将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Category: 夢の中の日常

06122205 今朝また夢の中で、焦って起きました。朝6時15分でした。

 私は家族で沖縄に旅行に行っています。でも二人の娘はまだ小学生のようです。
 沖縄の那覇から、さらに飛行機で南島に行きます。行ったところは、宮古島か石垣島がどちらだか判りませんが、大きな島です。
 私はまだ時間的に早いので、妻と二人の娘と離れて、一人でバスに乗ります。なんだか独りで、南島の海の地平線を見たいのかもしれません。
 バスは南島らしい、乾いた白い路を走っています(あ、今思えばあの夢の中の路は舗装されていなかった)。

 着いたところで、海岸で白い砂と青い海を見ます。
 でも私はそうした沖縄の海だと、必ず海岸の白い砂を手にたくさんつけて、星砂を探すのです。石垣島でも竹富島でも、たくさんの☆砂が手にたくさんついてきます。本当に☆の形をしているのです。
 でも私は夢の中でそれどころではありません。

 海を見るよりも、私は自分の背景の後を振り返りました。そこのは、白い海岸のすぐ後にはたくさんの綺麗な家が建っており、そのさらに背景には、いわば摩天楼のようなたくさんのビル群がそびえているのです。そしてその光景は実に綺麗です。

「え、南島って、こんなに変化繁栄しているんだ」

と私は声をあげます。実に驚くほどの変化繁栄です。
 でも私は急に自分の家族に逢いたくなります。
 そこでバス亭に戻ります。バス亭まで戻る路は、白い砂が綺麗で、海水も入り込んで実に狭い路になっています。でも私は急いで帰ります。

 バスに乗ります。何故かバスはいっぱいの人です。長い距離を走ります。
 そして私は、「早く早く、家族に逢いたい」という気持でいっぱいになっています。それでバスで払う料金が実に多いコイン玉で払わないとなりません。「なんだか数えるのが大変だなあ」なんて思っています。
 そしてバスを降りました。でも実はどこで降りたらいいのか判らない。でも私はもう降りて、走って行く気になっています。

「こんな綺麗な南島に来て、娘たちは喜んでくれているだろうな」なんて思いで、私は走り出しています。

 そこで目が覚めました。

 なんで、あんな夢なのでしょうか。私は南島はものすごく好きです。そして私の故郷だと思っています。
 でもその私の故郷の南島が、あんなに綺麗な海と綺麗な路をそのままにして、そして大都会になれているというのは、私の心からの願いです。

続きを読む

06122101 私の 夢の中の日常「ケータイとウィルコム」目森窟 Memorix の目森さんからトラックバックをもらいました。

 一方、勝元も、ともに維新を戦った大村と袂を分かち、敵対する所まで隔たってしまっている。
 明治天皇は、勝元に共感しつつ、大村一派に周囲を固められている。幾重にも入り組んだ距離のドラマを体現しているのが明治天皇である。
 自らの立場を自嘲気味に口にする場面があるが、その含みは、孝明天皇の暗殺だと思う。

「うーん、そうか」と唸っていました。私は「孝明天皇の暗殺」のことは少しも考えていませんでした。
 おそらく昭和天皇の2・26事件への際断は、この自分のひいおじいさんの孝明天皇のことがあるかと思っています。昭和天皇には、自分がぐずぐずしていたら、孝明天皇のようになってしまうかもしれないという思いがあったのではないか、そしてすぐに自分は秩父宮に替えられてしまうのではないかという思いがあったのではないでしょうか。
 もちろん、2・26の将校たちには、そこまでの思いはありません。でも思えば、皇道派よりも統制派のほうがそこまでやりきる雅量をもっていたかもしれないな。
「ラストサムライ」の中で、明治天皇のそばにいたのが、大村(間違いなく大久保がモデルでしょう)だとすると、あの映画の中の明治天皇も実に複雑な思いだったでしょうね。

 それにしても、目森さんが書いてくれて嬉しかったです。あの映画に関して、「あんまり面白くない」とか「よく日本の歴史を誤解している」なんていう意見を聴いていたものでしたが、私は見ていて、実に「なるほどなあ」なんて感心していたのです。そしてトム・クルーズ(ええと俳優名ではなく、その登場人物名で考えるべきなのですが、私はそれはよく判らなかった)は、カスター将軍がやったスー族の大虐殺を知っているのですから、彼は「この日本ではそんなことをさせないぞ」という思いがあったのだと思います。

 明治維新から、まだ150年が過ぎていないわけですが、どういうふうにいいつくろっていくのかな。
 やっぱり私には日本の歴史は判らないことだらけです。

続きを読む

3eb1fb32.jpg

 さきほど4時20分に私は目が覚めました。
 私は長い夢を見ていました。私は何人ものスタッフと、ある住宅展示場の運営について話しています。ちょうど10人のスタッフで話しています。もうこの展示場を大改装するのだが、それについて、今後どう広報営業していくかという話です。
 新規改装オープンの広告広報するのだが、この改装前の展示場のモデルルームを売ってしまおう、「破格の値段で売却する」からという、おおきなキャンペーンをやろうという企画です。
 そんなときに、ある女性社員が、「できたら、この展示場の家そのものを買いたい」という熱心な人がいたことを話します。
 そんなことを含めて熱心に話します。この日は休みの日です。休みと言っても、日曜日や祝日ということではなく、この展示場の休みの曜日です。住宅展示場は、土日も国民の祝日の、多くの方が訪れている営業日です。この私の夢の中の展示場がいつの曜日が休みなのかは、私は覚えていません。
 そこで長い会議を終えて、「明日からまたしっかりやろう」という確認のもと、もうみなで帰宅します。
 なんだか世田谷区にある展示場から、地下鉄で帰ります。
 みなけっこう近くの駅で降りていきます。自宅が近くだったり、乗り換えがあったりいろいろです。
 私が何故か一番遠いようです。
 最後のスタッフと別れて、一人になって、まだ地下鉄に乗っているところで、私は目が覚めました。

