周の友だち・知人

2017年07月06日

目森一義さんのホームページ

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2017年02月01日

BINさんへの連絡を書きます

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管理画面が変更になったので、実に大変です。 26(日)に王子駅で別れて、私はタクシーに乗りました。そうしたら、タクシーの運転手さんが、「あの方はもう駅前で随分待っていらしたのです」と教えてくれました。それでそのことを謝ろうとしてのですが、BINさんのケータイメールアドレスが分からなくて困って、前のように書いたのです。  私はその運転手さんと、私らは48年ぶりに会ったこと、王子野戦病院闘争のことをお話しました。
2017020105
でも申し訳なかったです。そのことを書こうと思ったのでしたが、当日は私の妻の誕生日で、すぐに上中里の3人の孫ポコ汰・ポニョ・ポポと私の長女おはぎがやってきて、それでもういっぱいになってしまったのです。
2017020106
それでBINさんへの伝言を書いていられませんでした。メルアドを知っているべきですね。続きを読む

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2017年01月31日

BINさんへの連絡です

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  私周と29日に王子駅でお会いしましたBINさんへの連絡です。私は名刺をお渡しして、私のメルアドは分かるはずですが、私のほうがBINさんのメルアドを尋ねるのを忘れていました。ぜひとも私の名刺に載せてありますメルアドにメールください。お願いします。
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 いやアドレスを知りたいことと、ちょっとしたことを伝えたいのです。

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2016年12月15日

私の埼玉大学の先輩から電話がありました

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2016121506
 もう驚きました。私の2年先輩ですから、もう70代になるのです。そうなのだなあ。
 いろいろなことが聴けて嬉しいです。今日は私は独りですから(妻がブルータス・じゅに・ニコ・ナオキ君の家に行っているのです)、実に懐かしくいくつものことを思い出しました。私が知らなかったことも、新しく知り、またいくつものことを思い出せました。
 彼は日暮里だったのですね。はるかに思い出したものでした。彼は今名古屋に住んでいます。私は名古屋は南区・千種区・北区と住んだものでした。
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2015年05月22日

野村澄子さんのご葬儀

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 ここで告知します。私たちの友人であり仲間でした野村和正さんの奥様澄子さんが16日に亡くなりました。
 お通夜・ご葬儀は以下で行われます。

   こころセレモニー株式会社
    埼玉県さいたま市大宮区北袋町1-168-1
    電話 0120-138887
    さいたま新都心駅東口から800m
   お通夜5月22日18時より
   ご葬儀5月23日12時より

 できるだけ多くの友人にお知らせください。


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2013年11月06日

山岡さんへ 2

13110203 山岡さんから2番目のコメントをもらいました。以下の内容です。

1. Posted by 山岡 俊秀 2013年11月06日 09:48
ゴールデン街ひしょうでお会いしたことがある山岡です。
さて、ブログ内容とは関係ないのですが、
昨年がひしょう40周年でもあり、11/26にひしょうの馴染みのメンバーを集めて ひしょう同窓会なるものを開こうと思っています。
おりゅうさんは現在リハビリ中で車イスですが、元気です。
つきましては、案内状を送りたいので、ご住所を教えて下さい。
よろしくお願いします。


 それですぐに、山岡さんのアドレスに返信しました。だが以下に書きましたように、

2. Posted by 萩原周二 2013年11月06日 10:24
これに返信しましても、
 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
フィールドのアドレス「」が認識されませんでした。すべてのアドレスの形式が正しいことを確認してください。
 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ということで、返信できないのです。


というようにコメントしましたように、返信できないのです。
 もしも、どこかにこの同窓会の中身をUPしてくれてもいいいのですが。


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2013年10月28日

山岡さんへ

13102804 おひさしぶりです。ちょっと長女の家に行っていまして、三人の孫と接して(ばあばがいうにはその時間が長かったようです)、家に帰ってきても、いっぱいのことをやっていまして、今になってしまいました。

ご無沙汰しています。ひしょうでお目にかかったことがある山岡と申します。
記事とは関係ありませんが、11/26(火)にひしょうの常連でおりゅうさんを囲んで「ひしょう同窓会」なるものを開こうと思っています。つきましては、周さんに案内状を送りたいので、住所を教えていただけないでしょうか?


 たいへんにありがとうございます。それでものすごく嬉しいのですが、この連絡をどうしてやろうかと思いました。私のところは、メールアドレスをさらすと、とんでもないことになるのです。私は自分が登録してある電話番号しかならないようにしています(このはずなのですが、何故かときどき予想もできないことがおきるのです)。
 昨日も電話があり、知らない番号なので、あとで電話すると韓国語で答えるばかりで(なんで私の電話を知っているのだ)、困りました。実は電話はもう1つあるのですが、それにも今日朝ワンギリがありました。
 ああ、おりゅうさんの住所は知っていますよ。そちらへ連絡しましょうか。

 画像は今朝9時代に行きました黎明薬局に貼ってあるカレンダーです。


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2013年05月05日

「海ほたるを越えて速く走れるのですが」に大村さんからのコメント

13050407 私の海ほたるを越えて速く走れるのですが消費者・行政サービスICの釈悪大愚大村さんから次のコメントがありました。

1. Posted by 釈悪大愚大村   2013年05月04日 13:09
周ちゃん
全然別の話なやけど。『吉本隆明『共同幻想論」を語る』CD−ROM版持っているやろ。平田平氏のフランス語訳版も入っているもの。至急、暫くかしてもらいたいのよ。Skypeもしたし電話したし。auのケイタイメールもしたけど、つながらない。周メアドも見つからないので、ここに書かせてもらった。

 インターネットでマルチメディア作品 吉本隆明「共同幻想論」を語るを見たのですが、私はもっているはずなのですが、今は見当たらないのです。もう私の部屋は何がなんだか分からないのです。これでもかなり整理したはずなのですが。
 もう私はこのブログに書いているだけですね。これなら私が管理しているわけではないから、もうインターネットの検索だけですみます。
 それから昨日は朝早くから、私の次女ブルータスの家へ行っていたのでした。私の家族10人が久しぶりに(何年ぶりだろうか)あったのです。それで帰ってきたのが午後9時15分でした。
 Skypeはもうこのごろはご無沙汰です。インターネット上でやっても、話したりチャットできるの(日本語でやります)は中国の若い方が多くて、はっきりいいまして、中国の漢詩、李白も知らない人ばかりで(さすが杜甫は知っていますが)、まったく面白くないのですよ。もうそれに応対するのが面倒で、私のブログでもスカイプのサイトマークは消してしまいました。
 あ、auのケータイも替えたのです。でも新しいケータイにもものすごくスパムメールが入ってきて(もう200アドレスを越えました)、電話も受けないのですが、その一つに3日前にもかけましたが、韓国語で話すばかりで相手から切られました。
 あとで私から電話してみます。13050501



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2013年01月15日

梅津正喜さんの通夜式での私の文書

13011417 以下は昨日2013年1月14日に梅津正喜さんのお通夜で私萩原周二の持っていきました文書です。私の知っている友人に配りました。A42枚の用紙に両面印刷しました。本日の本葬でも配ります。
 なお葬儀会場は、北区セレモニーホールです。

 萩原周二よりの個人的情報発信     2013.01.14

1.昨年の7月20日の「日の丸土建」の同窓会では、楽しい時間を過ごせたわけですが、またこうして現実にみなさんとお会いできるのが、梅津正喜さんのお葬式では、なんだか私は気持がしおれてしまうわけですが、とにかく私はこうして、私の思うことを発信させていただきます。
 なお、これは明日15日か16日に私のインターネット上のブログ

   http://shomon.livedoor.biz/  将門Web

にも、この文章をUPします。なおその際に、梅津正喜さんと私以外の固有名詞は、別な名称(何かまったく関係ない文字)にいたします。
 ただインターネット上のブログですと、ちゃんとリンクも有効ですから、それでも見てください。紙の上で読むよりははるかにいいです。これは、私がいつも書いておりますいくつもの手紙でも実に感じていることです。
 ですから、あとでインターネット上でこの私の書いたものをご覧ください。はるかにちゃんとリンク先へ一瞬でいけることがいいことが実感できると思います。

2.梅津さんとは、私は日の丸土建と神田会でのお付き合いでした。彼が法政大学で運動をしていた頃は、私はほとんど知りません。
 ただ、私はその後は自宅は千葉県我孫子市で、事務所は御茶ノ水でしたから神田会(1年に7回ほど飲み会をやっていました)でお会いするだけでした。それで私が今のように東京北区に自宅も事務所も構えるようになったときには、彼はもう身体の具合が悪いということしか聞いていませんでした。

3.私はこの将門Webのブログには今日は今まで、6つUPしております。私はケータイでUPすることも多々あります。私のブログで一番多いのはスマートフォンIS01でUPしたジャンル周のIS01ブログというものです。
 ケータイでのUPと言いましても、スマートフォンですから量は少しは多いですよ。ただ私は普通にパソコンで書くほうがいいです、楽ですし、今のところはパソコンのほうが自在に内容も量も書けます。13011418
 もちろん私は漢詩(もちろん中国だけではなく日本の漢詩も。いや日本の漢詩のほうが多いかな。いえ、ベトナム、韓国朝鮮の作品も書いています)の解説を書いているジャンルもありますし、短歌や俳句、詩についても書いています。どうしても私は日本の韻文よりは、漢詩についての方が書きやすいです。事実量はそちらが多いです。
 この頃は、「唯円『歎異抄』」と「新約聖書『マタイ傳』」を原文で書いております。まあ第一には、自分が理解するためにやっているのですね。

4.それにブログだけでなくケータイメールでもおおいに交換しています。もう娘二人だけでなく、妻や弟や女性たちはケータイメールのほうが、普通のメールよりもいいみたいですね。
 やがては孫たちや姪の子どもたちとも交換するようになるでしょう。いえ、今のところは、孫にはその母親父親に私が一方的に出しているだけです。そのうちにいつか、じいじのこともこの「ケータイメールで、何でこんなに書いてくるのだ」と少しは興味を持ってくれるかなあなんて期待しています。

5.私はこのインターネット上の将門WebにUPしている量は、ただただ量だけは、世界の米国にも中国にも誰にも負けていません。ただUPする数はタレントの中川翔子さん(私のブログのサイドバーでリンクしています)などのほうが上です。ただし、私は量だけですよ。質はダメに決まっています。
 ただとにかくこうして日々書いていけることは嬉しいことです。私は月に、200くらいのUPをしています。
 それとここに私は読んだ本の感想文を「周の雑読」と称してUPしています。もう数は2,000に迫っています。とにかく、これを3,000書いていくはずです。やがては5,000を越えるつもりでいます。
 本を読むことはいいのですが、その読んだ思いを書くことが大事だと考えているのです。私はそれを書かない限り、本を読んだことにはならないと思っているのです。ただし、これは私の思いです。
 私は「司馬遷『史記』」の黄帝から始まる五帝から、夏を終えて、今は殷のことを書いている途中(ちょっと殷のことを書く途中で止まっています)です。まだ書いて行きますが、周の西周の時代を少し書いたら終わりです。
 いやそれ以降は、またいろいろと他の本でも書くことがあって『史記』だけと限らないのです。『史記』以外の本でも書いて行きます。とにかく、これは、今月中には書き終えます。

6.私が毎日書いておりました『吉本隆明鈔集』は私が過去書いたものは終わりました。もちろん、これからも書いていくつもりですが、まずはひとくぎりといたします。
 私には吉本(吉本隆明)さんが亡くなられて、なんだかものすごく寂しいと同時に、もう俺も終わりにすべきかななんて思いましたが、それでは吉本隆明さんの言われていることと違うし、間違っている、もっと寂しくとも生きて行こうと思っています。
  吉本隆明さんが私のことを「律儀な人」と言われていまして、そんなこともないのだがなあ、と思いながらでも嬉しいです。その吉本隆明さんに言われたことを私も忘れないで、今後も生きて行きます。

7.この日本では、多分1万年(いや2万年かもしれません)くらい前から、私たちの祖先はこの日本語だろうと言われるもので話してきました。でも私たちと同じであろう書き言葉を使ってきたのは、たかだかまだ1,100年くらいしか経っていないのです。ちょうど紫式部や清少納言や更級日記の少女(この実際にこれらの書籍を書いた女性たちは名前が分かっていないのです)の書いたものは実に面白いです(いや私は『源氏物語』はその面白さがまだわかっていませんと言えるのですが)。
 誠に残念なことに、それらの女性陣より、はるかに時代のあとの悪左府藤原頼長の日記は、漢文で書かれており、私にははるかに遅れていた(内容はまた別なのだが、いや内容もものすごく面白くない)ものに見えます。
 だから私はこの時代の何人もの女性たち(わずかにかな書きで書いた男性もいますが)の思いを今も受け継いで書いていくつもりです。13011419

