周の雑読(政治経済篇)備忘録

2011年06月23日

「全共闘白書」「全共闘白書資料篇」

 なんとなく気が重いのですが、以下の本について何か書いておきたいと思います。

書  名  全共闘白書
編  集  プロジェクト猪
発行所  新潮社
1994年8月25日発行

書  名  全共闘白書資料篇
編  集  プロジェクト猪
1994年9月発行

11062015 全国の全共闘であったと思われる人への4,962通のアンケートを依頼し、その回答が526通あったということで、作られたのがこの「白書」ということです。「資料篇」はその回答の総てがそのまま掲載されています。
 ちなみに「プロジェクト猪」とは、この全共闘を担ったいわゆる団塊の世代のうち猪年が中心だったということより作られた名前なようです。私は子年であり、私たちのほうが中心だったように思ってはいますが、それはさておきどうでもいいことです。この白書を作った編集委員会の事務局担当者は確かに猪年が多いようです。
 当然私にもこのプロジュクト猪のアンケートが送られてきました。このアンケートの「呼びかけ人」にも、事務局を担当している人にも約半分の人と私は友人の関係にあるために、やっぱり仕方ないからアンケートに協力しようかななどと思ってはいたのですが、そのうち忘れ果ててしまっていました。だが今思えば、私はこんなアンケートに応じなくて良かったなというのが一番の印象です。
 約1割強の回答率なわけですが、どうにも

  アンケート用紙約5000通のうち500も回答があったのは
  すごいことだなと思うんですよ。

 (回答者座談会「心は今も『全共闘』での山本美知子さんの発言)

という言い方をあちこちで見たのですが、まずはこれが何をいっているんだということを一番感じました。たったの1割強の回答率で、何が「すごいこと」、何が「白書」などといえるのでしょうか。私の回りにいる全共闘の各友人たちも、真っ先にこのことを指摘していたように思います。
 でもアンケートに答えた方々には「おかしいよ」という気はありません。答えようが、答えまいがどちらでもいいのですが、その答えからなるこの「白書」とやらの内容にはいささか違和感があります。それははっきりいうと、そもそもこのアンケートをやろうということそのものへの違和感だと思ってしまいます。
 私たちの過ごした全共闘の時代を深く思い出すことはいいことだと思っています。おそらくは誰もあの当時の闘いの日々を忘れることはできないでしょう。そうした闘いの延長の中で、今の日々の生活もあるのだと思っています。私もあの当時の気持を一瞬たりとも忘れたことはありません。だが、この「白書」の指向しているのは、あの闘いのとき持っていた私たちの気持とはどうにもかなりずれているように思えてなりません。
 たしかに私たちのあの闘いは、ある大きな時代を作っていたように思います。だがこの「白書」の人たちは、その「全共闘」が今はあまりに日常性に埋没しているから、また元気に活躍してほしいというのでしょうか。また私たちの全共闘世代もこの現在の日本を動かせるほどの何かの力になりたいというのでしょうか。私は何故か、全共闘を終えたあとも、各地で有機農業をやったり、反原発の運動をやったり、どうしてか社会党に属してしまった人々が、また私たち全共闘やらの力を利用して、「夢よもう一度」とばかり、また政治をやろうという傾向を感じてしまいます。勝手に有機農業をやろうと、環境問題に取り組もうと、何をやろうと結構です(私は賛成しないよ)が、私はそんな連中と組む気も何もありません。だいたいに全共闘運動というのは、そうしたものに結実してしまうようなものだったのでしょうか。

 この「白書」の出版記念会には参加しました。どうしても何人か動員して出席してとの要請があったからです。最初「よびかけ人」とやらの代表の今井澄が社会党大会とやらの為に遅れてくるとのことでした。一体社会党というのは、全共闘と関係ありましたか。むしろ敵ではありませんか。私は今井が来て、壇上に立ったときには思わず、「何で社会党が挨拶するんだ」とやじってしまいました。私と同じようなやじがわきあがりました。人のいい今井は、それでなんだかすぐ元気がなくなりました。
 はっきりいえば、私たちの全共闘世代はどういわれようと、どこでも元気に生きているんです。あちこちいろいろな場で同じ世代の元気な連中とお会いすることがあります。これだけ元気に活躍しているのですから、別にまたこれから何かを組織してやろうなんて必要ないのです。そんな考え自体が本来なら「全共闘」と無縁のものなのです。
 私はこの「白書」の内容で一番驚いたことがあります。元全共闘なのに、わざわざ選挙で日本共産党に投票したという信じられない連中がごくわずかいることです。いいですか、日共なんて、昔も今も私たちの敵でしかないじゃないですか。なんでこんな馬鹿がいるのでしょうか。私はこれだけは、もう編集で改竄していただきたかった。そしてその、アンケートの内容を改竄してしまったということを誰かがマスコミにでもバラしてしまうんですよ。そうすれば、「世間の良識あるとかいう人々」に、今も全共闘というのはボルシェビキ気取ったどうしようもない無法集団だということになり、まったくそれでいいんですよ。
 出版記念会の最後は「インターナショナル」の合唱でした。私は「まさかこれは冗談だろう」といっていたのですが、あの人たちは本気でインターを唱っているのです。私の周りにはけっしてインターを唱わない連中ばかりが集まってしまいましたが。まったくどうかしています。冗談じゃないです。冗談じゃないといえば、この記念会で私は詩吟を披露したのですが、途中でマイクを切られてしまいました。あんなやりかたはスターリンですよ。後から、マイクを切ったのは誰だと捜しまわったのですが、誰も逃げるばかりです。私はもう心の底から、「もう俺は全共闘なんていわれたくない」と思いました。

 だが少し冷静になって考えてみると、やはり全共闘自体が間違っていたのではありません。「全共闘白書」などといって浮かれている連中、ならびにそうした傾向が間違っているのです。私はやはり全共闘だったときの気持を忘れません。だが、いまこの「白書」を作った傾向で、また何かをやろうというようなことにはけっして賛同する気はありません。でも、「全共闘なんてたいしたことないのね」「全共闘なんてくだらないのね」といわれてしまうことに、少しは我慢しなければならないでしょう。だってあれもまた全共闘には違いないのですから。
 少しは我慢していますが、どうせ当り前に私は振舞っていきます。そして全共闘だからではなく、「周さんだから」といわれるように生きていきたいと思っています。「周さんて全共闘だったんだって」とどこかでいわれればいいのです。それが全共闘運動だったはずなのです。(1994.11.22)



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2011年06月17日

『日米構造問題協議最終報告』

11061608 昔新宿のある飲み屋でのことです。私はそこで、いかに平将門が素晴らしいのかを大声で演説していました。将門が土地をいかに大事なものと考えていたのか、関東の土地を関東の人民の為に解放するためにいかに闘ったのかということを。随分長くはなしていましたが、そこのママがひとこと

  その将門さんがやりたかったのを、実現したのがマッカーサー
  なんだよ

といわれ、絶句しました。
 たしかにそうなんですね。農地改革というのは、大変に偉大な改革です。アメリカという国はよく日本のことを理解していたんですね。まああれは、アメリカではなく連合軍だという意見もあるでしょう。でもコミンテルンの二七テーゼ、三二テーゼの日本の把握をみていると、ソビエト共産党には日本の社会の正確な分析ができていたとは思えません。やはり戦後のさまざまな改革はアメリカの分析よりできたものだと思います。
 逆に日本には鬼畜米英といいながら、アメリカという国を分かっていたでしょうか。勿論否ですね。アメリカどころではなく、中国もアジアの国々のことも何も理解していなかったといえるでしょう。
 でも戦後という言葉もなくなりつつある現代はどうなのでしょうか。日本はアメリカを判っているでしょうか。アジアの国々のこともどうでしょうか。そんなこと思うとき、打ちのめされるほどのことがあります。それが日米構造協議です。

書  名 日米構造問題協議最終報告
編  者 日米構造問題研究会
発行所 財経詳報社

 あるときに私はNIFTYの新聞記事検索で、この日米構造協議という言葉で検索してみました。最初その年の7月から9月までとしたら、莫大な件数があり、課金を考えて、9月のみとしました。しかしそれでも出てくる出てくる、大変な記事の分量です。それで、このひとつひとつの記事をながめてみると、それはもう実に細かいんですね。地方新聞にはよく大店法のことなんかが書いてあったものです。
 そしていま、ああそうかこれは日米構造協議のおかげかなんてのが、いくつか思いあたります。銀行のCDが日曜日も稼働していること、土曜日も時間延長されたこと。うちの近所の農家がアパート建てられたのは、借地・借家法の改正のおかげか。
 しかしそれにしてもこと細かくいろいろ勧告されているもんですね。ここまでなんでいわれなきゃならないの。本来これは日本の政治家が提案すべきものじゃないの。何故ここまでアメリカは日本のこと分かっているの。
 日本の政治家は分かっていても、提案できない。もう利害があちこちにありがんじがらめだからだ。中核派と同じ超保守反動派になってしまっている社会党なんかには、こんな分析提案できるわけありません。
 暗澹たる思いです。それとも日本の政治家は、またペリー黒船や、戦後の諸改革と同じように、外圧を利用しようとしているのでしょうか。でももうそれはないんじゃないの。もう自らやるべきですよ。
 逆に日本はアメリカのことここまで分析できているの。なんだか、やっぱり日本はアメリカの前ではまだ幼児なのでしょうか。
 日本は経済大国だという。アメリカは落ち目だ。宮沢にすりよるブッシュを見ていると、たとえ宮沢が嫌いでも、日本は大国になったのかと錯覚してしまいます。だけどそれは全くの錯覚ですよ。日本は自分たちでやるべきことを、アメリカにいわれなければできないのです。
 考えてみれば、実に頭にきます。アメリカみたいな赤字大国に、なんでここまでいわれなきゃならないの。アメリカは自分のこともうまくやれないのに、こうまで口だすな、日本だって独立国だぞ。………でもでもなにをいってもむなしい思いになります。アメリカの指摘勧告はあまりに的確だからなのです。 江藤淳が、戦後の検閲の問題をこと細かくやったり、「NOといえる日本」なんていう風潮がすこしもてはやされたりして、………でもそんなのみんなだめですね。ここまで分析提案してみてください。
 私は、谷中の「双葉」という飲み屋にいくとき、表通りではなく、裏から入る細い秘密の道があるのですが、そこを通るのが好きです。そこから入ると誰でも少し感激します。そんな道知っているのが得意なんですね。でも思ったんです。こんな秘密の細い道もアメリカには分析されつくしているのかな。そしてあれはなくすべきであるとか、いや日本人の飲みコミュニケーションには大事な道だから存続すべきとか、もう論議されつくされているかななんて。それに比べて、俺はニューヨークの飲み屋なんか、一軒もしらない。(1992.07.31)



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2011年06月15日

中村治郎『真理子の辞表』

11061415 スロースターターさんから「からすむ第2号」を送ってもらいました。一緒に渡辺一雄「我慢する社員はダメになる」も送っていただき、これはすぐ読んでしまいました。ちょうどゴトさんから日経新聞の平成4年10月2日〜13日までの「サラリーマン イトマン崩壊 番外編バブルの果てに」という切抜きをもらったところでした。
 この3つは共に、サラリーマンの「人員整理」とか「辞表」とか「解雇」とか「自主退職」とかいう文字がでてきます。もちろんかなり内容は違うし、視点も違うのですが、サラリーマンって大変な存在なんだなと考えてしまいます。
 でもこのことはまた述べたいと思いますが、「からすむ」のなかで「真理子の辞表」という小説で思い出したことがありました。

書 名 真理子の辞表
著 者 中村治郎
収録雑誌「からすむ」第2号
1993年2月1日発行

 この小説は真理子というOLが、会社で「修養団」という研修にいかされ、それで会社を辞めようと思うということが書いてあります。少数組合の仲間が電話をくれて、この研修の内容を考え、結局は真理子は辞表はださないのかもしれません。
 私も形は違いますが、自己啓発のセミナーに参加した経験を思い出しました。いまかなり盛んになっているようですから、経験された方もいるのではと思います。けっこう企業が研修として利用しているのもあるようでした。その研修内容に関しては、外へ話さないというのが約束事ですので、それは守りたいと思いますが、私にとってはなかなか貴重な体験でした。
 私もかなり内容で涙流しましたし、このときの同じグループでやった人たでまだ連絡しあっている友人もいます。私は参加して良かったと思える研修でした。
 研修コースは3段階あって、私は1段階だけでした。研修が終って、私は次ぎの段階へ行くように勧められる面接があるのですが、そこで私は「あなたは来なくてもいいのじゃないか」といわれました。私はこう言ったのです。

  このセミナーの考えは、私とは対岸にある思考だと思います」
 と。私は吉本(吉本隆明)さんの方法思考で経営コンサルティン
 グしているつもりです。例えば私は吉本さんの「言語にとって美
 とはなにか」を「経営」という方法に応用できると考えているの
 です。私にとってはこの自己啓発のセミナーは、確かにかなり興
 味が持てましたが、やはり私とは対岸の思考、はっきりいえば、
 私とは敵対する思考方だなと感じたのです。

 私の面接者はそもそも吉本さんを知りません。私の考えをかたくな駄目な発想ととったようです。まあ私は「かたくな」ですが。
 しかし私は思ったものです。私の面接者は20代後半の男性でしたが、その年で何故そんなに「自己啓発」できちゃっているのかな、人間はこういうことで簡単に変わらせられるとか「落せる」とか考えるものじゃないよ、と。もちろん声には出しませんでしたが。たしかに人は、簡単な契機で、人を愛したり、人を殺したり出来てしまう存在だとは思います。しかしそう簡単に悟が開けるわけではないのだ。
 なぜいま企業はあのようなセミナーにたよるのだろうかと思います。本来企業と労働者は契約関係です。しかしその契約ということではなく、別なかたちで労働者と見えないつながりを持ちたいのだと思います。
 この「真理子の辞表」は最後の組合の仲間が電話をくれて、多分考え直していくだろうというようなところは、実は私は不満です。この研修は冷たい水に入ったり、明治天皇の和歌を唱えさせられたりするから、真理子がはっきりと嫌になるのは分かるのです。しかしもっと違う形のセミナーなんかだと、そのまま身体に染み込んでしまうのではないでしょうか。私が参加したセミナーでは殆どの人(200人くらいでしたが)が涙を流し(私も)、またかなりな割合で次のコースへすすんでいきます。「あなたは来なくていい」なんていわれたのは私ひとりでしょう。
 私が昔労働組合作って、激しく闘ったとき、最後のアジビラに書いたことです。

  原点は常に独りであり、闘うのも常に独りである。

 私は独りで自立できない限り、私のやってきたことは駄目なのだと考えるのです。そしてこの文のあとにさらに続けました。

  そして、その闘いの中で、連帯の輪を見つけたことは
  私たちのひとつの勝利かもしれない。

 この小説読んで、こんなこと思い出しました。(1993.02.21)



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2011年06月14日

立石泰則「『コクド』の研究」

続々会社の寿命強さの研究」で「西武鉄道グループ」について書きました。さらにこのグループについて詳しい資料含め私たちに説明してくれている文書があります。

題  名 世界一の大富豪堤義明「コクド」の研究
    なぜ「コクド」は税金を払わないのか
    資産四十兆円を守る驚異のシステム
著  者 立石泰則
掲載誌 「文藝春秋」1994年9月号

11061207 ほぼ私が書いていた内容と同じなのですが、どうやって手にいれたのかは明らかではありませんが、コクド(旧国土計画)の昭和63年3月期から平成5年3月期までの財務諸表BSとPLが資料として提示されています。どうしてか決算書を手に入れることができたのでしょう。もっとも、各株式会社は公告を義務付けられていますから、これは本来むずかしいことではありません。とはいえ、私などは初めてみる資料になります。この内容については思っていたとおりという内容だと思います。
 問題は決算書の中身ではなく、税務申告書の中身だと思うのです。会計上の利益と税務上の利益とは異なっているものだからです。会計上ではわずかながら利益が出ています。

  課税対象となる企業の“儲け”は。損益計算書に記載された
  「利益」のことではない。「利益」は企業会計上のもので、「収
  益(売上)註」から「費用」を差し引いて計算されるものだ。そ
  れに対して、課税される企業の“儲け”とは、法人税法上、「所
  得」とよばれるものである。「所得」は「益金」から「損金」を
  差し引いて計算される。

 (註)ここでいう「収益」というのは「収入」といったほうがい
      いのではと思います(周)。

 この所得が多分極端に少ないか、あるいはマイナスだからということで、税金も極端に少額か、あるいは1銭も払っていないのではという予想が生まれるわけです。私がこの資料でみる限りは、法人税も住民税(均等割以外の法人税割額)もわずかながら払っているように思えます。それは「法人税等充当額」をわずかでも計上しているからです(平成5年3月期は15百万円)。
 また、昭和63年と平成元年で利益準備金が百万円増え、同じく平成2年より3年、3年より4年と利益準備金が百万増えているのは、わずかながらも配当をしていることを示しています。おそらく年500万円から1千万円のあいだくらいの配当をしているでしょう。配当は税引き後の利益からしかできません。税金はわずかながらでも払っているでしょう。それに第一受取利息からの所得税はそのまま源泉されているわけなのです。だが以上のようなことは、この立石氏の文章には書かれておりません。
 この申告書が手に入らないことから、所得がいくらあるのだろうという推測をしていくことになります。この文の中では、その推測の数字あわせの部分かかなりな量をしめています。受取配当金の益金不算入額についてはくわしく述べられています。私など気がつかなかった部分です。しかしあげあしとりになってしまいますが、金利の損金不算入部分のことについては何も書かれていません。おそらくはこのことも踏まえたコクドの借金戦略だと思うのですが、そこまでは筆が及んでいません。けっこうな数の会計士や税理士が関与してこの研究文ができているような筆者の書き方なのですが、どうしてなのでしょうか。
 このくらいのことが、少々気になったくらいで、あとはとりたてて目新しいことが書いてあるとは思えませんでした。ただ西武鉄道グループが前々から、こうした内容のことはささやかれていながら、このように「文藝春秋」に書かれてしまうことを見ると、おや少し堤義明への風向きも変わってきたかなと思うとの同時に、この内容だと「そのくらいで、ウチのこと判ったなんて思うなよ」というコクドの余裕みたいなものも感じてしまいます。ともあれ、どちらも私たちの存立している場とは随分離れているなと思います。やがてはどうしたって私たちこそが、社会と歴史の主役になるのですから。
 コクドがどのくらいの資産を帳簿上持っているのかという数字を見るのには、いいかと思います。そうした帳簿上の資産の源泉は膨大なる借金であり、その金利のために極端に利益は圧縮されて、税金をはらうこともできないくらいです。だから大した利益をださないこの会社の株価は安いのです(コクドは上場していない)。だから、だから、その株を相続するとしても、相続税をそんなに恐れることはありません。だがこの赤字に近い会社が、西武鉄道の大株主であり、その西武鉄道を通じて、たくさんのグループ会社の株式を所有しているのです。そして、その帳簿上の資産には、大変な「ふくみ」があると考えられるのです。この「ふくみ」があるから借金できるわけだ。
 この「ふくみ」に課税しようなんてことは、中核派でも政権をとったら、やるかもしれませんね。それにいつかアメリカもいいだすかもしれません。(1994.08.24)



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2011年06月13日

『続々会社の寿命強さの研究』

書  名 続々会社の寿命 強さの研究
編  者 日経ビジネス
発行所 日本経済新聞社

11061111 日経ビジネスでは「会社の寿命」シリーズということで、さまざまなテーゼを世に問うてきました。明治以来日本産業の歴史をみたとき、「会社の寿命は30年」「本業比率70%、従業員の平均年齢30歳以上は危険の兆候」といえるのではないか、などというテーゼはかなり衝撃的なことであったと思います。当書はその第3弾で、「会社の寿命−ケーススタディ版」といったものです。
 日本を代表する優良企業の強さを解明する内容なのだが、ここでは、西武鉄道、本田技研工業、日本電気、トヨタ自動車、松下電器産業、野村証券、イトーヨーカ堂、住友銀行の8社をあげています。実にそれぞれ興味深いわけですが、今回は西武鉄道グループをあげてみましょう。

 西武鉄道グループというのは、

 西武鉄道、西武バス、西武ハイヤー、近江鉄道、西武運輸、伊豆箱根鉄道、西武建設、西武建材、西武商事、西武造園、西武不動産、プリンスホテル、西武ゴルフ、豊島園、西武ライオンズ、国土計画

ほか約80社、社員総数4万人のグループをいいます。故堤康次郎氏の入手した土地資産のほとんどを受け継ぎ、電鉄、ホテル、レジャー開発、不動産業などを担当しています。同じ異母兄が率いる西武流通グループとは経営、資産管理は全く別個に行われています。
 ちなみに流通グループとは、

 西武百貨店、西友、ファミリーマート、パルコ、西洋環境開発、小笠原開発、インター・コンチネンタルホテルズ、ホテル西洋、クレディセゾン、セゾン生命、新西洋証券、西洋フードシステムズ、吉野家ディー・アンド・シー、朝日航洋、大沢商会、セゾンコーポレーション

ほか約200社、社員総数14万5千人のグループです。
 つまり流通グループは「西武」をつけているのは百貨店だけですね。もはや西武流通グループというより、これはセゾングループともいうべきでしょうね。
 本来は、守備範囲を分けていたのでしょうが、セゾングループは、観光、レジャー、開発、不動産などの分野にも激しく進出しています。これは全く別グループどころか、もはや競合敵同士ですね。
 ゼゾングループのあまりの侵食ぶりに、義明側はなんとあの一番の敵であった東急グループと手を組むといいますから、この堤兄弟の相克はすさまじいですね。

 辻井喬『彷徨の季節の中で』

のところで少しふれていますが、またこの兄弟の宿命的な関係についてはいつか書くことがあるかと思っております。
 この「続々会社の寿命強さの研究」で扱っているのは、西武鉄道グループのほうです。
 さてそれで、このグループの中心は、上場企業である西武鉄道ではなく、国土計画なのです。すべてのグループ会社の大株主は国土計画です。上場企業である西武鉄道は当然業績等は明らかになっています。まずそれを「東京商工リサーチ企業情報」でみてみましょうか。

【商 号】西武鉄道(株)                   東証1部
【所在地】〒359                       【企業番号】29-009630-8
          埼玉県所沢市くすの木台1−11−1
【評 点】80点                         
【電話番号】  0429-26-2035            【FAX番号】
【設 立】明治45年 5月      【創   業】
【資本金】  21,665,000        (千円)【従 業 員】     5,519  人
【代表者】仁杉 巖       (男)【生年月日】大正 4年5月7日生
【役 員】(会)堤義明(専)戸田博之(常)大木英夫,以下略
【営業種目】観光(45%),鉄道(37%),不動産(18%)
【大株主】国土計画,西武建設,三井信託,安田信託,興銀,日本生命,三菱
     銀行,第一勧銀,三菱信託,長銀
【支店・営業所・工場】
          〔路線〕鉄道178.4Km
【取引銀行】日本興業,三菱,第一勧業(池袋),三井信託(池袋),安田信
      託(池袋),三菱信託(池袋)
【業 績】
  決算期    売上(千円) 利益(千円)配当  売上・利益伸長率
  90年 3月  166,248,000  2,508,000 10%
  91年 3月  203,552,000  2,505,000 10%  122%  100%
  92年 3月  213,214,000  2,521,000 10%  105%  101%
【申告所得】
  年月 金額(千円) 91年申告順位(業種:鉄   道     )
 90/ 3    6,167,637             全国    11位/  125社
 91/ 3    5,875,813             県内     1位/    2社
 92/ 3    6,767,216
【収益指標】  4021(業種:地方鉄道業           )
                                  当 社     標準値(92年度)
    売上高増加率                  104.75%             104.66%
    一人当り月売上高(千円)       3,219               1,063
【事業概況】
  西武グループ約100社の中心、鉄道、不動産が収益の柱、鉄道部門は順
  調だが、観光部門の投資負担が重く増収減益。
【更新年月】   4/ 7/27

 これで、よくみて頂きたい、利益と申告所得の違いを。会計上と税務上の利益が随分違うんですね。借入金利の損金参入できない部分の関係だと思います。つまりかなり借金して土地を仕入れているのでしょう。
 さてそれで、さらにこの大株主の国土計画ですが、これは東商でも帝国データバンクでも全く出てきません。これはいったい何なのかな。
 実にこの日経ビジネスの取材陣も、国土計画からなんら正確な数字を掴んではいません。ほとんどが推測ないし、べつなところからの資料なわけです。驚いたことに、国土計画に莫大に融資している銀行は、国土計画から「決算説明らしい説明はうけたことがない」といいます。こんなこと、ほかであるでしょうか。みなさんの関係する会社は全て、決算書がどうだ、決算から6カ月たっていたら最新の試算表が必要だと、銀行からうるさくいわれているはずです。
 これはいったい何なのかといえば、結局それは国土計画のもつ膨大なる土地資産のおかげということでしょう。もはや西武鉄道グループのもつ土地の総合計は、日本の皇族がもつ土地の総合計を上回っているといいます(吉本(吉本隆明)さん談)。堤康次郎は巧妙に、皇族の土地を手に入れてきたという。それをそのまま受け継いでいるのが、鉄道グループであり、堤義明ということです。
 国土計画は売上に比して、極端に経常利益が少ないのです。

  国土計画がいかにユニークな企業か十分わかる。上場企業でこ
  れに似た売上高、利益の組み合せを有する企業は全くといってい
  いほど見当たらない。

 これは何なのか、といえば、営業外費用が多いということで、すなわちそれは借入利息というであるわけです。全資産の大部分が借入金であれば、こうなるのは当り前です。でも普通だったら、これは不良企業になってしまう。しかし国土計画は実にこの全資産といったって、土地は実際の価格ではなく、帳簿上の価格であるから、膨大なる含み資産はもっているが、帳簿上はたいした数字ではありません。したがって、

  ある国税庁関係者は「大正九年、康次郎が国土計画の前身であ
  る箱根土地を設立して以来、この会社は法人税を払ったことがな
  いのではないか」とまでいう。

それどころか、

  所得税額控除の方が大きいため、法人税は払わず済み、反対に
  還付されているのではないか

と推測する公認会計士もいるわけです。(註)

(註)正確にいいますと、もちろん国土計画は法人税を払っている
    わけです。配当ができるのは、税引き後の利益からであり、法
    人税、法人県民税、法人市民税等を支払ってのちに配当してい
    るわけです。ただし、銀行利息から、その法人税等は源泉され
    ていますから、実際の納税期には、むしろ「払いすぎ」という
    ことで還付されているだろうということなのです。

 ではさらのこれはいったい何なのか。日経ビジネスでは、これは相続税対策ではないのかと推測しています。すなわちこうした少ない利益しか出せない国土計画の株式の評価額は僅かであり、これを全て、義明の一族が相続するとしても、たいした税はかからない。しかしその株式の支配する国土計画は、西武鉄道、プリンスホテル等々の大株主なのであるわけです。
 例としてあげてあるのが、ダイエーがいくら「中西商店」といわれるほど中内功が強大でも、もしかれの持株を相続すると、とうてい相続税が払える金額ではないから、中内一族がダイエーを自分のものとできるとはかぎらない。しかし、

  西武は永遠に「堤家の西武」なのである。

しかも義明一族の、ということであろう。
 ちょっとはしょって説明しすぎたかもしれません。もしまた疑問等あれば、またこのこと考えていきたと思います。ただ私の知る限り、このような企業は国土計画だけだと思います。
 そのほかこの本には、他の7社の強い企業が紹介してありますが、何といっても、この西武鉄道グループがこの本で読むべきところです。
 企業は、まさしく「大きいことではなく、強いこと」でしょう。その強い企業の秘密を、ここで見ることができます。しかし、日経ビジネスがまた何年か前から言ってきたのは、これからの企業は、「強い会社から、良い会社へ」ということです。私も強烈にそう思っております。(1992.10.13)



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2011年06月12日

片倉もとこ『イスラームの世界』

書 名 イスラームの世界
著 者 片倉もとこ
発行所 岩波新書

11060910 近年日本中にイスラムの人が増えてきたと思います。銭湯の湯船に下着のまま入っちゃったとか、チキンのかんずめなのに外側に可愛い豚の絵が付いていたら、これは豚肉ではないかといわれるとか、そのたぐいの話をよく聞きます。
 世界でみても他の宗教に比べて、イスラム教を信仰する人の数は拡大しています。いまやイスラム教はいわゆるイスラム圏の宗教ではない。ヨーロッパ、アメリカ、ロシア、アジア含めて広がっています。しかもどこでも都市で広まっているのが特徴であると思います。
 ある方の紹介でこの本を知りました。イスラムのことはある程度は知っていると思っていましたが、それが単なる思い込みだったのを知りました。

  イスラーム暦は、わたしたちの使っている西暦よりも一年が一一
 日ほど短いため、巡礼月は、毎年、一一ずつ、ずれていく。「巡
 礼月がもう少し涼しい季節にあたるようになったら巡礼しよう」
 などというムスリムもいます。しかし、「いや、こういう苦しい
 ときにおこなう巡礼こそアッラー(アラビア語で神の意味)の祝
 福が多いのだ」と、わざわざ酷暑の時期にでかける人も多い。近
 年は、かつてとは違い若い人たちの巡礼も、急速に増えている。

 こんなこと知りませんでしたね。日本の旧暦だってこんなことないですからね。しかし彼等にはあたりまえなのでしょうから、やはり文化、習俗なんていうのはよく相手を理解するようにしないと駄目なんでしょうね。

  近年、多くの女たちがまたベールをかぶり出した。逆説的にな
 るが、ベールをかぶるということにより女性の社会進出が促進さ
 れるという面もある。ムハッジャバ(かぶりもの、ベールをした
 女の意)であれば、男ばかりのところへ入りこんでもいいとされ
 るからである。女たちは、これをかぶることにより「見られる女」
 から「見る女」に変身する。これにより容姿だけで判断されるこ
 とをきっぱり拒否して、中身で勝負しましょうということになる。

 あの不可解なベール姿も、こう書かれるとふーんそうなのかとも思います。ただここらへんはもっと詳しく説明があればと思いました。
 私はイスラム教の特徴はまだ宗教改革がないことだと思います。ひとつにはそれはまたイスラム社会に資本主義が発達しなかったことでもあると思うのです。マックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で述べたような事態はイスラムでは起きなかった。同じく「儒教とプロテスタンティズム」、「儒教と道教」にみられるような儒教の役割もイスラム教は果たすことがなかった。それが、私たち現代日本でどうしても理解しがたいイスラムの姿にもなっていると私には思えるので。
 この本はかなり前に読み終ったのですが、何を書けばいいのだろうかと悩みました。やはり日本に入ってくるさまざまな人々の中のイスラムの人々の習慣、民俗を理解しようとしても、どうしてもこの本だけでは頭に入ってこないのです。再度マックス・ウェーバーを少し眺めてみることにより、その糸口が見えてきた気がします。どうも私は原理論的に押えていかないと駄目なんですね。ベール、断食、メッカへの巡礼などと読んでいっても、もうひとつ分かりにくかったのです。 
 中国との間に魯迅がいるような感じがあれば、もっとよく分かるのだろうななどと思いました。(1992.10.24)



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今井澄『全共闘からの反論』

2016112116

 佐々淳行「東大落城」で国家権力機動隊の側からの東大安田講堂を中心とする闘争を描いたものを見てみましたが、私たちの全共闘側からの反論も見てみたいと思います。

題 名 東大安田講堂防衛隊長が二四年目に明かす「全共闘私記(上)」われらが運動に終焉なし
著 者 社会党参議院議員今井澄
掲載誌 月刊「Asahi」1993.5.1号

11060908 佐々淳行の「東大落城」がベストセラーであるそうで、それにたいして、闘争当日の安田講堂防衛隊長の全闘連の今井澄が反論しているものです。しかし、私は当日闘った全共闘のひとりとしていいたいのです。この今井のは「東大落城」よりまったく嫌な文章である。

  佐々氏は「挫折した東大全共闘は安田講堂事件の総括をきちん
 としていない」とし、「二十三年の歳月」「歴史の空白」と言い、
 自らを「警備側の『語り部』」と称している。
  しかし、残念なことに、そしてまた当然ともいえるが、氏の語
 りは、まさに氏自身が「ドンパチ野郎」と自称するように、安田
 講堂闘争を単なるミニ戦争的事件としてとらえ、「戦いに酔い、
 戦術にかたより」(佐々氏)、全共闘運動そのものの意味をまっ
 たく見ていない。その証拠に、助手共闘を医学部の組織と思い違
 いし、リーダーの最首悟氏を医学部助手と誤記するような、重大
 な誤りをおかしている。全学連運動と全共闘運動の違いを、まっ
 たくわかっていない。

 いったい今井は何を言っているのか。最首が何だろうが、私だって知りはしない。だいたいに、今井の属していた全闘連というのが何の省略なのかも分からない。私が覚えているのは、今井がML派(毛沢東かぶれの党派)と同じヘルメットをかぶって演説していたことくらいだ。私が「東大落城」で不満なのは、あまりに「ドンパチ」が少ないからだ。なんだか佐々はやはり東大闘争とやらに過大な評価を持っているように思える。私はもっと「戦いに酔い、戦術にかたよ」った内容を期待していたのだ。全学連と全共闘の違いなんか、別に分かってくれなくていいんだよ。
 細かく佐々の文のあやまりを指摘したいのなら、もっと細かくやってくれ。佐々がどうでもいいあやまりをやるのなら、あなたの明確なる誤記はどうするのだ。

