周の文学哲学歴史話

2017年03月22日

縄文人と弥生人

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神奈川弁というのだ

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私は「横浜弁」というのだと思っていましたが、日経新聞では「神奈川弁」とあります。そうなのだなあ。
私は中学は鹿児島県鹿児島市にいまして(小6の6月から)、高校は鶴丸高校に入りました。もう中3で転校できない時期だったのです(いや転校はできるわけですが、高校入試は無理な時期でした。それで下宿したのです)。鹿児島市は方言は親しくならないと出てきませんが、横浜はもう最初から横浜弁が出てきます。私はこの「・・・じゃん」という言葉が嫌いでした。そして喋っている当人たちはそれを方言と認識できていないのです。
そして私が嫌だったのは私のことを平気で、「薩摩隼人という顔をしているね」などという(これを私に聴こえるように言っているのだ)女の子なんか、私は大嫌いでした。だから私は大学の2期校は埼玉大学を選んだのです。横浜国大ではこの横浜を抜け出せないのです。私はどんなに横浜を嫌ったことでしょうか。あ、これは「横浜」は何も悪くありません。私と接した横浜東高校の人たちがひどい田舎弁(横浜弁)を話す人たちだったのです。私は鹿児島も大嫌いでしたが、このひどい田舎としか思えない「横浜」も大嫌いでした。思えば、鹿児島も前にいた名古屋も大嫌いでしたから(そもそも名古屋弁は許しがたいです)、それで私は「そもそも私は縄文人で弥生人は嫌いなのだ」と理解できていったものです。
2017032201続きを読む

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私は「横浜弁」が嫌いでした

2017032202  周の故郷の一つ横浜の「横浜弁」のことを書いていきます。ちょうど私のパソコンを置いておく機器パーツの下にこの新聞が置いてありました。
それを引用して書きます。2017032201
ああ、それは次に書きましょう。続きを読む

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2017年03月10日

織田信長の正妻帰蝶(濃姫)のことで

20161107032016110707201611070420161107052016110710 ここのサイドバーで「信長の愛した女、吉乃、お鍋の方」が何度も上がっていますので、信長って人気あるのだなあ」と思い、信長の正妻帰蝶(濃姫)のことを書こうと思いました。
 彼女は政略結婚で岐阜の斎藤道三の娘として織田信長の正妻になります。彼女がどうしていたのかは、長く分からなかったのですが、近年実に大坂夏の陣まで生きていたことが分かりました。本能寺の変を知り、秀吉の天下統一を知り、関ケ原の戦いを知り、豊臣家滅亡も見ていたわけです。 
 どんな思いでいたわけなのでしょうか。
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2017年03月02日

山口瞳の「江分利満氏の〇〇な生活」で

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ちなみに私たちは、浦和で三島由紀夫追悼のデモをやったものでした。埼玉県警もお線香を掲げてデモする私たちにとまどっていました。私もそのときだけ、嫌いな黒ヘルメットをかぶったものでした。いつも弾圧の埼玉県警もとまどっていたものです。ただ私にだけは納得できていたかもしれません。
   私は彼山口瞳の作品はほとんど読んでいます。読んでいないのは週刊新潮に長期連載されていたものだけです。
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2016年12月28日

「筑摩書房を思います」に書いたことですが

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 この日11月19日(土)に午前9時に、瀧野川第五小学校に着きました。自宅から日本交通で行きましたものです。
 瀧野川第五小学校の講堂に入るともういっぱいの方がおいでになっていました。

 それで私が以下のように書いたことですが、『ここの画面の「三国志」は「三国志演義」や「吉川英治三国志」ではなく、陳寿が書いたもので、初めて日本語に訳されたもの(註が裴松之の書いたもの)です。江戸時代の人も誰も読んでいなかったのでしたね。』

 これは江戸時代は「三国志」をみんながよく読んでいたように見えても、実は一部だけを読んでいるだけで、『陳寿「三国志」裴松之(はいしょうし)の註を含んで』をすべて読んだ人は一人もいなかったのです。このことが悲しい真実なのです。
そういえば、『陳寿「三国志」』は誰も、陳寿の書いたものと、「裴松之の註」とは誰もが陳寿の書いた本文より、「裴松之の註」のほうが量が多いと思っていますが、真実は本文の方が量があるのです。私もそれを知りまして、実に驚いたものでした。
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2016年11月14日

賀茂真淵のことで

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 本居宣長のことを書いたら、この賀茂真淵のことも書くべきだと思いました。いや私が書くのですから、大したことは書けていませんが。それと最初は「賀茂真淵」を「加茂」と書いてしまい(それで最初はUPしていました)、恥ずかしいです。
 この賀茂真淵はいわば、本居宣長の先生にあたりますから、私も敬意を払って書くべきなのです。
 ただ、賀茂真淵が本居宣長の先生としての絵があったように記憶するのですが(漫画だったのですが)、今回見つけられないで、悔しいです。
 私が記憶するところでは、賀茂真淵は万葉集を称え、古今・新古今を下位に置くのですが、弟子の本居宣長は当然そんなことはありません。これは私は高校生の時から本居宣長を尊敬していたところです。
 ただ私は以上のようなことしか書けないのですね。恥ずかしいです。
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2016年11月13日

本居宣長のことで

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私はここのサイドバーに本居宣長の像がないことが不満でした。でも言い訳を言うと、私にはそんな資格はないとしか言えないのです。
 でも小林秀雄『本居宣長』の最初を思い出し、小林秀雄が折口信夫から「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」と告げらたことを思い出し、やっていこうと思いました。
小林秀雄・折口信夫の偉大さを思い、そして「紫式部『源氏物語』」を思い、はるかに本居宣長を思うものです。
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2016年11月12日

