周の友だち・知人
2008年09月19日
原田文さんの作品です
原田直示さんから、9月14日に原田文さんの絵葉書を何枚か送って頂きました。それでこの葉書をまた私の友人や親族に切手を貼って送りますが、ここに掲示しようと考えました。
でも絵葉書をスキャンしようとしても、とても難しいのです。葉書全体がなかなかスキャンできないのです。葉書では、絵の周辺が白になっているから、そこをスキャンできないのでしょう。だから、もう仕方ないので、葉書として
ではなく、絵の部分のみスキャンしました。それをここに載せてみました。
上から、順番に次の作品です。
「ムーミン谷のスナフキンとタンバリン」油彩・6号
「ふくろう」油彩・6号
「クリスマスツリー」油彩画
この葉書に、私はパソコンで文字を打ちまして、みなさんに郵送します。
2008年08月28日
原田直示さんからの書込み
周の掲示板 に原田直示さんから、次の書込みがありました。
お礼 投稿者:原田直示 投稿日:2008年 8月27日(水)21時31分25秒
拙著をお読みいただきありがとうございました。また、身に余る感想をいただき恐縮です。
周さんのお嬢さんこそ立派に「独立」され、素晴らしいですね。残りの人生、(私はせいぜい20年か)「芸術」とか「文学」の意味を追求していけたらとも思います。
ありがとうございます。私こそいい本を読まさせてもらいました。そして私の思いなのですが、「本を読む」ということは、本を読んだ自分が、その思いを文章に書いていくことで、もっとその本のことが理解できるようになると思っています。
だから、こうしてインターネット上で、ブログに書いていくことはとってもいいことなのだと私は思っています。その本を読んだことへの自分の思いを書いていくには、読んだ本でもまた再びその読んだはずの本を手にとって、またあちこち見たり読んだりしているのです。そうすると、前に、ちょっと直前に読んだはずなのに、また違うことが見えてきます。私は「幸田文さん死去」と書いてあることに、「あ、これは何だろう?」と思ったもので、でもそれで原田直示さんがファンであったことを知りました。
そして私は幸田文さんの本は、何を読んでいたかなあ? と必死に思いだし、そしてまたお父さんの幸田露伴のことを思い出していました。『五重塔』のことは、内容を細かく思い出せますが、その他の作品を思い出していました。そうですね、私は『平将門』が好きかなあ。
あ、そういえば、私は谷中の墓地の五重の塔の跡地で、いつも何度もお花見をしてきたものでしたよ。
娘は二人とも結婚し、長女は二人の子どもがいます。長女は一昨日引越しました。でも昨日の朝は、私は自転車ですぐにこの新居へ行ってきました。私が「じゃこれから行く」というと、妻が「何でこんな早い時間に行くの? もう迷惑よ」と言われて、また時間を遅くして出かけたものです。でもポコ汰は、もう私のことよりも、新しい家で、たくさんのことで、面白そうでした。
長女おはぎからの一昨日のケータイメールが以下です。
引っ越ししても遊びに来るし、遊びに来てね。なんと言っても近いんだから、これからもいろいろお世話になります。よろしくお願いします!
だから淋しくないからねおじいちゃんのパパがしょんぼりしていると光汰朗が変に思うよ〜。
その引越の最中にきた、次女ブルータスのケータイメールが以下です。
引っ越し手伝えなくてごめんね。頑張っていますか?私は明後日からもう学校です。こうたろみくいい子にしていますか?
私はしょんぼりなんかしていませんが、でもなんだかやっぱり寂しいのです。
原田さんと私は同じ年齢ですね。でも大学を出たあとの軌跡はかなり違うと思いますが、でもこれからもいい人生をおくられることを期待します。
それから、きょう原田さんあてに手紙を書きますね。
2008年08月19日
「インテリア&エクステリア」
イグレックの大学物語 に このUPがありました。私も清里は、何度か行ったことがあり、でもインターネットで調べると、八ヶ岳美術館へは行っていないですね。だから行ってみなくちゃいけないなと思ったものでした。
でも思えば、私には、美術とか建築とか絵画・彫刻なんて、さっぱり判らないのですね。きっと長女おはぎと一緒に行ったら、いろいろと教えてもらえるのでしょう。でもまた私の阿呆さ加減に呆れられるだけかな。
「世田谷美術館」
イグレックの大学物語 に このUPがありました。たしか、ここへ行ったことがあるよな、なんて思いで、私のこのブログの過去ログを見てみましたら、行ったのは世田谷文学館でした。京王線の芦花公園駅で、妻と次女ブルータスと待ち合わせて行ったものでした。あのときは私はどこから出かけたのかなあ。次女はどこから来たのだろうか。長女夫妻は来れなかったと思いますね。
ブルータスが、そのときの催物の場に置いてあるノートにいっぱいになにかを書いていたのを思いだします。宮沢和史の催物をやっていたと思います。とってもいいイベントだったと言ったら、姉のおはぎも彼と別な日に行ったことを思い出しました。
秋の日で、この館に入るときの、次女の後姿を思い出しました。さらにこの文学館の中で食べたもの、お土産に買ったものを思い出しました。
あ、だんだん詳しく思い出してきました。このイベントに行くときに電車の中で読んでいた本も思い出してきました。
たくさん思い出すものですね。
「巻揚げの巻」
オノ君(exヤギシタ)のブログ に、このUPがありました。彼が彼女と横浜中華街に行ったことが書いてあるのです。東横線に乗って行ったのかなあ。
上海路にある「翠鳳本店」に
地下鉄元町・中華街駅で降りると直行する
今は、この元町駅があるのは実にいいですね。昔はJRの関内駅から歩いていくしかなかったのですもの。
私は高校が横浜で(最初入学したのは鹿児島でしたが)、しかも鶴見区の高校だったのですが、新設校で最初は、この関内駅から歩いていける高校を間借りしていました。だから、この関内周辺も、桜木町も、中華街も懐かしいのです。
そして中華街もその後も何度か来ています。ただ、私がよく入った店は、中華街の奧の店で、いつもたくさんの客が並んでいる多くの店と違って、店に入ってすぐに飲み出せたものでした。
