周の文学哲学歴史話

2017年05月18日

ハルノ宵子さんのことで

20170518032017051804  私の尊敬する吉本隆明さん、和子さんの長女です。1957年12月28日のお生まれで、本名は吉本多子(さわこ)さんです。島成郎(しましげお)さんの葬儀の時に、このハルノ宵子さんとお父さんの隆明さんを見たものです。私はやっぱり吉本(吉本隆明)さんには声がかけられなくて、吉本多子さんには「ハルノ宵子さんですね。ご苦労様です」としか声が出せませんでした。私は島成郎さんにも親しく(奥様も)、奥様にも声をかけていただきました。車を運転されている方を「あれがハルノ宵子さんの彼かなあ」なんて思ったものです。
  彼女の漫画作品は現存するかぎり、私はすべて読んでいます。私が好きになれる作品ばかりでしたね。吉本(吉本隆明)さんはいい娘さんを二人もお持ちなのだなあ、とそのことばかりを思ったものでした。もちろん、奥様の和子さんも実にいい方です。
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2017年05月17日

上杉謙信を思う7

2017051701「上杉謙信を思う6」で「川中島の戦い」を見ましたので、さらに書きます。武田信玄の「風林火山」のことです。江戸時代に武田信玄はかなりもてはやされましたので(これは徳川幕府がそうでした。信玄に一度敗れた家康が結局天下を掌握したのだというのでしょう)、この「風林火山」も大変にもてはやされました。
これは中国春秋戦国時代の「孫子」に書かれていたのです。この孫子は二人の人物で孫武と孫ピンというが本名です。
 だが「孫子」自体は孫武が書いたもので、20世紀になって孫ピンの兵法書(「へいほうしょ」あるいは「ひょうほうしょ」と読みます)を書いたものが、出版されました。
 この孫ピンが書いたものは20世紀末に出版されました。「三国志」の魏の曹操が実に評価している兵法書でした。
20170517062017051708   この「風林火山」をあげていきましょう。

其疾如風 其徐如林 侵略如火 不動如山 難知如陰 動如雷霆

 最初の4行の末字が「風林火山」になっています。読みは「そのはやきこと風のごとく しずかなること林のごとく 侵略すること火のごとく 動かざること山のごとく 知り難きことは陰(かげ)のごとく 動くことは雷霆(らいめい)のごとし」です。
 これは「孫子」の中にある言葉です。私は府中刑務所に居たときに岩波文庫で2冊差し入れてもらい、すべて暗記しました(今は忘れてしまいましたが)。

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吉本ばななさんのことで

20170517012017042625   私のこの将門Webは吉本(吉本隆明)さんに関するサイトだと思われています。事実私は吉本(吉本隆明)さんに関する本はすべて読んできました(吉本隆明さんの本はすべて、吉本隆明さんについて書かれた本も知る限りすべて読んできました)。
いや二人の娘さん、漫画家のハルノ宵子さんの本も吉本ばななさんの本も手に入るかぎり、読んできました。ただ奥様の和子さんの本は読んでいません。いつも雑誌「試行」の支払いのときに、私が「カンパしよう」という申し出で少しもめたものでした(でもいつも和子さんは「それではこうしましょう」という私に有利な解決法を示してくれたものでした)。
それが今はそうしたことがないので、ものすごくさびしいのです。
   この吉本ばななは吉本隆明・和子さんの次女として1964.07.24に誕生されました。
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フリーデリケ・ブリオンを思う

2017051613   この少女はゲーテが愛した女性です。ゲーテが生涯をかけて書きました「ファウスト」において最後にファウストを天上に導くのがこの女性なのです。ファウストはゲーテ自身であり、それは第一部でグレートヒンという女性なのですが、これはゲーテが14歳の時に恋した3歳年上の女性です。だがこの女性は架空の女性であり、本当はこのフリーデリケ・ブリオンなのです。
このグレートヒンはどこにもその面影も、何もかもが存在しないのです。「ファウスト」に書かれるだけなのです(ゲーテ「詩と真実」には書かれていますが)。
そしてこの物語の第二部最後にファウスト自身を天上に導くのはこのグレートヒンなのです。それは実際のフリーデリケ・ブリオンなのです。ただし、こう思っているのは私です。
   この少女は上の肖像があるだけです。
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2017年05月11日

土方歳三の画像

2017051122    ここのサイドバーに近藤勇の妻と勇本人の写真を載せました。いやもともとあった写真ですが、見ている方の希望でこうしてのるのです。
 それで新選組副長の土方歳三も載せました。彼は結婚はしていません。彼もまた剣は得意だったのですが、拳銃を知りましてからは、もっぱらこればかりになりました。もともと武士ではない彼は日本刀に固執する気持は皆無だったのです。
 彼は新政権ができたとき、それに加わろうという意思もあったのですが、結果は新政権と戦うことになったわけです。
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上杉謙信を思う6