 うーん、私は考えました。私は住宅展示場の運営に携わったことはありません。ただ、30代の前半の広告制作会社でチーフプロジューサーをやっていたときは、その多くの広告制作の仕事は、住宅展示場の広報活動でした。実に莫大な数の広告物を作りました。
 世田谷区の展示場というと、当時は駒沢住宅展示場でしたが、私は夢の中でそのどこか一つのメーカーの展示場のスタッフの一人だったようです。
 私が実際にやっていたのは、展示場全体の広告で、とくには、その参加メーカーからの依頼で、チラシや看板、新聞記事下広告もやることがありました。でも私がその住宅メーカーの構成員ということは一度も経験がありませんから、なんであんな夢を見たのかなあ。
 実は、その営業展開の夢で、一人一人の真剣な発言内容は、実にリアルで熱心な発言でした。たった今は、その営業マンたちの熱心な発言内容と、その真剣な顔を一人一人思い出せます。

 なんで、こんな夢を見たのかなあ?

 本来なら夢自体が完全なものではないし、なにかちぐはぐなものなはずなのですが、実に真面目に仕事にとりくんでいる多くの仲間の発言を今も実にリアルに思い出しています。

 でも夢だけれど、また夢の中でもうみんなに会うことはできないのだろうなあ。

続きを読む

c6d24f2b.jpg

 昨夜は、「ラストサムライ」をずっとテレビで見ていました。原作のとは違って日本語版だから見たくないという意見も見まして、納得もするのですが、私は大変に感心して見ていました。普段なら、私はパソコンをやりながらテレビを見るものなのですが、昨夜だけは、テレビに熱中していました。
 この映画の中の二人のサムライは(いやもちろん「最後のサムライ」たちは真田広之ほかにいるのですが、やはりトム・クルーズと渡辺謙が二人のサムライなのでしょう)、実に良かったです。
 トム・クルーズはカスター将軍のインディアン虐殺現場にいたのです。そのシーンが出てきます。逃げるインディアンの女性と子どもを騎兵隊が虐殺しています。しかし、そのあとカスター将軍は、リトルビックホーンで、スー族、シャイアン族等の連合軍に敗北します。
 勝利したのは、シッティングブル・クレージーホース等が率いるスーの戦士たちでした。
 だが、このトム・クルーズがその場にいたかどうかは描かれていませんでした(もちろん、いないのだろうけれども)。
 ところで渡辺謙は、このリトルビックホーンの戦いを知っていました。たった260人部隊で、数千のインディアン相手に雄々しく闘ったと思っているようです。
 トムクルーズは、カスター将軍のひどさが判っていますし、見ている私たちも知っているわけですが、日本の最後のサムライである渡辺謙には、カスターは少人数でも最後まで雄々しく闘ったと思っているようです。
 実際に、リトルビックホーンの戦いでは、白人騎兵隊たちは、銃を投げだし、「スーよ、命を助けてくれ」と叫んだようです。だが、その前の自分たちの妻や子どもを虐殺されていたスーたちですから、そんなことを聞くわけがありません。
 でもトム・クルーズはその説明を渡辺謙にするわけではありません。

 だがために、トム・クルーズは酒びたりの生活になり、その為に開国間もない日本の明治政府に西欧式軍隊育成のために雇われる。
 そして当時の最後の武士である渡辺謙の軍隊に敗北し、捕らわれることになり、そして次第に渡辺謙に魅かれていく。

 これはまったくの作り話であり、英語を喋る渡辺謙のサムライではなんだかおかしいのだろうが、昨夜は日本語であるから、私はそのまま見ていられました。

 おそらく、渡辺謙が、西南の役の西郷南洲隆盛がモデルであり、大村というのが、大久保利通がモデルなのでしょう。実際の西郷隆盛は、もうあの当時は馬に乗れなかったし、大久保の印象もまったく似ていないが、まあ、娯楽映画だしなあ、という思いでした。
 ただ明治天皇の西郷に対する思いは、あんな感じではなかったのかな、という感じを私は持っています。
 あの大久保利通のあとを継いだのが、山県有朋であり、西郷の思いを継いで、山県打倒目指したのが、私は北一輝だと思っています。ただ山県のやる大逆事件で、北は中国革命を目指し、そこで孫文の宋教仁暗殺(歴史上では、宋教仁を殺したのは袁世凱であるとされている)のあと、中国民衆の反日の声の渦の中、北は、宋教仁の霊の声を聞きながら「国家改造法案大綱」を書き上げ、それを持って日本へ帰ります。これがやがて、2・26へとつながります。
 ところが明治天皇の孫である昭和天皇は、北一輝を嫌います。彼らを暗殺裁判によって銃殺にします。私は今も渋谷の悲母観音を見上げては、あのときの死刑になった将校たちを思い、北一輝を思っています。
 この北一輝の2・26の思いを継いでいるのが、私は戦後の60年安保のブンド全学連であり、その後の三派全学連であると思い込んでいます。