思いだせば、本日「港の見える丘公園」のイギリス館での桑名貞子コンサート に書いたように、2005年2月6日に私は横浜の中華街他を歩いていました(このあとの「次の記事」をクリックしていきますと、いくつか横浜の写真を見ることができます)。2月13日あたりには、このときの中華街や山下公園の写真がいくつも載せてあります。
このときも最後に、私がよく昔から行きましたお店に入って飲んでいましたが、でも昔よりも実に大きな店になっていましたね。今度ここで宴会をやりましょう。あ、でもこの秋にやる予定だから、すぐそこに迫っているのですね。予約するのに、店行って飲まなくちゃなあ。
でもこうしてオノ君のブログを読んで、今度また誰かと中華街へ行っていろんなものを注文してみよう。
でも思い出せば、この2005年には、私は我孫子に居たのだから、我孫子から横浜中華街まで行ったのでしたね。
2008年08月18日
「一ヵ月半ぶりのパソコンですよ」へのコメント
「一ヵ月半ぶりのパソコンですよ」に、この私のUPしていたご当人の まっくまっく のプラムさんが、以下のコメントをくれました。
1. Posted by プラム 2008年08月18日 11:33
毎日のようにお手紙書いて頂いてありがとうございました。
おかげ様で予定通り退院できました。家に帰って来たらリハビリを自分なりにやらなくてはいけないのに、やたら眠くて眠くてどうしようもありません。これではいけないと思い、今日から頑張ろうと思います。
体の方が落ち着いたら、一緒に食事でもしたいですね。
どうして眠いのでしょうね。たぶん、入院生活というのは、何もしていないように思えるけれども、やっぱりかなり肉体も精神も消耗するのでしょうね。だから、そのぶん、肉体も精神も休みたい、眠りたいと思うのじゃないかな。
私は今は昔のように一日4時間の睡眠で済んでいるわけではなくなりましたが、でもやっぱりまだそれほどの睡眠時間はとっていません。でも私のこの生活は、実はいつでも眠りたいのよ。だから、私の孫を眠らせようとして、私が添い寝をしていると、私のほうが先に必ず先に眠ってしまいます。
これは、私は孫の前に、自分の子どもを育てるときに、よく経験したことなのです。娘がまだ小さいときに、隣で添い寝しているはずなのに、私がゴーッと眠ってしまい、娘が呆れて私を見ていたようです。
思えば、なんでこんな具合になったのかなあ。私も昔少年の頃はなかなかすぐに眠られない神経の持ち主だったのですが、あるときから、すっかり変わりました。
あのですね、会えるときになったら、そのときは、何かお菓子を持っていきますよ。ただし、その前に「このお菓子は食べられるかな?」というケータイメールを入れますね。
「一ヵ月半ぶりのパソコンですよ」
まっくまっく のプラムさんが、退院してから、始めてのUPをしてくれました。
14日に46日ぶりに自宅に戻って来ましたよ。なんだかんだ言っても、やっぱり我が家がいちばんね(^∀^)
まずはおめでとうございます。私はあなたの入院を知って、驚きまして、そして7月4日から手紙を書き出したものでした。最初に以下のように書きましたね。
あなたのブログの6月29日に、「長〜い病院生活」になるということが書
いてあってびっくりしています。長いというと、退院はいつごろになるのでしょ
うかね?
でも間違いなく元気に退院され、また元気にブログを書いてくれることを信
じています。
でも私がこうして書いていたことがそのまま実現されて嬉しい思いです。でも毎日手紙を書きまして(3日休んじゃいましたが)、いわばそれがどうでもいい内容でごめんね。旦那様も、息子さんたち3人も、私のことは知っているにしても、なんだか毎日自宅に届く手紙にとまどわれたかと思います。でも中身はたいしたことはないですからね。思えば、少し羞しいな。
ランディーもプラムさんの帰還にさぞ嬉しかったでしょうね。
ランディーに何回も何回も顔を痛いほどなめられてしまった。久々の再開にランディーは本当に嬉しそうだったよ。そんなランディーが可愛くて可愛くてどうしようもなかったね(´∀`)
でもね、手紙に書いたけれど、ソルジェニーツィンが亡くなったことで、サヴィンコフのことを少し思いだし、書きましたね。それで、私はこの社会革命党戦闘団の闘いや、サヴィンコフの苦しい長い闘い、そして彼の自殺(と言われている)のことを、詳しくまた手紙に書こうと思ったのですが、でも考えてみれば、入院中で苦しいあなたにはあまりに関係ないことだと思い直したものでした。また別なところで書くべきだよね。
とにかく、無事退院おめでとう。そしてもっと元気になったら、なにか美味しいもの、美味しいお菓子を届けます。
「宗達vs光琳そしてレバーたたき」
私がいつも訪れ、拝見しています オノ君(exヤギシタ)のブログ に、このUPがありました。
この宗達vs光琳のことを読みまして、私もJR内の車額を見ていて、「あ、見にいかなくちゃ」と思っていたことを思い出していました。でもこのオノ君が書いています、彼の会社のほうのブログを見ますと、もう8月17日までの展示で、もう今は見ることができません。思えば、私は阿呆でしたね。
でも、このオノ君のブログをさらに読んでいきます。「上野御徒町界隈へ」と続くところで、私もこの街で最初に飲んだのは、24歳くらいだったことを思い出しました。山の手線のカード下の店で、ひたすら飲んだものでした。
また一人で行ってみようかな、なんて思いになりました。でも、今の私は飲んでも決して2軒目は寄らないようにしています。そうすると、少し寂しいな。腹いっぱいチューハイを飲むと、またどこかへ寄りたくなるんですよね。
私もまた上野で何かの美術展を見ましたら、この御徒町で飲んでみましょう。
2008年08月15日
昨日の夕方美女と谷中を歩きました の2
でも、もうこれは「昨日」ではなく「一昨日」の8月13日のことです。
私たちは、谷中のよみせ通りから、へび路に入りました。私は大昔から歩いた路でした。今はどんどん新しい店ができている路ですね。
すぐに根津の『海上海』に着きました。ここで2階に上がります。ここのマスターは、この2階への階段の登り降りで、腰を悪くされたらしいのですが、今はもういいようでした。
ここで、ビールと紹興花彫酒を飲みます。この紹興酒は、周の漢詩入門「賈島『題詩後』」の画像で写しましたお酒です。ここのお店の二人が、このお酒を私の自宅へ持ってきまして、私がもちろん推薦したお酒です。
