吉本隆明ワールド

2016年12月09日

サイドバー「吉本隆明〈未収録〉講演集」が消えたので

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 ここのサイドバーにありました「吉本隆明〈未収録〉講演集」がどうしてかきえましたので、こうして私が書きまして、またサイドバーに載せます。
 ただ今分かったのは、そもそもこの筑摩書房のサイトが消えているのだ。どうしたのかなあ。
 もう困ってしまいます。どうしたのかなあ。私が一番信頼する出版社だったのに。どうかなんでもないことを祈ります。私は祈ることしかできないのですね。駄目な私です。

もうここには何度も書いています。困りました。UPできないのです。
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2016年07月06日

私が吉本(吉本隆明)さんを見かけたこと

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 私は正式には吉本(吉本隆明)さんにはお会いしていません。でもすぐそばをすれちがったことは何度もあります。
 一番思い出すのは、60年安保ブンドの島成郎(しましげお)さんのお葬式でお会いしたことです。私たち埼大グループは会場の警備係でした。そこへ吉本隆明さんが小さな車でおいでになりました。それにはハルノ宵子さんがお乗りでした。お父さんを連れてきてくれたのです。車を運転されているのが、「ハルノ宵子さんの彼なのかなあ?」なんて思ったものでした。私は車を降りられた吉本隆明さんとハルノ宵子さんにすぐ「ハルノ宵子さんですね。ご苦労さまです」と声をかけました。
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 すぐにご焼香が済んで吉本隆明さんはすぐにお帰りになりました。
 私は島成郎さんには、けっこう声をかけてもらっているのです。私が酒を飲むとくどくなるので、「彼にはあまり飲ませないで」なんて言ってくれたものでした。奥様博子さんも私のことは目をかけてくれました。今では、まったく申し訳ない気持でいっぱいです。
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2016年07月05日

ここのサイドバーの吉本(吉本隆明)さんの顔写真も替えました

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 今ここのサイドバーの吉本(吉本隆明)さんの画像も替えました。これを描いてくれたかたにものすごく感謝します。
 思えば私は何度も吉本(吉本隆明)さんに会うチャンスがあり、吉本(吉本隆明)さんも私に会っても良かったようですが、ただただ私が遠慮していました。吉本(吉本隆明)さんの死を知ったときに、ただただ後悔した私でした。
 あ、もちろん講演等ではすぐそばで、吉本(吉本隆明)さんは拝見していますよ。
 ここはまた違う画像を載せます。K150501713
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吉本(吉本隆明)さんの顔写真(画像)

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 私はこの吉本(吉本隆明)さんを尊敬崇拝してきました。そして著作はすべて読んできましたし、そのすべての著作はすぐそばに置いてありますし、今もなにか吉本(吉本隆明)さんの書いたものがありましたら、どんな方法でも手に入れるつもりでいます。
 ここにあげましたものは、みな吉本(吉本隆明)さんの画像です。上の画像はある方に描いてもらいました吉本(吉本隆明)さんの画像です。
 私はこうして吉本(吉本隆明)さんの画像を集めてきました。これからも続けていきます。K150501703
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2016年05月13日

吉本(吉本隆明)さんと埴谷雄高

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 私は何と言いましても、吉本(吉本隆明)さんを尊敬崇拝しています。そして実は埴谷雄高も好きでした。吉本(吉本隆明)さんは著作はすべて読んでいます。埴谷雄高は、数々の評論集はすべてもっていましたし、「死靈」もすべてもっていました。だが二人の間で論争があったときに、私はその埴谷雄高の本をすべてを棄てました。ただし、「死靈」そのものは、ここで画像であげた1巻だけは今ももっています。どこかにあるはずです。16051201
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 私は、この吉本(吉本隆明)さんと埴谷雄高のことで話した相手は4人います。みな埴谷雄高をほめて吉本(吉本隆明)さんを貶しました。でも私が「死靈」の中身を詳しく話していくと、その4人全員が褒めている埴谷雄高もその「死靈」も少しも読んでいないのだ(ほかの埴谷雄高の本も少しも読んでいない)ということがわかったものです。16051204
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2014年08月21日

「周の掲示板」にありましたUPです

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 昨日の15時代に私の「周の掲示板」に次のUPがありました。

回覧板です 投稿者:長崎より西村ですメール。 投稿日:2014年 8月20日(水)15時51分59秒。

 以下それをUPします。ただコピーするだけです。

 思い立って回覧板をこしらえました。ネット上を配って回っています。
長文、失礼します。読んでいただきたく、ここに置いて帰ります。14081207
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 回覧板 ,錣燭靴蓮¬棆爾劼箸蠅燭燭っています―昼寝のすすめ

 わたしは、新たな社会状況になっても未だ存在している右とか左にも関わりなく、また、いろんな社会運動とも無縁に生きてきた、おそらく普通のこの列島の住民の一人です。一方で、日々のあわいに、いま・ここに生きる自分を照らすためにもこの列島の住民が遠い果てからどのような歩みをなしてきたのか、ということに深い関心を持ち、考え続けてもいます。吉本さんの「消費資本主義社会」の分析を何度か読んでいたことをきっかけに、最近ふと思いついて、考え実行していることを書いてみます。

 戦争による無数の死者たちの存在や敗戦後の大多数のこの列島の住民の戦争に対する内省などからくる無意識的な意志を、制定の経緯がどうであれ、汲み上げかたち成した憲法9条の非戦の意志が、しだいにひびが入り、さらに現政権の巧妙にすり抜けようとする「集団的自衛権」という無思慮と横暴によって本格的に無に帰す事態に当面しています。このことは敗戦後のこの列島の住民の歩みの総否定に当たると思います。また、経済や教育などに対する施策も古びた亡霊のような観念を拠り所に、社会にくさびを入れようとしています。これは、逆から言うと、戦争期は遠い時代になってしまいましたが、政治層もわたしたち一般住民も戦争の内省から戦争はいやだという気分的なものではない、自覚的な意志の形成をなし得なかったということになります。わたしたちの生活世界の理想は、平凡につつましくゆったりと生活することにあると思っています。これ以外に大切なことはありません。現在の政治の動向は、そういう理想を大きく揺さぶるものであり、見過ごしたり、聞き流したりできるような事態だとは思えません。
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 敗戦後の経済に力を注いできた歩みは、現在のような割と豊かな社会をもたらし、消費中心の電子網で結びつけられた高度な社会を築き上げました。インターネットを含む電子網の普及は、世界の距離感を縮め、現在の複雑で高度な社会があたかも王や天皇などが現れる以前の割と平等な集落レベルの世界を仮想的に現出させていると思われます。このことは、後に述べる吉本(吉本隆明)さんの現在の社会分析と併せると、人類の歴史は、遙かな昔から住民が巻きこまれる形で、あるいは積極的に加わる形で隣の集落とのいさかいから他国との戦争に至るまで幾多の戦争を経てきて、今なお戦争をくり返しているわけですが、わたしたち集落の住民の生活にとって不本意なことを集落の代表層が行おうとすれば拒否権を発動できるという可能性が転がり込んできていることを意味しています。もともと、集落の代表層は集落の住民の幸福のため存在するはずですが、世界中どこでも王や将軍などを生みだし、転倒された歴史をたどってきました。現在の政治や行政の有り様と同じく、太古においても単に住民の代表に過ぎない組織が恣意的な権力を行使する芽生えはあったはずです。この連綿と続いてきた負の組織性を人類が手放せない限り、わたしたち普通の住民の内省と意志表示は必須のものと思います。

