将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Category: あさが来た

1212150112121502 尾張徳川家の江戸家老が来て、加倉井隼人を叱責します。読んでいて、ものすごく腹が立ちます。この家老は上之御部屋に座り込んでいる的矢六兵衛のことで怒っているのです。だがこのときに思うのです。

 ・・・・・・。・・・、隼人はふとふしぎな感慨を抱いた。大広間の先の御座敷に座り続ける六兵衛が、おのれ自身のように思えたのである。

 この感慨はものすごく分かります。

 ・・・・・・。・・・、腐れぬ武士道を胸前に抱いた子孫が二人きり、松の御廊下の端と端に座っているような気がした。

 この時の隼人の思いは充分に分かります。「いやこのご家老も苦労があるんだよ」なんて、少しも思いません。こんな奴は私は大嫌いです。こんなのはいつもいるのですね。それはいつも感じてきたものです。
X12121404 私もただ座り続ける的矢六兵衛がどうにも薄気味悪く嫌でしたが、だんだんとシンパシーを感じてきたものです。
 いや私は、サラリーマンだったときの、いくつものことを思い出していたのです。

X12121407 私が浅田次郎「黒書院の六兵衛」(210)で次のように書いたことです。

 私もただ座り続ける的矢六兵衛がどうにも薄気味悪く嫌でしたが、だんだんとシンパシーを感じてきたものです。
 いや私は、サラリーマンだったときの、いくつものことを思い出していたのです。

 私が赤坂の広告の制作会社にいたときです。社長は私のいる会社含めて4つの会社の社長でした。私はそのときに、どこでも会社の現状を鋭く指摘していました。親会社は大きな広告会社です。
 そのときに、親会社の私の好きでない人が(多分私と同じか一歳年上だと思いました)私に忠告してきました。

 あんたのいうことは正しいと思うよ。だけどあの社長も正面きって言うことではなく、本音は自分におべっか使う奴が好きなんだよ。

 これを大阪弁で言いました。私は感謝して礼したものです。
 まさしくこの彼のいう通りでした。このことはいくつも感じています。会社にとって正しいこと、いいことを言い続けるよりも、上司にただただおべっかを使うものがそうした上司、ひいては社長は好きなのです。ただし、こんな会社がどうなるのかは、私の知ったことではありませんが。
X12121409 でもこのことは、いつも思い出しています。そして言われたことには感謝しますが、この彼のことは今でも好きになれません。

1212160112121602  尾張藩の加倉井隼人の上司が来て、この的矢六兵衛の有様を見て、力で六兵衛を引きずり出そうとします。場合によっては成敗するとまでいうです。
 でも隼人はその尾張藩のみんなを止めようとします。これは思いがけないことで、隼人自身も驚きます。でも六兵衛も驚いているようなのです。

 背うしろで六兵衛が溜息をついた。さすがに隼人の大見得は思いがけなかったらしい。

 これはたしかに驚いてしまうのです。

X12121503 いやむしろ、思いがけなかったのは隼人自身である。何を考えたわけでもないのに、体がさようにものを言うたのだ。

 隼人が見事です。またしても私は涙を流してしまいます。これで六兵衛が変化してくれないかなあ。それを私はものすごく切望します。

1212170112121702  もう江戸城の明け渡しは終わったのです。そして江戸城に居た幕府の人間たちも城を去ります。この城は宮城になるのですから。

 御城の明け渡しはつつがなく終わった。居残っていた旧幕臣もその日のうちにあらかたは去り、諸門の警護も西洋軍服の官兵に引き継がれた。

 うーん、そのときの城を去る旧幕臣たちの思いはいかばかりでしょうか。そしてその幕臣たちを送る者もつらいのです。

「きょうばかりは、送られるものより送るほうがよほどつろうございましょう」
 加倉井隼人は三人の胸中を忖度(そんたく)した。答えるかわりに本多は手拭いで瞼を被い、つられた粟谷は唸り声を上げて嗚咽した。
 わけのわからぬ連中ではあるが、この悲しみに嘘はあるまい。父祖代々の拠り所たる御城が、きょうを限りに人手に渡るのだから。X12121601

 この挿絵の四人のそれぞれの思いを私も思います。

「もうよい。振り返るな」
 越前守が繰り返し呟く。しかし帰らざる侍たちは騎馬も徒(かち)も、いくどとなく御城を振り返った。

 どうしてもこの光景は想像してもつらくなります。
 私は父の先祖は茨城県笠間ですが、多分祖先は平将門とともに戦ったと思っています。母方の先祖はこれは履歴が現存していますが、関が原の戦いで石田三成の配下として戦ったものです。そしてどちらも長い江戸時代は百姓としてX12121602生きてきました。
 私はそもそも武士が嫌いです。それに江戸幕府なんて、少しも好きになれません。
 でもでも、そんな私も、この小説のこのシーンには、ただただつらくなります。

 さてでも六兵衛は変わりなく同じ姿勢なのかな。

1212180112121802  もう江戸城は旧幕府の侍はほとんどいません。そこを官軍の兵士が歩き回ります。
 それを隼人は彼らが勝手にいうセリフに「控えよ」と口を挟むだけです。それらは隼人たちではなく、他の国の官兵です。
  ただ幕府の内藤越前守は私には優れた人物と思えます。その内藤がいいます。

「そこもとらも、けっして官兵に物言いをつけてはなるまいぞ。ここは本日より天朝様の御城で、われらは徳川家が陪臣にすぎぬ。しかと心得よ」

 こういわれているのは、この挿絵の者たちです。

 彼らがきょうに限って芝居の黒衣(くろこ)のようななりをしているのも、越前守の指図なのであろう。

  これで、

 官兵が下役人と思うて声をかけても仕方のない身なりであった。X12121702

 そうなんだなあ、と納得してしまいます。
 だが、的矢六兵衛のことはどうなるのでしょうか。明日もまた別な展開がありそうです。

1212190112121902 しばらく福地源一郎はどうしたのだろうと思っていましたが、やはり彼は書いていたようです。思えば、これは歴史の事実なのですね。

 越前守は・・・、さりげなく発行人の名前を指さした。「福地桜痴」という名に息を呑んだ。源一郎はここしばらく登城していない。

 そうか、これがやがて新聞になるのかと思いました。

「お読みになるがよい。従前の瓦版のごとく、ご政道を茶化しているわけではない。しごくまっとうに、事実を書き記している」

X12121802 そうなんだ。でも本当なら、これも今も読めるはずです。でもだから、創作なのだなあ。的矢六兵衛のことはどのように書いてあるのでしょうか。

 本多と粟谷が左右から首を伸ばしてきた。

 そうだな。私もこの内容にものすごく興味があります。さてどう書いてあるのでしょうか。

1212200212122003 この福地源一郎が発行したのは江湖新聞というようです。

 ・・・・・・。いかようにも何も、この「福地桜痴」なる発行人は、あの「百人芸の八十吉」こと福地源一郎にちがいないのである。

 最後に内藤越前守が言います。

「・・・・・・。福地にとって、六兵衛などはどうでも良いのじゃ。殿中にてそこもとと共にあらば、さまざまな話が耳に入る。狙いはそれじゃて」

 でもその狙いだとて、何がまずいのでしょうか。こうしていわば身内であるはずの幕府側であった人に言われては気の毒です。でもこうしたことが、いわばX12121805日本で始めての新聞なのに、今は読売新聞、朝日新聞は存在しているが、福地桜痴を継続する(した)新聞はないことになるのかなあ。
 しかし、少し好きになっていた内藤越前守のことを、「これだけの人物か」と思い、少しがっかりです。