でも私はこのお酒をたぶん半分くらい飲むのだろうと思っていたのですが、実に5分の4開けちゃったなあ。まあ当然Kさんも飲んだし。そして彼女は美味しいので、このお酒をボトルで買っていきました。
でもこの店の2階で私はKさんと向かいあって座りましたので、ひさしぶりに彼女の顔を見ました。いえ、私は美しい方は、その顔を真面目に見つめることができないので、ほぼいつも顔を見たことがないのです。でもひさしぶりに彼女の顔を拝見していました。思えば、彼女と赤坂で最初に会ってから、もう30年が過ぎているのですね。
話は、そんな昔の思い出話をしていました。だから本当は彼女が買いたいパソコン・プリンタ・デジカメの話をちゃんとしないでいて、それで私はそのことは昨日の手紙に書きました。
あ、ついでにその手紙には、今度は鎌倉に行こうよとお誘いしました。ずうずうしいなあ。
でもひさしぶりにKさんと会えて、ちゃんと美しい顔姿を拝見できて、そしてお喋りできて、美味しい料理も食べて嬉しかったです。一緒に歩いた街が私の好きな谷中の街でしたもの。
それから、上に掲げた写真が最初によみせ通りの美しい店長のいる「アラスアラサン」で購入した私のハンカチで、下が根津『海上海』で飲みました紹興酒です。
2008年08月14日
昨日の夕方美女と谷中を歩きました
昨日午後4時30分に王子駅で、圧倒的美女のKさんと待ち合わせていました。彼女と谷中を歩いて、根津の「海上海」にいくつもりだったのです。
それで、でも私はいつも私はデジカメを持参しているのに撮らなかったことに気がつきました。私は本当に阿呆ですね。
いえ、ずっと「ああ、俺は彼女を撮らなかったな。なんて馬鹿なんだ」と考えていて、昔私は赤坂の広告制作の会社にいて、毎日いくつもの広告制作物を作る中、彼女にも制作物のいくつかでモデルをやってもらったことを思い出していました。彼女は実に圧倒的な美人で、広告のプロのモデルさんといってもいいのです。
でもでも、私はまた思い出しました。彼女を昔モデルに使っていたといっても、考えてみれば、彼女に報酬を支払っていなかったことです。私はその会社の制作のすべてのお金の仕切りをやっていました。モデル撮影も頻繁にやりましたが、モデル料は、一日撮影で5並び(55,555円ということ)から1並び(111、111円)くらいが多かったのです。でも思い出せば、この彼女には報酬を支払ったことがなかったなあ。彼女は私の会社の隣の会社で、英語を使う仕事をしていたのです。
昨日Kさんは、その頃のことを思い出していました。私はいつも、彼女の会社の隣の会議室で二日酔い(実は3日酔い、4日酔い)で寝ているのを、起こそうとしても、起きなかったことをです。でも私はあんまり記憶がないのですが。
この彼女は、かなり健康的に焼けていまして、いつも日本人には見えないのです。それに彼女は英語はもう普通に話せます。もともとアメリカにいた娘なのです。
でも王子駅前で、彼女が歩いてくるのを見て、私もまたはるかな昔を思い出していました。たしか、この同じ場所で彼女と同じように美しい女性を待っていたことを。あれは、1969年の8月22日か23日でしたね。前々日に府中刑務所を保釈で出た私は、色の白い綺麗な女性を待っていたものでした。
さて、でも現実の昨日は、Kさんと会いまして、それから電車に乗って日暮里駅谷中口で降りました。そしてイナムラショウゾウの店に行きました。Kさんは、チョコレートはとっても好きだということでした。私のように、本気でチョコレートを口にできないものもいますからね。私はここの「谷中」というチョコレートが好きです。いえ、谷中の夕焼けだんだんの感じで作ってあるチョコレートなのです。
この他、「ベルガモット、パレオー、ロッシュ、キャラメルバニラ、まっ茶」をプレゼントしました。
そのあと谷中を歩いて、よみせ通りに出て、アラスアラサンに行きました。私はまたハンカチを買いまして(いやいくら持っていても、この暑い夏は足りないのです)、Kさんには名刺入れ(だと思うんだ)をプレゼントしました。私はここで手に入れた名刺入れには、バンドエイドをいくつも入れています。いつ転んでもいいようにです。
それからヘビ路を歩きまして、根津の海上海に到着しました。
昨日の夕方美女と谷中を歩きました の2 へ
昨日の午前中美女に会いました
昨日の午前10時頃、手紙を出しに行きました帰りに、自転車に乗ったMさんという美女に遇いました。彼女は私の義母の介護の関係の世話をしてくれている方です。とっても色の白い綺麗な方です。自転車から手を振ってくれていて、もう私は嬉しいのですが、「あ、まだ髭そっていなかった」と羞しい思いでした。
ちょうど私は、二人の方に手紙を出したところでした。
私の高校時代の友人の一人がある出版社を退職したところでした。前に退職したら、インターネットでホームページをやると言っていたものでしたが、どうでしょうかね。退職するとか、暇ができたらということとは別次元なことだと思うのですが、どうなのでしょうね。でも私はいくらでもお手伝いするつもりです。
またずっと入院していたまっくまっくの彼女が、14日のきょう退院します。もう1カ月半の入院生活でしたかね。私は毎日手紙を書いたものでした。ただし、彼女が入院したことを知ってからです。ただし、3日間書けないことがありました。毎日家に出していて、息子さんか旦那さんが私の手紙をドサっと運んでくれたようです。きょう書きます手紙には、息子さんお二人(一人の長男は東北に就職しています)と旦那さんに、私から手紙を運んでくれたお礼を書きます。まあ、私の手紙ですから、退屈しのぎの何かにはなったと思っています。素敵な旦那さまと、いい息子さんたちですよ。いえ、私はこの旦那さんの料理(普段は湯島の料亭で腕を振るっています)を食べましたし、息子さんたちにもお会いしています。
でもこのときに偶然遇った美女のMさんにも、私は手紙を書きました。この彼女は、何故かここにときどきコメントをくれます ナミちゃんとすごく似ているのです。顔姿もしゃべり方もとっても似ているのですね。
この彼女は若くて独身なので、実は私はある人の彼女にならないかなあ、という思いで口説いたのですが、彼女には恋人がいるということで、とっても残念でした。でもこうして、王子の街角で偶然遇えるということはとっても嬉しいことですよ。
