は著者には思い出深い作品となるわけでしょうから、あとすこし手を加えて欲しい気がします。最後事件が解決したあと、木原という人物がある女性に、「……私には、あなたと話したいことがたくさんあるんです」というところがある。このあとを書いて欲しいのです。これっきりになってしまっている。中年の窓際サラリーマンである木原が、途中からどうしてあのような変幻をしたのか、そうしたどこにもいる中年サラリーマンの姿を彼女にいうはずの言葉の中に、私は見てみたいのです。しかし、まだ若い著者にはその言葉の内容は探りようがないのでしょうか。(1998.11.01)



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2011年05月24日

宮城谷昌光『晏子』

2017020606

書 名 晏子(全4巻)
著 者 宮城谷昌光
発行所 新潮文庫
1、2巻1997年9月1日発行
3、4巻1997年10月1日発行
(94年10〜12月新潮社より上中下3巻として刊行)

11052416 私は晏子というと、どうにも偏狭な人物としか思っていないところがあり、この本が単行本で出版されていたときにも手に取る気になれませんでした。私のその思いは、諸葛孔明がまだ劉備に出会わないころ、南陽の隆中で隠栖していたときに、常に好んで歌っていたと言われる「梁甫吟」の内容にありました。
 この詩を吟う孔明は、晏子がこそが、たいへんに心の狭い人間でこの三士が礼を失したというので、こうした策略を謀ったというわけです。孔明は晏子の狭量を責めていると思えたのです。
 ところが、このごろ私はこの「梁甫吟」を思い浮かべていたときに、まったく逆の意味に気が付いてきたのです。
 諸葛孔明は、自らを春秋時代の斉の管仲や戦国時代の中山(ちゅうざん)の楽毅にも並ぶ人物だとしていました。そうした誇大妄想の中にいたような青年であった孔明としたら、この詩を好んで吟った意味は、勇者3人をただの桃二つでたちどころに殺すことの出来た晏子をこそ、自らに比していたのではないのかなと思い至ったのです。
 こう思ったときに、私はこの宮城野昌光の「晏子」を読んでみようという気になりました。晏子そのものに興味が湧いてきたのです。
 宮城野昌光の他の歴史小説と同じなのですが、私はたちどころにこの本を読み終わってしまいました。まさしく読み耽けるという感じで、春秋時代にひたってしまいました。
 この「晏子」は春秋時代に斉に仕えた晏弱、晏嬰の親子の物語です。歴史上では子の晏嬰が晏子と呼ばれています。司馬遷「史記」の「列伝」では管仲と一緒に、章を設けてあります。おそらく司馬遷も、この晏嬰のことをかなり評価していると思われます、もし今、晏子が生きていたら、私はその御者になっていたいというようなことまで言っています。ただ、司馬遷は当時残っていたたくさんの晏子に関するエピソードのその僅かしか記していません。それを宮城谷昌光は、それこそすべてを描き切っている気がします。司馬遷の書いている中のその行間の中にさらに、分け入っているのですね。「春秋左氏伝」や「晏子春秋」を読んだとしても、ここまで晏子の世界を見ることはできないでしょう。この著者だからこそ展開できる世界なのだと思います。

 それにしても、この物語は晏子そのものを世界に出す前の、その父晏弱の姿を丁寧に描いているところが、まさしくこれこそが宮城野昌光だなと思わせるところです。これだけは、司馬遷も頭を下げるのではないでしょうか。読んでいると、私たち自身が晏弱のそばで、一緒に歩んでいるような気持がしてきます。こうした事態に俺なら晏弱とどのように行動するかなと思ってしまうのです。晏弱その人に自然についていってしまう気になっているのですね。
 誰もが、きっと「俺ならどうするだろう」などとではなく、「晏弱のそばで、どのようにやるのか」と考えるのではないかと、私は思うのですね。それほど晏弱は魅力ある政治家であり、魅力ある人物です。
 晏子たる晏嬰は、私にはまだ中が深いような気がしていて、簡単には言えないのですね。どちらかと言ったら、私はこの著者の描く晏嬰のそばには、あんまり居たいという気にはなれませんね。私はもっと俗人です。その俗人でも、父親の晏弱には、一緒についていきたい気がしてしまうんのです。
 ただ、私にはまだこの晏子を描く小説はこのあとも出てくるような気がしています。晏嬰その人が、最初あげた「梁甫吟」の中での桃で三士を殺してしまうような策謀家なのか、それともこの著者が描いているような義の人なのか、それが私にはまだ判断できないからなのです。

 それが晏子そのもものよりも、この中国の春秋戦国時代というものから来ていることではないのかななんて思ってしまいます。それは中国の長大なる歴史の中では、この時代こそが、もっとも魅力にあふれた時代に思えてしまうからなのでしょう。(1998.11.01)



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2011年05月16日

松川靖司『お兄さんと呼んでもいいですか』

 あるときに、柏市民ネットの友人であるKAMOさんからKAMOさんたちのやっている同人誌をいただきました。それを読んでいて、涙が浮んできた小説があります。

書 名 お兄さんと呼んでもいいですか
著 者 松川靖司
収録雑誌「文海」第一五号
1995年4月20日発行

11051506 中年男である西村啓一が休みを利用して京都へいきます。そこで一見して失恋の傷心旅行だろうと推測できる若い女性北見敦子と偶然知合いになり、その彼女の失恋をいわば結果としては直してあげることになります。なんだかとても通俗的で馬鹿馬鹿しいようなお話です。しかも最初二人が出会うのが、大原寂光院という設定でこれまた笑ってしまうようなところです。でもこうしたあまりに出来上がってしまったような設定の中で、読んでいくうちに、なんだか涙が湧いてきてしまうのです。「いまでもこんな小説を書ける人がいるんだな」
 私もこの西村啓一と同じように同じ季節に朝京都駅からバスに乗って、大原に向い、寂光院から三千院へ行ったことがあります。三千院の前で、どうみても失恋旅行だなという女性を見ました。それは私の大学の後輩だったのです(だから大学でどうも失恋したらしいとは推測できた)。顔は知っていましたが、とくに親しいわけではなく、しかも私のほうはアベック姿だったので、話かけるのはしなかったのですが、なんだか出来すぎたようなことも現実にあるのだなと思ったものです。
 そんな西村啓一は北見敦子に、次に回った金閣寺でも偶然再開します。そこでその寂しげな姿に、つい話しかけてしまいます。この小説では西村啓一と北見敦子の二人の側からの視線で交互に話が展開されています。このときは敦子側からの視線です。

 「朝見た時よりも元気になっているみたいだね。安心した
  敦子は男の言葉に反発するように
 「わたし自身、変わったつもりはありませんけど」
 「いや、変わったさ。顔色もよくなった。だから年甲斐もなく君
 に声をかける気になったんだけど。もちろん、迷惑は承知の上で
 ね」
 「本当に迷惑ですわ。あなたはわたしの何を知っていらっしゃる
 と言うのでしょうか。何も知らないくせに気楽に声をかけないで
 ください」

 敦子はこのように初対面の男にきつい言葉をはいてしまいます。西村が去ったあと、どうしてあんなに、初対面の男にきつく反発したのだろうかと考えていきます。そしてその相手が実は自分の亡くなった兄の面影に似ていたことが、つい親しかった兄に対するものと同じような反発を表現してしまったものだということに気がつきます。
 そしてまた西村が偶然泊まることになったホテルのレストランで、また敦子と三度目の対面をしてしまいます。まず普通に考えれば、こんな偶然があるわけはないと考えるのが当りまえでしょう。だがこれは、いわば妹である敦子のことを心配している死んだ兄が自分に代わって西村を通じて、妹に呼びかけているからこのような出会いもあるのだというところで、読んでいる私たちが納得してしまうところなのです。
 おそらくこうした出会いはありません。こうしたことはありえないのでしょう。だがやはり人間が生きていく過程では誰もいろいろなことに出会います。その出会いの中にこのようなことがおきても、何の不思議もないのです。そうしたところを考えていくときに、このような小説が生まれるのかもしれません。 ともあれ、まだこんな小説があるんだなと思ったものです。それはなんだか私の心をさわやかにしてくれたものです。(1998.11.01)



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2011年05月15日

半藤一利『漱石先生ぞな、もし』

 随分前になりますが、「浪人生と語る会」というのがあって、けっこういろいろなこと話したのですが、その中で漱石が好きだという浪人生と次のような話をしたことがありました。

 周「漱石の中で、なにが好きなの?
 彼「どれも好きなのですが、とくに『坊っちゃん』なんか好きで
  すね

 周「しかし、『坊っちゃん』って暗すぎないかい
 彼「いや、なんだか読むと気持がすかっとしたんです
 周「そうかな……
   ……といって、坊っちゃんよりまだ悪役の野太鼓や赤シャツ
   のほうが、いきいきと生きているのではないかと話しました。
   うらなり君も結局はマドンナと別れてしまう。どうにも、結
   局は山嵐も坊っちゃんもうまく職場に適応できなかっただけ
   じゃないかとか、いろいろ話しました。

 周「坊っちゃんがあのあと何になったか、覚えているかい?
 彼「いや、分からないのですが、それは『二百十日』に書いてあ
  るんですか

 周「『坊ちゃん』の最後に書いてあるんだよ。彼は東京の都電の
  運転手になるんだな。それと、彼は山嵐と新橋駅で別れたきり、
  二度と会わないんだ。どうみても、あのは二人は親友になった
  と思えるんだがね、それっきりなんだ

11051405 なんだか、「坊っちゃん」をこの彼のように思ってしまう傾向があるようです。それがまた何故かなと興味深いところもあるのですが、漱石の作品では本来はこうなのです。私には、こうした漱石像が、読んでいくのにつらいなと思わせるところなのです。

 私は「坊っちゃん」をこのような印象で読んできていました。なんだか読み返すのが辛い暗い小説という感じだったのです。
 でもそうした私の思いを、また別な観点から切り開いてくれた本があります。

書  名  漱石先生ぞな、もし
著  者  半藤一利
発行所  文春文庫
1996年3月10日第1刷

 この本は文庫本になったら読もうと、立ち読みだけで待っていました。
 第一話が

  「べらんめい」と「なもし」

ということで、「坊っちゃん」の中に出てくる江戸下町言葉をいくつも抜き出しています。これが実に細かく分析されていて面白いのです。

「ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭 は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮なところだ。もっともこの熱さでは着物は着られまい。日が強いので水がやに光る。見詰めていても眼がくらむ」
 走りだす汽車のとまる汽船、淋しげで小さな婆やと威勢のいい裸の船頭、対照の妙をいかし、前章の過去形と違って「しめている」「やに光る」「眼がくらむ」と現在形で書いている。風物も、人間も、目の前のように生きてくる。そして「いやに光る」とすべきところを「やに」と江戸訛りをはさんで、都落ちした江戸ッ子のせめてもの心意気を示している。
 全編こんな風に多彩で流動的な文章。後にも先にも、日本人の誰も書かなかった。いや、漱石すらもその後これほど闊達な文章は書かなかった。

 うんうん、なるほどなと思います。東京を出るときのお清婆さんの小さな声、小さな姿、そして坊っちゃんにくれる手紙の内容「……箱根山から西には化け物が棲んでいる……」など、たくさん思い出してきます。たしかに最初の最初読んだときにも赤ふんに「野蛮なところだ」というところでは笑ったなと思い出しました。
 いややっぱり漱石はいろいろな読み方ができるのだなと改めて感心しました。 そうそう、今私も思いました。上で引用した中の「眼がくらむ」は杜甫の「飲中八仙歌」からとったものでしょうね。

 知章騎馬似乘船   知章が馬に騎るは船に乗るに似たり
 眼花落井水底眠   眼花井に落ちて水底に眠る

 ねえ漱石先生、知章は飲んでいたから、「眼がくらむ」で井戸に落ちたのでしょう。いや間違いなく、漱石は「坊っちゃん」のこの部分で、杜甫の詩を思い浮かべたはずです。そしてにやにやしていたんじゃないかな。