1212210112122102 私にはこの隼人の気持がよく分かります。内藤越前守こそひどい佐幕派のどうしようもない輩だとしか思えません。

 ・・・・・・。この侍もまた、汚れ役を配下に押し付けて、文句ばかり垂れる輩かと思うと隼人の怒りは滾(たぎ)った。

 私もこの隼人と同じ気持になります。

「それがしは職分は御留守居役である。・・・・・・」

X12122101 何を言い出すのでしょうか。「ひどい佐幕派のどうしようもない輩」とはこういうのをいうのではないでしょうか。結局は上野の彰義隊も見殺しにし、東北での戦いも、五稜郭でも戦いもただ見ているだけなのです。
 実はこんな輩はいくらでもいたのです。どうしても私は許せません。

1212230112122302  この日は慶喜は水戸へ向かいます。そこでやがて起きるのは会津城陥落後、戻ってきた諸生党と天狗党の最後の血戦です。これは私には実に嫌な戦争です。加倉井隼人は内藤越前守に対していいます。

「上様は本未明、ご実家たる水戸へと落ちられたと聞く。しからばこの先、そこもとに対しては何のお下知もござるまい。・・・・・・」
 一瞬、越前守の表情がこわばったように見えた。・・・・・・。

 どうしても前の身分を忘れないのでしょう。私も隼人と同じに思います。X12122102

 やはりこの侍たちは、職分という大義を楯にして何かを策している。

 でもいまさらどうにもならないはずです。最後の隼人の想像はもうそれほどのことになるとは思えません。
 ただ、やはり私も的矢六兵衛が気になります。

1212230112122302  今日は加倉井隼人が驚くべきことを口にします。いやはやどうしたのでしょうか。でもまずその前にいくつかのことが書いてあります。

 内藤越前守と対峙しているうちに、彼がけっして飾り物の御留守居役ではないと知ったのである。とたんに、魔物のような想像が降って湧いた。

 この隼人の想像は最後の彼の口から出てくることなのです。でもこれは私がこうして書いているからこそ分かったことです。「魔物のような想像」というのは内藤越前守のことではなく、次の隼人のセリフにあります。

「いや、的矢六兵衛と称する御方にお訊ねいたす。もしやおまえ様は、前(さき)の征夷大将軍、徳川慶喜公にあらせられましょうや」

 私はこの「徳川慶喜」を「徳川家康」と読んでしまっていました。こうして書いてみてよく分かったのです。でもこれはもうものすごい思い込みです。
12122208 そんなことはありえない。そもそも徳川慶喜は実に気の小さい男です。いや私はそう思うのです。その後のカメラの趣味(とはいえないほど、実に熱心にやっていましたが)も私は評価できません。
 いやいや、私には家康もそれほど好きにはなれません。ただ武田信玄とかなり戦いましたから、その面では家康はものすごくやりきったのかもしれません。
 でもこれには、ちゃんと六兵衛は応えるのかなあ。

1212240112122402  この加倉井隼人の思い込みは途方もないとしか思えません。でもよく分かる思いです。

 狭苦しい御坊主部屋で内藤越前守と談じこんでいる間に、ふと途方もない想像が降り落ちてきたのだった。

 田島小源太が次のように言うのも無理からぬことです。

「お頭、それはいくら何でも考えすぎじゃ。六兵衛は六兵衛にちがいない。これまでにも、多くの者がそう認めているではないか」

 私は水戸烈公は好きですが、その息子の慶喜はどうにも好きになれません。晩年のカメラに凝っていた彼の姿がものすごい印象があります。
 彼が晩年新聞記者の「どうしてあんなに簡単に政権を投げ出したか?」という問いに、こう答えたそうです。X12122116

 それは神君家康様の水戸家に残された遺訓である。「将来、徳川家と朝廷が争うような事態になったら、あくまで水戸家は朝廷側に立つように」という家康の遺訓があったそうです。それに慶喜は従っただけのことだといいます。
 まあ、真相は分からないわけですが、とにかくあの時の日本にはいいことでした。いや、本当はもはや江戸幕府には、そんな根性も力もなかったのです。

1212250112122502  加倉井隼人のところに福地源一郎がやってきます。

「やあ、加倉井君。今さら御留守居役に呼び立てられるいわれはないがね。・・・・・・」

 隼人はいらだっています。その気持はよく分かります。最初は新聞の発行のことで、これはすぐ了解します。思えば、これは歴史の事実ですから、むしろもうこの小説ではいいでしょう。
 そして隼人は源一郎が思いもよらないことをいうのです。

「的矢六兵衛は本人にあらず。前(さき)の将軍家慶喜公その人にあらせられる」X12122404

 うーん、でもこれは源一郎はすぐに違うことを指摘できるのではないかと思いますね。いや、指摘できなくてもすぐに分かる事実になると思うのです。
 でもこの作品はまだまだ続くのだなあ。
 もうただただ面白く興味深く読み続けます。

1212260112122602 しかし私は「これは源一郎はすぐに違うことを指摘できるのではないか」とは書きましたが、そうではないのかもしれないなあ。源一郎は言います。

「僕がまっさきに考えたのは、西郷吉之助のことだ」

 エッと驚きます。西郷は六兵衛を見て慶喜と見てとったといいます。でもそうなのかなあ。ともに一ツ橋派でしたから、主君島津久光よりは親しみは感じていたでしょうね。
 西郷は、こうだったのです。

 あまりにも前(さき)の将軍家に似ているゆえ、御家門の誰かしらと思うたのやもしれぬ。しかしじきに、西郷は確信したのであろう。

X12122601 そうなのかなあ。これはすごいことですね。西南戦争での西郷を思います。ただそれはこの時から10年後のことですね。
 慶喜は西南戦争での西郷をどう思ったものなのでしょうか。西郷のようなヘマは俺はやらなかったと思っていたのかなあ。

1212270112122702  なるほどな。ものすごく感心してしまいます。

 そのように思い起こせば、すべてが符合するのである。

 これには驚きでしょう。そして加倉井隼人には、この西郷吉之助と勝安房が二人で将棋盤を挟んで長考しているように思えてきます。

 ・・・・・・。見えざる将棋盤を中心にして、二人は長考した。

 うん、このことを加倉井隼人と福地源一郎が思うのは分かるのです。でも違うようにも思えます。的矢六兵衛は、これには当てはまらないような思いがします。
 この二人西郷と勝の中には慶喜も一つの駒なのです。だが、それは「玉将」なのです。だからどうにかしないとならないのです。今水12122608戸に去ったということは、それが見事終わったということでしょうか。