それででもこの彼女に手紙を書いている中で、王子の北口親水公園に孫を連れてばあばと3人で行くことになり、遊んできて、また戻ってきて、手紙を書き終えたものでした。
そしてさきほど、このときの何枚もの写真をプリントしてポコ汰のところに届けました。
でもまたこの綺麗なMさんに、この王子の街で遇いたいな。
2008年07月15日
2008年07月10日
神谷悦彦さんの鬼バスの写真
7月8日、千駄木「浅野」に午後7時少し前に入りました。そうしましたら、ときどきここでお会いする神谷悦彦さんにお会いしました。
彼は、彼の写真が、彼の住む町の法人会の表紙に使われたということで、その号を持ってきてくれていました。
彼のホームページは以下です。
http://homepage3.nifty.com/etsuhiko-kamiya/ 神谷悦彦のマイフォトサロン
この中の 北川辺町の鬼バス にある二つの写真のうち
この葉っぱの形が、昔コンピューターゲームではやった「パックマン」に似ていませんか?
と書いているほうの写真が、この表紙に使われていたものでした。
それを私が勝手に、ここの写真に載せました。次回会ったときに、お断りします。
でもいい写真ですね。なんだかとっても羨ましくなります。あ、カメラは何を使っているんだっけ。何台か持っていたのでしたかね。
2008年05月19日
昨日白六郎さんからメールもらいました
白六郎さんがアスキー・ショートムービーコンテストを受賞しました で紹介しました白六郎さんが、昨日以下のメールをくれていました。
私を「Flashアーチスト」としてインタビューした中京テレビ、「ウキ→ビジュ」のライブドア放映が始まりました。下で見られます。
http://anime.livedoor.com/feature/6db027cf1ba68a83_1.html
なかなか言いたい放題を言われています。笑うしかありませんね。 そのうち解説・反論ページを作成いたします。
私はお客さんとお話しているところで、このメールに気がつくのが随分あとになりました。でも、サエキけんぞうさんはいい感じで見ているなと思いました。右側の女の子は、「あれ、何言っているのかなあ」という思いでした。まあ、でもこんな風にも思うのかなあ。
でも私には、とにかく、こうした絵はまったく描けませんからね。ただただ、「いいなあ?」と思うばかりです。
でもとにかく、白六郎さんの解説のページを早く見てみたいです。
2008年04月10日
白六郎さんとユミ子さんにお手紙をもらいました
3月29日に、私たち家族は我孫子の家に行きまして、部屋の掃除をしました。そのときに、私は、友人の白六郎さんとユミ子さんの家へお別れをいいに行きました。ところが残念ながら、留守でした。それでそのときに、書いてきていた手紙を置いてきました。また王子へ帰ってきてからも手紙を書いていました。
そうしましたら、昨日飲んで帰ってくると、ポストにお二人の手紙がありました。とっても嬉しいお便りです。ユミ子さんは、私は持っていきました黒松本舗『草月』をすぐに4つ食べてしまったということで、とっても愉しい頼りなのです。
そして、ここに掲げた画像が、白六郎さんの便りです。それをスキャンしてみました。ただし、この絵は、便箋に描かれたものですから、こういうふうにインターネット上に掲げる予定のものではないので、便箋の横けい線も入っています。今電話で彼に無理にこの私のブログに掲げることの了解を得ました。
彼のアスキー・ショートムービーコンテストの受賞作については以下を見てください。
白六郎さんがアスキー・ショートムービーコンテストを受賞しました
それから彼とユミ子さんのホームページに関しては、
http://www.asahi-net.or.jp/~BA5Y-KMHR/ 童話とマンガの部屋
を見てください。
実に愉しいホームページであり、愉しいムービーです。
それにここに掲げた画像もいいでしょう。
2008年03月30日
3時に起きてしまったので へのコメント
3時に起きてしまったので に 破茶さんから次のコメントをいただきました。
1. Posted by 破茶 2008年03月29日 19:43
お忙しそうですね。でも楽しそう!周さんの頃のお花見 陣地取りは大変だったみたいですね♪でもなんだか楽しそう。ではでは。
ありがとうございます。あの頃は毎年やっていましたね。この私が必死になるのは、一つのだけで、あとは、いくつかのお花見に参加するだけでした。谷中の墓地ではいつもやっていました。あとは市谷の土手、代々木公園、柏あげぼの山公園、そして毎年遠くまでも出かけていて、お花見に参加したものです。いや私が必死になるのは、お花見の場所を確保することで、あとはとにかく参加して、歌を唄うことには、どこでも元気に懸命にやっていたものです。
今年は、1日に市谷でやるのですが、みな私より年上の方ですからね。私のやる詩吟の解説をプリントしていきましょう。
2008年03月27日
『常磐線快速』なのですが へのコメント
『常磐線快速』なのですが へ 破茶さんが、以下のコメントをくれました。
1. Posted by 破茶 2008年03月27日 07:25
こんな楽しいショートムービーと言うものがあるんだって 初めて知りました。天王台で仙人のようなひとが降りて神様だったんですね?可愛い女の子と 怪獣と・・・。絵が?アニメが?良いです。
あのねえ、真面目に考えてはいけませんよ。この白六郎という漫画家は、私の友人と言ってもね、ことごとく私と言い合いを貫徹してきた人なのですよ。それがどうして、私の住んでいる我孫子に引越てくるのかなあ。彼の漫画は以下で紹介しています。
http://shomon.net/manga/bookma2.htm#960606 白六郎「あゆみの明日もの語り」
彼のホームページは以下です。
http://www.asahi-net.or.jp/~BA5Y-KMHR/ 童話とマンガの部屋
このホームページを見られると判るのですが、彼には奥さんがいまして、彼女は童話作家です。彼女の作品は、以下に紹介しています。
http://shomon.net/kyoiku/bookkyo1.htm#kamo 蒲原ユミ子「健太となかまたち」
http://shomon.net/kyoiku/bookkyo2.htm#kamo2 野紫木洋「野うさぎクックは宝もの」
