将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Category: 周の雑読(文学哲学篇)備忘録

11032920 随分前になりますが、セゾングループの第一線をしりぞいた堤清二がたしか日経産業新聞に書いていたことで、印象に残こったことがあります。それは「ツカシン」をつくるとき、彼は当初の企画案のとき、街にはゴミゴミした部分が必ず必要だから、それも盛り込むようにと提案したという。つまり新宿のしょんべん横町やゴールデン街の必要性をいったのですね。私はやっぱり彼もまともなのだなと思い嬉しくなりました。もっとも、社長からそんなこと言いだしては困るということで、企画にその部分は盛られなかったようですが。
 私はゴールデン街が好きですが、いずれ地上げされてしまうのは仕方ないかなと思っています。だけどそのあとにつくる街が問題なのです。たとえ何階建ての大きなビルだとしても、そこにあのゴールデン街の雰囲気を残してくれればいいんです。オカマやキャッチのおねえさんが、ところどころ立って声かけたり、流しがあちこちのぞいていたり、12時すぎてもまだ開店していないところがあったり、ついでに新宿やぶれ傘一家の母袋の親分さんが、路上で涼んでいたり………そんなビルの街ができればいいのです。私の友人でもっと以前にそんなプランをだしているのはいるのですけれどね、
 そのセゾングループのリーダー堤清二のもうひとつの顔、詩人辻井喬の代表作といえる小説です。

書 名 彷徨の季節の中で
著 者 辻井喬
発行所 新潮文庫

 予想していたことですが、堤一族とは凄まじい一族ですね。それは猪瀬直樹「ミカドの肖像」の衝撃とはちがう、堤一族へのおどろきです。「ミカドの肖像」の場合は著者の意向とは別に、「このぐらい西武がやるのはむしろいいことじゃないの」なんてところがあります。ところがこの小説は「おいおいここまで身内のこと暴露しちゃっていいのかよ」と心配になってきます。
 もちろん小説であるわけですから、あくまでフィクションというわけでしょうが、私にはいや多分読む人なら誰にも、すべて現実にあったことを書いていると思われます。小説には、清二も義明も、長男清も、清二と義明の二人の母親も、父康次郎もそのままでてきます。そして激しい、親子の軋轢確執もそのまま。
 私たち西武グループのこと話すとき、「どっちっていったら、俺らは清二に肩入れするのが筋だろうな」なんて話します。学生運動で彼は、やはり反代々木系の先輩になるわけですから。その彼が挫折した共産主義運動もこの小説の中で大きく扱われています。私たちがよく知っている、先年亡くなった活動家も若き姿ででてきます。
 清二と義明、この経済界の二人のニューリーダー、さまざまに比較されたりするわけですが、私は清二を評価します。なにかいっぱんには、結局セゾングループの驚異的躍進も義明のもつ膨大なる土地資産のお蔭で、清二は義明に頭があがらないのだというような見方がありますが、私はそう思いません。渋谷のパルコの果たした役割、有楽町西武の進出による銀座の活性化、東京拘置所あとのサンシャイン、「ぴあ」との提携等々考えると、彼の変革への挑戦の熱情を深く感じとることができます。
 義明は父康次郎のやったことをそのままひきついでいる(異論は当然あるでしょうが)としてしか思えません。この小説のなかで、多分東京大空襲のときのことだろうけど、麻布の堤一家のおおきな屋敷に、被災者がはいってこようとするのを、父康次郎が部下にこう命令するのがあります。

 「難民を一人もこの中に入れるな。家の燃えるのはかまわん」
 「いいか、一人も入れてはならんぞ、無理に入ろうとする者があっ
 たら叩き出せ、不法侵入だ。容赦するな」

清二に対して、

 「甫、親切が仇になるというのを忘れるな。皆をこの屋敷内に入
 れたら此処は取られてしまうぞ。家は燃えてもいい、然し土地は
 絶対に譲ってはならんぞ」

といいます。これがいまも西武鉄道グループ(義明)に流れている思想ではないでしょうか(ちょっといいすぎかな)。
 義明が西武球団のオーナーになって、たしか広岡監督がやめるときに話しかけているのをテレビでみたことがあります。私はなんという尊大な態度だと思ったものです。私は何度かスポーツ団体の冠スポンサーをつけたいわゆる冠大会をやったことあります。どこも国土計画ほどの大きい会社ではないですが、冠としてお金をだしたっていったって、みんな謙虚なものでしたよ。いわんや現場の選手なんかには丁寧なものです。どうも義明のあの態度はなにか勘違いしているとしてしか思えないですね。
 まあこの2人の経営思想なんか検討しだすと、もう大変なことになるわけで、それはまたの機会にしたいと思います。
 辻井喬は、糸井重里とか吉本(吉本隆明)さんとも対談していますが、是非堤清二としても吉本さんと対談してほしいと思います。(1998.11.01)

11032919 織田作之助は、1913年(大正2年)10月26日〜1947年(昭和22年)1月10日の生涯でした。私の父と同じ年の生まれで、10月生まれも同じです。ただし、私の父は84歳まで生きました。
 私がこの小説を読んだのは中学3年の時でした。そして実際に私が大阪法善寺横丁の自由軒を訪れたのは、1973年の秋でした。作中で柳吉が「自由軒のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」というカレーを食べたものでした。思えば、その前後の日は、私がどこへ行っていたのか思い出せません。いや前日は京都で泊まり、この自由軒のあとは神戸じゃなかったかなあ。
 この小説は、1939年7月の発表でした。ただ織田作は、1947年1月に亡くなっており、私は昭和23年(1948)5月の生まれですから、どうにも触れ合えなかったのですね。
 ただ2008年に未発表の原稿が発見されており、これが現在では『続夫婦善哉』として出版されています。私もこの作品も読まなくちゃいけないな、と深く思ったところです。(2010.03.11)

11032911 この小説を読んだのは中2の5月の時でした。そのときにも随分いい話だなあ、と思ったものです。泣ける話でした。
  この作家は、1899年8月5日〜1967年6月23日の生涯でした。たしか私は50代になってから、高峰秀子主演木下惠介監督の1954年制作の『二十四の瞳』をテレビ放送で見ました。
  でもこれも私には、何度目かのことだったのかもしれません。もう泣けて仕方なかったものです。私は昔から高峰秀子のファンですが、この映画は実にいいです。彼女の役の先生が泣きみそ先生になるところは、今も私は思い出すだけで涙を流してしまいます。思い出せば思い出すほど泣いてしまう私です。
 いや、いつも映画でなくても小説でも泣いてしまう私です。ただし私はあの小説を今まで正確に全編を通しては2度しか読んでいないのですね。
 教員っていい仕事だなあ、と思ったものです。私も教員になってみたいと思ったものでした。
 ただし、私はこの壺井栄のご亭主は、どうしても好きになれない方です。仕方のないことかなあ。 私のように学生運動、革命運動をやったものには、どうしても当たり前のように訪れることでした。本来はこの作品とは関係ないことなのに、どうしても思ってしまうことなのです。(2011.03.29)

11032803 私はこの作品は、1969年の11月に読んでいました。ちょうど私が東大闘争で逮捕勾留され、保釈になったときでしたね。また12月10日に逮捕されることになる少し前でした。小沼文彦の訳でした。
 筑摩書房の「ドストエフスキー全集」をすべて読もうと思っていて購入しました最初の本でした。ドストエフスキーは長編ばかりな気がするのですが(実際には短編もいくつもあります)、いつも実際に読むと、私にはどうしてもそれほどの長編とは思えないものばかりでした。いや私には、どの作品も長編とは思えなくなってしまうものなのでした。
 この作品は主人公アルカージイの一人称で書かれています。いわば、青年の手記なのですね。そしてたしかこの青年は手紙を常に身につけていたと思いました。私には、あまり読んでも面白い感じを受けずに、いたものでした。なんとなく物足りない思いが残ったものでした。
 もう一度読んでみようか、どうしようかと思っている小説です。(2011.03.28)

11032802  フランソワ・ラブレーは1483年〜1553年4月9日の生涯でした。
  この物語は全部で5巻あり、最初に『パンタグリエル物語』を『第ニ之書』として刊行されました。実はパンタグリエルの父親であるガルガンチュアの物語は別に存在していたのです(作者は不明)。それで改めて『ガルガンチュア物語』が『第一之書』として、ラブレーは書いたのです。その後、『第三之書』『第四之書』『第五之書』と書かれました(第五だけは偽書とも言われています。作者はラブレーではないのかもしれません)。
 フランスルネサンスを代表する実に面白い書物です。私は岩波文庫で全5冊を27歳の頃読みました。昔東大闘争で逮捕された東調布署の留置場で九州の大学の学生がこの物語の面白さを語っていてくれたので、それで読む気持になっていたのでした。だが実際に読み始めるのには時間がかかったものでした。
 ただし、この全5巻は、渡辺一夫の訳ですが、実に本の半分が膨大な註になっており、私はその註もすべて丁寧に読むものですから、実に読み終わるまで時間がかかりました。 このガルガンチュアは生まれるときに、普通の赤ちゃんはオギャー・オギャーと泣くものなのでしょうが、このガルガンチュアは「酒、酒、…」と叫ぶのです。そして実に驚くほどの巨大な赤ちゃんなのです。
 小説を読んでいると、ガルガンチュアもパンタグリエルも実に巨大な人間になったり、普通の大きさの人間になったりして、なんとなくいい加減です。でも渡辺一夫さんは、この物語をよく翻訳されたものだなあ、と感心ばかりしたものでした。(2011.03.28)

11032801  シェークスピアは、1564年4月26日〜1616年4月23日の生涯でした。私は中学生のときと高校生で、その昨品すべてを読んでいます。
 この『マクベス』は私にはただただ怖い印象が強く残っています。私は中野好夫の訳で読んだものでした。
 最初に三人の魔女が出てきます。この魔女が実に怖かったものでした。マクベスが王になるという予言をして、でも物語の最後にはその三人の姿もすべて封じられてしまいます。その魔女たちの呪いの言葉が実に恐ろしかったものでした。
 マクベスはダンカン王を殺して王になるわけですが、躊躇しがちなマクベスを叱咤するのがマクベス夫人です。この夫人こそが恐怖の根源なようなものにも思えるのですが、でも彼女は恐怖の中で狂ってしまいます。
 魔女たちの予言は、「バーナムの森が動かないかぎりマクベスは安泰」「女の股から生まれたもではマクベスを倒せない」があります。でもこの予言はその通りで、最後はバーナムの森は動き、最後マクベスを刺すのは女の股から生まれたものではありません。いや帝王切開で生まれたマクダフなのです。でもここのところは私は解釈がよく分かりません。
 マクベスには予言の通り、意外なことが起き、夫人は手が血に染まっていると思い込みその手をこすります。
 予言の通りに、森は動き、女の股から生まれたものでないマクダフに、マクベスは殺されます。そして最後は魔女たちも呪いの歌を唄いながら閉じ込められてしまいます。
 私は今も怖い思いがしてしまう戯曲です。シェイクスピアの四代悲劇はどれも恐ろしいのですが、この『マクベス』が私には一番恐ろしく感じられます。(2011.03.28)

