将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Category: ナミちゃんのブログ

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 ナミちゃんのブログで、このUPがありました。

http://blogs.yahoo.co.jp/namint7/39228688.html   バラ <プレイボーイ>

 情熱的なバラ<プレイボーイ>がやっと開いてくれました。。待ってましたよ。

 http://blogs.yahoo.co.jp/namint7/39278264.html   色が変化しました〜<プレイボーイのバラ>

 プレイボーイのバラ(笑)の色が変化していました〜。
 更にオレンジが濃くなって。。燃え上がっています(^^♪

 薔薇に、こんな名前の種類があるなんて、始めて知りました。私はよく花を贈ったものでした。特に女性の誕生日に贈ってきていました。
 私が前によく行きました赤坂のある飲み屋で、いつもそのママの誕生日に贈るTBSの方がいました。でも、そのママは、毎回同じ真紅の薔薇なので、少々まいっていました。
 私が最初に贈ったときに、そのママは実に感激してくれました。「贈っていただいた花は、みな私の大好きな花ばかりです。先生は私の好きな感じがよく判るんですね」と言われたものでした。いえ、そうじゃないのです。私は花なんか少しも判らないのです。ただ、私がいつも花を頼んでいた女性に、そのママの年齢だろう歳を伝えることと、そのママの感じを伝えたものなのです。そしていつも、伝えると言っても、メールして、お金を彼女の銀行口座に振込むだけでした。
 それで私はいつも、花をよく知っているかのように、どこでも思われてきました。でも私は花なんて、何も判らないのです。桜と菊くらいが判るくらいでした。

 このナミちゃんの家の庭で咲いている「プレイボーイ」という薔薇の種類は始めて知りました。写真で見ても、本当に綺麗ですね。

 このごろは、花を贈るよりも、ケーキ(今はスウィーツというのが多いのですが)や和菓子を贈るほうが多くなりましたね。こういうものなら、私でも選べるじゃないですか。でも花は、私では判らないのです。だから、またあの彼女と連絡がとれればいいのですが。ケータイメールで連絡できないと、もうどうにもならないのですね。電話ではまず捕まらない忙しい方なのです。

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062c8dcd.jpg ナミちゃんのブログ上野動物園 を読みました。ナミちゃんが撮ってくれましたアザラシくん、シロクマくん、ペンちゃん、カバくん、キリンさん、ゾウくんの写真を見ました。とってもいい写真です。
 この写真とナミちゃんが書いている内容で、私も早くポコ汰を連れて上野動物園に行きたくなりました。
 私の記憶では、名古屋の東山動物園に入ったのは小学生の4、5年生の頃で、その後は少しも行きたいと思う場所ではありませんでした。でも自分の子どもが生まれますと、当然に連れて行きたくなります。
 でも連れて行っても、まだ小さいブルータスは、像の前でも肝心の像を見るよりも、自分の目の下にあった水たまりに、自分の顔が写っていることに歓声をあげていたものでした(このことを前にも、私はどこかに書いているのですが、それがどこだか判りません)。そのことが実に懐かしいです。
 それから、私の義弟の子どものタクヤ君を連れて、この動物園に行ったことも懐かしいです。途中で、妻や義弟や娘たちとはぐれてしまい、タクヤ君は、私の手をずっと握って歩いていてくれたものでした。それがもう実にいい愉しい思い出です。
 ポコ汰と夏に生まれてくるポニュちゃんを連れて動物園へ行けるのはいつのことでしょうか。2年後でもまだ無理かなあ。
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 ナミちゃんのブログに、このUPがありました。

アーモンドの木って知っていましたか〜。
先週ホームセンターに行った時桜の花によくにた綺麗な木があったので何かしらと思い
タグを見たところ<アーモンド>と書いてありました。

 もともと私は花にしても樹にしても、あまり知りません。でも「アーモンド」という木があるとは、始めて知りました。ナミちゃんのブログで見ます写真では、やっぱり桜の花に似ていますね。
 えッ、でもどこへ行けば見られるのかなあ?
 ナミちゃんのブログでは、まったく知らなかったことをときどき教えてもらえるので、嬉しいです。

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 本日今、引越に出かけますナミちゃんから、次のコメントをいただきました。

2. Posted by なみんと    2008年03月18日 07:07
周さん!おはようございます。
引っ越されたんですね。。寂しいですが・・・
これからは我孫子は懐かしい場所になりますね。周さんには王子が合っているでしょう〜♪〜
お引越し大変ですが・・安心ですね。無理しないでゆっくりやってくださいね。

 ありがとう。ナミちゃんとは我孫子で会って飲みたかった思いでしたが、その機会がなかったね。でもこれからも私は我孫子へ行きます。父母のお墓は正泉寺だから、我孫子はもう私の故郷です。王子はね、1968年2月3月の王子野戦病院闘争で来たのが最初で、そのときから、長く訪れていたところです。偶然私の妻の実家も王子だったのですね。
 ナミちゃん、千駄木の「浅野」で飲もうよ。もうすぐあの店は、HNKで取材されるはずなのですが、いつなのかなあ。
 我孫子には、北口の「盛」というお店には、今後も飲みに行きます。たぶん3カ月に一度くらいだろうね。ご主人が絵描きさんで、水戸の人なので、私はいろいろと話が愉しいのです(いえ、水戸の天狗党の話とか、嫌いな諸生党や、嫌いな慶喜の話等があるのです)。それに「福一」の和菓子も、「メヌエット」のケーキ(スウィーツというのかなあ?)もこれからも買いまして、あちこちへ持っていきます。私も食べられるようにしなくちゃなあ。

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 ナミちゃんのブログへマチスさんがコメントされた内容で、この小樽の運河沿いの雪明かりの路を初めて知りました。自然、家庭菜園、旅行、ドライブ,花、小鳥 というブログの次の記事です。

 http://blogs.yahoo.co.jp/riku46187sizenn/40194913.html 小樽雪明かりの路を見に行って来ました

 私は小学校へ入ったのが昭和29年で、札幌でした。だからお隣の小樽もとても親しく思える街です。でもこんなに綺麗な雪明かりの路なんて、もう想像もつきません。ああ、行ってみたいなあと思いました。
 こんな素敵なブログを紹介いただきましてありがとうございます。
 やっぱり、札幌にも小樽にも行ってみたいなあ、と真剣に思いました。

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 ナミちゃんのブログに、このUPがありました。

この春の光の中でワイン・・を飲もうって。
提案しますと同居人は快く。。というよりはとても嬉しそう〜(^o^)/
ワインはなんと小樽ワインですよ〜。小樽好きの私です。

 私も小樽ワインは好きですよ。もう15年(いやもっと前だったかもしれません)くらい前に、東京で社長の嶌村彰禧さんとお会いしたことがあります。それは60年安保全学連の関係でお会いしたと思いました。唐牛健太郎さんも北海道ですものね。それでその頃の小樽ワインのボトルには、北海道を守るようなデザインになっていたものでした。「ああ、こういうふうにソ連の侵略から北海道を守るということか」なんて思ったものでした。そのときは、東京のある酒屋さんの社長さんとご一緒に来ていられました。たしか、その晩、渋谷(だったと思いますが)の小樽ワインを入れている飲み屋(といっても品のいいお店でした)でご一緒に飲みました。
 北海道は、雪が深いので、葡萄酒を作るのは大変なご苦労があると思うのですね。でも私には、勝沼ワインとか十勝ワインよりも、小樽ワインが好きです。
 ただワインは難しいのですね。年により、本当に出来不出来の差が大きいのです。
08030702 実はこのところ、我孫子へ行って、随分前にミツ君のお父さんからもらいました(長女が結婚した年だったかなあ)ワインを飲みました。それがここにあげた写真です。いや2日で飲んじゃったので………、でもこうして画像だけでも撮っておいてよかったなあ。ミツ君のお父さんは、こうしたワインとかチョコレートとかさまざまなヨーロッパの高級なものに詳しいのです。ただし、彼は飲めないのですね。私はまったく詳しくありませんが、ただただ腹いっぱい飲むことだけはかかしません。

