吉本隆明鈔集(ブログ版)

2009年07月06日

吉本隆明鈔集「空隙こそ『真宗』なのではないか」

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 親鸞は貧乏とはいえ貴族出身で、比叡山にこもって修行をしていた人です。そうやって庶民の側から宗教をどれだけ壊していっても、一般の庶民───親鸞の言葉を借りれば「田舎の人」ですが、とですが───と一緒にはなれない。向こうもならせてくれにあし、こちらもなられないんです。そこには絶対的な空隙があります。親鸞は「浄土真宗」といって、浄土系や宗教的なものを壊していくんですが、どうやっても田舎の人と同じところまではいくないという空隙こそ「真宗」なのではないかと思います。(『貧困と思想』「難しくて易しい問題」)

  うーん、そうなのかと思いました。この空隙こそ親鸞が求めていたのでしょうかね。やっぱり私はもう少し親鸞を読み込んでいかなければならないのだと思いました。もっともっとやるべきことがあるのですね。

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2009年06月28日

吉本隆明鈔集「関係の現実性、関係の絶対性ということに僕が過剰にこだわってきた根拠」

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 非常に恵まれた生活で、恵まれた環境で、恵まれた知識を獲得して、という人が貧困や富について過剰に考えていたり、逆に貧困の人が過剰に富を得たいと考えてみたり、そいう逆接的なことが起こりうる。これは人間性や問題としてうまく解けていないからかなと思います。そこをどうすればいいかな、と。それが関係、あるいは関係の現実性、関係の絶対性ということに僕が過剰にこだわってきた根拠であるような気がします。(『貧困と思想』「難しくて易しい問題」)

 このことに、吉本さんが過剰にこだわってきたと言われています。これは我々の年代でもずっと同じように、誰もがこだわってきた問題だと思います。もうこのこだわりより、別な問題になりそうだと思うのですが、まだまだそうはいかないのでしょうね。

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2009年06月22日

吉本隆明鈔集「全部表に出したら自分が世界の外に置かれてしまうのではないか」

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 全部表に出したら自分が世界の外に置かれてしまうのではないか、という感じが自分で怖かったり、そういうふうに感じる自分はおかしいのではないかと考えたりもしました。そういう感じ方は自分のどこからくるのだろう、としきりに考えて、一つには貧困ということからくるのかな、と。貧困あるいは冨という問題は、大きく言えばどこの集団においても出たり引っ込んだりしますし、自分一人で考えたりもします。しかし、いい考え方というのはみつからない。自分のなかだけでごてごてしているような──こだわりは溶けないし、そこから抜けることもできないということに、皆それぞれが陥っているのではないかと思います。(『貧困と思想』「難しくて易しい問題」)

 このことは、言われている内容はよく判るのですが、でも自分が感じたことは経験がない気がします。でもこの本は「貧困と思想」という題名だったのだなあ、と今改めて本を見てみたものでした。「こだわりは溶けないし、そこから抜けることもできない」という言葉を、私は改めて読み返しています。

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2009年06月15日

吉本隆明鈔集「関係」というものがあからさまに表に出てしまえば、それは妄想ではなく現実的なことになる

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「関係」というものがあからさまに表に出てしまえば、それは妄想ではなく現実的なことになるわけですが、その部分でどうしても自分のなかでつっかえている「何か」がある、といつまでも感じていました。それが何かということは、もう少し大きくなって青春期になった頃、あるいはその前期の頃からすこしずつ自分でわかってきたように思います。(『貧困と思想』「難しくて易しい問題」)

 このことが、吉本さんの『転位のために十篇』の中にある「廃人の歌」にある「僕が真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって僕は廃人であるどうだ」に対応しているようです。もう私はただただゆきつけない自分を感じていましたが、今何度も読むことで何かが解けてきました。

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2009年06月08日

吉本隆明鈔集「少年期の頃から人間関係に違和感を感じる」

09053044 小学校卒業する頃、つまり少年期の頃から、人間関係に違和感を感じることがありました。黙りこくって何かつまらぬ短編や詩を書いているときにいちばん安定感があって、人と人との関係や社会との関係──さらに大きいところでは戦争がつねに関わっていましたが、そういった公の関係のどれをとっても、入っていこうと思ってもすっぽり入っていけないないような実感が常にありました。これは自分の性格的なものだと言ってしまえばそうですが、関係や関係の違和感に何らかの意味をつけるとすれば、公のこと、つまり何か自分以外の人、あるいは集団との関係には、絶えず「控えねばならぬ問題」があるような気がします。(『貧困と思想』「難しくて易しい問題」)

 これは私には少しもないことなので、実はよく判らないな、という思いがすることです。この違和感というのは、実に大きなことだなあ、とは感じています。ただ私には理解できる外のことだなあ、とは感じているのです。

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2009年06月01日

吉本隆明鈔集「フーコーの『言葉と物』はマルクス主義とほとんど独立した考え方だと言っていいほど、自己主張を完璧にしている」

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 フーコーという人には、ヨーロッパにおける思想的事情が多く被さっていたと僕は思います。彼は、大抵のことはマルクス主義なしにも自分の考えだけでいけるよ、と言い切っているところが多いのですね。『言葉と物』でも、──これは西欧の古典近代の時期を対象としていますが──マルクスを一九世紀の一般的な民衆の中に埋めてしまっもいいのだという考え方をしているように思えますし、そういうことを言い切っている。西欧の古典近代期を主題にして、『言葉と物』はマルクス主義とほとんど独立した考え方だと言っていいほど、自己主張を完璧にしている。政治経済のあらゆることがらについて、ほとんどマルクスとは別な言い方をしていることが、『言葉と物』の圧倒的にいいところです。(『貧困と思想』「肯定と疎外」)

 フーコーという人は私にはさっぱり判らないことばかり言っている人だとしか思えていませんでした。今羞をかいてしまった思い出、ちゃんと読んでみます。若いときは、全然判っていなかったことを、今になって嫌というほど感じています。



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2009年05月25日

吉本隆明鈔集「かっての肺結核に該当するのは、精神病なんです」

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 今は第二の産業革命と言われていますが、産業革命当時は金持ちは自分たちの利益を考えるから、大都市の労働者は流行病みたいに肺結核になっていった。このことを初めて言ったのはマルクスなのです。つまり産業革命で産業が大いに発展していいんだということを感じていたかもしれないけれど、それは言わないで、ただ肺結核があるじゃないかと言っているんですよ。近代的に発達したということは十分に分かっているわけだけど、それを言わない。肺結核が労働者の間に流行しているということを言っているんですよ。今で言えば、中小企業以下は困っているじゃないかと言っても駄目なのです。かっての肺結核に該当するのは、精神病なんです。みんな精神障害になって、専門家は何も言ってくれない。(『貧困と思想』「肯定と疎外」)

