周の家族・教育の話

2017年02月11日

今徳島の苺を取りに来るようにおはぎの家へ電話しました

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昨日14時30分徳島の義弟からいちごが届きました。昨年は3月に四国鳴門市へ長男の結婚式へ私たち夫婦と、ミツ君・おはぎ・ポコ汰・ポニョ・ポポで出かけたものでした。その時の画像はいくつもUPしました。
 そのとき義弟の長女ミカさんご夫婦の栽培されている苺農園へ行きました。
 そのあとも、義弟夫妻、結婚した松本タクヤユウリ夫妻ともう結婚して子ども4人がいる戎居ナオシ・ミカ夫婦と一緒に楽しく過ごせました。2017021021
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 そのとき農園で口にした苺より、美味しかったです。ここの画像は一番上がその送ってくれた苺です。あとはインターネット上で見つけた画像です。
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この時は往復を飛行機で行きましたが、その時の孫たちも面白かったです。いや鳴門の渦潮もそれを見ている孫たち、ミカちゃんの子どもたちも面白かったのです。

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2017年01月18日

私の家族は全部で11名です

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  私の家族は、私たち王子じいじと王子ばあば、上中里にいるおはぎ・ミツ君とポコ汰・ポニョ・ポポと千葉県君津市にいるブルータス・ナオキ君とじゅに・ニコの全部で11名です。
 今度みんなでいつ会えるかなあ。2017011802
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2017年01月03日

今日3日はブルータスのところへ行きます

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 今日3日は千葉県君津市のブルータス・ナオキ君・じゅに・ニコの家へ行きます。その前におはぎ・ミツ君・ポコ汰・ポニョ・ポポの家にも寄ります。お年玉をあげるのです。それから東京駅から向かいます。ばあばとじいじでいくのです。一泊してきます。
 私じいじはニコには初対面なのです。このことはポメラでも報告します。
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2017年01月01日

おはぎ・ブルータスの家に電話しました

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おはぎの家・ブルータスの家に電話しました。
 ミツ君とも話して、ナオキ君ともお話しました。インフルエンザのポポも、ポコ汰もポニョも眠っていました。じゅにもニコも眠っています。
 ブルータスには3日に会えることを言われました。2017010104
 ああ、みんなと11人で会いたいなあ。2017010106
 こうして私は王子じいじ・ばあば、おはぎ家族5人、ブルータス家族4人の全部で11人なのです。
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2016年12月25日

これが昨日おはぎの家で出ていたケーキです

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このケーキが昨日12月24日おはぎの家で出ていたケーキです。これはおはぎが作りました。とろい私は今のいままでおはぎが買ってきたケーキだろうと思い込んでしまいした。言い訳すると、私は25歳くらいの時から、こうしたものは口に入れないですからね。
 でもやはりいいですね。昨日はまだ小さい(まだ6歳)ポポが司会をしてくれて、私じいじは心の底から嬉しかったです。
この夕方おはぎの家を行く前に、王子駅そばのコージーコージーで以下のようにケーキを購入しました。またこのケーキは個々に画像を載せます。2016122415


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2016年12月06日

クリスマスプレゼントを選ぶのが大変です

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 今年のクリスマスプレゼントを選んでいるのですが、ものすごく大変です。ポコ汰・ポポは男の子で、でも二人ともものすごく考えてしまいます。
 ポニョは女の子で、これまた大変です。
 じゅに・ニコも女の子で、また選ぶのが大変です。
 パパとママも選ぶのが大変だなあ。サンタクロースはまた別にプレゼントをくれますが、とにかくみな大変な苦心讃嘆です。ママおはぎとブルータスもこの大変さが分かることで、ものすごく大変で、でもいい習慣だと思うはずです。
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2016年09月23日

今ばあばはじゅにに会いに行っています

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 今ケータイメールをブルータスにしました。まだばあばはブルータスの家にはつかないと思いますが、こうしてケータイメールを出してみます。
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とにかくこうして書かないと不安です。今日は私は独りなのです。おはぎの家の3人ポコ汰・ポニョ・ポポに会おうかなあ。
でもまた何か心配かけるから、一人でおとなしくしていましょう。
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2016年08月19日

家族で足湯

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先日13日と14日おはぎとポコ汰・ポニョ・ポポとブルータスの家へ行きまして、大いに感じたことがあります。ばあばもブルータスもじゅにもナオキ君も一緒に行きまして、何枚かの写真を見たのですが、そこではみんな足湯をしていました。
私は前に鬼怒川温泉に行きましたときに、帰りの駅前でこの足湯につかりました。もう私は気持ちのいいこともありましたが、こうしてみんなで温泉に入れることがものすごく嬉しかったです。そこには綺麗な女性(もうお母さんでしたが。息子がいたもの)もいました。
 前には、こうして温泉に行きまして、ばあばとおはぎとブルータスと4人でわいわい言いながら楽しく歩きましても、浴場に入るとなると、途端に私は独りになり、もうそこで入っている方に話しかけようとしても、その彼が出て行ってしまうと、もう一人でただただ寂しいのです。もう身体を洗っても、一人ですから、もう部屋へ帰ることになります。一人でビールを飲んでいると、3人が楽しくおしゃべりしながら、帰ってきます。
 もう「またビール飲んでいる」なんて顔をしますが、私は独りで寂しいのです。
 そんな私でもこの鬼怒川駅前の足湯は良かったのです。そして今度はポコ汰とポポという私と同じチンチンが付いている孫と一緒ですから、寂しくはありません。もういっぱいチンチン踊りなんかしようなあ。
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2016年08月15日

13、14日の君津行でおはぎ・ブルータス家に電話しました

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2016080301 今おはぎ家・ブルータス家に電話しました。一緒に行きました孫たち3人の孫、君津のじゅに孫の可愛いことと、ナオキ君の作ってくれた美味しいラーメンのことをお礼し、東京駅まで迎えに来てくれたミツ君へのお礼もいいました。実に楽しく有意義な君津行でした。
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13日14日の君津行

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行ってきました。ただミツ君は学校の用事でいけませんでした。だから行ったのは、おはぎ・ポコ汰・ポニョ・ポポと王子じいじ・王子ばあばで、ブルータス・じゅに・ナオキ君と会いました。君津じいじ・君津ばあばにも会いました。ものすごく楽しかったのですが、私王子じいじは、眠ってもいびきをかいたりして王子ばあばには大変なことでした。
 もう私はシャープガラパゴスやカシオエクスワードを持っていかなかったので、ポニョ・ポポにはそれが残念(電車の中で遊べない)でした。ただじゅには楽しかったのじゃないかなあ。じゅにの笑顔が忘れられません。それに私はブルータスにも久しぶりだったので、もう実に嬉しい思いがいっぱいでした。ミツ君は東京駅まで迎えに来てくれていました。2016081503
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2015年10月18日

昨日兄莞爾の三回忌でした

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 昨日2015年10月17日は私の兄萩原莞爾の3回忌でした。我孫子市湖北の正泉寺で行い、そのあとは柏そごうの「美濃吉」にて法宴をしました。この日は私長女おはぎの長男ポコ汰は学校で栃木県で稲刈りの予定でしたが、雨で中止になり、すぐに義姉に電話して、最初から参加できました。おはぎは出勤日だったのですが、終わってすぐ来る予定が生徒の一人を見ることになり、1時間くらい遅れました。15101701
 でも私はひさびさにみんなに会えて嬉しかったです。
 私は義姉・弟・おはぎ・ブルータス・姪の次女(長女は息子が学校で見学行く用がありました)には参加者名を前もってケータイメールしてあり、でもポコ汰の急遽参加には義姉に電話連絡しました。
 それで当日は朝9時30分にミツ君が車で迎えに来てくれて6人で湖北正泉寺へ向かいました。ただ王子豊島から高速はスムーズだったのですが、柏で降りたあたりから渋滞でした。それで11時の法要ぎりぎりになりました。でもこれはみなさん同じだったようです。
 でも私は兄莞爾のいい三回忌・法宴ができたと思っています。兄莞爾は昭和17年2月11日の生まれで、まだ71歳でした。私周二は23年5月30日ですから、この間には大東亜戦争があります。なお、兄の名前莞爾は、2・26革命で処刑された佐賀の中島莞爾から名づけたものです。15101704
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 でも正泉寺での3回忌のあとの「美濃吉」での法宴は実に楽しいものでした。