パトリシア・コーンウエルの画像

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パトリシア・コーンウエルです。私の好きな作家です。日本語に訳された作品はすべて読んでいます。今回サイドバーの画像が削除されてしまったので、こうして書いて、またUPします。
パトリシア・ダニエルズ・コーンウェル(Patricia Daniels Cornwell)は1956年6月9日生まれで、もう56歳なのですね。検屍官ケイ・スカーペッタをヒロインとしたシリーズで有名になった米国女流推理作家です。私は翻訳されたものは、すべて読んでいます。私には、検屍官ケイ・スカーペッタがパトリシア・コーンウェルに思えてならないのですが、いつもそばにいる刑事(デカ)と結婚しないかなあとやきもきしています(ただ彼には恋人がいます。でもケイ・スカーペッタに惚れているのだよなあ)。
 ケイ・スカーペッタは最新作では突如若返ったりして、それで私は喜んだり、「それはないだろう」なんて言っています。2016111215
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ハリーポッターの最新作が出ました

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 この作品は私はすべてを購入して読んでいます。
 私は以下をすべて読みました。

第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』
Harry Potter and the Philosopher's Stone (1997年6月30日発売)
日本語版単行本(1999年12月1日発売)
第2巻『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
Harry Potter and the Chamber of Secrets (1998年7月2日発売)
日本語版単行本(2000年発売)
第3巻『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
Harry Potter and the Prisoner of Azkaban (1999年7月8日発売)
日本語版単行本(2001年発売)
第4巻『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』
Harry Potter and the Goblet of Fire (2000年7月8日発売)
日本語版単行本(2002年10月23日発売)
第5巻『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』
Harry Potter and the Order of the Phoenix (2003年6月21日発売)
日本語版単行本(2004年9月1日発売)
第6巻『ハリー・ポッターと謎のプリンス』
Harry Potter and the Half-Blood Prince (2005年6月16日発売)
日本語版単行本(2006年5月17日発売)
第7巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』
Harry Potter and the Deathly Hallows (2007年7月21日発売)
日本語版単行本(2008年7月23日発売)

 そこに以下のように書いています。

 最初は原作のイギリスでの発売と日本での発売(日本語での翻訳があるのです)には、日数の差があります。でも実に6巻なんか日本での発売のほうが早く、7巻は日本では2日後に発売しています。日本での人気が思い出されます。
 訳者はすべて松岡佑子さんで、4巻以降は上下2冊でしたね。

もうすべてを下北沢の古書店に売りました。
 私はばあばから、何かを聴かれたときに、「この娘はマグルだから」なんて答えたものですが、思えばなんだかわけが分からないよね。近年は、この世界では「人間を差別してはいけない」という主張が強くなっているといいます。
 私はハーマニューオニーとロン・ウィーズリーが結婚するのですが、そのときは「なんでハリーポッターと結婚しないんだ」と大変に不満になったものです。
 さて、この最新号をどうしようかなあ。  
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2016年11月07日

私が濃が大坂の陣以降まで生きていたと書いたのは

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これを書いていられなかったので、またあとで書いていきます。もうどうしてもやっていられないのです。

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2016年11月05日

ねねとお茶々は仲が良かった

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この二人は実に仲が良かったのです。秀吉の数多い側室の中でお茶々だけはねね北政所には許せる相手だったのではないでしょうか。
 小田原の北條攻めをするときに、秀吉は各大名に妻側室を連れてくることを許しています。そして秀吉自身にはお茶々をあとで連れていくようにしたのは、お寧々なのです。2016110525
 上杉謙信・武田信玄も包囲するだけで落とせなかったこの小田原城を秀吉はいつまでも包囲して、北條氏政・氏直親子は最後は降伏するしかなかったのです。

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世界三大美人のことで

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ここ将門Webで、「世界三大美女」とか「中国四大美女」とか「日本四大美女」(私は「美女」と「美人」というのは違うものだと思っていますが、そのことはまた別です。)を書いてきました。
 私は以下だと思っています。
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「世界三大美女」…ヘレネ、クレオパトラ、楊貴妃
「中国四大美女」…西施、王昭君、貂蝉、楊貴妃
「日本四大美女」…小野小町、お市の方、原節子、夏目雅子2016110516
 こうして書くことにあまり重要な意義はないのですが、とにかく私は考えていくのです。
私は、ここではまだ書いていない、楊貴妃、原節子、夏目雅子を載せてみます。あとでまた書きますが。



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もうすぐNHK大河ドラマ「真田幸村」が終わりますね

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実は私は毎週見ている(見ていない時もありましたが)のです。それで豊臣秀頼はどうしても軟弱な息子男の子に描かれがちですが、実は身長は185センチあったのです(徳川5代将軍綱吉が135センチとは驚くほど違います)。これは今も残る着物のサイズで分かるのです。そして淀殿(茶々)は身勝手な女・母親と描かれがちですが、この大坂の陣の前には、秀頼のために江戸で人質になろうと申し出ているのです。2016110512
 この時に北政所(ねね)は京都の高台寺で大坂城が燃える様を見ていたはずです(もう当時は大きな高い建物がないから、京都高台寺でも見えるのです)。家康がこの北政所の高台寺に2度相談に行っています。私もこの高台寺は訪れたことがあります。
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 そういえば、織田信長の正室濃姫もこの大坂の陣が終わるまで生きています。この世のむなしいことを感じていたことでしょう。

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2016年11月02日

「ハリーポッター」シリーズのことで

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私はこの『映画「ハリーポッター」シリーズ』のことで、主役ハリーポッターのダニエル・ラドクリフの画像をここのサイドバーにあげようとしまして(実はもう大分前から思っていました)、まずはここに掲げました。
 とにかくまずはこうして彼ダニエル・ラドクリフの画像をウィキペディアから載せました。このあとはハリーポッターの画像を載せていきます。2016110202