 近代のすぐれた思想家である柳田国男は、集落に保存された習俗や言葉を中心にしてこの列島の住民の心性や住民たちの組織性の原理の古層を探り当てようとしました。例えば、この列島の至る所に互いに矛盾するような同じような伝説が存在するのはなぜかと問いを起こして、それは例えば小野小町伝説であれば、説話を持ち運んだ語りの者が自分が見た聞いた、あるいは小野小町になりきって語るなど一人称形式で語った、そのことから素朴な村々の聴衆は語り手と小野小町を同一化することになり、列島各地に同じような小野小町の塚や伝説が残されることになったと分析しています。その背景には、この列島の住民の次のような心性があったと述べています。
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 我々の愛する里人は、終始変せず御名などには頓着なしに、尊き現人神(あらひとがみ)来たってこの民を助け恵みたもうと信じ、すなわちこれを疑う者を斥(しりぞ)け憎んで、ついにかくのごとき旧伝を固定したのである。それが大切なる村々の神道であった。そうしてまた多くの不可解なる伝説の根原であったように思う。
  (『史料としての伝説』 P325 柳田国男全集4 ちくま文庫)

 つまり、「御名などには頓着なしに」ということは、「尊き神」ならなんでもかまわず伝説としてくっつけてしまう。おそらくこれはこの列島の太古の住民が長い長い自然の猛威と慈愛の中で身に着けて来た自然に対する対処の心性が、人間界の関係においても同様に発動されてきたものと思われます。柳田国男はなつかしさと愛情を込めて描いていますが、これは生活世界のわたしたちが今なお引き継いでいるあなた任せの負の心性であると思います。生活世界のわたしたちが過剰に政治を遠ざけたり、過剰に政治にからめ取られたりすることはそこから来ているはずです。わたしたちこの列島の住民は、必要で大切な自己主張に依然としてあまり馴染んでいません。

 自分がおかしいと思うことが、わたしたちの生活世界を離れたところで成されています。しかも、それらはわたしたちの生活世界に跳ね返って来ます。遠いはじまりにおいて、行政的なものや宗教組織は本来は集落の問題を解決するものとしてあったろうと思われます。蜜に群がる蜂のような政党や政治家たちが多いように見える中で、わたしたちの意志を行使できる主要な手段は、間接的な不毛に感じられる選挙権しかありません。わたしもまた、あの負の心性に捕らわれそうになることがあります。

 ところで、今は亡き吉本さんがわたしたちへの無償のおくりもののように、必死で現在の社会を実験化学者の手付きで分析した言葉があります。

 つまり、収入に対して総支出が五〇%を超えている。それから総支出のうちで選んで使える消費、だから自由に使える消費です。つまり選んで使える消費はまた、今申し上げましたとおり、五一・一から六十四%の範囲内で、半分を超しています。これは消費社会、あるいは消費資本主義といってもいいのですが、消費資本主義の大きな特徴になるわけです。
 つまり、この二つの条件があれば、その社会は消費資本主義社会に突入しているといっていいと思います。そうすると、何はともあれ、消費のほう、特に選んで使える消費を含むと、自由度が入ってくるわけです。つまり、消費のほうに重点が移ってしまっている社会ということになります。
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 私は全く極端なことを言いますけれども、今言いましたように、それぞれの給料によって五一%から六十四%の範囲内で選んで使える消費になっているわけですから、例えばそれを皆さんのほうで選んで使える消費だけ、半期なら半期、一年なら一年使わなければ、大体どんな政府もつぶれてしまうのではないでしょうか。つまりそれに耐えられないのではないでしょうか。半分以下の経済規模になってしまうわけですから、ちょっとそれに耐える政府は考えられない。ですから、そういう意味合いでは経済的なリコール権を潜在的には持っているというのは、消費資本主義社会に突入した、つまり世界の先進地域の資本主義はそこに突入してしまっていますから、それはいってみれば一般大衆の中に政府をリコールする権利が既に移ってしまっているということ。経済的にいえばもう移ってしまっているということを意味すると、私はそういうふうに主張しています。だから、あとは政治的なリコール権に書き換えればいいと私は思います。それが政治的課題だと思います。 (「現代(いま)という時代」1995年 P17-P18 『吉本隆明資料集135』)

 付け加えれば、国の行政組織もわたしたちの家計消費の重要性に触れています。現在は月毎の家計消費動向が発表されていますが、上から目線で大いに一喜一憂しているのではないかと思います。

● 経済社会活動の中で大きなウエイトを占める消費活動

経済社会活動の中で、消費活動は非常に大きなウエイトを占めています。消費者が支出する消費額の総額は、2011年度は279兆円で、経済全体(国内総生産(GDP)=470兆円)の約6割を占めています。消費者の消費活動は、我が国の経済社会全体に大きな影響を及ぼすことになります。したがって、経済の持続的な発展のためには、消費者が安心して消費活動を営める市場を構築することが重要です。
 (「消費者問題及び消費者政策に関する報告(2009〜2011年度)」消費者庁ホームページより)
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 柳田国男の民俗学という方法には、旧来の貴族や武家などの政治層中心の歴史観とは異質な、名も無き大多数の生活者の世界に錘鉛(すいえん)を下ろしその精神史を明らかにしようとした、この国の思想史においては画期的なものが秘められています。それはわたしたち万人に開かれた可能性を持っています。誰もが視線を巡らせることのない場所に視線を届かせた吉本さんの考察も、同じように万人に開かれた言葉だと思われます。流れてくるのは、相変わらず経済・政治など上から目線の、自分の場所に都合のいいような言説ばかりですが、何がわたしたちの生活の現在において本質的な問題であるか、この波風立つ世界で日々生活する自分を開いて、静かに思いめぐらすことが大切だと思っています。

 現在の社会は文明史的にもいろんな新たな事態をもたらしています。急速に普及してきているインターネットなどの電子網もそのひとつです。この電子網は、「東日本大震災」による被災住民の支援プロジェクトの形成にも活用されています。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」代表である西條剛央さん及び多数のスタッフは、インターネットなどの電子網を活用することによって行政の支援とは異質な、小回りのきく、多数の支援者・被支援者とが関わり合う流れを形成しました。インターネットなどの電子網という仮想の世界を仲立ちとして現実的な多くの力を束ねることができたのだと思います。ネットにホームページも設けられています。
 (『人を助けるすんごい仕組み――ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか 』西條剛央 ダイヤモンド社 2012年)

 まず、わたしたちひとり一人が、この距離感が縮まって太古の集落レベルのような仮象を示す新しい社会の状況を認識し自覚することが大切だと思います。そこからひとり一人の社会や政治に対する批判という意味では無意識的な、生活防衛的な消費を控えるという消費行動は、自覚的な過程に入り込み、ひとり一人の力が手を重ねるように束ねられていけば巨きな力になり得るはずです。目下わたしは一人、実験に入り込みました。

 外に出かけて消費することなく家で昼寝していてわたしたちの意志を表現することができるなんて、なんと痛快なことだろう、と驚いています。まだこれはおそらく誰も意識的に実行したことがありませんから、ひとつの実験と言えるかもしれません。このあらたな社会の有り様に対応して、このわたしたちの経済的な力の行使には、旧来的な組織性、主催者や代表がいてそれに参加するなど、そういうことがここにおいては無用であり、この列島の住民が、ひとり一人外に出かけて消費することなく家でゆったりと昼寝していてわたしたちの意志を直接的に表現することができます。また職業や地位などまったく関わりなくこの列島の住民ひとり一人が平等に持てる力を発揮できます。

 目下わたしは、現政権に退場してもらうために、選択消費(娯楽費など)をできるだけ控えて半年か一年先に先送りしています。食費などの必需消費も以前にも増して意識的に抑えています。家計の状況は人それぞれでしょう。わたしもそんなに余裕はありません。しかし、使うお金が同額でも、無意識的な生活防衛の切り詰めとノウという自覚的な切り詰めとは大いに違います。