 下の写真は、昨日私の孫じゅにへ持って行きました私のクリスマスプレゼントです。私は25日に東京駅内で手に入れたものです。

1212280112122802 今日の展開は隼人たちが市谷屋敷へ戻れるのですが、それは一時のことだけです。ただただ忙しいだけのおつとめなのです。

 その数日後、長く西の丸御殿の御用を務めた三十人の尾張衆は、暇を得て市谷屋敷へと戻った。

 このときに「これで御役御免かと一同歓声を上げたが」というのはよく分かります。でもまたすぐに激務が続くのです。
 榎本和泉守武揚が江戸湾を艦隊を率いて遁走して、江戸地共和国を樹立します。そんな時なのですね。その時に的矢六兵衛はどうするのでしょうか。

 小源太が江戸弁でお道化ると、御徒(おかち)ども12122703は声を合わせて笑うた。江戸屋敷の門長屋に生まれ育った彼らにしてみれば、まことにそれが人情なのだ。

 もうこの小説も終りになるのかと幾度も思ってきましたが、まだまだ続きます。なんか予想がつかないのです。

1212280112122802 久しぶりに市谷の尾張屋敷に帰れる隼人です。この挿絵の隼人の妻と赤児の長太郎が家にはいるのですが、あの当時は今のように電話もケータイもあるわけではありません。この私ですら、妻とはケータイメールのやり取りがあります。もちろん、二人の娘にも出しています。昨日は長女の彼に、孫あてのケータイメールを出しました。やがてはじゅににもそのお父さんにもケータイメールするようになるでしょう。
 でもこの時代は、まったくそれがないのです。一月も音沙汰がないと、葬式も考えたと妻はいいます。

 呑気者の女房の取り乱すさまを、隼人は初めて見たように思うた。

 ・・・・・・。・・・・・・。
 ・・・・・・。
「・・・。まあ、よいではないか。しばらく見ぬうちに、長太郎も大きゅうなったの」
「はい。おまえ様は長太郎が大きゅうなるまでご不在でした」
「たった一月じゃ」
「赤児の一月は大人の幾年にございます」

 そして、隼人は以下のように考えます。12122708

 この際ゆえ、思慮深い妻に訊いてみようと隼人は思うた。

 的矢六兵衛のことだなと推測しました。もう私も気になって仕方ありません。

1212300712123008  今日は加倉井隼人の妻が語ります。

 何ともはや、奇妙な話もあったものですねえ。

 いやこの妻が語る言葉は実にいいです。的矢六兵衛の話は、市谷の尾張屋敷ではもう皆が話していることなのです。

 的矢六兵衛。何やら謎めいて心そそられます。ご立派な御番士ならば、金上げ侍であろうとなかろうと、かまわぬでしょう。・・・・・・。

 この妻が話すことは、私にはとても分かるように思えます。やはり女たちはすごいですね。
 最後のこの妻の笑いがいいです。

 ホッホホッーあら、ごめんあそばせ。おまえ様にしてみれば、笑いごとではございませんわね。ご無礼いたしました。でも、これが笑わずにおられましょうか。ホホホッ。

12123001 さあ、明日はこの妻と隼人の会話が聞けるのでしょうか。
 いや思うのですが、妻たち女はもっと昔からこうだったのかなあ。そのことを感じます。今はいわゆる表舞台にでも女たちが出てくるわけで、そのぶん、この隼人の妻の笑いのようなシーンが少なくなったのかなあ。いやいや多くなったのかもしれない。

1212310612123107  私はこの隼人の妻のいうことで、充分に納得がいきました。こういうことなのかという思いです。

 そもそも殿方は、一つのことに打ち込むと熱中のあまり道理も大局も見失いがちです。

 これは妻が隼人に言うことですが、私にも言われているような気持になります。

 六兵衛様は納得ゆかぬのです。幕府の旗本御家人がみなおのれのような武士であったなら、このようなことにはならなかった。

 うん、この妻のいうことが正解じゃないのかな。でもそれは旗本御家人がみな悪いのじゃなくて、幕府そのもの、時代が大きく変わっていたのです。鎌倉時代の武士を思います。北条家の大仏(おさらぎ)○○のことを思い出します。この江戸幕末の武士たちとは大きく違うのです。質素に味噌をなめながら延々と酒を飲んでいます。もうそんな武士の時代は大きく違ったのです。12123012

 思い屈して身の処し方のわからぬまま、殿中に座り続けて、ずっと悩み続けておられるのです。

 この隼人の妻のいうことが正解ではないのかなあ。

1301010613010107  私は昨日「妻のいうことが正解ではないのか」と言いました。だがもちろん、これは的矢六兵衛のことです。だが、加倉井隼人のいう「六兵衛は先の将軍慶喜ではないか」という思いには同意のようです。これは納得できないな。ただし、それは私がその後の慶喜の姿を知識として知っているからでしょう。
 妻の話が続きます。

 何と、的矢六兵衛の正体は前(さき)の将軍家その人にちがいないと申されますのか。上様は上野のお山の大慈院にこもられて、ひたすら恭順と見せかけ、実は御書院番士にすりかわっておいでだと。

 うーん、これは即座に否定してくれると思いましたが、妻も同じに思うようです。

 ああ、きっとそうですわ。すりかわった的矢六兵衛もすてきでございますが、その六兵衛様にすりかわった上様は、もっとすてきでございます。

 そうか、この奥さんもこういうのか。そもそも私は慶喜は少しも好きではありませんから、こんな慶喜であっても嫌いです。そもそもこ13010102んな冒険のできる人間ではありません。 しかし、この奥さんがいうと、私も少しはそうなのかと思ってしまいます。どう否定の言葉、事実が提示されるのでしょうか。それはもう誰か他の人の言を待つしかないでしょう。

1301030113010302  今日は加倉井隼人の妻の話が続きます。彼女が尾張藩の一番の大上司である前(さき)の尾張大納言に会ったときのことです。でも私には、これは少し冗長な話に思えるのですね。
 この時代は誰も御殿様の顔を見ることはなかなかないことのようだったようです。

 ・・・・・・、御殿様のお顔をはっきり存じ上げる者といえば、よほど大身の御家来かさもなくば御小姓衆ぐらいなものでございましょう。それとて面と向き合うわけではございますまい。

 このときの話は、「なるほどな、こんなことなんだ」とは思います。江戸幕府の誰もは将軍慶喜の顔をはっきりとは見ていないのではないかということなのです。私たちは写真で彼の顔姿を知っているのですね。
1301021713010218 随分前に、この慶喜のことを写真を見ながら、「実にいいサムライだねえ」と言いました友人がいましたので、すかさず私は「冗談ではない、この男は水戸で、目の前で水戸天狗党と諸生党が殺しあっているときに、止めないんだ。明治になってからだよ。彼なら止められたじゃないか。卑怯なずるい男だよ」と言ったものです。私は本気なのですね。私の天狗党を虐殺した奴を私が認めるわけがありません。
 今更私がいいましても、もはや遠いことになってしまいましたが。