  とくに、ある特定の党派のヘルメットをかぶった学生は、「三
 里塚のかたきだ」といわれて激しく殴られた。三里塚闘争で機動
 隊員が死亡したことの恨みをはらそうとしたのだろう。

 私たちが逮捕されるときに、激しく機動隊からのリンチは受けた。だけどこの内容は事実ではない。あの東大闘争の前に、いつ三里塚で機動隊員が死亡などしているのだ。今井自身は嘘をつくような人ではないとは思うから、よっぽどボケてしまったのか。私は逮捕される寸前は今井のすぐそばにいたのだが、こんな事実はみていない。今井はその後(保釈後)闘争の現場に出たことはないと思われるのに、なんでこんな誤解をしてしまうのだろうか。まあボケたんでしょうね。選挙に出たころ、推薦していた加藤一郎(当時の東大学長代行)や秦野章(当時の警視総監)より、老けて見えたからね。
 私は事実で彼を責める気はあんまりないのだが、佐々に対して事実云々をいうのを見ると情けなくなるのだ。
 しかし私が一番異和を感じるのは次のようなことだ。

  全共闘世代は、日本のあちこちで、それなりの地歩をきずき、
 着実に世の中を変えようとコツコツがんばっており、いま、ゆる
 やかなネットワークを形成しつつある

 これはそうだと思うのだが、

  全共闘運動のなかから、既成左翼の理論からは生まれてこなかっ
 た地域医療活動、環境保護や反原発、女性解放などのさまざまな
 運動が形成されてきており、それが全共闘運動の特筆すべき性格
 であると思う。

なんて言われるのは、まったく冗談ではない。私たちの全共闘運動はそんな運動へのめり込んでいくような質のものではなかったはずだ。そんな運動は、結局「既成左翼」とやらと手をつないでやっているだけではないか。だいたい今井の肩書の「社会党参議院議員」というのはいったい何なのだ。これは既成左翼ではないのか。
 私はこの文に全共闘で一緒に闘った、かっての同志の無残なほどの退廃を感じてしまいます。もうこうした人たちとはもう2度とスクラムを組むことはないでしょう。(1993.04.09)



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2011年06月08日

高山登久太郎『警鐘』

2017021820

11060809書  名  警鐘
著  者 高山登久太郎
発行所 ぴいぷる社

 著者は、京都を縄張にするやくざ会津小鉄一家4代目会長です。1代目の上坂仙吉については、飯干晃一「会津の小鉄」で読まれるといいと思います。幕末から今も現役でいるやくざ組織といったら、この会津小鉄一家くらいじゃないでしょうか。山口組も京都だけには手をつけない(まあ、実際にはいろいろと抗争がありましたが)。
 それで、この本は悪法「暴力団新法」に対する怒りの書です。まえがきに

  私(高山登久太郎)は、平成四年三月一日、全国八万八千人の
  侠道に生きるヤクザ、これに対する撲滅作戦を受けて立つ覚悟だ。
  「暴力団新法」の施行は、人間である私らの生きる権利を奪うも
  のである。私らヤクザも人間であると同時に、日本国民の一人で
  ある。それが、ヤクザであることだけを理由にして、憲法が保障
  している人権を私らから取り上げようとしている。これでいいの
  か。

とあります。いいえ私はいいと思っていません。たった1日の審議で、全員一致でこんな悪法を通した国会なんて、ファシズムかスターリン主義としてしか思えない。この法に賛成していった社共にPKO法案を違憲なんていう資格があるのか。私はPKOの国会を見るとき、どうしてもこの「暴力団新法」のことをいわなければと思っていました。そうしたら一昨日この本と出会いました。

  この「暴力団新法」は何が犯罪であり、どんな刑罰が科せられ
  るかもはっきりしていない。いや、「刑罰」だけははっきりして
  いる。刑法では「殴っちゃいかん」「脅しちゃいかん」「殺しちゃ
  いかん」と「犯罪」がはっきり明示されている。「暴力団新法」
  はまことに複雑怪奇だ。法律のなかの「犯罪」について、「何を
  したら」いかんとか、「あいつらが、具体的に何をしたらいかん」
  とか「いま、どういうことをしたから悪いんだ」とかが具体的に
  は何も書かれていない。これほど不思議で怖い法律があるだるう
  か。

 まったくそのとおりです。人を殺したら。人を脅したら、人を殴ったら、いけないことだし、現行法で捕まるんですよ。現行法で罪なんですよ。これじゃ「破防法」とか「公安条例」と同じじゃないですか。現行法で取り締まれるものを、何故こんな法律をつくるのだ。
  日本国憲法に

  第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反
          する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の
          全部又は一部は、その効力を有しない。(以下略)

とあるわけです。よろしいでしょうか、「悪法」は法ではないのですよ。ソクラテスは「悪法もまた法なり」といって、毒杯をあおいだといわれますが、この98条でそれが間違いなのははっきりするはずです。したがって「条規に反する法律」は「効力を有しない」のだ。
 ここまでかいていたら、本日(6月13日)の毎日新聞の1面「余録」欄にこの本のこと書いていますね。私とは向かうところが正反対みたいですが。
 いったいこの「余録」を書いた人並びに毎日新聞は何を考えているのだ。あなた方がこの「悪法」に賛成などということは、みずから言論の自由をすてていることなのですよ。そんなこと戦前の日本、ワイマール共和国下のナチスで分かっているじゃないですか。

 私はヤクザ映画は大好きです。でもやくざは嫌いです。会えば怖いです。映画はあくまでそれをつくった人達のある表現行為なんです。現実のやくざは、そのほとんどが、弱いもの苛めしかできない、くさった弱い人間たちです。この著者には、「いやちがう、仁侠だっているんだ」といわれるかもしれないが、私はそんなのに会ったこともなければ、見たこともない。
 だけどそんな「くさった弱い」連中でも、私たちと同じ人間なんです。私はこのひとたちを守りたいと言っているわけではありません。自分たちをこんな国家から守らなければと考えているのです。
 日本の大部分の弁護士がこの「暴力団新法」に反対しなかったようです。それどころか、積極的に推進した人がいたみたいですね。このことに限らず、私は日本の弁護士の4割は悪い奴(5割は無能、1割は普通)だと思っています。会社の総務課で苦労されてる方など、うなずかれるのではないですか。もっとも普通のいい弁護士さんもいますよ。例えば、私の会社の役員である大口昭彦弁護士は素晴らしいひとです。
 でもほとんどはひどいものですよ。なんかの本に「弁護士はヤクザには強い」なんて自己宣伝してあったけど、嘘つくな。君たちの大部分がそんなヤクザとのトラブルなんかいつも避けているの、よく知ってます。私は仕事上で悪い弁護士とけっこうやりあうのですが、いままでのところ絶対負けたことありません。法律のことの問題じゃなく、悪いことは悪いのだ。もちろん私のクライアントに非があれば、私はこちらからあやまります。
 このひとたちも、憲法学者土井たか子もみんな賛成。かなしくなります。
 べつにこの法でヤクザ行為がなくなるわけではないのだ。むしろ合法と称して、もっとヤクザと私たち堅気との関係は陰湿になりますよ。それは本日の毎日新聞の27面「用心棒代『減ってないよ』」の記事で明かですよ。もっともっとめんどうになりますよ。いったい法や警察が私たちを守ってくれるのか。
 私はたとえ相手が誰であれ、自らを守るのは自らだと思っています。

 ひとつ例をいいます。私がほんのたまに飲みにいく池袋のある飲み屋でのお話です。
 私が友人と飲んでたら、ある男、どうみてもヤクザが入ってきて、ママの前に座りました。それで、小声で「クミアイに入れ」なんてことを執拗に言っている。ママは昔全共闘シンパだったということなんで、ぜんぜん平気で相手にしない。そこへ突如へんなよれよれのおっさんが入ってきた。マスターが断ろうとするが、カウンターに座って、酒を要求する。
 私ピンときて、たちあがって、「もうおやじ飲めないだろう、帰ったら」と肩をたたいた。でも絶対帰ろうとしない。私腰のあたりつかんで、カウンターからおろした、マスターが気がついて、私とふたりでひきずって、店の外に出しちゃった。そうしたら、予想どうり、ヤクザが私にむかっておこったのなんのって、「お前いいことしてくれるじゃないか」私「いやああのおじいさん、もう酔ってたし、それと私歌ってばかりで騒がしくてすいません」なんて。いくらヤクザおこったって、表向きは私を怒る理由がない。そのうちプリプリしてでていっちゃった。もう格好悪くてこれないだろう。
 つまりこのヤクザとあのおっさんはぐるだったのです。おっさん2,3千円つかまされて、とにかくあの店で暴れる気で、それをあのヤクザがうまく2,3発殴って追い出して、「そらやっぱりこの店だって、俺みたいのがまもってやったほうがいいだろう」ということなんです。それを私のために、彼の出番がなくて、かわいそうだったけど、その店のママもマスターも私好きだから、当然のことしたまでです。
 私のいいたいのは、現行法にしろなんにしろ、法の救済を待つことなく、自らの権利は自らが守るべきだということです。

  権利とか自由といったものは、黙っていて守れるものではなく、
  権利また自由を不当に侵害しようとするものがあるときは、適法
  なる国家の機関によって救済されるのを待つことなく、その場で
  これを阻止しなければならない。もしそれをしないものは権利や
  自由を投げ捨てるに等しい。  (ポポロ事件の東京地裁判決)

 私たち自身でやるべきことなのですよ。現行法にしろ、そして「暴力団新法」にしろ、私たちをまもってなんかくれません。それどころか、また「凶器準備集合罪」と同じことになるのでしょう。

 この「暴力団新法」については、まだ「破防法」「売春禁止法」などとからめて、検討したいのですが、会津小鉄一家の会長さんの本の紹介としてはこれでおわりたいと思います。
 最後に、涙腺のゆるい周がまた涙ながしたところ、紹介します。この著者が62歳歳の誕生日に二女からもらったラブレターです。

 「お父さん、誕生日おめでとう。私も他家へ嫁ぎ、苦労して子ど
  ももできて、やっと世の中がわかるようになりました。だから、
  お父さんのやってきたことも、恥ずかしくないと思うし、お父さ
  んは、素晴らしいと思っていることをやっているのだから、とこ
  とんやったらいいと思います。自分のやったことが、結局、いま
  わかってもらえなくともいいではないですか。死んでから十年先、
  二十年先に、あの人は良かったなあ、と言われればいいのではな
  いですか。だから初志を貫徹して下さい。自分のやっていること
  をキチッとして、一滴の水ももらさないで、次の人にバトンタッ
  チする義務があるでしょ。それをちゃんとやっていかないとあき
  まへんよ」

 私はヤクザ嫌いだけど、この本読んで、この会長さんのことは、好きになった気がします。(1992.06.13)



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2011年06月02日

佐々淳行『目黒警察署物語』

『東大落城』の著者であり、近ごろ「危機管理」の専門家というので、テレビ雑誌等々でよく目にする著者の最初の著作を読んで見ました。

書 名 目黒警察署物語
著 者 佐々淳行
発行所 文春文庫
1994年2月10日初版発行

11060206 著者が東大を卒業して国家地方警察本部に採用され、警察大学校で訓練ののちに、最初に赴任した目黒署での勤務の記録です。
 この著者が地方警察(地警と省略した)といういわば国家公務員から、地方公務員である目黒署に赴任したというのは、今では理解しにくい出来事があるわけです。
 戦後は日本の警察制度は占領軍によって、アメリカ式に市や町が警察権を持つことになりました。これが自治体警察です。財政上この自治体警察を持てない小さな町や村のみを管轄する「国家地方警察本部」も作られました。結局は自治体警察は、地警に併合されていってしまうわけですが、自治体警察の抵抗は相当なものがあったようです。この著者が警察官になったころは、その自治体警察の側の抵抗が直接著者に向けられたと思われます。
 また著者はもう警部補の資格を有しており、しかも東大出でした。東大出身に関しては、レッドパージ(赤狩りではなく、東大の赤門出身者をパージするというような意味)ということで、現場では嫌っていたようです。戦前にも東大出は資格制度によって、警察の幹部を独占しました。戦後、占領軍によって、それがのぞかれたのに、戦後もこの頃になると、また資格制度が復活してきたのです。その最初の頃、まさしくその資格をとった東大出が著者だったわけです。これは当然、現場ではあつれきがあって当然だったでしょう。
 私が大昔学生運動で逮捕されていたときにも、この警察の資格制度には驚いたものです。現場のたたき上げの刑事よりも、ずっと年下の大学出が職制上、上司になっていることがあるのです。また夜留置場に来る各交番(これは埼玉県警の場合。警視庁では、交番の警官が留置場に来ることはなかった)の若い警官達は、よく勉強をしていました(もちろんしない人もいるわけですが)。聞くと、試験を受けて資格を取って、上級に進んでいかないと、警察というところはどうしようもないのだというようなことでした。いや若い人ばかりではなく、けっこう年取った方々も、懸命に勉強していましたね。でもどうみても年期の入った刑事さんの上司がその息子見たいな年だと、なんだか見ていられない感じでした。
 でも、この著者は、そうした嫌な雰囲気の中でも懸命に努力していきます。現場の警官たちともうまく連携して仕事を成し遂げて行きます。それがなんだか読んでいる私には思わず「良かったな」と著者の側に身を入れてしまうくらいなのです。
 また、この著書にはこの目黒署での勤務の記録だけではなく、著者の戦前戦中、そして戦後の生活が回想としてまいります。これがかなり読んでいる者に、どうしても著者の側に身を入れてしまうことになるのかなと思うところです。著者の数々の体験は私たちと同じ一般庶民のものなのです。そしてその回想に出てくるのが、東京という街なのです。東京の街をこの著者は本当に好きなのだなと思いました。東京への街への愛着が、著者が警察という組織に身を置いた一つの理由かななんて、想像します。
 私はどうしても過去の自分の体験から、警察官というと、身構えてしまうところがあります。どうしても、私たちの敵であると思い込んでいるところがあるわけです。また、この著者こそは私たちが学生運動をやっていたときの、弾圧の側の最前線の指揮者だったわけです。でもそうではあっても、どうしてか、この著書を読んでいくと、私たちと同じ感性を持った親しみの持てる人間の存在を感じてしまいました。(1997.05.17)



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2011年05月28日

『山川菊栄評論集』

11052712  私は女性解放運動家の中では、山川菊栄だけには親しみを感じてきていました。ある人にそのことを言ったら、「そうか、山川菊栄は水戸だからな ・・・」なんていわれました。私がいつも水戸浪士の詩を吟っていることを知っているからです(私は生まれも茨城県です)。山川菊栄には、「覚書幕末の水戸藩」(岩波文庫)という著作もあり、私が山川菊栄で最初に読んでいたのはこちらのほうなのですが、これまた水戸藩の幕末に興味を持つ私には、たいへんに参考になった本です。

書 名   山川菊栄評論集
編 者   鈴木裕子
発行所   岩波書店
1990年10月16日第1刷発行

 この編者の鈴木裕子氏は、「山川菊栄集」(全10巻別巻1)の編集もやっておりますが、この評論集も彼女が全27編を厳選したとのことです。私は市川房枝のように大政翼賛会に参加し、戦争協力していった大部分の女性運動家と違って、この山川菊栄をかなり評価していたのですが、また偶然この鈴木裕子氏のような人がいるのを知り、自分の思うところに心強くなるばかりです。
  山川菊栄は1890年生まれで、日本の最初の社会主義者であり荒畑寒村や大杉栄には先輩になる、山川均の妻となり、1980年に亡くなりました。夫の山川均は、過激で元気な寒村や大杉栄のために、赤旗(せっき)事件に連座し(寒村自伝によれば、彼らが赤旗振って「無政府主義万歳」と叫んで警官ともめたのを、山川たちはとめただけだった)、だがしかし、このことによって大逆事件を逃れれたわけですが、この出獄後ふたりは結ばれます。
 私は、戦前のいわゆる「労農派」といわれる社会主義者たちのほうが、日本共産党になっていった部分よりはずっとこの日本を深くとらえていたと思っていますが、このことは、山川菊栄にもいえるように思っています。
  日本天皇制国家に一番反逆したように思えるかもしれないところの日本共産党の運動は、一見遠いところにいるかのような国家の発想と驚くほど似ていたと思います。やっぱり政治的課題が第一義的問題であり、それを解決すれば、その他の問題、例えば女性解放というようなことも解決されるというような思考があります。だから、国家に抵抗する活動家である男を、女はどうやってでも助けなければならない、というような傾向があります。小林多喜二の小説にはそうしたことがごく当り前にでてきます。このことが駄目なのだということは、いまでも声をあげて指摘しなければならないことだと思います。今も日本共産党に限らず、多くの市民主義者たちは、あいも変わらず政治こそ(しかも国会で多数を取ることがその政治だそうな)が、私たちを救ってくれるような幻影をまき散らしています。

      婦人部テーゼ
    日本労働組合評議会全国婦人部協議会発行  一九二五年十二月
 二五日
    (前略)
    ゆえに女子労働者をして階級意識に目覚めしむる第一歩は、ま
 ず人間としての自己の価値を知らしむることである。そして女子
 労働者の組織を促進する第一歩は運動の先覚者たり中堅たる男子
 労働者をして、女子を劣等扱いし、玩弄物視するところの封建的
 ブルジョア的、反無産階級的態度を捨てしめ、女子を男子と対等
 の人間として尊敬し、階級戦の戦線における、男子と同じ戦友と
 して取扱うことを知らしめるにある。

  こうしたことが、もっと強烈に菊栄のいいたかったことであると思います。そしてここでいうところの女子労働者への視線は、また日本にいる朝鮮人や台湾人労働者にも向けられているものなのです。

       人種的偏見・性的偏見・階級的偏見
                         『雄弁』一九二四年六月六号
    米国上院は排日案を通過した。正義人道の鼓を鳴らしてその非
 を絶叫する声がようやく高まってきた。
    米国の排日は、偏狭なる利己主義、手前勝手の愛国主義のほか、
 いかなる立場から見ても是認せられるべきでない。(中略)
    けれども米国に向って、正義人道、人種平等を主張してやまぬ
 わが日本人は、果たして米国に向って求めつつあるような、正義
 人道、人種平等を実行しているだろうか。
    かつてサンフランシスコの大震災の際に、米国の軍隊と警官と
 は、これを排日と人種的偏見を表現する千載一隅の好機として、
 日本人の大屠殺を試みたことがあるだろうか。昨秋の大震災(関
 東大震災のこと−周)に際して、朝鮮人と労働者とが遭遇したよ
 うな運命に、日本人は米国で遭遇したことがあるだろうか。
    朝鮮人、台湾人、異種族の国民に対して、政治的、社会的、経
 済的に、内地人と平等の待遇が与えられているだろうか。
    さらに、同じ内地人の中においても、婦人と労働者は、国民と
 して当然負担している義務に対して、当然享くべき権利を享けて
 いるだろうか。
  (後略)

  あのキリスト者であった内村鑑三でさえ、あのときの震災では朝鮮人におびえ、木刀を構えていたといいます。そうしたときに、これだけの視線は現在でもまた主張すべき反差別の声なように思います。
  だが日本はしだいに戦争への道を歩みはじめ、彼女の夫山川均などの無産運動は困難をきわめていきます。大部分の婦人運動家が、こうした時代のながれの中で、大政翼賛会に転じていきます。その中で、こうした時代の流れに粘り強く菊栄は抵抗していったといえると思います。満州事変への時評である「満州の銃声」、ナチスの婦人政策を批判した「ナチスと婦人」等々にそれは表われています。
  こうした時代の流れの中で、多くの婦人運動家たちが、怖ろしいくらいに退化していきます。国家に向っているのではなく、大衆国民を国家の意向にそうように積極的に行動していきます。それがさも婦人の解放の道であるかのように思考していくのです。ちょうどこのことは現在にも大いにつながる問題があるように思います。
  現在の不況がまだ今ほど顕在化しなかったころに、この不況が私たち国民が思い上がった贅沢をしたからだ(私は「清貧の思想」なんて、こうだと思っている)というような傾向がありました。消費税のことでも、何故か近所のたくさんの小さなお店が、免税分、簡易課税分によりそれをふところに入れてしまうから、いけないのだ、国家よもっと厳しく徴税しろというようなことをいう傾向があります。けっこうな市民主義者、進歩的といわれる婦人評論家などに多いように私には思われます。これこそまさしく、山川菊栄が、1939年(昭和14)6月25日の東京朝日新聞に載せた文でいっていることで指摘できるでしょう。
  この中で彼女は、当時「女子部隊」とか「督戦部隊」とかいって、婦人のみで「消費調査の突撃隊」などといって、浪費者や遊蕩者を尾行したりする行動を、「一体誰が誰に向って『突撃』するというのか」といって、いましめています。
  まったく今も「進歩的」「市民主義」とかいわれる婦人評論家なども、この突撃隊と同じです。私たちが、私たちのまわりの中小の商店主と面白おかしく、掛け合いで買い物したりする関係を、

 「いや、よく調べればね、あのひとたちは、消費税をふところに
 いれているのよ」

と嘘八百で啓蒙したいわけなのです。

       婦人の団体行動
              『東京朝日新聞』  一九三九年六月二五日
    こういう不用意な表現の中に、消費者の注意を促す謙虚な誠意
 よりも、民衆を蔑視する驕慢な思い上がり、少数の浪費者のみで
 なく、消費者大衆に対する挑戦的な表情を感じたものは、一人や
 二人ではなかった。

  まったくこの山川菊栄がこの時代の婦人団体の行動かつ思想に感じたことをいままた多くの婦人評論家に感じてしまいます。
  しかしそうはいっても、けっして今が絶望なのではなく、こうした山川菊栄をはじめとする多くの女性もきっといることを、力強く信じていきたいと思っています。(1998.11.01)



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2011年05月16日

渡辺一雄『出社に及ばず』

書  名 出社に及ばず
著  者 渡辺一雄
発  行 廣済堂文庫
1978年6月日経新聞社より発行

11051508 著者はデパート大丸の社員でした。昭和55年に退職しています。この著者にとってこの大丸での社員としての体験をさまざまな形で作品にしているようです。どの作品も会社という世界で、いかに多くの社員たちが毎日呻吟しているのかが伝わってきます。この著書はまだ大丸に勤務していた時代に書いたものです。
 私はちょっとした規模の会社にサラリーマンとして勤務したのは、2度あります。1社は入社して約6か月で組合を作って激しく闘いだしましたので、あまり「社員生活」をすごしたとはいえないのですが、もう一つは約3年在籍しましたから、それこそいろいろな社員としての存在の不条理を知ることができたように思います。
 どんなことがあっても会社のために邁進する社員がいいのだというような言い方がありました。だから、社長にたいしてもなんでもはっきりいうことが必要だということでした。率直に社長に対してものをいうことは歓迎され、社長もそれを待っている、ということでした。私はそのとおりに振舞いました。私のそうした行動を社長以下も大いに評価してくれているようでした。ただ、その最初のころ、私に忠告してくれ年上の社員がいました。

  社長にずけずけいってしまうことが、評価されるようにいって
 いるが、会社なんてそれは建前で、本音はあの社長も自分におべっ
 かつかう社員が一番いいんだよ。気をつけないと駄目だよ。

 この言葉は何年後かにいやというほど、私には判ってくることになりました。

 この作品では主人公は京都支店の副支配人をやっているのですが、ある日支配人に呼び出され、長期休暇届を出すようにいわれます。それは会社のある失敗作を、彼の責任ということでかたづけたいからなのです。元気な主人公もかなり「会社のため」という言葉でかなり悩みます。実際に身体を悪くして入院することになりますが、そうなると彼の側近であった社員もひとりも見舞にも来ないという事態になります。もう彼は会社には無用の社員になってしまったのです。
 その病院の中で、彼は自分のデパートに対してもともともっていた夢を思い出します。その夢の実現のために懸命に働いてきたのに、会社は自分に何をしてくるのだろうか。そこで、もはや会社のためになんか考えるのをやめ、ひたすら会社に復讐しようという気になり、詳細にその計画を練っていきます。このところが、この作品が後半にたってさらにもりあがっていくように思えるところです。この復讐劇は見事成功します。成功して、彼は前支配人を追い出し、自らその地位を確保します。成功したといっても、彼のこの復讐劇の中で、自殺する社員も出てきます。そして、また彼を脅かす彼の側近が出てくる形を残して、この作品は終ります。もう彼は会社のためではなく、自分のことしか考えずやっていく気なのですが、実際にこうして復讐劇が成功し、自分が支配人になってみると、やっぱりその地位を守ろうと、今までと同じ会社人として振舞うしかないのかもしれません。そしてやがてまた彼も側近の野心家に追いはらわれるのかもしれません。
 たいへんに後半はドラマチックなのですが、私はこの展開とは違って、もう一つの展開の形もあるのではないのかと思うのです。彼が復讐などを考えず、ただ「会社のため」にそのまま、退社し、会社の誠意を信じながら、結局会社に裏切られ、ぼろぼろになっていくというような展開です。もちろん、その形は、彼の昔の上司にそのような人がいたという形で、すでに提示されているのですが、そうした形で終ってしまうのが、多くのサラリーマンの姿であるような思いがするのです。
 もちろん私はそうした惨めな主人公ではなく、方法はさておき、こうして闘いに勝利(勝利といえるのか)していくほうの主人公の姿を見ているほうが、少しは思いが晴れるのは間違いありません。(1994.05.12)



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2011年04月29日

羽仁五郎『都市の論理』

2017010918
11042818 この人は1901年3月29日〜1983年6月8日までの生涯でした。私は先に岩波新書の『ミケルアンヂェロ』『都市』を読んでおり、この『都市の論理』を読んだのは、1968年(の春だったか)のことでした。
 でも読んでも、少しも内容に感心しませんでした。吉本(吉本隆明)さんが、この人のことを、「殺してやりたいほどの人だ」というのが(あとで知りましたが)よく判る気がしたものです。
 本の内容で、ただ美濃部都政を讃え、蜷川京都府政を讃えているのには実に嫌になったものです。蜷川なんて共産党じゃないのよ。この人がいわゆる新左翼をたたえたのは、共産党が戦わない政党だからいけない、新左翼はいいんだ、ということだったのじゃないかなあ。馬鹿じゃなかろうか。蜷川なんてまったくの敵であり、美濃部も倒すべき敵の体制じゃないですか。
 私は1972年の秋に千葉刑務所に拘置されている後輩の活動家に差し入れに行ったときに、一人の活動家があまりに不勉強で、この本を差し入れたのですが、刑務官に、「今どきこんな人の本を読むのかなあ?」と言われたときに、非常に恥ずかしかったものです。私は「いや、一応批判的に読んでもらおうと思って」と言ったものでした。
 思えば、この人の『佐藤信淵』も読んでいたな。でもとにかく、みな読むのは面白いけれど、少しも内容には感心できませんでした。ただ、彼が中世イタリアの都市のことを書いているのと同じように、故郷の群馬県桐生市を描いている視線は好きでした。
 私は彼の自宅のあった横須賀の自宅を1968年の9月に訪れました。講演を依頼するためです。右翼の襲撃を防ぐためが、彼の自宅はすべて鎧で包まれているようで、どこからも入ることができません。ただイヤホーンに出た彼は私たちの依頼に、その期間(68年の秋)は無理だがまた別な期間に受けようと言ってくれました。
  これが翌年1969年6月12日に埼玉大学で実現したのですが、この「羽仁五郎講演会」は、日本共産党=民青の妨害で、それを突破し、その後講演会を防衛しようという私たちの側と民青との衝突になりました。後に羽仁五郎講演会を防衛しようと言う我々の側が大勢事後逮捕されることになりました。私は69年1月19日に東大安田講堂で逮捕されて、この日は府中刑務所にいましたが、この日の読売新聞(刑務所・拘置所は読売しか入らない)はの朝刊は墨で大きく塗りつぶされており、私は何事かと驚いたものでした(思い出せば、私用にわざわざ塗りつぶしてあったのですね)。
 しかし、講演している羽仁五郎に日共=民青は石を投げてくるんですよ。それを近くで軍手でキャッチボールしていた防衛隊の友人もあとで逮捕されたものでした。
 もう遠い人で、私は一切読むことのない人です。(2011.04.28)


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2011年04月28日

廣松渉『マルクス主義の成立過程』

11042803 この本は、大学2年のときに読んだ本です。いや、ひょっとしたら3年だったかもしれませんね。なにしろ、この頃は逮捕勾留されている時間も長かったので、はっきりしないのです。ただ早稲田の文献堂で購入したように覚えています。丁寧にノートをとり読んだものでした。
 廣松さんは、この本でマルクス主義が成立する上で、ある時期はエンゲルスの方が先に行っていたのだという言い方をしています。『経哲草稿』『ドイツ・イデオロギー』の頃からなあ。私も岩波文庫の『経哲草稿』を読んだときに、マルクスのいい方に、いくつも?マークを付けていました。
 その後この著者のは『エンゲルス論』『マルクス主義の地平』等を読んだものでしたが、この『マルクス主義の成立過程』だけを内容まで詳しく覚えているものです。
 思えば、私にはマルクス主義のことを教えてくれたのが、この著者であり、この本であったかと思っています。(2011.04.28)


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佐藤雅美『江戸の経済官僚』

11042801 私は佐藤雅美は、好きな作家であり、いくつもの時代小説を読んできたものです。でも小説に限らず、他にもいくつもの作品を読んできたものでした。これは、私が最初に読んだものです。1996年の6月に徳間文庫で読んでいました。
 歴史上の人物でもその時代でも、政治的なかけひきや、戦争を行なうにも、一体そのときに費用はどうしたのだろうというのが、この著者の根柢からの疑問です。それが判らないと、どうにも歴史を見たことになるだろうか、ということでしょう。
 実にそれがこの著作では、江戸時代に関してけっこう興味深く書かれています。例えば江戸の経済官僚たちが、どのように貨幣を改鋳してきたのかなんていうのは、個々には歴史の中で知っていたとしても、それのみから見ていくと、また違うものが見えてきます。 新井白石や吉宗、松平定信などという改革をやったり、真面目な人と言われている官僚たちより、貨幣の改悪をやったほうが、歴史を先に進める役割としては上だったというのは、理窟として判っていたとしても、かくも如実に見えてきてしまうと面白いものがあります。
  5代将軍綱吉、6代家宣の代に貨幣の改鋳(改悪といっていい)をやった勘定奉行荻原重秀の

 たとえ瓦礫のごときものなりとも、これに官府の捺印を施し民間に通用せしめなば、すなわち貨幣となるは当然なり。紙なおしかり

という言葉など、今の紙幣の概念と同じことを言っているわけであり、これをなじっていた白石のほうが、判っていないなという感じを、やっと今の私はもつことができます。
 大昔小学生の頃、白石の伝記を読んだころは重秀なんて極悪人のように思えたものでした。
 このような新しく確認できるようなことがそれこそいくつも出てきます。徳川幕府は日本の天下の主人となったわけなのに、税金をすべて一元にとりません。各大名領地では、それにまかしていたわけです。これは大化の改新をやった律令政府とはえらい違いです。そんなことに関する解説も実に興味深いものです。
 また、日米修好通商条約を結んだタウンゼント・ハリスに関しての

 とにかくハリスは老後のための蓄えをのこしたい一心で日本へやってきた。そして当然気がつかなければならないことに、なんの注意も払わず、ひたすら金儲けに専念し、結果的に日本の通貨と経済を大混乱させた。日本がはじめて迎えた外交官は、そんなたのしい、ゆかいな外交官だったのである。

という記述に見られるハリスのやったことなど、かなり感心してしまいました。(2011.04.28)



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2011年04月23日

黒田寛一『現代における平和と革命』

11042114 この人の生涯は、今回1927年10月20日〜2006年6月26日だと知りました。この著作はたぶん、昭和45年の夏ころ読んでいたのだと思います。
 最初にたしか、「全世界は、資本主義とスターリン主義に二分され支配されている」とか書いてあって(実はよく覚えていない)、私は「これはなんという馬鹿なことをいうのだ」と思ったものでした。でもそこにこそ感動したという活動家もいて、私はもうあきれ果てたものでした。資本主義とスターリン主義なんて、もともとまったく違うものです。そうして、それが並びたつのでしょうか。反帝反スタなんて、私にはただただスターリン主義を誉めているものとしか感じられないものでした。
 その大間違いの世界認識を堂々と書いてある著作です。私は、「黒田寛一『社会観の探求』」には読んで感動したものでしたが、この本にはただただあきれ果てていました。哲学を論じるときはいいが、現実の世界を把握するときには、まったく的外れのことしか言えないのだなあ、と思ったものでした。(2010.08.28)


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黒田寛一『社会観の探求』

2017020601
2017020602

11042113 私は大昔はいわゆる新左翼であったから、当然革マル派が大嫌いでした。そして今でそれは同じです。ちょうど私は水戸天狗党が諸生党をみるような眼で、この党派をみている。諸生党を考えるとき、いまも許すことができないように、革マル派もどうしても許す気になれません。この党派がこの日本から消え去るにはどうしたらいいのか考えてみました。
 私が思うのには、革マル派は次の4点で存在しています。