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2015年04月02日

ブルータスの小学生の時の作文

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 この私の次女ブルータスの小学生の時の作文を読みました。たぶん、王子のお義父さん・お義母さんに読んでもらったものだと思います。原稿用紙に鉛筆で縦書で書いてあります。以下の内容です。別に書いても、問題ない内容だと思いました。
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   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 夏休みの思いで ブルータス(本名が書いてあります)
 わたしは、8月15日から東京のおばあちゃんの家に行きました。その時は、わたしのおねえちゃんと二人で行きました。しっかりのりかえのことを聞いてホームを聞きました。
 まずきっぷを買ったら4つ目のホームへ行って上野行きにのってにっぽりでおりました。それから、のりかえを2回して、王子のえきに行きました。二人で行ったのでとてもえらいと思いました。はじめは、ドキドキしましたけど、行ってみたら、すぐ行けました。 8月18日になったら、きぬがわに行きます。きぬがわへ行ったらまずなにをしようかな、と思いました。日光江戸村へ行って、おんせんに入って、と、思っていました。
 8月18日になりました。とうとうきぬがわに行く日です。わくわくしてきました。電車の中でトランプをしました。わたしは、時々、まだつかないの?とか、あと何分?と聞いていたのに、ついてみたら、もうついたの?と聞きました。わたしも自分でおかしいと思いました。
 マンションに行って1日目なのに、日光江戸村の大めいろに行きました。雨がふってきました。ざーざーぶりになってきました。
 大めいろに行ってわたしはお母さんと組んでおねえちゃんは、お父さんとくみました。き、ぬ、が、わ、のところ全部に、行ってスタンプをおすのです。それできょうそうをしました。
 けっかは、わたしたちのほうが早かったんです。おねえちゃんたちはどうしても、ゴールにいけなかったので、とうとうギブアップドアで、でてきたのでのです。だからおねえちゃんがくやしくて、またあしたやろうといいました。
 かえったらおんせんに入りました。おんせんの中で、だれもいなかったので、スーイとおねえちゃんといっしょに泳ぎました。それででてみたら、かみに、「やくそく」と書いてありました。何がかいてあるかというと、プールがわりにおよがしてはいけません。とかいてありました。だからみんなでわらってしまったのです。
 つぎの日になって、さっそく大めいろに行きました。こんどは4人ばらばらでやってみました。わたしは、あせ水ながしながらはしりました。おねえちゃんが3こできたといっていたので、わたしは、あせってきました。
 ようやく4こできました。はしってゴールめざしていきました。そうしてると、ゴールとかいてあるところが見えました。ようやくゴールにたどりついたのです。時間のスタンプをおして、出てきました。そとにはまだだれもいませんでした。わたしはひょっとしたら1位かな?と、思いました。お母さんがつぎにでてきました。1分のさでした。おねえちゃんがでてきました。お母さんと3びょうぐらいちがいました。お父さんがいつまでもでてきません。どうしたかな、と思いました。お父さんはこう言っていました。よゆうで1位だっだと思たのに、ともいっていたしあとはよゆうのしゅうちゃんだったのに。といってました。しゅうちゃんというのは、お父さんの名前です。しゅうじというので自分でしゅうちゃんと言っているのです。それからウエスタン村という所へ行って本物のうまにものったりおみやげもかいました。ことしの夏休みは、さいこうにおもしろかったです。 
  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 これで最後に担任の先生が赤ペンでこう書いてくれています。
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2014年01月06日

昨日の家族が集まったとき

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 この画像のものを用意したのです。これはここにもUPしたのです(これはインターネット上のホームページのを、9時30分に取りに行く予定が10時を過ぎてしまいました。
 それから急いで帰りまして、この画像を撮りました。
 そしてこれから私のプレゼントを届けます。ばあばからケータイメールがあってばあばのプレゼントも持っていくことになりました。


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2014年01月04日

この画像はブルータスの七つの時に北星神社でもらいました

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 随分昔のことになりますが、この画像はブルータスが7歳のとき(正確にはまだ6歳ですが)に我孫子の北星神社でいただいたものです。
 北星神社は、天之御中主(アメノミナカノヌシノミコト、日本で一番最初の神で、天照大神より古い神様です。
 ここの神社へは何度も行っていたのですが、最初は古い神社でしたが、あるとき綺麗に改築されて、この七五三でも実によくやってくれたものです。私が天之御中主のことをよく知っているので、神主さんに喜ばれたものでした。
 これはどうしても持っていたくて、でももう随分経過したので、今年は納めて焼いてもらう気持ちになりました。それで今日神田明神で納めました(この前のものはどこの神社へ納めてもいいのです)。明日ブルータスが来てくれますので、教えてあげます。

 でも実はおはぎのポコ汰が具合がよくなく(昨日今日とお医者さんへ行きました)、じいじとしては気が気じゃなくていたのでしたが、とにかく明後日6日にはポコ汰7歳の祝いのものを持って行きます。14010504

 この画像はインターネット上で北星神社のサイトから私が勝手にここに載せました。


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2013年11月16日

14日に撮りましたポニョとポポの腕と手です

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 一昨日14日におはぎの家で、ポニョとポポが見せてくれて、私が撮ったものです。でもなかなか固定できなくて、撮るのが大変でした。
 これで私ははるかな昔を思い出しました。
 私のブルータスが小学生の5年の頃、「ワタシ、タトゥ入れるけどいい」、私はあわてて、「えッ、タトゥって、刺青(いれずみ)じゃないか。ママッ、大変だよ、ブルータスが刺青入れるって」、でもタトゥって刺青じゃないのですね。私は昔留置場でいくつものヤクザさんの刺青を見ているので、それが一篇に甦ったのです。
 でもタトゥって、精巧に入れてまた消せるのです。心配した私が阿呆でした。
 こうして、幼い二人(ポニョは五歳、ポポは三歳)が平気で入れるものなのです
 ただし、この画像はどうしても二人の手も腕も揺れるので、こんな画像になりました。面白くない私は、ポケットテッシュも撮ったものです。
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2013年11月11日

今回ブルータスに贈りましたものです

13111101 今回インターネットで手に入れて、宅急便で送りましたものです。私周(本名周二)もブルータスの名前のイニシャルがSなのですね。
 そして私のサイトも将門Web(しょうもんウェブ)もSなのです。

 すぐにブルータスから喜びのケータイメールが届きました。
 その私が送りましたものがこの画像なのですが、でもこれを送ろうとしている前に、私があるところからプレゼントされたものが以下の画像のSです。これも素敵で感激したものです。13111102
 思えば、長女にもばあばにも贈ろうかな。いいことを思いついたものです。


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2013年10月31日

私が「私の兄弟」として書いた文がありました

13102606 その中に、以下のように書いていました。

 私は兄弟は男ばかり3人兄弟です。兄莞爾は昭和17年1月生まれで、私周二が昭和23年5月生まれで、弟正志は25年4月生まれです。兄と私は、母の実家である茨城県佐貫で生まれました(現在は藤代市になっています)。弟は秋田市で生まれました。
 私と兄の間があいている期間が日本の対米英戦争の間です。


 またそこには、以下のようにも書いています。

 ときどき駅前のある飲み屋で飲んでいると、何故か会うことがあったものでした。

 このある飲み屋というのが「盛(せい)」でした。ここへ今度の日曜日に兄のお通夜で私は我孫子ライフケア「メモリイプレイス」に泊まるので、行きましょうかね。あ、日曜日だからお休みかなあ。
あ、電話してみます。


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2013年08月21日

このハガキが長女おはぎからの残暑見舞です

13082103 午後3時10分頃、1Fのポストへ行きましたら、このハガキがついていました。

    残暑お見舞
       今年の夏も
      楽しくすごせて
     よかったです。いつも
    お世話になりっぱなしで
     スイマセン。これからも
      どうぞよろしくね。
    体調をくずしませんように。
  
    申し上げます

 もう私は嬉しいです。それと、この葉書の絵はおはぎが描いてくれたのかなあ。
 嬉しくて、こうして画像を撮りました。みんな孫たちのことを思い浮かべてしまいます。こんなハガキをもらって、すごく嬉しいです。

 あ、この葉書は前日20日に投函されています。私も四人の孫一人ずつにハガキを書こうかなあ。

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2013年07月20日

明日21日は私の母の七回忌です

13071704 私の母は実に私たち3人の子どもにもその3人の嫁にも、5人の孫にもそしてその配偶者にも親しまれていました。そしてまた今ではみんなその子どもがいて(私の母にはひ孫になります)、それぞれ来てくれるのです。
 私の次女のブルータスも長女のじゅにを連れてきたがり、彼のナオキ君も来たがったのですが(彼は前日の翌日も忙しい用があるのです)、今回はみな遠慮してもらいました。 ブルータスは私の母に実に可愛がられていたのです。だからとても残念なのです。
 その代わりに、本日私と妻がブルータスの家へ行きます。そしていっぱいお話してまいります。


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2013年07月02日

「結婚記念日一覧表」を見ました

13070204  私が破茶さんの短歌への勝手な思いを書いています周の『独楽吟のススメ』の864

  破茶さんはもう結婚されて5年が経ったのですね。インターネットで「結婚記念日年数と何婚式?」を見てみました。このあとUPしますね。木婚式は「5年目にしてでやっと夫婦が一本の木のように夫婦らしくなった、一体となったと言う意味」ということだそうです。

と書きましたのですが、
 そこは

  http://wedding.mimoza.jp/
   結婚記念日の年数と名称、意味

です。そこには次のようにありました。

年 数 名 称 意 味
1年目 紙婚式 将来の生活設計を白紙に書き出す
2年目 綿婚式 質素倹約を意味し、贅沢を戒める
3年目 革婚式 そろそろ倦怠期、革のように粘り強く
4年目 花婚式 花が咲き、実(子供)がなるように
5年目 木婚式 一本の木のように夫婦らしくなった、一体となった
6年目 鉄婚式 鉄のように強い人生を
7年目 銅婚式 家族、財産の安定を銅に例えて
8年目 ゴム婚式 弾力性のある2人の生活を
9年目 陶器婚式 陶器を大事に扱ってヒビが入らなかった
10年目 錫婚式 錫(スズ)の様に美しさと柔らかさを兼ね備えて
11年目 鋼鉄婚式 鋼のように強い愛の力で結ばれて
12年目 絹婚式 絹のようにきめ細やかな2人の愛情
13年目 レース婚式 さらに深く綾なす愛の証
14年目 象牙婚式 象牙のように年齢を重ねて輝く価値
15年目 水晶婚式 透明で曇りのない水晶のような信頼
20年目 磁器婚式 年代と共に値打ちが増す磁器の様な夫婦
25年目 銀婚式 結婚生活の一区切り、いぶし銀の美しさ
30年目 真珠婚式 富と健康を表す海の宝石に例えて
35年目 珊瑚婚式 永い年月を経て成長する珊瑚に例えて
40年目 ルビー婚式 深赤色のような2人の深い信頼と誠意
45年目 サファイア婚式 誠実と徳望で結ばれた結婚生活
50年目 金婚式 金色の輝きを得たという豊かさで大きな記念日
55年目 エメラルド婚式 深く静かで尊い夫婦の生活
60年目 ダイヤモンド婚式 長寿と一族の繁栄を意味する最高の結婚記念日