それでね、『常磐線快速』なのですが では、私はこの彼女のことを、「まず、この女の子は誰なんだろうかなあ?」と書きましたが、実はこのユミ子さんだと思うのですね。ユミ子さんは、細身の綺麗な女性です。
ただし、この女性が半端ではなく、お酒を飲んで、全然元気です。
なんというかなあ、私はこのご夫婦と仲がいいような悪いようなでね。白六郎さんの漫画を読むと、何というかなあ、私とはどうみても意見が違うのですよ。ユミ子さんとは意見思想は合うはずなんだけれど、どうも私のお酒とは合わないんですね。
あの、それで、白六郎さんのお兄さんが、これまた私とは全然気が合わないはずなのですが、私のここのサイドバーでリンクしています。
http://www2.odn.ne.jp/monten/ 工房聞天
今年は子年で、これから毎年1月に彼の土鈴を揃えていこうと考えています。
いやまだ、このご夫婦と、このお兄さんとも、私との意見思想の違いは大きいのですが、もうこのままおつきあいしていきます。
白六郎さんがアスキー・ショートムービーコンテストを受賞しました へ
続きを読む2008年03月26日
『常磐線快速』なのですが
まず、この女の子は誰なんだろうかなあ? 我孫子駅で降りているから、我孫子人なんだ。我孫子にこんな可愛い子がいるかなあ。ナミちゃんは綺麗な子ですが、こんなに若くないしなあ。あ、他にも若い綺麗な女性を知っていますが、あの子かなあ。そして、このイエス・キリストをかなり歳とらせたみたいな人は、なんで「てんのうだい」で降りるのかなあ。『常磐線快速』なのですが へのコメント へ
続きを読む
白六郎さんの受賞は2年連続でした
この一つ前に書いたのですが、彼がアスキー・ショートムービーコンテストを受賞したのは、これで2年連続です。
昨年2007年は「アスキー・ショートムービーコンテスト・Flash部門賞受賞」で、今年2008年は「アスキー・ショートムービーコンテスト・協賛企業賞受賞」ということでした。
もうこういう動く映像を見ると、「どうやって作るんだろう」と思ってばかりです。以下のページで、昨年の受賞作も見られます。
でも私はちょうど我孫子を引越するこの3月です。我孫子で祝杯をあげるというわけにもいきませんね。
『常磐線快速』なのですが へ
白六郎さんがアスキー・ショートムービーコンテストを受賞しました
私の友人の白六郎さんが、アスキー・ショートムービーコンテストを受賞しました。以下のリンク先で、この作品を見ることができます。見てみてくださいね。
http://eyevio.jp/movie/101869 『常磐線快速』
この作品を以下でも見られるようにしました。
彼とは知り合ってから、我孫子に住むことを勧めて、今は我孫子の住人です。今度は会ってお話したいなあ。あ、彼のお兄さんには、今年1月2日に会いまして、お兄さんの作品を手に入れました。今この王子のリビングに飾ってあります。
「サバサンド」にオノ君のコメント
「サバサンド」に、オノ君(exヤギシタ)のブログ(it's a floatingworld! blog)のオノさんから、以下のコメントがありました。
1. Posted by オノクン(exヤギシタ) 2008年03月26日 15:40
神田会の柳下です。萩原さんどうもトラックバックありがとうございます。
酒はいいですね。
ビールも美味しいです。
酒と友さえあれば
妻はツマです
萩原さんのよくアップされてる漢詩の世界って
田舎で友人と酒飲んでるのばっかりだった気がします
少なくとも高校の授業では
今さらですが、トラックバックってこういう使い方をするんですね。
結構何も知らずにブログやらサイトを作ってます。
わざわざ、コメントをありがとうございます。この間に、王子駅前に買い物に行きました(きょうは義母のデイサービスのお休みの日で、きょうは妻の担当なのです)。その帰りに王子駅北口の酒屋に寄って、お酒を買い(きょう買いましたのも、私の好きなお酒です)まして、王子駅すぐそばの音無川公園を歩きまして、桜をたくさん見てきました。最初は柳田公園も歩いて、こちらもとってもいい桜が咲いていました。あ、もちろんビールも買いましたよ。
あ、だから今後はここにその桜の写真をたくさんUPしていきます。
漢詩はね、いろんな詩がありますよ。ただ日本の漢詩は、とくに幕末が一番盛んでしたからね、どうしても尊王攘夷の詩が多いのですね。それに私のように詩吟をやると、私のような極端な人間は、そういう詩ばかりを吟っているようになりますね。
私はね、高校ではもう漢文の授業なんか、なかったのね。なにしろ、大学入試で、漢文があるのが、私一人でしたから、その一人のためには、授業をやってくれないのよ。思えば、ひどい話だよね。漢文に触れる機会なんて、普通の人はあの高校時代くらいしかないのだから、大事だと思うんですがね。その大事な機会を永遠に失った人たちになってしまったのです。ただし、同窓会で私と会うと、必ず私の詩を聞くことになります。
今年も、もう来週お花見をやりまして、そのときに必ず詩を詠います。
あ、それから、あなたのブログをリンクすることがうまくできず、トラックバックを2つしたことになってしまいました。なんだかローマ字ばかりのサイト名だと上手くいかないのですね(いやこれは私が悪いのかもしれません)。
いや、実は、私は今年は音無川を板橋駅あたりから、王子まで桜を見ながら歩くつもりです。板橋駅の近藤勇の碑あたりから歩くつもりなのですが、その碑のそばで近藤勇の詩を吟ずるつもりなのですが、独りで吟ってもね、少しつまらないのですよね。しかも近藤勇の詩って、私はそれほど好きではないしねえ。
私が必ず詠う「黒澤忠三郎『絶命詩』」は、この桜の季節に一番合った詩だと思います。私ももともとの宗家荒國誠先生が、私に選んでくれた詩なのです。
また独りで、どこかで詠いましょう。
「サバサンド」
オノ君(exヤギシタ)のブログ(it's a floatingworld! blog) に、このUPがありました。
サバの切り身(出来れば文化干し)をオリーブオイルを引いたフライパンでニンニクと一緒に両面焼く
文化干し(一夜干し)なら塩は不要、好みでコショウやクミンなどを降る
美味しそうに焼けたら
これがポイント!