1.黒田寛一の哲学
2.反スターリン主義
3.革命的マルクス主義
4.松崎明の動労革マル

 まず2ですが、これはもはやソ連が崩壊したことで、終りだと思います。そもそも黒寛の「現代における平和と革命」1冊読めばもうばかばかしいことが自明になることなのですが、要するに現代世界を帝国主義世界とスターリン主義世界が分割しているとし、このスターリン主義とは「疎外された反革命イデオロギー」であり、これによって、戦闘的労働者は眠りこまされているから、反スタとはこれをなくすことである、具体的にはスターリン党に加入して、新しい共産党を作り出していくというのです。え、なに、日本共産党に加入するのか、中国共産党、朝鮮労働党に入ってそれを変えろというのかという問いで終りでしょう。
 3とは何でしょうか。この「革命的」の意味とは。私はこれを若いとき、そう18歳くらいのときには「創造的マルクス主義」とかいう意味かと思っていました。しかしこれはもうばかばかしいことなのです。実にこの革命的という意味は、日共に対する革命的だということでもなく、日本の一方の雄である共産同ブントに対する革命的ということでもない。革共同の関西派に対しての革命的ということなのです。呆れてもう何もいえなくなってしまいます。そもそもマルクス主義が革命を指向するものなら、その上に又革命をつけてどうするのでしょうか。馬鹿じゃなかろか。
 そして4です。私はこの動労だけは大変な存在だと思ってきました。黒寛の生み出した最大のものがこの動労かもしれません。黒寛の血の結晶が動労革マルであるといえるかと思います。しかし私はさらに思うのです。この動労は黒寛というよりは、松崎明の生み出したものではないのか。さらにいうと私はあまり動労に「革マル」という感じを持たないのも事実なのです。しかしまたしかし、そうもいかないのです。松崎はやはり黒寛の革マルであるのでしょう。この日本が少しは明るくなるためにも、この動労革マルに消えてもらわなくてはいけないと思います。それには、以下のように提案したい。まず松崎を蝪複凖貽本の取締役社長(代表取締役でなく)にすること。そして国家は、松崎を中核派、並びに解放派から完璧に守ることを約束すること。できたら両派とも国家が潰せば、なお松崎には安心だ。こうした約束で動労を全てやめてもらいましょう。
 さて以上はこれでいいのですが、残るは1の黒寛の哲学です。

書 名 社会観の探求
著 者 黒田寛一
発行所 社会思潮社

 私はこれを最初は理論社の初版本で読みました。これをかなり時間をかけて読んでノートをとり、随分感動した記憶があります。ちょうど「経済学・哲学草稿」「ドイツイデオロギー」などを読んでいた時期でしたから、かなり理解しやすかったものです。しかし現在の社会思潮社版は、その最初の版とはいくつも違う印象があります。

  スターリニズムからの袂別の過渡期の産物である『社会観の探
 求』には、それゆえに(スターリニズムそのものの究明がまだ足
 りなかったということ−周)、なお部分的にスターリニズムの残
 りかすがまとわりついている。とくにスターリンの「一国社会主
 義」と「平和共存」理論にたいして無批判的であったことは決定
 的な誤謬である。   (「新書版への序文」)

 なんでこんなことを言ってしまうのでしょうか。まあこう言ってしまうから革マル派になってしまうのでしょうが、社会観の探求をさらに進めたマルクス主義哲学探求の道もあったのではないかと思うのです。私は「社会観の探求」にはかなりな感動をおぼえたものですが、「スターリニズムそのものの究明、その政治経済的分析に踏まえつつ、きりひらかれた」所産である「現代における平和と革命」なぞ、もう唾棄すべき内容でしかありませんでした。黒寛は後退してしまったのです。

  生産と消費との本質的な媒介契機としての分配が、それにもか
 かわらず現実には自立化するという、この論理的な過程は、歴史
 的には社会的分業の出現に照応するのです。社会的分業の発生と
 ともに、量的にも質的にも、不平等な労働および労働生産物の分
 配、つまり私有財産があたえられるのです。分業と私有財産とは
 同一のことを表現する言葉です。ただ同じことが前者においては
 活動との関係においてあらわされ、後者においては活動の結果と
 しての生産物にかんしてあらわされているのです。いいかえれば、
 社会的分業と私有財産の真理は、生産と所有との分離、人間生活
 の社会的生産そのものの自己疎外にほかなりません。
                    (「舷祐屬料続亜廖

  支配階級は、おのれの階級的な諸利害を社会全体の利害として
 妥当され、通用させるために、国家をうちたてるのです。これに
 よって、幻想的な共同利害は、「一個の独立的な容態」をとり、
 「幻想的な共同性」としてあらわれます。すなわち国家は、「共
 同性の幻想的な形態」であって、支配階級の特殊利害としての
 「一般的」な利害を物質的にうらずけるものにほかなりません。
 まさしくこのゆえに、国家権力の機能は、支配階級の生存上およ
 び支配上の諸条件を維持し、支配される階級の特殊利害にたいし
 て幻想的な一般的な利害を貫徹するための暴力の発動となるので
 す。だから国家は、「社会の集中的で組織的な暴力」として、支
 配される階級をしぼりとる機関という役割をえんじるのです。国
 家は、根本的には支配階級の手中にある生産様式、支配的な社会
 的生産様式=搾取様式をまもりとうすための権力にほかなりませ
 ん。                 (「舷祐屬料続亜廖

 いくつ抜き出してきてもいいのですが、かなりな内容の分析展開がなされています。だが、これが「社会観の探求」を離れて、現実社会への把握分析になると、「反スタ」というイデオロギーのみでの世界把握となってしまうのです。「スターリン主義は千年続く」と彼らはいっていたものでしたが、現実には100年ももたなかったではないですか。そのことを今黒寛はどうとらえているのでしょうか。
 そもそも、黒寛って今現実に生きているのだろうか、などと思ってしまうきょうこのごろなのです。(1998.11.01)

 私がこの本を読んだのは、大学4年の時ではなかったかと思います。いや、大学2年3年4年のときのいずれかではっきりしません(私はさらに大学へは5年6年といました)。早稲田の文献堂で購入したのだけはよく覚えている(ここの店主の顔もよく思い出します)のですが、なにしろ当時は学生運動で忙しく、府中刑務所他にもいたので、詳しくは思い出せないのです。
 でもこの本は実に丁寧に読みました。全編ノートをとりまして、読んだものです。この著者は、私は少しも好きになれないのですが、この著書だけは実に良かったのです。のちに、この著者は、自らのこの著作を、「スターリン主義の残りがまだある」なんて自己批判していますが、私からはそんなものは少しもあるようには思えません。実にいい著作です。
 この著者はもう、10年くらい前に亡くなったことが言われていました。(2010.03.16)



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マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

11042110 1864年4月21日〜1920年6月14日の生涯でした。
  私は大学1年のときに『職業としての学問』『職業としての政治』『儒教と道教』を読みましたが(他のウェーバーの入門書も読みました)、この本が一番読み応えがありました。ちょうど私は大学1年の12月15日からのバス代値上げ阻止闘争の最中に、バスチャーターした観光バスの中で車掌をしながら、この本を翌1月になって読んだものでした。
 ちょうどこのバスでエンタープライズ闘争にも日比谷公園に行きましたが、その時にも、この文庫本を持っていたものでした。訳は大塚久雄でした。この大塚さん自身の本もいくつか読んだものでした。
 いや昨日(2010.05.28)か一昨日の日経新聞の一面の「春秋」で、『職業としての学問』のことが書いてあり、内容を思い出していたのでしたが、どうしても私には中では面白いと記憶があるのがこの本だったわけです。
 資本主義の発達には、マルクスのいう下部構造だけの問題ではなく、宗教というものカルヴァンの教えが有効であり、カトリックやルッター主義では駄目だったのだというのが分かるような思いになったものでした。(2011.04.23)


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2011年04月22日

マルクス・エンゲルス『賃金・価格及び利潤』

11042106  長谷部文雄の訳でした。私は中2の12月に鹿児島のある古書店で手に入れました。20円だったなあ。本の最後のページに氏名と読了日がが押印もして書いてあったものです。その人の名前も今も覚えています。みな昭和26年くらいの日時でした(実はこの人の本をいくつも手に入れていました)。
 思えば、マルクスの本では、これが最初に読んだのでしたね。その後、マルクスの本は読んで面白いと感じたものでしたが、この本は私には面白くは感じられないものでした。いや、面白くないというよりも私当時の私では理解できなかったのでした。
 でもこの本が最初に読んだマルクスの本で、その後いくつもの本を読むことになって行ったものでした。(2011.04.22)


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マルクス・エンゲルス『共産党宣言』

11042103 大内兵衛と向坂逸郎の訳でした。非常に面白く読んだものでした。
  いや今から考えても、大内兵衛さんの訳のほうは面白かったですが、向坂逸郎さんの訳の部分は少しも面白くなかったな。あとで大学の頃、「あの本は全編アジ文だからよくない」なんてことをよく聞いたものですが、それは共産主義にシンパシーを感じているからだよ。私なんか最初から、少しも共産主義なんて大嫌いでしたから、この本は面白く読めたものです。実は、私は全編暗記暗誦できたものです。
 でもこのマルクスの本は面白いけれど、どうしてその思想にいかれてしまう人がいたのでしょうか。私は最初からそのことだけは理解できませんでした。
 それとこの本は鹿児島のセンバという古書店で購入しました。このことも懐かしいです。(2011.04.22)


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2011年03月25日

カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本権力構造の謎』

11032405書 名  日本/権力構造の謎
著 者  カレル・ヴァン・ウォルフレン
訳 者  篠原  勝
発行所  早川文庫
1994年4月15日発行

 外国人が書いた日本人論といえば、私が最初に接したのはルース・ベネディクト「菊と刀」だったと思います。この書物は「日本はアメリカが総力をあげて戦ったもっとも異質な敵国」ということから、その「異質」とは何なのかということを分析したものだと言えると思います。ただ、私はこのベネディクトの書いてあることに感心しながらも何故か違和感があり、そのように思う自分の感じ方に安心もしていました。この「日本/権力構造の謎」でも最初に次のようにあります。

  日本人のあいだでは、自分たちの文化はユニークだということ
 が、ほとんど信仰のようになっている。それも、すべての文化は
 ユニークである、という意味でのユニークさではなく、いわくい
 いがたいユニークさ、究極的に他の文化とは異なる、ほんとうに
 ユニークはユニークさである。それは日本人のユニークな感受性
 の源であり、そのために外国人がそれに言及してはいけないとい
 うことはないにせよ、理詰めに追及されることからは守られてい
 るというものである。外の世界と比較する場面が生じるたびに、
 日本人は学校でも会社でも、報道メディアや役人のスピーチを通
 して、日本という国は特別なのだと言い聞かされる。
              (1章“ジャパン・プロブレム”)

 私も「結局は、ベネディクトだってアメリカの女さ、日本の本当の姿なんか判らないさ」と言ってしまうところがあったわけです。このK・V・ウォルフレンは、そうしたところから、日本人とは何かというところへ入っていきます。彼が書いたものも結局はそう言われてしまうのではということを念頭においていると私には思われます。
 もうひとつ私が驚いた外国人による日本人論というと、イザヤ・ペンダサン「日本人とユダヤ人」です。これを読んだときは私は驚愕したものです。ベネディクトの比ではありません。いったいこの「イザヤ・ペンダサン」て、何者なのだろうと思ったものでした。もっとも現在ではその人物像が判っており、私たちはまた安心したものではないでしょうか。「そうだよ、結局日本人でなければ日本のことは判らないのさ」と。
 さてそれでこの「日本/権力構造の謎」はいかなる日本の分析を私たちに与えてくれているのでしょうか。
 日本は幕末開国に応じたときから、欧米との異質さにきずきました。その異質さを充分に認識して、それを日本の独自性として訴えていこうというすることをやってきました。だがそれは大東亜戦争の敗北ということで終りました。
 そのあとの時代は、この日本の異質さを主張するのではなく、もはや日本も欧米と同じ形の社会を作っているのだと日本人は意識してきました。もう日本も欧米からとやかく言われることはないはずなのです。だが、今の今こそ、
「日米構造協議」の指摘があったり、市場解放の要求を突き付けられています。まだ日本には「異質」さが存在していると指摘してくるのですが、実は日本人のほうは、その言うところが理解できません。もう欧米と戦争する気はないし、充分社会体制を変えてきたし、国際貢献もしているはずなのに、欧米は一体何が不満なのだと日本人は思い込んでいます。
 ここのところに、この著者は一番問題があるのではと考えています。どうして日本人はそうした日本の持ってしまっている異質さ、違う社会構造を作りあげてしまっているのかということに気がつかないのだろうか。それはそうした日本人の意識を作りあげてしまっているものが、まさしく日本の「権力構造の謎」なのだということでしょう。かの戦争で敗北してしまったから、終ったわけではない。まだまだ日本が自らの「異質」さを明確に認識できないかぎり、この日本の不可解さともいう存在感はなくならないのではというところでしょう。
 そしてそうしたことを強く指摘しているのが、この著書であり、今後もさらに著者は私たちに強く指摘してくると思われます。
 ただ、この著書はかなり膨大なる量であり、著者の緻密な情報収集と丁寧な取材に感心します。ちょっとこれだけで紹介できるものではないことは、ここで言っておこうと思いました。(1998.11.01)



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2011年03月23日

鈴木裕子『フェミニズムと戦争』

  私は、「山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』」の書評の中で、

  一体、この「白髪の老人」とは誰のことだろう。

と私は書きました。私はこれがあるときに思い当たったのです。この老人とは、私は市川房枝ではないのかと、思い当たったのです。もちろん山口瞳は、市川房枝のことを言っているわけではありません。でも私にとって、戦中派である江分利満の酔っている頭に浮かんできた「白髪の老人」とは、市川房枝に思えてならないのです。こう私が思い付いたのは、もちろん市川房枝がまだ存命なときのことです。

11032216  私は随分前から、いわゆる女性運動家の大政翼賛会と戦争への加担の仕方などを批判していたのですが、そのことについての詳細な本があると聞いていました。そして私あてにわざわざとっておいてくれた人がいます。

書  名  フェミニズムと戦争−婦人運動家の戦争協力
著  者  鈴木裕子
発行所  マルジュ社
1986年8月1日第1刷発行

  著者は私より1歳年下の方です。「戦争も知らないくせに生意気な、といったお叱りを受けそうである」と「はじめに」に書かれているように、私もこうした論議をしていくと、よく上の世代に同じように言われたものです。でも私は言うのをやめませんでした。さらにこの著者が扱っているのは、戦前の婦人運動家です。これはけっこう煙たく思われていることでしょう。

    本書で扱う婦人運動家・婦人指導者のなかには、その高潔な人
  柄と庶民的な性格で大衆的な人気と尊敬を集めてきた人も含まれ
  ている。
    また戦前日本の婦人運動史を多少とも勉強している人なら、戦
  前の婦人運動家たちが、世間からふだんに受ける悪罵、中傷、揶
  揄、冷笑などものともせず、精神的にも経済的にもいかに困難な
  道を歩んできたかは、容易に知れることである。日本の社会運動
  史・女性史研究の驥尾に付しているわたくしとて、そのことはよ
  く承知しているつもりである。にもかかわらず、いや、そうであ
  るからこそというべきであろう、わたくしは戦中におかした彼女
  たちの過ちについても検討しなくてはならないと思うのである。
 (はじめに)

  こうして何人もの婦人運動家の大政翼賛会ならびに戦争への加担協力の実態を明らかにしています。ここで大きく扱われているのは、高良とみ、羽仁説子、市川房枝、山高しげり、奥むめおの5人です。私はこの中で、市川房枝に関したところを見ていきたいと思います。今も彼女の志を継ぐという二院クラブとかが存在するわけですし、青島幸男は都知事になりましたし、私はこの市川房枝のことだけは尊敬しているという婦人たちに、今も出会うことが多いからです。そのたびに、どうにもいつも何もかも話してしまいたい衝動にかられてきました。いまそうしたことを、少しでもこの本の紹介で明らかにしてみたいと思うのです。
  市川房枝(1893〜1981年)は、戦前には婦人参政権運動、戦後は参議院議員として政治浄化を唱え、戦前戦後を通じて婦人運動に生きた方です。市川はいかに、戦争に協力し、体制に加担していったのでしょうか。
  満州事変の勃発に際しては、

  ……婦人は、国境の区別なく平和の愛好者である。
    此度の満州事変に際しても、私共は婦人の殆どすべては、その
  勃発を悲しみ、一日も早く無事解決される事を切望していると断
  言して憚らない。

と言っていた市川も、1937年7月の支那事変には、

     ……ここ迄来てしまった以上、最早行くところ迄行くより外あ
  るまい。

とまでいうようになってしまいます。事変の勃発から2か月たっているのですが、その間かなり苦悩したようです。この時の市川の苦悩と転回を、著者は市川の文を紹介して、次のように言っています。

    苦衷と煩悶を振り切って、国家のため、婦人のため、進んで戦
  争に協力していこうと思うまでの心的プロセスがよくあらわされ
  ていよう。と同時に、わたしたちは市川の婦人運動家としての使
  命感・責任感の強さに目をみはらされる。この強烈な責任感、使
  命感、そして時に「愚直」にさえみえる誠実さは、市川房枝の生
  涯を貫いたひとすじの糸であった、と思われるが、ならばこそ、
  このひとすじさが彼女にあっては、戦争協力・加担への“転回”
  をももたらした。

  1937年9月、市川は日本婦人団体連盟を結成する。この連盟の任務と役割についての文で市川は次のように述べています。

    国家総動員といふからには、国民の半数を占むる婦人もふくま
  れてゐるに違ひない。婦人を動員するためにには男子と異つた手
  段方法を要するのである。……
    ……私共は、政府当局が婦人を認めると否とに拘らず、小にし
  ては各自の家庭、各自の生活を守るために、大にしては愛する国
  家のために、婦人としての部署を守ることの必要を痛感するもの
  である。……
    然して政府の総動員計画に側面から協力、その足らざる点を少
  しでも補ひたい者である。


  この「側面から協力」といっていたものが、すぐに市川の「公職」への就任となって転回していきます。完全に国策へ協力していきます。
  市川は1940年2月から約2か月間、日中戦争中の中国へ出かけています。ここで市川は中国人の抗日意識の強力さ、日本軍の占領統治の不安定さを充分認識したはずです。しかし、市川は帰国後、よりいっそう自分を含めた女性の国策協力を推進していきます。1940年7月第2次近衛内閣が成立し、新体制運動が開始され、すべての政党、団体が解散して大政翼賛会に参加していきます。市川の婦選獲得同盟も同9月に解散します。そして数々の婦人組織を一元化し、大政翼賛会に結実していこうとします。市川は大政翼賛会に、もっと婦人を加えろ、婦人にはもっと大政翼賛会に協力しようという主張をしていくことになります。そしてそれは強力に押し進められます。
  さらに日米開戦となり、よりいっそう市川は大政翼賛運動を推進していく役割を果たしていきます。

    今次の支那事変並びに大東亜戦争に於ては、日本民族の優秀性
  がはっきり確認され、東亜十億の指導者としての地位が確立いた
  しました。
    大東亜共栄圏を確立し、その悠久にして健全なる発展をはかる
  ためには、何よりも日本民族の人口が更に増加し、その資質の増
  強をはかる事が重要となりました。
  (中略)
    かくて産み、育てることは、母親一人の、乃至はその家庭の私
  事ではなく、国家民族の公事として取り上げられる事となりまし
  た事は、産むものの立場として肩身広く、嬉しい限りであります。
    国家のこの要望に対して、婦人は、今こそ民族の母としての自
  覚をしっかり持ち、量、質とも優良なる日本民族を産み、育成す
  るやう努力しようではありませんか。
    これは婦人としての、否、婦人でなければ出来ない御奉公であ
  り、大政翼賛の最も重要な事項であります。
   (「婦人戦時読本」1943.7昭和書房の市川が執筆した「婦人と
    国家」の一節)

  これが、いったい婦人運動家の言葉なのですか。いったい女を、母親をどう考えているのでしょうか。こうして市川は、大政翼賛運動を文字どおり支えていったのです。
  たくさんのたくさんの若者があの戦争で死んでいきました。なにも教えられず、ただ祖国の為だ、祖国とは自分の母であり、父であり、恋人であると信じて戦場へ出て行きました。誰も本当なら、一人の人間としてどのように生きる資格も権利もあったのです。戦争を推進した指導者たちは、裁かれるべきです(もちろんこれは、連合軍によって裁かれることを肯定はしません)。裁かれなければ、自分で反省してほしい。

    敗戦後私自身は戦争協力者として三年七カ月追放になりましたが、ある
  程度戦争に協力したことは事実ですからね。その責任は感じています。し
  かしそれを不名誉とは思いません。(中略)
  ……私はあの時代ああいう状況の下において国民の一人である以上、当然  といわないまでも恥とは思わないというんですが、間違っているでしょう
  かね。  (市川房枝「私の婦人運動−戦前から戦後へ−」1979年)

  当りまえではないか、間違っているよ。なぜ反省出来ないのだ。その血塗られた手をそのままに、また戦後同じ形の運動をやっていっただけではないのか。私は今もまた「市川房枝先生の志を受け継ぎ……」などという女性がいることに我慢ならない気持なのです。こうした発言をされる女性には、どうしてか私はよくお会いしてしまいます。そうしたときには、私はいつも上のようなことを言い続けております。
  しかし、それにしても実にいい著作です。この著者は、私が女性運動家としては、一番好きになれる山川菊栄の全集などの編集もやっていることを知り、ますます感心しています。(1998.11.01)



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2011年03月20日

西部邁『60年安保』

11032009 随分前になりますが、唐牛健太郎さんのお墓の除幕式に出席するために北海道函館へ行きました。津軽海峡が美しく見える高台にそのお墓はあり、奥さんの真喜子さんが、「放浪を続けてきた人の安息の場所がやっと出来ました」とおっしゃっていました。
 その次の日、私は函館の友人の車でまたこのお墓に来て、ひとりで詩吟詠いました。西郷南州作「弔亡友月照」。唐牛さんの優しい笑顔思い出しました。60年安保全学連委員長の唐牛健太郎のことは、私は小学生でしたから知りません。私の知っているのは優しい笑顔の健太郎さんです。
 前々日から飲み続けでしたが、その日も飲んで、真喜子さんたちと一緒の飛行機で帰ってきました。その晩は疲れていたので早く寝ました。夜中私は恐ろしい夢でうなされました。女房におこされて、でも恐ろしい夢の内容は黙っていました。
 私が見たのは、二人の男が血だらけになり目から涙とも血ともいえるようなものを出しながら、相手の脳を食い合っている夢だったのです。……そうです、あれが日本の革命とやらの姿、ブンド(共産主義者同盟)と革共同(革命的共産主義者同盟)の姿なのです。
 この日本の革命のことは、戦前のことも、そして戦後のことも検討総括しなければならないと思っています。とくに私自身もその中にいた戦後の60、70年代はいつかまともに総括しなければならないでしょう。
 まずは私自身は小学6年生でしたから、テレビでくらいしか知らなかった60年安保とその中の何人かの当事者を、またその当事者が描いた本を紹介しましょう。

書 名 60年安保 センチメンタル・ジャーニー
著 者 西部邁
発行所 文藝春秋

 私はこの著者と直接話したことあります。埼玉大学の先輩である小野田襄二のイベントで小野田さんの対談者として招かれ、そのあと一緒に飲みました。私は西部が、なにか自分のことを保守派のブレーンのことのようにいうが、それは西部の自民党への片思いであり、西部自身はやはり60年の左翼の最良の部分をひきづっているひとだと思っていました。この本がそうですからね。
 ところが、まず私の前で他の評論家が「吉本なんて、あれはもう駄目だよ」なんていったのにうなずいているのです。私は当然「どうしてなんだ」とつめよります。私はしつこいんですね。いくらきいてもうまく答えてくれません。まあそのうちその場は収まったのですが、今度は私の方から挑発的に彼が東大を辞職した件で、中沢なんかの悪口を言い始めました。なんで西部が中沢なんかいいというのだ、と。西部怒って店飛び出して、二度と帰ってこなかった。 実はイベントのときも小野田との対話で急におこって会場でていってしまったのだけど、また戻ってきてくれました。だけど今度は駄目でしたね。なんだかそれだけの人なのかなという思いが残りました。

 ともあれ、この本は彼の著作の中で一番いい作品だと思います。少なくとも私は、読んでて著者の視線に好意をもつことができます。
 この本の中で大きな章で扱われているのは、唐牛健太郎、篠田邦雄、東原吉伸、島成郎、森田実、長崎浩の6人です。私は唐牛さんと島さんにはお会いしました。多分今後篠田さんと、長崎さんにもお会いする機会があるでしょう。森田さんはもう政治評論家だから、テレビの画像でしか見れないのかもしれない。でもみんな魅力にあふれた方たちですね。
 若き彼らが、全学連主流派ならびにブント(共産主義者同盟)を率いてあれだけの闘いを展開できたことはまったく驚くべきことです。いうまでもなく、60年安保闘争は、民主主義擁護の闘いでも、反米の闘いでもありません。勿論社共や知識人はそうとらえていたようですが。

  また、当時も現在もかわらないわたしの基本的なかんがえでは、
 改定安保条約は、日本国家=憲法の対米従属の表現ではなくて、
 戦後日本資本主義の安定膨張と強化に伴い、米国と対等の位置を
 占めようとする日本国家
 資本主義の米国との相対的な連衡の意志を象徴する法的な表現で
 あった。…………。それゆえ、昭和三十五年六月十五日に最大の
 表現を見出した一連の行動は、岸政権によって保持されている憲
 法=法国家を本質的に対象とする思想の表現であり、これを媒介
 とせずしてはどのようなたたかいも維持されないという理念にも
 とづいていた。
   (吉本隆明「思想的弁護論−六・一五事件公判について」)

 この基本的認識の中でブントとはいったい何だったのか。

  ブントが独得なのはトロツキー教条主義とはまったく一線を画
 していたという点である。ブントはトロツキーを好いたが、信じ
 はしなかった。旧左翼のスターリニズムを払拭するためにトロツ
 キズムを利用したのだといっても過言ではない。ではレーニンを
 信じたのであるか。レーニンによる組織化の戦略・戦術は、ブン
 ドが行動を決意するときにはおおいに参照されたが、その行手に
 組織の官僚化がまちかまえていることも明確に気づかれていた。
 初期マルクスにみられたヒューマニズムについてはどうか。スター
 リニズムのもたらす抑圧を批判するときには、それが美しい人間
 性の物語を奏でてくれると知っていたが、同時に、反権力の闘争
 が抑圧なしにすむと考えるほどブントは愚かでなかった。
  いったいブントはなにを信じていたのか。ほとんどなにも信じ
 ていないという点で、ブントほど愚かしくも傲慢な組織は他に例
 がない。彼らにも理論や思想のかけらはあったし、それを体系化
 しようという努力もなくはなかったのだが、要するに信じるに価
 するものを獲得していなかったので ある。
  たとえば、新安保条約についていうと、それが日本の力が向上
 したことの印なのだとわかっており、それならば、新条約を阻止
 することによって強化されようとしている日本帝国主義に、痛打
 を与えよというのがブントの構えであった。明晰な理解であり、
 明瞭な姿勢ではある。しかし、帝国主義とやらの現段階、それに
 代わるべき体制、そこで生きる人間の生活など、要するにあらゆ
 る根本問題にブントは蒙昧であった。マルクス主義の文献から自
 分の情念に都合のよいところを抜き出してきて継ぎ合せるのがブ
 ント流なのであった。

 このブントが、革共同、関西革共同、構改派を抑え、全学連の主流派に踊り出る。その優れたブント主義、即ち「革命のための組織」「暴力主義」によって、60年安保を闘いぬく。「ブンドがつぶれるか、安保がつぶれるか」とまでの闘争。当然ブントがつぶれる。

  ブントが進歩的文化人にとって代わる認識をつくりだしていた
 というのではない。民主主義に代って自由主義の認識が考察され
 たというのではない。ありていにいって、ブンドにまともな認識
 などなかったのである。人材もいなかったし余裕もなかった。要
 するに、馬鹿な若者の集まりにすぎなかったのだ。しかし、その
 馬鹿さ加減のうちに、開かれた認識へといたる可能性がいくばく
 か看取できたのである。マルクス主義も共産主義も糞くらえ、と
 いってのける人間を少なからず含んでいたのが共産主義者同盟、
 つまりブントである。そんな自由な組織は、そもそも組織といえ
 るほどのものでないのであって、空中分解して当然である。

 思えば、これでブントがつぶれてこれきりになればまだよかった。だが、しつこい活動家はまた、革共同へ、そして社青同へなだれ込む。そして、彼らが革共同の革共同主義「組織のための運動」に堪えられなくなったとき、革共同の第3次分裂で中核派と革マル派が生まれる。中核派はブントと革共同の混血児というよりは、やはりブントの暴力主義の子のひとりが、どうしてか革共同の名を名のってしまったという悲劇(いや喜劇かな)とだろう。社青同でもまた結局社会党に介入することなんかできず、解放派(現在の革労協)がうまれることとなる。そしていよいよ私たちの登場。
 私は今のいわゆる「内ゲバ」、革共同中核派+革労協(社青同解放派)と革共同革マル派との戦争は、結局この60年ブントのブント主義と闘わぬ革共同主義の争いの流れだと思えるのです。まだまだ永遠に食い合っていくのだろう。私は唐牛さんのあの笑顔の中にこのことの苦しみが含まれているような気がします。

 しかしこのながれの最初ブントの結成から60年安保闘争までの活動家の姿、その後の姿をこの著作はいい視線で描いていると思います。西部は最後にこう語ります。

  人生の折返し点をすぎ、各人各様に死の影を背負うようになっ
 たればこそ可能になるような、活力ある生というものもあるでは
 ないか。もっとも困難なことについてもっとも関心をもつことが
 過激性だとするならば、私の最後に発したいメッセージは、「お
 のおの方、今度こそ本当に過激に生きようではないか」というこ
 とに尽きる。

 いいことばですね。結局これで西部は何とか保守派のブレーンになることが彼の過激性なのでしょうね。この著書が過去の自分への別れのつもりなのでしょうか。まあ頑張ってくださいとでもいうしかありません。

 しかし私は、彼の最近の言動をみると首を傾げたくなることあります。私の住む我孫子市民会館へ、「俺は暴走族が嫌いだ」といって、暴走族ではない人に鉄パイプで殴りかかり、逆に反撃され亡くなった毎日新聞記者のことで講演にきました。暴走族は許せないということだったと思います。じつにあの事件は彼がかなりなキャンペーンはっていたようです。しかし、はたしてあの事件はそうなのですか。あの傷害致死に問われた被告は、元暴走族というだけで、あの事件のときも無関係なのにからまれちゃったのですよ。暴走族は私も嫌いですが、元というだけで罪にとらわれ、キャンペーン張られるなんて、そんなことありますか。いったいナチスやスターリンのやったことと同じじゃないですか。これが西部のいう「本当に過激にいきよう」ということなのですか。
 西部がこの著書で60年安保およびブントにこれでおさらばするように、私も西部邁にこの本でさようならをいいたいと思います。(1990.11.01)



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荒岱介『破天荒伝』

11031711書 名 破天荒伝
著 者 荒岱介
発行所 太田出版
2001年2月21日第1版第1刷発行
読了日 2001年3月19日

 この本の前半に書かれていることは、私も同じ時間同じ場所にいたことがいくつもあり、かつ私がいない時間場所でも、実によく知っていることばかりなもので、それこそ懐かしく思い出すことばかりでした。私はブンドには好感をもっておりましたが、「戦旗派」はどうにも好きになれない存在でした。でも、この本を読んでいろいろなことが判った気がします。



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2011年03月13日

マイク・ダッシュ『チューリップ・バブル』

11031301書 名 チューリップ・バブル
    人間を狂わせた花の物語
著 者 マイク・ダッシュ
訳 者 明石三世
発行日 2000年6月10日第1刷
発行所 文春文庫
読了日 2002年10月17日

目 次
第1章 天山山脈の谷
第2章 「至福の館」の奥深く
第3章 東方からの旅人
第4章 生涯を植物に捧げて
第5章 レイデン大学からの誘い
第6章 貴婦人の胸飾り
第7章 鏡の中のチューリップ
第8章 フロリスト
第9章 チューリップ狂時代
第10章 「金の葡萄亭」での取引
第11章 ウァウター・ウィンケルの孤児たち
第12章 バブル崩壊
第13章 娼婦の女神フローラ
第14章 チューリップ王の宮廷で
第15章 遅咲きの花

 チューリップ・バブルについては、よく知っていたし、かつよくあちこちでお話していることなんですが(さらにヒヤシンスバブル、南海泡沫事件、フロリダの土地バブル、そして日本のバブルと話をするんです)、チューリップという花がトルコから来たことは知りませんでした。そのトルコでのこの花の歴史も興味深かったものです。そして、そもそも、このバブルが、フランスでもイギリスでもなく、北ネーデルランド・オランダで起きたというのが面白いといいワすか、なんだか納得してしまいます。(2002.10.17)

(参考 野口悠紀雄『バブルの経済学』



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2011年03月06日

「ハーバード流経営士官教本」

11030507 昨日(2000.05.09)ある若い友人と飲んでいまして、「もっとあなた自身が迫力をつけな」なんて話の中で、この本の内容を少し話しました。今の今になっては、この本を薦めたとしても、あまりどうかなということもあるのですが、思えば大昔に書いたことがありましたので、以下載せてみます。少しは参考になるかもよ(ね、Mさん!)

