あさが来た

2012年10月21日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(157)

1210210612102107 これで新的矢六兵衛が現れます。だが彼は自分が的矢六兵衛であるとしか答えません。

 しばらく睨み据えたあとで、わしはとうとう辛抱たまらずに言うた。
「おぬしは誰じゃ」
 居ずまいよくかしこまり、男はわしの胸のあたりに目を留めたまま唇だけで答えた。
「的矢六兵衛にござる」
「他(はた)をないがしろにするのもたいがいにせよ。今一度訊ぬる。おぬしは誰じゃ」
「的矢六兵衛にござる」
 地の底から湧いて出るような、低い声であった。ほかには一言も、ウンもスンもないのじゃ。12102102

 これでこのままですと、私たちにもこの新的矢六兵衛も解明できません。最後に餅が出てきて、それが好きな伊左衛門は新的矢六兵衛を質せないのでしょうか。
 でも明日には少しは何かがわかるのではないかと私は期待しています。

 私はこの「黒書院の六兵衛」を読みながら、しきりに12102103夏目漱石を思い出しています。もう随分前からそうなのです。
 漱石は偉大な作家であり、私には数々の作品にとても魅力を感じています。その魅力をこの浅田次郎にも深く感じてしまうのです。



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2012年10月29日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(165)

1210290512102906 以下から始まります。

 三人は帝鑑の間に上がった。

  秋山伊左衛門が立ち、そのすぐ後には加倉井隼人、福地源一郎が座っているのです。そしてその前には新的矢六兵衛がこの挿絵のように控えています。

 ・・・隼人の目には、四十畳の青畳がやおらささくれ立って、藁筵(わらむしろ)のごとく荒れていくように映り始めた。

 無理もないなあと思います。なにしろ加倉井隼人には、これがこの「上意」が本来なら上意とはいえないものであることは充分に分かっているのです。
 また明日が実に待ち遠しいです。
12102814 これは実にいい、感動する小説です。「こんなこと、あのときにあるわけないじゃないか」というのはたやすいことです。でもあのときには、こうしたことが現実にあったと思わせてくれる小説なのです。



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2012年10月30日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(166)

1210300612103007 かくして、知恵を絞った「最後の一手」は敗れた。

 私もうまく行くと思っていましたが、そうはならなかったのです。少し悔しい思いです。私は加倉井隼人と同じ気持になっているのです。
 でも勝安房の言葉には、納得してしまうのです。彼の言う通りです。私もこの勝さんの言葉をかみ締めなければならないのです。
 歴史の上でも勝海舟は逃げなかったのです。明治期に彼は「何もたいしたことをやっていない」とか、「彼の漢詩は一つもいいものがない」と私はいいますが、それは私が何も分かっていないからです。
 このあとどうなるのかなあ。でも私も新的矢六兵衛の気持をいっぱい思い浮12103001かべようとしています。「やはり分からないな」という思いで自分のふがいなさを感じています。
 誰も怪我人がでないように、六兵衛を銃で殺せばいいのじゃないかとまで考えました。これは隼人と同じでしょう。
 ああ、どうなるのでしょうか。



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2012年10月31日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(167)

1210310112103102 またこうして「黒書院の六兵衛」を読みます。

 隼人はしばらく悄然と肩を落として座っている。

 これは実に分かります。

 すっかり力が抜けてしもうて、立ち上がることすらままならぬ。このような姿を人にみられてはあんらぬと胸を張るそばから、どこかが破れてでもいるかのようにまたすぼんでゆく。12103004

 この状態で隼人が見るのが、この挿絵の雀です。この雀を見て、

 ・・・、隼人は心底羨(うらや)んだ。

 この隼人の思いがつづられます。残るは、西郷隆盛という総大将だけです。隼人はまだ見ていないこの隆盛を思います。
 その思いを読んでいくと、後年「何で、あのような『西12103005南戦争』になってしまったのかな」と思います。私は小六の6月末から高一の6月末まで鹿児島に居ました。そこでもうこの西郷南洲のことは嫌というほど聞きました。私も今も大久保利通のことは好きになれません。それはこの南洲への思いが私にもあるからです。



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2012年11月01日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(168)

1211010112110102 熟々慮(つらつらおもんばか)ったあげく、加倉井隼人はついに決心した。
 西郷の真意に思い至ったのである。・・・・・・。

 この隼人の決心は、官軍側すべてだったろろうし、旧幕府側もそうだったのでしょう。そうなると彰義隊なんて何だったのかな。わからずやだったとしか思えません(いやもちろん、私には違う思いもあります)。
 でも今も帝鑑の間に座り続ける新的矢六兵衛の思いは何なのでしょうか。
12103107 この隼人は官軍とは言っても、尾張藩の男なのです。この隼人の今の心情がつづられていきます。
 もう天皇が入城されるのも、迫っているのです。でも六兵衛はそのまま座り続けなのです。



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2012年11月02日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(169)

1211020112110202  加倉井隼人が新的矢六兵衛に直接面談します。六兵衛が腰のさしている脇差を預かろうということなのです。六兵衛はどうするのでしょうか。

 隼人の脇差は一寸五寸八分の定寸である。腰に差したままでは鞘尻が畳に当たるゆえ、座る際にはむろんかたわらに置く。しかし六兵衛は小脇差の柄を下腹に抱えるように差していた。

12110106 この脇差を預かろうというのです。もう実に怖い瞬間です。さてどうするのでしょうか。いや六兵衛はどうするのでしょうか。
 もう勅使が来るのが明後日なのです。その前に、この六兵衛の脇差を預からないとならないのです。六兵衛は素直に従うのでしょうか。



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2012年11月03日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(170)

1211030112110302  ところが六兵衛は、斬りかかるどころか、脇差を神妙な面持ちで差し出したのである。

 これには私も驚いてしまいます。いや「結局は脇差を差し出すだろうな」とは思っていたのですが、こんなに素直にすぐにとは思いませんでした。そして以下のように座るのです。

