周の家族・教育の話
2008年07月18日
義弟が来るはずだったのですが
私の義弟が、きょうは、徳島県鳴門市の義弟が東京の本社で会議がありまして、来てこの王子の家へ泊まるはずでした。でも昨日の夜、急遽その会議がなくなって、来ないというケータイメールが妻に入りました。
それで今夜来る予定で、それで普段私が飲まないビールも用意していました。でももちろん、私が昨日いくつか飲んでしまいましたけれど。そして明日土曜日の昼には、私たち夫婦と義弟と長女家族3人の合計6人で、先日行きました根津の「海上海」へ昼食に行くつもりでいたのですが、駄目になってしまいました。とても残念です。
この食事で、私の孫のポコ汰をよく見てもらって、家に帰って、みなに話して欲しかったものです。
義弟は二人の子ども、長男とその妹の長女がいるのですが、この二人にも私は手紙を書こうというところだったのですが、この義弟と会ったことも書こうと思っていたのですが、もう無理になったので、またすぐに書きまして、今はもうポストに入れるだけです。
この二人は、私の二人の娘をとても慕ってくれているのです。4人で一緒にお喋りしているのは私にはとってもいい光景です。私の長女のおはぎと次女のブルータスをあんなに慕ってくれているのは、もうとっても嬉しい、とってもいい光景です。
私の長女の次の子どもが少し大きくなったら、みなで神戸の義父の墓参りをしたいです。そして義弟の家族4人ともみんなで会いたいです。
2008年06月30日
わが家のおかあさん2008.06.29 へのコメント
わが家のおかあさん2008.06.29 へ ナミちゃんから次のコメントがありました。
1. Posted by なみんと 2008年06月30日 11:15
自分の故郷って格別な思いなのでしょうね。
家族で楽しく暮らしていても自分が小さかった時の時間はかけがえのない安心しきった心から癒される時間として懐かしいです。そんな思いを今度は自分の子ども達に与えたい。。周さんのお父様。。故郷が懐かしかったのでしょうね。それをあとから追いかけた周さんの優しい気持ちにも凄く共感します。私のおば(父の妹。。今89歳・)は時々電話をしてきては・・あ○○に帰りたい。。といって泣いています。私はそんなおばの思いを是非実現させてあげたいって本気でおもっているんですが。。連れてくる方が最近は大変になってしまったようです。残念です。おばは認知症状が数年前から出ています。
父が生きていた頃ははよ〜く埼玉からきていました。仲の良い兄妹でした。。それを見守る心の広い優しい母の存在も大きいでした。
どうもありがとうございます。そうですね。私の父の場合は、「自分の故郷」というよりも、「自分の家」を長男の息子がどうしているかということが心配だったのでしょう。なにしろ、戦前から、その家とは離れて、戦後はとくに、日本中を遠く離れてくらしていたのですから。
それで父の実家を継いでいる私の従兄が、実は世界的にアナログオーディオの収集家としては、世界に知られた人で、もう父に実家には、ものすごい機器がたくさんあります。昔のナチスなんかが出てくるニュース映画等で見る馬鹿でかい機器がいくつもあります。それをヨーロッパのこれまた収集家が情報を見つけて、購入に来るのですよ。私の従兄もまたヨーロッパ等に、そのことで行っています。まあ、私にはまったく興味のない世界です。そのことで、忙しい従兄を、私の父も見て、何故か安心したんじゃないかなあ。
今は、私の義母も、自分の故郷へ帰って、自分の弟がちゃんとしているのを見れば、それで少しは気が晴れるんじゃないかなあ、と思っているのです。だから、私は義母を、私の妻と私とで、あるいは妻だけでも連れて行ってほしいと思っています。そしていっぱいデジカメでいくつものものを撮っておくのですよ。
でもナミちゃんの叔母さんが埼玉県なら、まだ近いじゃないですか。私の母は、札幌だ、秋田だ、鹿児島だと大変でしたよ。秋田にいるときに(私の弟が生まれるときだろうけれど)、母親(私の祖母)が会いに来てくれていました。鹿児島に居るときに、母の父(私の祖父)が亡くなり、母が飛行機で行ったのを覚えています。
母は昨年亡くなりましたが、その姉はまだ元気です。この私の伯母は、私の母と違って、ものすごい美人で、私が東大闘争で府中刑務所にいるときに面会に来てくれたものでした。私の母が80歳を過ぎても、いつも「姉ちゃん、姉ちゃん」と慕っていたのを思い出します。
私の父は、84歳の自分の誕生日に亡くなりました。たぶん、自分で死ぬことを求めていました。自分が認知症みたいなものになることを一番嫌がっていたものでした。この父のことでも思い出すことが実にたくさんあります。
続きを読む2008年06月28日
義母から私の娘二人への手紙
2008年06月23日
「父の日に素敵なカードをもらいました」へのコメント
父の日に素敵なカードをもらいました に ナミちゃんから、次のコメントをいただきました。
1. Posted by なみんと 2008年06月23日 11:56
周さん〜こんにちは〜(*^_^*)
遅ればせながら。。素敵な父の日のカードのメッセージですね。周さんへの感謝の気持ちが伝わってきます。とっても愛に満ちた若い家族からのカードですね。体を大切にしてくださいね。本当に。
ありがとうございます。いえ、もう無茶はしていませんよ。お酒ももうそれほど飲んではいません。そういえば、昨日は王子北口の藤や酒店さんがお休み(お休みなんて知らないから、驚きました)で、私は缶ビールの500mlを2缶コンビニで買って飲みました。やっぱり日本酒がいいのですがね。
長女のお腹は本当に大きくなりました。そのお腹から可愛い女の子が生まれたときには、ポコ汰がどんなに驚き、どんなに喜ぶことでしょうか。
あ、その前に、王子温泉にポコ汰と行きたいな。つい先日、私とポコ汰でお風呂に入りました。でもポコ汰は私の赤ふん見ても感動しないんですね。もうじいじのいつもの姿だと思っているのかなあ。私の赤ふんなんかよりも、とにかく水遊びがたいへんに面白いようです。
2008年06月22日
「周さんの存在が大きい」
今メルマガの第412号(7月9日発刊予定)を作るので、少しだけやっていました。そうしましたら、過去ここのブログに次のコメントがありました。
http://shomon.livedoor.biz/archives/51341297.html 周の雑読備忘録「こいでやすこ『もりのひなまつり』」へのコメント のまたコメント
ここにナミちゃんのコメントに関する私の思いを書いているのですが、ナミちゃんは、次のように言ってくれています。
周さんのところの「皆仲良し」は是非見習うべきだと思います。仲良くして暮らしたほうがうんと楽しいですものね。その鍵は周さんの存在が大きいように思うのですが。
この「その鍵は周さんの存在が大きい」というのを私の娘二人はよく読んでほしいです。私は毎日ただ酒を飲んでいるばかりじゃないのです。「存在」自体が重要なんです。このことを、私の娘たちは知ってほしいな、判ってほしいものです。そしてその私の存在の重要性を、自分の子どもたちにちゃんと伝えてほしいものです。
いつもなんだか、「結局、パパはさぁー……………」って言って、結果として私は貶されているばかりです。ちゃんと鍵になっている私を大事にしましょう。
2008年06月18日
父の日に素敵なカードをもらいました
父の日に、素敵なカードを長女家族にもらいました。素敵な写真が3枚付いているのですが、それを載せると、怒られてしまいますので、文章のみ載せてみます。
(最初のぺーじ)
じいじ いつもあそんでくれて
どうもありがとう! by 光汰朗