 現在の日本の経済情況の中で、どのように企業が闘い抜いていくのか大変興味深いところです。そして、各経済、経営の識者はどう判断するのか、各分野のコンサルタントはどうしていくのか、さまざまな経営コンサルタントはどうコンサルティングを展開するのか、いろいろ問われるところですね。
 80年代に日本のいくつかの企業にはいり、一応成功を収めたといわれるボストン・コンサルティンググループなんか、この時期どう指導していくのだろう。お手並拝見といったところです。
 そのボストンコンサルティング・グループの出身ハーバード・ビジネススクールのハーバード流成功術の入門書(といっていいのかな)見てみましょう。もっともちょっともう古いんじゃないという意見もあるかもしれない。でも私はまだまだこの本も読んで、充分役に立つところが多々あると思うのです。

書  名 ハーバード流経営士官教本
著  者 J.フィクス、R.バロン
訳  者 前田俊一、野宮博
発行所 ダイヤモンド社

 私は、例えば、大学卒業で就職について相談受けたりするとき、随分この本を紹介しました。もちろんその彼、彼女が行こうとしている業界についての入門書とか、読むべき新聞雑誌なんかは教えてあげるのですが、そうではなく全般的な就職への自己武装みたいなものは、この本がなかなかいいと思います。いや新卒でなくとも、充分役に立つと思いますよ。事実私は何人かに紹介して、感謝されました。
 例としてハーバード流自己武装術のレジュメ(経歴書)の書き方のところ紹介しましょうか。

  レジュメ(元原稿)
 ……
 就業経験 ケンタッキー・フライドチキン(1981年夏)
      ・ウェストチェスター最大の店。
      ・忙しい時間帯に、チキンの仕込みを担当。
      ・作りすぎのときは、家に持ち帰る。
      ・アルバイトの高校生に、チキンの仕込み方を指導、
              ハッパをかける。
      キャディー(1980年夏)
      ・ゴルファーのボール捜し。
      ・チップの少ないメンバーには文句をいう。
      ・メンバー同士の賭けの世話。
      ・敵のボールをラフに移したりする。

    ↓   ↓   ↓

  レジュメ(完成原稿)
 就業経験 1980年夏
      ゴルフコースの活性化に取り組む。バッチ処理方式を
            導入して、プレイヤーの処理速度を3倍にあげる。メ
            ンバーに対し、技術面、財務面でのコンサルティング
            を実施。また、メンバーのプレイヤーが競争相手に対
            し、戦略的成功を納めるように手助けをする。
      1981年夏
      ニューヨーク市のケンタッキー・フライドチキンに対
            する特別協力。業務の集中する夕刻時に製造部門を担
            当。在庫レベルの監督。過剰在庫防止の制御システム
            を開発。従業員のモチベーション高揚のため、自主セ
            ミナーを開催。

 このように

  夏のつまらないアルバイトも、会社の就職係を感動させるよう
  なすばらしい経験に仕立てあげることができる

というわけです。面白いでしょう。でもこれは就職しようという彼、彼女には大事なことですね。
 そのほか、「企業参謀学の基本とケース・スタディ」のところでは、「プッシュ戦略とプル戦略」、「シェアマトリックスによる分析」など、たいへんにわかりやすい説明がしてあります。まあこれは、「経営学」とか「販売管理」とかやると必ずでてくるところですね。個々の例を自分で考えて頭に描くと非常にわかりやすいと思います。
 しかし、いつも思うのですが、このボストンコンサルティングGの「シェアマトリクス分析」だが、どうしてBOY、STAR、TREE、DOGの並び方が時計の向きと逆なのだろう。時計の向きにすれば、パソコンなんかで簡単に分析分布させやすいじゃないかと思うのですがね。誰かそんなソフト作りませんか。この分析のソフトで馬鹿高いのはあったと思いますが、時計回りにすれば、簡単にいくと思うんですが。
 これから就職のかた、これから経営の立場から営業の前線に立たれる方、お読みになると少しはやくに立つと思います。(1992.08.25)

 この経歴書(履歴書)の書き方のコンセプトを身につけることは大事だと思うのです。人間は形から入っていっても、それでやりきるときに、必ずいろいろなものが(例えば迫力ね)がついてくると思うのです。(2000.05.10)



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2011年03月01日

野口悠紀雄『バブルの経済学』

11022808書  名 バブルの経済学
著  者 野口悠紀雄
発行所 日本経済新聞社

  最初に以下のようにあります。

  私は、本書の執筆に、偏見といってよいほどの大きな予断をもっ
  て臨んだ。それは、バブルが悪だ、という判断である。 
                                          (「まえがき」)

この立場から論を展開していきます。

  この過程は、幸いなことに、中途で終った。日本経済はいま苦
  難の時期にあると一般に考えられているが、もっと後になって振
  り返れば、バブルによってこそ日本経済は崩壊していたのであり、
  それが中途で終ったのがむしろ喜ぶべきことだとみなされるだろ
  う。バブルが崩壊すると日本経済も崩壊するのではなく、逆に、
  バブルが崩壊してはじめて経済発展への展望が開けるのである。
  日本は、いま正常な姿へ復帰する路を歩んでいる。
                                            (「まえがき」)

  私はバブルに対するこの著者にいうことに納得はできないのですが、とにかくみていきましょう。ではそもそもバブルとは何なのだというのでしょうか。

 資産価値があがるものとして本来は収益と利子率の変化があるといいます。たとえば地価でいえば、開発による土地利用価値の上昇とか、都市に人口や産業が集中するために価値が上昇することなどが収益の変化であり、いま一つは利子率の低下による資産価値の上昇という変化です。これがファンダメンタルズ価格の変動といわれます。

  実際の資産価値とファンダメンタルズ価格との差は、「バブル
  (泡)」と呼ばれる。つまり、「バブル」とは、現実の資産価値
  のうち、ファンダメンタルズで説明できない部分を指す。このよ
  うに、「バブル」とは、曖昧な概念ではなく、経済理論上は正確
  な規定がなされている概念なのである。「バブルの経済理論」)

 このバブルがいかに歴史の上で現れたのかの記述が一番この本の中では面白かったのところです。

  特に、有名なものとして、一六三四〜三七年のオランダにおけ
  るチューリップ狂事件、一七二〇年頃のフランスにおけるロー・
  システムの崩壊、同時期のイギリスにおける南海泡沫事件、そし
  て、現代でのバブル物語としての一九二〇年代のアメリカを取り
  上げよう。          (「歴史に見るバブル事件」)

  どれもに共通するのは、「苦労せずに金もうけがしたいという欲望」が人々をひきつけたということでしょうか。しかしどれも明解な原因の究明はできていないようです。

 チューリップ狂事件というのを見てみましょう。
 この花は一六世紀に西欧にもたらされ、珍重されるようになりました。オランダで変種づくりが盛んになります。まれな品種の球根が投機の対象になり始めます。そうすると栽培にまで関係しない人までが参入するようになり、やがて実際の球根が渡されなくても取り引きされる先物取引が導入されます。一六三〇年代の中頃になると、価格は途方もない水準になり、最上種でない球根一個でさえ、「新しい馬車一台、葦毛の馬二頭、馬具一式」と交換可能になったといいます。しかし一六三七年二月四日殺到した売りにより市場はパニックに陥り、価格は暴落します。

  崩壊の日付が異常なほどの正確さで記録されているにもかかわ
  らず、なぜ投機が崩壊したのか、その理由はいまになっても分か
  らない。二月一日まで全く順調に行われていた取引が、突如とし
  て崩壊したのだという。実体から離れたバブルが頂点に至って自
  己崩壊を起こした、としか説明しようのないものであろう。
                        (「歴史に見るバブル事件」)

 私たちからみたって、たかがチューリップの球根ですから、これが投機の対象になるなんておかしいし、崩壊しても当りまえに思えます。もうこんな馬鹿げたことは再発はしないでしょうと思うのが当然ですね。
 しかし、そうではなかったのです。今度はヒヤシンスでした。チューリップ狂事件から約一〇〇年後同じオランダで、また同じことがおきたのです。またヒヤシンス栽培の専門家ではない人々が先物取引に走りました。一〇〇年前の経験がさまざま警告されたにも拘わらずなのです。また当然崩壊しました。

 これはかなりなことを教えてくれます。著者のいうバブルは、いくら馬鹿げて見えていても、また現在に至るまで再発してきたし、今後も繰返し生じるだろうと考えざるをえないのです。
 そして著者はさらに八〇年代以降の日本経済のおけるバブルを見ていきます。このバブルの背景にあった経済政策の問題点を指摘します。そして最後の章ではバブル再発防止のためには何をなすべきなのかを展開しています。
 その中で注目した提案としては「地価インデックス債」があります。

  これは、国が発行する特殊な国債で、額面が地価にスライドし
  て上昇するようなものである。したがって、キャピタルゲインの
  点では、土地と基本的に同一の価値をもつ金融資産である。つま
  り、値上がり待ちで土地を保有する立場から見ると、土地ではな
  くインデックス債を保有しても同じことになる。さて、国はこの
  債権を発行して土地を買い上げる。そして、この流通市場を形成
  し、第一次取得者がこの市場で売却できるようにする。この市場
  でインデックス債を購入すれば、一般投機家が将来の土地購入に
 備えて購買力をヘッジする手段が得られることになる。
                          (「ポスト・バブル経済に向けて」)

 しばし考えてしまいました。もうすこしじっくり考えないといけないのですが、どうしてもこれもうなずけないのです。やっぱり国家に何かをやらせようというのでしょうか。どうしても、こうしてあくまで国家に期待する考え方には、私はどうしても賛成するわけにはいかないのです。
 ともあれ、歴史的なバブル事件を知っただけでも読んで良かったと思った本でした。(1992.11.01)



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2011年02月28日

副島隆彦『佐高信の正体』

2017071001 ときどき吉本さんを私のように追いかけていることに関して、いかにも馬鹿にした言い方にお目にかかることがあります。何を言われたってかまわないのですが、あまりに頓馬で下らない言い方を目にするとつくづくその人間の品性を疑ってしまいます。
よくテレビに出てくる佐高信とかいうのがひどいものです。長谷川慶太郎さんをけなしている文のなかで、その根拠に吉本さんを取り上げているのだが、もうあきれて話にならないのです。

この佐高の本とは、彼の最新評論集「筆刀直評」のことです。立ち読みしますと、それには次のようなことが書いてありました。

現在の吉本隆明はなにか元気がなくなった。それは彼がもっとも敵としてきた、日本共産党が近頃とみに元気がなくなってきたからである。敵が元気ないので、彼も前のように威勢がよくない。そして吉本隆明は、谷沢永一「先見力の達人−長谷川慶太郎」の本の帯に、

長谷川慶太郎は、経済を中心とした日本及び国際関係の現状を
臨場感あふれる正確な分析をやっている。その臨床的な見立てと
適切な看護法では信用できるひとり、ふたりしかいない経済専門
家である              (「週間読書人」より)

との文を寄せている。しかし、その共産党嫌いの吉本隆明が、長谷川慶太郎がもと共産党員(多分昭和20年代の一時期のことでしょう)だったことを知ったら、どうするのだろうか。

立ち読みした限りは、このような内容でした。このような論法で、この佐高信は、長谷川慶太郎と吉本さんを同時にけなすことができると力んでいるのです。ここを読んでこの佐高のいうことになどにうなずく人がいるでしょうか。どうしてこれがさも佐高が得意になる事実と論理なのでしょうか。誰かが過去に何に属していようと、そんなことがどういまの立場や言っている理論をけなせることになるのでしょうか。ましてその人間の過去を知ったのなら、吉本さんがその人間を評価するのがおかしいなどと何故言えるのでしょうか。別に昭和20年代に日共だった人はいくらでもいます。その人たちが、日共の本当の姿に失望して作ったのがブント(共産主義者同盟)ではないのですか。いや20年代だけではなく、私たちの友人には昭和30年代に日共だった、或るいは40年代にも残念ながら日共に属していた人もいます。いや日共だけではなく、右翼だった人だっています。だからといって、私はそのことでその人をけなしたことなんかありません。過去がどうあれ、今が問題なのではないでしょうか。しかも佐高が質が悪いのは、このことをもって今も吉本隆明を評価する私たちのような存在こそ馬鹿だと言いたいところにあるのです。こんなまやかしの3段論法には、ただただあきれはてるばかりなのです。

そこで私はそのうちに、佐高の本が図書館にでもおいてあったら(本屋で購入する気にはまったくなれない)、圧倒的に馬鹿にしてやろうかななどと思っていましたら、先日本屋の店頭で次の見出しを見て、手にとってしまいました。いやはや、もう私にはなんらやることがなくなってしまったような完璧さです。私がこの雑誌を買ったのは初めてのことですが、とにかくこの著者はまことにお見事です。実に読みながら、著者の書きぶりに大変に愉しくなってきました。

題 名 最後の進歩的知識人佐高信の正体
著 者 副島隆彦
掲載誌 文藝春秋社「諸君!」1993年10月号

この著者がかなり有名になったのは、かの研究社の「英和中辞典」の数々の欠陥を指摘して研究社から訴えられたことにあります。たしかまだ裁判が継続していると思いましたが、どうみても研究社には分がないように思えます。 実は彼とは、最初ゴールデン街の飲み屋の宴会で知り合いになり、その後も吉本さんの講演会などでは何度か顔を会わせる仲です。私より5歳年下ですが、その生真面目で頑固な形の評論には、かなり好感がもてます。ときどき、あんなに戦闘的に言ってしまっていいのかななんて心配になることもあります(いやこれは私も誰かから言われてしまうことかもしれませんね)。あんまりお酒を飲むのは好きではないようですが、たまに会うのではなく、徹底して飲んで話してみたいなと思っています。

佐高信というと「激辛」経済評論家ということになっています。その激辛というのが、単に政財界並びにテレビタレント等の徹底した「けなし」にあるように私は思います。著者はこの佐高がケナす人、ホメる人物の政財界人一覧リストをあげてその分析をしています。ここがかなり面白いところです。こんなにまで分析されたのでは、佐高はまいるだろうなというところです。 そしてこうした分析から出てくるのが、佐高がかなりな政治党派的な色彩の濃い人間であることです。その立場とは結局は左翼進歩知識人と同じものと著者は見抜いています。

善意で解釈すれば、佐高は、六○年代の戦後民主主義思想まっ
盛りの時期に一世を風靡した進歩的文化人たちの親・社会主義風
の「正義の言論」を真に受けて、以後、三十年間、少しも変わる
ことなく生きた典型的な人間像の一つである。「憲法改正阻止、
徴兵制復活反対、自衛隊違憲、原発反対」が何より大切で、現実
の世界に、ではどのように具体的な対案を示してゆくのかを考え
ることなく、ただ社会党左派的な政策パッケージをお題目のよう
に唱えている、よく見かける型の人である。

この立場から佐高は、「長谷川慶太郎は元共産党員だ」と触れ回ります。彼にとって全くの敵であるスターリン主義日本共産党から、また敵である日本資本主義の擁護者になっている慶太郎さんというところなのでしょうか。しかしこの佐高は学生時代は、左翼学生活動家だったということです。しかも構造改革派。

佐高自身にここらのことをはっきりと書いてもらわなければな
らない。「デミトロフの反ファシズム統一戦線」とかイタリア共
産党の「トリアッチ主義」という言葉を彼は、なつかしく思い出
さないだろうか。

思わずにやりとしてしまいます(そうねえ、トリアッチ−グラムシなんて信奉していた人たちがいたな、思えば噴飯ものだった)。吉本さんが花田清輝の戦争中の東方会への所属を指摘しているのを思い出してしまいます。私たちと同じ時代に構改派ならば、昭和20年代に日共だったほうが「まだまだまし」に私には思えるのですが、さてさて佐高はどう答えられるのでしょうか。

しかしその意味では佐高は一貫しているといえるのかもしれません。構改派という左翼進歩勢力から、今も左翼進歩知識人というわけですから、誤謬から誤謬を続けているだけなのです。

彼の、日本企業批判や、日本の政治体制批判は、現状に対する
不平不満の羅列ではあっても、現実の日本社会を具体的に変えて
ゆく思想的対案になっていない。この現実の社会に対して、では
どのようにすればよいのか、どのような経済体制であればよいの
かという実現性のある議論を少しもしないで、個別テーマに逃れ
て、そこに堡塁を築いて立てこもっているだけだということであ
る。この意味では、従来の左翼系評論家の型を一歩も出るもので
はない。

まったく、ここらですべていいつくされている気がします。もう私が佐高のけなしをおおいにやろうなんて考えることもないな(もういいつくされた感じですね)とつくずく思ったものです。(1993.09.04)

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2011年02月27日

中野孝次『清貧の思想』

2016121205

11022610書 名 清貧の思想
著 者 中野孝次
発行所 草思社

 この著書を私はとくに推薦紹介したいというわけではありません。実をいうと買うのも嫌でした。ただ内容をけなしたいななんて思っていて、発売されたころ、どこかで読めないものかと探していたものなのですが、図書館でも借り手が多いのか、手に入らず、しかたなしにこっそり買ってしましました。読んでみて、やっぱり嫌いな内容です。いや、嫌いというより、この著者の考えを私は認めたくありません。

 この著者は、ECや東南アジアに旅行するたびに日本と日本人の批判を聞かされることがあまりに多かったといいます。その内容は、

  日本人は輸出大国と誇って外国市場を荒すだけで、自国の利益
 しか考えない。ビジネスマンも旅行者も金の話しかしない。
  若い女までが大金を持ってブランド製品を買いまくる。土地の
 歴史や文化への関心はない。
  自分の哲学を持ち、ライフスタイルに自信をもつような人がす
 くない。自国の歴史にも無知だ。
  貧しい国に対して傲慢だ。
  (「十六、利に惑ふは愚かなる人なり」より要約してぬき出し
  ました)

等々です。これに対して著者は情けなくなり、いや日本人はそんなばかりじゃないんだ、日本人にはまったく違う面があるのだと話してきたのが結局この「清貧の思想」だといいます。

  物にとらわれる、購買、所有、消費、廃棄のサイクルにとらわ
 れているかぎり、内面的な充足はえられないことに気づきだして
 いる。限りない物の生産と浪費が地球上での共存の上からも、環
 境と資源保護のためにも許されないことを知っている。真のゆた
 かさ、つまり内面の充実のためには、所有欲の限定、無所有の自
 由を見直す必要があると感じている。人が幸福に生きるためには
 一体何が必要で、何が必要でないかと、大原則に戻って考え直そ
 うとしている人が大勢出てきている。
  日本にはかつて清貧という思想があった。所有に対する欲望を
 最小限に制限することで逆に内的自由を飛躍させるという逆説的
 な考えがあった。     (「利に惑ふは愚かなる人なり」)

 そして著者は旅行先の外国で、「徒然草」の一節からこうした話を始めたとのことです。私なんぞは吉田兼好なんて少しも好きではなく、「徒然草」のどこの段にも感心したことなどないので、馬鹿馬鹿しいのですが、著者はこうした兼好法師の、名誉や地位や財産、金にあくせくして暮らすのは愚かで、心の充足を求めるのが真の人間だという考えを紹介して、この生き方が日本のひとつの伝統となっており、さらにこの思想こそが今後の日本人の生き方の原理になるべきではないのかといっているのです。
 私なら、あの南北朝の時代に、こんな兼好坊主になるより、足利尊氏か楠正成のところで働いていたいな。実際の私の先祖は、戦いの中で泣いているただの土民だったろうけれども、少なくとも山の上で、下の世界で泥や血の中で動き回っている人たちを見下したような兼好坊主ではなかったはずです。

 著者はこの清貧の思想が日本文化の精髄ということで、本阿弥光悦、鴨長明、良寛、池大雅、蕪村、芭蕉、西行等といった古典を紹介していきます。私は良寛、蕪村、西行は好きなのですが、そのほかはどうでしょうね、あまり好きだとはいえない存在です。いつかひとりとり論じていってもいいように思いました。随分この著者とはうけとりかたが違うものです。
 ただ何かかなりこの著者には党派的なものを感じます。全体がそうだといえるのですが、とくに最後の方はには強烈に感じてしまいます。

  今日ではしかしわが国でも大量消費社会への反省から、リサイ
 クル運動がすすめられ、環境保護、エコロジーが緊急の課題となっ
 ています。ドイツの「緑の人びと」と同じように、ものを浪費し
 ないシンプル・ライフを主張し簡素な生活を実行している人たち
 も出て来ました。         (「清く貧しく美しく」)

  われわれはもう一度出発点に戻って、人間には何が必要であっ
 て何が必要でないのかを検討し、それに応じて社会のしくみ全体
 を変えねばならぬ時にきているように思います。
               (「諸縁を放下すべき時なり」)

 いったい何が「緊急の課題」なのでしょうか。何が「清く貧しく美しく」なのですか。社会のしくみはいまもさまざま変化しつつあると思いますが、何が「全体を変えねばならぬ時にきている」のでしょうか。

 本阿弥光悦が前田利家や宮本武蔵とお茶をたてていた(これは吉川英治「宮本武蔵」の中に描かれている)ときに、私たちの祖先はきっと田畑の中で泥だらけになって働いていたに違いありません。いやだから私は、光悦よりも私たちの先祖の人民大衆の方に正義があるとか、光悦の茶道など駄目だとかいっているのではないのです。そうではなく、人民大衆の側が泥と汗をふいて、少しは子どもにファミコンを買ってあげられたり、家族みんなでどこかへ旅行できるくらいの時代になったことを、「清貧」だの「倹約」だのといってもとへ押し戻そうなどということを、光悦だろうが中野孝次だろうが言うこと(もっとも、光悦なら絶対に言わないだろうが)を私は許すことができないのです。

 まあ、ご自分だけ「清貧」に生きられるのは勝手です。誰もとめたりはしませんよ。(1998.11.01)



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2011年02月26日

野口悠紀雄『「超」整理法』

11022506書  名  「超」整理法
著  者  野口悠紀雄
発行所  中公新書
1993年11月25日初版

 この話題になったの本なのですが、最初はどうも手にとる気になれませんでした。著者が日経新聞や雑誌他でいう内容にどうにも納得できないところが多々あるからです。人柄は実に真面目な感じで好感がもてるのですが、今もってもバブル=悪としてしまうところには納得できなかったのです。
 だがやはり私のまわりでも読む人も多く、いろいろと聞かれたりすることがあるわけで、もう読んでしまえとある日購入して、帰宅のときの電車の中で読んでしまいました。一言でいうと、たいへんに読んで良かった、たいへんに内容に感心したというところです。
 私は自分でもかなりさまざまなものを整理してきた方だと思います。私が明確にファイリングというようなことをやってきたのは、大学1年の時からです。そのときから、いろいろとものを整理し、それを利用するということをやってきたのですが、だんだん出会う情報が増えてきて、次第に整理していくのが面倒になってきました。こうした私の「整理」についての歴史の話はまた別に詳しくしたいと思っていますが、ちょうど随分前に出会ったのが、この著書の中にも紹介されている山根一眞さんの整理法です。私は大変に感激し、その方法をすぐさま真似しました。

  山根一眞氏は、封筒に書類などを入れてタイトルの五十音順に
  格納し、タイトルで検索するという方法を提唱している。封筒に
  よるファイリングを行い、本棚に並べるという点では、これは押
  出し方式と同じ外見をしている。また、「内容による分類をしな
  い」という点でも似ている。
  (第1章紙と戦う「超」整理法  2押出しファイリングの実際)

 私は山根方式の信奉者になり、すぐに角2封筒を山根氏のいうとおりに揃えたものです。これは当初かなり成功しました。封筒に五十音順に思い付くままタイトルを命名し、たくさんある資料、メモ等々を放りこみます。これだと何かがあっても、ほんの何十秒かですぐさまほしい資料がとりだせます。これは画期的だなと思いました。
 しかしこの方法では、封筒が増えていくだけです。よく使う資料の封筒はボロボロになり、使わないのはそのままです。もう使わない資料は棄てたいのですが、それには総てを点検しなければなりません。それと私は厳格に山根式を守っていたために、封筒にタイトルつける枠をサインペン(これも山根さん推薦のペンテルのサインペンを使った)で書くことなどもきちんとやっていました。この手間も馬鹿にならないのです。やがて何年もたつと、この封筒以外にもあちこちに資料があふれだしました。整理していらないものを棄てたいのですが、やっている時間はありません。山根氏はこうした資料の整理処分は十年に一度やるとのことです。あまり現実的ではありませんね。

 そうしてだんだん資料があふれ、みつかりにくくなり、結局自分の記憶にたよることが多くなるというころ、私はコンピュータ、とくにパソコンと出会いました。そして、ハードディスクを導入し、管理ソフトである「FD」を使いだしたときから、これはなんていいな、なんて便利なのだろうと思ったわけです。だからもうかたっぱしからハードディスクに何でも入れてしまいました。最初買った130メガのハードは約1か月で満杯というありさまでした。
 とくに、ハード内のファイルをアルファベット順でも、時間順でも、拡張子順でも自在にソートできるのがいいのです。これですぐに検索することができます。とくにこの中ではやはり時間順に並べるのが、なんでもとにかく便利だなときずきました。

 しかし、問題はパソコンに入るファイルばかりではありません。山根式の封筒に入っている資料もあれば、大きなレターケースに入っているもの、机の中に入っているもの、それこそもう山のようにあります。棄てられるものを処分すればいいのでしょうが、そんな時間が作り出せません。そんなときに巷ではやっているとかいう、この本の整理法の話をあちこちでききました。私は最初に書きましたように、この著者に反感を持っていましたので、「時間で管理するなんて、俺だってとっくに気づいてら」なんてところがあり、今まで無視していました。だが、こうしてやっと読んでみて、まさしく目からうろこがとれた感じです。
 著者のいう整理法とは、いままでのように分類することをやめなさいということです。ちょうど図書館のように整然と分類するのは、個人では大変な徒労なのです。図書館のような分類の基準を個々人が作らなければなりません。とくに今の情報は図書の分類法のような訳にはいきません。図書館だって、私たちが目指す本を探すのがむづかしいほど、分類が面倒になっています。例えばある図書館では、吉本(吉本隆明)さんの本が、文芸欄の日本の文学者の五十音順のところと、評論のコーナーと、また政治思想のところに分けられているところがあります。これなどは、著者がいう、こうもり問題(どの項目に入れたらいいか悩む)と指摘しているところだと思います。

 では分類しないでどう整理するのかというのが、この著者のいう、押出しファイリング−「超」整理法なのです。これだと、あふれかえっていた情報の山が「魔法のように片付く」というのです。

  まず、本棚に一定の区画を確保する。多分本が詰まっているだ
  ろうから、どける。そして、角型二号の封筒を大量に用意する。
  それから、マジックなどの筆記用具。準備は、これだけである。
  さて、机の上に散らばっている書類などを、ひとまとりごとに
  封筒に入れる。このまとまりを、「ファイル」と呼ぶことにする。
  封筒裏面の右肩に日付の内容を書く。封筒を縦にして、内容のい
  かんにかかわらず、本棚の左端から順に並べていく。これで終り
  である。
 (中略)
  以後、新たに到着した資料や書類は、同じように封筒に入れて、
  本棚の左棚に入れる。取り出して使ったものは、左端に戻す。こ
  のような作業を続けていくと、使わないファイルは、次第に右に
  「押出されて」いく。端に来たものは使わなかったものなので、
  不要である確率が高い。そこで確かめた上で捨てる。
(第1章紙と戦う「超」整理法  1押出しファイリングの基本思想)

 これが、「超」整理法の実際のやりかたです。この時間軸ということが大事なのです。これはパソコンでのファイルの時間による整理と同じことです。
 山根方式を永年実施して、しかもパソコンの情報蓄積検索能力を目のあたりに見ていた私には、まったく感動の整理法です。

 この「分類しない」「時間軸」「パソコンを活用する」というのが、この「超」整理法の核であるといっていいかと思います。いつもたくさんの情報の整理で苦労されている方で、パソコンを使っている方なら、多分この著者のいう方法に充分納得できるのではと思います。
 私はすぐにこの方式に改めました。この時間軸で角2封筒に収納するという方法はこれから長くやっていくでしょうが、パソコンはこの著者がこの著書を書いた時点よりさらに性能がアップしています。著者が、「ここまでできたらな」と書いていることも、もう実現できている、もうすぐ実現するということが多々あります。私はもっと、もっと情報の収集整理はやりやすくなりそうだなと思っているところです。(1993.12.01)



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2011年02月25日

大下英治『小説ビール戦争』

11022406 ビールをこんなに飲むようになったのはいつからだろうなんて思います。学生のときには、飲むことは飲みましたが、ビールは割高な感じだから、それほど手を出しませんでした。

書  名 小説ビール戦争
著  者 大下英治
発行所 光文社文庫
1994年5月20日初版1刷発行

 戦前にはビール界で圧倒的なシェアをにぎっていた大日本ビールが、戦後占領軍のために、札幌ビールと朝日ビールに分割されてしまいます。ちょうど日本の北と西に分けられてしまったわけです。その間隙をぬって麒麟ビールがいつかガリバーになってしまいました。キリンはタカラビールを廃業に追い込み、さらにシェアを拡大していきました。朝日ビールは後発のサントリービールにも追いつかれそうなほど、シェアを落としていきました。ビール界はガリバーたるキリンとサッポロの戦いでした。アサヒビールはもはやその戦いとは関係ないかのようでした。
 私たちが学生のころビールを飲んでいても、それこそアサヒビールなんて馬鹿にしていたものです。「あれはビールの味がしないんだよな」なんて生意気なことを言っていたものです。私たちはキリンのラガービールの苦さがビールの味だとばかり思い込んでいたのです。「それに対して、サッポロは甘い味がするな」なんて思っていたものです。この二つが大きな味の差があるように思っていたものでした。
 シェアを10%も切ってしまったときに、この小説の主役である樋口廣太郎は、住友銀行からアサヒビールの社長に就任します。昭和63年3月のことでした。それが一年後の3月に「スーパードライ」を発売することにより、シェアを20.6%まで引き上げます。実に2倍強の伸びなのです。
 この小説は、その樋口が社長になって数年後の平成3年から始まります。いわばビール大戦争と言っていいような年でした。
 私はその前頃から住友銀行の体質が変わったのを感じていました。そしてその訳をよく分かっているつもりでした。だから、住友系の金融機関なかでも住友銀行が私のクライアントに現れたときには、その訳を詳しくは喋らないような感じでよく話したものでした。銀行の担当者から「先生はよくご存知ですね」などと言ってもらったものです。私は住友銀行を変えたのは、米国のボストンコンサルティンググループのコンサルティングだとばかり思い込んでいたのです。
 でも、今この小説を読んで、私の思いは単なる私の認識不足であり、住友銀行を馬鹿にしていただけなのではということに気が付きました。私は住友グループが好きではありませんでしたから、そういうふうに誤解していたのです。こんな樋口氏をアサヒビールの社長に出来た住友銀行というのは、もともと体質のしっかりした銀行だったのだなと思い至ったのです。
 そして同時に、アサヒビールが危機を脱しえたのは、決して樋口社長だけの手腕ではありません。樋口の社長就任はきっかけだけであって、それはたくさんの人間たちの必死な努力のたまものなのです。
 また、この小説を読んで、樋口がもともとは京都大学で学生運動を激しくやっていたということを知りました。ちょうど私たちの先輩にあたるわけです。その後の彼の展開の仕方もこれまた実によく理解できる気がします。おそらくは国家のひどさを肌で感じることはあったでしょうが、本来の資本主義は素晴らしいものだと気がついたのではないでしょうか。それには懸命に学び、懸命にいろいろなことに挑戦して行って分かってくるのだと思います。
 私のこうした本の紹介は、結局はその本そのものを内容をあんまり書いていないわけで、いつも「これでいいのかな」なんて思うところもあるのですが、こうしてしか書けないもので、これで行くしかないのですが、ここでさらに余計なことを書きます。

 同じグループと見られるであろうニッカウィスキーとアサヒビールの違いです。ニッカは、

  いいもの、本物のものを作れば必ず売れるはずだ

と思い込んでいる技術者集団という気がします。アサヒも昔は同じだったのでしょうが、

  いいものを作っても、売れるとは限らない。必死に売ろうと努
  力するときにさらにいいものを作り上げることができる

ということが分かっていると思うのです。
 いいものを作っても売れなければ、どうみても「本物ではない」サントリーウィスキーのほうが売れるとしたら、やがては、そうした傾向の消費者のことを「ほんものの分からないダメな存在」と考えてしまいがちです。そこがニッカが伸びないところだと私は思っています。そこが樋口就任以降のアサヒビールの違うところだと私は思っています。
 私はそんなことをこの本を読みながら思っていました。そして大変にいろいろなことが参考になった本でした。(1997.11.16)



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2011年02月24日

ポール・アードマン『ゼロクーポンを買い戻せ』

11022307書  名  ゼロクーポンを買い戻せ
著  者  ポール・アードマン
訳  者  森英明
発行所  新潮文庫
1994年6月1日発行

  これはどういう種類の小説といったらいいのでしょうか。現代アメリカの金融サスペンスとでもいえばいいのでしょうが、我が日本には同じような作品を見たことはありません。ただ読み始めるや、あっという間に最後のページまでに至ってしまったという感じでした。どうしてか主人公の数々の動きに身を入れてしまうのです。