 六兵衛は頭がよい。打てば響く。隼人の意を汲んで、「帝鑑の間の勤番士」に見えるよう四十畳の座敷の隅に居場所を定めたのである。

12110208 城中の黒衣(くろこ)たる茶坊主が、一番動き回ります。彼らには意思がないかのようです。思えば、明治維新でこれらの人はどうなったのでしょうか。武士社会の嫌な面、汚れた面をいつも隠し通してきたのでしょうね。いくつも小説の中で読んだことがあります。



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2012年11月04日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(171)

1211040112110402 読んでいてどうしてか涙が溢れる思いです。

 六兵衛がおもむろに顔を向けた。厳しく武張ってた面構えだが、心なしか悲しげに見える。

 最後にこうあります。

 言うだけのことを言うて、隼人は帝鑑の間を後にした。おのれのできることはこれまでである。

 これで勅使を迎えることができるのですね。
 私もこの隼人がいうように、勝安房をものすごく見直しました。私はいくつもの漢詩も全然よくないし、米国へ行った咸臨丸の中では船酔いで横になっていたばかりだし、狭い家に、妻と妾を同居させる(世界でこ12110308んな例はありません。私知りません)というとんでもない男だし、妻が「今度生まれることがあるのなら、けっしてこの勝とは会いませんように」と言ったという、それらみんな思い出しても、この隼人の言うことはもう充分に納得しました。



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2012年11月05日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(172)

1211050612110507  新的矢六兵衛から預かった脇差を預ける御腰物部屋に隼人は行きます。そこには刀が収めてあるのです。そこで六兵衛の刀と脇差は一対になります。

 大小を並べてみれば、いよいよみごとな拵(こしら)えである。黒蝋色(くろろいろ)の漆は若く、傷みもない。だとするとこれはやはり、株を買うて俄か旗本となったあの六兵衛が、新調したものだと見るべきであろう。

 それで刀を直接見て確かめます。

「何と鑑(み)る」
 隼人が訊ぬれば、目利きの老役はにべもなく答えた。
「肥前の忠吉。それもこの鉄色(かねいろ)から察するに、後代ではござるまい。いやはや、畏れ入った」12110414

 思えば、江戸時代というのは、実際の武器としても刀というよりも、美術品といったように刀を見られるようになったのでしょうね。
 もう武器としての刀の時代は、もうはるかな昔に終わっていたのです。



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2012年11月06日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(173)

1211060712110608 この刀を預かる老役の目はこうした名刀に関しては、たいしたもののようです。隼人が思います。

 あの侍は旗本の株を買うたばかりか、金銭では購えぬ名刀の大小を手に入れ、のみならず殿中勤仕のために脇差を磨り上げるのだ。
 心までがすっかり翳ってしもうた。「的矢六兵衛」と書かれた付箋を紙縒で脇差の鍔に留めながら、隼人はのしかかる闇に肩をすくませた。

 うーん、この新的矢六兵衛はいったい何者なのでしょう。私は刀、日本刀って何の興味もありません。だがこの日本刀に驚くほど詳しく、そして驚くほど執着する方にお会いしたことがあります。12110604今が現代が日本刀、新刀が作られる最盛期のときのようです。もはや、日本刀は武器ではなく、高価(現実に売買されるときは驚くほど安くなる)な美術品のようです。
 この新的矢六兵衛は一体どんな侍なのだろうか。



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2012年11月07日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(174)

1211070612110707 いよいよ大舞台だなと思います。勅使が江戸城に来るわけですが、その勅使、貴族よりもこの一行には西郷隆盛がいるのです。いわば彼が、三つの街道から江戸に来る官軍の総大将といっていいのです。

 知らぬ顔ばかりだが、西郷だけはひとめでそうとわかった。噂どおりの六尺豊かな巨漢で、容貌も魁偉である。12110612

 その西郷さんが加倉井隼人にいうのです。

「ヤアカクライサア、コノタビャーゴナンギサアナコテ」
 わからぬ。だがその表情から察するに、「やあ加倉井さん、このたびは御苦労様」とでもいうのであろう。

 なんだか、この時を思います。この小説はあくまで創作であり、加倉井隼人もそもそもの新的矢六兵衛も、旧的矢六兵衛も創作であるわけですが、12110613でもこのシーンは実際に在った出来事のように感じてしまいます。
 さて、これから的矢六兵衛はどうなるのでしょうか。どうするのでしょうか。



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2012年11月08日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(175)

1211080112110802 この挿絵の西郷隆盛(私はサイゴウリュウセイと読みました。もっとも私は「西郷さん」と親しみを込めて読んでしまいます)です。実にまだ若い西郷さんが見てとれます。昔鹿児島の城山の上の販売店にいた方もそっくりのお顔をしていたものです。なんでも西郷さんの関係の方だと聞きました。私が小学6年のときですが。
 それにこれを通訳してしまう福地源一郎もいいです。彼は薩摩弁だけではなく西郷隆盛の言葉が分かり通訳していまうのです。

 隼人は感動した。言葉が十分に通じなくても、二人の心はひとつだったのである。西郷は倒幕の兵をおしとどめ、勝安房は抗戦の声を慰撫して、どうにか無血開城を実現した。

 やっぱり、この二人はすごいものですね。改めて私は勝安房を見直しています。漢詩がまともじゃないなんて、実に私は分かっていないだけなのです。

 西郷が笑えば、まわりもみな笑う。

12110712 やっぱり、「西郷さんって、こんな人だったののだろうな。勝も優れた人だったのだ」私は吉本(吉本隆明)さんをまた思います。吉本隆明さんは、勝を決して、貶しているだけではないのだ。実に彼の優れたところ(以下です。『ただ、青年時代に訳詩「思ひやつれし君」ひとつをのこしている』)を見ている吉本隆明さんを思います。



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2012年11月09日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(176)

1211090112110902  加倉井隼人は驚いてしまいます。

 ・・・、西郷が居眠りを始めたのには驚いた。巨眼を瞑って聞き入っているかと思う間に、ゆらゆらと舟をこぎ始めたのである。

12110813 うーん、また「西郷さんって、こんな人なんだろうな」と思ってしまいます。でもこうした思いが正しいのかは分かりません。
「司馬遼太郎『跳ぶが如く』第七巻「風を結ぶ」の章」の次を思い出しました。西南戦争で西郷軍に加わった豊前中津隊の隊長である増田栄太郎が言った言葉です。