(この文の間に、ポコ汰の写真があります。
(次のページ)
いつも 光汰朗を かわいがってくれてありがとう
お酒がもっとひかえられるといいですね。
(この文の間に、おはぎとミツ君に挟まれてポコ汰が座っている写真があります)
(次の3ページ目)
これからも 光汰朗と
たくさん遊んでもらう
ためにも、体を大切に
してください。
光隆
家での仕事とおばあちゃんの
事とで両立が大変だと
思います。だけどパパにしか
できないこともたくさんあるよ。
応援していきます。
久仁子
(最後のページ)
田村光隆 久仁子 光汰朗 ポニョより
(このページにはポコ汰の笑っている顔の写真があります。その解説に次のようにあります。←最近お気に入りのシャツ しかし実はパジャマ)
2008年06月15日
おはぎのmixiを読んでいて
いつもポコ汰のことが書いてあると、とっても嬉しくなって読んでいます。どうしても私はじいじとして、孫を甘やかしてばかりいます。それも、自分が調子よく振る舞おうとしているだけです。それと、おはぎのたくさんのmixiの仲間が、みな私も知っている人たちが多いですから、いつも読んでいて、いつも、その彼女たちのことを思い出しています。
それとmixiの仲間だけでなく、大学時代の友人たち、高校時代の友人たち、中学時代の友人たちも懐かしいです。
それと、教員になってからの友だちもいいものですね。まあ、誰でも、小学校時代、中学校時代の友人たちでも、その後20歳くらいから、ずっとつき合った友人たちと、かなり深い関係を続けていくものだと私は思っています。
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2008年06月02日
ブルータスからの手紙
少し前に、手紙を出しに行くときに、こちらのポストに次女ブルータスからの手紙が入っていました。私はすぐに手紙を開けて、歩きながら読んでいました。そして郵便局のポストへ入れての帰りに読み終わり、再度部屋に戻って読み直します。
もう私は、ただただ嬉しい思いです。返事の一部が以下です。
パパやママと離れて暮らしてもうだいぶたちますが、日々思うことがあります。私はやはり二人に育ててもらって幸せだったなあと思うのです。パパは週1回くらい手紙をくれますね。いつもたいしたことは書いていないし、だらだらと長いのですが、手紙がくるととても嬉しいです。……………。
その他、とっても私には嬉しいことが書いてあります。そして、この子は、とってもいい教師になっているなあ、とつくづく思いました。
親子でも恋人どうしでも、まず相手を愛することから始めないと、相手が愛してくれることはまずありません。
私はこの街でもどこでも、とっても嫌なところをいくつも見ています。小さな子ども(それは自分の子どもなのでしょうが)をただただ叱りつけている親です。そして、その自分の子どもの前で、平気で物を捨ててしまう親です。どんなに、その子にいけないことをしているのでしょうか。その子どもは必ず、その親を倣うのです。
でも同時に、私はどの街でも、とってもいい好きなところも見ています。ああ、あんなふうに親が振る舞えば、その子どもは絶対にいい優しい子になっていく、と思うことがいくつもあります。私の妻も母親として、実に丁寧な優しい言葉を使ってきてくれていました。そのことが、ものすごくきかない強い性格の子だった、ブルータスのこともおはぎのことも、強いけれど優しい子にもしてくれました。それが今の教員としても、妻としても、母(まだおはぎだけですが)としても、いいことになってくれたと思っています。
ポコ汰もまだ小さいのですが、とっても優しいところも私は見ています。あ、これは母親と父親のいいところを習っているなあ、と感じています。
ブルータスの手紙の最後にこうあります。
パパ、ママ、ありがとう。離れていても、確実に私の中には二人がいるんだなあと思う今日このごろです。
パパ、60歳おめでとう。お酒を飲みすぎないように。
はい、判りました。飲みすぎません。
2008年05月25日
姪の二人の息子にも手紙を書きました
昨日は、5人の方に手紙を書きました。そして、私の姪のみーねえの二人の息子にも書きました。二人は、今中学1年生と小学4年生です。長男のゆうや君には、英語の勉強について書きました。夏目漱石が明治の40年代に言っていたことを紹介しました。次男のれい君には、ポコ汰とブルータスのことを書きました。れい君もポコ汰のことをとても可愛いと思ってくれているのです。それとブルータスのことは、とっても慕っていてくれるのです。
この二人は、私の娘のおはぎとブルータスには、ケータイメールをくれるのです。私にもくれます。私は、そのときには、あまり長く書かないようにして返信をしています。
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2008年05月17日
古河庭園の薔薇を見に行きました
妻と二人で、上中里駅で待ち合わせて、古河庭園に行きました。思えば、私は大学6年の6月に、このそばの農業技術研究所でアルバイトしているときに、昼休みにここを歩きました。思えば、もう36年ぶりくらいなのですね。薔薇がたくさんありまして、たくさんの方が来ていました。もう実にひさしぶりなのですが、何故かそんな気がしないものなのです。
思い出せば、私の大学6年のときにも、たくさんのことが甦ってきます。
ここのパンフレットから、この地図の部分をスキャンしました。
思えば、ここにある洋館は、鎌倉文学館とそっくりなんですね。だから、2年前に行っているから、そんな久しぶりという思いがわかなかったのですね。
庭園のあちこちで、「あ、やっぱりポコ汰も連れてきたいなあ」と思っていました。ポコ汰はパパとママとで、三社祭りに行っているのです。もちろん、ポコ汰のパパは神輿をかつぎます。
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2008年05月11日
きょうは母の日
きょうは、5月の第二日曜日です。きょうは母の日です。朝9時15分に、ピンポンがなり、何だろうと玄関に出ると、ここに写真に掲げたお花のアレンジメントが届けられました。あ、そうだ、きょうは「母の日」だったのです。ここに載せましたのがその届けられた花のアレンジメントです。
送ってくれたのは、次女のブルータスです。ひよっとしたら。まだ眠っているかもしれないと、妻は、ケータイメールを送っていました。でもすぐにブルータスは返信をくれたようです。母の日の朝にこうして届けてくれるなんていいですね。
すぐにおはぎとポコ汰も来てくれて、ミツ君も来てくれました。でもお花の好きなポコ汰なのですが、お花を見るよりも、目はテレビのほうを見ていましたね。
でもでも、このポコ汰もお花が好きなのです。こうしてお花をよく指さして何かを喋っています。
おはぎの友だちの結婚
昨日はおはぎの高校時代の友だちの、N.R.の結婚式でした。銀座での結婚式ということで、おはぎとミツ君は、ポコ汰を私たちに預けて出かけました。結婚した彼女とその彼は、グラフィックデザイナーです。帰ってきてから聞いたところ、結婚式披露宴のさまざまなものが、デザイナーの二人による手作りでした。話を聞いても、それらの手作りのものを見ても、もう大変に感心していました。
思えば、私の娘の友だちは、長女おはぎにしろ、次女ブルータスにしろ、実にしっかりした娘ばかりです。私はいつも感心しています。いい友だちの一人一人に感心すると同時に、こうしたいい友だちを持っている娘二人に感心しているのです。