  主人公ウィリアム・サクソンは80年代末期に株価の不正操作ということで、6年の刑をいいわたされ、冒頭のシーンは、その刑務所から3年め(減刑された)に出所してくるところから始まります。いわばバルフ最盛期のときには天才的な金融コンサルタントとして活躍していた彼は、バブルの崩壊期には投獄されていたわけです。しかしその中にいる間、彼はまったく違うことを学んでいます。もう出獄しても、同じ仕事には法的につくことができませんから、彼はなんらかの方法を講じていかなければ生きていけないのです。もうおとなしくひっそり生きていくのか、それとも、もう一度人生に勝負をかけるのかといった瀬戸際です。彼はもう私と同じ46歳です。

  私が思うのには、この40代に3年も(しかも刑は本来6年だった、結果として3年になっただけ)投獄されていると、かなり人生に消耗感をもつだろうなと思います。この日本だったら、刑務所の中でせいぜい宗教書ならびに日本の古典を読破でもして、その面では俺は充実したなと思い込むことくらいしかできないでしょう。だが、この主人公はその刑務所の中で、新しい図書館を作り、そこでさまざまなことを学んできます。やってくる友人たちの面会をすべて断ってしまうほど、何かを必死に学んでいたのです。出獄したら、その知識をフルに活かして動き始めようというのです。こんな主人公に、私はどうしても身を入れてしまうのです。「頑張れ、負けるな負けるな」と。

  彼は規制と監視だらけになってしまった金融界で、いわば新しい「情報」収集操作といったようなものでやっていこうとします。作品の中では、現実のアップル社やマイクロソフト社の名前が出てきます。そうした世界で活躍しているのは、主人公よりはるかに若い、そしてかなり違う人生観をもった若者たちなのです。この主人公はいわば、これら若い世代の生き方働き方、価値観を認めています。これらの若い世代と、現代未来のコンピュータシステムと、自分の経験、人脈等々を活用することにより、きっと路は開けると思っています。

  そして彼が考え出したのが、題名にもなっているゼロクーポンなのです。これの説明を見てみましょう。

  定期的な利子の支払いがないかわりに、発行時に額面を大幅に
  割り引いた価格で売り出される割引債券のことであるが、米国で
  は、償還期限25年以上の長期のものをゼロクーポン債と呼んで
  いる。たとえば額面が100ドルの債券を50ドルで売り出し、
  償還時に額面金額を払い戻せば、最終的には100パーセントの
  利息がついたことになる。定期的な利払いが行われる利付債(クー
  ポン債)には、利子受け取りの際の引替券となる利札(クーポン)
  が本券についているが、この種の債券にはクーポンがついていな
  いことからゼロクーポン債と呼ばれる。

 このゼロクーポン債の発行を彼は考えていきます。ある確実な地方自治体発行の債券です。これで彼は資金を得ます。ただし、彼のやるこの債券の発行売買はいわば詐欺、有価証券偽造行為なのです。でも何故か私は彼のやることを責める気になれません。むしろなんだかうまく行ってほしいななんてはらはらしてしまいます。彼はどうせばれるとしても、それはいわば自分たちの人生の25年後のことで、70代の年寄を長期投獄するなんてないだろうと仲間に説明したりします。しかしとにかく、この方法も、それ以外のやり方でも、痛快なほどうまく行って、ではもう言わば犯罪である「ゼロークーポン」は買い戻して、犯罪のあとを消してしまおうというのです。

  なんにしても痛快なマネーゲームといえるでしょうか。そしてその中で、いわば日本の地方にあるソフトハウスのようなパソコン操作部隊を組織して、さまざまな金融情報を手に入れていきます。このところは、マイクロソフトが本気で夢見たことなのかなと思える話もまじえて、たいへんに興味深く面白く読んでいけます。ただし、若い新しい世代で郊外にパソコン部隊を作るところなどはいいのですが、そこで使っているパソコン機器や転送電話システムの話なんかになると、ちょっとばかり著者の情報は古いんじゃないなんて思ってしまいます。パソコンよりも、携帯電話をフルに使ってさまざまに仕事をこなしていくところなんか、臨場感があるのですが、私には、「もうこんな姿は、この日本だって2年前くらいからある場面だよ」と思ってしまいました。せめて、ハイウェイを走る車の中で、パソコンでインターネットに接続して情報を得て、「携帯電話って、こうも使うのか」というシーンでも入れてほしかったものです。
 ただ、私が勘違いしてしまったところもあります。

  リバー・ランチの買い取りをチャンネル諸島の会社を通じて行
  い、これをプレスコット・アンド・クァッケンブッシュの資本傘
  下に置く。一方、プレスコット・アンド・クァッケンブッシュを
  リヒテンシュタインとスイスからコントロールさせる。これがウィ
  リーの考えている段取りである。ウィリーは、不動産購入申し入
  れの文言を新しいマッキントッシュで作成すると、それをプリン
  トアウトしてロンドンの事務弁護士のもとにファックスで送り、
  これを建築家ジャック・ワーネカのもとに月曜日までにファック
  スするように指示した。

 ここを読んで私は、「なんだ、この著者はFAXモデムって知らないのかな」と一瞬思ってしまいました。なんだか、ジコジコとプリントアウトしているのが「ださいな」なんて思ったのです。しかしその一瞬後、気が付きました。これはそうじゃないんですね。アメリカは契約社会であり、日本のように印鑑を使うわけではないから、このファックスの文には、主人公ウィリーの自筆のサインを入れれば、それで正式文書として通ってしまうのですね。私も仕事上で、米国との契約関係のこと思い出しました。なんとなくやっぱり私は印鑑使う方が、安心してしまいますね。

  ともかく大変に痛快な小説です。主人公の回りの人物が40代後半なのも実にいいのです。そんな世代のロマンス含めた活躍に、なんにしろ嬉しくなってきました。
 それと日本の作家でもこうした作品を書いてほしいものです。私たちには、もっと臨場感のある面白い場面が考えられると思うんですがね。(1994.11.01)



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2011年02月09日

稲垣武「『悪魔祓い』の戦後史」

201705150111020511 私が柏市民ネットというパソコン通信の会議室にて友人から薦められた本です。その薦めてくれた友人がその薦める文の中で書かれていた戦後知識人の名前で、私の知っている限りを書いてUPしたのが第1部で、本そのものを読んでから書いたのが第2部としました。ちょうど1994年の11月に書いたものです。また今ならいろいろつけ足したいところもありますが、その当時のままUPします。

(第1部)
  あげられている「知識人」とやらの名前を見ると、とにかく私の嫌いなやつらばかりだなと思いました。分かる限り、すこし書いてみましょうか。

大内兵衛  おもえば岩波文庫の「共産党宣言」を向坂逸郎と一緒に訳していましたね。「空想より科学へ」も彼の訳だ。東大闘争はこうした大内とか向坂のいうことを一番の敵として闘ったものだと私は思っています。一番腹がたつのは、彼が東大安田講堂の攻防戦をテレビでみていて、「これはいいな、いいな」と思って、弾圧側の本富士警察署にケーキを届けようとまで思ったと堂々と言っていることです。こんな奴は絶対に許すわけにはいかない。そういえば息子の大内力もどうしようもない奴ですね。
桑原武夫  進歩派というより私には保守派の方だと思ってきた。大昔「期待される人間像」なんていう馬鹿げたことの論者だったように記憶している。ただスタンダールの翻訳で私はいくつも世話になった気がしている。漢詩の解説なんかもやっているが、これはあまり感心しない。吉川幸次郎に合わせすぎなんじゃないの。どうも京都の学者というのはなんか嫌だね。
小田実    この男はまったくどうしようもなく犯罪的なやつだと思っている。ベ平連をどう総括するのだ。結局ソ連から金もらって、ソ連圏側に有利にしようとしていただけではないのか。ベトナム反戦運動の中にも、「ベトナム戦争反対」という言い方と「ベトナム革命戦争勝利!」という言い方があった。思えば、両方とも間違っていたわけだが、まだ後者(これはブント系が言っていた)の方が正直だ。「戦争に反対」などと言って、その実北ベトナム−ソ連に肩入れしていたのが、かのベ平連の運動だ。そしていまもまた、彼は同じ動きをしている。今はどこから金をもらっているのかな。
本多勝一  この男のことは前にも書いてきた。例えば人は、誰かに殺されるときに、そのそばで自分が殺されるところを詳細に撮影している人間がいたとしたら、その人は、自分を殺す人間と、それをカメラで撮影している人間とどちらがより憎いだろうか。私なら当然カメラで撮影している人間を憎む。私を殺そうとしている人間には必然があるのかもしれない。例えば、ベトナム戦争のときに米軍にも解放戦線にも、南ベトナム政府軍にも、北ベトナム軍にも、相手を殺そうという動機と必然はあった。だが、本多のような奴にすぐそばで撮影描写される必然はないのだ。これだけでこの本多のことはたくさんだろう。ああ、それから「週刊金曜日」とかなんとか、ひでえものだね。
都留重人  この人はリベラルな進歩派経済学者というような気がしている。
家永三郎  教科書訴訟のときになんだかがっかりした思いがある。よくよく考えてくださいよ、なんで訴訟になったのですか………結局彼自身が妥協したからじゃないのですか。もっとも私は彼の「太平洋戦争」は高校生のころ、かなりいろいろと参考になったなとは思っています。
長州一二  この人がいわば「構改派」の典型的経済学者だと思います。構改派といえば日本共産党の中で、イタリア共産党のトリアッチ−グラムシに狂ってしまった人が言い出してきたわけですが、当然社会党にも出てきたわけで、そうした代表的学者だったと思います。大昔埼大の歴史研究会にこの長洲に傾倒してしまっていた同級生がいて、どうにもいろいろといいあったりしたものでした。今会ってそのことでからかうといつも頭掻いていますがね。神奈川県知事になってしまったときには、さすがに驚きましたが、なんだか彼の理論の実践をやっている気かななんて思うところもありますね。
和田春樹  ソ連や東欧の問題というと、この人だけはいまでも平気な顔してテレビ等にしゃしゃり出てきますね。私はこの人がいうことと反対のことを思い浮かべれば多分間違いないだろうと思っています。
石橋政嗣  なんとなく一見真面目でまったく無能な社会党の委員長という感じでした。無能なことが犯罪的なのかな。どうでもいい人ですね。
加藤周一  この人のことは、なんだか好きになれないなという印象しかない。どういう言動がなのだろうと考えても思い出せない。
菊地昌典  大学1年(1967年)のときに、この人が書いた「ロシア革命」(中公新書)を買って読んだ。なかなか感動したものだったが、その後すぐに彼は、この本を絶版にしてしまった。なんでも誰かに何かを指摘されたらしい。その内容に関しては、今もこの本を読んでも分からない。何が問題なのだろうか。ところで彼は全共闘シンパの東大教授(当時は助教授かな)ということになっていた。しかし、私は彼が東大全共闘に批判され、むりやり自己批判され(自己批判し)、デモの先頭にスクラムを組まされてデモしていたのを思い出す。なんで人がいいんだ、なんて質が悪いんだと思ったものだ。吉本(吉本隆明)さんのいうように、「知には知で、暴力には暴力で」対決していたら、あらかた済んでしまったようなものだったのに。
坂本義和  たしか東大闘争のときの法学部の教授だと覚えている。こういう人が日本の講壇民主主義者、講壇マルクス主義者なのね。君たちの導入した機動隊によって、放水ずけになり、催涙弾に狙い撃ちされた私なんか、いつまでも忘れないのよ。オトシマエには時効はありません。
西川潤    進歩的な経済学者かなという印象しかない。だいたいに翻訳本の訳者としてしか知らないものね。
槙枝元文  この人は実際の中学校や小学校の教壇に立ったことがあるのだろうか。もちろん1回や2回はあるのかもしれない。どうせ今社会党政権なのだから、そのうちにこの人を文部大臣にしたらいいのになあ。そうするとなんだか一貫していますよ。それなら誤謬から誤謬へ一貫していますよ。
吉川勇一  この人もベ平連ですね。ただとにかくまともに総括してください。それだけです。
井上清    このおっさんは講座派の典型的な歴史学者ですね。それが毛沢東にいかれてしまって、日共と喧嘩して、どうしてか私たち三派全共闘のほうへ顔を向けるようになってしまった。迷惑なんだよな。まあ、いろいろな歴史の本は、参考にはしていますよ。
岩井章   あんまり知らない。どうせ悪い人でしょう。
いいだもも  この人を構改派と攻撃する気にはなれない。私は「どうせ日本の声でしょう」と言ってしまう。だから「共労党って、日本の声でしょう」。日本の声にも右派と左派があって、このいいだが左派で共産主義労働者党になるのだが、結局はさ、日本の声じゃないのよ。あと、ときどき見かける文章もひとつもよくありません。性格の悪さがにじみでてます。小説も書いているのね。ただの阿呆ですよ。
羽仁五郎  ついに出ました羽仁五郎という感じですね。いいとき死んだね。まあ、学者というより、芸能人でしたね。しかし、私のこの人のアジの 内容の展開の仕方なんかは学んだ気がします。でもとにかく随分でたらめなことをそれこそいっぱい言って死んじゃったものですね。私は大学2年の秋たしか10月頃に、この人の横須賀の自宅へ行ったことあります。右翼の襲撃を恐れてか、厳重な家でしたね。でもやっぱりもうこの人は駄目な人でした、駄目というより、かなりな犯罪性だったと思っています。この人の批判はまたいつか書きたいなと思っています。

  また一気に思うまま書いてしまいました。この紹介された本を読めば、もっといろいろな顔が見えてくるんでしょう。私の勘違いも、明確にただされることでしょう。

(第2部)
書名    「悪魔祓い」の戦後史
        進歩的文化人の言論と責任
著者    稲垣  武
発行所  文藝春秋
1994年8月15日第一刷

  とにかく読みごたえのある内容です。そして最初から最後まで飽かず一気に読み切りました。ちょっと目次をあげてみましょう。

第一章    「ソ連」に憑かれた人々
第二章    「シベリア抑留」擁護論の系譜
第三章    「全面講和論」の魑魅魍魎
第四章    六〇年安保への序曲
第五章    「非武装中立」の妄想
第六章    観念的平和論の末路
第七章    ソ連信仰の変容
第八章    毛沢東の魔術
第九章    文革礼賛の終焉
第一〇章  すばらしき北朝鮮
第一一章  首領サマの経済論争
第一二章  テロ国家の弁護人
第一三章  「金賢姫」を否定した人々
第一四章  ヴェトナム戦争───錯誤の原点
第一五章  従軍ジャーナリストの玉石
第一六章  ベ平連の自家撞着
第一七章  ヴェトナム反戦の日米共辰
第一八章  パリ和平会議の裏切り
第一九章  ヴェトナム解放神話の崩壊
第二〇章  ヴェトナム難民を嗤った人々
第二一章  中越戦争勃発に惑乱する文化人
第二二章  教科書を蝕む「革命史観」
第二三章  家永裁判とは何だったのか
第二四章  全共闘に唱和した大学教授

  文藝春秋の「諸君」に長期連載されていたものに加筆したものです。戦後日本のいわゆる進歩的知識人や各マスコミの数々の妄言を検証批判しています。

    九一年末のソ連崩壊で、戦後長らく論壇を支配していた進歩的
  文化人も、遂に引導を渡され、ソ連の道連となって歴史の舞台か
  ら退場した。しかしこの検証と論考は、いまさら彼等の言説の非
  や錯誤をあげつらうのが目的ではない。彼等の現実の推移から遊
  離した思考がどこから由来し、どこにその歪みの原因があるのか
  を追及しようと試みたものである。
  ………………………………
    もちろん、進歩的文化人らの過去の言説に対する批判が、単な
  る「歴史の後知恵」であっては無意味だろう。そこで私はできる
  だけ、その言説がなされた時点でもこれこれのデータや情報が入
  手可能だったにも拘らず、彼等の言説がなぜ錯誤し歪められたか
  という考察をしたつもりである。それが過去を批判する者の義務
  であろう。(「はしがき」)

  この姿勢で実に丁寧に資料を正確にさぐりあて、彼等進歩的知識人の誤謬と犯罪性を明らかにしています。ここまで自らに言説を検証されてしまっては、彼等はどう反論できるのかなと興味深いのですが、多分間違いなく彼等はすべて何もなかったかのようにこの著者のこの論考については抹殺した姿勢をとるでしょう。それがいわば、彼等の最後まで一貫した破廉恥性と犯罪性なのだと思います。
  人は誰でも過ちを犯してしまうものでしょう。たとえその時点で、もっとあたりまえの情報を得ていながらも、どうしてか間違いを述べてしまうこともあるのかもしれない。だがもしそうならば、あとで反省していただきたいのです。

  例えば、この著書でも4度とりあげられている元早稲田大学教授新島淳良ですが、彼は当初は愛国心教育を熱心に唱えていた(愛国心とは反米愛国のこと、当時は彼は日本共産党員であり、その後すぐに中国派になる)。そして文化大革命の礼賛者になっていた。だが毛沢東に失望したのか、72年末に早大をやめ、突如としてヤマギシ会に入ってしまった。現在もヤマギシズムを信奉しているのかどうか知らないが、今は過去の自分が文革や中共を礼賛していたことを充分反省して論文を書いているように私には思える。彼のやったことは忘れてならない犯罪的なことだったかもしれないが、あのように今反省している(反省しているように私には思える)のなら、私は他の破廉恥な幾多の知識人よりはましなように思えるのです。
  私は新島がまだ中国派ML派のころでも、彼の「魯迅」の講義だけは好きだったから早稲田の授業にもぐり込んで聞いていました。それから実は、直接会って話したこともあります。私は彼が話したがる「入管」の問題とか「民族差別」の問題などよりも、より魯迅の話ばかり聞くようにしたものでした。それが又随分年月がたって、大阪のある街を歩いていたときに、ヤマギシ会の宣伝カーの上で演説している彼を見ました。なんだか悲しくなりましたが、毛沢東よりはまだヤマギシ会の鶏飼っているほうがましかななんて思ったものです。
  しかし私が読んだ限りでは、この著作で扱われている知識人のうち、新島以外ではまずまともに自らの言説を反省表明している人間は皆無だと思われます。

  私にとっては、この著書で扱われている進歩的知識人は、ほぼ私がもともと「こいつは嫌などうしようもない、いわば俺たちの敵だな」という連中ばかりなのですが、それの大きな確認になりました。また各マスコミ人、例えば雑誌「世界」などの編集者の名前などまでは知りませんでしたから、おおいにいろいろと参考になりました。
  ただ私は学生のときから、三派系全共闘系過激派でしたから、せいぜい「朝日ジャーナル」を何度か買ったくらいで、「世界」だのというのは手にしたこともありません。あんな雑誌はとにかく私たちの敵が執筆している雑誌だとばかり思い込んでいたものです。ここらのところが、この著者と私たちとには感じ方に少し差があることかもしれないと思うところです。
  例えば、私にとって丸山真男は、「日本の思想」「現代政治の思想と行動」「日本政治思想史研究」といういわば3部作があるわけですが、「日本の思想」を読んだときの衝撃(内容に感動しました)はさておき、「現代政治の思想と行動」では、もはやこの人は私たちとは無関係な人だとすぐに思ったものでした。だから、東大闘争での彼の言説なんか当然の敵としての言い分でしかありません。でも私たちより上の年代だと丸山というのは違う存在なのかもしれません。
  この著書ではほとんどうなずいて読んでいるところばかりだったのですが、唯一「違うよ、何言っているんだ」というところが、「第二四章  全共闘に唱和した大学教授」のところです。このことだけは述べておきたいと思います。

  ここで扱われている知識人は、和田春樹、折原浩、菊地昌典(三人とも東大の全共闘支持派の教授、助教授)、その他小田実、羽仁五郎、丸山真男(丸山のことはM教授となっていて、全共闘の支持派とは書いてはいない、あたりまえだよ)等々です。だが言っておきたいのですが、私たちは彼等に支持されたからあの闘いをやったわけでもなく、また彼等のいうことをあの当時もいいと思ったことはありません。私たちのやっていたことを彼等がどう解釈しようと、それは私たちの知ったことではありません。
  ただ私はこの著者にいいたいのは、せっかくほかのところであれだけ真摯に詳細に資料にあたるのなら、私たちの闘いのことでも同じ姿勢でやらないと、恰好つかないんじゃないのということです。
  以前私が、佐々淳行「東大落城」で紹介した内容をそのまま信じてしまっているところがあります。私も佐々のこの文はけっして嫌いではありません。だが平気で嘘を書いています。そこを見抜けないものなのですね。

   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
書 名 東大落城
著 者 佐々淳行
発行所 文芸春秋
1993年1月25日第一刷

ただこの本は、私たちを攻撃してきた側の人間が書いているわけですが、それほど読んでいて不愉快にもなりません。でも事実は書いておいたほうがいいでしょう。いくつも書く気にはなりませんが。ガス銃の水平撃ちに関してです。

照準器も施錠もない滑腔・先込め催涙ガス銃では、当てようと
思っても当たるものではない。何千発と発射されたうちの一発が
たまたま顔に当たったもので、

よくまあ、こんな嘘が書けるものだ。私は屋上で何発か身体にくらっている。最後に逮捕されるときには、目の前1メートルくらいのところから発射した機動隊がいた。ちょうど私の隣にいた学生の右手にあたった。彼とは同じ留置場だったが、中指の骨がつながってなかったといっていた。 (以上は私の書評の一部です。)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

  それから、著者の以下のくだりにはかなりな怒りを覚えました。

    最大のジョークは六八年一一月末、緊迫した東大構内に来てキャ
ラメルを占拠学生に配って歩いた、東大生の母親という「キャラ
メル・ママ」の出現だろう。
  (中略)
  父性的な厳しさが全く欠落したマミー文化にどっぷり浸かって育っ
た子どもは、ゲバ棒を握っても心のどこかに自分が破壊しようと
した社会に対する甘えがある。そこには大人が持つべき自己責任
の観念はない。考えてみれば、他者に対する過度な攻撃性と過度
の自己愛は幼児性の表象だから、キャラメル・ママこそ、その場
にふさわしかったのかもしれない。

  何を言っているの、冗談じゃないというところです。本来なら私たちについての世代論から展開したい(これは私がよくやっているのですが)ところですが、ここでは別なことを言っておきたいと思いました。
  私の母から私が東大闘争で保釈になってから聞いたことなのです。新聞に私の母たちが「息子の長期拘留は不当だ」と訴えにいったことに対して、

キャラメル・ママ転じて息子を帰せとの母になる(実は私はう
ろ覚えです)

と揶揄されたことにたいして非常に怒っていたのです。さも子どもを甘やかし、暴れて捕まると、早く釈放せよと無理をいう母親像というように書かれたらしいのです。私たちの母親と父親たちは、私たちの東大闘争被告団の統一公判の要求と、私たちの身柄の即時釈放を要求に裁判所に行ったのです。裁判所はその要求に逃げるばかりでまともに答えようとはしなかったのです。母も父も私の担当の裁判官に何度か会ってそれらのことを強く要求していますが、私の担当の小野裁判官は「もう帰らなくちゃ」と走って逃げるばかりだったのです。私は大学生になって母から味噌醤油のたぐいはもらったことはありますが、キャラメルは一度もありません。キャラメル・ママなんて単なる馬鹿じゃないのですか。私たちの母親とは関係ありません。

  このとこくらいが違和感をもっただけで、あとはけっこういい感じで読んでいけた本です。あとひとついうとすると、吉本(吉本隆明)さんのことをひとつくらいけなしているかなと思ったのですが、ただの一つもありません。これはさすが、この著者もよく吉本さんを読み込んでいるなと思わせたところです。私たちの三派全共闘の時代のアジビラやタテカンに書かれている表現は、実に吉本さんからの引用した字句が多かったのです。実にあの時代の情況を表すのにぴったりだったのです。だが、吉本さんは私たちの運動を支持したり、煽動したりしたことは一度もありませんでした。いや逆に、堂々と「昼寝のすすめ」をしたり、羽田闘争に対しては「無知が栄えた例(ためし)はない」といったりしたほうです。今になっても、私たちの学園闘争を、学園紛争としてしか呼んでくれません(私はこれだけは闘争と呼んでほしいんだけどな)。でもそうした吉本さんを全共闘の支持知識人としてしか理解していない阿呆どもはたくさんいるわけですが、さすがこの著者はよく分かっているようです。
  これは一番よかったなと思ったところでした。(1994.11.01)

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2011年01月30日

森伸之『東京女子高制服図鑑』

11013001 昔持っていて、誰かが借りて行ってしまい、またこのごろ古本屋で手に入れた本があります。

書 名 東京女子高制服図鑑
著 者 森伸之
発行所 弓立社
1985年7月27日第1刷

 ちょうどこの本が最初出版されたころは、姪が中学生でしたから、これで進学するときの参考にするのに買ってきたものでした。というよりも、私自身がこの話題の本を見たいことが一番大きかったと思います。そして私が吉本(吉本隆明)さんの講演会でときどき見かける宮下和夫氏の弓立社から出版されていることにも興味がありました。
 この本は話題になりすぎて、第2版は三一書房から出版されたと思いました。ただ初版の弓立社版とは少し内容が違うところがあったようです。たしか弓立社版ではあった「偏差値一覧」というのが、三一版では無くなっていたようです。
 私はこの本には実に感心しました。まずそもそもこんなことに情熱をかけて、結局はこうした本を作りあげてしまったことにたいしてです。たぶん、小学生中学生高校生という時代を、ずっと女子高校生の制服にあこがれていたのだろう著者たちが、それをノートに少しつづ書いていたものを、こうして集大成したわけです。そんなことにも感心してしまいます。
 そして、実に毎ページの絵とコメントに感心します。東京都内の私立高校と都立高校の性格の違いの表現なんか、「なるほどな」とうなずいてしまいます。
 私の好きな絵とコメントのあるところ(ついでに好きな制服になるのかな)を以下あげてみます。

  女子聖学院高等学校
  [解説]
    東京北部地域で群を抜いて注目を集める。明らかに中央線
   以南の血筋を引くデザインは、胸元の切れ込みの鋭さでは横
   浜の森村学園と互角に張り合うことのできる、都内で唯一の
   制服とまで言われている。またここは、ゴールデン・ウィー
   クが明けた頃から早くも夏服姿の生徒が見られることでも有
   名。汗だくで冬服を着込んでいる他校生に羨望の視線を注が
   れながら涼し気に歩く彼女たちは、今や北区にありながら渋
   谷・港区ミッションスクールのノリをすっかり身につけている
   ユニークな存在に成長した。

 うん、京浜東北線で出会うななんて思うのです。そして、この女子高の生徒と出会えてまた恋ができたら最高だななんて思います。まあ、ありえないことですが。
 今度は、かなり適確に貶しているなと思われる解説の一部を抜き出しましょう。

  佼成学園女子高等学校
    どこから見ても平凡なジャンパースカート。まるで都立じゃ
   ないか(中略)この学校の責任者には、一ぺん八王子駅のホー
   ムに立って、カラフルに入り乱れる都立高の制服をじっくり
   観察していただきたい。(後略)

  洗足学園大学付属第一高等学校
   「洗足」なんていう変わった名前の学校だから、さぞかし制
   服も……などという甘い期待を見事に裏切ってくれる、平凡
   なジャンパースカート。ほんとうに、いーかげんにせーよー
   と言いたい。東急女子高群のお荷物といわれる現実を、学校
   側は知っているのだろうか。(後略)

  修徳高等学校
    何とも言えない、不思議なかたち。今は亡き大平正芳さん
   が、必死で流行らそうとしていた「省エネ・ルック」がこん
   な感じだったような気もする。しかし女子高の夏服としては、
   あまりに暑苦しいデザイン。(後略)

 こんなことを指摘された学校はたまらなかったでしょうね。事実、この本の影響で新しく制服のデザインを変えた高校がいくつもあったといいます。また都立高校でも新しい制服を有名デザイナーに頼んだところもあるというのを聞いています。
 私の世代では、制服なんかなければないほうがいいと思っていたわけで、そして時代は制服なんか無くなる方向に行くと思っていました。ところが制服のない都立高校よりも、制服の素敵な私立高校を選んでしまう子どもたちも多いという事実に気がついたころ、この本に出会いました。
 やはり制服の是非はともあれ、女子高生にとって毎日着て行くものである以上、このような本により、着ている本人が気にいるようなより素敵な制服の出現をこそ願います。(1997.05.17)

  あの、一言付け加えます。以上は私が1997年5月17日に当時のパソコン通信に書いたことです。「本の内容を訂正しろ。訂正するべきだ」というようなことは、この私に言われても困ります。出版社に言ってください。(2011.01.30)



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2011年01月26日

スコット・トゥロー『推定無罪』

11012510書 名  推定無罪
著 者  スコット・トゥロー
訳 者  上田公子
発行所  文春文庫

 この本を読むのにはかなり時間がかかってしまいました。いつも鞄の中に入れてはいたのですが、なかなかすすみませんでした。上巻の3分の2まで読みすすむのに約2か月かかってしまいました。しかし、そのあとはもう1日かかりませんでした。ほんの3時間というところでしょうか。私はあるページから夢中になって読んでしまったのです。それはこの小説の主人公がこの作品の中の殺人事件の犯人被告とされるところからです。

 主人公ロザーラ・K・ザビッチは地方検事局の首席検事補です。私には彼がこの小説のはじめから、何事にもたえず検事としての視線からしか見ていないところが、どうにも嫌なことと、そうした視線はかなり薄っぺらなものにしか思えないことが、どうにもページが進まなかった理由だろうと思います。
 ところが、キャロリンという美人検事補が自宅で殺害され、ザビッチがその事件の担当になります。そして事件を調べて行くうちに、被害者の愛人関係にあった自分にこそ次第に容疑が向けていかれることに気づきます。そして実際に犯人として起訴されてしまうわけです。今までは、検事として被告人席を見、陪審員席を見ていたのが、まったく逆の立場からまったく逆の席に座って見ることになります。自分の向い側には、自分を告発するかつての同僚である検事がいるのです。そうしたときに、世界はいったいどう違って見えてくるのでしょうか。
 過去の検事としての目では、なんでこうまで丁寧にやるのだと思っていた判事の言葉も、今ではまったく逆に聞こえるのです。

  検察官としてのわたしは、ラレン(判事)がきまってくりかえ
 すこの部分を、いつも耐えがたく思ってきたものだ。いま、ニコ
 もモルトも(二人ともこの事件担当の検事)青ざめていらいらし
 ている。判事の言っていることは正しいのだと何度自分に言いき
 かせても、それをこれほど強調して説明できる人がいるというこ
 とが信じられないのだ。           (「夏-26」)

 このラレン判事がいっているのは、陪審員候補から陪審員を択ぶ際に説明している内容です。これは法というもの、裁判というものの根柢を示しています。判事も陪審員もはじめは、被告は無罪だという前提から出発しなければならないのです。予断を入れず真っ白な頭でいなければなりません。マスコミ等々で、どう犯人が凶悪卑劣と報道されようと、判事や陪審員はそれらの情報は頭の中からすべて排除しなければならないのです。被告は無罪という前提から出発して、それを有罪か無罪かを決定するのは、検事側の数々の証拠や証人の証言をみてからなのです。
 ただ、いまこのことが、この裁判の原則が日本の裁判で徹底されているのかというと、なんだか自信なくなってきます。どうみてもいくつかの裁判では、裁判官が別な情報からの予断をもってしまっているような判決を見ることができるように思えます。裁判官だって、テレビも見れば、新聞も読むでしょうから、そうした情報を頭の中から消し去ることは無理なのだと思います。だが、ことことは裁判の原則なのです。あくまで裁判の過程で提出されたものだけから判断するべきなのです。
 とくにアメリカは陪審員制度ですから、彼等のような普通の市民がこの原則を貫くのは大変な努力がいります。だからこそこのラレン判事は執拗に丁寧に陪審員に説明しているのです。この説明にはかなり感動しました。こういったことをこのラレン判事のような言葉で、義務教育の社会科で教えてもらえば、法とか裁判の制度ということがよく理解できるのになと思いました。

 この作品の中の裁判では、あまりな検事側の杜撰なやり方のために、次第に検事側は、苦しくなっていきます。あまりに検事側は予断でもって判断してしまっているのです。しかしそれを明らかにできていくのは、優れた弁護士と主人公の動きです。過去の主人公が検事だったときには、こうしたことでもただそのまま通してしまっていたのです。今回が違うのは、自分が被告だからなのです。
 ついには、裁判官が陪審員の票決まで行かずに、審理自体を却下します。また同時に検事側も公訴を取り下げてしまいます。起訴自体があまりに杜撰すぎたのです。これで被告である主人公は無罪となります。だが、この被告人としておかれていた時に、彼の妻、子ども、彼自身はどんなに苦境の場に置かれたことでしょうか。
 そして大事なのは、この裁判によって主人公は無罪となるわけなのですが、それは法的に彼が犯人とはいえないということだけで、無実とはいえないのです。そしてこの裁判とは関係ないのですが、この殺人事件の真犯人はいったい誰なのでしょうか。
 この小説では裁判の過程を詳細におっていきますが、その中でだんだんと主人公が思いもよらなかったことがいくつも見えてきます。ここのところが、この小説をさらに重く深く読ませるところです。最後まで読んで、この小説の深さに感動した思いがありました。
 ハリソン・フォード主演で映画化もされました。ただ、映画を見る前にこの作品を読んでおいたほうがいいのでは思います。アメリカの司法制度など私たちには判りにくいところがあるからです。(1994.05.16) 



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2011年01月23日

『住宅情報特集「マンションの寿命」』

11012109 私の弟は我孫子のつくし野に住んでいます。マンションの3階です。子どもが二人いますが、よく私のところと兄のところの家族で運動会にいきました。小学校の運動会で地区別対抗リレーが、こんなチーム編成なんです。