吾、此処(ここ)に来り、始めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず。親愛日に加わり、去るべくもあらず。今は、善も悪も死生を共にせんのみ。

 西郷という人をよくとらえている、よく表している言葉だと思うのですね。
12110814 ただし、この小説ではどうなのでしょうか。

 西郷はよろめきながら立ち上がった。ところが大広間を出しなに、平伏する隼人の前で立ち止まり、怖いことを言うたのである。

 さて、これで私も怖くなりました。六兵衛のことを言うのかな。



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2012年11月10日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(177)

1211100112111002  昨日は、私は「これで私も怖くなりました。六兵衛のことを言うのかな」なんて言っていました。そうじゃないです。まだ帝鑑の間には西郷さんは行っていないのです。怖い、これは怖いです。あの新的矢六兵衛が西郷さんに何かしようとしたら、大変です。あ、だから脇差も加倉井隼人がみな取り上げているのだ。
 でも西郷さんに何か言うだけで怖いことです。でもでも、私はそういうことにはならないのじゃないかな、と思いました。。私は西郷さんも好きですし、加倉井隼人も福地源次郎も、そして何故かこの「黒書院の六兵衛」である的矢六兵衛も今では好きになってしまったのです。
 そして、うまくつつがなく終わるのじゃないか。ずるい言い12110906方ですが、事実歴史はうまく行ったのですから。うまく終わったのですから。

 通訳を聞き終える間もなく、襖が開かれた。

 また明日も待ち遠しいです。でも私の希望通りうまく行ってほしいです。



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2012年11月11日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(178)

1211110112111102  帝鑑の間に西郷さんが行くのです。そこには当然新的矢六兵衛がそのまま座っているのです。福地源次郎もなんとか早く西郷さんがこの場を去ることばかり考えています。でもやはり西郷さんの目は六兵衛に据えられます。

「オマンサー、ダイヤッドガ」

 でも当然(当然と私も言ってしまいます)、六兵衛は無言です。12111006

 たしかに大器量だと隼人は思うた。相手がわけありと察すれば腹を立てずに忖度しようとする。たいそうな侍ぶりはひとかどの御旗本でござろう。拙者は薩摩の西郷と申す、お名乗り下されよ、と。

 やっぱり六兵衛には答えてほしいです。そして少しは自分の今の存在のわけを語ってほしいのです。



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2012年11月13日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(179)

1211130112111302 この新的矢六兵衛は何を考えているのでしょうか。

 六兵衛は答えなかった。広敷の隅に堂々と座っていて、遠く西郷の膝のあたりをじっと見つめ続けるばかりである。

 しかし、皮肉なことに次のように思えるのです。

 ・・・。たしかに勅使一行を迎えた旧幕臣たちは、みな尻尾を巻いて這いつくばっていた。武士としての正しい所作を弁えているのは、皮肉なことに六兵衛だけなのかもしれぬ。12111205

 この頃の西郷さんはこの小説で描かれているようだったのかなあ。西南戦争では何故か違ってきたような思いがします。
 でもこのときは、官軍の総大将なのです。



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2012年11月14日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(180)

1211140112111402 この作品では15代将軍への幕臣たちの気持がそのまま書いてあります。何か緊急事態が起きたらしいのです。

 ・・・。寛永寺にてひたすら恭順するくらいなら、潔く腹を切っていただきたい、という声も耳にしていた。いや、実は多くの旧幕臣たちの本音はそれであろう。

 これは実に分かります。慶喜はいわば尊王攘夷派だったのですから、それで鳥羽伏見だったのですから、それで幕臣たちの気持はよく分かります。でもそうではありません。的矢六兵衛のことなのです。12111310

「帝鑑の間に、的矢六兵衛がおりませぬ」

 えっ、一体どうしたのでしょうか。それはまた明日になるのです。
 すごいいい小説だなあ。



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2012年11月15日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(181)

1211150112111502 さて六兵衛はどこへ行ったのでしょうか。隼人がいいます。

「騒ぎ立ててはなるまいぞ。朝命が達せられたからには、すでに天朝様の御城じゃ。よろしいな、御両人」

 ただこのときの本多左衛門と粟谷清十郎はこの挿絵のように、実に情けない姿です。でももう隼人も同じ姿と言えてしまうのです。

 ・・・。侍の数珠つなぎとは、はたに見せられぬ図である。何やらおのれの人生までもが情けないもののように思えてきた。
 他人事ではあるまい。長き泰平のうちにおのれもまた尚武の気風を忘れて、臆病に生きてきたにちがいなかった。その証拠に、板戸に映るおのが影も同じへっぴり腰ではないか。

 江戸時代が終わったはずです。だから決起したとか12111414いう彰義隊とやらも一日で終わりました。もう武士なんていうのは、随分前に気概も何もなかったのです。でも今も、自分の身分が武士だったことをいう馬鹿な人がいますよ。今平成の世にですよ。本当の大馬鹿です。



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2012年11月16日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(182)

1211160612111607  やはりこの小説は面白いです。以下の加倉井隼人の思いがいいです。よく分かるのです。

 何をかくも怖れる、と隼人はすり足で歩みながら考えた。

 そのあとの隼人の思いが、この小説の新的矢六兵衛を適確に表わしています。

12111508 今さら六兵衛が刃傷沙汰に及ぼうはずはなく、子供でもあるまいに物怪に怯えているわけでもなかった。名ばかりの武士に成り果てたおのれ自身が怖いのだ。本多や粟谷は徳川の旗本であり、自分は御三家の陪臣であり、たとえ武士たる者の中身がなくとも、その肩書だけで人を服(まつろ)わせることができた。だがこれから先は、そうした権威が失われるやもしれぬ。ひたすらそれが怖ろしい。
 おそらく御城内に残る侍たちはみな、同じ恐怖を抱いている。・・・・・・。