 ところで、その思いをあらたにしながら見ていたわけですが、見終わったあと私は妻に、大久保の子孫は、今も鹿児島にはいないこと、そして今も大久保の西郷暗殺計画はなかったという主張をしていることなどを語っていました。
 この映画を見た影響なのでしょうが、私は今朝長い夢を見ていました。

 私はある私のクライアントに行っています。そこはひさしぶりなので、もう随分オフィスも替わっていました。ある雑居ビルの3階にあるのですが、行くと社長が新しい社員二人の相談を聞いてくれといいます。なんだろうかというと、あの二人の社員が現在はドコモの携帯電話なのだが、もうそれを替えたいので、その相談に乗ってくれというのです。社長はドコモのムーバですが、「こういうことは萩原さんじゃないと判らないから」といいます。
 そこで私は二人に会いました。二人はまだ二十代の若い人たちです。私はまず二人の今の携帯電話はドコモのムーバであることを確認しました。それで、「何を持とうと思っているの?」と聞きます。
 そうすると若い男性は、auだといいますし、若い女性はウィルコムのPHSだといいます。私はまずauの端末の話をします。そして、「私はこれがいいと思うよ」とその端末名を二つあげました。これは簡単です。
 しかし、そのあとのウィルコムのPHSです。これに関しては、ひととおりのことを喋ったあと、でも二人に、「じゃとにかく、二人にこの今喋ったことをメールするね」といいまして、そこにあるパソコンに向かいました。
 若い男性向きには、簡単に書きます。端末のメーカー名とその機種を書きます。問題は若い女性向きのウィルコムです。私は実際には、ウィルコムの今の機種は知らないのです。ただ現実の世界では、9日にプロジェクト猪の忘年会に参加する前に秋葉原で、このウィルコムの端末に触ってきていました。
 それでパソコンに向かって打ち出しましたが、なんだか文章が長くなります。もちろん箇条書きにしているのですが、この会社のパソコンでは非常に打ちずらいのです。私のパソコンとは辞書が違うので、うまく打てないのです。
 私のパソコンでは、諸葛亮の「出師表」をそのまま打っていくことができます。辞書が鍛えあげられているからです。
 そこで私は私の鞄から、ノートを取り出しました。
 そしてノートパソコンで、そのウィルコムの機種のことを書き出しました。

 ……………、そこで私は目が覚めました。もう朝6時13分でした。とても長い夢でした。そして私は、「なんであんな長大な夢を見ていたのかな?」と思いながら、しきりに考え込みました。
 そこで思い当たったのです。昨夜熱心に見ていたあの映画です。トムクルーズは、最後ペルシア戦争におけるスパルタのレオニダスが行ったテルモピレー(正確には日本語でもテルモピュライの戦いというんだろうな)の戦いのことを渡辺謙にいいます。だが少し嘘を言っています。

 ヘロドトスが言うには、クセルクセス率いるペルシア軍は210万の軍勢に対し、ギリシア連合軍は5,200だと言います。そしてギリシア最強の陸軍と言われるスパルタ軍はたったの300人の部隊だといいます。だがこのレオニダス率いるスパルタ軍は実に強かったのですが、300人の軍隊で、ペルシア軍と戦いました。
 そしてトムクルーズは本当のことはいいません。300人のスパルタ軍が100万のペルシア軍に勝ったと渡辺謙にいいます。

 私は夢の中で、この戦いを言っていたのです。ケータイがドコモがどんなに巨大でも、ウィルコムはこのレオニダス率いるスパルタの兵のように元気に戦うのだと。
 だがもちろん、私は夢の中でも、このスパルタ兵たちが全滅したことはいいませんでした。そのときに、私は映画の中のトム・クルーズ役のサムライの気持が判った思いになりました。
 でもとにかく私にはいい映画でした。そしていい夢を見ました。
 夢の中のあの二人、二十代の男の子と女の子に、また夢の中で会いたいものです。

続きを読む

02f202d6.jpg

 このごろけっこう長時間眠るようになり、夢を見たことも覚えているようになりました。
 2日前の朝もこの 夢の中での日常 を以下のように少し書いていたのですが、時間がなくて書き続けられませんでした。

 あ、実は先ほども(2日朝)見ていた、ある大学で会計学の先生に、質問したいのだけれど、先に質問している人のが長くて、それに少しイライラしている夢でした。

 それで、今朝私は4時40分に起きたのですが、その直前見ていた夢です。

 私は夢の中で、新聞を作っています。実際に私は温泉新聞という旅行業界の業界紙の記者でした。月3回の旬刊のブランケットの新聞でした。記事を書いて、そして新橋にある印刷場に、3日くらい閉じこもりで、校正と大組みをやります。
 私は夢の中で、棒ゲラを校正しています。記事のなかで、バブリシティ記事の部分を校正しています。
 広告は、記事中だったりすると、その広告部分は凸版を作ります。でも、この夢の中では、バブリシティ記事なので、ゲラで校正しているところなのです。

   だからサ、これは広告なんだから、そんなに長く丁寧に書くと、印象が強くないんだよ!

 私は相手にこう主張しています。私は「第一、あんたは広告担当なんだから、この記事の部分は、俺たち記者にまかせろよ」という気持になっています。相手のK君は私より1歳下ですが、私よりもその新聞社では先輩ですから、私は言葉には出しません。

   だってサ、前みたいに、「パンプレット」になっちゃったら、俺は羞かいちゃうもの!