201705111220170510082017051009「川中島の戦い」のことを書いてみます。
    この「川中島の戦い」というものは全部で5回ありました。そのうち最大のものが第4回目の大会戦でした。
それは後世の人は「前半が上杉軍、後半が武田軍の勝利」と言っていますが(普通なら後半に勝利したほうが勝ったと言われるのだが)、みな信玄の勝利のようにいいます。ただ私はこの戦いは上杉謙信が勝利した合戦だったと思います。武田信玄は自らの思い通りには少しもこの合戦を動かせませんでした。イキイキと全軍を動かしたのは謙信です。双方ともに勝利宣言をしています。
死傷者の数は双方同じくらい、ただ信玄は少しも自分の思い通りには軍を動かせないのに比べて、謙信は思い通りに全軍を動かしています。ただし、そのあとはここらへんはすべて信玄の領地になっています。
のちに羽柴秀吉がここを訪れて、「無駄な戦をしたものだ」と言ったそうですが、その言い方には信玄なら顔を赤らめるでしょうが、謙信は少しも動じないように思います。
そうしたところが私が今も上杉謙信のファンであるところなのです。
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この字を何と読むの?(上杉謙信を思う5)

2017051101 上杉謙信が使うこの字です。上杉軍の旗印にもよく使ったようです。
    私はこの字を「こび」と呼んでいました。だがそれは誤りで、正式には、音(オン)読みで「ヒ・ビ」で、訓(クン)読みでは「あつい・たすける・へそ」です。
 私が調べましたのは、大修館の「漢字林」です。
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2017年05月10日

懐かしく思い出します

2017051004    この「新生」を購入した古書店は鹿児島の繁華街から離れたところにある古書店でした。懐かしいなあ。いや新本では手に入らなかったのです。それに比べて今はインターネットがあるから、実に楽なのです。
「神曲」のほうは最初読んだのは岩波文庫でした。懐かしく思い出します。その後は筑摩書房の「世界古典文学全集」ででした。何度も読んでいますね。
2017051003続きを読む

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ベアトリーチェのことを書きました

2017051002    このベアトリーチェのことは実に懐かしく思い出します。もう忘れられないですね。それは私の初恋に関係したことがあるからなのです。でも今はそれを書けません。そうだなあ、もう少し時間が経過したら、書けるかもしれません。
2017051001続きを読む

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2017年05月09日

ベアトリーチェのことで

2017050916  私は中学2年のときに、この少女を書いた「新生」を読み、高校2年で「神曲」を読みました。2つとも手に入れた書店も書いていた訳者もすべてよく覚えています。「新生」は私の弟がある病気で入院していたのですが、そこへこの本を持ちながら行っていたものでした。
「神曲」ではベアトリーチェはダンテを天上に導きます。この「神曲」は何度読んだことでしょうか。すべてを懐かしく思い出せるのです。201705091720170509202017050918続きを読む

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「毘沙門天」のことを書いていきます(上杉謙信を思う4)

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    上杉謙信のことを書いているときに、謙信が「毘沙門天」って正確に呼んでいるのだと思いました、「毘沙門天」ってなんだと思い見てみました。インターネットのウィキペディアでは以下のとおりです。

 毘沙門天(びしゃもんてん、梵名: ヴァイシュラヴァナ)は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされる。また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、様々な呼び方がある(まだまだ長く書いてあるのですが、それを知りたいのならご自分でどうぞ読んでください)。

 こうしたときは、インターネットが実に頼りになります。
 そうなのだ。上杉謙信はこの「毘沙門天」を崇拝していたから、お嫁さんを迎えなかったのだなあ。なんだか、伊勢姫のことがまた哀れになります。
「毘沙門天」を尊敬崇拝するのはいいけれど、若い女性を泣かせちゃいけないよなあ。彼女はこれで尼になってしまうのだから。なんだか、哀しいばかりです。
 こんな上杉謙信なのです。
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2017年05月07日

上杉謙信を思う3

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実にこの武将は他の戦国の武将たちとは変わっていました。いや変わりすぎていたといえるでしょう。そして彼は毘沙門天を篤く信仰していました。そこが他の武将たちと大きく違うところです。そして実に大酒のみでした。武田信玄とも織田信長とも大いに違います。羽柴秀吉や徳川家康では理解できなかったのではないかなあ。 2017050720続きを読む

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上杉謙信を思う2

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   こうして私の大好きな上杉謙信のことをまた書いていきます。彼には何人か子どもがいますが、すべて養子です。だから矢切止夫がいうように、「上杉謙信は女だった」という説が昔からありました。今もインターネット上にそれがいくつも見られます。もうおどろくばかり書いてあります。
   絵に描いてあるひげはあとから付け加えたものだというのですね。あといろいろとその根拠があとからあとから付け加えられています。
 謙信に恋した伊勢姫は17歳で出家し、その後若くして亡くなっています。なんだか彼女を思うと悲しいばかりになるのです。
 でも謙信もこういう定めだったのかなあ。どうしても悲しいばかりです。
 謙信は2度上洛しています。そのときに長尾幕府を作ってしまえば、良かったのに(その時はまだ「上杉」にはなっていません)と私は思えてなりません。その時の長尾輝虎は桓武平氏を名乗り、十分資格はあったのです。だがある公家の女性に恋されて、越後に逃げ帰ったと言われています。
 たくさんのことを思い出していく上杉謙信です。
20170507012017050704続きを読む