私はいつも思っています。吉本(吉本隆明)さんのいう「自立」という言葉です。いつも娘たちの友人たちに、吉本さんのいう、しっかりと自立した女性たちを感じています。私の娘の友だちですから、昔からいつも、「いい娘たちだな、しっかりしているなあ」ということを感じていました。その彼たちのことは、ほぼ娘の話を聞くだけです(ときどきお会いしたこともあります)が、これまた実にしっかりした魅力ある方々であることを感じています。
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2008年05月07日
竹久夢二美術館でのお土産のハンカチ
一昨日家族7人で行きました、谷中千駄木根津の散歩ですが、私には実に愉しい思い出でした。思えば、次女夫婦も、孫のポコ汰も一緒に歩けたのは初めてのことです。次にこうして歩けるのはいつのことかなあ。長女おはぎの2番目の赤ちゃんのポニュちゃんが生まれるのは、この夏の7月末か8月最初ですから、この夏には、どこにもいけません。来年のお正月には全部で8人の家族で会えるかなあ。それに、私の兄の家族と、弟の家族とも会えれば、もう大人数ですが、これは実に愉しいことです。もう私はそれが実に待ち遠しい思いです。ポコ汰が、みーねえの次男のレイちゃんに遊んでもらう姿を想像してしまいます。
それで一昨日は、竹久夢二美術館で、この画像のハンカチを購入してきました。私はハンカチと思っていますが、美術館には「風呂敷」なんて書いてありましたね。でも私はハンカチとして使います。私はもうとにかく大きなハンカチがいいのです。昔からそうでした。手拭いも好きでしたが、ハンカチのようにポケットに入れるわけにいかないのです。だから、こうしたハンカチなら実に私には便利なのですね。2008年05月06日
5月5日に谷中千駄木根津を歩きました の3
さて、根津神社をあとにして、次の目的地へ歩きます。ポコ汰はベビーカーに入れました。もうお腹がいっぱいになっていますから、すぐ眠るでしょう。いつもポコ汰はお昼を食べたあと、3時間くらい眠るのです。
でも眠らないで頑張っています。思えば、ポコ汰も、こんなパパとママ以外に、ブルータスおばちゃんも、ナオキおじちゃんもいるから、もう愉しいのでしょう。
私たちは、根津神社から歩いて不忍通りを歩いて、言問通りを登っていきます。この写真は、不忍通りまで出る前に、この鳥を触ってポコ汰は喜んでいました。この鳥とポコ汰の写真をいくつか撮りました。
やがて、言問通りをあるくと、私には実に懐かしく思い出す橋が見えてきます。この橋は、東大の農学部と東大の本郷の本部を結んでいる東大構内の橋です。この橋が懐かしいのは、私はこの橋を1969年1月9日に渡ったことがあったのです。
そこを越えて、やがて東大の弥生門の前あたりの弥生美術館と竹久夢二美術館に着きました。もうこのときには、ポコ汰はベビーカーの中で眠っています。
ここで、二つの美術館を見ます。
私は竹久夢二のことはずっと好きだったので、もっと早くから来たかったのですが、なかなか機会がありませんでした。それが初めて来られて実に嬉しいことです。竹久夢二は、荒畑寒村の親友でもあり、私には寒村翁はただただ好きな方でしたから、この夢二にもたくさん知りたいことがあったものでした。
また、この弥生美術館では、高畠華宵の作品も見られると思っていました。高畠華宵も私は中学生の頃から好きでした。
左はここの入場券ですが、上は、(高畠華宵/君知るや南の国)とあり、華宵の絵が描かれています。「君知るや南の国」とは、この南の国とはドイツから見たイタリアであり、こう言っているのは、少女ミニヨンです。この絵の女性がミニヨンなのでしょう。
ミニヨンは、ゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」の中に出てくる少女の名前です。「ウィルヘルム・マイスター」は、「修行時代」と「遍歴時代」という2部からなっており、その中に、このミニヨンの話や、「美しき魂の告白」(これは「ウィルヘルム・マウステル」の物語の展開とは関係ない話です)が含まれています膨大な物語です。私はゲーテは、「ファウスト」も好きで、今まで何度も読んできましたが、「ウィルヘルム・マイスター」も大好きな物語です。
でも昨日は、この高畠華宵の作品はなくて、弥生美術館は次の作品展でした。
生誕百年 山川惣治展
−戦後日本を勇気づけた「少年ケニヤ」−
「少年王者」や「少年ケニヤ」で知られる山川惣治は昭和20〜30年代を中心に活躍した絵物語作家です。密林の中で孤児となった日本の少年が、仲間に助けられ、共に闘いながら強くたくましく成長し、ついには王者となって森の動物たちの平和を護るという山川惣治作品に典型的なストーリー・・・最も弱かった者が、苦難を乗り越えながら最強の王者になっていくという展開は、敗戦後の疲弊した日本人に、希望を与え、立ち直る勇気をもたらしました。絵物語原画、戦前の紙芝居作品や若き日に描いた習作等、貴重な未公開資料を含む約400点による初回顧展。山川惣治の「冒険・愛・勇気」に満ちた世界をご覧ください。
そして、竹久夢二美術館は、次の展示でした。
マルチアーティスト
竹久夢二の七つの顔 展
私は自分で単に「えかき」だとも思っていない。私は自分で単に「えかき」だとも思っていない。
「えかき」という商売はどうも好きではない。しかし、画を書くことは好きだし、世の中で為る事の中では、やはり一番真剣で深くなってゆけるし、この道はどの外の道よりも自分に適してもいるし、幸福だと思ってはいる。何かしら自分の技能で生活してゆくことも好いし、狭い人間生活のうわつらでうようよしないですむことも愉快だ。
「私が歩いてきた道」『中学生』8−1(大正12年)
生前はその職業を問われると、「画をかくこと」と応えていたという竹久夢二。その言葉どおり「画をかくこと」を天職とした彼は、雑誌の表紙を描き、本を装幀し、また、雑貨店の経営を試み、展覧会を企画するなど、得意の「画」を通じて様々な分野の仕事に挑戦してきました。この展覧会では、彼の遺した仕事を〈画家〉〈詩人〉〈批評家〉〈書家〉〈デザイナー〉〈プロデューサー〉、そして〈人間・竹久夢二〉の七つの視点から検証し、夢二を多彩な才能を発揮したマルチア−ティストの先駆者として位置付けます。
この二つのことも、この二つの美術館のホームページから引用して、当日の私の解説書にプリントしていたものでした。
かくして、ここの見学を終えて、もうすっかり眠っているポコ汰のベビーカーを押しているミツ君とともに、南北線の東大前駅から、王子へ帰ってきました。
5月5日に谷中千駄木根津を歩きました へ
5月5日に谷中千駄木根津を歩きました の2
浅野での食事を終えて、私たちは夜店通りに出ます。そして根津神社に歩くのに、最初は不忍通りを歩くつもりでしたが、たぶんあまりに多い人出でしょうから、夜店通りから続いているヘビ道を通ります。思えば、この路も私は随分昔から歩いていた道です。
でもこのヘビ道も歩く方が大勢います。みなさん、この連休に、この街を歩かれているのですね。そしてこのヘビ道にも、いくつかのいろいろなお店が開かれています。
ヘビを歩いていると、「あっ」と驚くことがあります。「あ、この店は私が30年前に飲んでいた店じゃないか。今もやっているんだ」と、その店のご主人の言葉訛りを懐かしく思い出します。
ヘビ道から、右折して根津の街を歩くと、ブルータスが、「あ、この店で買って食べた」などと思い出してきます。私にも、根津もいくつも思い出してくる街です。
そういえば、私はこの日のために、A43枚にて、この街で訪れるところの解説をプリントしていました。いくつかのインターネット上のホームページのどこかを抜き書きして構成したものです。