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 ナミちゃんのブログに、このUPがありました。なんだか羞しいのですが、これは私のことを書いてくれています。

二月に封書の手紙を四通も頂いた。
私にブログを勧めてくれた学生時代の先輩からだ。

 1月30日にひさしぶりの神田会をやりまして、そのときに出席してくれた方、残念ながら欠席された方に手紙を書こうと思いました。
 それでその前に私の妻のおじさんに妻が書いたものを、私がプリントして送るのに、用紙が普通のコピー用紙みたいのではなかったので、「あ、俺も真似しよう」ということで、近くの文具店も行きましたが、次に銀座の伊東屋へ行きまして、和紙の「デカドライプリント」を見つけました。そしてこれにプリントして私のいつも使う長3窓あき封筒で送ります。
 この和紙のことは、今手紙を書いています に書きまして、長3窓あき封筒のことは、和紙で手紙を書いています に書いています。
 それでこれで手紙を書いてプリントしますと、とっても私自身が気に入りましたので、もうすぐに和紙が足りなくなりまして、インターネットで注文するようにしました。注文した翌日には手に入ります。いつも私のここのサイドバーにあるAQUDOから注文しています。
 ちょうどこの2月はこの和紙の手紙を現在71通出しています。あ、もちろんビジネス上の手紙は今まで通りA4のコピー用紙に印字しています。

 それで返信は、封書を1通、葉書を2通、そしてメールとケータイメールはもうたくさんいただいています。とくに、私の姪のみーねえの小学校3年生のれいちゃんが、ケータイメールで、私のポコ汰が、「おともだちはできたかな?」なんていう内容の手紙です。そして、彼のおじいちゃん、私の兄ですが、今年で66歳になったと書いてありました。

 それでね、ナミちゃんのところはいつもたくさんのコメントがあるので、私はいつも羨ましいのですが、今回クローバーさんが、以下のように書かれていますが、少し違うのです。

やっぱり手書きで書かれた手紙は心がこもっていて嬉しいもの・・
メールとは断然違いますよね。。

 私はね、手書きじゃ書けないのですよ。昔パソコンのない時代は、もちろん手書きだったわけですが、もうなんと不便だったことでしょう。私は昔に恋した女性に、ずっと手書きでしつこく莫大な量の手紙を書いたものでしたが、字が非常に汚くてね、それはそれはひどかったものです。今はこうしてパソコンで書けるのがとても嬉しいです。
 そして、みんな違うことを書いています。
 まったく年賀状交換くらいの友だち(でもものすごく懐かしい大切な友)に新しく手紙を書こうと思うのですが、最初は、「『何事だ!』と思われちゃうかなあ?」という躊躇する気持もあります。でもとにかく書かないと何も始まりません。とくに、パソコンもインターネットも使わない人は、私のインターネット上のホームページもこのブログもメルマガも知らないわけですから、けっこうこちらの思いを伝えるのは少々大変です。
 それと、私はメールは、機械的にビジネス上の用件を書く場合もあれば、「心をこめて」書くメールもありますよ。とくに、手紙だから、メールだからだという違いはありません。ただ、メールは長文でも手紙と同じように書くし、ケータイメールも私は長いほうですが、それでもケータイメールには段落をいれません。もう今ではケータイメールは、実に2カ月で300通を交換しています。
 あ、それと住所の判らない人もいるので、それを問い合わせているのですが、これがけっこう大変ですね。私の義弟の息子と娘、私の甥と姪ですが、手紙を書きたいのですが、住所が判らないのです。判ったらすぐに出しますよ。

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 ナミちゃんのブログいよいよ明日。。です。 があります。

いよいよ・・・明日はトン君とじゅんちゃんの結婚式です。

 もう大変に嬉しいです。私は娘が二人です。二人とも結婚しました。その結婚式がとても嬉しかったです。二人の結婚した彼のことが私は大好きでしたし、そして彼のお父さん・お母さんが素敵でした。私はすぐに大好きになりました。
 そして今は長女の息子のポコ汰のことがもう大好きです。そしてまた長女おはぎのもう一人、もう二人の子どものことも、次女ブルータスの子どものことも私はもう待ちかねています。じいじはみんなで温泉に行って、男組のじいじとポコ汰が二人で赤ふんをしていて、それを女性軍に見せるのが楽しみです。みんな感動しますよ。面白いよ。

 ナミちゃんは、私の埼玉大学の後輩です。私が大学5年のときに、私がたまたま偶然いました私のサークル部屋で初体面しました。1971年の4月かなあ。私のいたサークル部屋は、ただただ活動家がいる場でした。私が壁に下手な真っ赤な字で、「大亜細亜解放!」と書くと、その上にブンドの若者が「プロ独のもとに世界革命戦争勝利!」と書いて、さらにその上に解放派の若者が、青インクで(解放派だからね、社青同だからね)で「プロ統の旗の元に」なんて書く部屋でした。
 でもナミちゃんは、この部屋が気に入ってくれたのです。そしてナミちゃんは、すごく綺麗な娘でした。

 その娘のさらに子どもさんが、こうして結婚することに、とっても感激します。よかったね。そしてもっともっとお幸せになってね。私もとにかく、ただただ祈っています。

 本当におめでとう!

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 ナミちゃんのブログ雪の朝〜♪〜 がありました。あ、我孫子は雪なんだ。私は自宅はもちろん我孫子なのですが、でも今は東京北区王子ですし、この我孫子の雪なんてまったく想像もできませんでした。
 でもナミちゃんの おんどりキャビンの屋根にも積もっています という写真を見ますと、我孫子の兄の家に庭にも雪が積もっていることを思い出しました。
 あの家に雪が積もると、私の娘二人も、みーねえも大騒ぎになります。雪が面白くて愉しくて仕方ないのです。私も雪が降ると、何故だかうきうきしてきます。思えば、私は鹿児島にも沖縄にもいましたが(そして沖縄は大好きですが)、でもやはり私の心も身体も雪国のほうが好きなのです。雪国に向いている人間なのです。
 秋田でも札幌でも、雪の中で汗びっしょりになって遊んでいたことを思い出します。私の弟はわずか2歳しか違わないのですが、そうした思い出はないでしょうね。だから、弟はスキーをした思い出もないし、雪が実に愉しいものだという思い出もないでしょう。
 私の弟はスケートはものすごく上手です。でもそれは雪国のものではなく、鹿児島でローラスケートをやっていて覚えたものなのです。
 私もその頃ローラースケートをやって、そのあと大学5年くらいで、普通のスケートをやったものでした。でも私はスケートで転んだことはありません。みな幼稚園、小学校1、2年で覚えたスキーのおかげです。
 私は30歳をすぎてから、ボードセ−リング(ウィンドサーフィン)を始めましたが、なんでもスポーツの苦手な私でしたが、これはものすごく親しめました。それは幼いときのスキーを身をもって覚えたことは、繋がっているのだと思いました。