 これで私は、もう35年を過ぎているのですね。改めて結婚っ13070205て大変なことだなあ、と感じました。
 私の娘二人も幸せな結婚生活を送り、孫4人もけっこう楽しい毎日だろうな。
 長女おはぎの孫3人、ポコ汰・ポニョ・ポポと次女ブルータスの孫じゅにと、みんなで会いたいです。そればっかり考えているじいじなのです。



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2013年06月08日

私の誕生日のお祝いをもらいました

13060514 私は先月5月30日で65歳の誕生日でした。それで6月5日に長女おはぎが私にくれたのがこの画像もものです。
 渋谷のなんとかというところで手に入れたそうです。私にはもうこの年齢だと、嬉しくもなんともないのですが、こうして娘に気にかけてもらうと大変に嬉しいです。
1306070113060702 もうこの画像のものをいつも身につけています。


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2013年05月05日

昨日は私の家族10人がブルータスの家で会いました

13050408 昨日2013年5月4日は、私の家族10人が千葉県君津市の私の次女ブルータスとその娘じゅにと彼氏のナオキ君と会いました。
 朝8時すぐに電話があり、それから長女おはぎの家族5人が来てくれました。
 長女おはぎと彼ミツ君と、ポコ汰、ポニョ、ポポの5人とばあばと私の合計7人です。 最初品川を越え、川崎市からアクアラインに入るのに時間がかかります。それでも3人の孫は「だじゃれごっこ」なんかして声で遊んでいます。まだ小さいポポ(まだ満3歳前)もよく出来ています。私じいじはだじゃれは一つも思いつきませんから、ただそのくだらない駄洒落を感心して聞いているじいじなのです。
 私はいくつか周のIS01ブログをUPできるかと思っていたのでしたが、一つしかできませんでした。あとミルパスはまた整理していきました。ど13050409んどんとIDとパスワードが増えるばかりです。
 それとXD-N6500ではいくつも漢詩と日本の古典を聞きました。私は漢詩は大好きですから、ほぼその漢詩は暗記していますから、いくつも心から暗誦していました(口には出さないよ)。
 そしてとうとうブルータスとナオキ君の新居に着きます。そこで、じゅにとも三人の孫は今回は始めての対面です。
 ちょうど、あちらのじいじが大きなこいのぼりをあげようとしているところでした。それをみんなで見に行きます。
 そのあと新居に入ってみんなでじゅにと正式にご対面です。
 じゅには自分の従兄姉が三人も来てくれたので、とても嬉しかったのでしょう。終始ごきげんの笑顔でした。
 三人もひさしぶりに会えた従姉妹のじゅににとても嬉しかったでしょう。もう3人とも実に家の中を走り回っていました。じゅにはこの家を走る三人(とくに、ポコ汰とポポが走りました)にものすごく嬉しかったのじゃないかな。
 そしてみんなで(でも私を除く9人です)近くの公園へ行きました。ここでそこのスベリ台でものすごく遊んだようです。
 私は一人で大きなテレビで、「一休さん」を見ていました。これが私には面白くて、でもみんなが帰ってきたのに、画13050411面の中の一休さんとその母親の姿に大声をあげて泣いてしまい、もうしょうがないじいじです。いや私は独りで泣くつもりでしたが、みんながいたから仕方なかったのです。
 それからみんなは、この家の中でかくれんぼをしていました。それがもうとても嬉しかったようです。私と少し疲れていたミツ君以外は参加しまして、もうものすごく面白かったようです。ナオキ君が上手く隠れてなかなか見つからないようでした。
 もうポニョもポポも鬼になりたくて大変でした。玄関あたりで大声で数(かず)を数えて、それが最初は20でしたが、あとでは30数えるようになりました。ポニョとポポの「もういいかい?」という声と、みんなの「もういいよ」という声が今も私の耳に残っています。また今度やろうね。
 それでも帰らなくてはなりません。午後6時ころ、みんなで帰りました。
13050410 それに、ナオキ君の弟さんのとも家族も来ていまして(でもこの鬼ごっこには入らないで見ていました)、子どもは全員で6人いたのでしたね。
 そして「アクアラインは混むだろうと」という予想で、京葉道路で帰りました。でも千葉までは実に混んでいて、大変でした(途中で食事しようと思っていましたが、あきらめました)。それで私たちは、この王子の家に、21時15分に着きました。
 そして大村さんのコメントは読みました(あとでやります)が、レスすることもできなく、さらにブルータスから以下のケータイメール(21時47分)もあったのですが、

みんなが帰ったあとは嵐が去った後のように静かで寂しかったよ。じゅにもみんなとたくさん遊んで笑って、じじばばにも笑いかけたし姉さんにもたくさん笑ったし、楽しかったみたいだね(もっと長いケータイメールですが、その一部です)。13050412

 私は疲れてしまい(ただ車に乗っているだけなのに。もうじいじなのですね)、それで夜22時には眠ってしまいました。

  ミツ君、お疲れ様でした。
 ブルータスありがとう。ナオキ君にもありがとう。
 また今度夏にみんなでまた会いましょうね。



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2013年05月04日

今日は私の家族10人がブルータスの家で会います

13050210 今日5月4日は私の長女おはぎの家族5人と、私じいじとばあばの計7人で君津市のブルータスとナオキ君の新居へ行きます。そこにはじゅにがいるのです。全員で10人が集まります。ナオキ君のお父さん、お母さんにも会えるでしょう。
 みんなで会えるのは今からものすごく楽しみです。もうミツ君の運転する車で会うのも実に楽しみなのです。私は車の中では、孫たちとお喋りして、そしてまたエクスワードで文学作品を聞いていくでしょう。


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2013年05月03日

明日4日は私の家族10人が会います

13050201 明日4日は、君津市に行きます。ブルータス・ナオキ君の新居へ行くのです。集まるのは、

おはぎ、ミツ君、ポコ汰、ポニョ、ポポ

ブルータス、ナオキ君、じゅに

ばあば、じいじ

の全10人です。
 もう私は孫4人がどんな顔をして、どんなことを喋ってくれるのか、今からものすごく楽しみです。
 私はずっとIS01で報告します。いや車の中では海の上ではこの手段だけなのです。あ、今日3日はおはぎの家へ行きます。



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2012年11月18日

おはぎの高校の父母会を思い出しました

12111806 私は以下に書いたときに、いくつものことを思い出していました。

昨日は三匹の保育園へ行きましたの4
 それに長女おはぎは、父母会に行きまして、そのとき面談してくれました先生のことも思い出しました。その先生も、私たちの一つあとの生徒もそのお母さんも、その子たちの実家の町も思い出しました。

 これは以下に書いたことです。

2010年12月15日
ダ・ル・マ・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ(1994.11.22)

 これは実に楽しい体験でした。でも私はもうじいじだから、こうした体験はできないわけですが、今度は孫のほうに行こうかな。
 一昨日の孫の保育園の「お店屋さんごっこ」でも、お母さんは来ていましたが、私たちみたいに、じいじばあばはいませんでした。ポポが少し不思儀な顔をしていたな。まだポポは自在には振舞えないのです。今日行きまして、聞いてみましょう。ポニョはじいじばあばとお話できていました12111807が、それにポコ汰はもうお兄ちゃんで、よく分かっていました。いつもこの子の名前はあちこちから聞こえてくるのです。
 さあ、それでも聞きたいな。
 私も小さいときは、秋田市の保育園・幼稚園、札幌市の幼稚園のこともよく思い出していますね。



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2012年10月02日

昨日おはぎの家で私の母のことを話しました

12100113 昨日私は、御茶ノ水の理髪店プラドへ行ったのですが、その帰りにおはぎの家へ寄りました。当日はおはぎもミツ君も運動会の代休でお休みのはずです。
 私は駅前のセブンイレブ12100114ンでお菓子を5つ購入して家に向かいました。もう御茶ノ水から、孫のことばかり思い浮かべていました。
 でも家へ行くと、どうしてか留守です。「あれ、おかしな」と思っていると、しばらくして、自転車に乗ったポコ汰が来ました。そしてポニョも来ます。そしてミツ君パパが来ます。みんなで買物に行っていたのでした。
 それでお家へ入ります。すぐにおはぎママとポポが帰ってきます。
 そしてポポは、私の右のデューロカーゴからガラパゴスを取ってゲームをやりたいのです。でもうまく分からないのですが(実は私もよく分からない)、お兄ちゃんのポコ汰がガラパゴスをちゃんと開いてやれるようにします。
 でもポニョも、ちゃんとポポを見てあげるし、優しいにいにいとねえねえでした。
 そこで、でもおはぎが私が歩くときに、とても足が遅いことをいいました(丸2年前くらいからです)。
 それで私の母のことを思い出したのです。

  2010年12月21日母と鎌倉へ行った(1996.04.07)
  2010年03月10日鎌倉での思い出が甦る

 もう私も亡くなりました母を娘が思い出し、私と比較されるような年になりました。
 そんなものなのですね。
  あ、そうだ。この母と鎌倉へ行った日(1996.04.06)は、おはぎは大学生になったばかりで、ブルータスは高校3年生の始業式でした。



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2012年09月28日

運動会でみんなでごはんを食べる

12092706 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、以下のUPがありました。

近くの小学校や 投稿者:管理人  投稿日:2012年 9月27日(木)18時43分9秒
  保育所などでも、大勢の子供たちが運動会の練習をしています。小さな子供たちを一つにまとめて、何かをやらせるのは、とても難しい事のように思えます。昔、小学校の運動会と言えば、地区住民の楽しみの一つでもあったように記憶しています。今はもう、運動場で家族と一緒に昼ごはんを食べたりすることも無いのでしょうね。