 吉本さんが指摘したように、GDPの過半を占める、このわたしたちの消費が、社会の経済的な心臓部にまちがいないと思われます。わたしたちの経済的な力の行使によって、負の「トリクルダウン」で、もちろんわたしたち生活者にも悪影響は下っては来るでしょう。しかし、わたしたちの日々の生活やそれを取り巻くものの有り様に対して、なにが本質的な理想であるかは、しっかり握りしめ、それを守るために意志表示をしていきたいものだと思います。わたしたちの代表に過ぎない政府が、こちらではなくあっち向いた経済政策や政治を行い、わたしたちの生活世界に害悪をもたらすような、その権力を恣意的に行使するのを、わたしたちがいつでもリコールする可能性を手にしているのですから。

 もしこの列島の一住民であるわたしが作った回覧板に賛同されたら、この回覧板を、あるいはこの回覧板に自分のコメントを付けて、あるいはまた、みなさんのもっとやさしい柔らかな言葉で新たに作られた回覧板を、お金は入ってくることはありませんがネズミ講のようにこの電子網を利用して回覧したらいいのではないかと思います。わたしたちの力を十分に束ねることができないとしても、わたしたちが知らない間に大きな経済的な力を持たされてしまったというこの社会の新たな事態を、現在のような政治・社会状況においては特に、この列島の住民ひとり一人が自覚することはとても大切なことだと思います。

 昼寝の夢の中で、この社会がもたらしたいろんな可能性を想像するのは楽しいことです。わたしにはそこまでの余裕や力量はありませんが、ネットに中継地を作って交流したりなどさまざまな自由な意志の表現が可能ではないかと考えます。それぞれがそれぞれのやり方で表現すればいいのだと思います。

                この列島の一住民より (2014.8.14)

 追記
 とりあえず、臨時のブログ「回覧板」( http://blog.goo.ne.jp/okdream01 )を開きました。そこに回覧板などを置きます。わたしはfacebookやツィターなどのSNSを使っていませんが、わたしより若い世代の人たちがそれらを柔軟に使って、わたしたち住民のつながりの糸を形作ってもらえたらな、と願っています。


 私は西村さんがこうして書き込んでくれて嬉しいです。ただ私はよく分かっていないので、なかなか理解するのが大変です。
 とにかく、西村さんが書かれた以下が私にはかろうじて他でも読んだなあ、ということを感じられました。

今は亡き吉本さんがわたしたちへの無償のおくりもののように、必死で現在の社会を実験化学者の手付きで分析した言葉があります。
 つまり、収入に対して総支出が五〇%を超えている。それから総支出のうちで選んで使える消費、だから自由に使える消費です。つまり選んで使える消費はまた、今申し上げましたとおり、五一・一から六十四%の範囲内で、半分を超しています。これは消費社会、あるいは消費資本主義といってもいいのですが、消費資本主義の大きな特徴になるわけです。
 つまり、この二つの条件があれば、その社会は消費資本主義社会に突入しているといっていいと思います。そうすると、何はともあれ、消費のほう、特に選んで使える消費を含むと、自由度が入ってくるわけです。つまり、消費のほうに重点が移ってしまっている社会ということになります。
 私は全く極端なことを言いますけれども、今言いましたように、それぞれの給料によって五一%から六十四%の範囲内で選んで使える消費になっているわけですから、例えばそれを皆さんのほうで選んで使える消費だけ、半期なら半期、一年なら一年使わなければ、大体どんな政府もつぶれてしまうのではないでしょうか。つまりそれに耐えられないのではないでしょうか。半分以下の経済規模になってしまうわけですから、ちょっとそれに耐える政府は考えられない。ですから、そういう意味合いでは経済的なリコール権を潜在的には持っているというのは、消費資本主義社会に突入した、つまり世界の先進地域の資本主義はそこに突入してしまっていますから、それはいってみれば一般大衆の中に政府をリコールする権利が既に移ってしまっているということ。経済的にいえばもう移ってしまっているということを意味すると、私はそういうふうに主張しています。だから、あとは政治的なリコール権に書き換えればいいと私は思います。それが政治的課題だと思います。 (「現代(いま)という時代」1995年 P17-P18 『吉本隆明資料集135』)
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 付け加えれば、国の行政組織もわたしたちの家計消費の重要性に触れています。現在は月毎の家計消費動向が発表されていますが、上から目線で大いに一喜一憂しているのではないかと思います。

● 経済社会活動の中で大きなウエイトを占める消費活動
経済社会活動の中で、消費活動は非常に大きなウエイトを占めています。消費者が支出する消費額の総額は、2011年度は279兆円で、経済全体(国内総生産(GDP)=470兆円)の約6割を占めています。消費者の消費活動は、我が国の経済社会全体に大きな影響を及ぼすことになります。したがって、経済の持続的な発展のためには、消費者が安心して消費活動を営める市場を構築することが重要です。
 (「消費者問題及び消費者政策に関する報告(2009〜2011年度)」消費者庁ホームページより)


 この吉本(吉本隆明)さんのこの言葉、文章だけで嬉しいのです。
 こうして改めて読んで実に嬉しく、また自分で勉強できていることを感じています。
 また何度も読み直していきます。



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2014年08月14日

『「書き言葉」と「話し言葉」』のことで の4

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 私はこの「3」で、以下のように書きました。

紫式部や清少納言や更級日記の少女はこれに気が付いていたでしょうが、それを言ってはくれませんでした。「書き言葉」では言ってくれませんでした。

 これはいわば仕方なかったのです。そもそも「!」 ◆屐?」◆◆屐ΑΑ」は二葉亭四迷でも書いていません(『小説総論』では書いていません)。それは仕方なかったのです。
 だから今こそ書くのです。紫式部では言わなかったこと(私は紫式部よりも清少納言のほうが好きですが)を今こそ「書き言葉」で言うべきなのです。
 この『「!」 ◆屐?」◆◆屐ΑΑ」』のことは、今日本語だから言えることです。いや英語等の言語でも言えないと明確なる言語理論とはいえないでしょうが、でも私からの言い訳としては、今になっても明確に『吉本隆明「言語にとって美とはなにか」』が他言語に翻訳されていない現状(フランス語には翻訳されているようですが)では、私には「仕方ない」としかいえないのです。
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 それが私からの言い訳です。


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『「書き言葉」と「話し言葉」』のことで の3

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 これで「2」を書いていて、また読み直していて気が付きました。

「『てっ!』て言うんずら」
「てっ!?」
「てっ・・?」

の3つでは、それが「書き言葉」では、「!」 ◆屐?」◆◆屐ΑΑ」が違います。たぶん「話し言葉」では、音(おん)が違うのでしょうが、「書き言葉」では、これが明確に違うのです。
 これは大きなことです。
 たぶん、平安時代に紫式部や清少納言や更級日記の少女はこれに気が付いていたでしょうが、それを言ってはくれませんでした。「書き言葉」では言ってくれませんでした。『「書き言葉」と「話し言葉」』ということで、言ってくれたのは吉本(吉本隆明)さんが始めてのことです。
 ただ私には、吉本(吉本隆明)さんもこれを明確に言い切ってくれなかったと思います。私には英語をはじめとする欧文でもこれに気がついていないと思います。
 これが今私には大切なことに思えています。


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2014年08月12日

『「書き言葉」と「話し言葉」』のことで の2

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 懸命に考えました。そしてここのサイドバーの人気記事(画像付)で、これが一位になるとますます考えました。そして気がつきました。

「『てっ!』て言うんずら」
「てっ!?」
「てっ・・?」

 これは「話し言葉」では、「てっ」なのですが、´↓では、大きく違うのです。「!」と「!?」と「・・?」が違うのです。
 まさしくこれが「書き言葉」なのです。「話し言葉」では同じ音(おん)で聞こえていますが、 「書き言葉」では明確に違うのです。
 このことが大事なことですね。