8.上の本のことだけでなく周の映画演劇館と称して見た映画のことも多く書いています。前には、いつも見た任侠映画のことを書くことが多かったのですが、今は直前に封切になった映画も書いています。今日本映画はいいですね。最高だと思いますね。
 今私は64歳で老人ということで、映画は実に安価に見られるのです。そして必ず私はプログラムを買うのですが、今回「降旗康男『あなたへ』」はこのプログラムがすべて売れきれで困りました。
 もちろん、私のブログには、私の文章だけでなく、映画のいくつかのシーンの画像も入れていますよ。つい近頃は以下を書きました。画像もいくつも入れています。

  阪本順治『北のカナリアたち』
  降旗康男『あなたへ』
  犬童一心『のぼうの城』

9.その他私のブログ将門Webでは周のニュースということで、いくつものことを書いています。つい近頃は次を書きました。

  米長邦雄さんが亡くなりました
  私のIS01はスマートフォンなのかなあ
  livedoorだと歌詞が掲載可能なのだ
  サンゴが無くなっているといいます

 いや私はこの毎日のニュースでは、健康についても、飲み屋についても、そのほかについても書いていますよ。

10.日経新聞の連載小説である浅田次郎『黒書院の六兵衛』も新聞読んですぐに書いています。明治維新という大きな転換点を、今までの歴史や文学では書きえていなかったと私は思え、この小説は私は夏目漱石の小説を凌駕する作品だと思っています。
 私のサイトではこれがけっこう読まれています(いえ、アクセス解析で分かるのですよ)。

11.またNHKの連続ドラマ『純と愛』についても毎日書いております。これは実にいいドラマです。毎朝見ていて、いくつものシーンで私はいつも涙しています。毎日といいましても、放送のない日曜日も書いていますよ。
 この番組は嫌いな方も多いようで、それを私は私へのコメント・トラックバックでも感じています。

12.私の孫、ポコ汰、ポニョ、ポポ、じゅには私の将門Webのサイドバーに今日現在次のようにあります。

ポコ汰はいくつになったの?
ポコ汰は1月3日生まれ
6歳と11日♪
★7歳の誕生日まで354日★

ポニョはいくつになったの?
ポニョは8月2日生まれ
4歳5ヶ月12日♪
★5歳の誕生日まで200日★

ポポはいくつになったの? ポポは2歳8ヶ月3日♪
★3歳の誕生日まで117日★

じゅにはいくつになったの? じゅには2歳1ヶ月26日♪
★3歳の誕生日まで309日★

 私は上の三人へは、できるだけあまり行かないようにして、一週間に2回〜3回くらい行っています。いつもじいじはお菓子をもって行きます。でもいつも、「じいじは食べないの。そんなに甘くないよ」なんていわれています。
 じゅにの家は、千葉県君津市なので、遠いのですが、できるだけ行くようにしています。昨年12月にも保13011420育園のクリスマス会へは参加しました。嬉しい楽しいクリスマス会でした。

13.娘おはぎにもブルータスにも、手紙も書き、ケータイメールも出しています。その二人の彼ともケータイメールを出していますよ。

14.できるだけ、手紙でやりとりをしたいと思います。それにぜひインターネットで、私の将門Webを訪れてコメントください。私がやれるのですから、誰でもインターネット上でサイトを持てるはずです。以上



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2012年12月21日

昨日の忘年会での私のチラシ

12121905 昨日12月20日の17時50分からの下高井戸での忘年会に出席できまして、私はものすごく嬉しかったです。そのときにみなさまにお渡ししましたものが以下なのです。
 昨日の浦和会での私のチラシと内容はほぼ同じなのですが、違うものなのです。ですからこうしてUPします。まあ、紙の上よりは、これの方がリンク先へはすぐに跳んでいけますから、いいとは思いますが。

萩原周二よりの個人的情報発信 2012.12.20

1.私はAさんから連絡をいただき、こうして参加できること12121906になりました。みなさま、おひさしぶりです。
 私はいつもこうした宴会(と言っていいのかな)で、すぐに記憶を失いますので、こうしてA4のチラシに書いてきます。
 なお、これは今夜20日か21日に私のインターネット上のブログ

   http://shomon.livedoor.biz/  将門Web

にも、この文章をUPします。なおその際に、私以外の固有名詞他は、別な名称(何かまったく関係ない文字)にいたします。
 ただインターネット上のブログですと、ちゃんとリンクも有効ですから、はるかにいいですね。これは、私が日々書いています手紙でも実に感じていることです。
 ですから、あとでインターネット上でこの私の書いたものをご覧ください。はるかにちゃんとリンク先へ一瞬でいけることがいいことが実感できると思います。

2.私が毎日書いておりました『吉本隆明鈔集』は私が過去書いたものは終わりました。もちろん、これからも書いていくつもりですが、まずはひとくぎりしました。
12121907 私には吉本(吉本隆明)さんが亡くなられて、なんだかものすごく寂しいと同時に、もう俺も終わりにすべきかななんて思いましたが、それでは吉本隆明さんの言われていることと違うし、間違っている、もっと寂しくとも生きて行こうと思っています。
  吉本隆明さんが私のことを「律儀な人」と言われていまして、そんなこともないのだがなあ、と思いながらでも嬉しいです。その吉本隆明さんに言われたことを私も忘れないで、今後も生きて行きます。

3.この日本では、多分1万年(いや2万年かもしれません)くらい前から、私たちの祖先はこの日本語だろうと言われるもので話してきました。でも私たちと同じであろう書き言葉を使ってきたのは、たかだかまだ1,100年くらいしか経っていないのです。ちょうど紫式部や清少納言や更級日記の少女が私たちと同じ文字で書いているのです。
 誠に残念なことに、それらの女性陣より、はるかに時代のあとの悪左府頼長の日記は、漢文で書かれており、私にははるかに遅れていた(内容はまた別なのだが、いや内容もものすごく面白くない)ものに見えます。
 だから私はこの時代の何人もの女性たち(男性もいますが)の思いを今も受け継いで書いていくつもりです。X12121901

4.私はこのブログには今日は6つUPいたしました。私はケータイでUPすることも多々あります。私のブログで一番多いのはIS01(スマートフォン)でUPしたジャンルです。だからケータイでのUPと言いましても、量は少しは多いですよ。ただ普通にパソコンで書くほうがいいです、楽です。
 もちろん私は漢詩(もちろん日本の漢詩も)の解説を書いているジャンルもありますし、短歌や俳句、詩についても書いています。どうしても私は漢詩についての方が書きやすいですね。

5.それにブログだけでなくケータイメールでもおおいに交換しています。もう娘二人だけでなく、妻や弟や女性たちはケータイメールがいいみたいです。やがては孫たちや姪の子どもたちとも交換するようになるでしょう。いえ、今のところは、私が一方的に出しているだけです。いつか、じいじのこともこのケータイメールで、「何でこんなに書いてくるのだ」と少しは興味を持ってくれるかなあなんて期待しています。X12121902

6.私はこのインターネット上の将門WebにUPしている量は、ただただ量だけは、世界の米国にも中国にも負けていません。ただUPする数はタレントの中川翔子さん(私のブログのサイドバーでリンクしています)などのほうが上です。ただし、私は量だけですよ。質はダメに決まっています。
 ただとにかくこうして日々書いていけることは嬉しいことです。私は月に、200くらいのUPをしています。
 それとここに私は読んだ本の感想文を「周の雑読」と称してUPしています。もう数は今日現在で1,667を越えています。とにかく、これを3,000書いていくはずです。やがては5,000を越えるつもりでいます。
 本を読むことはいいのですが、その読んだ思いを書くことが大事だと考えているのです。私はそれを書かない限り、本を読んだことにはならないと思っているのです。ただし、これは私の思いです。
 今私は「司馬遷『史記』」の黄帝から始まる五帝から、夏を終えて、今は殷のことを書いている途中(ちょっと殷のことを書く途中で止まっています)です。まだ書いて行きますが、周の西周の時代を少し書いたら終わりです。
 いやそれ以降は、またいろいろと他の本でも書くことがあって『史記』だけと限らないのです。
 ただし、『史記』も五帝の前の三皇のことはあいまいというか記録がないのですね。X12121903

7.上の本のことだけでなく「周の映画館」と称して見た映画のことも多く書いています。前には、いつも見た任侠映画のことを書くことが多かったのですが、今は今年封切になった映画も書いています。今日本映画はいいですね。最高だと思いますね。
 今私は64歳で老人ということで、映画は実に安価に見られるのです。そして必ず私はプログラムを買うのですが、今回「降旗康男『あなたへ』」はこのプログラムがすべて売れきれで困りました。
 もちろん、私のブログには、私の文章だけでなく、映画のいくつかのシーンの画像も入れていますよ。つい近頃は以下を書きました。画像もいくつも入れています。

  降旗康男『あなたへ』
  阪本順治『北のカナリアたち』
  犬童一心『のぼうの城』

8.その他私のブログ将門Webでは「周のニュース」ということで、いくつものことを書いています。つい近頃は次(以下は題名だけです)を書きました。

  米東部コネティカット州の小学校での銃乱射事件
    米小学校銃乱射事件で服部君の母が「教育が何よりも大切」と
    日本人は対面よりも電子メールを好むのだそうです
  主役は新ビッグ4ということですX12121904

 いや私はこの毎日のニュースでは、健康についても、飲み屋についても書いていますよ。私のような酔いどれが、パソコンからインターネットを通じて書いていけることは嬉しいことなのです。嫌な悔しいことでも、できるだけ毎日書いて行きます。

9.日経新聞の連載小説である「浅田次郎『黒書院の六兵衛』」も毎日書いています。明治維新という大きな転換点を、今までの歴史や文学では書きえていなかったと私は思え、この小説が実にいいです。私も毎日書くことで、今の現状も見えてくる気がしています。今日は福地桜痴の書いた江湖新聞のことを書いています。今は読売新聞や朝日新聞は存在するのに、何故この桜痴の新聞が残っていないのか、ものすごく残念です。いや何らかの意図があったのではと私は思っていますよ。
 私の思いでは、この「浅田次郎『黒書院の六兵衛』」は夏目漱石・森鴎外の書いたものにも負けない作品だと思っています。

10.またNHKの連続ドラマ『純と愛』についても毎日書いております。これは実にいいドラマです。ときどき思い出の中に出てくるおじいの姿を見て私はいつも涙しています。私の書くこれにはけっこうコメントがあります。
 こうしてドラマが見られて私はものすごく嬉しいです。X12121905

11.私の孫、ポコ汰、ポニョ、ポポ、じゅには私の将門Webのサイドバーに今日現在次のようにあります。

ポコ汰はいくつになったの?
ポコ汰は1月3日生まれ 5歳11ヶ月17日♪
★6歳の誕生日まで14日★

ポニョはいくつになったの?
ポニョは8月2日生まれ 4歳4ヶ月18日♪
★5歳の誕生日まで225日★

ポポはいくつになったの?
ポポは2歳7ヶ月9日♪ 
★3歳の誕生日まで142日★

じゅにはいくつになったの?
じゅには2歳1ヶ月1日♪
★3歳の誕生日まで334日★

 私は上の三人へは、できるだけあまり行かないようにして、一週間に2回くらい行っています。この三人の保育園のクリスマス会へは22日、じゅにの家にX12122101は、26日に参ります。クリスマスプレゼントを渡すのです。嬉しがりますよ。
 この孫と会えることと、毎日吉本(吉本隆明)さんのことを書いていけること(このごろは吉本隆明さんのことは毎日書いていませんが)私の今の無上の喜びなのです。 以上



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2012年12月20日

自宅へ手紙を出せる

12121905 以下に書いたのでしたが、私の友人が、この御茶ノ水駅のお堀を隔てたこの写真の東京医科歯科大学病院に入院していました。

  2012年12月07日今日手紙を書きました

 四ヶ月の入院でした。もちろん、私は手紙を書きましたが、また書かないといけないですね。手術後の経過が気になるのです。
 こうして今は彼の自宅へ手紙を出せることは嬉しいです。
  この写真は昨日15時12分に御茶ノ水駅のホームから撮りました。