 私の孫のじゅにの保育園の運動会が10月7日で、三匹の運動会が13日(土)でした。その他にも、私の長女おはぎ、そのミツ君パパの運動会もあります。私は前に間違って書いていました。あとで訂正します。

  家族と一緒に昼ごはんを食べたりすることも無いのでしょうね

 まったく、これは認識が間違っています。むしろ私たちの時代より、盛んになってきていると思いますよ。
12092709 私は姪のみーねえの運動会にも一貫として行きました。私は前日の土曜日はゴールデン街で飲んでいますから、そこから朝3時半から4時頃帰ります。そうすると、我孫子第四小の校門の前に行きますと、必ず義姉がいまして、「あ、やっぱり来てくれた」と私と交代します。義姉はそれから、お弁当を作るのです。それで私は二日酔いで延々文庫本を読みながら待ちます。
 そして門が開いたら(たしか8時頃開く。だから私は確実二時間は待っていたんだな)、私も必死に走って場所を確保してそこで横になって寝ていると、30分もたつ頃、義姉が母と来て、そのうち私の家族(妻二人の娘)、弟家族(みんなで四人)が来ます。
 私の父は必ず6時半頃、ちゃんと見に来ます。でも私と替って並んでくれることなんか皆無です。
 昼前に、兄が来ます(もう自分の娘だよ。少し腹たつ)。そして昼食をみんなで食べたあとその兄は勝手に帰ります。私は延々いるのでした。
 私の娘のときも同じでした。私はいつもゴールデン街からあわてて帰ってきたものです。そして夕方運動会が終わると、私は兄の家でビールを飲みます。二日酔いのビールは旨いのです。
 そのうち、私の娘の運動会では、「あ、周さん、ビール」と差し入れてくれる人がいるようになって、「え、ビールなんか、いけないけれど、差入だからな」なん12092710て、私はほざきながら、飲んでいたものでした。二日酔いのビールは実に旨いのです。
 こんなことをずっと続けていた私なのです。
 今度は私の孫の運動会です。また私は同じにやります。今はもうビールは飲まないで、いいじいじになります。



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2012年09月26日

この画像は「フリー写真素材Futta.NET」を使わせてもらっています

12092510 ここにいつも載せている画像は、私のこのブログのサイドバーにある

  http://www.futta.net/
   フリー写真素材 Futta.NET

の写真です。私が自分のデジカメで撮ったものもありますが、とてもそれでは足りませんので、ここの素材をつかわさせてもらっています。
 それで、ここの画像は芝桜です。それで思い出したのです。昔私の我孫子の家から、この芝桜を見て歩いたことを。
 それは、「2005年05月06日この花はシバザクラです」
    http://shomon.livedoor.biz/archives/21093744.html

に載せたのが、当時の家から5分くらい歩いたところの芝桜でした。
 私は以下のように書いています。

この写真のシバサクラは、昨日は早く眠ってしまいましたに書きましたときの4月24日の手賀沼の故郷(ふるさと)公園です。

 このときに私の住む我孫子のマンションの大きな庭には、ブルータスの友だちの二人が来て、バトミントンをやっていました。もうその二人も教員になっていたときかなあ。いまでも、この二人はブルータスの親しい友だちでいてくれます。



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2012年09月17日

昨日は栄町のお祭りでした

12091608 私とばあばで行きましたが、もうおはぎの家には誰もいません。それでケータイしますが、おはぎもミツ君もでません。困ったなあというところで、ばあばと昨日のお祭りのあった公園に行こうということにしました。高崎線をくぐる地下道を越えていきまして、そこでばあばがおはぎのケータイと連絡がつきます。
 そこで歩いていきますと、どこからかお神輿を担いでいる掛け声が聞こえます。やっぱり三人の孫が山車を引いています。
 おはぎママはお神輿を担いでいるそうです。ミツ君と交代で担いで、一人が三人を見ているようです。
 私は三人の孫を見つけて、ものすごくほっとして、ものすごく嬉しいです。子どもたちはみなで山車を引いているのです。
 もう休んでいるところで、いくつものものが差入されます。お豆腐や美味しいお肉などです。それにビールもです。もう最後に山車はやめになって、お神輿だけをかつぎます。おはぎの家のある、北区栄町は古い街ですから、いいお神輿がいくつかあるのです(ただし担がれているのは一つだけ)。
12091609 私ははるかな昔、こうしたお神輿を担いだことを思い出しました。名古屋市の南区若草町に住んでいたときでした。小学校三年のときでした。9歳の時ですから、55年も昔のことです。
 あのときは、子どもだけの(しかも男の子だけの)神輿だったなあ。もう細かく思い出されてきます。私たちのお神輿を先導していた5年生の男の子を思い出します。強い、気の強い男の子でした。
 いくつものことが思い出されます。私の三人の孫もものすごい思い出として残ることでしょうね。
 もう山車を引かなくなってから、私はずっとポポと手をつないで歩きました。ポニョはばあばと手をつないで歩いていました。ポコ汰は来年は小学生になるのです。もう大きいお兄ちゃんです。ああ、そういえば越谷じいじばあばの家のそばで髪を切ってもらったそうです。ポポもです。
 最後おはぎママがお神輿から離れたときには、ポポは私から手を離し、ママと手をつなぎました。私じいじは、もうポポの手を引いているというよりも、私が手をひかれているほうなのです。
12091610 もう少し前までは明るかったのに、もう午後5時半を過ぎて暗くなっています。
 私たち7人は皆で家に帰りました。三人の孫には、いい思い出ができたのじゃないかなあ。
 おはぎは今日は肩がいたいのじゃないかな。ミツ君は三社祭りで慣れていますから、平気ですが。


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2012年09月12日

「個性と能力」というUP

12091108 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、昨日11日のUPが以下なのです。

個性と能力 投稿者:管理人  投稿日:2012年 9月11日(火)07時01分48秒
  人は皆、それぞれに異なる個性と能力を持ち合わせています。また、その個性も幼い時から発揮される場合もあれば、随分と大きくなってから、花咲く事もあります。滑り台で遊ぶ幼い子供たちを見ていると、階段から登ろうとするもの、滑るほうの坂から上ってみようとするもの、滑ったり登ったりする子供たちを、ただ眺めているものなど、実に様々です。例え小さな階段であっても、皆に、その階段を上る能力が備わっていても、その子供が滑り台に興味を持ち、階段に注目し、そして登ってみようと思わなければ、そこに「滑り台」という玩具は存在しないも同然です。何に興味を持つのか、持たないのか!それも個性の内なのでしょうね。

 これはものすごく感じています。娘二人では、私は次女のブルータスがわがままな娘かと思っていました。でもそうでないところもいっぱい感じてきまして、ちゃんと見ていないとだめだなあ、と感じてきたものです。
12091109 娘二人はけっこう一緒に旅行をしているのですが、いつも次女ブルータスがきめ細かく計画を立て、長女おはぎはそれにその通りについていくだけです。私たち家族の旅行もいつもそうでした。でも長女おはぎも大切な役割を果たしていてくれたのです。ブルータスはいつも姉を信じています。いや私たち夫婦もそうなのですね。
 私の孫四人ですが、これもいっぱいに感じることができます。少しわがままなところがあるかなあ、「今度はちゃんと注意しよう」なんて思っているポポですが、昨日はとってもいい子でした。少し感心していたじいじです。
 そうねえ、私の二人の娘でもたくさん個性を感じていたものですが、孫四人でもいっぱい感じています。
 孫といろんな公園へ行っても、いつも慎重なポコ汰を感じますし、少し驚いてしまうポニョの大胆さにびっくりしています。ポポは、どうなのかなあ。すぐに相手に自分の主張を届けようとする強いポポを感じます。
 そうねえ、ブルータスの娘じゅには、けっこうおとなしい娘に思えますが、でもブルータスに対してはけっこうわがままで、でもそれが実に嬉しいじいじなのです。
 もう少し経ったら、鎌倉の大仏を見に行きたいななんて思っています。いやこれは、昔、みんなで行きました思い出をいつも振り返るからです。でもあのときはブルータスは一緒ではなかったな、なんて思い出すのです。孫たちといけたらいいなあ。私は実朝様にいくつものことを報告します。
12091203 この鎌倉へ行った思い出は以下です。上のリンク先も同じ日のことを書いているのです。

   母と鎌倉へ行った(1996.04.07)

 ダダさんの「個性と能力」ということで、いくつものことを思い出しました。



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2012年09月09日

「従姉妹には」というUP

120908041209080512090806 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、昨日のUPが以下の通りなのです。

従姉妹には 投稿者:管理人  投稿日:2012年 9月 8日(土)15時46分16秒
  三人の子供がいたのですが、一番上の子は年も離れていたので、いつも「お姉ちゃん」らしく、下の二人の面倒を見ていたものです。二番目が男の子で、すぐ下に、次女がいました。食事時、男の子は、母親などに話しかけながら、ゆっくりと食べるのですが、一番下の次女は、いつも素早く食事を進め、自分の「オカズ」が無くなると、横でおしゃべりに夢中の、お兄ちゃんの分まで、さっさと頂いてしまいます。後で気づいた男の子は泣いて母親に訴えるのですが、肝心のオカズは、もう、妹のお腹の中ですから、母親も苦笑するしかありません。

