夢の中の日常

2009年08月11日

大きな地震で目が覚めました

123a1bb7.jpg 大きな地震でしたね。驚きました。ちょうど私は夢を見ていたところでした。昔の友だちの夢を見ていました。ところが、そこに大きな地震で、私の部屋の本箱がぎしぎし揺れます。
 目が覚めて驚きました。
 でも夢を見ていた友人に手紙を書きます。彼の夢は、ときどき見ていますね。


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2009年01月04日

夢の中の日常「ある調査機関の人との長い電話」

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 12月下旬のある日、私がクライアントから帰ってきた午後3時代のときに、私のこのマンションの家の前に、40代前半と思える男が立っていました。私が、「あれ、なんでしょうか?」といいますと、名刺を出して、「A社ですが……」というのです。私は、「そんなのは電話で済む話じゃないの」と言いまして、家の中に入れました。でも彼はリビングに入っても座りません。ひととおりのことを聞いて、終わりです。「私が偶然帰ってきたからいいけれど、無駄になっちゃうじゃないか。電話で済ませてよ」と言って、帰ろうとする彼に、「ときにBさんは元気なの?」と聞きました。そうすると、驚いて、「Bは私の上司でした。でももう年齢が○○ですから退職しました。今C市に住んでいます」。私は「あそうか、でもお元気なのなら、良かった」といいまして、終わりました。10分くらいでしょうか。
 このB氏は偶然私が赤坂で務めた会社の親会社の採用したときの方だったのです。
 その彼から電話のかかってきた夢を私は見ていたのです。長く長く、私は彼と話していました。彼は、けっして誰にも合わせられる人間ではありませんでした。でも何故か、私を親会社の社長に会わせて、その社長も何故か私を気に入って、私が採用になりました。私が101社目に採用の面接を受けた会社でした。
 だが、その後私の経歴が判ったようです。たぶん、かなり後悔したことでしょう。その後、この会社グループは、人の採用に関しては、充分注意をするようになってはずです。たぶん、警察からの意見もあったでしょう。

 でも、夢の中でも長く電話で話していました。そんなに、思えば、私のいくつもの転職経験よりも、その前の学生のときの活動経歴のほうが重要なのですね。
 でも思えば、この彼にも手紙を書いてみるかなあ。もうたしか65歳だと思いましたね。
 電話の中でもお元気でした。そして私は彼が元気なことが嬉しい思いでした。

 思えば、もっといくつもの思い出が甦ってきます。あ、ある人に手紙を書こう、と思いました。

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2008年10月12日

この日曜日納品したいのだが

d8b1ad01.jpg さきほど義母に起こされたのです。でも私はちょうど夢を見ていて、その中でずっと作業をしていたのです。
 私は日曜日の朝だということが判っていました。そして私は電話をしていました。私も彼も40代後半です。彼の会社は有楽町駅前です。納品するのは、いくつものデジタル写真画像です。だから、私がメールで送れば、彼のほうでもプリントできます。
 でも彼はできないでしょう。彼はやっとパソコンが使えるだけなのです。
 でも私が自宅でプリントして届ければいいのです。でも彼の会社のビルは土曜日は入れますが、日曜日は入れません。だから、彼と、この日曜日の朝電話で話しているのです。ビルの管理会社の管理人に、無理に会社のビルと会社のドアを開けてもらへという話です。そうしたら、私が画像写真を届けるからという話です。そもそも、こんな急なことは彼のほうの依頼なのですから。
 そんな電話での話をしているなか、私は義母に起こされました。「なんだ、夢なのか」。しかし、夢の中の彼もインターネットで添付ファイルを受け取って、それを開けてほしいものですね。そんな簡単なことができない人ばかりな気がします。
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2008年09月27日

夢の中の日常「ひさしぶりのコピーライターの田口さんに会った夢」

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 本日私は午前3時55分に目が覚めました。その私が目が覚める直前まで、私は昔つき合っていたコピーライターの田口賛吉さんの顔を見ながら打ち合せている夢を見ていました。

 思えば、私はこの「夢の中の日常」ということで、自分が見た夢の内容を書いてきていました。でもこのごろは書いていませんでした。別に夢を見なくなったのではありません。でもなんだか、書かないままきてしまっていました。また私の見た夢のことは書いていくようにしたいと考えてします。

 この田口さんとは、1979年の秋に、私が赤坂の広告制作会社で、プロジューサーをやっていたときに、初めて会いました。彼は、「田口アドバンス代表田口賛吉」という名刺で、もう一人のグラフックデザイナーを連れて面談したと思います。
 その後はずっと彼とはつき合いました。彼が一緒にやっていたデザイナーが少し頼りなくて(真面目な方でしたが)、その後は彼だけでコピーライターとしてのみやっていて、そのときもずっと私の会社の広告コピーを依頼していました。
 私がこの会社を去ったあとも、私は彼とつき合っていました。
 私がこの赤坂の広告制作会社にいたときは、この親会社は少し大きな広告代理店で、ここの若い社員はみな大学卒に新人たちですが、彼らはもともと自分で広告制作をやりたいという思いばかりの気持を持っています。でも実際は、大学卒業しただけの人間に広告なんかまともに作れるわけがないのです。
 ただ、彼らもすぐにグラフックデザイナーは、到底自分たちにはできない仕事なのだということはすぐに理解するのですが、ことコピーライターというと、原稿用紙に字を埋めていくのですから、自分の容易にできるのではないかと錯覚してしまいます。これが実に面倒なことでした。
 クライアントと、私たちの連れていくクリエーターたちの間で、AE(アカウントエグゼクティブ)として振る舞えればいいのですが、ほぼ大学卒の子たちは、デザインは無理だけど、コピーならできると思い込んでしまいがちなのです。
 だから、もうそういう阿呆な若い奴は面倒でなりませんでした。だから、そこらへんは私がプロジューサーとして仕切らないとならないのです。
 そこらへんは、いつもこの田口さんには迷惑でご面倒をお掛けしたものです。
 でも私がこの赤坂の会社を辞めたあともお付き合いが続きました。神田会に属していただき、何度か会合にも来てもらったものでした。

 彼は千葉市に住んでいて、住んでいる住所に知っていましたが、のちに身体を悪くしたということを聞いていまして、その後連絡はとっていません。彼がホームページを開設したことはよく電話で話したものですが、そのホームページも今はないのですね。

 グーグルで、「田口賛吉 コピーライター」で検索すると、私のメルマガの他、彼のことが次で出てきました。

  http://www.stad-mg.net/cf/artist/artistmain/writers/taguchi.html
                      企業組合コミュニティフォーラム

 彼に関するデータは次のように出てきます。

田口 賛吉 たぐち さんきち
history 立教大学文学部科卒業後、1970年毎日広告社にコピーライターとして入社。ラジオ・テレビ制作部に所属し、森永牛乳、横浜プリンスホテル、ピジョン、山田うどんなど、ラジオCMを主体にコマーシャルフィルム、生CMなどを制作。その後、代理店や制作会社数社に勤務。1983年よりフリーランサーとして独立。

その他主な仕事先
銀座松坂屋、フジサワ名店ビル、高島屋、西武不動産、ライダース・パブリシティ、三菱農機、セイコー電子工業、NTT、集英社(美術書)、福式書店など

favorite works  ●コピー制作(新聞・WEBページ・雑誌・DM・パンフレット・チラシ・ポスター・案内状・POPなどあらゆる媒体、ツールなど)
●編集取材執筆(社内報・PR誌・会社案内など)
●テキスト入力(タイピング入力・OCR入力・音声入力)
●そのほか社史、自叙伝・自分史の執筆、支援など

comments 東京だけの仕事だけでなく、永年千葉での暮らしの中で蓄積してきた情報や体験を生かし、愛着のある地域に役立つ仕事をぜひともしてみたいと思っております。受け手と送り手との密接で、インタラクティブな関係が、これから強く求められると思います。

 思えば、私のほうから電話してみようかな。あ、でも思い出せば、何回か電話したけれど、連絡がつきませんでした。彼の行く飲み屋も新橋にあったので、そこも数年前に行きましたが、彼はしばらくきていないということでしたね。

 たしか彼は私より年上だから、たぶん現在63歳くらいですね。

 そして私は、夢を見た今朝、この文を書き出して、最初は「Tさん」としていましたが、この上のデータがインターネット上にあったわけで、それなら田口賛吉さんという名前も出していいのだろうと考えたものなのです。

 今朝の夢の中では、懸命に仕事の打ち合せをしていました。また、彼とは、仕事はできなくても、一緒に話をしたいなあ、なんて強く思いました。そんな思いを実現できるために、彼は私の夢の中で、私と懸命に話してくれたような思いがしてきたものです。

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2008年04月14日

夢の中の日常「中国語と日本語の語順」

6bac3291.jpg 今朝私は7時40分に目が覚めました。でもその寸前まで私は長い夢を見ていました。
 私は夢の中で、かなり大勢の中国人の子どもたち(といっても高校生くらいですね)に、日本語の国語の授業をしていました。
 いくつもの単文を作ってもらい、それを文節ごとに文章を切ってもらって、その文節を並び換えたのでは文章にはならないことを話します。中国語だと、そうではないことを言っているのですが、私の中国語の知識というのは、漢文の知識でしかありません。しかも好きな漢詩では、平仄があるのですから、私の説明はおかしいのです。
 そしてその文章を書いてもらって、それを文節ごとに切ってもらうというのは、実際に紙の上に書いて、それをハサミできって、黒板の上の大きな紙に貼っていっていました。
 でも思えば、あとで思い返すと、内容はその理窟が全く理解できないように変なのですが、でも夢の中では、私は丁寧に説明しています。
 でもあの中国人の若者たちの笑顔が素敵だったことを思い出します。
 いつもこうして、どうしても訳の判らない夢ばかりを見ています。
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2008年04月03日

夢の中の日常「北浦和の階段を登りながら」へのコメント

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 夢の中の日常「北浦和の階段を登りながら」へ、ナミちゃんから次のコメントがありました。

1. Posted by なみんと    2008年04月03日 14:22
とっても現実味がありますね。
私がかって惹かれた光景です。
北浦和の東口は今はどうなっているんでしょうか〜。

 コメントをありがとうございます。そうですね。北浦和もずいぶん変わりましたよ。北浦和東口では昨年の浦和会の忘年会をやりました。私はもうそんなに飲めない身体なのですが、そのときは、夕方から、翌日朝まで飲んでいられました。これで判ったのが、一気に急激に飲むのはいけないということです。ゆっくり落ち着いて飲めばいいのですね。思えば、昔からなんだかいつも焦って飲んでいたものでした。なんだか、先に飲まないと、相手に先に飲まれてしまうのですね。思えば、埼大の関係の飲み会で、すべてこういうクセを付けてしまったのですね。だからいつも焦って急速に飲むクセがあるから、いけないのですね。
 今年の1月には、北浦和の埼大跡の浦和近代美術館にも行きました。懐かしくて、そしてやっぱり少し哀しくて、たくさんの思い出が甦ります。
 この夢であったようなことが、現実の世界でもいくつもあり、そんなことをずっと思い出していました。