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2012年12月18日

「昨日の浦和会での私のチラシ」のことで少し

X12121801 私が昨日の浦和会での私のチラシで書きましたことなのですが、私はA4の用紙の両面に12月15日にプリントしていきました。
 それで思ったのですが、やはりどうしてもこのインターネット上でブログで公開したほうがはるかにいいものですね。紙の上ではリンクしてありましても、そこをクリックしてそこへ飛ぶことはできません。
 そのことをつくづく感じました。やはり紙の上ではどうにもならないものですね。
 私は今も手紙を書きますが、そしてそこでインターネット上のリンクも書いているわけですが、やはりメールと違って、どうにもならないものですね。
 そのことを深く思いました。
 もうこれは仕方のないことですね。


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2012年12月16日

昨日の浦和会での私のチラシ

X12121504 萩原周二よりの個人的情報発信 2012.12.15

1.私は今日の浦和会の知らせをEさんから受け取っているはずだと思っていましたが、ケータイメール内にないので焦りましたが、Cメールだったのですね。これで確実に行きます。
 またここに書いたことを、私のインターネット上のブログ

   http://shomon.livedoor.biz/  将門Web

にも、今夜15日か明日16日に、この文章をUPします。なおその際に、固有名詞他は、別な名称にします。

2.私はこの将門WebにUPしている量は、ただただ量だけは、世界の米国にも中国にも負けていません。ただUPする数は中川翔子さんなどのほうが上です。ただし、量だけですよ。質はダメに決まっています。
 ただとにかくこうして日々書いていけることは嬉しいことです。私は月に、200くらいのUPをしています。
 それとここに私は読書の感想文を「周の雑読」と称してUPしています。もう数は1,600を越えています。とにかく、これを3,000書いていくつもりです。やがては5,000を越えるつもりです。
 本を読むことはいいのですが、その読んだ思いを書くことが大事だと考えているのです。
X12121508 今私は「司馬遷『史記』」の黄帝から始まる五帝から、夏を終えて、今は殷のことを書いている途中です。まだ書いて行きますが、周の西周の時代を少し書いたら終わりです。いやそれ以降は、またいろいろと他の本でも書くことがあって『史記』だけと限らないのです。ただし、『史記』も五帝の前の三皇のことはあいまいというか記録がないのですね。

3.上の本のことだけでなく「周の映画館」と称して見た映画のことも多く書いています。前には、任侠映画が多かったのですが、今は今年封切になった映画も書いています。今日本映画はいいですね。最高だと思いますね。
 今私は64歳で老人ということで、映画は実に安価に見られるのです。そして必ず私はプログラムを買うのですが、今回「降旗康男『あなたへ』」はこのプログラムがすべて売れきれで困りました。
 もちろん、私のブログには、私の文章だけでなく、映画のいくつかのシーンの画像も入れていますよ。

4.その他私のブログ将門Webでは「周のニュース」ということで、いくつものことを書いています。今日書いた「米東部コネティカット州の小学校での銃乱射事件」は悲しく嫌な悔しい事件でした。
X12121506 いや私はこの毎日のニュースでは、ITのことも、健康についても、その他も書いていますよ。私のような酔いどれが、パソコンからインターネットを通じて書いていけることは嬉しいことなのです。嫌な悔しいことでも、できるだけ毎日書いて行きます。

5.その他日経新聞の連載小説である「浅田次郎『黒書院の六兵衛』」も毎日書いています。明治維新という大きな転換点を、今までの歴史や文学では書きえていなかった、この小説が実にいいです。私も毎日書くことで、今の現状も見えてくる気がしています。
 私の思いでは、この「浅田次郎『黒書院の六兵衛』」は夏目漱石にも森鴎外にも負けない作品だと思っていますよ。

6.またNHKの連続ドラマ『純と愛』についても毎日書いております。これは実にいいドラマです。ときどき思い出の中に出てくるおじいの姿を見て私はいつも涙しています。
 こうしてドラマが見られて私はものすごく嬉しいです。

7.私が毎日書いておりました『吉本隆明鈔集』は私が過去書いたものは終わりました。もちろん、これからも書いていくつもりですが、まずはひとくぎりしました。
 私には吉本(吉本隆明)さんが亡くなられて、なんだかものすごく寂しいと同時に、もう俺も終わりにすべきかななんて思いましたが、それは吉本隆明さんの言われていることと違う、もっと寂しくとも生きて行こうと思っています。X12121507

8.私の孫、ポコ汰朗、ポニョ、ポポ、じゅには私の将門Webのサイドバーに今日現
在次のようにあります。

ポコ汰はいくつになったの?
ポコ汰は1月3日生まれ
5歳11ヶ月12日♪
★6歳の誕生日まで19日★

ポニョはいくつになったの?
ポニョは8月2日生まれ
4歳4ヶ月13日♪
★5歳の誕生日まで230日★

ポポはいくつになったの?
ポポは2歳7ヶ月4日♪
★3歳の誕生日まで147日★

じゅにはいくつになったの?
じゅには2歳と26日♪
★3歳の誕生日まで339日★

X12121505 私は上の三人へは、できるだけあまり行かないようにして、一週間に2回くらい行っています。この三人の保育園のクリスマス会へは22日、じゅにのには、26日に参ります。
 この孫と会えることと、毎日吉本(吉本隆明)さんのことを書いていけることが私の今の無上の喜びなのです。 以上



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2012年12月07日

今日手紙を書きました

12120703 今から15分前に、手紙を書いてポストへ入れてきました。

  12月7日(金)午前中に退院ということになりました。

ということで、昨日書いた手紙のようです。私の返信は明日は彼の自宅に着くでしょう。今は手紙は実に早く着きますね。私はメールもケータイメールもよく書きますが、こうして手紙もよく書いています。これは昔からそうです。
 彼は入院して手術していたのです。8月からですから4ケ月の入院だったでしょうか。手紙はブログのように公開するわけではありませんから、その相手だけとのやりとりになります。
 またどなたかに書いてまいります。



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2012年08月14日

花火の世界

12081403 私が「2012年8月13日のポメラの2」に次のように書いていましたのですが、

2012/08/13 09:23今私が昔いたことのある温泉新聞社でおつきあいが少しだけあった(少しだから、相手には迷惑かもしれません)方からメールの返事が来ました。もう私はものすごく嬉しいです。
 もちろん、すぐ書いてありましたケータイメールアドレスにケータイメールして、それから今はメールアドレスにメールしました。また改めてメールはちゃんと丁寧に書きます。

 このカメラマンが早津明彦さんです。そして彼のホームページが以下なのです。

  http://photo882.com/
   花・火・アイ早津明彦-花火の世界

 私はものすごく嬉しくなりました。彼のホームページで、彼のメールにメールを出せるシステムで、書いて、返信をいただき、彼のメールアドレスも知ることができました。
 ただ昨日は、私の両親のお墓参りがありましたから、今やっとこのことが書けます。私の温泉新聞時代の友人にも、知らせます。
 あ、私のサイドバーの「将門のブックマーク」でもリンクしました。



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2012年07月22日

昨日の「日の丸土建」での私のA4チラシ

12072201萩原周二よりの個人的情報発信 2012.07.21

1.私はいつも「書き言葉」と「話し言葉」ということを言っています。そしてこの場で、私の書き言葉で、こうして書いておきたいと思いました。もちろん、私のインターネット上のブログ

   http://shomon.livedoor.biz/  将門Web

にも、今夜21日か明日22日に、この文章をUPします。
2.なお私の言う『「書き言葉」と「話し言葉」』ということは、吉本(吉本隆明)さんが言われていたことです。それを私がこうして今言っています。
 この日本では、多分1万年くらい前から、この日本語だろうと言われるもので話してきました。でも私たちと同じであろう書き言葉を使ってきたのは、たかだかまだ1,100年くらいしか経っていないのです。ちょうど紫式部や清少納言や和泉式部が私たちと同じ文字で書いているのです。
 残念なことに、それらの女性陣より、はるかに時代のあとの悪左府頼長の日記は、漢文で書かれており、私にははるかに遅れていた(内容はまた別なのだが、いや内容も面白くない)ものに見えます。12072108
120721093.私は上のブログは今日はもう6つUPいたしました。私はケータイでUPすることも多々あります。私のブログで一番多いのはIS01(スマートフォン)でUPしたジャンルです。
 もちろん私は漢詩(もちろん日本の漢詩も)の解説を書いているジャンルもありますし、短歌や俳句、詩についても書いています。
4.それにブログだけでなくケータイメールでもおおいに交換しています。もう娘二人だけでなく、妻や弟や女性たち(どうもケータイメールがいい人が多いですね)はケータイメールがいいみたいです。やがては孫たちや姪の子どもたちとも交換するようになるでしょう。いえ、今のところは、私が一方的に出しているだけです。
 もちろん手紙もおおいに書いていますよ。ただ今は2008年には600通を超える量を出したのですが、今は年に100通くらいです。
 インターネットメールもよく交換していますが、やはりケータイメールだと瞬時にできて今は量もかなり書けるからいいのでしょうね。私もその通りです。いや手紙もいいですよ。私は和紙の用紙に綺麗な切手シールを貼って出しています。
5.できたら、みなさんに、インターネット上にブログ等(ブログでなくてもいい)で書いてほしいのです。私はツイッターもフェイスブックもMIXIもやっていますよ。
 でもやっぱりブログで書き言葉でやっていただきたいと思います。インターネットの世界では、はるかに英語人口のほうが多い(日本語人口の10倍以上)のですが、ちょうど4年前にブログでは日本語が英語を上回ったのです。これは私が思うのには、この日本人が書き言葉を自在に使う、世界でも珍しい存在だからです。
 私は間違いなく世界でも一番量を多くUPできているブログだと思っています(量ですよ。内容ではありません)。中国人で世界で一番多くUPしている(と「日経パソコン」に書いてありました)人よりも私は多くUPしています。
 また元気に書いてまいります。 萩原周二



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2012年03月09日

「リー&笑美の只見日記」のホッケの飯鮓(すし)に笑美さんのコメントの2

12030817 私の「リー&笑美の只見日記」のホッケの飯鮓(すし)に、笑美さんが、コメントをくれたのでしたが、その2です。

 私は次のように書いてしまっていました。

 好きになれないのは、名古屋と鹿児島かなあ。横浜はまったくダサい感じでいやでした。

 こう私は書いたものですが、私はもうみな好きになりました。
 名古屋は、南区・千種区・北区と引っ越して、小学校も3つ転校しましたが、そして大変に暑い街・都市ですが、今では懐かしく思い出すばかりです。友だちのことも懐かしく思い出します。
 私はこの北区で小学5年のときに伊勢湾台風にあっています。いや思い出せば、札幌では洞爺丸台風に、小学4年のときは(そのときは千種区でした)は狩野川台風に遭っていたのでした。この名古屋での友人たちも何人も思い出します。
 鹿児島は、中学3年間と、高校一年の一学期は下宿していました。父が横浜に転勤になったけれど、もう転校なんて簡単にはいかないのでしたね。
 横浜は転校した高校が最初が横浜の中華街とか馬車道とかの近くに校舎があったものでした。でも授業はものすごく退屈で、私は授業中に莫大に本を読んだものでした。最初が「司馬遷『史記』」でした。そのあとは、もう文学ではなく、莫大に全集ものを読んだものです。先生方は、私が本を読んでいても何も言わなかったものでした。
 そんな思い出の中で、今ではどの地方も好きですよ。
 ただただ、懐かしく思い出すことがたくさんあるのです。



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2012年03月08日

「リー&笑美の只見日記」のホッケの飯鮓(すし)に笑美さんのコメント

12030810 私の「リー&笑美の只見日記」のホッケの飯鮓(すし)に、笑美さんが、次のコメントをくれました。

1. Posted by 笑美   2012年03月07日 10:28
周さん、いつもコメントが遅くてすみません。優しいなんて書いていただいて、もったいないです。
そういえば、東京では通りすがりの人は、たくさんいるから、全部景色の一部でしたが、只見ではすれ違う人も少ないので、会う人にみんな挨拶するんですよ。
これは田舎の良さですね、きっと。リーも只見に来て近所のおばあちゃんたちに可愛がられ、本当に良かったと思っています。田舎暮らしは厳しい面もあるけど、みんなが大事にしてくれて、人の優しさを感じ、助け合える、いい面も沢山ありますね。夏の水害の時もそれを実感しました。
引っ越してきた当時、私も「よく只見に来てけやった」とみんなが暖かく迎えてくれたのを思い出します。

