吉本隆明鈔集(ブログ版)
2008年07月13日
吉本隆明鈔集「文学体と話体」
小説の文体には「文学体」と「話体」があるわけです。おしゃべりの言葉というか言文一致に近い言葉、もっと正確にいえば話すような心的状態で書くのを「話体」と呼べば、そうじゃなくて書き言葉に固有の表現を用いるのを「文学体」と呼ぶことができる。これはどっちがいい悪いとか、あるいは「文学体」は純文学で「話体」は大衆文学だという意味ではなくて、「話体」を得意にする作家と「文学体」という凝縮された文体で書いている作家がいるという事実の問題です。
例を挙れば、太宰治はもっとも優れた「話体」の作家だし、夏目漱石は近代文学のなかではもっとも優れた「文学体」の作家だと思います。したがって、この区分は芸術の価値とは何の関係もありません。(「日本語のゆ」くえ『第一章芸術言語論の入口 『言語にとって美とはなにか』のモチーフ)
こうして夏目漱石と太宰治とを挙られて、実によく判る思いがします。思えば、この頃太宰治の文章がますます好きになってきましたし、また漱石の作品も今また読み直そうと思っているところです。そしてこの二人の作家の時代背景もまたよく思い浮かべています。
2008年07月04日
吉本隆明鈔集「百人の人が同じ小説を百回ずつ読んだとする。そうすると百人の感想はだいたい同じところに行き着くのではないか」
たとえば、百人の人がある小説を読んだら百通りの意見・見解・批判が出てくるだろうと思います。百人の人はそれぞれ読んだ印象も違うし考えも違いますから、「おまえとオレとはずいぶん違うな」ということになります。それはそれでいい。読者としてはそれでいいわけです。
では、このように違う見解を持つ百人の人が「同じ小説を百回読んでくれ」といわれて百回読んだとすると、どうなるか。「百回」というのは比喩的にいっているわけですけれども、百人の人が同じ小説を百回ずつ読んだとする。そうすると百人の感想はだいたい同じところに行き着くのではないか。ぼくはそう考えています。
「同じところ」とはどこかといえば、作者です。作者の表現技術もふくめた相対的な芸術観とか芸術に対する理念、そういうところに収斂していくだろうなと思います。(「日本語のゆくえ」『第一章芸術言語論の入口 『言語にとって美とはなにか』のモチーフ)
このことが、『言語にとって美とはなにか』ののモチーフだといいます。私がこの本を読んだのは、25歳のときに、歯医者の治療に長く通っていたときに、その待ち合わせの場所で集中的に読んでいました。だが今になって、やっとこの言われるところに頷いている自分がいます。なんだか、情けない自分を感じると同時に、それでもこの本をあの時期から熱心に読んできていて良かったなあ、という感慨があります。
2008年06月26日
吉本隆明鈔集「与謝野訳で読むのがいちばん『源氏物語』の雰囲気に近づけるのではないでしょうか」
明治時代の町家の娘さんというのは日ごろから『源氏物語』を読んで親しんでいたんじゃないでしょうか。声に出して読みながら、『源氏物語』を体で読み込んでいた。与謝野さんの訳は、いかにもそう思わせるような現代語訳になっています。つまりあの人は、言語学敵に正確に読むというより、音声と文章の意味を綯い交ぜにしたような感覚で読んでいって、そうして『源氏物語』を身につけた人だと思います。ぼくはそう解釈します。
いまは国文学者が書いた研究書や註釈書もいろいろそろっているし、作家の手になる現代語訳も現在に近いほど正確になっているように思います。それでもぼくは、谷崎(潤一郎)さんや円地文子さんのものより与謝野晶子のもののほうがほんとうらしいのではないかと思っています。点(読点)や丸(句点)でもって、自由に原文をきっちゃっていますから、誤訳も多いように思いますけれど、与謝野訳で読むのがいちばん『源氏物語』の雰囲気に近づけるのではないでしょうか。(「日本語のゆくえ」『第一章芸術言語論の入口 『源氏物語』を読む』)
まず『源氏物語』の雰囲気を知るということが大切なことだと思います。その点は、この与謝野晶子訳が一番いいのではないかというのは、充分に判るところです。いえ、私には谷崎さんでは、難しすぎるわけなのですね。なんと言っても、『源氏物語』を知るのには、与謝野晶子訳がいいのだということは、こうして吉本さんが言ってくれることで、始めて安心して源氏を知ってこられたという思いがするのです。
2008年06月20日
吉本隆明鈔集「『源氏物語』は現代語訳で読んだほうがいい」
ひとつのセンテンスのなかで、主語(主体)が入れ替わってそまう例もたくさんあります。ところがそこをチョンと、読点で区切っただけで、ひとつの文章になっていると、主語(主体)が入り混じってしまって、いったい誰がこの動作の主体なのかわからなくなってしまう。その意味でも、ぼくらみたいな素人は、まともに原文で読むのは時間のロスだから『源氏物語』は現代語訳で読んだほうがいいと思います。それで十分理解できるはずです。