1301041113010412 今日も加倉井隼人の妻の話が続きます。

 ・・・将軍家ならば、いったいどなたがそのお顔をご存知なのでしょう。その上様が、得心ゆかぬ御旗本のひとりにすり変わって、御城内にお座りになっているとしたら、よもやその御酔狂に気付く者はございますまい。

 うーん、この隼人の妻の推理ですが、それは違うんじゃないかな。その後の歴史で慶喜を知っているからです。でもその後の慶喜を知らずとも、「それは違うんじゃないかな」と言えるのじゃないかと思いまして、でも自分に「そんなこと言えるのか」と問うて見ますと、そもそも私には分からないとしか言えないのです。ただ、歴史の事実もこの小説でも慶喜はこの時には水戸へ行っているのですが、さてどうなのでしょうか。
 あ、私は「慶喜」を「よしのぶ」ではなく、「けいき」と呼んでいます。読んでもいます。でもでも、今私の辞書の操作がうまくいかないで、もういらいらして、焦っています。だから今は「けいき」なのに、「よしのぶ」で、でしか出てこないのです。困るなあ。腹立つなあ。

 ハテ、その筋書でまずまちがいはないと思いますが、だとするとすり変わったのちにすり変わった的矢六兵衛、どこで何をしてらしていらっしゃる。13010308

 エッ、ひょっとしたら、その的矢六兵衛が水戸へ行って、のちの天狗党と諸生党との血戦でも沈黙を続けてしまうのかなあ。
 ありえない話ですが、そのようなことも思ってしまいました。

1301050113010502  今日はもう隼人の妻ではなく、加倉井隼人と田島小源太が語るのです。二人ともこの日は非番なのです。そして子守です。

 まことに久々の非番である。
 朝寝を決めこんで目覚めたのは、春日もうららかな午前(ひるまえ)であった。

 子どもを見ています。しかし以下の

 長太郎はすやすや寝入っている。そろそろ起こして粥を食わせ、むつきも替えてやらねば。

 二人とも妻にも的矢六兵衛のことを喋っているのです。だから妻二人は六兵衛の家の稲荷町に行っているのです。六兵衛が慶喜と入れ替わっているのなら、本物の新六兵衛は自宅に隠れているはずなのです。
13010413 しかし、この小説は実に面白いです。
 でもそれと、ここに出てくる漢字熟語をUPするのが大変です。もう私は「大修館『漢字林』」を引いて大変です。インターネット、パソコンの時代になっても漢和辞典は欠かせません。

1301060113010602  加倉井隼人の妻しづゑと田島小源太の妻お勢は下谷稲荷町まで行きます。それでちょうど神田川を屋根船に乗っていくのです。この挿絵が橋の欄干から二人が船に乗っていくのです。このお勢は、小源太よりも四つ歳かさだといいます。それがすごくいいです。すごく「世事あれこれに長けている」のです。

 しづゑは江戸の地理に疎い。和泉橋の河岸から下谷稲荷町は近いのだろうか。13010503

 いや今でも遠いですね。でも屋根船で行くのはものすごくいいものでしょう。ただ今日は遊びで行くのではなく、的矢六兵衛の自宅へ行くのです。もし六兵衛に慶喜がすり替わったのなら、六兵衛はここに居るはずですね。私はそんなことはありえないと思ってはいますが。

1301070113010702 今日は昨日(これは昨日の小説の内容がということです)同様に、二人の妻の的矢六兵衛の家(下谷稲荷町にある)に向かう様が書かれています。だが私は思い違いをしていました。神田川を上るのでなく、下るのですね。隼人たちの家を思いました。そして今神田川を思い浮かべました。神田川は私には実になじみ深い川なのですね。

 ・・・・・・
 そういうお勢の顔は、実に両国橋の芝居小屋に向かうかと思われるほどうきうきとしていた。
 舟は神田川を下へと滑ってゆく。

 そして船頭がいいます。

「上野のお山には、お近付きにならねえほうがよござんすよ」
 遠ざかる舟の上から船頭が言うた。

13010611 いよいよ彰義隊の戦いになるのですね。なんか悲しいな。戦わない幕府の侍たちより、彰義隊のほうが潔いし、好きになれるのですが、でも悲しいです。上野の山を歩くときは、かなり広いことを感じて、でもいつも彰義隊で悲しくなっています。

1301081113010812  しづゑとお勢は下谷稲荷町の的矢六兵衛の家へ向かいます。

 和泉橋から北へまっすぐな道は、右も左も黒塀の続く御屋敷町であった。

 今とは大変に違いますね。私は高校生の時と大学一年のときに住んでいた横浜東横線白楽の家を見に行ったことが8年くらい前にありましたが、もうえらい変わりようで、なかなか昔の面影を探すのが大変でした。それがこの時代で、二人の妻は初めて歩く路なのですからね。13010710

 ・・・二人の足は、わけて立派な長屋門の前に根を生やしてしもうた。

 ここがそうなのかなあ。そうであればいいなあ。でも私はここには六兵衛はいないと思ってはいますが、さてどうなのでしょうか。
 またこうしてこの小説の先が気になって仕方ありません。

1301090113010902  どうやらしづゑとお勢は、的矢六兵衛の家を探り当てていたのでした。

 表札に「的矢」とある。

 よく探り当てたという思いがします。果たして、ここに慶喜の代わりに六兵衛が潜んでいるのでしょうか。私はそんなことはないと思いますが、前にもみた中間奴が出てきます。2012年8月26日のポメラ2012年8月29日のポメラで出しました挿絵にこの奴が描かれています。この奴(やっこ)はたいそう弁もたつし、頭の回転も速いようです。

 たいした中間奴だと、しづゑはなかば腹立ちながら感心した。

 そうだよな。このしづゑも私と同じことを感じています。

「お女中ではございませぬ。奥様にお取次ぎを」13010803

 さて、これで明らかになるかな。私の予想は当然、ここには六兵衛はいないから(江戸城内にいる)、加倉井隼人の思いもしづゑの思いもはずれるわけですが、どうなのでしょうか。
 また明日が楽しみです。

1301100113011002 この挿絵のような美しい女房が新的矢六兵衛にはいるのです。

 やがて衣ずれの音がして、女中を従えた奥方が玄関先に姿を現した。まず目を奪われたのは、納戸色の綸子(りんず)に青海波の裾模様をあしらったお召物である。

「納戸色の綸子に青海波の裾模様」なんてすぐ想像しました。納戸色といえば、ブルーの色であり(こういっちゃいけないのだろうが)、青海波で少し目立たせている(この模様は下にUPしました)のでしょうね。昔『源平盛衰記』で平家追悼に出かける(最初は木曽義仲との戦争ですが)源氏軍の中で弁慶が青海波を身に着けていたなあ、なんて思い出していました。