 海の上と雪の上が同じなのですね。

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 ナミちゃんのブログに、このUP がありました。

2008年の幕開けは素晴らしい日の出と共にあけました。
お正月三が日はお天気に恵まれいつになくゆっくりと過ごしました。

 いい天気が続いて良かったよね。私は2日は新宿へ行き、友人の展覧を見まして、それから買い物(翌日来るブルータスへのお土産のお菓子をです)をしました。
 3日に次女ブルータス夫妻が来て、一家8人が集まりました。でも私は飲みすぎで、すぐに記憶がありません(ただただ嬉しかったのよ)。翌4日に神田明神へ行きました。やっぱり、ブルータスもオナキ君もポコちゃんを抱いてくれて、もうそれがとても嬉しかったです。もうポコちゃんもこのおばちゃんおじちゃんがとても気に入ったようでした。
 だからそれを見ている私はもっと嬉しいですよ。
 神田明神は、4日には初めて行ったものですが、家族・友人連れも多かったのですが、仕事はじめの会社・事務所の方も多かったです。
 ただし、いつも2日に行っていたので、境内に必ずお獅子がいて、小さいときの娘は大変に怖がっていて(大人になると、なんで怖かったのか不思儀らしいですが)。ポコちゃんも怖がるかと思っていましたが、3が日すぎるといないんでしょうね。残念でした。
 でもポコちゃんは、神田明神の境内で、パパに抱かれて眠ってしまい、そのあとずっとぐっすりでした。
 でも王子のおはぎの家に帰ってくると、もう大騒ぎの面白い子になり、じいじの私こそが眠ってしまいました。
 もうすぐナミちゃんのところも、きっとお孫さんの出現(いえ、まだ聞いていないですが)になるんですよね。そうするとまたさらににぎやかで愉しい年末年始になりますよ。
 私なんか、31日なんか、いつ眠ってしまったか判らないですものね。もうめっきりお酒に弱くなって、すぐに眠ってしまいます。
 でもこうして愉しいお正月は、とっても嬉しいです。だんだん、孫が増えて、ますますにぎやかになると思っています。そうして、兄と弟のところも、孫が増えてきて、それでまたみんなで集まると、また面白くて愉しいだろうな。また周ちゃんは、トランプを「周ちゃんは博奕はやらないんだ」と言って、孫たちに「トランプは博奕じゃないんだよ」って言われているだろうな。

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07121204 ナミちゃんのブログこのUP がありました。
 いいなあ、ムンク展もいいし、上野の森のいくつもの写真もいいです。それとムンク展の中の絵も写真に撮っていいんだ。国立西洋美術館の中入ったのはいつのことだったかなあ。思えば、ナミちゃんの我孫子から(あ、駅は天王台ですね)も上野の美術館は近いものね。
 私の長女も、お腹が大きいまでは、よく美術館にも行っていました。長女は小さいときから、美術館が好きでしたから、同じく絵の好きな義父と待ち合わせて、美術館に行っていました。
 でも今はポコちゃんがいるから美術館にはいけないですね。
 私なんか、美術って、からっきしわからないから、てんで駄目ですね。でも上野の森っていいですね。私は昔はあんまり好きになれませんでしたが、今は上野の森は好きになりました。そしてあの森を歩いて、やがて根津や千駄木で飲んでいるのが好きでした。今ではもう根津では飲まないし、千駄木で私が行くいくつもあった飲み屋も、もう数少なくなりました。
 何もかもが、時間が経過し、少し寂しい思いですが、やがてポコちゃんと、ここらを歩けるんだと思うと、少し元気になっていきます。
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 毎日必ず読んでいます ナミちゃんのブログこのUPがありました。

一月に一度の「絵本の会」に参加して・・もうかれこれ・・二十年近くになるかしら。
発足してから今年で二十三年目かな。

 すごいね。私はナミちゃんは、埼玉大学の私の5年生のときに出会ったとっても綺麗な少女でした。でも、彼女の住んでいるところが私と同じ我孫子市だということに驚いたものでした(でも私はその頃は、我孫子にはほとんど居なかったものでした)。
 それでたしか1993年の頃、同じパソコン通信の仲間で毎日新聞の記者から、ナミちゃんが小学生に絵本を読んであげるということをしているという記事が新聞記者仲間の朝日新聞にあるというので、私も読んでみたものでした。この記者が、「この記事にある子は埼玉大学出身だというから、周さん知っている人じゃないの?」と言われまして、記事を見ると、それがナミちゃんでした。
 その前からナミちゃんは、ずっと絵本を何人もの子どもたちに読んであげているんですね。私はその頃から、パソコンでパソコン通信をやり、そしてインターネットが開始されると、私も自分のホームページをたちあげて、何もかもパソコンで処理するようになりました。
 ただし、酒を大量に飲むこと、しょっちゅう大声で歌い出すこと、本も大量に飲むことは、全然変わりません。でももう歳をとって、酒は少量になりましたし、歌声も(昨日ゴールデン街での私の声を思い出すと)小さくなりました。ただ本を読むのはほぼ変わりません。ただナミちゃんのおかげで、絵本を読むことを知りました。このことは、ナミちゃんに大声で感謝したいことです。
「絵本」というのは、私には、私の読書する本には入っていなかったのです。自分に孫ができて、ナミちゃんから何冊もの絵本を送ってもらって、それをポコちゃんに読んであげて(でもまだ小さいから、よく判らないようです)、私も絵本が実に魅力のあるものだということが判ってきました。

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07112302 ナミちゃんのブログで、お台場に行ってきたことが書いてありました。お台場に夜景を見に・・♪〜 です。

久々にお台場に出かけました。
夜景を見よう〜という事で新橋からゆりかもめに乗ってお台場に向かいました。

 私もお台場はとても好きなところです。私は2005年の6月26日に家族4人で行きました。このときのことは以下に書いてあります。

   本日お台場でブームのコンサート

 それから2006年の12月26日には、お台場のヴィーナスフォートへ、私と妻、おはぎとミツ君とで行ってきました。そのことは、プレゼントのダックスフンド に書いています。このUP以降には、このときのヴィーナスフォートの写真をいくつもUPしてあります。「次の記事」をクリックしていくと、この写真が見られます。
 これでもうものすごくここが気に入りまして、翌2007年3月に鎌倉へ行ったときに、こちらのお台場へ行こうかなあ、と迷ったくらいです。

 ああ、思えば、今はもうポコちゃんと行けるんだ。でもまだ小さいから行っても面白さが判らないかなあ。
 ナミちゃんのUPを見て、また真剣にお台場を歩いてみたくなりました。私がまだまだ知らないお台場がいくつもありそうです。

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 ナミちゃんの「赤いマントの少女」のUPでナミちゃんから、次のコメントがありました。

1. Posted by なみんと    2007年11月10日 10:03
周さん!おはようございます。
赤い靴のきみちゃんの話・・今読みました。
きみちゃんの短かった人生を思うと胸がつまります。たった九才でどんなに心細く寂しかったか。
こんど麻布に行った時はきみちゃんの像を探して会いにいきます。周さんのようにきみちゃんの事を気にかけてくれる人が増えればいいですね。
あと・・覚えていますよ〜。懐かしい。

   http://jin3.jp/kimi/kimi.html  赤い靴の女の子 きみちゃん

 女の子の名は「岩崎きみ」。明治35年7月15日、日本平の麓、静岡県旧不二見村(現 静岡市清水宮加三)で生まれました。

 このきみちゃんお母親は岩崎かよ。このかよと鈴木志郎が再婚します。でも北海道の開拓農場で夫婦は懸命に働きますが、結局開拓農場を引き上げ、鈴木志郎は北鳴新報という新聞社に入ります。そこでこの新聞社に勤めていた野口雨情と知り合いになり、さらに小樽日報に移った志郎は、石川啄木とも親交を持ちます。
 琢木の「悲しき玩具」にこのきみちゃんのことの以下のような歌があります。