 これは私はよく理解できるんですよ。私が暮らしたところでは、沖縄(の都会ではないところですが)がそうでした。いや那覇市やコザ市の沖縄の人もそうなのですがね。私はだから、沖縄が大好きなのです。
 そういえば、私は札幌にも同じ雰囲気を感じています。札幌というのは、いわば実に都会で(私が住んでいた昭和29年30年31年もそうでした)、私なんか、当然嫌いなはずのところなのですが、でもでも私は今も好きな街であり、好きな都市なのです。
 そうねえ、好きになれないのは、名古屋と鹿児島かなあ。横浜はまったくダサい感じでいやでした。
 今自分が住んだ都市、住んだ街を指で折りまして、数えてみたのですが、15くらいで分からなくなるのです。20は行かないと思うのですね。
 いやなんだか情けないです。考えてみれば、私は今は東京の北区王子に住んでいるんだなあ。想像もできないことでした。
 思えば、30歳を過ぎてからも、いくつもあちこち住んだものでしたね。



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2012年03月05日

「リー&笑美の只見日記」のホッケの飯鮓(すし)

12030312リー&笑美の只見日記」のこのUPを読みまして、私の心がものすごく温かい気持になりました。

昨日の夕方、近所のおばあちゃんが雪道をテクテク歩いていたので「乗ってけやれ〜」と声をかけ、車に乗せて送ってあげました。
家に送り届けると、この時は一人で雪道を歩くのが、とっても心細く不安だったようで、こっちが申し訳なるくらい感謝してくれて、何度も何度もお礼を言ってくれました。
私はたったの3分廻り道しただけなのに・・・

そしてその後持ってきてくれたのがこのホッケの飯鮓です。

 そのあとには、以下のようです。

早速その夕食に焼いて食べたら、めちゃくちゃ美味しかった。
ふわふわしてほんのり甘い。

 実は全文を写したい気持なのですが、そういうわけにもいかず、こうしていくつかの部分をコピーしているだけです。
 でもこれだけでも、雪道を一人であるく、このおばちゃんの心細さと笑美さんの優しい気持が伝わってきます。
 実は、これを読んですぐにトラックバックしたかったのですが、読んだ昨日は、私の長女のところの孫のところへ行き(しかも長男が風邪で、私が行っていますじゅにに移るよいけないということで、私が行くのは止められていたのですが、昨日は治ったということで、会いにいけたのです)、それで書くのが今になりました。
 読んだだけなのに、こんなに気持を暖かくさせていただきありがとうございました。



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2012年02月12日

「リー&笑美の只見日記」の画像の2

12021114「リー&笑美の只見日記」の画像にも書いたのですが、さらに書かせていただきます。
 私のブログで、けっこうこの笑美さんのブログに載せてあります福島県只見の「只見ふるさとの雪まつり」の画像を使わせてもらっています。
 もう拝見しますと、私が子どもときに、秋田のかまくら(まだ私は幼稚園でしでしたから、兄やその友人たちが作るのを見ていただけでした)や札幌の雪祭りも思い出しますが、それは昭和28年、29年、30年のことで、私の記憶には鮮明にありますが、でもこの只見の雪まつりの迫力には到底かないません。ぜひ本物を見たいという気持になります。
 たぶん、今日のブログにも、この「只見ふるさとの雪まつり」の画像が見られるのだろうと思っています。私の亡くなりました義母にも、私の心の中で伝えますが、義母は山口県の生まれで、こういう風景は説明してもよく分からないだろうな。やはり、雪国で育った者だけが、その迫力・魅力を分かるのだろうと(私なんか、本当には理解できていないかも)思っています。
 本当にありがとう。そして、私のこのブログでは、笑美さんのブログの写真を掲載させていただきます。


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2012年02月11日

「リー&笑美の只見日記」の画像

12021104  このごろの私のブログのUPは、ここのUPも含めて、以下のUPはみな、リー&笑美の只見日記の画像を遣わさせてもらっています。

吉本隆明全著作(単行本)「わが転向」(1994.03.25)へ文化芸術 DVDさんからのコメンント へのさらにコメント
周の『独楽吟のススメ』の657
小島均さんの奥さまからのハガキが着いておりました

 前にも、こうして私のサイトでは、の笑美さんのデジカメの画像を使わせてもらっています。こうして、素敵な画像ですね。

遠藤周作『札の辻』
ブルータスへの誕生日祝いを用意しました
発天ロールを手にしています
じゅにとブルータスに会いたい

 前にも使っているのです。ただ今では、もう笑美さんのサイトの画像だということは断っておりません。今後も使っていくことだろうと思っています。

 笑美さん、いつもありがとうございます。私は雪国は秋田市と札幌市に住んだのです。札幌市では、そのころも「雪祭り」をやっていました。昭和29年と30年です。
 それが実に華やかで、こども心に感動していたものでした。その後住みました名古屋市(南区、千種区、北区と三ヶ所住みました)、鹿児島市、横浜市は、もう冬は何にもなかったものでした。みんな冬の寒さには、外で何か作るなんていう元気は想像できなかったのじゃないかなあ。札幌という町の「ハイカラさ」みたいなものは、好きになれませんが、この「雪祭り」での元気さ(いやほかのことでも元気なことは感じていました)は、楽しいものでした。だから、この「只見ふるさとの雪まつり」の笑美さんの画像には、ものすごく感動しています。
 これからも笑美さんのサイトを拝見してまいります。



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小島均さんの奥さまからのハガキが着いておりました

12021101 昨日すでに着いていたのでしょうが、昨日は義母の病院へ行っていまして、今日先ほど1階の郵便受けに着いていました。昨日は義母のことで、あたふたしていましたので、
 小島均さんがなくなりまして、10年が経過して、私は始めて彼の墓を訪れました。でもなんとなく、どうしても言い足りない思いで手紙を書いたものです。
 それに対して奥さまは、こうしてていねいにハガキをいただき大変に嬉しいです。もちろん絵葉書を書きます。

 この素敵なハガキの一部のイラストをスキャナで撮りまして、ここにあげたいのですが、阿呆な私は、それがどうやってやったらいいのか、苦労してスキャナしてみましたが、時間をかけたのに分かりませんでした。



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2012年01月29日

萩原周二よりの小島均さんへの思い

12012811  昨日1月28日に埼玉大学の友人でありました小島均さんのお墓参りに行ってきました。私を含め8人の友人が集まってくれました。そこで私の持って行きました文書をここに掲示いたします。

         萩原周二よりの小島均さんへの思い     2012.01.28
1.私はいつも「書き言葉」と「話し言葉」ということを言っています。そして、私の友人でありました小島均さんについても、私の書き言葉で、こうして書いておきたいと思いました。もちろん、私のインターネット上のブログ

   http://shomon.livedoor.biz/  将門Web

にも、今夜28日か明日29日に、この文章をUPします。
2.小島均さんのことを思うと、いくつものことが思い出させます。思えば彼には手紙も書いたことはなかったのだと思い出します。私は手紙はけっこう書いていて(2008年には私的な手紙は600通を超えました)、でも彼には書いていなかったのだと悔やむばかりです。でも今では、ケータイメール(私はけっこう長文のケータイメールですよ)が多くなりましたが、彼とも交わしたかったものです。
3.彼と私は1967(昭和42)年に埼玉大学に入学し(ただし、彼は私より2歳年上でした)、同じ歴史研究会に入り知り合いました。彼はよく、年上の先輩方とも、丸山正男や吉本隆明の話をしていまして、当時は丸山正男は知っていましたが(高校時代に岩波新書の「日本の思想」は読んでいました)、吉本隆明は私は名前もまったく知らないもので、いつも驚いていました。
12012812 でも今では、吉本隆明といえば、私のサイトは知られていますし、吉本(吉本隆明)さんご自身も、私のことをマスコミ者に対して、「律儀な人」と言われるようになりました。これも、思えば小島均さんのおかげだよなあ、と思っています。
4.思い出せば、1967年秋のむつめ祭で、我が歴史研究会は講演会で高島善哉を呼びまして、そのときに、小島均さんが彼の腕を取って歩いていたことを(高島さんは目が失明に近いくらいに見えませんでした)思い出します。
 高島さんが、小島均さんの言うことに対して、「長洲(神奈川県知事だった長洲一二のこと)なんか読んだってしょうがないよ」と言いまして、あとで小島均さんが舌を出したのを覚えています(私は小島さんが舌を出したのは、初めて見たものです)。
5.その翌々年1969年1月、私は東大闘争で逮捕起訴され、府中刑務所に拘留になりました。このときに、彼は3月に2度、4月に1度、7月に1度、8月に1度面会に来ています。その7月の接見面会で、彼が私のことを「うらやましい」と言ったのを覚えています。私は今孫のじゅにが「千葉県こども病院」に入院していますが、最初の昨年5月は府中市の「多摩医療総合センタ−」に救急車で運ばれました。私と妻はあわてて、京王線のどこかの駅で行ったものでしたが、そこからタクシーで府中刑務所のわきを通ったのでしたが、あんな遠くまで小島さんは面会に来てくれていたのですね、そのことを強く思い出していました。
6. 私がその後、芝浦工大事件があったのちも、また1970年の秋にも、学生運動の場で、激しくやっていると、彼は「いつまでやるんだ」というような視線をくれていたものです。
 その後、社会へ出てからも、彼が職場のことで、私に相談に来たことがあり、でももうちゃんと応えられていたのかと不安です。
7.もう毎年年末の浦和会の忘年会でお会いするだけになっていました。いつも二次会に誘うと、言葉少なく断るだけでした。
 思えば、もっと話しておけばよかった。手紙もメールも書いておけばよかったと今は悔やむだけの私です。萩原周二

   小島均さんのお墓は「1-6-7-11」です。



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2012年01月21日

トロキサイキさんからの書込み

12012102 私の古い友人から、私の周の掲示板に、次の書込みがありました。

お世話になりました 投稿者:トロキサイキ  投稿日:2012年 1月20日(金)02時05分7秒
   昨夜、ケンジさんから「むつめ祭」関係者の訃報の電話をもらって、埼大時代を思い出していたところ、偶然、「ケンジ君の結婚」のブログを拝見し、学生時代の私を育ててくださった恩人のブログだとわかり、食い入る様に読ませてもらいました。多様、多才な内容、情報量と内容の濃さに驚きました。当時よく吟じられていた「絶命の詩」を聞かせていただき当時を思い出しました。「吐夢」「瀬名波さん」「丹保さん」「温泉新聞」「谷中の居酒屋」「狂」など当時のエピソードが懐かしかったです。会わせる顔もありませんが、大変、ご無沙汰しておりました。当時はありがとうございました。   

 ありがとうございます。懐かしいです。あなたは新潟におられるのかなあ。
 私は娘が二人で、さらに上の娘に3人、下の娘に一人の孫がいます。この下の娘ブルータスの娘じゅにがまだ一歳になったばかりですが、昨年5月最初に突然の病気で、東京都府中市の多摩医療総合センタ−に入院し、5月末からは千葉県こども病院に転院して今に至っています。次女ブルータスは千葉県君津市に住んでおり、隣の市の木更津市の教員です。
 私の長女おはぎは、東京都荒川区の教員で、その彼はもともとは教員ではなかったのですが、教育学部を通信で学び、玉川大学へ行きまして、資格をとり、今は、川口市の教員です。この長女夫婦は、王子の隣の上中里に自宅を構えて、私も妻もよく行っていますし、長女夫妻も子ども三人を連れて、よく私の家に来てくれます。
 家は、瀬名波氏の彼女の実家のすぐ近くで(これはいわば偶然です)、瀬名波氏の家も近いです。彼にはケータイメールで入れますと、すぐに返信をくれますよ。
 丹保さんとは年賀状の交換くらいですね。思えば、みんな私の埼玉大学の卒業後の友人なのですね。
 ゴールデン街は今は行かなくなりました。私の親しい流しの方も、もう随分前に亡くなられたりして、寂しいのです。それに、ゴールデン街に出入りする昔の左翼の方々は、今ではもうただただ封建的(私は「ふうけんてき」と読んでいます)な方々で、パソコンもインターネットもまともにやらないので、私はもう話もしたくないのです。話をしても意味なく無駄なだけです。
 もちろん、私は漢詩も大好きで、よくスカイプ(無料で全世界と話せる電話)で、中国人とも喋るのですが、中国人は、中国の詩を知りません。中国の歴史を知りません。
 上に書いたブルータスの娘じゅにがまだ1歳になったばかりですが、原因は不明なのですが、今も病院で寝ています。
 私の下の娘は、実にこの娘を大事にしていて、私じいじも、妻のばあばもよく行っています。私は1カ月に24,5日行っています。お義母さんも、お義父さんもよく来てくれています。お義母さんは、もう私とよく会っていますよ。
 この3月には退院できる、3月3日には雛人形(昨年買ってあげた素敵な人形があります)で祝える(この日は万延元年の桜田門外の変のときなのです)と思っています。