そんな兄弟姉妹たちも、もう、皆、子供を育てています。同じ親から生まれた子供たちも、それぞれに個性があるものですね。

 これを読んでものすごく私も思い出しました。二人の娘をものすごく思い出すのと、孫たち四人を思い浮かべます。
 二人の娘では、妹のブルータスのほうが大変に聞かない娘でした。でも今では、それを口に出さないようにしました。反省しているブルータスがものすごく可哀想なのです。
 昨日も長女の家に行きました。まだ二歳のポポが実に聞かない子です。姉のポニョがとっても優しいです。でもいつも、「今日こそ、ちゃんとポポを注意しよう」と決意しているのですが、そばに行くと、駄目なじいじになります。ポポが可愛くて仕方なくなるのですね。これは困った事態です。
 またちゃんとしようという決意ばかりしています。

 写真は昨日長女おはぎの家で、途中で私が買ってきたものです。でももうポコ汰がプールから帰ってきたときに、もうそんなに喜ばないのですね。もう赤ちゃんではなく、子どもなんだなあ、と思ったものです。少しさびしいじいじなのですが。



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2012年09月06日

保育園と幼稚園のことで

12090601 私は、藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、以下のように書きました。

「あれは昭和28年のことです」を書きました 投稿者:周  投稿日:2012年 9月 5日(水)05時04分21秒
 そうですね。私の長女の三人の孫たちの保育園への行きかえりであるく細い路は、私にはいつも子どものときの秋田での保育園・幼稚園(あのときはこれが併用されていたのです)への行き帰りの路が甦ってくるのです。

 私の書くことで、「この男は、保育園と幼稚園の違いを知らないのじゃないか」と思われるかたがいると思います。それで書きます。
 幼稚園は、文部省の管轄でいわば小学校の前段階の教育機関が幼稚園なのです。保育園は厚生省(今は違う名称かな)の管轄です。だから、幼稚園は先生で、保育園は保母さんです(もちろん、子どもたちは「センセイ」と呼んでいるいるでしょうが。かつ今は保父さんもいます)。
 私は、「魯迅『狂人日記』」の最後の「子どもを救え」という言葉で、自分の進む路を決めたことがあります。私は大学を出ても、ずっと公民権停止が続き(あるとき選挙権がないことで気がつきました)、その当時保母の養成をやろうとしまして、「保育総合学園」というところへ入社して、保母養成に関するコピーライターになりました。
 このときに、この保母養成講座の通学コースに通って実際に資格試験に合格したのが私の現在の妻です。
12090602 この頃は、私は実際の講義を私も受けたものです。日曜日に若い女性たちに混じって私も粘土細工等をやったものでした。
 妻は、我孫子市で実際に保母で仕事に就いたものでした。
 思えば、いろいろと懐かしいことがありますね。



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2012年08月19日

私は毎日は行ってないのです

12081820 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」に、以下の書き込みがありました。

周さんが 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月18日(土)08時40分8秒 218.231.119.32.
  毎日のように、
お孫さんの所に出かけては、
沢山の会話をされていることに感心しています。

周りから、多くの愛情を注がれて育つ、
お孫さんたちは、きっと感性豊かな大人になることでしょう。

 私は毎日はいけないのです。いやもちろん行きたいのですが、そんな毎日行ったら、おはぎに怒られてしまいます。
 今日は行くつもりでいます。でもいついこうかな(これがけっこう難しいのです)。
 今日はポコ汰はおはぎママ(ミツパパかもしれない)プールへ行く日なのです。プールで懸命に泳ぐのです。そうしないと、お風呂でもぐりまして大変なのです。 来年4月からは、ポニョが、そのよく年からはポポが行きます。
 そうねえ、私はよく行くのですが、結局そこですぐに眠ったりして(ゴーゴーといびきをかくようです)、評判が悪いのです。「これもじいじの悲哀なのだ」なんて言っても、誰も同意しません。
12081902 そうねえ、いっぱい会話したいけれど、みんな私の話を聞いてくれるかなあ。
 そうだ、よしもとばななの『マリカの永い夜』や、ダニエル・キイスのビリー・ミリガンの話をしてあげればいいのかなあ。でももう少し大きくなってからかなあ。
 いつも吉本(吉本隆明)さんを思い、吉本さんの言葉を思い出しています。



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2012年08月18日

子どもたちにいくつも話かけること

12081801 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」に、以下の書き込みがありました。
 昨日は次女ブルータスと孫じゅにに会いに行きまして、そのあと長女おはぎと孫のポコ汰、ポニョ、ポポに会いに行きました。それでこれへのレスが今になったのです。

小さな子供でも 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月17日(金)08時19分7秒
  大人が話した事柄を、
聞いたその時は理解していないように見えていても、
後になって、不意に思い出して、語りかけたりするものです。

昔の人は「三つ子の魂、百まで」とか言いましたが、
子供の周りにいる大人たちが、
たくさん話しかけてやることが大切なのだと思います。 

 もうブルータスにじゅにのいっぱいのことを聞きました。でもじいじはただすぐ眠る怠惰なじいじにしか見えていないでしょう。
12081802 そのあと行きましたおはぎの家でも私は嬉しかったです。
 あのトトロの映画は最初見たときに、なんだか「面白い」「興味深い」というのが私には分かりませんでした。我孫子で森を見ていたポニョの発言で、「そうなんだ」と気がついたものなのです。
 このことは、私はよしもとばななの『ムーンライトシャドウ』を読んだときに、恥ずかしいくらいに気づかされたものなのです。



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2012年08月14日

私の長女おはぎは山下清が好きな画家です

12081327 私の長女おはぎは、文教大学へ入るときに、美術科へ推薦入学を目指しました。そのときに、面接試験で、口頭で「好きな画家は誰か?」という問いがありました。
 私の娘は、「山下清だ」と答えて、説明しだしました。
 多分、試験官は面食らったと思います。
 この推薦入学で合格したその日に、私の父、おはぎの祖父は亡くなりました。
 これは「昨日8月13日に父母の墓参りに行きました」を書いていて、「親父が好きでした山下清の版画です」で、このことを強く思い出したものです。

 写真は、ポニョが描いたものです。昨日の16時52分におはぎの家で撮りました。



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昨日8月13日に父母の墓参りに行きました

12081319 当初は、皆でミツ君の家族5人と妻と私の合計7人でミツ君の運転する車で我孫子湖北の正泉寺(しょうせんじ)までいくつもりでした。出発は御前11時で、正泉寺で12時に義姉と会う予定でした。
 でもポコ汰がお熱が出たということで、私と妻は二人で上中里のおはぎの家へ行きました。ポコ汰の身体の具合も知りたかったのです。
 それで、ミツ君がポコ汰のそばにいることで、妻と私、おはぎ、ポニョ、ポポの5人で電車で出かけました。まだ小さいポポは、ベビーカーに乗せます。10時30分に出発です。心配なポコ汰をもうおはぎママは病院へ連れて行ったそうでした。
 常磐線に乗ると、とにかくポポは元気いっぱいです。
 これで常磐線天王台駅から、タクシーで正泉寺まで行きます。ちょうど約束の12時に義姉と会えました。
 それで父母の墓へ行きまして、ポニョ・ポポも「まんまんちゃ」と手を合わせます。この日は他にも大勢の方がお墓参りにいらしていました。
 そのあと、タクシーで、我孫子の東口の六号線沿いのデニーズへ行きます。ここには、私の兄が来て、姪のみーねえ、その姪の二人の息子、ユウヤ君とレイ君が来ます。二人はポコ汰に会いたかったのですが、ポニョ・ポポにもはとこ同士で会うのです。
 でもポコ汰なら5歳で来年は小学生ですが、ポポではまだ2歳で、ポニョはまだ3歳です。でももう二人は大活躍です。私がポニョに買物をしてあげると、今度はポポもお母さんに買ってもらっています。本当に私は甘いじいじです。
 そしてそのあと、兄の家まで歩いて行きました。そこで、でもポポは眠りだし、でもポニョお姉ちゃんはちゃんと歩いています。
12081326 そこで、もう義姉は父母を迎える向か火を用意しています。もう私の兄は、何もやりません。でも娘おはぎが言うのには、兄と私は顔が似ているそうです。本当に迷惑な話です。
 でもポポもポニョもここでいっぱい面白かったのじゃないかなあ。
 このあと、我孫子駅までタクシーで行きまして、また常磐線で5人で帰りました。
 いつもみんなに遅れ勝ちのじいじの私でした。
 また上中里のおはぎの家に行きましたら、留守番でいました、ポコ汰を見て私もみんな安心しました。

 上の写真は正泉寺です。次の絵は、親父が好きでした山下清の版画です。鹿児島に居たころ、私の父が手に入れていました。

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「トトロの森」

 昨日正泉寺の私の父母のお墓に行きましたあと、私の兄家族5人と食事して、それから兄に家まで歩いて行きました。兄は先に家に帰り、姪のみーねえとその息子レイちゃんは先に自転車で帰ります。長男のユウヤ君はこれから友人たちとカラオケをやるというので、そこへ行きました。
 私と妻とおはぎ、ポニョ、ポポと義姉は兄の家へ向かって歩いていきます。
12081321 その途中で、この写真の森を見たら、「あ、トトロがいるかなあ?」と、ポニョが言いまして、私の妻ばあばと手をつないで、森の中に入っていきました。ポポはカートに載せられて眠っていました。
 でもそのあと、また、ここの二番目の森を見たときに、ポニョはまた「あ、あれ12081325こそトトロの森じゃないかな?」と言いました。
 そんな思いで、ここらへんを見たことのない私はとても反省していたものです。
 もう夢も何もいだけない、私なのです。
 私ははるかに、前を思い出していました。

  「トトロがいるかな?」
  トトロを探したポコ汰とポニョ

 もっと夢をいっぱい出せる私でいたいものです。



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2012年08月09日

「小学生の頃は」という書き込み

12080812 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」に、この書き込みがありました。

小学生の頃は 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月 7日(火)19時04分48秒
  大袈裟に言うと、毎日が新発見の連続のようなものです。
同じ通学路なのに、日によって目にするものも異なります。
目線が違えば、見えてくるモノも変わってくるのです。
音楽(レコード)との関わりも、小学校の音楽室が最初でした。
小さな針の先から伝わる「音」の多様さに驚いたものでした。

