将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:「書き言葉」と「話し言葉」

14081219
 私はこの「3」で、以下のように書きました。

紫式部や清少納言や更級日記の少女はこれに気が付いていたでしょうが、それを言ってはくれませんでした。「書き言葉」では言ってくれませんでした。

 これはいわば仕方なかったのです。そもそも「!」 ◆屐?」◆◆屐ΑΑ」は二葉亭四迷でも書いていません(『小説総論』では書いていません)。それは仕方なかったのです。
 だから今こそ書くのです。紫式部では言わなかったこと(私は紫式部よりも清少納言のほうが好きですが)を今こそ「書き言葉」で言うべきなのです。
 この『「!」 ◆屐?」◆◆屐ΑΑ」』のことは、今日本語だから言えることです。いや英語等の言語でも言えないと明確なる言語理論とはいえないでしょうが、でも私からの言い訳としては、今になっても明確に『吉本隆明「言語にとって美とはなにか」』が他言語に翻訳されていない現状(フランス語には翻訳されているようですが)では、私には「仕方ない」としかいえないのです。
14081220
 それが私からの言い訳です。

14081314
 これで「2」を書いていて、また読み直していて気が付きました。

「『てっ!』て言うんずら」
「てっ!?」
「てっ・・?」

の3つでは、それが「書き言葉」では、「!」 ◆屐?」◆◆屐ΑΑ」が違います。たぶん「話し言葉」では、音(おん)が違うのでしょうが、「書き言葉」では、これが明確に違うのです。
 これは大きなことです。
 たぶん、平安時代に紫式部や清少納言や更級日記の少女はこれに気が付いていたでしょうが、それを言ってはくれませんでした。「書き言葉」では言ってくれませんでした。『「書き言葉」と「話し言葉」』ということで、言ってくれたのは吉本(吉本隆明)さんが始めてのことです。
 ただ私には、吉本(吉本隆明)さんもこれを明確に言い切ってくれなかったと思います。私には英語をはじめとする欧文でもこれに気がついていないと思います。
 これが今私には大切なことに思えています。

14080401
 懸命に考えました。そしてここのサイドバーの人気記事(画像付)で、これが一位になるとますます考えました。そして気がつきました。

「『てっ!』て言うんずら」
「てっ!?」
「てっ・・?」

 これは「話し言葉」では、「てっ」なのですが、´↓では、大きく違うのです。「!」と「!?」と「・・?」が違うのです。
 まさしくこれが「書き言葉」なのです。「話し言葉」では同じ音(おん)で聞こえていますが、 「書き言葉」では明確に違うのです。
 このことが大事なことですね。

14071611
 私は前に以下のように書いていました。

 吉本さんについては、私は『「書き言葉」と「話し言葉」』ということで、ずっと書き言葉の人であるという認識でした。私は今も、彼の語る言葉も、その基調はやはり「書き言葉」であると思っています。

 ところが、「花子とアン」2014.08.01にあったマンガなのですが、これには

ある少女「てっ て何ですか?」
花子「甲府の訛りだ 甲府では昔からビックリした時 『てっ!』て言うんずら」
少女「へぇ じゃあすごくびっくりした時は?」
花子「てっ!?」
少女「ものすごーく びっくりした時は?」
花子「てっ・・?」
少女「増えねんだぁ」
花子「? ふえる?」

とあります。
14071612
 これを見て思ったものなのです。これは「書き言葉」では、同じ『てっ!』なのですが「話し言葉」では違うものなのではないでしょうか。たぶん,茲雖△筬は大きく違うものなのです。でもこうして「書き言葉」で表現すると、その違いは明確に認識できません。
 私は今まで「話し言葉」より「書き言葉」のほうが上位の概念であると思ってきました。吉本(吉本隆明)さんはそんなことは言っていないのですが、私はそう思い込んできていました。だがこのマンガで書いてあるように、書き言葉ではそれを表現できていないのです。私は「話し言葉」というと、落語家が喋っていることを想像してきました。でもそれでは私が明確に理解できていないのです。14071613
 ここで私は『「書き言葉」と「話し言葉」』のことを少し理解できたのかなあ。そしてそのことを「書き言葉」で表現しないとならないのです。
 そのことを明確にやっていくつもりです。