 これは現状を適確に言ってくれているかと思います。そうです。今はみな精神の病なのです。このことを、どこでも感じています。私の家族親戚友人ばかりでなく、なにか世界中にその病が蔓延しているように思えています。

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2009年05月17日

吉本隆明鈔集「曹洞宗の表看板は誰かということになると、名実ともに道元と良寛の二人です」

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 曹洞宗の表看板は誰かということになると、名実ともに道元と良寛の二人です。ついでにいうと、日蓮宗は日蓮と宮沢賢治、浄土宗は法然と親鸞でしょう。宗教家は文学者は嫌いですが、にもかかわらず、表看板は誰かといわれれば、一人は文学者を挙げるしかない。(「身近な良寛」(「文藝春秋」平成21年6月号)

「一人は文学者を挙げるしかない」といいますと、「道元と良寛」というのは、よく判ります。「日蓮と宮沢賢治」もよく判ります。だが「法然と親鸞」というと、親鸞は文学者になるのかなあ。でもそれでいいとすると、浄土真宗(一向宗)は、「蓮如と五木寛之」ということになるのかなあ。

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2009年05月11日

吉本隆明鈔集「60年安保で一番しまったと思っているのは」

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 60年安保で一番しまったと思っているのは、あのへんの地理など何も知らなかったことです。俺は一兵卒として、学生さんと一緒に何でもやるからということで、意図的か意図的でないかは知りませんが、警官から包囲されたらみんな我先にと塀を越えて逃げたのですよ。しかし塀を乗り越えて入ってみたら「うえー!」と(笑)。つまり向こうの庭にも警察官がいた。「こりゃあ変なところに来た」(笑)ということで、これは大失敗でね。あまりにも恥ずかしいから言わないのです。(『貧困と思想』「肯定と疎外」)

 この手の失敗は実は誰にもあるのだと思う。もしないとすれば、その人が、実は闘いを何も知らない、そういう現場にはいたことがないのだということだと思います。そんなことを嫌というほど経験しているものだと私は思っているのです。

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2009年05月04日

吉本隆明鈔集「華々しく敵と撃ち合って死ぬことは滅多にない」

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親父が出てきて、東京に帰ってきたときに、俺は兵隊に行ってしまうのだと思うのだけど、どうかな、と相談すると、貧乏長屋の人間で、となり近所と同じ考え方を持っている人だから、戦争なんかいいもんじゃないぞとは言わないわけです。ただドイツの植民地だったチンタオに久留米の師団の兵隊として出征しているから、戦地の事情はよく知っている。だから、お前は男の子だから兵隊に行くのもいいけどな、だけど兵隊って言っても華々しく敵と撃ち合って死ぬことは滅多にないんだよ、大抵はジャングルの中で潜んでいたら上から土が落ちてきて埋まっちゃったり、行軍中にお腹を壊して下痢続きで落伍して死んでしまったりということが多いんだよ、という説得をされたわけです。(『貧困と思想』「肯定と疎外」)

 このあと聞き手の高橋順一さんは、「それは重い話ですね」と言っています。そしてこの話は、吉本さんは何度か言われていたことかと思いました。そして私の父もこういうことは話してくれていたものでした。ただあまり喋りたがらないという思い出になっています。

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2009年04月27日

吉本隆明鈔集「宗教としての天皇制」

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 自分は徴兵検査して、兵隊に入ったら死ぬのだ、ということ以上の命を考えることは無駄だと思っていましたから、考え詰める。しかしどうしても国家のためとか、家族のため、同胞のためという名目は軽すぎるので、どんどんと突き詰めていくと、宗教としての天皇制、現人神としての天皇制に至ったのです。これとならば命を取り替えられるというのが、僕の戦争中の立場でした。(『貧困と思想』「肯定と疎外」)

 このことを吉本さんは前から言われているわけだが、そのことの意味をいまになってやっと判った思いがします。そうなると、いまおよび今後の天皇は神ではないわけですから、いわば立憲君主制のもとの天皇とか言って、いわばどうでもいい存在になってしまうわけだと思うのです。思えばでもいまになってやっと判ってきた思いがあります。

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2009年04月20日

吉本隆明鈔集「土地を持っているという影の実力が天皇制の下部構造としての基盤ではないか」

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 政治権力というよりは、地主権力みたいな、土地を持っているという影の実力が、天皇制の下部構造としての基盤ではないかということです。そして、上部構造として、天皇制は宗教であるということです。宗教的な大元締めというわけです。初期天皇制であれば皇后が神のご託宣を受けて、天皇が正義を行っていたということが、調べていくうちにだんだんと分かってきた。(『貧困と思想』「肯定と疎外」)

 思えば、こういうふうには天皇制を捉えられなかったなということを強く思います。しかし、思えばこういう風に理解できるように至るまで、私は随分時間がかかったものでした。

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2009年04月13日

吉本隆明鈔集「自分の中にある根本的な知識人」

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 どう自分を規定していうかというと、庶民的知識人、つまり政治的なものもないしその時々の情勢如何によって揺れ動く。それが自分の中にある根本的な知識人です。そこが面白いのは、二重性なんですけれど、自分はそういう人間だと、政治的知識人とはちょっとだけ違うよ、というふうに思っています。(『貧困と思想』「肯定と疎外」)

 これが吉本さんなんだなと何度も考えてしまいます。そして、自分もそういう路を歩いているのだと思っています。いや、無理やり思い込もうとしているのではなく、自然にそういう路を歩いている自分を感じたものなのです。

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2009年04月06日

吉本隆明鈔集「庶民的知識人」

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 半分は庶民的な普通の人っていう言い方をしているのです。つまり、いい方のも行くし悪い方にも行く。自由にのびのびと時代時代でやるっていう、庶民的なごく普通の人ですね。そういう人には半分は肯定的ですね。僕は今でもこう見てればいいと思っている。バブル経済時代に中流の下の方の人々がどうなるか。産業で言えば中小企業とか個人企業、知識人で言えば、個人としての知識人と学者としての知識人。政治家としての知識人というのがあるとすれば、個人としての知識人がどう考えているのか、ということが今でもとても重要なのであって、そこが主眼になる。(『貧困と思想』「肯定と疎外」)

 こういう知識人が吉本さんであるし、私もそういうところを目指してきていました。今後間違いなく、私もこの路を歩いていけると考えております。いつも余計なことばかり考えている私ですが、それでも今こうして生きているのです。