 うーん、私はよく思い出せないな。小学校1年はクラスが70人で、すぐに分校が出来てたもので、当然クラス編成がありました。そのときは、札幌の幌西(こうさい)小学校でした。
 小学2年の三学期と3年は名古屋市南区桜小学校でした。4月にクラス編成がありました。4年は千種区の内山小学校で、1年いました。5年と6年の6月まで名古屋市北区の六郷小学校にいました。6年の7月からは鹿児島の山下小学校にいました。
 そうねえ、音楽室に入ったのも中学生からでしたね。
12080903 私の姪(兄の娘)のみーねえの二人の息子、ユウヤとレイ君の我孫子の保育園には、私も行きました。以下に書いています。

   れいちゃんの運動会(2004.10.04)

 もうレイ君もユウヤ君も大きくなるはずです。ここの写真を見ると、二人のことを実によく思い出します。レイ君も、もう中学生なのです。
 来週の13日にみんなで私の父母のお墓参りに行きます。二人はうちの孫を可愛がってくれるかなあ。



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2012年07月29日

「周の萩原たか子への手紙」のログです

12072903  私はここの将門Webに掲載しました「周の萩原たか子への手紙」のログ記録が以下の通りです。
 今数えてみますと、私は母へ13通の手紙を書いているのですね。
 最初は、私の義姉から、「お母さんが入院したわよ」という電話をもらい、母が我孫子市の「つくしの病院」に入りましたことを知りました。
 それでもちろん、私はすぐにこの病院まで行ったのでしたが、母が起きないのではないかと予測していて、手紙を書いて行ったものでした。
 母はその前から、もはや認知症でこの年の最初から、別の医院に入っていたのでした。2007年のことでした。
 でもそのときに、目を覚まさなくても、あとで起きて気がついて、私の手紙を読んでくれるのではないかとも思いました。
 その手紙が以下のログです。
 最後に(07/15)のようにはいっているのがその手紙を書いた私の日付です。
 でも以下の手紙は一度も開かれることはなく、すべて母が亡くなったときに、母の棺おけの中に置いておきました。

周の萩原たか子への手紙2007年4月14日(07/15)
周の萩原たか子への手紙2007年4月15日(07/16)
周の萩原たか子への手紙2007年4月18日(07/17)
周の萩原たか子への手紙2007年4月19日(07/18)
周の萩原たか子への手紙2007年4月22日(07/19)
周の萩原たか子への手紙2007年4月25日(07/20)
周の萩原たか子への手紙2007年5月01日(07/21)
周の萩原たか子への手紙2007年5月11日(07/22)
周の萩原たか子への手紙2007年5月16日(07/23)
周の萩原たか子への手紙2007年5月20日(07/24)
周の萩原たか子への手紙2007年5月24日(07/25)
周の萩原たか子への手紙2007年6月01日(07/27)
周の萩原たか子への手紙2007年6月12日(07/28)
周の萩原たか子への手紙2007年8月16日(07/29)
「周の萩原たか子への手紙」を終えました(07/29)
「周の萩原たか子への手紙」のログです(07/29)

12072904 ただ私は非常に字が情けないほど汚いもので、それがパソコンでプリントして封書にして母の枕元に置いたものです。
 だから、母の棺おけに中に入れたものは母と一緒にあの世へ行きましたが、こうして私のパソコンの中に眠っています。
 それをこうして私のブログ上で披露したわけです。



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「周の萩原たか子への手紙」を終えました

12072810 あとで(明日になるかもしれません)、この手紙をUPしたことの総括的なことを書くつもりです。思えば、この手紙は封も切られないまま、母の棺おけに入れられたものなのです。
 もう5年が過ぎたのです。


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周の萩原たか子への手紙2007年8月16日

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                          2007年8月16日
                         周の住所
                               萩原周二
                         周のURL
                          周のブログURL
                         周のアドレス
                         周のスカイプ名
                         周の電話 周のFAX

 前略
 8月4日も11日もお見舞いに行ったのですが、起きなかったね。でも手を握ると、握り返してくれたから、気がついていたのかな。
12072805 7月29日と8月4日と11日のお見舞いのあと、我孫子駅前の「メヌエット」というケーキ屋さんに行きまして、ケーキを買って王子に持って帰りました。ケーキといってもババロアとかカスタードというものです。前のよう単に甘くないから、王子のお義母さんに最初食べてもらいましたが、あまりお気に召さなかったようでした。
 11日には、これまた新しくできた我孫子北口の「福一」という和菓子屋さんのお菓子も買いました。これも、王子の家に持って帰ったら、おはぎにもその彼のミツ君にも喜ばれました。
 こうして、我孫子の北口は美味しいお菓子屋さんができたわけで、おそらく新しい名所になると思いますよ。
 でも思い出せば、我孫子は、ずっと北口なんてなかったわけですから、ずいぶんこれで変わりましたね。驚いてしまうことです。
 14日の午後2時に、マサシから、お母さんが亡くなったことを電話もらいました。ちょうど、おはぎがポコ汰を連れておばちゃんのお見舞いに行くと言っていたところでした。だからきょう、うちのママとおはぎはポコ汰連れて行きますよ。
 それから、きのうは、ブルータスが彼のナオキ君と行きましたね。ひさしぶりにおばあちゃんに会いに行くのに、大変に残念だけど、もう仕方ないよね。
 13日には、ブルータスが結婚して住んでいる君津市へママと、ミツ君・おはぎ・ポコ汰とで行ってきました。私の家族がこれで全部で7人になったのです。
 まだ0歳のポコ汰なのですが、ブルータスに抱かれて絵本を読んでもらっていると、何故かおとなしくてよくブルータスの絵本を読む声を聞いて、絵をじっと見ています。もともと、「いい絵本を選んでくれたんだあなあ」と感心して見ていました。
 きっとブルータスにも、元気で可愛い子どもが生まれます。もうそのときのことを考えると、そのときが早く来てほしいとばかり思っています。これからまたその子とブルータスのことを見守っていてください。
 あちらへ、行って、久二おじいちゃんにはもう会ったかなあ。たぶん、そちらでも勝手な久二父でしょうが、なんとかつき合ってあげてね。そして、いつまでもおはぎブルータスのことを見ていてください。
 お疲れさまでした。さようなら。 早々



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2012年07月28日

周の萩原たか子への手紙2007年6月12日

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                          2007年6月12日
                         周の住所
                               萩原周二
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                         周の電話 周のFAX

 前略
 またもひさしぶりの手紙になります。
 もうきょうなんか、けっこう暑いです。おはぎは同じマンションですが、あそこのほうが涼しいです。ここの部屋はどうしても暑いです。もう古い部屋で、そのままだから。しかたないよねえ。夏だもの。
12072703 うちの家族は、鹿児島にも住んだわけですが、はやり名古屋のほうが暑かったですね。ただ、このことは住んでみないと判らないでしょうね。今はもっと暑いんだろうなあ。言われることだけど、年々暑くなる年を感じています。このままいくとどうなっちゃうのかな。
 思い出せば、私が一夏過ごしたした府中刑務所も暑かったです。狭い独房なので、ただただ暑いだけでした。ただ中にいると、まったく外の世界のことが判らないので、ときどき面会に来られるかたの話はどうしても私には判らないことが多々あったものでした。
 ただ、私は保釈になってから、こうした拘置所なりに面会に行くときには、そうしたことを判った上でお話しするようにしていましたからね。私が中にいるときは全然無理解な人とは会っても、一応わざわざ面会に来てくれたからという感謝の気持は失わないようにしましたが、独房に長期勾留されているということがまったく判っていないとしか思えないという人もときどきいたものでした。まあ、でもこれは仕方ないことです。
 でも、こうして自分の母親にひさしぶりに手紙を書くようになって、昔を思い出しているのですが、いろんなことを振り返るようになりました。
 私は秋田というところは2カ所住み、名古屋は3カ所だが、鹿児島は1カ所だとばかり思っていましたが、私は原良町に下宿もしていたんだねえ。だから鹿児島は2カ所に住んだことになるんだ。
 浦和は2カ所だとばかり思っていたら、あそこは3つのところに住んでいるんだ。
 我孫子も勝手に3カ所だとばかり思い込んでいたけれど、我孫子の実家にも住んでいたのだから、4カ所なんだねえ。
 私がまったく記憶ないのが、東京の巣鴨に住んでいたということだけなんだけど、あそこはどこにいたのかなあ。私の孫のポコ汰が巣鴨で生まれたから、あのとき、何度も、「自分の住んでいたのはどこらへんだったのかなあ?」という気持でいっぱいでした。できたら、いつかそこ場所を知って歩いて見たいものです。たぶん、何かを思い出すんじゃないかなあ。 早々



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2012年07月27日

周の萩原たか子への手紙2007年6月1日

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                          2007年6月1日
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                               萩原周二
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                         周の電話 周のFAX