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2014年08月02日

『「書き言葉」と「話し言葉」』のことで

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 私は前に以下のように書いていました。

 吉本さんについては、私は『「書き言葉」と「話し言葉」』ということで、ずっと書き言葉の人であるという認識でした。私は今も、彼の語る言葉も、その基調はやはり「書き言葉」であると思っています。

 ところが、「花子とアン」2014.08.01にあったマンガなのですが、これには

ある少女「てっ て何ですか?」
花子「甲府の訛りだ 甲府では昔からビックリした時 『てっ!』て言うんずら」
少女「へぇ じゃあすごくびっくりした時は?」
花子「てっ!?」
少女「ものすごーく びっくりした時は?」
花子「てっ・・?」
少女「増えねんだぁ」
花子「? ふえる?」

とあります。
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 これを見て思ったものなのです。これは「書き言葉」では、同じ『てっ!』なのですが「話し言葉」では違うものなのではないでしょうか。たぶん,茲雖△筬は大きく違うものなのです。でもこうして「書き言葉」で表現すると、その違いは明確に認識できません。
 私は今まで「話し言葉」より「書き言葉」のほうが上位の概念であると思ってきました。吉本(吉本隆明)さんはそんなことは言っていないのですが、私はそう思い込んできていました。だがこのマンガで書いてあるように、書き言葉ではそれを表現できていないのです。私は「話し言葉」というと、落語家が喋っていることを想像してきました。でもそれでは私が明確に理解できていないのです。14071613
 ここで私は『「書き言葉」と「話し言葉」』のことを少し理解できたのかなあ。そしてそのことを「書き言葉」で表現しないとならないのです。
 そのことを明確にやっていくつもりです。



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2013年05月20日

「吉本隆明『共同幻想論』を語る」のCD-ROM版のことで

 私が「吉本隆明『共同幻想論』を語る」のCD-ROM版で書いたのですが、これはインターネット上では、genso3

  http://www.kinjo-u.ac.jp/nakata/multimedia_6.htmlマルチメディア作品 吉本隆明「共同幻想論」を語る

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で画像は見られます。





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でもここに

注意:ご購入希望の方にお詫びします。現在、このCD-ROMは販売を終了しております。申し訳ありません。

とあるように、もう販売はしていないのです。それで私は大変に苦労しているのです。私の部屋内にあるはずだといいましても、いくつものダンボールを開けるのは実に大変です。なんとか、手に入らないかとおもっているところなのです。
 私の部屋を探すのには、莫大な時間がかかるでしょう。そして開けて見ていくうちに、その個々のところで、また本の一つひとつに夢中になってしまう私を予想できます。



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「吉本隆明『共同幻想論』を語る」のCD-ROM版

13051909 私の友人が、「吉本隆明『共同幻想論』を語る」を貸してほしいと言ったのは、本のほうではなく、CD-ROMのほうだったのですね。私は本だとばかり思って、でもみつかりませんから、インターネットで手に入れたものです。
 でもこの私の部屋の中にはあるはずなのですが、このCD-ROM版もどこに置いてあるのさっぱり分かりません。
 インターネットで見ましたら、Wikiに以下がありました。

吉本隆明『共同幻想論』を語る
 このCD−ROMに関しては、かなりな思い出があります。私は、これの発売をなにかのパソコン雑誌の記事で知りました。それでもう発売になっているはずだからと、真っ先に神保町「三省堂」へ行きました。
 ところがどこにもおいてありません。店員に雑誌名をあげて、その雑誌を見ながら聞いてもおいてないようです。ほかの本屋にもありません。発売元の名古屋の会社に電話しました。そうすると書店ではなくて、パソコンショップに置かれているといいます。それならと、秋葉原へ走ります。ラオックスとティーゾーンへ行って店員に雑誌のそのページをさして聞きます。だが両店ともに調べてもらいましたが店内には置いてないといいます。途方にくれてしまった私はまた発売元へ電話します。「一体今東京ではどこへ行ったら、私はこのCD−ROMを手に入れられるのだ!」。結局は、どこにも置いてないということが判り、私はすぐさま振り込むから、郵送してくれと頼みました。私は少し怒っていました。ついでに、「吉本さんのファンというのはたくさんいるのだから、書店に置かなければ何もならないよ」と伝えました。すぐに私のもとへは送られてきましたが、数日後、三省堂で、まったく私と同じ質問をしているおじさんを見かけました。その方も雑誌の記事を指さしていました。
 ところで、このCD−ROMは実際に吉本さんの「共同幻想論」に関する考えが、実際の声で聞くことができます。私はいつも持って歩いているノートパソコンにこのCD−ROMそのものをまるごと入れてしまい、あちこちの飲み屋で披露しています。パソコンから「吉本さんの声」こそが聞こえてくるということに感激している私なのですが、飲み屋のみなさんは、あんな小さなパソコンから声が聞こえることのほうが不思儀なようです。

 これは私の書いたものですが、私の友人がかなり前に書き込んだものです。だから私は本もCD−ROMももっているのですね。でも私では探しようがないのです。
 今日すべて探してみようかなあ、と思いましたが、でもどうなのでしょうね。あまりの雑然サに13051910嫌にもなるのです。
 このノートパソコンも今はここにはないのですね。いや私の今のノートにはないのです。どうしても本をのみ考えてしまう私です。
 そして私の書いている中の私の言った言葉に、つくづく自分が嫌になってしまつている私です。



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2012年09月09日

吉本(吉本隆明)さんに関する著書

12090907 私の『「読み言葉」のことで』にYAGURUMAさんから以下のコメントがありました。

1. Posted by YAGURUMA   2012年09月07日 10:01
 久しぶりにコメントさせていただきます。以前、青色発光ダイオードの事や、古田史学について以来です。
 "12年7月20日に松崎之貞著『「語る人」吉本隆明の一念』が出版されました。1998年前後から<語る人>に転身した吉本さんと著者との語りが明かされています。公けには誤解を恐れ言えなかった、本音やエピソードが記された得難い、晩年の回想です。『言語にとって美とはなにか』の基調となった三浦つとむについても触れられていますので是非一読ください。

 吉本さんについては、私は『「書き言葉」と「話し言葉」』ということで、ずっと書き言葉の人であるという認識でした。私は今も、彼の語る言葉も、その基調はやはり「書き言葉」であると思っています。
 私はそれでこのごろは、さらに「読み言葉」ということを思うものなのです。そこで、この「松崎之貞著『「語る人」吉本隆明の一念』」も読みたくなりました。いつもは東京駅の「八重洲ブックセンター」(ここのサイドバーにも置いてあります)まで買いにいくか、インターネットで注文してしまいますが、この本はどうしましょうかね。
 とにかく手に入れまして、読みまして、またその読んだ読後感をここに書かせていただきます。
 今は誰にも言っているのですが、YAGURUMAさんもぜひとも、インターネット上にブログなりを置いていただき、そこに、自分の思いや、読んだ本のことを書いていただきたいと思います。これは大事なことだと思いますよ。



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2012年08月15日

「読み言葉」のことで

12081507私の昔のサイトにいくつも「掲示板」がありました』に目森一喜さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年08月14日 20:19
「読み言葉」は解釈学になるのでしょうか、言語論では喩(直喩、比喩、換喩、提喩とかですね)の問題かな。
 言語学で解釈が問題になるのは、聖書で神が喩で語るからです。聖書にこうあるのが、これはこのように解釈するとか、いや、こう解釈せねばならないはずだとか、色々と大変な世界がありますね。