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2009年03月31日

吉本隆明鈔集「自分の中では嘘をついていないよ」

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右翼から左翼に反対になって、偉そうに言っているといわれるんですが、そうには違いないと思うんだけど、そんなかで何を守ろうとしたかというと自立なんですが、それは結果で、要するに人間的にも嘘をついていない。思想的にも一見すると右翼から左翼という時代の変化でそう変わったと見られるし、そう見られてもいいし、見るのも決して嘘だとは言わないけれど、自分自身の中では一貫性があるよ、というか、俺は戦争はいかん、平和はいいよというような進歩的文化人のようなことは言ったことがないし、言う柄でもない。ただ、自分の中では嘘はついていないよ、ということです。(『貧困と思想』「戦後のはじまり」)

 これは実に吉本さんはその通りに生きてきたかと思っています。そして私自身もそういう風に生きてきたと思っています。いや、そういう風にしか生きることができなかったのでした。それでそのまま今に至りました。

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2009年03月23日

吉本隆明鈔集「現人神である天皇のために死ぬのが一番純粋じゃないか

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 僕は結局、現人神である天皇のために死ぬのが一番純粋じゃないかな、つまりあまり現実的な意図がないのではないかな、と思うところまで突き詰めてみましたね。だから何をしたということはないですけれど。これは誤解してもらったら困るのですが、学生報告会とか、転向者農業組合、全農とか日農とかありましたけれども、そういうものの言っていることとか、戦前の左翼が転向して産業報告会の幹部なんかやっていたりしているのにも、関心がないというか好きじゃなくてね。だから一介の学生以上のことは戦争中はなにもしていないです。一人の学生として、自分なりに、自分の考えとしてそう考えたんだよという問題になりますね。(『貧困と思想』「戦後のはじまり」)

 このことは私には実によく理解できることであるわけです。こういうふうに考えてしまうことが、大変に純情で純粋だったと言えることなんだろうなと思えるのです。これが戦前から戦後そして60年安保に繋がっていく吉本さんの歩みなのですね。

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2009年03月15日

吉本隆明鈔集「アジアにおける西欧の植民地をみんな取り返してしまうことを、他の国がやれば別なのですが。中国はやらないのだから、それは我々の使命じゃないか」

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 戦争が終わった時は四五年ですが、それまでは自分でも書いてきたとおり僕は軍国主義少年で、張り切っている時代で、もちろんどこの国の青年も張り切っている奴はそれなりの理窟をつけるわけですが、僕も理窟をつけていたわけです。ちょうどボクシングで日本選手と外国選手が選手権を争う日があれば、なんとなく日本のボクサーを応援しながら見ている。そういう意味で、愛国心と言われると大げさになりますが、それは自然じゃないか、僕らの年齢と個人的な階層・階級からは当然だ、という形で戦争賛成になっていた。なぜ、という理由は自分なりにちゃんとくっつけていて、アジアにおける西欧の植民地をみんな取り返してしまうことを、他の国がやれば別なのですが。中国はやらないのだから、それは我々の使命じゃないか、という感じでした。(『貧困と思想』「戦後のはじまり」)

 このアジア解放こそが我々日本の使命だと考えていたというのはよくわかります。思えば、私もそんな風に考えていたものです。ただし、私は戦後の20歳の頃もそのままに思っていたわけでした。でもこのことは、大正2年生まれの私の父も思い描いていたことであったかと思います。そんなことが、何故か戦後から今に至ってしまったというように思うのです。

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2009年03月08日

吉本隆明鈔集「自分が心の中で自分に言葉を発し、問いかけることがまず根底にある」

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 僕は言葉の本質について、こう考えます。言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ、と。
 沈黙とは、内心の言葉を主体とし、自己が自己と問答することです。自分が心の中で自分に言葉を発し、問いかけることがまず根底にあるんです。
 友人同士でひっきりなしにメールして、いつまでも他愛ないおしゃべりを続けていても、言葉の根も幹も育ちません。それは貧しい木の先についた、貧しい葉っぱのようなものなのです。
 本質は沈黙にあるということ、そのことを徹底的に考えること。僕が若い人に言えるとしたら、それしかありません。
(『貧困と思想』「蟹工船」と新貧困社会)

 この通りですね。やはり、自分に発することが大事だと考えています。沈黙の中で、自分に言葉を発しているということが大切なのです。このことは、私は常に試練のように自分に絶えず課していることです。これからもこのことを貫徹していきます。

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2009年03月02日

吉本隆明鈔集「本物の詩の言葉、本物の文学の言葉」

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 アメリカ建国当初の、本当の意味での民主主義の理想を体現したのはホイットマンの『草の葉』という詩集です。この詩人の存在によって、ヨーロッパの古い国々に、アメリカという大陸に理想的な社会ができるんだという望みが与えられました。一見、政治とはまったく縁のないような詩の言葉が、ヨーロッパの各国から移民をアメリカに誘う力をもったのです。本物の詩の言葉、本物の文学の言葉とは、そういうものなのですね。(『貧困と思想』「蟹工船」と新貧困社会)

 こうして言われることに、私は実に嬉しくなります。詩の言葉や文学の言葉は、こうした力を持っているのです。でもそれをちゃんと見抜けるかどうかというのは、なかなか判らないことです。いや、そもそも詩や文学にそうしたものを持っているのだということすら、判らないものなのです。

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2009年02月21日

吉本隆明鈔集「受け身の自己防衛が唯一の方法」

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 大多数の社会生活人は不徹底ではあっても調和を求めて生涯を送ります。決して良い悪いの甘い判断ではない。そう思います。
 この場合、僕の実感をいうと受け身の自己防衛が唯一の方法と思えました。そして及ばずながらそれを実行すべき心掛けてきました。「受け身」とはどういうことでしょうか。 <この場合こうする外に行く道はないと思えるようになるまで、環境が自分にのしかかってくる圧力を受けとめて耐えること> です。少しきついですが、行くべき道は一つしか残らなく見えてきますから、その道を行けばいいことになります。 <とどまればさしあたり生活には困らないだろうが、じぶんの魂を腐らせると思えたら、どんないいところでと他人は言ってもとどまらないほうがいいよ> と言ってくれた教授がいました。生活上の苦労はしましたが、長期の展望では不都合ではありませんでした。
(『芸術言語論』への覚書」)

 この吉本さんの言われることに、実に頷いてしまいます。でもこの道とはどんなにきついことなわけでしょうか。長期的には「不都合だった」とは言えないだけで、どんなにきついつらい道だったと思い、涙が出る思いです。