13041405 しばし『「書き言葉」と「話し言葉」』という吉本(吉本隆明)さんのいうことを考えました。

2013/04/15 05:56今日はいつも行っています吉田医院に、先日の健康診断の結果を見てもらいます。
2013/04/15 06:18今ばあばがおはぎとケータイメールのやりとりをしています。また今日私は吉田医院へいくわけですが、そこでばあばの診察券を出して薬をもらいます(実際には薬局でもらうのですが)。その際にばあばの診察券には、ばあばの書いたメモが貼ってあります。
 思うのですが、今はますます「書き言葉」が大事になってきていいますね。このことをものすごく感じています。
 ケータイメールはものすごく書き言葉が使われているわけです。これが分からないと、どうにも困り果てます。

「書き言葉」がますます大事になっているということを感じます。
 それから上に書いた「健康診断の結果」とは、正しくは「特定健康診査受信結果通知表」というものでした。
 私はますますケータイメールが重要になって来ていると思っています。電話でお喋りするのではなく、明確に書き言葉で意思を伝えあうのです。これを今朝のばあばとおはぎのやりとりで感じました。

13040404   今は南千住です。逆方向だから電車内は空いています。
   これもしきりに単語登録しています。でも制限が500だから、もうすぐなのかなあ。

   私はおはぎに言われて非常に良かったことがあります。私がじゅにの見舞に行っているときに、帰りの京葉線でケータイメールでその報告をしているとき(私には報告になっていなかったのです)に、「パパはちゃんと言葉が書けないのじゃないか」といわれたことです。これは、吉本(吉本隆明)さんの『「書き言葉」と「話し言葉」』と並んで私には実にショックなことでした。このときに私は大反省をして、その後必死に「書き言葉」をやっていったものです。
 自分の娘とケータイメール交換してもいいものなのですよ。ものすごく勉強になるのです。

12100204 どうしてか、少し昔にインターネット上にホームページやブログをオープンして書いていてくれた方たちのものが更新がなくなっています。何でしょうか。
 それが私はついわずか数年前にリンクしたところまで書かなくなっています。
 もうものすごく残念です。私のここのサイドバーでリンクしていたいくつものサイトも、もう整理しなければなりません。
 どうしても『「書き言葉」と「話し言葉」』ということでは、「書き言葉」はみな苦手なのでしょうか。いや私には『「話し言葉」もできないのだなあ』とか思わざるを得ません。
 まことに残念ですが、ここのサイドバーの「将門のブックマーク」からいくつものサイトを消去いたします。更新しないサイトをリンクしていては意味がないのです。

12082109「周の掲示板」にnelu(かわふくG)さんの「犬(上)」がありました』に、目森一喜さんからの以下のコメントがありました。

2. Posted by 目森一喜   2012年08月20日 22:18
 読み言葉というと、例えば周さんだったら「土」の文章を読んでいて茨城弁が聞こえて来てしまうというような事も入って来るのでしょうか?
 それだと折り返して自分に帰って来るような表出になってしまいますね。

 いや、この私のいう「読み言葉」というのは、まだ正確に把握できていないのです。吉本(吉本隆明)さんの言われる『「書き言葉」と「話し言葉」』ということから、思いついただけなのです。
 でも「長塚節『土』」のことは、吉本隆明全著作(単行本)「吉本隆明歳時記」に私は次のように書いています。(以下は長塚節の関する吉本さんの文を抜書きし、私の思いも書いています)。

  たとえてみれば米粒のうえにどんな微細な文や図柄を巧みに描
 いても所詮は巧みな<芸>以上のものではない。なぜならば対象の
 選択力に内的な衝迫と必然がなく、ただ珍しいための限定しかな
 いからだ。それと同じことであった。この方法を極限まで追いつ
 めていったのが長塚節であった。そして極限まで追いつめられて
 いってはじめて、子規派の『万葉』の歌の把握に重要な欠陥があ
 ることが露呈されたといってよい。  (「冬の章−長塚節」)

 これを読んで、私には退屈で暗い「土」の作者でしかなかった長塚節が生き返ってきた思いがします。また私にとって苦手だった短歌を読み取ることも少しはできるようになった気もします。忠実な正岡子規の学徒だった節が死の直前にたどりついたものを感じとることができました。