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夢の中の日常「北浦和の階段を登りながら」

49063a20.jpg 義母を妻が送るので、御前10時少し前に、私の部屋の前を「では行ってきます」と出て行きました。妻は義母を送ってそのまま会社に行くのです。私と一日交代でやっています。だからこういう日は、私がどこかへ出て行ってしまうこともあります。この代わり午前義母を送った逆のもの(私か妻かどちらか)が午後5時すぎに義母の帰りを迎えます。
 私は、きょうは02:05〜06:15の睡眠だったのですが、眠り足りなかったのか、義母を送ったあと、10時25分から36分まで、ついこのままパソコンの前で眠ってしまっていました。
 そこで夢を見ていたのです。
 私は北浦和で、埼大の後輩のむつめ祭の常任委員の人たちと北浦和駅に向かっています。私は埼大と北浦和を結ぶ通称学バスには、1967年の12月15日から、乗ったことはありません。当時この学バスが乗車料金が20円から30円に値上げされたときに、「バス代値上阻止闘争」をやりまして、乗車拒否を続けて、その後も一度もあのバスには乗っていません。いつも、歩いたり、自転車に乗ったり、いろいろなことでこの北浦和と大学間を通っていました。もちろん、卒業後も同じです。
 だから、たぶん、多くのむつめ祭の後輩たちとは、バスに乗って来た後輩たちと、この駅前で再会したものなのでしょう。
 ところが、この駅前で、私の知らない男と口論になり、その男が私に殴りかかってきます。私はわけが判らないながら、殴り返します。そうすると、私のむつめ祭の後輩たちが怒ってその男を目茶苦茶に殴ります。私が止めて、その場はおさまります。
 北浦和の東口の飲み屋に行こうと、駅の階段をのぼりはじめます。私はさきほど私に殴りかかってきた男と並んで階段を登ります。「さっきはごめんな」と私が声をかけると、彼は、「いえ、私のほうこそ申し訳ありません。あの…、あなたが萩原さんなんですか」、「そうだよ」、「あ、本当に申し訳ありませんでした」、「ああ、いいよ。一緒に飲みにいこうよ」…………、こんなところで目が覚めました。10時36分でした。
 思えば、こうしたことが何度かあったものでしたね。懐かしいことです。そしてそれを実にリアルにさきほど夢に見ていたものでした。
 私よりはるかに大柄の、そしていい顔をした男の子でした。またあの男の子とも仲良くなれるのでしょう。
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2007年08月30日

夢の中の日常「数学の先生たち」

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 私はさきほど午前3時に目が覚めました。その直前まで長い夢を見ていました。
 私は以前、進学教室をやっていたわけなのですが、とくに、最初の年から何年(たしか2年間かな)、松戸教室で中学校の数学を教えてもらったS君と夢の中で会話していました。でも現実の世界では彼と会話したことはありません。彼はどこの大学の学生だったのかなあ。思い出せません。ただ彼は、最後に「就職は消防夫になる」というようなことを言っていたのを思い出します。
 夢の中で、私はみんな数学を担当した人たちのことを思い出していました。とくに、現実の世界では会話する機会のなかったこのS君と長くお話していました。
 もともと、教室が千葉教室、船橋教室、市川教室、松戸教室とありまして(最初の年は東京にも教室がいくつもありました)、講師が実にたくさんいたわけですが、それを私がすべて選考して、配付していたものでした。かなり大勢の講師がいました。だからもちろん、生徒もたくさんいたわけです。
 どの教科もすべていろいろな面白くそして能力ある講師の方々でした。その中でも、私はこの夢の中で数学を担当した人たちと会話し、またたくさんのことを思っていました。

 でも何で、あんなことを思い出していたのかなあ。現実の世界では、あの講師の方々は、実際の教員になった方もいるし、全然違う職業についた方もいます。みんな私よりわずかに年下ということだったから、もうみなけっこうな年になっているんですね。
 いや、今思い出していけば、数学の講師ばかりでなく、他の教科の講師の方々も思い出してきました。みんなどうしているのかなあ。
 インターネットの世界になったら、彼等と再会できるとばかり思っていましたが、それはかないませんでした。このことはとても残念です。

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2007年07月26日

夢の中の日常「古い友人たちと会った」

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 私は毎日夢を見ています。そしていつも、かなり驚くような夢の内容なので、ここで書いておこうと思いながら、いつもそれが果たせていません。朝起きたときに、その内容を少しでも書き出しますと、だんだんその記憶が鮮明になってくるわけですが、書かないと、その記憶はやがて忘れ果ててしまいます。
 さきほどまで見ていたのは、東京のあるところ(たしか港区か品川区だったような)の大きな古いビルに、私の小学校6年(名古屋北区の大曽根小学校に行っていました)のときの友人のW君が中心になって、大勢の若者がインターネットに関する何かをやっているビルでした。
 ただ、それをやっている若者たちは、パソコンもインターネットもさほどうまく使えるわけではありません。でも懸命にやっています。
 私もすぐにパソコンに向かいましたが、そもそも、その若者たちのやっていることは、本来このままだと何もならない、何もできないことと同じだということに気がつきます。
 でもそれをW君に伝えようとするのですが、W君はそのことを言葉に出さないでくれと私に目で伝えます。おそらく、これだけの若者たち(みな多くは不登校の若者たちのようです)を支えていくのには、こうしてパソコンで何かを作っていくという作業が大事なのでしょう。

 ただ私は、ここのたくさんの若者たちといくつか会話しただけではありません。やがて、そこにある女性がいることに気がつきます。その女性は、私が鹿児島の甲東中学2年のときから好きだったLです。
 彼女のことはずっと好きでしたが、鶴丸高校から横浜の高校に転校して、3年のときに修学旅行で九州に出かけて、鹿児島で彼女と会う約束を私はとりつけました。でも当日約束の場所に彼女は現れませんでした。このことは、私には現実の世界で大変なショックのことでした。
 でも、このことを、このとき何故彼女が私との約束の場に来れなかったのか、この夢の中で彼女は謝ってくれました。その理由は、実に大変に悲しいことがあったのです。でもとにかくみな夢の中で彼女が語ることです。そして現実の世界では、もう41年前の話です。
 実際に、あの41年前に何があったのかは、もう判らないことになってしまいましたが、夢の中で、「なんだ、そんなことがあったのか」とその辛い事実に悲しくなっていた私です。
 そして実に長い夢でした。ただ、この彼女の顔は今も鮮明に思い出されます。
 ただし、何もかもが夢の中での話です。

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2007年07月12日

夢の中の日常「私は大阪のヤクザの下っぱだった」

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 ついさっきまで見ていた夢です。
 私は大阪弁をまるだしにする兄貴のそばにいました。それで、その兄貴にもさらに上の兄貴にあたる(だから私には叔父貴になるのかなあ?)人から、取立てを頼まれました。それも、どこからかその取立ての権利をもらってきたものです。
 兄貴は、私ならうまく取立てできるだろうと考えているようです。すぐに相手振り出しの手形を手に入れて、兄貴が裏書きして、叔父貴に渡します。叔父貴は同額の手形を兄貴に渡します。もうこれが私によってすぐできるように、みんな思っているようです。
 ただ、問題は、この叔父貴がとても今身体が悪いことです。とても好男子な叔父貴なのですが、もう飲みすぎで、あぶないのです。だから兄貴は、その叔父貴の奥さん、兄貴には、自分の兄貴の姐さんのことを考えて、現金化できたら、すぐにそれを姐さんが手にしないといけないと考えているようです。
 さて、私がこれから行くわけですが、私もその交渉はうまくできる気になっています。問題は、集金できても、そしてすぐに現金化できても、それを叔父貴が手にするのではなく、姐さんに渡さないといけないのです。
 そんなことを兄貴と打ち合せて、そのまま実行しようと始めるというところで、私の夢は醒めて起きました。午前3時45分でした。

 またあのみんなに遭えるかなあ?

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2007年06月25日

夢の中の日常「ボードセーリングのどこかの大会で」

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 きのう夜10時35分に眠りました。だがすぐに夢を見て、それですぐに起きてしまいまいました。なんだか、なぜこんな暗い夢を見るんだろうと思いましたが、その原因は判るような気持になっていました。私のその直前の心構えみたいなものが、少し違う方向を向いているとよくないのだなあ、なんて思ったものです。
 それで朝は4時25分に目が醒めました。私はその直前まで長大なる夢を見ていました。
 私はボードセーリングの世界にいたことがあります。それに関連しているのかなあ、という夢でした。

 どこかの海辺に私はいます。たぶん、湘南か、千葉県の外房の海でしょう。ボードセイリングの何かの大会が行われています。でも今考えると、あの大会の様子から、行われている競技はロングディスタンスではなく、短いコースのスラローム競技ですから、あれは外房の海ですね。でも暑い日光と強い風を感じていました。
 でも長い夢だったのに、今この時間になるとどんどん忘れています。なんだか、自分の体験した海の思い出といくつかの大会での思い出の中で、いくつものことが夢の中の映像の中にも出てきて、もうたくさんのことを見ていました。
 鎌倉行きまして、例えば、昨年10月に長谷寺から沖を見ていると、いくつものボードセーリングのセーラーが見えました。でも少し雲っていたから、そもそも、その海にはいくつものセーラーが浮かんでいるんだということを知らないと見えないのです。
 そのときのいくつもの思いが、今朝の夢の中でも出てきたことでした。

 でも夢の中でも、私は海を見ていただけだったなあ。そしてたくさんのことを思い出していただけでした。もう海にも入らないし、大会を運営しているわけでもありませんでした。もう私も歳をとったんだなあ。

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2007年06月08日

夢の中の日常「後輩の就職の話で」

27451e11.jpg 私は大学卒業時いわゆる普通に就職活動ということをすることはありませんでした。だが私の後輩の時代ですと、そういうことも出てきます。ちょうど私よりも6年くらい下の世代からは、就職活動をするというのが普通になったように思います。いや、もっと上からそうなのかなあ。私が知らないだけなのかもしれません。
 今朝まで長く見ていた夢は、その私の後輩らしき人の就職活動の話を聞いているという夢でした。と言っても、今の私には、その後輩がどんな顔をしていたのかもうさっぱり判りません。でも、就職がうまく行ったというような話でした。
 私の大学の中で、彼は学園祭(むつめ祭という名前です)のみを熱心にやっていたというようなことのみで、就職活動をしています。それは特別にサークル活動でもないが、学園祭字体を仕切るということを熱心にやっていたということにみを就職先の相手には言っていきます。それが相手には、実に興味深いこととして、聞こえています。
 でも私には少々不安もあります。「それだけでいいんだろうかな?」。後輩は、大学の成績のことも一切気にしないで、学園祭を仕切ってやりきることばかりをかけていた、それが相手にはよく通じていたということばかりをいいます。
 私は、半ばそれはよく判るし、実際の企業でも学校の成績よりも、そういう能力をこそ求めるところもあるのだろうということは理解できるのですが、そればかりを主張していてもいいのかなあ、という不安もあるのです。
 でもでも、今それが明確に判った気がしています。思えば、彼には、そのことしか自分を主張することがないのです。彼の大学生活はそれだけなのです。だから、大学での成績云々の話になると、困ってしまうのです。そもそも、そんなことに興味はなかったし、大学4年間で、どんなイベントを実現していくか(学園祭というのは、その学園祭の時期だけにやるものではないのです)ということにかけていたという主張が、たつた今私にも大きなこととして理解できたような思いがします。
 こんなことを夢の中で、何度も反芻するように聞いて理解していけた私だったのです。
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2007年06月07日