根津神社のつつじ祭りには、以下のように抜き出していました。
境内にある約2000坪のつつじ苑には、約50種3000株のツツジが咲き競い、甘酒茶屋、植木市、露天が並び、土日祭日には野点、箏曲、和太鼓、奉納演芸等、各種行事が執り行われます。
見頃は4月下旬前後(その年の気候により、かなり異なる。)、種類が非常に多く、開花時期が違うため、早咲きから遅咲きへと花が移り変わり、長い期間様々なツツジを楽しむことができます。
中には豆つぶほどの小さい花のフジツツジ、風車のような花弁のハナグルマ、黒ツツジと呼ばれるカラフネ等珍しいものも見ることができます。
このとおりに、最初はつつじを見るつもりだったのですが、あまりにたくさんの人がいます。もうつつじ園に入りませんでした。でも、もう神社の中は露店もいっぱいです。神社の裏のほうまで行きますと、急に、ブルータスが金魚すくいがしたくなります。そこで写真のようにやり出します。
けっこう何匹も金魚をつかまえます。その金魚すくいの網で、続いてミツ君もやります。それでさすが紙が破れて、そのあと金魚は持って帰るのは3匹ということで、それをブルータスは持ちます。
そのあと前にも見た猿回しを少し見ます。ブルータスは日光猿軍団のやっている方の「月収はこのくらいだ」なんていう話をしてくれていました。
そしていっぱいの人の中、戻っていく中、私は、3匹の金魚が心配になりました。ブルータスは君津へ持って帰って、お父さんの家の池に入れるつもりですが、それまで大丈夫でしょうか。だから、私はあの金魚すくいの店に戻って、少し大きいはちを購入し、水をたくさん入れてもらいまして、そこへ3匹の金魚を移しました。
そして、それをブルータスに渡しました。もうあの3匹の金魚は、今はどうしているかなあ。あの君津の家の庭の池で元気に泳いでいればいいのですが。
そしてこの間、ポコ汰がお父さんのミツ君と手をつないでいる姿などを写真に撮りました。
ここにある2つの写真は、金魚すくいをやっているブルータスと、ミツ君の姿です。
5月5日に谷中千駄木根津を歩きました の3 へ
5月5日に谷中千駄木根津を歩きました
3日の我孫子の ケヤキウインドアンサンブル第5回定期演奏会 で、私は次女のブルータスに5日は、ママと長女ブルータス家族の3人と、谷中を歩いて、根津神社につつじを見に行くことをいいました。そうしましたら、ブルータスとナオキ君も来てくれることになり、午前10時20分に日暮里駅で待ち合わせました。
でも当日になりまして、ブルータスからのケータイで、二人は車で王子まで来てくれました。まだ10時よりもかなり前でした。
二人は、長女おはぎの家に行きます。私と妻も、義母をデイサービスに送ったあとすぐにおはぎの家に行きます。10時少しすぎです。もうポコ汰が二人のおばさんとおじさんが来てくれたことに喜んでいます。
10時20分くらいに出発します。王子駅は、エレベーターがないので、ポコ汰の乗るベビーカーが大変なのです。北口からエスカレーターで行きます。このことは、早急に王子駅にエレベーターを設置してほしいものです。
電車に乗ってすぐに日暮里駅です。ただし、京浜東北線は、快速運転で、日暮里は止りませんから、田端駅で山の手線に乗り換えます。こんなときもベビーカーで少し大変です。
それで、日暮里駅北口で降りて、谷中に向かいます。
すぐに、ショコラティエイナムラショウゾウの店に向かいまして、このお店の中に入ります。娘にも二人の彼にも、ここのチョコレートは、予想よりも高額だったようです。この店で有名だというモンブランのことを聞きましたが、それはこの店から歩いて15分くらいの本店「パティシェイナムラショウゾウ」のほうにあるそうでした。
ここで私はブルータスとその家族(お父さんとお母さん)にチョコレートを買いました。
そこから谷中を歩きまして、夜店通りの千駄木「浅野」に向かいます。途中で階段のあるところがありまして、私がちゃんと認識していなかったので、羞しいことです。でもそこでは、おはぎママとブルータスに手を引かれて、ポコ汰はちゃんと階段を降りて行きました。
階段を降りると、ポコ汰は、一人でトコトコ歩いて行きます。
ちょうど11時少しすぎに、「浅野」に着きます。私たちは、全部で大人が6人で、あとポコ汰が一人です。奧の座敷にあがります。私の次女ブルータスのことを、女将さんは覚えていてくれました。ブルータスは、このお店の近くの汐見小に勤めていたことがあるのです(近いと言っても歩いて10分くらいかなあ)。
それに、前にもこのお店に家族4人で来ていたことがありました。
5月2日の谷中歩き(2004.05.31)
そのときのことを、女将さんは覚えていてくれるのです。そのときは、4人だけでしたが(長女は結婚していましたが、この日は彼は仕事でした)、そのときから4年経ちまして、次女は結婚して、長女にはポコ汰という長男がいて、全部で私は家族7人になったのです。そしておはぎのお腹には、女の子ポニュちゃんがいます。二人の娘の彼は、私よりずっと背の高いいい男たちです。
実はこの前日の4日に、私の後輩のS君が、このお店を夕方訪れていました。その報告をケータイメールでもらっていました。それで、その彼とのケータイメールのやりとりで、「浅野」が前日4日の日曜日は、昼は50人のお客さんが来てくれて、マスターたちは大変だったようです。今は河岸はお休みですから、前もってたくさん仕入れているわけですが、それでも大変なことです。以前から、昼はたくさんのお客さんが来ていましたが、とくに4月6日NHKテレビでの放映のあとは、実に大勢の方が昼に食事にお見えになるらしいのです。
だから、大人6人の食事というと大変です。だから私は、前日の夜に、マスターに翌日5日は、6人で11時少しすぎにお店に伺うというケータイメールをしておいたものでした。
私たちが座って、ビールを飲み出すと、すぐに6人のお客さんが来まして、私たちの隣に座ります。
ポコ汰も、おはぎや用意していたお弁当を食べ出します。そしてもうポコ汰は、パパママとじいじ、ばあばと、ブルータスおばちゃんとナオキおじちゃんがいるので、実に嬉しそうです。ポコ汰は笑顔で、歩き回ってもいます。
そんなうちに、私たちは食事を終えて、店を出ました。もう何人ものお客さんが店の中を見ていたことに私はきずいていました。大勢の方が、谷中千駄木を歩いていて、昼食の時間なのです。けっこう私よりも年上の方が多いのを見かけていました。
思えば、こんな谷中千駄木は、実に身近なところで、歩くと愉しいし、こうした浅野のようなお店で食事できるのも愉しいことですね。
5月5日に谷中千駄木根津を歩きました の2 へ
2008年05月04日
昨日の「ケヤキウインドアンサンブル第5回定期演奏会」
以下に掲示していました演奏会に妻と二人で、昨日行ってまいりました。
私の次女ブルータスは、このケヤキウインドアンサンブルで、オーボエを吹いています。
ブルータスはもともと我孫子第4小学校のときから吹奏楽をやっていますが、たしか我孫子第4小学校の3年生くらいからオーボエを吹いていたのじゃないかなあ。そのときから麗嘉ちゃんという友だちとずっと一緒にやっています。この麗嘉ちゃんは、サックスフォンをずっと吹いています。
この麗嘉ちゃんとは、根戸保育園のときからの同級生です。この麗嘉ちゃんとは、我孫子市立白山中では、麗嘉ちゃんが生徒会長で、ブルータスが副会長をやっていたこともあります。とってもいい友だちですね。その麗嘉ちゃんも昨年ブルータスが結婚したあとに、結婚しました。
そのお母さんにも、昨日会場で会が終わりましたときに、声を掛けられました。とっても綺麗なお母さんで、そして懸命にご自分の会社を頑張って経営されている方です。