 さらに少し付け加えたいと思いました。
 この漱石の「眼がくらむ」なのですが、ずっと気になりました。漱石は、なんだか「眼がくらんでしまう」というような症状があったようです。そのことを「眼華」という言葉を使っています。この「眼華」は、「眼花」と同じではないのかな、と思うわけなのですが、それは私はこの「坊っちゃん」の場合だけで思うわけなのです。
 実は、漱石はこの「眼華」という言葉を、吉川幸次郎によると、この杜甫の詩から持ってきたのではと言われています。吉本(吉本隆明)さんは、これは良寛から持ってきたのではと言っています。そしてその良寛からとは、良寛がいわば本来よりどころとした、道元の「正法眼蔵」の中の言葉からだということなのです。私は吉川幸次郎は少しも好きではなく(全く嫌いです。ときどきあの膨大なる「吉川幸次郎全集」のどこかの巻を立ち読みしては、「そら、やっぱり嫌な奴だ」と確認しています。それこそ周の方が嫌な奴だね)、どうみても吉本さんの言う通りだと思っています。
 だがだが、そうだとしても、私はこの「坊っちゃん」の場合の「眼がくらむ」は、杜甫の詩からではないのかな、と思うのですね。漱石の病気のことではなく、このときだけは、まさしく飲んで眼がくらんでころんだとか、そういうことを漱石は思い浮かべていたのじゃないのかな。(1998.11.01)



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2011年05月14日

三木成夫『胎児の世界』

11051401  私の事務所のあるビルの1階に、夏から秋にかけていつも鈴虫が置かれています。管理人のお母さんがおいてくれるのです。私は、いつもその虫の音に「いいなあ」と思ってしまいます。9月のある日ちょうどエレベーターを一緒におりた18、9歳の女性同士がこの虫の鳴き声をきいて

    ここではこの季節になるといつも鈴虫が鳴いているのね。いい
 声ね。

と言っていました。あんな若い子たちも私なんかと同じ感性をもっているんだなと思ったものです。
  しかし、この虫の音をいい音と感じるのは私たち日本人の特徴であり、欧米人は雑音としてしか感じていないといいます。また日本とは同文同種などといわれる中国人や朝鮮韓国の人も欧米人と同じだといいます。日本人が虫の音をあれほど歌に詠んでいたりするのに、中国の漢詩には出てきたことがありません。邯鄲(かんたん)という虫が秋になると「リュウリュウリュウ」となくのを、私はいつも「つまんない虫なのに、鳴く声はいいな」と思っていますが、中国で邯鄲といえば趙の都であり、「邯鄲の夢」などというとまったく違うことを思い浮かべてしまいます。どうして中国人と私たちでは、こんなに感性が違うのだろうと不思儀でした。
  そうしたことを解き明かしてくれた本があります。

書 名  胎児の世界
著 者  三木成夫
発行所  中公新書

  この本のことは実は吉本ばばなの短編集「とかげ」についてのエッセイで知りました。

    あとは三木成夫さんという人の書いた本。なぜ生物にとって呼
 吸が大事なのか、といったことがやさしい言葉で説明されていま
 す。この人は昔、中公新書で『胎児の世界』という本も出してい
 て、それを読んで、人間の赤ちゃんは植物から人間になるまでの
 すべての進化の過程を、お腹の中で一通りこなしてくることを知
 りました。なんて神秘的なんだろうと思いましたね。
  (「課題としての短編集」「波」93.4月号に掲載  「ばなな
 のばなな」1994.1.25メタローグに収録された)

 そしてこの本を読んだばかりのころ、吉本(吉本隆明)さんの講演「心について」でさらにこの三木成夫さんの他の著書(「内臓のはたらきとこどものこころ」)からの話があり、「これはまずは三木さんを知っていて良かったな」と思わせてくれました。
  この虫の音のことを、次のように三木さんは書いています。

    それは、いま申したことを、とくに音で精しく調べたものです
 が、ここには、民族の差という、のっぴきならない問題が出てま
 いります。つまり、電流を使って言語音と非言語音の脳内経路を
 民族のあいだで比較しましたところ、どうもわたしたち日本人は
 自然の音を左の言語脳で聞くらしい。
   これは、欧米人が、たとえば虫の音を一種の“雑音”として右
 の脳で受け止めるのと対照的です。むかしから自然の風物を“語
 りかける友”として眺めてきた日本人の生理を初めて自然科学的
 に実証したこの研究は、こころにしみるような業績ではないでしょ
 うか。
  (「妓龍燭悗硫鶺※;;\弧慎憶と回想 民族と里帰り「椰子
 の実」の記憶)

 そしてさらに他の民族も調べていくと、韓国や中国も欧米人と同じで、日本人と同じ脳の型をもっているのは、ハワイ、サモア、トンガ、ニュージーランド等のポリネシアだったというのです。
  これを読んだときに、私ははるかな昔、私たちの先祖が小さな舟に乗って、ポリネシアから潮の流れに乗って、台湾八重山沖縄本島を経て、この本州あたりまでやってきたのを思い出したような気になってきました。ちょうど柳田国男が椰子の実を見つけたときにはるかな南の島を思い浮かべたときの気持がそのまま分かるような気になってきます。また三木さんは、折口信夫の「妣(はは)が國へ・常世(とこよ)へ」という論文を引用していて、熊野の海岸に立ったときの折口の遠い南の国への感慨を記しています。まさしく折口も海の遥かな先に、私たちの先祖の姿を見たに違いありません。
  こうした遠い過去の記憶が、もともと私たちの中に存在しているということは驚いてしまうことなわけです。また次に三木さんは、血液型の研究から、民族間の血縁関係を調べた「血清学的位置による世界民族の分類」をあげて、わたしたち日本人はいわゆる「アジア人型」に属するのではなく、「ヨーロッパ人型」とのいわば中間といわれる「西アジア=東ヨーロッパ人型」の仲間だというのです。私はこれを読んでまた私たちの祖先が、はるかな昔中東の沙漠を駱駝に揺られて移動している姿が見えるような気がしました。
  この脳と血液のはるかな記憶を三木さんは、

     名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ…………

     月の沙漠をはるばると旅の駱駝が行きました…………

という二つの歌で象徴させています。たしかに私たちの心の奥底にはこの二つの世界の記憶が潜んでいるような気がしてきます。
  そして私たちは、胎児のとき母親の胎内で、こうした過去の記憶を反芻するように思い出しているらしいのです。十月十日の間そうした夢を見続けているようなのです。

    生まれて目もあかない赤ん坊が、眠っているうちに突然おびえ
 たり泣き出したり、または何かを思い出したようにニッコリ笑っ
 たりするのを、わたしたちはいつもみている。それは、ほかでも
 ない、母の胎内で見残したそのような夢の名残を、実際、見てい
 るのだと久作(夢野久作のこと)はいう。
 ( 胎児の世界───生命記憶の再現再現について 胎児の夢)

 このときに見ているだろう夢が、舟の上や駱駝に乗った夢ばかりではなく、実に生物がアメーバだったときから植物、魚類、両生類、は虫類、鳥類等々を経て、人類に到った過程も見ているというのです。この著書では、人間の胎児が母親の胎内で、どのように顔を変えていくのかを点描で画いてあります。それはまさしく過去の進化した生物の顔をしているのです。魚の顔、恐竜の顔、鳥の顔…………、私には「やっぱり人間が鳥であったこともあるのだな」と思わせてくれました。
  人間はこうしてアメーバから人類までの記憶、あるいはポリネシアの海を渡っていたことの記憶だけではなく、人間が過去やってきたたくさんの記憶が残っているのだといいます。

    このように見てくると、人間のからだに見られるどんな“もの”
 にも、その日常生活に起こるどんな“こと”にも、すべてこうし
 た過去の“ものごと”が、それぞれのまぼろしの姿で生きつづけ
 ていることが明らかとなる。そしてこれを、まさに、おのれの身
 をもって再現して見せてくれるのが、われらが胎児の世界ではな
 かろうか。
 ( 胎児の世界───生命記憶の再現 再現について 胎児の夢)

  こうしてこの著書をみてくると、私たちは胎児のときに母の胎内において遥かな過去からきのうの過去までたくさんの夢をみているのだなと思いました。そうしてこうした夢を見終って、この世に生まれでてくるのだと思います。そしてまたそうした夢をもう一度、死ぬときに私たちは見るのかもしれないなと私は思っているのです。(1998.11.01)



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ねじめ正一『高円寺純情商店街』『本日開店』

11051320 この著者を初めて見たときのことです。新潮社の詩の雑誌「鳩よ」の「かっこいいこと、わるいこと」というテーマのイベントでした。私は何人かの友人を誘って行きました。最後に吉本(吉本隆明)さんの講演があるからでした。
 最初のほうで、このねじめ正一がパーフォーマンス詩人として紹介され、自分の詩を身振りをいれて歌いだしました。私はなんだか訳がわかりませんでした。何がかっこよくて、何がわるいのか。ほとんどの聴衆がのっていません。わずかに手拍子する人が何人かいました。私はなんて詩人って悲惨なんだろうと思ったものです。
 次に泉麻人を中心に新人類とかいわれる人たち4人のパネルデスカッション。勿論「かっこいいことわるいこと」とのテーマ。またまた何故か決りません。私は泉麻人なんて好きではないが、こういうイベント見ていると、やはりやっている方に気持ちが移ってしまい、なんとかうまく話が展開しないかと願ったものです。泉だけが懸命にからまわりしていて、痛々しく見ているのが辛かった。このデスカッションで、一番面白かったのはこんなことです。一番前ですわっていた老年の紳士が眠り出していました。泉がその人に向かって、

 「ああ、そこのかた、…………、やはり吉本さんですか。もうす
  ぐですからね。もう少しまってください」

といったとき、会場は少し楽しくなりました。そう会場は、吉本さんの話をききにきている人が大部分なのです。私は新人類の旗手も形なしだなと思いました。
 吉本さんの登場で、会場はやっと落ち着いてきます。私はどういうふうにきょうのテーマにちかずけて話すのかと思っていました。しかし、吉本さんはやはり主催者や泉のこと充分に考えていたのです。吉本さんは文芸批評における、かっこいいことわるいことという機軸での批評の話を見事に展開しました。私はなるほど、なるほど、そうだ文芸作品をかっこいいとかわるいとかで、充分批評できるのだと考えたものです。
 そしてきょうの出演者は、吉本さん以外はみなかっこわるいなと思ったものです。とくにあのねじめ正一ってのは、いったいなんだいと。私と同じ歳で、詩を馬鹿にしているんじゃないかと思いました。いやよく考えてあげれば、詩ってそれだけで食っていくのは大変だから、あんな無理するのもしかたないのかとも同情しました。
 その詩人が小説を書いたというので、「結局詩から逃げたのかよ」と思ったものです。詩人も批評家もなんかすぐに小説書いてしまう。また同じだろうと。

 ところがそのねじめ正一のの小説を読んでみたのです。いやこれは吉本さんのいう観点からも、私にはかっこいい小説だといいきれるように思いました。自分の育ち住んできた商店街のことを書いています。丁寧に丁寧に書いています。見ている視線がいいんですね。

書  名 高円寺純情商店街
著  者 ねじめ正一
発行所 新潮社

 私たちの年代には、これらの商店街が必ず一つかそれ以上郷愁としてあるように思います。そしてそれが少しずつ少しずつ、こわれていくんですね。いろいろな街を見ていてもそう思います。その私たちのこころの中にある商店街を、この小説は見事に再現してくれていると思います。そうだ、街はこうなんだと。
そして現実にはもう商店街はこのようには存在していないのでしょう。
 できたらこの著者にさらにこの商店街がだんだん変遷していくさまを書き続けてほしいなと思います。
 私はいわゆる、通産省や中小企業庁やそれにのったコンサルタントが「コミニュティマート−くらしのひろば」なんて言ったって、あんまり信じられないのですね。街をたくさんみてきましたが、そんな分析や提案より、この小説の方がおおいな参考になります。とにかくねじめ正一にはこの街の変遷を書き続けて欲しいのです。

書  名 高円寺純情商店街本日開店
著  者 ねじめ正一
発行所 新潮文庫
1990年4月新潮社より刊行

 上に書いたとおり、この著者はこの商店街のことを書き続けています。この著者が実際にやっている古本屋は高円寺ではなく阿佐ヶ谷南口であるらしいのですが、小説の中では隣の高円寺北口で、お店は「江州屋乾物店」になっています。今では実際の高円寺北口商店街が「高円寺純情商店街」と名前を変えてしまうというような事態も生まれています。
 上にも書きましたように、私たちの中にある郷愁の商店街が実際には存在しえなくなっているように、この架空の純情商店街も少しづつ変わっていってしまいます。誰もが嫌な思いになってしまうことなのですが、これはもう全国どこの商店街でも進行してしまった、あるいは進行しつつあることなのでしょう。
 ここには、次の3つの作品が掲載されています。