切れ目を入れたバゲットを開いて、フライパンにこすりつける
このパンだけでも美味い(即席ガーリックトーストだ)
でもサンドするともっと美味しい
至福である
どんなサバ料理よりもジューシーだと思う
しかもまず失敗しない
ビールでもワインでもシードルでも昼に似合うアルコールはどれもイケル
このサバサンドの写真が実に美味しそうです。あ、今度自分で作ろうと思いました。だが私が一番「美味しそう」だと思ったのは、写真にあるビールなのですね。このところ、この王子の自宅では日本酒しか飲まないのですね。千駄木の「浅野」でも、まずはビールを一口飲みますが、すぐに日本酒を飲み、お酒を3本飲み終わる頃、ようやくビール1本を飲み終えます。なんとなく、日本酒ばかりになってきました。
でもでも、この写真のビールを見て、たしかにビールもいいなあ。なんだか、日本酒ばかりで、ビールの美味さを忘れてしまったような思いがありますが、また今思い出しています。
でもビールの買い方も忘れてしまった感じですね。ビールは酒屋さんから、ケース買いをするものだと思っていました。だから酒屋さんに届けてもらうもの。でももうこの王子では、王子駅北口の「藤や酒店」で日本酒を選ぶだけでした。
もっといろいろなお酒を飲んでいこうと決意しました。
2008年02月10日
絵画展「原田文の世界」を見てきました へのコメント
私の 絵画展「原田文の世界」を見てきました へ原田直示さんから次のコメントをいただきました。
1. Posted by 原田直示 2008年02月09日 23:45
「周さん」飾らない生き方、素直な話しぶり、二人の娘さんとの交流かとおもいきや、いまだに衰えぬ社会へ向けての情熱。同い年で、近代美術館が建っている場所に埼玉大学があり二人とも青春を過ごした!周さんがシャイな一面があるのに驚きました。弱者にはとことん理解を示す人なのでしょうか。圧倒的な内容を誇る情報発信者・周さんに出会い、たくさんの「若さ」を頂戴した気分で、ありがとうございました。
ありがとうございます。そしてきょうは実にありがとうございました。原田文さんの作品を見て、もっとたくさんの方の目に触れてほしいなという思いです。私の二人の娘にも見てほしいなという思いですが、明日(いえ、もうきょう10日でした)は長女おはぎはまだ1歳の子どもがいるし、次女ブルータスは実に遠いところに住んでいるのです。
次女は昨日が誕生日でした。そして学校では授業参観日だったようで、「ちゃんとできた」というケータイメールが妻に入ったようです。私には「たんじょうびおめでとう」というチョコレートで書きましたデコレーションケーキの写真が入ったケータイメールをくれました(あ、彼の顔も映っている)。
私の二人の娘、そしてその彼の4人が教員です。これは私には実に嬉しいことですね。
この一つ前のUPで、佐々木幹郎さんとの思い出を書いてみました。もう遠い遠い思い出ですが、もうどんどんと甦ってきます。大口昭彦さんとお会いしたのは、平安神宮だったかなあ、なんて思い出しました。そのあと近くのレストランで大勢で飲みましたが、大口さんは終始正座の姿勢をくずさず、ずっとビールを飲み続けていました。その姿勢に私は驚愕したものでした。
原田直示さんの本の出版を愉しみにしています。出版日が決まりましたら、教えてください。
それと「巨樹写真作品解説」を読みました。できましたら、原田直示さん、ご自分のブログを開設されませんか。この「巨樹」の写真をインターネット上で見てみたいし、これに書かれている文章だけでも、インターネット上に掲示されていれば、私たちには、とても嬉しいことです。
それに原田文さんの絵画も、写真を撮られて、ブログで掲示されたらいいのになあ、と思いますよ。多くの方に目に触れることが、たくさんの方への大きな励ましにもなると思うのですね。ブログならHTMLに関係なく、言葉と写真だけでUPできますよ。昨日の絵画展を見たことは、私には実に嬉しいことでしたが、でもまったくこの情報を知らないかた、それにさいたま市北浦和からは遠い方もいるわけです。
できたら、それがインターネット上に公開されていたら、とても嬉しいことだと私は確信するのです。
「原田直示」の検索で、「佐々木幹郎」という名前を見つけました
一つ前の 絵画展「原田文の世界」を見てきました に書いたのですが、この原田文さんのお父さんの原田直示さんは、私と同じ昭和23年の生まれの方でした。でも私のように現実に学生運動をやられた方ではありませんでした。
それで、グーグルで「原田直示」というキーワードを検索しますと、以下の掲示板が提示されます。
ここに原田直示さんは、二つの書込みをされています。それでそれに佐々木幹郎さんがレスをされています。それで始めて気がつきました。ここは
http://voicespace.blog58.fc2.com/ VOICE SPACE
というサイトだったのです。
この原田直示さんにレスされている佐々木幹朗さんは、このサイトに以下のような紹介がありました。
■VOICE SPACE ―東京芸術大学現代詩研究会―
東京芸術大学音楽学部の学生、院生、卒業生を中心とした、現代詩を研究する音楽グループ。「音楽文芸」講座担当の佐々木幹郎氏、成田英明氏を顧問として2004年に発足。