 美しい女房である。しかも殿方の目を引く美貌というより、おなごが見惚れる類である。肌は陶(すえ)の白さであった。

03011001 私には「陶の白さ」というのが分からない。私はすぐに陶晴賢を思い出したものです。かたくななほど白い肌だということかなあ。だから白い肌で落ち着いた納戸色を来て、でも少し派手(とはいえないが)なのは青海波の裾模様をまとっているということなのです。
 さて、しづゑにはなんとしても、この美しい女房の夫の六兵衛のことを語ってほしいものです。それとも語らないかなあ。いや語るよなあ。

1301110713011108  さて、しづゑとお勢はこの六兵衛の美しい妻と対面します。

 言葉はていねいだが、頭は下げぬ。その権高さも御旗本の奥方そのもので、やはり俄かに習うたとは思えぬ。

 そうなのか。なんだか私はこの奥方にもシンパシーを感じてしまいました。いい加減な私なのです。でも果たして、ここに本物の的矢六兵衛がいるのでしょうか。あ、本物といっても、新的矢六兵衛だから、これも「本物」といっていいのかなあ。

 胸の動悸は収まったが、体がこわばってしもうた。しづゑは○を支えながら首を回した。

13011016 私はここには六兵衛はいないと思いますから、出てくるはずはないのですが、ひょつとしたらという思いもあります。
 さてどうなるのでしょうか。
 この下谷稲荷町の六兵衛の家での対決は息詰まる思いがしてしまいます。また明日を待ちます。

1301120113011202  六兵衛の父母が出てきます。その二人の登場の前に、しづゑとお勢の目の前にある御庭を説明しています。

 目の前は手入れの行き届いた御庭である。池泉には石橋(しゃきょう)が架かり、向こう丘には苔むした檜皮葺(ひわだぶ)きの東屋もあった。水面(みなも)のそちこちに紅白の蓮の咲きかけているさまは、やがて訪れる極楽浄土の季節を髣髴させた。

 そしてここに二人の老爺と老婆が出てきます。

 夫から聞いた話の中で、しづゑが何よりも理解に苦しむのがこの御隠居の件(くだり)なのである。

 私も理解できません。しづゑの思いは私もまったく同様に思います。だが、そこに子ども二人が現れます。男の子二人なのですが、お勢が

「二人とも母親似でございますね」

というのです。しかし、

 ・・・、子供らと御隠居夫婦との自然なやりとりはどうしたことなのだ。

13011109 これではまったく分からないのです。子供二人も新的矢六兵衛とその妻と同じに入れ替ったはずです。でもこの御隠居夫婦は元のままです。
 どうしても理解できません。私が「幕府が、江戸時代が悪い」と言っても、このことはどう理解したらいいのでしょうか。

1301130113011302  お勢はしづゑに言います。

「きっとお芝居でございましてよ」
 お勢がいっそう声を絞って言う。

 この挿絵がそのお勢なのです。彼女は田島小源太の妻ですが、四つ年上だといいます。その感じがよく分かるこの回です。13011207

 咽が渇いた。茶でも水でも飲みたいと思う間に、ようやく廊下が軋(きし)んで人の気配がした。

 また六兵衛の妻の登場かと思いました。さて、小源太の妻の憶測はあたっているのでしょうか。また明日を待ちます。

1301140613011407  どうしても最後まで一気に読んでしまいます。やはり「そうだよな」という思いで、でもどうしてもこの新的矢六兵衛の奥方も、六兵衛もその存在が理解できません。最後がこうです。

 ・・・奥方はしばらく唖然として目を瞠(みは)っていたが、じきに美しい顔を餅のようにとろかせて笑い出した。

 この「美しい顔を餅のようにとろかせて」というのは、想像もできるのですが、でもどうして笑うのでしょうか。明日になれば、それも解明されるのかな。
 それにしてもしづゑとお勢はものすごい頑張りようです。これは加倉井隼人でも田島小源太でもできないことです。
 これが映画になってほしいな。この「新的矢六13011404兵衛の奥方」が誰にするのか、どの女優が演じてほしいのかは、あとでじっくり考えていきたいと思っています。
 それにしても、また私は言いますが、この小説は夏目漱石の作品に比較できる気がしています。『吾輩は猫である』よりも私は上のような思いがしてきています。

13011408 私は浅田次郎「黒書院の六兵衛」(239)で次のように書きました。

でもどうして笑うのでしょうか。

 いやいや、私もすぐに理解できました。でもUPするのは、こうして遅くなってしまいました。
 新的矢六兵衛の奥方も夫のことは心配なのです。それでも笑うのは、お勢としづゑの言うことがあまりに唐突すぎるからです。
 私は慶喜をまったく評価できません。私には、水戸天狗党の子孫だと自認する私には、慶喜はあまりにずるすぎます。卑怯すぎます。
 その慶喜が今も江戸城内に残るわけがありません。
 そして会津城が落ちたあと、何故か戻ってくる諸生党と天狗党の陰惨な殺戮戦争を彼は黙って見ているのです。このことは歴史上でも何にしても明らかにされません。あまりに陰惨すぎるからです。諸生党の嫌いな私でも、これだけは嫌でたまりません。
 でもその私でも、同じ故郷の人に、「え、あなたの苗字では諸生党の子孫ではないのか」と嫌な視線をしてしまうわなのです。慶喜が「やめろ、やめろ」といえば良かったのに。でもでも、それでもやめないだろうな。なんだか、私も暗く、暗く、嫌になってきます。
 そうですね。私が『山川菊栄評論集』にわずかに以下のように書いています。

山川菊栄には、「覚書幕末の水戸藩」(岩波文庫)という著作もあり、私が山川菊栄で最初に読んでいたのはこちらのほうなのですが、これまた水戸藩の幕末に興味を持つ私には、たいへんに参考になった本です。13011409

 卑怯にも私も書くことも避けてしまっているのです。
 あ、慶喜が「やめろ、やめろ」と言っても、やめないよね。暗くていやだなあ。これは私のことも言っているのです。

1301150713011508 やっぱり的矢六兵衛と慶喜が入れ替わったわけではないようです。

「アアッ、何と、宅の主人と上様がすり替わり。アッ、ハッ、おっかしい、おかしょうて、アハッ、息が詰まりまする」

 こうして六兵衛の妻は笑うに笑うのです。これで私の思いは当たっていたと思うのですが、しづゑとお勢はまだただ分からないばかりなのでしょう。

13011415 徒労ではなかったとしづゑは思うた。女房を見れば亭主の人となりがわかるというが、まさにその通りである。的矢六兵衛という謎の侍は、しづゑのうちにありありと像を結んだのだった。