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2016年10月23日

宮澤賢治「雨ニモマケズ」のことで

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私はこの「雨ニモマケズ」を名古屋北区の六郷小学校で小学校5年の時に担任の嶋先生から教えていただきました。嶋先生は「風の又三郎」を読んでくれて、その何日後かに、この詩を黒板に書いて教えてくれました。
 でも思い出すと、それには法華経の文言はありませんでした。それを知ったのははるかに高校生のときです。懐かしいです。
 なおこの詩は本当の作者はまた別にいるようです。
 ただ私には吉本(吉本隆明)さんのこの宮澤賢治についての著作が最高のものでした。
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私が話したのは渡辺健のことではなく石坂浩二のことでした

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 私が「杏さんの画像」で「渡辺謙さんのことは私が逮捕起訴された朝霞署の留置場の中でみんなにずっとお話ししていたのだよなあ」と書きましたのは記憶違いで、そのとき話したのはNHK大河ドラマの海音寺潮五郎の「天と地と」でした。主役の上杉謙信役が石坂浩二さんでした。
 私はこの時は「殺人・殺人未遂、他2つ」の被疑事件でしたが、看守の方とはよく話して、その息子さんがよく見られているということで、話したものでした。当然私は原作も読んでいますから、その看守の戦国史好きな息子さんには私の話はおおいに参考になったのではないかなあ(看守さんは私と話して、それを家へ帰って息子に伝えるのです)。あとで、この看守の方は北浦和駅前の交番にもいたから、そしてけっこう役は高かったから(ほかの警官を抑えて、私の話をききました)、私の話を詳しく聞いてくれたのでした。
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2016年10月22日

宮澤賢治 「雨ニモマケズ」

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2016102222
 宮澤賢治「雨ニモマケズ」を全文書きましょう。

宮澤賢治「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
2016102221
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩2016102225
2016102201



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2016年10月10日

『「べっぴんさん」で神戸を思い出していました』で書いたことで

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  『「べっぴんさん」で神戸を思い出していました』で書いて、私はすぐに眠りました。ところが、22時頃目が覚めて、どうしても眠られません。「きっと泰面鉄道のことやスマトラ島のことで、眠られないのだろう」と思い、もういっそ起きてインターネットでスマトラ島などの地図を見て、その中の画像をいくつかをUPしました(ここに載せたものです)。
 でもそのうちインターネットで、あるサイトを見て、そこに書いてある文章を見て、「あ、私と同じことを考える人がいるのだなあ」と思いでも1分後「あれ、これは私が書いた文章じゃないか」と気がつきました。私が昔の私のホームページに書いていた文章です(このあと全文UPします)。
でもこんなことがあるのですね。私は私自身の書いた文章で、「同じように考える人がいるのだなあ」から「あれ、これは私が昔書いたものじゃないか」と気が付いたのでした。
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2016年09月10日

直木賞受賞者受賞作品名2

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前と同じに私がインターネットで調べてコピーしましたものです。今回は第11回(昭和15年上半期)から、第20回(昭和19年下半期)までのものです。こうして書いて行くと、知っている作家名が出てきます。もちろん読んだ作品もあります。
 しかし、第17回の山本周五郎『日本婦道記』は読んでいて、内容も思い出しますが、山本周五郎は受賞を辞退しているのですね。なんか、分かる気持ちがします。2016083027
第11回 [昭和15年上半期(1940年8月1日 受賞発表)]
河内仙介 [受賞時:41歳]
『軍事郵便』
堤千代 [受賞時:22歳]
『小指』
第12回 [昭和15年下半期(1941年1月28日 受賞発表)]
村上元三 [受賞時:30歳]
『上総風土記』
第13回 [昭和16年上半期(1941年8月1日 受賞発表)]
木村荘十 [受賞時:44歳]
『雲南守備兵』
第14回 [昭和16年下半期(1942年2月4日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし
第15回 [昭和17年上半期(1942年8月1日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし
第16回 [昭和17年下半期(1943年2月3日 受賞発表)]
神崎武雄 [受賞時:36歳]
『寛容』
田岡典夫 [受賞時:34歳]
『強情いちご』
第17回 [昭和18年上半期(1943年8月2日 受賞発表)]
山本周五郎 [受賞時:40歳] (※受賞辞退)
『日本婦道記』
第18回 [昭和18年下半期(1944年2月7日 受賞発表)]
森荘巳池 [受賞時:36歳]
『山畠』『蛾と笹舟』
第19回 [昭和19年上半期(1944年8月15日 受賞発表)]
岡田誠三 [受賞時:31歳]
『ニューギニヤ山岳戦』
第20回 [昭和19年下半期(1945年2月8日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし2016083028
この前に書きましたものですが、ペンを画像としてUPしましたが、今はもう誰もパソコンのワープロソフトで書いているだろうな。ワープロソフトは私のように使わない人もいるかもしれませんが。2016083030



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2016年08月30日

直木賞受賞者受賞作品名

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私がインターネットで調べてコピーしましたものです。第1回(昭和10年)から、第155回(平成28年下半期)までのものです。最初から年2回なのですね。そんなことも今知りました情けない私なのです。このUPは第10回昭和14年下半期までです。このあとまたUPします。
以下の通りです。2016083022
第1回 [昭和10年上半期(1935年8月10日 受賞発表)]
川口松太郎 [受賞時:35歳]
『鶴八鶴次郎』『風流深川唄』『明治一代女』
第2回 [昭和11年下半期(1936年3月12日 受賞発表)]
鷲尾雨工 [受賞時:43歳]
『吉野朝太平記』
第3回 [昭和11年上半期(1936年8月10日 受賞発表)]
海音寺潮五郎 [受賞時:34歳]
『天正女合戦』
第4回 [昭和11年下半期(1937年2月12日 受賞発表)]
木々高太郎 [受賞時:39歳]
『人生の阿呆』
第5回 [昭和12年上半期(1937年8月12日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし
第6回 [昭和12年下半期(1938年2月7日 受賞発表)]
井伏鱒二 [受賞時:39歳]
『ジョン万次郎漂流記』
第7回 [昭和13年上半期(1938年8月2日 受賞発表)]
橘外男 [受賞時:43歳]
『ナリン殿下への回想』
第8回 [昭和13年下半期(1939年2月12日 受賞発表)]
大池唯雄 [受賞時:30歳]
『兜首』『秋田口の兄弟』
第9回 [昭和14年上半期(1939年8月1日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし
第10回 [昭和14年下半期(1940年2月14日 受賞発表)]
該当者なし
該当作品なし2016083024
  もう最初はこれだけです。まだまだあるのですね。