11032508書  名 さくら日和
著  者 さくらももこ
発行所 集英社
1997年7月20日第1刷発行

 さくらももこの作品は、漫画もエッセイもすべて読んできました。新刊が出て、私が手に入れていないと、娘から注文が入ります。
 このエッセイでは、さくらももこの離婚のこと少し語られます。私たち家族にとっては、ご夫婦含めて親しい感じがしていたものですから、「どうしたのかな?」と気になっていました。でも、ほんの少し判ったような気がします。
 今回のエッセイでも、やはり父ヒロシが面白いのです。私の長女は店頭で立ち読みしていて、声をあげて笑ったようです。
 吉本ばばな(彼女はももこと親友のようです)がヒロシに会ってしまうところが圧巻です。なんと父ヒロシは吉本ばななを知らないのです。

  いつまで経っても父ヒロシが来ないので、もう一度呼びに行く
  と、モタモタとトイレから出てきて「よう」と呑気に私に声をか
  けてきたので私は「”よう”じゃないよアンタ、今、吉本さんが
  来ているんだから、ちょっとあいさつに来てって言ってるじゃん」
  と言うと父ヒロシは「お、吉本さんってアレか、果物の」という
  ので「そうだよ、ばななだよ」と、ヒロシにしては果物というと
  ころまでよく覚えていたと一瞬感心したが、考えてみれば今朝ま
  で「ばななさんが来る」という話題でもちきりだったのだから、
  正式に果物名まで覚えていないヒロシはやはりどうかしている。
  私がヒロシを連れて来たとたん、ひと目見るなり吉本さんは本
  人の前で大爆笑だったのである。        (「ヒロシの調子」)

 やはりこんなヒロシが私は一番好きです。「ちびまる子ちゃん」の父ヒロシとまったく同じではないですか。
 私は世界がどんなことになろうと、こうした姿でいるヒロシをいつも想像していたいものです。
 このヒロシの姿が、実はさくらももこの姿でもあるように私には思えます。
 なんだか電車の中ですぐに読み終わってしまったものです。(1999.09.20)

 今日の日経新聞の一面の春秋に次のようにありました。これはチリの落盤事故のことで、書いたもののようです。

▼「狭いんで驚いちゃ、一足だって踏ん込(ご)めっこはねえ」。漱石は足尾銅山の坑内を「坑夫」にこう書いた。

11032507  この『坑夫』は、主人公が死のうとしても自殺もできなかったことがあります。偶然知り合ったある男に騙されて足尾銅山の坑内に入ってしまいます。だが彼は実際には坑夫にはならず会計係になります。
 これは漱石の元を訪れた人物が自分の若い頃の体験談を話して、これを小説にしてくれと頼まれたということで、どうもこの人物の話そのものが信用できないものだったようです。それで漱石の小説としては、失敗作だと言われています。漱石の作品を読んだ多くの人も、読んでいないという作品じゃないかなあ。
 朝日新聞に、1908年1月〜4月まで連載されたそうです。私は高校2年のときに読んでいました。思えば、12月にガラパゴスが発売されたら、それで再読したいものですね。

 以上は昨年2010年10月14日に書いていたものです。ガラパゴスは12月にすぐに手に入れていまして、いつも持参するようになりましたが、これでは別なものばかり読んでいます。日経新聞はいつもこれで読んでいますよ。(2011.03.26)

11032506 私は筑摩書房の「世界古典文学全集」で読んでいました。これで、ラシーヌの全作品を読んでいたことになります。私には、『フェードル』と並んで、この作品が印象深いものです。
 ラシーヌは、1639年12月21日〜1699年4月21日の生涯でした。
  私には、エウリピデスの『アンドレマケ』も印象の強い作品であり、その作品も知っている著者ラシーヌがどんな解釈をしてくれるのか興味深かったものです。渡邊守章の訳でした。
 アンドロマケ(フランス語ではアンドロマックとなります)は、トロイアのヘクトールの妻で、トロイア陥落後アキレウスの息子のネオプトレモスのものになります。勝利したギリシア軍の処理とはいいますが、実に嫌なものです。でも父親アキレウスを討たれた(パリスが矢で射たとされます)息子には、トロイア一の勇士の妻を妾にするのはいい思いだったのかもしれません。
 ところがギリシアに帰国後、ギリシア悲劇の役者が総登場と行った感じででてきて、それぞれいろんな姿を見せてくれます。このラシーヌの悲劇も、もう読んでいても嫌だなというシーン、セリフばかりです。
 私は1969年の5月に府中刑務所の中で読んだものでした。(2010.10.12)

  私がこの本を手にしたのは、中学2年の3学期のことでした。私が読んだのは角川文庫でしたね。
 以下の6篇がありました。「当麻(たえま)」「徒然草」「無常ということ」「西行」「実朝」「平家物語」。みな短編ばかりです。この文庫本を再読したのは、もう50歳を過ぎていたものでした。
11032406 小林秀雄は、1902(明治35)年4月11日〜1983(昭和58)年3月1日の生涯でした。私は一昨日(2010.10.18)八重洲ブックセンターに行きまして、吉本(吉本隆明)さんの本を探す中、この小林秀雄の写真を表紙にしてある本を見ていたものでした。その写真の顔はなかなか私には昔から親しめないものでしたが、もう今ではもういつも思い浮かべる顔になっていました。
 私が五十代になって再読したときに、この『無常といふこと』に『一言放談抄』のことも書いてあるのだな、ということに気がついたものでした。この本『一言放談抄』は、私が当時必死になって読んでいた書物でしたね。私は吉本隆明さんの講演でこの書物を知ったものでした。
 小林秀雄の晩年に書いた『本居宣長』は私には少しも親しめない本でした。いや親しめないというより、少しも内容に感心しませんでした。でもこの『無常といふこと』という短編はいつ読んでも感心している書籍です。(2010.10.20)

11032307書  名 後宮小説
著  者 酒見賢一
発行所 新潮社

 私はこの作者の「墨攻」を真っ先に読んでいました。実にいろいろな思いにかられたものでした。これはその作者の最初のデビュー作品です。1989年第1回ファンタジーノベル大賞の受賞作で、日本テレビで「雲のように 風のように」というアニメにもなりました。
 これまた実に見事な作品です。中国の明末の時代の話でしょうか。中国の王宮に古来からある後宮を舞台としています。でも想像される生々しさなんかないのです。
 本の帯に「シンデレラ+三国志+金瓶梅+ラスト・エンペラーの面白さ、奇想小説の神技、天才作家の出現」とありますが、そのとおりでまったく息をつがせぬかたちで、物語が展開します。主人公の銀河が元気な女の子なんですね。そのほかいろいろ個性ある人物が登場します。角先生という学者も、江葉という女の子もたいへんに面白く魅力的です。 この作者はやはり相当に中国について詳しいのです。中国の哲学、思想、中国人の習慣やものの見方、中国各地の風習、中国の歴史や歴史書の数々。

  この稿を書くにあたり、拠ることになる文献は「素乾書」「乾
 史」「素乾通鑑」の三種で、前二者は宮廷の仕官によるいわゆる
 正史である。「素乾通鑑」は無官の歴史家天山遯が著した歴史通
 釈の書名であり、官に阿らない点、正史と違った面白味がある。

 いや私は最初驚きました。こんな歴史書の存在全く知らなかったからです。作者はこれらの歴史書も相当読み込んでいるようで、たくさん引用しております。私は自分の無知におおいに耻いりました。いやはやこの作者は若いのによく知っているなあと感心すると同時にいささかあきれ気味になるくらいでした。
 しかし、しかしですよ、だんだん読んで行くうちに、分かってくるのですが、この物語は大ウソなんですよ。こんなことは歴史上なかったし、こんな登場人物もこんな国もなかった、こんな歴史書だってひとつも存在していません。本当なら歴史書の「素乾」の「素」とか「乾」から気がつけばいいことなわけです。まったくおおいにだまされてしまうんですね。しかしいわば気持ちのいいだまされ方です。最後の最後まで作者はその大ウソを貫き通します。そういえば、「天山遯」の「遯」でも気がつくべきでしたね。

 中国に題材をおいた日本人の書いた小説はたくさんありますが、このように後宮をこと細かく分析し、そこを舞台にした楽しい小説なんて今後も現れないでしょう。しかもそれがこのようにまことしやかに、大いたずらされてしまう。作者の才能に大いに敬意払います。今後もこの作者の作品注目していきます。もういくつか書いているみたいですがね。また驚かされるのでしょう。(1998.11.01)

11032306 18世紀半ばの北米大陸での「フレンチアンドインディアン戦争」の時代の物語です。ちょうど欧州では「七年戦争」があり、英仏は世界中で戦争をしていました。北米でも互いに植民地をかけ、インディアンをそれぞれ味方につけて戦いました。インドでもそうでしたが、現地の土候軍を味方につけたフランス軍が最終的にはイギリスに敗北してインドを失いました、北米でも同じように、フランスは破れ、北米の植民地を失います(のちに米国が独立するときに、米国側だったフランスは英国から北米に少しの島を得るが。このミクロン島はいまのいまもフランスの領土である。またナポレオンの時代、ミシシッピ以西をスペインから譲り受け、それをさらに米国に売却する)。
 この時代に、イギリス軍の将軍の娘たちと、イギリス軍に協力するモヒカン族の酋長と、敵であるフランス軍およびそれに協力するヒューロン族との戦いを描いています。北米の大自然の中で描かれているドラマであり、すぐに読み終えないとならないような緊迫感があるのですが、よくよく考えると、なんでこのインディアンたちは、互いに争わなければならないのだろうかなんて思ってしまいます。
 イギリスの勝利ののちに、イギリスはインディアン掃討戦をやりだします。世界最初といわれる生物細菌兵器が使われたのは、1763年に英軍がオタワ族に対して天然痘菌をつけた毛布を贈ったことだと言われています(ポンティアック戦争)。また米国が独立してからの米国大統領というのは、初代ワシントンをはじめ、みなインディアン討伐戦の英雄たちです。
 19世紀前半にインディアン諸部族の大連邦を構想するテクムセというショーニー族の戦士が出て、カナダからメキシコ湾まで遊説してインディアン大連邦はできあがる寸前までいきますが、また米国白人たちは、これを不意に襲撃壊滅させます(これが大統領になったジャクソンです)。テクムセは米英戦争において、英軍に身を投じて(彼は英国に利用されるのは百も承知のことだったろう。ただ米国が憎かったのだ)、見事に米国軍をやぶります。だが、また英国は破れ、最後はテクムセは英軍将校の軍服を捨て、インディアン戦士の盛装で戦いに臨み、そして敵弾に倒れます(だが彼の遺体は発見されなかった。まさしく将門や義経のようにいつか甦えるのだ)。