  つくしのマンションAチーム
  つくしのマンションBチーム
  つくしの一戸建てチーム
  久寺家チーム

 これでリレーをやりまして、実況放送なんか大変なんですね。「あ、マンションAが、つくしの一戸建てを抜きました……」なんてやっています。「一戸建てに負けるな」なんて絶叫するお母さんもいます。……しかし、この話を飲み屋なんかでしてもまず信じて貰えないんですね。また冗談いっていると思われるみたいです。(これは本当の話ですが、そののち町内別のチームになりました。たぶん問題になったんじゃないかな)
 でもどうしたって、マンションよりは一戸建てのほうがいいような感覚があるようですね。でもこれからはもっとこのような集合住宅に住むひとが増えるでしょう。

題名   大特集・マンションの寿命
掲載誌 週刊住宅情報(平成5年3/24号)28~33、68~76ページ

 ひさしぶりに「週刊住宅情報」を読んでみました。随分前に、この情報誌は吉本(吉本隆明)さんを写真入りでのせて、佃島(吉本さんはここの生まれ)のあたりのことを書いていたことがあり、なかなか街について分かっているんじゃないかななんて思っていました。それと渡部昇一(当時上智大教授、今もかな)が、「土地問題を明解に解決」とかいう文章で、ひどい誤りを書いていて(おそらく渡部さんが間違えたのではなく、取材者が間違えたのだと思います)、それへの疑問をだしたら、いろいろとやりとりがありましたが、編集長が私の事務所まで挨拶にきました。
 こんな姿勢は、朝日新聞などにはまったくありませんでしたから、いいなと思っていました。それでリクルート事件とやらのときは、この編集長宛てに「〇〇、〇〇などに負けず頑張れ」というような年賀状を出したのを覚えています。
 さて今回の大特集「マンションの寿命」というのに興味がありました。前々からこのマンションという形はやがてどうなるのだろうと思っていたのです。私住んでいる町でも、一戸建の家が建て替えるのがけっこう目につきます。しかし、こうしたマンションの建て替えなんて見たことがありません。もちろんマンション内の一戸のリホームは盛んなようですが。
 このマンションはこのままいくとどうするのでしょうか。法定の減価償却では鉄筋コンクリート造りで47年ですが、そんなにもつのでしょうか。またどうやって建て替えるのでしょうか、できるのでしょうか。資金はどうするのでしょう。そんな疑問にたいする特集です。
 マンションだって老朽化してきますから、いつかは建て替えなりしなければ、スラムになってしまいます。そうした例がもういくつもあるようです。この特集では、建て替えが成功するマンションの条件というのをあげています。その中の必須の条件が二つあります。

 1.区分所有者の5分の4以上の賛成があること(実質的には全
  員賛成)
 2.建ぺい率、容積率、高さ制限に余裕があるこ(住宅を広くで
  きる)こと

 この1は当然ですが、2はかなりな問題です。これがクリアできないと、まずスラム化してしまうのかなと考えられるかということでしょう。将来はまた建築基準法等々が改正され、また2の要素もさまざま変わるでしょう。でもそれにしても、「余裕」がないと確かに無理だと思います。例えば現在5階建てのマンションが、30年後かに、10階建てにできるとして、その差5階分を分譲することによって、建設費がまかなえるかと思います。こういう形しかないかと思います。多分あと何十年後かには日本中で、この問題が噴出してくるでしょう。
 日本よりも集合住宅では早くから経験している西欧は参考にならないのかなと思うのですが、やはり彼らとは土地への執着が違いますから、かなりなことを私たち自身で考えていかなければならないのでしょう。そして未だなかなか経験のないことですから、これからすこしずつやっていくことなのでしょう。その成功した例として千歳桜丘の建て替え事例が紹介されています。
 このマンションの寿命、建て替えの問題は現在マンションに住んでいる人にも重大なことですが、これからマンションを購入しようとする人にも大事なことかと思います。そのようなことまで考えて物件を択ぶべきだということでしょう。

 前にある地域のマンションの価格動向を調べたことがあるのですが、マンションではかなり古くなっても、他よりも人気のある物件があります。それが施工建築した建築業者によってかなりな違いのあるのを知りました。「あそこが作ったものなら大丈夫」という傾向があるようです。それは子細に見てみると納得できるものがあります。あのマンションころがし等で、これが目茶苦茶になってしまいましたが、また今前にもどっているようです。
 私の親友が書いた本にあったのですが、マンションは当然鉄骨コンクリートなわけですが、コンクリートはじゃりを使います。しかし今は河のじゃりなんかないですから、どうしても海のじゃりを使うわけです。そうすると塩分を中和する薬品をいれなければいけない。しかし、それを法定とおりやっているのかが問題です。作った当時は分かりませんが、何年か、何十年かあとには結果が表れてきます。そこらのことまで見極めないとならないということなのでしょう。
 そしていったんそこの住民となったなら、今度はその人たちの意識が問題です。

  マンションはひとつの住環境だ。購入時や売却時には商品とし
 てとらえがちだが、住民が入居した瞬間からそこは地域社会にな
 り、生活環境になる。
  社会も環境も刻一刻と変化する。その変化をいい方向へ導くの
 は住民の意思であり、優れた維持管理だ。中古優良物件と呼ばれ
 るマンションに維持管理が悪い物件はない。

 これはまったくマンションのことのみとは限らないでしょうが、いいことをいってくれています。当りまえのことのようで、できていないところがたくさん見受けられます。維持管理が優れているというのは、管理会社がしっかりしているということではなく、住んでいる住民の意識がしっかり優れているということだと思うのです。(1993.03.20)



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2011年01月19日

ポール・アードマン「ゼロクーポンを買い戻せ」

11011902書 名  ゼロクーポンを買い戻せ
著 者  ポール・アードマン
訳 者  森英明
発行所  新潮文庫
1994年6月1日発行

  これはどういう種類の小説といったらいいのでしょうか。現代アメリカの金融サスペンスとでもいえばいいのでしょうが、我が日本には同じような作品を見たことはありません。ただ読み始めるや、あっという間に最後のページまでに至ってしまったという感じでした。どうしてか主人公の数々の動きに身を入れてしまうのです。

  主人公ウィリアム・サクソンは80年代末期に株価の不正操作ということで、6年の刑をいいわたされ、冒頭のシーンは、その刑務所から3年め(減刑された)に出所してくるところから始まります。いわばバルフ最盛期のときには天才的な金融コンサルタントとして活躍していた彼は、バブルの崩壊期には投獄されていたわけです。しかしその中にいる間、彼はまったく違うことを学んでいます。もう出獄しても、同じ仕事には法的につくことができませんから、彼はなんらかの方法を講じていかなければ生きていけないのです。もうおとなしくひっそり生きていくのか、それとも、もう一度人生に勝負をかけるのかといった瀬戸際です。彼はもう私と同じ46歳です。

  私が思うのには、この40代に3年も(しかも刑は本来6年だった、結果として3年になっただけ)投獄されていると、かなり人生に消耗感をもつだろうなと思います。この日本だったら、刑務所の中でせいぜい宗教書ならびに日本の古典を読破でもして、その面では俺は充実したなと思い込むことくらいしかできないでしょう。だが、この主人公はその刑務所の中で、新しい図書館を作り、そこでさまざまなことを学んできます。やってくる友人たちの面会をすべて断ってしまうほど、何かを必死に学んでいたのです。出獄したら、その知識をフルに活かして動き始めようというのです。こんな主人公に、私はどうしても身を入れてしまうのです。「頑張れ、負けるな負けるな」と。

  彼は規制と監視だらけになってしまった金融界で、いわば新しい「情報」収集操作といったようなものでやっていこうとします。作品の中では、現実のアップル社やマイクロソフト社の名前が出てきます。そうした世界で活躍しているのは、主人公よりはるかに若い、そしてかなり違う人生観をもった若者たちなのです。この主人公はいわば、これら若い世代の生き方働き方、価値観を認めています。これらの若い世代と、現代未来のコンピュータシステムと、自分の経験、人脈等々を活用することにより、きっと路は開けると思っています。

  そして彼が考え出したのが、題名にもなっているゼロクーポンなのです。これの説明を見てみましょう。

  定期的な利子の支払いがないかわりに、発行時に額面を大幅に
 割り引いた価格で売り出される割引債券のことであるが、米国で
 は、償還期限25年以上の長期のものをゼロクーポン債と呼んで
 いる。たとえば額面が100ドルの債券を50ドルで売り出し、
 償還時に額面金額を払い戻せば、最終的には100パーセントの
 利息がついたことになる。定期的な利払いが行われる利付債(クー
 ポン債)には、利子受け取りの際の引替券となる利札(クーポン)
 が本券についているが、この種の債券にはクーポンがついていな
 いことからゼロクーポン債と呼ばれる。

 このゼロクーポン債の発行を彼は考えていきます。ある確実な地方自治体発行の債券です。これで彼は資金を得ます。ただし、彼のやるこの債券の発行売買はいわば詐欺、有価証券偽造行為なのです。でも何故か私は彼のやることを責める気になれません。むしろなんだかうまく行ってほしいななんてはらはらしてしまいます。彼はどうせばれるとしても、それはいわば自分たちの人生の25年後のことで、70代の年寄を長期投獄するなんてないだろうと仲間に説明したりします。しかしとにかく、この方法も、それ以外のやり方でも、痛快なほどうまく行って、ではもう言わば犯罪である「ゼロークーポン」は買い戻して、犯罪のあとを消してしまおうというのです。

  なんにしても痛快なマネーゲームといえるでしょうか。そしてその中で、いわば日本の地方にあるソフトハウスのようなパソコン操作部隊を組織して、さまざまな金融情報を手に入れていきます。このところは、マイクロソフトが本気で夢見たことなのかなと思える話もまじえて、たいへんに興味深く面白く読んでいけます。ただし、若い新しい世代で郊外にパソコン部隊を作るところなどはいいのですが、そこで使っているパソコン機器や転送電話システムの話なんかになると、ちょっとばかり著者の情報は古いんじゃないなんて思ってしまいます。パソコンよりも、携帯電話をフルに使ってさまざまに仕事をこなしていくところなんか、臨場感があるのですが、私には、「もうこんな姿は、この日本だって2年前くらいからある場面だよ」と思ってしまいました。せめて、ハイウェイを走る車の中で、パソコンでインターネットに接続して情報を得て、「携帯電話って、こうも使うのか」というシーンでも入れてほしかったものです。
 ただ、私が勘違いしてしまったところもあります。

  リバー・ランチの買い取りをチャンネル諸島の会社を通じて行
 い、これをプレスコット・アンド・クァッケンブッシュの資本傘
 下に置く。一方、プレスコット・アンド・クァッケンブッシュを
 リヒテンシュタインとスイスからコントロールさせる。これがウィ
 リーの考えている段取りである。ウィリーは、不動産購入申し入
 れの文言を新しいマッキントッシュで作成すると、それをプリン
 トアウトしてロンドンの事務弁護士のもとにファックスで送り、
 これを建築家ジャック・ワーネカのもとに月曜日までにファック
 スするように指示した。

 ここを読んで私は、「なんだ、この著者はFAXモデムって知らないのかな」と一瞬思ってしまいました。なんだか、ジコジコとプリントアウトしているのが「ださいな」なんて思ったのです。しかしその一瞬後、気が付きました。これはそうじゃないんですね。アメリカは契約社会であり、日本のように印鑑を使うわけではないから、このファックスの文には、主人公ウィリーの自筆のサインを入れれば、それで正式文書として通ってしまうのですね。私も仕事上で、米国との契約関係のこと思い出しました。なんとなくやっぱり私は印鑑使う方が、安心してしまいますね。

  ともかく大変に痛快な小説です。主人公の回りの人物が40代後半なのも実にいいのです。そんな世代のロマンス含めた活躍に、なんにしろ嬉しくなってきました。
 それと日本の作家でもこうした作品を書いてほしいものです。私たちには、もっと臨場感のある面白い場面が考えられると思うんですがね。(1994.11.01)



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2011年01月18日

佐々淳行『東大落城』

11011707書  名 東大落城
著  者 佐々淳行
発行所 文芸春秋

  この「東大落城」という連載が文芸春秋に最初掲載されたときにすぐ早速買ってきましたが、1回の読みきりでないと知ってすこしがっかりしてしまいました。そしてこうして単行本になったのを知り、また早速買ってすぐに読んでしまいました。1969年1月18、19日の東大安田講堂を中心とした72時間の攻防を警察機動隊の側から書いた記録です。

  二日間に東大構内で逮捕された、合計六百三十三名の各セクト過
  激派学生のうち、東大生はわずか六パーセント・三十八名。残りの
  九四パーセント・五百九十五名は、北は北海道から南は九州まで全
  国四十五の官公立、私立大学から応援にかけつけた“外人部隊”だっ
  たのである。

 私はこの「外人部隊」でした。ただ私はこのことで特別東大生がどうだこうだという気は全くありません。むしろそれだけ当時の私たちにとって、東大闘争はかなり大事な闘いであったということだと思っています。

 私は1月12日から中大全中闘と一緒に安田講堂に入りました。ひとりだと入れてくれないのです。当日夜まず安田講堂は日本共産党=民青の襲撃を受けました。当日全共闘の部隊は駒場に出かけており、安田講堂には100名にたりないくらいの部隊しかいませんでした。この日安田講堂を攻撃してきた日共の姿は、18日に大挙して襲いかかってきた機動隊と同じ姿です。国家の露払いとしてやってきたものと思いました。
 それから安田講堂にいたわけで、講堂に中にあるグランドピアノを弾いていた学生がいたこととか、とおくからわざわざ来た高校生のこととか思い出します。
 ただこの本は、私たちを攻撃してきた側の人間が書いているわけですが、それほど読んでいて不愉快にもなりません。でも事実は書いておいたほうがいいでしょう。いくつも書く気にはなりませんが。ガス銃の水平撃ちに関してです。

  照準器も施錠もない滑腔・先込め催涙ガス銃では、当てようと思っ
  ても当たるものではない。何千発と発射されたうちの一発がたまた
  ま顔に当たったもので、

 よくまあ、こんな大嘘が書けるものだ。私は屋上で何発か身体にくらっている。最後に逮捕されるときには、目の前1メートルくらいのところから発射した機動隊がいた。ちょうど私の隣にいた学生の右手にあたった。彼とは同じ留置場だったが、中指の骨がつながってなかったといっていた。

 しかしなんにせよ、この著者にはあまり敵意も感じないものですが、やはりなにか私たちのことをあまりに誤解しているところがあるように思います。最後のエピローグ「平成世代との断絶」というところで、湾岸戦争のときあるテレビの深夜番組で全共闘世代と平成世代との討論があり、そこでの私たちの世代の出席者は、口々に現代学生、青年のノンポリぶりや、「ひとり幸福主義」を批判したとあります。これじゃまるで私たちが「今の若いものはなっていない」と愚痴るおっさんみたいですね。

  平成世代の若者はさめた目で先輩たちを眺め、熱弁を聞き流し、
  鼻で笑って反論する。
 「貴方たちをみていると、全共闘時代はよかったなんていいながら、
  居酒屋で酒をのみお互いに傷をなめあっているオジンとしてしか見
  えませんよ」……「いまのボクらにとって大切なことは、アルバイ
  トをして、お金稼いで、いい車買って、楽しくデートすることで、
  デモなんか無意味ですよ」
 と言い放つ。
  心の傷にふれられた全共闘世代は声を荒げて反論する……この互
  いに接点のない不毛の議論は私を悲しくさせた。

 なんでこんなことで悲しくなるのだ。はっきりしていることじゃないか。こういう議論の内容だとしたら、この平成世代の若者のほうがずっとましだ。そしてこの内容だと、この若者たちの方が正しい。だけど私たちの世代って、こんなに質が悪いの。こんなに格好悪いの。私は「酒のんで傷なめあっているオジン」なんていわれたら、それはそれで嬉しくなっちゃうけどな。
 私たちの世代の時も、この若者たちの時も別にそれはそれで等価値ですよ。
  だけど私はなんせ私たちの時代は面白かったのです。だからいまも酒飲んでたのしく「傷なめあっているんです」よ。
 どうもこの著者は私たちを尊敬しすぎているように思います。私たちが私たち自身の誤りについてちゃんと総括していないから、このような「政治的無関心」「自分の命と幸福が最大の価値と考える」世代が生まれたのだという。もしそうだとしたら、それはきわめて私たちはいいことをしたものだと思います。私はたしかに私たちの世代があの時代も今もまだちゃんと総括できてはいないと思っています。しかし、今の「自分の命と幸福が最大の価値と考える」世代がでてきたのが、私たちのせいだとしたら、そしてそれは私も間違いないことだと思っていますが、やはりあの時代を闘ったことは良かったと心から思っています。

 でもいろいろ知らなかったことがありました。とくに私に関係したところでは、安田講堂の上にきたヘリコプターにパチンコを撃ってそれが効果あったというのを、これで初めて知りました。あんなの全然効果ないとばかり思っていましたが。私は嬉しくなって、ニューヨークにいる親友に早速「おいあのときのパチンコも無駄じゃなかったんだ」と電話してしまいました。

  透明なプラスティックのヘリコプターの風防にパチンコ玉がカチ
 ン、カチンとあたり、ひびが入る。
 「宇田川代理、危険です。退避します」
 

 実に24年目にして知る楽しいことでした。

 それから、昨日詳細に見ていて、「やっぱりそうだ」ということがあります。この本の最初のグラビアで「火炎ビンを投下する学生。典型的な“ゲバ・スタイル”」という写真の学生は、24年前の周です。(1993.04.08)



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2011年01月14日

「失敗の本質」の2

11011403 この「失敗の本質」のことを書いたのは、私の中に一つには、こんなことだけで日本の大東亜戦争の失敗を書かれては堪らないよ、というような気持がありました。なんとなく、この著者たちを慇懃無礼に貶したいという気だったのです。
 だがさらに私がやった経営コンサルティングの例を付け加えたことで、かなり関心を持ってくれる方が何人もいました。それらの方々にさらに私がいいたいのは、実際に喋り言葉で、このコンサルティングを聞いたほうが、実に面白いよということです。もっと会社名等々を出せちゃいますからね。それと、このFAX販売の過去の実例として3つあげたと書きましたが、実は全部で4社の例をあげたのです。もう1社とは、比較的成功したと言えるのではないかという例でした。「だがこの会社の例は、御社には応用できないよ」と私は理由をあげて説明したものです。
 書いていきますと、いろいろと問題も出てくるかなと危惧することもあるので、どうしてもある程度までしか書けません。(1999/01/28 16:05:31)


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「失敗の本質」

  私が長年参加しています草の根パソコン通信ネットで、ある「GUEST」の紹介で知った本です。

書  名 失敗の本質 日本軍の組織論的研究
著  者 戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎
発行所 中公文庫
当初1984年5月ダイヤモンド社より刊行

11011402  買ったその日に電車の中で、またたくうちに読み終えました。なんとなくこの著者たちに、もうちょっと書いてくれないかなと不満になったところです。
  著者のうち、野中郁次郎という大学教授は経営学の先生であり、経営管理に関する本はいくつか読んでいたことがありましたので、そうしたことへの応用できる大東亜戦争の敗北の総括なのかななどと予想して読みはじめました。

  第一章の事例研究ですが、これは少々解説不足すぎやしないかなと心配になりました。大東亜戦争にはじめて触れる読者を想定すると、これではなんだかよく分からないのではないでしょうか。それとも、あらかじめもっと違う本を読んでからこれに入ってほしいというのか、それとももっと詳細に知りたいのなら、また以下の本を読んでほしいというのか、何も書いてありません。巻末に掲げてある参考文献ではあまりに一般読者向けだとは思いません。そうですね、私が推薦するとしたら、人物往来社の「日本の戦争(全8巻)」でしょうか。それに児島襄が書いている各歴史ものもいいかもしれません。
  例えば「インパール作戦」の章では、この作戦の実際の情況は少しも書かれておりません。これでは実際にインパール作戦に参加した人たちも、読んで不満だろうし、まったく初めてこれを知ろうという人も不満なことではないのかと思いました。当時のビルマの戦略的位置、かつなんでインドのインパールなのかなどということがさっぱり分かりません。チャンドラ・ボースの自由インド独立軍のことなど、少しは書いていただきたいものです(1行は書いてある)。

  さて問題は第二章、第三章なのです。ほぼ他でも言われてきたことが書かれています。そしてその結論に私はほぼ異議はありません。だがこれまた不満なのです。もう少し書いていただきたいのです。これを経営に応用するとしたら、もっと詳細に事例との兼ね合いで細かく書いていただきたいものです。
  また例を上げると、なんでもいいのですが、よく日本刀の好きな人と話したりしていて(私にはこうした友人が何人かいます)、言われることから思い出してみます。アメリカ軍等は、やはり日本軍の白刃をきらめかせての切り込みが非常に怖かったというのですが、これはどうなのでしょうか。今もこう思っているむきがあるということなのですが、これはこのなかでのガダルカナル作戦の一木清直大佐の言動他(ただし私が補うのです)で見ていきましょう。

    同大佐は、帝国陸軍の伝統的戦法である白兵銃剣による夜襲をもっ
  てすれば、米軍の撃破は容易であると信じていた。
                (「第一章…………ガダルカナル作戦」)

  私が思い出す限りの一木大佐の言動です。

    一発の銃も撃つことなく、白兵による肉弾攻撃、白兵による白兵攻
  撃で川を越えて占領する。

 しかし、あまりの米軍の猛烈な銃火の中、この一木部隊は次々と倒れていきます。一木大佐はあまりのことに茫然自失として、なんらの事後処理も部下に伝えないまま自決してしまいます。
  これを、会社の経営で考えてほしいのです。ある営業あるいは企画制作等の最前線にいる責任者が、突如辞職したりしたらどうなるでしょうか。本来はこの戦いへの会社自体のとりくみかたが間違っているのですから、そのことを彼は指摘すべきなのです。
  この会社自体のとりくみ、すなわち日本陸軍の白兵銃剣による突撃こそが有効などということ自体がおかしいのです。このことは陸軍は充分判っていたはずです。

  西南戦争のおり、政府軍は薩軍の白刃をきらめかせて猿響をもって(猿響とは薩摩示源流の掛け声で、それで大上段で一撃できりこんでくる)が大変に不安でした。事実どこでも薩軍に政府軍は切り立てられている。よくテレビ映画などは、これに対して、政府は東北などの旧氏族からなる抜刀隊なるものを組織(事実これはやりました)して、それが効果あったかのようなことを言っていますが、事実は薩軍の白刃攻撃に勝ったのは、大量の銃火攻撃です。薩軍と同じ薩摩人であった政府軍の西郷従道、大山巌は薩軍の白刃攻撃をよく知っていましたから、それに勝利するためには、それより強い白刃攻撃できる部隊だなどとはいわず、大量の銃弾薬が必要なことを主張し、実行しました。実に田原坂の戦いでは驚くほど大量の弾薬を使用しています。
  このことは陸軍参謀編纂の「日本戦史」に詳細に記されています。また例えば、日露戦争においても、騎兵隊を率いていた秋山好古は、ある戦闘においては馬を捨てて陣地戦をやるなどという臨機応変なことができています。騎兵が馬からおりたら戦力は激減しますが、そのまま馬で露軍の銃火に突撃したとて無駄な場合は、そうした対応ができる軍人がいたのです。
  そうした日本陸軍であるはずなのにどうしてこの一木大佐のような軍人が生まれてしまったのでしょうか。

    帝国陸軍は、西南戦争や日清戦争を通じて、火力の優劣が戦闘のカ
  ギとなる要因であることを知っていた。現場第一戦では、日本軍火砲
  の射程や威力不足について不満が多かった。しかし、いずれも戦争が
  終ると忘れられ、日本軍の軽砲主義は大東亜戦争まで続くことになっ
  た。近代戦の要素を持っていた日露戦争を経験しても、西南戦争に従
  軍した指導者は、過去の薩軍の突撃力がきわめてすぐれていたこと、
  露軍が歩兵の格闘を重視し実際白兵戦闘が強かったこと、旅順戦にお
  ける二〇三高地の最後の勝利は肉弾攻撃であったこと、などに思いを
  はせて、結局は銃剣突撃主義に傾倒していった。
                   (「第三章…………日本軍の環境適応」)

  この説明で納得できるでしょうか。旅順港攻略戦に於ける勝利が何だったのかは陸軍は充分分かっていたはずです。
  私はもうすこしさまざま事例と関連ずけて書いていただきたかった。もしも経営する人たちに応用してほしいと考えるのなら、もうすこし丁寧に説明いただきたいと思ったものです。
  それにしても、日本軍の敗北の本質を生んだ日本軍の資質が、日露戦争から引き続いた流れの中にあるものだというような書き方は読んでいて、感心したところです。それも説明不足なような思いは残りましたが。

  ちょっと上に述べたことだけでは、まだ言い足りないなと思うところがあります。さらに何か書いていきましょう。
  私は随分前にコンサルティングしたときの事例です。

  ある人の紹介で私の事務所に二人の人が相談にきました。ある会社の社長と営業の部長さんです。そこは現在FAXを拡大販売するのである企画を進行中でした。紹介される時に少しはなにか資料的なことを言ってもらっていればいいのですが、何も聞いてはいなく、ただFAXを子どもの学習をするということで大規模に販売したいということだけでした。企業の規模とか、予算とか、どんな会社なのかは何も聞いていませんでした。いわば突如おいでになったようなものでした。
  話を聞くと、この企画は小中学生に勉強を双方向で教えことができるFAXを家庭に入れませんかという営業手法で、もう一部進行していて、あまり販売台数はたいしたことはないのだが、学習教育について担当にしている学生アルバイトと一部の子どもたちとの電話による対話(FAXによるやりとりではなく、電話でのおしゃべり)がかなり活発で、これならもっと可能性があるのではないかと全国展開をしてみようかというような段階であるとのことでした。ただ不安だから、愚痴を話してしまい、それをきいたいわばいい人の紹介で私のところへ来たのです。
  私はまず以下のように話しました。

  1.このFAX販売の手法は過去、私が知っている限り3つの会社が
    試みているが2社は完全撤退。1社はまだやっているが、もうすぐ
    やめると思われる。
  2.貴社のこの企画自体がポリシーも、細かい戦略もなにも感じられ
    ないこと。

  1ではまず有名な大手出版社(当然に相手にはこの社名等々は教えています)がこれを試み、現在はやめたが、それで会員になった子どもたちの事後処理で苦労している段階であることを話しました。ここでも、学習指導の中で、FAXだけでは対応できず、電話による直接指導を補助としてうたいだしました。その担当者である学生アルバイトと子どもたちとの電話による対話は活発になりましたが、それはもう別に授業料を設定することはできず、FAXのみによる学習は無理なことを証明するだけで、FAX機の販売自体には結び付きません。

  またこの出版社がこの事業から撤退したころ、ある編集プロダクションの社長が同じような企画で私のところへ相談に来ました。まずこの社長は、いったいDMによる確率はどのくらいなものかなどということのみ電話で聞いてくるため、私は「そんな問だけでは答えられない」と、少し詳しく聞いていくと、またここも大変な泥沼に入りこみそうなので、直接来てもらって話すことになりました。この企画は当然FAXの販売元が熱心で、この社長の会社にやらせようということなのです。それとこの社長は偶然ある地区の中2、中3の名簿を2千名ばかり手にいれたのでそれとさらに名簿を手に入れてDMをうってみようかと考えていました。私は2千の数ではまず問い合わせすらゼロであろうということをいい、さらに数万の名簿を得たとしてもたいした結果にはならないだろうことを言いました。さらに予定しているDMの案を見ました。私はもう呆れてしまいました。こんなコピーで生徒が集まるわけがないのです。でもなるべく刺激的にいうのは可哀想だから、まず数を限ったDM数でやって、それから判断したらどうかといいました。逆に例えば半端に15人が応募してきたらどうするのだといいました。15台機械が売れて、販売店はいいかもしれないが、貴社はその子どもたちを何年か見ることができるのかと言いました。あとで聞くと、この社長は3千のDMに限定してやったようですが、問い合わせの電話すら1件も無かったようです。

  もうひとつは関西の学習塾ですが、これは来塾している生徒を対象にしてFAXによる指導をやりはじめました。日経流通新聞の記事によると、塾長は成功しつつあると判断し、さらにこのFAX指導のみの入塾生徒を増やしたい、増やせるといっていました。私はここがまず現実に教室運営をしていること、そこに来ている生徒に導入したもので、今後まったく新たにこれで生徒募集しても駄目だろうと思いました。これはそののち私のいうとおりになりました。  次に2はまことに失礼な問であるのですが、私はさまざま聞いていきました。

  (1) まず本当にFAXで学習教育できると考えているのか。
  (2) その学習内容とは、一体「補習」なのか「進学」対象なのか。教
    材はどうするのか。
  (3) FAXを販売する相手としては、誰でもいいのだろうが、この
    FAX学習の対象は一体どの学年なのか。小学1年生も高校生も扱
    うのか。
  (4) いったい学習の教育を指導する部隊はどうするのか。
  (5) 以上のようなことでFAX売った代金と、受講料をとったとして
     も、割りがあうのか。
  (6) いくらの予算でどう収支計画、資金計画など組み立てているのか。

  (1) では、最初問題は郵送して、それをFAXで送ってもらっても、添削したとしても、1色のFAXでは赤ペンは使えず、それで「赤ペン先生進研ゼミ」にすら勝てるのか。そもそも売るFAXはA4版形までの機械だが、いまのテスト問題にはA4版形なぞないのだから有効に使えるのか。
  (2) では、進学対象としたら営業の最前線の二人が、例えば早稲田中学、早稲田実業、早稲田高等学院の違いすら知っていない。またいわゆる男子ご3家の麻布、開成、武蔵の3つの入試問題の違いをいっても感心して聞いているだけである。その他いろいろな学校の問題を例にしても、分かっていない。埼玉公立高校入試では国語に必ず作文があるとかかなり県ごとに違いがあり、また「進学」だけでなく「補習」もやるとなると、いったい教材はいくとおりつくることになるのか。小4~6年としても、進学で3(学年)×4(科目)、補習を別にするとその倍の問題作成が必要になる。問題つくるには、作成する側とそれを校閲する側もいることを伝えた。堂々と「独自の教材問題で」などと広告しているので、作るわけだから、これは大変なことです。
  (3) 小1の親がFAXを購入して、子どもが入会してきたらどうなるのか。そして北海道と沖縄と千葉の子どもというようにアンバランスに入会してきたら、公立高校への受験指導などできるのか。 
  (4) では、こうした指導する部分は当然社内にいなければならないが、どう予定しているのか。かなり強力な指導者がいなければ無理だと思われる。相手はできたら私(私の話に感心したようだ)にやってもらえばなどといいだす始末である。
  (5) では、もうどう考えても、1人あたりの受講生からの収入でコストが見合うわけがないのではということ。
  (6) では、ではこうした企画で、いったいどれほどの予算で、いったい何台の販売何人の受講で損益分岐点がクリアできるのか考えてあるのかということです。なんにも考えていないようです。

  以上のようなことで、広告宣伝を実施したとして、仮に20人くらいが購入応募してきたとしたら、もうそれは丁寧に説得断ればいいが、また仮に全国からバラバラに50人くらいが購入受講してしまったら、それこそ半ば成功などと思いがちで、そのあとのフォローが大変でそれこそ泥沼に足を突っ込んだ状態になってしまう。だからいまのうち、この企画をやめたほうがいいと私はいったわけです。
  相手の社長は感心して聞いていながら、考え考え、重々しく次のようにいいました。

    先生のお話はよく分かりました。たしかにそのとおりだと思うので
  すが、先生みたいな立場には分かりにくいかもしれませんが、会社と
  いう組織はいったん企画を決め、動き出しているからには指揮してい
  る私はこれをやめるわけにいかないのです。これでやりとげるしかな
  いのです。

  これこそ日本軍の各指導者が陥っていった失敗の本質ではないでしょうか。あいまいなポリシーといいかげんな戦略のもとで、少し走りだしたからといって、もう止めることができないのです。それが総指揮官たる社長ができないのです。
  私はさらにたくさん話しました。「いや、会社というものはそうではない。そう思い込んでいるプロデューサー、マネージャーしかいない会社と、もっと柔軟に対応できるあたりまえの会社があるだけだ」と言いました。
  さらには、それでもまだやるというのなら、まずはサンプルケースとしてある地域のみに限定して広告宣伝し、そこでの損益分岐点を設定し、それがクリアできないなら、すみやかに撤退する、もしも私のいうとおりにならなかったら、おおいに私を笑い、全国展開したらいいではないかといいました。

  二人はかなりお礼をいい、かつ暗い顔で帰っていきましたが、私の忠告どおり、限定した地域のみでやったようです。でもやはりうまくいかないで、最前線の部長は、その後長く入院してしまうほどの大打撃を受けたようです。