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2016年08月29日

芥川賞と直木賞

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 私はこの二つの賞は、「芥川賞は純文学」と「直木賞は大衆文学」に文藝春秋社から与えられるものだということぐらいしか知らずにいました。
 ただ私は私が大ファンである山口瞳が直木賞でそれがただただ嬉しい思いで高校生のときからいましたもので(私は山口瞳は今までにほとんどの作品は読んでいます)、ここはひとつ歴代の直木賞の受賞者と受賞作品名をあげようと思いましたが、ただ単にインターネット上のものをコピーするだけで大変な作業です。改めてこの賞の偉大さと私の無知を知りました。
 あ、この賞は芥川龍之介と直木三十五からきたものです。


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2016年08月25日

安土城のことで

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 私がここ(NHKテレビ日曜8時の大河ドラマ)にあげた城は、七層(地下1階地上6階建)であるために私は織田信長が作りました安土城だと思いました(城については何も書かれていないのです)。ただこの城は信長が明智光秀に京都本能寺で殺された(本能寺に火を放ち自害したと言われます)少しあとで焼失しました(今も原因は分かりません)。私は信長の息子信忠が焼いたとばかり思っていましたが、今も真相はわからないのです。この信忠も自害しました。2016082504
 私はこの本能寺には行きましたが、そんなに大きなお寺ではないのですね(当時は大きかったのかもしれません)。私はこの本能寺のすぐ前の三月書房には必ず訪れています。そしていつもなんらかの本を手に入れています。あ、またこの三月書房のことは別に書きましょう。2016082501
 いつもこの安土城を思い、織田信長を思い浮かべています。


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2016年08月24日

NHKテレビ日曜8時の大河ドラマ

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 いつも必ず日曜の午後8時にNHKテレビを見ています。思い出せば、学生運動で逮捕拘留されたときは、見ていないのですね。いや思い出せば、下宿していた時もそうなのだなあ。
 今ではばあばも必ず一緒に見ています。そうなのだなあ。2016082407



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2016年07月20日

北畠顕家のことで

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 後藤久美子さんのことを書いたときに、最後の画像にNHKテレビの1991年の大河ドラマ「太平記」での後藤久美子さんがおやりになった北畠顕家の写真を載せました。
 そしてここで後藤久美子さんが北畠顕家をやったときの画像を載せていきます。
 北畠顕家は東北から、南朝を救いに来まして、ものすごくその軍勢は強くて(そして実は乱暴で)すぐに足利軍を打ち破り、そしてまた東北へ帰ります。
 実は私にはさほど顕家軍が強い軍だとは思えないのですが、とにかく武士相手には強い東北の軍勢だったのです。
 だが再び足利軍が今度は九州からやってくるときに、また東北から顕家軍は呼び寄せられ、今度は最後高師直軍に敗れます。
 ただこのとき、顕家は南朝方、後醍醐天皇他を明確に批判しています。文書に残っています。でももう遅い、というか、顕家のいうことは悲しく悔しいばかりです。顕家公は享年21歳でした。
 ここには、その後藤久美子さんが演じた顕家と、歴史上というか日本各地にある顕家関係のもの、そして後藤久美子さんとは仲のいい、このときは藤夜叉になった宮沢りえさんを載せます。藤夜叉は足利尊氏との間に足利直冬を生みます。この直冬は足利直義の養子になり、実に尊氏とはものすごい戦争をしていきます。そして直冬軍が強かった………、でも私は書ききれません。テレビでもこの時代はうまくえがけないのだろうな。160722026
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2016年07月15日

フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」

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急にフランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」を思い出しました。以下は公式版のフランス語歌詞とその日本語訳です。1番のみです。あ、これはウィキペディアにあるものです。

Allons enfants de la Patrie,
Le jour de gloire est arrivé !
Contre nous de la tyrannie,
L'étendard sanglant est levé,
L'étendard sanglant est levé,
Entendez-vous dans les campagnes
Mugir ces féroces soldats ?
Ils viennent jusque dans nos bras
Égorger nos fils, nos compagnes !

行こう 祖国の子らよ
栄光の日が来た!
我らに向かって 暴君の
血まみれの旗が 掲げられた
血まみれの旗が 掲げられた
聞こえるか 戦場の
残忍な敵兵の咆哮を?
奴らは我らの元に来て
我らの子と妻の 喉を掻き切る!

*ルフラン(詩や楽曲で、各節の終わりなどに同一の詩句・楽句を繰り返すこと)
Aux armes, citoyens,
Formez vos bataillons,
Marchons, marchons !
Qu'un sang impur
Abreuve nos sillons !