では、だれの現代語訳がいいかといえば、ぼくは与謝野晶子の訳がいちばんいいと思っています。(「日本語のゆくえ」『第一章芸術言語論の入口 『源氏物語』を読む』)
私も学生時代に、谷崎潤一郎『新々訳源氏物語』を読んだものでした。だが私には、難しすぎた思いばかりでした。こんなに大変なんだから、原文なんて、もっと大変なんだろうなあ、と思っていたものです。与謝野晶子の『源氏物語』は中学生のときに、最初の巻だけ読んだものでした。でもそのときから、源氏はやっぱり谷崎だろうなんていう思いがあったものでした。だが、吉本さんのこの言を、『源氏物語論』で読み、私はすぐ与謝野晶子で読んでみたものでした。ものすごく『源氏物語』を読むことが、身近なものになった気がおおいにしてきたものでした。
2008年06月10日
吉本隆明鈔集「時期としては静かで、平穏でいいけれど、大変な時期にさしかかったなというのが僕の情況的な実感」
本音と建前が激突し始めて、至るところで混乱を巻き起こしていますから、あまりいい傾向じゃないと思いますけれど、時代はそうなっています。はっきりした自己意識を持っている人は別だけど、持っていなければグループの問題になりますから、三人以上のグループだったら、よくよくそういう問題を考える時期に来ていると思います。もっと若い人は、ひとりでできているところもありますね。ほかのことは全然だめで、政府の言うとおりになっていて、ちっともよくないじゃないかと思うけど、善悪を倫理問題と別にしている。それは非常にいいところじゃないかと思います。だから時期としては静かで、平穏でいいけれど、大変な時期にさしかかったなというのが僕の情況的な実感ですね。(「よせやぃ。」『時代の自意識について───第五回座談会』)
今の時代がこういう時期だということを、実によく感じています。平穏でいいのですが、でも心の中では、いつでもイライラすることが高まっている感じです。このままではもうどうにもならない、だからなんとしてもこの時期をなんとかしなくてはいけないと常に思っているところです。
2008年06月03日
吉本隆明鈔集「未来にちゃんと開いていくというやり方を少数でも個人でも考えないと、日本の左翼性は終わりになってしまう」
未来にちゃんと開いていくというやり方を少数でも個人でも考えないと、たぶん日本の左翼性は終わりになってしまうんじゃないでしょうか。この状態で行くと潰されてしまうから、少しでも未来に開くために、そういう試みをいろいろな意味合いでしないとしょうがないということになるんじゃないでしょうか。情況としてはそこのところがいちばんの根本で、いまは移り変わりの兆候で、戦前でいえばいわゆる転向期だと思います。(「よせやぃ。」『時代の自意識について───第五回座談会』)
戦前には、いわば知識人はすべて総転向して行ったわけだった。これは、すべてがそうだったと言えると思います。また今同じことをするわけにはいかないはずなのです。だからこそ未来に開いていくものを打ち立てないとならないのだと私も思うのです。
2008年05月29日
吉本隆明鈔集「無限の以前と後とどうつなげられるのかなと情況の問題を一緒にかんがえないといけない」
いまより無限の以前と、いまより無限の後と、どうつなげられるのかなという、そういう問題と情況の問題を一緒にかんがえないといけないんじゃないかと思います。(「よせやぃ。」『時代の自意識について───第五回座談会』)
いやこれは私には大変に難しいなという思いです。情況のたくさんの問題を考えると、それへの自分の考えを出していかなければならないな、という思いはあります。このことを自分の自意識の中で明らかにしていかないとならないと考えています。
2008年05月21日
吉本隆明鈔集「これから何ができるか。何を考えて、どうやったらできるかという問題だけが重要なんだ」
いまの若者は倫理観で、これは善でこれは悪という考えで問題をくぐり抜けてしまうのではなくて、「そんなことはどっちでも構わない。同じなんだよ。これから何ができるか。何を考えて、どうやったらできるかという問題だけが重要なんだ。これからの問題だ。いまの問題が閉じてあったって、別にどうってことはない。それが、これからの問題にどれだけ開いていくか。あるいは閉じたままかということが重要だ」と言っていると思います。(「よせやぃ。」『時代の自意識について───第五回座談会』)
これはかなり重要なことだなあ、ということを感じます。私もともすれば倫理観で考えてしまうところがありました。だが今は、いつも「何ができるか、どうやったらできるか」ということだけを考えています。いや、そうしか考えていない自分を、こうして吉本さんの言葉で気がついたものでした。
2008年05月14日
吉本隆明鈔集「マルクスが当時の進歩的思想から頭一つだけ抜けていたところ」