   名は何と言いけむ、姓は鈴木なりき、今はどうして何処にゐるらむ

 思い出せば、啄木の「一握の砂 悲しき玩具」を読んだのは、私が中学2年の6月のことでした。

「きみちゃんはアメリカできっと幸せに暮らしていますよ」。こんな会話の中で、詩人野口雨情の脳裏に赤い靴の女の子のイメージが刻まれ、「赤い靴」の詩が生まれたのではないでしょうか。
 後年、赤い靴の歌を聞いた母かよは、「雨情さんがきみちゃんのことを詩にしてくれたんだよ」とつぶやきながら、「赤い靴はいてた女の子・・・」とよく歌っていたそうです。その歌声はどこか心からの後悔と悲しみに満ちていたのです。

 でもでも、私もまたこのホームページの文言を読みながらまた涙を大量に流していました。

ところが、赤い靴の女の子は異人さんに連れられていかなかったのです。母かよは、死ぬまできみちゃんはヒュエット夫妻(右写真)とアメリカに渡り、幸せに元気に暮らしていると信じていました。しかし、意外な事実がわかったのです。きみちゃんは船に乗らなかったのです。
 ヒュエット夫妻が任務を終え帰国しようとしたとき、きみちゃんは不幸にも当時不治の病といわれた結核 に冒され、身体の衰弱がひどく長い船旅が出来ず、東京のメソジスト系の教会の孤児院に預けられたのです。薬石の効無く一人寂しく幸薄い9歳の生涯を閉じたのは、明治44年9月15日の夜でした。

 もうとっても悲しい。涙が出るばかりです。

 だから、ぜひこの麻布十番へ行って、この像を見てください。私ももう一度この像の前に行って、像の前にお菓子を置こうと思っていましたが、実際にはお金を置いたほうがいいのでしょうね。でも残念なことに、その後ここを通る機会がありません。六本木ヒルズには何度か行く機会があるのですが、麻布十番からはいかないのですね。

 ナミちゃん、もう行かれるのなら、明るい陽射しの日に行ってね。寒いとなんだか、キミちゃんが悲しい顔に思えてしまうのです。

 あと・・覚えていますよ〜。懐かしい。

 あ、思い出してくれて嬉しいです。でもあのときには、この「赤い靴の女の子」が実は悲しい生涯だったということは少しも知りませんでしたね。「異人さん」の国に行って、きっと幸せになっているんじゃないのかと思っていたばかりでした。

 ナミちゃんの「赤いマントの少女」のUPで へ

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kimi02 いつも訪れて読んでいる ナミちゃんのブログ にこの「赤いマントの少女」というUPがありました。
 このナミちゃんの、ブログには、ナミちゃんの家、 玄関ホールの横にちょっとおすまししてたっています という、この赤いマントの少女の写真があります。この像は、ナミちゃんのお父さんがとても気に入って、手に入れたものということで、そのお父さんの気持と行動に感心するのですが、私には、同時に思い出すある少女の像があったのです。

 でもあまり関係ないことだしなあ、とは思いましたが、やはりきょうになって書いておきたくなりました。いえ、これは 野口雨情の歌のことで でも書いていました。

 私はもう一年以上前に書いていたことです。私が「赤い靴の女の子 きみちゃん」という題名で書いていることです。

 http://shomon.livedoor.biz/archives/50564898.html 赤い靴の女の子 きみちゃん

 ナミちゃんなら、よく覚えているだろうけれど、私たち埼大の活動家連中で男たちだけで何人かで、野口雨情の「赤い靴はいていた女の子」の歌を踊りながら唄っていましたね。懐かしいです。

kimi01「赤い靴」の少女の像は、横浜の山下公園にあるのです。その像が野口雨情の歌の像なのでしょうが、赤い靴はいていた女の子の「きみちゃん」の本当の姿は、この港区の麻布十番にある像のようです。ただし、野口雨情は、この女の子の真実のことは知らなかったのです。

 なんだか、ナミちゃんの「赤いマントの少女」ということで、何故かすぐにこの麻布十番の少女の像を思い出してしまったものなのです。
 この女の子の像にまた会いに行くべきだよなあ。

 ナミちゃんの「赤いマントの少女」のUPで へのコメント へ

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 ナミちゃんのブログに、懐かしのオルゴール♪〜 というUPがありました。

これは長男が生まれる時にその時ワシントンに居たおっとんに頼んで買ってきてもらったものです。
 はじめての子が・・生まれる喜びと不安の中で・・誕生の記念になるものとしてオルゴールをと思いました。・・色々探したようでした。買ってきてくれたのが想像していたより立派だったので嬉しいやら・・びっくりするやら・・でした。その約三週間後・・真冬の晴れた日に元気な男の赤ちゃんの誕生。母となった喜びで一杯だったあの日の空は真っ青でした。

 ナミちゃんのここを読みますと、このナミちゃんのオルゴールの写真が見られます。いいですね。羨ましいです。
 それで、私のここに掲げた写真もオルゴールです。これは、私が毎年12月のクリスマスに、何社ものクライアントの女性社員・経営者や、飲み屋のママや、私の家族親族に贈っているクリスマスプレゼントのいつの日のクリスマスかに、妻と長女に贈ったものです。それを先日我孫子の自宅でほこりにまみれていたものを、ここ王子の家に持ってきました。
 長女には、「虹の彼方に」で、妻には、「雨に唄えば」でした。0710240307102404もちろん次女にもあげたのですが、何だったのかなあ。そしてブルータスは今も持っていてくれるのかなあ。これを60個から70個手に入れて、あちこちに配りました。ひとつ300円か400円だったと思います。
 でもこれは1軒の店では買えないのですよ。銀座・新宿、その他の街をいっぱい歩いたものでした。そして、それをみんな女性たちに配ります。そして相手の方には、偶然アトランダムに選んでいるような顔して渡していました。でも実は、独身の女の子には、「いつか王子さまが」というように曲を詳細に選んでいたものでした。判ってくれていたかなあ。
 このオルゴールは今も手で回すと、いい音いい曲を奏でてくれます。思えば、クリスマスって愉しかったなあ。

 私もオルゴール の2 へ

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 ナミちゃんが、この絵本を私が読んだことを書いてくれました

心優しい周さんの事ですから涙でいっぱいになってしまうかもしれないと
おもいましたが・・・。
お母さんのことを想いながら読んでくれました。

 そうねえ、この絵本を読みながら、ずっと母を想いました。厳しくて強い母でしたが、実に優しい母でもありました。
 私の埼玉大学の学生課の職員の方も、私の母は実に印象深かったようです。私はちょうど19歳の頃、大学の管理棟本部で、バス代値上阻止闘争のときに、私はハンガーストライキをやったのです。あのときは、日本共産党民青はまったくの敵対者であり、そして表面上は私たちの側である顔をしていた中核派も、実は私たちの敵でした。彼等は、もっと大きな闘いがあるのだということで、こんなちっぽけな闘争を認めませんでした。唯一たくさんの一般学生とでもいうべき広範な学生が味方であるはずなのですが、彼等は24時間大学にいるわけじゃないからね。
 でも大学は、私の親たちに連絡するといういわば卑怯と思えた(その頃はそう思ったのです)手段を取りました。それで、母が我孫子から、浦和下大久保の大学の管理棟まで来たのです。このとき、私の母と会った大学の職員は、今でも「あなたのお母さんが一番印象的だった」と懐かしくその思い出を語ってくれます。
 私が芝浦工大事件で、逮捕されたときにも、我孫子から朝霞警察まで来てくれて(もちろん接見禁止中ですから、会うことはできません)、差し入れてくれたものです。でも埼玉は、食べ物の差入れは(差入屋の弁当ならいい)できませんが、でも私の取調のデカは、それを母からあずっかって、私の取り調べのときに食べさせてくれました(もちろん、こういう温情はありましたが、取り調べは激しいよ)。この刑事もその後30年ぶりくらいに、偶然会うことがあったのですが、私の母が一番印象的だったと言っていました。