武器を取れ 市民らよ
隊列を組め
進もう 進もう!
汚れた血が
我らの畑の畝を満たすまで! 16071503
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しかし、もう知っていたことですが、「武器を取れ 市民らよ」と呼びかけるのですね。そうなのだな。なんだか怖い国歌なのだなあ。
 これを見ると、日本の国歌なんて、優しいものですね。


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2016年07月13日

秋の七草と春の七草

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「2016年7月13日のポメラ」に秋の七草を書きました。以下の草花です。

 萩の花、尾花(おばな)、葛花(くずのはな)、なでしこの花、桔梗(ききょう)、撫子の花、女郎花(おみなえし)

 これが「秋の七草」です。
「春の七草」は以下です。

 蘿蔔(すずしろ)、繁縷(はこべら)、仏の座、芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、母子草 (ははこぐさ)16071324
 こんな機会にしか学べないので、これで確認していきます。たぶん小学校でも教えてくれたのでしょうが、今こうして私の将門Webに書きまして、覚えていきます。


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2016年07月09日

酒呑童子のことで

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 昨日書きました「金太郎のことで」で、金太郎が退治した「丹波の国の大江山の酒呑童子」のことを書きます。丹波の大江山にいた鬼(盗賊)の頭目がこの酒呑童子です。一条天皇の時代に多くの若者や美女がさらわれ、天皇が安倍晴明に占わせたところ、大江山に住む鬼の酒呑童子の仕業とわかり、長徳元年(995年)源頼光らに(坂田金時もいます)征伐に向わせます。征伐といっても頼光らは酒呑童子に酒(毒酒という話もあります)を飲ませ寝込みを襲うものです。この酒呑童子の首は宇治の平等院に納められたといいます。16070907
 この酒呑童子は越後に生まれています。絶世の美少年だったと言われ、数多くの女性に恋されますが、すべて断り、数多くの恋文も焼いてしまい、ためにこの女性たちの恨みから鬼にならされたといいます。鬼になった彼は日本各地を転々として、大江山に棲み付くのです。1607090616070903



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2016年07月08日

金太郎のことで

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 いままでauケータイのCMのことを書いていたら、さらに書こうと思いました。この「auケータイのCMのまとめがありました」に描いた浦島太郎・桃太郎・鬼………のうち歴史上の実在の人物は金太郎です(そのほかのこのCM上の人物もやがて実在が明らかにされるかもしれませんが)。あ、画像をクリックして読んでみてください。
 金太郎は名前を坂田金時と言いまして、天暦10(956年)5月の生まれです。
箱根足柄峠で源頼光と出会い家来となり、京にのぼって頼光四天王(四天王には他に渡辺綱、卜部季武、碓井貞光がいる)となり、都で悪いことをする丹波の国の大江山の酒呑童子を退治します。坂田金時は寛弘8年12月15日(1012年1月11日)に亡くなります。重い熱病にかかり享年55歳で死去したということです。16070812
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 そうですね。私は金太郎というと、全日本プロレスにいた大木金太郎を思い出します。
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2016年07月01日

島尾敏夫さんの画像を載せていきます

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 もちろん島尾敏夫さんだけではなく、島尾ミホさんの画像も載せます。私はその著作者のすべての作品を読んでいる珍しい人です。その人の大部分の作品を読んでいるというかたは、大勢いますが、「その人のすべてのものを読んでいる」というのは、私には吉本(吉本隆明)さんとチェーホフと島尾敏夫さんしかいません。
 あ、長男伸三さん、長女マヤさんの画像も載ります。16070107
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2016年06月28日

ゲーテの妻クリスティアーネ・ヴルピウスのこと

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 私は「私が一番好きになれるのは彼の奥様になったクリスティアーネ・ヴルピウス(Christiane Vulpius 1756〜1816)です」と書いた女性のことを書きます。彼女を思うと、「少しゲーテは彼女に冷たいじゃないか」と、私は好きなゲーテを少し非難する気持ちにもなるのです。
 だがそんな私の気持とは別に彼女はゲーテの前でも笑い転げているさまが私には見えるのです。ゲーテが彼女を妻と正式に認めたのも遅いのですが(なにしろゲーテは国の重要人物でしたし、この妻は身分が低かった)、でも私には笑い転げてしまう彼女が見えてきます。ただ彼女はゲーテより早く亡くなり、その二人の子ども(男の子だった)もなくなります。その上ゲーテはそのあとも他の女性に恋をしているのです。16062811
 でもでも、どんなになっても彼女の笑顔は忘れません。ゲーテも同じだったと思うのです。


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ゲーテの肖像のことで

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「2016年6月27日のポメラ」で、私はゲーテの肖像とフリーデリケの肖像をあげました。このフリーデリケがゲーテの「ファウスト」の第1部でファウストが恋するグレートヒェンになります。
 ここの下の左の絵は「シャルロッテ・ブッフ」です。ゲーテが恋した女性で彼女がお菓子の「ロッテ」の元になりました。メーカーのロッテもそれは公にしています(韓国のメーカーです)。ただゲーテはこの方とも結ばれないのですが。右の絵はシュタイン夫人です。彼女は人妻であり、歳もゲーテより7歳上でした。
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 ゲーテはたくさんの愛した女性がいます。私が一番好きになれるのは彼の奥様になったクリスティアーネ・ヴルピウス(Christiane Vulpius 1756〜1816)です。たぶんいつも笑いころげてしまうような女性だったでしょう。彼女のことは私はそんなに知らなかったのですが、今では大好きになりました。16062712
 それとゲーテの親友だったシラーのことも私は好きです。シラーの作品もいくつも私は読んできました。


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2016年06月10日

小市の方のことでの続きで縁切寺のこと

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ここで「小市の方のことで」を書いて、北鎌倉の東慶寺を思い出しました。私のUPの系図で豊臣秀頼と徳川秀忠の娘千姫(秀忠と江の娘)が政略で結ばれるのですが、大坂夏の陣の際に千姫は坂崎直盛(坂井出羽守)のおかげで大坂城から助け出ることができます。ただ千姫は出羽守とは結ばれません。
 この千姫がずっと過ごした寺がこの東慶寺です。
 ここは私も訪れました。いい綺麗に思えるお寺でした。ここはウィキペディアでは次のように言われています。昔から夫婦が好きで無くなり、別れようとするときに、妻からの場合もおおいにあったわけです。16061004
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駆け込もうとする妻を連れ戻そうと夫が追いかけてくるということもたびたびあった様子で、その様子を描いた図画、川柳も存在する。しかし、満徳寺の場合では寺の敷地内である門から内側に妻の体が一部分でも入れば、夫であっても連れ戻してはならないことになっており、また体の一部でなく、履いていた草履を投げて敷地内に入った、もしくは投げた簪が門に刺さった場合なども、夫は妻を連れて帰ってはならなかった。このお寺がここでした。私は2度ほど東慶寺の境内を歩きましたが、この写真にあるように、素敵なところでした。
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  それから縁切寺は東慶寺だけでなく、群馬県太田市の時宗の寺院であります満徳寺(この上の寺)もそうなのです。