 大黒メロン
 八月のキャッチボール
 本日開店

 この純情商店街にスーパーマーケット大黒屋が進出してきます。主人公正一の「江州屋乾物店」の父親もその反対運動の委員になって慣れない運動をやっていきます。ちょうどそのときに、正一の祖母が脳溢血で倒れてしまいます。その祖母の病気見舞に大黒屋から届けられるのが、立派なメロンなのです。このスーパーの進出はさまざまなことをひきおこします。おそらくはどこの商店街でもみられたことなのでしょう。おばあさんは死にますが、その葬儀の席でもさまざまな思いが錯綜します。

  ふいに大声を上げて叫び出したくなって、正一は息を吸い込ん
  だ。ウチはころんでいない、裏切ってなんかいない。スーパー大
  黒が勝手に花やメロンを送りつけてきただけなんだ。矢もたても
  たまらなくなってあたりを見まわすと、曇りガラスをはめ込んだ
  店との境のガラス戸に、まん幕の黒白の縞がぼんやり映っていた。

 小さな純情な商店街が大きな資本主義に飲み込まれるかのように変遷していきます。

 3つめの「本日開店」では、こうしたスーパーの進出で正一の隣の「魚正」が店をたたんで吉祥寺でラーメン屋を始めるという話になります。もういままでの商店街も反対だけ言っていられなくなっていきます。なんとかスーパーとも共存していかなければならないようです。しかし、こうして魚屋に焦点をあてている著者の眼は実によく見ているなと思います。どこの商店街でも、誰もが必要としているが、実際にやっていくのが一番困難になっているのが、この魚屋だと思います。この小説の中では、ちょうどこの「魚正」が立ち退いていくのが、「高円寺阿波踊り」の祭りのときです。
 考えてみれば、なんで東京の高円寺が「阿波踊り」なのでなのでしょうか。これがなんとか東京で生きていかなければならない商店街のひとつの生き方だったのでしょう。おそらくはけっして商店街のみんなが一致して賛同したものではないだろうと思われます。この正一の父もこのイベントには賛成していません。だから彼は一度も踊りの列に加わったことはありませんでした。だが、この「魚正」の立ち退きのときには、その父も踊りの列に声をかけてしまいます。何度読んでも思わず涙ぐんでしまうところです。

 「えらいやっちゃ!えらいやっちゃ!」
  観客の後ろから聞き慣れた怒鳴り声が聞こえた。いつのまにか
   見物客の最前列に出てきた父親がケイ子のほうを真っすぐ見な
   がら怒鳴っている。あんなに阿波踊りを嫌っていた父親が掛け
   声をかけるなんてめずらしいことだ。

 こうしてこの物語の中で、私たちの眼の前で展開される登場人物たちの動きは嬉しいものなのですが、さてこのあとこの街は、正一たちの店はどうなっていくのでしょうか。いったいスーパーと共存できるものなのでしょうか。また次の作品の中に、そうした物語がまたどのように描かれていくものなのか見ていきたいなと思っています。(1998.11.01)



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2011年05月13日

中山義秀『山中鹿之介』 

 三日月に対して、「我に七難八苦を与えたまえ」と祈っていたという、山中鹿之介を描いた、中山義秀の小説を読みました。

書 名 山中鹿之介
著 者 中山義秀
発行所 徳間文庫
発行年月日 1988年7月15日初版(昭和33年7月六興出版社より出版)

11051210 私は山中鹿之介が子どものときから好きであり、かつ中山義秀も好きな作家です。山中鹿之介に関しては、信長秀吉に会ってから以降の話はよく知っていましたが、その前の尼子再興のために出雲に上陸して戦うあたりは、あまり詳しくなかったので、この小説を古本屋で見つけて、すぐに読み始めました。
 私はやはり、中山義秀は「碑」あたりの小説を読んだときに、かなりな衝撃を受けたものでした。その衝撃からすると、この「山中鹿之介」は、鹿之介の全生涯を描いているわけではないので、何か中途半端な気がして、少し不満でした。でも義秀も、鹿之介の最後を描くのはつらかったのかななんて思ったところです。

 この小説を読み終わったときに、偶然飲んだ席で山中鹿之介の話になりました。やっぱり鹿之介は今も人気があるのだなと思ったものです。さらに、ここで少し私の思いを書いておきたいと考えました。

 山中鹿之介は勇士であり、人望もあるのですが、どうしても戦に勝てません。それはどうしてだろうかと思うのです。鹿之介が美々しい鎧兜姿で、戦いの前面に立つと、彼の前に向かってこれる敵兵はいないはずなのです。でもどうしてか、名もない毛利の雑兵たちに、追い立てられてしまう鹿之介の姿があります。悔しくて堪らないでしょうが、逃げるしかないのです。でも、鹿之介には、その理由が分からなかったのではないでしょうか。 そもそも、あの時期に尼子の再興というのが正しかったのでしょうか。いや、正しいか否かということよりも、尼子再興が当時の山陰の人々が受け入れられる合理的スローガンになりえるわけがないのです。新宮党尼子国久の孫勝久を見いだしたときに、鹿之介はもう半分は勝利できたと思い込んだかもしれません。鹿之介は、味方してくれる武将たちに、いくつもの恩賞を約束します。だが、それは「毛利に勝利できたときには」、という空手形でしかありません。この点ではやはり、毛利氏の方が数段上でした。山陰山陽の武将たちは、毛利についてさえいればすべてが保証されているのです。
 だが、鹿之介はおそらく、こうしたことには思いもよりませんでした。鹿之介は、毛利一の猛将吉川元春を倒せれば、事がなると考えていたかと思います。そして軍事力さえあれば勝利できると考えていたはずです。だから織田氏に助けを求めます。軍事力も領地も織田信長は毛利氏の3倍の力なのです。
 ただ、鹿之介は驚いたのではないでしょうか。自分が頼ろうとする羽柴秀吉という男は、吉川元春や自分のような勇士ではありません。ただの小男です。そして秀吉はじめ織田軍のもともとの尾張兵といったら、強兵とはいえずむしろ弱兵なのです。ただ弱兵といっても、百姓兵ではなく、1年中戦闘に参加できて、大量の鉄砲を使って、勝利しつづけているのです。
 秀吉のおかげで、鹿之介は尼子勝久を播磨上月城に入れることができました。だがおそらく信長にとっては、鹿之介や勝久など、旧時代の人間でしかありませんでした。「あんな連中は必要ない」と信長が判断したときに、勝久は腹を切り、上月城は落ちます。それでも、鹿之介は吉川元春と差し違えようと考えます。元春には、そんな鹿之介の心が読めていますから、簡単に鹿之介を殺してしまいます。ここが鹿之介を好きな人にとって、悔しい悲しいところなのでしょうね。私ももっと歴史はどうにならなかったものかなと悲しくなってしまうところです。(1997.08.08)



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2011年05月12日

中村脩『ふるさとあびこ』

11051203 私の住んでいるところは千葉県我孫子市です。私は我孫子の生まれというわけでもないのですが、もう長年この地に住んできました。この我孫子を紹介する本としていい本があります。

書 名 ふるさとあびこ
著 者 中村脩
発行所 湖畔出版社

 私の大好きな平将門公の伝説が色濃く残るのが、この我孫子なのです。その将門公には7人の影武者がいたといわれます。

   日秀の桔梗仇花
  将門は、俵藤太秀郷と幾度か激戦を交えたが、将門は常に同装
 の勇士七人と起居行動を共にしていたので、何れが将門か判別し
 難かった。そこで秀郷は桔梗の前と密かに連絡をとり、影武者と
 本物を問うたところ、将門に随っている影武者はすべてワラ人形
 であるため、冬の早朝、斉戒沐浴するとき、白い息を吐くのが将
 門であるとの密告を得た。それで知って矢で将門を射たという。
 それゆえ、将門の縁故の地である日秀地区には、昔から“桔梗の
 前”にちなむ桔梗を植える家がなく、「花は咲けども桔梗は咲か
 ず」という伝説があり、模様としてすら桔梗の花形を嫌ったとい
 う。
  そのことを歌ってか湖北音頭に、

   湖北日秀にや、桔梗は咲かぬ
   桔梗仇花 うその花
   将門様のよ いのち取り

 とある。

 地名に関しては、この本で我孫子から説明してありますが、古戸と中峠のところ書き出してみましょうか。

   中峠(なかびょう)
  峠(ひょう)は標の音で、境を意味する古い言葉である。古来
 わが国では、樹木を立て境にする風習がさかんであった。即ち丘
 を越えていく路(峠)の中程にある処からその名が起こった。
 「鹿島日記」に
   徳基(小堀に住める寺田徳基、刀根川の舟めぐらす事承れる
  人なり)問いけらく「此の里の河向いに文字を中峠と書きて
  「なかびょう」と呼ぶ村あり。心難き村の名なり。」という。
  余答えけらく「相模ノ国大住ノ都に枇杷村(びわのむら)とい
  うあり。そこは嶺(とうげ)ある所なり。嶺は山の上の路ある
  を云えば、山を上り下る心もて峠の字は作りたんなるべし。さ
  れど詞の心は千岐(ちまた)の神に幣(ぬさ)を手向くるより
  起りて「たむけ」なるを、音の便りのままにいいうてして『節
  用集』などには到下(とうげ)とも書きたり。さて枇杷は横の
  音に通わして「びや」というべきを「びょう」と引いていへる
  と見ゆ。中峠村も峠あるより名を得て、さる心の字も書けるに
  や」

 とある。

   古戸(ふると)
  奈良朝時代に大伽藍のあった古房の地で、地名は古房の「房」
 の冠字「戸」を用いて「古戸」と名付けられたものである。
  ちなみに、古戸は標高二○・八四米で、あびこ最高の地点であ
 る。

 またこれら我孫子のさまざまな地名はアイヌ語ではないかということも書いてあります。
 我孫子に関する書物はたくさんあるから、もうすこし読むべきなのでしょうね。だだ私は近年の白樺派ってのはどうしても好きになれないんですね。できたら別な場所に行っててくれればよかった。それに比べて、将門公の伝説や遺跡があるのはいいですね。白樺派の嫌味なんか乗り越えてしまいます。ここに住んで本当によかったと思います。(1998.11.01)



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高村薫『黄金を抱いて翔べ』

11051120 日経パソコンの1993年12月6日号に、「パソコンと出会って私は作家になりました」という見出しのインタビュー記事がありました。私は、「ああ、この人が宮部みゆきと並ぶミステリー界の女王といわれる高村薫か」と思ったものです。この作家のデビュー作が文庫本になりました。