夢の中の日常「沖縄の夢を見る」

f1b1efb0.jpg 今朝私は長い夢を見たあと目が覚めました。このごろは、自分のやっている仕事に関係する中でそれを急いでいて、それで焦っている夢を見ていることが多いのですが、今朝私が焦っていたのは、夢の中で沖縄のヤクザの闘いの中で、非常に焦っていました。なんであんな夢を見たのでしょうか。いや、これはいつも夢が覚めたあとに、不思儀になるわけですが、でも沖縄のヤクザ戦争の話なんか、私には関心の外のことなのですが、なんでだろうな。
 東映のヤクザ映画の中でも、この沖縄のヤクザ戦争のことは扱われています。沖縄のヤクザが、本土のヤクザに系列化されていく中で、それを受け入れる側もいれば、それに激しく抵抗していく側もいます。
 そして系列化されていく側も、それに反対する側も、あるところで、沖縄の目で、自分たちの闘いを見つめているところがあります。
 そんなことをこの夢の中でも確認するように見ていました。
 でもたった今の私は、さきほどまで見ていた夢の中で、いったいどっちの側で戦っていたのかなあ。あれほど激しい夢だったのに、今では何もかも忘れてしまいました。
 おそらく私は、夢の中でも、それを見ているだけの立場の人間なのではなかったかなあ。そんなことがしきりに思い出されます。それを見ているだけなのだが、沖縄の目で、非常に哀しく悔しい思いで、見ていた私でした。
 目が覚めてみて、ただただ、その世界が懐かしい思いと、そして、そこから遠く離れている自分を思います。
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2007年04月01日

夢の中の日常「ブルータスの結婚式の夢を見た」

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 ブルータスが結婚式をあげたのは1週間前の3月25日です。そして、25日の朝に籍も入れたとお母さんが報告してくれていました。
 でもそのときも、その後もただただ忙しさにかまけてブルータスのことをなかなか思い出していられませんでした。
 さすが昨夜は夜9時40分に眠ってしまいました。昨日は、午後2時少し前から、王子の音無川親水公園と飛鳥山公園を、長女夫妻とポコちゃんと妻と、ミツ君のお母さんと一緒に歩きました。もう大変に桜が綺麗でした。
 こうして歩いて、私は疲れたのかもしれません。とにかく、ただただ眠りました。

 そして夢を見ていました。私はブルータスの結婚式と披露宴での姿をずっと見ている夢を見ていました。ブルータスは結婚式では純白のドレスを着ていました。もう大変に手間と時間をかけて(インターネットでも必死に探して)、自分で購入していました。
 それがとってもブルータスには似合っていて、とても綺麗でした。
 そしてお色直しでは、着物姿で戻ってきてくれていました。これがとっても可愛かったのです。
 でも当日は、なんだかどちらもよく見ていることができませんでした。

 それが夢の中では、ドレス姿の綺麗なブルータスも、着物姿の可愛いブルータスも、両方をちゃんと見ることができました。
 夢の中で、私はただただ嬉しい思いの中で、ブルータスを眺めていました。「おめでとう。よかったね。必ず幸せになれるよ」と私は心の中で呼びかけていました。

 そんな夢を見ていて、嬉しくて、そして少し涙も出てきて、そして私は5時20分に目が醒めました。ああ、もうあの日から一週間目なのですね。
 ブルータス、おめでとう。パパはとっても嬉しいです。

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2007年03月31日

夢の中の日常「あるクレーム」

c3c832e2.jpg 私は今朝夢の中で、私より年上の方の「パソコンソフトが使えないじゃないか」というクレームで電話を受けていました。
 その方とは電話で話しているのですが、顔は見知っている方です。たしか漢字で2字名のソフトウェアでした(いくら思い出そうとしても、その漢字名が思い出せない)。
 だが私は、ソフトを作る能力もないし、私のその夢の中でも私の部下がソフト制作を受けたわけでもありません。間違いなく彼の勘違い、誤りなのです。
 ただものすごい怒りのクレームで、私が「それはもともと私のところでは受けていませんよ。どっか他に頼んだんじゃないの。第一私はソフトなんか作れませんよ」と言う暇を与えてくれません。
 実は、私にはそんなクレームの電話を聞いている時間余裕はないのです。そのあと、開かれる大きなミーティングの司会進行を私がやることになっていました。
 それは大事な会議でした。それでこの会社の進路を決定するべく、経営陣が考えているもので、そのために、私が司会進行役として選ばれたのです。私はその司会役には自信がありました。私は「こういう会議も、思えばやっぱり大事なのは、『政治』だからな」なんて思いがあり、かつそういう考えを抱いてしまう私自身のことを、「やっぱり問題あるなあ」なんても感じていました。
 そんなことをしきりに考えながら、もう断然とこの電話を切るかと思い出していました。だが突如切ったら、私より年上の方だから失礼だしなあ、でもこの勘違いはひどいものだなあ、なんて考えていました。
 そんなことを思う中、私の目が醒めました。朝の7時でした。
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2007年03月30日

夢の中の日常「私はある女性を殺していた」

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 この夢のことは書かないでおいておこうと思っていました。
 でも今朝見ていた綺麗な夢のことを書いたことで、「あ、あの嫌な夢のことも書いておこう」という気持になりました。
 たしか1カ月くらい前です。

 私は夢の中で、ある女性の首を両手で締めていました。私はその手を緩めませんでした。別のその相手が憎いわけではなく、でもどうしてももう殺さないとならないという思いでした。
 そして私は夢の中で、その首を締めている相手の女性が、実は私自身であることに気がついていました。私は実は、私自身を殺そうとしていたのです。
 相手の女性は、抵抗することもなく、静かに殺されていきました。その相手の女性の穏やかな顔を今も思い出します。その穏やかで綺麗な顔を今も思い出します。でももう私は後戻りはしないのです。
 私にも孫が出来て、そしてとても可愛い。そして次女ブルータスが結婚しました。ブルータスはとても綺麗で可愛かったです。
 もう後戻りはできないのです。私はもう戻ることはしないのです。

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夢の中の日常「とても綺麗な夢を見た。心の中にデジカメがあればなあ」

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 私は今朝までとても綺麗な夢を見ていました。その夢のことをまた夢の中で考えていて、目を開けたくありませんでした。目を開けたら、その夢の綺麗な画像を忘れてしまうからなのです。
 夢は現実に私たちが見ている風景人物ではなく、私がアニメ映画を見ている夢でした。ただし、アニメと言っても、これを描いた人はとても絵の上手な方だと思われる絵であり、動画でした。
 夢の中では、おもちゃのような鉄道が走っています。煙をはく蒸気機関車が長い車両を引っ張っています。そしてその各車両にはたくさんの人が乗っています。その人たちがたくさんの人たちが窓から顔を見せています。
 そしてその顔はみんな笑顔で(でもしかめっ面している頑固な顔のじいさんもいました)、その笑顔をこちらに振り向けていてくれます。その顔は現実の顔ではなく、みなアニメの可愛い顔なのです。
 汽車が走っているのは、緑豊かな田園です。小さな街も走ります。小さな河も、小さな鉄橋の上も走ります。

 私は夢の中で、これは夢なんだと判っていました。でもその夢をずっと見ていたい思いです。最後に、その夢の中で私が見た画像を、大きく全体を見せてくれました。あ、汽車はここをこんなに走っていたんだ、そしてだからあんなに笑顔を見せてくれていたんだ。あのしかめっ面しているじじいは、多分少し汽車の速度が怖かったのかな、なんて私は夢の中で思っていました。
 野の緑も綺麗で、青い空も綺麗でした。

 私は夢の中で、「あ、私の心の中にデジカメがあれば、これを撮るのになあ」と思っていました。長い長い夢でした。
 私はもうこの夢を見た思いに嬉しくて、この夢の各場面を思い出す夢を見続けていました。目を開けたくない、目を開けると、あの綺麗な画像を忘れてしまうので、目を開けたくありませんでした。
 でも目は開けないとなりません。目は覚まさないとならないのです。

 そして私は現実の世界に還ってきました。

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2007年03月09日

夢の中の日常「何人ものデザイナーを使っていた」

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 さきほど6時30分(もう食事していろいろやっているので、時間が経ちました)に目が醒めました。
 私は長い夢を見ていました。私はある会社でグラフィックデザイナーを6人ばかり使っているプロデューザーでした。その使っているデザイナーに関することを考え悩んでいることばかりの夢でした。
 私は実際に、広告制作会社にいて、プロジューサーであったことがあります。「ゼネラルプロジューサー」の名刺で動いていました。でもその現実の私の思い出では、私は実に大量の広告制作物を作ることに日々呻吟していました。そして私は、とくに印刷物の金銭管理が主な仕事であり、実際に粗利を稼ぐことが一番にやるべきことでした。
 たださきほどの夢の中では、実際に広告物を作るグラフィックデザイナーの人事的なことが一番私の悩みでした。
 そこではデザイナーの社員の中で、3番目に古い存在である若い女性がどうしても私とは気が合わない感じでした。でも私は夢の中でも、もう彼女の力を認めています。なんとかそのことを伝えたいと思っています。でもそれは私の心の中だけで、どうにもうまくいきません。
 このことを、彼女の次に入社してきた男性のデザイナーが私をフォローしてくれています。彼女と私の仲をなんとかとりついでくれるのです。私はとても彼に感謝したい気持になっています。
 でも、この彼の顔を思い出しても、「現実には会ったことがないなあ」と思っていましたが、あ、今思い出しました。彼はあの当時大阪支社に入ってきたデザイナーでした。でも私は彼とは会話したことなんか、ほとんどないのです。それでも夢の中ではなぜか彼の心が判る感じでした。
 それにしても長い夢でした。
 そして夢は、現実に起き出してしまうと、その内容を急速に忘れてしまいます。
 ただ、私は少しは思い出そうと、こうして少しメモをしただけです。