 こんなテクムセではない、白人に利用される悲しいインディアンたちの物語が、この「モヒカン族の最後」です。白人クリントン大統領の愛読書だということですから、読んでみるとそのインディアン感が分かるかもしれません。 それにしても、この物語では、やたらにインディアンが相手の頭の皮を剥いでしまうのだけれど、これって本当なのかな。頭の皮を剥ぐというのは、白人が最初にやりだしたというのが常識だとばかり思っていたものでしたが。(1997.09.23)

11032215書 名 妊娠小説
著 者 斎藤美奈子
発行所 文春文庫
読了日 2003年6月14日
1994年6月筑摩書房より刊行
発行日 1997年6月24日第一刷発行

 最初の森鴎外「舞姫」、島崎藤村「新生」、小栗風葉「青春」のあたりは、もう面白く読めました。「妊娠小説というより、いっそ中絶小説と言っていいんじゃないかな」なんていう思いで読んでいました。しかし、その後さらに読んでいくのは、なんだか私には辛いんですよね。私も読んでいる小説が多いのですが、「よくまあ、こういう風に読めるものだな」と感心しているばかりでした。私なんか、こんなに丁寧に読めていません。というか、こういうふうに読んでいくのはつらいのですよ。恋愛も、そしてそれにともなう妊娠も誰もが経験があるわけであり、そしてその「妊娠」のほうは望まないこともあったかと思うんです。そうしたときの痛々しい思いがどうしても甦えってしまうのだと思いました。(2003.06.14)

11032214書 名 読者は踊る
著 者 斎藤美奈子
発行所 文春文庫
読了日 2003年6月8日
発行日 2001年12月10日第1刷

目 次
カラオケ化する文学
ニッポンという異国
文化遺産のなれのはて
野生の王国
科学音頭に浮かれて
おんな子どもの昨日今日
歴史はこうしてつくられる
知ったかぶりたい私たち

 いははや面白いです。私はもうすぐこの著者のファンになりました。もうこの著者の別の本も買いました。
 そしてこの本の内容で笑えてしまい、道を歩きながらニヤニヤしたりしていました。たいへんに斬れる文章を書かれる方がこうしているんですね。もうすべてに読み応えがあったわけですが、私がまず真っ先に関心をもちました「死ぬまでやってなさい。全共闘二五年目の同窓会」は、実に良かったです。私の

  「全共闘白書」「全共闘白書資料篇」
  (これまたあとでUPします。いつになるかわからないけれど)

での思いと共通するところがあります。ただ、私も「死ぬまでやっていな」と言われる側でもあるのですね。その通りです。(2003.06.08)

11032208 5月17日(金)の松戸自主夜間中学校のKAMOさんの漫画の授業のあと、柏の『平井食堂』で、当日漫画の授業の教材に使った沢野ひとしの漫画の話をしました。それで、沢野ひとしさんというのが、誰と結婚したのかというような話になり、私は小説ではこうだったけれどと『銀座のカラス』の内容を思い出しました。
 この中で沢野ひとしにあたる登場人物は、木村晋助にあたる人物の中学か高校の生徒会の同級生の女性と新宿のビヤガーデンで会い、一目惚れして、やがて結婚することになるのですが、KAMOさんの正確な情報だと、本物の沢野さんは同じ職場の女性と結婚するようです。「なんだ、あれも小説の中の出来事なのか」と思ったものでした。

書 名 銀座のカラス
著  者 椎名誠
発行所 朝日新聞社
1991年10月1日第1刷

 それで次の日の18日(土)に朝早くからこの本を読んでみるみる間に読み終えてしまいました。私は4年くらい前に椎名誠の本は40冊ばかり、ある飲み屋の女性に送ってしまいましたが、この朝日新聞社の本はまた私の兄からもらっていたのです。
 これは椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』『新橋烏森口青春篇』に続く3部作といっていい作品です。高校生からそのあとのバイト及び仲間で住んだアパート生活から業界紙に勤めて、次第に大人の社会へ出ていく椎名誠の姿が描かれています。
 私にとって、椎名誠はちょうど『哀愁の町に霧が降るのだ』の中巻で就職した「温泉新聞社」(これは実際に存在する会社名で、小説の中では別な名前になっている)に、ほんの少しばかりいた、言わば先輩になる方であり、非常に親しみを感じています。小説の中で、あれほど学生時代(椎名さんたちの生活が学生生活とはいえないかもしれない)に飲んでばかりいるのに、また社会に出ると、これまたとてつもなく飲んでばかりいる職場と同僚たちばかりだという姿に、私も「同じだな」とよくよく思ったものです。作品の中では、主人公たちがよく飲んでばかりいるわけですが、またよく働いている姿もよく見えるわけで、まったく同じだよなと思います。
 しかし、この3部作のどれをよんでも、なんだか「せつない」です、悲しいです。自分のあの頃が思い出されるからかな。少しも豊かではなく、毎日懸命に働いて、毎日飲んで、ただそれだけで日々が過ぎていった思いです。仕事が終わって恋人と会うのもけっこう大変でした。日曜日に彼女が来てくれたり、休みの前の日に昔の仲間と会えるのがなんだか安らぎでした。
 この『銀座のカラス』のあとの物語はどうなるのでしょうか。『岳物語』にまで至るのには、まだまだ時間がありそうだから、ぜひ続きの話を書いてもらいたいものです。いやもう書いているのかな。(1996.05.21)

11032207 私はこの本を高校2年のときに読んでいました。筑摩書房で小沼文彦の訳でした。
 私はいつも友人たちに、「この兄弟は何人だ?」という問いをして、相手が「3人だ」と言って、ドミートリ、イワン、アリーシャをあげると、いつも「もう一人、真犯人のスメルジャコフがいるじゃないか」と言ってきたものでした。
 父親のフョードルが殺害されて、その犯人が長男のドミートリということになります。だが彼は無罪を主張します。その裁判の中で物語は進みます。
 大学で、よく同級生と話したものです。本来なら、三男のアリーシャが人気があるはずですが、でも次男のイワンに魅力を感じる女性が多かったものです。
 だが、小説の中では、判決の前日にスメルジャコフが自殺してしまいます。これは一体何なのでしょうかね。どういう展開になるのでしょうか。
 だが実は、この小説はそれまでが第一部で、さらに第二部が考えられていました。あれだけで長大な物語なのに、驚いてしまいます。作者の死により、第一部だけの作品になってしまいました。長大だというと、私はトルストイの『戦争と平和』(これは退屈です)も思い出しますが、この『カラマーゾフの兄弟』は実に息もひそめるほど一心に読んでいくものです。
 老僧ゾシマとアリーシャとの莫大な会話など、実に感激なのでしょうが(私は退屈です)、それ以外は実に長い小説が実に短く感じるものです。
 もう私の生涯の中では、読み返すことはない作品でしょうね。(2011.03.22)

11032206 娘たちが、「ボキャブラ天国」という番組が大好きで、私もけっこう見ています。そこに出ている若手お笑い芸人の人たちも、けっこう親しみを持ってきました。その中の「爆笑問題」という芸人が書いた本がけっこう売れているということなのです。

書  名 爆笑問題の日本原論
著  者  爆笑問題
発行所 宝島社
1997年2月6日第1刷発行

 きょう朝の通勤の電車の中で読んでしまいました。たった今また、次女のブルータスが読み終わったようです。
 なんというか、読んでいて少しも笑えませんでした。書いてある内容が現実に起こったたいへんな事態をいくつもいくつも描いているからです。あのサリン事件がなんだかいままでとは違う地平に至ってしまったようで、その前で何を言ったらいいのか判らない事態になってしまったということが、それを象徴しているように思えます。
 だが、それでも、この爆笑問題というお笑いタレントは、こうした事態にも果敢に「お笑い」を提供することに挑戦しています。どんな時代のどんな出来事にも、笑うことを提示していくことは、お笑いを提供する芸人としては。大切な姿勢だと思います。
 なんというか、現在の日本を含めた世界で起きている事象に対して、それをお笑いにしてしまうということにあまりに誰も消極的だったように思います。現実の方がはるかに思いもよらない事態がどんどんと進んでしまったからでしょう。
 それを敢えて、それでも笑いの種にしようということには、すごいなと思いました。でもでも、やはり現実のすさまじい現象の前に、笑えないのですね。次女も妻も私も、笑っていけたのは、キムタクと和田勉の話くらいでした。あれなら、笑っても、別になんら問題ないようなと自分で納得してしまう内容だからです。
 それから、これを読んでいて思ったのは、爆笑問題をはじめとして、あのボキャブラに出ている芸人たちの多くは、かなりな存在感を持った人たちなのだなということです。あそこで論評している連中より、ずっとずっとお笑いのことが判っているいるんじゃないの、と思いました。

 しかし、「日本原論」という題名もいいなあ。これは吉本さんと梅原の対談のパロディじゃないのかな。(1997.06.17)

11032103 先週の16日の朝、通勤の電車の中で読みながら、この「青玉獅子香炉」の最後では泣いてしまいました。私は、いわばこの物語を今回初めて知りました。今まで思い込んでいた「青玉獅子香炉」の話とは少し違う物語なのだなと、始めて私は判ったのです。
 私がこの物語を知ったのは実に36年前のことでした。
「第69回「青玉獅子香炉」」(私のメルマガに書いたものです)にその思い出を書いています。