 ケンジ君も素敵な美人の奥さまでいいのですが、もう私とは会うチャンスがないですね。できたら、みんなインターネットでブログなりをやってもらえるといいのですが、こればかりは本人がやってくれないと、どうすることもできません。
 私は次女のブルータスとは、毎日ケータイメールで孫じゅにの情報交換をして、妻、長女おはぎとも、長男ミツ君(おはぎの彼です)、次男ナオキ君(ブルータスの彼です)とも、ケータイメールで連絡をとっています。
 いや、私は2008年には600通を超える手紙(みなパソコンで書く)を書いていたのでしたが(いやハガキもパソコンで書きますよ)、今はこのケータイメールのほうが多いですね(今も手紙も書きますが)。
 今も元気に読書はしておりますが、昨年から読書量が年間300冊から200冊に落ちました。今も最大の読書の場の電車の中も、IS01に書き込むことのほうが優先です。 ああそうだ、『「むつめ祭」関係者の訃報』って誰のことかなあ。

 でも書込みをありがとうございました。ぜひご自分でインターネット上でブログなりを始めてください。



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2012年01月14日

笑美さんの9日の只見日記に笑美さんからのコメント

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 笑美さんの9日の只見日記 に、その笑美さん自身からの次のコメントがありました。

1. Posted by 笑美   2012年01月13日 08:39
周さん、今年はきっとじゅにちゃんが退院できますよう心からお祈りしています。
東京では、沢山の有り余るほどの物が並び、大きなビルが立ち並び、行くたびに私達が住んでいる只見とは違う世界を見て、複雑です。田舎に来て、物への価値観が変わり、買い物をすることのストレス(ちょっとでも安く買おうと思ってたのに、隣のスーパーでは、もっと安かった。いらないもなのについ買ってしまったなど、いつも悔しかったり)からいつの間にか解放されていたことを実感しています。
ただ、只見では、特別なものは、その日のうちにはすぐに手に入らないことで時々イラっとはすることがあります。
そしてまだまだリーは都会に行くとカラフルに並んでいるものを見たくて、買い物にばかり興味を示しますが・・・
周さん、年賀状はいただけるだけでありがたいです。ありがとうございま〜す。

 ありがとうございます。
 実はね、私はこれにレスししょうと、でも毎日じゅにとブルータスに会いに千葉市の鎌取の千葉こども病院まで行っていますから、やっている時間がなくて、昨日はこれを私のIS01に送ったのです。
 それで、京葉線の中で、IS01でレスを書いていました。でもけっこう書いたときに、突如このレスが消えてしまいました。いや、まだ私のIS01のどこかにはあるのかもしれませんが。
 前には、常にノートパソコンをどこにも持参していたのですが、今はいつもはIS01だけなのです。ベルトのデューロカーゴを左右につけて、左にはIS01で、右にはシャープのガラパゴスを入れています(ただし、じゅにに会いに行くときはポメラです。病院の中は携帯電話は使えないのです)。このノートパソコンでは、最新の機器をいつも持っていても起動が遅くて外出先では使い物になりません。それがIS01はすぐに使えます。もう私は前のように、リックサックを持って中にノートパソコンや本を入れて歩きはしないのです。本ももう電車の中では読みません。
 それででもこのブログのレスをIS01でやるのははじめてでした。その「はじめて」というのが問題でした。せっかく書いたのに(書いたらすぐにUPするつもりでした)、そのファイルが消えてしまい、もうそのときの消耗感といいましたら、大変なものでした。
 今までのパソコンでなら、書いているとき、必ずバックアップがありますから、平気なのですが、このIS01で、ブログのコメントのレスを書くのは始めてだったのです。
 でもこれからは大丈夫です。しっかり確実にやっていきます。

 じゅにはいい笑顔でいてくれます。ブルータスのそばでいい寝顔でいてくれます。ただし、目をあけると、「こんな人、だれなんだろろう?」という顔で私を見ています。それが私には少し寂しいです。
 でも明日はまた行きます。

 年賀状は、もう昔のように大量に出しません。インターネットをやらない人に出してもしょうがないという思いですね。
 笑美さんの年賀状は、素敵です。リーさんが綺麗で美人でお母さんに似ていて、私も嬉しくなります。私の孫じゅにも、ブルータスと並んで実に可愛く綺麗ですよ。私の長女のほうのポニョもとっても可愛いです。じいじは、この四人の孫が可愛くて仕方ありません。男の子のポコ汰とポポも私にはたまらなく可愛いのです。ただし、ものすごくいたずらな孫たちです。じいじは、もう負けちゃいますよ。
 インターネットをまったくやらない人に、突然むちゃくちゃなことを言われたりして、その内容がひどいものが多いので(なんて無知なのでしょうね)、私のほうから付き合うのを止めました。平気で、「インターネットって、内容がないものばかりだ」なんて、平気でいうのですよ。まあ、どうでもいい人は、どうでもいいことしか考えないのです。

 また今年もインターネットでお会いしましょう。



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2012年01月11日

笑美さんの9日の只見日記

12011006 リー&笑美の只見日記に、このUPがありました。

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

 これを読みまして嬉しいです。年賀状もありがとう。私たちは、毎年家族の写真を入れていたのですが、今年から止めました。いや、どうしても正月でも医院にいる孫のじゅにを思うと、ただの梅の花だけの年賀状になってしまったのです。それと私は何も書かないでごめんなさい。私は自分の字の汚さに、書くわけには行かないのです。私はハガキで出す場合にも、パソコンで書いてプリントしているのです。
 でも今年は、なんとか早いうちに、私の孫じゅにが退院できたということを私のブログで書けることと思っています。
「只見に帰ってきて、熱を出してダウンして」なんて驚いてしまいます。でもきっと今は大丈夫ですよね。
12011010 私は今年になっても、何度も孫のじゅにと娘のブルータスのところへ行っています。でも娘はいつもあきれているだろうな。昨日も(一昨日かなあ)、眠ってしまっているのを注意されましたものです。
 でもね、私の長女おはぎのこども三人が行きまして(実は両親と祖父母までしか直接は会えないです)、ドアのガラス越しに、じゅにに会ってくれて、私はものすごく嬉しかったのです。
 同じ一歳のポポもいっぱい声をかけてくれて、こんなに嬉しいことはありません。
 でも私は、じゅにのベッドのそばで全然違うことを考えているのですね。しょうがないじいじです。

 でも昨日じゅにのところへ行く京浜東北線で、田端で女性から席をゆづられました。もう三度目です。なんとなく、驚いてしまうのです。「私って、そんなじいじかなあ?」
 今日もじゅにとブルータスに会いに行きます。京葉線の中で、またいっぱいIS01で書いて行きます。じゅにのそばではポメラで書きます(院の中では、携帯は使ってはいけないのです。ポメラは一切携帯機能がありません。でも変換はいらいらするほどだめなんだよな)。でもつくづく読むより、書くのは大変ですね。読書量はかなり落ちたものです。

 私こそ、今年もよろしくお願いいたします。



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2011年12月31日

『もう「14周年」か、もうそんなに時間が経つのですね』に笑美さんからのコメント

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 私の12月27日の、『もう「14周年」か、もうそんなに時間が経つのですね』に、「リー&笑美の只見日記」のご当人の笑美さんが、以下のコメントをくれました。ありがとう。

1. Posted by 笑美   2011年12月27日 13:07
周さんありがとうございます。
ホントに早いものです。結婚式の時には年末の忙しいときに、出席していただいてありがとうございました。
福島に引っ越したこともあり、出席してくださった方々にほとんどお会いすることができなくて、皆どうしているかなと、ふと思い出します。
周さんをはじめ、皆さん優秀な方々なので、きっと活躍されているのでしょうね。
周さんには、今年も色々励ましていだたきました。ありがとうございました。
来年も周さんご一家がより一層しあわせでありますように。そしてはやくじゅにちゃん退院できますように。

 本当にありがとうございます。でもね、「周さんをはじめ、皆さん優秀な方々なので」というのは、笑美さんのまったくの誤解です。私の二人の娘や妻はそれが分かっていますよ。私はそれが孫たちには、伝わらないように、びくびくしていますよ。
 じゅには、来年一月末には退院できるのではないかと、期待しています。じゅにには毎日のように会いに行っているのですが、昨日は、妻が行きまして、今日はもう私もいけません。これから(朝9時に開店する店で、その前に並びます)自転車で8時20分に出発します。そして、二人の娘家族やいろいろ配るのです。
 来年こそ、絶対にいい年になる、いい年にするぞと決意しています。
 笑美さんとリーさんとそして彼のみなさんに、仕合せが来ることを念じています。
 でも笑美さんのブログはいつも拝見して、嬉しくなっていますよ。



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2011年12月27日

もう「14周年」か、もうそんなに時間が経つのですね

 私の大好きな「リー&笑美の只見日記」に、この書込みがありました。

  14周年

今日、12月23日は笑美とパパの結婚記念日です。
早いもので、あれから14年たちました。

11122608 もう14年も経つのだ。少し驚いてしまいます。でももう私も四人の孫がいるんだものね。このときの結婚式はよく思い出しますよ。笑美さんがとっても綺麗で、私は感激していて、そしてとても嬉しかったです。
 そしていつも年賀状で拝見するリーさんも、とっても可愛い綺麗な女の子で感激です。
 私は今四番目のじゅにが、今も入院しています。今日も私は会いに行きます。
 笑美さん、もう「14周年」ですか、もうそんなに時間が経つのですね。
 笑美さんのご家族によいお年が訪れるように祈ります。



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2011年12月26日

香花さんの書き込みがありました

bd8512aa.jpg  私の「周の掲示板」に、香花さんから以下の書き込みがありました。

年末ごあいさつ 投稿者:香花  投稿日:2011年12月25日(日)14時39分20秒

   大変ご無沙汰です。何年ぶりかも、すぐには思い出せません。
スタイルの決まったブログが流行ったり、facebookやtwitterに
人が流れたりしていますが、私のほうはなんとかやってます。

昨年より海外に住んでおり、当分そうなるでしょうが、ほかに
自分の職業を続ける方法がなくなったので仕方ありません。

周さんの来年のご多幸を祈ります。

 たしか香花さんとは、日比谷公園であったものでしたね。たしか、米軍のイラク侵略抗議のデモだったかな。よく覚えていないのですね。あ、そういえば代々木公園でも行って、そのあとにもデモしたから、よく覚えていないのですね。
 もう年齢が年齢ですから、よく記憶があいまいです。

 私はfacebookもやtwitterもやっています。ここのサイドバーに二つともあげています。ただtwitterは、私には簡単で、一日に1度か2度書いています。ただし、量はすごいものです(別に簡単だし、私はこのブログの書き込みの題名を書いているだけですから)。
 facebookは、まだ何がいいのか分からない段階です。そのうちに分かるでしょう。

 今は私の四番目の孫が長期に入院していまして、いつもその子に会いに行っています。そしていつも至らない私をじゅにの親であるブルータスが、注意してばかりで、私は反省ばかりです。
 来年は、この孫が元気になってくれると信じています。

 海外においでになるのですね。私は海外には一度も行ったことがありません。ここが私の妻や娘たちとは大きく違います。何しろ外国にも行けないし、長く選挙もできなかったものでした。ある調査機関の人が、そのことを説明してくれたものです(ただし、5年くらい前に)。

 でも元気でなによりです。嬉しいです。ぜひとも、インターネットで発信されることを望みます。



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2011年11月11日

会いたい人がいます。いつも思い出しています

11111009 今検見川浜です。ここでは、いつも思い出す人がいるのですが、彼はどうしたかなあ。
 彼の自宅がここのJRの駅近くです(線が違いますが)。 彼とは、偶然上野図書館の食堂で会ったことがあります。
 彼が常連だったという新橋の地下街の飲み屋も訪ねたことがあります。もちろん、家にも電話したことがありますが、誰もでません。
  彼のホームページも昔のままです。また手紙を書いてみるかなあ。


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2011年10月16日

「北陸大学教職員組合の友人からの年賀状」にコメント

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2016112824

 私の 北陸大学教職員組合の友人からの年賀状 に以下のコメントがありました。どうしてか、以下のように同じ文面で二つありました。

1. Posted by ウンザリ   2011年10月11日 10:19
 都立北から二年後埼玉理生物で6年学び更に北陸で学士入学後怒鳴りこんでもらい院へ行き苦学した友人の生涯は傾聴に値…
2. Posted by ウンザリ   2011年10月11日 10:37
 都立北から2年後埼玉理生物で6年更に北陸へ学士入学更に院へ怒鳴り込み入学の友人の生涯は傾聴に値…