 なんで、こんな夢を見たのかなあ。昨日は、あるクライアントで打ち合せして、それからある税務署で重要なお話をして、また別なクライアントへ行きました。そしてそのあと、秋葉原のヨドバシカメラに行こうとしましたが、秋葉原駅で、「ああ、きょうはビックカメラに行こうと思っていたんだ」と方向を変えて有楽町へ行きました」。ここでまたインクを購入して、スカイプのマイクをいくつも比較検討していました。このごろ、スカイプで話すことが多いので、コードレスマイクが欲しいなと思っていたのです。
 そして地下鉄の中では、長谷川慶太郎の本を読み終わり、ひきつづき佐藤雅美「お白州無情」を読んで、「これを読むのは辛いなあ」なんて思いの中で、何度も本をとじていました。
 家に帰ってから、夜9時すぐに、長女の部屋に行くと(ああ、私のクライアントの社長ご夫婦から、孫誕生へのプレゼントをもらい届けたのでした)、「パパしばらくポコちゃんを見ていて」というので、懸命に可愛がっていました。
 きのうは、そんなことばかりで、そんなことに関心があったのに、夢の中では、それらとはまったく関係ないことの夢をずっと見ていたわけです。

 でも不思儀だなあ。あの会社(私の夢の中での会社)には、パソコンがなかったなあ。そうすると、もう随分昔の制作会社だったのかなあ。そうだ、夢の中の私も若かったものなあ。

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2007年02月24日

夢の中の日常「8科目ってなんだったのかなあ?」

07022303 今朝私は夢の中で目を覚ましました。ちょうど目が醒めたのが朝7時20分でした。

 私は夢の中で高校3年生で、私は転校してきたばかりです。そして私は下宿しています。そして転校してきたばかりのときに、ちょうど大学入試の模擬試験がありまして、私はその結果が判ったばかりのときのようです。
 私は転校してきたばかりで、試験があまり出来なかったなという思いで、少し悔しい思いでいます。下宿先のおばさんが、「どうだった?」と聞いてきます。そのおばさんは昔私が実によく知っていた方です。

 私は少し肩を落として、結果の報告用紙に目を落としながら、「ええと、ダメでしたよ。全校で8番でした」といいます。「ああ、そうなの。転校してきたばかりで大変だったのにねえ」と言ってくれます。私は、「でも、こんな番じゃなあ」という思いで、少々自分に情けなく思っています。「いいのよ、でもうちの子は7番だったの」と言ってくれます。
 そこの家にも同じ高校の同級生がいるのです。とても美人の女の子です。私はそのおばさんの声で、すぐにその子の顔を思い浮かべました。セーラー服のよく似合う綺麗な女の子です。
 私が転校してきたのは、その県でも成績優秀の高校なのです。でも今私は、「その県って、どこの県なんだ?」と自分に問いました。もちろん、今では判りません。1時間以上前の夢の中の話です。そして私はどこから転校してきて、そしてなんで下宿しているのでしょうか。
 さきほど起きてきたあとで、歯を磨きながら、「そういえば試験の8科目って、なんだ、社会科が世界史と日本史で、理科が……、あ俺は理科は生物だけだしなあ、国語が漢文もあって……なんて」考えて、もうその先を考えるのは止めました。
 でもあの下宿先の同級生の美人の子のことは、その顔姿を私が思い浮かべただけで、実際には夢の中では会っていません。会ったのは、そのお母さんだけです。

 私も現実の世界で、転校しました。鹿児島から横浜へです。先に横浜に来ていた両親が、転校先の高校を選んでくれていました。でもその高校でも編入試験は7人に一人で私が選ばれただけです。でもそのときに面接してくれた先生の聞いてきたことは今も覚えているなあ。

 夢の中での、あの綺麗な女の子に会うことはできないけれど、そして、それは当たり前ですが、今の私は、あのお母さんとまた少しのお喋りをしたい思いがします。
 そしてそして、夢の中のことでしたが、あのお母さんにはまた会える気がしています。

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2007年01月19日

私はある会社で人を募集している

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 私は今朝7時35分に起きました。その寸前まで長い夢を見ていました。

 私はある会社で、保母を養成する仕事に関するコピーライターをやっています。これは実際に私が27歳の頃やっていたことです。
 でも夢の中では、実際にその広告を書くことよりも、その私の勤める会社に社員をどうやって多く新規採用するのかということに必死でした。なにしろ、より多くの社員がほしいのです。
 もうなんだか必死でした。より多くの若い社員がほしいことと、でもなかなかいい人材はいません。そして会社の上層部からの要請は執拗です。
 私は多くの若い女性に、この仕事が何故素晴らしい職業といえるのかを必死に話しています。それらの方々は、まずは私の広告コピーで集まられた方々なのです。この方々の中からまずは多くの人材を選ばなければなりません。

 私は「教育」ということで、かなりいろんな話をしていきます。魯迅の話も長く展開します。
 その必死に私の喋る口調の中で私は目が覚めました。

 でも長い長い夢でしたが、なんだかほとんは忘れてしまいました。

 ああ、今すぐに出かけるので、詳しく書いていられないのが残念です。

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2007年01月03日

夢の中の日常「シラー、○○」

高村光太郎
 さきほど、私の義弟からメールがありました。私の孫が生まれたことへ「おめでとう」もありましたが、他の用もありまして、それは重要なので、私は印字しました。
 それが私がプリンタに置いてあるヤレ紙の上に印字したのですが、私がメモしたあとがありました。私の妻が、「あれ、これ何書いているの?」という言葉があり、初めて思い出したのです。そのメモには、「シラー、○○」と書いてありました(今またこのメモがないので、○○がなんだったか判らない。「群盗」と「ワレンシュタイン」ではなく、別な言葉だと思うんだがなあ)。

 それは私の今朝のことです。私はまた夢を見ていました。いつも私はそれを「夢の中の日常」に書いておきたいのですが、いつも忘れてしまいます。だから、朝起きたときに、少しでもメモしておいて、書き出せば明確に思い出してこれるのです。
 私が朝思い出したのは、ゲーテに関する夢と、シラーに関する夢です。しかもその夢はまったく別々な夢でした。私はゲーテはかなり読んできていますが、シラーはその作品をひととおりに読んだだけなのです。
 でも、シラーの夢を見た思いが鮮明にあり、そしてその直前にはゲーテの夢を見ていました。だから、「これは、ちゃんと書き残そう」と思って、そのメモを起きたときに書きました。
 でもすぐに、自分の孫のことで電話があり、そのことでもういっぱいになってしまいました。

 その後夜になって、私のメモを妻にいわれて、「あっ」と鮮明に思い出しました。
 でももっとちゃんと思い出すべきですね。

 ただ、その思い出すことの最初に、こうして、これだけをまず書いて置きます。

 なんとなく、「シラーって、ゲーテの親友としてではなく、明確に大きく存在しているんだなあ」なんていうことを夢の中で感じていたことは今鮮明に思い出せます。

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2007年01月02日

夢の中の日常「私の初夢」

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 今朝夢をいくつも見ていました。たくさん見ていたので、なかなかちゃんと覚えているものはないのです。でも比較的記憶があるのは、義母の夢です。きのう私は我孫子へ行きまして、母とお喋りしました。
「もうずっとあちらのお母さんと一緒にいるんだよ」と話しかけました。母もかなり呆けが進んでいますが、私の話はよく聴いてくれます。まえには、「お前は、あちらのお母さんには嫌われているんじゃないんだろうね」と言っていたのが、今は何度も私が同じことをいうので、判ってくれたのかな、と思っています。
 その義母が私の夢の中に出てきました。夢の中の義母は現実よりももっと若くて私を見て笑顔で話しかけてくれます。「ああ、お母さん元気になったなあ」なんていう思いで目が覚めました。

 そしてまだ朝早いので、また私は眠りに落ちました。
 今度は、私の友人の昔日大全共闘だった彼が話しかけてきます。
 ブログをやったけれど、前にはうまくやり続けられなかったけれど、「今度は続けられるよ」といいます。私は嬉しくなって、たくさんのことを語ります。こういうふうにやっていけばこのまま続けられるよ、ということを私は話続けます。
 私は嬉しい思いでいっぱいになっています。彼はたしか今年で60歳になるんじゃないかなあ、なんていうことを夢の中でも思っています。私は今年誕生日を迎えれば59歳になるのです。

 そんなことをしきりに思っているときに目が覚めました。
 もっと細かいことをさきほどまで覚えていたはずなのですが、忘れてしまったなあ。起きたときにすぐ書くべきでしたね

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2006年12月27日

夢の中の日常「きょうから新学期が始まる」

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 私は夢の中で、進学教室の理事長をやっています。でも理事長といいましても、その進学教室はもう小さな規模でしかありません。
 新学期が始まるこの日、何人かのスタッフとアルバイトの講師と打ち合せをやっています。どういうふうにやっていくのかという確認の打ち合せです。

 私は実際に船橋に本拠を置いて進学教室をやっていたことがあります(ただしもう20数年、30年近くが経過しています)。日曜日のみの教室を千葉、船橋、市川、松戸で開催し、毎日夕方からの教室を船橋と松戸でやっていました。私は当初月曜日だけがお休みでしたが、そのうち月曜日は松戸へ行くことになって、休みの曜日はなくなるということで、やっていたものでした。
 夢の中での打ち合せが終わる頃、あるおばあさんが始めての小学4年生を入会させにきます。ああ、あれはお兄ちゃんが小6の生徒の弟だなとすぐ気がつきます。すぐにスタッフの女性が出て、応対しています。私も簡単な挨拶をします。おばあさんは私を信頼しきっているようです。だが、現実の私の心は、そんな信頼感に実に気がとがめているところもあります。「俺なんかでいいんだろうか?」

 いよいよ授業の開始です。私は「あれ、○○が来ていないな」と思い、突如気がつきます。「あ、俺はどうかしている。彼はきょうは松戸で、同じく新学期の開始なんだ」。そうです。きょうは、同じく松戸でも授業の開始日の新学期なのです。

 私は当初は理科を担当していました。だが、理科を教えるのは大変なのです。開成中学のあるときの理科の問題で、こういうのがありました(これも夢の中で思いだしているのです)。たしか以下のようでした。

 ある飛行機に乗っていたら、それが事故で、ある島へ不時着した。そこで棒を立て、その棒の影を見たら、このようになった(「このよう」というのはちゃんとその軌跡が書いてあります)。ここは一体地球上のどこで、そしてその棒の軌跡はこのあとどうなるのか。それを答えなさい。

 この問題で場所は、南回帰線(だから私は真っ先に「ヘンリー・ミラーかと応えたものでした)上の島というのはすぐに判るのでしたが、その後の棒の軌跡というのは、私には難しいのです。いや、講師でも実際に理科を教えていた小学校の校長先生や現役の先生でも、この棒の影の軌跡の答えがみな違います。

 でもそんなことを私は夢の中で思い出しながら、「○○が何故来ないんだ?」と私が思ったことをしきりに反省しています。「もう一つ大きな教室があることを、俺自身が忘れている」ということの反省です。でもきょう、あの4年生を新しく入れてくれたおばあちゃんの笑顔を思い出しています。その信頼に応えなくてはならないのです。