プログラムは以下の通りでした。
第1部
アルセール ARSENAL
作曲:Jan Van der Roost
指揮:松田康治
プスタ PUSZTA 〜4つのジプシーダンス
作曲:Jan Van der Roost
指揮:松田恵次
第2部
喜歌劇『天国と地獄』序曲 OVERTURE TO ORPHEUS IN THE UNDERWORLO
作曲:Jacques OffenBach
指揮:宮下研也
歌劇『サムソンとデリラ』よりバッカナール DANSE BACCHANALE
作曲:Camille Saint SAens
指揮:松田恵次
第3部
POPS STAGE
〜 宇 宙 〜
会場に入ったのが、午後3時半くらいでした。どんどんとお客が入ってきます。私たちは、ブルータスの演奏をすぐそばで見ようと、一番前の席に座りました。もう始まるときには、満席になっています。私はすぐにここに掲げた写真を撮ったのですが、プログラムに「場内での録音・写真撮影はご遠慮ください」とありましたので、すぐにデジカメを撮るのをやめました。
午後4時に開始になりました。最初の「アルセール」の曲が鳴り出したときに、妻は驚くような感動を受けたそうです。これはあとから聞きました。
妻は前にも何度か聞いていますが、その過去の思い出よりも格段に上手になっていることを感じたようです。
私はこうした音楽には、まったく無理解の人間なのですが、やはり私もその曲を聞いていて感動しています。とくに、第2部の『天国と地獄』と『サムソンとデリラ』は私もよく知っています曲です。
1部と2部の休憩のときに、私は義姉のまっちゃんと姪のみーねえとその次男のれいちゃんを見つけて、そばへ行ってお喋りしました。長男のゆうや君が、古河市へサッカーの試合に行っているということでした。そういえば、私はこのれいちゃんとゆうや君への手紙を書いていて、王子でなく、我孫子の駅前のポストに入れたばかりでした。思えば、手渡ししたほうが早かったのですね。でも今はもう読んでいてくれるでしょう。
私は、「あ、れいちゃんがいるのなら、ポコ汰も連れてくれば喜ぶだろうな」と思っていたものでした。
さて、2部が終わって3部との間の休憩のときに、妻は帰ります。義母のお迎えには少し間に合わないのですが、それは長女おはぎがやってくれる約束なのです。
第3部は、すっかり舞台に登る会員の方たちも装いを変えて登場です。みんな黒の礼装だったのですが、ここでは、ジーパン、Tーシャツという装いです。弾きます曲は4曲で、最初は「スター・ウォーズ」の曲です。私は「あ、ダース・ベイダーの曲か」なんて思っていたものです。そしてそのあとは、「宇宙戦艦ヤマト」の曲です。
思えば、スター・ウォーズにしろ、宇宙戦艦ヤマトにしろ、もはや私たちの娘たちには、もう古典の世界なのですね。
私はこの曲を聞きながら、「ああ、戦艦大和も、海の底から甦って宇宙の彼方のイスカンダルへ行くという、宇宙の大義のためには命をもかけるという少年たちの愛国の物語だなあ」なんて思い出していたものでした。あの物語が流行ったときに、私は千葉市のニューナラヤというデパートで、進学教室をやっていて、そこに来ている小学生の男の子たちが、この物語に魅せられているのを、「ああ、また『御国を守れ!』という物語りか」と思っていたものでした。そんな思い出を私は頭に思い浮かべていました。
この曲が終わりまして、演奏会は終了です。
外へ出るときに、私は麗嘉ちゃんのお母さんとお会いしました。
それから、会場の外へ出て、やがて、ブルータスとその彼のナオキ君に会います。もう二人に会うのは、何ヶ月ぶりでしょうか。話していますと、ブルータスが柏三小学校のときのE先生が来てくれていまして、ご挨拶します。私も大好きな先生です。よくブルータスを指導してくださった先生です。
ブルータスは、この先生のもとでやりはじめた百人一首を、木更津の学校でも始めたようです。それを聞いてE先生は喜んでくれます。
まっちゃんともみーねえともれいちゃんともブルータスはそこで会いました。
もうとっても嬉しい、この演奏会でした。
ここの写真を撮ったときは、3時44分のときでした。すぐに「写真撮影はご遠慮ください」とプログラムにありましたので、もう止めました。会場はどんどん人が来場して、ほぼ全部の席が埋まりました。
2008年04月28日
ケヤキウインドアンサンブル第5回定期演奏会 へのコメント
私の ケヤキウインドアンサンブル第5回定期演奏会 に ナミちゃん が以下のコメントを書いてくれました。
1. Posted by なみんと 2008年04月27日 20:42
周さん〜お久しぶりです。5月3日の演奏会の事はじめて知りました。娘も小・中と吹奏楽でトロンボーンをやっていましてその頃は私も吹奏楽の追っかけみたいに親子共々演奏会を楽しんでいたのですが最近はご無沙汰です。松田先生には娘が一年生の時にお世話になりました。とっても有名な先生ですね。ブルータスさんがオーボエを吹かれるんですか・・聴きたいな〜♪〜3日は残念な事に・・用事でいけません(>_<)周さんは行かれるようですね。
宮下先生率いる白山中吹奏楽も素晴らしかったですね。姪がそこでオーボエを吹いていました♪〜
私の次女ブルータスは、いつも小さいときから、テレビのあらゆる番組の音楽を何故か耳で覚えていますのです。よくピアノで、曲を弾いていまして、「えっ、あの曲はどうして弾けるの? テレビで流れているだけだろう?」と、私が妻に言いますと、「あの娘は、耳で覚えちゃうのよ」と言われたものでした。
思えば、この次女ブルータスはそういう娘でした。だから、そののち三線を持ったときも、そのようにいつも演奏していたものです。
それに比べて、長女おはぎは、音楽はブルータスには劣りましたが、いつも絵を描いたり、図工を作ったりすることには、実に秀でていました。私の父も義父も、このおはぎにはとても嬉しかったはずです。自分の好きなことを、こうして孫が実に判ってくれているのですから。
でもね、とにかく私は行きますが、ええと、我孫子の駅前の飲み屋でも、3日という祝日に飲めるのかなあ、とそれだけを気にしています。しょせん、私はそんなものです。
2008年04月02日
おはぎの友人の結婚式
おはぎの大学の友人が結婚しました。おはぎの友だちは、同じ大学の同じ学部同じ学科の子が多いのですが、この彼女は違う学部で、おはぎとは、スイミングスクールでのアルバイトで知り合いになりました。彼女は、卒業したあと、大学院にも進学して、そのあと希望通り養護の仕事についていました。彼女が始めて私の家に来たときは、あんまり美人なので、私は焦ってしまったものです。娘はいくつになっても自分の子どもであるわけですが、その友だちはやはり女性です。あんまり美人だと私はどきどきし、焦ってしまいます。
その彼女が30日結婚しました。結婚して福岡に行くそうです。
その結婚式に、おはぎが贈ったのが、この写真の人形です。これはもちろんおはぎの手作りです。この人形はもう随分前からその制作過程を見てきていました。でも、結婚式が終わるまでは、ブログにUPしては駄目だと言われていました。この二人の人形は、式の受付でみんなと会うわけなのです。
それで、もう結婚式が終わりましたから、こうしてUPします。この二人の人形も、今では、彼ら二人の家庭で、いつも二人を見つめてくれるでしょう。
2008年03月31日
29日の自宅の掃除 へのコメント
29日の自宅の掃除 に 破茶さんが次のコメントをくれました。
1. Posted by 破茶 2008年03月31日 06:27
>おはぎの、「ここにいてもパパが一番役に立たないから、パパが帰りなさい」ということで
たのしい!