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小市の方のことで

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 この小市の方は、尾張の国に織田信長の妹として生まれました。政略結婚で近江の浅井長政と結婚しました。でも実に仲が良くて子どもは4人生まれました。織田信長も170センチを超えていたのですが、彼女はこの兄より背が高かかったといいいます。
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 羽柴秀吉が一番恋した女性でしょう。だが彼女は秀吉を嫌って、三人の娘(男の子の万福丸は殺されます)を連れて織田家に戻ります。
 秀吉が信長の弔い合戦をやりとげ、でも彼女は柴田勝家のところへ嫁ぎます。おそらく秀吉だけは嫌だったのでしょう。ここらへんは「谷崎潤一郎『盲目物語』」に書いてあります。
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 やがて羽柴秀吉と柴田勝家の戦いで3人の娘(淀殿・お初・お江与)は勝家の賤ヶ岳城から出ますが、秀吉が一番のぞんでいた小市の方は柴田勝家と一緒に亡くなります。だからその母小市の方と一番似ていただろう淀殿を自分の側室にするのです。淀殿は正妻のおねね(北政所)とも仲が良かったので、秀吉にも良かったことなのです。16060522



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小野小町のことで

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「日本の4大美人」ということで、最初に小野小町を書いていきます。『秋田音頭での「秋田の女ご何じょしてきれいだ」と聞くだけ野暮だ』で書きましたように、実在したのは確かなのですが、果たして秋田で生まれたのかは定かでありません。私は秋田で生まれた秋田美人だと思っています。生まれ故郷の秋田に帰ろうとする途中で亡くなったと聴いています。
 彼女は美人なのですが、「百人一首」にもその顔はうかがえません。後ろを向いていて、顔は見られないのです。ただこのごろでは顔も描かれている絵を見ることができます。『尊卑分脈』によると、小野篁(たかむら)の息子である小野良真の娘といわれます。生誕地については、現在の秋田県湯沢市小野といわれています。もちろん私はここには行きました。私の「日の丸土建」のチィーちゃんという友人がここに住んでいるのです。1年前にもこの「日の丸土建」の同窓会(飯田橋で行われました)で会ったものです。16060516
 とにかく、この小野小町が美人だったことは間違いないようです。「世界三大美人」でもヘレナではなく、彼女があげられることがあるようです。16060517



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2016年06月08日

日本の4大美人を書いていきます

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 私が決めた「日本の4大美人」を書いて行きます。
 次の美人です。

1.小野小町(平安時代)
2.小市の方(戦国時代)
3.原節子(昭和時代)
4. 夏目雅子(昭和時代)16060526
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これは私が勝手に決めたものです。


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2016年06月07日

「マクベス」の怖さ

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 私は前に書いた悲劇「ハムレット」よりも怖く感じていますのが、この「マクベス」です。
 この「マクベス」の冒頭、魔女が語る有名な台詞

  Fair is foul, and foul is fair.
   「きれいは汚い、きたないは綺麗」16060705
との会話にどれくらい怖さを感じたことでしょうか。
 私は中2から高2までにシェイクスピアの戯曲作品はすべて読んでいます。ただし、シェイクスピアの詩は読んでいません。
 いくつもの喜劇作品は面白く読んでいけましたが(こう簡単には言い切れないのですが)、それに史劇も読んでいけました。それでもこの悲劇は舞台のシーンを見るよりも心の中で思うほうが怖く感じたものです。
 この「マクベス」での、二度目の魔女との面会で、「森が動かない限り安泰」「女の股から生まれたものにはマクベスは殺せない」という予言をもらうのですが、そのときに「友人のバンクォーの息子が王になる」という予言ももらい、それもことごとく当たるのです。
 森は動き、マクベスは女の腹から生まれたものでないもの(これは読むと分かります)から殺されるのです。16060701
 私はイギリスなんて嫌いな国です。でも「イギリス」なんていう名称の国はあるの? この「マクベス」も舞台はスコットランドです。今のイギリスの王家もスコットランドです。いまも私にはあの3人の魔女のうたう声が聴こえます。16060707
  「きれいは汚い、きたないは綺麗」

 私は夏目漱石の悩みが聴こえてきます。


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ハムレットのいうセリフ

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このシェイクスピアの悲劇でハムレットいうこのセリフはいつも忘れたことはないです。

To be, or not to be -- that is the question.
 生きるか、死ぬか、それが問題だ。(三幕一場)

 ハムレットが自分の恋人オフィーリアに「尼寺へ行け!」(Get thee to a nunnery!)と言ったセリフも忘れられないです。16060302
 この尼寺とは、「売春宿」と『女子修道院(尼僧院)』という解釈で今もその決着はついていないようです。16060303
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2016年06月05日

貂蝉のことで

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「三国志演義」の中で、悪臣董卓を殺そうと王允が当時16歳だった養女・貂蝉(ちょうせん)に猛将呂布に「美女連環の計」を使い、実行します。見事これは実行され、呂布が董卓を殺害します。
 この貂蝉は、次のように言われます。

「天下を憂いて物思いに耽る姿のあまりの美しさに、月が恥じて雲に隠れてしまった」と言うことで、「閉月(へいげつ)美人」といわれる16060506
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 呂布といえば、この三国志の世界ではあの張飛よりも強いと思える猛将です。それが「美女連環の計」にかかり、見事董卓を殺してしまうのです。そのあと貂蝉は自害します。父親の王允も自害するのです。その時になって呂布はやっと気が付くのです。16060510
 やがて呂布は曹操に捕らえられ死刑になります。16060511
 私はこの時に曹操のそばにいる劉備玄徳も少しも気に入りません。