 この吉本さんの文を読むのと、でも私には母の実家の裏で吹いている茨城の冷たい風を思うのです。
それだと折り返して自分に帰って来るような表出になってしまいます」。そうなのですね。私は「長塚節『土』」を読んでも、どうしても上を見てはいないのですね。ただただ、私の本当の故郷の冷たい風を思うばかりです。
12082110 長塚節の短い生涯を思うと、どうしても分からないのです。この小説を読んで面白いと感じられる人がいるのでしょうか。おそらく私は皆無だと思います。いつも私は「漱石がほめちゃったからな」と思っています。
 私は藤沢周平は、実に好きな作家です。でも彼が長塚節を書いた『白い瓶』は、手に入れて手で持ちながらも、結局読まず、古書店に売ってしまいました。
 私の「吉本隆明鈔集」での「読み言葉」はもっともう少し考えていきます。

12081507私の昔のサイトにいくつも「掲示板」がありました』に目森一喜さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年08月14日 20:19
「読み言葉」は解釈学になるのでしょうか、言語論では喩(直喩、比喩、換喩、提喩とかですね)の問題かな。
 言語学で解釈が問題になるのは、聖書で神が喩で語るからです。聖書にこうあるのが、これはこのように解釈するとか、いや、こう解釈せねばならないはずだとか、色々と大変な世界がありますね。

 吉本(吉本隆明)さんに「喩としてのマルコ伝」という著書があります。といいましても、私には今その本が取り出せないのですが。
 マタイ伝はこの私もいつも何度も読んでいます。吉本さんの「マチウ書試論」(マチウ書とはマタイ伝のフランス語読み)を読んでから、文語訳マタイ伝そのものを何度も読むようになりました。インターネットでも読めますし、文語訳は一つしかないので、いいのです。 ところが仏典などですと、道元がいけないのだと思いますが、全然分からないのです。岩波の「日本思想大系」の最初の配本が「道元」でした。だけど『正法眼蔵』なんていくら読んだまねしても読むふりしても分からないよ。
12081508 私が前に住んでいた我孫子にもよく歩く谷中にも、曹洞宗のお寺が多いように思います。私の両親のお墓のある正泉寺もそうなのです。
 私がよくいうのですが、哲学者としては道元が上だったかもしれないけれど、宗教家としては栄西のほうが1段も2段も上だと私は思います。
 でもでも、もう私は曹洞宗の寺を歩いても、もうなんだか良くなったな。仏教なんて、小難しくて嫌な思いでしたし、道元なんて難しくていやでしたが、もうどうでもいいなあ。「文語訳聖書」はいつも読んでいていいのですが、もうこの聖書は真面目で嫌にもなります。
 道元なんか、私には少しも好きになれないから、いいのかもしれないな。私が本来好きであるはずの神道よりも、一見面倒な曹洞宗でもいいなあ、なんて思うようになりました。
 義母の葬儀のあと、牧師さんとお話したのですが、今のキリスト教って、一番日本的な気がしますね。あの「文語訳聖書」は日本そのものな気がします。
聖書で神が喩で語るから」でいいのですが、私は自分の墓はもうどこか曹洞宗のお寺でもいいなあ。私の父があそこを墓に選んだのが分かるような気になりました。12081509

 私はまだ「読み言葉」を極めて行きます。このことで、私は本を読むことが再びできるようになったものなのです。
「書き言葉」も極めて行きます。私がどうにも苦手なのかもしれない「話し言葉」もやって行きます。

12080912 一つ前のUPは、結局帰りの時間になってUPできたものです。

  でも『「書き言葉」と「話し言葉」』ということをずっと考えてきていたのですが、いままでどうしてもそれが上手くまとまりませんでした。
 でもそれに「読み言葉」という概念を加えることにより、より深く考えられるようになった思いです。