 その前には私が東大闘争で、府中刑務所にいたときにも、遠いところを来てくれていたのよ。そういえば、1969年の8月には、母は、自分の姉(私の伯母)も一緒に府中まで連れてきてくれましたね。接見室で驚いたものでした。私の母は、いわば色が黒い女ですが、伯母は驚くくらいに色白で綺麗な女性なのよ。その時伯母は私の顔を見て、元気そうだと喜んでくれていました。今あの伯母も、自分の妹の死にどんなに驚いていることでしょうか。

周さんのお母さんはどんな時も来てくださったそうです。
そして大きな愛を示してくれました。

 その他にもいっぱいさまざまなことがありました。私の母は、もう日本中で秋田犬を飼って歩いたわけですが、その街にいる野良犬ともすぐに仲良くなるんです。そして、その野良犬の一人ひとりと、またごく親しくなっていたのが、この私なのです。

 さて、でもまたあの世へ行って、父と会うと、また勝手な父にまた負けずに言い返しているでしょうね。

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 ナミちゃんが、私が通夜の晩からずっと母のそばに居ることを書いてくれました

大学の先輩のお母様がこの八月十四日にお亡くなりになられました。
先輩というのは私のブログの産みの親の周さんです。

彼のブログで二十日の夜のお通夜から次の日の告別式までずっとお母様のそばにいるそうです。お母様はさぞお喜びと思います。
お母様のご冥福を心よりお祈りいたします。

 でも本当は、実際の20日の夜みなお清めの場かあら去ったあと、私はこの葬儀場のアビコセレモアホール の私の泊まる部屋で、さらに飲んだのですが、でも母を一人残して、歩いて5分くらいの「盛」へ飲みに行きました。この「盛」も実に親しく感じている飲み屋さんです。
 母は、

 なんだ、ずっと居てくれると思っていたら、飲みに行くのか。もうしょうがない息子だね。でもしょせん周二だからしかたないねえ。

と言っていたでしょうね。でも当然記憶なく、またセレモアホールへ戻っていました。
 そのあとの記憶は21日の朝5時頃、ノートパソコンでワンセグの見ていた記憶です。そしてお風呂に入りました。お風呂の中でさまざまなことを思い出していました。

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 ナミちゃんのブログこのUP がありました。

周さんと三十年振りで話せるのもスリルだよ(^o^)/

といいますが、30年ぶりかなあ。私は今59歳だから、私がナミちゃんと始めて会ったのが、大学5年(ひょっとして大学6年のときかもしれない)の4月で、埼玉大学の下大久保校舎のサークル部屋ででした。何故か、歴史研究会の部屋にいたら(あの頃毎日アルバイトで、週に1度大学へ行っていたと思います)、ナミちゃん07071106とみっちゃんがきてくれました。なんだか、とても若い綺麗な女の子が二人も来たので、でもあいも変わらず好きかってなことを言っていたら(それがずっと私の流儀でした)、なんだかナミちゃんが気に入ってくれたものでした。
 でもあのサークル部屋は、所属しているのはみな学生活動家ばかりでしたからね。そしてみな元気な若い現役の活動家か、私のようなもう過ぎてしまった活動家(なにしろ、私はあのときもう裁判を二つ抱えていました)ばかりでした。だからあのときは37年前。
 その後は当然何度も会っていましたが、最後の頃は日の丸にいた頃かなあ。

 ただ偶然、ナミちゃんの住んだところ故郷も我孫子で、私の自宅も我孫子でした。次女が生まれた病院とナミちゃんが子どもさんを生んだ病院も同じじゃないかなあ。
 でも不思儀なことに我孫子の住人同士だったのね。

上田の無言館は是非行ってみるといいよ。

 土曜の夜土曜の夜はお魚つ”くし のコメントにも そうそう上田の無言館に行ったかい?と書いてありました。あれを読んで、私はサーッと血がひくような感じであのたくさんの絵を思い出していました。
 以下に私が行きました、東京ステーションホテルで開催された絵画展に行きましたことを書いてあります。

   無言館遺された絵画展

   昨日の「無言館遺された絵画展」

 もう私はこの絵をみて感動しました。でも一番とにかく、涙が出てきました。今も涙がわき上がります。ちょうど父と義父の年代の方々が描かれた絵です。
 私は今も靖国神社へ行きましても、どうしても涙にくれています。
 私はどちらも同じなのです。私の父も同じでした。あんなに、絵を描きたかった、他のいくつものことをしたかったのに、戦争に行ったのです。
 私の父も義父も、どうやら戦争から帰ってきました。だから、私も妻も今存在しています。だから、私の二人の娘も、孫のポコちゃんの存在もあります。大声で泣くことができます、みなで笑うこともできるのです。

 あの「無言館」のある多くの絵を描かれた若者も同じです。生きて帰っていれば、私のような子どもも、私の二人の娘にも会うことができたのです。孫を腕に抱えることもできたのです。
 それがみなできなくなってしまいました。だから、あの「無言館」の絵は、何も語らないけれど、その前で私は涙を流してしまうしかないのです。

 どうしても涙だけが湧いてきてしまいます。

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「土曜の夜はお魚つ”くし」へ  おだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪ のナミちゃんから次のコメントをいただきました。

1. Posted by なみんと    2007年07月09日 22:46
いわしは銚子で大漁のようで今がまた美味しいようですね。千駄木の「浅野」というお店に行ってみたいなぁ〜。私が若い頃に住みたかった場所ナンバー1が千駄木です。この希望はどうやら実現できそうにありません。雑草は抜かなくてはダメとのコメント!その通りです。そのままししておくと大変な事になります。たとえ秋になって枯れたとしてもそのまま枯れます。経験者だけが知っている・・です(^^♪ね。周さんは今解放されていていいですね。この数年の学習は「草は大きくなる前になんとかしろ〜」で〜す。

 九十九里で泊まったときに(ボードセーリングの大会のあったときです)、その近くの飲み屋で、新鮮にいわしを食べることができました。静岡で大会のあったときは、しらすのお刺身を食べました。こんなことでも、思い出すといくらでもエピソードが出てきます。またここでお話しましょう。

「浅野」はね、いいお店ですよ。ただ、今は外人さんのお客さんが多いんですね。あ、もうそれこそ雑多な外人さんです。今まで私がお会いしたのは、アメリカ、メキシコ、中国、韓国、イギリスの外人さんかなあ。あるとき、私がカウンターで飲んでいると、奧の座敷にいる家族4人がイギリスの人たちだということでした。その人たちは、今度は京都へ行くということでした。
 でもその1週間後、私はこの家族たちと私は人形町でお会いしましたよ。たぶん、日本中を歩いているのでしょうね。

 雑草は、自分たちの庭ではなく、私は大きいのでは、セイタカアワダチソウ(ブタクサ)が気に入りません。北柏から私の自宅まで歩くと、前にはすすきがたくさんあったのですが、もうこのセイタカアワダチソウがこのすすきを殺して、繁茂しています。「気に入らないなあ」と思っていたら、先週土曜日は、このブタクサも刈り取られていました。すぐそばで、二人の方が機械で、刈り取っていましたから、それででなんでしょうね。ただし、すすきは残しておいてほしいな。

 今精神的に実にいい感じになりました。そのことで、何人かに手紙を書いています。

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 あ、書くのを忘れていました。ナミちゃんのブログの同じ土曜日7日の 眠くて眠くて〜〜〜 に次のようにあります。

