夢の中の日常

2016年11月16日

今朝は夢を見ていて目覚めました

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 今朝は久しぶりに夢を見て、目覚めました。もちろん毎日夢は見ているのでしょうが、今朝ははっきりしているのです。そして私の後輩が書いている内容で、またそれを確認しました。そのサイトにあった画像がここの最後の写真です。
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 来週行くわけですが、その後輩の店白岡市「天下御麺」で開催される「暴力酒場ひだり」で幾人もの後輩友人たちと飲むのです。ただもうみんな歳をとっているよなあ。でもこうして会えるのは嬉しいです。
とにかくみんなに会えるのです。ああ、ばあばに了解を得ないといけないなあ。私の見た夢はそのみんなと会っている内容です。そうなのですね。でも嬉しい内容でした。
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2016年08月17日

この頃『夢を見ていないな』と思いましたが

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 私は先ほど長い夢を見ていて、それで目覚めていました。トイレに行ったあと、眠ろうとしましたが、当然できませんので、その夢を考え、そしてこうして完全に起きまして、パソコンに向かいました。
 それでこうして書いているわけです。
 先日ブルータスの家へ行ったとき、久々に私の妻の隣で眠りましたが、私のいびきがうるさかったようです。ああ、やっぱり私は元気にいびきをかくのだ、という思いで安心もしましたが、ばあばとは同じ部屋では無理だなあと確信しました。
 でもまた自分の夢を書いていきましょう。2016081703
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2016年07月01日

私の「夢の中の日常」ですが

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 私がときどき書いております「夢の中の日常」なのですが、随分以前に、「それは島尾敏夫の作品じゃないの?」(この方はインターネットとかパソコンは全然やらない人です)といわれ、私は「島尾敏夫さんは『夢の中での日常』で、私のは『夢の中の日常』なのです」と答えたものです。
 私は私が見てしまう夢のことを書いているのです。ただ私は島尾敏夫さんの作品を読んで「私も自分の見る夢のことを書こう」と思ったことは間違いないことです。
まだ書いて行く気でおります。


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2016年03月11日

夢の中の日常「夢の中でもデジカメで撮ろうとしたしていた」

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 今(2016年3月11日1時代)夢を見ていて、目覚めました。トイレに行きたくなり、それで目覚めたのですが、もう今さら眠っても、またあの夢を見ることは無理なので、こうしてこれを書いているわけです。
 私はものすごく綺麗ないくつものデザイン画(のようなデザイン)を見ている夢を見ていたのです。「ああ、このことを詳しく描こう」と思っても実際には無理なのですね。
 夢の中でもデジカメで撮ろうとしたのでしたが、撮っていられないうちに目覚めてしまいました。でも思い直せば、夢の中で撮っても仕方ないよなあ。そして自分の記憶からも消えてしまうのだから、困ってしまいます。
 私は夢の中でもう実に綺麗ないくつものデザイン画を見ていました。オールカラーの実に綺麗なデザインです。16030502
 もう午前2時を過ぎました。こうして、やがてどんどん私の記憶からもなくなっていくのだなあ。それを少しでも覚えておきたいから、これを書いていくのです。


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2015年04月04日

夢の中の日常「ケーキを手に入れて孫に渡した」

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 今朝10時代にここのパソコンの前で書いていたら、わずかな時間に眠って夢を見ていました。
 それは私の「まれ2015.04.04」の画像のコージーコーナーのケーキを夢見ていたのです。私はケーキは一切口にはしませんから、これをただただ孫にあげたいという思いだけでそれが夢になったのでしょう。
 私は夢の中で喜ぶ顔をしている顔を私こそが喜んでいるものでした。
 でも私はこの夢を一切忘れはて、必死に思い起こしたものなのです。
 この頃夢を見ても、それを記録していないから、私は「よくないな」という思いばかりになっています。
 なんか、その夢には鎌倉の光則寺へ入る路のお土産屋の姿も見えていたのでしたね。


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2013年07月08日

夢の中の日常「また堀ちゃんの夢を見た」

13070711 また堀雅裕さんの夢を見ていました。
 私は堀さんと会って話をしていました。彼はパソコンのことで、私に質問していました。私は少し面倒だなあと思いながらも、丁寧に答えていました。途中で妻に電話しないと分からないことがあり、夢の中でも電話で妻に頼み事をしていました。
 でもありありと思い出せる夢のはずなのですが、目が覚めてから、すぐに書かないと忘れてしまうものですね。
 このことを大きな反省として、これからはすぐに書くようにします。すぐに書けば、いくつものことが大きく甦ってくるはずです。


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2013年01月27日

夢の中の日常「またわずかの間に」

13012615 私は、夢の中の日常「わずか一分くらいの間に」に書きましたように、バスがどこかに着く頃を書き終わったときに、ちょうど1分くらい目をつぶって夢を見ていました。
  私はまだ30代前半の年代です。ちょうど6歳くらい年下の男の子が質問してきます。

「住宅展示場」の役割とは何か? いや単純にどううまく展開していけるように、各メーカーを指導していくべきなんか?

というような質問です。
 私は「ちょっと面倒だな。何で俺がそんなことに答えるのだ」と思いながら、口からはすぐに次が出てきます。

 各人たちが、どういうような自分の家を持ちたいのか、それを実際に各メーカーの家を見せながら、話して行き、かつその意思に沿った家を実際に作れるようなやり方を示して行く

 相手は、ボールペンでメモを取っています。さらに私が続けて喋り続けようとするときに、目が覚めました。



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2012年12月24日

この頃夢を見た記憶がない

X12122120 長春有情に、このUPがありました。

ふしぎな夢だった  2012/12/24 3:46 [ No.31357 / 31366 ]
一つは友人たちの夢
もう一つは前職場の夢

 私はここで、夢の中の日常を書いています。でもこの頃は書いていないというか、そもそも前のようには夢をみないのですね。いや見ているのですが、前のように明確に覚えていないのです。
 これは大変に悔しい思いです。
 また前のように夢をいくつも見て行きたいです。そしてそれを書いて行きます。



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2012年11月14日

夢の中の日常「わずか一分くらいの間に」

12111406 私は、「純と愛」2012.11.14を私のブログにUPしたあと、少しの間目をつぶりました。そのときに、多分一分くらいの間でしょうけれど、夢を見ました。
 私の前には二人の男の子がいて、懸命に何かを書いています。私は話かけました。二人はどこの大学の学生なのかということです。私のそばから、東大と埼大の学生だといいます。それで私は自分も埼大だと言って、「どうしているの?」と聞きました。少し私が話しかけることに面くらっていましたが、「いえ、私は大学でサッカーをやっています」といいます。
 私は「いやそうじゃなくて、むつめ祭を知っているの?」と聞きたかったのだ、と思い出し、それを言い出そうかと思っているうちに、夢から覚めました。
 わずかな瞬間に見た夢でした。


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2012年08月27日

居眠りじいじを止めないといけないですね

12082608 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」では、昨日は以下のUPがありました。

居眠りじいじ、ではなく 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月26日(日)08時35分41秒
  お孫さんたちと、いっぱい夢の中身について話すことができる、夢見るじいじ、であれたら良いでしょうね。

確か、今朝方も夢を見ていたはずなのですが、その内容の不合理な余りに?気づいた途端、忘れてしまいました。何か、仕事に関連したものだったと微かに覚えてはいるのですが…。

 孫たちと、いっぱい触れ合って行きたいです。孫たちから、自分の夢のことを聞かれたら、優しく話して行きたいです。「ああ、いいなあ。その夢は多分こういう自分の思いがあるんだよ」なんて話せるじいじで行きたいものです。
 そして自分で夢をみたら、また「夢の中の日常」を書いていきたいです。このことを真剣に思っていますが、こればかりは自分の思うようにはいかないですね。
 島尾敏雄さんの「夢の中での日常」を読むと、島尾さんのそのときの今が分かるような気持になってきます。でもいつも不思儀な夢ばかりですね。夢だから仕方ないのでしょうね。
 いつも記憶に残る夢を見たいとばかり思っています。



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2012年08月26日

いつも楽しい夢を見ていてほしいのです

12082413 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」では、昨日は以下のようなUPでした。

子供たちには 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月25日(土)08時56分45秒
  いつも、楽しい夢を沢山見ていて欲しいものです。そして、極々たまには、思いっきり、怖い夢を見て、泣いてしまうことがあっても良いと思います。いつか夢にまで見たことが、現実の世界でも実現することが出来れば、なお一層、楽しいかも知れません。

周さんの夢は、本当に具体的で生き生きとしていますね。反対側の立場になって、自分の居た位置を確認する、という意識は重要だと思います。

 いや今はただ眠ってしまうだけです。前のようにどうしたら夢を見られるのか思い、今は少々悲しいばかりです。単なる「居眠りじいじ」で長女や妻には飽きられるばかりです。そのうち孫にも飽きられちゃうかなあ。
 だから夢を見て、ちゃんとその記録を書いて行きたいです。



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2012年08月25日

夢はいつも見たいのですが

12082405 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、昨日は以下のようにありました。

周さんの言う 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月24日(金)07時28分3秒
「私にとって、常に夢をみていたいものなのです。そしてその夢の記録を書き続けたいものなのです。」の感覚は、少し分かる気がします。
常に夢を見ていたいと思いつつ、人は、現実の世を生き続けて行かねばなりません。
そして、現実社会は、往々にして個々人の夢をかなえてはくれないものです。

 昨日は夕方おはぎの家へ行きました。おはぎがお熱を出して三階で寝ていて大変でした。玄関のドアはポコ汰が開けてくれました。私が持っていったお菓子を食べているポニョとポポはもう可愛いばかりです。
 あの子たちはどんな夢を見ているのでしょうか。いつか、そんなお話も出来ていけるようになるのかなあ。
 またきっと私も夢を見られるはずです。そしてその夢を内容をここに書いてまいります。



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2012年08月24日

この頃は夢を見ないのですね

12082213 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、昨日は以下のように書いてくれています。

夢というものは 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月23日(木)07時41分18秒
「浅い睡眠」の時にみるもので、疲れたりして「ぐっすりと深い睡眠」をしている時には、見ないものだそうです。
そうすると、周さんは、最近は「深い睡眠」の中で、ぐっすり寝ているのかも知れませんね。
楽しい夢は、いつでも見たいものです。
夢の続きが見られる、何か、良い方策が無いものか、そんな事を考えたこともあります。

 いや私は夢を『「浅い睡眠」の時にみるもの』というふうには思っていないのですね。だから私は「夢の中の日常」を書いていたのでした。
 そうそう私が昔この夢のことを言ったら、ある人が「それは島尾敏雄が書いているのではないか」と言いましたので、私はすかさず「島尾さんが書いていたのは、『夢の中での日常』です。私は『夢の中の日常』です」と言ったものです。いえ、今もそんなことを言ってくる人がいますからね。
12082303 私にとって、常に夢をみていたいものなのです。そしてその夢の記録を書き続けたいものなのです。
 私は島尾敏雄は全作品を読んでいる数少ない作家です。大部分の作品を読んでいる作家は、何人もいますが、日記や書簡まで読んでいる作家は、私にはこの島尾敏雄のほかは、吉本(吉本隆明)さんと太宰治とチェーホフなのです。



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2012年08月23日

私も夢を見ていない、夢を覚えていない思いです

12082202 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、昨日は以下のようにありました。

夢をみなくなったと感じます 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月22日(水)11時28分49秒
  と言うか、夢は見ているのに、
その具体的な内容が何だったのか、覚えている事が少なくなっています。
昨夜も、一昨夜も何か夢をみているのですが、
寝覚めてみると、それが一体何の夢だったのか、全く取りとめがありません。
若い頃に見ていた夢は、もっと具体性があったように感じますが、どうなのでしょう?