 うーん、この恐怖にはものすごくうなずきます。
 だが、六兵衛はどこに行ったのでしょうか。
12111601 でも隼人には、あてがあるようです。そしてそのあては、大廊下の御詰席であるようです。「帝鑑の間の次はそこにちがいないと隼人は読んだ」とあります。それが当たっているのでしょうか。
 それはまた明日になります。



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2012年11月17日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(183)

1211170112111702 この加倉井隼人を先頭にする三人の姿は見えるような思いになります。

 数珠つなぎの三人は畳敷の大廊下を、百足(むかで)のごとく足並を揃えて歩んだ。

 でも六兵衛が次に進むのは、大廊下の御詰席なのです。

12111703「お頭。やはり名古屋は、江戸の西備えではないのか。権現様の御台慮を奉じて大天守を上げ、金の鯱鉾を掲げたのではないか」
 言うや言わずのうちに、小源太は二の腕を四角い顔を当てて泣き出した。

 うーん、私はあの金の鯱鉾が名古屋城の天守に掲げられるときに、名古屋で現物を見たように記憶しています。小学5年生だったかな。今では、その記憶もあいまいですが。
12111627 でもこの小源太のいうことと、実際の名古屋人の有様(とくに昭和期以降は)は違うように思いますね。

 その夜から、的矢六兵衛は大廊下殿席に座った。

 そうか、これからどうなるのかな。



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2012年11月18日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(184)

1211180412111805 いやまず困りました。この小説はけっこう漢字名前が面倒で、でも私も必死に書いてきました。でもこの津田玄ばの「ば」の字がでないのです。「くさかんむり」は分かるのですが、その先が私には特定できないのです。
 いつもいつも大変な思いで書いています。この小説の内容よりも、まず私はそれに大変に苦労しています。それでそれが書けません。常に漢和辞典はすぐそばにあります。私のは大修館書店の「漢字林」です。
 どうにも的矢六兵衛のことがかたずかないうちに、時間は先に進みます。この六兵衛のことでは、加倉井隼人のみが苦労しているのでしょうか。いやもう時代12111705は、的矢六兵衛のことなんかどうでもいいのです。もう先へ先へと進むだけなのです。この江戸城でも同じなのでしょう。でもなんとかならないものかと、この私も思います。

 的矢六兵衛と同じ御書院八番組の番士を名乗る侍が、ひょっこり現れたのは数日後のことであった。

 もう私もこの侍で何とかなるのかと期待してしまいます。読んでいくと、なんとなく頼りなげな感じが今までとは違うのじゃないかなあ。
 この侍はどこか遠くの任地から帰参したようです。どうにかならないかなあ。

 長旅に疲れた顔が、じっと隼人を見据えている。12111706

 これでこの隼人の苦労を終わらせてほしいです。もう勝安房も西郷も、みな現実の人間たちは、それぞれ進むのです。でもこの小説の中の人物たちにもなんとか終わらせてほしいのです。



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浅田次郎「黒書院の六兵衛」(184)の2

12111808 この字は、「蕃」だ、「津田玄蕃」なのです。です。
 でも私が漢和辞典で引けないのがいけないなあ。虫眼鏡で見て、「漢字林」でひいて分かりました。
 私はちゃんと「漢字林」を詳細に読んでみましょう。


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2012年11月19日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(185)

1211190112111902 なんだか、この津田玄蕃という旗本が気の毒になります。

 侍は名乗ることも忘れるほど呆然としていた。まさか御城が官軍に封じられるとは、考えてもいなかったのでさろう。

 この挿絵にあるのは、ここが埃だらけなのを示しています。思えば、この時はもう江戸幕府なんて、この埃ばかりだったのでしょうね。

 事情はようわかった。・・・・・・。むろん登城したところで、挨拶をするべき上司はいない。逃げたの消えたのと、どの口が言えよう。

12111812 でもやがては、この津田玄蕃もすべてを知るのでしょう。気の毒だなと思います。こうしたことはものすごくたくさんあったのでしょうね。
 これでこの旗本はどうするのでしょか。それにこの侍は的矢六兵衛を、いや新的矢六兵衛をどう語ってくれるのでしょうか。



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2012年11月20日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(186)

1211200612112007 この津田玄蕃はやはり気の毒に思います。なんかこの玄蕃のいうことには、私も涙を流す思いです。
 だが加倉井隼人には、この玄蕃にはやってもらいたいことがあるのです。
 隼人はこう想像します。

 なにはともあれ、あの的矢六兵衛の同僚である。・・・・・・。・・・このバカバカしいくらいの実直さは、六兵衛の気性に一脈通ずるとも思える。かつては気の合うお仲間であったやもしれぬ。12112008

 なんとか、そうであって欲しいです。でも、隼人が

 気の毒だが上野のお山に上がってもらうほかない。

と思うのを聞いて、「なんか冷たいな」と思いましたが、それは私たちがその後の彰義隊の惨めな壊滅を知っているからです。ここで私は靖国神社の大村益次郎像を思い出していました。だからこの時点では隼人にはその後のことは分からないのです。
 でも最後に12112001

 若党と中間どもは、いっそう声を絞って泣いた。

というところで、私もここで泣きました。



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2012年11月21日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(187)

1211210112112102  この津田玄蕃の苦労をこの江戸城にいるすべては何も報いてはくれないのです。

「・・・・・・。お手前のご事情を察するに駿府脱走はけだし当然、責むる法がどこにござろう。とまれ、道中ご苦労にござった。とりあえずは御城内にて休息なされよ」

 せっかく駿府を脱走して、この江戸城に駆けつけたのに、その肝心の江戸城内は、もはやひどい有様なのです。ただ津田玄蕃とその郎党にはこの隼人の言葉は嬉しいです。所詮江戸時代の武士なんて、こういうものだったのでしょう。

「拙者もよくは知らぬが、たしか的矢六兵衛殿ーー」
12112010  隼人がその名を口にしたとたん、石段を昇りかけた津田の足がはたと止まった。

 ああ、この津田玄蕃によって六兵衛が変化してくれればいいなあ。そして彼の口から語ってほしいのです。



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2012年11月22日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(188)