だいたい宗教のいちばん初めは人間の精神活動です。当時で言う唯物論が精神活動としての終極点に見えたといのがフォイエルバッハだとすると、それは精神活動として終極点に見えるかもしれないけれど、人間はそういうことをすっ飛ばしても、解放されることとは別問題なんだと、ちょっとだけ息が長いというか、粘り強く時代の自意識を考えようというところが、マルクスが当時の進歩的思想から頭一つだけ抜けていたところだと思います。それは微妙だけど、マルクスの思想はある程度生きながらえてきていると思いますから、大きさというか、偉大さというか、そこだと思いますね。(「よせやぃ。」『時代の自意識について───第五回座談会』)
思えば、マルクスもフォイエルバッハも、随分昔に読んだものでした。だが、ちゃんとこのマルクスのほうが適確なことを言っているのだということは、「ドイツイデオロギー」を読んでも、私にはうまく理解できていなかったと思います。それがやっと今少しだけ判って来た思いがしています。
2008年05月03日
吉本隆明鈔集「現在の情況において、どうすれば少しでも公共的な方策に自意識を持ち出すことができるのか
一番の根本に来るのは、今日問題にされた「現在の情況において、どうすれば少しでも公共的な方策に自意識を持ち出すことができるのか」ということで、情況の問題としては、それが非常に大きいなんじゃないでしょうか。あらゆる面でそうじゃないかなという気がするんですね。自意識の問題ということを主題にすれば、文学や芸術みたいな自意識のほうが主体だという分野の問題から、社会的な設備とか人間関係とか方針とか、そういう問題まで含めて、そこのところがいちばん根本的で、現在のいちばん大きな問題じゃないかと思います。(「よせやぃ。」『時代の自意識について───第五回座談会』)
このことが大きな問題だというのは実に理解できるわけです。ことはそれに対して、どう応えていくのかということは一番の課題だと思われます。だが、もちろん私にはその答えは簡単に出すことはできません。だが、このことを常に自らが答えていくべきことなんだという気持を持ち続けて行こうと考えています。
2008年04月30日
吉本隆明鈔集「三人以上だったら、あまり拡大しようと考えないほうがいい」
集団というか、僕は三人以上を集団と考えているんですけれど、ある統一的な事柄をしようとか、僕ならそうするだろうとか、できるだけそういうふうにしてきましたと言えることが現実あって、それは、三人以上のグループを組めるという了解が成り立っていることを前提とするならば、現在の情況に対する僕の自意識を言えば、現在はそれを大きくしようと考えないほうがいいですよというのが一つですね。いま「三人以上だったら、あまり拡大しようと考えないほうがいいですよ」と申し上げましたが、僕はグループじゃなくて一人だから、縮小すると「実感から外れない」ということになりますね。(「よせやぃ。」『時代の自意識について───第五回座談会』)
このことも吉本さんは、前々から言われていることです。ところが、私にはこれは実に大変に実現不能なことに思えてきていました。だがたった今、この吉本さんの言われることを書き抜いていて、私のいくつもの思い経験の中で、「これは実感として判ることじゃないか」と気がついたものです。これは私もやっとこのごろ判ってきたことなのですね。
2008年04月21日
吉本隆明鈔集「想像が刺激される、さまざまなことが刺激されるというのがあれば、芸術は成り立つ」
明治の青年が危機を悲しむということも、空き家でタバコを吸うことの中に含まれているかもしれないし、啄木の時代に対する危機感で、考え悩んで、おもしろくなくてしようがないというので空き家でタバコをのみたくなったのかもしれない。
それは読む人が自由に考えればいいので、作品に対して補う必要は少しもないわけです。それは芸術なら芸術の本道に属するわけで、その主題は個人的でつまらないものでも、読む人にとってはさまざまなことを想像できます。つまり想像を補ってやる必要はないので、想像が刺激される、さまざまなことが刺激されるというのがあれば、芸術は成り立つと思います。芸術の問題だけではなく、啄木の歌という問題だけではなくて、政治的な危機とか社会的な危機も含めて自意識という問題を考えたとしても、そこの問題じゃないでしょうか。(「よせやぃ。」『時代の自意識について───第五回座談会』)
芸術が成り立つのは、想像が刺激されることだというのは、実によく理解できます。まったくその通りだから、このことを常に念頭に置いて表現していくことが私なんかには大切なことなんだな、と強く意識するところです。
2008年04月15日
吉本隆明鈔集「『政治家としての自己』というとき小泉はすべてのことをやっている」
「政治家としての自己」というとき小泉はすべてのことをやっているわけです。