11101602 どなたがこのメールをくれたものなのかは書いてないので、分からないのですが、たぶんIPアドレスから推測すると、すぐそばにある二つのパソコンから書いたもののようです。
 私は、この私の書き込みは、「2008年01月03日」のもので、もう3年前のものです。私の友人からの年賀状に返事したものです。
 そして、そのときに、「北陸大学教職員組合」だろうということで、この北陸大学教職員組合に連帯の挨拶のメールを送り、私のここのサイドバーにも、ここの組合のバナーをしばらく掲げました。
 私はその旨のメールをこの組合に送り、私のサイトでも連帯をしますから、その組合のリンク先に加えてもらいたいと願いましたものです。
 でもその際は、何の返信も一切ありませんでした。
 私は大学人というのは、これほどまでに世界の当たり前の常識を無視するのだと驚いたものです。自分のサイトではリンクしてくれることを願望しているように書いているのですよ。
 もう私はあきれ果てて、このような一般的な世界の常識を無視した組合とかいうものを、もはや信用しません。
 それがこうして、今コメントが訳の分からない文面であります。
 もう私はこんな一般的な常識のないサイトは信用しません。

 とはいえ、今回はこうしてコメントをくれたことはどなただか分からないのですが、うれしい気持になりました。



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2011年10月01日

「ヨドバシカメラへ寄りました」へ目森一喜さんからのコメント

11093007 私の ヨドバシカメラへ寄りました目森一喜さんからのコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2011年09月30日 23:16
携帯電話にメモを書いておくか、自分宛にメールをしておくといいですよ。
私もプリンターの型番などいちいち覚えてなどいません。
忘れるのは、忘れていいことだからだと考えて、ショックを受けたりヘコんだりしてるより、対処しておけばいいだけです。
グーグルドキュメントや、MSのスカイドライブに、自分の持っている機器のデータを書いた文書を置いておくのも手ですね。
スマホなら、そういうデータを読むのにもいいですね。

 自分宛にメールをするのは、随分前からやってきました。でもたしか1,000くらいしか保存できないので、駄目なんです。「携帯電話にメモを書いておく」というのは、どこに書くのかなあ? あ、そういえば私はIS01の中に書いておけばいいのだ。「周のIS01ブログ」で書いているほかに、いくつか書いているのです。そこに書いておけばいいのだ。
 でもなんだか、昨日は疲れすぎていたのですね。
 もう63歳だから、じいじになったのかな。
 これから、おはぎの家へ行きます。



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2011年08月06日

吉本隆明の記事に目森一喜さんからのコメント

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  日経新聞の吉本隆明の記事目森一喜さんから以下のコメントをいただきました。

1. Posted by 目森一喜   2011年08月05日 13:11
記事を紹介してくだすって、ありがとうございます。
我が意を得た思いです。

不器用で折り鶴ひとつ折れませんが、じゅにちゃんの快癒、おはぎ家の健やかさを陰ながら祈っております。

 ありがとう。明日7日はじゅにの顔を見に妻と行きます。ブルータスにも会えます。
 目森さんの新しいサイトは、蜘蛛業なのですね。できたら、もうこのサイト一つで更新を続けてください。
 私も過去の私のホームページ、将門Webを廃止しまして、今ここのブログの将門Web一つにしました。livedoorには、お世話になっているなあという思いで、もう過去のように自分のサイト名ではなく、livedoor名が入ったほうがいいと思い、この

  http://shomon.livedoor.biz/

にしています。
 いえ、私も堀江貴文さんがけっこう好きだったのですが、実はlivedoorには、随分昔から親しくなっていたのです。PHSでインターネット継続をしていたものです。もちろん、自宅や事務所ではそれぞれにインターネット接続はできましたが、外では何かでつながないとなりません。だからノートパソコンでもlivedoorでつないでいたものでした。昔たしか2000年頃、京都へ行ったときに、新幹線でも京都でもPHSでlivedoor経由でインターネットでホームページを更新していたものでした。
 思えば、今は実に便利になりましたね。そのことを実に感じています。その当時2000年頃は、インターネットの常時接続というだけで、実に莫大な経費を平気で言っていたものでしたね。私はいくつかの会社で、そういう連中と会いまして、文字通り、「結局あなたは何も分かっていないのじゃないの」(私はけっしてこういう言葉は相手にはいいませんでしたが)ということを相手にわからせたものでした。



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2011年08月01日

笑美さんの「ディズニーシー」に笑美さんからのコメント

11080104 笑美さんの「ディズニーシー」に、その笑美さんからの以下のコメントをいただきました。

2. Posted by 笑美   2011年08月01日 15:09
周さん、その昔日光江戸村の大切な家族旅行の時に、私はそんなお電話をしていたのですね。
 今更ながらすみませんでした。あの時代、まだまだ経理のことはよくわからず、すぐに周先生を頼ってしまってました。あの会社を辞めた後は、民間の会社の経理をしながら、土日は会計事務所でアルバイトなどという忙しい日々を送っていたこともありました。
 今のお仕事は経理ではありませんが、あの頃の経験はとっても私の人生で役に立っています。
 今、お孫さんやご家族に囲まれて幸せな周先生の様子をブログで拝見出来て、私もうれしいです。

 今になっても私には大事な思い出なのです。実は、私は「経理」というのは
実際には、どこでも習ったことはないのです。この仕事を始めて、簿記の本は読みましたし、公認会計士の書かれた本は読みました。でもね、実際の税務調査のあった会社で、その地区の偉い税理士の先生が、社長の「これで認めると、いくら税金を納めるのですか?」という問いに、「1600万くらいでしょう!」と言う返事で、社長から私に電話がかかってきました。私の答えは、「社長のところは脱税はしていないのだから、ただ拒絶すべきだ」でした。それで、その社長が「拒絶すると、どうなるのですか?」という問いに、私はもう実に怒りまして「そもそも社長がいけないのは、私たちと同じ時代に学生運動をやっていないからだ。今こそそれと同じ体験ができる絶好のチャンスだ!」といいまして、そしてそれが結果として、その社長は、実際に拒絶して、税務署がへなへなとなってしまい、がっくりして帰りました。
 つまり税務署側は、まったくの言いがかりだったのです。偉い税理士先生は、その税務署の意図が分かるのかどうかは分かりませんが、もうただただ羞でした。その後も今に至るも何もありません。
 実はね、また別な会社で、あるT大出の弁護士が内容証明を送ってきて、また私がその相手の弁護士事務所に行ったことがあります。私より15歳くらい若い弁護士は、パソコンを前にして、私が「内容は分かりましたが、先生、少し誤植、打ち間違いがあります」なんていうと、目の前のパソコンですぐに直しました。私は「先生はすごいですね。パソコンですぐにできるのですね」と感心しながら、でも心の中は、「こいつは馬鹿じゃないか。ちゃんと自分のクライアントのためにやるべきことがあるだろう!」という思いでした。これも相手は何にもなりませんでした。馬鹿な弁護士先生です。これまた今に至るも何もありません。
 そんなことがいっぱいありましたね。いやいくらでも話せることがあります。
 それにね、私はどうみてもパソコンもインターネットも向いていない人間でしょう。下着は赤ふんだし、酒好きで、いつも詩吟をやっています。でもある団塊の世代のとくに学生運動をやった当事者のために、「自作パソコンの勧め」をゴールデン街の「ひしょう」という飲み屋で土曜日の午後やったことがあるのですが、その対象を団塊の世代は一人もこなかったな。私の関係者ばかりです。重いパソコンをディスプレイとケースと一緒に持っていったのに何になったのでしょか。もうこの世代は、パソコンができないのではなく、やろうともしないのです。
 いやいや、思い出せば、もういっぱいありますね。私には、もう飲み屋で知り合った、私より年上でも懸命にパソコンを学んで動かしてみようという人のほうがずっとましです。

 でもね、「お孫さんやご家族に囲まれて幸せな周先生」とは言えないのよ。長女おはぎは、昨日「ここで寝るなら、ここへ来るな!」と強く言うし、次女ブルータスは昨日も「パパは漢字も書けないし、パソコンもまともにできないんだから」と散々の言い方なのです。私は、笑顔でも心の中は泣いているのです。あとはもう四人の孫ばかりですね。
 私は、笑美さんとは話したいことだらけなのです。
 私はあなたが結婚したときに、ものすごく嬉しかったし、そのお相手の彼も大好きになりました。そして、リーさんが生まれたのも知り、年賀状でそのリーさんがものすごく可愛いことに感激しています。

 でも日光江戸村は、また行きたいです。巨大迷路(今もあるそうです)に、今度は孫たちと入りたい。孫たちなら、私を連れて歩いてくれるでしょう。



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2011年07月30日

笑美さんの「ディズニーシー」

11072905リー&笑美の只見日記」の2011.07/28 「ディズニーシー」がありました。
 私はディズニーランドは行ったことがありますが、このディズニーシーには、行ったことがないのです。
 ちょうど2年前の「2009年5月30日のポメラ」に、ポコ汰とポニョとおはぎ夫婦と私たち夫婦でこのディズニーランドへ行きましたことが書いてあります。そこに、『「怖がって泣かないかな」というところは、ホーンテッドマンションというところです。そこでポコ汰は、アンパンマンのパンチをする気概を見せたようです。とっても愉しい日でした。孫がいると、ディズニーランドのことも好きになれるのですね』と書いていますが、このときはまだ2歳のポコ汰ですが、じいじやみんなのために、元気なポコ汰でした。
 今では、保育園から帰ってくるときに、近所の優しいおばちゃんに敬語で話しかけるような優しい男の子になってくれました。
 思えば、昔は私はディズニーランドって少しも好きではなかったのですが、今では孫と一緒に出かけるのは実に嬉しいです。いやもう私は外で荷物持ちで待っているだけでいいのです。今度は、さらに、ポポも連れて、じゅにとブルータスとナオキ君と一緒に総勢10人で行ってみます。
 最初はやっぱりディズニーランドかなあ。
  私はね、昔夏休みに鬼怒川へ行きまして、日光江戸村に入る直前に、私のポケベルが鳴り、そこの青色電話ボックスに入って自分の事務所にかけたら、あなたからの電話で、あなたの当時の会社へ電話したことがありましたよ。もちろん、日光にいるなんて、少しもいいませんでしたが。あれは長女が小六で次女が小五のときかなあ。
 自分の子どもも可愛いものなのですが、孫はもうただただ可愛いばかりです。それにね。もうポコ汰なんか、ときどき後を見て、私が歩くのが遅いことを、気にしてくれているのですよ。
 もうすぐ長女家族5人がここへ来てくれます。妻と私は明日はじゅにの医院へ行くので、そんな話をしてあげます。

 なんだか、とっても真面目で優しい女性事務員だった笑美さんが、こんなに可愛いリーちゃんとディズニーシーを歩かれているなんて、とっても素敵ないいことです。嬉しいことです。



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2011年07月15日

「小野博雄さんの従兄さんからのコメント」に再びAlexさんからのコメント

11071413 私の「小野博雄さんの従兄さんからのコメント」に再びAlexさんから、次のコメントをいただきました。

1. Posted by Alex   2011年07月15日 08:48
周さん、有難うございます。 小野博雄とは親戚のイベントでは必ず顔をあわしては他愛のない事でもいつも楽しく話をしていたものです。 弊職が20年ちょっと前に米国へ移住してからは会う機会が少なくなりましたが、それでも何かある度に親戚で集まり楽しく過ごしたものでした。 5年前に父が他界した時もそうでしたが、親族の中で独り国外で長い事生活していると、斯様な悲しい出来事でも実感がわかないものであり、今でも日本に行けば父や博雄と楽しく酒を酌み交わせるのではないのかとの錯覚に見舞われます。 とんがった性格の弊職とは違い、博雄は従兄仲間の中ではメローな柔らかい性格で、いつも和ませて貰っていました。 昨日、博雄の母親と一緒に居た母と電話で話しましたが、博雄の周りには素晴らしい友人や先輩方がおり、短いながらも幸せな人生を送れたのだねと話しておりました。 それでもやはり早過ぎる旅立ちは非常に悲しく寂しく、弊職含め残された皆が幸せに過ごしていく事が使命であり、博雄も左様に願っている事と思います。 来月、毎年恒例の父親の墓参りの為に訪日予定ですが、写真相手にはなりますが線香を手向けながら少し語ってきたいと思っております。かくも短い人生で旅立ちましたが、博雄が大変お世話になりました。 本当に有難う御座いました。 Alex