 これは、何号か前の新聞で、K君が取ってきた広告で、記事中に凸版でいれるのですが、「パンフレット送付しますので、連絡ください」というような凸版を作ったときに、「パンフレット」ではなく「パンプレット」になってしまったということがあったのです。私たちは、記事のゲラは熱心に校正しますが、凸版になっているとそれが間違えていることがあるなんて考えもしなかったのです。
 私の隣にいるS編集長が、

   ばか、あのときは悪かったけれど、今度は間違えないよ

と言っています。
 私も、「Kは真面目だけれど、面倒なんだよな」なんて思っています。

 でもでも、これは夢の中ですが、Kよ、ごめんな。今も元気でいるのかな。子どもさんはどうしたのかな。そういえば、君も同僚だった川尻君が亡くなったよ。彼とは、亡くなる数ヶ月前までは一緒に飲んでいたよ。

 でも、このK君とは、もう会うこともないのかな。

続きを読む

 まっくまっく さんの はて??を読みました。野球のM選手って、誰よ?

 でも、自分の夢の話を、こうして書かれるのはいいなあ。私も毎日見ている夢をちゃんと書くべきだなあ。
 私も 夢の中の日常 という自分の見た夢のことを書いています。でも少々羞しいので、ほんのちょっとしか書いていません。もっと書くべきだな。
 私が、この自分の夢の中のことを書いているのは、島尾敏雄の「夢の中での日常」を最初は意識していたからです(でも島尾さんのを読んだのは、もう30年以上前だな)。フロイトの「夢判断」なんかは、要するに、なんだか私にはよく納得できないのですが、島尾さんはいいのですよ。

 まっくまっくさん、今度自分の見た夢の話をしようね。「そんな話をしても仕方ない」のですが、そういう「仕方もない」話をすることが、私には愉しいのです。

b50edd7b.jpg

 本日は、ずっと夢を見ていました。たしか5つぐらいの夢を連続してみていました。なんだか凄まじい夢も見ていたような気がします。
 それで明け方6時くらいでしょうけれども、私が20代に勤めていたことにある温泉新聞社の夢を見ました。

 その社長とずっとお話していました。ほとんど社長のほうが話していまして、私はずっとその話を聞いていました。ところが途中から、私はこの相手の社長がもう亡くなっていることに気がつきました。「ああ、そうすると、これは夢の中なんだ」と思いました。でも懐かしいのと、その社長の話される内容で、私はずっと聞いていました。
 でもなんだか次女がトイレに起きる音で、私も目が醒めました。
「なんだか、いっぱい夢を見たな。………、ええとそうか、5つ見たんだ」。なかでも最後のこの温泉新聞の社長との会話が懐かしい、大切です。「あ、またこのことを書いておこう」と思いました。

 でも私はまだ少し眠りたりません。リビングに来て、パソコンに向かわず、またソファの上に横になりました。
 私はすぐ眠りました。それで、すぐまた私は夢の世界に入りました。
 今度はすぐに、温泉新聞時代の同僚が出てきました。川嶋君という私より一歳年下の同僚です。私より先に入社していた先輩でした。温泉新聞社は、神田駅東口の紺屋町にあり、下に魚屋のある2階にありました。大変に狭い職場で、最初の日に私は座る席がありませんでした。
 でも翌日、前日にはいたこの川嶋君ほか3名が出社してきません。それで私は自分の席を確保しました。そして、そのとき急遽私は栃木県旅行業協会が総会が山梨県石和温泉で開催されるので、そこへ取材に行かされました。カメラ持たされて、何も判らないのに、「とにかく行けば、相手がなんかしてくれるよ」という林君のいうセリフのとおり、石和温泉の石和温泉観光ホテルへ行きました。
 ついて、総会の受付に行きまして、私が名刺を差し出しますと、受付の男性は、「ナニ! 温泉新聞! なんだふざけるな!」と言い放ち、私の名刺を投げ捨てました。私は非常に驚きましたが、かつ怒りが湧き、闘志がみなぎりました。
 かくして、その日私は取材をして、そして酒を飲み、あちこち名刺交換して、そしてそしてとにかく取材して、翌日二日酔いの頭で、電車の中で原稿を書き、帰社するやすぐに原稿を提出しました。これはちょっとあまりないことだったようです。川嶋君なんかは、取材に行きましても、3日も原稿が出てこないなんて、編集長に怒られていたものです。

 でも夢の中で、私は川嶋君とずっと喋っていました。彼は利根川の近くの化粧品屋の娘さんと結婚して、その相手の家に入り、一緒にその商売をやっていました。でも結婚して子どもさんが生まれたのはいいのですが、身体障害のあるお子さんでした。彼とは電話でそんなことに悩みを私が28歳のころ聞いたものでした。
 そんなことの会話を今また夢の中でしていました。もう夢の中で、私はこれが夢だということをすっかり忘れています。でもただただ、川嶋君が懐かしい。彼が語っていた数々の愚痴をたくさん思い出します。彼がやりました仕事上のミスをたくさん思い出します。彼の真面目な顔を思い出します。夢の中でも彼は少しも変わっていませんでした。同じ川嶋君でした。