それに対して郵政民営化なんてそんなに重要じゃないというのは見解だからいいけど、「自衛隊の海外派遣とか重大な問題がほかにあるじゃないか」と言って、そのことばかり主張しているのは政治家としての意味もないし、政治政党としての意味もまったくないですね。その違いがたぶん選挙に表れていて、若い人はわりあい理解力もあるし、精神活動も活発だから、その見解がどうであるかというよりも、小泉は政治家としてこれだけ本気になっているじゃないかというのがわかって、「もっとほかに重要なことがあるとか言って、自衛隊の問題とかを持ち出しているが、それは本気じゃないじゃないか。郵政民営化のために解散すると言っているのにほかのことを言っても、それは何も言っていないことと同じだ」と、こうなりますね。(「よせやぃ。」『時代の自意識について───第五回座談会』)
吉本さんがあのときに、こう言われていたことを知って私はまったく嬉しいのです。実は私は長年選挙というのもをしたことはありませんでした。でもあの選挙のときに、いわば始めてやったのです。そのときの私の思いは、このときの吉本さんが言われることもまったく同じです。私も私以外の方にも言っていました。まさしく小泉の言われる側の政党に選挙するように私は周りにも言っていたものでした。それにしても、「もっと重要なことがある」とか言って連中が大勢いたものでしたね。選挙の結果は彼らは無残な思いばかりのようでした。
2008年04月11日
吉本隆明鈔集「先進資本主義というのは相当末期的な様相を呈している」
歴史的に言えば、現在のアメリカでもヨーロッパでも、先進資本主義というのは相当末期的な様相を呈していると僕は思います。うんと知恵があって欲が少ない金融資本家とか産業資本家が世界中にいたとしたら、資本主義のこれからの運命についてとことんまで考えて対策を取ると思いますが、今は何も対策を取っていないでしょう。(「よせやぃ。」『歴史を流れるようにするとは───第四回座談会』)
こうして「末期的」とまで言われてしまうと、その時代に生きている私たちはどうしたらいいのだろうかと思っていまします。とにかく、この時代を見つめ、その中でなんとか路を見つけていかないとなりません。実にしんどいことがずっと続くのですね。仕方ないのです。この時代に生きているのですから。
2008年04月03日
吉本隆明鈔集「ここが根源だというところだけは、ちゃんと押さえていけばいい」
人間の生涯は一〇〇年足らずだけれど、時代はどこまでも続いていくわけですから、一〇〇年足らずの間にこういう考え方をしていけばいいんじゃないかとか、将来こうすればよくなるんじゃないかということを考えて、常識的なものと、あるいは世間一般の世論とあまりにも食い違う時代情況のときには、知らん降りをしているのがいちばんいい。それで三人でも五人でも、自分たちの中でちょっと理想的だぜというものを構想していけば文句を言われる心配はない。僕はそのように考えます。
ときどき偉そうなことを言って、「これはしまった」と思ったり、いろいろ反省したりしていますけれど、今のところはそういう感じじゃないかなという気がします。細かいことを言い出すと、細かい反論がいくらでも出てくると思いますし、それは妥当な反論だというものもたくさんあると思います。ただ、大筋と言ったらいいんでしょうか。ここが根源だというところだけは、ちゃんと押さえていけばいいんじゃないかと。(「よせやぃ。」『歴史を流れるようにするとは───第四回座談会』)
私は自分でここが根源だと思うところは押さえているつもりではいます。ただし、それが正しいかどうかは判らないことなわけです。でもとにかく、これが根源だと思うところはいつも押さえてきたつもりではいます。
2008年03月26日
吉本隆明鈔集「自分への配慮を考えなければ、発達した産業の構想力は持てない」
産業が歴史的に動いてきて、ハイテク産業で停滞して終わってしまうかというと、そうではなくて歴史的に発展してきているということは依然としてあって、その延長線で発展していくに決っているわけです。そしてやがては、現在考えられているハイテク産業以上のものができるに決っているけれども、同時に現段階ではハイテク産業が自然産業に大量に使われていくことも決っている。
それが今後どうなっていくかということについての構想力というか、配慮というか、僕の文学上の言葉で言えば、「自己批判をどこかに含んでいる」という言い方をしますし、フーコーみたいな哲学者は「自己への配慮」とか「主体への配慮」という言葉を使っています。いわゆる主体性ということで、「産業は儲けることばかり考えていたら済むというものではない、利潤以外のものとして、自分への配慮を考えなければ、産業なんか発達していかないよ。発達した産業の構想力は持てないぞ」と言えるようにするべきだし、言うべきである。そう考えるべきである。こういうことが現実に出てきたことを意味するんじゃないでしょうか。(「よせやぃ。」『歴史を流れるようにするとは───第四回座談会』)