 私も自分の親戚で、こういう悲しいことがいくつかありました。私は小さいときから、日本中を引越ししてばかりいましたから、親戚の人にはなかなか会えないのでしたが、それでも何度も会うたびに、いつも大事な親しみを感じてきました。
 でも友人はまた別な思いがしています。私は激しく学生運動をやり(ただし、私はマルクス主義は嫌いでした。だから少々面倒でした。だって友人はほぼマルキストばかりなんだもの)、でもそれでもいくつもの逮捕拘留された経験の中で、その個々の親兄弟含めてしたしく付き合ってきたものです。
 それが社会でこれだけ時間が経過しますと、もう私たち三派全学連、全共闘に対する決め付けにはもう嫌になります。「高校時代はビートルズに憧れ、長髪を続け、学生運動をやったが、就職をしたら、モーレツ社員になって・・・」と言われ続けるのですが、私は高校時代から、詩吟軍歌を唄い、頭は坊主頭(ただし、これはまた別なことがありましたでそれで王子闘争に行くと、市民の家でかくまわれたりすると、いつも不思儀がられました)で、そんな私には、小野さんとの触れ合いは、ほっとできるものでした。
 私はテレビでも元学生活動家というので、しばし出たものですが、「その萩原さんの本当のところは黙っていてください」と言われ続けたものです。ちゃんと学生運動やると、普通のところには就職できないよ。それは当然のことで、そのこと事態には私たちは不満はなかったものです。
 博雄さんと、もう少し会って、飲んでおけばよかったなと思うばかりです。ツイッターで彼と何度か交換できたことが良かったなとばかり思っています。
 私は自分の大学でも、かなり年下の活動家(もう学生運動・革命運動ではありませんが)のお母さん、おばあちゃんとも連絡があります。いつも自分の子どもや孫と、何故かメールやケータイメールで連絡をとっている変な先輩ということで、記憶にあるようです。
 もうこれからは、ただ思い出すだけの友人になりました。でも私には、そんな後輩の友人がたくさんいるのです。いつも思い出して、夢で見ているものです。



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「This charming man」

DSCN6346_convert_20110713204057  友人の小野さんが、亡くなりまして、その小野さんの友人のブログのUPを眺めていました。浮雲日記というブログです。私のこのブログでもサイドバーでリンクしています。

少し前に気付いたこと。
知っている人の「声」っていつでも、はっきり明確に思いだせるということ。

 これは実によく分かります。そうなんだよな、という思いですね。この彼女も小野さんも広告研究会というサークルだったそうです。
 私も信じられないくらい、たくさんの業界で、たくさんの職業に就きましたが、この広告の世界もけっこう体験したものです。思い出せば私は「General Producer」という名刺を持っていたものでした。いつも広告作成の世界でも常に詩吟をやるのだから、プロジューサーも何もないよね。
 とにかく、毎日二日酔いの世界ばかりでした。

昨日は「AD白木屋」でしたよ。誰かが「30人でおさえたから」って知らぬ土地とは思えぬ神業で大移動、結局30じゃ無理で40名くらい集結。
もう、まるでデ・ジャ・ヴ。やぎさんの不在以外は。

 ああ、私もそこでお喋りもしたかったな。

これは今日の午後見上げた空の写真です。真っ青な空。
観測史上まれに見る早い梅雨明けになったのは、やぎさんのせいだと思っています。鬱陶しい雨なんか勘弁してよって。ぴーかんでなくちゃね、って。

  私もこの小野さんの友人のサイトの青い画像をしばし、見つめました。もう会うことは永遠にないのですね。あ、勝手に私のサイトでここでUPしていましました。もし駄目ということなら、削除いたします。
 思えば、私の友人では、これはクライアント含めてそうなのですが、私がいくらブログを薦めてみても、ツイッターでも同じでした。やってはくれないのです。私よりも随分年下の人でも同じなのです。そんな友人ばかりでしたが、小野さんは違いました。ツイッターは私よりも数ヶ月早くやっていました。
 仕方ないよなあ、とつくづく思います。



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2011年07月14日

小野博雄さんの従兄さんからのコメント

11071208  私の「2011年7月13日のポメラ」に小野博雄さんの従兄さんから次のコメントがありました。

1. Posted by Alex   2011年07月14日 03:10
弊職は小野博雄の従兄ですが、LA在住でしてどうしても仕事で当地を離れる事が出来ずに弔電のみで最後のお別れが出来ずに残念でなりません。
去年の9月に訪日した時に横浜で会ったのが最後でした。
小野博雄の通夜に参列頂けたのですね。本当に有難う御座いました。

 Alexさん、わざわざありがとうございました。お通夜でもご遺体に対面することができて、じっかり彼の顔を見つめました。彼の会社の角口会長が、私の大学時代の親友だったのです。その関係で、小野博雄さんには、私たちがやっていた神田会という会合をやる飲み会に参加しただいていました。
 思えば、彼のいた会社のホームページもブログも彼が書いていたのに、今後はどうするのだろうと思っています。もちろん、彼個人のホームページもブログも私のここのサイドバーでリンクして、いつも拝見していました。
 彼が通っていた鍼灸の石岩先生(日中復興治療院)とも、お通夜のあと会いました。石岩先生は鍼の先生でもありますが、中国では普通の医院の医者もやっていたことがあり、彼の身体のことは相当分かっていたようでした。
 とにかく哀しいばかりでした。



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2011年06月06日

「じゅにが治りました」にオノくんからのコメント

じゅにが治りました」に、オノくんからの以下のコメントがありました。

1. Posted by オノくん   2011年06月03日 14:00
良かったですねー\(^o^)/
周さんのTwitterをフォローしていて
じいじの事も心配でなりませんでした。
じゅにちゃんの未来に万歳です!

11060603 ありがとう。でもどうして私じいじが心配なのよ。
 私じいじはね、おはぎやブルータスは、もう父親の私には少々冷たいですから、もうこれからは、みな孫と仲良くなって、私はその結婚式では詩吟をやるのです。もう喜んでくれますよ。
 早くそのときが来ないかな。



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2011年06月01日

「きょうは私の満63歳の誕生日です へ笑美さんからのコメント」への笑美さんからのコメント

きょうは私の満63歳の誕生日です へ笑美さんからのコメント」へ笑美さんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by 笑美   2011年05月31日 20:31
周さんこんにちわ
なんかとても好印象に書いていただいてありがとうございます。
でも私は全然美人ではない上、すっかり年を重ねてしまいました。今は仕事でもなるべく写真や前に出たくないので、新聞や広報は、若い人に対応してもらっています。
また、すみません、私が小学生の時入院していた府中の病院はじゅにちゃんの入院している病院とは違いました。じゅにちゃんが入院している病院は本当に大きいですね。最先端の医療を受けられますね、きっと。よく調べもせずすみませんでした。考えてみたら実家のある八王子から出て、もう20年以上たっていました。
 学生運動のお話を聞くのはなんかなつかしいです。私はお世話になった上司が団塊の世代の方々なので、きっと身近な感じがするのですね。
リーがもう寝ようと迎えに来ました。ではまた、いつもありがとうございます。

11053108 いや、笑美さんは綺麗な方ですよ。年賀状で見ると、娘さんのリーさんも綺麗な娘さんです。
 それから、今も府中は実に綺麗な街です。
 私は昔自分が拘留されていて、かつその後誰かに(たしか御茶ノ水大の友だちと面会に行ったのです。70年秋だったかな。私のことを思い出してくれた看守が逆の側の部屋にいたものでした)面会に行き、そして任侠映画での印象で、とにかく灰色の刑務所の壁しか思い浮かべられなかったので、それがあんなに綺麗な街で、驚いてかなり感激しています。
 府中刑務所は、実に桜が綺麗でいいところですよ。いつも懐かしく思い出します。
 今日もじゅにに会いに行きます。じゅにはまだ生まれて6カ月ですから、なんだかいつも涙になっています。でも娘ブルータスの前であんな顔をしないと、今日はちゃんと決意していきます。
 私の大切な娘ブルータスと大切な孫娘のじゅにです。

 今日も笑顔で会ってきます。



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2011年05月30日

きょうは私の満63歳の誕生日です へ笑美さんからのコメント

 私の きょうは私の満63歳の誕生日です笑美さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by 笑美   2011年05月30日 08:27
周さんお誕生日おめでとうございます。
お誕生日の日はエネルギーがとても高まっているので、その日にしたお願いは、かなうというと聞いたことがあります。
私もそれから一年に一度のお誕生日にはお願い事をしてからバースデーケーキのロウソクを一気に吹きます。
じゅにちゃん心配ですが、きっと元気になります。
小さいじゅにちゃんですが、周さんやご家族に沢山の愛を与えてくれてますね。
私や私の妹も府中の大きな病院に入院していたことがあります。とてもいい病院だと思います。
私も毎日、早くじゅにちゃんが元気になるようお祈りしています。

11053004 どうもありがとうございます。「私や私の妹も府中の大きな病院に入院していたことがあります」というのは、どこの病院かなあ? 
 じゅには、「東京多摩総合医療センター」という実に大きい病院です。じゅには、千葉県の君津市に両親と一緒に住んでいるわけです(すぐ近くには、あちらのじいじばあばの家もすぐそばです)が、それがこんな府中市に結局は救急車でおくられてしまいました。いやその措置には感謝します。でも二人の両親、ブルータスとナオキ君も大変です。あちらのじいじとばあばも大変なことです。

お誕生日の日はエネルギーがとても高まっているので、その日にしたお願いは、かなうというと聞いたことがあります

 これはいいことを聞きました。私は今日はあとで、我孫子市の湖北の正泉寺へ行ってきます。私の父と母にそのお墓の前で願い事をしてくるのです。
 私の母と父は、もう学生のときから、いっぱい迷惑をかけてきました。東大闘争で、保釈になったと思ったら、また逮捕(芝浦工大事件で)されているんだものね。それでやっと今お墓で眠っているのに、また私が頼み事です。
 でも府中刑務所には、7カ月くらいいたのですが、今の府中は実に綺麗なところですね。私の昔のイメージはすっかり変わりました。
 府中刑務所は、やくざさんが多いらしく、独房の壁に「独居1カ月未だ屈せず」なんて落書きがあったものです。「え、俺はもうそれをもっと超えているよ」という思いでしたね。でも府中刑務所はメシがうまくて(ばくしゃりですが)快適でしたよ。
 じゅににも、今に快適になれるように祈っていますし、今日父と母に願いにお墓の前で頼んできます。
 ああ、私のおはぎもブルータスも私の妻も、笑美さんのことは、「綺麗なお姉ちゃんだ」というので、よく覚えていますよ。その笑美さんが、今はリーちゃんという実に可愛い綺麗なお嬢さんがいるのですね。私も私の家族も大感激です。
 私の長女おはぎは、三人の子ども(ポコ汰、ポニョ、ポポ)がいて、次女ブルータスは一人の子どもがじゅになのです。そして、何故かいつも父親の周があきれられています。私は字はしらないし(漢字もかな文字もローマ字も)、音楽もテレビも知らないし、酒ばかり飲んでいて(ただし、今はじゅにが回復するまで断酒しています)、いつも怒られてばかりです。
 でもそんな私でも、あんなに美人の笑美さんがこうしてコメントしてくると、私を見直すはずです。
 いいな、いいな、という思いです。



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笑美さんの「春の運動会」

リー&笑美の只見日記」に、2011.05.29の「春の運動会」がありました。
 これはいいですね。学校で掲げられていた「今年のスローガン」です。

がんばろう!自分のためチームのためふくしまのため、只見っ子の元気でもり上げよう

 そして次を読んで私も喜びました。

11053011「200m走」と「へーんしん」では一等賞を取りました。

 それで、この帽子の写真をここでも使いました(だめでしたら、はずして違う画像にします)。
 読んでいて、微笑んでしまったところがあります。

しかしパパとママは応援に力が入ってしまって、また今年も、ここぞというシーンからカメラのレンズを離してしまいました。
残念ながら、リーの徒競走は毎年ビデオに残っていないのでした。
「来年は小学校最後だから応援しなくていいから写真撮ってね」と残念そうにいうリーでした。
来年は三脚を買おう・・・

 本当です。「写真撮ってね」。三脚もそんなに高価じゃないですよ。いや使って駄目ならまた別のを購入すればいいのです。私のこの周辺(私のすぐそば、左右)にもいくつか三脚があります。いやよく把握していないのですね。私の義父が使っていたものなのですが、今のデジカメでも使えるのね。いや思えば、私の父も持っていたな。
 いや、たしか家族で福島へ観光で行ったときも、私は三脚を持っていたはずです。あ、思い出した。私は我孫子のマンションで、廊下やいろいろなところでその三脚も使っていました。練習していたのでした。その三脚を撮った画像も思い出しました。
 でも所詮私はとろいのです。そもそもこういうデジカメとかいろいろは、本来は苦手なはずなのですね。ああ、だからパソコンも本来は私には無理なものなのですが、でもでも「無理なもの」なんて言っても、無理やりやるのですね。
 つい先日、ブルータスが、「パパは漢字も書けないし・・・・・・」と言っていました。実はこの「・・・・・・」には、「それだけじゃなく、ひらがなも書けないし」があるのです。それなのに私は無理やりこのブログで漢詩もいくつも紹介しているのですね。
 まあ、私にはとにかくどこの飲み屋でも詩吟をやるのが向いているのです。記憶がなくなっているのに、そこでやっているのですね。迷惑だなあ。