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2017年05月05日

上杉謙信を思う

20170505012017050502  私が一番好きな武将はこの上杉謙信です。彼は好きな女性はいましたが、その女性は謙信が結婚をする気がないことを知り17歳で仏門に入って尼になるのです。なんだか、彼女を思うと悲しいばかりになります。どうして彼女に「俺のところへお嫁に来い」と言わなかったのかなあ。
2017050503続きを読む

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2017年04月29日

北一輝を思います

20170429052017042901    私は北一輝の著作はすべて読んでいます。彼が幼きときに読んだ故郷佐渡での恋の歌も読んでいます。みすず書房の全三巻のものです(ただし第3巻が発行されたのは随分あとでした)。もう彼が2・26のほかの将校たちと違って「天皇万歳」と叫ばなかったと思うのは、これですべての彼の著作を読んだからなのです。
   私は「支那革命外史」が一番好きな作品です。
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2017年04月15日

4月8日の「花祭りには甘茶をかける」はどうしてか

2017041151220170411513 私はこれがよく分からなったのですが、インターネットで検索してどうやらわかりました。
 こうありました。
 お釈迦様が生まれたとき、その誕生を祝し9匹の龍が天に現れ、甘露の雨を降り注いだという伝説があります。それで誕生日である4月8日花祭りの日には、甘茶を誕生仏にかけるのが習わしとなりました。ただこの甘茶を使用するようになったのは江戸時代からで、それより前は五香水や五食水と言われる香水を使っていたそうです。
 そうなのだなあ。私は信仰心なんてないですから、こうしてインターネットで知るばかりです。
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2017年04月11日

マグダラのマリアのことで

20170409102017040912  「マグダラのマリア」でインターネット検索しましたら、いくつもの画像が出てきました。4番目の画像はイエスが生まれたときの母マリアの絵だと思うのですが、それは私にはわかりせん。このマグダラのマリアとイエスは結婚したのですが、そのことは「聖書」から消されてしまいました。「聖書」を読んでも、そのことが不満です。このことは私の最大の不満です。
20170409132017040914201704091520170409162017040917続きを読む

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イエス・キリストのこと

20170409182017040923201704092420170409222017040919 「聖書」 を読むとイエスと神は別な人格に思えてしまいます。これだから私はキリスト教徒にはなれないのです。私は神よりも平将門を選び、当然吉本(吉本隆明)さんを選びます。それが私なのです。
201704092120170409262017040925続きを読む

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2017年04月09日

孔子を載せましょう

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   ソクラテス・釈迦と書いてきましたので、次は孔子です。だが孔子の奥さんはブスだと書いていましたが、インターネットでいくらさがしてもこの日本でも中国のサイトでも期待どおりのブズ・不美人ではないのですね。いくら探しても、「孔子の妻」「孔子の奥さん」「孔子の女房」等々と入れてもみなインターネット上のその奥さんは綺麗だとしか思えないのです。それでこの画像を選びました。ただただ奇麗な女性の画像です。
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「天上天下唯我独尊」という釈迦の言ったこと

2017040902 釈迦が生誕したときにこう言ったといいます。「天上天下唯我独尊」と。
これは「自分が一番偉いのだ」と生まれたばかりの釈迦が言ったと誤解されがちです。「今日4月8日は花祭りの日だ」では4番目の像です。
でも違うのです。釈迦が言った真意は次なのです。『自分という存在は誰にも変わることのできない人間として、生まれておりこの命のまま尊い』。 これを間違えて解釈しそうですね。私も長い間誤解していました。2017040903

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2017年04月08日

ソクラテスの悪妻クサンティッペ

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  私が実際に横浜東高校の体育祭で「歴史上の人物」というのでやったのですが、「悪い妻クサンティペは夫ソクラテスの頭から水をかける」ということで、でも実際にはかけないはずだったのですが、当日は実際にバケツから水をソクラテス役に頭からかけてしまったので、驚きました。
 でも実はこの悪いとんでもない妻は水ではなく、尿瓶の中身をかけたのです。もうこれは悪妻ではなく、もうどうしようもない人間ですよ。こんな屈辱があるのなら、哲学者になんかならなくていいのです。そう思うのです。
 四大聖人のうちソクラテスが一番辛いなあ。
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今日4月8日は花祭りの日だ

20170408092017040817    今日4月8日は釈迦、ゴータマ・シッタルダが生まれた日じゃないか。そうかそれを思い出したのです。そうなのだなあ。2017040814201704081220170408102017040811
   世界四大聖人と言えば、釈迦・孔子・イエスキリスト・ソクラテスですが、釈迦、ゴータマ・シッタルダが結婚した女性は美人だったようです。孔子の相手はブスとして名高く、イエス・キリストの相手のマグダラのマリアは美しかったようです(だが「聖書」からはその記述は消されました。結婚したことも消されました)。もう一人のソクラテスの奥さんクサンティッペは悪妻として有名です。なにしろ夫に尿瓶の尿を頭からかけちゃうのですから。ソクラテスは「君も悪妻を持てば哲学者になれる」と言っていまます。
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2017040816続きを読む