「自分への配慮」とは、たしかにこの通りだなあ、と深く考えます。このことが判らないと、たしかに「肉体労働と精神労働」は別なものだと思ってしまうことになるでしょう。このことを現実に深く理解して生きていきたいと私は考えています。
2008年03月24日
吉本隆明鈔集「ハイテク産業は歴史に逆行するような産業に対しても使える」
産業をただ歴史的発展段階として、木ノ実を食べて、栽培農業が始まって、毛織物から工業が始まって、工業が少し大規模になっていくと、いわゆる重工業と言われるものに発展していくという、そこまではいいんだけれど、それから以降はどうなんだとなってくると、ハイテク産業は逆に原始産業とか自然産業に対しても利用されます。歴史的に言うなら、ハイテク産業は歴史に逆行するような産業に対しても使えるという両面が出てくるということで、これはい
ろいろなことに影響してきます。
工業地帯というものを強いて設けることが必要なのかという、土地の問題もそうです。京都みたいな古くからの都市であっても、京セラみたいなハイテク産業をやることも人工的に可能です。つまり、そういう意味合いで産業を歴史的な発展段階で考える以外の、もう一つの考え方を付け加えないといけない、そのことが及ぼすさまざまな影響があるということです。(「よせやぃ。」『歴史を流れるようにするとは───第四回座談会』)
このことも私には現実に大きなこととして感じています。ただし、そこがどうしても理解できない、理解しようとしない人がいることも確かなことです。今はそうしたことの大切な狭間の時であるかと思っています。この時に、しっかりとした指針を持って立ち向かわなければならないと考えています。
2008年03月22日
吉本隆明鈔集「個人に重点を置く人、制度に重点を置く人、家庭の幸福に懸ける人」
個人の一人ひとりはどこかに重点を置くということになって、その場合に個人に重点を置く人も、制度に重点を置く人も、家庭の幸福に懸ける人もいるわけで、その三つは相伴う場合と相矛盾する場合と両方あるから幸不幸はどこにもあり得るけど、マルクスみたいに一つのことに夢中になった人は個人的にも家族的にも幸福ではなかったでしょうね。
少なくとも三つある中の一つに重点を懸けたらそうなります。極端に言うと、特に知的な人で、俺の家族は一〇〇パーセント幸福だという人には出会ったことがない。やっぱりどこかが何パーセントか何十パーセントか欠けるだろうなということです。(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)
私はどうしても、どれか一つではなく、全部考えていこうかと思っています。吉本さんも実のところも思いは、私と同じであろうと思います。このことは、このあとのところに書いてあります。私も少しずつやっていくつもりなのです。
2008年03月12日
吉本隆明鈔集「家庭論、家族論は身体の考古学という分野に入る」
僕流の言い方をすれば、家庭論、家族論は身体の考古学という分野に入ると思っています。いまの女のひととか若い男の人が考えるように、別居していて適当なところで会えばいいというふうにファミニストは考えているでしょうけど、幸福・不幸ということを生涯の問題から瞬間の問題にしてしまうみたいな考え方が盛んになってきて、平均出生率は下がる一方ですね。二・一以下だと国は滅びて衰退していくということになっていますけど、衰退どころじゃなくて、東京で調査をするとほぼ一・〇の水準ですから、もう全然問題にもならない。日本国は盛んにならなければいけないと思っている人から見れば衰退の最大兆候がすでに出ているのです。(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)
やっぱり私は、「衰退の最大兆候」というところを考えてしまいます。だが、私の家族は、私の娘の家族はそうはならないで、何人もの家族・親族・姻族も持っていくぞと思っています。そうして行かなければ、不満だし、このからの世界のことも不安だらけになります。少なくとも、私の家族はそうなってはいかないぞと私は思い込んでいます。
2008年03月07日
吉本隆明鈔集「暴力だって、心から思ってやったのなら決して悪い影響は与えない」
殴り返すのは暴力だからいけないというのは絶対にないんですね。暴力だって、心から思ってやったのなら決して悪い影響は与えない。これはどんな場合もそうで、母親の場合でも、父親の場合でもそうだと思います。
たとえば子どもが父親を殴ったとか、母親を殴ったとか、父親や母親とけんかしてうちを出てしまって、少し経って帰ってくるならいいけれど、そうじゃなくてそのまま出ていってしまったというのは、父親と母親の責任が一〇〇パーセントでご当人にはあまりない。それはどこかで間違えたのであって、間違えざるを得ない事情というのが人間にはありますから、別に父親や母親のせいだとは言い切れないし、言えないけれど、最終的に責任を負うべきなのは父親と母親で、子どものほうじゃないということは確実だと思います。つまり「もう遅いんだよ」ということですね。(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)