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2016年06月04日

王昭君のことで

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 前漢の元帝(漢の第10代皇帝)の時代、匈奴の呼韓邪単于のところへ妻として、行きました。だが漢とは違って匈奴は義理の息子にはさらに妻になる風習で、これが王昭君の悲劇とされたことです。
 実は、宮女たちはそれぞれ自分の似顔絵を美しく描いてもらうため、似顔絵師に賄賂を贈っていたが、王昭君はただ一人賄賂を贈らなかったため、元帝の目に留まることがなかった。王昭君が匈奴への嫁として選ばれ、皇帝に別れを告げるための式で王昭君を初めて見た元帝は、王昭君の美しさに仰天したが、この段階になって王昭君を匈奴へ贈る約束を撤回すれば匈奴との関係が悪化することは明らかだったため撤回はできなかった。このことが大きな王昭君の大きな不幸でした。16060418
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 これで元帝はこの不正を行った似顔絵師を斬首刑に処します。
 この時代匈奴という異族に嫁いだ王昭君のことはいつまでも忘れられないものだったでしょう。16060420
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 ただ私は「異族」と言っても、匈奴に嫁いだことのほうが王昭君には幸せと言えたのではないかあな、なんて思っています。
 彼女は、匈奴に行く途中、故郷の方向へ飛んでいく雁を見ながら望郷の思いをこめて琵琶をかき鳴らした所、彼女の姿と悲しい調べに魅入られて雁が次々に落ちてきたと言います。これで彼女を「落雁美人」と言います。



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西施のことで

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 紀元前5世紀、春秋時代末期呉越の争いのときに、敗れた越王勾践(こうせん)が勝者の呉王夫差(ふさ)に献上したのが、この西施(せいし)です。夫差は天下の覇者になり、やがてはその夫差を破り勾践が天下を握ります。ただこれは越の范蠡(はんれい)の策で、そののち西施は范蠡とともに、越を出奔し、余生を暮らしたという説もあります。
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 芭蕉が「奥の細道」で「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んだ美女でもあります。また長江に投げ入れられて、人々はよく長江でよく獲れる蛤を「西施の舌」といいました。また。また彼女が足を出して洗濯する姿で魚たちは泳ぐのを忘れてしまったといい、「沈魚(ちんぎょ)美人」ともいいます。
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 ここにある蘇軾の七言絶句の転句で「西子」というのは、この西施のことです。
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中国四大美人のことで

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「世界三大美人」のことで、その一人のヘレネについては書きました。あと二人クレオパトラも楊貴妃も書いていきますが、中国の中国四大美人を先に書きましょう。
 次の女性です。
 中国四大美人と呼ばれるのは以下の女性たちです。

1.西施(前漢春秋時代)
2.王昭君(後漢)
3.貂蝉(後漢)
4.楊貴妃(唐)

 この一人ひとりについて書いていきます。私にはこのひとり一人がよく思い浮かぶのですね。


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ヘレネのことで

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「世界三大美人」のことを書きます。このヘレネとクレオパトラと楊貴妃がいわれています。クレオパトラと楊貴妃は歴史上の実在の人物ですが、このヘレネは、ホメーロスが描いた「イーリアス」「オデュッセイア」で描かれたトロイア戦争の中の登場人物です。
 ただ、トロイア戦争は物語の中のことではなく、実際にあった出来事でした。これは『古代への情熱 シュリーマン自伝』に書いてあります。私は岩波文庫で高校2年の時に読んでいます。
 このシュリーマンによってトロイア戦争は物語神話の中のお話ではなく、実際にあったことだということが分かったのです。
 その物語とは、スパルタのメネーラオス王に嫁入りに来たヘレネがトロイアの王子パリス(またの名をアレクサンドロスといいます)に誘拐されて、それをギリシア(この時点ではアカイア人なので、アカイア勢といいます)が取り返そうとして(交渉の中でヘレネを返そうという動きもあるのですが)、メネーラオスは兄のアガメムノーン(ミケナイの王、妻にクリュタイムネーストラーでヘレネの姉)へ依頼してヘレネを返さないトロイアへアカイア総勢が出陣することになります。
 この流れ過程の中でたくさんのことが書かれ、たくさんの出来事が起きます。ギリシア一の勇士アキレウスが参戦し、だがやがてパリスが矢で撃ちます。それが矢の刺さったのがアキレス腱なのです。
 10年戦争が続いて、アカイア勢が勝利することになります。ヘレネはスパルタに戻されて、その後は平穏に暮らした(別な話もありますが)ということです。
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2016年05月16日

沙悟浄のことで2

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とくに「沙悟浄のこと」というわけではないのですが、また書いていきます。私もあの三蔵法師が頭にかぶっているものはなんというのだろうと思いました。「僧侶頭巾」といいます。「頭巾」は「ずきん」と読みます。
 ここにテレビドラマ版の三蔵法師が頭巾を脱いだシーンを載せます。16051612
 ただ新しいドラマでは、もう女性の頭髪でもいようだが(いいのかなあ?)。16051608
 孫悟空の頭の輪は「緊箍児(きんこじ)」と読むのです。これは、これを孫悟空の頭につけて、孫悟空がいうことを聴かないときに、三蔵が呪文がとなえると悟空の頭を締め付けます。ただ最後(第百回で悟空は仏になっている)には、それがはずれているのです。16051601
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2016年05月15日

玄奘三蔵のことで

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「西遊記」のことを書いてきました。悟空と猪八戒と沙悟浄と玉龍に乗って西域を旅をする三蔵法師は、呉承恩が明の時代に書いた長編小説です。ただ僧玄奘三蔵が実際に書いた『大唐西域記』は実際に唐の2代皇帝李世民に提出した膨大な旅行記です。
 ですからテレビでの三蔵法師のような美しい女性ではないわけなのですが、これはまたこれでいいと思うのです。1605151816051521
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2016年04月22日