 前略
 ちょっとしばらく手紙を書いていませんでした。どこに郵送したらいいのか判らなかったんです。きょうは、おはぎと孫のポコ汰が、あちらの実家へ行っています。あちらのお母さんにおはぎは可愛がられているんですよ。それはね、このあいだ結婚したブルータスも同じなんです。
12072606 ああいうふうに、相手のお家の家族に可愛がられているというのは、みなおばあちゃんと王子のおばあちゃんが育ててくれたおかげだと思っています。
 思い出せば、横浜で私は大学に入って大学1年の終わりの頃、我孫子に引っ越したものでした。でも私はいいのですが、マサシは横浜の鶴見まで通ったのだから大変だったね。あのときは高校2年の最後の頃だ。だから高校3年は大変だったろうなあ。
 私も我孫子というところは、中学高校の友だちもいるわけではないから、それほど親しい感じがする街とは言えませんでした。私はまた北浦和にアパートを借りて住みだしたしね。でもあの北浦和のアパートは1カ月も住まないうちに、東大闘争で逮捕されることになってしまったね。私が逮捕されて取調を受けていた東調布署というところは、一体東京のどこなのかさっぱり判りませんでした。「東調布」というから、調布市のそばなのかなあ、なんて思っていましたが、のちに、こののちというのは今から10数年前に、私が役員をしている会社が大田区にあって、そのときに税務調査があったときに、その税務署の職員に聞いたものでした。東調布署というのは、大田区の田園調布にあるんだね。驚いて、その日は、夕方わざわざこの東調布署を見に行ったものでした。
 外から、あのときの留置場の位置を確認しましたよ。でもよくあそこまで、みんな差入れに来たりしてくれたものでした。ばあもよく来てくれていました。まだ面会はできなかったけれどね。起訴されて接見禁止が解けたときに、友人が来てくれて、そして府中刑務所に移管になったときに、ばあは来てくれていましたね。あのときに、ばあは「こんな秋田犬を飼いだしたよ」と言ってくれました。私はシロのことがとても心配になって、そのことを聞いたら、「シロはこなくなっちゃったよ」と聞きまして、「ああ、またうちまた秋田犬を飼うのか」という思いで、でもシロのことばかりが気になりました。でもそのまたあとの面会で、シロがまたやってくるようになって、子犬の秋田犬に喧嘩のやり方を教えているなんて話を聞いたものです。
 あのシロという野良犬は、実に面白い頭のいい犬だったねえ。もうたくさんの思い出を残してくれた野良犬でした。 早々



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2012年07月25日

周の萩原たか子への手紙2007年5月24日

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年5月24日
                         周の住所
                               萩原周二
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                         周の電話 周のFAX

 前略
 きょうに午前中にまっちゃんから電話があり、28日に病院を移転すると聞きました。でもそこで簡単な手術して、また戻るんですね。
12072310 前の手紙の続きだけど、鹿児島のつぎが横浜だったね。
 実はね、私は鹿児島というところは少しも好きではなかったのだけど、鶴丸高校へ行ってからは実に面白い毎日だったから、けっこう鹿児島というところが気にいってきていたのでした。でもまた転校になりました。
 この横浜という街も面食らいましたね。まず私は皆が平気で話す言葉が標準語でなくて驚いたものです。なんだか、「…じゃん」という音(おん)ばかりが耳について嫌なものでした。でも入った学校には行きたくなかったのだけど、選んでくれた先生が鶴丸高校の卒業生だということで、あの先生と話して覚悟を決めました。
 この高校の2、3年のときのクラスの同窓会をすべて私がやっているのですが、今でも、その場で多くの人が私を鹿児島の出身だと思っているようで、もうこれにはげんなりします。あの人たちは思考法が実に堅くて保守的なんだよなあ。でも今になって、横浜の街を歩くと、なんだか懐かしくてなりません。
 我孫子の家の隣の娘さんの家族が中華街のあるビルの上のほうの部屋で、みんなで学校をやっているのだけど、そこへ行ったら懐かしい思いばかりでしたが、なかでも長男は実に私たち家族が懐かしいようです。おはぎ、ブルータスにニューヨークに来てくれって言っていました。彼は今航空会社で働いているのだけど、その前にはコマーシャルのモデルをやっていて、実にいい綺麗な男だと思うのですが、彼はアメリカ人のモデルというのは193センチ以上ないとだめだから(自分は3センチばかり足りないんだって)、その道はあきらめて、さらには母や父や他の二人の兄弟もアメリカがいいと思っているようだが、僕はやがて日本で生きようと思っています、なんて言っていました。彼は見た目はアメリカの白人だけど、心根は日本の我孫子人のようですね。私は我孫子も好きじゃないけれど、彼の前では、その私の本音が言えませんでした。彼には、我孫子というのは、うちの二人の娘やみーねえ、それに隣の怖い親父(の久二じじ)やばあちゃんの思い出だけで面白く懐かしいところのようです。
 でも彼は、おはぎとブルータスにニューヨークに来てほしい、ニューヨークは思われているほど、怖い街ではないです、と懸命に言っていましたね。私はおはぎとブルータスが子どもを連れてニューヨークを彼の案内で歩いてほしいな。そんな時がきっといつかくることでしょう。 早々



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2012年07月24日

周の萩原たか子への手紙2007年5月20日

郵便番号
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   萩原たか子 様
                         2007年5月20日
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                               萩原周二
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 前略
 きょうは柏の病院にいるのかなあ? あとでまっちゃんに電話して聞いてみます。
12072303 私は今、おはぎとブルータスにも手紙を書いていますよ。やっぱり、こうして父親から手紙をもらうということも、いいことだと思うんだね。
 我が家族は鹿児島にも住みました。思えば、家族としてはちょうど3年半ほどいたんだね。名古屋にいた期間と同じ長さですね。ただし、名古屋は3カ所に住んだから、東千石町だけに住んだのは、長い期間だったね。そして私だけは、そのあとも鶴丸高校で下宿していたから、私だけは小学校・中学校・高校と過ごしたのです。小学校と高校はわずかの期間だけど、中学が一つの学校だけというのは、私だけでしたね。兄のカンジは、秋田・札幌・名古屋の3つの中学だったし、マサシは、鹿児島・横浜の二つの中学でした。
 だから私には、かなりな思い出がたくさんあるのが鹿児島です。おそらく今でも天文館へいけば、いくらでも同級生に会えると思うんだね。
 私が26歳のときに、鹿児島を歩いて、本当に驚くくらい天文館で昔の甲東中学の同級生と再会したものです。
 ある飲み屋に入って、そこのママに、「ここにAさんという方がいませんか?」と言って、その苗字ばかりでなく、名前もあげたら、「えっ、Nは私の息子です。さっき、ここの来たのが息子です」といいまして、すぐに彼を呼んできたものです。数分前に、この店の業務用の大きな氷を運んできていたのが、彼でした。お母さんはすぐに、本人を呼んできてくれたから、彼が、「あっ、萩原じゃないか」と言って、「今も下駄はいているのか」と懐かしい表情になりました。もう風貌が変わっていたので、数分前には判断できなかったのです。
 そのお母さんは、すぐにばあちゃんのことを思い出してくれたよ。「お母さんはお元気ですか。あなたのお母さんのことはよく覚えています」といくつものことを思い出してくれました。
 もうそのあと、何人もの友だちに会えたものでした。中学2年3年と同じクラスだった黒岩君がラーメン屋になっていたのは驚きました。でもこの「黒岩ラーメン」が今では、大きなチェーン店になっているんだよ。
 いや、実は鹿児島で私たち家族がお会いした人たちは、みなその息子さんなんかが、店を継いでまた元気に活躍していますよ。もう懐かしい思いばかりがしてきます。やっぱり私たちがおつき合いした方たちは、鹿児島市で、すべてで頑張っている方たちでしたね。 早々



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2012年07月23日

周の萩原たか子への手紙2007年5月16日

郵便番号
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   萩原たか子 様
                         2007年5月16日
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                               萩原周二
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                         周の電話 周のFAX

 前略
 たった今、まっちゃんと電話でお話しました。今度簡単な手術をするということですね。

12072210 もう5月も半ばです。きょうなんかずいぶん暑くなってきました。今いる王子の家で、ある部屋の冷房器械の調子が悪いので、明日見にきてもらいます。ちょうどおはぎのところも同じように調子の悪い機器のある部屋があるから、一緒に見てもらいます。こんなときに、こうしてすぐそばに住んでいることはいいなあ、と思いますね。
 こうして暑い夏になってくると、「暑い」ということで、名古屋を思い出します。あそこには3年半ほどいたんだね。そして南区若草町・千種区今池・北区大曽根と住んだね。夏は3年過ごしたんだ。その次に住んだ鹿児島よりも、この名古屋のほうがずっと暑かった思い出があります。鹿児島は陽射しは強烈だけれど、名古屋ほど蒸し暑くはなかったものでした。
 インターネット上で、今池にいたときに通った内山小学校の4年生の同級生を見つけて、メールしたのだけれど、彼には私のことが名前だけでは思い出せないようでした。私は日本中をあちこち歩いたわけだけど、同級生のことはどこでも覚えているんだけどね。
 名古屋といえば、小学校5年のときに出会った伊勢湾台風の思い出が強烈です。あれほど怖ろしい台風は他には知りませんね。今でも、あのときの台風の怖ろしい音はよく覚えています。
 普通なら、私たちの住んでいた家の壊れ方だとテレビにでも放映されるんでしょうが、あのときは、どこの家もそうでしたね。翌日は、実にいい天気だったのをよく覚えています。あのとき以来、我が家では台風が来るというときは、かなりな防衛策をしたものでした。でも実際に台風がきても、それほどの被害もなくて、いつも拍子抜けの気持になっていたものでした。
 私がこの名古屋の出身の人がいるところで、このときの「伊勢湾台風の歌」を唄っても、誰も知らないのですね。何でわすれちゃうのかなあ。担任の島先生が、「いつまでも、この台風のことを忘れないようにしましょう」と言って教えてくれたものです。あの先生は旅行好きの人でした。いつも、日本中を旅行したときの思い出を私たち生徒に話してくれていました。
 このときは六郷小学校でしたね。名古屋の最初は桜小学校でした。もうみなたくさんのことを覚えています。 早々