1211220612112207  この新聞を手にとってすぐに読みました。津田玄蕃のいうことがものすごく気になったのです。

 上司お仲間のことごとく脱走した御城内にただひとり、あの的矢六兵衛が踏ん張っておるのでござるな。
 ・・・・・・。拙者はお仲間のどなたよりも六兵衛の人柄をよう知っているゆえ。

 そうなんだ。でも「六兵衛の人柄」というのは、新と前の六兵衛とどちらなのかな。この口ぶりでは今の新的矢六兵衛のことのようですが、そんなことも少しでも語ってくれないかなあ。

 拙者の行く先は、どのみち上野のお山しかござるまい。・・・・・・むろん六兵衛の行き先もほかにはござらぬ。・・・・・・。

 私なんかは、彰義隊の末路も知っているために、こ12112201うした誘いも嫌になります。いや慶喜について水戸に行っても大変なこと(水戸天狗党と諸生党との悲惨な戦があります)なのです。行ってほしくないですね。
 どうなるのでしょうか。



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2012年11月23日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(189)

1211230112112302  今日は津田玄蕃が語ります。この挿絵にある通りお茶を飲みながら話します。私は最初はこの茶碗に酒を入れて話していると思ったのですが、それは私が酒が好きなだけのことです。でももう酒を飲まずにどれくらいになるのでしょうか。いやビールは毎日飲んでいますが。

 それにしても、上司の詰席たるこの菊の間におぬしと二人きり、何とも居心地の悪いものでござるのう。

 この津田玄蕃はけっこうよく分かっているのです。隼人のことを、尾張藩の「江戸定詰の御家来と拝察いたす」と見抜いています。
 結局仕事でも学生運動でも、手をあげてやりきる人間よりも、いわば日和見してしまうやからが圧倒的に多いものです。この江戸城の状態もそれがものすごいものだったのでしょう。

 上がそうした及び腰ならば、いよいよおのれが出よ12112220うと思うた。進み出たのは拙者ばかりではない。八番組からは今ひとり、あの的矢六兵衛が手をあげた。

 思えば、私もいつもこうしたときに必ず手をあげてしまったものだなあ、とつくづく思ったものです。



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2012年11月24日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(190)

1211240612112407  津田玄蕃にたいして、組頭の秋山伊左衛門が喋るのです。これで分かったのですが、玄蕃がいう六兵衛とは、新的矢六兵衛のことなのです。以下は玄蕃が秋山に言う言葉です。

「甚だ僭越ながら、一言申し上げます。的矢六兵衛殿には御家のご事情があって、みなさまのご不審も当然と存じますが、八番組中に有為の士と申せば、彼を差し置いてほかにはございませぬ。・・・・・・」

 だが秋山はそれを認めないのです。

 だが、御組頭様の申されることも一理ある。たしか12112401にお仲間は誰も彼も保身に汲々として、武士道も御書院番士の矜侍も忘れていたのだ。

 これで玄蕃のみが選ばれるのです。
 それで次の展開が待たれます。



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2012年11月25日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(191)

1211250112112502 この津田玄蕃はこの六兵衛とはかなり親しかったようです。

 ハハッ、もしそうだとすると、たしかに天下の意地ッ張りでござるのう。しかし、信じられね。あやつは馬鹿のつくぐらい物わかりのよい男でござる。

 フーン、この玄蕃の思いを聞きますと、少し分かった気がします。

 さては六兵衛め、何でもかでもハイハイと聞きながら、御組頭様に対してはよくよく肚(はら)に据えかねるところがあったか。それで御下命を達せられても、知らんぷりを決めてせめてもの意趣返し。ほかに考えようはござるまい。

 しかし、この小説のこととは関係なく、実に大修館の「漢字林」にお世話になっています。今回も、この「肚」を画面上に出すのが大変でした。これからもある12112421のでしょうね。漢和辞典は手放せません。
 それにしてもこの津田玄蕃によって的矢六兵衛の心が解けてくれるのでしょうか。なんとかうまくいってほしいのです。
  それと、この挿絵のやもりは何なのかなあ?



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2012年11月26日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(192)

1211260112112602 さて、これで今の的矢六兵衛のことが分かるかと思っています。

 ・・・・・・。あいわかった、拙者の知るところを語って進ぜよう。
 もとの的矢六兵衛という御仁は、薄っぺらな侍でござったよ。・・・・・・。

 そうなのだということは知っています。今の六兵衛を知りたいわけです。

 目が遭うたとき、オヤ、と思うたのでござるよ。顔に見覚えがない。

12112509 これでこの新的矢六兵衛が少しは姿が分かっていくのでしょうか。ぜひそのことを強く希望していきます。
 毎朝届けられる日経新聞のこの小説が実に楽しみです。この日本中に大勢いるのでしょうね。



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2012年11月27日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(193)

1211270112112702  さて今日は新的矢六兵衛の挙動が語られます。津田玄蕃のいう話なのです。目の前の六兵衛はもとの六兵衛と同じ御書院番士として、そのまま演じているのです。

「的矢六兵衛殿じゃ」
 ハテ、何を言うておるのかと思うた。前の並びにも、あの貧相な的矢六兵衛の背中はない。

 その新的矢六兵衛の脇差の小柄にも的矢家の家紋が象嵌されているのです。
12112605 でも私の家も家紋はありますね。でもこのままではどうなるのかなあ。私のここのサイドバーに花個紋女将ブログがリンクしてありますが、もうこういう時代になったかなと思うのですね。私は自分の家の家紋は少しも気に入りません。

「もし、小さ刀をおまちがえではござらぬか」
 と拙者は尋ねた。
「いや」
 侍はひとこと、きっぱりと否んだ。

 この小説で新的矢六兵衛が声を出したのは、初め12112606てだと思います。この回の「いや」が2回です。
 しかし玄蕃のこのときの思いは、読むものみんなが同じでしょう。間違いだと思っても、その目の前の侍は「いや」としか答えないのです。
 さてさらに明日を待ちます。



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2012年11月28日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(194)

1211280212112803  この挿絵が権現様(徳川家康)が関ケ原でも大坂の陣でも着用になったものだといいます。これを御黒書院上段の床の間にこれを据えるのだそうです。