  こうして私がこの事例を書いているのは、こうした企業の形があの日本軍の敗北の中からもくみとれるのではということです。最初からポリシーも戦略も目的もあいまいなまま始まった数々の作戦、たとえばレイテ作戦だとて最終目標が栗田艦隊には大本営の意図と同じだったとは思えません。だから、レイテ直前で転進して北上してしまう。レイテで米軍をたたくのか、米国艦隊と派手に艦隊戦をしたいのか、あいまいなままです。これが練られていないから、あのような転進になります。学習指導をうりものにして、FAXを売るというのも、あまりに練られていないから、途中で生徒と指導部との電話による会話が盛んになると、なにかそれが意味あるように思い込んでいきます。そしてレイテ作戦ほどまだのめり込んでいない、私に相談した会社も、作戦を中止することができないのです。
  こうした大東亜戦争、三国志、ナポレオン戦略、孫子等々から私はかなり経営に関してもコンサルティングしてきました。だが、それだけではどうにもならないような会社や経営をよく見てきてしまったものだと思います。
  私はこの「失敗の本質」に、もっと各作戦の事例により、より詳しく解説しただきたかったことと、だがそうしたって、いったい各経営者のうちには参考にすらできない資質のところも多々あるのだよと思ったのです。(1994.11.01)



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2011年01月12日

橋爪大三郎『民主主義は人類が生み出した最高の政治制度である』

 今年(98年夏)の松戸自主夜間中学校のキャンプへ行ってきましたが、そこでも夜にいろいろなお話をしました。その中で、

 「民主主義」というのは、思想ではなく、あなたのいうとおり、シス
 テムなんだね

と私に言われた方がいます。ちょうど半年くらい前に、皆で激しく論争したときの私より5歳くらい上の方でした。また、NIFTY のあるフォーラムの会議室で「民主主義とは何か?」などという問いがあって、その後それへの解答がないままなのを見てきました。それに関して、「これが最適の本ではないのか」と思える本の紹介です。

11011110 私は昔から「民主主義」というと、どうにも好きになれませんでした。昔学生運動の流れの中で、構造改革派の中で「民主主義学生同盟」という組織がありました。私はこんな連中がいるのが信じられなかった。だって民主主義とは思想ではなく、政治制度なのだから、マルクス主義とか社会主義と名乗りあげることとはかなり違うのですよ。もっとも、この党派はその後、右派(日本のこえ)と別れ、「プロレタリア学生同盟」なんて形容矛盾な名前の党派を名乗り、さらには、緑のヘルメットを赤くぬり、「赤色戦線」などという組織になってしまいました。簡単に潰れましたが。
 よく三派・全共闘といいますが、本来は三派全学連と全共闘は全く別のものです。全学連はあくまで各大学の自治会の総連合ですから、民主主義の手続きを着実に遵守します。全学連の集会では自治会をもっていない党派は発言権はありません。左翼というと、かなりでたらめことをやる感じがしますが、三派全学連はその意味では戦後民主主義の申し子でした。三派というと実は五派プラスその他もろもろいましたが、社学同ML派と、第4インター(社青同国際主義派)は、自治会を掌握していなかったため、発言権がありませんでした。彼等はどうしても発言するために、会場でゲバルトのやりあいをして、その事態を説明するという理由のもとに、発言を始め、彼等の情勢分析、闘争方針を展開したものです。

 全共闘は全学連を「戦後ポツダム自治会は終焉した」ということで生まれてきました。したがってまったく民主主義的な手続きなど関係なく行動します。私などは、ちょうどその両方にいますから、よくその違いがわかります。しかし私などは、この全学連での学んだことはかなり良かったことであります。すなわち、クラス討論をしたり、投票をしたり、多数派になるという訓練をかなり経験したからです。私は労働組合を作って元気に暴れたこともありますが、私はその中で一番の過激派でしたが、私が会議の司会をやると、会社側にも褒められたものです。よくあれだけきちんと双方に平等にやれるものだと。
 私は民主主義はあくまでルールなのだという認識がありました。したがって、守るべきとかこわすべきとかいう思想としての対象ではないと思っていました。
 しかしいまこの民主主義というものを、まともに把握できない層がかなりいるのをみて愕然とします。いったい義務教育でまともに学ばなかったのでしょうか。そんな思いのとき、ある人の紹介でこの本に出会いました。

書 名 民主主義は人類が生み出した最高の政治制度である
著 者 橋爪大三郎
発行所 現代書館

 なんだか題名が恥ずかしい気がして、最初は電車で広げるのが嫌でした。でも第1ページから読み進むうちに、これは全く私が持ってきた思いをそのまま展開している本であることに感動していきました。ぜひ多くの方々に読んで頂きたいなと思っています。

 「民主主義」の旗を掲げよう。
 それが社会の「理想」だからではない。「平和と民主主義を守ろう」
 というのでもない。とりあえずそれが、もっとも現実的な社会の運営
 方法だからである。

 これが最初の「はしがき」に書かれている最初の文です。これだけのことですら私は他では読んだことがないように思います。そして次の文、

 「民主主義」の前提は、人間一人ひとりが自分の生き方を考え、つき
 つめ、決してそれを他人に預けないことである。その上で、いまの社
 会制度に責任を持ち、必要ならそれを作り変えていくことである。そ
 ういう、思考の輪郭のくっきりした、人びとの格闘が、民主主義を支
 える。

 この文章こそ、まさしく私たちが義務教育で、中学3年生までに学ぶべき民主主義の意味だと思います。私は中学で社会科の先生に教えて頂きました。
  さてこの本の中で民主主義のことを中心的に書いてあるのは、「陳腐で凡庸で抑圧的な民主主義は人類が生み出した最高の政治制度である」という章です。

  政治とは《おおぜいの人びとを拘束してしまうようなことがらを、
 決定すること》、これにつきる。

  民主主義とは、《関係者の全員が、対等な資格で、意思決定に加わ
 ることを原則にする政治制度》をいう。

  民主主義は、人為的な制度である。人為的だから、人間の自然な感
 情に逆らっても不思議はない。。なんて憎たらしいことを言う奴、殴
 りつけてやろう、と思っても、そうはいかない。相手が言論でやって
 いる限りは、民主主義である以上、めいめいに自制が要求される。そ
 ういう努力を惜しまず、民主主義を守り育てていかないと、民主主義
 はすぐ民主主義でないものになってしまう。
  民主主義は、われわれがそれを自覚的に選択し、そのあとも日々選
 択しつづけ、意識的に手をかけてやらないと、存在できない。

 民主主義は手続きを重視する。民衆の意思決定を形成するための手続きが大事なのです。この手続きの正しさを踏みにじる傾向をなくすことが民主主義なのです。

  日本の(戦後)民主主義は、いくつかの理由によって、大変虚弱で
 体質の弱いものであること。そして率直に言って、「民主主義を守ろ
 う」とか「民主主義はは大切だ」と言ってまわっている思想家や団体
 に、ちっとも魅力がないこと。そういうイメージが民主主義にこびり
 ついている。だから、民主主義の肩を持つなんて、ちっともカッコウ
 いいことではない。
  けれども、われわれの民主主義を、せめてもう少しタフで成熟した
 ものに変えていくことが、いまの日本にとって重要だ。ちょっと考え
 てみると、そのことはよくわかると思う。もっと日本人は、おとなに
 なろう。政治の責任を分かちあおう。そのために骨身を惜しまない人
 間が、何千万人も出てこないと、日本は少しも生きやすい社会になっ
 ていかない。そして尊敬できる社会になっていかない。

 まさしく民主主義は守るものではなく、私たちが日々つくるものであると思います。陳腐なもので、そして政治であるから抑圧的なものであるとしても、私たちがつくりあげていかなければならないのです。
 なんだかこの本を読むと、誰でも頭の中が整理されスッキリした感じがするのではないでしょうか。そうです。こういう言葉であたりまえのことをもっと早く説明して欲しかったのです。

 私は今もいろいろなところで、驚くような誤解とつき合ってしまいます。国会や地方議会で行われているものだけが政治だと思い込んでいる人が大勢います。民主主義を素晴らしい思想だと堂々と言ってしまう人がいます。それが私よりも年上でしかも社会的にも「人を教える立場にある」人なのを見ると、心の底から嫌になってきます。「あなた方は一体何を学んできたのだ、そして下の世代に何を教えようとしているのだ」

  言わしていただければ、テレビ等々で感じるのは、民主主義の本質を理解できているのは、むしろ保守的な言動を言っている方のほうであり、左翼進歩派と思われるほうこそが「こいつ判ってねえな」と感じることがしばしばです。私はこの連中はむしろ左翼保守派とか左翼守旧派というべきかななんて思っています。でも中学3年生の段階で知るべきことなのになあ、と情けないと思うばかりです。
 だからこそ私は自分が関係するところでは、この民主主義のやり方を厳守するようにしています。今年夏に松戸自主夜間中学校に関する「松戸市に夜間中学を作る市民の会」の総会があったのですが、私が議長を担当しまして、このことは厳格に追及しました。また私は住んでいるところのマンションの管理組合の理事をやっているのですが、これまた総会(いろいろとみんなで決めなくてはいけないことがたくさんあります)にて、確実にやるようにしています。
 それから私自身の仕事である経営コンサルティングでは、株主総会等々ということで、これまた民主主義のやり方が大事なことになります。私は会社の取締役間の闘いの相談もよくあるのですが、基本は「株主の多数派が勝利できます」ということであるわけです。だが、当然多数派からの相談ではなく、少数派からの相談もあるわけで、そうした場合にこそ、この民主主義の手続き上の問題が、こちらの大きな戦術になります。
 また、私自身の家族でも同じだと思っています。3人以上の人間が集まる場所では、なんらかのことで意見が異なりかつ決定する必要があるる場合には(これは夫婦で決めていいこと、すなわち子どもには関係ない場合は別です)、やはり民主的な話し合いと手続きを遵守するようにしております。

 この本を書いた橋爪大三郎氏は現在、かなりな評論を書かれ、かつテレビにもよく出て来られます。私はかなり注目し、かつ評価しております。この方は実は私と同じ三派全共闘の活動家でした。左翼の活動家出身には、今もどうしようもなく訳の判っていない連中も多いのですが、こうして原則的な勉強をかなり着実にされているんだなと感じる人も何人かはいるものです。私は全面的に彼を評価するわけではありませんが(ときどき、これは私と意見が違うなと思うときがあります)、今かなり評価できる学者だと思っています。

 そのほかこの本の中で述べられている文章はすべてなかなか読ませる文章です。そしてこの文の表現方法も著者はかなり考えていると思えます。
 また読んで感心したところに次のようなことがあります。「正義の根拠はどこにあるのか?」という章です。

 「同じものは同じように扱う。異なったものは異なるように扱う」と
 いうものです。同じ人間なのに異なった扱いをして差別するのは不正
 義である。それとは逆に、たとえばハンディキャップを負っている人
 を健常者と同じように扱うのも不正義である。

 これはかなりあたりまえのことを言っていますが、これだけの認識に到達している人がどのくらいいるのかと思うと悲しくなります。性別人種民族宗教出身地学歴等々の違いで人を差別するのは間違いです。だが同時に車椅子に乗っている方たちを私たちが普通にその椅子を押さないことはこれまた間違いなのです。
 ここらへんのことは、家庭でも普通に教えていくべきことだと思うのです。
 何度も読み返していきたい本です。(1998.11.01)



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2011年01月08日

大下英治『小説ビール戦争』

11010804 ビールをこんなに飲むようになったのはいつからだろうなんて思います。学生のときには、飲むことは飲みましたが、ビールは割高な感じだから、それほど手を出しませんでした。

書 名 小説ビール戦争
著 者 大下英治
発行所 光文社文庫
1994年5月20日初版1刷発行

 戦前にはビール界で圧倒的なシェアをにぎっていた大日本ビールが、戦後占領軍のために、札幌ビールと朝日ビールに分割されてしまいます。ちょうど日本の北と西に分けられてしまったわけです。その間隙をぬって麒麟ビールがいつかガリバーになってしまいました。キリンはタカラビールを廃業に追い込み、さらにシェアを拡大していきました。朝日ビールは後発のサントリービールにも追いつかれそうなほど、シェアを落としていきました。ビール界はガリバーたるキリンとサッポロの戦いでした。アサヒビールはもはやその戦いとは関係ないかのようでした。
 私たちが学生のころビールを飲んでいても、それこそアサヒビールなんて馬鹿にしていたものです。「あれはビールの味がしないんだよな」なんて生意気なことを言っていたものです。私たちはキリンのラガービールの苦さがビールの味だとばかり思い込んでいたのです。「それに対して、サッポロは甘い味がするな」なんて思っていたものです。この二つが大きな味の差があるように思っていたものでした。
 シェアを10%も切ってしまったときに、この小説の主役である樋口廣太郎は、住友銀行からアサヒビールの社長に就任します。昭和63年3月のことでした。それが一年後の3月に「スーパードライ」を発売することにより、シェアを20.6%まで引き上げます。実に2倍強の伸びなのです。
 この小説は、その樋口が社長になって数年後の平成3年から始まります。いわばビール大戦争と言っていいような年でした。
 私はその前頃から住友銀行の体質が変わったのを感じていました。そしてその訳をよく分かっているつもりでした。だから、住友系の金融機関なかでも住友銀行が私のクライアントに現れたときには、その訳を詳しくは喋らないような感じでよく話したものでした。銀行の担当者から「先生はよくご存知ですね」などと言ってもらったものです。私は住友銀行を変えたのは、米国のボストンコンサルティンググループのコンサルティングだとばかり思い込んでいたのです。
 でも、今この小説を読んで、私の思いは単なる私の認識不足であり、住友銀行を馬鹿にしていただけなのではということに気が付きました。私は住友グループが好きではありませんでしたから、そういうふうに誤解していたのです。こんな樋口氏をアサヒビールの社長に出来た住友銀行というのは、もともと体質のしっかりした銀行だったのだなと思い至ったのです。
 そして同時に、アサヒビールが危機を脱しえたのは、決して樋口社長だけの手腕ではありません。樋口の社長就任はきっかけだけであって、それはたくさんの人間たちの必死な努力のたまものなのです。
 また、この小説を読んで、樋口がもともとは京都大学で学生運動を激しくやっていたということを知りました。ちょうど私たちの先輩にあたるわけです。その後の彼の展開の仕方もこれまた実によく理解できる気がします。おそらくは国家のひどさを肌で感じることはあったでしょうが、本来の資本主義は素晴らしいものだと気がついたのではないでしょうか。それには懸命に学び、懸命にいろいろなことに挑戦して行って分かってくるのだと思います。
 私のこうした本の紹介は、結局はその本そのものを内容をあんまり書いていないわけで、いつも「これでいいのかな」なんて思うところもあるのですが、こうしてしか書けないもので、これで行くしかないのですが、ここでさらに余計なことを書きます。

 同じグループと見られるであろうニッカウィスキーとアサヒビールの違いです。ニッカは、

  いいもの、本物のものを作れば必ず売れるはずだ

と思い込んでいる技術者集団という気がします。アサヒも昔は同じだったのでしょうが、

  いいものを作っても、売れるとは限らない。必死に売ろうと努力す
 るときにさらにいいものを作り上げることができる

ということが分かっていると思うのです。
 いいものを作っても売れなければ、どうみても「本物ではない」サントリーウィスキーのほうが売れるとしたら、やがては、そうした傾向の消費者のことを「ほんものの分からないダメな存在」と考えてしまいがちです。そこがニッカが伸びないところだと私は思っています。そこが樋口就任以降のアサヒビールの違うところだと私は思っています。
 私はそんなことをこの本を読みながら思っていました。そして大変にいろいろなことが参考になった本でした。(1997.11.16)



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2011年01月05日

堺屋太一『豊臣秀長』

11010412 私が初めて歴史に興味をもったころから、武将の肖像画で印象に残っているのが二つあります。ひとつは、平重盛像です。頼朝の像よりも、この重盛像に魅せられました。
 そうしてもうひとつが、「大和大納言秀長」の肖像でした。秀吉の弟として生まれ、かなり活躍したのに、歴史上ではほとんど記録のない人です。
 私は最初「大和大納言物語」というのが存在するのだと、何故か思い込んでしまい、随分探したものです。きっとなにか「信長公記」とか、数々の「太閤記」にかくれて古文書としてあるのだと思っていたのです。さまざま探しましたが、見つかりませんでした。そして酒屋太一が「この人」のことを書いたのを知ったとき、すぐに飛びついたのです。そして文庫本になったときに再度読み返しました

書 名 豊臣秀長-ある補佐役の生涯
著 者 堺屋太一
発行所 文春文庫

 私がこれほど熱い思いで「この人」を見ていたことを、「この人」は、あの時代からただ笑って見てくれているように思います。
 いま団塊の世代はもう40代半ばになろうとしています。私は昭和23年生まれ、44歳です。私たちの友人たちは、もう企業ではかなりな管理職になっています。しかし、私たちの年代は数が多すぎるのですね。どこの企業でもポストが足りないようです。さまざま軋轢がおきているのを感じます。堺屋太一はそんな私たちの世代に向け、「この人」のことを書いたように思います。人生を信長や秀吉や家康になろうとするのではなく、ただ秀吉の補佐役としてのみ生きた「この人」のことを、私たちの世代へ教えたかったように思います。

 「この人」自身を主題または主人公とする研究や書物がないのである。
 つまり、「この人」は常に脇役として登場する。そしてこれが、「こ
 の人」の果たした役割に最もふさわしい出方なのだ。そんな役回りを、
 今日の言葉では「補佐役」と呼ぶ。「この人」は、日本史上最も典型
 的な、最も有能な補佐役であった。そして、そうあること以外を望ま
 なかった。私がこれから描こうとしている人物・豊臣秀長とはそんな
 生涯を送った人である。            (「はじめに」)

 日本の歴史で、政権をとった兄と弟といったらたくさん出てくると思います。いまざっと思い出してみました。

  天智天皇と天武天皇
  源頼朝と義経
  足利尊氏と直義

 まだまだいるでしょうが、上の二組はそれほど親しい肉親といった感じはなかったと思われますが、尊氏と直義といったら、実に仲のいい兄弟でした。だが、最後に兄は弟を毒殺してしまいます。直義が保守的な鎌倉武士団にどうしても担ぎあげられてしまい、兄の補佐役などに留まることなどできなかったからでしょう。しかし、信長や、伊達政宗がそれぞれ自分の弟を殺したように、むしろその例のほうが多いのです。それがこの秀吉と秀長の兄弟は違います。それは実に「この人」の生き方そのものからきていると思うのです。

 秀長がまだ小竹(実はこの名も歴史上はっきりしません)といって毎日野良仕事にいそしんでいるころ、急に家出していた猿(秀吉)が帰ってきます。母と妹の世話を幼い小竹に任せ、そのあと好き勝手に生きている兄です。そしてまたまた勝手なことを言いだします。小竹に家来になれというのです。母や妹はどうするのだ。だいいち小竹に武士になれるのか。兄は言う。

 「武士に大事なのは戦場ばかりではない。普段の働きこそ大切じゃ。
 一に忠勤、二に目利き、三に耳聡じゃよ。殊に我が殿、信長様はそれ
 をお好みになるでな」

 この言葉はそうだと思っても、その他のことは、兄は嘘つき、大法螺つき。でも小竹はやがて決断します。

 「この人」は二つの決断を下していた。その一つは不安と困難に満ち
 た海にこの馴染薄い兄と共に船出する覚悟であり、もう一つはこの兄
 の補佐役として労多くして功少ない立場に身を置く決心だった。
 「この人」は生涯、自ら下したこの二つの決断に忠実に生きるのであ
 る。

 小竹はこうして兄の家来となり、これから兄の裏方としてすべてを取り仕切ることになります。

  苦情処理ともめ事の仲裁は、生涯「この人」の最も得意とした所で
 ある。

 いわゆる太閤記で書かれているさまざまな秀吉の出世のエピソードも、この本の中では、実はかなりに苦労する「この人」が描かれていきます。これほど苦労するのに、「この人」が信長に謁見するシーンもありません。歴史上の事実として、あの秀吉の妻おねねには優しい手紙をくれている信長も、「この人」のことなんか眼中になかったのでしょうか。それどころか、「この人」が迎えた妻のことも何も書いてありません。堺屋太一がではなく、歴史の上でもそんなことが少しも現れてこないのです。
「この人」はいつも兄のやることにはらはらします。彼のこころの中の言葉だけで見てみましょう。みな兄への言葉なのです。

  <もうええではないか。そう焦るな……>
  <こんな状態で、功名功名と焦っても仕方がない。今はまず地固めが
 先ではないか>
  <あんまり上ばかり見ずに、ちと腰を据えて地道にやったらどうや……>

だが声には出さない。

  <兄者には俺がいる……>
  <俺は、一人では大した武将にはなれん……>
  <どうせ補佐役なら兄のそれになり、生涯主役になろうとは望まぬこ
 とだ……>
  <俺は生涯主役にはなるまい、この兄のためにこそ、補佐役として生
 きて行こう……>

と何度も自分に言い聞かせていく。

  この人は奇抜な発想や人を驚かすような大胆な行動はしなかったが、
 決められた事を沈着確実に実行する優れた能力が備わっていた。兄の
 大胆さと弟の確実さ、これが終生変らぬ木下兄弟の役割分担だったの
 である。

 こうして見てくると、「この人」のことを地道な内務官僚、文治派のように思ってしまうかもしれません。しかし「この人」ほどこの戦国の世で戦いに勝利した武将も少ないのです。

  小一郎秀長の戦勝記録は凄まじい。小一郎は生涯のうちに大小百回
 以上も戦場に立ったが、一度として失敗したことがなかった。弱兵寡
 勢を率いる時はよく守って崩れず、大軍を持つ時はけれん味のない戦
 術で敵に乗ずる隙を与えなかった。なによりもこの人が得意としたの
 は、兵站と諸将との調整だ。小一郎は、将にも兵にも安心感を与える
 術を心得ていたのである。

 この理想的な補佐役を抱えた秀吉が次第に歴史上で誰でも知っている活躍をしていきます。秀吉自身は信長の補佐役ではありませんでした。信長には補佐役はいなかったし、そのような傾向のものは全てしりぞけられるか、殺されてしまいました。信長にはそのような存在は必要なかったということでしょう。だが私はここに信長が志半ばにして本能寺に倒れてしまったことの一因もあるように思えるのです。秀吉にはよき補佐役である「この人」がいて、天下一統にまでに至れたと思うのです。

 しかし、逆にやがてよき補佐役を失った主役秀吉の晩年は無残でした。「この人」が亡くなったあと、主役である秀吉は以前の秀吉とは何か違ってしまいます。関白秀次一族虐殺も、朝鮮出兵も、すべて「この人」がいなくなったあとのことなのです。

  この人の死によって豊臣家の何かが変わった。この人の死後、兄秀
 吉はなお七年半生き続け、その身辺と政権をますますきやびやかに飾
 り立てて行く。しかし、この人の死んだその日から、豊臣の家をより
 幸せにするようなことは何一つ起らなかった。よき補佐役の死は、偉
 大な主役にとっても、その一族や家臣、統治下の民にさえ不幸な出来
 事だったのである。

 こうして「この人」のことを少しは展開できました。でもまだいささか不満です。実は堺屋太一のこの小説とはまったく別に私が捜し出した文(何かの古文書の中での文)もあったのですが、いままたどうしても見つかりません。また見つけ出してそれに関して書いていくすることと、また別な面からも「この人」のことをもう少し書いてみたいと思います。

 以上にて堺屋太一「豊臣秀長」を通して、豊臣秀長に触れてみました。私はかなり大昔からこの人のことに関心をもってきました。それでよく昔飲み屋で話したことなのですが、これをNHKの大河ドラマにしたいなということなのです。
 あまりあの大河ドラマを真面目に見ているともいえないのですが、過去の内容を思い出すと、まず扱う時代は、ほとんど戦国時代から江戸幕府成立くらいまでと幕末ものが圧倒的に多いと思います。南北朝の「太平記」なんか、たったの一度ですね。それで戦国ものといっても、信長、秀吉、家康あたりが何度も繰返されているかと思います。さらにその中では、太閤記をさまざまな面から見たのが多いように思えます。やはり、誰もが知っている出来事や人物が多いからだと思います。
 よく経営者に戦国の武将で好きな人物をあげろというアンケートなんかがあると、家康-信長-秀吉の順なようです。その次は武田信玄でしょうか。やはり家康が最終的に天下をとったからということでしょう。私には信長-秀吉という流れと、信玄-家康という流れは逆のように思えますが。まあ、このことはまた別に論じたいと思います。それで、経営者のアンケート上はそうなるとしても、やはりみんなでテレビで見るとしたら、やはり太閤記が一番受けるように思います。家康の生涯をドラマにしても、あまりに暗くつまらなく感じてしまうと思うのです。やはり秀吉の出世物語のほうが明るさがあり、愉しいのだと思います。それで繰返しこの太閤記を、切口を変えてやっているのだと思うのです。 さてその切口を変えるものとして、この「豊臣秀長」はどうだろうかと考えるのです。勿論主人公は兄秀吉ではなく、生涯秀吉の補佐役であった秀長です。現在団塊の世代は40代半ば、もう各企業ではこの団塊の世代のポストが足りません。この世代に一番訴えるものとして、この秀長という補佐役の生涯を描くべきだと思うのです。
 トップにはなろうとせず、ひたすらトップの補佐役として生涯をおくった、秀長にスポットを当てるのです。能力はあるが、勝手でわがままで、危なっかしいトップを支える秀長を克明に描くのです。
 唐突ですが、この大河ドラマ「豊臣秀長」の配役の案です。

  秀長 中村 雅俊
  秀吉 泉谷しげる

 あと信長、家康はだれでもいい。ただ家康役はただ律儀という感じの役者がいい。それに、秀吉の正妻おねねは、私の嫌いな女優ならだれでもいい。沢口靖子なんかいいな。はっきりいえば、豊臣家を滅ぼした原因には、おねね北政所の馬鹿さ加減がかなり大きいと思うのです。
 秀長の妻は私の好きな女優なら誰でもいい、そうすると原節子か、高峰秀子か桜町弘子かゴクミだから、これはもう後藤久美子しかない。とにかく勝手な兄秀吉のために日々苦労する秀長の愚痴を毎日毎日聞いてくれる妻でなければいけない。ついでに夫の浮気をいつも頭にきて、うったえにくる兄嫁の愚痴もいつも聞かねばならない。歴史上でも、堺屋太一の小説でも何にも出てこない女性ですから、ここはかなりフィクションになります。
 とんでもないトップと、無能な創業社員ばかりいるベンチャー企業をなんとかまとめていく、秀長を描いてほしい。そしてそれを一緒になって必死に支える秀長の妻も描いてほしい。それがだんだん、小企業から中企業となっていって、だんだん有能な社員も入ってくる。竹中半兵衛なんか、年も下なのに、入社すると、秀長より上席に座ってしまう。それでも秀長は黙って半兵衛を敬う。しかし、自宅へ帰ってきたときくらい、妻に愚痴を言っていただきたいですね。
 それとこのドラマでは、最初にかならず60年代後半から70年の、三派全学連と全共闘時代の闘争シーンを必ず入れてほしいな。そうすると必ず視聴率はかなりなものになります。
 とまあ、勝手なことばかり書きましたが、この大河ドラマはいいと思うのですね。この豊臣秀長こそ、必ず現代の私たちに訴えてくるかなりな存在感があると思うのです。私はなんとか「この人」のことを、なんらかの形で表に出してみたいのです。
 さて、あとまたいつかもう一度、また別な面から「この人」のことを書いてみたいと思います。本来なら、織豊政権の完成期に「この人」がたずさわったさまざまな経済、政治政策の実際を見てみたいなと考えているのです。(1993.04.13)



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2011年01月02日

宇野正美『一九九三年大恐慌が来る』

11010110書名  一九九三年大恐慌が来る
著者  宇野正美
発行所 学習研究社
定価  1,400円

 本のカバーにこうあります。

 経済大国、日本の株が下落し、
 借金大国アメリカの株が高騰を続ける。
 この不思議は何なのか。次に起こる衝撃は…………。
 大恐慌が演出されているといっても、まちがいないだろう。
 いわゆる権威ある人々は、自らの沽券にかかわるゆえに、
 「大恐慌が始まっている」とは言わない。

 いやはやこれが本当なら大変ですね。恐慌で一番困るのは私たち庶民ですから、これはちょっとどうなのだろうかと思いました。そしてこの恐慌が「演出されている」とはいったいどういうことでしょうか。
 まずこの本が出版されたのは、1992年6月です。著者は92年4月1日に公定歩合が4度目の引下げが行われたが、これは日本経済を立て直す上では、過去3回の公定歩合引下げ同様何の効果もないといっています。従来考えられた、公定歩合の引下げとか公共投資の積極策などは今回何の役にもたたない、役にたたないどころか、いっそう景気後退の局面に追いやるのは間違いないといいます。説明としては、小さな「バブル」ができては潰れ、できては潰れするからとのことです。
 なんにしても、事実として景気は後退を続けました。そして93年後半から94年初頭にかけて日米欧同時不況が起きるだろうとと著者はいうのです。それで問題はこうしたことが「演出されている」とはいかなることでしょうか。
 この不況の背景にあるのは、1985年のプラザ合意における「円高・ドル安」合意であるといい、このプラザ合意を演出したのは、国際主義者集団であるといいます。この集団がさらに日米欧同時不況を演出しているというのです。突如としてこんな集団名が出てきて、驚くわけですが、そもそもこの著書はここに焦点をあてて話が展開されています。

  国際主義者集団は、世界を一つにまとめようとしている。「世界は
 一つ」といえば、これまた聞こえがよい。しかし彼らは、世界を一つ
 にまとめたのち、一部の者が独裁的な力で世界を支配するという
 考え方である。    (「バブル経済はなぜ日本で作られたか」)

 この国際主義者集団が日本のバブル経済を作ってきたが、それを崩壊させたのは、ユダヤ系投資銀行であるという。国際主義者集団とシオニストユダヤは共同で世界支配を目指してきたが、「両雄並び立たず」で、この権力闘争の表れが、バブル崩壊であるといいます(もうホントかいな)。
 この両者の闘いが全世界で繰り広げられている、アメリカの大統領選もそうなのです。うん、すこしうなずけますね。このあいだの日米会談みていると、ユダヤ派クリントン対国際主義者集団宮沢という構図なんでしょうか。ブッシュも国際主義者集団だと、著者はいいます。

  では、国際主義者集団がめざすものは何か。端的にいえば、「地球
 全体主義」「世界共産化」である。よく耳にする「世界は一つ」とい
 うスローガンは、国際化と同じ意味である。
           (「アメリカ・ファースト」の意味は何か?)