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2012年07月22日

周の萩原たか子への手紙2007年5月11日

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   萩原たか子 様
                         2007年5月11日
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                               萩原周二
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 前略
 手紙を1日に出してからもう1週間が過ぎてしまいました。なんやかやと忙しいものなんですね。12072104

 ブルータスがお嫁に行きまして、我孫子の台田の家を引き払わないとなりません。けっこう大変な作業です。当初は、あの大きなピアノをブルータスが持っていくということだったのですが、やはりそれは止めにしました。そうすると、あのピアノを廃棄しないとならないのです。廃棄するのも大変な作業です。
 あの台田のマンションに、私たち家族4人が引越することになって、あのピアノを王子の家から持ってきました。おはぎもブルータスも、あのピアノをよく弾いていましたよ。
 おはぎは、やがて音楽よりも美術が得意だということで、そちらに精進しましたが、おはぎはピアノが大好きでした。だから、小学校でオーボエをやって、先生になってからは三線をやっていますが、その基本にはピアノをやったことにあるのだと思っています。
 ブルータスはね、実はピアノにしろ何にしろ、音譜を見るのではなく、指で覚えちゃうのですよ。だからよく、我孫子の家で、テレビのアニメなんかの放送の曲をピアノで弾いていることがあって、私が「あの曲は何の曲だ。あの曲はテレビ番組で流れているだけで、音譜がないだろう?」というと、ママが、「あの子はね、音を指で覚えちゃうのよ。それで弾いているの」と言ってくれたものです。この能力は私には、全然備わっていないものです。
 思えば、この能力は私ではなく、マサシにはあるものですね。よく子どものときからハーモニカを吹いていたことを思い出します。それがああして尺八を自在に演奏できるようになったんだろうね。
 でも子どものときから、私にはない能力といか、私には想像もできない能力ですから、マサシが羨ましかったものでした。
 思えば、私たち3人兄弟はかなり違った性格と能力なのでしょうが、いつもマサシにはたくさんのことをやってきてもらっていました。親父の葬式のときも法事のときも、いつもマサシがすべてを仕切っていたね。私はいつもマサシの下で小回りよく動き回ろうと思っていただけです。
 でもいつも長男である兄貴のことは必ずあらゆることを支えているつもりですよ。これはマサシも私も同じです。
 思えば、こんな兄弟でよかったな。 早々



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2012年07月21日

周の萩原たか子への手紙2007年5月1日

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   萩原たか子 様
                         2007年5月1日
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                               萩原周二
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 前略
 今ブルータスの結婚式をビデオに撮ったものを見ていました。撮ってくれたのはミツ君です。DVDというもので、撮ってくれたので、今ママと見ていました。全部で2時間くらいあります。ブルータスの結婚式はとてもいい式だったよ。もう親として実に感激感動していました。
12072004 ブルータスは、本当にいい娘になって、そしていい教師になりました。もう私は嬉しいばかりです。これは、うちの二人の娘を育ててくれたたくさんの人がいたからだと思っています。
 そんな人たちが皆、ブルータスの結婚式の映像に中に映っていました。いないのは、我孫子ばあちゃんと、王子のおばあちゃんです。それにもちろん、久二じいも、八郎じいもいません。これは見ていて、いつも少しさびしくなるところです。
 でもこうして、私も二人の娘をお嫁に出すことができて嬉しいです。そして二人とも実にいい彼で、そして実にいいお父さんとお母さん、そしていいご兄弟がいてくれるのです。
 今は、娘たちの友だちを見ていると、結婚するのが、みなけっこう遅くなる人が多いようです。私の二人の娘は早いほうだよ。娘二人の友だちは私も昔から、よく知っているから、いつも「あ、あの娘は結婚はまだなのかしら?」って思っています。
 このブルータスの結婚式の映像には、おはぎのポコ汰も映っていて、ポコ汰が映像に映ると、ただただ私は嬉しくなっています。孫ってこんなに可愛いものなんだね。
 だから、ブルータスにも早く子どもができてほしいし、おはぎにも、早く、ポコ汰の弟か妹が欲しいです。
 二人にもっと子どもが出来たのなら、もう私はそれらの孫を一同に集めて、いろいろなことがしたいです。思えば、ばあちゃんには、孫が5人だったね。みな女の子ばかりだった。でもばあちゃんも、我孫子じじもただひたすらこの5人の孫を可愛がってくれたことを私はいつも見ていました。
 私もあんなことを、そのままやっていきたいのです。二人の娘に子どもがもっとできれば、もうとても嬉しいとても愉しいことになります。もちろん、みーねえや、しほちゃん、かなちゃんの子どもと遊ぶわけだから、この子たちの時代は、はとこ同士につきあいも活発になるのです。そしていつも中心に私がいるつもりです。   早々



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2012年07月20日

周の萩原たか子への手紙2007年4月25日

郵便番号
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   萩原たか子 様
                         2007年4月25日
                         周の住所
                               萩原周二
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 前略
 ちょっと手紙を出すのを3日空けてしまいました。
 一昨日は嬉しいことがありました。くにちゃんの子どものポコ汰(ばばのひ孫だよ)がちょっとした病気で入院していて、でもきのう元気に退院したのです。もうとっても元気で、そばにいるだけで嬉しいです。
12071815 でもおはぎがいうのには、23日夜私が帰ったあと、パパは来ていたのですが、そこに看護婦さんが来て、その人がポコ汰に打つわけではないのですが、注射器を持っていたそうです。それで、最初はその注射器を見て、驚いた顔をしていましたが、あの痛い注射をされると思ったのか、「ワアッー」と大声で泣き出したようです。可哀想だね。
 その前にも、大きな注射を打たれたときは、大泣きしたと聞いていたので、そのときには、「よし、今度はそんな注射は、じじが代わりに受けるから」と思って、そう口に出しそうでしたが、おはぎやパパに笑われるので、黙っていました。

 この手紙に我が家族に関係した犬の思い出で、名古屋若草町にいたときに出会ったクロのことと、我孫子のシロのことを書きました。ずっと飼っていたケンのことも書きました。まだまだたくさんの犬のことを思い出します。ケンの奥さんだったヒデ(秀峰姫という実に綺麗な秋田犬だったね)のことは、もう忘れようがありません。実にきかない犬でしたが、ケンに惚れていたんだろうね。ケンとヒデの子どもは、何頭育てたでしょうか。たしか名古屋大曽根で5頭の子犬が生まれ、鹿児島では5頭と7頭が生まれたんじゃなかったかな。
 でももう子犬たちが少し大きくなってからは、ヒデお母さんのところへ寄っていくと、怒って寄せつけないところがあったね。ヒデとしては、針金のように尖っている子犬たちに、乳房を噛まれるのが嫌だったのだろうね。でもその代わり子犬たちは、大勢で父親のケンに襲いかかっていました。ケンは耳噛まれても尻尾噛まれても我慢していましたが、そのうち逃げ出します。子犬たちが、お父さんの背中から転げ落ちるところをよく覚えています。
 でもそれで遠くへ逃げ出したケンを、また子犬たちがみんなで追いかけていたのをよく思い出します。それでまた同じことが起きます。そのうちケンはまた耳を噛られ、尻尾を振り回されます。思えば、実に優しい父親だったんだね。 うちの二人の娘は、犬も何も飼ったことがないから、本当は飼ってあげたかったなあと思っています。早々



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2012年07月19日

周の萩原たか子への手紙2007年4月22日

郵便番号
 住所(この日から医院の住所のページ)
   萩原たか子 様
                         2007年4月22日
                         周の住所
                               萩原周二
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 前略
 きょう会いに行きました。でもばあちゃんは目を開けてくれませんでした。でも義姉のまっちゃんの話だと、私のことは判っていると聞きましたよ。
 マサシにも会いました。今も相変わらず彼は真面目ですね。兄として、いつも私が存在していることが羞しい思いになります。
12071710 私の二人の娘、おはぎとブルータスもいつもおばあちゃんのことを心配しています。おばあちゃんが私の手をしっかり握っていてくれたよ、ということを今度も伝えました。
 きょうは、私たちがいなくなったあと、シホちゃんとカナちゃんとミチヨさんが来てくれましたね。みんな大好きなばあちゃんの孫と嫁です。私もみな大好きですよ。
 一昨日書いたことですが、きょうは、やはりまた突如思い出しました。名古屋の南区若草町にいたときに、我が家に、何故かクロという野良犬がきたよね。あのノラ公は一体何だったのかなあ?
 もちろん私は可愛がりました。そして近所の悪ガキたちも、みな可愛がりましたよ。でもあのクロは何故、我が家にきたんだっけ。
 クロも雄犬だから、うちのケン(剣光号という雄の立派な秋田犬)に恋したわけじゃないよね。でも、ケンに惚れていたのは間違いないなあ。「親分!」という感じだったのだろうね。
 いつも、このクロのことも思い出すのだけれど、私は何もいいませんでした。いつもいつも犬の記憶は、思い出すだけで、ただただ悲しくなってしまうだけなのです。
 実はあの頃、私は小学3年生のときだけど(もう4年生になったら転校しました)、私の友だちと何回か、あのクロと遠く遊びに行ったことがあるんだよ。天白川を遠く歩きました。そのときのある時に、クロは天白川に、突如落ちて、そしてそこはものすごく深い恐ろしげに流れが渦巻いているところでしたが、クロは最初はもがいていましたが、すぐに悠々と泳いでいたものでした。たぶん、最初は焦って、実際に焦ったが、私たち小さい少年が大声をあげているので、もう面倒なので、悠々と泳いだものでしょう。そんなクロが実に格好よかったものです。
 私の生涯で、たくさんいた秋田犬は、どれも懐かしい思い出に溢れていますが、それでもこの名古屋南区若草町で会ったクロと、我孫子で会ったシロのことが、私には一番大きな犬の思い出になっています。早々



shomon at 04:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!