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2009年02月13日

吉本隆明鈔集「戦争を契機として受け身になった」

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 僕自身は戦争を契機として受け身になったという実感があるんです。それまでの僕は軍国少年で、技術系の学校へ行って勉強して、ゆくゆくは技術者として国のためになるような仕事ができればと思っていたのが、敗戦を機にダメになってしまった。そのあたりから除々に、自分がそれまで勘違いというか、間違って理解していたなと、ひっかかってしようがないことが出てきた。それは天皇制についてです。
 敗戦を機に、これまでこうだと信じて疑わなかったというか、空気のように気にもしなかったところに、どうも何か自分にとってすっきりしない問題がある、ということに気づいたのです。これは得体の知れないものだ、と。
 当時の天皇制というのは明治憲法下に制度化されたものですから、宗教であるのか、最高権力という意味であるのか、区別がつかないようなところがある。これは一体何なのか、ということをはっきりさせないと前に進めない。そうでないと、敗戦をきっかけに僕が感じた挫折感を解消できないだろうと思ったんです。(「『芸術言語論』への覚書」)

 こうして、吉本さんは、あの敗戦の体験をちゃんと覚えています。ただ、それには天皇制との問題を解消しないとならなかったのだと思います。そのことが、吉本さんの戦後の歩いてきた路なのだろうと思うのですね。
 常に私も、「では自分はどうなのか?」と問うようにしてきました。そして、その明確な答えが私には出てきていないように思えています。

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2009年02月08日

吉本隆明鈔集「僕自身にとって切実な問題はすべての人にとっても切実でありうる」

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 現在僕は、書くことでお金を得て、それで生活しています。もし、それで生活が成り立たないときは、他の労働ができればするだろうし、そうだとしても書くことはやめないだろうと思います。
 なぜそうまでして書くのかといわれれば、それは引っかかりのあることにたいして考えて解決せずにはいられないからだ、ということができます。僕自身にとって切実な問題はすべての人にとっても切実でありうる、というところまで行きたい。ある意味では、信念といえるような実感があるんですね。だから、自分がひっかかったことを考え、考えたことを書くという行為をやめないのだと思います。
(「『芸術言語論』への覚書」)

 このことは、大きなことだと思えます。私は吉本さんにとって、切実な問題を常に自分の切実な問題として考えるようにしてきたと思っています。もうそれで私は30年以上をすごしてきたわけなのです。

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2009年01月27日

吉本隆明鈔集「ウマが合うとか合わないというのは、その無意識の部分と意識の部分のバランスの違いで起こる」

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 ウマが合うとか合わないというのは、その無意識の部分と意識の部分のバランスの違いで起こるんだと思います。
 無意識でもいいし、意識でもいいんですけれど、どちらかの要素が多く目立つ場合、同じようなバランスの人とウマが合う、ということになるんだと思います。自分は、どうもウマが合う人と合わない人の差が激しいぞ、という場合は、どっちかが勝っている場合がほとんどです。
(「『芸術言語論』への覚書」)

 このことは、私の多くの友人との関係でよくよく考えました。やはり、思春期から、意識的に自分を変えようとしてきた自分の心の動きが大切なことだったなあ、と今さら、そのことを強く感じています。

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2009年01月25日

吉本隆明鈔集「育った環境や無意識のうちにつくられた性格と、主に思春期以降に他人など外の世界との距離のとり方の中で自分で造り上げた性格。この二つのバランスが取れている人が、とても魅力のある人間なのだ」

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 育った環境や無意識のうちにつくられた性格と、主に思春期以降に他人など外の世界との距離のとり方の中で自分で造り上げた性格。この二つのバランスが取れている人が、とても魅力のある人間なのだと、一応思います。これは少し不良っぽいとか、生真面目かといったものとは関係ありません。
 意識の部分が充実していると、ただのほほんと育ってこの魅力が生じたんじゃない、自分で欠点と思ったところを直してこういう人間ができたんだな、ということが相手に伝わります。それは本人もそうやって自分で自分を造り上げて何がしかの達成を得てきたわけでしょうから、そうした経験が自信になっているのだと思います。
 また、無意識の部分が充実していると、根っこの部分で愛情を受けて肯定されて育ってきて安定感と伸びやかさがあります。これは、相手にも安心感を与えますから、貴重な魅力です。
(「『芸術言語論』への覚書」)

 母や父、そして時代的なものから受けてきた無意識のうちにつくられた性格、それに思春期以降、自分で意識的にかたち作ってきた性格、これは自分でよく判っているはずです。そしてその二つがバランスが取れていること、これはとっても大事なことだなあ、私はずっと感じてきていたことです。やはり、母と父に感謝すると同時に、でも自分でも努力しなければならないものです。そしてこのことは、これから育っていく子どもにも大切なことなのです。このことを意識的に私たちが判っていないとならないことなのです。

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2009年01月19日

吉本隆明鈔集「同姓同士で感じる魅力と異性間で引き合う魅力というのは質が違う」

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 この野郎、俺から見ると大したことないのになあ、と思うのに女性にはとてもモテる。顔でもない、表情でもない、なぜか魅力がある人がいるんです。それは会話かもしれないし、そういうところでなんとなく出てくる空気みたいなものかもしれない。でも、男の僕には、なんでいいのかわからない。それほど魅力があるとは思えないんだけど、現に女性にはモテるわけですから、男から見るとどうってことない部分で女性をひきつける何かがあるんでしょうね。
 個人的には、俺は魅力があるという目にあったことがないなあと思うから、どうもその素養がないのかもしれません。
 いずれにせよ、同性同士で感じる魅力と異性間で引き合う魅力というのは、質が違うということは、いっておきたい気がします。
(「『芸術言語論』への覚書」)

 このことも、もうずっと感じてきたことです。実際には、その理由(わけ)というのは、私にはどうしてもさっぱりわからないことであるわけです。「質が違う」と感じてしまっているのは、やはり私は男であり、そうした存在である女性がやっぱり、よく判らないことであるわけです。

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2009年01月12日

吉本隆明鈔集「夫婦、恋人等の間で、永遠に愛は続くものなのか、という普遍的な問題」

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 血縁ではない夫婦、恋人等の間で、永遠に愛は続くものなのか。努力して保っていけるものなのか。こういう普遍的な問題があります。
 ここはこういうふうに振舞えばこれで一巻の終わりだなあということはあって、ここはこう曲がったほうがいいと考えて婉曲に表現したり逃げてみたり、相手も、これ以上直線的に行ったらもうだめだなというふうに加減してくれたりということがあるんだと思います。そういうときには向こうなりに、相手に知れないように我慢しているなといったらいいのか、避けているなとわかるときがあります。最後のところはそれじゃないのかなと思うんです。もう少し温度が高ければ愛情になるもの、埋み火とか配慮とかいったほうがいいかもしれない何かです。
(「『芸術言語論』への覚書」)