周さんが貼り付けてくれる画像について、いつも思うのですが、
何か、特別な処理が施されているのか、
実際の風景より「色」の彩度も濃度も強くなっているように見えます。
特にグリーン系の色に、それを取り分け感じています。

 高校2年のときに、「フロイト『精神分析入門』」を読んだときから、毎晩見る夢を気にするようになりました。その後府中刑務所の拘留の中、実にたくさんの夢を見て、それを覚えているようになりました。
 でも私が「夢の中の日常」で書いているように、こうして書いておけば、もっとたくさんの記録が残っていたことだと思います。
 だから、今後も自分の見た夢のことはちゃんと書いていくようにしたいです。
 ただ今も、私は横になると、すぐに眠ってしまうので、これは孫たちの前で気をつけないといけないですね。

 それから、私のUPしています画像なのですが、私は一切何もしていません。多分、「フリー写真素材」のフォトライブラリーのほうも、何もしていないと思いますよ。何かしたら、それだけで経費がかかるじゃないですか。これから、もっとこうした画像の存在はは増えていくと思うのですね。
12082203 こういう画像、多くのプロカメラマンの撮る写真の存在の仕方がどんどん変化していくものだと思っています。
 思えば、このことについても私は強烈に言いたいことがあるのですが、それはまたいつか展開しましょう。



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2011年08月28日

夢の中の日常「鬼太郎の家に3人の男が集まった」

11082710 40分前までに見た夢です。今は午前6時39分です。
 私は何故か鬼太郎でした。いや鬼太郎ではなく、鬼太郎のような姿形の人間だったのかもしれません。高田馬場の早稲田通りの古いアパートに、「○元商事」(この○の部分が分かりません)という看板をかかげてそこにくらしていました。
 看板といっても小さな板に書いていただけです。
 ここにある男が訪れてきます。そして私と少し話しているうちに、同じような年格好の男(みな40歳代)が、あと二人来るのです。それで、私含めた4人が車座になって話をするのです。
 それがけっこうみな長い話で、それがみな金儲けの話です。それが実に興味深い話ばかりでした。
 私は、「何で俺のところへ来るのかなあ?」とも思いながら、「あ、俺の部屋だからこそみな来てくれるのだ」とも思い直しています。
 それぞれ、三人の男は、みなここで食べるのだろうお土産を持参しています。私はお茶を用意するだけです。
 この一人ひとりの話がとても興味深いのです。でも今は忘れてしまいました。
 でもあのアパートは思い出しました。明治通り近くの早稲田通りの北側で古いアパートでした。私は何故か、そこのアパートの持ち主と話したことがあるのです。年齢は70代のおじいさんでした。私が1969年の秋の時かなあ。何の話をしたのかというのも思い出してきました。
 あのアパートは今もあるのかなあ。確か銭湯のすぐ近くでした。
 でも夢の中で、私以外の三人は、「じゃあ、この話を実行化しよう」ということで、別れたものでした。

 思えば、この「夢の中の日常」をよく書くようにしていれば、もっと思い出せるようになるのでしょうね。



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2010年11月18日

過去の「夢の中の日常」は終わりました

10111618 ここで書いていた私の前のホームページ内にあった過去の「夢の中の日常」は書きました。でも今朝も夢を見ていたのでしたが、起きてすぐに記録しないと駄目ですね。記録しておくと、その後、何年、何十年と経っても、不思儀に覚えているものです。
 私の前のホームページは、この「夢の中の日常」の文を読んでいて、思ったのでしたが、実にたくさんの文があるのですね。ありすぎて困ってしまうくらいです。
 またいくつかUPしていくつもりです。


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2010年11月17日

夢の中の日常「親友の死とある女優さんと」

10111623 つい先ほどまで見ていた夢のことを書きます。今は午前4時41分。ちょうど6分前まで見ていた夢です。

 私は夢の中で、かなりな資産家のようです。ある別荘地に大きな屋敷をもっています。ガラス張りの大きな家です。ところが、その家で私の親友が何故か殺されたようです。それで、その親友の殺人事件の真犯人を捕まえるため、大勢の刑事が来ています。その刑事の中心になる担当者は、私より5歳くらい下の(私は40歳くらいのようだ)なんだか私には、好ましい人物にように思えています。「この男なら犯人を捕まえてくれるだろう」。私は何日かかろうと構わないが、捜査のために、この屋敷を提供することを申し出ます。捜査の本部をここに置くことにしました。
 長い打合せが終わり、細かい調査をいくつもある部屋でやっていきます。そんないわば忙しい中に、まったく別な団体が、この私の屋敷にやってきました。
 それは、この私の屋敷を舞台にして、ある男女の愛の物語を映画にしたいという劇団でした。このことは、前に約束したのかもしれません。なんでも古代ギリシアの愛の物語を現代にしたお話だと言います。監督兼助演もする女優さんが責任者として、私のところへ交渉にきます。私より5歳くらい上の現実の世界では浜美枝さんに似た女優さんです。彼女は黒いワンピースに黒いコートをはおっています。彼女はすべて映画の機材と多くのスタッフと、何人もの俳優女優を連れてやってきたのです。そして私のガラス張りの家の前にある造形を設置しはじめます。その造形が、この映画の二人の男女の主人公の愛を象徴するものかのようです。
 私は困惑します。この女優さんがやりたいという映画作りには協力したいのですが、今は私の親友が殺されたことの真相を知ることと真犯人を捕まえることが再優先のことなのです。
 私はそのことをその女優さんに言い、とにかく引き上げてくれといいます。だが彼女は断乎撮影させてくれといいます。刑事と3人での話になります。刑事も気の毒がるのですが、今捜査を中断するわけにいきません。その女優以外のスタッフとも話合いになりますが、どうしても私は「今は困るのだ」ということだけなのです。
 いったん、その劇団のスタッフたちは近くのホテルに引き上げまして、その監督の女優さんと二人で、お話します。刑事は、「これはあなたが決めることだ」と言ってくれます。それから二人での話になります。長くお話します。
 その女優監督は、その親友のためにも、この愛の物語の映画を作ることは大事なのではないかと主張するのですが、私はどうしても今この屋敷を使うわけにはいかないのだと言い続けます。そしていつからなら、「使ってもいいよ」とは言えないのだということを言います。話は平行線でどうにもなりません。
 もう朝になっていました。私ももはや、断乎としていいます。「私には、あの親友こそが大事なのだ、架空の愛の作り話なんかには興味はない」と。もう仕方ないと思ったのか、彼女は立ち上がり礼をして去ろうとします。その去るときの彼女の横顔をみて、彼女の頬に涙が伝わるのを見ます。私は後悔する気持がわき上がるのですが、もうあとへはひけません。
 ところが、彼女が家を出る瞬間に、私たちは、ガラス張りの大きなガラスの向こうから、彼女の劇団のスタッフたちが大勢走ってくるのが見えます。誰もが緑の同じトレーナーを着ていまして、走ってきます。彼らの吐く息が白く見えています。そのまま彼らは私の家のガラスの前にたちます。そして、みなでシュプレヒコールをするのです。
 その内容は、映画の撮影は、またのことでいいが、せめて今設置した愛を象徴する造形をこのまま庭に置いておいてくれという訴えです。それがあなたと親友との愛の確認にもなるのではないかというのですね。
 私は、突如亡くなった親友の姿顔が見えてきます。彼の顔は、「その通りにしてあげたら」と言っています。私は次第に涙が浮かんできて、そしてもう立っていることができなくなります。もう泣くだけないてしまいます。それをあの女優さんもそばで黙ってみています。そして何故かあの刑事も遠くで、見ていてくれます。
 私は、もはや、映画の撮影も、殺人の捜査も、両方やっていこう、でも一体どうなっていくのかな、という思いを抱きました。これからどうなるんだろう。
 そこで私の長い夢がさめました。(2001.11.19)



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2010年11月16日

夢の中の日常「東大69年1月18日午前6時」

10111503 つい先ほどまで、私の見ていた夢です。
 季節は冬のようです。あるよく晴れた日です。私はどうやら警官のようです。そしてある県警の警察官として警視庁に派遣されてきました。どうやら、大学闘争の現場です。私は私の県の県警に命じられて、警視庁で学生運動革命運動と、それへの警視庁の闘い方を学びに来させられたようです。
 だが、着任したときが、ある大学闘争の闘いの現場なのです。どうみても、私がついたのは、東京大学のようです。何故なら、黄色に色づいた銀杏の並木の中に、警察のテントがはってあります。そして月日は1969年昭和44年1月18日です。そのテントで私は敬礼をして、私の所属氏名をいいますと、そこにいた警官が

  あ、○○さんから、聞いております。どうぞこちらへ座ってください。

といいます。彼は自分の紹介をしたあと、現在のこの場の情況を教えてくれます。どうやら、もうすぐ学生たちとの戦いが開始されるようです。
 しばらくしあたと、私の相手をしていてくれている警官が

  あ、○○さんから、この本を読んでおけと、渡されたものがあります。

と言って4冊の本を渡してくれます。以下の本でした。

  擬制の終焉
  現代トロツキズムの思想と系譜(実際にこんな本はありません。夢の中の話です)
  自由と規律
  公安条例

 そして、「あ、この本もです」と少し離れた机から持ってきてくれたのが、

  損害保険の査定について

 私はなんで、こんな本までという気持になります。きょうのこれからの戦いが、この大学のかなりな建物を壊してしまうために、国家からだけの補償ということではなく、損害保険会社との交渉もあるから学んでおけということかななんて思う。
 そういえば、きょうはものすごく早く起床して、ここへ来たのだった。今はまた午前6時をすぎたばかりなのだ。上空にはヘリコプターの音が聞こえる。そして、大勢の機動隊の部隊が集合している。いよいよなのだ。

 そのときに、私は唐突に、昨年末に自分の恋人と会った日のことを思いだす。なんだか、ありありとそのときの情景が私の脳裏に浮かんでくる。それは23日の夜のことだった。彼女と知り合って間もない私は、クリスマスイブを一緒に過ごそうということになったのだが、24日は彼女が両親の自宅へ帰るというので、その前日に会うことになった。そして、どこかの喫茶店で待ち合わせて、どこか適当なレストランで食事と考えていた私に、彼女は自分の部屋で食事をしようと言ってくれたのだ。
 その日の彼女のアパートは、とても明るくてなんだか「白い模様」という雰囲気だった。彼女は白いドレスを来ていた。ケーキがあって、料理があって、ロウソクが灯されていた。
 彼女の笑顔を見たときに、私は食事をするよりも、何故か彼女の唇に私の唇をちかずけてしまった。彼女も私にあわせてくれる。なんだか彼女を抱きしめることもしないで、ただただ唇と唇をあわせてしまいます。「なんて綺麗なひとなんだろう。このひとも、この俺を愛してくれるんだ」という思いばかりだ。このキスの味で彼女が私のとって一番大切な存在なんだということが確認できた気がしている。
 そこまで思いだしたときに、またヘリコプターの音で、現実の世界に私はひきもどされる。「そうだ、もう戦いの現場なのだ」。
 そんなところで、目が覚めました(19日午前2時30分)。夢の中の彼女に会いたいという思いで、私はもう一度眠ろうとしましたが、もう目をつぶっても無理なのです。

 そんなところで、私は起き上がりました。そしてパソコンを開いて、インターネットで30分ばかり、いくつものサイトをのぞいたあと、この文章を書き出しました。
 もう夢の中の彼女に会うことはできないのですね。
 でも、私は東大闘争ではこの警官たちとは闘う側でした。どうして反対側にいた夢を今になって見たのだろうか。(2001.09.19)



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2010年11月15日

夢の中の日常「荒國誠先生が出てきてくれた」

10111218 親友の堀雅裕さんがなくなりまして、もう1カ月以上がすぎてしまいました。なんだか、私はこのごろいらいらしていました。彼と私はよく会って飲んでいたといいましても、互いに遠慮というようなものがありまして、長く連絡を取らないことも多々ありました。彼と会うと、どうしても二人で莫大に飲みますし、そして延々と飲んでいますので、それは彼の身体によくありません。それでは、奥さんの燕尼に心配をかけてしまいます。ただ、このごろは、彼と二人で飲むことよりもMさんという女性と3人で飲むことが多くて、それは実に愉しい瞬間でした。若くて綺麗な女性が間にいると、なんだか二人ともに、けっこう真面目になってよかったなという思いでした。
 でも彼とはしばらく連絡をとらないといっても、さすがに1カ月もすると、電話をしてきたものでした。私の事務所へでも、携帯へでも、自宅へでも電話してきます。留守でも、折り返しすぐに私は電話しますから、結果としてどこかで飲むことになります。1軒で終わろうという固い決意も、飲んでいるうちにもう1軒ということになってしまっていました。
 そんなことをもうずっと繰り返していたわけですが、今回だけは、もう1カ月が過ぎようと、彼から電話がかかってくることはありません。なんだか、仕事をしていても、道を歩いていても、彼からの電話が「なんでないんだろう」なんてぼんやり思っていて、そして気がつくことがあります。「彼はもういないんだな」。
 そしてとくに近ごろは、自宅に帰っても、なんだかすぐ寝てしまっていました。なんだかとにかく寂しい思いで、もう眠ってしまいたいのです。眠れば、この思いが晴れるのではというような感じをもつのですが、実際はそういきません。でも普段は平均4時間の睡眠ですんでしまうのが、ただただ眠ってしまっていました。10時にベッドに入れば、普段ならば、午前2時頃には起き出してパソコンに向かっているはずなのに、眠りから覚めることができないでいました。そんな日が続きました。
 13日に、また11時半頃寝室に向いました。妻が「パパ、歯磨いた?」なんて声を後にして、まず次女の部屋を覗くと、「パパはママの子どもみたいだね」なんて言われました。「でもなんだか元気ないね」という言葉に、