 吉本(吉本隆明)さんに「喩としてのマルコ伝」という著書があります。といいましても、私には今その本が取り出せないのですが。
 マタイ伝はこの私もいつも何度も読んでいます。吉本さんの「マチウ書試論」(マチウ書とはマタイ伝のフランス語読み)を読んでから、文語訳マタイ伝そのものを何度も読むようになりました。インターネットでも読めますし、文語訳は一つしかないので、いいのです。 ところが仏典などですと、道元がいけないのだと思いますが、全然分からないのです。岩波の「日本思想大系」の最初の配本が「道元」でした。だけど『正法眼蔵』なんていくら読んだまねしても読むふりしても分からないよ。
12081508 私が前に住んでいた我孫子にもよく歩く谷中にも、曹洞宗のお寺が多いように思います。私の両親のお墓のある正泉寺もそうなのです。
 私がよくいうのですが、哲学者としては道元が上だったかもしれないけれど、宗教家としては栄西のほうが1段も2段も上だと私は思います。
 でもでも、もう私は曹洞宗の寺を歩いても、もうなんだか良くなったな。仏教なんて、小難しくて嫌な思いでしたし、道元なんて難しくていやでしたが、もうどうでもいいなあ。「文語訳聖書」はいつも読んでいていいのですが、もうこの聖書は真面目で嫌にもなります。
 道元なんか、私には少しも好きになれないから、いいのかもしれないな。私が本来好きであるはずの神道よりも、一見面倒な曹洞宗でもいいなあ、なんて思うようになりました。
 義母の葬儀のあと、牧師さんとお話したのですが、今のキリスト教って、一番日本的な気がしますね。あの「文語訳聖書」は日本そのものな気がします。
聖書で神が喩で語るから」でいいのですが、私は自分の墓はもうどこか曹洞宗のお寺でもいいなあ。私の父があそこを墓に選んだのが分かるような気になりました。12081509

 私はまだ「読み言葉」を極めて行きます。このことで、私は本を読むことが再びできるようになったものなのです。
「書き言葉」も極めて行きます。私がどうにも苦手なのかもしれない「話し言葉」もやって行きます。



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2012年08月01日

「Kototoi」第2号受け取りました

12080119 先ほど郵便受けに入っていました。
 まだ「吉本隆明『固有値としての自分のために』第二回」を読んでいませんが、また読みましたら、何かを書きます。
 この雑誌を正面から撮りました。あまりうまくないのですが、なんせ私は素人ですから。


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2012年04月02日

「日経本日の最終面に吉本隆明さんの記事」に大澤高蔵さんからのコメント

12040107 私の「日経本日の最終面に吉本隆明さんの記事」に大澤高蔵さんからの以下のコメントがありました。

2. Posted by 大澤 高蔵   2012年03月28日 14:28
萩原さん
ありがとう。
吉本さんの記事、私も読みたかった。
改めて、貴方のマメなフォローに感謝です。

復興景気に沸く仙台、気仙沼他を尻目に、いわき・小名浜はジェイビレッジに近づくほど、ひどい空気になっています。
ジェイビレッジで働く人々や、広野町の町役場の若者の持って行きようのない「思い」を反原発派の心ある人に理解してほしいですね。
貴方のことだから、もう行っているかもしれませんが、ぜひ、いわき・小名浜を訪ねてください。亡くなった方々のご冥福を祈って、詩吟を捧げてあげてください。
塩屋岬の周辺は津波の被害がそのままで、ただただ涙でありました。
花がぽつんと活けてあり、思い出すと今でもいけません。辛いです。
しかし、スパリゾートハワイヤンやテントではありましたが、「道の駅」では地元で採れた菜の花やレモンなど売っていました。たくさん、買って帰り、おいしく食べました。しかし、「風評被害」は本当にひどく、みなさん本当に抑制の良く効いた話し方をされていました。
私も妻が面倒みている半身不随の「ウサギ」(レン君)のために毎朝、タンポポを取りに行くのが、2011.2月からの日課でした。
それと、一人住まいの母の介護で、震災以降、精神的にだいぶ、助かりました。
亡くなった吉本さんの言うように、身近の自分ができることを一つづつやって行くこと、それが大切なこと。生きる勇気をもらうことと、思いました。
残念ながら、レン君は、今年の二月の下旬になくなりました。不随になって、一年と15日くらいかな?(お医者さんは奇跡的だといってくれました。)
でも、本当に壊れかかった私達を助けてくれたと、感謝しています。
こうして、貴方のブログを全く久しぶりに見て、故吉本さんも同じ思いだったのかと不遜ながら感じ、ついコメントをしました。
ありがとうございました。
大澤高蔵

 大澤さん、ありがとうございます。
 私は震災の被害地には行っていないのです。行く気持はあったのですが、どうしてもその機会がありませんでした。
 私はですね、昔の左翼過激派の仲間の前で詩吟をやったことはいくつもあり、今もやります。昔は実際の左翼の中でもやりましたが、それは私の埼玉大学の左翼の中であり(党派はいろいろいましたが)、いわゆる他大学の人も大勢いると、どうしてかそのマイクが切られたりすることがあり(詩吟というのは右翼だとみなす阿呆もいるようです)、もうやりたくありません。本当に昔の左翼は阿呆が多いですよ。私の大学の左翼仲間はまともです。
 左翼でも唐牛健太郎さんや島成郎さんの前でも詩吟をやったことがありますが、彼らは実にまともな人でした。そして私を優しくみてくれたいました。ただ、今はどうしても「西郷南洲『弔亡友月照』」を詠うことが多くなりました。亡くなってしまった方ばかりですものね。なんだか悲しい思いばかりです。
 今後も、昔の馬鹿な阿呆な左翼とは付き合いたくありません。

 私も義母の介護を今のこの家でしていたわけですが、最後は介護施設に入れまして、もう妻に任せっぱなしでした。
 そのときのことは、以下に書いてあります。

  わが家のおかあさん うちのおかあさん

 この義母の遺骨を神戸三宮のお墓に埋葬しに行きます。義父と同じお墓にこの4月か5月に入れるつもりです。私の母の遺骨も父と同じお墓に入れました。今年も命日にいくつもりでおります。

 うさぎのレン君のこと、随分長くみていられたのですね。読んでいまして、涙がながれ、そしてレン君に、「でも良かったよね」と呼びかけました。
 吉本(吉本隆明)さんに関して、今もどうでもいいことをいう阿呆がして、実に情けないです。でもとにかく、私は今後もまともに力強く生きていくんだと決意しております。



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2012年03月18日

「ハルノ宵子『緑の呪文』」にコメントがありました

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2016120506

12031703  私のハルノ宵子『緑の呪文』にたつきさんという方から、次のコメントがありました。

はじめまして。
吉本隆明が亡くなってついハルノ宵子さん関係の検索をしていたらこちらに辿りつきました。
それにしても吉本隆明の娘さんでも、ばななの方ではなくハルノ宵子さんを存知とは驚きです。
あの方はマンガ同人界の方では高名でしたが、寡作なせいもあってかあまり知られていないのですよね。
でも、読んでいる人はきちんと読んでいるんだ、とわかって安心いたしました。
私もあの人の独特の世界観と、不思議な絵とに一目ぼれをしたものです。
2000年代に入ってはほぼ仕事をしていないようですが、早くまたハルノ宵子さんの感覚に触れてみたいものです。
ところで、母の影響で私も短歌をやっているのですが、吉本隆明に短歌に触れている本があったのですね。
先日、母が友人に「短歌と和歌の違いはなにか」と聞かれていました。母は「子規以前と以後だ」とかごまかしていましたが、本当はどうなのでしょう。
さっそく、ハルノ宵子さんのお父さんの本を読んでみたいと思います。
それでは、突然にしつれいしました。