 (ここに書いています「青玉獅子香炉」の話は、私の思い出の中
  だけで、原作とは少し違っています。登場人物の二人は夫婦には
  なっていません)

 私は1969年1月18、9日のの東大闘争の安田講堂の闘いで逮捕され、やがて起訴されて、2月後半に府中刑務所に移管されました。ここの拘置所の独房にこの年の8月21日に保釈になるまで勾留されていました。当時私にはとても恋している女性がいました。この彼女が、この府中に接見に来てくれたのは、たしか2月の末だと思いました。3月にも面会に来てくれました。彼女はちょうど3月5日が19歳の誕生日の時でした。
 この3月になって、毎週日曜日の夜聞かせてくれるNHKの「日曜名作座」に、この陳舜臣の「青玉獅子香炉」のラジオドラマがありました。このラジオドラマは、森繁久弥さんと加藤道子さんの二人だけでの朗読のドラマです。二人は、何人もの登場人物の声を替えて、すべてドラマが展開されていきます。刑務所での日曜日は、面会も運動もなく食事もものすごく早く配当されまして、何にもない日です。その日の午後8時半から、このドラマは放送されます。
 そして当時は風邪が流行っているとかいう理由で、午後8時には蒲団に入らないとならないのです。仕方ないから蒲団に入っていて、それで聞く二人の朗読劇は、実に心の中まで染みるような思いがしたものでした。
 この物語は、青玉から獅子香炉を作る李同源と、その獅子香炉を作るのに、李のすぐそばでそれを見守っている素英という李同源の師匠の娘の愛の話でもあります。
 青玉であるただの素材を加工していくのには、師匠の王福生は、いつも若い女性にその玉を抱かせてから始めていたのです。

  古めかしい精神主義だったと思っていた師匠のやり方を彼はよ
  うやく理解できるようになった。それは彼が最初思っていたよう
  な、こけおどしのまじないでなかった。
 (師匠は玉を抱かせたり、そばに坐らせる女に惚れていたのだ)
  好きな女がそばにいると、男の心はたかぶる、最も人間的な感
  情なのだ。それを制作に導入すれば、燃焼しつつある人間のぬく
  みが、しぜん作品のなかに表現されるのだろう。
  女人の膚の精を吸うのは、玉そのものではなく、制作者の心な
  のだ。玉はその心をうつし出すのにすぎない。

 師匠の娘素英は、李同源に自分の乳房に触れさせて、「燃えてちょうだい」「まだ燃えないの?」と問いかけながら、彼の玉を加工させます。このことによって、玉のことがどうにか李同源にも判ってきたのです。

  彼は自分の情感が玉のなかに染み込むことがわかった。物心の
  ついたころから、玉は彼の生活のなかにあった。まだ若いとはい
  え、玉とは深い縁を結んでいたつもりだった。だが、素英の乳房
  にふれてから、彼ははじめて玉器のつくり方を知ったという気が
  したのである。

 これによって、この青玉獅子香炉は完成します。
 この時代は、ちょうど辛亥革命の頃です。そして中国は清朝が滅びまして、日中戦争になり、そしてそれが終わったら国共内戦が続きます。もともと、この青玉獅子香炉は、清朝の乾隆帝の時代の作品を、ある宦官が盗んで米国人に売り、それがばれないように作らされた贋作でした。だが李同源はその贋作を作るために何もかもをかけたのです。
 この李同源の作った贋作を、彼はあくまで大事な憧れをもって見つめていきます。そして激動の歴史の中で、この獅子香炉はあちこちを展転としていきます。彼にこれを作るのに燃えさせてくれた素英も、別な人の妻となります。李同源にはもはや、この青玉獅子香炉しかありませんでした。
 やがて、やっとこの獅子香炉をやっと台湾に逃れさせたと思ったときに、この獅子香炉を入れた箱を開けると、それはまた別の贋作になっています。彼が作った獅子香炉はまた別な人間に売られてしまったのです。そしてそれは米国の東部に運ばれています。

 最後に、年老いた李同源はこの米国に渡ります。とにかく、あの獅子香炉に会いたいのです。そばには、年老いた素英がついています。その最後、獅子香炉に会える寸前に、李同源は倒れます。そしてそのときに、そばにいる素英の乳房に触れます。

 36年前に独房の中で聞いたラジオドラマでは、この二人の長い時間歴史の中の男女の触れ合いをとても重く感じたものでした。加藤道子さんの、声を今もありありと思い出せます。
 そして私は李同源とは違いますが、私もまた遠くまで来てしまったな、そしてあのときの私の恋した女性とは、李同源と同じように結ばれず、これまた遠くまで来てしまったなという思いばかりです。

 この本をある古書店で見つけて、買いました。だがどうしても本を手にとって読み始められませんでした。あの36年前のラジオでの感動と、府中刑務所の接見室で会う、当時の恋した女性の思い出がわき上がってくることがただただ怖かったものでした。でもやっぱり読んでよかった。36年間がそのまま今やっと繋がった感じがしています。(2004.12.20)

11032102  ミハイル・ショーロホフは、1905年5月24日〜1984年2月21日の生涯でした。
 私がこの作家の『静かなドン』を読んだのは、高校2の時でした。ソ連という国にもいい作家がいるのだなあ、という思いでした。私が読んだのは、江川卓の訳でした。
 しかし、この作品に書かれているのは、実に大混乱期のロシアですね。思えば、社会革命党戦闘団を率いていたサヴィンコフが白軍を指揮していたのですから、もうこの時期は私なんかには想像もつきません。
 この小説には、いくつも悲しいことばかりが続きます。ただ私にはこの時期に読んでおいて良かったなという思いだけです。実に嫌になる革命と戦争のことだけではなく、実に驚くほどの愛欲のシーンもあります。
 この主人公が白衛軍にも身を置きながら、赤軍にもなったりします。ショーロホフ自身はソ連の作家であったわけですが、けっしてソ連を唯一のものだというふうには描いていません。もう二度と読むことはないでしょうが、もう忘れてしまいたい、この時期のロシアです。(2010.09.18)

11032019 私はこの一つ前で、「幸田露伴『五重塔』」を書きました。
 でも実は、私はこの『五重塔』を読む前にこの娘の文さんの作品を読んでいるのです。中学2年の5月でした。娘さんの『父』を読んで、さらにそのお父さんの代表作を読んで行ったものでした。そしてその後は露伴のいくつもの作品を読んだものでした。
 私はある高校入試の試験後の面接で、好きな作家と作品を聞かれて、「幸田露伴の『五重塔』です」と答えたのを覚えています。それはやはり、『五重塔』自体の魅力もありましたが、文さんのこの作品の印象が強かったこともあるのでしょう。
 1904年9月1日〜1990年10月31日の生涯でした。あと他に読んだ随筆は何だったかな? なんて思い出していました。私は幸田露伴が大好きな作家になりましたから、その思いの中でこの娘さんのいくつかの作品を読んでいたものでした。
 いつも谷中を歩いていて、露伴の文章も思い出しますが、この文さんの文章も思い出しています。(2011.03.21)

11032018 今もよく歩く谷中の路で、この幸田露伴のことを考えます。私が露伴の小説の中で一番好きなのは、『平将門』かなあ。
  中学2年の6月に読んだこの作品は私には大変に印象深い作品でした。私が中学生の頃よりいつも「私の一番好きな文芸作品」と言ってきたのが、この小説でした。
 主人公ののっそり十兵衛の気持をいつも考えます。私はいつも谷中墓地を歩き、そしていつも五重塔跡に佇み、今は幻でしかない、五重塔を頭の中で思い浮かべています。
 私はこののっそりよりも源太のほうが好きになれます。十兵衛はあまりに難しいです。面倒です。その思いばかりでした。
 でもでも、そんな思いだけできたものでしたが、近頃私はいつも谷中の墓地の中で、今は幻でしかない五重塔を思い描いて、十兵衛のことが少しは好きになれました。やっぱり十兵衛だからこそ、あの五重塔ができたのですね。
 幸田露伴邸のあともいつも見ています。そしていつも露伴のいくつもの作品を思い浮かべている私なのです。
 露伴は1867年(慶応3)8月22日〜1947年(昭和22)7月30日の生涯でした。(2011.03.21)

11032017 どう考えても好きになれない作家っていますね。私にはこの辻邦生がそうです。なんだか、「教養」なんてことがないといけないのかななんて感じてしまうのです。
 でもこの小説はぜひ読みたくなる題材でした。
 紀元361年から363年までローマ帝国の皇帝だったユリアヌスの生涯が題材です。背教者とは、キリスト教からの背教ということです。私はこの人の存在を知ってから、ずっと関心を持ってきました。そして辻邦生がこの小説を書き、刊行された時すぐに読みました。そしてそののち何度か読み直しました。今回またすべて読み返してみました。不思議なものですね。好きになれない作家なのに、今回いくつも涙ぐむ箇所がありました。

 313年コンスタンチヌス大帝はミラノ勅令によりキリスト教を公認します。当時のローマ帝国は、豊かな古典古代社会が次第に崩壊していく過程でした。地中海を内なる海としたローマはあまりの広大さとさまざまの民族、宗教などを飲み込んでいました。帝国の東半分では、むしろラテン語よりもギリシア語が共通語として使われていました。偉大なるローマも文化としてはギリシアにすべて習いました。私たちだって、ホーメロス「イーリアス」のほうが、ウェルギリウス「アエネーイス」より親しい存在であると思います。ローマの神々もみなギリシアの神になりました。ユーピテルはゼウスに、ユーノーはヘラに、ウェヌスはアプロディテにといったように。しかし、ギリシアはローマにとって、内なるものであり、結局ローマの偉大さそのものでした。330年には首都がローマからコンスタンティノポリスに移ります。
 このローマに違うものが浸透していたといったら、それはキリスト教だといえるでしょう。迫害しても迫害しても、信仰を棄てない教徒たちは、とうとう自分たちの宗教をローマの国教にまでしてしまいました。しかし、迫害される側から体制の側になったとき、この宗教はその非寛容性によって、ギリシアローマの偉大な文化を壊し始めます。しかし、それは古典古代からゲルマン社会封建性時代への歴史の流れのひとこまだったのかもしれません。
 その流れに逆らった背教者、いや私が感じるには、その流れの中で、ギリシアローマのためすこしばかり美しく咲いたのが、皇帝ユリアヌスであると思います。