 うん、堀ちゃんがなくなってサ、こんだけ時間がたっても、あいつ電話してこないからね、ほんとに死んじゃったんだと思うとね、もう元気でないよ。

 それで、私としては午前4時には起きられる予定なのですが、なぜかそのまま眠ってしまっていました。
 そしてその朝(14日)私は夢を見ていました。その夢は、私が最初に詩吟で師事しました國誠流吟道会の宗家荒國誠先生なのです。もう先生とはお別れしてから20年になるでしょうか。
 荒先生には、さまざまに励まされてきたものでした。そして何といいましても、先生の詩吟が私は一番好きでした。荒先生の人間そのものが、私は尊敬していましたし、大好きでしたが、先生の詠う吟そもものも大好きでした。
 夢の中で、先生は何曲も詩吟を詠い続けてくれました。言葉は何も喋りません。昔聞いていたときには、先生は宗家ですから、最後に模範の吟を一つやるだけです。そして宴会になると、もともとオペラ歌手でした先生は、カンツオーネをやってくれたものです。
 その先生が、いくつもいくつも詩を吟じてくれます。一体何曲詠ってくれたのでしょうか。私はその吟が終わったときに、思わず大きく拍手します。先生は、私を見て、にっこり笑ってくれました。その笑顔を見て、私の拍手の大きさの中で、私は目が覚めました。
 きっと元気のない私のことを励ましに来てくれたのだなと私は確信しています。私は夢の中の先生の声と笑顔を忘れません。思えば堀ちゃんも、ジャズが好きだったわけですが、詩吟も何故か好きでいてくれたものでした。
 どんなことがあっても、やり続けなければならないのです。元気に生きていかなければならないのですね。
 荒先生、ありがとうございます。また元気にやっていきます。(2000.12.15)



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2010年11月14日

夢の中の日常「私は逃亡している女」

10111213 何日か前に見た夢です。

 私はどうしてか女性であり、しかも30代で、4歳くらいの女の子を連れています。私は子どもの手を引きながら、ある大学の中を歩いています。
 この大学は、私の出た埼玉大学なのですが、夢の中では、大学のキャンバスの中が賑やかな街みたいな一画が出来ていまして、そこにレストランや飲み屋が何軒も出来ています。実は、夢の内容は違っていても、この埼玉大学の風景が出てくる夢の中ではいつも同じなのです。不思儀なくらい、いつくものお店が並んでいるのです。
 私は、何からか必死に逃げているところで、この大学の中ならば相手に見つからないのではという思いで、そこにある店のどこかに勤めようと思っているのでした。
 一軒のラーメン屋であり飲み屋のような構えの店に入っていき、ここで働かせてもらえないかと店主に言ってみる。店の前に「アルバイト募集」という貼り紙があったからだ。 なんだか人の良さそうなその店主は、「はい、いいですよ。それで履歴書見せてください」という。私は「しまった、履歴書をどうして用意しておかなかったんだろう」という思いを抱くが、「だって、住んでいるところもないのだから書けないのだ」とも思う。しばらくもじもじしている私に、その店主は、「じゃ、そこに座って、書いてみてよ」とコクヨの履歴書とボールペンを渡してくれる。そして、娘に「こっちへおいでよ、お母さんがお仕事している間に、いいものをあげようね」と言って、娘の手をひいて、厨房のほうへ行く。
 さて、だが私は履歴書を前にして、どうやって書いたらいいのか困ってしまう。私は一体どのくらい職を転々としてきたことだろうか。だからいつも履歴書を書くときに躊躇してしまう。だからいつも長時間かけて、必死になって、自分の履歴を作り上げているのだ。だが、きょうは不用意にも、こういう事態になってしまった。
 思えば、友人のGは、こんなことを言っていた。

 自分の履歴というのは、「もうこうなのだ」と思い込んで、そのまま暗記してしまうのよ。会社によってはね、履歴書を持って行っても、面接の前に、「では、この紙にもう一度ご自分の履歴書を書いてみてください。もちろん、提出した履歴書と同じでいいですよ」というところがあるのよ。これが、簡単なようで書けないものなのよ。だから、私は頭の中に、私の「これが私の履歴、職歴、私の人生の歴史なの」と完璧に作り上げてあるから、どこでも同じものが書けるの。

 そうだ、Gの言うとおりなのだ。だけど、今の今は困ったな。
 店主が戻ってくる。まだ何も書いていない私を見つめる。私はまだ住むところも決っていないので、書き出せないことを伝える。
 店主は、

 うーん、あなたは何か事情がありそうだね。だけど、私のところは、住所が定まっていない人は雇えないんだ。なにしろ、ここは大学の中だろう。うるさいんだよ。…………、そうしたらね、私の知っているお店を紹介しようか。ここから10分くらいのところだよ。そこなら、住み込みで働くことができる。今から電話しておくから、行って見てください。

 もう私は大変に感謝して、お礼を述べ、その店主の書いてくれた地図を見ながら、娘の手を引いて歩き出す。娘の手には、店主からもらったお菓子がある。大学の正門から出て、ちょうど10分くらいのところに、そのお店はあった。ここも何軒もの飲食店や他の店が並んでいる街なのだ。
 今度の店主は、俳優の津川雅彦に似た風貌の人で、店の中から私を見て、すぐに判ったようだ。年齢は50代後半だろうか。「はい、いらっしゃい。○○さんだね」と言ってくれる。
 そして、私と娘の名前を聞いただけで、住むのは、2階だと言って、住所と電話を書いた紙をくれ、「荷物があるだろうから、ここへ送ってくればいい」と言ってくれる。2階は、前には自分が泊まっていたのだが、今はすぐ近くから通っているのだという。
 私はその2階に上がって、やっと落ち着いた気になる。店主は2階に案内すると、すぐに下に降りて行ってしまった。何しろ忙しい店なのだ。私は「お母さんは下のお店にいるよ」と言っておいて娘を昼寝させ、下に降りていく。店主に「働かせてください」というと、「仕事は明日からでいいのに」といいながら、嬉しそうに、いろいろと教えてくれる。
 私もなんだか、その店主の顔を見ていると、嬉しくなって、一生懸命に仕事を覚えようという気になってくる。私は不器用だけれど、真面目に働く気持だけはあるのだ。
 私には、もうそれからただただ、必死に働きだした。問題は娘のことなのだが、心配した店主が保育園に入れたらと言う。それはそうなのだが、今の私にはなにもかも明かせない事情があるのだ。公立の保育園に入れられるわけがない。でも店主は、「公立でなくても、私立でもいいじゃないか」と言ってくれる。料金は多少高くても、そんなところでもいいかななんて思い始める。もう、ここで働いてもうすぐ1カ月になるのだ。そう私は、その夢の中でも、もう1カ月働いているのだ。
 だが、そのちょうど1カ月目の日、私は午後1時半くらいのときに、私は厨房の中から、店に、あの女が来ているのを見る。その女は、青いツーピースを来ている。「どうして、ここがわかったんだろう?」。だが、なんだかこの女は、私がこの店にいるとまでは判っていないようだ。この街のどこかにいるとまで判って来たのだろうか。私は逃げなくてはいけない。しかもすぐにだ。娘が外で遊んでいる。見つけて、すぐに逃げなくてはならない。もう2階に行っている時間もない。ここの親切な店主には、あとで手紙を書けばいいだろう。
 私は厨房の奧にある勝手口から急いで外に出ていく。
 私は「また逃亡生活になるのだ」と思う。またどうなるんだろう。

 ここで夢が覚めました。夢の中では必死になっているだけで、何故私が逃亡していて、追ってくるあの女は何なのかというようなことは、サッパリ判りません。いつも理由がはっきりしないままに、いろいろな夢を見ています。(2000.08.20)



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2010年11月13日

夢の中の日常「何故か私は女衒なのだ」

10111207 どうしてなのだろうか。私は南米のどこかの山岳にいるようである。乾いた土地であり、動物はリャマがたくさんいる。
 私は二人の若者に使われている。兄が25歳くらいで、弟は19歳くらいだろうか。私は30歳くらいのようだ。
 少し太った実直そうな、神父が馬をひきながらやってくる。彼のあとには、女たちがちょうど10人ついてきている。人妻もいるようだ。みなメソチゾの女らしい。だから今思い出しても、どうみても南米なのだ。女たちは疲れたように、そこらへん座っている、みな何も喋らない。
 兄のほうが、神父と挨拶して、私のところへやってくる。「おい、お前がきょうは交渉しな!
 金の交渉は、兄がいつも仕切っているのだが、きょうは私にやれという。私は神父のそばに寄る。少し頭のはげ上がった50代くらいの真面目そうな男だ。彼は黒いゆるやかな服を着ている。今思えば、あれは僧服なのかな。いわば袈裟だから、黒だったのか。
 私はあんまり自信がないのだが、思いきって神父に言う。

 一人10で、全部で100だ! (ええと実はこのときの金の単位が思い出せないのだ)

 神父は、すぐに怒った顔になる。

 駄目だ! どれだけ遠いところから来たと思うんだ。そんなんじゃ村へは帰れない。

 そして私に小声で言う。

 おい、それに俺の取りぶんはどうなるんだ。あいつに話してくれ。こんなんじゃ、俺は帰るぞ!

 私は、「この金額でビタ一文変わらないよ」といいながら、心の中では、少し可哀想になっている。まわりで、座っている女たちも、聞かないふりをして、実は我々二人の交渉を心配しているのだ。
 私は兄のところへ行く。「神父が一人10じゃ駄目だと言っている。それと奴の取りぶんは一人10%でいいのか? でもこれも不満そうだけど
 兄は、怒り出す。

 馬鹿いうな、それ以上出せるか。それで通せ。

 そのあと、私と彼で少し言い合いになる。私はあの疲れた10人の女たちが可哀想なのだ。本当なら、彼女たちの村へ直接金を届けられたら彼女たちはどんなに嬉しがるだろうか。だが、兄が怒りだす。私を殴ろうとする。私は私よりも年下だが、ここではリーダーである彼の制裁をそのまま受けようとする。歯を食いしばって彼を睨む。殴られるときには歯をくいしばったほうが、当然痛いのだ。
 弟が兄に何かをささやく。兄は、殴る手を降ろして言う。

 そうだ、お前の歯は差し歯だったんだな。こんなところで歯を飛ばしたら、歯医者はねえぞ! またにしとこう。(実際に私は前歯は差し歯ですからすぐに飛びます)

と言って、白い歯を見せて笑う。
 私は神父のところへ歩いて行く。弟がついてきて、私に言う。

 お前、あの値段ならたいしたものだよ。それで神父には、10%にさらに5までならいいんじゃないかな。

 私は自分が思っていた通りのことを弟が言ったことに、少し自信がつく。私は神父に言う。

 一人10で全部で100だ。それでお前の取りぶんは10%の3.6だ。ただ、これでOKなら、お前には5やろう。どうだ!

 ここで、実直そうだった神父の顔に少し小狡い表情が出てくる。そうだ、こいつはまた村へ帰って、親や夫からもまたとるんだから。でもこいつも貧しい村には大切なことをしているんだろう。
 神父は馬をひきながら去っていく。女たちは、寂しそうにそれを見送っている。どうやら、俺もはじめてこうした交渉を委された。でもとうとう、俺はこれで女衒になってしまったんだな。これからどうなるんだろう。
 そんな思いの中でいるときに、ほんのさきほど(朝の6時少し前に)目が醒めました。
 なんで、こんな夢を見たのでしょうか。見当がつきません。ただ、前歯に関しては、二日前にあるところで打ち合せをしていたときに、そこにいたある人が、

 いや、前歯が折れちゃって。もともと差し歯だったから。

と言ったら、前にいた人(実は昔赤軍派)が、「私も前歯はみな差し歯で」と言い出しまして、私はさらに口には出しませんでしたが、心の中で「実は私も前歯は差し歯ですな」と言っていました。
 ただ、何で南米にいたのかは判りません。でも私の先祖の一人がいたのかもしれないなと今思いました。 (2000.01.14)



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2010年11月12日

夢の中の日常「どらエモンの夢を見た」

10111107 私の次女ブルータスはどらエモンが大好きです。部屋にはどらエモンのさまざまグッズがたくさん置いてあります。とくにどらエモンの映画が好きなようで、ビデオ屋で借りて繰り返し見ていたものでした。
 小さなときのブルータスをビデオ屋に連れていくと、私がヤクザ映画のビデオを探していると、ブルータスはいつもどらエモンの映画のビデオを手にとって、「これはどんなお話だっけ?」と私に聞いてきたものでした。何度か見ているのですが、まだ小さいブルータスは覚えきられなかったのでしょう。
 そんなどらエモンが出てくる夢をきょうの朝、私は見ていました。

 夢の中でブルータス(彼女の名前はサヨコといいます。どらエモンの話の中ではやはり本名のほうがふさわしい)は中学生のようです。
 朝もうサヨコは学校へ行ってしまっていまして、家には私しかいません。私ももう出勤しようという時間です。サヨコの部屋には、いくつものどらエモングッズがありますが、とくにどらエモンを小さくしたようなおもちゃの像が二つありました。
 ところが、そこへ変などろぼうがやってきまして、このどらえもんのおもちゃをもっていこうとします。ちょうどハクション大魔王に似たような悪党泥棒のようです。私が大声をだしますと、その悪党は、あわてて、どらエモンのおもちゃを一つかかえて逃げ出します。
 これには困りました。一つを盗まれてしまったのです。「サヨコが悲しむな」なんて思って、困りはてていますと、もう一つ残っていたどらエモンのおもちゃの像が、突如本物のどらエモンに変わりました。