 ありがとうございます。
 ハルノ宵子さんは、作品のことではなく、少し私がお会いしたときのことを記します。
 60年安保全学連島成郎(しましげお、全学連書記長、なおこのときはブンドが主導)さんが亡くなられたときに、私は言われるまま、会場の警備係をやっていました(私は何故か島成郎さんも、その奥様もどうしてか親しかったのです)。そのときに、吉本さんがおいでになったのです。割と小さな車に乗られて、私はその車に乗っていたハルノ宵子さんに、すぐに「ハルノ宵子さんですね」と御挨拶しました(車を運転されていたのが、宵子さんの彼氏かなあ、なんて思っていたものです)。吉本さんは、すぐに帰られました。思えば、あんな時があったのでしたね。そののちにも島さんの奥さまからはいつも丁寧に挨拶されています(いや吉本さんの奥さま和子さんにもいくつもの思いがあります。ただただ「ありがとう」なのです)。
 ハルノ宵子さんの漫画は、出版されている限りはすべて読みました(もちろんばななさんの作品も同じです)。今後も読むつもりでいますが、今後はどうなるのかなあ。

「短歌と和歌の違いはなにか」ということですが、私には苦手な思いしかないので、「分からない」というのが正直なところです。ただ、お母様の言われている「子規以前と以後だ」というのが、けっこういい言葉ではないかと思うのですね。和歌とは、その中に長歌、短歌、旋頭歌、あと一つあったようですが、そういうふうにあって、近代でも私の好きな長塚節は長歌をけっこう書かれています。長塚節は、「土」を書かれていまして、それが夏目漱石に誉められていまして、でも「これは漱石がいけないよな。やたら誉めちゃうからな」なんて思うのですね。漱石に誉められた幾人もが私にはとても可哀想になります。
 それが私には正岡子規にも感じられるのですね。正岡子規がいいました万葉調、古今調のことなんか、私は実に腹がたつのですね。
 でも、このことで、私は先ほど書いていた私の「吉本隆明鈔集」の二日先(私はいつも二日先まで自分のパソコンには書いています)で、偶然このことが書かれていました。
それをここに載せます。私が苦労して考え載せるよりもいいでしょう。

吉本隆明鈔集405「現在の俳句と短歌の違い」

 現在の俳句と短歌の違いをいえば、やはり俳句のほうが様式として新しく、ひとりでにモダンな要素を醸し出す表現であるといえるのではないか。同じ作家が短歌も俳句もつくるとすると、短歌のほうがどうしても古いと感じられる。
 今、俳句を詠む人が短歌に比べて多いのは、より短いために入りやすいということもあるが、俳句のほうがモダンな感覚を盛り込みやすく、現在の感性でも容易に入っていけるのだと思う。
(「現代日本の詩歌」『俳句という表現』2003.4.30 毎日新聞社)

 今テレビで見ていましても、五七五という俳句あるいは川柳の形式のほうがいくらでも書かれています。「季語」を入れなければ、「俳句」とはいえないのでしょうが、私はこうして、考えに考えていたところ(私はパソコンにではなく、常時持ち歩いている「ポメラ」で上の文を書いていました。いえ私はポメラだけでなく、IS01もガラパゴスも常時に腰のベルトのデューロカーゴに入れているのです。孫がいつもそれで遊びます)でしたが、でもこの吉本さんのがいいんだと、今気がついたものでした。



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2012年03月16日

吉本(吉本隆明)さんが亡くなりました の2

12031602 やっぱり私は、涙を浮かべています。その後いくつものニュースを読みました。

吉本隆明さんの次女・よしもとばなな「最高のお父さんでした」(スポーツ報知)
吉本隆明さん死去:大衆に寄り添った巨星 「現在」問い続け、全共闘世代の「教祖」(毎日新聞)
吉本隆明さん死去:晩年まで独自の思考を重ねる(毎日新聞)
よしもとばななさん、父・吉本隆明さんとの最後の会話をTwitterに投稿(アメーバニュース)
思想家・詩人の吉本隆明が死去、戦後日本の思想界を牽引(CINRA.NETニュース)
吉本隆明さん死去=戦後思想界に大きな影響−87歳(アパレルウェブニュース)
よしもとばなな 父吉本隆明氏死去「最高のお父さんでした」(デイリースポーツ)

  まだまだあるのですが、ここまでにします。

 この中で、アメーバニュースに書いてあったのが以下です。

吉本の次女である作家のよしもとばななは、自身のTwitterで「父は最後まですごくがんばりました。父が危篤なことを言えずつらい一ヶ月でした。一時はもちなおしたのですが」と経緯を明かし、「最後に話したとき『三途の川の手前までいったけど、ばななさんがいいタイミングで上からきてくれて、戻れました』と言ってくれました。もう一度、話したかったです」「最高のお父さんでした」と父への想いを綴っている。またユーザーに対しては「お父さんがまだいるかたは楽しい時を、そうでないかたは良い時を思い出してくださいね!」と呼びかけている。

 私は吉本(吉本隆明)さんの本はすべて読んでいるつもりです。よしもとばななさんの本も、ハルノ宵子さんの漫画もすべて読んできました。奥さまの和子さんに関して、私はインターネットで検索したら、次が出てきました。

   吉本隆明の愛した女、和子さん

 それでこれを読んでいて、「あれ、おかしいな。これは私の書いた文だ」と気がつきました。そうですね。これはたしか3年くらい前に、私が書いていた文章です。
 私も、二人の娘(もちろん、二人の娘の彼も)と、そして四人の孫を大事にしていきたいです。



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吉本(吉本隆明)さんが亡くなりました

12031502 私が部屋でパソコンに向かっているときに、妻がこのことを伝えてくれました。私は驚いてリビングでテレビを見ました。
 そして、部屋に戻りインターネットでいくつかの新聞記事を見ました。

吉本隆明さん死去 戦後の思想界担う(NHK)3月16日 5時20分
評論家の吉本隆明さん死去 戦後思想に大きな影響(朝日新聞)2012年3月16日6時0分
戦後思想に大きな影響、吉本隆明氏が死去(共同通信社)2012年3月16日6時0分
吉本隆明氏が死去 戦後思想に大きな影響(神戸新聞)(2012/03/16 05:27)

 いつかは、こうしたニュースがもたらされるとは思っておりましたが、その日が来てしまいました。87歳だったのですね。
 私はもういつでも吉本(吉本隆明)さんのいくつもの言葉を忘れたことはありません。私がこのごろあちこちで言うことの多い『「書き言葉」と「話し言葉」』も、もちろん吉本隆明さんの言葉です。私はこのことを最後に明確に書いていただきたかったなという思いです。
 でも、もうしばらくしましたら、私も大量の涙になることでしょう。今合掌しました。



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2012年02月11日

吉本隆明全著作(単行本)「わが転向」(1994.03.25)へ文化芸術 DVDさんからのコメンント へのさらにコメント

12021103 2月7日に、吉本隆明全著作(単行本)「わが転向」(1994.03.25)に、文化芸術 DVDさんから、さらに以下のコメントがありました。

1. Posted by 文化芸術 DVD   2012年02月07日 16:35
大阪大学経済学部に在籍中の者です。
2年までは、必履修科目で時間割が決められますので、好きな勉強はあまりできません。
3年から、幅広い講義を受ける事ができます。
ですので、特に学部を悩む事はないと思います。
実際、私は悩みましたが。(笑

 ええと前にもそうでしたが、「何をおっしゃりたいのか皆目分かりませんでした」ということは今回も同じです。要するに、私があまりよく分かっていないことの証左ですかね。
 私が学生であったときは、大昔ですね。私はとくに、大学関係の授業講義では面白いとは思わなかったもので、よく記憶がないし、思い出しもしません。ただ、大学の教官でも事務官でもお付き合いをした方は大勢いました。大学を去ってからも、けっこう付き合ったものでしたね。
 思い出せば、学部とは関係がなくお付き合いしたものでしたね。あ、大学とも関係がなく、違う大学の先生とも付き合ったものでした。