 そんな思いの中でさきほど目が覚めました。朝の6時でした。

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2006年12月22日

夢の中の日常「沖縄のさらに南島へ行っていました」

06122205 今朝また夢の中で、焦って起きました。朝6時15分でした。

 私は家族で沖縄に旅行に行っています。でも二人の娘はまだ小学生のようです。
 沖縄の那覇から、さらに飛行機で南島に行きます。行ったところは、宮古島か石垣島がどちらだか判りませんが、大きな島です。
 私はまだ時間的に早いので、妻と二人の娘と離れて、一人でバスに乗ります。なんだか独りで、南島の海の地平線を見たいのかもしれません。
 バスは南島らしい、乾いた白い路を走っています(あ、今思えばあの夢の中の路は舗装されていなかった)。

 着いたところで、海岸で白い砂と青い海を見ます。
 でも私はそうした沖縄の海だと、必ず海岸の白い砂を手にたくさんつけて、星砂を探すのです。石垣島でも竹富島でも、たくさんの☆砂が手にたくさんついてきます。本当に☆の形をしているのです。
 でも私は夢の中でそれどころではありません。

 海を見るよりも、私は自分の背景の後を振り返りました。そこのは、白い海岸のすぐ後にはたくさんの綺麗な家が建っており、そのさらに背景には、いわば摩天楼のようなたくさんのビル群がそびえているのです。そしてその光景は実に綺麗です。

「え、南島って、こんなに変化繁栄しているんだ」

と私は声をあげます。実に驚くほどの変化繁栄です。
 でも私は急に自分の家族に逢いたくなります。
 そこでバス亭に戻ります。バス亭まで戻る路は、白い砂が綺麗で、海水も入り込んで実に狭い路になっています。でも私は急いで帰ります。

 バスに乗ります。何故かバスはいっぱいの人です。長い距離を走ります。
 そして私は、「早く早く、家族に逢いたい」という気持でいっぱいになっています。それでバスで払う料金が実に多いコイン玉で払わないとなりません。「なんだか数えるのが大変だなあ」なんて思っています。
 そしてバスを降りました。でも実はどこで降りたらいいのか判らない。でも私はもう降りて、走って行く気になっています。

「こんな綺麗な南島に来て、娘たちは喜んでくれているだろうな」なんて思いで、私は走り出しています。

 そこで目が覚めました。

 なんで、あんな夢なのでしょうか。私は南島はものすごく好きです。そして私の故郷だと思っています。
 でもその私の故郷の南島が、あんなに綺麗な海と綺麗な路をそのままにして、そして大都会になれているというのは、私の心からの願いです。

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2006年12月21日

夢の中の日常「ケータイとウィルコム」へのトラックバック

06122101 私の 夢の中の日常「ケータイとウィルコム」目森窟 Memorix の目森さんからトラックバックをもらいました。

 一方、勝元も、ともに維新を戦った大村と袂を分かち、敵対する所まで隔たってしまっている。
 明治天皇は、勝元に共感しつつ、大村一派に周囲を固められている。幾重にも入り組んだ距離のドラマを体現しているのが明治天皇である。
 自らの立場を自嘲気味に口にする場面があるが、その含みは、孝明天皇の暗殺だと思う。

「うーん、そうか」と唸っていました。私は「孝明天皇の暗殺」のことは少しも考えていませんでした。
 おそらく昭和天皇の2・26事件への際断は、この自分のひいおじいさんの孝明天皇のことがあるかと思っています。昭和天皇には、自分がぐずぐずしていたら、孝明天皇のようになってしまうかもしれないという思いがあったのではないか、そしてすぐに自分は秩父宮に替えられてしまうのではないかという思いがあったのではないでしょうか。
 もちろん、2・26の将校たちには、そこまでの思いはありません。でも思えば、皇道派よりも統制派のほうがそこまでやりきる雅量をもっていたかもしれないな。
「ラストサムライ」の中で、明治天皇のそばにいたのが、大村(間違いなく大久保がモデルでしょう)だとすると、あの映画の中の明治天皇も実に複雑な思いだったでしょうね。

 それにしても、目森さんが書いてくれて嬉しかったです。あの映画に関して、「あんまり面白くない」とか「よく日本の歴史を誤解している」なんていう意見を聴いていたものでしたが、私は見ていて、実に「なるほどなあ」なんて感心していたのです。そしてトム・クルーズ(ええと俳優名ではなく、その登場人物名で考えるべきなのですが、私はそれはよく判らなかった)は、カスター将軍がやったスー族の大虐殺を知っているのですから、彼は「この日本ではそんなことをさせないぞ」という思いがあったのだと思います。

 明治維新から、まだ150年が過ぎていないわけですが、どういうふうにいいつくろっていくのかな。
 やっぱり私には日本の歴史は判らないことだらけです。

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夢の中の日常「住宅展示場」

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 さきほど4時20分に私は目が覚めました。
 私は長い夢を見ていました。私は何人ものスタッフと、ある住宅展示場の運営について話しています。ちょうど10人のスタッフで話しています。もうこの展示場を大改装するのだが、それについて、今後どう広報営業していくかという話です。
 新規改装オープンの広告広報するのだが、この改装前の展示場のモデルルームを売ってしまおう、「破格の値段で売却する」からという、おおきなキャンペーンをやろうという企画です。
 そんなときに、ある女性社員が、「できたら、この展示場の家そのものを買いたい」という熱心な人がいたことを話します。
 そんなことを含めて熱心に話します。この日は休みの日です。休みと言っても、日曜日や祝日ということではなく、この展示場の休みの曜日です。住宅展示場は、土日も国民の祝日の、多くの方が訪れている営業日です。この私の夢の中の展示場がいつの曜日が休みなのかは、私は覚えていません。
 そこで長い会議を終えて、「明日からまたしっかりやろう」という確認のもと、もうみなで帰宅します。
 なんだか世田谷区にある展示場から、地下鉄で帰ります。
 みなけっこう近くの駅で降りていきます。自宅が近くだったり、乗り換えがあったりいろいろです。
 私が何故か一番遠いようです。
 最後のスタッフと別れて、一人になって、まだ地下鉄に乗っているところで、私は目が覚めました。

 うーん、私は考えました。私は住宅展示場の運営に携わったことはありません。ただ、30代の前半の広告制作会社でチーフプロジューサーをやっていたときは、その多くの広告制作の仕事は、住宅展示場の広報活動でした。実に莫大な数の広告物を作りました。
 世田谷区の展示場というと、当時は駒沢住宅展示場でしたが、私は夢の中でそのどこか一つのメーカーの展示場のスタッフの一人だったようです。
 私が実際にやっていたのは、展示場全体の広告で、とくには、その参加メーカーからの依頼で、チラシや看板、新聞記事下広告もやることがありました。でも私がその住宅メーカーの構成員ということは一度も経験がありませんから、なんであんな夢を見たのかなあ。
 実は、その営業展開の夢で、一人一人の真剣な発言内容は、実にリアルで熱心な発言でした。たった今は、その営業マンたちの熱心な発言内容と、その真剣な顔を一人一人思い出せます。

 なんで、こんな夢を見たのかなあ?

 本来なら夢自体が完全なものではないし、なにかちぐはぐなものなはずなのですが、実に真面目に仕事にとりくんでいる多くの仲間の発言を今も実にリアルに思い出しています。

 でも夢だけれど、また夢の中でもうみんなに会うことはできないのだろうなあ。

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2006年12月11日

夢の中の日常「ケータイとウィルコム」

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 昨夜は、「ラストサムライ」をずっとテレビで見ていました。原作のとは違って日本語版だから見たくないという意見も見まして、納得もするのですが、私は大変に感心して見ていました。普段なら、私はパソコンをやりながらテレビを見るものなのですが、昨夜だけは、テレビに熱中していました。
 この映画の中の二人のサムライは(いやもちろん「最後のサムライ」たちは真田広之ほかにいるのですが、やはりトム・クルーズと渡辺謙が二人のサムライなのでしょう)、実に良かったです。
 トム・クルーズはカスター将軍のインディアン虐殺現場にいたのです。そのシーンが出てきます。逃げるインディアンの女性と子どもを騎兵隊が虐殺しています。しかし、そのあとカスター将軍は、リトルビックホーンで、スー族、シャイアン族等の連合軍に敗北します。
 勝利したのは、シッティングブル・クレージーホース等が率いるスーの戦士たちでした。
 だが、このトム・クルーズがその場にいたかどうかは描かれていませんでした(もちろん、いないのだろうけれども)。
 ところで渡辺謙は、このリトルビックホーンの戦いを知っていました。たった260人部隊で、数千のインディアン相手に雄々しく闘ったと思っているようです。
 トムクルーズは、カスター将軍のひどさが判っていますし、見ている私たちも知っているわけですが、日本の最後のサムライである渡辺謙には、カスターは少人数でも最後まで雄々しく闘ったと思っているようです。
 実際に、リトルビックホーンの戦いでは、白人騎兵隊たちは、銃を投げだし、「スーよ、命を助けてくれ」と叫んだようです。だが、その前の自分たちの妻や子どもを虐殺されていたスーたちですから、そんなことを聞くわけがありません。
 でもトム・クルーズはその説明を渡辺謙にするわけではありません。

 だがために、トム・クルーズは酒びたりの生活になり、その為に開国間もない日本の明治政府に西欧式軍隊育成のために雇われる。
 そして当時の最後の武士である渡辺謙の軍隊に敗北し、捕らわれることになり、そして次第に渡辺謙に魅かれていく。

 これはまったくの作り話であり、英語を喋る渡辺謙のサムライではなんだかおかしいのだろうが、昨夜は日本語であるから、私はそのまま見ていられました。

 おそらく、渡辺謙が、西南の役の西郷南洲隆盛がモデルであり、大村というのが、大久保利通がモデルなのでしょう。実際の西郷隆盛は、もうあの当時は馬に乗れなかったし、大久保の印象もまったく似ていないが、まあ、娯楽映画だしなあ、という思いでした。
 ただ明治天皇の西郷に対する思いは、あんな感じではなかったのかな、という感じを私は持っています。
 あの大久保利通のあとを継いだのが、山県有朋であり、西郷の思いを継いで、山県打倒目指したのが、私は北一輝だと思っています。ただ山県のやる大逆事件で、北は中国革命を目指し、そこで孫文の宋教仁暗殺(歴史上では、宋教仁を殺したのは袁世凱であるとされている)のあと、中国民衆の反日の声の渦の中、北は、宋教仁の霊の声を聞きながら「国家改造法案大綱」を書き上げ、それを持って日本へ帰ります。これがやがて、2・26へとつながります。
 ところが明治天皇の孫である昭和天皇は、北一輝を嫌います。彼らを暗殺裁判によって銃殺にします。私は今も渋谷の悲母観音を見上げては、あのときの死刑になった将校たちを思い、北一輝を思っています。
 この北一輝の2・26の思いを継いでいるのが、私は戦後の60年安保のブンド全学連であり、その後の三派全学連であると思い込んでいます。