 よし、取り返しに行こう! パパさんも一緒に行くんだよ。

と私を誘います。そうか、私も一緒に行こうと気持をひきしめて決意しました。でも一体、あいつはどこへ逃げたのだろうか。
 どらエモンは、そこにある金魚の水槽を指さします。

 この中に逃げたんだよ。

 実は金魚の水槽と言っても、少し大きな水槽で、泳いでいるのは、本物の金魚ではなく、みなおもちゃの魚や貝です。
 でもどうやって、この水の中に入るのだろうと思っていると、どらエモンが指さしたところのガラス面に、細い穴が空いています。え、こんなところへ逃げたのか。でもそんな小さなところに、どうやって入れるのだろう。
 私は躊躇しているのですが、どらエモンはすぐに私の手を引いて、その中へ飛んでいきます。どらエモンは、左手に、大きなバケツをもっています。綺麗なおもちゃのようなバケツですが、フタがしてあって、どうやらその中にはいろいろな道具を入れているようです。「武器もあるのかな?」

 でも、どらエモンの道具って、お腹のポケットじゃなくて、バケツで持って行くんだ。
 なんて思っているうちに、敵の本拠に着きます。そこはたくさんのおもちゃの国でした。探し歩く中、急にどらエモンに、大勢の悪いおもちゃが飛びかかって捕まってしまいます。でも、どらエモンは落ち着いていて、隙を見て、バケツの中から武器を取り出して、みんなをやっつけます。相手は目を回して降参します。

 どらエモンのおもちゃをどこへやった

という私とどらエモンの問いに、その目を回している連中は、すぐそばにある地下へ伸びている階段を指さします。
 でも、私はなんだかそこへ入るのは怖いのです。どらエモンは、

 パパさん、ここで待っていてよ

と言って一人で入っていきます。随分その階段は深くて、何層にもなっているようです。だんだん、私の問い掛けに答えるどらエモンの声が小さくなります。
 少し心配になってきたところで、突如、また新手の悪いおもちゃたちが大勢でやってきて、この階段の上から、たくさんのものを投げ入れてしまいます。どらエモンを閉じ込めてしまおうというのでしょう。これはわなだったのでしょうか。
 でも、私は少し安心もしています。さきほどの戦いで、どらエモンのバケツの中の道具の強いことを見ていたからです。
 やはり、やがて、どらエモンは、その階段の奧から、なにもかも爆破して飛び出してきました。悪いおもちゃたちは、また目を回しています。でももう一つのどらエモンを盗んだ悪い奴(こいつが相手の親分のようだ)はいません。またその部下たちに聞くと、そいつはまた別な世界へ逃げたようです。またどらエモンは、そこへ行こうとします。だけど、そこで私は気がつきました。私は、もう会社に行かなければいけない時間なのです。

 どらエモン、またあいつを追うのは日を改めようよ。もうパパは会社にいかなくちゃいけないんだよ。

 いくらか、どらエモンとのやり取りがありましたが、私が会社に行かなくちゃという決意が固く、どらエモンも、「じゃ、また改めて来よう」ということになりました。
 私はもう会社に行くのだから、どらエモンには、サヨコの部屋に帰ってほし
いと言いました。

 どらエモンなら、また飛んで帰ればすぐじゃないか。

 でも、どらエモンは悲しい顔をして、

 仕事の邪魔しないから、会社の隅に置いておいてよ

といいます。私は仕方ないなあと思い、かつどらエモンを一人で帰すのも可哀想だなと思って、

 じゃさあ、どらえもん、元のおもちゃの姿に戻ってよ、そうしたら、この鞄に入って持っていけるよ。だけど、パパはお客さんのところへ行くから、事務所で一人でいるんだよ。

といいました。だがどらエモンは、もうしばらく、この姿でいたいといい、私に抱っこされたいといいます。
 もう普通の世界に戻っていた私は、それじゃと、左手で、ビジネス鞄を下げて、右腕で、どらエモンをかかえました。どらえもんは小さいのですが、どっしりしています。保育園に入った頃のサヨコくらいの大きさです。私が右腕でかかえているどらエモンのお尻は柔らかくて、あかちゃんのお尻みたいで、そして、やさしい感じです。
 私がしっかりかかえると、どらエモンは私の胸に顔をうずめます。そして小さな声でいいます。

 あのおもちゃの像が何体かないと、ボクはこうしてどらエモンになれないんだ。

 え、そんな話は初めて聞く話です。こうしてどらエモンが活躍できるのも、もともとのおもちゃのどらエモンがいるかららしいのです。だから普段はおもちゃとしてじっとしていて、いざとなったら、こうして活躍できるのです。でもそのおもちゃは、だんだん古くなったり、棄てられたりしてしまうから、そのうち、どらエモンは消えてしまうしかないのです。それで、どらエモンが必死にもう一つのおもちゃを探した訳が判りました。
 私が、

 そんなことなのか。それなら、あのおもちゃをいくつも買っておこう

というと、どらエモンは悲しそうに、「もう、あれは生産していないの」といいました。

 え、でもあれを取り返せば、ずっといられるんだろう?

という私の問いに、どらエモンは悲しそうに答えます。

 あれを取り返せば、もう少しいられるけれど、サヨちゃんが大学生になる頃には、ボクはもういなくなってしまうしかないんだ

というのです。私も「そんなもう何年もないじゃないか」という思いに、どらえもんをじっと抱きしめました。そして涙が私の頬を伝わってきました。悲しい、悲しいよという思いです。サヨコが大人になっても、ずっといてくれればいいのに。
 悲しい思いで涙を流したときに、私の目が覚めました。

 なんだか、はっとしてしまいました。「なんだ夢だったんだ」。あらためて、サヨコの部屋に行って、どらエモンのたくさんのグッズを眺めました。みなどれも同じ場所にそのままいました。
 また夢の世界で、どらエモンと一緒にあの悪党のところへ行って、あのどらエモンのおもちゃを取り戻したい。今度は私が必死で戦います。
 でも、そんなことができるのかな。(1999.11.25)



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2010年11月11日

夢の中の日常「私たち生まれるんです」

10110916 私はどうしてか、大学にて勉強をしている。季節は冬のようだ。私はなんだか、どうしても一人の年取った大学教授と気が合わなくて苦労している。もう授業の中で徹底してやり込めてやろうかとまで思っている。だけど、そうすると単位を取るのは絶望的かななんて思ってもいる。でも、自分の性格だと、最後までやり合わないと終らないだろうななんて思い、なんだか面倒な気もしている。友人たちも、なんとか妥協しちゃいなよと勧めてくれる。
 でも私はなんだかどうして、またこうして大学みたいなところで学んでいるのだろうと不思儀な気持になる。一体何で今ここで何の為に学んでいるんだろうか。
 やがて、どうやら単位を取って、卒業らしい。気むずかしい教授も、どうやら私に単位をくれた。しかも、なんだか手渡しでくれたのだ。単位って、それこそ1円玉みたいな白い丸いものなのだ。それを私だけでなく、誰もいくつともいくつも袋にいれてもっている。
 卒業した私たちの同級生が、ある方向に向って歩いている。なんだかものすごい数の卒業生だ。やがて、その生徒の列は二列にならされる。なんだか判らないが、私もそのまま並んで歩いて行く。右の列に並んでいた私は、やがて右の道みたいなものに入ってまた左に向い狭い通路に入っていく。
 あるところから、たくさんの仏像のように並んで座っている夜叉のような顔した人たちの前を通らなければならない。彼等はまったくグレー1色の顔身体をしていて、絶えずぶつぶついいながら、両手を前に出して、私たちの身体を捕まえる。私は気味が悪くてしかたない。ふるえてしまうほど、怖いのだ。私の前にいる生徒が、この者たちの手に、さっき卒業のときに貰った1円玉みたいなものをつかませればいいことを教えてくれる。だから、この単位がたくさんないと、ここを通り抜けできないのだ。それにもう何百人という、夜叉たち(のような人)の数だ、全員にあげていたら、到底たりない。だから、ある人の手は払ったり、ごまかしたりして進まなければならない。私は誰にはあげて、誰の手は振り払っていいか判らないから、前の生徒の彼と同じようにやり抜いていく。
 やがて、やっとこのさわがしいモノクロの世界が終った。今度は大きな新幹線の中のような通路だ。外の世界が硝子の窓から見えている。だんだん、綺麗な世界になっていく。私たちは、そこを歩きながら、そこにいる人たちが出してくれる紙みたいなものを口に入れていく。赤や緑や青の原色の小さな紙に何かが書いてあるようだ。「これは何の薬、これは何」と渡すときに教えてくれているようだ。だが私には、さっぱり判らない。だが、また私の前にいる生徒が教えてくれる。これはこれから私たちの身体の為になるいろいろのいわば薬で、今すぐ口に含んでしまいなさいと。
 やがて、その薬の場が終ると、新幹線みたいな通路はますます外の世界が明るくなって鮮やかな綺麗な景色になってくる。私はこれから私たちがどこへいくのかさっぱり判らない。そのとき、私の後ろの生徒が初めて口をきいた。

 私たち、もうすぐ生まれるんですって

その声は、今の私の妻の声だった。
 そうだ、判った。私たちは、これからすぐ生まれるんだ。そして外へ出て、だんだんと過去の記憶を無くしていくころ、また新たに言葉を覚えて、また人間の世界を繰返すんだ。そうだ、前にも同じことやったじゃないか。 もう生まれるんだ。

 と、こんなところで、私の目が醒めました。なんでこんな夢を見たのか判りません。ただ、人間の赤ちゃんは、言語を覚えるあたりで、急速にそれまで持っていた記憶をなくしているようだという研究成果があるのだということを読んだことがあります。(1995.08.31)



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2010年11月10日

夢の中の日常「宗教を考えた」

10110912 何故か私は高校で教壇に立っています。なんの授業だか判らないが、中世キリスト教の話をしています。2人ばかり元気な生徒が盛んに意見を述べてきます。
 現代でも私たちがかなり強く興味をもっていることですが、人が死んでしまったあと、いったいどうなると中世のキリスト教では考えたのかというようなことです。極楽、錬獄、地獄などということをどのように彼等は考えていたのかなんて話をします。でも実をいえば、私はそこらのことはまだよく知らないのだなという思いがあります。
 ただ私たちは、どうしてかこの世に生まれてきてしまい、そしてまたいつか死ななければならない。それをどう考えるべきなのか、どう考えようと、過去の宗教家たちは言っているのか、というようなことを話合います。
 だんだん中世ヨーロッパの話から離れていきます。私は日本の宗教家は何だといっているのかというような話をします。禅宗でいう考えをいくつも箇条書きにしました。そして浄土宗の法然の言うことから、やはり親鸞に触れます。

 晩年になっていた親鸞は、「めんめんの計らいにまかせよ」といった。多分死とかいうことにも同じことではないのか。念仏をひとこと述べることにより、阿弥陀如来がその人に訪れるだろう。ただそれだけでいいのだ。愚者として、ただ阿弥陀如来にすがること、いやもっと言えば別にすがらなくたっていいのだといっているのだ。これがおそらくは、中世キリスト教の教えより、あるいは現在の「生」と「死」に関する論議の中よりも最も進んでいる考えではないのか。

というようなことを喋ります。ある生徒が述べます。

 こうして過去の宗教家なりが述べたことを考えたとて、まだ現代のほうが科学も進歩しているわけで、こうした「死」をどう考えるのかというのも、まだ現在のほうが進歩しているのではないのか。

 それから、ひとしきり、それならこうした過去の宗教家と現代人が対話できればさらにはっきりするだろうにというような話になります。しかし仮定の問題として、過去の人間と私たちが対話できるものなのだろうかということがまた論議になります。私は、私たちの側が過去の時代になかった事実とか、科学上のこととかを出して話していかなければ、充分対話できていくのではないのかというように言いました。そうしたときに、やはり親鸞は今も未来にも生きていける考え方ではないのかと話ました。
 E・H・カーの「歴史とは過去と未来の対話である」などという言葉をひいて話しましたが、このとき「ああ、カーがいうのはこういうことなのだな」なんて思ったものです。そして同時に解けたことがあったのです。
 私はこの授業の中、頭の中で複雑な図形のある三角形のある線分の長さを出すことを解かなければなりませんでした。それを頭の中で、ああだこうだと解いていました。ちょうどこの最後のころ、解答できました。5センチという答えでした。二つのことを同時に考えるのは大変だななんて思っていたものです。
 長い長い夢でした。夢の中であんなにすらすらと喋れた内容がいまはまた思い出せません。また夢の中であの生徒たちに会いたいものです。(1994.12.09)