昨年飛騨・高山に長女のさっさと行った時に手に入れた
紅春慶のぐい飲みを自分と夫に買って」以来それで飲む
日本酒の味?に目覚めてしまった。

実に三十年ぶりかな。

今は面白そうな地酒を探したりするがなかなかおもろいんだな。

 私もあちこち行ったときに、ぐい呑みを手に入れます。でも気に入ったのは、いつか壊れてしまうのです。たぶん使いすぎるからでしょうね。昨年秋、鎌倉小町通りで買ってきたぐい呑みも、もうお酒がもるようになって、もう棄ててしまいました。
 やっぱり、お酒を入れる器よりも私は、お酒そのものがいいなあ。

 それでナミちゃん、なんといっても、我孫子には「春日や」さんがあるではないですか。私があの店に始めて行ったのは、まだ娘も小さいときです。自転車に乗せて、私があの店に入ると、腕を組んで、ずっとお酒をみています。ときどき、「感動!」と声を出すのですが、次女が、いつも「パパ、これも『カンドウ?』」と聞いてくるようになったものです。
 まず、とにかくお酒がいいです。もう実に感動なのです。でも実は、それだけではありません。芋焼酎もいいのですが、そして例えばウォトカもいいです。ストロヴァイアンも普通に置いてあり、アメリカのウォトカも置いてあります。
 だが、なんと言っても地下1Fのワイン蔵がいいのです。でも実は、あのワイン蔵には、哀しいこともありまして…………(あのお店は昔から有名ではなく、決して昔は日本酒もワインも売れていたわけじゃないのね)。
 私が始めて、あの春日やのご主人に声をかけてもらったのは、1992年の5月3日のことでした。私はそのあとお酒をかかえて、利根川のある土手へ飲みに行ったものでした。

 あのお店で、使っているパソコンを見ると、キーボードがまっくろになるほど使われています。それがあのご主人の、仕事に対する気持なんですよ。お酒を愛しているご主人でした。でももう亡くなられましたね。
 ただ、あのご主人は実にいい、面白い方でしたが、実際にあのお酒を好きで飲まれにくる方は、私はいつも疑問を抱いていたものです。いや、私は若い方で、日本酒を好きだという方々に、どうしても疑問を抱いてしまう方が多いのです。
 でもそんな内容は、ここではやめておきましょう。私は春日やさんが開催される銘酒会の会合には2度参加しました。でももう参加する気がなくなりましたね。
 そういえば、東京各地で開催される銘酒会にも、何度も参加したものですが、それもなくなりました。
 ああ、お酒については、いろいろなことがあります。なかなか書けない内容がどうしても多いですね。

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 おだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪このUPがありました。

 ワアーッ、お刺身がどれも美味しそうですね。

毎週土曜日は銚子からお魚屋さんがきてくれる。

 これはいいですね。私もみな好きですね。とくにいわしのお刺身なんていいですね。私の妻は私と結婚して、こうしてお刺身を食べるということを知ったようです。もともと、西の博多とか北九州で育ったせいかもしれません(でも私はずっと東京生まれだとばかり思っていました。娘から「ひどい」と言われています。「結婚の前に、そういうこと喋らないのか?」。ええ、私は喋らないのです)。
 でも今は、毎日お刺身が並びます。これで私は毎日飲んでいるのです。

 私が今でもときどき飲みにいきます千駄木「浅野」のご主人は、ナミちゃんと同じ東葛高校出身ですが、いつも実に美味しいお魚がありますよ。でもここではもう私は、ビール1本とおちょうし3本の制限がありますので、実にいい酒です。

ついこの前まで雑草で人は死なないから草取りはしなくてもいいよ
とか雑草は可愛くてきれいなものが多いからとか色々いってたのに
せっせと休日などは手伝ってくれる。この変化は何か??

 雑草は、とにかく抜かないと駄目です。とにかく、そうしないと大変な家の庭になってしまいますよ。
 でも思い出すと、札幌、名古屋(ここは3カ所)、鹿児島も住んだところは、あまり雑草も生えませんでした。横浜もそうでしたね。我孫子というところは、それが半端ではなく、もう少しほっておくと、雑草が生い茂ります。
 今は、この雑草とりの用がなくなり、実にいいです。
 でも先週土曜日我孫子の自宅へ行ったときに、相変わらず我孫子は野鳥が鳴いていました。やっぱり、すごくいい街なんですね。

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 おだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪このUPがありました。

 私はやもりにしろ、いもりにしろ、とかげにしろ、みんな苦手なんですよね。だから、もう一軒家住まいよりも、我孫子ででも、王子でも、マンション住まいがいいです。我孫子の今のマンションの前は、一軒家だったので、いろいろと大変でした。娘たちみたいに、私はみみずも触れないから、とても困るのです。
 困るといえば、このときの一軒家は、家の周囲の垣根が、すべて薔薇の花がからまっていました。最初は、素敵な家なんだなあ、と思いましたが、住むとそうではありません。薔薇というのは、とてつもなく枝が伸びるのよ。それで、普通に人の通る道に伸びていきます。だから、これはみなちゃんと刈らなければなりません。一年に二度くらいは、父の家と合わせて業者さんに入ってもらいますが、もうそんなものでは間に合いません。それで日曜日には、いつも薔薇の枝を刈ります。
 ところが、この薔薇の枝は、普通ゴミでは出せないのです。特別に市のどこかへ持っていかなければ、ならないのです。私はもう深く穴を延々ほりまして、深く埋めたものでした。
 私は薔薇なんて、実に嫌いになったものでした。
 あと、紫陽花があったのです。これは実に綺麗です。でもこれまた、刈らないと大変なんです。もういつも、「こんなに刈ったら、もう紫陽花は咲かないだろう」なんて、少し反省するくらい刈ったものでしたが、いやいや、すぐに「もっと徹底して刈るべきだった」と反省するくらい、実に繁茂します。
 もう私は、紫陽花なんて花も嫌いになりました。鎌倉の名月院あじさい寺も、昔はよく行きまして、あの紫陽花は好きだったのですが、もう嫌いになりました。北小金のあじさい寺も行ったものでしたが、もうあじさいは嫌いになりました。もう手入れが大変なんだもの。
 いや、もうどこでも一軒家は大変です。もう私なんか無理ですね。こういうマンションで、ボーッと毎日酒飲んで、好きかってなことを言っているのが向いています。

 あ、そうだ、ただ、どこでもごきぶりは女性たちみたいに苦手ではありません。追いかけて行って、みな殺しています。

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「将門さんは産みの親☆」 へのコメント へのコメントおだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪ のナミちゃんから、次のコメントをいただきました。

1. Posted by なみんと    2007年07月07日 10:54
おはようございます。二人のお嬢さんの爬虫類・両生類好きは奥さん似のようですね。こんな小学校の先生に家のこどもたちも受け持って貰いたかったなぁ。あっそ・そうだったんですね。蝦蟇(がま)って読むんですね。恥ずかしながら読めませんでした。蝮かしらなんてかってに思っていましたがおおきな蝦蟇や沢山のみみず・・・凄いですね。この話を聞いてまたびっくり!です。おおらかそうでやさしいお嬢さん達によろしく(^・^)

 あの、私は大嫌いです。というか、大変に恐怖感を持っています。でも、この恐怖感を子どもの前であらわにしちゃいけないのでしょうね。お母さんによっては、この自分の何かに対する恐怖感を、自分の子どもの前でも、あらわにされる方がいて、その子どもたちも、同じことになってしまいます。
 前に、自分の3人の男の子の前で、自分がかみなりが大嫌いで、かみなりがなると、もう自分の恐怖感で、どこでも大声をあげて、人の家でもなにか蒲団かなにかをかぶってしまう女性がいたのですが、その3人の子どももいつもお母さんと蒲団の中で震えていました。
 そうなると、その男の子たちは、大人になっても、30歳すぎて、結婚して、お父さんになっても、かみなりがなると、震えてしまう人になってしまいます。親が子どもの前でするふるまいは大事なのです。このことは、大切なことなんですよ。