 でもでも現実には、彼ももう56歳なんだな。パソコンでインターネットをやってくれればいいんだけれど、彼には間違いなく無縁の世界だろうな。

 夢を見て、たくさんのことを思い出しています。そして、こうして連続して同じ温泉新聞の関係の夢をみて、その前に見ていた4つの夢は綺麗に忘れてしまいました。

続きを読む

c6b704ff.jpg

 私がときどき拝見しております water line さんの 昨日見た夢 に次のようにあります。

ペンギンの夢を見ました。

 ええッ! と驚きました。
 私もよく夢を見ます。いえ、もちろん、毎晩見ているのでしょうが、ほとんど忘れてしまうのでしょう。それでも少し覚えていた夢の中のほんの一部を次に書いています。

   夢の中の日常

「ほんの一部」というのは、起きたときは覚えていても、記録しないとさらに忘れてしまう夢がほとんどなのですね。本日見た夢のことも書いておこうかな、なんていう気持に今は少しなっています。

ペンギンとはいえ侮れないのであります。

 そうなんだ、とつくづく頷いています。

続きを読む

8a3136b6.jpg

 長い夢を見ていました。
 私の自宅が王子にあるのですが、そこで、どなたかの結婚式のあと若い方たちが私の家に大勢で寄ってくれました。一つの部屋に大勢で入ってたのしくお喋りしています。私のそこへ入ってお喋りに加わります。うーん、そうかあの子も結婚したんだな、なんて私は深く思いました。
 長い夢だったのですが、この中に3匹の犬が出てきていました。私のところで飼っている犬ではないのですが、私のところでそのうち2匹を預かったようです。白い洋風な名前の(今名前は忘れてしまった)と全身が茶色でまるっこい小さな太郎という和犬です。私は犬が大好きですから、もうとても喜んでいます。犬のほうも私のことを好いてくれているようです。

 でも夢は長い展開があったのですが、もうほとんど忘れてしまいました。起きたときにすぐ書いておけばよかったな。でも実は、この結婚した娘さんのことと、この犬のことは、なんだか不思儀に絡み合ったような内容でした。もう夢を見てから5時間近く過ぎてしまいました。なんだか長い夢だったのに、忘れてしまいますね。
 今後は、もっと起きたらすぐに記録してみようと深く思っています。

続きを読む

f4a8d84b.jpg

 また長い夢を見ていました。
 それにしても 夢の中の日常「本日も夢で起きたのですが」に書きましたように、ついこうした夢の内容をすぐにすべて忘れてしまうのがほとんどです。一昨日もものすごい夢を見ていたのですが、起きてすぐメモしなかったために、すべて忘れてしまいました。起きたときすぐに「これはメモしとこう」とも思ったのですが、「これだけ凄まじい夢なら、メモしなくていいや。それに忘れるんなら、それも仕方ないや」なんていう思いで、たしかに、そのまま忘れてしまいました。

 本日長く見ていたのは、最後がある埼玉大学の事務の方のお葬式があった夢です。その方が亡くなったというので、埼大の多くの昔の活動家が集まってきました。
 彼には、随分みんな大変に世話になっているのです。そんな方が二人いまして(いや現実にはもっと何人もいるわけですが、もう大変に世話になったのがお二人なのです)、そのうちにお一人が亡くなりました。
 そのお通夜に、何人も何人もの昔の活動家が、来てくれます。早い時間は、私より後輩の大勢の活動家たちです。みんなもう年をとっていますが、よく来てきれました。その一人一人とお話します。
 そのあと、私と同じ年、1、2年上の活動家が来てくれます。彼らと一緒にお酒を飲みます。でもなんだか、酒好きな私たちですが、お酒がはずみません。みな、亡くなった彼のことをたくさん思い出しています。でも会話はそれほど進みません。
 その飲んでいる席で、そのままみな泊まることになります。明日の告別式まで、みんなここで泊まるのです。
 それで、最後に灯を消します
 そんなところで、私の目が醒めました。ちょうど、朝の6時でした。

 けっこう大勢の友人の活動家たちとお話しました。そして、夢の中で一番悲しそうだったのは、残された、もう一人の事務の方です。夢の中でも、その方は埼大を退官されているのですが、来てくれて、私たちとずっとお通夜で付き合ってきれました。

 思えば、思えば、これは私の先ほどまでの夢の中の話なのですが、でもでも、実際にありました現実の話でもあるのです。現実と夢は、場面がかなり違うのですが、とにかく悲しい話でした。

続きを読む

d8407844.jpg

 このところよくUPしています 夢の中の日常 ですが、これはメルマガに掲載ののち、将門Web内の

   http://shomon.net/bun/yume.htm  夢の中の日常

にUPするようにしています。
 本日もまた夢で、朝4時に目が覚めました。あまりに凄まじい夢だったからです。4時に目が覚めて、「これじゃ、毎日見ている夢を、毎日書くことになるな」なんていう思いでした。でも私は夢の印象の凄まじさに、メモをとりませんでした。
 そしてもう一度朝7時に目を覚ましたときに、夢の内容は綺麗さっぱり忘れ果てていました。なんとかむりやり思い出せば、思い出せるのかもしれません。でもなんだか、もう無理に思い出したくありません。

 思えば、もうずいぶん長い間、毎日夢を見ている、その夢の中でいろんなことを考えています。いろんなことを思い出しています。でも、その夢を記せばいいのですが、いつもすぐ忘れてしまいます。忘れないうちにすぐ書いたときのみ、私のホームページに記録しているだけなのです。