  これは理髪店プラドで髪を伐られながら考えていたことです。

12080909 いくつものことを思いました。「読み言葉」というのも、大きな人間の表現行為ではないかと。

2012/08/10 07:58うーん、今考えていました。『「書き言葉」と「話し言葉」』だけではなく、「読み言葉」というのもあるのではないかということです。
 もっと考え続けないとならないですね。
2012/08/10 08:02もちろんさきほどから「梅ちゃん先生」を見ています。
 また涙になっている私です。
 なんだか私は涙ばかりになっています。
2012/08/10 11:51いくもニュースで、「そんなことあたり前なのになあ」と思うことがいくつもあります。いやある学校のプールに金魚がたくさんいたとニュースを見て思うことです。
2012/08/10 12:44ニュースを見て思うことがいくつもあるものですね。もっと考え続けるべきです。
 人間の表現行為として「書き言葉」と「話し言葉」があるわけですが、「読み言葉」というのは人間の表現行為だとは普通は思われません。いやそれが実際には分からないからです。
 でも本当は「読み言葉」も私は人間の一つの大きな表現行為だと思うのですね。
12080910 これで私はしばらく、「本を読む」ということをいわば止めていた(昨年から、年300冊の読書量が100冊に落ちていました)が、もう少し考えをまとめて、そうしてから活発な読書も再開するべきかなあ、なんて思い出しました。

 長年年間300冊を読破していたのに、それが100冊に落ちていたのですが、でも今考えを整理し、まとめつつあります。やりきらなくちゃあな。

12080908 どうしてもまずは新聞で読んで、そのあと映像(要するにテレビ)で見ています。

2012/08/10 05:39新聞を読んで、「浜口が初戦敗退」というニュースで私は驚き、そして読みました。私はどうしてもこうして活字で読むのが向いているのです。そのあとで、テレビで映像を見るわけです。私は浜口のファンなのです。お父さんのアニマル浜口が大好なのです。いやもともとラッシャー木村が大好でした。国際プロレスが大好でした。
 ここでも私は『「書き言葉」と「話し言葉」』ということを思うものです。
 やはり私は書き言葉で日々書いていくことを忘れません。
12081001120810022012/08/10 06:00「黒書院の六兵衛」を真っ先に読んでいました。ほぼ八十吉(福地源一郎)の語ることで、この六兵衛(新しいほうの)のことはほぼいい尽くされているのではないかと私は思いましたが、でも今の六兵衛は何も語らないのです。
2012/08/10 06:21今私のIS01の表紙を見ています。いつもはいくつものメニューがあり(実に3ページあります)、ほとんど見ない訳ですが、今改めてみました。このメニューがなくなると、その画面だと、私の孫のポニョに、私の妻が買ってあげたシャツの絵があるのです。今度ポニョにも見せてあげよう。驚いて喜ぶだろうな。

 もうポニョに必ず見せてあげよう。「いつの間に撮っていたんだろう」と思うだろうな。「2012年7月29日のポメラの2」の画像で、これはポニョのパジャマなのです。

12072102 はとこ同士で会えるよ でも書いたのですが、けっこうケータイメールでやりとりしています。そしていわゆる昔のケータイメールとは違って、もうかなり長文でやりとりしているのですね。
 前には、ケータイメールといえば、片手で打っていたのですが(私は携帯は必ず左手だけですが)、今は私はIS01でかなり量を書いて出します。今回も、私は弟ともみーねえともけっこうな文の交換をしています。
 これは昔の手紙やインターネット上のメールとは大きく違う感じです。ただし、私はIS01で打ちましても、今までのケータイでメールは出しています。
 これは私の二人の娘とも妻ともやっています。次女ブルータスに、じゅにの顔写真が入ったケータイメールが送られてくると、もうものすごく嬉しいです。これが瞬時にできるのですから、もうただただ感激です。
 私の兄なんか、ケータイメールを出せませんから、もう困ったものです。でも私は手紙も出しますから、それには昔の日本の漢詩を詳しく載せたりしますから、そういうことでももうとても困ります。
 いやこれは私の高校時代の友人なんかでも、ケータイメールが書けないのですが、私はこれはみんな『「書き言葉」と「話し言葉」』で、書き言葉が不得意なんだろうと思っています。これはもう大変な事態だと私は思っています。
 今こそ、その事態を突破して新しい時代を切り開ける(いやこれはもともと1、100年くらい昔から日本では同じことなのですが)ことなのだと思うのです。
 ぜひともやっていってほしいものです。

daffd33e.jpg   もうすぐ津田沼です。 ・・・いえ、市川なのです。
   この間は、ずっとブルータスとおはぎにケータイメールしていました。

  それにしても遠いですね。でもこうして自分の娘、孫に会えるのは嬉しいです。 もうすっかり暗いですね。

  こうして「書く」ということはやっぱり違います。私が『「書き言葉」と「話し言葉」』で書いていることを思います。
  あ、今UPしようと思ったのですが、今は地下でした。 今は上野です。19時20分です。これでUPしようかなあ。