家族ってありがたいですね!
たしかに家族はいいです。私はみんな好きです。とくに私はポコ汰が可愛くて可愛くて仕方ありません。そのママのおはぎは、なんか私を全然評価しません。それで妹のブルータスもだんだん姉に似てきて、私を評価しません。
29日には、私はブルータス宛ての手紙を手渡ししたのですが、「なんだか同じことを書いていない?」って言われちゃいました(けっして私は同じことは書いていませんよ)。おはぎは、「この前の手紙は未だ読んでいない」なんて言っていました。
でも二人の娘も、実に大変に忙しい人たちです。
早くブルータスにも子どもが出来たら、その孫たちは、私じいじと必ず連帯しますよ。
それにしても、きょうも朝早く我孫子の自宅へ行きました。きょうは雨で大変でしたが、たくさんのもの(ゴミ)を出し、そして不燃ゴミの処理をしました。いえ、これを取りに来てくれた方がいるのです。実にありがたいです。
あとまた一度妻とこの自宅へ行きます。そのあとは、私もこの部屋の鍵ももたないようにします。
2008年03月30日
29日の自宅の掃除
昨日29日は、家族みんなで我孫子の自宅の最後の掃除をするということでした。朝8時30分に妻が長女夫妻と出かけます。ようするに、HNKの連続ドラマの最終回を見て出かけるのです。私は義母をデイサービスに送ってから出かけます。ポコ汰は、ミツ君がお母さんが来て見てくれています。
私はいくつもの「草月本舗『黒松』」を持っていきます。先に行った妻のもいくつも持っていってもらいました。
日暮里駅で、長女おはぎとケータイで話しますと、スポンジを3つ買ってきてくれということです。掃除であちこちをこするのに必要なのでしょう。それで、私は柏駅で千代田線に乗りかえるときに、柏のイトーヨカドーに行ってスポンジを買います。だって、キヨスク等々では売っていないのです。
それで時間がかかりましたが、12時前には我孫子の自宅に到着します。もう掃除の真っ最中です。ミツ君は学生の時から、あちこちのビルを土日や祝日に掃除する仕事をしていましたから、こういうことはいわばプロです。ガラスが実に完璧に綺麗になっています。
私は持ってきた『黒松』を配ることにします。どのお家の方も、私が顔を出して挨拶しますと、懐かしくお話します。私があこがれていた美人の奥さまにもお会いできました。
でも残念なことに5つの家の方が、留守です。でも仕方ないので、またあとで、ということで、そのあとおはぎが買ってきてくれたハンバーガーを食べます。
私は、次に私の兄の家と、KAMOさんご夫妻の家に行きます。
ところが、兄の家は留守です。また兄は、詩吟の用で出かけているのでしょう。義姉は娘のみーねえのところへ行っているのかな。それで、次のKAMO夫妻の家へ向かいます。つくし野1丁目(だったかな)なので、少しだけ遠いのですが、私はいい天気の中自転車を走らせました。
でも、ここも留守です。あれれ…、ということで、手紙の裏に少しメモして、『黒松』を置いていきます。でも、ここはタヌキが出るところらしいから、『黒松』は大丈夫かなあ……。
それから、みーねえのマンションに向かいます。マンションに入って、みーねえの家は上のほうなので、まずケータイで電話します。でも、誰もいない。あれ、まっちゃん(私の義姉)とみーねえと二人の子どもはどこかへ出ているのでしょう。彼はテレビ局関係の仕事だから、土日も働いていることが多いのです。
でもこの途中でいくつもの桜の写真を撮りました。
かくして、私は家に帰ります。次女ブルータスも来てくれていました。
妻が、「この人はあんまり役に立たないんだよな」という顔で、でも用を命じてくれます。
でもこれは、本当に大変でした。おはぎはお腹に2番目の子がいるのに、実によく頑張ってくれました。そしてミツ君は完璧にプロとしてやりこなします。私の妻も懸命にやります。次女ブルータスもよくやってくれます。私はひさしぶりにブルータスのそばにいられるのが嬉しいのでした。
あと、私は捨てなければならないものを処理したりして、少しは役にたったかと思います。
午後1時から勤務の管理人の方にも挨拶しました。
でももう3時半をすぎています。5時には王子の部屋にいて、義母を迎えないとなりません。それで、本来なら、妻が帰るのですが、おはぎが、ここでは一番役に立たない私が帰ったほうがいいといいます。それで、私は最初挨拶したときに、留守だった
そして31日には、また妻と行きまして、妻の会社の人に来てもらって、さ
まざまな不燃ゴミをかたづけます。これもまだいっぱいあるのよ。それで終了になるのかなあ。
それとマンションの住民の方には、会える限りご挨拶をしました。
でも、私の義母のお迎えが王子の家であります。その時間が迫って長女おはぎの、「ここにいてもパパが一番役に立たないから、パパが帰りなさい」ということで、もう一度、留守の方に私が行ってみますが、まだみなさん留守です。
かくして、その用はブルータスに頼みます。ブルータスはきょうは、我孫子で、吹奏楽の練習日で、それが午後9時までありまして、そのあと王子に来るのです。彼のナオキ君は、土曜日も日曜日も友人の結婚式なのです。そしてブルータスも、30日のきょうは新宿の先に行くようがあるのです。
ただ、もうすぐ、おはぎの部屋に行きまして、ポコ汰を抱いているブルータスの姿を見てきます。
私は王子に必死に急いで帰りました。帰る途中で、KAMO夫妻の家に電話しました。私のケータイには、彼らの苗字ではなく、KAMOTUGUMIというハンドル名だったので、判らなかったのです。それで、電話すると、TUGUMIさんが出ます。彼らは二人で、あけぼの山にお花見に行っていたそうでした。それと頑固な二人はケータイを持ちません。なんという保守性だろうかなあ。
でもこうして二人と話せて嬉しいです。
でもとにかく、私は王子に急ぎます。妻に持たされた少し大きな家具(家具ともいえないかな)を持って急ぎます。
もちろん、電車の中では、ずっと「吉屋信子『女人平家』」を読んでいます。あるところで、大江広元の思い(これはもちろん創作なわけですが)に、涙を流しましたが、「ああ、いけねえ、ここは電車の中だ」と気がついたものでした。
かくして、王子へ帰ってきて、少しして(5時15分)、義母をお迎えします。
そして待つうちに、妻が帰ってきます。妻は、最初におはぎの部屋に行きまして、ポコ汰にあったらしいのです。ミツ君のお母さんがずっとポコ汰といてくれたのです。
それで、私もポコ汰に会いにいきます。ミツ君のお母さんに会いますと、ポコ汰はとてもいい子でいたといいます。
そしてポコ汰は、そばにいる私に、卵焼きを小さく切った、ポコ汰用のものを、何故か手で持って私に食べさせようとするのです。2つ食べて、「もういいよ」と言って自分で食べさせました。
たぶん、ポコ汰も、パパもママもいないので、きょうは大変な日だと思ったのじゃないかなあ。
さて、もうすぐポコ汰を抱いたブルータスを見に行きます。
続きを読む2008年03月28日
27日も我孫子の自宅へ行きました
もうこの3月は何度も我孫子の自宅へ行っています。引越は終わりましたが、たくさんのゴミ・資源のあとかたずけです。そしてそのあとは掃除をしなければなりません。