え、そうなんだ、ということで、実に懐かしい思いです。幹郎さんは、私よりも1歳年上で、大昔私は京都・大阪でお会いしたことがあります。私が大学6年のときに、1972年7月14日大阪駅前にて、お会いしました。私たちは4名の埼大生グループで、京都駅前でそのとき5名の後陣グループと会いまして、それから大阪に向かいました。ただし、このとき私たちは全員ダークスーツにサングラスでした。京都の夏は暑いのです。そして私たちは貧乏な学生です。でもみんな必死でスーツを揃えました。
私たちは、それから堺に自宅のある浜野さんという、その昔、革共同全国委員会から参議院選挙に出たという方の自宅へ向かいました。
私たちは1週間前から京都にいました。立命館大の活動家の「ぷくとん寮」というところにいましたが、ひたすら毎日酒を圧倒的に飲んでいました。しかし、この7月14日はスーツを着る関係上、もう汗の出るビールは飲まず、せいぜい日本酒を飲むだけで、あとは誰も会話もせず、面白くないような顔だけをしていました。サングラスで笑うとおかしいのです、決まらないのです。
それで大阪の梅田駅で浜野さんの関係の3人と会いました。そのときに佐々木幹郎さんとお会いしたのです。まったく蒸し暑い夏の大阪でも、全員ダークスーツにサングラスの私たちに幹郎さんたちは、どんなに驚かれたことでしょうか。でもそれから浜野さんのお宅でも、私たちは延々と飲んでいました。
私たちは、夏のことですから、そこでスーツを脱いでも、下着姿になってもちゃんとしているよう、下着も用意しました、ちゃんとちりめんのステテコ姿になったものです。でも実は腹巻きも着けようという気もあったのですが、何しろ私たちは金のない学生です。みんなアルバイト中で、そこで必死になって京都まで来たのです。腹巻きは用意できませんでした。
私はちょうど上中里の農業技術研究所というところでアルバイトしているところで、卒論のことで、大学の遠い寮に行かなくてはならない、という大嘘をついて京都に来ていたのでした。
その浜野さんの御自宅に泊まりました翌日、私たちは幹郎さんたちの案内で、桜吹雪の降る中、京都祇園を歩き、やがてみんなで、鴨川のほとりで、みなで輪になってまた飲み出したものでした。あのとき、幹郎さんがご自分の「死者の鞭」の詩を披露してくれたのを思い出します。もちろん、私はそこで、詩吟を披露しました。
思えば、このときに、ちょうど京都大学に居た、大口昭彦さんと私は始めてお会いしたものでした。
原田直示さんの名前で、検索しました。思わず懐かしい名前を見つけて、ずっと昔の思い出が甦りました。
2008年01月30日
破茶さんにお知らせしたいのですが
私が 周の『独楽吟のススメ』を始めたというのを、まずは破茶さんに知らせたいと思いまして、彼女のサイトにある「自由に独楽吟」に書き込むと
投稿禁止語(NGワード)の文字が使用されています
ということで、書き>込めないのです。
それで「なんでも掲示板」に書き込むと今度はエラーになります。
どちらも何度もやって(NGワードをいくら類推して替えても)もだから、こちらに書きます。
「周の『独楽吟のススメ』」を始めました
私のブログで、「周の『独楽吟のススメ』」というのを始めました。ごめんなさいね、勝手にやりはじめてしまって。
http://shomon.livedoor.biz/archives/cat_50022883.html 周の『独楽吟のススメ』
毎日届く破茶さんのメルマガの独楽吟への私の拙い感想を書いていくものです。
ただし、私のほうは毎日UPできるとは私は思っていませんが、とにかくなんとか書いてまいります。
あ、それから破茶さんは、「長春有情」を書いておられる彼のことを知っているのかなあ? 彼は私と同じ鹿児島の甲東中なのです。ただし、彼は鶴丸高校ではなく、中央高校へ行きました。
ただし、私は今も彼のことが、名前も顔も判りません。ただ彼がときどき書いてくれる甲東中学の同級生(ただしこれはハンドル名でしか書いてありませんが、私が類推できます)は、みな判るのですね。
私は短歌はどうしても判らないものですから(私は昔から漢詩は好きなのですが、日本の詩歌は苦手なのです)、よく内容は理解できませんが、私なりの感想を書き続けていきます。
そうそう、思えば「投稿禁止語(NGワード)」って何なの? 上に書いた中で、何がこの禁止語なの? 調べてもこの語が提示されれていないので、さっぱり判りません。
2008年01月03日
北陸大学教職員組合の友人からの年賀状
画像は、昨日2日にきた北陸大学で教授をしている友人から年賀状がきましたが、その表面です。いえ、年賀状とはいえないのかもしれません(私は喪中だし)が、私の自宅の我孫子ではなく、ここ王子に着きました。ゲバラなんて懐かしいので、ここに掲げました。
それで文面には、彼の言葉の他に、以下のことが書かれています。
昨年8月に、金沢地裁で、「解雇は、不当労働行為であるか否かを検討するまでもなく、無効」であるという仮処分決定が出、現在職場復帰しています。2月から、本訴は始まります。地裁の決定理由の中に、「学問の自由」が失われる点が挙げられ、憲法、旧教育基本法の理念が生かされている、格調の高い判断が下されています。私は、闘いを起こしてよかったと思っています。
インターネットで、『北陸大学教職員組合』→『組合ニュース』を検索して下さると幸いです。私たちが初めて実名を出したのは、第264号です。
この北陸大学で不当に解雇され、現在職場復帰している友人とは大学1年のときから知り合ったものでした。彼の家が北区赤羽で、住所が志茂でした。でもこの志茂を歩いてみても、もう今では、それがどこらへんだったのかも判らないのですね。もう40年前のことですからね。