  ローマとは一つの理念なのだ。個々の時代、個々の現象をこえ
 て、つねに不変な一つの理念なのだ。個々のものは、この理念の
 おかげでローマという刻印を与えられているのだ。それは地中海
 をとりまくこの広大な属州の民衆全体のなかから、おのずと浮か
 びあがってくる一つの顔なのだ。このローマの顔が薄れて、単な
 る民衆の雑多な集合体に過ぎないのなら、それはもうローマ帝国
 ではない。諸君、ローマとは人間が実現しえた秩序の名に他なら
 ぬ。ローマの顔を民衆のなかに浮き上らせるのは、かかる秩序を
 実現することに他ならぬ。ローマはすでにそれだけで人間の秩序
 を表わす理念なのだ。

 ユリアヌスは広大で永遠のローマに秩序と正義を捧げようとします。この人を見ていると、さらにマルクス・アウレリウス皇帝を二重写しにしてしまいます。このストア派の哲人皇帝も、いつも戦陣で夜半哲学書をしたためていました。おそらくは、哲学の研究のみに生涯をおくりたかったのでしょうが、永遠のローマのため、皇帝として仕事義務をはたしたのだと思います。ユリアヌスも同じでした。だがもう彼の時代には、キリスト教がおしとどめもないほどの勢力になっていたのです。
 この小説のなかに、歴史上では実在の人物ではないローマ一の軽業師といわれるディアという女性が登場します。この女性とユリアヌスの関係がいいのですね。ディアの前でも、ユリアヌスはローマを語ります。この二人の愛が少しは、このユリアヌスの短い悲しい生涯のひとつの慰めであるような思いがします。(1992.11.01)

11032016  1900年1月25日〜1986年10月7日の生涯でした。
  私は彼の作品は、『山のかなたに』『陽のあたる坂道』『若い人』『青い山脈』と読んでいたと思います。まだあるかもしれませんが、もう思い出せません。
 この作品は中学2年のときに読みました。ただし、そのときにも、この「あかつき」とか「合唱」という言葉も好きになれないことを感じたものでした。でも思えば、この作品も戦前のものなのですね。私の今までの印象では戦後の時代かと思っていたものでした。
 この著者は決して時代に抗しようと思ったわけではないでしょうが、日本の時代は実に嫌なものでした。『若い人』での、「天皇と神(これは基督教でいう神)とどっちが上か」とかいう内容を思い出します。
 この作者は少年のときに、葛西善蔵が好きだったのですね。なんか、それで少しわけが分かったような気がしました。
 でもこれまたもう二度と読まない作品であり、作家です。(2010.07.15)

11032008 この著者は、1833年(明治16)8月27日〜1959年(昭和34年)10月20日の生涯でした。
 私はこの角川書店の本は実に膨大に感じられるものでしたが、この二つの本をともに、ノートをとり丁寧に読んだものです。もう補遺の方は、日記とは言えない感じでしたが、とにかく丁寧に読んだものでした。ちょうど69年5月に東大闘争で拘留されていた府中刑務所の中で読んでいたものでした。思えば、娑婆にいたら到底読むことはできない本だったでしょうね。
 大正時代、戦前の青年たちが読んだ本だということを感じながら読んでいたものです。今ならパソコンでいくつもの箇所を書いていくのになあ、なんて思います。だから思えば、だんだん楽ないい時代になっているのですね。あんなに汚い私の字でよくノートをとっていたものです。感心します。そのノートを今度取り出してみようかなあ。(2010.05.18)

11031817  このジュール・ヴェルヌの作品はいくつも読んでいます。また他の作品を紹介することもあるかもしれません。彼は、1828年2月8日〜1905年3月24日の生涯でした。
  私の読んだいくつもの作品の中で最初に読んだのが、この作品だったかもしれません。たぶん、子ども向けの読み物を小学4年くらいのときに読んでいます。ただ、私がちゃんと翻訳書を読んだのは、中学1年のときでした。
 無人島に漂着した15人の少年たちの物語です。この『十五少年漂流記』というタイトルは日本人の命名で、原作に沿った題名では『二年間の休暇』というということです。
 私はやはりブリアンが好きで、イギリス人のドノバンは少しも好きになれないのですが、やがて、ドノバンはブリアンの弟のジャックの秘密を真っ先に許したりするので、そこで好きになっていくものでした。いくつもの少年たちの行動と思いに涙があふれる気がします。いや今の私でも、いくつものシーンを思い出して、涙を浮かべています。(2011.03.19)

11031816 この作家は、 1868年3月28日から1936年6月18日の生涯でした。ただ、この作家は、ロシア革命後は最初はもてはやされるのですが、その後最後はスターリンに毒殺されたのではと言われています。
 ここでは『どん底』のことだけを書きます。私が読んだのは、中2の3学期の時で、訳者は中村白葉だったと思います。この文庫本は戦前の本で、母が買ったものだったと思われます。母は「とても読むのが辛い本だよ」とのみ教えてくれたと記憶があります。とにかく、どうにも救いようがないのが『どん底』で描かれている、人間の人生なのです。
 劇中で唄われる歌が以下です。

  明けても暮れても 牢屋は暗い
  よるひる牢番 えい、やれ!
  わが窓みはる。見張ろとままよ
  おいらは逃げぬ。逃げはしたいが、
  えい、やれ! 鎖が切れぬ。
  ああこのくさり わがくさり
  てめえは 鉄の牢番よ
  おれにゃ切れぬ てめえは切れぬ。

 この本を読んで、ソ連というのは、なんて暗いんだと思ったものです。思えば、私は中学生のときからソ連なんて、悲惨な国だなあ、と思ってきていたのでした。
 今ソ連ではなく、ロシアになったわけですが、なんとか普通の社会の国になってほしいものです。(2011.03.19)

201612053711031702 この著者は、1802年7月24日〜1870年12月5日の生涯でした。この作家の父親は、仏領西インド(現ハイチ)の生まれで、母親は奴隷出身でした。それで母親の姓を名乗って、ディマ(「Dumas」)としました。そして、この父親の思い通りに、アレクサンドル・デュマとして数々の作品を書いて行きます。最大の作品がこの長大なる物語です。
この物語は、以下の3つの小説からできています。 『三銃士』  『二十年後』 『ブラジュロンヌ子爵』 。私は鈴木力衛の訳本で25歳のときにすべて読んだものでした。
前にHNKで夕方に人形劇でやっていて、私もときどき私は見たものでした。
でもその人形劇では、ダルタニアンが一番なんだか格好良くて、私は「原作とは違うな」という思いでした。まあ、最初の 『三銃士』(実はダルタニアンは三銃士ではなく、もう一人の言わば四銃士の一人です)では少しは格好いいのですが、腹が減ったという従者プランシェを飯をあげないで(食べさせる飯を用意できない)殴ったりしています。実は私はこのダルタニアンが少しも好きになれません。
アトスは、最初の話では、ダルタニアンとブランシュがロンドンに行っている間、酒屋の蔵で従者のグリモーと一緒にワインをずっと飲んでいたりしていいのですが(でもさ、その間うんこしょんべんはどうしたのだ)、そしてひどいよっぱらいでいいのですが、そのあとの物語では全然格好よくないです。
最後の『ブラジュロンヌ子爵』のブラジュロンヌ子爵とは、このアトスの息子ラウルなのですが、ただただ親父ははなはだ格好よくない(私にはそう思えるのです)父親です。
私がやはり好きなのは、豪快なポルトスと野心家アラミスです。最後の物語で、亡くなったポルトスのために涙を流すアラミスがいいです(実は、「涙を流した」とは判らない書き方ですが)。
ここで四銃士の名前と従者をあげておきます。この従者もひとり一人が実に面白い存在です。

ダルタニアン プランシェ
アトス    グリモー
ポルトス   ムースクトン
アラミス   ハザン

あとそうですね。私には、どうしてもミレディという女性がものすごく魅力的です。実は彼女はアトスの昔の妻なのですね。

私は、以下に書いていますが、

ダルタニアン物語のことで
「ダルタニアン物語」と「鉄仮面」

私は、どうしてもダルタニアンが好きになれません。まあ、これは仕方ないかなあ。「皆は一人の為に、一人は皆の為に、"Tous pour un, un pour tous"」というのは、ダルタニアンが発案する言葉なのですが、この物語でダルタニアンこそがこれを守りきっていないような気が私にはしていますのです。もっとも彼だけが実在の人物であり、あとはみな小説の中の人物だからかもしれません。

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2017052421  この作家は、1909年5月5日〜1942年12月4日の生涯でした。もっと生きてくれたなら、どんなにいい作品を書いてくれたことでしょうか。
だが私は、当初この作家の作品をここで書くのに、何を書いていいのか決まりませんでした。
最初は、『光と風と夢』を考えたものでした。でも私には内容が思い出せません。書いていくうちに思い出せると思ったもので11031701したが(それがいつもの私のやり方なのです)、ここで『李陵』を思い出しました。でも書き始めてしまうと、『名人伝』『弟子』などを思い出します。そして『山月記』の文章が私の耳に迫ってきます。そして、『悟浄出世』『悟浄歎異』で沙悟浄の思いも甦ってきます。
そうですね。沙悟浄を思い出しましょう。私は前に、以下を書いています。
    中島敦の『悟浄歎異』

私は『西遊記』の中では、この沙悟浄が一番不可解なのですね。そもそも彼がどんな化物なのかということもよく判りません。彼は日本の物語では「河童」ということになっていますが、中国には河童なんかいません。
そして彼はいつも荷物持ちで、馬と一緒に留守番ばかりさせられています。この物語の、孫悟空、猪八戒、三蔵法師のように性格がはっきりしていなくて、何を考えているのかも判らないのです。ただ、この中島敦の小説で書かれることにより、この沙悟浄のはっきりした性格が私たちにわかってきたかと思っています。
沙悟浄が孫悟空と猪八戒の化かし合いの闘いを練習を見ている視線が私にはしきりに思い出されます。
中島敦がこの二篇の小説を書いてくれたからこそ、私たちは沙悟浄を知ることができたのだと私は思っているのです。私が高校1年のときに中島敦はそのほとんどの作品を読んだものでした。