12031502 私が部屋でパソコンに向かっているときに、妻がこのことを伝えてくれました。私は驚いてリビングでテレビを見ました。
 そして、部屋に戻りインターネットでいくつかの新聞記事を見ました。

吉本隆明さん死去 戦後の思想界担う(NHK)3月16日 5時20分
評論家の吉本隆明さん死去 戦後思想に大きな影響(朝日新聞)2012年3月16日6時0分
戦後思想に大きな影響、吉本隆明氏が死去(共同通信社)2012年3月16日6時0分
吉本隆明氏が死去 戦後思想に大きな影響(神戸新聞)(2012/03/16 05:27)

 いつかは、こうしたニュースがもたらされるとは思っておりましたが、その日が来てしまいました。87歳だったのですね。
 私はもういつでも吉本(吉本隆明)さんのいくつもの言葉を忘れたことはありません。私がこのごろあちこちで言うことの多い『「書き言葉」と「話し言葉」』も、もちろん吉本隆明さんの言葉です。私はこのことを最後に明確に書いていただきたかったなという思いです。
 でも、もうしばらくしましたら、私も大量の涙になることでしょう。今合掌しました。

12030705   私は『「書き言葉」と「話し言葉」』ということで、今は本を読むのではなく、とにかく書くことにしています。
  だから2年前以前には年間300冊、本・雑誌を読み終わっていたものですが、今は年間100冊以下に落ちています。
  でも今思うのですが、私の目の前に居る方も電子書籍(というのかなあ。スマートフォンかなあ)で懸命に打っている感じです。

  蘇我です。鎌取で昨日はバスに間に合わなかったのですね。

12022304  ここのバスはどうしても分かりにくいです。私の横にいた人が間違えたように思えるのです(正しいのかもしれないが)。

  今食堂で食事をしました。時間は14時28分です。

  私は『「書き言葉」と「話し言葉」』ということを書いているのですが、もうそれはポメラだけで書いて、IS01では止めることにしました。二つあると、合体させるのが面倒なのです。ポメラだとどこでもやれるのです。電車の中でもやれます。IS01では、じゅにのそばでは無理なのです(病室では、携帯は使えないのです)。

 これは、「ポメラである文章を書いていますが、なかなかやりきれません」の前に書いていましたが、UPするのを忘れていました。

12012811  昨日1月28日に埼玉大学の友人でありました小島均さんのお墓参りに行ってきました。私を含め8人の友人が集まってくれました。そこで私の持って行きました文書をここに掲示いたします。

         萩原周二よりの小島均さんへの思い     2012.01.28
1.私はいつも「書き言葉」と「話し言葉」ということを言っています。そして、私の友人でありました小島均さんについても、私の書き言葉で、こうして書いておきたいと思いました。もちろん、私のインターネット上のブログ