 ・・・、鏡餅をお供えして上様はじめ大名緒役人が拝キするという尚武の儀式にござる。

 こんな儀式があったのですね。これが「勝川の御具足」といわれるものなのです。

12112607 勝川の御具足は祝儀前夜の丑の刻に紅葉山の御宝蔵から運ばれてくる。御玄関から先は御書院番士の務めであった。

 ここでこの津田玄蕃も六兵衛も何か役割をするのかなあ。



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2012年11月29日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(195)

1211290512112906  この権現様の鎧櫃を玄関からさらにあげなくてはいけないのですが、誰も担ごうとしないのです。そこで津田玄蕃が自分が申し出て、その相方に新的矢六兵衛が出てくるのです。

 ところが、いざ鎧櫃が御玄関に上がると、進んでこれを担ごうとするものがない。誰も彼も万一の粗相を怖れて、手を触れようとしないのだ。

 こんなことは私もいつも体験してきていますね。津田玄蕃が前を担ぎ、申し出により六兵衛がその後で担ぐことになります。「やめおけ」という声もかかりますが、誰も自分ではやろうとしないのです。

 しかし、あれこれ言うわりには誰も進み出ぬ。

 この光景が実に目に浮かびます。「あれこれ言うわりには」、どこでも同じなのです。でもでも、六兵衛は違うのです。でも背の高い六兵衛では釣り合いがとれないはずなのですが、

 ・・・、拙者の身丈に合わせて中腰で歩んでいるではないか。12112806

 うーん、これだけを普通にやる、できる新的矢六兵衛なのですね。それが今ではこうした事態になってしまったのです。
 どうか、津田玄蕃の説得を六兵衛が素直に聞いてほしいものです。



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2012年11月30日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(196)

1211300612113007 権現様の鎧櫃から鎧兜を取り出すのです。それは津田玄蕃と新的矢六兵衛の二人きりで行います。

  その夜、儀式の支度は拙者と六兵衛の二人きりで終えた。

 そして玄蕃は、不思儀な思いで新六兵衛を見ることになります。いやそう思うのは私だけかなあ。いや誰も思うのではないかなあ。

 ああ、そういえば儀式の支度をおえて人々が立ち去ったあと、六兵衛はしばらく御書院の下段の間に座っておったの。

12112909 これはすごい絵です。その様を想像してしまいます。しかし、やっぱり玄蕃だけではなく、私も同じに思います。「いったい誰がこやつに物を教えた」。不思儀ですよね。いやもっと私にはいくつも疑問があるのです。
 またそれは私がおいおい書いていくでしょう。



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2012年12月01日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(197)

1212010112120102 的矢六兵衛の正体が分かるかと期待していましたが、それは無理なようです。

 的矢六兵衛の正体、でござるか。
 それは拙者も知らぬ。御組頭様さえ知らぬと申すに、お仲間集の誰が知ろうものか。

 うーん、そうなんだ。この新的矢六兵衛は一体何者だと思ってしまいます。元の的矢六兵衛のこともこの津田玄蕃は語ります。

 そういえば、もとの六兵衛はおしゃべりであったな。勤番中に話しかけられて迷惑に思うこともしばしば、それに転ぶれば今の六兵衛のほうがよほど始末がよい。X12112803

 ただ分からないながら、この元の六兵衛も今の新的矢六兵衛もその姿を明確に想像できるようになりました。



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2012年12月02日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(198)

1212020112120202 以下のように「六兵衛の噂が耳に入るようになった」というのですが、どこでこうした情報を仕入れているのでしょうか。

 正月の勤番が明けると少しずつ六兵衛の噂が耳に入るようになった。

 しかし、今日の情報はかなり適確な内容です。前にも書きましたが、関西のある組織が私のクライアントのことで、語ったことがあります。その時の話を思い出します。

 ・・・、いっそ的矢六兵衛が入れ替わるという手はどうだ。本人だけではあまりに切ないゆえ、妻子をそっくり入れ替える。そして、御隠居夫婦はそのままにしておく。そこまでおれば、御組頭様の頭ごなしに誰かが訴えでもせぬ限り、企みは露見するまい。

X12120109 そうだなあ、と私もうなずきます。まして明治維新の真っ最中です。もうみんなそれどころではありません。
 そもそもここは誰の感慨なのだろうか。加倉井隼人だと思いましたが、明確には分かりません。



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2012年12月03日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(199)

1212030112120302  昨日私は「ここは誰の感慨なのだろうか。加倉井隼人だと思いましたが」と書きましたが、今日読みますと、これは津田玄蕃の話が続いているのですね。

 ところで、その的矢の御隠居じゅが、お仲間衆の噂になり始めたころに、たまたまおみかけしたのでござる。

  それは浅草の東本願寺というお寺の墓所でした。ここに的矢家の代々のお墓があるのです。津田家のお墓もここなのです。

 御隠居は津田家の墓所で前の立ち止まり、夫婦打ち揃うてを掌を合わせて下さった。X12120204

 うーん、ここで少しこの的矢の御隠居が語ります。津田家と的矢家を比べているのです。津田家を「よかったな」というのですが、今の的矢六兵衛のことも語ってくれないでしょうか。



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2012年12月04日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(200)

1212040112120402 津田玄蕃の話が続くのです。これでこの件が私には分かったような気がしました。玄蕃は言うのです。

 その墓所における一件によって、拙者は確信に至った。的矢家は金上された。しかも他人養子のご法度を裂け、六兵衛とその妻子だけが入れ替わるという離れ技だ。

 うーん、これはすごいですね。でもこうして入れ替わるというのは、この浅田次郎の作品なわけですが、実際に組織がこうしたことをやるのは理解できます。恐ろしいことですが、事実あるのです。

X12120212 的矢家は御目見(おめみえ)以上の旗本じゃぞ。・・・・・・。さような名家が銭金で売り買いされたなど、考えたくもなかった。

 これは今日の最後にある言葉ですが、私もまったく考えたくはありませんが、理解できる気がしてしまうのです。



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2012年12月05日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(201)