 国際主義者集団とは、アメリカでいえばロックフェラーであり、戦前の日本でいえば近衛文麿です。おどろくべきことに、この集団がロシア革命を演出しました。ロックフェラーがレーニンやトロツキーに革命の資金を与えたといいます。
 この国際主義者集団とは、源泉が実はイスラエル人が昔バビロン捕囚のときに、バビロンの宗教の影響を受けた「カバラ」宗教徒だといいます(古い話だ)。

  イスラエル人は、バビロン捕囚を解かれて元の地に帰還するとき、
 「ユダヤ人」と呼ばれるようになった。彼らはユダヤ人こそが特別な
 存在であり、自分たち以外の人間は支配されるべき存在であるという
 解釈をするようになる。  (「創造主」を信じる者、信じない者)

 実にユダヤ人でもないのに、この「カバラ」宗教を受け入れたのがこの国際主義者集団だというのです。
 もうしかし、この集団の説明はどうでもいいでしょう。著者はこの集団とシオニストユダヤが共同で世界を支配しようとし、またいま対立しているというところをよく見てほしいという主張を繰返ししています。湾岸戦争のあとは、ブッシュはイスラエルの崩壊を狙いました。だからユダヤ系はクリントンを支持したのです(といいたいんだろうな)。
 この集団の意図していることをよく見ておかないと、怖ろしいことになる、事実世界支配のために世界大恐慌を起こそうとしているのだということでしょう。しかも、

  現在の日本の指導者は、そのほとんどが国際主義者集団に名を連ね
 ている。それゆえ、彼らを頼りにすることはできない。
                        (「おわりに」)

ということですが、まさしくここで、私はまたいうところです。まったくほんまかいな。そして、はっきりいえば、日本だろうが世界だろうが、政治的な指導者とやらが、何に属していようと、それはまったく今後の世界の進むべきこととは関係ありません。そのことを私は声を大にしていいたいと思います。
 ただ、この本で注目したのは、次のようなことでした。

  イスラエルはいま、二重構造になっていることが明確にわかる。政
 治家、企業化、軍の司令官たち、弁護士などのいわゆる高級職業につ
 いているのは、ほとんどがアシュケナジー・ユダヤ人である。それに
 対して、下層階級に属する貧しいユダヤ人がいる。これが実は、アブ
 ラハム、イサク、ヤコブの子孫である本物のユダヤ人である。
             (「宿命の対決───イスラエル対アラブ」)

この本物のユダヤ人をスファラディ・ユダヤ人といいます。
 ナチスが虐殺しようとしたのは、ユダヤ人がアーリア人(インド=ヨーロッパ語族)ではない、セム人だったからです。このセム人であるのは旧約聖書のとおり、スファラディ・ユダヤ人であるはずです。ではこの現在のアシュケナジー・ユダヤ人とは何か。結局、いわゆる西欧社会でいうユダヤ人とは、ほとんどがアシュケナジー・ユダヤ人であったと思います。マルクス、フロイト、ハイネ、トロツキー、アインシュタイン、等々みなこの非セム系ユダヤ人であると思います。

  アシュケナジー・ユダヤ人とは何者なのか。もともとは中央アジア
 にいたカザール人である。カザール人はいまから約一千五百年ほど前、
 現CIS(独立国家共同体)のカザフ共和国のあたりに王国をつくっ
 ていた。のちに二つの勢力がこの王国に圧力を加えた。そのひとつは
 ビザンチンのキリスト教であり、もうひとつはイスラムであった。
  カザール王国の指導者たちはどちらかに加担するのではなく、独立
 の道を歩めないかと思案した。そこでカザール人は、上は王から下は
 奴隷にいたるまで、国をあげてユダヤ教に改宗したのである。改宗し
 たばかりか、彼らは自らを「ユダヤ人」と名乗るようになった。した
 がって彼らはユダヤ人ではなく、ユダヤ教徒カザール人と呼ぶべきで
 ある。しかし彼らは、その事実をひた隠しにしている。
                (「湾岸戦争は仕組まれていた」)

 このことは、アーサー・ケストラー「第十三部族」(邦訳「ユダヤ人とは誰か」三交社刊)で述べられているとのことです。
 実は私は非セム系ユダヤ人のことを第3次中東戦争のときから調べようとして、文献を探してきました。またこの本も読んでいきたいと思っています。
 この非セム系ユダヤ人のことですが、これはかなり大事な事実だと思うのです。民族という概念はまさしく近代的なもののはずなのに、何故かかなり昔からなにか根拠のあるようなことをいいがちです。パレスチナの問題を説明するのに、「彼らはもう何千年と民族、宗教の違いで争ってきた」などと、したり顔で解説する馬鹿がいるのです。すなわち、日本人には到底理解できない次元なように思わせたいのでしょう。そんなのは全くの嘘です。ユダヤとアラブの争いが聖書の時代に起源があるわけではなく、当のシオニストユダヤ人は聖書のセム人ではなく起源が中央アジアにあるとしたら、問題はもっとすっきりします。パレスチナ問題を見るのなら、まだイギリスのやったバルフォア宣言をよく検討したほうが事実に突き当たれるはずです。
 ただすっきりはしても、これが現実にはまた難しいのは、イスラエルにおいてむしろ狂信的なシオニストになるのは、下層のセム系ユダヤ人スファラディ・ユダヤ人なのです。
 上のことを除いて、あとは私はこの本はただ呆れているばかりだったのですが、何とか評価もしてみようかなとも考えてみました。「国際主義者集団」というのは、結局「支配の学」をもってやろうとしている連中と考えると、たしかに日本の多くの、体制側、反体制側問わず大部分だなと思います。世界中でもそうなのでしょう。これはたしかに怖ろしいことです。しかし、私たち以上に彼らは、もっと苛立っているはずです。だって「支配の学」、ケインズだろうがマルクスだろうが、それらと自らの経験をもってきても、少しもこの世界を回せなくなっているからです。それがなんだかわからない。宮沢が「統計数字がおかしい」などと怒ったのがこれにあたります。ざまあみろ、もう君たちの動かせる世界じゃないんですよ。
 結局この宇野正美さんは、そこらのことがまるで分かっていない。逆に嫌な雰囲気のものに至ってしまっている感じです。

  国際主義者集団が仕組む世界大恐慌、世界共産化にしても、未来永
 劫にわたって続くものではない。かってのロシア革命も、ついにソ連
 崩壊となって終った。同じように世界共産体制も終りを遂げるときが
 やってくる。                 (「おわりに」)

 だから、宇野さん、もっと当りまえにいえばいいじゃない。「米の自由化はいけない、彼らの陰謀だ」とかね。(1993.04.26)



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2010年12月29日

カート・ヴォネガット『ビアフラ-裏切られた民衆』

10122901  現実のさまざまな情況の中で、その情況に対してなんらかの行動をとるべきではないのか、誰にでも迫ってくるような言い方があります。これはいつでもいろいろなところで感じてしまうことです。
  悲惨な民族紛争に対して、南の国々の絶望的な貧困に対して、私たちこそが何かをやるべきだというような言い方です。また日本の現状に対しても、「今こそ私たちが立ち上がらないといけないのだ」と声高に迫ってくる傾向がおおいにあります。これは実は戦前の日本でも戦後の日本でも、私たちの学生のときにもあったことであるわけです。私たちの世代も、そのように思い、激しい闘いの世界に飛び込んでいっていたわけです。
 だがあるときから、私はそうした考え方こそが間違えているのではないかということに気がつきました。
 そんな今私が到達した考えを象徴してくれる文章があります。

書 名 ヴォネガット、大いに語る
著 者 カート・ヴォネガット・ジュニア
訳 者 飛田茂雄
発行所 サンリオ文庫
  (ただし現在サンリオ文庫はありません。古書店か図書館ですね)

 カート・ヴォネガットは、現代アメリカを代表する作家といわれます。「プレイヤー・ピアノ」、「タイタンの妖女」、「ローズマリーさん、あなたに神のお恵みを」等々の作品がありますが、なんといっても、かれをベストセラー作家にしたのは、「猫のゆりかご」です。ただこの本は私には難解すぎて、友達にいろいろ解説してもらって、ようやく読み終えた記憶があります。 ところで、ここで紹介したいのは、上記の本です。しかもその中の186ページから208ページまでの「ビアフラ-裏切られた民衆」という短い一文です。
 ビアフラ共和国は1967.5.30ナイジェリアからの独立を宣言し、1970.1.17にナイジェリアから滅ぼされた、アフリカの歴史上註にしか書かれないような国です。「ビアフラ内戦」とか「ビアフラの悲劇」と新聞には書かれていました。
 ヴォネガットはこのビアフラが滅ぼされる最後の瞬間の少し前にビアフラへ訪れています。そしてビアフラがいかなる国だったのかを詳しく述べていてくれます。アフリカの歴史が書かれるとして、そしてこの時代のことが記されるときにも、おそらくはその文の中の欄外の「註」にしか「ビアフラ」という国は書かれないでしょう。そんな存在でしかなかったのですが、ヴォネガットはこの国を実に愛情を込めて説明しています。これほどの素晴らしい国をどうしてナイジェリアは滅ぼしてしまったのか、読んでいると悔しくなります。またそのナイジェリアを強力に軍事支援したソ連とイギリスに対しても、怒りがこみ上げてきます。
 しかし、ヴォネガットもそして私もビアフラのことを、その悲劇をもっと知ってくれなんて言いたいのではないのです。
 最後の記述のところ、書き出してみます。

  わたしは大急ぎでこの原稿を書き上げた。読み返してみると、ビア
 フラ国民の哀れさよりも偉大さについて語るという最初の約束を裏切っ
 てしまったようだ。わたしは子供たちの死を心の底から悲しんだ。わ
 たしはガソリンを浴びせられた婦人の話をした。
  国民としての偉大さについて言えば、死滅のときにあらゆる国民が
 偉大であり、神聖ですらあるという見方は、たぶん真実だろう。
  ビアフラ人は以前には一度も戦ったことがなかった。今回彼らは立
 派に戦った。もう二度戦うことはあるまい。
  彼らが古代マリンバで「フィンランディア」を演奏することは、も
 はや永遠にないだろう。
  平和。
  わたしの隣人たちは、もう遅いけれどもビアフラのためにできるこ
 とはなにかないか、あるいは、もっと前にビアフラのためにすべきで
 あったことはなにか、とたずねる。
  わたしは彼らに答える、「なにもないよ。それはかってもいまもナ
 イジェリアの国内問題だった。きみたちはただそれを嘆くことしかで
 きない」
  ある人々は、せめてもの償いとして、これからナイジェリア人を憎
 むべきだろうかと問う。
  わたしは答える、「そうは思わない」

 このヴォネガットの言葉こそ、現代のさまざまな情況にたいする答えになっていると私は思うのです。例えば、貧しいアフリカに毛布を送るなんてことより、この答えのほうがずっとまっとうな姿勢だと私は思うのです。
 もうひとつ引用します。私の知っているかぎり、これを読んだ友人はだれもここで涙がこぼれたり、こぼれそうになったといいます。もちろん私も。ただそれは、このところが、この一文を先の文章とはまた違う形で象徴しているからだとおもいます。

  わたしはビアフラのことで一度だけ泣いた。帰宅して三日目の午前
 二時。一分半ばかり、小さく吠えるようにグロテスクな声を発したの
 が、それだ。

 このときにビアフラはその姿を消しました。(1998.11.01)



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2010年12月28日

フィリップ・カー『屍肉』

 「………失業率がこのままうんと高くなれば、大喜びするのはマフィ
 アだ。今のペテルブルグの状況は、二〇年代のシカゴと実によく似て
 いる」にやっと笑って、「だとすると、エリオット・ネスがいなきゃ、
 話にならんだろうが」

10122418 エリオット・ネスたちFBIは「アンタッチャブル」と呼ばれたといいます。マフィアたちが、いくら買収しようとしても絶対に彼等はマフィアの協力者にはならなかったからです。現在のロシアも大恐慌時代のアメリカとまったく同じ事態に陥っています。同時にあの時代にエリオット・ネスたちがマフィア撲滅のために闘ったように、今のロシアにもマフィアと闘っている警察官たちがいます。
 その現代ロシアのサンクトペテルスブルグ(旧レニングラード)での刑事たちの活動を描いたのがこの小説です。これはイギリスBBS放送のテレビドラマの原作として作成されたとのことです。ロシアに長期取材し、かつ絶大な協力を得て、完成されました。現在はロシア語にも翻訳され、好評を得ているといいます。

書 名  屍肉
著 者  フィリップ・カー
訳 者  東江一紀
発行所  新潮文庫
平成6年11月1日発行

 社会主義ソビエトというどうしようもなく非人間的な国家が崩壊したと思ったら、現在のロシアは、経済がマヒし、20年代のアメリカとまったくそっくりなマフィアが横行するとんでもない無法社会になってしまいました。現在に限りなく近いほど、犯罪数は増え、国民にはまたスターリンのような強権をあこがれてしまう傾向も表われてきているようです。実際にロシア自由民主党ジリノフスキーの言っていることなど、スターリンを髣髴させます。テレビで見ているとこの政党の背景に元ソ連の国旗の赤旗がいくつも旗めいているのが映し出されています。
 たしかにこのままロシア社会が病んだままでいってしまうと、また異常な政治勢力が力を持ってしまうかもしれません。そうした傾向を防ぐためにも、現政権はマフィアとの闘いに勝利するために必死なのだと思います。
 主人公はモスクワ中央内務局調査部の中佐です。彼はサンクトペテルスブルグへ派遣されます。彼の任務はマフィア操作の最前線にいる刑事たちが、マフィアと癒着していないかを調査するためです。だが彼が実際に赴任してみると、この都市は20年代のアメリカシカゴと全く同じような犯罪都市になっており、またそれに対して闘っているイヴァゲーニー・グルーシコはじめとする刑事たちは、アンタチャブルを髣髴させるように倫理的に献身的に働いています。主人公も思わずみずからの任務よりも、グルーシコたちと一緒に犯罪組織と闘っていくほうに懸命になってしまいます。
 おりしも、ロシアの各さざまな問題点を雄々しく告発していた大物ジャーナリストが殺されます。一体誰が殺したのか。どのマフィア組織なのか。
 それにしても、もはや破綻してしまったのかのようなロシア経済下の生活が描かれています。エリオット・ネスであるグルーシコの家庭も描かれていきますが、もうネスの恰好良さなど保っていることはできません。ここまで描いてしまうことをよくまあ、ロシアの警察も許してくれたなと思いました。
 主人公の義理の兄がいいます。

 義兄「たとえ犯人を捕まえたとしても、マフィアを打ち負かすことは
   絶対できない。それは、わかってるんだろうね?」
 グルーシコ「なぜ、そんなことがいえるんです?」
 義兄「この国でちゃんと動いているのは、マフィアぐらいのものだか
   らさ」

 この小説を読んでいると、この兄の言葉に明確に反論できるのだろうかと思ってしまいます。実際のところはどうなのでしょうか。この小説に限っていえば、マフィアを打ち負かすことができるのは、グルーシコを始めとする刑事たちの人間としての倫理性のみなように思います。しかし実際には倫理で腹がふくれるのかどうか不安になってしまいます。 この小説を読んでまた思うのですが、いったいロシア革命というのは何だったのでしょうか。現在のロシアの姿はやはり1917年の革命から帰結されているように思えます。プーシキンの詩を読み、チェーホフの小説を読むと、次第に近代資本主義社会に向いつつあるロシアを思い浮かべます。ロシアも西欧と同じ普通の国だったはずなのです。ところが突然あの革命で時代は時間はあともどりしたように思えてきます。どうしてこんなことがおきてしまったのでしょうか。私にはソ連というのは人類史上最悪の国家だったように思っています。その国家が倒れたのはいいことなのです。だがおそらくは、もとの共産党員たちは数々の利権をそのまま握ったまま現在を過ごしていると思われます。やはり社会主義ソ連は、封建制の国だったのです。権力の側にいる悪代官たちが、すべての利権を握り、反抗する人民を強権で押えつけていたのです。いま時代がかわっても、その悪代官たちは裏の安全なところにひっこみ、マフィアたちが前面に出てきました。
 グルーシコはペレストロイカの最初から、共産党に対して異議を申し出たいわば勇気ある正義の人です。ロシアを愛しているし、不正を許しません。そしてパステルナークの詩句をこよなく愛している文芸人でもあります。そうした彼の姿を見ていると、なんとかロシアもどうにかまともになるだろうかと希望的に期待してしまいます。
 そうした彼等「正義の人々」がきっと報われるだろうことを信じていきたいと思います。ちょうど約100年前には、「正義の人々」は封建制帝制ロシアに対して爆裂弾を投げていました。いまはグルーシコのようにマフィアを始めとする不正と闘っているのです。(1998.11.01)



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2010年12月22日

樺美智子遺稿集「人しれず微笑まん」

10122207 きゅうに本日が6・15だったことを思い出しました。1960年(昭和35年)6月15日、国会南通用門を入ったところで、樺美智子さんが亡くなりました。警官隊の警棒による殴打で亡くなりました。以前なら「国家権力により虐殺された」と強く言うところでしょうが、それは事実としても、結局当時の国家も必死だったという気がして、今はもう何かただ樺美智子さんのことを静かに考えたいだけの思いがします。

 二人の人のこと思い出しました。私がある会社で人事募集のとき、当時私は33歳でしたが、私と同じ昭和23年の早生まれの人を面接したことがあります。彼は何と、もうその年で年金の受給資格がありました。彼は家庭環境のために中学1年生のときから、ある雑誌社の勤労少年とかいうので働いていたのです。昔(たいがい戦前)の新聞記者のドラマなんかみると、新聞社に「少年」とかよばれて雑用している少年がいるものですが、目の前にそんな人が本当に現れるとは、かなり驚きました。彼も私が同じ年だというのに驚いたようでしたが、私はやはりきいてみたのです。60年のときはどうされたんですかって。やはり彼は国会が近い雑誌社でしたから、覚えてはいましたが、中学1年生のことで、そんな現場へいくのは止められたようでした。
 それとまた私より12、3歳上の上司とこの60年のことを話したことがあります。彼と私は非常に悲惨なのんべでよくしつこく飲んだものですが、そのあるとききゅうにこの6・15のこと訊ねました。彼はちょうど就職したばかりで、まったく60年安保のことなんか関心なく、あの日は野球を見ていたといっていました。「たかが、女子学生が死んだからってなんだっていうの」。……私はこの言葉に激しく抗議し、怒り泣き、飲み屋全体を白けた雰囲気にまでしました。
 東大生の樺美智子さんは国会へ行きました。私はあのころ、小学6年でテレビでしかあの闘争を知りません。中学1年で働いていた彼もいれば、私のかっての上司のようにまったく無関心な若者もいたわけです。
 私含めてあの日はみんなそれぞれいろいろなことをやっていたんだなと思います。そして今になると、やはりそれだからこそいいんだなと思えるようになってきたのです。

書名  人しれず微笑まん-樺美智子遺稿集-
編者  樺光子
発行所 三一書房

 樺美智子さんのこと思い出すと、私はまったくお会いしたことのない方ながら、写真の顔とか、いくつかの文とか、彼女のこと書いた文とかを思い浮かべてしまい、なんだか涙が出てきます。

  私先生が大好きです。いつも白いブラウスに薄青い水玉のスカート、清
 潔そのものの先生、私にはかしこくてやさしくて親切な、いいお姉さんの
 ようだったのです。そしてお笑いになる時、口びるをへの字にして笑う先
 生、私は、あなたの名前をラジオで聞いた時、はっとしました。もしかし
 たら、もしかしたら、いやちがう、ああ樺先生ではありませんように。で
 もそれもむなしく、やはりそうでした。あなたでした。先生でした。今も
 今も、私は先生が半そでの白いブラウスに水玉のスカートをはいているよ
 うな気がいたします。先生におそわったのは、ついついこの前のような気
 がいたします。いえ、私だけではありません。みなそうなのです。おもい
 がけない信じられない気持なのです。もの静かで美しいあなたが、全学連
 の人であったとはだれが考えられたでしょう。
 (樺美智子さんが教育実習をしたところの中学生が16日に書いた手紙)

 樺美智子さんはまさしく全学連を主導するブント(共産主義者同盟)を作った一員でした。彼女のような普通の優しい若者が作ったのがブントであり、あの60年安保闘争であったのでしょう。
 私たちの時代にはもはや国会へ出掛けるという形の闘争は無くなってしました(一部あるにはありましたが)。それはやはりこの60年安保闘争が大きかったと思います。もはや終焉してしまった擬制などに何のこだわりも感じなかったものです。

 擬制の終焉
 安保闘争は奇妙なたたかいであった。戦後一五年目に擬制はそこで終焉した。それにもかかわらず、真制は前衛運動から市民思想、労働運動のなかにまだ未成熟なままでたたかわれた。いま、わたしたちは、はげしい過渡期、はげしい混乱期、はげしい対立期にあしをふみこんでいる。そして情況は奇妙にみえる。終焉した擬制は、まるで無傷でもあるかのように膨張し、未来についてバラ色にかたっている。いや、バラ色にしか語りえなくなっている。安保過程を無傷でとおることによって、じっさいはすでに死滅し、死滅しているがゆえに、バラ色にしかかたりえないのだ。情況のしづかなしかし確実な転退に対応することができるか否かは、じつに真制の前衛、インテリゲンチャ、労働者、市民の運動の成長度にかかっている。
「擬制の終焉」1960.9「民主主義の神話」現代思潮社に掲載 「擬制の終焉」1962.6現代思潮社に収録された

 終焉した擬制はだがしかし、いまも私たちの前で踊り続けている。いったいあれは何なのだろうか。だからまだ言い続けなければならない。死滅した擬制の葬送の歌を唄え、死体である擬制の死水を取れ。(「周の吉本隆明鈔集」より

 樺美智子さんたちの闘いも私たちの闘いも、どうしても「今闘わなければいけないのだ」という闘いではなかったと思います。すくなくとも私はそう主張はしませんでした。デモの現場にいたものも、そこへ行かなかったものも、まったく無関心なものもそれはそれで同じ意味があるのだと考えています。この点を誤って認識するときに、その考え方は、死滅した「擬制」の側にいってしまうのです。

  「最後に」
  誰かが私を笑っている
  こっちでも向こうでも
  私を笑っている
  でもかまわないさ
  私は自分の道を行く

  笑っている連中もやはり
  各々の道を行くだろう
  よく云うじゃないか
  「最後に笑うものが
  最も笑うものだ」と

  でも私は
  いつまでも笑わないだろう
  いつまでも笑えないだろう
  それでいいのだ

  ただ許されるものなら
  最後に
  人知れず ほほえみたいものだ
         (1956年)

 樺美智子さんのことを考えるとき、涙が出るのと同時に、樺さんがいやブントのたくさんの若者たちが、かなりな思想的地点にまで至っていたように思えてしまいます。もちろんその後後退に後退してしまう傾向や思考もあったわけなのですが(私たちの中にも)。

  未来の親鸞
 人間はほんとに他人にたいして尽くすとか救済するとかいうことに関与するとしたら、ひとたび浄土へ往ってその浄土からひき還してきて、大いなる慈悲心でもって救済をかんがえるべきだ。もしじぶんができないで、浄土へゆくまでの過程で救済をかんがえたりすると、しばしば自己欺瞞に陥りますよ、と親鸞はいっています。
「未来の親鸞」1989.6.7東京北区青少年サミット主催「機工街に て親鸞を語る」による講演於昭和街区民センター 「未来の親鸞-> 解体論」1990.10春秋社に収録された

 もっともっと世の中のたくさんの人が、この世のことを真剣に考えていったらいいのだとは親鸞は言わないのだ。こうした自己欺瞞をひきおこしている思想がなんと蔓延していることだろうか。現在そしてこれからの世界は、往きと還りを同時に考えなければ解けない時代になっているという。そこに未来にも生きる親鸞の思想がある。(「周の吉本隆明鈔集」より)

 こうして樺さんの日にさまざま思い出してみました。(1993.06.15)



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2009年10月06日

周の雑読備忘録「廣川州伸『週末作家入門』」へ著者からのコメント

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 周の雑読備忘録「廣川州伸『週末作家入門』」へ、その廣川州伸さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by 廣川州伸   2009年10月04日 22:11
週末作家入門、読んでいただき、感謝いたします。
どこか一点でも、参考にしていただけたところがあったとは、書き手冥利につきるお言葉。
ありがとうございました。ぜひ、いつかご自分でも、週末作家をしてみてください。

 わざわざご丁寧にありがとうございます。私が次のように書きましたように、このことを特に思いましたものです。

 とくに、第五章の「自分でできるプロモーション」は読んでいまして、実に感動しました。思えば、私の友人で自分の本を出してみてから、こういうふうにプロモーションで汗を流した人はいるのかなあ。

 だから、こうして廣川さんが書いてくれたことは、実にいい内容で嬉しかったことです。ただ私なんかは、所詮たいしたことは何も書いていないですからね。そのことが、実に私のだらしのないところです。
 でもとにかく、嬉しいコメントをありがとうございました。

続きを読む

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2009年09月26日

周の雑読備忘録「AI WEIWEWI ARCHITECTURA WORS 1999-2009」

09092610 六本木の森美術館のアイ・ウェイウェイ氏の作品 に書き始め、そしてその後では私のこのブログに引き続き画像を載せて行きました。氏の作品を掲載した書籍がありました。私は美術展に行きますと、そのカタログなり書籍を買います。自分であとで熱心に読まないと、目でみた作品がよく理解できないからです。
 あ、映画でも必ず解説のカタログを買っていますよ。
 それにこのときも会場では、解説してくれるマイクも手に持って耳にあてて各作品の前で聴いていました。その解説を聴きながら、そしてあとでカタログや本を読んでようやく少しはその作品が理解できるのです。

書 名 AI WEIWEWI ARCHITECTURA WORS 1999-2009
執 筆 Ai Weiwei
    Fake Design
    佐々木瞳(森美術館)
日本語翻訳 木下哲夫
制 作 森美術館/淡交社
定 価 2,667円+税
読了日 2009年9月26日

 この9月14日に森美術館で見たアイ・ウェイウェイ氏の作品は圧倒的な迫力でした。その自分の身で感じた迫力が何なのか、私はこのカタログ解説本を必死に眺め、読んでみました。
 私は中国は好きですし、とくに数々の漢詩を読んで、そして詩吟で詠うのが好きです。でもでもどうしても今の中国は嫌悪感を持っていまいます。中国共産党が嫌なんですね。
 ただ、このアイ・ウェイウェイ氏の作品を見て触れてみて、やはりあの大地とそこに活きる人たちへの感動を覚えました。やっぱり中国は私の好きなところです。

 あ、それから余計なことです。私はこの本の表紙を見て、「あ、ラッシャー木村だ」と声をあげてしまいました。私の一番好きだった国際プロレスのラッシャー木村の顔姿に、この本の表紙のアイ・ウェイウェイ氏はよく似ているのです(ここにその画像を掲げました)。

 もう私はそればかり考えていました。しょうがない私ですね。



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2009年08月07日

周の雑読備忘録「水口健次『“売る力を”を2倍にする「戦略ガイド」』」

“売る力”を2倍にする「戦略ガイド」 (日経ビジネス人文庫)
“売る力”を2倍にする「戦略ガイド」 (日経ビジネス人文庫)
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 この著者は、1932年生まれというから、私よりも9歳上の方ですね。それを知って、少し嬉しくなりました。いえ、このごろは、私の手にします、こういう本がみな若い方が多いのですね。
 そしてこの本を読みましたのは、もう7月の最初の10日でした。すぐ読み終わったのを覚えています。でも、そのときはけっこう感激していて、でも今になってまた本を開きました。こうして読んだ記録を書くために、また本を開くことはいいことです。
 ただし、この方は2008年10月29日に76歳で亡くなられていますね。なんとなく、本を読んでいて、でもこのブログになにか書いておこうと思いまして、再び本を手にして、それで彼の死を知ったものでした。まずは合掌しました。

書 名 “売る力を”を2倍にする「戦略ガイド」
著 者 水口健次
発行所 日経ビジネス文庫
定 価 619円+税
発行日 2002年6月1日第1刷発行
読了日 2009年7月10日

 以下扉にある著者紹介と目次を抜き出します。

著者紹介
水口健次(みずぐち・けんじ)
戦略デザイン研究所代表取締役。NPO・MCEI東京支部理事長。1932年生まれ。57年立命館大学法学部卒。日本マーケティング研究所の設立に参加。89年戦略デザイン研究所を設立し現在に至る。企業、特にメーカーの課題解決、戦略構築に取り組み、82年には、日本能率協会のマーケティング功労賞を受賞。著書に『マーケティング戦略の実際』『顧客接点のマーケティング』『営業戦略大修正』など多数。

目次
機.沺璽吋謄ングは一つではない!
 1 消費者は二重の進化を続ける
 2 エージング・ブーマーが消費リーダーだ
 3 酒は食品になる
 4 ブランドが見えない市場にブランドはある
 5 需要はねじれる───ものごとの「連鎖」を考えよう
 6 マーケティングは二つある───知識と実践の関係
 7 4Pマーケティングは古すぎる
 8 商品が売れるしくみの関係者は五人
供|粒个気譴覆ぅ法璽困砲匹β弍するか
 9 リサーチを強化しても売り上げは増えない
 10 顧客は、自分の欲しいものを知らない
 11 品種の需要はなくなる───「ビールが飲みたい」とは、思わない時代
 12 顧客は、モノはいらない、思い出が欲しい
 13 二つの新製品───八割は「新製品」ではない
 14 ナンバーワン商品の価値───「特別」だからなれる
 15 新製品を増やす会社は弱くなる
 16 ヒット商品を出した会社がダメになりやすい
掘’知しただけで顧客が買うとは限らない
 17 商品と会社の外にブランドはある
 18 認知したからといって買うほど、顧客は甘くない
 19 最後の説得は店頭で行われる
 20 日本の駅は、大都市の活力ある人間のためのメディアだ
 21 店は減り、接点は増える───専門かと専門店の減少
 22 意欲店の条件───いわゆる「生き残りの条件」
 23 伸びる接点で伸ばす───業種や業界は言い訳にならない
 24 ワンストップ・ショッピングの嘘
 25 日本の小売構造は世界の例外と認識する
検|傭覆世韻両γ未鬚垢襪!
 26 商品力も集客力も売り上げをつくらない
 27 値段だけの商談をするな
 28 メーカーセールスは小売りの下働きではない
 29 立場がちがえば課題もちがう
 30 ダイヤモンド・フォーメーション───本当の商談をしよう
 31 営業がつくる価値がある
后\鑪は、四つのステップでつくる
 32 「一つの正しい戦略」などはない
 33 戦略の戦略らしさを決める五つのキーワード
 34 四つのステップで戦略をつくる
 35 重点課題は三つ以内に絞りこむ
 36 全体と平均を捨てる
 37 普通名詞を捨てなければ、的確な戦略は立てられない
 38 売るときにも「なぜ」を五回いう
 39 手段と活動、もう一歩のツメが成功を呼ぶ
此‥験されてはじめて戦略
 40 挑戦するからこそ生まれるチャンスはすばらしい
 41 エリア・マーケティングを超えなければならない
 42 専任チームでいこう───「内弁慶の営業部」を脱する
 43 安売りを超える魅力に勝機がある
 44 展開されてはじめて価値がある
 45 許せないマネージャー
 46 まだまだ許せないマネージャー
 47 ブラックホール・ミドルが会社を徘徊している
察ゞ者の法則
 48 強者の基本法則───強者は必ず弱くなる
 49 例外の強者の法則───前より強くなる強者がいる
 50 時流の強者の法則───名もない企業が強くなる五つも用件
 51 V字回復の戦略
 52 いまこそビジネスの越境と越権が必要だ
 53 ホモサピエンスの可能性

 54 朝は夜より賢い───あとがきに代えて

 実は最初に書きましたように、もう1カ月ほど前に読んだこの本を、今こうして目次を書き抜くために開きまして、それでまた読んでけっこう感激しています。
 以下は「54 朝は夜より賢い───あとがきに代えて」の中の最後のことばです。

 疲れたら寝る。寝て起きる。
 あんまり疲れると、悩みすぎると、眠れなくなりますが、そういうときは、こう考えるよういします。「眠れない夜があったんだから、眠れる夜が来るにちがいない」と。そういう苦闘の結果、ある困難を乗り越えることができたとします。うれしいです。ぐっすり眠れます。そして、時々、何時に起きてもいい朝がある───このゼ
イタク。タマリマセン。ありがたいです。すばらしいです。
 夜は朝より賢いんです。

 この著者はいいです。やっぱり私は好きになれました。ただし、私は眠れない夜なんかありません。いつもすぐに眠ってしまっています。
 あ、この著者の本をいつも持っているようにしようかなあ。



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2009年08月05日

周の雑読備忘録「山崎拓巳『やる気のスイッチ!』」

やる気のスイッチ!
やる気のスイッチ!
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書 名 やる気のスイッチ!
    SWITCH OF SPIRIT
著 者 山崎拓巳
発行所 サンクチュアリ出版
定 価 1,400円+税
発行日 2008年12月10日初版発行
読了日 2009年8月4日

 昨日読み終わっていた本です。

扉にあった略歴は以下です。

著者略歴
山崎拓巳Takumi Yamazaki
1965年三重県生まれ。広島大学教育学部中退。22歳で「有限会社たく」を設立し、現在は3社を運営。「凄いことはアッサリ起きる」―夢―実現プロデューサーとして、リーダーシップ論、コミュニケーション術、仕事術、メンタル/タイムマネジメントほか多彩なテーマで年間約200件の講演、セミナーを実施。現在までに延べ150万人以上にスピーチを行なう。

代表著作に『人生のプロジェクト』『五つ星のお付き合い』『気くばりのツボ』(サンクチュアリ出版)ほか、現在までに執筆した書籍は13冊、累計部数は65万部を超え、日本のみならず、香港、台湾、韓国ほか、海外でも広く出版されている。

山崎拓巳オフィシャルサイト http://www.taku.gr.jp/
Taku's Blog + +       http://www.taku-blog.jp
スゴコト(山崎拓巳携帯サイト)http://sugokoto.com/

 以下が目次です。ただし、この目次のページがどこにあるのか探すのに、最初手間取りました。

INDEX
01 自分で選んでいること
02 心のスクリーン
03 夢は過去完了形
04 合意上の現実
05 心のチャンネル
06 モヤモヤノート
07 スリープ状態
08 記憶の編集
09 妄想日記
10 無意識の検索
11 ホメオスタシス
12 ひたすら反復
13 セルフイメージ
14 セルフイメージ2
15 ほめる効果
16 おまじないの言葉
17 悩み相談
18 やる気の目
19 欲求の段階
20 やる気の正体
21 大仕事を片付ける魔法
22 出かけるのが面倒なとき
23 ひとり会議
24 メンタルブロック
25 言葉の力
26 本当にやりたいこと
27 落ち着け!
28 うまくいき続けるということ
29 スランプになる前
30 スランプになった後
31 めげない目標
32 アンティークとボロ
33 嫌いな人
34 最後のスイッチ

 最初の表紙の一番上に、以下のようにあります。

昨日のやる気を、今日出せない人へ。

 なろほどな、でも私は昨日はやる気になっていたかなあ、なんて思い出しても、よく判らないのですね。「今日はどうなのかなあ?」なんて思ってみても、よく判らないというところです。
 ただ、こうしてパソコンの画面に向かうと、いろんなことを思い出します。「ああ、昨日の自分は、こうだった」なんていうふうにです。そして、ポメラを開いてもそうなのですね。思えば、ケータイ開いても同じです。だから、もう昔とはかなり違うのですね。

 私は昔も今もかなり手紙を出しています。でも手書きの手紙とは違って、パソコン他のディズプレイですと、いつも書いたことをあとからすぐに訂正加筆しています。これは実に大きなことですね。もちろん、昔も訂正はしていましたが、大きな訂正加筆となると、また別に書いていたものでした。これは私には実に大きなことです。
 そして逆に、パソコンではない手書きでは、私は何もかも書けなくなってしまっています。だから役所等々で、一見簡単に思える用紙を書くのに私はものすごい苦労をしています。家にその用紙を持って帰っていいときは、必ず書く内容を間違えるので、用紙を必ず数枚もらってきます。そして実際に提出するものにも、訂正印が必ずあります。
 思えば、昔の私は今いても、何にもできないですね。普通にパソコン他が存在してとても良かったと思っているところです。

 だから、この山崎拓巳の書かれていることでも、私には、「やる気」という問題ではなく、使う道具、手にする道具のことも実に大きな問題に思えるのですね。いえ、私は間違いなくそうなのです。



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