 ところで、その思いをあらたにしながら見ていたわけですが、見終わったあと私は妻に、大久保の子孫は、今も鹿児島にはいないこと、そして今も大久保の西郷暗殺計画はなかったという主張をしていることなどを語っていました。
 この映画を見た影響なのでしょうが、私は今朝長い夢を見ていました。

 私はある私のクライアントに行っています。そこはひさしぶりなので、もう随分オフィスも替わっていました。ある雑居ビルの3階にあるのですが、行くと社長が新しい社員二人の相談を聞いてくれといいます。なんだろうかというと、あの二人の社員が現在はドコモの携帯電話なのだが、もうそれを替えたいので、その相談に乗ってくれというのです。社長はドコモのムーバですが、「こういうことは萩原さんじゃないと判らないから」といいます。
 そこで私は二人に会いました。二人はまだ二十代の若い人たちです。私はまず二人の今の携帯電話はドコモのムーバであることを確認しました。それで、「何を持とうと思っているの?」と聞きます。
 そうすると若い男性は、auだといいますし、若い女性はウィルコムのPHSだといいます。私はまずauの端末の話をします。そして、「私はこれがいいと思うよ」とその端末名を二つあげました。これは簡単です。
 しかし、そのあとのウィルコムのPHSです。これに関しては、ひととおりのことを喋ったあと、でも二人に、「じゃとにかく、二人にこの今喋ったことをメールするね」といいまして、そこにあるパソコンに向かいました。
 若い男性向きには、簡単に書きます。端末のメーカー名とその機種を書きます。問題は若い女性向きのウィルコムです。私は実際には、ウィルコムの今の機種は知らないのです。ただ現実の世界では、9日にプロジェクト猪の忘年会に参加する前に秋葉原で、このウィルコムの端末に触ってきていました。
 それでパソコンに向かって打ち出しましたが、なんだか文章が長くなります。もちろん箇条書きにしているのですが、この会社のパソコンでは非常に打ちずらいのです。私のパソコンとは辞書が違うので、うまく打てないのです。
 私のパソコンでは、諸葛亮の「出師表」をそのまま打っていくことができます。辞書が鍛えあげられているからです。
 そこで私は私の鞄から、ノートを取り出しました。
 そしてノートパソコンで、そのウィルコムの機種のことを書き出しました。

 ……………、そこで私は目が覚めました。もう朝6時13分でした。とても長い夢でした。そして私は、「なんであんな長大な夢を見ていたのかな?」と思いながら、しきりに考え込みました。
 そこで思い当たったのです。昨夜熱心に見ていたあの映画です。トムクルーズは、最後ペルシア戦争におけるスパルタのレオニダスが行ったテルモピレー(正確には日本語でもテルモピュライの戦いというんだろうな)の戦いのことを渡辺謙にいいます。だが少し嘘を言っています。

 ヘロドトスが言うには、クセルクセス率いるペルシア軍は210万の軍勢に対し、ギリシア連合軍は5,200だと言います。そしてギリシア最強の陸軍と言われるスパルタ軍はたったの300人の部隊だといいます。だがこのレオニダス率いるスパルタ軍は実に強かったのですが、300人の軍隊で、ペルシア軍と戦いました。
 そしてトムクルーズは本当のことはいいません。300人のスパルタ軍が100万のペルシア軍に勝ったと渡辺謙にいいます。

 私は夢の中で、この戦いを言っていたのです。ケータイがドコモがどんなに巨大でも、ウィルコムはこのレオニダス率いるスパルタの兵のように元気に戦うのだと。
 だがもちろん、私は夢の中でも、このスパルタ兵たちが全滅したことはいいませんでした。そのときに、私は映画の中のトム・クルーズ役のサムライの気持が判った思いになりました。
 でもとにかく私にはいい映画でした。そしていい夢を見ました。
 夢の中のあの二人、二十代の男の子と女の子に、また夢の中で会いたいものです。

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2006年11月04日

夢の中の日常「パンプレットの夢」

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 このごろけっこう長時間眠るようになり、夢を見たことも覚えているようになりました。
 2日前の朝もこの 夢の中での日常 を以下のように少し書いていたのですが、時間がなくて書き続けられませんでした。

 あ、実は先ほども(2日朝)見ていた、ある大学で会計学の先生に、質問したいのだけれど、先に質問している人のが長くて、それに少しイライラしている夢でした。

 それで、今朝私は4時40分に起きたのですが、その直前見ていた夢です。

 私は夢の中で、新聞を作っています。実際に私は温泉新聞という旅行業界の業界紙の記者でした。月3回の旬刊のブランケットの新聞でした。記事を書いて、そして新橋にある印刷場に、3日くらい閉じこもりで、校正と大組みをやります。
 私は夢の中で、棒ゲラを校正しています。記事のなかで、バブリシティ記事の部分を校正しています。
 広告は、記事中だったりすると、その広告部分は凸版を作ります。でも、この夢の中では、バブリシティ記事なので、ゲラで校正しているところなのです。

   だからサ、これは広告なんだから、そんなに長く丁寧に書くと、印象が強くないんだよ!

 私は相手にこう主張しています。私は「第一、あんたは広告担当なんだから、この記事の部分は、俺たち記者にまかせろよ」という気持になっています。相手のK君は私より1歳下ですが、私よりもその新聞社では先輩ですから、私は言葉には出しません。

   だってサ、前みたいに、「パンプレット」になっちゃったら、俺は羞かいちゃうもの!

 これは、何号か前の新聞で、K君が取ってきた広告で、記事中に凸版でいれるのですが、「パンフレット送付しますので、連絡ください」というような凸版を作ったときに、「パンフレット」ではなく「パンプレット」になってしまったということがあったのです。私たちは、記事のゲラは熱心に校正しますが、凸版になっているとそれが間違えていることがあるなんて考えもしなかったのです。
 私の隣にいるS編集長が、

   ばか、あのときは悪かったけれど、今度は間違えないよ

と言っています。
 私も、「Kは真面目だけれど、面倒なんだよな」なんて思っています。

 でもでも、これは夢の中ですが、Kよ、ごめんな。今も元気でいるのかな。子どもさんはどうしたのかな。そういえば、君も同僚だった川尻君が亡くなったよ。彼とは、亡くなる数ヶ月前までは一緒に飲んでいたよ。

 でも、このK君とは、もう会うこともないのかな。

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2006年02月12日

夢の中で「はて?? 」

 まっくまっく さんの はて??を読みました。野球のM選手って、誰よ?

 でも、自分の夢の話を、こうして書かれるのはいいなあ。私も毎日見ている夢をちゃんと書くべきだなあ。
 私も 夢の中の日常 という自分の見た夢のことを書いています。でも少々羞しいので、ほんのちょっとしか書いていません。もっと書くべきだな。
 私が、この自分の夢の中のことを書いているのは、島尾敏雄の「夢の中での日常」を最初は意識していたからです(でも島尾さんのを読んだのは、もう30年以上前だな)。フロイトの「夢判断」なんかは、要するに、なんだか私にはよく納得できないのですが、島尾さんはいいのですよ。

 まっくまっくさん、今度自分の見た夢の話をしようね。「そんな話をしても仕方ない」のですが、そういう「仕方もない」話をすることが、私には愉しいのです。



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2005年11月20日

夢の中の日常「温泉新聞社の社長と仲間と話した」

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 本日は、ずっと夢を見ていました。たしか5つぐらいの夢を連続してみていました。なんだか凄まじい夢も見ていたような気がします。
 それで明け方6時くらいでしょうけれども、私が20代に勤めていたことにある温泉新聞社の夢を見ました。

 その社長とずっとお話していました。ほとんど社長のほうが話していまして、私はずっとその話を聞いていました。ところが途中から、私はこの相手の社長がもう亡くなっていることに気がつきました。「ああ、そうすると、これは夢の中なんだ」と思いました。でも懐かしいのと、その社長の話される内容で、私はずっと聞いていました。
 でもなんだか次女がトイレに起きる音で、私も目が醒めました。
「なんだか、いっぱい夢を見たな。………、ええとそうか、5つ見たんだ」。なかでも最後のこの温泉新聞の社長との会話が懐かしい、大切です。「あ、またこのことを書いておこう」と思いました。

 でも私はまだ少し眠りたりません。リビングに来て、パソコンに向かわず、またソファの上に横になりました。
 私はすぐ眠りました。それで、すぐまた私は夢の世界に入りました。
 今度はすぐに、温泉新聞時代の同僚が出てきました。川嶋君という私より一歳年下の同僚です。私より先に入社していた先輩でした。温泉新聞社は、神田駅東口の紺屋町にあり、下に魚屋のある2階にありました。大変に狭い職場で、最初の日に私は座る席がありませんでした。
 でも翌日、前日にはいたこの川嶋君ほか3名が出社してきません。それで私は自分の席を確保しました。そして、そのとき急遽私は栃木県旅行業協会が総会が山梨県石和温泉で開催されるので、そこへ取材に行かされました。カメラ持たされて、何も判らないのに、「とにかく行けば、相手がなんかしてくれるよ」という林君のいうセリフのとおり、石和温泉の石和温泉観光ホテルへ行きました。
 ついて、総会の受付に行きまして、私が名刺を差し出しますと、受付の男性は、「ナニ! 温泉新聞! なんだふざけるな!」と言い放ち、私の名刺を投げ捨てました。私は非常に驚きましたが、かつ怒りが湧き、闘志がみなぎりました。
 かくして、その日私は取材をして、そして酒を飲み、あちこち名刺交換して、そしてそしてとにかく取材して、翌日二日酔いの頭で、電車の中で原稿を書き、帰社するやすぐに原稿を提出しました。これはちょっとあまりないことだったようです。川嶋君なんかは、取材に行きましても、3日も原稿が出てこないなんて、編集長に怒られていたものです。

 でも夢の中で、私は川嶋君とずっと喋っていました。彼は利根川の近くの化粧品屋の娘さんと結婚して、その相手の家に入り、一緒にその商売をやっていました。でも結婚して子どもさんが生まれたのはいいのですが、身体障害のあるお子さんでした。彼とは電話でそんなことに悩みを私が28歳のころ聞いたものでした。
 そんなことの会話を今また夢の中でしていました。もう夢の中で、私はこれが夢だということをすっかり忘れています。でもただただ、川嶋君が懐かしい。彼が語っていた数々の愚痴をたくさん思い出します。彼がやりました仕事上のミスをたくさん思い出します。彼の真面目な顔を思い出します。夢の中でも彼は少しも変わっていませんでした。同じ川嶋君でした。

 でもでも現実には、彼ももう56歳なんだな。パソコンでインターネットをやってくれればいいんだけれど、彼には間違いなく無縁の世界だろうな。

 夢を見て、たくさんのことを思い出しています。そして、こうして連続して同じ温泉新聞の関係の夢をみて、その前に見ていた4つの夢は綺麗に忘れてしまいました。

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2005年11月16日

「ペンギンの夢」!