1212050112120502 こうして思い出しても、まことに奇怪な話でござるのう。

 いや、読んでいますこちらの方が奇怪な思いばかりなのです。

 何となれば、絵に描いたごとき御書院番士の六兵衛に、一方ならぬ敬意を払うようになったからだ。

 だが驚くことに、この津田玄蕃は次の事実になります。

 ある日、まったく偶然に、元の六兵衛と出会ってしもうたのだ。X12120405

 ああ、この元の六兵衛家族のことも知りたいです。これは実にありがたいです。ただまた明日なのです。



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2012年12月06日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(202)

1212060112120602  なにか今日の小説を読んで、ものすごく物悲しい思いです。元の的矢六兵衛夫妻は日光街道千住大橋の袂で物乞いをやっているのです。腰で互いに縄で結び合うのは元の妻です。私はすぐに、元の子どもたちはどうしたのだと思いました。二人は、たとえ物乞いでも元気にやっていてほしいものです。

 その大橋の袂で、見えてはならぬものを見てしもうたのだ。

 なんだか、せつないです。これも江戸時代、江戸幕府のせいなのです。

 天下の御旗本、それも旗本中の旗本たる譜代の御書院番士が、すべてを売り払うたあげく小塚ッ原の繋がれ乞食に成り果てていたのだ。まさかと思うどころか、悪霊に取り憑かれて、見えざるものを見ているのかと思うた。

  この時に「悪霊」なんて言葉がもうあったのかと思いました。武士の時代なんX12120411て酷い惨めなものです。私は鎌倉幕府を始めた源頼朝がひどいなあなんて思いました。いやいっぱいの思いがあります。
 挿絵では千住大橋の袂で物乞いに銭をあげている旅人が描かれています。



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2012年12月07日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(203)

1212070112120702  なんだか読んでいましてつらいばかりです。

 とっさに気遣うたは、そやつらの身の上ではなかった。拙者の家来どもが気付いているかどうか。幸いその様子はない。

 私の思いですが、間違いなく気がついているはずです。いやそれは作者も思わない、書くべきことではないのかもしれません。でもさみしいことです。

 ……畏れながら二百六十年の天下も、いよいよ終いじゃなと思うた。いかに英明の誉れ高き上様でも、今や困民の群れと成り果てた旗本御家人の三万と五千家を救う手立てなどござろうか。

 私は、ここがこの作者の一番言いたいことなのかと思いました(いやもっと他にあるのかもしれませんが)。「英明の誉れ高き上様」なんていう言い方を、少し違う表現ですが、今も聞きますよ。相手が私が親しく話せる相手だと、もう私は12120607徳川慶喜(けいき)をめちゃくちゃに貶します。相手は、私が少し異常だと思うかもしれません。
 翻って今の時代を思います。江戸時代よりは少しはいいのだと思います。江戸時代は見事終わらせられましたが、今はどうなっていくのでしょう。
 私も、時代を読み、対応することなんかできません。私は、ただ孫のそばでおしゃべりするばかりです。



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浅田次郎「黒書院の六兵衛」(195)へのコメント

12120608 私の浅田次郎「黒書院の六兵衛」(195)へT.Nさんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by T.N   2012年12月06日 12:48
はじめまして。日経の愛読者で、勿論連載小説は毎回読んでいるんですが、何とも摩訶不思議な浅田ワールドに引き込まれているようなものです。出来事としては些細なこと、それもほとんど創作話であろうに、かくも本当らしく、さも天下大事の重要事であるかのように延々と話を進めていく筆致は流石というか、呆れるほどです。そう思いながら次はどうなるか気になりますね。それからこれを映画にでもするとしたら、六兵衛役は若き日の高倉健さんしか思い当たらない。今の俳優では無理だろうなあ・・

 うーん、そうすると前の六兵衛役は田中邦衛さんかなあ。納得もするのですが、健さんねえ。
 健さんが、新的矢六兵衛ねえ。でも健さんがワイロなんか出せるのでしょうか。秋山伊左衛門は新的矢六兵衛からワイロを受け、その金で妾を囲っているのですよ。健さんができるかなあ。
 私は健さんの映画はすべて見ています。好きになれないのは、「内田吐夢『宮本武蔵』」の佐々木小次郎役くらいかなあ。
 それで、映画の的矢六兵衛役を私も考えてみます。でもはっきりいいますと、私はこの新的矢六兵衛はどうしても好きにはなれないのです。
12120609 江戸幕府が終わった、旗本も実態はひどいみじめなものだったいうのは誰が演技に向いているのかなあ。
 私もまた今後考えて行きます。
 でもこの浅田次郎の小説は実にいいですね。



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2012年12月08日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(204)

1212070112120702 これでまたいくつものことが分かりました。

 やれ、おぬしが首をかしげるのもごもっともでござるの。

 しかし、二人の子供はどうしたのかと気になりますが、これは私が一番気になっていたことですが、これは少しは安心しました。だが当の新的矢六兵衛はどう思っているのか。この挿絵が、その新六兵衛の姿です。

 ・・・。梯子(ていし)段から振り返れば、六兵衛は格子窓から入る夕陽の縞(しま)の中に、やや俯いて座り続けていた。

 このシーンは印象的です。この時の新六兵衛はいかばかりの思いなのだろうと想像してしまうのです。
12121001 すべては、淀屋辰平が悪辣だ、いやもともとは的矢六兵衛が悪いとも思いますが、幕府がいけない、いや武士そのものがいけないなんて思いました。
 昨日テレビNHKで頼朝の肖像画を頼朝像としてやっていました。もうあの像は、源頼朝像ではなく、足利直義像だというのは今では常識だと思っていたのですが、なんでそんな常識を敢えて破るのかなあ。



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浅田次郎「黒書院の六兵衛」(197)へ愛読者さんからのコメント

X12120416 浅田次郎「黒書院の六兵衛」(197)へ、愛読者さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by 愛読者   2012年12月07日 08:31
幕末を経済破綻と捉えているのがおもしろい。
形骸化した財政負担がいかに家臣を困窮させたか克明に調べている。