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2010年11月09日

夢の中の日常「大学に入った」

10110704 私が長い間見続けている夢がある。何故か私はもう1度高校に入り直して、その長い高校生活を終え、大学に入ったところなのだ。私は高校は2度目だとは分かっていて、同級生よりは2歳年上のようだった。
 高校時代はかなり長くて、とくに授業の中では、物理と化学は訳が分からず、毎回眠ってしまっているような時間の過ごし方だった。前回どこか全寮制のような大学に入学できた。きょう見たのは、その大学の歓迎会のようなシーンである。
 私の席の隣に私よりいくつか年上の女性が来て話しかけてきた。どうも大学の職員かアルバイトのようだ。

 女性「キミがあの面白い子か」
 私「えッ!」
 女性「前に、今可愛い子が来たと言われていたから、顔を見たかったんだ」

 ここでいう「可愛い」というのは「幼い」というような意味で、私は昔は童顔だったから随分あちこちで言われたものだった。それでどう面白いことがあったかというと、それは前回の話なのだが、私はこの大学の寮についたときに、母が送ってくれた蒲団袋と寝袋が届いていたのだ。それを受付みたいなところで部屋へ届けてくれとたのんで、私はいろいろ関係のあるところへ挨拶にいき、飲んでしまっていたのだ。

 女性「いまどき、蒲団袋なんてもってくる学生はいないよ」
 私「だって、おふくろがもっていけっていうんだ」
 女性「だけど今はみんなベットだよ、どうするの?  それとあのときはどこへ飲みにいったの?」

 当日私は、かねてから知り合いのところへ挨拶にいったのだ。それはちょうど飯場か麿赤児さんの稽古場のようなところだった。そこで「ひさしぶり」と飲みはじめ、延々飲んでいたのだ。たしか4軒飲んだようだ。朝4時に寮に戻ったのを覚えている。

 私「あの日は、唐さんのところへ…………」
 女性「え、唐十郎?」
 私「いや、ええと李…………」
 女性「李さん、李さんなら知っているよ」

 私がなんで「唐」といったのか分からない。唐十郎さんとはお会いしたことはないのだ。李さんとは李麗仙さんのことでもない(李さんという友人はいますが)、私は年上で元気な女性にたたみこまれるように聞かれるのでなんだかよく分からず喋ってしまう。たしかあの日は麿赤児さんとは飲んで、あといろいろな人と会ったはずなのだ。
 そうしているうち、その女性は行ってしまう。元気で大柄で黒のノースリーブのワンピースを着た美人な女性だ。でも私はちょっと苦手だな。そうしたら、もうひとりの女性がまた隣に来た。私と同じか1つ位年下かなという小柄で白のブラウス来た女性だ。その娘が面白そうに話しかけてくる。

 その娘「あなたはどうして寝袋なんか持ってきたの?」
 私「いや、だってあれがあれば何処でも寝られるし………」
 その娘「でも、あの寝袋は………」
 私「少し、臭いんだろ、古いからね、でもあれは大事な寝袋なんだ」

 彼女の笑った顔が可愛い。それにしても、私の蒲団袋と寝袋と、朝4時に酔って帰ってきたことが、かなり話題になっていたようだ。
 ここらへんで目が醒めた。さてこれからの大学生活はどうなるんだろう。とにかく私はすべて2度目の経験なのだ。(1994.08.12)



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2010年11月08日

夢の中の日常「ピアノのある家」

10110616 私はある家に家庭教師にいっている。そこには可愛い6年生の男の子とそのおかあさんがいる。男の子は私を見るとうれしそうに笑ってくれる。
 私のために彼はピアノをひいてくれる。ああ、よくこんなにピアノがひけるようになったなと私は思っている。そこにはピアノの先生がいる。中年の女性だ。おかあさんが席をはずしたときに、そのピアノの先生と話す。

 ピアノの先生「あの子は小さいときには、ピアノがよくひけなかったんですよ。覚えています?」

 私は、そういえばこの子は小学校はいる前からピアノを習っていて、とくに幼稚園のころはピアノの鍵盤の配列がよく覚えられず、泣いていたのを思い出す。

 「そうだ、なんだかよく泣いていましたね。もうこんなにうまくひけるようになったのに」

 男の子がうれしそうに、私の手をたたきにくる。私も手をあわせる。ピアノの先生がいう。

 ピアノの先生「先生のおかげですわ。覚えていますか。彼がまだ小さいときに、先生がある方法をおしえてくれたんです。でもずいぶん昔の話ですわね」

 私は、ああそうだ、私がある方法を教えて、こんなに嬉しそうにピアノがひける彼になったんだと思い出してくる。そういえば、このピアノの先生とも、彼がそんなに小さいときから、この家で顔を会わせたんだと、たったいま気がつく。考えてみれば、そんな昔からときどき顔会わせるのに、こうして話すのは初めてのことかもしれない。そして彼女の顔に昔のあの頃はもっと若かったのにという表情を読み取る。
 だんだん私はいろいろなことを思い出してくる。そうだ、私はここにもう何
年も家庭教師にきている。この先生ももっと若かった。あの男の子も小さかった。これからまたここへ来たときに、またこの先生と会うこともあるかもしれない。でもまたこれから何年もここへくるのだろうか。
  そんなことを考えていたら、さきほど目が醒めました。(1994.05.12)



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「夢の中の日常」で「はじめに」に書いた文章

10110611 私の前のホームページはインターネット上からなくなりました。でもその中の記録がいくつもあるので、私のこのブログでも採録していこうと思っています。
 以下がその最初のページにあった文章です。

              はじめに
 私周は、長年睡眠時間は平均4時間ですましてきました。平均ですから6時間だったり、2時間だったりいろいろです。(これは私が25歳くらいのときから、今年4月までのことです。判ったことですが、要するに私が高血圧だったということです。57歳になった私は高血圧を抑える薬のせいで、1日7時間は眠る身体になりました)
 私はベッドに入って寝ると、次のような段階があります。

  1.目はつぶっているが、眠れていない。
  2.半覚醒状態で、さまざまなものを感じる。
  3.夢を見ている。夢はいつもオールカラーである。
  4.完全に眠っているらしい。

 2段階目の状態はけっこう辛いものです。私のまわりにいろいろな存在を感じるのです。ときにはそれがかなりな恐怖の状態にもなります。音が聞こえたり、存在が見えるような気持になったり、あきらかな何者かの存在の息を感じたりします。もちろんそれは、私の妻や子どもたちではありません。これは自分の家でなくても感じてしまいます。ちょうどかな縛りにあったような状態にもなります。
 でもとにかく眠らないとならないわけですが、その時には、いつも「眠るんなら夢を見なきゃ損だ」と思ってきました。そんな決意のせいかどうかは判らないのですが、3段階目の夢もそれこそたくさん見ます。そしてうまくいくときには、次の日にまた前の日の夢の続きを見ています。それと、どうしてか私がまたまったく同じこの日本なのだが、違う生き方をしている夢をずっとみているような記憶がかなりあります。そこの世界でもなんだか私はまた必死に毎日動きまわっ ているようです。(このことは、私は本当に私自身がこの宇宙では何人もいて、それどれ別な生活をしているのだというふうに思っています)
 そんな毎日たくさん見ています夢のほんの一部をここで披露していきます。本当は、もっと毎日詳細に書いていけばいいのでしょうが、なかなかそうもいきません。(夢を見たあと、すぐに内容を書けばいいのですが、そうしないとすぐに内容を忘れます)
 この私の見た夢を書いたのが、この部屋です。
 この「夢の中の日常」とは島尾敏雄さんの「夢の中での日常」を真似ました。私は夢の中でも、なんだか必死に懸命にいろいろなことをやっているのですが、なんだかそれが夢の中でも、私には「日常」になっているのです。
                            (2005.09.03)
 この頃、この私が夢を見た記録をより書くようになってきました。私のブログでは、

 http://shomon.livedoor.biz/archives/cat_714069.html 夢の中の日常

として書くようにしています。
 毎日見る夢をできるだけ記録したいのですが、なかなか出来ていません。目が醒めるともうすぐに忘れ果ててしまいますからね。
 でもできるだけ早く記録しようとすると、いくつものことに気がつき、いくつものことを思い出してゆけます。
 今後も毎日夢を見ていきことでしょう。できるだけ、その夢のことを少しでも記録していくつもりでいます。(2007.04.01)



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2009年08月11日

大きな地震で目が覚めました

123a1bb7.jpg 大きな地震でしたね。驚きました。ちょうど私は夢を見ていたところでした。昔の友だちの夢を見ていました。ところが、そこに大きな地震で、私の部屋の本箱がぎしぎし揺れます。
 目が覚めて驚きました。
 でも夢を見ていた友人に手紙を書きます。彼の夢は、ときどき見ていますね。


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2009年01月04日

夢の中の日常「ある調査機関の人との長い電話」

c86a903c.jpg

 12月下旬のある日、私がクライアントから帰ってきた午後3時代のときに、私のこのマンションの家の前に、40代前半と思える男が立っていました。私が、「あれ、なんでしょうか?」といいますと、名刺を出して、「A社ですが……」というのです。私は、「そんなのは電話で済む話じゃないの」と言いまして、家の中に入れました。でも彼はリビングに入っても座りません。ひととおりのことを聞いて、終わりです。「私が偶然帰ってきたからいいけれど、無駄になっちゃうじゃないか。電話で済ませてよ」と言って、帰ろうとする彼に、「ときにBさんは元気なの?」と聞きました。そうすると、驚いて、「Bは私の上司でした。でももう年齢が○○ですから退職しました。今C市に住んでいます」。私は「あそうか、でもお元気なのなら、良かった」といいまして、終わりました。10分くらいでしょうか。
 このB氏は偶然私が赤坂で務めた会社の親会社の採用したときの方だったのです。
 その彼から電話のかかってきた夢を私は見ていたのです。長く長く、私は彼と話していました。彼は、けっして誰にも合わせられる人間ではありませんでした。でも何故か、私を親会社の社長に会わせて、その社長も何故か私を気に入って、私が採用になりました。私が101社目に採用の面接を受けた会社でした。
 だが、その後私の経歴が判ったようです。たぶん、かなり後悔したことでしょう。その後、この会社グループは、人の採用に関しては、充分注意をするようになってはずです。たぶん、警察からの意見もあったでしょう。

 でも、夢の中でも長く電話で話していました。そんなに、思えば、私のいくつもの転職経験よりも、その前の学生のときの活動経歴のほうが重要なのですね。
 でも思えば、この彼にも手紙を書いてみるかなあ。もうたしか65歳だと思いましたね。
 電話の中でもお元気でした。そして私は彼が元気なことが嬉しい思いでした。

 思えば、もっといくつもの思い出が甦ってきます。あ、ある人に手紙を書こう、と思いました。

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2008年10月12日

この日曜日納品したいのだが

d8b1ad01.jpg さきほど義母に起こされたのです。でも私はちょうど夢を見ていて、その中でずっと作業をしていたのです。
 私は日曜日の朝だということが判っていました。そして私は電話をしていました。私も彼も40代後半です。彼の会社は有楽町駅前です。納品するのは、いくつものデジタル写真画像です。だから、私がメールで送れば、彼のほうでもプリントできます。
 でも彼はできないでしょう。彼はやっとパソコンが使えるだけなのです。
 でも私が自宅でプリントして届ければいいのです。でも彼の会社のビルは土曜日は入れますが、日曜日は入れません。だから、彼と、この日曜日の朝電話で話しているのです。ビルの管理会社の管理人に、無理に会社のビルと会社のドアを開けてもらへという話です。そうしたら、私が画像写真を届けるからという話です。そもそも、こんな急なことは彼のほうの依頼なのですから。
 そんな電話での話をしているなか、私は義母に起こされました。「なんだ、夢なのか」。しかし、夢の中の彼もインターネットで添付ファイルを受け取って、それを開けてほしいものですね。そんな簡単なことができない人ばかりな気がします。
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2008年09月27日

夢の中の日常「ひさしぶりのコピーライターの田口さんに会った夢」

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 本日私は午前3時55分に目が覚めました。その私が目が覚める直前まで、私は昔つき合っていたコピーライターの田口賛吉さんの顔を見ながら打ち合せている夢を見ていました。

 思えば、私はこの「夢の中の日常」ということで、自分が見た夢の内容を書いてきていました。でもこのごろは書いていませんでした。別に夢を見なくなったのではありません。でもなんだか、書かないままきてしまっていました。また私の見た夢のことは書いていくようにしたいと考えてします。