続きを読む

40f3b981.jpg

 今朝、ある夢を見る中で、その夢の中の血の匂いに耐えられなくて、私は目が覚めました。ちょうど午前3時55分でした。
 私はベッドからパソコンの前に行きまして、しばしぼんやりして、「でもこんな夢なら忘れないよな」とも思いましたが、今までの経験ではすぐ忘れ果ててしまいますので、そこにメモをしました。「血の匂い、ヴァイキング、イングランド、フランス」と書きました。そしてその夢の内容を深く思い出しました。
 そして何故か、また私はリビングの長椅子の上で眠りました。7時に起きましたが、もうあの夢のことはすっかり忘れてします。
 でもパソコンにスイッチを入れるときに、私のメモを見ます。そしてその夢を思い出しました。「あ、このメモがなかったら忘れていたな」

 夢の中で、私はフランスにいるヴァイキングの一族のようです。だから、たぶん英仏百年戦争のちょっと前という時代でしょうか。イングランドのヴァイキングの一族がフランスに侵入してきます。あの頃の鎧兜をつけた大きなイングランドのヴァイキングが大きな剣を振りかざして、こちらのフランス海岸にどんどん上陸してきます。私は、それと闘う、こちらのフランスのヴァイキングの一族のようです。
 なんだか、激しい闘いになります。なにしろ、もう肉弾戦と同じです。大きな剣からは、相手や味方の血がしたたり落ちています。
 この血の匂いがすごいのです。この血の匂いに私は耐えられなくなります。
 ハッと驚いて私は、目が覚めました。私は自分の部屋のベッドの上でした。ずいぶん長い間闘っていたようで、私はすっかり疲れ果てていました。

 思えば、毎日いろんな夢を見ていますね。

続きを読む

0ce20f90.jpg

 夢は見たあと、すぐに書いておかないと忘れてしまいます。夢をみたときに、「あ、これは必ず書いておこう」と思っているのに、ちょっと忘れていると、なんだか忘れてしまいます。ここで、こうして書き始めたときに、「何の夢だっけ」と考え込んでしまいました。でもいま思い出しました。

 私はある地方都市で働いています。私の働いている会社は、ある繁華街の古いビルです。私の会社は3階にあります。なんだか場所はいいのですが、古いビルで中にまだ借り手のない部屋があります。
 でも今回、私の部屋のとなりを女性の方が借りました。彼女は何の商売だったのでしょうか、そこがよく思い出せません。なんだか、女性用アパレルの販売店だったように思います。
 この彼女も私も3Fなのですが、この部屋は、どういう構造なのか1階の店舗と直接階段でつながっています。でも私はその1Fには2室あるのですが、従業員の控え室にしていました。外の道からは中が覗けないようにしていました。よく使えてはいなかったのです。
 新しく部屋を借りてきた女性が私のところに挨拶に来ました。彼女はブティックをもっと駅前で経営しているのですが、ここは従業員の控え室と経理と総務の部屋として使うようです。このビルは駅から歩いて5分くらいの位置にあるのです。
 彼女は、この1階の部屋がなんとかならないものかと相談してきました。なんだか、せっかくの繁華街のメインのストリートに接しているのに、この1階がもったいないというのですね。
 そこで何故か私はひらめきました。どうせなら、私の1階の二つの部屋も提供しようと考えました。

 私は彼女の部屋と私の二つの部屋に、ボードセーリング(ウィンドサーフィン)のボードとセイルで飾ることを提案しました。そこにいくつも彼女の販売店で扱っているアパレルの製品を飾ります。店は繁華街のメインストリートにありますから、そこを歩く人はたくさんいます。そしてその地方都市は東京湾に接しています。今は東京湾は、どこも大変に海が綺麗になって、どこでもボードセーリングが盛んになっているのです(これは私の夢の中の話、現実には海は綺麗になりましたが、ボードセーリングは私から見れば、今低迷しています)。
 でもぜひ彼女の店にも、こうしたウィンドサーファーとサーファーの女性たちの着るルックを置いてほしいのです。ウィンドサーファーもサーファーも、実際に運動をやる女性は少ないのですが、その関係のアパレルを着る女の子たちはたくさんいるのです。これからのその街で増えてくる可能性はおおいにあるのです。
 そんな私の提案から、彼女の1階の部屋と私の2つの部屋を飾ることにしました。ボードも何にもかも私が選択します。ただし、彼女の目で見てもらって選びます。私はどうしてもボード等々を機能のみで選んでしまうので、彼女の目が大事です。
 かくして、少々急いで大変でしたが、その路に面した私たち3つの部屋は美しくデコレーションされました。

 あとは明日それを披露するときに、路行く人たちの反応です。
 でもなんとなく私は自信があるのです。その街をサーファールックを着た女の子たちが闊歩している姿を私は想像しました。

 その想像の中で私の夢が醒めました。
 なんでこんな夢を見たのか、私にはその理由がよく判る気がしました。でもその理由はまたいずれ、書くかもしれません。

続きを読む

f3593718.jpg

 私は昨夜は午後11時30分頃眠りました。なんだか、ひさしぶりにベッドで眠りました。何日か前に絶対にベッドで眠るようにしようとは決意してはいたのですが、やっぱり暑くてリビングで、ただそのまま赤ふんだけの姿で寝転がっていました。でも昨夜はちゃんと寝室に向かいました。
 朝夢を見ている中で、起きました。私は夢の中を思い出してみました。今見ていた夢なのに、どうせ忘れ果ててしまうのです。目が醒めたときに、すぐ思い出しておけばいいのですが、そしてすぐ書き残せばいいのですが、なかなかそうもいきません。