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2017年03月22日

縄文人と弥生人

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神奈川弁というのだ

2017032203
私は「横浜弁」というのだと思っていましたが、日経新聞では「神奈川弁」とあります。そうなのだなあ。
私は中学は鹿児島県鹿児島市にいまして(小6の6月から)、高校は鶴丸高校に入りました。もう中3で転校できない時期だったのです(いや転校はできるわけですが、高校入試は無理な時期でした。それで下宿したのです)。鹿児島市は方言は親しくならないと出てきませんが、横浜はもう最初から横浜弁が出てきます。私はこの「・・・じゃん」という言葉が嫌いでした。そして喋っている当人たちはそれを方言と認識できていないのです。
そして私が嫌だったのは私のことを平気で、「薩摩隼人という顔をしているね」などという(これを私に聴こえるように言っているのだ)女の子なんか、私は大嫌いでした。だから私は大学の2期校は埼玉大学を選んだのです。横浜国大ではこの横浜を抜け出せないのです。私はどんなに横浜を嫌ったことでしょうか。あ、これは「横浜」は何も悪くありません。私と接した横浜東高校の人たちがひどい田舎弁(横浜弁)を話す人たちだったのです。私は鹿児島も大嫌いでしたが、このひどい田舎としか思えない「横浜」も大嫌いでした。思えば、鹿児島も前にいた名古屋も大嫌いでしたから(そもそも名古屋弁は許しがたいです)、それで私は「そもそも私は縄文人で弥生人は嫌いなのだ」と理解できていったものです。
2017032201続きを読む

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私は「横浜弁」が嫌いでした

2017032202  周の故郷の一つ横浜の「横浜弁」のことを書いていきます。ちょうど私のパソコンを置いておく機器パーツの下にこの新聞が置いてありました。
それを引用して書きます。2017032201
ああ、それは次に書きましょう。続きを読む

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2017年03月10日

織田信長の正妻帰蝶(濃姫)のことで

20161107032016110707201611070420161107052016110710 ここのサイドバーで「信長の愛した女、吉乃、お鍋の方」が何度も上がっていますので、信長って人気あるのだなあ」と思い、信長の正妻帰蝶(濃姫)のことを書こうと思いました。
 彼女は政略結婚で岐阜の斎藤道三の娘として織田信長の正妻になります。彼女がどうしていたのかは、長く分からなかったのですが、近年実に大坂夏の陣まで生きていたことが分かりました。本能寺の変を知り、秀吉の天下統一を知り、関ケ原の戦いを知り、豊臣家滅亡も見ていたわけです。 
 どんな思いでいたわけなのでしょうか。
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2017年03月02日

山口瞳の「江分利満氏の〇〇な生活」で

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ちなみに私たちは、浦和で三島由紀夫追悼のデモをやったものでした。埼玉県警もお線香を掲げてデモする私たちにとまどっていました。私もそのときだけ、嫌いな黒ヘルメットをかぶったものでした。いつも弾圧の埼玉県警もとまどっていたものです。ただ私にだけは納得できていたかもしれません。
   私は彼山口瞳の作品はほとんど読んでいます。読んでいないのは週刊新潮に長期連載されていたものだけです。
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2016年12月28日

「筑摩書房を思います」に書いたことですが

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 この日11月19日(土)に午前9時に、瀧野川第五小学校に着きました。自宅から日本交通で行きましたものです。
 瀧野川第五小学校の講堂に入るともういっぱいの方がおいでになっていました。

 それで私が以下のように書いたことですが、『ここの画面の「三国志」は「三国志演義」や「吉川英治三国志」ではなく、陳寿が書いたもので、初めて日本語に訳されたもの(註が裴松之の書いたもの)です。江戸時代の人も誰も読んでいなかったのでしたね。』

 これは江戸時代は「三国志」をみんながよく読んでいたように見えても、実は一部だけを読んでいるだけで、『陳寿「三国志」裴松之(はいしょうし)の註を含んで』をすべて読んだ人は一人もいなかったのです。このことが悲しい真実なのです。
そういえば、『陳寿「三国志」』は誰も、陳寿の書いたものと、「裴松之の註」とは誰もが陳寿の書いた本文より、「裴松之の註」のほうが量が多いと思っていますが、真実は本文の方が量があるのです。私もそれを知りまして、実に驚いたものでした。
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2016年11月14日