   http://shomon.livedoor.biz/  将門Web

にも、今夜28日か明日29日に、この文章をUPします。
2.小島均さんのことを思うと、いくつものことが思い出させます。思えば彼には手紙も書いたことはなかったのだと思い出します。私は手紙はけっこう書いていて(2008年には私的な手紙は600通を超えました)、でも彼には書いていなかったのだと悔やむばかりです。でも今では、ケータイメール(私はけっこう長文のケータイメールですよ)が多くなりましたが、彼とも交わしたかったものです。
3.彼と私は1967(昭和42)年に埼玉大学に入学し(ただし、彼は私より2歳年上でした)、同じ歴史研究会に入り知り合いました。彼はよく、年上の先輩方とも、丸山正男や吉本隆明の話をしていまして、当時は丸山正男は知っていましたが(高校時代に岩波新書の「日本の思想」は読んでいました)、吉本隆明は私は名前もまったく知らないもので、いつも驚いていました。
12012812 でも今では、吉本隆明といえば、私のサイトは知られていますし、吉本(吉本隆明)さんご自身も、私のことをマスコミ者に対して、「律儀な人」と言われるようになりました。これも、思えば小島均さんのおかげだよなあ、と思っています。
4.思い出せば、1967年秋のむつめ祭で、我が歴史研究会は講演会で高島善哉を呼びまして、そのときに、小島均さんが彼の腕を取って歩いていたことを(高島さんは目が失明に近いくらいに見えませんでした)思い出します。
 高島さんが、小島均さんの言うことに対して、「長洲(神奈川県知事だった長洲一二のこと)なんか読んだってしょうがないよ」と言いまして、あとで小島均さんが舌を出したのを覚えています(私は小島さんが舌を出したのは、初めて見たものです)。
5.その翌々年1969年1月、私は東大闘争で逮捕起訴され、府中刑務所に拘留になりました。このときに、彼は3月に2度、4月に1度、7月に1度、8月に1度面会に来ています。その7月の接見面会で、彼が私のことを「うらやましい」と言ったのを覚えています。私は今孫のじゅにが「千葉県こども病院」に入院していますが、最初の昨年5月は府中市の「多摩医療総合センタ−」に救急車で運ばれました。私と妻はあわてて、京王線のどこかの駅で行ったものでしたが、そこからタクシーで府中刑務所のわきを通ったのでしたが、あんな遠くまで小島さんは面会に来てくれていたのですね、そのことを強く思い出していました。
6. 私がその後、芝浦工大事件があったのちも、また1970年の秋にも、学生運動の場で、激しくやっていると、彼は「いつまでやるんだ」というような視線をくれていたものです。
 その後、社会へ出てからも、彼が職場のことで、私に相談に来たことがあり、でももうちゃんと応えられていたのかと不安です。
7.もう毎年年末の浦和会の忘年会でお会いするだけになっていました。いつも二次会に誘うと、言葉少なく断るだけでした。
 思えば、もっと話しておけばよかった。手紙もメールも書いておけばよかったと今は悔やむだけの私です。萩原周二

   小島均さんのお墓は「1-6-7-11」です。

7ce16292.jpg  今日は実にいい天気です。

  昨日書いたのですが、「書き言葉」と「話し言葉」といいますと、私は典型的に「書き言葉」の人間であると思っています。

  今は13時2分です。鎌取駅の北口でバスを待っています。厳しい寒さですね。私は自分をこんな寒がりだとは思いませんでした。寒がりなのですね。でももう仕方ないよなあ。
  ここは実に多くのバスが来ます。驚くほどですね。
  じゅににもうすぐ会えると思うと嬉しいです。
  バスに乗りました。バスの中はとても暖かいです。

11101909  けっこう「周のIS01ブログ」を更新しているわけですが、なかなかこれだけに熱中できません。そして、これはそれほど長く書けない雰囲気なのですね。
  でも思えば、私は以前にはとにかく本を読んでいたものでした。今は、これで必死に書いています。

 「書き言葉」と「話し言葉」は、まったく違うものなのです。これは実に大きなことです。このことは、大事なことです。おそらく人類は話し言葉のみの時代は何千年、何万年とあったことでしょうが、「書き言葉」の時代は短いはずです。
 いや、今でも「書き言葉」を持たない人間のグループはいるはずです。 そんなことを展開すべきですね。

3d185e39.jpg  このIS01でも私が書いていることはいいことです。「書き言葉」と「話し言葉」ということをつくづく思います。 今鎌取駅前のバス亭でバスを待っています。なかなかこないこともあるのですね。
  でももうバスに乗りました。さてまたじゅにの笑顔を見るぞ。じいじを分かるよね。 じゅににいっぱい話しかけよう。

  今13時50分です。昨日のおはぎの家での3人の孫を思い出します。もう三人はものすごい特徴があります。
 一番大きいポコ汰は実に優しい子です。そのポコ汰が今は昨日もばあばと一緒に懸命に本を読んでいます。優しい子なのです。
  でもそんな優しい子であるはずなのですが、もうプールに入ると、いっぱいなことをやり続けるようです。
  あとポニョとポポのことも書くのですが、もう16時8分で帰りのバスです。 またあとで書きます。

11091902「書き言葉」と「話し言葉」ということを随分考えました。このインターネットでのブログの隆盛を考えると、日本人、日本語というのは「書き言葉」のほうに適しているのかなあ、と思えます。