このところ、午前4時59分の京浜東北線に乗っています。そうすると日暮里駅から乗って、柏で千代田線に乗り換えて、6時少し前に北柏駅につけるのです。
だから、この写真のように、まだ通る柳田公園は暗いのです。ちょうど4時50分くらいの時間です。
それから我孫子の自宅について、木曜日はゴミの収集日ですから、それを大量に運びます。ほぼ25日に袋に入れていたものです。これが実に大量です。時間がかかりますが、仕方ありません。
ほぼやり終えて、9時40分くらいに帰ります。今度は、29日にまた家族みんなで来まして、掃除します。
帰りは王子駅に午前11時少し前に到着します。すぐにある方にケータイします。電車の中では出られないのです。お花見の約束とパソコン購入の相談です。
帰りに、朝出かけたところで同じく柳田公園を撮ります。この時間だと公園の時計が綺麗に映りますね。
でもとにかく、たくさんのゴミかたずけで、身体が汚れてしまっている思いで、お風呂に入り、すべて下着も服も着替えまして、それから必死に仕事になります。なにしろ3月末までにやり遂げないとならないのです。
でもとにかく、やり終えまして、ケータイメールしたりして、妻も帰宅して、ようやく夜の食事の時間です。私は昨日手に入れました「手取川」を飲み始めます。このお酒は、いつも上杉謙信を思い浮かべながら飲んでいます。
さて、きょうは、義母お送りましたら、郵便局で書留を出して、速達も出して、午後3時頃はまた自転車で買い物に行きまして、明日は我孫子の家の大掃除です。それから、多くの方にご挨拶に参ります。
2008年03月22日
2008年3月20日 の2
さて湖北の正泉寺から、藤代の佐貫新川へ向かいます。12時15分前くらいに出発します。道はそれほど混んではいません。12時15分くらいに着きます。
母の実家には大きな池がありました。でもそれはもうないのです。家もすべて建て替えられていて、すっかり綺麗になっています。ただし、造りが前の建物とそっくりに作ってあります。
私の母たか子の実家の当主は、私の従兄になっていまして、でも彼はけっこう癌で何度も入院しているのです。その病気見舞ということで、私たち我孫子の3兄弟が来たのでした。彼は昭和13年生まれですから私よりも10歳上です。彼の弟もわざわざ埼玉県深谷市から来てくれていました。彼は昭和16年の生まれで私の兄莞爾が昭和17年2月生まれで、ちょうど私の兄がよく可愛がってもらったものなのでしょう。
それと四女の由紀子さんも来てくれていました。彼女は昭和22年生まれなので、私より1歳上です。いつも私と弟も夏休み等に、この母の田舎に来ますと、いつも優しく迎えてくれました、優しい綺麗なお姉さんでした。
さて、ここで、昭和41年に亡くなりました、三女節子の残してくれた横田家の系図を見せてもらいました。このことは「横田家の歴史」に、その冒頭のみを書いてあります。
それを読みながら、お話しながらの食事になりました。私の兄からは、母たか子が亡くなりまして、その相続の手続きが終了したことの報告があります。
みなでビールを開け、私はお酒も飲みますが、私の弟は車を運転しますから、飲みませんし、もう誰も昔のようにたくさんは飲みません。時間が大変に変化し、誰も身体の具合が変わってきていることを感じます。
思えば、まだ孫の世代でありました私たち従兄弟同士が、みなそれぞれが孫の居る時代なのです。
私たち3兄弟は午後2時30分には、ここを辞去しました。もちろん、その間、この家の現在の御当主のお父さん(私の伯父、母の兄貴)ご夫婦と、私の祖父祖母、そして私の従姉の節子ちゃんには、お線香をあげました。
かくして、また弟の車で我孫子まで帰ります。また私は我孫子の自宅に戻りました。そこでまたかたづけを続けます。でも何故か少し綺麗になっています。私の妻が来てくれていたようです。さてしばらくして、王子に帰ることにします。
実は、母の実家でお米を10キロお土産にくれていたものですから、それが重いのですが、それを持って王子まで帰ります。
ひさしぶりに従兄弟たちに会えて嬉しい思いでした。今度あの家に行けるのはいつのことになるのでしょうか。
きょうも、我孫子の自宅へ行ってきます。そこで妻と落ち合って、部屋のかたづけの最終的な打ち合せをします。あとは、ゴミと資源と雑芥をどういうふうに処理するかを決めるのです。
2008年03月21日
2008年3月20日
きのうは、朝7時30分頃我孫子の自宅へ着きました。11時に兄の家に行くつもりでしたから、まあゆっくりとゴミと資源の整理をして、掃除もしようと考えていました。まずはでも木曜日なので、ゴミをマンションの収集場に出さないとなりません。でもゴミ袋がありません。私はセブンイレブンに買いにいくつもりでした。でもあいにくの雨です。自転車に乗れる感じではないので、私は歩いていきます。
あ、そうだ、今回はひさしぶりにコンビニの椎名さんへ行こうと思いました。ここは今はコンビニですが、もともとは椎名酒店として、いろいろなものを売っていましたよろず屋でした。
私の二人の娘を両親が保育園に通わせてくれていました。二人の娘は1歳違いの姉妹なのでしたが、上の子は割と身体が大きく、下の子はとても小さい身体の子でした。でも次女のブルータスはとても気が強く、朝両親のうちからでかけるときに、ブルータスは姉を突き飛ばして、「お姉ちゃんはじいじのほうに乗れ」とばかりに押しつけて、自分はばあばのほうの自転車に乗ります。ばあばの自転車だと椅子の後に乗れますが、じいじのは、前のほうの椅子で、大きな身体のおはぎには向かないのです。それでも、ブルータスはおじいちゃんのほうには乗りたくないのです。
でも保育園から帰るときには、ブルータスはじいじの自転車に乗ります。おじいちゃんだと、サービスがあるからです。おじいちゃんは、いつも遠回りして、この椎名酒店に寄って、そこで何かを買ってくれるのでした。だからこのときには、おじいちゃんのほうに自転車に乗るのです。
ちょうど今回私が行きましたときには、その当時からのご主人が店にいました、もう今では、息子さんがお店をやられているのですが、このときはひさしぶりに会えました。何年ぶりのことだったでしょうか。
ご主人と顔を合わせて、もうきょうで引越すること、娘二人はお嫁に行ったこと、私の両親のことを報告しました。ご主人もよく覚えていてくれました。
そして、ここでゴミを入れるビニール袋を買いました。大きな袋ですから充分なはずです。それで、ゴミだけではなく、資源・雑芥も入れられるはずです。
そこで家に帰って、早速ゴミを集めます。ところが、それがいくら集めて、いくら収集場に持っていっても、まだまだいくらでもゴミがあります。どんどんと持っていきますが、いくらでもあるのです。もう他の日に出す資源・雑芥にではなく、ゴミだけでいっぱいになりました。それで、このマンションの収集場は、もういっぱいになります。私のところのゴミばかりなのですね。そして時間がかかります。ああ、もっとゴミ袋を買っておけば良かった。
そして驚くほど時間がかかります。もう10時を過ぎてしまいました。
今度は資源・雑芥をまとめます。そしてもとブルータスの部屋にそれをまとめておきます。ここには、もう古書店に売ることができない古書とレコードが大量にあります。これは資源と雑芥として出します。だから4月になってしまいます。