 今までも、「経済破綻と捉えている」のはあったと思うのです。私なんかは、もはやどうしようもない徳川幕府をいわば、救ってあげたのが明治維新じゃないかと思っているのですね。
 いわばそれほどの租税でもなかったものが地租改正でもっと全国民からむさぼるようになったのがこの明治の時代になったのだと思います。
 でも幕府は何もかも困窮したでしょうね。徳川家康よりも15代慶喜の方が真面目で懸命だったようにも思えますが、もはやそんな武士たちではどうしようもなかったのです。 思い出せば、嫌になるくらい、真面目なのは鎌倉時代の執権たちです。驚くくらい質素な生活をしていますよ。
 でももう世界経済の中で生きていくのは、もう徳川幕府ではどうにもならなかったのだと思っています。
X12120417 そうした私の思いからは、浅田次郎は、よくこの時代をとらえてくれたなと思っています。その時代の中で、うまく振舞えないのが、新も旧も、的矢六兵衛なのだと思うのですね。



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2012年12月09日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(205)

1212090112120902  幕府が官軍と戦をしようとすれば、大変なことになります。それを西郷さんは見ていたし、勝安房も同様に見ていたのでしょう。

 おそらく的矢六兵衛は、そのあたりを読み切っているのであろう。
 おや、意外に思われるか。いくら何でもそれは買い被りじゃと。旗本の意地、もしくは腰抜けどもに対する面当てじゃと。

 六兵衛は座り続けるのは、なにか考えがあるようです。少なくとも、この津田玄蕃はそう思っているのです。

 六兵衛が座り続ける理由は、拙者もわからぬ。しかし、ただの意固地ではない。X12120811

 そうです。それは当初から感じていました。でも何も語ってくれないのですから、読んでいるものには理解しようがないのです。
 この挿絵でも、座り続けてものを書き付けている六兵衛が見えます。彼の真意は何なのでしょうか。ひいては、現代の私たち、いや私にも何かがつきつかれている気がしてしまうのです。



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2012年12月10日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」は今日は休みでした

X12120911  なんで新聞がこないのだろうと思いましたが、昨日の新聞に書いてありました。今日は新聞の休刊日なのですね。
 もうこの小説を読むことだけ考えていましたから、ものすごくショックです。これもただ私の阿呆なところを確認したようなものです。


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2012年12月11日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(206)

1212110112121102  この今日の津田玄蕃の話でも、「この新的矢六兵衛って、一体何者なのだ」と思ってしまいます。

 金上げ侍と知れても、六兵衛が軽侮されなかったのは、・・・・・・。

 この新的矢六兵衛は撃剣にも強いのです。「流儀は筋目のよい直心影流と見た」と玄蕃はいうのです。元の六兵衛が道場に通ったことなどないだろうということとは大変な違いなのです。

 面を外したあとで腹立ちまぎれに、「相手が上役でもあるまいに、手かげんなどなされるな」と言うたことがある。そのときもやはり六兵衛は、汗をふきふきただひとこと、「いや」と言うただそれだけであった。

 うーん、やはりこの新的矢六兵衛は一体何者なのX12121006でしょうか。そしてでも明治維新というのは、それをすべて消し去ったのですね。でも明治維新は暴力革命ではありませんでした。それでも大きなことだったんだなあ、とつくづく思ったものでした。



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2012年12月12日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(207)

1212120112121202  いつも毎朝この連載小説が気になります。

 さて、拙者が的矢六兵衛について知るところと申せば、あらましこれくらいでござる。

 いやこれだけ話してくれて嬉しいです。ただまだまだ分からないことがありますが、それは知らなくていいことなのだろうな。これで、新も旧も六兵衛のことは知れた気がします。

 厭離穢土欣求浄土、いざ松の大廊下へ!

 これでこの津田玄蕃は新的矢六兵衛を上野の彰義隊へ連れて行くのです。うーん、納得もしてしまうが、やっぱり分からない。私たちは彰義隊の結末を知っているわけですが、この玄蕃も「加倉井殿とやら。死地に赴く者に勲(いさおし)は不要ぞ」とまで言うのです。
 ここで靖国神社の大村益次郎の像を思い出しまし12121110た。この像の彼の目は薩摩を向いている(これは次に来る西南戦争を予想している)といわれますが、その前に、この上野のお山にも少しは目を向けたのじゃないかな。彼は簡単に彰義隊を打ち破るのですが。



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2012年12月13日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(208)

 まだ今後もこの新的矢1212130112121302六兵衛の今の状態はそのままなようです。

「無念!」
 津田玄蕃はがっくり肩を落とした。

 そうなのか。まだ続くのですね。

 あまりに自信満々であったから、隼人はそれなりに期待はしていたのである。

 でも六兵衛はいささかも変わりないのです。最後にこうあります。

 六兵衛はわずかに顔を向け、段上がりの座敷から睥睨するように玄蕃を見くだしただけであった。X12121105

 なんだか、この私までがっかりします。この光景は見えるような気持になります。まだこの「黒書院の六兵衛」の物語は続くのですね。
 いやそれにしても、六兵衛も津田玄蕃と一緒になって彰義隊に加わるような事態にはなりそうもないことに、少しはホッとした私です。



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2012年12月14日

浅田次郎「黒書院の六兵衛」(209)

1212140112121402  津田玄蕃の話は終わりました。でも的矢六兵衛のことはそのままです。そして加倉井隼人には苦労して名簿を作成したのにだれもそれを視てくれないのです。

 加倉井隼人にとっていささか心外であったのは、苦心の末にようやく作り上げた勤番者の名簿が、まったく顧みられなかったことである。

 しかし、もっと隼人には心外であることはまだ何も解決されていないのです。それはやはり今も座り通づける的矢六兵衛のことなのです。田島小源太は次のように言います。「だいたい、だの、あらまし、だの」でやれば良かったというのです。

「しからば、小源太よ。あれもだいたいのうちと思うか」X12121307

 この隼人の言葉の先には、今も座り通づける六兵衛がいるのです。「帳付けとは少々わけがちがう」と小源太のいうとおりなのです。
 さてどうするのでしょうか。



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