 こう書いたことは、実はたくさん私が目にしてしまうことなのです。
 私がついこのごろ、目にしてしまうことですが、自分の娘・息子に対して、実に乱暴な言葉使いを投げてしまうお母さんがいます。もう若くて、綺麗な女性なのに、「なんであんな乱暴な言葉で子どもに対するのだろう、子どもが可哀想だな」なんて私が思っていると、すぐに、その子どもが自分のお母さんに対して発した言葉が、これはまた実に乱暴な言葉でした。まだ小学校に入る前の子どもですよ。彼女や彼らは、まだ小さいのに、自分の母親をそっくり真似しているのです。
 私の妻は、どんなときも、子どもに対しても、実に丁寧な言葉使いをしています。このことは、実に気の強いであろう、二人の娘にも実にいいことだなあ、と思います。二人の娘も、そういう大人になってきているからです。それがまたたくさんの子どもたち(自分の子どもでもあり、また教えている小学生の子どもも)にもつながっていくのです。

 いつも、そういう思いをあちこちで感じている私です。

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「将門さんは産みの親☆」 へのコメントおだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪ のナミちゃんから、また次のコメントをいただきました。ありがとう。

1. Posted by なみんと    2007年07月06日 14:48
将門神社まで小さなお嬢さんを連れてよくいかれましたね。結構ありますよね。それに蝮?をみて喜んでいたとはなんてたくましいんでしょう。「喜んでいた」ちっちゃな女の子二人の姿を想像して楽しくなりました。

 あれはいつのことだったでしょうね。まだ二人とも小さかったときのことです。蝦蟇(がま)を見て喜んでいたというのは、実は私は何故か昔から、ああゆう両生類とか爬虫類が嫌いなのです。でも妻はまったく平気で、彼女の会社の旅行で大きなヘビを首に巻いたりしている写真があったりして、私はただただ驚きです。その血なのかなあ。
 思い出せば、二人はよくみみずも平気で手でつかまえてきて、父の家の池の鯉にあげていました。しかも大量にです。もう私は、怖くて気味が悪くて仕方なかったものです。
 二人はけっこうたくましい女の子でした。まだ小学生低学年の頃、雪の中家族で歩いているときに、二人の持っている笠が強い風にあおられて、おちょこになっちゃったときに、私は二人が泣き出してしまうのではないかと心配だったのですが、下の娘が、「あ、あねえちゃんの笠、おちょこになっている」とゲラゲラ笑いだして、上の娘も大声で笑い出して、もう私はどんなに嬉しくなってことでしょうか。冷たい雪と風の中で、我孫子駅まで歩いているときでした。
 あんな点が、二人を元気な小学校の先生にしてくれたのでしょう。私はときどき心配になるくらいです。下の娘はずっと担任をやっているわけですが、運動会のときなんか、もう熱く燃えまして、その練習なんか、生徒さんたちは大変だと思いますよ。生徒さんたちは、運動に苦手な子もいるでしょうから、でもその子たちにだけでなく、男の子でみんなのリーダーになるような子たちへこそ、娘の指導は実に厳しいです。
 でもだから、慕われてくれているのでしょうね。

 実は、この我孫子市湖北の将門神社へ行った日は、実は前日土曜日から、ゴールデン街で飲んで、その後三番街で飲んで、最後ある店に入りました。朝の5時頃だと思います。
 そこで、私より年上のどうみても、「ある筋の方」かなあ、という方が二人いました。この人たちが、何故か私に話しかけてきます。私もいいように話していたら、私のいうことに突如怒って、上着を脱いだら、刺青が出てきたものでした。でもそのうち店のママが私に怒って、「出ていけ」となりまして、私は店を出るときに、ママを振り返り、「ありがとう」と言って行ったものでした。
 でもでも、実はたしか3年くらい前に、埼大のむつめ祭の帰り、朝11時くらいに歩いて帰るときに、北与野駅の近くで、また私はある朝からやっている飲み屋に入りました。そこでビールを飲んでいたら、私から少し離れたカウンターで飲みつぶれている男がいました。もうおじいさんですが、彼はまた起きて酒を要求するのですが、もう店員たちが相手にしません。でもこの男が、もうずっと前に、この朝に新宿の三番街のすぐそばで私に上着を脱いで刺青で恫喝した男でした。私は「え、なんだひさしぶりだなあ。ああ、新宿とここはつながっているかなあ」とと思いましたが、声はかけません。彼は、ずっと酒を要求しているが、店員は誰も彼のそばによりません。
 私はビールのあと、食事をして、その彼に「もう歳をとったねえ、もう帰りなよ」と声をかけて、我孫子まで帰りました。
 ヤクザさんも、歳とって(あの前のときから15年が過ぎています)も怖い雰囲気で、店の人に相手にされないと、もうどうしようもないねえ。

 でもいろんな思い出が甦ります。

 あ、きょうは我孫子の自宅へ行くのです。もういかなくちゃな。

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「将門さんは産みの親☆」おだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪ のナミちゃんから、次のコメントをいただきました。

1. Posted by なみんと    2007年07月05日 06:39
おはようございます。将門神社は私も数回訪ねた事があります。確かに暗いですね。
わかりました(^・^)これから「周さん」と呼びます。教えていただき有り難うございます。

 私はあの将門神社に、二人の娘がまだ小さいときに連れていったことがあります。私は朝まで新宿のゴールデン街から三番街で飲んでいた日曜日の朝、我孫子に帰ってきて、二人と出かけたものでした。
 成田街道から、将門神社に至る道で、大きな蝦蟇がいて、二人が見て喜んでいたのをよく覚えています。そのときに、始めて日秀の将門神社に行ったわけですが、そのそばの将門の井戸含めて大変に暗い印象ばかりでした。そのあと、手賀沼を見て(といっても、もう沼はありませんね)、「ああ、あの対岸のほうから、将門さまが馬でこちらに渡ってきたのだ」と思ったものです。
 たぶん、もう二人の娘は忘れているだろうな。

 私の「周」というハンドル名は、もちろん名前の「周二」からとったものですが、好きな魯迅の名前も周なので、大変に好きな名前なのです。

 私が毎年2日に必ず参拝する(ほかのときもよく行っていますが)神田明神も、本来の主祭の神は平将門様です。ここにも私は実によく行きます。行って、いつも将門様の声を聞いています。

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「ちょっとご無沙汰でした〜」に、その紹介したブログのナミちゃんがコメントをくれていました。

1. Posted by なみんと    2007年07月04日 20:39
ナミちゃんって呼んでくれて有りがとうございます。懐かしい響きです。将門さんご家族の旅行は実に楽しそうですね。今度はポコちゃんも入って、ますます楽しくなりますね。将門さんは学生時代よく旅行されていたように記憶していますよ。
そして・・・・何故か「旅の宿」のメロディーがギターのイントロと共に甦ります。

 ええと、私はこの「なみんと」さんがナミちゃんのことだって判らなかったのよ。ああ、そうなんだと、納得したところでした。
 そうです。私の家族は、二人の娘の彼もいい子たちですよ。それに彼らは普通に背が高いから、孫はみないい男にも、いい女の子にもなります。

「旅の宿」のメロディー…っていうと、私がいつも飲みすぎで、役に立たなくなっていた男だったということかなあ。まあ、そんなこともありましたね。
 家族みんなで旅行するというのは愉しいですね。やっぱり、男の息子たち、男の孫ができたのは、とっても嬉しいです。
 あのねえ、昨年の夏の湯西川温泉への旅行でも、行くときの東武の電車の中で、「もうきょうは、お父さんもビールくらい飲んでもいいんじゃない?」と、長女の彼が言ってくれたのに、おはぎは「ダメ!」というばかりでした。これからも同じなのかなあ?