 これは実に切実な問題です。誰にも愛の別れのことがあるものだし、そして、今恋人、夫婦を続けていることもあるわけです。それに対する吉本さんの言われる答えは実に一見簡単なことですが、実に明快であり、実に正解だなあ、と私には思わせてくれます。

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2009年01月03日

吉本隆明鈔集「あの人はとてもいい人ですよ」

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 僕が太宰さんの家に訪ねていったら、奥さんがいて「いま外に出ております」って留守だったことが何度かあります。それで一度目は帰ったんですけれど、二回目に行ったときにまた「今出てます」って言われて、これはだめかと思って帰りかけたら、手伝いのおばさんに三鷹の駅に行く途中で会ったんです。「先生と会いましたか」と言うから「いや、会えなかった」と答えたら、私が言ったとはいわないでくださいねとクギを刺して、「三鷹の駅からまっすぐ行ったところに屋台のうなぎ屋さんがあって、先生はいつもそこで飲んでいますよ」って教えてくれたんです。そして、そのときにそのおばさんが「あの人はとてもいい人ですよ」と僕に言ったんです。それで、太宰さんが、男の本質はマザーシップだと言ったのが実際的にもわかるなあという感じがしました。(「『芸術言語論』への覚書」)

 この手伝いのおばさんという人が言われる太宰への「あの人はとてもいい人ですよ」ということは、私は何度も吉本さんの言葉として聞いていますが、ものすごくいい言葉です。そして実際にこの屋台で吉本さんは、太宰に出会うわけです。学生服姿だった吉本さんと太宰の出会いと、そこで交わされた会話が私に甦ってきます。

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2008年12月30日

吉本隆明鈔集「太宰は童話でさかんに弁解している、誤解を解こうとしている」

08123102『お伽草紙』という、あの人がつくりかえた童話があります。舌切り雀の話で、おじいさんが大金持ちもなって、最後に、「自分がこういうふうに豊かになったのはおばあさんのおかげです」というところがある。それを読んでいると、これは奥さんのことを言っているのかな、みたいに思えるような書きぶりで、彼は童話でさかんに弁解しているというか、誤解を解こうとしているんだなというふうに僕には思えました。(「『芸術言語論』への覚書」)

 私がこの『お伽草紙』を読んだのは、学生運動で府中刑務所の独房に居るときでした。ちょうど戦争中に太宰が書いたものだと思いますが、そのときの太宰の思いが実に判るような思いでした。これだけ奥さまには弁解していながら、でもでも実際の行為では反対になってしまっていたのでしょうね。

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2008年12月28日

吉本隆明鈔集「男性の本質はマザーシップである」

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「お前学校おもしろいか」と聞かれたから「おもしろくありません」と言ったら、「俺も小説を読んでもちっともおもしろくない」という話から始まりました。「俺がお前の齢だったら、ヤミの担ぎ屋をやるなあ」と言うんです。そして、あんまりそういうことばかり言うから、「太宰さん、いま重くないですか」と聞いてみた。「そりゃあ、重いさ。だけど、お前、男性の本質は何か知っているか」と言うから、「いや、全然わかいません」と答えたら、「それはマザーシップということだよ」って言ったんです。母性的ということは男性の本質だと言ったんです。それで僕はびっくりしたけど、この人は大変物事を考えている人だなあ、と感じました。
「男性の本質はマザーシップである」というのは、男性が母性的である、ということですよ。母性性が男性の本質だということです。へえー、この人はすごいことを言う人だなあと、そのとき思ったから覚えているんです。
(「『芸術言語論』への覚書」)

 このことは、前にも他の本で読んだことがあります。そして大変に印象深かった思いがあります。いや、私には太宰のこの言葉が、吉本さんにとってはあとになるほど大きくなってきたような思いがあります。私もまったく男性のことを、このように思っております。でも戦後のあの時代に実際に太宰と会った吉本さんの存在ってすごいですね。そして私はこの言葉を太宰の言葉というよりも、吉本さんの言葉だと思っています。

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2008年12月16日

吉本隆明鈔集「現実の流れとはまた別に地域の固有性を考えないといけない」

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 現実の流れとはまた別に、大きな意味での地域の固有性を考えないといけないと思います。それから、一番肝心なのは、地域の固有性と、個々の人がどういう精神性を持ってどう考えているかという問題がそこでもひっかかって、重要な問題として出てくるんじゃないでしょうか。(「『芸術言語論』への覚書」)

 地域の固有性と個々の人間の精神性ということは、いつも考えてきました。どうしても、世界に通じる思想性を求めがちなのですが、そしてそのことは若い時期には、一番求めていたように思います。でも今になると、地域の固有性と個々人の精神性をより求めているような思いになります。

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2008年12月14日

吉本隆明鈔集「まずは愛されることが大事なんだ」

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 まずは愛されることが大事なんだと思います。
 子供にとって、愛されないことはきつい、つらいことです。愛情は、自分がこの世に存在することを肯定される行為です。それがなかったら、どうやって生きていったらいいんだっていうほど、致命的なものです。
(「『芸術言語論』への覚書」)

 私は自分の親に実に愛されてきてと思っています。そしてまた二人の娘をただただ愛してきました。そのことが、また私の孫を育てている娘には、とてもいいことにつながっている思いがしています。このことが実に大切なことだと思っています。

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2008年12月01日

吉本隆明鈔集「親子の愛情の問題は、地域性の問題と、子供が生まれてすぐの乳幼児期の育て方がものすごく重要」

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 親子の愛情の問題は、地域性の問題と、子供が生まれてすぐの乳幼児期の育て方がものすごく重要で、ここを通過したら少なくとも逸脱した行為に及ぶまではいかないよと思うんですね。(「『芸術言語論』への覚書」)

 このことは、私も二人の娘を育てて、同じに思います。だからこそ、私の孫のとっても今がとても大事なときなのです。だから、私はいつも笑顔で見ているようにしています。そしていつも笑顔を返してくれる孫たちです。

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2008年11月27日

吉本隆明鈔集「俺は人を愛することはできない人間じゃないか」

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 親子の愛情ということからいうと、僕は若いときからそうだったけれど、親の愛情、とくに男の子ですから親父の子供に対する愛情に比べたら、自分は絶対にかなわないなという感じはしていました。もっと極端にいうと、絶望的なときには、「俺は人を愛することはできない人間じゃないか」と思うこともありました。自分と自分の子供との関係でもそれを感じます。親の愛情は子供には多少ちくはぐで見当外れで恥ずかしかったり、照れくさかったりは感じましたが、それは僕も子供からすれば、多少ともちぐはぐに思えるかも知れません。(「『芸術言語論』への覚書」)