書 名  黄金を抱いて翔べ
著 者  高村薫
発行所  新潮文庫
1990年12月新潮社より刊行

 電車の中やあちこちでの待時間に一気に読んでしまいました。これは話題どおりのすごい作家だなと思いました。今後この作家は全作品読んでいくつもりでいます。
 この作品は、大阪のある銀行の地下金庫から500キロの金塊を強奪しようという6人の男たちの物語です。この男たちは綿密に計画をたてます。その計画を組み立て、爆発物を調達することなどの細部にいたる描写には感心してしまいます。よくまあここまで、さまざまなことをよく取材し、それをまたよく表現できているなあというところです。また6人の男たちのひとりひとりの背景も興味深いものがあります。そしてこの男たちに共通しているのは、体制−反体制のどちらの秩序も拒絶する叛逆への強烈な意識です。それは男たちの過去の体験と、そして生い立ちもあるのだろうと思います。そうした過去からの脱出をこうした金塊強奪に彼等は賭けたのでしょう。
 計画の実行への過程を読んでいくと、その展開に思わず引き込まれていきます。まるで私もこの金塊強奪の仲間であるような気になっていきます。詳細な計画を練り、だがしかし、その実行の現場では、さまざまなことがおきてきます。そうしたさまざまなトラブルを克服していくのも、最初からの計画の一貫だといえるでしょう。
 私もこれを読みながら、自分が関わった数々のできごとを思い出しました。ちょうど私が大学5、6年のころの学生運動ではもはや官憲との非合法の中での闘いという雰囲気がありました。指名手配されている仲間を官憲の網の目のなかから脱出させるときの緊張感などはかなりなものがありました。そうしたとき、いきいきと俊敏に動きまわっていた数々の私の後輩たちも今はもう腹の出た中年のオッサンです。
 また私が組合を作って労働運動を指揮したときにも、さまざま綿密に計画をたてました。夜遅くまで組合員と話合いをして、ほぼ次の日の予定を決めたとしても、私たちはさらにその後、限られた仲間でさらに打ち合わせを行いました。その内容は先ほどまでの全体の話合いとはまったく違う結論を出すことも多々ありました。
 私がチーフプロデューサーとして、何人かのクリエーターと組んで仕事をやっていくときも同じでした。いくつも案を作っても必ずこちらのいい形になるように仕組んでいきます。相手(クライアント)の予算自体をこちらが読んでしまっているため(これは私だけがどこからかよんでしまっている)に、どうやってもこちらの思うままの見積りになっていったものです。ある大きな媒体二つ(新聞社と放送局)をうまくこちらのいうとおり動かしたことがあります。それは事前に綿密に計画を練っていたからなのです。
 そして私が大事だと思っていたのは、どんなことがあっても、すべってころんでもその現場では柔軟に最初の計画どおりできるような形(したがって私の場合は細部には何通りかの計画がある)にしていくことです。この作品での男たちにも、数々の思わぬできごとが襲ってきます。仲間が殺されたり、計画の一部が外部にもれてしまっているような不安も出てきます。それでも、かれらは突き進んでいくのです。こうまで彼等をさせるものは、やはりとにかくこうして自分たちと計画を実現することこそが、このどうにもならない世界を一時でも自分のものにすることができるからかもしれません。
 男たちのひとりひとりの描き方はなかなか見事です。私の想像では、著者がこの男たちをパソコンの画面に登場させてから、その男たちはまるで作者の手からは離れてしまうように、思い思いに動きまわっているように思います。その動きに合わせて作者はキーボードをたたいていきます。そしてその中のある男がなにかを思い出しているときに、作者はまたその男の思い出の中に入って、その思い出をまた打っていくのです。
 私には、その中で主人公の幸田という男の大学時代の思い出は、作者の読み違いなように思いました。幸田はおそらく、思想など信じないが左翼の周辺にいた特異な男なのではなく、思想など全く信じないが、ただ左翼の中に身をおいて激しく闘っていた活動家なように思えるのです。そうでないと、あのような現場での臨機応変の動きは無理などではないでしょうか。あのころの左翼の中には、そんな男が何人もいたように思います。

 この著者の力量には敬服します。ただ昨年の直木賞(「マークスの山」で受賞)の授賞式のときに、「私はミステリーを書いているつもりはない」と発言して、多くのミステリーファンの怒りや失望をかったようですが、私もそれは同様に思います。なんでそんなつまんないこというのかな。芥川賞と直木賞の区別ができにくくなっているように、さらにミステリーかそうでないかなんてことはどうでもいいのだけれど。私たちには、この作品のように読み応えのある小説をいつまでも書き続けてくれればただそれだけでいいのです。(1994.05.15)



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2011年05月11日

妹尾河童『少年H』

11051104書 名 少年H
著 者 妹尾河童
発行所 講談社ノベルズ
1997年1月17日第1刷発行

 妻の会社の人から借りて読みました。実にまたたくうちに読み終わってしまいました。
 さて、私はこの小説をいわば肯定的に読んでいたほうだと思いますが、ここでは少しだけ疑義を述べたいと思います。
 まず、この少年Hが、この当時で、これほどの「反戦思想と思えるような姿勢及び思い」を抱けたものなのか、少々疑問になります。神戸なので、外国人に出会うことが多かったことがあるのかもしれません。ユダヤ系のドイツ人とも接触があったのですから。でも、ここまで分かっていたものかなと、私は少々不思儀な思いがします。
 それともう一ついいます。著者が日本軍の三八銃を持って「こんな重い銃で、勝てるのかな」なんていうところです。それに比べてアメリカ軍の銃はとても軽いものだったということで、「これじゃ勝てるわけないよね」なんて言うことをNHKテレビでも言っていました。たしかに三八銃は、明治38年のものですから、すぐれていたものとは言えないのかもしれません。でも彼の言う、アメリカ軍の銃とは、将校たちがもつ、いわば儀礼銃であって(要するに、戦闘には関係のないサーベルとか日本刀のようなもの、あれらは指揮に使うだけでしょう)、実際の戦闘行為に使用していたアメリカ軍の銃は、それこそ三八銃よりも、もっと重い銃だったのです。こんなことは、少し調べればわかるんじゃないのかな。
 このことは小説の中でも言っているわけですが、NHKテレビの「週刊こどもニュース」で、子どもたちに向かって、日本の三八銃とアメリカの銃を比べて「こんな重い銃よりも、自動小銃のほうが強いにきまっているよなあ」というような言い方をしているわけです。
 このとき比較しているアメリカ軍の銃とは、カービン銃のことであり、これは将校用の騎兵銃であり、日本の騎兵銃も同じように軽いものでした。米軍歩兵が主力として使っていた銃とは、ライフル銃であり、三八銃や昭和14年に出来た九九銃よりも重いものです。したがって、比べても意味のないものを比較して、子どもたちや読者を説得しようとしているわけであり、私は「一体何言っているんだ」としか、思わないわけなのです。

 米国と日本はまさしく帝国主義国家として、国家総力戦として戦ったわけです。ただし、日本側にはあの戦争を「国家総力戦」として認識していたとは思えません。ここのところが問題であり、たかが武器の銃の重さが違うから、日本が敗北したわけではありません。私から言わせていただけば、日本は負けるべくして、敗戦にまで至っただけです。日本だけが卑劣だったわけではなく、米国もイギリスもソ連も中国(ここでの中国とは国民党軍および共産党軍も同じです)、卑劣な帝国主義戦争をやりたくてやっただけです。
 私は比較的に好意を抱いていた妹尾河童氏が、始めて小説を書くというときに、「こんな調べればすぐに分かるようなことをどうしてやらなかったの?」と不満なのです。もう少しまともに調査取材して書かれるべきではないのと私は思いますね。
 ただ、親子で撮った写真などは、私はとても感心して見ていました。この著者のことは嫌いにはなれない感じですね。(1997.11.15)


 その後、私のこの著者に対する意識は180度変りました。「周の掲示板」に以下のように書いたものです。(2003.06.14)

Re.「戦後史の難点とは」 投稿者:周  投稿日: 4月12日(土)08時55分04秒
 それから、「少年H」については、私は「周の本の備忘録」に書いていますが、私が読んだときにぼんやり感じていた内容のひどさが、もう今では露呈しましたね。

   妹尾河童「少年H」(これは上にある文章です)

 私はこの最後に次のように書きました。

 ただ、親子で撮った写真などは、私はとても感心して見ていました。この著者のことは嫌いにはなれない感じですね。(1997.11.15)

 私はこれをもう撤回します。この著者のことは、もう大嫌いです。こういう大嘘つき、誇大妄想な人間はもう許すことができません。



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2011年05月10日

住井すゑ『橋のない川』

2017010905

   「水平宣伝歌」
  さべつかんねん
   はらからとれよ
  とらなきゃ
   きゅうだん飛んで行く
         (中略)
  おやは差別に
   子ははくがいに
  なくぶらくの
   ほととぎす
  (関の五本松、どどいつ、安来節、デカンショ、篭の鳥、この五の節で歌えます)

11051002 上の歌は大正十三年に水平社の本部から出されたものといわれています。大正末期の流行歌5つのどれでも合わせて歌えるというものです。エタとか非人とかいわれ、永年に渡って泣いてきた部落の人たちが、水平社(現在の部落解放同盟の前身)を起こし、「糾弾」という形の闘いを起こしていったのがうかがえます。

書 名 橋のない川
著 者 住井すゑ
発行所 新潮文庫(全七巻)

 この小説は第六部まで完結するのにも実に一二年余りかかっているといいます。そしてさらに第七部も刊行されました。以下刊行された年・月です。

  第一部  一九六一年九月
  第二部  一九六一年一二月
  第三部  一九六三年三月
  第四部  一九六四年四月
  第五部  一九七〇年一一月
  第六部  一九七三年一一月
  第七部  一九九二年一二月

 著者は明治三五年(一九〇二)生まれで、さらにこのあとをまだ書き続ける予定だったようです。
 私はこの小説をまたたくうちに読んでしまいました。いったん読み始めると、最後までいっきに読み終らないと気がすまない感じでした。そしてさらにできたら、昭和二〇年の敗戦のときくらいまで書いてほしいなと最初から思いました。たぶんそれは第一〇部くらいにならないと無理でしょうから、時間的には無理であり、かつ著者の死によって実現はされませんでした。

「破戒」で、生徒の前に手をついて謝った丑松のことが、この主人公の二人の兄弟(兄誠太郎、弟孝二)は好きになれません。

  あれはあんまりや。あれを作った人は、まるでわしらのことを
 知らぬのや。つまりあの話を作った人は、はじめからエッタは世
 間の人とちがう人間と思いこんでるんやで。    (第2部)

 随分昔私もこの丑松の姿勢についてかなり話し合ったことがあります。島崎藤村が苦労して書いているのもよく分かります。でもこの誠太郎の言葉には何もいうことができません。
 孝二は大阪に丁稚奉公に行っている兄誠太郎が送ってくれた少年雑誌にのっていた「峠の秋」という物語を読みます。与吉という主人公は働きに出て、ある娘をみそめて、そこの主人にも認められます。そして、その主人にあなたのふるさとを娘に見せてやってはくれまいかと頼まれる。

  さて、峠のいただきに辿りついた二人は暫く疲れた足を休めて
 いたが、やがて峠の下りにかかろうとして、与吉はまた石のよう
 に立ち止まった。そして“どうかしましたか。”と心配そうにた
 ずねる加代に、与吉はいった。“峠の向こうは僕のふるさとです。
 そして、そこはエタ村です。僕は今までそれをかくしていたので
 す。”
  その与吉の胸に顔をうずめて加代はよよと泣いた。泣きながら
 加代はいった。“ほんとうは、私もエタの娘なのです”
                         (第1部)

 この話は孝二にとって雑誌の中だけの話ではないです。与吉の顔は兄誠太郎の顔なのです。この与吉の告白は丑松の告白とはどう違うのでしょうか。同じなのでしょうか。

 大正一一年三月全国水平社が結成されます。同情とかあわれみ、いたわりというものではない「人間は生まれながらにしてみな平等に尊い存在だ」ということを原点として団結し闘うために。これはまさしく当然の動きだったと思います。この小説の登場人物も、みな元気に活躍します。読んでいて快いところです。
 しかし私がこの小説を終戦まで見てみたいというのは、この全国水平社の運動がどのように戦争に関わっていったのかをどう描くかということなのです。私は第五部、六部での関東大震災のあたりの記述が何故か不充分な気がして不満だったのです。朝鮮人虐殺、大杉栄虐殺等のことに対して、この小説の登場人物はみなすべてかなり怒りを感じているわけですが、それで本当かよという気がしてなりません。朝鮮人虐殺は不当なことなのだから、怒りを持つのは当然だとしても、その怒りの対象には、いわば日本人全体がなるべきで、この水平運動に関わっていた人々は唯一朝鮮人の味方だったような描き方には納得できないのです。こんな感じで戦争のことも書かれてしまうのかなと思ってしまうのです。全国水平社も積極的に戦争へのめり込んでいったのではないでしょうか。このままの描き方なら、この小説の登場人物はみんな戦争反対になって、国家の弾圧をうけちりじりになるはずです。はたして事実はどうだったのでしょうか。そしてこの人たちは小説の中でどう振舞っていくのでしょうか。 ここらのことをまともに見ていかないと、私は何もならないように思っているのです。

 この小説の題名の「橋のない川」とはなんでしょうか。この川は誠太郎孝二兄弟の母ふでがいつも見る夢にでてくる大きな川です。対岸には日露戦争で戦死した夫が出てきます。でも川を渡ろうとしても橋がありません。……もういまになればこの橋は架けられているのでしょうか。
 私は以下の吉本(吉本隆明)さんの中上健次に対する追悼文を読んだときに、何故かほっとしました。