 私は曹植には、実に仲のいい兄弟がいたという夢を見ていました。曹林という名前でした。しかし、起きてみてからこの曹林を調べてみると、曹丕とも曹植とも母親が違いますが、実際に実在した兄弟でした(実は、曹丕・曹植には大勢の兄弟がいました)。
 でも夢の中では、ただ曹植と仲のいい兄弟というだけで、その他のことは何も判りません。というか、もうすべて夢の内容を忘れたのかもしれません。
 ただ、夢の中でも、この夢の中の曹林は、曹植とだけ仲が良かっただけではなく、曹丕とも仲が良かったように言われていました、夢とはいいましても、そういうことが書いてある書物を読んでいます夢なのです。

 (参考)曹植「七歩詩」

 そして夢の中では、なんと、諸葛亮孔明の「泣いて馬謖を斬る」のときのことを、この曹林がよく知っていたというようなことを言われていました(これは私の夢の中の話ですよ)。それで私は実に、「なるほど、そんなことだったんだ」なんて考えながら感心していました。あの孔明の第一次北伐が、馬謖の行動によって失敗するのですが、そのことは魏の曹林にも大変によく知っていたことだっだったんだな、なんてことを、しきりに夢の中で考えていました。

 しかし、なんでこんな夢を見たのかな? 曹丕も曹植も本当は仲のいい兄弟だと思っている私の心の中の何かが、あんな夢を見させてくれたのかな?

続きを読む

05090802 私は本日目が醒めましたのは朝5時20分でした。相変わらずリビングでそのまま眠っていましたが、ふんどし一つの格好ではなく、ちゃんとパジャマを着て、リビングの椅子についているひつつのクッションを抱いて眠っていました。眠ったのがちょうど1時30分でした。
 私は長い夢を見ていました。私はどうやら大工さんなのです。二人の弟子を使っている若い親方のようです。頼まれた家を建てていまして、きょうは何故か大工なのに、作った家の内装の仕上げとして部屋の内部の色(色といっても透明のニスみたいな感じです)をつける仕事のようです(註1)。私たち3人の他に、設計士の先生も来てくれています。

(註1)もちろん、和式の家の内部の塗装といえば、左官になるのでしょうから、大工である私ができることではないのですが、とにかく、これは私の夢の中の話です。

 実は、私は会社を作って仕事をやっているわけですが、それまでは小さい仕事ばかりで、このように1軒の家を委されたのは、これがはじめてのことなのです。だから私たち3人はかなり緊張して仕事をしています。それと同時に私には嬉しい気持でいっぱいです。
 設計士の先生はほとんど言葉を発しません。でもときどき声を出してくれています。みないろいろな箇所の確認の声です。この設計士の先生の名前は今思い出せませんが、顔は現実の世界のK先生でした。この先生がいわば、私のすぐ後にいてくれるので、私は緊張しながらも、とても安心して仕事をしています。
 長い時間がたちまして、どうやら仕事が一段落です。
 なんだか、全員4人で一安心です。「これで施主さんは、間違いなく喜んでくれるだろうな」なんて思ったところで、私の夢が醒めました。
 うん、なんでこのような夢を見たのかな? でも夢の中でもちゃんと仕事をすると実に気持がいいですね。目覚めて私は大変に気持よくいました。

 たぶん、たぶんですよ、これはたぶん、次のことですね。
 私は昨日帰宅するときに、三省堂に寄りまして、吉本(吉本隆明)さんの「子供はぜーんぶわかっている」(批評社)を購入しまして、電車の中で読んできました。もうたいへんに、ここに出てくる教員お二人の話と、そして吉本さんの話に、とにかく大変に感激していました。そして私は教員である二人の娘の言う話もたくさん思い浮かべていました。
 たぶん、たぶん、この本を読んだ感激(まだ全部読み終わったわけではないが)が、こうした夢を私が見ることになった、最大の理由だと思われます。
 こういう愉しい夢を見ると、起きてから私はたいへんに気持よく、大変に寝覚めがいいです。

続きを読む

dba35208.jpg
 私のBlogPetはぱんだです。このPetが当初のうさぎだけでなく、いぬ、ねこ、ぱんだ、ねずみも飼えるようになったときに、私が犬が好き ですから、まずはそうしたかったのです。でもそうしなかったのには、訳があるのです。
(それから、上の私の「周の犬の話」は、まだ二匹しか書いていませんが、まだまだたくさんの犬の思い出があります。思えば、このブログだと簡単に書けるから、ここに書いて、それをまたちゃんとまとめて、私のホームページのほうに書くつもりです。名古屋南区で小学校3年ときにに出会った野良犬クロ、ここ我孫子で、出会った野良犬シロ、我が家族と、秋田・札幌・名古屋・鹿児島と一緒に歩いた、秋田犬ケン、そのケンの妻で、気が強かったヒデ、それに我が家で、珍しく飼いました、洋犬のベア、その妻のケリ…………たくさんの犬の思い出があります)。
 
 15日の午前中私は 日中康復治療院 で鍼の治療を受けていました。私はいつもの如く眠ってしまいました。私はその夢の中で、このぱんだに出会っていたのです。しかも実際のぱんだではなく、漫画やアニメのような姿のぱんだでした。「なんで、ぱんだなんかを夢に見るのかな?」という不思儀な思いでした。羞しいから、石岩先生には黙っていました。
 そのあと、Petが他の動物も飼えることを知り、19日に他に替えるとき に、「あ、あの夢の中のぱんだにしよう」としたものなのです。
 実は、その同じ19日に、私の友人のブログ せいちゃん あさくさ のPetはうさぎから犬に替えていました。ここに載せたのが、そのいぬ「ビクター」の画像です。このビクターも昨日朝書込みをしていてくれました。
 このビクターは、現実の世界では、せいちゃんが実際に飼っている犬です。せいちゃんは、浅草に住んでいますから、よくこのビクターを浅草で散歩させています。ときどき、せいちゃんは、隅田川沿いで、ホームレスの人たちとお酒を飲んでいますが、そんなときは、ビクターは一人でそばを歩き回っています。
 さあ、次には、私の「真理」も、せいちゃんちの「ビクター」もどんな書込みをしてくれるかな?