 私の父は子供が3人とも男の子でした。でも孫は5人みな女の子でした。きっと父は一人くらい男の子が欲しかったでしょうね。今男の子の孫をもって、そんな父のことをいくらでも思い出しています。そんな私を母が見て笑ってくれている気がします。

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2008年11月17日

吉本隆明鈔集「これまでいろんなことを偉そうに言ってきたけど、自分がやっていることは全部嘘で、全部ダメじゃないかと思いました」

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 僕はこれまでいろんなことを偉そうに言ってきたかもしれないけれど、そこでなにも答えられないということは、要するにお前の考えはダメだということを意味すると思いました。少しでもいいから、答えがあるみたいだ、ということでもいから、そういうことをそこで言えなければ嘘だと感じました。それじゃ、今ならなにか答えられるかというと、答えようと何年かしてきましたけど、やっぱり自信がねぇなと思います。自信がある答えが見つけられないです。
 これはダメだ、自分がやっていることは全部嘘で、全部ダメじゃないかおまえ、とそのときも思いましたし、今でもそう思います。
(「吉本隆明の声と音楽」)

 ここままで吉本さんが言われることを、今の私はかなり辛く聞いているつもりです。私も思えば、一体何を考え、何をやってきたのかなあ。なんだか、大変に辛い思いを抱いてしまいました。でもきょうも明日も、まだ生きていかなければならないわけです。なんとなく、まだまだこうした辛いときは連続して続くのですね。思えば、死ぬ時まで続くのだろうな。

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吉本隆明鈔集「死は個人の問題ではなく時代の共同幻想としてある」

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 死は誰に属するということよりも、その時代に相応してあるということです。現在でいえば、傍で看病して見届けた人と、それからお医者さんが医学的に死を確認する、少なくともそのふたつが合わなければ、死はやってこないんです。死は個人の問題じゃなくて、僕流の言葉で言えば、時代の共同幻想として、あるんじゃないでしょうか。それを承認するのは、もちろんご当人ではありません。
それ以外の死は、ちょっと今では考えられません。時代が変わると死も変わるかもしれませんけれど、今のところはそうなっているんじゃないでしょうか。
(「吉本隆明の声と音楽」)

 死を、私も父、義父、母の順で迎えてきました。そして友人にも何人もいるのです。やがては、自分にも確実に訪れることなわけです。この死が「時代の共同幻想としてある」という言葉に深く頷いています。これに今後私は何度出会っていくのだろうか。

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2008年11月12日

吉本隆明鈔集「東京の速さと自分の精神的な速度が、違うから」

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 どういうときにいらいらしているか考えてみると、一般論として言えることは、その場所の───例えば東京の有楽町でもどこでもいいんですが───その場所で感じられる職業循環の速さが自分と違うからだと思うんです。東京の速さと自分の精神的な速度が、違うからなんです。(「吉本隆明の声と音楽」)

 私もかなりいらいらしています。自分の精神的な速さと周囲がかなり違うことで苛立ってしまうのだと思います。だがこれは私に限らず多くの方が抱いていることだと思うのです。そしてなんとしてもこのことが解決していけないならば、私はもう狂ってしまうとしか思えないのですね。

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2008年11月07日

吉本隆明鈔集「言葉の根幹的な部分は沈黙だ」

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 言葉というものの根幹的な部分はなにかといったら、沈黙だと思うんです。言葉というのは、オマケです。沈黙に言葉という部分ついているようなもんだと解釈すれば、僕は納得します。
だいたい、言葉として発していなくても、口の中でむにゃむにゃ言うこともあるし、人に聞こえない言葉で言ったりやったりしていることがあります。そういう「人に言わないで発している言葉」が、人間のいちばん幹となる部分で、一番重要なところです。なにか喋っているときは、それがいいにしろ悪いにしろ、もう余計なものがくっついているんです。だから、それは本当じゃないと思います。まして、そのオマケの言葉を、誰がいいと思ったり悪いと思ったりするようなことは、そのまたもっと末のことで、それはほとんどその人には関係のないことです。
人から沈黙と見えるけど、外に聞こえずに自分に語りかけて自分なりにやっていく。そういうことが幹であって、人から見える言葉は「その人プラスなにか違うものがくっついたもの」なんです。いいにしろ悪いにしろ、「その人」とは違います。
(「吉本隆明の声と音楽」)

 このことも大事なことですね。私は教育の中でも、生徒が喋らない沈黙の言葉も聞いていける人間でないと駄目だ、教育者とは言えないのではないかと思っているのです。いや、これは自分の子どもを育てていくことでも同じことだと思っています。

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2008年11月03日

吉本隆明鈔集「昔の人のほうが偉かったんじゃないか」

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 やっぱり、昔の人のほうが偉かったんじゃないかないでしょうか。狭かったのかもしれないけど、偉かったんじゃないかな、と思います。根本的なことは考え尽くしていたのではないかと思います。(「吉本隆明の声と音楽」)

 吉本さんは、紀元前の釈迦のことを言っているのですが、でも現代でも私たちよりも少し前の時代の人のほうが偉かったように私には思えます。いや、私には私の父や母、義父のほうがどうしても私の時代の人よりは偉いな、と思えてしまっているのです。

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2008年10月23日

吉本隆明鈔集「若い人の詩はわからない」

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 今度読んだ若い人の詩はわからない。なぜこういう詩が生まれたのか、そういうこと自体がわからないといえばわからないわけです。そういうことが、ほとんどすべての若い詩人たちに共通する傾向としてあります。これは重要な問題だと思います。
 世間的な意味で重要だというよりも、ぼくにとって重要な問題だぞという気がしました。言い換えれば、個々の詩がうまいとかうまくないとか、いいとか悪いとか、そういうことはニの次、三の次の問題で、こういう詩が一般的に若い詩人の傾向性あるいはモチーフとしてあるんだという、それは重要なことだという感じがしたわけです。そこは考えてみるだけの価値がある、いや考えなきゃいけないぞ、そんな感じをもちました。
(「日本語のゆくえ」『第五章若い詩人たちの詩』)

 このことは、現代の若い詩人たちに現れている傾向というよりも、現代にいわば共通することなんだと思うのです。吉本さんは、このことを指摘しているわけです。私たちが日々接している現代というのは、このわからない、ということだけでもちゃんと把握すべきだなあ、と私は思っています。