 やっぱりこの六兵衛の謎はわかりません。ただの金上侍というだけではないといえるのでしょうか。やはりまだ加倉井隼人の推測はこれではおさまらないのでしょう。

1301160113011602 せっかくこの的矢六兵衛の家に行ったのに、すぐに辞去することになります。

 二人は茶にも饅頭にも手をつけぬまま、いそいそとと辞去した。

 だが六兵衛の奥方からは渡された風呂敷包みがあります。六兵衛に渡してくれということなのです。
 それを

 ・・・、「かしこまりました」とひきとったあとでしづゑは少し考えこんだ。

 最後にお勢はいいます。

 しづゑは足を止めた。
「よろしゅうございますか。上様は一年と半年前から幕府の行末を予見なさっ13011704て、的矢家を召し上げたのです。六兵衛はおそらく、お庭番か忍びの者。これですべて辻褄が合います」

 いや私ではすべて辻褄が合わないのです。さてこれからも興味深く見てゆくでしょう。

1301170113011702  このお勢のいうことには、私は納得がいかないのですが、それは私が慶喜がどうにも嫌いだからかもしれません。お勢は次のようにいうのです。

「上様は権現様の生まれ変わりでございましてよ。ましてや、あの水戸列公がご実子にあらせましてよ。さような御方のお考えを、わたくしども凡下が察っせられましょうものか」

 どうも私には慶喜を昔からまったく評価できないものですから、うなづけはしないのです。このすぐあと(いやもう少しかかりますが)に、水戸に下った慶喜のすぐ前で会津城陥落後戻ってきた諸生党と官軍になった天狗党との殺戮戦があるのです。それには薩長も一切かかわらず、いや歴史上でもほとんど書かれていません。
 そんなことが迫っているのです。
 しかしこの時はまだそんな時ではありません。

13011705 六兵衛は不戦開城に得心ゆかぬ金上げ侍を装っているが、すでに上様と入れ替わっているのである。・・・・・・。

 そんなことなのかな。もし、そういうことなら、私はこの作者にはがっかりしてしまいます。
 いや、もっと違うはずだと私は思っています。

1301181813011819 どうしてもこの回を読んで、私は涙でいっぱいになってしまいました。
 しづゑとお勢は新的矢六兵衛の二人の息子に会うのです。この挿絵がその弟のほうです。

 何ごとかを言おうとして、兄は眶(まぶち)に涙をためてしまった。

  最後に次のようにあります。これはしづゑとお勢二人の気持でしょう。

「何やらまたわからなくなりました」
 手紙を読むと、お勢はむせびながら言うた。笑うたり、泣いたり、何と忙しい一日であるう。
「お父上様」という拙い文字を見ただけで、しづゑの胸も詰まってしもうた。

 こうして見ると、この新的矢六兵衛は二人の男の子にもものすごく慕われる父親のようです。私は誤解していたようです。この新六兵衛はいい父親なのでしょう。
 前の的矢六兵衛は女房ともどもいい奴だとはいえないようでした。でもこの新六兵衛は妻にも息子にも慕われているいい父13011802親なのです。
 私は自分の頭の回転を信用できなくなりました。
 幕府も新政府も時代も歴史もいけないのだよな。こんな六兵衛が元気で生きていってほしいのが当たり前の日本ではないのか。

1301190113011902父を慕う子の切々たる思いは泣かせるのだが」という思いで、私もまた涙になります。その息子次男庄之助の手紙が以下です。

 御父上様
 御つとめ御くろう様ニ御座候(ござそうろう)
 屋しき内ハ皆々息さい御而(にて)安心被召度(めされたく)
 只今御父上様の御かへり御まちいたし居候
 何卒(なにとぞ)御無事而 一日も早う御かへり被下度(くだされたく)
 御願上仕候(つかまつりそうろう)
                    庄之助

 私もどうにも涙が止まらないものです。
13011803 もうすぐ彰義隊との決戦が迫っているのです。
 このときに、隅田川を舟で下る二人の思いを考えます。どうやら、その舟をこぐ船頭も上野の彰義隊のシンパのようです。

1301200213012001  この江戸城に新しい人物が登場します。

 ・・・・・・、大廊下上之御殿御部屋にひとりの武将が座っている。誰あろう、前(さきの)権大納言徳川慶勝公にあらせられる。

 この人物を知ったのはいわば今日が始めてのことです。
 私は小学校6年の春に何度か名古屋の「徳川園」に行きましたが、思えば、こんな時からの縁があるのですね(もちろん、尾張藩は御三家なんですが)。私はこの「徳川園」の隣の少し広い駐車場と公園で小学4年の弟が凧を揚げていた光景をよく思い出します。あれは昭和35年のことですね。

 御殿様は市ヶ谷の尾張屋敷には入ろうともなさらず、まっしぐらに御城をめざし、畏れ入る官兵どもを鞭で薙ぎ払うて西の丸御殿に上がった。

 ただ、そこで、この「黒書院の六兵衛」がいるのです。13011810ただただ黙って座っているだけですが。その慶勝が思います。

 ハテ、それにしてもーー目の前にあるこの侍、いったい誰じゃ。

 どうなるのでしょうか。この慶勝の前でもただ黙っているだけなのかなあ。

1301210113012102  徳川慶勝はここにただ座っているだけの六兵衛がわけがわかりません。

「おぬしは誰じゃ。名乗れ」
 さては不覚にも罠に嵌ったか、旗本御家人が尾張に恨み骨髄であることぐらい承知している。大廊下の詰席に刺客が待ち受けていたのだ。

 これは大きな勘違いです。第一そこの六兵衛は脇差すら差し出しているのです。だだ慶勝はいいます。

「おのれ狼藉者。刀の錆にしてくりょう」
 御殿様は丹波守吉道の鞘を払うて立ち上がった。13011812

 この勘違いをどう慶勝は終えるのでしょうか。でも黒書院の六兵衛自身が語ってくれなくては、わけが分かりません。
 もちろん、歴史の事実としては、こんなことはないわけですが、でもでも読んでいて、はらはらしてしまいます。さて、どうなるのでしょうか。

13012203 浅田次郎「黒書院の六兵衛」(245)へmatoyaさんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by matoya   2013年01月20日 18:40
  コン!…….
間違えました。こんばんわ周さん、御無沙汰です。
狐説のmatoyaです。

新六兵衛の徳川慶喜説がでましたか。
海舟なら、旧幕の徹底抗戦派に慶喜が見つけ出されず、担ぎ出されることなく、どこかで静かに隠れてもらいたいでしょう、新六兵衛のように、城の真ん中で目立っていては、具合悪いと思うのです、といって、切腹でもされたら、仇打派が奮い立ち 反維新政府勢力が増幅しますので、慶喜には、どかでひっそりと 生き恥をさらして、人々から忘れ去られるまで、延命してもらいたいとでも、私が海舟なら、考えます。慶喜と入れ替わるなら内藤筑前あたりが、適役かと、そして直心影流の達人の新六兵衛が警護役兼目くらまし(注目)役。しばらく江戸城で幽閉し、筑前を水戸へ、世の中が平定すれば、入れ替え直す。そう考えると、新旧六兵衛の話は、隼人たちの関心を六兵衛に引きつけておく為すべて作り話か、なら海舟以下の旧幕のキャストたちは、相当な役者ぞろいだな、海舟は脚本賞、特に子役の泣きの演技はオスカー賞もの。でも、化かしの名人の狐が六兵衛なら、辻つまが合うのですがねえ。え?、やけに狐にこだわるなあと、それは、秘密です。それでは、しっぽ掴まれぬうちに、ドロン!