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  <中上健次の文学の思想としての特長>
 島崎藤村が『破戒』猪子連太郎や瀬川丑松をかりて、口ごもり、ためらい、おおげさに決心して告白する場面としてしか描けなかった被差別部落出身の問題を、ごく自然な、差別も被差別もコンプレックスにはなりえない課題として解体してしまったことだとおもう。
 差別と被差別の問題は中上健次の文学によって理念としては終わってしまった。あとは現実がかれの文学のあとを追うだけだ。(「追悼私記−中上健次」)

 これだけのことを中上が生きているときに言ってあげればよかったのに。吉本さんの中上への文学への批判は「これはきびしいな」と感じていた。この追悼だけで、中上は生き返りたいほどの内容ではないだろうか。
    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
      
 橋を架けたのは中上の文学なのだ。多分住井すゑさんは、これを絶対に認めないだろうけれど、私にはもう間違いのないことに思えるのです。

 さらに第七部を読んで思ったことを以下書いてみます。

 いよいよ大正の時代がおわり昭和年代に入ってきます。
 どうやら水平社運動も全国的に展開され、作中の人物の動きも明るく感じられます。作中の子どもの言動にも、思わずじんとしてしまうようなことがまたあるわけですが、過去の時代よりは少しは救いがあるように思えます。みんな水平社の運動により、自分たちは団結することこそが大事なのだと知っているからだと思います。
 だから読んでいるとなんだか和やかな気持になっていることができます。でもやはり私は何かをいうべきだなと思いました。これは時代が次第に良くなり、水平社運動が正しく進んできたから、こうした展開になったのではなく、著者の筆が鈍っている、いやもっと言えば、いったいどこをみているのだとまで私は思ってしまうのです。
 昔沖縄返還運動のときに、以下のようなニュースが伝えられました。
 沖縄戦の最中、島の住民が集団自殺した島で、その住民たちの慰霊祭ということで招待された当時の守備隊長であった人物が、沖縄の教職員組合を先頭とする人たちに阻止されたという事件です。つまりこの元隊長は軍の威光を背景にして住民に集団自殺を命じた張本人なのだということなのでしょう。だがこのとき、この元守備隊長は「それなら本当のことをいおうか」と開き直ったといいます。
 この「それなら本当のことを言ってやろうか」というこの元守備隊長の言葉はいったい何なのでしょうか。私にはこのことをよくよく考えてみたく思っているのです。
 この元守備隊長がいいたかったのは、お前たち教職員たちこそが、住民が集団自殺するような意識を形作ったのではないのかといいたかったのだと思います。そうしたことを内省することなしに、他を責める資格などあるのでしょうか。
 私はこの第七部を読んでますます、これと同じように思ってしまいます。もはや第七部に出てくる人物はいい人間たちばかりです。全国水平社の運動はこんなものだったのでしょうか。これで著者は第八部、第九部と書き続けられるのでしょうか。これだとこの登場人物のすべてならびに全国水平社は、国家のために壊滅的に打ちくだかれるか、ひょっとしたら国家の戦争への道を阻止できているのかもしれません。だが、現実にはどちらの事態にもならなかったのではありませんか。
 朝鮮人朴相竜という人物が主人公たちの小森村に尋ねて来て、みんなでいっしょに食事をするシーンがあります。日本天皇制帝国主義から差別される、朝鮮人と部落民が心をわって会話するところは読んでいてとても気持がいいのですが、いったいこんなことがあったのでしょうか。このように表現できるのでしょうか。本来このような関係にあることこそが嬉しいことなのですが、私にはまったくありもしないことにしか思えません。これでは私がよく見るやくざ映画での朝鮮人問題ほどのきりこみ方もできていないと言わざるを得ないのです。
 全国水平社、部落解放同盟のやってきたことは、この小説に描かれるようなことばかりなのでしょうか。「本当のことを言ってやろうか」ということが必要なのではないでしょうか。彼等こそ、日本天皇制帝国主義の被害者なのではなく、むしろその中でその体制強化のために積極的に加担していった側ではないのかということを内省することができなければ、いったい何なのだと言わざるを得ないのです。
 昔この小説から映画が作られ、その映画が上映されるとき、その映画の上映に抗議して自殺した部落解放同盟の少女がいました。彼女の残したもの、書いたものなどを知りたいとずっと思ってきたのですが、未だにどこで捜せばいいのか分かりません。
 やはりどうしても「本当のことを言おうか」ということこそが大事なように思います。
 この住井すゑさんが亡くなりましたときに、私は以下の文を書きました。住井すゑさんのことです。引き続き読んでみてください。私のこの小説および住井さんへのこだわりがお判りいただけるかなと思います。(1993.11.01)

  追悼私記17「住井すゑさんのこと」



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2011年05月09日

杉浦日向子『江戸アルキ帖』

  江戸の女は全てがソウでないが、とにかく、感情が豊かだ。あ
 る人は、それを「子供っぽい」という。けれど、子供のあどけな
 さとは、どこか違う。もっと、したたかだし、いざとなれば、男
 が顔色を失う位に大胆である。直情的かといえば、ひどく婉曲的
 な表現を好む。ウブではない清純ではない。けれどすれっからし
 でもなく不良でもない。(文化三年六月一日<曇り>両国薬研堀)

11050814 テレビで杉浦日向子を見ていると、こうした文章がそのままあてはまる女性のように思えてしまいます。

書 名  江戸アルキ帖
著 者  杉浦日向子
発行所  新潮文庫
「サンデー毎日」1985年7月28日号より1988年1月31日号まで連載

 これで私ははじめて彼女の文と絵に出会いました。毎週日曜日にタイムマシンで江戸の町を尋ねるという内容で、行ったところについての文と彼女のカラーのスケッチから出来ている本です。江戸の町をどこもほとんど歩いているといいたいのですが、実際には江戸の下町のみを歩いていて、いわゆる山の手には少しも寄っていません。ちょうど彼女の歩いたところが、地図の上に描いていけるような気になってきます。彼女自身東京の下町の出身で、山の手から西南の方はほとんど知らないのだろうと思ってしまいます。
 最初紹介したところと同じところにある文章です。

  江戸の娘とは性(しょう)が合う。合うといっても、相手方の
 意見を聞いた訳じゃないから、正確には、江戸の娘の性が好きだ、
 というべきだろう。
  見る間にころころと表情が変る。ことらが怪訝な顔付きをすれ
 ば、向うも眉をひそめる。こちらが声を掛けると、ハイと振り向
 いた時には微笑んでいる。他人(ひと)から悲しい噂を聞けば、
 たちまち瞳をうるませ、からかわれれば両頬をぷうっとふくらま
 せる。マア、そのめまぐるしいこと、まるで小鳥である。

 こうした江戸の娘たちに、著者はタイムマシンで会ったわけではなく、現実に毎日のように顔を会わせていたのだなと思ってしまいます。私もほんのたまに下町のほうのお祭りのときなどに、こんな感じなのだろなという少女たちを見かけることが出来るように思います。
 江戸の時代、江戸の庶民の時代とはそんなに遠いことではなく、いまでも東京のどこかにあちこち潜んでいるんだろうなと思えてきます。そうした今の残っている江戸がこの著者は大変に好きであり、かつそれをこうした絵と文にできるのだろうと思います。
 ただ私が不満なのは、江戸の時代にタイムマシン旅行するとしたら、当時の食べ物や着るものや、お風呂屋を紹介するのはいいのですが、同じように毎日何度も世話になるトイレのことなども書いて欲しかったものです。あの時代のトイレがどのように存在し、どのように使われていたのか、書いてもらえないと、タイム旅行する人たちも不安ではないのですかね。ここらは大きなことだと思います。あの時代と今日の衛生観念の違いはかなり大きいと考えてしまいます。

 私が一番うなずいたところがあります。赤穂浪士の討入のことです。

  私はあの話がピンと来ない。なんだか格好が悪い。大の男が四
 十七人も歩いているのを想像するだけでも見苦しい気がする。ラ
 クビーの十五人、サッカー、アメフトの十一人でさえうっとおし
 い。せいぜいがアイスホッケーの六人か、バスケの五人だ。五、
 六人の男たちが討ち入りをする話なら、もう少しサマになるだろ
 うと思う。四十七人なんて戦争以外のナニモノでもない。野暮だ。
             (文化九年六月二十一日<晴れ>高輪)

 この「野暮だ」というところには、まったく「そのとおり」とうなずいてしまいました。あれは仇討ちではなく、「戦争」ですね。多分幕府もそのように判断したのではと思われます。
 それにしても江戸のことが、江戸の下町が好きで好きで堪らないのだなという著者の気持がどのページからも沸き上がってきます。それがこの本と著者の一番の魅力なのだといえるでしょう。(1992.11.01)

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2011年05月08日

子安宣邦『本居宣長』

 1970年11月25日三島由紀夫が、市谷で自刃したことに関して、吉本(吉本隆明)さんは、

  三島が<日本的なもの>、<優雅なもの>、<美的なもの>とかん
  がえていたものは、<古代朝鮮的なもの>にしかすぎない。また、
  三島が<サムライ的なもの>とかんがえていた理念は、わい小化
  された<古代中国的なもの>にしかすぎない。この思想的錯誤は
  哀れを誘う。かれの視野のどこにも<日本的なもの>などは存在
  しなかった。それなのに<日本的なもの>とおもいこんでいたの
  は哀れではないのか?
                     (試行1971年2月「情況への発言」)

といっています。そしてこの「日本的なもの」とは、本居宣長がつくりだした概念であるといいます。
「本居宣長」というタイトルにひきよせらて、この新書を読んでみました。れのです。

  本居宣長は(1730−1801)はたえず再生する。多くの
 変動と転換を経てきた近代の日本にあって、文化史上、思想史上
 の人物で、宣長ほど、その都度、高い評価をあたえられながら生
 き続けてきた人物は、親鸞などの仏教者を除いたらほかには見当
 らない。ことに戦争をはさんだ前と後の時期に、なお変わらない
 評価の高さを保ってきたことは、考えてみれば不思議なことでな
 のだ。宣長は近代日本のそれぞれの時代に、ある評価の高さをもっ
 てたえず再生するのである。

  私が再生というのは、直接に宣長その人をふたたび当代に甦ら
 せることだけをいうのではなく、「日本とは何であるか」を求め
 るような、日本人のする「自己(日本)」への言及、日本の自己
 同一性(アイデンティティー)を求めるような発言を近代のおけ
 る宣長の言説の再生だと見る、

11050704 著者は日本文化論宣長神話の解体ということで、宣長の「畢生の大業」である「古事記伝」の解体をしていきます。
 中国の史書に範をとった「日本書紀」ではなく、「古事記」にこそ「皇大御国=すめらおおみくに」の本当の姿があるという。「漢意=からごころ」でない日本があるという。だが漢意でない「やまとごころ」とはいったい何であるのでしょうか。
 それに対する宣長の答えは、「絶えず漢意を否定すること」と主張しているとしてしか思えないのです。これがこの著者の「古事記伝」解体なのでしょう。まったくそのとうりなのだと思います。
 だけどなぜ宣長はそう考えたのでしょうか。そしてまたたとえば、そんな宣長にどうして小林秀雄があこがれてしまったのでしょうか。