 この田口さんとは、1979年の秋に、私が赤坂の広告制作会社で、プロジューサーをやっていたときに、初めて会いました。彼は、「田口アドバンス代表田口賛吉」という名刺で、もう一人のグラフックデザイナーを連れて面談したと思います。
 その後はずっと彼とはつき合いました。彼が一緒にやっていたデザイナーが少し頼りなくて(真面目な方でしたが)、その後は彼だけでコピーライターとしてのみやっていて、そのときもずっと私の会社の広告コピーを依頼していました。
 私がこの会社を去ったあとも、私は彼とつき合っていました。
 私がこの赤坂の広告制作会社にいたときは、この親会社は少し大きな広告代理店で、ここの若い社員はみな大学卒に新人たちですが、彼らはもともと自分で広告制作をやりたいという思いばかりの気持を持っています。でも実際は、大学卒業しただけの人間に広告なんかまともに作れるわけがないのです。
 ただ、彼らもすぐにグラフックデザイナーは、到底自分たちにはできない仕事なのだということはすぐに理解するのですが、ことコピーライターというと、原稿用紙に字を埋めていくのですから、自分の容易にできるのではないかと錯覚してしまいます。これが実に面倒なことでした。
 クライアントと、私たちの連れていくクリエーターたちの間で、AE(アカウントエグゼクティブ)として振る舞えればいいのですが、ほぼ大学卒の子たちは、デザインは無理だけど、コピーならできると思い込んでしまいがちなのです。
 だから、もうそういう阿呆な若い奴は面倒でなりませんでした。だから、そこらへんは私がプロジューサーとして仕切らないとならないのです。
 そこらへんは、いつもこの田口さんには迷惑でご面倒をお掛けしたものです。
 でも私がこの赤坂の会社を辞めたあともお付き合いが続きました。神田会に属していただき、何度か会合にも来てもらったものでした。

 彼は千葉市に住んでいて、住んでいる住所に知っていましたが、のちに身体を悪くしたということを聞いていまして、その後連絡はとっていません。彼がホームページを開設したことはよく電話で話したものですが、そのホームページも今はないのですね。

 グーグルで、「田口賛吉 コピーライター」で検索すると、私のメルマガの他、彼のことが次で出てきました。

  http://www.stad-mg.net/cf/artist/artistmain/writers/taguchi.html
                      企業組合コミュニティフォーラム

 彼に関するデータは次のように出てきます。

田口 賛吉 たぐち さんきち
history 立教大学文学部科卒業後、1970年毎日広告社にコピーライターとして入社。ラジオ・テレビ制作部に所属し、森永牛乳、横浜プリンスホテル、ピジョン、山田うどんなど、ラジオCMを主体にコマーシャルフィルム、生CMなどを制作。その後、代理店や制作会社数社に勤務。1983年よりフリーランサーとして独立。

その他主な仕事先
銀座松坂屋、フジサワ名店ビル、高島屋、西武不動産、ライダース・パブリシティ、三菱農機、セイコー電子工業、NTT、集英社(美術書)、福式書店など

favorite works  ●コピー制作(新聞・WEBページ・雑誌・DM・パンフレット・チラシ・ポスター・案内状・POPなどあらゆる媒体、ツールなど)
●編集取材執筆(社内報・PR誌・会社案内など)
●テキスト入力(タイピング入力・OCR入力・音声入力)
●そのほか社史、自叙伝・自分史の執筆、支援など

comments 東京だけの仕事だけでなく、永年千葉での暮らしの中で蓄積してきた情報や体験を生かし、愛着のある地域に役立つ仕事をぜひともしてみたいと思っております。受け手と送り手との密接で、インタラクティブな関係が、これから強く求められると思います。

 思えば、私のほうから電話してみようかな。あ、でも思い出せば、何回か電話したけれど、連絡がつきませんでした。彼の行く飲み屋も新橋にあったので、そこも数年前に行きましたが、彼はしばらくきていないということでしたね。

 たしか彼は私より年上だから、たぶん現在63歳くらいですね。

 そして私は、夢を見た今朝、この文を書き出して、最初は「Tさん」としていましたが、この上のデータがインターネット上にあったわけで、それなら田口賛吉さんという名前も出していいのだろうと考えたものなのです。

 今朝の夢の中では、懸命に仕事の打ち合せをしていました。また、彼とは、仕事はできなくても、一緒に話をしたいなあ、なんて強く思いました。そんな思いを実現できるために、彼は私の夢の中で、私と懸命に話してくれたような思いがしてきたものです。

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2008年04月14日

夢の中の日常「中国語と日本語の語順」

6bac3291.jpg 今朝私は7時40分に目が覚めました。でもその寸前まで私は長い夢を見ていました。
 私は夢の中で、かなり大勢の中国人の子どもたち(といっても高校生くらいですね)に、日本語の国語の授業をしていました。
 いくつもの単文を作ってもらい、それを文節ごとに文章を切ってもらって、その文節を並び換えたのでは文章にはならないことを話します。中国語だと、そうではないことを言っているのですが、私の中国語の知識というのは、漢文の知識でしかありません。しかも好きな漢詩では、平仄があるのですから、私の説明はおかしいのです。
 そしてその文章を書いてもらって、それを文節ごとに切ってもらうというのは、実際に紙の上に書いて、それをハサミできって、黒板の上の大きな紙に貼っていっていました。
 でも思えば、あとで思い返すと、内容はその理窟が全く理解できないように変なのですが、でも夢の中では、私は丁寧に説明しています。
 でもあの中国人の若者たちの笑顔が素敵だったことを思い出します。
 いつもこうして、どうしても訳の判らない夢ばかりを見ています。
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2008年04月03日

夢の中の日常「北浦和の階段を登りながら」へのコメント

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 夢の中の日常「北浦和の階段を登りながら」へ、ナミちゃんから次のコメントがありました。

1. Posted by なみんと    2008年04月03日 14:22
とっても現実味がありますね。
私がかって惹かれた光景です。
北浦和の東口は今はどうなっているんでしょうか〜。

 コメントをありがとうございます。そうですね。北浦和もずいぶん変わりましたよ。北浦和東口では昨年の浦和会の忘年会をやりました。私はもうそんなに飲めない身体なのですが、そのときは、夕方から、翌日朝まで飲んでいられました。これで判ったのが、一気に急激に飲むのはいけないということです。ゆっくり落ち着いて飲めばいいのですね。思えば、昔からなんだかいつも焦って飲んでいたものでした。なんだか、先に飲まないと、相手に先に飲まれてしまうのですね。思えば、埼大の関係の飲み会で、すべてこういうクセを付けてしまったのですね。だからいつも焦って急速に飲むクセがあるから、いけないのですね。
 今年の1月には、北浦和の埼大跡の浦和近代美術館にも行きました。懐かしくて、そしてやっぱり少し哀しくて、たくさんの思い出が甦ります。
 この夢であったようなことが、現実の世界でもいくつもあり、そんなことをずっと思い出していました。

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夢の中の日常「北浦和の階段を登りながら」

49063a20.jpg 義母を妻が送るので、御前10時少し前に、私の部屋の前を「では行ってきます」と出て行きました。妻は義母を送ってそのまま会社に行くのです。私と一日交代でやっています。だからこういう日は、私がどこかへ出て行ってしまうこともあります。この代わり午前義母を送った逆のもの(私か妻かどちらか)が午後5時すぎに義母の帰りを迎えます。
 私は、きょうは02:05〜06:15の睡眠だったのですが、眠り足りなかったのか、義母を送ったあと、10時25分から36分まで、ついこのままパソコンの前で眠ってしまっていました。
 そこで夢を見ていたのです。
 私は北浦和で、埼大の後輩のむつめ祭の常任委員の人たちと北浦和駅に向かっています。私は埼大と北浦和を結ぶ通称学バスには、1967年の12月15日から、乗ったことはありません。当時この学バスが乗車料金が20円から30円に値上げされたときに、「バス代値上阻止闘争」をやりまして、乗車拒否を続けて、その後も一度もあのバスには乗っていません。いつも、歩いたり、自転車に乗ったり、いろいろなことでこの北浦和と大学間を通っていました。もちろん、卒業後も同じです。
 だから、たぶん、多くのむつめ祭の後輩たちとは、バスに乗って来た後輩たちと、この駅前で再会したものなのでしょう。
 ところが、この駅前で、私の知らない男と口論になり、その男が私に殴りかかってきます。私はわけが判らないながら、殴り返します。そうすると、私のむつめ祭の後輩たちが怒ってその男を目茶苦茶に殴ります。私が止めて、その場はおさまります。
 北浦和の東口の飲み屋に行こうと、駅の階段をのぼりはじめます。私はさきほど私に殴りかかってきた男と並んで階段を登ります。「さっきはごめんな」と私が声をかけると、彼は、「いえ、私のほうこそ申し訳ありません。あの…、あなたが萩原さんなんですか」、「そうだよ」、「あ、本当に申し訳ありませんでした」、「ああ、いいよ。一緒に飲みにいこうよ」…………、こんなところで目が覚めました。10時36分でした。
 思えば、こうしたことが何度かあったものでしたね。懐かしいことです。そしてそれを実にリアルにさきほど夢に見ていたものでした。
 私よりはるかに大柄の、そしていい顔をした男の子でした。またあの男の子とも仲良くなれるのでしょう。
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2007年08月30日

夢の中の日常「数学の先生たち」

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 私はさきほど午前3時に目が覚めました。その直前まで長い夢を見ていました。
 私は以前、進学教室をやっていたわけなのですが、とくに、最初の年から何年(たしか2年間かな)、松戸教室で中学校の数学を教えてもらったS君と夢の中で会話していました。でも現実の世界では彼と会話したことはありません。彼はどこの大学の学生だったのかなあ。思い出せません。ただ彼は、最後に「就職は消防夫になる」というようなことを言っていたのを思い出します。
 夢の中で、私はみんな数学を担当した人たちのことを思い出していました。とくに、現実の世界では会話する機会のなかったこのS君と長くお話していました。
 もともと、教室が千葉教室、船橋教室、市川教室、松戸教室とありまして(最初の年は東京にも教室がいくつもありました)、講師が実にたくさんいたわけですが、それを私がすべて選考して、配付していたものでした。かなり大勢の講師がいました。だからもちろん、生徒もたくさんいたわけです。
 どの教科もすべていろいろな面白くそして能力ある講師の方々でした。その中でも、私はこの夢の中で数学を担当した人たちと会話し、またたくさんのことを思っていました。

 でも何で、あんなことを思い出していたのかなあ。現実の世界では、あの講師の方々は、実際の教員になった方もいるし、全然違う職業についた方もいます。みんな私よりわずかに年下ということだったから、もうみなけっこうな年になっているんですね。
 いや、今思い出していけば、数学の講師ばかりでなく、他の教科の講師の方々も思い出してきました。みんなどうしているのかなあ。
 インターネットの世界になったら、彼等と再会できるとばかり思っていましたが、それはかないませんでした。このことはとても残念です。

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2007年07月26日

夢の中の日常「古い友人たちと会った」

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 私は毎日夢を見ています。そしていつも、かなり驚くような夢の内容なので、ここで書いておこうと思いながら、いつもそれが果たせていません。朝起きたときに、その内容を少しでも書き出しますと、だんだんその記憶が鮮明になってくるわけですが、書かないと、その記憶はやがて忘れ果ててしまいます。
 さきほどまで見ていたのは、東京のあるところ(たしか港区か品川区だったような)の大きな古いビルに、私の小学校6年(名古屋北区の大曽根小学校に行っていました)のときの友人のW君が中心になって、大勢の若者がインターネットに関する何かをやっているビルでした。
 ただ、それをやっている若者たちは、パソコンもインターネットもさほどうまく使えるわけではありません。でも懸命にやっています。
 私もすぐにパソコンに向かいましたが、そもそも、その若者たちのやっていることは、本来このままだと何もならない、何もできないことと同じだということに気がつきます。
 でもそれをW君に伝えようとするのですが、W君はそのことを言葉に出さないでくれと私に目で伝えます。おそらく、これだけの若者たち(みな多くは不登校の若者たちのようです)を支えていくのには、こうしてパソコンで何かを作っていくという作業が大事なのでしょう。

 ただ私は、ここのたくさんの若者たちといくつか会話しただけではありません。やがて、そこにある女性がいることに気がつきます。その女性は、私が鹿児島の甲東中学2年のときから好きだったLです。
 彼女のことはずっと好きでしたが、鶴丸高校から横浜の高校に転校して、3年のときに修学旅行で九州に出かけて、鹿児島で彼女と会う約束を私はとりつけました。でも当日約束の場所に彼女は現れませんでした。このことは、私には現実の世界で大変なショックのことでした。
 でも、このことを、このとき何故彼女が私との約束の場に来れなかったのか、この夢の中で彼女は謝ってくれました。その理由は、実に大変に悲しいことがあったのです。でもとにかくみな夢の中で彼女が語ることです。そして現実の世界では、もう41年前の話です。
 実際に、あの41年前に何があったのかは、もう判らないことになってしまいましたが、夢の中で、「なんだ、そんなことがあったのか」とその辛い事実に悲しくなっていた私です。
 そして実に長い夢でした。ただ、この彼女の顔は今も鮮明に思い出されます。
 ただし、何もかもが夢の中での話です。

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2007年07月12日

夢の中の日常「私は大阪のヤクザの下っぱだった」

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 ついさっきまで見ていた夢です。
 私は大阪弁をまるだしにする兄貴のそばにいました。それで、その兄貴にもさらに上の兄貴にあたる(だから私には叔父貴になるのかなあ?)人から、取立てを頼まれました。それも、どこからかその取立ての権利をもらってきたものです。
 兄貴は、私ならうまく取立てできるだろうと考えているようです。すぐに相手振り出しの手形を手に入れて、兄貴が裏書きして、叔父貴に渡します。叔父貴は同額の手形を兄貴に渡します。もうこれが私によってすぐできるように、みんな思っているようです。
 ただ、問題は、この叔父貴がとても今身体が悪いことです。とても好男子な叔父貴なのですが、もう飲みすぎで、あぶないのです。だから兄貴は、その叔父貴の奥さん、兄貴には、自分の兄貴の姐さんのことを考えて、現金化できたら、すぐにそれを姐さんが手にしないといけないと考えているようです。
 さて、私がこれから行くわけですが、私もその交渉はうまくできる気になっています。問題は、集金できても、そしてすぐに現金化できても、それを叔父貴が手にするのではなく、姐さんに渡さないといけないのです。
 そんなことを兄貴と打ち合せて、そのまま実行しようと始めるというところで、私の夢は醒めて起きました。午前3時45分でした。

 またあのみんなに遭えるかなあ?