 私は前にも書いたのですが、私の今住む東京北区王子は狐がものすごく縁のあるところです。王子装束稲荷の小さな境内で、まだ小さかったポコ汰を写真で撮ったことがあります。王子の飛鳥山公園の南側の都電を見下ろせるあたりでは、江戸時代には瓦を投げる遊び(瓦といっても小さくしたものでしょうが)、その先には田圃ではなく、ただの荒地だったのでしょうね。
13012204 この時代にはたくさん狐もいられたものなのでしょう。でもこの小説の時代ではねえ、もう狐もどうしようもない、活躍はできないと思うのです。狸は今でも、住宅地でも庭などに穴を掘って生きているようですが(事実私の以前住んでいた千葉県我孫子市では聞いていました)、でも「高畑勲『平成狸合戦ぽんぽこ』」でも登場した狐が言っていましたが、今は狸とは違って、狐の方が住みにくいのです。狐のほうが純情なのですね。
 これはこの「黒書院の六兵衛」のときも同じだと思うのですね。私の家のすぐそばにも小さな稲荷神社があります。もう狐もああいうところで治まってしまったのでしょう。
 そういえば、私には登場人物の勝海舟も格好悪い人物です。書きのこしている漢詩は一つもよくないし、そういえば米国へ行ったときも、彼は咸臨丸の中で船酔いで船室でずっと寝ていたようです。何も役に立たない人だったようです。江戸城を開城するときの西郷南洲との会談のときだけがいいのじゃないかな。
 そういえば、我孫子の布施(あ違った。柏の布施だ)に、ある古い家で(私は写真撮影の仕事で行ったものです。数奇屋造りの家を撮影しました)、海舟と西郷従道の書いた書を見ました。二人(鴨猟に来ているのです。もちろん、お供は何人もいたでしょうが)で、書いているのですが、はっきり言いいまして、少しもいいとは思えないものでした(従道のほうが良かった)。
 まあ、家に本妻と妾を同時に置いたという世界でも珍しい人物ですからね(狭い家にこんなことをやったのは世界の歴史の中で勝だけです)。奥さんが、「今度生まれて来ることがあったら、絶対にこの勝13012205には会いませんように」と願ったのは(願をかけたようです)、よくよく分かります。
 なんといいますか、私はこの『浅田次郎「黒書院の六兵衛」』の的矢六兵衛が狐であるというお話には、少しも興味を持てないものです。もっとそうではないことを、浅田次郎さんは描いていると思うのですね。

1301221113012212  このあやわという時に、官軍の加倉井隼人が駆けつけます。良かったなとは思います。そこにいる旧幕臣も官軍たる尾張藩の人たちも思ったことでしょう。

 大廊下に蹲る侍たちを押しのけて、ひとりの官軍将校が膝行(しっこう)した。御殿様は抜身を提(ひっさ)げたまま振り返った。

 本当は慶勝にも良かったのです。「御殿様はほっと胸を撫でおろして刀を納めた」のですから。
 ただまだ六兵衛は同じ姿勢を止めません。

 六兵衛のまさざしは御殿様の御具足の胸元に据えられた。いくら何でも無礼が過ぎよう。13012206

 しかし幕臣では旗本といえども、尾張藩の長には敬意を払うのではないでしょうか。これは六兵衛が心配です。加倉井隼人がなんとかしてくれるのかな。なんだか今では私までもがそうしたことを心配してしまいます。
 これは六兵衛も隼人には感謝してほしいものです。

1301230113012302  さて、こうして尾張の徳川慶勝が正面から六兵衛を見ることになります。

 何を申すのかと思いきや、この者を慶喜と疑うているのか。笑止きわまるところではあるが、それくらい苦労をしたのだろうと思い直して、御殿様は笑わずお答えになった。
「ちがう。似ても似つかわぬわ」

 このあと慶勝が15代将軍慶喜と血が濃いことが書かれています。これでもう間違いないでしょう。加倉井隼人もこれで納得します。でもでも的矢六兵衛のことは何も変わっていないのです。

「馬を急かせて参ったゆえ、腹がへった。湯漬けなり食おうではないか。加倉井、的矢、相伴せい」
 言うが早いか、御殿様は篭手を嵌めたお手を叩いて人を呼んだ。

 うーん、これで的矢六兵衛も一緒に湯漬けを食うのかなあ。大変に興味深い13012214です。今は湯漬けなんて食べません。インスタントのお茶漬けなら誰でも食べています。織田信長が桶狭間の戦いの前に湯漬けをかっこむ姿が甦ります。ここらへんの火急のときの食べるものはずっと変化していないのですね。
 さて六兵衛が湯漬けを食うのかが待たれます。私は食うと思いますが、そうすると少しは六兵衛、気持は和んだのかなあ?

1301240713012408  昨日私が「これで的矢六兵衛も一緒に湯漬けを食うのかなあ」と言っていたことは、すぐに分かりました。私は新聞を見るなり、真っ先に確認したものです。最後に次のようにあります。

 六兵衛の肩からいくらか力が抜け、無言のまま一礼して湯漬けを掻きこんだ。

 しかし、以下のように干鰯(ひいわし)には手をつけないのです。

 わかってくれたか、六兵衛。しかしどうして干鰯には手をつけぬ。

 嫌いなのかな。私はそれくらいのことしか考えられないのです。
 でもその前に徳川慶勝が語ります。これは実にあの時期を適確に見抜いている言葉です。

 ・・・・・・。よいか、六兵衛。諸外国は内戦に乗じて、出兵の機を窺うておる。今も同じじゃ。ことは徳川の存亡のみならず、日本国の存亡にかかわる。

 これは実に納得できる言葉です。おそらく、フランスが出兵すれば、イギリスも出てくるでしょう。プロイセンもロシアも出てきた13012307でしょう。オートスリアもそして米国も。事実清国は、「眠れる獅子」と怖られながらも大変な事態になっていました(これは日清戦争のあとだという指摘もあるでしょうが、でもアヘン戦争、清仏戦争はもう起きているのです)。
 ただ干鰯のことは明日は分かるかなあ。

1301250113012502 昨日は「ただ干鰯(ひいわし)のことは明日は分かるかなあ」とは書きましたが、六兵衛は香の物にも箸をつけぬのです。

 ・・・・・・。湯漬けの飯だけを食ろうて、干鰯にも香の物にも箸を付けぬというのは、きっと何か意味があるにちがいない。

 六兵衛は噯(おくび)ゲップをするのですが、徳川慶勝の前なのです。加倉井隼人は怒りますが、今度は慶勝が抑えます。これは何かあるのかもしれないと思い込むのですね。ここで切ったら、上野の彰義隊の怒りに火をそそぐだけだと。