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2008年10月19日

吉本隆明鈔集「相当重要だと思えたのは無である」

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 人はいまこの社会で生活していて、日常生活を毎日のように繰り返している。そこのなかでさまざまな事柄を考えたり流していたりしているわけですから、そこのところを思考力でつくりあげられた直喩でもって通していけばいいのではないかと、ぼくは思うわけです。ところがそれと切り離されたように、あるいは別物みたいなかたちで直喩が出てくる。その切り離され方の意味がよくわからないわけです。
 これだけ考える人が「無」であるという基本線を忠実に守っている。そのあたりもぼくにはよくわからないところです。
 繰り返しになりますが、今度、若い人の詩集をまとめて読んでみて相当重要だと思えたのは、未来とか過去、もしかすると現在も何もない「無」ではないかなと思えたことです。それをどう解すればいいのか。このあたりのことは適切にうまく言葉で要約できないわけですが、これは自分が考えていたよりも重要なことだという感じをもちました。なにかひとつ大きなテーマを与えられたように感じます。
(「日本語のゆくえ」『第五章若い詩人たちの詩』)

 この「無」であるということが、大きなテーマを与えられたように感じるということが私には大きな驚きであるわけです。つまり若い人たちとの感性は、現代の詩人たちの詩を見る限りもはやかなり違ってきてしまっているということなのだろうか。いやこれは、詩人たちに限らないように思えています。

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2008年10月13日

吉本隆明鈔集「どうして初めから思考性のある詩を書かないのか」

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 水無田さんは、日常生活のなかでの直感とか瞬間的な想像性に根ざした詩ではなくて、思考する詩といったらいいのでしょうか、思考力で描く詩をめざしているように見えますけれど、そうであれば、どうしてそういう詩を最初からつくろうとしないのか。「無」であることはそれとしておいて、そのあとで考え抜いて、たいへんむずかしい直喩をつくり上げようとする。ぼくにはその両方が分離して見えてしよがないわけですけれど、どうして初めから思考性のある詩を書かないのか。 (「日本語のゆくえ」『第五章若い詩人たちの詩』)

 私は実際に現代の若い詩人の詩を知っているわけではありません。ただこのことは、私も自分よりもかなり下の世代に感じることでもあります。「どうしてなのかな。もっとうまく違うふうに表現すれば、自分の言いたいことが言えるんじゃないかな?」なんて思うことがあるわけです。でもこれが私たちが接している現代なのかもしれないですね。

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2008年10月06日

詩だけでなく、また文学だけでもなく、それ以外の芸術についても全般的に脱出口を考えていかなくてはいけない

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 詩だけでなく、また文学だけでもなく、それ以外の芸術についても全般的に脱出口を考えていかなくてはいけないという情況があるのではないでしょうか。日本はこれまでヨーロッパとアメリカのあとを追いかけてきたわけですから、次はきっちりと自分たちなりの、日本語的な「脱出口」のようなものをつくり上げていくことが大きな問題であると思います。もしかすると、それは日本の現代社会全体の問題なのかもしれない。そういうところにかかわってくるように思います。
 そのあたりのところはよくよく考えないといけない点です。これからどうなっていくんだとか、どうするんだということについて、日本語の表現なりのやり方で考えていかないといけない。全般的な問題としては、そういう問題に当面しているんではないかという気がしました。
(「日本語のゆくえ」『第五章若い詩人たちの詩』)

 この吉本さんの指摘は、大切なことに思われてきます。私たちが深く考えなくてはならないことなのですね。ただこれは実に現代の日本全体の問題として考えていくことでしょう。私たちは、大変な課題を背負っているわけなのですね。

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2008年09月27日

吉本隆明鈔集「日本の詩というのは、自然がなくなっちゃっんだよ、ということをもっと大きな問題として考える以外にないのではないか」

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 日本の詩というのは、たとえ現代詩であろうとも、やっぱり自然というものに対するある種の感覚のようなものがなかったら、何をどう書いたら詩になるのかということを見つけるのはなかなかむずかしいわけです。だからそこは大問題として、これからの日本の詩が相当よく脱出口を見つけていく以外にないのではないかという感じがします。
 心理状態とか心理の動きみたいなことでいうならば、これは朔太郎以降の詩人たちがよくやってきたことですが、そういう段階ではどうしても収まりがつかない。自然がなくなっちゃっんだよ、ということをもっと大きな問題として考える以外にないのではないかと思います。
(「日本語のゆくえ」『第五章若い詩人たちの詩』)

 今都会に住んでいて、路を歩いていて草花に触れることは多いわけです。でももう昔の詩人たち、いや多くの芸術家たちが触れ合った自然とは違ってきてしまったという思いがします。もはや、自然とは私たち人間が管理して初めて、「あ、綺麗だな、いいものだな」と言えるようになってきた気がしています。

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2008年09月16日

吉本隆明鈔集『詩の上では、「いま、現在」だけが存在価値だ』

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 現在の二十代、三十代の詩人の詩を、詩あるいは歌謡として神話に使おうとした場合、どんな神話をつくったらいいのだろうか。そういう想定をしてみるのがいちばんやりやすいように思いましたので、そんなふうに考えてみました。 まず、神話が必要な人物ないし統治者としてだれを想定すればいいのかといいますと、少なくとも今の二十代、三十代の詩人の詩を読んでいるかぎり、それはまったく類推できない。つまり、彼らの詩を読んでいるかぎり、神話が必要だという魅力ある人物ないし勢力(集団)を想定することは不可能だ。そういう問題がまず第一に浮かび上がってきました。
 これは二十代、三十代の詩人だけにかぎらず、全体的にいって現代はそうした神話的人物を思い描くことが不可能なのかもしれませんが、また事実としても、二十代、三十代の人は過去あるいは未来にかけて何らかの意味で神話的な想像力を必要とする人あるいは集団を選ぼうなどと考えていないように見えました。そうしたことについても関心は「無」に等しいというか、少なくとも詩を見るかぎいは、何も考えていないように思えました。
 それはなぜかといえば、過去を振り返ったり未来を展望したりするのが嫌いだというか、そんなことはしたくないというのは本音なのではないかと思えます。
 そうすると、少なくとも詩の上では、「いま、現在」だけが存在価値だということになります。「いま、現在」がどうなっているかということにしか関心をもっていない、それしか考えていない、全体として、そういうことは非常にわかりました。
(「日本語のゆくえ」『第五章若い詩人たちの詩』)

 これは、いいことなのかもしれません。過去の私たちのように、何か別なものにとらわれて、自分の表現もそれに合わせてきたことよりはいいのかもしれません。ただ、何か力強さみたいなものは少しも感じられないところにもつながっているように思えます。