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2007年06月25日

夢の中の日常「ボードセーリングのどこかの大会で」

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 きのう夜10時35分に眠りました。だがすぐに夢を見て、それですぐに起きてしまいまいました。なんだか、なぜこんな暗い夢を見るんだろうと思いましたが、その原因は判るような気持になっていました。私のその直前の心構えみたいなものが、少し違う方向を向いているとよくないのだなあ、なんて思ったものです。
 それで朝は4時25分に目が醒めました。私はその直前まで長大なる夢を見ていました。
 私はボードセーリングの世界にいたことがあります。それに関連しているのかなあ、という夢でした。

 どこかの海辺に私はいます。たぶん、湘南か、千葉県の外房の海でしょう。ボードセイリングの何かの大会が行われています。でも今考えると、あの大会の様子から、行われている競技はロングディスタンスではなく、短いコースのスラローム競技ですから、あれは外房の海ですね。でも暑い日光と強い風を感じていました。
 でも長い夢だったのに、今この時間になるとどんどん忘れています。なんだか、自分の体験した海の思い出といくつかの大会での思い出の中で、いくつものことが夢の中の映像の中にも出てきて、もうたくさんのことを見ていました。
 鎌倉行きまして、例えば、昨年10月に長谷寺から沖を見ていると、いくつものボードセーリングのセーラーが見えました。でも少し雲っていたから、そもそも、その海にはいくつものセーラーが浮かんでいるんだということを知らないと見えないのです。
 そのときのいくつもの思いが、今朝の夢の中でも出てきたことでした。

 でも夢の中でも、私は海を見ていただけだったなあ。そしてたくさんのことを思い出していただけでした。もう海にも入らないし、大会を運営しているわけでもありませんでした。もう私も歳をとったんだなあ。

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2007年06月08日

夢の中の日常「後輩の就職の話で」

27451e11.jpg 私は大学卒業時いわゆる普通に就職活動ということをすることはありませんでした。だが私の後輩の時代ですと、そういうことも出てきます。ちょうど私よりも6年くらい下の世代からは、就職活動をするというのが普通になったように思います。いや、もっと上からそうなのかなあ。私が知らないだけなのかもしれません。
 今朝まで長く見ていた夢は、その私の後輩らしき人の就職活動の話を聞いているという夢でした。と言っても、今の私には、その後輩がどんな顔をしていたのかもうさっぱり判りません。でも、就職がうまく行ったというような話でした。
 私の大学の中で、彼は学園祭(むつめ祭という名前です)のみを熱心にやっていたというようなことのみで、就職活動をしています。それは特別にサークル活動でもないが、学園祭字体を仕切るということを熱心にやっていたということにみを就職先の相手には言っていきます。それが相手には、実に興味深いこととして、聞こえています。
 でも私には少々不安もあります。「それだけでいいんだろうかな?」。後輩は、大学の成績のことも一切気にしないで、学園祭を仕切ってやりきることばかりをかけていた、それが相手にはよく通じていたということばかりをいいます。
 私は、半ばそれはよく判るし、実際の企業でも学校の成績よりも、そういう能力をこそ求めるところもあるのだろうということは理解できるのですが、そればかりを主張していてもいいのかなあ、という不安もあるのです。
 でもでも、今それが明確に判った気がしています。思えば、彼には、そのことしか自分を主張することがないのです。彼の大学生活はそれだけなのです。だから、大学での成績云々の話になると、困ってしまうのです。そもそも、そんなことに興味はなかったし、大学4年間で、どんなイベントを実現していくか(学園祭というのは、その学園祭の時期だけにやるものではないのです)ということにかけていたという主張が、たつた今私にも大きなこととして理解できたような思いがします。
 こんなことを夢の中で、何度も反芻するように聞いて理解していけた私だったのです。
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2007年06月07日

夢の中の日常「沖縄の夢を見る」

f1b1efb0.jpg 今朝私は長い夢を見たあと目が覚めました。このごろは、自分のやっている仕事に関係する中でそれを急いでいて、それで焦っている夢を見ていることが多いのですが、今朝私が焦っていたのは、夢の中で沖縄のヤクザの闘いの中で、非常に焦っていました。なんであんな夢を見たのでしょうか。いや、これはいつも夢が覚めたあとに、不思儀になるわけですが、でも沖縄のヤクザ戦争の話なんか、私には関心の外のことなのですが、なんでだろうな。
 東映のヤクザ映画の中でも、この沖縄のヤクザ戦争のことは扱われています。沖縄のヤクザが、本土のヤクザに系列化されていく中で、それを受け入れる側もいれば、それに激しく抵抗していく側もいます。
 そして系列化されていく側も、それに反対する側も、あるところで、沖縄の目で、自分たちの闘いを見つめているところがあります。
 そんなことをこの夢の中でも確認するように見ていました。
 でもたった今の私は、さきほどまで見ていた夢の中で、いったいどっちの側で戦っていたのかなあ。あれほど激しい夢だったのに、今では何もかも忘れてしまいました。
 おそらく私は、夢の中でも、それを見ているだけの立場の人間なのではなかったかなあ。そんなことがしきりに思い出されます。それを見ているだけなのだが、沖縄の目で、非常に哀しく悔しい思いで、見ていた私でした。
 目が覚めてみて、ただただ、その世界が懐かしい思いと、そして、そこから遠く離れている自分を思います。
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2007年04月01日

夢の中の日常「ブルータスの結婚式の夢を見た」

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 ブルータスが結婚式をあげたのは1週間前の3月25日です。そして、25日の朝に籍も入れたとお母さんが報告してくれていました。
 でもそのときも、その後もただただ忙しさにかまけてブルータスのことをなかなか思い出していられませんでした。
 さすが昨夜は夜9時40分に眠ってしまいました。昨日は、午後2時少し前から、王子の音無川親水公園と飛鳥山公園を、長女夫妻とポコちゃんと妻と、ミツ君のお母さんと一緒に歩きました。もう大変に桜が綺麗でした。
 こうして歩いて、私は疲れたのかもしれません。とにかく、ただただ眠りました。

 そして夢を見ていました。私はブルータスの結婚式と披露宴での姿をずっと見ている夢を見ていました。ブルータスは結婚式では純白のドレスを着ていました。もう大変に手間と時間をかけて(インターネットでも必死に探して)、自分で購入していました。
 それがとってもブルータスには似合っていて、とても綺麗でした。
 そしてお色直しでは、着物姿で戻ってきてくれていました。これがとっても可愛かったのです。
 でも当日は、なんだかどちらもよく見ていることができませんでした。

 それが夢の中では、ドレス姿の綺麗なブルータスも、着物姿の可愛いブルータスも、両方をちゃんと見ることができました。
 夢の中で、私はただただ嬉しい思いの中で、ブルータスを眺めていました。「おめでとう。よかったね。必ず幸せになれるよ」と私は心の中で呼びかけていました。

 そんな夢を見ていて、嬉しくて、そして少し涙も出てきて、そして私は5時20分に目が醒めました。ああ、もうあの日から一週間目なのですね。
 ブルータス、おめでとう。パパはとっても嬉しいです。

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2007年03月31日

夢の中の日常「あるクレーム」

c3c832e2.jpg 私は今朝夢の中で、私より年上の方の「パソコンソフトが使えないじゃないか」というクレームで電話を受けていました。
 その方とは電話で話しているのですが、顔は見知っている方です。たしか漢字で2字名のソフトウェアでした(いくら思い出そうとしても、その漢字名が思い出せない)。
 だが私は、ソフトを作る能力もないし、私のその夢の中でも私の部下がソフト制作を受けたわけでもありません。間違いなく彼の勘違い、誤りなのです。
 ただものすごい怒りのクレームで、私が「それはもともと私のところでは受けていませんよ。どっか他に頼んだんじゃないの。第一私はソフトなんか作れませんよ」と言う暇を与えてくれません。
 実は、私にはそんなクレームの電話を聞いている時間余裕はないのです。そのあと、開かれる大きなミーティングの司会進行を私がやることになっていました。
 それは大事な会議でした。それでこの会社の進路を決定するべく、経営陣が考えているもので、そのために、私が司会進行役として選ばれたのです。私はその司会役には自信がありました。私は「こういう会議も、思えばやっぱり大事なのは、『政治』だからな」なんて思いがあり、かつそういう考えを抱いてしまう私自身のことを、「やっぱり問題あるなあ」なんても感じていました。
 そんなことをしきりに考えながら、もう断然とこの電話を切るかと思い出していました。だが突如切ったら、私より年上の方だから失礼だしなあ、でもこの勘違いはひどいものだなあ、なんて考えていました。
 そんなことを思う中、私の目が醒めました。朝の7時でした。
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2007年03月30日

夢の中の日常「私はある女性を殺していた」

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 この夢のことは書かないでおいておこうと思っていました。
 でも今朝見ていた綺麗な夢のことを書いたことで、「あ、あの嫌な夢のことも書いておこう」という気持になりました。
 たしか1カ月くらい前です。

 私は夢の中で、ある女性の首を両手で締めていました。私はその手を緩めませんでした。別のその相手が憎いわけではなく、でもどうしてももう殺さないとならないという思いでした。
 そして私は夢の中で、その首を締めている相手の女性が、実は私自身であることに気がついていました。私は実は、私自身を殺そうとしていたのです。
 相手の女性は、抵抗することもなく、静かに殺されていきました。その相手の女性の穏やかな顔を今も思い出します。その穏やかで綺麗な顔を今も思い出します。でももう私は後戻りはしないのです。
 私にも孫が出来て、そしてとても可愛い。そして次女ブルータスが結婚しました。ブルータスはとても綺麗で可愛かったです。
 もう後戻りはできないのです。私はもう戻ることはしないのです。

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夢の中の日常「とても綺麗な夢を見た。心の中にデジカメがあればなあ」

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 私は今朝までとても綺麗な夢を見ていました。その夢のことをまた夢の中で考えていて、目を開けたくありませんでした。目を開けたら、その夢の綺麗な画像を忘れてしまうからなのです。
 夢は現実に私たちが見ている風景人物ではなく、私がアニメ映画を見ている夢でした。ただし、アニメと言っても、これを描いた人はとても絵の上手な方だと思われる絵であり、動画でした。
 夢の中では、おもちゃのような鉄道が走っています。煙をはく蒸気機関車が長い車両を引っ張っています。そしてその各車両にはたくさんの人が乗っています。その人たちがたくさんの人たちが窓から顔を見せています。
 そしてその顔はみんな笑顔で(でもしかめっ面している頑固な顔のじいさんもいました)、その笑顔をこちらに振り向けていてくれます。その顔は現実の顔ではなく、みなアニメの可愛い顔なのです。
 汽車が走っているのは、緑豊かな田園です。小さな街も走ります。小さな河も、小さな鉄橋の上も走ります。

 私は夢の中で、これは夢なんだと判っていました。でもその夢をずっと見ていたい思いです。最後に、その夢の中で私が見た画像を、大きく全体を見せてくれました。あ、汽車はここをこんなに走っていたんだ、そしてだからあんなに笑顔を見せてくれていたんだ。あのしかめっ面しているじじいは、多分少し汽車の速度が怖かったのかな、なんて私は夢の中で思っていました。
 野の緑も綺麗で、青い空も綺麗でした。

 私は夢の中で、「あ、私の心の中にデジカメがあれば、これを撮るのになあ」と思っていました。長い長い夢でした。
 私はもうこの夢を見た思いに嬉しくて、この夢の各場面を思い出す夢を見続けていました。目を開けたくない、目を開けると、あの綺麗な画像を忘れてしまうので、目を開けたくありませんでした。
 でも目は開けないとなりません。目は覚まさないとならないのです。