「最終的に責任を負うべきなのは父親と母親」というところは、私もずっと思ってきたことです。いや父親と母親は自分の子どもに関してそういうふうに責任を負うしかないのだと思っています。こうして親が腹をくくっていれば、あらかた済んでしまう問題がいくつもあるように私には思えています。
2008年02月28日
吉本隆明鈔集「親から『いい先生』と言われるような先生にならないほうがいい」
学校で習ったことは、どうせ役には立たないんですから。これは大学も同じで、僕の経験でも、何かを考えたというのは役にたつけれど、授業そのものは何の役にも立たない。受験には役にたっても、そのほかには何の役にも立たないですね。会社にでも勤めればすぐわかりますけれど、それぞれ会社固有のやり方があって、そこから始めるよりしようがない。学校で教わったことなんて発揮できないという要素のほうが多いから、親から「いい先生」と言われるような先生にならないほうがいいんじゃないですか。僕はそう思いますね。
(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)
私の思い出の中には、「いい先生だった」と言える人はいないです。いやそれぞれ、みんな「いい先生」だったのだろうが、でもほぼ記憶に残るような思い出はないと言えます。そうですね。今もこれだけのことを話してくれる吉本さんが、私にはとてつもなくいい先生であり、もう忘れることのできない先生です。
2008年02月18日
吉本隆明鈔集「一歳未満の乳児のときと前思春期に子どもをちゃんと育てるということに心を配る」
僕は千葉県のある高校で一度だけおしゃべりに行ったことがあるけれど、子どもが悪いことをするというのでしきりに問題になったときに、どこかの校長さんみたいな人が「子どもに命の大切さを教えなければいけないと思うんですけれど、どうお考えでしょうか」と聞くから「それは遅いですよ。命の重大さを思春期ぐらいになってから教えたって、言うことを聞きませんよ。かえってうるさがって、なぜ人を殺して悪いんだと言うほうがずっと正直な言い方です。そんな時期になってから命の重大さを教えるなんて、そんなので直るわけはないんですよ」と言いました。
それまでに決っているし、極端に言えば一歳未満の乳児のときと前思春期に子どもをちゃんと育てるということに心を配ったら、一生そういうことはないはずです。(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)
これは吉本さんが前々から言われていることである。だから、私は自分の娘を育てるときに、このことを一番考えていました。そしてまた孫のときにも同じように気を配っています。必ずいい結果になれるはずです。だが逆に、「この大事な時期に、なんであんなふうに子どもを育ててしまうのだろう」と思ってしまう親もいるものなのです。自分の子どもになにをしてしまっているのだろうか、私はいつもそういう光景を見ると、とても残念なのです。
2008年02月13日
吉本隆明鈔集「『源氏物語』はひとつだけ欠陥がある。退屈だ」
ぼくの考えでは、作品がこのレベルまでくれば原文で読もうが口語訳で読もうがまったく変わらない。どっちで読もうが受ける感銘は同じだと思います。だから『源氏物語』のような作品は、研究者でもないかぎり、翻訳で読めばいいんだよということになります。原文で読むのはたいへんだし、原文で読もうとすると一生の仕事になってしまうからです。『源氏物語』にはそれくらい現代性があります。
もっとも、ひとつだけ欠陥があります。それは退屈だということです。(「日本語のゆくえ」『第一章芸術言語論の入口 『源氏物語』を読む』)
『源氏物語』を退屈だ、と言いきってしまう吉本さんを限りなく敬愛してしまいます。こんなことを言いきれた人は始めてじゃないかなあ。私なんか、「谷崎潤一郎『新々訳源氏物語』」をただただ必死に読んでいただけです。そしてでもよく判らなかった。面白さがよく判らないし、「退屈だ」なんてことを絶対に言ってはいけないものだとばかり思っていたものです。
2008年01月29日
吉本隆明鈔集「『源氏物語』は近代小説の条件をすべて兼ね備えている」
『源氏物語』のような作品になると、これは作者(紫式部)の学識と芸術的能力によるわけでしょうが、近代小説の条件を全部具えています。
つまり、作者の人間像と作品の主人公の像がどんなに似ているように思われるときでも、それが違うように描けている。作品のなかで主人公が言うことや行うことと作者の考えとは別であるということが明瞭に意識されている。それから、作者みずからの考え方・感覚もちゃんと区別してある。そういう意味で、『源氏物語』は近代小説の条件をすべて兼ね備えているといえます。(「日本語のゆくえ」『第一章芸術言語論の入口 『源氏物語』を読む』)