賀茂真淵のことで

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 本居宣長のことを書いたら、この賀茂真淵のことも書くべきだと思いました。いや私が書くのですから、大したことは書けていませんが。それと最初は「賀茂真淵」を「加茂」と書いてしまい(それで最初はUPしていました)、恥ずかしいです。
 この賀茂真淵はいわば、本居宣長の先生にあたりますから、私も敬意を払って書くべきなのです。
 ただ、賀茂真淵が本居宣長の先生としての絵があったように記憶するのですが(漫画だったのですが)、今回見つけられないで、悔しいです。
 私が記憶するところでは、賀茂真淵は万葉集を称え、古今・新古今を下位に置くのですが、弟子の本居宣長は当然そんなことはありません。これは私は高校生の時から本居宣長を尊敬していたところです。
 ただ私は以上のようなことしか書けないのですね。恥ずかしいです。
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2016年11月13日

本居宣長のことで

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私はここのサイドバーに本居宣長の像がないことが不満でした。でも言い訳を言うと、私にはそんな資格はないとしか言えないのです。
 でも小林秀雄『本居宣長』の最初を思い出し、小林秀雄が折口信夫から「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」と告げらたことを思い出し、やっていこうと思いました。
小林秀雄・折口信夫の偉大さを思い、そして「紫式部『源氏物語』」を思い、はるかに本居宣長を思うものです。
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2016年11月12日

パトリシア・コーンウエルの画像

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パトリシア・コーンウエルです。私の好きな作家です。日本語に訳された作品はすべて読んでいます。今回サイドバーの画像が削除されてしまったので、こうして書いて、またUPします。
パトリシア・ダニエルズ・コーンウェル(Patricia Daniels Cornwell)は1956年6月9日生まれで、もう56歳なのですね。検屍官ケイ・スカーペッタをヒロインとしたシリーズで有名になった米国女流推理作家です。私は翻訳されたものは、すべて読んでいます。私には、検屍官ケイ・スカーペッタがパトリシア・コーンウェルに思えてならないのですが、いつもそばにいる刑事(デカ)と結婚しないかなあとやきもきしています(ただ彼には恋人がいます。でもケイ・スカーペッタに惚れているのだよなあ)。
 ケイ・スカーペッタは最新作では突如若返ったりして、それで私は喜んだり、「それはないだろう」なんて言っています。2016111215
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ハリーポッターの最新作が出ました

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 この作品は私はすべてを購入して読んでいます。
 私は以下をすべて読みました。

第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』
Harry Potter and the Philosopher's Stone (1997年6月30日発売)
日本語版単行本(1999年12月1日発売)
第2巻『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
Harry Potter and the Chamber of Secrets (1998年7月2日発売)
日本語版単行本(2000年発売)
第3巻『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
Harry Potter and the Prisoner of Azkaban (1999年7月8日発売)
日本語版単行本(2001年発売)
第4巻『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』
Harry Potter and the Goblet of Fire (2000年7月8日発売)
日本語版単行本(2002年10月23日発売)
第5巻『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』
Harry Potter and the Order of the Phoenix (2003年6月21日発売)
日本語版単行本(2004年9月1日発売)
第6巻『ハリー・ポッターと謎のプリンス』
Harry Potter and the Half-Blood Prince (2005年6月16日発売)
日本語版単行本(2006年5月17日発売)
第7巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』
Harry Potter and the Deathly Hallows (2007年7月21日発売)
日本語版単行本(2008年7月23日発売)

 そこに以下のように書いています。

 最初は原作のイギリスでの発売と日本での発売(日本語での翻訳があるのです)には、日数の差があります。でも実に6巻なんか日本での発売のほうが早く、7巻は日本では2日後に発売しています。日本での人気が思い出されます。
 訳者はすべて松岡佑子さんで、4巻以降は上下2冊でしたね。

もうすべてを下北沢の古書店に売りました。
 私はばあばから、何かを聴かれたときに、「この娘はマグルだから」なんて答えたものですが、思えばなんだかわけが分からないよね。近年は、この世界では「人間を差別してはいけない」という主張が強くなっているといいます。
 私はハーマニューオニーとロン・ウィーズリーが結婚するのですが、そのときは「なんでハリーポッターと結婚しないんだ」と大変に不満になったものです。
 さて、この最新号をどうしようかなあ。  
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2016年11月07日

私が濃が大坂の陣以降まで生きていたと書いたのは

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これを書いていられなかったので、またあとで書いていきます。もうどうしてもやっていられないのです。

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2016年11月05日

ねねとお茶々は仲が良かった

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この二人は実に仲が良かったのです。秀吉の数多い側室の中でお茶々だけはねね北政所には許せる相手だったのではないでしょうか。
 小田原の北條攻めをするときに、秀吉は各大名に妻側室を連れてくることを許しています。そして秀吉自身にはお茶々をあとで連れていくようにしたのは、お寧々なのです。2016110525
 上杉謙信・武田信玄も包囲するだけで落とせなかったこの小田原城を秀吉はいつまでも包囲して、北條氏政・氏直親子は最後は降伏するしかなかったのです。

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世界三大美人のことで

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ここ将門Webで、「世界三大美女」とか「中国四大美女」とか「日本四大美女」(私は「美女」と「美人」というのは違うものだと思っていますが、そのことはまた別です。)を書いてきました。
 私は以下だと思っています。
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「世界三大美女」…ヘレネ、クレオパトラ、楊貴妃
「中国四大美女」…西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃
「日本四大美女」…小野小町、お市の方、原節子、夏目雅子2016110516
 こうして書くことにあまり重要な意義はないのですが、とにかく私は考えていくのです。
私は、ここではまだ書いていない、楊貴妃、原節子、夏目雅子を載せてみます。あとでまた書きますが。