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11031503  私はこの作品は、中学3年のときに読みました。私は角川文庫で読んでいたような記憶があります。訳者は桑原武夫でした。
『赤と黒』『ナポレオン伝』『パルムの僧院』を読んだあとで、この作品を読んだものでした。さらにそのあとに『恋愛論』『イタリア年代記』を読んでいました。
 スタンダールはナポレオンのイタリア遠征に参加しているのです。17歳のときでした。彼はナポレオンの崇拝者だと思います。それがものすごく理解できます。私もまたナポレオンの崇拝者と言っていいです。それは、このスタンダールの影響も強かったと思います。
『赤と黒』で、ジュリアン・ソレルに対して、強烈な愛をぶつけていくマチルダという女性は、この『カストロの尼』のエレーナを思わせます。
 スタンダールはイタリアが好きでたまらない感じで、私はそのことが理解できて、好きです。やっぱり今後も私は残りの全作品を読んで行きます。(2011.03.15)

11031315 このごろの年になってから、木山捷平を始めて読みはじめました。これだけの作家をいままで知らなかったというのが恥ずかしい思いがします。
 どの作品も読んでいくと、「これが私小説」という思いが「たしかにそうだよな」なんてわきあがります。
 私はこの作家のいくつかの小説を読みながら、田中英光の小説を思い出しました。彼の戦前のソウルでの生活を記したいくつかの小説です。作家としての資質がかなり違うはずなのですが、作者の思いとは違うかたちでどんどん時代が動いて行ってしまい、それに押し流されてしまう主人公の姿が何故か同じように見えてくるのです。日本という国家の動向に、誰もが自らの生活すべてをそのまま無理やりにつき合わされてしまった時代だったのしょう。
 この木山捷平の作品で代表作ともいえる次の作品を見てみたいと思います。

書名  大陸の細道
著者  木山捷平
発行所 講談社文芸文庫
1990年8月10日第1刷発行

 戦争の末期に満洲の会社に就職した作者が、酷寒の中で必死に生活していく話が語られます。ただ必死とは言っても、作者は酒好きであり、さして仕事熱心にも思えません。生きていくこと自体が必死だったということでしょうか。そして終戦の直前に召集令状が来ます。ソ連の参戦という事態の中で、信じられないくらい頼りにならない日本軍の中で、作者は軍事訓練をさせられます。

 作者はそのあと終戦になり、満州でさらに生活して帰国します。作者はこのことをいくつもの作品で反芻するように書いていきます。はっきり言って、読んでいて少しも楽しい気持になりません。そして、文章は「一体何のことを書きたいのかな」と思うほど、だらだらとした感じで話が続きます。何のことを主張したいのかなということではなく、ただ何のことを書きたいのかなとさえ思ってしまうほど、どうでもいいような話が続きます。それでも、私はこの作者の作品を読み続けてしまいます。読み始めると、そのまま読み耽けってしまう自分がいるのです。これが木山捷平がいまでも、たくさんの読者を持っていることの魅力なのかな、私も魅せられてしまったのかなと思うところです。
 この「大陸の細道」の細道とはいったいどのような道なのだろうかと思います。私がぼんやり感じてしまったものかとは思いますが、それをうまく表現できません。なんだか作者がそのまま流されてしまったものといえるのかななんて思っています。
 この文庫本には、吉本(吉本隆明)さんの解説がついています。吉本さんのこの解説が一番この「細道」を説明してくれているように思いました。

  ……、ただひとつ作者はおおきな無意識ともいえる形而上的な
 モチーフを潜在させている。それは、ある巨きな影のようなもの
 にたいする嫌悪と否定といえようか。このある巨きな影を、戦争
 といってもちがうし、肩をいからせて威張っているのに、すぐに
 ぺちゃんこになる満州の日本人同胞とのあいだに体験した嫌悪と
 いってしまってもまたちがう。軍国主義といってもまたちがう。
 具象化できる理念や事柄や物に還元してしまうと、すべてどこか
 でずれてしまうのに、巨きな影を落としているものが、この作品
 には潜在している。もちろん飄逸やユーモラスな笑いにも、弱小
 な生活者とじぶんを感じるためにおこる自己嫌悪の影ともちがっ
 ている。また告発や瞋りでもない。わたしはこの『大陸の細道』
 から滴り落ちた雫のような短編「苦いお茶」が好きだが「もしこ
 の世の中に引揚者精神というようなものがあるとすれば」(「苦
 いお茶」)そんな精神をこしらえてしまった造化の作用みたいな
 ものが、この巨きな影だといっていい。

 このおおきな影に対して、作者は否定と嫌悪の気持を持っていたわけであり、それを戦後になって、その気持を反芻するように、こうして作品を書いていったものだと思います。

  ……。いってみればこの長編『大陸の細道』における「細道」
 というのは、この何か巨きな影を背負ったものの歩いていった道
 をさしているようにみえる。

 この解説の中で、吉本さんはこの「苦いお茶」の中のあるエピソードをこの作者の否定と嫌悪の気持を表しているものとしています。私も実に一番印象に残ったところなのです。作者のいわば、どこまで続くのか判らない、そして一体何を書きたいのかというような文章のなかで、ポッと出してきたようなエピソードの中に、この「細道」を歩いてきた中にも、そのおおきな影に負けないような精神もあったのだなと言っているのかなと思います。

 そしてそのことは木山捷平に限らず、戦前戦中を生きた私たちの父や母の時代の人の中にある精神なように私は思いました。(1995.11.01) 

 私の家族全員がファンである喜納昌吉の本を読んでみました。私の自宅ではけっこう彼の音楽が流れています。

書 名 すべての武器を楽器に
著 者 喜納昌吉
発行所 冒険社
1997年5月15日初版発行

11031116 読む前には、「たぶん喜納さんは頑張りすぎてるんじゃないかな」なんて思いがしていました。あんまり政治的なことの発言になると、すこしいいすぎたり、つまらなく左翼的になってしまうのではないのかななんて危惧してしまったのです。でも読んでみると、そんな思いは吹き飛んでしまいました。実に爽やかでいいのです。彼の音楽を聞いているときとおんなじだな、なんて思いました。
 何度も私が言ってきていることですが、私にとって沖縄というところは、心の底にある故郷のような思いを抱いているところです。私は生まれたのが茨城県藤代町佐貫ですが、その後東京・秋田・札幌・名古屋・鹿児島・横浜と生きてきました。だが、その中で心の底から好きになれる故郷といえるのは、秋田だけなのです。そして大人になってから、しばらく働いていたことのある沖縄が、これまた私には、一番なにか分からないほどの郷愁を抱いてしまうところなのです。
 その沖縄には、たくさんの音楽があります。私は沖縄の音楽を聞いていると、とにかくじーんとして、ただただ嬉しくなってしまうのです。
 喜納さんが、アトランタのオリンピックの前夜祭(?)で、歌を唄う姿を必死にテレビで見ていました。一家でみんなで見ていました。だが喜納さんは、かなりかなり緊張していました。唄う「花」は、どうしてかいつもの「花」には思えませんでしたが、まずはとにかく嬉しかったものです。でもそうした、私の思いの根拠もこの本を読んで分かりました。たくさんのいろいろなことがあったのだなと確認できました。(1997.09.13)

11030704書 名 春日野清隆と昭和大相撲
著 者 川端要壽
発行所 河出書房新社

 著者の川端要壽は栃錦清隆と小学校の同級生です。上記の本のほか、彼の出版されている著書というと、

 「堕ちよ! さらば 吉本隆明と私」
 「修羅の宴 吉本隆明と私」 
 「二子山勝治伝」

があります(もっとあると思いますが、私の読んだのは以上です)。川端要壽は吉本隆明の中学時代からの親友でもあるのです。栃錦と吉本隆明という2人の巨人のあいだにこの川端要壽はいます。2人とも東京下町の貧乏人の生まれであり、栃錦は大正14年2月20日に小岩に、吉本隆明は同年11月25日月島に生まれました。なぜか川端はこの2人を相対させて書いているような気がします。
 そして私にはこの2人の巨人のあいだにもうひとりの巨人が見えます。

 私の自宅にテレビが入ったのが昭和32年でした。そのころはちょうど、千代の山、鏡里、吉葉山、栃錦の4横綱の時代から栃若の時代へのうつり変わりのときでした。はっきりいってそのあとの柏鵬時代は大味であんまり面白くなかった。この栃若時代の相撲が最高でしたね。そして私はなんといっても栃錦が好きでした。
 川端も、ときの相撲の評論家もだれも栃錦が、十両に、幕内に、大関になれると思いませんでした。まして横綱になるなんて誰が予想したことでしょうか。

  彼の偉大さは、結果が偉大なのではなくて、その地位、地位に
 あっての限りない努力なのである。

まったくこのとおりだと思います。
 そして理事長時代、たぶん栃錦には相撲が安定した存在になっているとは思えなかったのではないでしょうか。大阪相撲、京都相撲、東京相撲が存在したのは、ついこの間のことであったし、天竜事件のごたごたもついこのあいだのことであったはずです。
 だから栃錦はおごることなく努力したんだと思うのです。それがいまの相撲の隆盛になっているんだと思います。
 吉本さんがこの本の序文にこう書いています。

  相撲はたぶんボクシングとともに、いちばん土俵やリング外の
 はげしい修練と集中心と足腰や身体の訓練が必要なスポーツにち
 がいない。土俵上の一瞬の立ちあいや、リング上の単調にみえる
 打ち合いの背後に、たゆま ない修練が感じられるため、わたし
 たちはその膨大な修練の暗喩として一瞬の勝負や三分間の打ち合
 いをみているのだとおもう。

 この吉本さんのいう「たゆまない修練」の原点に栃錦がいると思うのです。

 それにしてもこの2人のあいだのもうひとりの巨人といえば、それは昭和天皇です。その人物と栃錦はニコニコ笑って話しています。吉本隆明は遠くからその人物を見つめています。(1998.11.01)

11030506  アレクサンドル・ソルジェニーツィンは、1918年12月11日〜2008年8月3日の生涯でした。彼が亡くなったこといを新聞で知ったときには、なんだか悲しかったのですが、でも彼の愛したロシアで亡くなったことには私は嬉しい思いでした。
 彼の作品はほとんど読みました。ほぼ大学6年のときに、浦和図書館で借りて読んだものでした。私には『イワン・デニーソヴィチの一日』『ガン病棟』の次に読んだ作品がこれでした。
 最初主人公が逮捕されます。彼は別にこの逮捕はたいしたことではない、すぐに釈放されると考えます。そもそも、彼はスターリンは嫌いですが、レーニンをこそ信じているマルクス主義者なのです。
 でもその収容所に前からいた囚人が彼にいいます。「すべてを疑え、すべてを疑え」。その日から大変に長い収容所生活が始まるのです。多くのマルキストたちがいます。1930年代の革命家と、1940年代の活動家が大論争します。でもでも、どちらも収容所にいるのです。そして入れているのは、ツアーリズムでもナチスでもなく、マルクスを讃える連中なのです。
 この中でも、優秀とみなされた彼は、とんでもない研究を任されます。それは電話に関することでした。優秀なスターリンは、世界のために人間のために素晴らしい研究を成し遂げるのです。私はあのくだらないスターリン言語論を思い出していました。
 もう再び読み返すことがあるのかなあ。でもこうした国家が崩壊したことだけは嬉しいです。(2010.08.10)