私には、『源氏物語』というのは、「あんまり面白くないんだよなあ』という思いしかありませんでした。與謝野晶子の源氏を読み、谷崎潤一郎の源氏を読んでも夢中になれたという思いはありません。いやむしろ谷崎の源氏は、ただただ難しくて、「原文だともっと難しいんだろうなあ」という思いしかありませんでした。でも思えば、それは近代の小説を読んでみたときに感じる退屈さみたいなものを、もうすでに源氏は持っていたことだろうと思いました。
2008年01月24日
吉本隆明鈔集「軍国主義が少しこたえた」
僕は親父から「戦争というと敵がいて、味方がいて、ポンポン撃ち合って、弾に当たって死ぬと考えているかもしれないけれど、たいていは変なものを食って腹を下して死んじゃったとか、塹壕の中に隠れていたら雨が降って、上から泥が落ちてきて、その下敷きで死んじゃったとか、そういうのが多いんだよ」と脅かされて、それは精神的に少しこたえましたね。軍国主義が少しこたえたなという感じです。(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)
このことは私には、よく吉本さんが言われていたことなんだよなあ、と思いました。思えば、これと同じようなことを私の父にも聞いてきた思いがします。やっぱりこうした実際に戦争の戦闘行為の実態を知っている世代の言うことは大切だなあ、と思います。ともすれば、まったく想像の世界を本物のことだと思いがちだといえるかなとつくづく感じているからです。
2008年01月20日
吉本隆明鈔集「戦争に出かけていくときのその人たちの心境、複雑な思いを文字どおり推察することができなかった」
平和なところから兵隊になって戦争に行く人は、「一生懸命頑張ってお国のために尽くしてきます」と紋切り型でみんな言って、町会の人に対してそれ以外のことは言わないわけです。そのとおり信じたわけでもないけれど、言わない部分で持っている複雑さとか、そういうところから戦争に出かけていくときのその人たちの心境、複雑な思いを文字どおり推察することができなかったというのが、戦争が終わって相当経ってからの反省です。一〇代後半から二〇代初頭だったころだった自分は、そういうことが想像できなかった。僕のものすごい反省の一つです。(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)
私の一〇代半から二〇代初頭といえば、大学生で学生運動に邁進している時期にあたります。あのころの私はいくつものことが想像できませんでしたね。そうしたあのころの私のことは、私もたしかに反省しています。ただ、あのころのことが今の私にずっと繋がっていることは今も嫌というほどさまざまなところで感じていることです。
2008年01月10日
吉本隆明鈔集「柳田国男という民俗学者と折口信夫という国文学者と、この二人はわりあいに自意識家じゃないでしょうか」
大正時代の自意識のことを言うと、多少進歩して明治維新とは違うわけですが、柳田国男という民俗学者と折口信夫という国文学者と、この二人はわりあいに自意識家じゃないでしょうか。
いわゆる国文学者というのは、それこそナショナリストという、ただそれだけですね。ナショナリストと思っていないナショナリストで、ほかのことはどうでもいいぐらい、そこにのめり込んでいる。だけど折口さんという人は、この人の知識、教養、考察力の基になっているのは何かよくわからないけど、日本における古典的な法、特に刑罰、犯罪法がどこから発生してどうなってくるかというところからやり出して、そういう研究をちゃんと論文化して持っています。古典文学もありますが、そういうことをやっているのはあの人だけですよ。普通に考えているのとは大違いで、そういうことをやっています。
柳田国男は語学もできるし、外国のこともよく知っていて、国際的な人だけど、やっぱり大正時代の自意識家なんですよ。(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)
思えば私は中学生の頃から、柳田国男と折口信夫は少しずつ読んできていました。高校生のときによく読んだ思いがあります。ただ、やはりよく読めるようになってきたのは、吉本さんを知ってからかなあ、という気がしています。これからも読んでいかなくてはならないお二人です。
2008年01月07日
吉本隆明鈔集「自意識の実践運動だから、明治維新の思想的原動力は国学的なところから生じた」
近世は日本国内とか日本の伝統性、固有性みたいなところから「自意識」というのが出てきたと思います。代表的に言えば、本居宣長やそのお弟子さんたちの系統の人たちが国学を始めたわけです。日本の古典とか、神話とか、古代からの伝統的な問題と、日本固有の文化、特に文学についての考察を儒学者と違ったところで、つまり幕府とはあまり関係ないところで、自分たちはどうなんだということで、"自意識の学問"としての国学を、いまで言えば古典文学と国語学を本格的に始めたのが近世なんですね。