 ドストエフスキーやランボーに関する小林秀雄の文章を読んでいると、よくこれだけ読み込めるものだと感動してしまいます。それがこと宣長のことになると、どうしてああまで万歳してしまうのか。そこに三島由紀夫と同じ哀しさがあるような気がするのです。
 この本を読みおわっても、「なんだこれだけなのか」という不満が残りました。「本居宣長『古事記伝』解体」というような書名だったら、わざわざ買わなかったのに。「本居宣長」とあるのなら、宣長の源氏もやってほしかった。
 小林秀雄がはじめて折口信夫に会ったとき、「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ。ではさようなら」といわれたといいます。私にはこれが重要なのですよ。漢意を拒絶する本居宣長に肯定したり否定したりしてつきあって、いったいそれが何になるのだ。
「物のあわれ」に核心をおいた宣長の源氏こそ、絶えず再生する宣長の存在といえるのではないのか。
 平安時代、貴族の男たちは毎日漢文で日記をつけていました。そして婦女子が読む物語など、頭から馬鹿にしていたはずです。これは近代にいたるまでそうであると思われます。だが当の婦女子たちは、ちょうど少し前に現代の男の子たちがたちが、毎週「ドラゴンボール」を見たいがために「少年ジャンプ」買うように、あの時代の少女たちも、紫式部の物語を待ったことでしょう。そんな少女たちと、彼女たちの読む「物語」をきっとその時代の大人たちは愚かだと感じていたことでしょう(今と同じですね)。
 それを、それらの物語をはじめてまともに評価したのが、本居宣長ではないでしょうか。そこに私はいまも生きている、いまも再生する宣長を感じることができるのです。これが折口信夫がいいたかったことであると思います。宣長の怪しげな漢意を排するやまとごころなどにのっかって、自刃したりすることが、宣長を正当に評価していることではないのだ。
 またこの著者は宣長について書いてくれるのかな、などと思いますが、こんどはよく立ち読みしてから買いましょう。(1998.11.01)



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2011年05月02日

塩野七生『男たちへ』

11050206 とにかく「もう全作品読んでみよう」かと思っている塩野七生の「男性改造講座」という作品です。

書 名 男たちへ−フツウの男をフツウでない男にするための五四章
著 者 塩野七生
発行所 文春文庫

 最初の「第一章頭の良い男について」というところで著者は、丸尾長顕の「女は結局のところ、頭の良いのが最高だ」という言い方に対して、

  女とあるところを男に換えれば、私なども常々思っていたこと
 と同じであった。

といっています。

  つまり、ここで言いたい「頭の良い男」とは、なにごとにも自
 らの頭で考え、それにもとずいて判断をくだし、ために偏見にと
 らわれず、なにかの主義主張にこり固まった人々に比べて柔軟性
 に富み、それでいて鋭く深い考察力を持つ男ということになる。
  なんのことはない、よく言われる自分自身の「哲学」を持って
 いる人ということになるのだが、哲学といったってなにもむずか
 しい学問を指すわけではなく、ものごとに対処する「姿勢(スタ
 イル)」を持っているかいなかの問題なのだ。だから、年齢にも
 関係なく、社会的地位や教育の高低にも関係なく、持つ人と持た
 ない人とのちがいしか存在しない。
             (「第一章 頭の良い男について」)

 この頭の良い男の例として和田勉が向田邦子と丹波哲郎との「舌戦」を書いた場面が紹介されています。どうみても、丹波哲郎の優れた資質、優れた「頭の良さ」の前に、演出家も作家も少々分が悪いといったところです。著者は「頭の良い男、丹波哲郎に乾杯!」とまでいっています。
 しかしここで私が思ったのは、女である著者が男である丹波哲郎をこうした視点から評価しているというところなのです。そしてこうした視線は、この本の全般に現れてくるところのことなのです。
 私は「頭が良い」などというのはほめ言葉だとは思っていなかったのですが、「自分自身の哲学を持っているか」といわれると、なるほどまったくその通りだなと思ってしまいます。こうした視点から男を見ている女の視線があるとすれば、「おっとこれはまた真面目に生きなくちゃ」なんて思ってしまいました。 こうした著者の視線をつぶさに感じるわけですが、また同感だなと感じたところがいくつもありました。

  人前でさめざめと泣くことのできる男は、やはり少々ウサンく
 さい感じをまぬがれないのは、いたしかたないことである。悲し
 みに酔うのは、せいぜい馬鹿な女であってほしいものだ。
           (「第一二章 人前で泣く男について」)

 私も「さめざめ」という感じではないと思うのですが、よく泣く方だと思います。やっぱりウサンくさいかななんて思いましたが、いやまったく同じな思いをしたのは、以下の文です。

  ただし、ひとつだけ許される場合がある。それは、別れたいと
 告げた女に対し、ハラハラと涙を流しながら、留まってほしいと
 願う男の涙である。これは男と女が逆であっても同じだが、こう
 いう場合、涙を流すほうは、完全に自分の誇りもなにもかも捨て
 て対しているのだ。泣いて頼んでも結果が変わるという保証はな
 いのに、いやほとんどの場合は変わらないものなのだが、それで
 もあえて行うほうを選んだのである。そこには自己陶酔はかけら
 も存在しない。存在する余地がない。
  男と女の関係で「有終の美」を尊ぶならば、お互いにあっさり
 ときれいに別れるのよりも、どちらか一方が涙を流す別れである
 ような気がする。そして、こういう場合で流す男の涙は、男の涙
 の中では、唯一許されてしかるべき涙だと思う。
           (「第12章 人前で泣く男について」)

 確かに「お互いにあっさりときれいに別れる」なんてどうにも美しいとは思いません。こうした別れで流す涙なんて、男でも女でもいいものだなと私も思ってしまうのです。

 この本は全編著者のいうことにうなずいたり、笑ったりしてしまいます。あっさりいっていることでもおおいに納得してしまうところが多々あります。
「第30章 食べ方について」というところでの、アラン・ドロンへの評価にはまったく同感だと思ってしまいました。ダーバンの宣伝コマーシャル・フィルムでのドロンは、他の編では見事なできばえなのに、食事の編だけは感心できない、それは「彼は、いわゆるテーブルマナーとされることを、あまりにきちんと守りすぎたのだ」というところにあるといいます。「太陽がいっぱい」の下層階級からのし上がるようなドロンはいいのだが、それがどうしてあんな食事のシーンになってしまうのだというところでしょうか。演出の問題ではなく、ドロン自身の問題なのです。いっそダーバンの背広にソースでもかけてしまっても平気な顔したドロンであればいいのかなというところだと思うのです。

 また原則主義者の不幸について述べているところも面白かったものです。
 西欧では自由党の勢力はどこでも減退しているとのことです。

  自由党は、原則に忠実な男たちの集まりなのである。
  彼らはいちように、頭の良い男たちである。知的水準も高いし、
 生まれも慨して良いから、立居振舞いもジェントルマンそのもの
 だ。
  しかも、彼らの考えていることは、正しいのである。政策を聴
 いているかぎりは、なるほどとうなずくくらいに、正論の連続な
 のである。だが、それでいて、有権者の支持は得られない。得ら
 れはしても、少なすぎる。
  これは、この人たちの態度に問題があるのだ。彼らは、自分た
 ちは正しいことを主張していると信じているから、それが支持さ
 れないのは、有権者が悪いのだと思っている。正論を主張するこ
 とで、彼らにしてみれば、自分たちの責任は立派に果たしたこと
 になるのだ。だから、なにかの手段を通じて、それをわからせよ
 うとする行為を軽蔑する。なにしろ悪いのは、わからない有権者
 のほうなのだから、そうまでする必要を認めないのだ。
  まったく、これこそ原則主義者の典型である。
             (「第31章 不幸な男(その一)」)

 では我が日本ではどうして同じ自由という名をかぶせる自由民主党が三十年以上政権を維持しているのでしょうか。

 原則に忠実であろうとなど、まったく考えなかったからだ

というのです。思わずにやりとするところです。逆にまた、西欧における自由党の「自分たちは正しいことを主張していると信じているから、それが支持されないのは、有権者が悪い」という姿勢は日本でいえば数々の市民主義勢力であるように思います。西欧の自由党同様、いつまでも大衆の無知こそがいけないのだと怒り続けるのでしょうか。「自民党もいけないけれど、それに投票している大衆もいけない」などといったって、まだ君たちよりは自民党とやらに投票する大衆のほうがずっとましなのですよ。それが判らないかぎり、西欧の自由党と同じ様に「将来はないと断言できる」。
 またこの著者の本は読み続けたいと思います。

 ただちょっと近頃気になるのですが、現在の日本の不況のこととか、政治情況のこととかについての著者のインタビュー記事などをよく見かけるのですが、できたら慎重に文章でやって欲しいな。ローマの歴史が今の日本の参考になるのだというのなら、著者がいつもやるように緻密に論じていただきたい。私はそうすればきっと読み込める論を展開してくれるように思うのです。(1998.11.01)



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2011年05月01日

亀井勝一郎『大和古寺風物誌』

11050108  1907年(明治40)2月6日〜1966年(昭和41)11月14日の生涯でした。転向して、日本浪漫派に属していたのですね。私が高校2年のときに読んだ本です。
 この人の仏教、中でも親鸞に関する文章はいくつか読みました。だがなんと言いましても、私はこの本の印象が強いです。ただし、単に大和の古寺を歩いている話ではないのですね。
 私なんかは、いくつもの仏像はいわゆる美術品として見てしまいます。だから、これらの作品は大事にしていかなくてはとは思います。でも彼には、これらを大事な美術品としてではなく、深い信仰の対象として見ているし、そして日本がそうすべきだと言っているようです。
 私もあの飛鳥地方はある秋の日に歩いた思いがあります。いい天気でいい路でした。実に大切な路だと思いました。
 でも私には信仰として仏像を見ることはできません。
 ただ、この本はもう一度読んでみようと思ったものです。(2011.05.01)


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2011年04月30日

フロイト『夢判断』

11042907  これはいつ読んだのかな、と思い出していました。『精神分析入門』を読んで、その『続』を読んだあとだから、高校3年のときですね。思い出せば、高橋義孝の翻訳した本だったのだ。そんなことを思い出しました。
 夢はいつも見ています。そして私は自分のホームページの中に『夢の中の日常』という部屋を設け、いくつもの夢を書いてきていました。これはもちろん「島尾敏雄『夢の中での日常』」を真似したものです。今後もっと書いていかないといけないな、と思っています。書いて置かないと、その夢のことはすべて忘れてしまうのです。私は過去のホームページはできるだけ今のブログに移し変えていますから、ここで書いた過去の記録もまた書いているかと思います。
 今後、この自分の部屋を復活し、見た夢のこともちゃんと記録していくようにします。 それと、今「夏目漱石『夢十夜』」を思い出しました。また読み直して、また考えてみます。思えば、こうしてまだまだたくさんやることがあるのですね。
 とにかく、毎日見ている夢もできるかぎり書いておこうと思っています。(2011.04.30)


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2011年04月29日

宮本百合子『伸子』

11042820  私は1969年8月20日に東大闘争の1月19日の安田講堂で逮捕されてから、起訴勾留後の保釈になりましたが、そのあと9月18日の芝浦工大事件というので、この年の12月10日に逮捕されました。
 それで、今回も私は接見禁止でしたが、私の当時の彼女が裁判所の許可をとって本を何冊も差し入れてくれたものです。もう今回は実に長いムショ暮らしになるだろうからと、私の読む本のリストは膨大なものになっていました。それを何冊も少しづつ差し入れてくれるわけですが、そのリストの中に、私は宮本百合子の『伸子』を書いていました。『播州平野』も書いていたわけですが、とにかく文庫本で一冊のこの本も入ってきて、仕方ないから読むことになります。私が予想した通り、実につまらない嫌な本でした。
 戦前にニューヨークに住んだ主人公が伴侶を見つけて一緒になります。最初はいい夫婦生活ですが、次第にこの生活が嫌になり、この男性と離婚します。そのことが書かれた小説です。もう読んでいて、投げ捨てたくなる小説です。私は留置場の中にいるわけで、私の本を他の留置人にも貸していました。私のたくさんある本はみな喜んでくれたのですが、この本だけは私は「これは面白くないよ」と言って貸しました。誰も、「本当に面白くない本だね」と言ったものです。
 唯一、私と同じく「殺人」という罪名が書かれた札が貼ってあったK・Aが(珍しく女性でした)、「これはいい本だよ。あなたたち男には、この女の気持は分からないさ」といいました。でも今に至るも、私には,この小説の伸子の気持は少しも判りません。私にいわせれば、くだらないつまらない本です。
 ただし、中学2年で読みました中條ユリ時代の『貧しき人々の群』は少しは面白かったような気持はあります。
 あ、以下にも書いていました。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/51006852.html
                            宮本百合子『伸子』を思い出した

 でもまあ、このくらいを思い出しました。(2011.04.28)