11030505書 名 乃木大将と日本人
著 者 S・ウォシュバン
訳 者 目黒真澄
出版社 講談社文庫

 乃木希典といいますと、誰もが「軍人としては無能だった」ということのみを、さもものすごい真実のようなこととして語ります。私はいつも呆れ果てて「それは、あなたが、司馬遼太郎と旧陸軍の見解のみで見ているからだよ」と指摘します。
 私はそんな乃木像ではなく、どうしても「「一人息子と泣いては済まぬ。二人亡くした方もある」と庶民の共感をよんできた乃木さんの姿を、今もたくさんの乃木を好きな人たちとの会話の中で知ってきたものでした。そういう日本の庶民たちが親しんできた乃木さんの姿を一番表してくれているのが、この本ではないかと思います。
 どうか、この異国の新聞記者がどうしても好きになってしまった乃木大将を姿を見てほしいなと思います。(1992.11.01)

11030411  この作家は、1912年4月15日〜2004年5月1日の生涯でした。私はこの小説は中3の時に読んでいます。『秋田犬物語』『土佐犬物語』『かませ犬』も同時期に読みました。またこの作家の戦記物語小説も私の40代の時に読んだものでした。
 思い出せば、私の父が読んでいた小説を本棚から勝手に読んだものでした。私の家では秋田に住んだときから、ずっと秋田犬を飼っており、それを札幌、名古屋(ここは3ヶ所)、鹿児島と連れて歩きました。横浜、我孫子でも飼っていたものでした。たぶん、50頭を超えるでしょうか。
 秋田、札幌、名古屋南区、名古屋北区、鹿児島(ここでは2回生まれました)で子犬が生まれ、5匹から8匹の子犬と私たちも夢中になり、遊んでいたのを思い出します。
 この高安犬は山形県の犬で、マタギ犬(でも思えば、この「マタギ犬」のことも説明する必要があるのですね。今気がつきました)として使われていました。現在ではもう滅んでしまったようです。
 この作家の日本の犬に関する数々の作品が実に懐かしい思いがしています。またそのうちにこの作家の他の作品も紹介いたします。(2011.03.04)

11022729  この著者は、イギリスのディフォーの『ロビンソン・クルーソー』を下敷きにしたこの物語を1794年〜98年に執筆しました。
 彼はスイス人で1742年3月4日〜1818年1月11日の生涯でした。私は中学1年のときに読んでいました。
 スイス人の牧師ロビンソンとその奥さん、その子ども4人と2匹の犬が帆船で、オーストラリアに行こうとするときに、何故か難破して、船から苦労して荷物等を取り出して、南海の孤島に住み始めます。さらに10年を経て、イギリス船も難破して、その人たちも一緒に生活し始めます。
 そしてまた年月が経って、またイギリス船が来る中、この家族は、ヨーロッパへ行く者もでますが、この島に残ろうとする両親や子どもたちもいます。
 私にはこの島に残ろうとする人が、どうしても分かりませんでした。こんな島で住むことがなぜいいのか理解できませんでした。私にはまったくの勘違いの物語にしか思えないものでした。(2010.07.27)
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11022111 涙ばかりが出た小説があります。朝出勤の際に読んでいると、何度も本を閉じてしまったものです。

書 名 花ざかりの渡し場
著 者 伊藤桂一
発行所 新潮文庫
1996年4月1日初版発行(92年9月に実業之日本社より発行)

 江戸時代の鬼怒川沿いの大きな宿場町、阿久津が舞台です。ここの河岸問屋に集まってくる人や物や情報のお話が、この物語になります。9つの話がつづられていますが、どれもが話の中に自然とひきつけられてしまう人情話なのです。
 河岸問屋に集まる人たちが、誰も誰もがとても優しいのです。これはみな作者の分身なのだろうなと思いました。こんな小説を読めることは、大変に嬉しいことでした。(1997.08.14)

11022712 1642年(寛永19年)〜1693年9月9日(元禄6年8月10日の生涯の浮世草子の作家です。
  それから、この書籍は、私なんかは、『なんしょくたいかん』とつねづね言っていますが、もちろん正確には、『なんしょくおおかがみ』です。
 私が読んだのは、大学1年の秋でしたが、本は神田の古書店で買いまして、本自体は天保の頃のものだったかと思います。何故か日本のものなのに、ペーパーナイフで頁を切り開くようになっていました。思えば、天保の頃から、この本を読んだのは私が最初というわけでした。
 この本も我孫子の家の引越しで売ってしまったものでした。 序文を暗記するまで行ったものでしたが、もう今は忘れてしまいました。
 前に、『日本永代蔵』 を読んでいましたが(これは岩波文庫で)、今ではこれも内容をすっかり忘れています。 いずれにしても、これから読み返すにしても、もうどこで手に入れたらいいのか、もう私には皆目判らなくなってしまっている本です。(2010.03.08)

2018030501  私はこの作品を1967年の6月に読んでいました。もう大学1年だったのですね。訳者は横田瑞穂でした。この作家は1924年9月29日〜1936年12月22日の生涯で32歳で亡くなっています。
この作家は四肢の自由を失い、失明してから、この作品を執筆しはじめました。これは彼の自伝といってもいいだろう作品です。第一部を完成し第二部を書くときに亡くなりました。この第一部だけで文庫本で2冊あります。
そうですね。そののち私がバ11022609ス代値上阻止闘争を長くやったときに、何故かベ平連だった化学科の女性がいました。彼女は大学の自治会は、民青だというので、嫌っていましたが、何故か選挙では共産党に投票するのです。私はそもそも共産主義は駄目なんだが、特に日共=民青はだめなんだと話したものでしたが、彼女は本来の共産党は違うもののようでした。何故あんな娘がいたのでしょうか。ただし、彼女は20歳の頃自殺してしまいました。
私には、この小説も実に嫌なものでしたが、何故か少しだけ私の心に残っています。(20.10.10)
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11022602 私は自分では司馬遼太郎のいいファンとは言えないという思いですが、いままでたくさんの作品を読んできました。
  好きな作品と言ったら、この『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』でしょうか。どちらも、この作品で坂本龍馬と土方歳三のことを知った思いがしました。
  ただし、あちこちで作者の強い思いの中で作られてしまうヒーローを感じました。この小説の中でのことが実際の歴史にあったことのようにされていることを、私はいくつもみています。
 司馬さんの作品で私が馴染めないのは、作品の物語の展開ではなく、司馬さんが自分の言葉で歴史の解説を事実かのように語ることです。いくらでもその例をあげることができますが、これは比較的それが少ない作品だと思います。
 この作品では、竜馬に限らず、勝海舟、乙女、おりょう、お登勢、千葉さな子など、みなこの作品でその人物を見てしまっています。仕方ないと言えるのかなあ。どうしても私も好きになってしまう作品なのです。(2010.11.09)

11022507 私はいつも司馬遼太郎の話となると、ほぼ誰もが実に肯定的に話すことに対して、「それも小説だよ。歴史の事実とは違う」と話したものでした。だから、司馬遼太郎に関しては、私は好きではないのだろうと思われがちでしたが、けっしてそんなことはありません。ただ彼の作品に溺れるような思いは一度もありませんでした。
 彼は、1923年(大正12年)8月7日〜1996年(平成8年)2月12日)の生涯でした。私は彼の作品はほぼみなと言えるくらい読んできましたが、『街道をゆく』はすべてを読んではいません。
 そしてその中でも、この『峠』という作品が好きです。いや、この作品で描かれている河井継之助という人物が好きになったのです。私には数多い司馬遼太郎の作品の中では、これが一番好きなのです。
 司馬遼太郎は、『史記』を描いた「司馬遷に遼に及ばず」ということで、ペンネームにしたようです。高校1年のときに『史記』を読んで、司馬遷のファンになっていた私には、そのあと大学生後半になってから読み始めた作家でした。
 ただ私には、この『峠』はそれほどの長編には思えていない作品です。私にはアッという間に読んでしまった思いです。
 ただし、この河井継之助という人物への思いは、私にも簡単にはすみません。薩長がいけないのだと思えば、いいわけなのかもしれませんが、そうも行きません。明治の始めの会津城攻城戦には、弁当を持って見学に来ていた庶民がいたといいます。そんな多くの民衆から見れば、この人物のやったことは何だったのでしょうか。単に西欧の新規の銃を駆使して多くの人を死なせてしまったことしか思いません。ただ、そうは思いますが、どうしても好意を持ってしまう人物です。(2010.03.07)

11022405 シラーは1759年11月10日〜1805年5月9日の生涯でした。
  親友だったゲーテが1749年8月28〜1832年3月22日の生涯ですから、それよりも10年若く生まれ、27年も若く亡くなったわけです。
 シラーの作品はいくつも読んでいます。それで最初は『群盗』を紹介しようかと思っていましたが、このスイス建国の英雄の物語(戯曲ですが)にすることにしました。でも思えば、スイス人は、この外国人(しかもドイツ人)であるシラーがこの物語を書いていることにどんな思いなのでしょうね。
 スイスは当時支配していたパプスブルグ家のオーストリアから独立します。そのときに活躍するのがこの英雄です。もちろん、歴史上の人物ではなく、文学の上だけの人物ですが、スイス人の多くは、本当に存在した人物だと思っているようです。
 私は中学2年の6月に読んでいたものです。私はスイスという国もスイス人も、昔から今に至るまで少しも好きになれませんが、このヴィルヘルム・テルだけは好きです。
 思えば、ゲーテという作家はいくつもの作品が思い出されるわけですが、このシラーはこの作品くらいじゃないかなあ(ただし、私は他にもいくつも読んだものです)、とそんなことを思いました。(2011.02.25)