これは自意識の実践運動だから、明治維新の思想的原動力は国学的なところから生じたということですね。(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)
国学は自意識の実践運動だったというのは、大きく頷いてしました。思えばこのことは、私自身にも大きく言えることだなあ、と強く感じました。いえ、私はいわゆる若き日に学生運動に入り込んだのも、このことが大きかったなあと思い込んでいるのです。でも思えば、私のそう思った頃から、少しの進歩もありません。ただただ、私はそのままのところに居るだけです。
2008年01月04日
吉本隆明鈔集「楽しいことは生きる矢印で見つける」
楽しくないのは確かだけれど、生きているんだから、楽しいことを何かで見つけなければいけないということはあるわけです。楽しいことは生きる矢印で見つけると言ったらいいんでしょうか。矢印だけだと言ってもいいけれど、「矢印だけが楽しいんだよ。矢印を設定できることがあるなら楽しいとしなけりゃいけないな」ということになるんじゃないでしょうか。僕が知っている限りでは、それがいちばんいい考え方だと思います。(「よせやぃ。」『人間力について───第二回座談会』)
「生きる矢印」か、その通りだなあ、と私も確信します。私も自分の矢印を持っています。それは何かと言われたら、ここ明確に述べることはできないのですが、ときどき友人と会っているときに話してしまうことがあります。この「矢印を設定する」ということこそが大事なことだと確信しています。
2007年12月27日
吉本隆明鈔集「死は別系統だ」
年を取ったから死ぬというのじゃなくて、事故で死ぬことも、病気で死ぬこともある。だから死というのはいつ、誰が、どう死ぬか、そんなことはわからんのだと。親鸞はそれに気が付いて、そこまで認識を深めたわけです。
死は別物だ。人間の生涯の中には入らない問題で、生きている限りは生きていて、やがては死に至るんだけど、死は人間の個々の人が関与する事柄では全然ない。どういう病気で、誰が、いつ死ぬかわからない。そんなことは考えてもしようがないから、考える必要はない。臨床的にもそうで、死は別系統だ。他人にはあるか、近親の手にあるか、医者の手にあるか知らないけれど、自分の手には入らない。(「よせやぃ。」『人間力について───第二回座談会』)
もう私も59歳で、いよいよ来年は還暦です。自分の親族だけでなく、友人や知り合いでも、けっこう死に接することが実に多くなりました。また今は12月です。喪中の葉書をたくさん受けとったものです。こうして死が実に身近なものになってきているわけですが、でも以前として「死」のことは判りません。ただ、死は別系統のものだということで、そのことはよく理解でき、なんだか少し落ち着いている私がいます。
2007年12月23日
吉本隆明鈔集「思想は引きずって、それを超えていく以外に何もできない」
僕の反省の仕方とその時代の引きずり方は一種独特ですね。いい面もあるし、よくないひきずり方もあると思います。ただ、思想というのは引きずるものであって、裏返したらケロリと忘れたというのは思想じゃないですね。思想は引きずって、それを超えていく以外に何もできないような気がします。(「よせやぃ。」『人間力について───第二回座談会』)
この「思想はひきずる」というのは、実はその通りだなと考えます。ケロリと忘れることなんかできないと思います。ただ問題は、それをどう超えていくのかということだと思うのです。そのことが私にも大きな課題だと考えています。
2007年12月17日
吉本隆明鈔集「人間力とは人間が理想の可能性を描ける力」
一般にかつてそうだった人が唯一これだけは持っていてくれたらいいという、哲学は大げさですけれど、今の情況で進歩的な人種が用い得る一番緊急なことは何かといったら、要するに僕が人間力という言葉で言っていることです。人間が理想の可能性を描ける力というか、それだけは忘れないでくれと一般論として言いたいところに来たなというのが僕の判断です。それが人間力と言い出したことの意味です。(「よせやぃ。」『人間力について───第二回座談会』)
「それだけは忘れないでくれ」という吉本さんの言葉が強く心を打ちます。そして、このあと吉本さんは、小泉内閣のやった郵政の民営化のことを言っています。これは実に大切なことです。そしてあの時の総選挙で、国民の多くは小泉を支持しました。これは実に大きな大切なことでした。私も実にひさしぶり、37年ぶりに選挙に行ったのを覚えています。私も小泉を支持することだけが、この時には必要なことだとばかり思っていたものでした。