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2012年01月30日

「吉本隆明論集成」のログ記録

12012808 私が将門Webに書いていた「吉本隆明論集成」のログ記録を終えます。
 はじめの日付が、私がUPした日付です。

2011.12.13吉本隆明論集成『小林一喜「吉本隆明論」』
2011.12.14吉本隆明論集成『遠丸 立「吉本隆明論」』
2011.12.15吉本隆明論集成『宍戸修「拒絶の論理」』
2011.12.16吉本隆明論集成『小林一喜「増補改定版吉本隆明論」』
2011.12.17吉本隆明論集成『大堀精一「吉本隆明論(一)」』
2011.12.18吉本隆明論集成『白川正芳「吉本隆明論」』
2011.12.19吉本隆明論集成『北川透他「吉本隆明をどうとらえるか」』
2011.12.20吉本隆明論集成『磯田光一「吉本隆明論」』
2011.12.21吉本隆明論集成『遠丸 立「増補吉本隆明論」』
2011.12.22吉本隆明論集成『河野信子「日本思想家文庫1・吉本隆明論」』
2011.12.23吉本隆明論集成『中村文昭「吉本隆明」』
2011.12.24吉本隆明論集成『宍戸修「反逆と収奪の系譜」』
2011.12.25吉本隆明論集成『菅孝行「吉本隆明論」』
2011.12.26吉本隆明論集成『宮城 賢「吉本隆明──冬の詩人とその詩」』
2011.12.27吉本隆明論集成『岡井 隆「吉本隆明から斎藤茂吉」』
2011.12.28吉本隆明論集成『松岡俊吉「吉本隆明論『共同幻想論』ノート」』
2011.12.29吉本隆明論集成『上村武雄「吉本隆明手稿」』
2011.12.30吉本隆明論集成『久保 隆「吉本隆明ノート」』
2011.12.31吉本隆明論集成『神津 陽「吉本隆明試論 −<戦後>思想の超克」』
2012.01.01吉本隆明論集成『日本文学研究資料叢書「吉本隆明・江藤淳」』
2012.01.02吉本隆明論集成『「吉本隆明を<読む> 叢書・知の分水嶺1980'S」』
2012.01.03吉本隆明論集成『川端要壽「堕ちよ!さらば −吉本隆明と私−」』
2012.01.04吉本隆明論集成『吉田 裕「吉本隆明とブランショ」 』
2012.01.05吉本隆明論集成『鮎川信夫「吉本隆明論」』
2012.01.06吉本隆明論集成『川端要壽「堕ちよ!さらば 吉本隆明と私」』
2012.01.07吉本隆明論集成『鑑賞日本現代文学「埴谷雄高吉本隆明」』
2012.01.08吉本隆明論集成『月村敏行他「吉本隆明論集」』
2012.01.09吉本隆明論集成『神津 陽「ブンカの傾向と対策─吉本隆明から浅田彰まで─」』
2012.01.10吉本隆明論集成『宮内 豊「駁論吉本隆明」』
2012.01.11吉本隆明論集成『フォービギナーズ32吉本隆明』
2012.01.12吉本隆明論集成『上林俊樹「吉本隆明 昏い夢と少女」』
2012.01.13吉本隆明論集成『宮林功治「吉本隆明 その機構、編成、断面、磁場」』
2012.01.14吉本隆明論集成『好村冨士彦「真昼の決闘 花田清輝・吉本隆明論争」』
2012.01.15吉本隆明論集成『吉田和明「吉本隆明論」』
2012.01.16吉本隆明論集成『川端要壽「修羅の宴 ――吉本隆明と私――」』
2012.01.17吉本隆明論集成『田川建三「思想の危険について――吉本隆明のたどった軌跡」』
2012.01.18吉本隆明論集成『竹田青嗣「世界という背理――小林秀雄と吉本隆明――」』2012.01.19吉本隆明論集成『吉田 裕「幻想生成論──吉本隆明三部作解読の試み──」』
2012.01.20吉本隆明論集成『神山睦美「吉本隆明論考――了解を基礎づけるもの」』
2012.01.21吉本隆明論集成『鷲田小彌太「吉本隆明論 戦後思想史の検証」』
2012.01.22吉本隆明論集成『吉田和明「続・吉本隆明論」』
2012.01.23吉本隆明論集成『鷲田小彌太「吉本隆明論戦後思想史の検証」』
2012.01.24吉本隆明論集成『20世紀の知軸機崗谷雄高・吉本隆明の世界」』
2012.01.25吉本隆明論集成『竹田青嗣「世界という背理――小林秀雄と吉本隆明――」』2012.01.26吉本隆明論集成『金山 誠「吉本隆明の批評における<孤立>と<独立>」』
2012.01.27吉本隆明論集成『芹沢俊介「主題としての吉本隆明」』
2012.01.28吉本隆明論集成『小浜逸郎「吉本隆明 思想の普遍性とは何か」』



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2012年01月28日

吉本隆明論集成『小浜逸郎「吉本隆明 思想の普遍性とは何か」』

1201271147.小浜逸郎「吉本隆明 思想の普遍性とは何か」
  1999.3.23 筑摩書房 2,200円+税


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2012年01月27日

吉本隆明論集成『芹沢俊介「主題としての吉本隆明」』

f4d4489b.jpg46.芹沢俊介「主題としての吉本隆明」
  1998.2.10 春秋社 1,900+税


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2012年01月26日

吉本隆明論集成『金山 誠「吉本隆明の批評における<孤立>と<独立>」』

1201250945.金山 誠「吉本隆明の批評における<孤立>と<独立>」
  1996.10.25 三章文庫 1,500円


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2012年01月25日

吉本隆明論集成『竹田青嗣「世界という背理――小林秀雄と吉本隆明――」』

1201250344.竹田青嗣「世界という背理――小林秀雄と吉本隆明――」
  1996.4.10 講談社学術文庫1225 760円
  竹田青嗣「世界という背理――小林秀雄と吉本隆明――」と同じ内容


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2012年01月24日

吉本隆明論集成『20世紀の知軸機崗谷雄高・吉本隆明の世界」』

1201230643.20世紀の知軸機崗谷雄高・吉本隆明の世界」
  1996.2.5 朝日出版社 2,900円


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2012年01月23日

吉本隆明論集成「鷲田小彌太『吉本隆明論戦後思想史の検証』」

1201220642.鷲田小彌太「増補版吉本隆明論 戦後思想史の検証」
  1992.8.15 三一書房 4,200円   472頁
  前口上 1
  第一章 敗戦期の自己意識───「近代」の超克
   1 「停滞」の意識───宮沢賢治論


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2012年01月22日

吉本隆明論集成『吉田和明「続・吉本隆明論」』

1201211141.吉田和明「続・吉本隆明論」
  1991.2.5 パロル舎 2,300円


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2012年01月21日

吉本隆明論集成『鷲田小彌太「吉本隆明論 戦後思想史の検証」』

1201210140.鷲田小彌太「吉本隆明論 戦後思想史の検証」
  1990.6.15 三一書房


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2012年01月20日

吉本隆明論集成『神山睦美「吉本隆明論考――了解を基礎づけるもの」』

3ef73f69.jpg39.神山睦美「吉本隆明論考――了解を基礎づけるもの」
  1988.8.1 思潮社  2,300円


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2012年01月19日

吉本隆明論集成『吉田 裕「幻想生成論──吉本隆明三部作解読の試み──」』

1201150938.吉田 裕「幻想生成論──吉本隆明三部作解読の試み──」
  1988.6.15 大和書房 2,200円
    はじめに
    表出する人間
      ───『言語にとって美とはなにか』解読の試み───
      1.二つの経路
      2.言語の発生と進化
      3.表出の展開
      4.表出史
      5.詩、物語、劇の流れの中で
    自然から意識へ
      ───『共同幻想論』解読の試み───
      1.『共同幻想論』はどこから来たか
      2.禁制と幻想の発生
      3.最初の構成
      4.死と共同幻想
      5.性と生誕
      6.分離から対立へ(1)・共同幻想と対幻想
      7.分離から対立へ(2)・共同幻想と個体の自己幻想
      8.最初の「国家」
      9.二重性をめぐって
     10.矛盾の不能化について
    心的なものの行方
      ───『心的現象論序説』解読の試み───