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もうすぐNHK大河ドラマ「真田幸村」が終わりますね

2016110511
実は私は毎週見ている(見ていない時もありましたが)のです。それで豊臣秀頼はどうしても軟弱な息子男の子に描かれがちですが、実は身長は185センチあったのです(徳川5代将軍綱吉が135センチとは驚くほど違います)。これは今も残る着物のサイズで分かるのです。そして淀殿(茶々)は身勝手な女・母親と描かれがちですが、この大坂の陣の前には、秀頼のために江戸で人質になろうと申し出ているのです。2016110512
 この時に北政所(ねね)は京都の高台寺で大坂城が燃える様を見ていたはずです(もう当時は大きな高い建物がないから、京都高台寺でも見えるのです)。家康がこの北政所の高台寺に2度相談に行っています。私もこの高台寺は訪れたことがあります。
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 そういえば、織田信長の正室濃姫もこの大坂の陣が終わるまで生きています。この世のむなしいことを感じていたことでしょう。

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2016年11月02日

「ハリーポッター」シリーズのことで

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私はこの『映画「ハリーポッター」シリーズ』のことで、主役ハリーポッターのダニエル・ラドクリフ(1989.07.23生まれ)の画像をここのサイドバーにあげようとしまして(実はもう大分前から思っていました)、まずはここに掲げました。  とにかくまずはこうして彼ダニエル・ラドクリフの画像をウィキペディアから載せました。このあとはハリーポッターの画像を載せていきます。2016110202
続きを読む

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2016年10月23日

宮澤賢治「雨ニモマケズ」のことで

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私はこの「雨ニモマケズ」を名古屋北区の六郷小学校で小学校5年の時に担任の嶋先生から教えていただきました。嶋先生は「風の又三郎」を読んでくれて、その何日後かに、この詩を黒板に書いて教えてくれました。
 でも思い出すと、それには法華経の文言はありませんでした。それを知ったのははるかに高校生のときです。懐かしいです。
 なおこの詩は本当の作者はまた別にいるようです。
 ただ私には吉本(吉本隆明)さんのこの宮澤賢治についての著作が最高のものでした。
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私が話したのは渡辺健のことではなく石坂浩二のことでした

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 私が「杏さんの画像」で「渡辺謙さんのことは私が逮捕起訴された朝霞署の留置場の中でみんなにずっとお話ししていたのだよなあ」と書きましたのは記憶違いで、そのとき話したのはNHK大河ドラマの海音寺潮五郎の「天と地と」でした。主役の上杉謙信役が石坂浩二さんでした。
 私はこの時は「殺人・殺人未遂、他2つ」の被疑事件でしたが、看守の方とはよく話して、その息子さんがよく見られているということで、話したものでした。当然私は原作も読んでいますから、その看守の戦国史好きな息子さんには私の話はおおいに参考になったのではないかなあ(看守さんは私と話して、それを家へ帰って息子に伝えるのです)。あとで、この看守の方は北浦和駅前の交番にもいたから、そしてけっこう役は高かったから(ほかの警官を抑えて、私の話をききました)、私の話を詳しく聞いてくれたのでした。
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2016年10月22日

宮澤賢治 「雨ニモマケズ」

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 宮澤賢治「雨ニモマケズ」を全文書きましょう。

宮澤賢治「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
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南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩2016102225
2016102201



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2016年10月10日

『「べっぴんさん」で神戸を思い出していました』で書いたことで

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  『「べっぴんさん」で神戸を思い出していました』で書いて、私はすぐに眠りました。ところが、22時頃目が覚めて、どうしても眠られません。「きっと泰面鉄道のことやスマトラ島のことで、眠られないのだろう」と思い、もういっそ起きてインターネットでスマトラ島などの地図を見て、その中の画像をいくつかをUPしました(ここに載せたものです)。
 でもそのうちインターネットで、あるサイトを見て、そこに書いてある文章を見て、「あ、私と同じことを考える人がいるのだなあ」と思いでも1分後「あれ、これは私が書いた文章じゃないか」と気がつきました。私が昔の私のホームページに書いていた文章です(このあと全文UPします)。
でもこんなことがあるのですね。私は私自身の書いた文章で、「同じように考える人がいるのだなあ」から「あれ、これは私が昔書いたものじゃないか」と気が付いたのでした。
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2016年09月10日