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 私がときどき拝見しております water line さんの 昨日見た夢 に次のようにあります。

ペンギンの夢を見ました。

 ええッ! と驚きました。
 私もよく夢を見ます。いえ、もちろん、毎晩見ているのでしょうが、ほとんど忘れてしまうのでしょう。それでも少し覚えていた夢の中のほんの一部を次に書いています。

   夢の中の日常

「ほんの一部」というのは、起きたときは覚えていても、記録しないとさらに忘れてしまう夢がほとんどなのですね。本日見た夢のことも書いておこうかな、なんていう気持に今は少しなっています。

ペンギンとはいえ侮れないのであります。

 そうなんだ、とつくづく頷いています。

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2005年10月23日

夢の中の日常「犬の夢と結婚式の夢」

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 長い夢を見ていました。
 私の自宅が王子にあるのですが、そこで、どなたかの結婚式のあと若い方たちが私の家に大勢で寄ってくれました。一つの部屋に大勢で入ってたのしくお喋りしています。私のそこへ入ってお喋りに加わります。うーん、そうかあの子も結婚したんだな、なんて私は深く思いました。
 長い夢だったのですが、この中に3匹の犬が出てきていました。私のところで飼っている犬ではないのですが、私のところでそのうち2匹を預かったようです。白い洋風な名前の(今名前は忘れてしまった)と全身が茶色でまるっこい小さな太郎という和犬です。私は犬が大好きですから、もうとても喜んでいます。犬のほうも私のことを好いてくれているようです。

 でも夢は長い展開があったのですが、もうほとんど忘れてしまいました。起きたときにすぐ書いておけばよかったな。でも実は、この結婚した娘さんのことと、この犬のことは、なんだか不思儀に絡み合ったような内容でした。もう夢を見てから5時間近く過ぎてしまいました。なんだか長い夢だったのに、忘れてしまいますね。
 今後は、もっと起きたらすぐに記録してみようと深く思っています。

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2005年10月18日

夢の中の日常「ある方が亡くなりました」

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 また長い夢を見ていました。
 それにしても 夢の中の日常「本日も夢で起きたのですが」に書きましたように、ついこうした夢の内容をすぐにすべて忘れてしまうのがほとんどです。一昨日もものすごい夢を見ていたのですが、起きてすぐメモしなかったために、すべて忘れてしまいました。起きたときすぐに「これはメモしとこう」とも思ったのですが、「これだけ凄まじい夢なら、メモしなくていいや。それに忘れるんなら、それも仕方ないや」なんていう思いで、たしかに、そのまま忘れてしまいました。

 本日長く見ていたのは、最後がある埼玉大学の事務の方のお葬式があった夢です。その方が亡くなったというので、埼大の多くの昔の活動家が集まってきました。
 彼には、随分みんな大変に世話になっているのです。そんな方が二人いまして(いや現実にはもっと何人もいるわけですが、もう大変に世話になったのがお二人なのです)、そのうちにお一人が亡くなりました。
 そのお通夜に、何人も何人もの昔の活動家が、来てくれます。早い時間は、私より後輩の大勢の活動家たちです。みんなもう年をとっていますが、よく来てきれました。その一人一人とお話します。
 そのあと、私と同じ年、1、2年上の活動家が来てくれます。彼らと一緒にお酒を飲みます。でもなんだか、酒好きな私たちですが、お酒がはずみません。みな、亡くなった彼のことをたくさん思い出しています。でも会話はそれほど進みません。
 その飲んでいる席で、そのままみな泊まることになります。明日の告別式まで、みんなここで泊まるのです。
 それで、最後に灯を消します
 そんなところで、私の目が醒めました。ちょうど、朝の6時でした。

 けっこう大勢の友人の活動家たちとお話しました。そして、夢の中で一番悲しそうだったのは、残された、もう一人の事務の方です。夢の中でも、その方は埼大を退官されているのですが、来てくれて、私たちとずっとお通夜で付き合ってきれました。

 思えば、思えば、これは私の先ほどまでの夢の中の話なのですが、でもでも、実際にありました現実の話でもあるのです。現実と夢は、場面がかなり違うのですが、とにかく悲しい話でした。

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2005年10月05日

夢の中の日常「本日も夢で起きたのですが」

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 このところよくUPしています 夢の中の日常 ですが、これはメルマガに掲載ののち、将門Web内の

   http://shomon.net/bun/yume.htm  夢の中の日常

にUPするようにしています。
 本日もまた夢で、朝4時に目が覚めました。あまりに凄まじい夢だったからです。4時に目が覚めて、「これじゃ、毎日見ている夢を、毎日書くことになるな」なんていう思いでした。でも私は夢の印象の凄まじさに、メモをとりませんでした。
 そしてもう一度朝7時に目を覚ましたときに、夢の内容は綺麗さっぱり忘れ果てていました。なんとかむりやり思い出せば、思い出せるのかもしれません。でもなんだか、もう無理に思い出したくありません。

 思えば、もうずいぶん長い間、毎日夢を見ている、その夢の中でいろんなことを考えています。いろんなことを思い出しています。でも、その夢を記せばいいのですが、いつもすぐ忘れてしまいます。忘れないうちにすぐ書いたときのみ、私のホームページに記録しているだけなのです。

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2005年10月04日

夢の中の日常「血の匂いで起きた」

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 今朝、ある夢を見る中で、その夢の中の血の匂いに耐えられなくて、私は目が覚めました。ちょうど午前3時55分でした。
 私はベッドからパソコンの前に行きまして、しばしぼんやりして、「でもこんな夢なら忘れないよな」とも思いましたが、今までの経験ではすぐ忘れ果ててしまいますので、そこにメモをしました。「血の匂い、ヴァイキング、イングランド、フランス」と書きました。そしてその夢の内容を深く思い出しました。
 そして何故か、また私はリビングの長椅子の上で眠りました。7時に起きましたが、もうあの夢のことはすっかり忘れてします。
 でもパソコンにスイッチを入れるときに、私のメモを見ます。そしてその夢を思い出しました。「あ、このメモがなかったら忘れていたな」

 夢の中で、私はフランスにいるヴァイキングの一族のようです。だから、たぶん英仏百年戦争のちょっと前という時代でしょうか。イングランドのヴァイキングの一族がフランスに侵入してきます。あの頃の鎧兜をつけた大きなイングランドのヴァイキングが大きな剣を振りかざして、こちらのフランス海岸にどんどん上陸してきます。私は、それと闘う、こちらのフランスのヴァイキングの一族のようです。
 なんだか、激しい闘いになります。なにしろ、もう肉弾戦と同じです。大きな剣からは、相手や味方の血がしたたり落ちています。
 この血の匂いがすごいのです。この血の匂いに私は耐えられなくなります。
 ハッと驚いて私は、目が覚めました。私は自分の部屋のベッドの上でした。ずいぶん長い間闘っていたようで、私はすっかり疲れ果てていました。

 思えば、毎日いろんな夢を見ていますね。

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2005年10月02日

夢の中の日常「古いビルでしたが」

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 夢は見たあと、すぐに書いておかないと忘れてしまいます。夢をみたときに、「あ、これは必ず書いておこう」と思っているのに、ちょっと忘れていると、なんだか忘れてしまいます。ここで、こうして書き始めたときに、「何の夢だっけ」と考え込んでしまいました。でもいま思い出しました。

 私はある地方都市で働いています。私の働いている会社は、ある繁華街の古いビルです。私の会社は3階にあります。なんだか場所はいいのですが、古いビルで中にまだ借り手のない部屋があります。
 でも今回、私の部屋のとなりを女性の方が借りました。彼女は何の商売だったのでしょうか、そこがよく思い出せません。なんだか、女性用アパレルの販売店だったように思います。
 この彼女も私も3Fなのですが、この部屋は、どういう構造なのか1階の店舗と直接階段でつながっています。でも私はその1Fには2室あるのですが、従業員の控え室にしていました。外の道からは中が覗けないようにしていました。よく使えてはいなかったのです。
 新しく部屋を借りてきた女性が私のところに挨拶に来ました。彼女はブティックをもっと駅前で経営しているのですが、ここは従業員の控え室と経理と総務の部屋として使うようです。このビルは駅から歩いて5分くらいの位置にあるのです。
 彼女は、この1階の部屋がなんとかならないものかと相談してきました。なんだか、せっかくの繁華街のメインのストリートに接しているのに、この1階がもったいないというのですね。
 そこで何故か私はひらめきました。どうせなら、私の1階の二つの部屋も提供しようと考えました。

 私は彼女の部屋と私の二つの部屋に、ボードセーリング(ウィンドサーフィン)のボードとセイルで飾ることを提案しました。そこにいくつも彼女の販売店で扱っているアパレルの製品を飾ります。店は繁華街のメインストリートにありますから、そこを歩く人はたくさんいます。そしてその地方都市は東京湾に接しています。今は東京湾は、どこも大変に海が綺麗になって、どこでもボードセーリングが盛んになっているのです(これは私の夢の中の話、現実には海は綺麗になりましたが、ボードセーリングは私から見れば、今低迷しています)。
 でもぜひ彼女の店にも、こうしたウィンドサーファーとサーファーの女性たちの着るルックを置いてほしいのです。ウィンドサーファーもサーファーも、実際に運動をやる女性は少ないのですが、その関係のアパレルを着る女の子たちはたくさんいるのです。これからのその街で増えてくる可能性はおおいにあるのです。
 そんな私の提案から、彼女の1階の部屋と私の2つの部屋を飾ることにしました。ボードも何にもかも私が選択します。ただし、彼女の目で見てもらって選びます。私はどうしてもボード等々を機能のみで選んでしまうので、彼女の目が大事です。
 かくして、少々急いで大変でしたが、その路に面した私たち3つの部屋は美しくデコレーションされました。

 あとは明日それを披露するときに、路行く人たちの反応です。
 でもなんとなく私は自信があるのです。その街をサーファールックを着た女の子たちが闊歩している姿を私は想像しました。

 その想像の中で私の夢が醒めました。
 なんでこんな夢を見たのか、私にはその理由がよく判る気がしました。でもその理由はまたいずれ、書くかもしれません。

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2005年09月10日

曹丕・曹植の兄弟

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 私は昨夜は午後11時30分頃眠りました。なんだか、ひさしぶりにベッドで眠りました。何日か前に絶対にベッドで眠るようにしようとは決意してはいたのですが、やっぱり暑くてリビングで、ただそのまま赤ふんだけの姿で寝転がっていました。でも昨夜はちゃんと寝室に向かいました。
 朝夢を見ている中で、起きました。私は夢の中を思い出してみました。今見ていた夢なのに、どうせ忘れ果ててしまうのです。目が醒めたときに、すぐ思い出しておけばいいのですが、そしてすぐ書き残せばいいのですが、なかなかそうもいきません。

 私は曹植には、実に仲のいい兄弟がいたという夢を見ていました。曹林という名前でした。しかし、起きてみてからこの曹林を調べてみると、曹丕とも曹植とも母親が違いますが、実際に実在した兄弟でした(実は、曹丕・曹植には大勢の兄弟がいました)。
 でも夢の中では、ただ曹植と仲のいい兄弟というだけで、その他のことは何も判りません。というか、もうすべて夢の内容を忘れたのかもしれません。
 ただ、夢の中でも、この夢の中の曹林は、曹植とだけ仲が良かっただけではなく、曹丕とも仲が良かったように言われていました、夢とはいいましても、そういうことが書いてある書物を読んでいます夢なのです。

 (参考)曹植「七歩詩」

 そして夢の中では、なんと、諸葛亮孔明の「泣いて馬謖を斬る」のときのことを、この曹林がよく知っていたというようなことを言われていました(これは私の夢の中の話ですよ)。それで私は実に、「なるほど、そんなことだったんだ」なんて考えながら感心していました。あの孔明の第一次北伐が、馬謖の行動によって失敗するのですが、そのことは魏の曹林にも大変によく知っていたことだっだったんだな、なんてことを、しきりに夢の中で考えていました。

 しかし、なんでこんな夢を見たのかな? 曹丕も曹植も本当は仲のいい兄弟だと思っている私の心の中の何かが、あんな夢を見させてくれたのかな?