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2012年01月18日

吉本隆明論集成『竹田青嗣「世界という背理――小林秀雄と吉本隆明――」』

1201032137.竹田青嗣「世界という背理――小林秀雄と吉本隆明――」
  1988.1 河出書房新社 1,600円


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2012年01月17日

吉本隆明論集成『田川建三「思想の危険について――吉本隆明のたどった軌跡」』

1112270436.田川建三「思想の危険について――吉本隆明のたどった軌跡」
  1987.8.25 インパクト出版会 2,800円

  ここの写真は、これで4作品になるわけですが、私の友人から借りました。今後も彼女の写真が、私のブログに掲載されます。福島県只見の景色です。



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2012年01月16日

吉本隆明論集成『川端要壽「修羅の宴 ――吉本隆明と私――」』

1201151535.川端要壽「修羅の宴 ――吉本隆明と私――」
  1986.12.10 砂子屋書房 1,600円  314頁
  青春の残像
  結婚
  涙が涸れる
  ボロ家の憂欝
  彼岸
  慟哭
  付録 近代文学の宿命───横光利一について───吉本隆明
  あとがき


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2012年01月15日

吉本隆明論集成『吉田和明「吉本隆明論」』

1201141234.吉田和明「吉本隆明論」
  1986.10.30 パロル舎 1,800円


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2012年01月14日

吉本隆明論集成『好村冨士彦「真昼の決闘 花田清輝・吉本隆明論争」』

1201031833.好村冨士彦「真昼の決闘 花田清輝・吉本隆明論争」
  1986.5.25 晶文社  214頁


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2012年01月13日

吉本隆明論集成『宮林功治「吉本隆明 その機構、編成、断面、磁場」』

1201080132.宮林功治「吉本隆明 その機構、編成、断面、磁場」
  1985.8.27 自家版   143頁


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2012年01月12日

吉本隆明論集成『上林俊樹「吉本隆明 昏い夢と少女」』

1201030631.上林俊樹「吉本隆明 昏い夢と少女」
  1985.7.1 海王社   181頁


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2012年01月11日

吉本隆明論集成『フォービギナーズ32吉本隆明』

1201100430.吉田和明「フォービギナーズ32吉本隆明」
  1984.11.1 現代書館 1,236円  173頁
  (イラスト/秋山孝)


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2012年01月10日

吉本隆明論集成『宮内 豊「駁論吉本隆明」』

1201090329.宮内 豊「駁論吉本隆明」
  1984.10.30 論創社  275頁


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2012年01月09日

吉本隆明論集成『神津 陽「ブンカの傾向と対策─吉本隆明から浅田彰まで─」』

4612d161.jpg28.神津 陽「ブンカの傾向と対策─吉本隆明から浅田彰まで─」
  1984.6.10 ホケットライブラリィ  119頁


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2012年01月08日

吉本隆明論集成『月村敏行他「吉本隆明論集」』

1201080227.月村敏行他「吉本隆明論集」
  1983.5.20 橙書房  253頁


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2012年01月07日

吉本隆明論集成『鑑賞日本現代文学「埴谷雄高吉本隆明」』

1201061026.鑑賞日本現代文学「埴谷雄高吉本隆明」
  1982.9.30 角川書店  305頁


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2012年01月06日

吉本隆明論集成『川端要壽「堕ちよ!さらば 吉本隆明と私」』

1201050925.川端要壽「堕ちよ!さらば 吉本隆明と私」
  1982.3.31 徳間書店


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2012年01月05日

吉本隆明論集成『鮎川信夫「吉本隆明論」』

1201040724.鮎川信夫「吉本隆明論」
  1982.1.20 思潮社 1,200円
  (後半は吉本隆明「鮎川信夫論」)


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2012年01月04日

吉本隆明論集成『吉田 裕「吉本隆明とブランショ」 』

1201040223.吉田 裕「吉本隆明とブランショ」
  1981.8.28 弓立社 1,800円  270頁


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2012年01月03日

吉本隆明論集成『川端要壽「堕ちよ!さらば −吉本隆明と私−」』

1201011522.川端要壽「堕ちよ!さらば −吉本隆明と私−」
  1981.6.1 檸檬社 1,600円  305頁


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2012年01月02日

吉本隆明論集成『「吉本隆明を<読む> 叢書・知の分水嶺1980'S」』

1201010821.「吉本隆明を<読む> 叢書・知の分水嶺1980'S」
  1980.11.25 現代企画社 2,000円

 序 吉本思想の現在
   吉本隆明における戦後―――――――――――――埴谷雄高
   構造をめぐり、構造のむこうへ―――――――――樺山紘一
 1 吉本像の諸相
   決定的な転換期――――――――――――――――埴谷雄高
   庶民・吉本隆明――――――――――――――――谷川 雁
   吉本隆明私論――「マチウ書試論」まで―――――鮎川信夫
   吉本隆明についての覚え書き――――――――――鶴見俊輔
   拒絶のナショナリズム―――――――――――――桶谷秀昭
   吉本像断片――――――――――――――――――橋川文三
   自然科学者としての吉本隆明――――――――――奥野健男
 2 『言語にとって美とはなにか』
   表現としての言語――吉本隆明と時枝誠記の遭遇と交渉
                ――――――――――野村精一
   吉本詩学のメタ言語について――――――――――磯谷 孝
 3 『共同幻想論』
    支配の正当性と共同幻想――――――――――――石尾芳久
 4 『心的現象論序説』
   孤独なる征覇―――――――――――――――――柄谷行人
   <思想的自立>と<心的領域の定立>――――――――森山公夫
 5 宗教思想を媒介に
   吉本隆明における聖書―――――――――――――笠原芳光
   『最後の親鸞』考―――――――――――――――荒井 献
   『論註と喩』―――――――――――――――――久米 博
 6 吉本隆明年譜―――――――――――――――――川上春雄



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2012年01月01日

吉本隆明論集成『日本文学研究資料叢書「吉本隆明・江藤淳」』

1112311020.日本文学研究資料叢書「吉本隆明・江藤淳」
  1980.11.10 有精堂 3,200円  322頁


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2011年12月31日

吉本隆明論集成『神津 陽「吉本隆明試論 −<戦後>思想の超克」』

111228379.神津 陽「吉本隆明試論 −<戦後>思想の超克」
  1980.9.25 流動出版 1,800円  254頁

  まえがき
  機‖臀<原像>論の淵源と帰結
   一 アプローチ───体験的思想をめぐって
   二 大衆規定と自己規定の生成と現在
   三  自己嫌悪───大衆畏敬と父
   四 心理的三角関係と今氏乙治の影
   五 庶民の<家>の内面───高村光太郎との格闘
   六 戦後最大の事件───結婚前後
   七 耐える父性───戦争世代の錯誤
   八 戦後大衆私見───家・生活思想と共同性
  供\治思想と「自立」論考
   一 六十年安保以降二十年
   二 花田───吉本論争の根底は何か
   三 安保<行動>への入り方と出方
   四 私的利害観と真性「民主」論批判
   五 「自立」思想が提起したもの
   六 自立思想と思想の自立の交点
   七 知識人───大衆論の限界
   八 思想の自立をめぐって
  掘“吉本隆明”の彼方へ
   一 戦後終息と世代交代の根拠
   二 体験思想の現在
   三 「体系化」と「<自立>の放棄」私観
   四 「幻想論」体系の方法と限界
   五 集団・組織観への異和
   六 <倫理>思想の解体
   七 “最後の吉本”
  検<戦後>の原点と帰結
  后\鏝綸擬制の隠さんと思想の回路


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