直木賞受賞者受賞作品名2

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前と同じに私がインターネットで調べてコピーしましたものです。今回は第11回(昭和15年上半期)から、第20回(昭和19年下半期)までのものです。こうして書いて行くと、知っている作家名が出てきます。もちろん読んだ作品もあります。
 しかし、第17回の山本周五郎『日本婦道記』は読んでいて、内容も思い出しますが、山本周五郎は受賞を辞退しているのですね。なんか、分かる気持ちがします。2016083027
第11回 [昭和15年上半期(1940年8月1日 受賞発表)]
河内仙介 [受賞時:41歳]
『軍事郵便』
堤千代 [受賞時:22歳]
『小指』
第12回 [昭和15年下半期(1941年1月28日 受賞発表)]
村上元三 [受賞時:30歳]
『上総風土記』
第13回 [昭和16年上半期(1941年8月1日 受賞発表)]
木村荘十 [受賞時:44歳]
『雲南守備兵』
第14回 [昭和16年下半期(1942年2月4日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし
第15回 [昭和17年上半期(1942年8月1日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし
第16回 [昭和17年下半期(1943年2月3日 受賞発表)]
神崎武雄 [受賞時:36歳]
『寛容』
田岡典夫 [受賞時:34歳]
『強情いちご』
第17回 [昭和18年上半期(1943年8月2日 受賞発表)]
山本周五郎 [受賞時:40歳] (※受賞辞退)
『日本婦道記』
第18回 [昭和18年下半期(1944年2月7日 受賞発表)]
森荘巳池 [受賞時:36歳]
『山畠』『蛾と笹舟』
第19回 [昭和19年上半期(1944年8月15日 受賞発表)]
岡田誠三 [受賞時:31歳]
『ニューギニヤ山岳戦』
第20回 [昭和19年下半期(1945年2月8日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし2016083028
この前に書きましたものですが、ペンを画像としてUPしましたが、今はもう誰もパソコンのワープロソフトで書いているだろうな。ワープロソフトは私のように使わない人もいるかもしれませんが。2016083030



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2016年08月30日

直木賞受賞者受賞作品名

2016083021
私がインターネットで調べてコピーしましたものです。第1回(昭和10年)から、第155回(平成28年下半期)までのものです。最初から年2回なのですね。そんなことも今知りました情けない私なのです。このUPは第10回昭和14年下半期までです。このあとまたUPします。
以下の通りです。2016083022
第1回 [昭和10年上半期(1935年8月10日 受賞発表)]
川口松太郎 [受賞時:35歳]
『鶴八鶴次郎』『風流深川唄』『明治一代女』
第2回 [昭和11年下半期(1936年3月12日 受賞発表)]
鷲尾雨工 [受賞時:43歳]
『吉野朝太平記』
第3回 [昭和11年上半期(1936年8月10日 受賞発表)]
海音寺潮五郎 [受賞時:34歳]
『天正女合戦』
第4回 [昭和11年下半期(1937年2月12日 受賞発表)]
木々高太郎 [受賞時:39歳]
『人生の阿呆』
第5回 [昭和12年上半期(1937年8月12日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし
第6回 [昭和12年下半期(1938年2月7日 受賞発表)]
井伏鱒二 [受賞時:39歳]
『ジョン万次郎漂流記』
第7回 [昭和13年上半期(1938年8月2日 受賞発表)]
橘外男 [受賞時:43歳]
『ナリン殿下への回想』
第8回 [昭和13年下半期(1939年2月12日 受賞発表)]
大池唯雄 [受賞時:30歳]
『兜首』『秋田口の兄弟』
第9回 [昭和14年上半期(1939年8月1日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし
第10回 [昭和14年下半期(1940年2月14日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし2016083024
  もう最初はこれだけです。まだまだあるのですね。


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2016年08月29日

芥川賞と直木賞

2016082901
2016081518
 私はこの二つの賞は、「芥川賞は純文学」と「直木賞は大衆文学」に文藝春秋社から与えられるものだということぐらいしか知らずにいました。
 ただ私は私が大ファンである山口瞳が直木賞でそれがただただ嬉しい思いで高校生のときからいましたもので(私は山口瞳は今までにほとんどの作品は読んでいます)、ここはひとつ歴代の直木賞の受賞者と受賞作品名をあげようと思いましたが、ただ単にインターネット上のものをコピーするだけで大変な作業です。改めてこの賞の偉大さと私の無知を知りました。
 あ、この賞は芥川龍之介と直木三十五からきたものです。


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2016年08月25日

安土城のことで

2016082503
2016082502
 私がここ(NHKテレビ日曜8時の大河ドラマ)にあげた城は、七層(地下1階地上6階建)であるために私は織田信長が作りました安土城だと思いました(城については何も書かれていないのです)。ただこの城は信長が明智光秀に京都本能寺で殺された(本能寺に火を放ち自害したと言われます)少しあとで焼失しました(今も原因は分かりません)。私は信長の息子信忠が焼いたとばかり思っていましたが、今も真相はわからないのです。この信忠も自害しました。2016082504
 私はこの本能寺には行きましたが、そんなに大きなお寺ではないのですね(当時は大きかったのかもしれません)。私はこの本能寺のすぐ前の三月書房には必ず訪れています。そしていつもなんらかの本を手に入れています。あ、またこの三月書房のことは別に書きましょう。2016082501
 いつもこの安土城を思い、織田信長を思い浮かべています。