2011/09/18 07:21今日は妻と一緒にじゅにとブルータスのところへ行きます。じゅにに会えるのが嬉しいです。

2011/09/19 07:28私の過去のブログを今朝読みました。ちょうど昨年の7月を読み返しました。ある私の書いたものを読み返したものです。でもこれを読み返すと、前にはよく書いているのですね。今では、その頃を読み返すと驚く思いがあります。
 思えば、私は「書き言葉」と「話し言葉」ということをあちこちで言っています。そして私はメールもよく書きますが、手紙もおおいに書きます。やはり私は自分を書き言葉の人間だと思っています。といってもやはり私は話し言葉のほうが露出度としては多いのです。ただ思えば、手紙だけでなく、インターネット上のブログやツイッター、メール等を考えると、私はやっぱり書き言葉の側の人間でしょう。
 もちろん、私はそれでいいのですが。
2011/09/19 07:55私は長女に言われます。「パパは、インターネットでブログなんか読むと、ごく普通のことが言えているのに、実際にしゃべると、まともなことが話せていない」。もう何か、ひどい私に対する偏見に満ちているようです。

 毎日乗っている京浜東北線、京葉線で見ていても、ケータイでメールやブログをやっている人が多いように思えます(もちろんゲームをやっている人も多いのでしょうが)。だから日本人および日本語は書き言葉に向いているのではと思ってしまうのです。
 それから、「ひどい私に対する偏見に満ちている」というのは、長女のことを言っているのですが(このごろ次女も同じように思っているようだ)、別に私はこれらのことで、娘を嫌がったりしていません。もちろん大好きです。
 私は書き言葉の側の人間だと言っている吉本(吉本隆明)さんが、実のその講演を聴いていまして、話し言葉も素晴らしいものを持っていることが十分に分かっているものです。

d6bb6396.jpg  今王子駅で乗りました。
  こうして毎日電車に乗っていると、手紙を書いていられないですね。そのことが悔しいです。

  今の電車に赤い帽子と青い帽子をかぶった子どもたちが何人ものって来て、今田端で降りました。どこへ行くのかなあ。六義園かなあ。ひょっとしたら、ポコ汰やポニョがいるかと思いましたが、王子だから違うよねえ。

  手紙はけっこう時間がかかるのです。 次が東京です。予定より一つ電車が早いのです。だから、京葉線で座って待っていましょう。
  今京葉線のホームです。もう今日はシャープのケータイが戻ってこないかなあ。やはり他のメーカーのものはわからないのですね。いつも自分のものは熱心に使いますから分かるのですが、どうしてもじいじの私には不得意なのです。
  でもどうしても、この東京駅およびしばらくの間は、これがUPできません。仕方ないなあ。
   思うのですが、そして前にもいいましたが、私は「書き言葉」と「話し言葉」は大きく違うものです。私はどう見ても「書き言葉」に向いている人間です。
  だからというか、まだUPできないのです。困ったものです。

11012804  Business Media 誠 にこの記事がありました。

プレゼンで気になる「えーと」「あのー」という「場つなぎ音」。間延びするし、頼りない印象を与えるので極力減らしたいところですが、なかなか減らせないのも現実。原因から探っていきましょう。

 私も何人かの前で話すときには、その前に自分で喋る練習をしていきます。それは、まず我孫子の自宅のときも、今の王子の家でもお風呂場の中でやります。ときに私は詩吟もやってしまうために、その声が外に漏れてしまうだろう迷惑を考えるからです。
 これらの「えーと」「あのー」が口から出てしまうことを、ここでは次のように言っています。

1.単に練習不足
2.ストーリーが固まっていない
3.実は心から話したい内容ではない
4.準備してきたことを全部話さなければならないという思いこみ
5.沈黙に対する恐怖

 そこで私が一番関心をもったのは、「沈黙に対する恐怖」というところです。
 以下のようにあります。

「沈黙もスピーチのうち」だと認識してください。沈黙があるからこそ、スピーチにメリハリがつけられます。ぜひ勇気を持って「沈黙」してください。

 私はこれは、昨年10月に発行された「吉本隆明『ひとり』」(講談社)と同じことが述べられているなと思いました。吉本さんは、次のように言っています。この本の23ページに次のようにあります。

 人は誰でも、誰にもいわない言葉を持っている。
 沈黙も、言葉なのです。
 沈黙に対する想像力が身についたら、本当の意味で立派な大人に
なるきっかけをちゃんと持っているといっていい。

 これは、この本で「書き言葉」と「話し言葉」のことが書かれていて、私にはものすごく注目し、関心し感激していたのですが、それに関連していることです。私はただただ感激しているばかりです。

プレゼンで「えーと」「あのー」を言ってしまう5つの理由

↑このページのトップヘ