4a440b5a.jpg
 私は 夢の中の日常 に書いていますように、眠りますと、毎日さまざまな夢を見ています。それをすぐにメモしておけば、そのメモによってさらに内容を深く思いだせるのですが、たいがいはメモもとらないまま忘れてしまいます。
 2月8日 日中康復治療院 の治療の中、私は眠ってしまいました。このごろ、このブログのためなのか、4時間睡眠ではなく3時間しか眠らない(本日は4時間眠りました。昨日夜10時20分に眠りまして、本日朝2時20分にこのパソコンの前に座りました)ためなのか、大変疲れているようです。
 それで、この8日の午前中、なんだか背中に鍼を打ってもらって、私は実に気持がよくて、眠ってしまいました。私は夢の中で、ここを抜け出して、何故か遊園地にいました。そこで、ある回転する乗り物に乗りました。一人用の小さな乗り物です。
 その乗り物は静かに回転しています。私は気持よさの中で、夢の中でもまた眠るところでした。そこへ男の子(たぶん小学生5年生くらいの元気な子たち)が3人やってきました。その子たちは私の周りで、私の乗り物に触れて面白がっています。だがそのとき、私の乗り物が、この男の子たちを、回転しながら迫ます。周囲の壁との間に男の子たちを押しつけます。私は男の子たちに、逃げるように言います。私では、この乗り物を止めようがないのです。でも一人の男の子が逃げ遅れて、壁との間にはさまれます。私はその乗り物から降りて、なんとか彼をそこから助け出して、「ごめんね」と謝ります。
 彼は怖くて、今にも泣き出しそうな顔をしていたのですが、危ないところから抜け出してみると、ニャっと笑いながら「ああ、面白かった」といいます。髪の短い元気な男の子です。
 その子の笑顔を見ているときに、石先生が鍼を抜き始め、私は元に戻りました。
 うーん、あの子たちは何だったのだろうか。

 私はこう思っています。次女ブルータスは小学校5年生の担任です。ブルータスはこの子たちのことが、可愛くて可愛くてしかたないようです。「あの子たちと別れると思うと結婚なんかしたくないよ」と言っています。ブルータスのクラスの女の子たちは、「先生が大好き」と文に書いてくれるくらい、ブルータスを慕ってくれています。
 そしてクラスの男の子たちなのですが、彼らは女の子たちのようには、自分の思いを外には露出はしません。ですが、いつも休み時間のときなんかには、実にブルータスのすぐそばに寄ってきて、さかんにブルータスとお喋りしているようです。ブルータスはまたそんな男の子たちのことも可愛くてしかたないようです。
 そんな話をブルータスから私はいつも聞いています。私はそんなブルータスの話をいつも聞きながら、たいへんに羨ましく思っています。
 おそらく、私の夢の中の3人の男の子たちは、ブルータスのクラスの子どもたちです。夢の中で会えても、私はとても嬉しいのです。 
続きを読む

2f340a2f.jpg
 ざらめ雪さんの とりのうた を読んでおりましたら、ハルピュイアのことが書いてありました。それで思いだしました。
 ギリシア神話の中の「アルゴ探検隊」の冒険談の中で、主人公のイアソン一行が、この怪鳥ハルピュイアと戦うとこころがありました。たしかに、この鳥は人間の頭を持つ、恐ろしい怪鳥です。
 この怪鳥と戦い勝利したあと、探検隊は、アジアとギリシアの間の海峡を越えます。映画の 
   「アルゴ探検隊の大冒険」'63 米英チャールズ・H・シニア製作 
でも、このハルピュイアとイアソンとの戦いは、描かれていました。あの映画も古い時代なのによくCGで描かれていました。
 思えば、人間は昔鳥だったことがあるから、空を飛ぶ鳥には、思い入れがたくさんあるのでしょうね。私は毎週、石岩先生の鍼灸の治療を受けているのですが(ちょうど今は妻が治療を受けている時間です)、そのとき治療中いつも夢を見るようにしています。
 私は夢の中、この治療院を窓から出てあちこちへ行きます。ある時は、エジプトへ行きまして、ピラミッドを上空から見ていました。この夢を見たときに、私は「ああ、俺も鳥であったこともあるから、ピラミッドを上から見た思い出が残っているんだな。また人間になっても、隊商を組んでエジプトの砂漠の中も歩いていたろうから、そのときのピラミッドの姿も思いだしたんだ」なんて思ったものです。 
 写真は、先週の治療後、その日中康復治療院を出て、30秒後に、すぐ近くの中央大学後の損保会社のビルを撮りました。昔はここに中大があり、その中庭ではときどき集会が開かれていました。思いだすのは、1968年11月7日の初めての沖縄闘争です。懐かしく、懐かしく、そして詳しく当時を思いだします。

↑このページのトップヘ