 私の娘は、懸命に生きていますよ。長女おはぎは3人の子どもを抱えて小学校でもがんばっています。次女ブルータスは、今じゅにのことで大変なときですが、この子も懸命に生きています。じいじの私がいつもこの二人に注意されています。



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2011年05月11日

笑美さんの「母の日」のUPにご当人からのコメント

11051007 笑美さんの「母の日」のUPに、ご当人のリー&笑美の只見日記 の笑美さんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by 笑美   2011年05月11日 02:11
母親業って、普段家事をしていると、その労働が、形や数字で評価されないから、もしかしたらわかってもらえてたと思えるのが母の日なのかもしれないです。
 仕事では報酬という形でやればやっただけ自分に評価が返ってくるのですが、家事ってありがとうという言葉だけかも…
なんてふと考えました。

最近リーは夕食の後片付けと食器洗いをしてくれるのですが「お母さんって大変だね〜」と言いながらやってくれるのが可笑しいです。

周さんが「ビール券くれ〜」と言っている姿が目に浮かびます(笑)。
ずっと以前から思っていましたが、周さんの奥様、立派な方なんですね。
きっとお母さんのように大きな心でいつも周さんを見守ってくれているのですね。

 あのですね。私は一升瓶のほうがいいのですよ。でも殊勝な心でビール券と言っているのです。ビール券なら簡単に持っていられるし、コンビニでも使えるのです。
 でも娘の母の日に送ってきたお花の写真をちゃんとブログで披露したり、孫の絵を披露したり、私はちゃんと偉いでしょう。
 リーさんはだんだん大きくなるのですね。いつもブログで見ていて、その優しさを感じています。



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2011年05月10日

笑美さんの「母の日」のUP

 私の大好きなサイトの リー&笑美の只見日記このUPがありました。

リーから花束のプレゼントをもらいました。
りーが一生懸命選んでくれました。

11051001 そうか、笑美さんは「母親10年生」なのね。でもとっても綺麗なお花ですね。私のところでも、母の日に贈られたお花 に書き、画像を貼りましたように、長女おはぎと次女ブルータスによってお花が母である私の妻に贈られました。
 笑美さんがコメントに書いています。

 我が家も、今年の父の日はパパに素直に感謝の気持ちを伝えましょう。リーのとびっきりの笑顔を添えて。

 いいなあ。私のところも父の日には、いつも何もありません。私が「ビール券をくれよ!」なんて言っているからかなあ。
 でもサ、なんと言えばいいのよ。やっぱり、お花よりは、ビール券がいいし、それよりは一升瓶がいいんだけど…なんてなっちゃうからなあ。



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2011年03月09日

昨日素敵な絵葉書をいただきました

11030911 ここに掲げたのが、その絵葉書です。もう今は一日で着いてしまうのですね。この葉書も前日7日に出して、翌8日には私が受け取っています。
 昔沖縄で働いていたときに、速達でも一週間かかったものでしたが、今はもう「速達」の意味はないですね。ただ書留の意味はあるかと思います。私は役所等には、今はすべて「簡易書留」で出します。
   一昨年ある役所に、そこの返信用封筒で出したのです(その役所の返信用封筒だったから、書留にはしませんでした)が、一カ月後くらいに、そこから電話があり、「まだ到着しないのですが」ということで、急遽同じ文面を簡易書留で出したものでした。

 でもこの葉書は素敵な文面です。私も「返事を素敵な絵葉書で」と考えたのですが、葉書では、あまり文面が書けません。小さい文字にすればいいのかなあ。でも今日、封書で送ります。私はいつも封書も、和紙用紙に書いてで綺麗なシールで封をして、記念切手を貼って出しています。
 私は年賀状を、最初はみな私が手書きでメモを書いていたのですが、あまりに汚い字で嫌になり(字が汚くても誠意がこもっていればいい、なんて大嘘です)、止めたものでした。
 また今日熱心にパソコンで打ちます。


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2011年02月17日

雪のことで思います

11021703  童話と漫画の部屋ネット赤ちょうちん にユミ子さんのこのUPに実に同感します。今回の雪のことです。

道路もすっかり真っ白に吹雪いて美しく雪化粧していたのです。それで、わたしはわくわくして朝起きたら、もう庭の雪はしょぼんと溶けかかっていました。

 この気持はまったく私も同じです。

わたしは(せっかくの雪をそんなに急いでどかさなくてもいいのに…)と思いましたが、雪が凍らないうちに道路をきれいにするのは大事な公衆道徳でしょうね。

 そうなのでしょうね。でもなあ、

八時も過ぎると、どこもかしこも雪がどけられています。あ〜あ、関東の雪は淡くはかないなあ。

 いつもものすごく哀しい気持になります。私が住んでいた雪国は、秋田と札幌ですが、秋田はさておき、札幌なんかは、ものすごく寒いけれど、雪はユミ子さんの故郷の新潟ほど多くないはずです。でもどれにしても、いっぱい雪が降るのは、この関東・東京の比ではありません。私の妻は、雪国に住んだことはないし、二人の娘もそうです。だから、私のこの気持は分からないでしょうね。
「淡くはかない」雪を私はいつも哀しい思いで見ています。昨日も山手線等々で眺めていた雪は、みなはかなく、みんなに消されてしまうんだなあ。

 あ、次の書込ですが、確定申告はインターネットでできますよ。



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2011年02月14日

ユミ子さんから絵葉書をもらいました

11021421 ここに掲げたのが、先ほど届きましたユミ子さんからの絵葉書です。ただ、この芝桜の画像の両脇には、彼女の文面もありますので、そこを避けてこうしてスキャンしました。 これは北海道の芝桜のようです。
 我孫子でも芝桜があちこちにあって、私のブログでもそれを撮った画像があるはずなのですが、それがどこだがすぐに分かりません。これはあとからでも、すぐ分かるようにしていかないといけないなあ。それをどうするのか考えていきます。


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2011年01月27日

ヤギ君がボヤいているのかなあ

11012704  it's a floatingworld! blog のヤギ君が、ご自分のブログで次のように言っています。

ついツイット
最近ブログのアップ数が激減
ちょっとしたことはtwitterでぼやいてしまうので
適当にガス抜き出来てしまい
ブログにするモチベーションを欠いてしまう

 うーん、私もツイッターはいわば適当にやっていますが、でもそれでブログを書くことがおろそかになることはないですね。というか、もともと全然違う指向のものだと思うのですね。
 私は自分のホームページも、メルマガも止めました。どうしてもブログだけで行こうと思ったのです。でもおかげでUPは増えているかな。
 でも私はもともと毎日圧倒的に飲んできたのです。飲み過ぎだと、そんな自分が悔しいから、よりブログに書くようになります。
 御茶ノ水に事務所があったときは、家が我孫子で、実に通勤も各クライアント訪問ももう非常に忙しかったものです。ゴールデン街や三番街や谷中等々で延々飲んでいると、それだけでまたホームページの各ページにも、より書いて行ったものでした。でも今は、ブログに書けばいいので、楽なのです。
 それにブログも、ツイッターも、ケータイでもできるし、今はIS01で電車の中、バスの中(今義母の病院へ見舞いに行くのですが、それでバスに10分くらい乗るのです)で、打っていますよ。
 孫のところへもなるべく毎日行きます。それに私は手紙を書いています。和紙に打っているのです。昨日もある美女に手紙を書いて、「今度鎌倉へ行こうよ!」なんて、お誘いしました。あ、また今日も手紙を書かなくちゃな。
 とにかく、ツイッターもやってくれているのは、あなただけなのです。いや思えば、あなたに誘われてやったのでしたね。
 そのうちにフェイスブックも面白そうなら、やっていくつもりです。



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2010年10月11日

Re.生落花生 への小野クンからのコメント

10101101 Re.生落花生小野クンから、次のコメントがありました。

1. Posted by オノくん   2010年10月10日 18:29
トラックバックありがとうございます。
その元社長ですが
携帯のメールですら返事の仕方がわからないということで
電話をかけてきます(笑)
ま、声の方がコミュニケーションとしては良いかもしれませんが。

ツイッターのタイムラインって
自分で選んで(フォローして)おきながら
風の便りのような舞い込み方でなにか新鮮ですね

自分とはまったく関係ないことなのに
タイムラインで
例えば
いま周さんが京浜東北線に乗っていてIS01に向かっていると
知ってしまう

必要でないことだから
なんとも嬉しい気分になります

 どうもありがとう。嬉しいです。あなたツイッターにはときどき返信しようとしたリツイートしようとしています(でもあんまりできていませんが)。
 IS01は常時身につけていますから、いつでもツイッターでもメールでもブログでも書けるのです。ツイッターは、ケータイでもパソコンでも同じにできるのがいいですね。ただし、ツイッターだけの文章では、できるだけ140字いっぱいに書くようにしています。なんとなくそうしないと面白くないように思うのですね。
 だから今は電車の中で本を読むのは、東京や秋葉原までではブログ等を書いています。鎌倉等へ行く時には、読書の時間でもあります。とにかく、一年に300冊を読むのには、必死に読まないとならないのですね。
 今は、「読書さとう」というのでも必死に書いています(何が必死って、要するに毎日書くのが必死なのです。内容はどうでもいいことですが)が、書くのは数分ですが、書く内容を何にするかに時間がかかります。とくに、「ニュースさとう」が何を書くのかは必死で時間がかかり大変です。あ、きょうはあと一つ書くのは「歴史さとう」でした。
 あ、私は手紙も書くのよ。今は一年で100通を超えるくらいですが、一昨年は600通を超えました。
 貴社の元社長が、「携帯のメールですら返事の仕方がわからないということ」というのは、本来は違うことだと思いますよ。彼もメールのほうが音声での会話よりも好きなはずです。
 吉本(吉本隆明)さんが、『言語にとって美とはなにか』で言われたように、指示表出と自己表出でこの言語は成り立っていると私は思っています(あの明確には、私が吉本隆明の言語論をこんなに言い切っては駄目です。いや私は言い切ってはいないのです)。そして、私たちには、書き言葉と話し言葉が大きなものとしてあるのだと思いますが、いわゆる私たち(日本人)には、「書き言葉」が占める割合が、(日本では)他の言語よりも大きいのだと思います。
 ここのところが、私なんかはスカイプで中国人や米国人と話しても、その会話することよりも、書き言葉が大きいのだと思っています。だからスカイプではメールはないので、同様にできるChatが隆盛になるのだと思うのですね。ツイッターも同じだと思います。
 欧文によるよりも、中国語の漢字ばかりよりも、日本語のほうがツイッターは便利なのですよ。
 私は娘や妻とも、どうしてもケータイで言葉よりもケータイメールでの文書による会話が実に多くなっています。このことが実に日本人の大きな特徴だと思うのですね。
 中国の人とスカイプでChatすると、杜甫の名前は知っていても李白は知らないよ。いわんや、詩句なんか出てきません。それが北京大学の先生だったり(女性の方でしたが)するのよ。驚いちゃうよね。
 これからもIS01ででも、おおいにツイッターもしていきます。鎌倉を歩いて、実朝のこともよく考えていきます。そして鎌倉でもまた一人でも飲んでいます。その場でもツイッターもしていきます。



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2010年10月10日

Re.生落花生

  it's a floatingworld! blogこのUPがありました。

千葉館山に隠居した元社長から
生の落花生が会社に送られてきた

いつもはゆで落花生にするのだけれど
今回はなにか別の料理にしよう

ご飯にもよし
焼酎にもよし
日本酒やワインでも紹興酒でもいいなあ

10100803 あ、いいですね。でも館山の元社長は、パソコンは持っているはずなのだけど、ツイッターくらいはやらないのかなあ。私しゃ、本もいっぱい読んでいるけれど、パソコンでもいっぱい書いているよ。いや、ポメラやIS01でもいっぱい書いていて、それに手紙も書いています。もちろん、お酒も腹いっぱい飲んでいますがね。
 でも前には館山も行ったものでしたが、今は行きませんね。
 思えば今は紹興酒も飲んでも、そんなに多量に飲めなくなりましたね。



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