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サマセット・モーム『月と六ペンス』

11042816  モームは1874年1月25日〜1965年12月16日の生涯でした。フランスのパリ生れということで、「イギリス人の作家なのに、こうしてゴーギャンのことを書いたんだなあ」という思いが(少し疑問でした)が氷解した思いです。
  私はこの作品を高校2年生のときに読んでいます。最初に『人間の絆』(中野好夫訳)で読みまして、次にこの作品を中野好夫訳で読んだものです。私の思いでは。『人間の絆』より、この作品のほうが強い印象がありました。題名「月」は夢を、「六ペンス」は現実を意味するということです。
 サラリーマンを何故か棄てて、タヒチへ行って絵を書き出してしまうゴーギャンのことを書いています。ただし、読んでいても少しもゴーギャンのことをよく描いているとは思えません。なんだか、「嫌なやつだなあ」としか思えないのです。
 この頃、ゴッホが自分で片耳を切ったことになっていましたが、実はゴーギャンが喧嘩して切ったようだということを知りました。ゴッホがかばっていたのですね。
 この作品の中でも、このゴーギャンはどんな人物かよく判りません。そのゴーギャンはタヒチでこの作品の中で最後大きな壁画を描いています。だがそれは彼の遺言で燃やされてしまいます。それを描いたゴーギャンはハンセン病にかかっていて、驚くことにその彼には目が見えなくなっていたはずなのです。
 実際にゴーギャンはタヒチではなく、マルキーズ諸島で亡くなっていますし、この作品ではゴーギャンはイギリス人になっていますが、実はフランス人でした。その他いくつもの点が違いますが、私たちにはゴーギャンとはもはやこの作品での姿だと思ってしまいます。(2011.04.28)


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上田敏『海潮音』

11042815  上田敏は、1874年(明治7)10月30日〜1916年(大正5)7月9日の生涯でした。
 私は岩波文庫の『上田敏全訳詩集』を持っていましたが、引越しでもうありません(下北沢の古書店に売りました)。
 私が一番好きなのは、この『海潮音』の「シャルル・ボドレエル『信天翁』(おきのたいふ)あほうどりのことです」です。これは私のブログの以下で読むことができます。

 http://shomon.livedoor.biz/archives/50884532.html
       「東京都北区王子のホームページ」 の11

 いつも身近に置いていた文庫本でしたが、今はもうそばにはありません。でももう思えば、インターネット上ではいつも読むことができるから、それでいいわけなのですね。
 いや、実は困りました。インターネット上で、信天翁を「おきのたゆう」と読んでいるサイトもあって、私は一貫として、「おきのたいふ」と読んで、それで暗記していたからです。
 でも「よみ」もけっこう大変なことですね。(2011.04.28)



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2011年04月28日

バーナード・ショー『人と超人』

11042805  アイルランド出身のイギリスの劇作家です。1856年7月26日〜1950年11月2日の生涯でした。私は中学3年のときに、この戯曲を読んでいます。鹿児島でも家から随分遠くの古書店で偶然手に入れたものでした。市川又彦訳の岩波文庫でした。
 シャイクスピア以来最大の劇作家と言われています。ただ私には、この人の社会主義へのシンパシーなんか少しも評価できません思いでした。
 人間がいつかは『超人』となるという変化を考えたのかなあ、なんて思いました。
 バーナードショーの言葉で、思い出すのは、以下です。

 人が虎を殺そうとする場合には、人はそれをスポーツだといい、虎が人を殺そうとする場合には、人はそれを獰猛だという。罪悪と正義の区別も、まあそんなものだ。

 いつも、こんな辛辣なことを言っていた作家なのだという印象のみがあります。(2011.04.28)



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山本有三『路傍の石』

11042802 山本有三は1887年7月27日〜1974年1月11日の生涯でした。私は中2の5月に読んでいる作品です。同じ月に『波』『風』『真実一路』を読んでいます。どの作品も好きになれなかった思いがあります。だがどうやらこの作品を思い出しました。
  でも何年か前に家族4人で三鷹市の「三鷹の森ジブリ美術館」へ行ったときに、駅から玉川上水のそばを歩くときに、「山本有三記念館」を見て、そのときに遥かな昔に読んだいくつかの作品を思い出しました。

 でもこの作品は非常に辛い内容ばかりです。そして未完だったと思い出しました。なんでこんな辛い作品を書くのでしょうか。私は嫌になるばかりです。
 そもそも題名も嫌いです。たしか、私のそばに、私は1年くらい前にたまたま柳田公園の入り口に落ちていた石を拾ってありましたが、今見るとまたありました。いつも捨てようかと迷っています。また同じ場所に捨てるべきかなあ。
 想い出せば、Niftyのある会議室に「路傍の小石」さんという昭和一桁の女性がいましたね。日露戦争のポーツマス条約のことで、マッカーサー元帥のお父さんの話(彼はこのときは取材する新聞記者)をしたものでしたね。靖国神社の修猷館にも行ったものでした。
 この作品の主人公愛川吾一は辛い人生を送っています。これを読んで、読んでいる私たちにも辛い境遇にも負けないで頑張れといいたいのかな。いやそうは思えません。だから作者はそのまま書き続けることができなかったのでしょうね。

 なんとなく、こんな暗い辛い小説を少年に読ませるというのは、ただただよくないなあとしか思えません。
 山本有三は、久米正夫の「破船」事件のときには、久米に対して誹謗中傷する怪文を送りつけました。これでは吾一は永遠に救われません。そのことだけを思います。私が中2のあとはこの著者の作品は一つも読んでいません。(2011.04.28)


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2011年04月23日

鄭念『上海の長い夜』

11042115書 名 上海の長い夜(上下2巻)
著 者 鄭念(ていねん)
訳 者 篠原成子、吉本晋一郎
発行所 原書房

  この本も読みはじめたら、たちどころに読まねばならない感じです。主人公がどうなってしまうのかという思いで、一気に最後のページまで至ってしまいました。いろいろなことを考えました。吉本(吉本隆明)さんの「アジア的」ということ、「収容所群島」をはじめとするソルジェニーツィンの数々の作品。それにジョージ・オーウェル「1984年」を思い出しました。

  日本でどれくらいの人がソルジェニーツィンを読んでいるのでしょうか。「収容所群島」においてはかなりなことがあきらかにされています。人類史上はじめて人間を解放するものと考えられたものが、逆に史上最大の陰惨な大衆弾圧と殺戮の場となってしまった。そしてそれは従来考えていたように、スターリンにその責任があるのではなく、レーニンの中にこそその根源があるということが述べられています。ソルジェニーツィンはレーニンの出したたくさんの指示文書の中からそれを抜き出しています。私も読んで「え、レーニンがこんなことまでいっているのか」と驚いたものです。そしてそのレーニンの犯した誤謬とは、吉本さんのいう「アジア的」な問題と、国家の捉え方によるのだろうと思うのです。アジアの巨大な専制政治の残忍さと

  国家はある階級がある階級を支配するため暴力装置

というマルクス国家論の間違えた捉え方レーニン「国家と革命」によると思われます。随分大昔にテレビで見たのですが、ソルジェニーツィンは内村剛介の問いかけにこう答えていました。

 内村「ではスターリンではなく、レーニンにその問題があったの
   でしょうか」
 ソルジェニーツィン「いやレーニンに帰せられるものはほとんど
          ありません。悪いのはマルクスです」

友人と一緒に見ていて、私たちは声をあげて笑ったものでした。
 私は吉本さんが「アジア的ということ」という文の中でソルジェニーツィンを引用しているところを読んで、随分と納得できたものです。しかしそれにしてもソルジェニーツィンをこうして読み込めるのはまたしても吉本さんだけなのかもしれません。

 そしてこの「上海の長い夜」なのですが、まさしくこれらのことのすべてが提示されているように思いました。これは中国の文化大革命で作者の実体験が書かれています。彼女を弾圧取り調べする側からはいつも「国家はある階級がある階級を抑圧する道具である」というレーニンの言葉が、レーニン亜流の毛沢東の言葉がしばしば出されてきます。したがって彼女を拘置している刑務所は、昔は国民党が共産党を抑留していたのだが、今はこうしてプロレタリアがブルジョワ階級を抑留しているのが当然というわけです。しかしこの国家論はいまでもこの日本でもたくさんの党派がたくさんの人が信奉しています。「愛国心教育」などどはずかしげもなくいう、共産主義者とやらがいますからね。
「祖国と学問のために」なんていう機関紙だしているのは一体だれだろう。
 国家に期待してしまっているたくさんの人たちがいます。数々の政治献金等々の問題で検察が駄目だと非難する輩、国鉄が民営化されることに反対していた連中、みんな国家に期待しています。国家と資本が対立すると、やはり国家を支持してしまう人たち、いったい何なのでしょうか。
 この作者は最後は国を棄てます。そうなんです。彼女に対して国は何をやったのでしょうか。一人娘を殺し、彼女を6年半収容所に抑留しただけです。文化大革命のときほど、大衆が政治に夢中になった時代もないでしょう。そんな事態は最低の時代なのです。選挙のときに投票率が圧倒的に高いところなんかは、私はけっしていいところだとは思わないわけなのです。

「1984年」で描かれている世界は、この「上海の長い夜」の世界です。やはりジョージ・オーウェルの予想した未来社会は本当にあったのですね。「1984年」の主人公の仕事は、昨日まで敵国や味方であった国が、その逆になると、あらゆる記録文書を逆に作り替えたりすることです。 この「上海の長い夜」でも、文革の最初は、劉少奇、トウ小平が批判され、やがて「非孔非林」ということで、林彪派が失脚、周恩来も「非孔」という名目で狙われます。そして最後は「四人組逮捕」で、今度はまた江青以下が批判される。そのたびに中国の民衆は、それぞれ誰もが最初から悪かったというのを覚えさせられ、スローガンを叫ばねばならない。まったく「1984年」の世界です。
 作者が中国を出る決意をするのは、やはり無実が証明されたとしても、もうこの国家そのものが信用できなかったのだと思います。

  私自身が祖国に忠実でありたいと懸命になったことは、神様は
 ご存知でいらっしゃる。それにしても、私は失敗した……………
 それが私自身の落ち度によるものではなかったが。

 彼女がカナダやアメリカに落ち着いたときの気持を想像できます。あの全体主義の中からやっと抜け出せたのですから。そして私は考えたのです。日本がこんな国になったとしたら、私はどこへ逃げ出せるのだろうかと。やはりそうならないように、日々生きていくべきなのでしょうね。
 それにしても、できたらこの本が中国語に翻訳され、たくさんの中国の人に読まれることを願います。(1998.11.01)



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2011年04月22日

ダンテ『神曲』

 私は前に以下をUPしています。

   ダンテ『新生』

 これを読んだのが、中学3年の春5月のことでした。読んだのは岩波文庫でその訳は山川丙三郎でした。次に『神曲』を読んだのは、高校1年の秋のことでした。これは筑摩書房の「世界古典文学全集」で訳は野上素一でした。
11042107  ダンテは1265年から1321年9月14日の生涯でした。イタリアのフィレンツェ生まれの詩人です。
 この物語は、ダンテ自身が地獄煉獄天国を見て回ります。その案内をしてくれるのがウェルギリウスです。私はまだ「ウェルギリウス『アエネーイス』」を読んでいなかったので、高校2年のときに読んだものでした。
 地獄の一番奥底の地球の核には、イエス・キリストを裏切ったユダと、カエサルを暗殺したブルータスとカシウスがつながれています。私にはイエス以前に生きていたブルータスとカシウスは、「なんでなんだ」と不思儀だったものです。
 地獄から煉獄を歩く中で、最後ウェルギリウスは煉獄の最後で、天国へはいけません。ウェルギリウスはイエスの存在以前の人間ですから、天国へは行けないのです。そこで天国へダンテを導くのが、ダンテの初恋のベアトリーチェなのです。最後は聖ベルナールがダンテを案内します。
 この世界を動かすのが神の愛であることを知るわけですが、でもベアトリーチェの存在がものすごく大きいのです。
 この『神曲』は当時すべての書物で書かれていたラテン語では書かれていません。イタリア中部のトスカーナ地方の方言で書かれているのです。このことも大きなことだったでしょう。(2011.04.22)



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2011年04月19日

橋本左内『啓発録』

 安政の大獄でわずか26歳で処刑された橋本左内が、15歳(満14)にて執筆した「啓発録」を読んでみました。この本には「啓発録」のほかに、左内の書簡や意見書、そして漢詩等が載せられています。