 二人がようやく腰を落ち着けたとき、やにわに六兵衛が立ち上がった。閏月13012409を挟んでかれこれ二月余も座り続けた上之御部屋を離れ、いづくに向かうや六兵衛。

 やはりこの今の的矢六兵衛の考えていることはどうにも見当もつきません。さて明日は六兵衛はどこへいくのでしょうか。

1301261113012612  今日はその後の福地源一郎の創刊した江湖新聞のことが書かれています。いや新聞のことではなく、福地源一郎のことです。

 江湖新聞を創刊してからというもの、福地源一郎には怪しい人物が付きまとうようになった。

 この挿絵のような変な人物が二人です。どうも旧幕臣側ではなく、官軍方のようです。官軍方というよりも、「正体はどれも西国の田舎侍なのであろう」と思えるのです。

「人の命に釣り合う戦など、あるものかね。だから世論は大切だと言うておるのに、どうして文句つけられるのだろう」
 二人がまた肯いたように思えた。淀屋までのみちみち、言うて聞かせてやるとしようか。

 だがこの源一郎はやがて逮捕拘留されてしまうのですね。このことが今現在の日経新聞や朝日新聞につながっていると思うのですね。江湖新聞の流れは今は存在しません。私はものすごく残念です。
 さて、もうすぐ彰義隊の戦が始まるのですね。
 こうした事態にも私は不安になってしまいま13012602す。やがて逮捕される源一郎、いつも見つめている新政府と思うのです。いえ私が不安になることはないのですが、昨日グーグル日本支社と電話で話したことで、どうしても不安を感じてしまうのです。この現在にも不安に感じてしまう現状はあるのです。

1301270113012702  福地源一郎が高利貸の淀屋を訪ねるのです。これはかなりな見ものです。

 文久の幕府使節の行動が翌朝の新聞に逐一掲載されるのである。前日に出来事が活版印刷によって、大量に迅速に伝えられる、これこそ世論口論の基(もとい)だと感じ入った。

 しかも当時起こりました薩英戦争が源一郎が横浜の外国人居留区で手に入れた新聞は英国政府を痛烈に批判していたということに、驚くわけなのです。こうしたことをちゃんと見つめられたことが源一郎の優れた感性であったかと思います。
 それで江湖新聞を発刊するわけですが、そしてもう発行されているのですが、今日はそもそもこの作品のいわば原因を作ってしまった元の的矢六兵衛に高利な金を貸した淀屋を訪れるのです。

13012613 官兵がぼんやり立つ下之御門の向かい、濠に架かる天王橋の袂に、真三角に「淀」と書かれた看板が下がっていた。間口は広く面構えはよいが、どことなく妖気漂うお店(たな)である。

 さて、ここに源一郎は訪れるのですね。これは実に見ものなシーンになると思われます。

13012801  さて今日は福地源一郎が高利貸の淀屋を訪ねるのです。
  源一郎だけではなく、二人の変な人物も一緒です。いわば、この二人は用心棒替わりにもなったことでしょう。

13012802 よろしおすなァ。御家人のみなさまは、天地がひっくり返ってしもうてどうにもならしませんけど、・・・・・。

 丁寧な言葉ですが、その底には冷たいものも感じます。いやこれが淀屋等の高利貸には当たり前の姿勢なのでしょう。

 ・・・・・。大御番士から御書院番士へのお貸付。ご両家は代々嫁婿をやりとりするご親類や。で、大番士様がご自分の借金の形にその証文を回した。

 やはり怖いですね。これは今も普通に行われていることなのでしょう。
 私も随分前に、民間のクレジット会社の人と13012705会話したことがあります。彼は、もうこの業界そのものでしか働いたことはなく、普通に子どもが居て、普通の会話が出来る人でした。
 それが当たり前にやっているのです。いやいや、私はいわゆる公の金貸し機関の方が恐ろしさを感じるものです。

1301290113012902  今日は淀屋が喋り続けます。

 ・・・、義理にからみ人助けやと思て承知した話でございます。
 はい、人助けですとも。うっとこは江戸に出ましてからいまだ五年ばかりでございますが、お蔭様で商いはあんじょう運んでおりました。何を好きこのんで危ない橋を渡りますかいな。

 しかし、この淀屋の語る話にも何故か納得してしまうものです。

 そやけど、どれほど立派なご政道でも川は汚れますな。川辺の柵にごみも溜まるし、川底には澱が重んでます。そないな汚れを取り除いて、大川の流れを保つのは、手前ども銭金商いの仕事でございます。

 いや納得してはいけないのだと思いながら、それでも肯いてしまう私もいま13012805す。もっともこれは口の上でのことで、実態はもっと悲惨に思えることをやっているのかもしれません。そういえば、こういうことでも頼りにならないというか阿漕なことに加担している弁護士を見てきたものですね。
 しかし、これで次回は買い付けた借金をどうするのかという具体的な話がきけそうです。

1301300513013006  今日もこの「黒書院の六兵衛」を書くのですが、まだ新聞が到着していないのです。でも今は(05:32)もう読んでいます。
 淀屋はこういうのです。今日も淀屋の語る話が続きます。

 まあ、百両二百両のはした金ではない、いうことだけはもうしあげておきまひょ。なんせ親子代々の積もり重ねた借財、それも年に一割五分が利息の相場や。・・・・・・。

 思えば、これは江戸幕府の長い年月のせいですね。当初の武士たちは少しも年頭に置いてなかったものなのです。

 ほしたら、話を元に戻しまひょ。淀屋が男気を出して、ややこしい借金を片付けたんです。札差と大御番士を土俵から下がらせて、初代的矢六兵衛と差しの勝負や。13012912

 当然、この勝負では前の六兵衛には勝目はありません。でも刀を持っている武士です。何をするか分かりません。だからこういう淀屋が出てくるわけです。
 思えば、今もこういう存在が現実の世界にはいることを感じます。

1301310813013109 いつも朝は、こうしてブログをUPするので大いそがしいです。これはもういたし方ないですね。淀屋がさらに語ります。

 もとの的矢六兵衛様は、そらもの、厄介なお人でございました。

 これが実態としても、そして私の実感としても分かるような気持になります。

 いかにも権高なお侍様というのは、むしろ扱いやすい。

 そうだろうなとうなづきます。この淀屋のいうことにはいちいち肯くものです。この借金はどれくらいの額が溜まっていたのでしょうか。

 ひつこいお人やなあ。ほな、こない言うときまひょ。根津神社の一番富が、まとめて十ぺん当たったほどの大金や。嘘もはったりもない。天下の御旗本が十幾代も重ねた借金いうたら、それくらいのもんでっせ。13013012

 うん、そうだなあ。だから今回の事態になったのでしょう。旧的矢六兵衛から今の「黒書院の六兵衛」になったのでしょう。これは幕府そのものが一番の元凶です。時代が変わるはずです。彰義隊は簡単に敗れるはずです。

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