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2016年08月24日

NHKテレビ日曜8時の大河ドラマ

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 いつも必ず日曜の午後8時にNHKテレビを見ています。思い出せば、学生運動で逮捕拘留されたときは、見ていないのですね。いや思い出せば、下宿していた時もそうなのだなあ。
 今ではばあばも必ず一緒に見ています。そうなのだなあ。2016082407



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2016年07月20日

北畠顕家のことで

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 後藤久美子さんのことを書いたときに、最後の画像にNHKテレビの1991年の大河ドラマ「太平記」での後藤久美子さんがおやりになった北畠顕家の写真を載せました。
 そしてここで後藤久美子さんが北畠顕家をやったときの画像を載せていきます。
 北畠顕家は東北から、南朝を救いに来まして、ものすごくその軍勢は強くて(そして実は乱暴で)すぐに足利軍を打ち破り、そしてまた東北へ帰ります。
 実は私にはさほど顕家軍が強い軍だとは思えないのですが、とにかく武士相手には強い東北の軍勢だったのです。
 だが再び足利軍が今度は九州からやってくるときに、また東北から顕家軍は呼び寄せられ、今度は最後高師直軍に敗れます。
 ただこのとき、顕家は南朝方、後醍醐天皇他を明確に批判しています。文書に残っています。でももう遅い、というか、顕家のいうことは悲しく悔しいばかりです。顕家公は享年21歳でした。
 ここには、その後藤久美子さんが演じた顕家と、歴史上というか日本各地にある顕家関係のもの、そして後藤久美子さんとは仲のいい、このときは藤夜叉になった宮沢りえさんを載せます。藤夜叉は足利尊氏との間に足利直冬を生みます。この直冬は足利直義の養子になり、実に尊氏とはものすごい戦争をしていきます。そして直冬軍が強かった………、でも私は書ききれません。テレビでもこの時代はうまくえがけないのだろうな。160722026
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2016年07月15日

フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」

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急にフランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」を思い出しました。以下は公式版のフランス語歌詞とその日本語訳です。1番のみです。あ、これはウィキペディアにあるものです。

Allons enfants de la Patrie,
Le jour de gloire est arrivé !
Contre nous de la tyrannie,
L'étendard sanglant est levé,
L'étendard sanglant est levé,
Entendez-vous dans les campagnes
Mugir ces féroces soldats ?
Ils viennent jusque dans nos bras
Égorger nos fils, nos compagnes !

行こう 祖国の子らよ
栄光の日が来た!
我らに向かって 暴君の
血まみれの旗が 掲げられた
血まみれの旗が 掲げられた
聞こえるか 戦場の
残忍な敵兵の咆哮を?
奴らは我らの元に来て
我らの子と妻の 喉を掻き切る!

*ルフラン(詩や楽曲で、各節の終わりなどに同一の詩句・楽句を繰り返すこと)
Aux armes, citoyens,
Formez vos bataillons,
Marchons, marchons !
Qu'un sang impur
Abreuve nos sillons !

武器を取れ 市民らよ
隊列を組め
進もう 進もう!
汚れた血が
我らの畑の畝を満たすまで! 16071503
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しかし、もう知っていたことですが、「武器を取れ 市民らよ」と呼びかけるのですね。そうなのだな。なんだか怖い国歌なのだなあ。
 これを見ると、日本の国歌なんて、優しいものですね。


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2016年07月13日

秋の七草と春の七草

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「2016年7月13日のポメラ」に秋の七草を書きました。以下の草花です。

 萩の花、尾花(おばな)、葛花(くずのはな)、なでしこの花、桔梗(ききょう)、撫子の花、女郎花(おみなえし)

 これが「秋の七草」です。
「春の七草」は以下です。

 蘿蔔(すずしろ)、繁縷(はこべら)、仏の座、芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、母子草 (ははこぐさ)16071324
 こんな機会にしか学べないので、これで確認していきます。たぶん小学校でも教えてくれたのでしょうが、今こうして私の将門Webに書きまして、覚えていきます。


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2016年07月09日

酒呑童子のことで

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 昨日書きました「金太郎のことで」で、金太郎が退治した「丹波の国の大江山の酒呑童子」のことを書きます。丹波の大江山にいた鬼(盗賊)の頭目がこの酒呑童子です。一条天皇の時代に多くの若者や美女がさらわれ、天皇が安倍晴明に占わせたところ、大江山に住む鬼の酒呑童子の仕業とわかり、長徳元年(995年)源頼光らに(坂田金時もいます)征伐に向わせます。征伐といっても頼光らは酒呑童子に酒(毒酒という話もあります)を飲ませ寝込みを襲うものです。この酒呑童子の首は宇治の平等院に納められたといいます。16070907
 この酒呑童子は越後に生まれています。絶世の美少年だったと言われ、数多くの女性に恋されますが、すべて断り、数多くの恋文も焼いてしまい、ためにこの女性たちの恨みから鬼にならされたといいます。鬼になった彼は日本各地を転々として、大江山に棲み付くのです。1607090616070903



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