書 名 啓発録
著 者 橋本左内
発行所 講談社学術文庫
1982年7月10日第1刷発行

11041804 まだ少年であった左内が書いた「啓発録」には驚いてしまいますが、私にはいくつもの書簡や意見書を興味深く読むことができました。歴史上での彼の存在を見ることができるからです。やはり幕末の日本には稀有な才能の持ち主であり、処刑されてしまったことは、非常に残念なことであると思います。
 またいくつかの漢詩ですが、詩吟の世界では身近な詩人ですから、実に親しんで読んでいくことができます。「この語句はきっと菅原道真の詩から引用したものだろうな」なんて、推測しながら読んでいけるのです。
 ただ、この本を読んで一番よかったのは、最後にある平泉渉氏の「偉大なる先哲景岳先生」と題した昭和56年10月に行われた講演記録です。平泉氏といえば、昭和49年4月自民党参議院議員のときに、「外国語教育の現状と改革の方向」と題する試案を自民党政務調査会に提出して、上智大学教授の渡部昇一氏がそれへの反論をして、それから二人の間で「英語教育大論争」と呼ばれる論争をしたことで、私には印象深い先生であります。

 この論争では、どうみても私は渡部昇一の方に身を入れてしまい、平泉氏のほうは「なんだか分かってないな」という思いだったのですが、この講演記録を読んで、改めて平泉氏のいい資質も知り得た気がします。平泉氏にとっては、同じ故郷の橋本左内は、大事な敬愛してやまない先輩のようです。
 平泉氏によって知ったことは、橋本左内と僅かの期間しか触れ合うことができなかった西郷南洲隆盛が、実に明治10年城山で最後を遂げるまで、約20年間左内の手紙を肌身離さず持っていたという事実です。西郷という人はなんというすごい人なのかと思うのですね。すごいというか、なんだかとてつもなく不思儀な魅力をおぼえてしまう存在なのです。きっと左内にこそ大いなる友情を感じていたのでしょうね。そして本当なら二人で生きて、あの維新を完成させたかったのでしょう。彼が生きていれば、あんな中途半端な維新で終わらせなかったという、そんな西郷の思いがいままた伝わってきます。そして西郷にそうした思いをさせた橋本左内という人も大きな人物だったのだろうなと感じることしきりです。(1997.09.23)



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2011年04月16日

兵頭正俊『死了魁

 バルザックの作品はすべて連作の世界だといいます。私は「谷間の百合」しか読んでいないから分かりませんが。それで以下紹介する作品も長大な連作のなかのひとつの作品です。

書 名 死了
著 者 兵頭正俊
発行所 鋒刃社

 この作品は作者の「全共闘記」とされる連作の世界の第5作目にあたります。

 <全共闘記>は、近代の総体を否定するという動機のもとに、方法
 としての創作思想の転移を、対象的現実との格闘のうちに文学的
 に形象化するというもんだい意識につらぬかれた連作の作品世界
 である。(「死了魁廚△箸き)

 以下の作品群がこの「全共闘記」です。

1.助け舟
2.霙の降る風景
3.二十歳
4.猶予の四日間
5.死了
6.三月の乾き
7.
8.狼煙
9.鏡の国の政治家
10.明日に
11.希望

11041502 第7作は、現在書かれているのか、筆をおいたままなのか分かりません。また6作目の「三月の乾き」も未だ単行本としては出版されていません。私は出版されているものはすべて読み、さらにこの著者の評論もすべて読んできました。2.3.4.5.6は69、70年の立命館闘争にその舞台をおいて作品が展開されます。その中で、この「死了魁廚一番迫力があり、また量的にも一番長い小説でもあります。

 この小説は、左翼の運動の中でのある党派の査問殺人事件を描いています。この左翼運動とは立命館闘争の中で展開されています。そしてそれが単なる左翼運動の思い出を書いているかと思うと、まったく別なことが事件の深層にあることに驚くことになります。それは作者自身は自分のことを「新」左翼潮流のひとりではないといっていることに関係あるのでしょう。
 そしてこの作品の質をさらに濃くしているのは、この物語の展開と同じに、源実朝の暗殺事件が進行描かれていきます。実は私にはこの実朝の話のほうが興味深く読めたのです。
 それは私にとってこの作品が、小林秀雄「実朝」、太宰治「右大臣実朝」、吉本隆明「源実朝」の次に読んだ実朝に関するものだったのです。これを読み終ったあと、またほかの「実朝」を読み返し、やっと「実朝」が分かった気がしました。

 物いわぬ四方の獣すらだにも哀れなるかな親の子を思う
 いとおしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる
 箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ
 大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも

 いったいどうしてこれらの歌を正岡子規は万葉調の力強い歌といったのでしょうか。さびしげな実朝の姿が浮かんでくるだけではないのでしょうか。私には沖の小島が母政子であり、寄る波が実朝であり、それがわれてくだけるさまがみえてきます。
 尼姿の政子がこれらの歌を読みながら「それでもわたしには、夫頼朝のつくったこの幕府が大事なのだ」とつぶやいている姿がうかんでくる気がします。鎌倉幕府ってのは、最初から最後まで暗く暗く、そして生真面目なんですね。 この小説の最後に実朝暗殺の模様を北条義時と暗殺者(この小説では、公暁に似た冠者)が語るところがあります。

 「それで将軍は逆らわれたか」
 「いえ。将軍はあくまでも冷やかに、太刀を抜かれることもなく
 ……ああ、おもいだすのも怖ろしい」
  冠者は、まるでそうすれば先の暗殺の光景を忘れることができる
 というかのように両掌で耳を被う。
 「なす術もなく一太刀受けたというのじゃな」
 「そうではなかったのでございます。……怖ろしい……。将軍は
 わたくしの姿をお認めになるとまるで叱るように近づいてこられ
 ―」
  そこまでいうと、どのような恐怖が蘇ってきたのだろう、冠者
 の土いろの唇がぶるぶると顫え始める。
 「叱るように?」
 「御意。叱るようにお近づきになり、……ああ、怖ろしい……」
 冠者はふたたび両掌で耳を被うと、何かを振り切ろうとするかの
 ように激しく頭を振った。「将軍はこう仰せられたのでございま
 す。公暁殿、ナゼ、ソナタハワタシヲ刺シタノカ」
  なぜ刺したのか? 刺したのかといういい方は妙だと思いなが
 ら、義時は冠者の顔を凝視した。
 「刺されてから実朝がそう叫けんだというのか」
 「……それが刺される前に、まるでお叱りになるように……」

 私も実朝の最後はこうだったのではないかと思うのです。

 この実朝をめぐる政治の流れが、私たちの時代の左翼の運動の中にあったことと同じだというのが作者のいいたいことなのでしょうか。
 ただ、私には、私たちが実際に携わった三派全学連・全共闘の時代というのは、たんなる反戦闘争とか学園闘争というのではなく、実に「血みどろの政治」であったかと思います。この小説での査問殺人事件と、実際の私たちの時代にあった「死」とはまったく同じ匂いがするのです。私たちの手もまた血に染まっていたのかなと思ったものでした。(1998.11.01)



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プーシキン『スペードの女王』

11041501  プーシキンは、1799年6月6日〜1837年2月10日の生涯でした。
 ただ私には彼のことというと、片親がアフリカから来た黒人であったという思いだけでしたが、この頃になって正確に知りました。彼の母親の祖父のガンニバルが、ピョートル大帝に寵愛された黒人奴隷上がりのエリート軍人だったのですね。
 私がこの作品を読んだのは、中学2年のときでした。岩波文庫で神西清の訳でした。この小説を読んでから、トランプのスペードのクイーンのカードを見ると、いつも心のなかで「スペードの女王だ!」と叫んでしまっています。
 私はプーシキンは好きなので、その他の作品もけっこう読んでいます。今では、青空文庫で岡本綺堂の訳で読めるのですね。岡本綺堂というところにいささか驚いてしまいます。(2011.04.16)


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2011年04月05日

隆慶一郎『花と火の帝』

11040405 私が隆慶一郎の作品で最初に読んだのは、『吉原御免状』でした。そしてそのあとは『かくれさと苦界行』を読んでいきました。ただどうしてもこの作家の作品には馴染める思いにはなりませんでした。
 思えば、どうしても私は小林秀雄を好きなことは間違いないことだったのです。やはりどうしてもアルチュール・ランボー『地獄の季節』(岩波文庫)の訳者の小林秀雄は忘れることができません。
 でもそんな小林秀雄に囚われているとしか思えない著者の作品には嫌になったものでした。この二つの作品で、主人公松永誠一郎に執拗に襲いかかるのは闇の柳生軍団ですが、これこそが小林秀雄なのです。だが、小林秀雄は実際にはそれほどの人物ではなかったように、その柳生のあとと言っていいだろうときに書いたのが、この作品なのです。
 その最初の二つの作品の主役の松永誠一郎とされたのは、実は誠一郎は後水尾(ごみずのお)天皇の落胤と言われているのです。
 この天皇は、大坂夏の陣が終わったあと、徳川幕府の最大の敵になりました。この帝のことを書いたのがこの作品です。ただし、この作品も作者の死で未完で終わりました。

 私が27歳のときに、京都の修学院離宮へ行きました。この後水尾上皇が作られた大きな庭園です。私はいつもこの離宮の中を後から、「もっと早く歩くように」と園の係に執拗に言われ続けました。その係の方の声とこの作品をいつも思い出しています。
 思えば、この天皇に関しても、少し書いていこうかなあ。



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2011年04月02日

谷田和一郎『立花隆先生、かなりヘンですよ』

書 名 ───「教養のない東大生」からの挑戦状───
    立花隆先生、かなりヘンですよ
著 者 谷田和一郎
発行日 2001年12月17日初版発行
発行所 洋泉社
読了日 2001年11月15日

目 次
第1章 インターネット教伝道師の奇説、珍説、誤説
第2章 人工知能とのハイブリッド進化という立花流妄想を検証する
第3章 宇宙開発をめぐる現実離れした願望の背後にあるもの
第4章 環境ホルモンと遺伝子組換え食品をめぐる主張の奇々怪々
第5章 まだまだあるぞ、こんな間違い・あんなミス
第6章 立花思想の本質的な欠陥は何に由来しているのか
第7章 オカルティスト立花隆の実像
第8章 立花隆の功と罪―「知の巨人」から「知の虚人」へ

11040101 電車の中で、それこそうなずいてばかりいました。私が立花に対して、ずっと抱いてきた思いをすべて書いてくれている気がしてしまうのです。まったくこの通りの人物が立花隆です。私は彼のやること書くことがどうにも信用できないことだらけでした。
 そしてそれが明確に露出してきたのが、彼のインターネットへの発言です。「この人は、インターネットのこともパソコンのことも何にも判っていないのじゃないの」ということを感じていました。
 できたら、フジテレビの木村太郎と一緒に、インターネット上でチャットしてくれないかなと思っていました。お二人ともできないのじゃないの。
 さて立花さんは、これにどう反論するのかな。無視するんじゃないかな。もはや終わった人ですよ。(2001.11.15)



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2011年03月31日

北杜夫『楡家の人々』

11033006 この本はいつ読んだのかなあ、と思い出すのですが、たぶん高校2年のときでしょう。この作家の作品はけっこう読んできたものでした。楡基一郎という精神病院の院長が東京青山でその病院を経営しています。これはものすごい権威ある病院なのです。この院長が、北杜夫の父斉藤茂吉がモデルなのですが、この作品で歌人としてしか知らなかった茂吉がこんなすごい人だった(すごいというのかなあ?)ということを、私は知ったものです。
 もう楡家の家族はみな不思儀と思える人物ばかりです。基一郎の末っ子の米国(よねくに)は、日米戦争になったときに大変な思いになります。彼は、米国というのは、アメリカ米国(べいこく)ではなく、豊葦原瑞穂の国のことなのだと言い続けます。そして彼は徴兵され、中国大陸を、「ああ、もうダメだ」(実は私は言葉をはっきり覚えていない)とつぶやきながら、ずっと進んで行きます(当然戦死したのでしょうが、そのことは書いてありません)。
 北杜夫は、「どくとるマンボウ」のいくつもの作品と、『夜と霧の隅で』も読みまして、『或る青春の日記』も楽しく読みました。
 そうですね、この『楡家の人々』はもう読み直す気持はありませんが、他の本は何冊か読みなおそうという気持になっています。(2010.03.13)


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