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2008年09月12日

吉本隆明鈔集「神話の作者」

08091201 神話にはひとつのかたちがあります。第一に、神話を必要としている人物がいるということ。第二は、そうした人物の近くにいて、神話的人物のことをよく知っている人がいるということ。この第二の人が神話の作者になります。
 第二の人物は、神話の主がどういう人物であり、どういう意向をもっているかということをわりによく知っている。彼は神話の主と同時代の知識的人間であり───宗教性の強い日本の 場合であれば───宗教的人物である。昔でいえば、朝廷つきのエリート知識人です。そういう人が神話の主のそばにいた。そして神話の主の意向を汲み、さらには自分の考え方で神話にふさわしい歌謡を選んで、そうして神話をつくってきた。そういうふうにして神話をつくってきたと思います。
(「日本語のゆくえ」『第五章若い詩人たちの詩』)

 こういう作者がいて、神話が作られてきた。だが問題は、現在のこの日本には、こうした神話を作る人物もいないし、そもそもその神話を必要としている人も、もう誰もいないのではないかということなのだと思うのです。だから現在には、神話は無用のものと考える人ばかりなように思うのです。

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2008年09月08日

吉本隆明鈔集「俳句にするのはやっぱり客観的なものを主観的なものに転調しなければダメなのではないか。そうすることによってポエジーが生まれてくる、というのが芭蕉のひとつの工夫だった」

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 五・七・五という短い形になってしまったけれど、五と七は、ふたりの人間の問答だというくらい、あるいは客観と主観というくらい違うように表現する必要があるというのが芭蕉の考えだったと思います。俳句にするのはやっぱり客観的なものを主観的なものに転調しなければダメなのではないか。そうすることによってポエジーが生まれてくる、というのが芭蕉のひとつの工夫だったように思います。
 客観−客観のように見える句でも、芭蕉の句には、どこか主観的な傾向が込められています。「荒海や」といったあと「佐渡によこたふ」とつづきますが、この「よこたふ」は自然描写のようでいて、じつはどこか擬人的に主観化されえているわけです。
(「日本語のゆくえ」『第四章神話と歌謡』)

 こうして吉本さんが言われることによって、私は始めて芭蕉の俳句が少しは判った気持になれました。このことが判らないから、第二芸術だ、なんて言ってしまうことにもなるのですね。

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2008年08月31日

吉本隆明鈔集「天皇陵といわれているお墓ですが、あれは専門の考古学者にちゃんと調べてもらいたい」

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 天皇の周辺というのは、あまりに強固に天皇を囲い込むものだから、そこにぼくらの不服が残ります。
 ひとつは天皇陵といわれているお墓ですが、あれは専門の考古学者にちゃんと調べてもらいたいと思っています。ところがそんなことをいうと、ご当人たちよりも周りから、「天皇陵は天皇家の家族の問題であるから、墓を調べることはできない」という断りの文句が返ってくるといわれています。そんなことはいわないで、専門家にちゃんと調べさせたらずいぶんいろんなことがすっきりしてくると思います。
 不服があるとすれば、そこがちょっと不服ですね。天皇家の問題だといっても、少しはふつうの人にも関係あることだと思います。あとの問題はぼくらには全然手の届かないところにあるし、それは何ともいいようがないわけですが、天皇陵の問題は歴史にも芸術にも大きくかかわってくるというべきです。
(「日本語のゆくえ」『第四章神話と歌謡』)

 このことは、もう随分前から吉本さんは言っています。私もまったくこの通りだと思いますが、でもずっと実現できないことですね。思えば、私の生きているうちにも、実現できないことなのでしょうか。なんだか、ものすごく残念なことです。

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2008年08月21日

吉本隆明鈔集「芸術的価値はもっぱら自己表出に依存する」

08082101 芸術的価値が有効であるかどうかということは、読む人によって区々(まちまち)である。そうなると、マルクスのいう経済的価値の問題も芸術的価値の問題に転嫁することはできませんから、究極のところでは、芸術的価値はもっぱら自己表出に依存するんだと、きっぱり言い切ってしまわないとダメだと思います。
 では自己表出とは何なんだといえば、厳密にいえばこうなります。自分と、それから理想を願望するもうひとりの自分とのあいだがどれだけ豊富であるかということ、これが自己表出の元であり芸術的価値の元である。厳密にはそういうふうに言い直さなければいけないというのがぼくの考え方です。
(「日本語のゆくえ」『第二章芸術的価値の問題』)

 吉本さんはよくこうして言い切っています。そして私はそれが今はよく理解できるようになった思いです。「どれだけ豊富であるか」と言われて、私ももっと学んでいかなければいけないなあ、と真剣に考えています。

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2008年08月17日

吉本隆明鈔集「漱石は言語表現とモチーフを一致させて世界的な作品を書ける可能性を持った人だ」

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 明治以降の日本の小説として、『三四郎』は第一級の小説だといえますが、では世界的な意味でそういえるかというと、そこはちょっとためらわざるをえない。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』と比べて「いい小説」といえるかというと、どうもそこまでは言い切れない。それはなぜかといえば、言語表現が作品のモチーフと分離しているからです。だから、文学的に非常にいい小説作品を生んでいる西欧の先進国の人たちが『三四郎』を読んだ場合、「いい小説だ」という程度の読み方をされて、それで終わってしまうだろうなと思います。
 作家としての力量からいえば漱石は言語表現とモチーフを一致させて世界的な作品を書ける可能性を持った人だと思いますから、そこはちょっと残念なところです。
(「日本語のゆくえ」『第二章芸術的価値の問題』)

 漱石はよく読んできたつもりでいますし、『三四郎』もよく判っている思いでした。でも私が少しも届いていないのだということがここを読んで気が付かされたものでした。もう一度すべてを読み直す必要があるのだ、ということを痛切に感じています。

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2008年08月10日

吉本隆明鈔集「芸術的価値は自己表出の面から考察することができます」

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 言語を縦糸と横糸で織られた一種の織物だと考えて、そのうえで自己表出、指示表出ということを考えると、芸術的価値は自己表出の面から考察することができます。それを指示表出の面から考えれば、指示表出は芸術性に直接は関与しないけれども、意味の起伏というか物語性の起伏によって間接的に関与する。
 人間の言語の芸術空間というのはこういうふうにできていると考えれば、言語の芸術性を考察する場合、比較的考察しやすいのではないかというのが、ぼくの考えです。
(「日本語のゆくえ」『第二章芸術的価値の問題』)

 これもまたこうして明快に書かれていることに嬉しくなります。言語を織物だと考えれば、芸術的価値というものは、自己表出が実に大事である訳ですが、指示表出は物語性の起伏によって間接的に関与する、というところで、なおはっきりしてきたものでした。

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