秋野暢子さんのことでの2

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 この秋野暢子さんは、1957年1月18日のお生まれで、現在は59歳です。大阪府のご出身です。でもいつもお元気なことを感じています。
 それと実にお美しいことが実にいいですね。私がこうして「美しい」という言葉を使うのことはあまりないわけです。16042208
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秋野暢子さんのことで

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「とと姉ちゃん2016.04.21」で一番上に画像を載せた秋野暢子さんのことで、書きます。昨日はすぐにインターネットで彼女の画像を見ていたのです。
 一番思い出したのは、昔のテレビで「二人の武蔵」でのお通役です。この秋野暢子さん役のお通が好きになるのは、江守徹演ずる宮本武蔵でした。
 私は宮本武蔵の書いた「五輪の書」は中学2年で読みましたが、内容に少しも感動しませんでした。読んだのは、桑田忠親の分厚い本と岩波文庫の2冊でした。
 これは「地の巻」「水の巻」「火の巻」「風の巻」「空の巻」からなっていて、非常に短い本です。
 間違いなく養子伊織を息子で連れている武蔵は、あまりにつまらないので、吉川英治が恋もする武蔵を創作したのでしょう。それで創作されたのがお通です。16042203
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 いやこれは、お通役をやった秋野暢子さんを書こうとして書き始めたことでした。
 秋野暢子さんのことは、私は大好きです。いい素敵な女優さんだといつも思ってきていました。ここで彼女の画像をいくつかあげていきます。このあとでもいくつもあげていきます。


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2016年04月16日

私の母の一族横田氏のことで

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 私の父萩原久二の一族のことは、書きましたから次は母のことを書きます。母たか子は大正5年生まれで、その父は茨城県佐貫村で、その家の長男でしたが、「俺は百姓は嫌だ」と早稲田大学に入り、本家を継がないまま、いくつもの地域を転々として(千葉県を転々としたようです。母もその姉・兄二人も一緒でした)、その母たか子の母・私の祖母は山梨県の生まれで、なんとその時には離婚歴がありました(これは私の祖父も同じです)。
 けっこう年とってから今の佐貫に戻ったのですが、無理やり家を継がせた弟とは離れたところの荒れ地に大きな池をほり、そこに住み始めました。だから、その大きな池(沼といってもいいほどです)で、「いけすの主」と言われたようです。
 この横田の一族は、関ケ原の合戦では石田三成・島左近の配下として戦いました。
以下のように私が書いています。

横田家の歴史
 横田家の祖先は、戦国時代下妻の城主多賀谷大夫氏の家臣にて城中若柴等の城主岡見入道氏と戦い、一方の武将としてしばしば戦功を立てたる。其の後岡見氏は亡ぼされ、多賀谷氏は下妻谷原相馬等を占有し、大いに振るいしが、関ケ原の戦いに石田三成氏に組したる故、以って北国の大名に幽閉され、領地は没収、家臣は四散する。
 横田家の子孫は、当地方の地理に明るい故、浪人として佐貫村に住す。九代目与吉までは、代々名主を勤めたり。
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 この石田三成と島左近の家紋をそれぞれ載せます。岡見氏は分からないのです。石田三成は「大一大万大吉」(だいいちだいまんだいきち)といい、島左近は三つ柏(みつかしわ)という家紋です。
 こうして私が書いていくと、お祖父さんもお祖母さんも喜んでくれるのだろうな。お祖母さんは横浜の白楽の家に来てくれたことがあります。


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私の一族「萩原」のことで

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 私は名前は萩原周二といいまして、長年千葉県我孫子市に住んでいたものです。父の萩原久二は茨城県笠間市福原の出身で、今もそこには萩原一族の長が一家を構えています。 ここの長(私の従兄)はアナログオーディオの世界に知られた人で、私が行きました(父久二と行ったのです。私は義姉から「お義父さんが笠間にいっちゃったわよ。周二さん!あとを追いかけて!」というので、急遽出かけたものです)。そこで会うと、一週間前にはドイツからアナログオーディオの好きな方が来て、見るだけでなく、売って欲しいと強烈に願ったのですが、断ったようです。
「今ではなんでもデジタルで、でも音はこうしてアナログが最高だ」と言われるのですが、私にはそれをアナログレコ−ドで聴かされてもさっぱりわからないのです。
 この萩原一族は奥州藤原氏の系列ですが、平将門が決起したときに、長の(俵藤太)藤原秀郷とは違い将門様にお味方したものです。だがそれは代々秘密とされてきました。私が初めてここに書くものです。1604160716041609
 この藤原秀郷も家紋は私と同じ下がり藤です。ここのサイドバーに置いてあります。いつもこれで私はこの家紋と将門様を思い浮かべているのです。


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2016年04月10日

ベニート・フアレス大統領の2

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ここで書いたわけですが、まだ書きたいことがありました(書いていなかった)。メキシコという国は、ウィキペディアによると、以下のようにあります。

人口:1億778万人(2006年)
人口増加率: 1.18%(年率)
メキシコの人種はメスティーソ(スペイン人とインディヘナの混血)が60%、先住民族(インディオ)が25%、白人が14%とされており、その他にも日系メキシコ人やフィリピン系メキシコ人などアジア系の移民の子孫や、アフリカ系メキシコ人も総人口の1%程存在する。

 そうなのだなあ。この100年前のベニート・フアレス大統領は最初は国語(スペイン語)がはなせなかったといいます。インディオであった彼にはスペイン語は話せないのは仕方ないよなあと思います。16041009
 彼は当時のナポレオン3世による干渉戦争を乗り越え(フランスはメキシコを占領しますが、ベニート・フアレスはこれを破ります)ました。彼の言葉には「他者の権利の尊重こそが平和である」があります。フアレスの誕生日3月21日はメキシコの祝日になっているのです。


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