とにかく、「学問の自由」なんていう言葉に私の心もあつくなります。
昨日2日は「職人・技の祭展」へ行きました
職人・技の祭展 へ行ってきました。蒲原雅人さんとひさしぶりに会いました。前にお会いしたのが、いつだったかは忘れています。たしか広告制作のチーフプロジューサーだったように覚えています。
それが、この仕事に従事してもう10年になるといいます。早いものですね。京王百貨店新宿店はいっぱいの人でした。そしてこの展覧がされている7階大祭場もいっぱいの人です。いえ、新宿そのものが、もうたくさんの人で、いささか私は驚きました。
写真は、ここで展示販売されている蒲原雅人さんの作品です。彼は実際に、自分の神奈川県の藤野市で実家で、これらを実際に彼の竈で焼いているということです。実際に目にして私は、いいものだなあ、と感激していました。
今後、ここで彼が展示していたものの画像を掲示していきます。
2007年12月30日
昨日の浦和会での私の文書
昨日の浦和会で、私が配りました文書です。
浦和会の皆さまへ
萩原周二よりの個人的情報発信
2007年12月29日
周の住所等々
私はもう今は大変に酒が弱くなり、それでもよく飲みに行く千駄木「浅野」では、もうビール1本、日本酒3本と決められるようになりまして、こうなると私はそれでどうやらまたいいお酒を飲んでいます。
また王子北口の「藤や酒店」で、実にいいお酒を手にいれて、ずっと毎日晩酌しています。毎日一合づつ飲もうと考えているのですが、どうしても3日で一本がなくなります。
以下、また酒が入ると、記憶がなくなるので、こうして文書を提示いたします。ただし、昨年のように長文には致しません。
1.私はほぼ王子で生活しています
義母の介護で、2006年1月9日よりほぼ、王子の妻の実家にいます。それで仕事上の事務所も、もうこちらに移しました。
我孫子に自宅はあるのですが、もう来年3月には引き払うつもりです。私の母も亡くなりましたので、もうこれからは王子を生活の拠点にします。
2.私に初孫が生まれました。
今年1月3日、私の初孫が生まれました。長女家族は同じマンションの別な階にいます。だからすぐに会えるのです。もう可愛くて可愛くて、いつもいつも私じじがおおいに可愛がっています。
この初孫を含め、我が萩原周二家は、全部で7人になりました。次女も昨年3月25日に結婚して家庭を作りました。ここにも孫が生まれてくることを、もう私はただただ待っているばかりです。
3.ケータイメールで連絡とりましょう
もう私の場合は、すべてケータイメールで連絡を取っています。生活上も、仕事も、もうすべてケータイメールです。これのほうが便利なのですね。電車の中でもどこでもこれで連絡できます。
ついこのごろは、私の年代の親しい方々がみなこのケータイメールを使ってくれるようになりまして、電話だと出られないこともありますが、これなら私は実に嬉しいです。
4.グーグルメールも使っています
メールは前のPOPメールもすべて使っていますが、もうスパムメールばかりで困っています。実に莫大な量があって、もうまずPOPメールで受けて、そこで削除しています。まずいことに、その際に間違えて削除することもあるようです。だから、それであとからケータイメールで連絡をとって、長いメールだと、このグーグルメールで受けています。
グーグルメールなら、スパムメール退治も、ほぼ完璧です。
ケータイメールですまない詳しいメール(相手が印刷する必要があるのような場合)は、これですべて出しています。
5.スカイプでお話しましょう
もうケータイメールですべてすましているわけですが、でも実際に声で電話で話したいこともあります。そんなときに、スカイプを使っています。
スカイプ同士は何時間喋っても、無料です。そしてスカイプは普通の電話にもケータイにもかけられます、受けられます。そして電話代は、それぞれよりわずかに安いです(5%くらいかな)。
それからチャットが今は100人でできます。これがメール替わりに使えるのですね。実に便利ですよ。
昨年12月に私はこのスカイプのケータイを手に入れると言っていましたが、実際にロジテックのケータイを手に入れました。これだと、パソコンなくても路上でも話せますよ。
6.私のホームページ
私のホームページは、今も
http://shomon.net/ 将門Web
ですが、もう私はもう毎日以下のブログを更新しています。
http://shomon.livedoor.biz/ 将門Web(ブログ将門)
もうこのブログを将門Webという名称で私のTOPページにしていくつもりなのですが、ドメインの関係でまだ少し困っています。
7.メルマガ「マガジン将門」
私が毎週月曜日発行しています
http://shomon.net/osirase.htm マガジン将門
が、来週月曜日31日で、第385号になります。もう31日0時台に予約配信しています。それで翌2008年1月1日には、第386号を、これまた0時台に配信します。
以上まだ書きたいことも、書くべきこともあるのですが、それはまたここでお話していきましょう。
続きを読む2007年12月26日
「妻の友人の絵画の作品」のことで
妻の友人の絵画の作品 に書きましたが、あ、まずいのでした に書きましたように、すぐに掲載を止めました。著作権のことがあったからです。絵画に関する著作権は彼女にあるとしても、この画像の著作権は、この絵を撮影したところです。
それで、すぐに掲載をやめて、替わりに以下の画像
にして、以下のメールを送りました。<