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2005年09月08日

私は大工で頑張っていた

05090802 私は本日目が醒めましたのは朝5時20分でした。相変わらずリビングでそのまま眠っていましたが、ふんどし一つの格好ではなく、ちゃんとパジャマを着て、リビングの椅子についているひつつのクッションを抱いて眠っていました。眠ったのがちょうど1時30分でした。
 私は長い夢を見ていました。私はどうやら大工さんなのです。二人の弟子を使っている若い親方のようです。頼まれた家を建てていまして、きょうは何故か大工なのに、作った家の内装の仕上げとして部屋の内部の色(色といっても透明のニスみたいな感じです)をつける仕事のようです(註1)。私たち3人の他に、設計士の先生も来てくれています。

(註1)もちろん、和式の家の内部の塗装といえば、左官になるのでしょうから、大工である私ができることではないのですが、とにかく、これは私の夢の中の話です。

 実は、私は会社を作って仕事をやっているわけですが、それまでは小さい仕事ばかりで、このように1軒の家を委されたのは、これがはじめてのことなのです。だから私たち3人はかなり緊張して仕事をしています。それと同時に私には嬉しい気持でいっぱいです。
 設計士の先生はほとんど言葉を発しません。でもときどき声を出してくれています。みないろいろな箇所の確認の声です。この設計士の先生の名前は今思い出せませんが、顔は現実の世界のK先生でした。この先生がいわば、私のすぐ後にいてくれるので、私は緊張しながらも、とても安心して仕事をしています。
 長い時間がたちまして、どうやら仕事が一段落です。
 なんだか、全員4人で一安心です。「これで施主さんは、間違いなく喜んでくれるだろうな」なんて思ったところで、私の夢が醒めました。
 うん、なんでこのような夢を見たのかな? でも夢の中でもちゃんと仕事をすると実に気持がいいですね。目覚めて私は大変に気持よくいました。

 たぶん、たぶんですよ、これはたぶん、次のことですね。
 私は昨日帰宅するときに、三省堂に寄りまして、吉本(吉本隆明)さんの「子供はぜーんぶわかっている」(批評社)を購入しまして、電車の中で読んできました。もうたいへんに、ここに出てくる教員お二人の話と、そして吉本さんの話に、とにかく大変に感激していました。そして私は教員である二人の娘の言う話もたくさん思い浮かべていました。
 たぶん、たぶん、この本を読んだ感激(まだ全部読み終わったわけではないが)が、こうした夢を私が見ることになった、最大の理由だと思われます。
 こういう愉しい夢を見ると、起きてから私はたいへんに気持よく、大変に寝覚めがいいです。

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2005年02月24日

本当は、いぬが飼いたかった

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 私のBlogPetはぱんだです。このPetが当初のうさぎだけでなく、いぬ、ねこ、ぱんだ、ねずみも飼えるようになったときに、私が犬が好き ですから、まずはそうしたかったのです。でもそうしなかったのには、訳があるのです。
(それから、上の私の「周の犬の話」は、まだ二匹しか書いていませんが、まだまだたくさんの犬の思い出があります。思えば、このブログだと簡単に書けるから、ここに書いて、それをまたちゃんとまとめて、私のホームページのほうに書くつもりです。名古屋南区で小学校3年ときにに出会った野良犬クロ、ここ我孫子で、出会った野良犬シロ、我が家族と、秋田・札幌・名古屋・鹿児島と一緒に歩いた、秋田犬ケン、そのケンの妻で、気が強かったヒデ、それに我が家で、珍しく飼いました、洋犬のベア、その妻のケリ…………たくさんの犬の思い出があります)。
 
 15日の午前中私は 日中康復治療院 で鍼の治療を受けていました。私はいつもの如く眠ってしまいました。私はその夢の中で、このぱんだに出会っていたのです。しかも実際のぱんだではなく、漫画やアニメのような姿のぱんだでした。「なんで、ぱんだなんかを夢に見るのかな?」という不思儀な思いでした。羞しいから、石岩先生には黙っていました。
 そのあと、Petが他の動物も飼えることを知り、19日に他に替えるとき に、「あ、あの夢の中のぱんだにしよう」としたものなのです。
 実は、その同じ19日に、私の友人のブログ せいちゃん あさくさ のPetはうさぎから犬に替えていました。ここに載せたのが、そのいぬ「ビクター」の画像です。このビクターも昨日朝書込みをしていてくれました。
 このビクターは、現実の世界では、せいちゃんが実際に飼っている犬です。せいちゃんは、浅草に住んでいますから、よくこのビクターを浅草で散歩させています。ときどき、せいちゃんは、隅田川沿いで、ホームレスの人たちとお酒を飲んでいますが、そんなときは、ビクターは一人でそばを歩き回っています。
 さあ、次には、私の「真理」も、せいちゃんちの「ビクター」もどんな書込みをしてくれるかな?


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2005年02月13日

2月8日の夢

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 私は 夢の中の日常 に書いていますように、眠りますと、毎日さまざまな夢を見ています。それをすぐにメモしておけば、そのメモによってさらに内容を深く思いだせるのですが、たいがいはメモもとらないまま忘れてしまいます。
 2月8日 日中康復治療院 の治療の中、私は眠ってしまいました。このごろ、このブログのためなのか、4時間睡眠ではなく3時間しか眠らない(本日は4時間眠りました。昨日夜10時20分に眠りまして、本日朝2時20分にこのパソコンの前に座りました)ためなのか、大変疲れているようです。
 それで、この8日の午前中、なんだか背中に鍼を打ってもらって、私は実に気持がよくて、眠ってしまいました。私は夢の中で、ここを抜け出して、何故か遊園地にいました。そこで、ある回転する乗り物に乗りました。一人用の小さな乗り物です。
 その乗り物は静かに回転しています。私は気持よさの中で、夢の中でもまた眠るところでした。そこへ男の子(たぶん小学生5年生くらいの元気な子たち)が3人やってきました。その子たちは私の周りで、私の乗り物に触れて面白がっています。だがそのとき、私の乗り物が、この男の子たちを、回転しながら迫ます。周囲の壁との間に男の子たちを押しつけます。私は男の子たちに、逃げるように言います。私では、この乗り物を止めようがないのです。でも一人の男の子が逃げ遅れて、壁との間にはさまれます。私はその乗り物から降りて、なんとか彼をそこから助け出して、「ごめんね」と謝ります。
 彼は怖くて、今にも泣き出しそうな顔をしていたのですが、危ないところから抜け出してみると、ニャっと笑いながら「ああ、面白かった」といいます。髪の短い元気な男の子です。
 その子の笑顔を見ているときに、石先生が鍼を抜き始め、私は元に戻りました。
 うーん、あの子たちは何だったのだろうか。

 私はこう思っています。次女ブルータスは小学校5年生の担任です。ブルータスはこの子たちのことが、可愛くて可愛くてしかたないようです。「あの子たちと別れると思うと結婚なんかしたくないよ」と言っています。ブルータスのクラスの女の子たちは、「先生が大好き」と文に書いてくれるくらい、ブルータスを慕ってくれています。
 そしてクラスの男の子たちなのですが、彼らは女の子たちのようには、自分の思いを外には露出はしません。ですが、いつも休み時間のときなんかには、実にブルータスのすぐそばに寄ってきて、さかんにブルータスとお喋りしているようです。ブルータスはまたそんな男の子たちのことも可愛くてしかたないようです。
 そんな話をブルータスから私はいつも聞いています。私はそんなブルータスの話をいつも聞きながら、たいへんに羨ましく思っています。
 おそらく、私の夢の中の3人の男の子たちは、ブルータスのクラスの子どもたちです。夢の中で会えても、私はとても嬉しいのです。 
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2005年01月30日

「魂を連れていく鳥」

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 ざらめ雪さんの とりのうた を読んでおりましたら、ハルピュイアのことが書いてありました。それで思いだしました。
 ギリシア神話の中の「アルゴ探検隊」の冒険談の中で、主人公のイアソン一行が、この怪鳥ハルピュイアと戦うとこころがありました。たしかに、この鳥は人間の頭を持つ、恐ろしい怪鳥です。
 この怪鳥と戦い勝利したあと、探検隊は、アジアとギリシアの間の海峡を越えます。映画の 
   「アルゴ探検隊の大冒険」'63 米英チャールズ・H・シニア製作 
でも、このハルピュイアとイアソンとの戦いは、描かれていました。あの映画も古い時代なのによくCGで描かれていました。
 思えば、人間は昔鳥だったことがあるから、空を飛ぶ鳥には、思い入れがたくさんあるのでしょうね。私は毎週、石岩先生の鍼灸の治療を受けているのですが(ちょうど今は妻が治療を受けている時間です)、そのとき治療中いつも夢を見るようにしています。
 私は夢の中、この治療院を窓から出てあちこちへ行きます。ある時は、エジプトへ行きまして、ピラミッドを上空から見ていました。この夢を見たときに、私は「ああ、俺も鳥であったこともあるから、ピラミッドを上から見た思い出が残っているんだな。また人間になっても、隊商を組んでエジプトの砂漠の中も歩いていたろうから、そのときのピラミッドの姿も思いだしたんだ」なんて思ったものです。 
 写真は、先週の治療後、その日中康復治療院を出て、30秒後に、すぐ近くの中央大学後の損保会社のビルを撮りました。昔はここに中大があり、その中庭ではときどき集会が開かれていました。思いだすのは、1968年11月7日の初めての沖縄闘争です。懐かしく、懐かしく、そして詳しく当時を思いだします。


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