それから、今度はベランダをかたづけます。ここも、もうずいぶん出したのですが、まだまだあるのです。
それをある1カ所に集めているときに、私の弟からケータイに電話があります。もう11時10分前なのです。かなり時間がかかっても、まだまだ終わらないのです。
かくして、兄の家に行きまして、弟と3人で、兄の相続手続きの話を聞きます。やはりけっこう大変な手続きだったようです。父の過去の戸籍だけでなく、母の生まれたときからの戸籍も必要でした。出かけていた義姉も帰ってきて、それから11時40分、父母の墓参りに出かけます。
湖北の正泉寺に父母の墓はあります。残念ながら、雨が降っていますが、3人でお参りします。お花を供えて、お線香を焚き、合掌します。「これからお母さんの田舎実家へ行くよ」と私は挨拶しました。
2008年03月19日
姪のしほちゃんからの葉書
私の姪、弟の長女しほちゃんから昨日葉書を受け取りました。その葉書は、二人の笑顔の写真が印刷されています。
写真は先日、二人でパン教室に参加したときのものです。なかなかお会いできませんが、お身体に気をつけて。いつまでも若々しくしてくださいね。
とっても綺麗なしほちゃんと、笑顔の彼が映っています。また手紙を書きたくなりましたが、あんまり私が手紙を書くと、迷惑かもしれないなあ。とにかく、私はメールでも手紙でも、書きすぎなので、気をつけなければいけないのです。
でも嬉しくて、嬉しくて、葉書の二人の写真をいつまでも見つめています。あ、そうだ、妹のかなちゃんにも手紙を書こう。
二人は、私をとっても好いていてくれます。逆に、自分の父親のことは、「マサシ」、「マサシ」と呼び捨てていて、評価しません。でも本当は、お父さんのことが大好きなことを私はよく判っています。
ただ、私の萩原家のことでは、兄貴二人がだらしがないので、いつもマサシが頑張ってしまうので、二人の娘は困っていまうのです。でもそういえば、私の娘二人は、いつもマサシおじちゃんを信頼しています。
ようするに、私たち兄貴は頼りないからねえ。明日も正志が運転手で、兄貴も私も母の実家へ行きまして、そしてまた飲んでいるだけだろうな。その前に父母の墓参りにも行きます。あ、私はまず朝早く我孫子の家に行きまして、ゴミをたくさん出します。部屋の掃除をします。
2008年03月18日
昨日の引越
私は昨日は午前2時20分に目が覚めました。それでいつもの通り、メルマガの第397号のページを作成します。それで、4時になったら出かけようと思っていましたが、このブログのサイドバーに貼ってあります「駅探:乗り換え案内 時刻表 路線検索サービス」で検索してみると、我孫子までいくのには、王子駅から4時59分に行くしか電車がありません(千代田線では、それから12分前のに乗っても、同じことになります。
それで、4時35分に出まして、朝食を王子の駅前の吉野屋で取りました。実にひさしぶりだったなあ。「あっ、ビール!」と言いたいところですが、きょうは引越です。
それでここの画像は、そのあと王子駅前の東武ストアの前の広場にある樹木の飾りです。ただし、ちゃんと撮れていません。歩道を渡りながら、「あっ、これじゃ駄目だ」と思いましたが、戻って撮り直している時間が不安です。王子駅で乗り遅れると大変なことになります。
それで、北柏駅から、自宅へ着きますと、ちょうど午前6時を少し過ぎたくらいです。
そこで、まずゴミを収集場に出します。これがもう莫大な数です。いくら出しても、出しても終わりません。
そして、梱包の済んでいないものを、ダンボールに入れます(でもほとんどやってあるので、ただダンボールをガムテープ・クラフトテープでとめるだけです。
テレビを付けっぱなしにしています(もういくつもの時計が止っていて、私の腕時計と、テレビしか時間が判らないのです)。
それで8時15分に、マンションの下にサカイ引越センターが大きな2台のトラックをとめました。1台は、引越用で、もう1台は、私の家の不要な家具等々を捨てるためです。
かくして8時30分から、作業が開始されました。私は、私の必要な本は梱包していたのですが、それをダンボールに入れてくれということで、その作業をやります。ベランダも忘れずやりました(でもまだいくつものゴミが残っています)。
いろいろな家具を取り去ると、そのあとはとても汚れています。でも掃除をしている時間はありません。かくして、10時20分に終わりまして、会計をすませて、彼らは出かけまして、私も「私のほうが少し早いかもしれないですね」なんて言いまして、10時40分に自宅を出ます。
もちろん、我孫子の往復の電車で、2冊の本を読みました。
かくして王子駅に着いて、私は足袋を買いまして、家に急ぎます。
家に到着すると、もうサカイ引越センターは到着しています。私の王子の家だけでなく、長女おはぎの部屋に持っていくものもいくつかあります。
もうこの家は、大きな家具はベツド一つだけです(もう一つは捨てました)。長女の部屋には、一つのタンスが大きいものです(あと蒲団もあがましたが)。でも時間がかかりますが、みなダンボールになっているので、楽です。
その途中で、私のクライアントの社長の奥さまがお菓子を持ってきてくれました。かくして午後1時30分には終わります。
それから、私は王子税務署へ行きまして、義母の税額の納付と、王子郵便局へ行きまして、ある方の申告書を簡易書留で出します。
そのあと食事して、義母の薬を取りに行ったのですが、3時40分で、4時まで昼休みでした。
だからその間、私は自転車で、王子駅前の「藤や酒店」でお酒を買います。私の好きな「手取川」の「大吟醸山廃仕込」です。
4時10分に義母の薬を買いまして、それで家に帰りまして、お風呂に入りました。
午後5時5分に義母を迎えまして、私は午後6時半頃に長女おはぎの部屋に行きますが、ポコ汰の機嫌がよくないのです。まだ風邪が完全に直っていないのでしょう。
実は、本日火曜日が、我孫子の資源と雑芥ゴミの出す日なので、きょうも朝早く行くつもりだったのですが、本日は、妻が自分の会社の物件の賃貸マンションのゴミを整理する日なので、朝は私が義母を送らないとならないのです。
そうすると来週25日は、資源は出せますが、雑芥は4月にならないと出せません。もう3月31日には、引越完了としたかったのですが、困りました。でも4月の第一週くらいは仕方ないかなあ。
私は20日には、兄と弟と母の実家の従兄の病気見舞に行くのですが、その朝我孫子の自宅の掃除とゴミ出しをします。
それで25日に資源を出して、あとは雑芥だけが残ります。まあ、これまたたくさんあるのよ。あとはテレビも見られるディスプレイと、もう1台のディスプレイを手で運びます。
思えば、このマンションは1992年の3月から住んでいたのです。丸16年もいたのですね。私は引越してばかりいた人生でしたが、ここが一番長く住んだところです。長女と次女にも、一番思い出のある家だったでしょう。
でもこれからも25日に我孫子の兄の家に行きますように、たびたび行くようになります。でも、もうこのマンションには行くことはないでしょう。