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 ナミちゃんのブログ将門さんは産みの親☆ というUPがありました。

 ブログをやるように薦めてくれた将門さんに感謝〜〜で〜す。

 感謝 なんて嬉しいです。でも、将門 というのは、私のウェブサイトで使っている将門Webでも使っているもので、平将門様の名前です。
 そうですね、あなたの自宅の近くの(近いと思うんだけれど)、日秀の将門神社で祭られている平将門様です。一昨年の2005年9月24日に、我孫子の湖北の日秀(ひびり)に行きまして、この将門神社へいきました。
 このときに、いくつかこの将門神社での写真を撮りまして、このブログに載せました。このブログの名称変更 の2 からいくつも写真を載せました。
 その翌日の9月25日の 将門神社について には次のように書いています。

まだ午後4時台なのですが、そしていい天気だったのですが、この神社の中は何故か大変に暗いのです。樹木が茂っているからです。そしてかなり風の強い日だったのですが、この神社に入ると、さらに風が強くなりました。ちょうど風が「うなりをあげる」というのは、こういう状態のことなんだなと思ったものです。そして何度か本殿の前で手を合わせたのですが、3度目に手を合わせたときに、ものすごく風が唸り声をあげまして、私はまさしく将門様の声を聞いた思いがしました。その声を聞きながら、私は将門様に答えていました。
 一つは、この私のブログの名称を変更して、「ブログ将門」にすることです。そしてもっと答えたことがありますが、それは内緒です。

 このとき、私の耳に聞こえた将門様の声は、私に対して、「我孫子から去れ」ということでした。そして結局、私は自宅のある我孫子から去るようになりました。ただし、まだ時間がかかっているわけですが。でももうそのとき以来、私は我孫子には自分の居るべきところではないと考えるようになりました。

 私には、将門様は、私の尊敬崇拝する神なのです。だから、私のことは、ハンドル名として使ってきた「周」でいいです。もうどこでも「周さん」と呼ばれていますよ。

 でも、

ちょっと前の私だったらブログ???
 とうてい・・無理(*^^)vと思っていました。

初めてみるとな・なんと
 書くのが苦でない自分がいました。

まだまだわからない事ばかりだけど
 色々教えてくださいね。

 これは良かったです。大変に私は嬉しいです。いくらでも私を利用してください。判らないことは、聞いてみてください。私も判らなかったら、誰かに聞いて、判るようにしますよ。

将門さんは大学の先輩です。
私は大学時代将門さんと将門さんの周りにいる梁山泊的ワールド
に新鮮さを感じていたんです。
結構その世界にのめり込んでいましたね、

 ええと私は昭和23年生まれで、埼玉大学へ入ったのが昭和42年(1967)で、ちょうど三派全学連の時代でした。だから、そのまっただ中で、文字通り闘っていました。ただし、私はマルクス主義に与したことは一度もありません。いつも、反帝反共をとなえていました。
 ただ、激しく闘いまして、1969年1月東大安田講堂で、逮捕起訴され、保釈で出たと思いましたら、今度は芝浦工大殺人事件ということで、また逮捕起訴されました。
 だから、普通の就職とかはまったく考えられなかったのよ。別にだから、どうということはありませんでしたが。
 でも今になると、なんでもすべてがもう遠い思い出の中だけになりましたね。
 ただ今でも、その頃の友人とのつき合いは続いていますし(ただし、昔の三派全共闘の人たちは実に保守的な人が多くてね、かなりがっかりしています。パソコンもインターネットもまともにできない、やらない人が多いんだよなあ)、いろいろな昔の思い出は、私はみな詳細まで詳しく覚えていますよ。

 まあ、昔からどこでも詩吟ばかりやっていましたからね。今もそれは変わりありません。

 あ、私はまた鎌倉を歩きたいと思っています。それに横浜も歩きたい。お台場も歩きたいのですね。鎌倉は、学生のときも歩きました。いろいろな思い出があります。
 また今年も歩きます。あ、あと私は今年に、大原幽学記念館(千葉県旭市にあります)にも行きたいな。

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 おだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪このUPがあります。あ、これが最新のUPなのです。ナミちゃんが、東北に彼と二人で旅行してきたという報告です。
 私もこのところ、いつも夏休みに娘二人と妻と4人で、旅行してきました。昨年は、長女の彼のミツ君と5人です。
 これが実に愉しいです。昨年は、湯西川温泉に連れていってもらいました。実は私は27歳のときに、この湯西川温泉には、温泉新聞の記者として集金旅行に行っているのです。でもそのときは、鬼怒川温泉で集金してまわり、あと川治、川俣温泉をまわり、この湯西川温泉にも行って、さらに日光湯元温泉に泊りましたから、実に強行軍でした(だって、翌日は那須温泉に行き、次の日は塩原温泉でした)。でもそのときの思い出と違って、実にいい温泉でした。家族で温泉に行くって、実にいいことですね。

そして今回は夫と二人!
高校生のときに食べた同じ山寺のこんにゃくを食べてみた。
あれから色んなことがあって大学生になって大学生の時も・・
色んなことがあってそれからそれからもっともっと色んなこと
があって大人になってお母さんになって・・・・高校生の時は
どんな思いでこのこんにゃくをほお張っていたんだろうなんて!
思いながら食べていた。親がいてくれる有難さと心地よさを今度
は子供たちに!

 私も今度は、孫のポコちゃんと愉しもうという気持になっています。それに次女ブルータスの彼のナオキ君も一緒だと、ミツ君もいるから、男組のほうが4名で、女組3人より多いのです。
 でも私は盛岡も弘前も行ったことがあるのですが、中尊寺は行っていないなあ。なんだか、私の若いときの旅行は、あちこちでただ飲んでいるばかりでしたね。それにどうしてもそのときは秋田も行きまして、秋田市は昔住んでいた思い出があるから、どうしても懐かしくていろいろなところを尋ねたくなるのです。

こんなおばさんがブログなんて恥ずかしいけど
パソコンに向かっている自分の素直?さにちょっと驚き・・

 あなたがおばさんで、羞しいなら、私は孫のいるじじいで、もっと「羞しいはず」ですが、私は少しも羞しくないよ。きっとそのうち、孫も読んでくれるだろうと思っています。
 いろいろとたくさんのことを書いていこうね。

 このナミちゃんのサイト おだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪ は、ここのサイドバーの「将門のリンクするブログ」でリンクしました。

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 きょうは、水曜日で、義母のデイサービスのお休みの日です。いつも妻と私で交代で、この日義母をみています。きょうは、私の番です。
 でも朝からいくつものことがありました(私の友人の長い電話がありました)。
 それで、私の昔からの友人のナミちゃんから、ケータイメールで彼女のブログを教えてもらいました。「なんだ、もっと早く教えてくれればいいのに」という思いもしたのですが、とにかく私は嬉しいです。あ、ナミちゃんは、「私の昔からの友人」と言っても、実に私よりも随分年下の実に綺麗な女性です。
 以下がその彼女のブログです。

   おだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪

 これの最新のUPが ちょっとご無沙汰でした〜 です。

 あ、でも「デジカメを忘れてしまったぁ〜〜〜〔泣〕」ということで、これは大変ではないですか。早く連絡してとりもどさないと。

 私はね、デジカメ、スカイプ端末、iPod等々は、すべてベルトに付けています。ケータイ、………………………………、あ、これのことはまた別に書きます。もう写真で説明しないと、判らないですね。
 要するに、私はもう自分に自信がないから、すべてのものを身につけるようにしているのです。手でもつと、不安なので、すべてを身につけています。とくに、なんでもかんでも背中に背負っているリック型の鞄にすべて入れています。

 あ、でもこの「おだんごぱん」も読まないといけないなあ。

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