 そして私は現実の世界に還ってきました。

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2007年03月09日

夢の中の日常「何人ものデザイナーを使っていた」

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 さきほど6時30分(もう食事していろいろやっているので、時間が経ちました)に目が醒めました。
 私は長い夢を見ていました。私はある会社でグラフィックデザイナーを6人ばかり使っているプロデューザーでした。その使っているデザイナーに関することを考え悩んでいることばかりの夢でした。
 私は実際に、広告制作会社にいて、プロジューサーであったことがあります。「ゼネラルプロジューサー」の名刺で動いていました。でもその現実の私の思い出では、私は実に大量の広告制作物を作ることに日々呻吟していました。そして私は、とくに印刷物の金銭管理が主な仕事であり、実際に粗利を稼ぐことが一番にやるべきことでした。
 たださきほどの夢の中では、実際に広告物を作るグラフィックデザイナーの人事的なことが一番私の悩みでした。
 そこではデザイナーの社員の中で、3番目に古い存在である若い女性がどうしても私とは気が合わない感じでした。でも私は夢の中でも、もう彼女の力を認めています。なんとかそのことを伝えたいと思っています。でもそれは私の心の中だけで、どうにもうまくいきません。
 このことを、彼女の次に入社してきた男性のデザイナーが私をフォローしてくれています。彼女と私の仲をなんとかとりついでくれるのです。私はとても彼に感謝したい気持になっています。
 でも、この彼の顔を思い出しても、「現実には会ったことがないなあ」と思っていましたが、あ、今思い出しました。彼はあの当時大阪支社に入ってきたデザイナーでした。でも私は彼とは会話したことなんか、ほとんどないのです。それでも夢の中ではなぜか彼の心が判る感じでした。
 それにしても長い夢でした。
 そして夢は、現実に起き出してしまうと、その内容を急速に忘れてしまいます。
 ただ、私は少しは思い出そうと、こうして少しメモをしただけです。

 なんで、こんな夢を見たのかなあ。昨日は、あるクライアントで打ち合せして、それからある税務署で重要なお話をして、また別なクライアントへ行きました。そしてそのあと、秋葉原のヨドバシカメラに行こうとしましたが、秋葉原駅で、「ああ、きょうはビックカメラに行こうと思っていたんだ」と方向を変えて有楽町へ行きました」。ここでまたインクを購入して、スカイプのマイクをいくつも比較検討していました。このごろ、スカイプで話すことが多いので、コードレスマイクが欲しいなと思っていたのです。
 そして地下鉄の中では、長谷川慶太郎の本を読み終わり、ひきつづき佐藤雅美「お白州無情」を読んで、「これを読むのは辛いなあ」なんて思いの中で、何度も本をとじていました。
 家に帰ってから、夜9時すぐに、長女の部屋に行くと(ああ、私のクライアントの社長ご夫婦から、孫誕生へのプレゼントをもらい届けたのでした)、「パパしばらくポコちゃんを見ていて」というので、懸命に可愛がっていました。
 きのうは、そんなことばかりで、そんなことに関心があったのに、夢の中では、それらとはまったく関係ないことの夢をずっと見ていたわけです。

 でも不思儀だなあ。あの会社(私の夢の中での会社)には、パソコンがなかったなあ。そうすると、もう随分昔の制作会社だったのかなあ。そうだ、夢の中の私も若かったものなあ。

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2007年02月24日

夢の中の日常「8科目ってなんだったのかなあ?」

07022303 今朝私は夢の中で目を覚ましました。ちょうど目が醒めたのが朝7時20分でした。

 私は夢の中で高校3年生で、私は転校してきたばかりです。そして私は下宿しています。そして転校してきたばかりのときに、ちょうど大学入試の模擬試験がありまして、私はその結果が判ったばかりのときのようです。
 私は転校してきたばかりで、試験があまり出来なかったなという思いで、少し悔しい思いでいます。下宿先のおばさんが、「どうだった?」と聞いてきます。そのおばさんは昔私が実によく知っていた方です。

 私は少し肩を落として、結果の報告用紙に目を落としながら、「ええと、ダメでしたよ。全校で8番でした」といいます。「ああ、そうなの。転校してきたばかりで大変だったのにねえ」と言ってくれます。私は、「でも、こんな番じゃなあ」という思いで、少々自分に情けなく思っています。「いいのよ、でもうちの子は7番だったの」と言ってくれます。
 そこの家にも同じ高校の同級生がいるのです。とても美人の女の子です。私はそのおばさんの声で、すぐにその子の顔を思い浮かべました。セーラー服のよく似合う綺麗な女の子です。
 私が転校してきたのは、その県でも成績優秀の高校なのです。でも今私は、「その県って、どこの県なんだ?」と自分に問いました。もちろん、今では判りません。1時間以上前の夢の中の話です。そして私はどこから転校してきて、そしてなんで下宿しているのでしょうか。
 さきほど起きてきたあとで、歯を磨きながら、「そういえば試験の8科目って、なんだ、社会科が世界史と日本史で、理科が……、あ俺は理科は生物だけだしなあ、国語が漢文もあって……なんて」考えて、もうその先を考えるのは止めました。
 でもあの下宿先の同級生の美人の子のことは、その顔姿を私が思い浮かべただけで、実際には夢の中では会っていません。会ったのは、そのお母さんだけです。

 私も現実の世界で、転校しました。鹿児島から横浜へです。先に横浜に来ていた両親が、転校先の高校を選んでくれていました。でもその高校でも編入試験は7人に一人で私が選ばれただけです。でもそのときに面接してくれた先生の聞いてきたことは今も覚えているなあ。

 夢の中での、あの綺麗な女の子に会うことはできないけれど、そして、それは当たり前ですが、今の私は、あのお母さんとまた少しのお喋りをしたい思いがします。
 そしてそして、夢の中のことでしたが、あのお母さんにはまた会える気がしています。

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2007年01月19日

私はある会社で人を募集している

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 私は今朝7時35分に起きました。その寸前まで長い夢を見ていました。

 私はある会社で、保母を養成する仕事に関するコピーライターをやっています。これは実際に私が27歳の頃やっていたことです。
 でも夢の中では、実際にその広告を書くことよりも、その私の勤める会社に社員をどうやって多く新規採用するのかということに必死でした。なにしろ、より多くの社員がほしいのです。
 もうなんだか必死でした。より多くの若い社員がほしいことと、でもなかなかいい人材はいません。そして会社の上層部からの要請は執拗です。
 私は多くの若い女性に、この仕事が何故素晴らしい職業といえるのかを必死に話しています。それらの方々は、まずは私の広告コピーで集まられた方々なのです。この方々の中からまずは多くの人材を選ばなければなりません。

 私は「教育」ということで、かなりいろんな話をしていきます。魯迅の話も長く展開します。
 その必死に私の喋る口調の中で私は目が覚めました。

 でも長い長い夢でしたが、なんだかほとんは忘れてしまいました。

 ああ、今すぐに出かけるので、詳しく書いていられないのが残念です。

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2007年01月03日

夢の中の日常「シラー、○○」

高村光太郎
 さきほど、私の義弟からメールがありました。私の孫が生まれたことへ「おめでとう」もありましたが、他の用もありまして、それは重要なので、私は印字しました。
 それが私がプリンタに置いてあるヤレ紙の上に印字したのですが、私がメモしたあとがありました。私の妻が、「あれ、これ何書いているの?」という言葉があり、初めて思い出したのです。そのメモには、「シラー、○○」と書いてありました(今またこのメモがないので、○○がなんだったか判らない。「群盗」と「ワレンシュタイン」ではなく、別な言葉だと思うんだがなあ)。

 それは私の今朝のことです。私はまた夢を見ていました。いつも私はそれを「夢の中の日常」に書いておきたいのですが、いつも忘れてしまいます。だから、朝起きたときに、少しでもメモしておいて、書き出せば明確に思い出してこれるのです。
 私が朝思い出したのは、ゲーテに関する夢と、シラーに関する夢です。しかもその夢はまったく別々な夢でした。私はゲーテはかなり読んできていますが、シラーはその作品をひととおりに読んだだけなのです。
 でも、シラーの夢を見た思いが鮮明にあり、そしてその直前にはゲーテの夢を見ていました。だから、「これは、ちゃんと書き残そう」と思って、そのメモを起きたときに書きました。
 でもすぐに、自分の孫のことで電話があり、そのことでもういっぱいになってしまいました。

 その後夜になって、私のメモを妻にいわれて、「あっ」と鮮明に思い出しました。
 でももっとちゃんと思い出すべきですね。

 ただ、その思い出すことの最初に、こうして、これだけをまず書いて置きます。

 なんとなく、「シラーって、ゲーテの親友としてではなく、明確に大きく存在しているんだなあ」なんていうことを夢の中で感じていたことは今鮮明に思い出せます。

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2007年01月02日

夢の中の日常「私の初夢」

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 今朝夢をいくつも見ていました。たくさん見ていたので、なかなかちゃんと覚えているものはないのです。でも比較的記憶があるのは、義母の夢です。きのう私は我孫子へ行きまして、母とお喋りしました。
「もうずっとあちらのお母さんと一緒にいるんだよ」と話しかけました。母もかなり呆けが進んでいますが、私の話はよく聴いてくれます。まえには、「お前は、あちらのお母さんには嫌われているんじゃないんだろうね」と言っていたのが、今は何度も私が同じことをいうので、判ってくれたのかな、と思っています。
 その義母が私の夢の中に出てきました。夢の中の義母は現実よりももっと若くて私を見て笑顔で話しかけてくれます。「ああ、お母さん元気になったなあ」なんていう思いで目が覚めました。

 そしてまだ朝早いので、また私は眠りに落ちました。
 今度は、私の友人の昔日大全共闘だった彼が話しかけてきます。
 ブログをやったけれど、前にはうまくやり続けられなかったけれど、「今度は続けられるよ」といいます。私は嬉しくなって、たくさんのことを語ります。こういうふうにやっていけばこのまま続けられるよ、ということを私は話続けます。
 私は嬉しい思いでいっぱいになっています。彼はたしか今年で60歳になるんじゃないかなあ、なんていうことを夢の中でも思っています。私は今年誕生日を迎えれば59歳になるのです。

 そんなことをしきりに思っているときに目が覚めました。
 もっと細かいことをさきほどまで覚えていたはずなのですが、忘れてしまったなあ。起きたときにすぐ書くべきでしたね

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2006年12月27日

夢の中の日常「きょうから新学期が始まる」

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 私は夢の中で、進学教室の理事長をやっています。でも理事長といいましても、その進学教室はもう小さな規模でしかありません。
 新学期が始まるこの日、何人かのスタッフとアルバイトの講師と打ち合せをやっています。どういうふうにやっていくのかという確認の打ち合せです。

 私は実際に船橋に本拠を置いて進学教室をやっていたことがあります(ただしもう20数年、30年近くが経過しています)。日曜日のみの教室を千葉、船橋、市川、松戸で開催し、毎日夕方からの教室を船橋と松戸でやっていました。私は当初月曜日だけがお休みでしたが、そのうち月曜日は松戸へ行くことになって、休みの曜日はなくなるということで、やっていたものでした。
 夢の中での打ち合せが終わる頃、あるおばあさんが始めての小学4年生を入会させにきます。ああ、あれはお兄ちゃんが小6の生徒の弟だなとすぐ気がつきます。すぐにスタッフの女性が出て、応対しています。私も簡単な挨拶をします。おばあさんは私を信頼しきっているようです。だが、現実の私の心は、そんな信頼感に実に気がとがめているところもあります。「俺なんかでいいんだろうか?」

 いよいよ授業の開始です。私は「あれ、○○が来ていないな」と思い、突如気がつきます。「あ、俺はどうかしている。彼はきょうは松戸で、同じく新学期の開始なんだ」。そうです。きょうは、同じく松戸でも授業の開始日の新学期なのです。

 私は当初は理科を担当していました。だが、理科を教えるのは大変なのです。開成中学のあるときの理科の問題で、こういうのがありました(これも夢の中で思いだしているのです)。たしか以下のようでした。

 ある飛行機に乗っていたら、それが事故で、ある島へ不時着した。そこで棒を立て、その棒の影を見たら、このようになった(「このよう」というのはちゃんとその軌跡が書いてあります)。ここは一体地球上のどこで、そしてその棒の軌跡はこのあとどうなるのか。それを答えなさい。

 この問題で場所は、南回帰線(だから私は真っ先に「ヘンリー・ミラーかと応えたものでした)上の島というのはすぐに判るのでしたが、その後の棒の軌跡というのは、私には難しいのです。いや、講師でも実際に理科を教えていた小学校の校長先生や現役の先生でも、この棒の影の軌跡の答えがみな違います。

 でもそんなことを私は夢の中で思い出しながら、「○○が何故来ないんだ?」と私が思ったことをしきりに反省しています。「もう一つ大きな教室があることを、俺自身が忘れている」ということの反省です。でもきょう、あの4年生を新しく入れてくれたおばあちゃんの笑顔を思い出しています。その信頼に応えなくてはならないのです。

 そんな思いの中でさきほど目が覚めました。朝の6時でした。

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