11022404 これは、1993年夏に私は読んだと思います。1991年にこの女性作家により米国で出版されました。
  どこの国でもベストセラーになっている作品です。ただし、この作品の舞台である中国本土ではここままですと、まったく出版されることがないと 言われています。一体中国という国はなんなのでしょうか。
 この小説の主人公のお母さんが纏足で、実際に自分の足で歩くことはできません。それでもこのお母さんが広い中国を走り回るわけですが、それには屈強な男たちを雇ってそれに担がれるものに乗って行くわけです。もうなんで、中国というのはこんなひどいことをやったのでしょう。そしてしかも、これは20世紀の話なのですよ。

 パールバック『大地』で、主人公王龍の妻は阿藍で彼女は寡黙で実に働き者です。でも夫の王龍は豊かになり、他の女も妻にします。だが、王龍は実はこの妻のことが少しも好きになれません。それが、この妻が普通の女で、纏足をしていないことにありました。私は読んだのが中2のときでしたが、このことがどうにも嫌でした。私にはどうにも中国が許せませんでした。

 そして、今も世界中で多くの人に読まれるようになったこの小説『ワイルドスワン』を今もまったく読むことのできない中国を実にひどいとしか思えません。一体いつまであのひどい国がこのまま存在していくのでしょうか。

  私はできるだけ中国の古典だけではなく、こうした新しい作品も読むようにしています。でも日本人である私は読めるわけですが、中国人は永遠に読めないのでしょうか。(2011.06.01)

11022306 1875年(明治8年)7月31日〜1962年(昭和37年)8月8日の生涯でした。私がこの本を読んだのが中学2年の時でしたから、その年に柳田国男が亡くなっていたのでしたね。角川文庫の随分古い本でした。
 私は小学生の時に日本の昔話はいくつも読んできたものでした。それが、この短い文庫本の中にずっしりと詰まっている感じがしたものです。でも今の私には、一つ一つの本は思い出せません。ただ私にとっては、柳田国男の本を始めて読むものでした。その後高校生になって、「定本柳田国男全集」の何冊かを手にするようになったのでしたが、それはあまりに膨大で、その点、これは文庫本で容易く読める感じで私には実にいい読書でした。
 でも、この本で始めて私は柳田国男に接したわけです。高校生になって、柳田国男と折口信夫はすべて読もうと決意したものでしたが、そうした思いに至る最初の出会いがこの文庫本でした。今後きっとキンドル(今は私はガラパゴスですが)でも読んでいくことでしょうね。(2010.03.14)

11022210 この人は1864年4月8日(元治元年2月28日)〜1909年5月10日(明治42)5月10日の生涯でした。私にはこの人はいつも不思儀な思いばかりに駆られる人です。夏目漱石や森鴎外は、さすが大文豪だなあ、と思っていまうところがあるのですが、「この人は何なのだろう」といつも思っていますのです。
 言文一致を坪内逍遥は主張したはずですが、実は彼は少しも実際の作品では展開できませんでした。この逍遥の『小説神髄』よりも、四迷の『小説総論』のほうがはるかに優れています。でも実際に彼が書いたのは、『浮雲』『其面影』『平凡』だけなのですね(ロシア文学の翻訳はいくつもやっています)。それに私はいつも、何故この人はロシア文学をやったのかなあ、と思うのです。どうしてもロシアのことは日本の最大の敵だと思っていたのかなあ。
 私はいつも、吉本(吉本隆明)さんの言われることを、おおいに参考にしています。いえ、私は吉本さんのことはもう信仰のように信じきっています。でもでもその吉本さんも、本の中でも、この四迷のことだけは、ちゃんと言い切れていないのですね(と私は思います)。
 その四迷の書いた小説は、私は『浮雲』は、実にいい小説だと思いました。明確に言文一致がなされています。そして内容も実につまらないことが書いてあります。私の友人で、息子に「文三」という名前をつけた人がいて、私はすぐに、「浮雲から付けたのか?」と聞いたものでした。
 私は『浮雲』は中学2年と3年のときに、2度読んでいます。内容も今もよく思い出せます。この『其面影』も中学2年のときに読みました。もう実に面白いとはまったく思いませんでした。
 私には、この著者は、今も理解できません。顔写真を見ても、いつも「何を思っていたのかなあ」とばかり考えてしまいます。彼はロシアから日本へ帰るときに、ベンガル湾上の船で亡くなります。(2010.03.17)

11022209 この作家は、1913年(大正2年)1月10日〜1949年(昭和24年)11月3日の生涯でした。太宰治が自殺した1948年(昭和23年)6月13日のあと、太宰治の墓の前、三鷹市の禅林寺で割腹自殺します。
  この人は180センチの大柄な人でした。誰か作家で、彼が怒って迫ってくるので、慌てて逃げたということを読んだものでした。
 早稲田大学政経学部を卒業しましたが、そのときに競艇選手をやっており、第10回ロスアンゼルスオリンピックに出場しており、そのときの出来事を描いたのが、この小説です。
「秋ちゃん。 と呼ぶのも、もう可笑(おか)しいようになりました。」で始まり、「あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか。」で終わる小説です。私は中学2年のときに読みました。こんな純情な人がいたことに、実に不思儀な思いでした。
 ただこの作家の作品は、高校生のときに他のものもいくつも読んでみたものです。ただ、私には、この『オリンポスの果実』がいつまでも忘れられません。
 もう言っても仕方のないことですが、この秋ちゃんは、あなたのことがきっと好きだったよと田中英光には伝えたい思いです。短い小説ですが、青空文庫で読めます。ぜひ読んでみてください。
 太宰治は、『グッドバイ』を最後に書きました。田中英光は『さようなら』が遺稿にあります。(2010.03.12)

11022110 この文庫本を読んだのはいつの時かなあと思い出してみてもはっきりしません。たぶん高校2年のときかなあ。岩波文庫で読みました。
 小川亮作の訳でした。マルドリュス版『千一夜物語』を読んでいたので、このアラビヤの世界には親しみを感じていたのだろうと思います。
 だがこの『ルバイヤート』には少年愛がいつも歌い上げており、どうにもその感じは判りませんでした。
 1048年5月18日〜1131年12月4日の生涯のイランの詩人であり、天文学者でもあり、数学者でもあります。いつも私は酒を飲んで4行詩を詠っていたように思い込んでいましたが、思えば、イスラムだから酒はいけないのですね。
 イランの詩人ですから、アラビア語ではなく、ペルシア語で書かれた詩集です。(2011.02.22)

11022109 長与善郎は、1885年(明治21年)8月6日〜1961年(昭和36年)10月29日の生涯でした。私は彼の作品は、この他では『項羽と劉邦』を読んでいます。この作品は中2のときに読みました。
 この作品は実にわかりやすいテーマだと思いました。私は宗教というものに、自分が信仰するということは少しも考えられませんが、『聖書』は読むのが好きです。どうしても、文語訳の『聖書』、とくに『新訳聖書』は何度も読んでしまいます。それに比べて仏典なんかは、とくに『禅家語録』なんかは、少々難しくて面白くなくて、どうしても読めません。
 だが現在のキリスト教ではなく、この時代の切支丹には、実に切羽つまる大きなものを感じています。
 この小説の主人公萩原裕佐は、江戸時代に実在した踏絵作家です。この小説の最後に次のようにあります。

 萩原裕佐は最後までけっして切支丹ではなかったのである!彼はただ一介の南蛮鋳物師にすぎなかったのである!

 もちろん、切支丹を取締う役人たちも、このことには気がついていたでしょう。でも彼が作った踏み絵マリア像がありまりに精巧なもので、その絵が素晴らしかったので、当時の日本人では、それを自分の足で踏むことができないのです。
 ただ、私が読んだ中2の頃も、別段大きな信仰の問題だなんて考えられませんでした。日本の歴史の中に、こんなこともあったのね、くらいなものでした。(2011.02.22)

11022103 中村白葉の訳で、私は大学1年の秋に読みました。岩波文庫で『イワンの馬鹿』のいくつもの童話短編集の中に、この話がありました。
 小作人の主人公は、いつも土地さえあればいいと思っていました。そして彼は苦心苦労して自分の土地を手に入れます。
 でもそれには満足できない彼は、この自分の土地を増やしていきます。でもさらに彼は広い土地が欲しいのです。
 彼はさらに自分の土地を得ようと、遠いシベリア(実はシベリアとは書いていないし、そうではないのでしょうが、私にはそうとしか思えないのです)の豊かだが、価格的には法外に安い土地を得ようとします。そこは一日歩きまわって目印を付けて囲んだ土地がすべて安い価格で自分のものになるといいます。
 彼は、そこへ行って、早速走り出します。そこの村長以下みんなが驚くほど彼は大きく走り出します。でも欲をかきすぎて、大きく走り過ぎかもしれません。でも彼は必死に走ります。
 村長以下が彼を見つめています。こんな広い土地を得られるのは彼くらいなものです。みんな拍手しています。彼を讃えてくれているのでしょう。
 でも彼が帰りつかないと、それは彼のものではありません。
 大勢の村長以下の人が見る中、彼はたどりつきます。すごい広い土地が彼のものなのです。でも彼は走りすぎて、その疲労で最後そこに倒れて、死んでしまいます。
 そしてそこに埋められるのです。彼に必要な土地は、その墓場だけだったのです。
 なんだか、日本の土地だけを求めていた人のことを笑っているのかとも思ったものです。レフ・トルストイって、こんな作家なのかなあ、なんて思ったものでした。(2011.02.21)

11022101 この本は、中央公論社の「世界の名著」で、高校2年のときに読みました。高校生の私には大変に興味深い本でした。
 フロイトは、1856年5月6日〜1939年9月23日の生涯で、アシュケナジー・オーストリア人でした。
 この本は、第1部「錯誤行為」、第2部「夢」、第3部「神経症総論」…から成りたっています。最初「錯誤行為」いわゆる「しくじり行為」が繰り返し書いてあることに、大変に興味を覚えたものでした。これはフロイトが、大学で講義をした内容だそうです。
 しかし、今ではフロイトはそれほど評価はされていないということで、でもこのことが今の私にはよく判らないことです。
 ただとにかく私には、彼のこの著作を読んでいた衝撃は忘れることができませんせん。
 従来のことを180度ひっくり返すような学説を出したということで、ニュートンとダーウィンに続く存在だったということは間違いないでしょう。
 また、マルクス、ニーチェと並んで20世紀の思想に大きな影響を与えてくれた人物でもあります。(2011.02.21)

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