将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:あげあしとり

11061809 私周が、ここでUPしてまいりました、「あげあしとり」という題名の多い教育に関する連載を終わります。
 これは、私の昔のホームページを閉鎖しましたので、その中のいくつかの部屋をUPしているところなのです。
 今まで、以下のようにUPしてきました。

2011.02.12 当世駿台生気質。(1992.06.14)
2011.02.12 「あげあしとり」を開始(1992.06.14)
2011.02.13  私同感しません(1992.06.17)
2011.02.14 あげあしとりを真面目にやるぞ(1992.06.18)
2011.02.15 あげあしとり1「私は何に怒っているのか?」(1992.06.18)
2011.02.16 あげあしとり2「次女の卒業文集」(1992.06.21)
2011.02.17 ねむの木学園のこどもたちとまり子美術展(1992.08.30)
2011.02.18  「ねむの木学園・・・美術展」雑感に(1992.09.06)
2011.02.19 「障害者(児)福祉に思う」に(1992.09.07)
2011.02.20 あげあしとり3「キライじゃないぜ」(1992.09.18)
2011.02.21 言葉のこと少々(1992.09.18)
2011.02.22 あげあしとり4「いじめ」って何なのだろうと思います(1992.09.20)
2011.02.23 あげあしとり5「学校の先生への親の期待」(1992.09.22)
2011.02.24 あげあしとり6悔しいけど「答」は「ありません」(1992.09.22)
2011.02.25 あげあしとり7「せんこうなんかきらいだ」に(1992.09.22)
2011.02.26 あげあしとり8 学歴社会、教育産業、暴力団新法(1992.09.23)
2011.02.27 あげあしとり9「TR通信8ミニ・スカートと差別」に(1992.09.24)
2011.02.28 あげあしとり10 学歴、大学、進学塾(1992.09.26)
2011.03.01 あげあしとり11「TR通信11 いい先生」に(1992.09.28)
2011.03.02 あげあしとり12「TR通信9 大人に言いたい」(1992.09.29)
2011.03.03  あげあしとり13「私立の学校について」に(1992.10.03)
2011.03.04  あげあしとり14「TR通信15 パチンコの翌日」に(1992.10.03)
2011.03.05 あげあしとり15「TR通信7 先生からの手紙」(1992.10.07)
2011.03.06  あげあしとり16「私立の学校について2」に(1992.10.08)
2011.03.07  あげあしとり17「TR通信10 学校に入りたい」に(1992.10.10)
2011.03.08  あげあしとり18「不良」と「私立の学校」に(1992.10.10)
2011.03.09  あげあしとり19「TR通信21 シンナーについての」(1992.10.11)
2011.03.10  あげあしとり20「TR通信20 学校に行けない」に(1992.10.11)
2011.03.11  あげあしとり21「TR通信13 あるお父さん」に(1992.10.12)
2011.03.12  あげあしとり22 「TR通信14 躾と裁判」に(1992.10.13)
2011.03.13  あげあしとり23 「TR通信12 こんなので」に(1992.10.17)
2011.03.14  あげあしとり24「10・10保護者授業参観」(1992.10.17)
2011.03.15  あげあしとり25「TR通信18 行ける高校はない」(1992.10.18)
2011.03.16  あげあしとり26「TR通信17 バンドをやりたい」(1992.10.18
2011.03.18  あげあしとり27「TR通信19 学校をやめた」に(1992.10.24)
2011.03.19  あげあしとり28「TR通信16 卒業式」に(1992.10.24)
2011.03.20  あげあしとり29「TR通信22 憲法と先生」に(1992.10.24)
2011.03.21  あげあしとり30「TR通信24 苦しんでいる者は」(1992.10.28)
2011.03.22  あげあしとり31「TR通信33 少年院生活」(1992.10.28)
2011.03.23  あげあしとり32「TR23 ツッパリの母親」に(1992.11.03)
2011.03.24  あげあしとり33「TR通信35 学校残酷物語」に(1992.11.03)
2011.03.25  あげあしとり34「TR通信25 もんくゆうたれな」(1992.11.05)
2011.03.26  あげあしとり35「TR通信26 殺してから死ね」に(1992.11.05)
2011.03.27  あげあしとり36「TR通信32 暴力教室」に(1992.11.05)
2011.03.28  あげあしとり37「TR通信27 教えてください」に(1992.11.06)
2011.03.29  あげあしとり38「TR通信28 まんが家になりたい」に(1992.11.07)
2011.03.30  あげあしとり39「TR通信37 汚れていやだよ」(1992.11.11)
2011.03.31  あげあしとり40「TR29 手紙を書いた」に(1992.11.15)
2011.04.01  あげあしとり41続「TR通信37 汚れていやだよ」(1992.11.22)
2011.04.02  あげあしとり42「TR通信30 父が死んだ後」に(1992.11.22)
2011.04.03  あげあしとり43「TR通信31 自慢できない高校」(1992.11.22)
2011.04.04  あげあしとり44「TR通信34 家庭の問題」(1992.11.22)
2011.04.05  あげあしとり45「TR通信36 教師恐怖症」に(1992.11.22)
2011.04.06  あげあしとり46「TR通信40 むかつく女教師」に(1992.12.05)
2011.04.07  あげあしとり47「『悪法もまた法』とやらに」(1992.12.06)
2011.04.08  あげあしとり48「TR通信39 学校に不満」(1992.12.06)
2011.04.09  あげあしとり49「TR通信43 ひーき男」に(1992.12.12)
2011.04.10  あげあしとり50「感想をふたつ書きます」に(1992.12.15)
2011.04.11  あげあしとり51「TR通信41 優等生の悩み」に(1992.12.20)
2011.04.12  あげあしとり52「TR通信42 先生の権利」に(1992.12.20)
2011.04.13  あげあしとり53「TR通信44 たすけて」に(1992.12.20)
2011.04.14  あげあしとり54「TR通信45 おばあちゃんと子供」(1992.12.24)
2011.04.15  あげあしとり55「TR通信46 夢があります」に(1993.01.08)
2011.04.16  あげあしとり56「TR通信47 ちょっと自慢」に(1993.01.20)
2011.04.17  あげあしとり57「山形の中学生窒息死に思う」(1993.01.20)
2011.04.18  「女子プロレス」も「プロレス(女子の部)」といえばいいのか(1993.02.04)
2011.04.19  違いました。ラ・ギャラクティカです(1993.02.04)
2011.04.20  続「女子プロレス」も「プロレス(女子の部)」といえばいいのか(1993.02.06)
2011.04.21  日共からの異議(2004.02.10)
2011.04.22  あげあしとり58「女教師の件他」に(1993.02.06)
2011.04.23  あげあしとり59「バカな親について」に(1993.02.07)
2011.04.24  あげあしとり60「ゴトさんへ#106へのレス」に(1993.02.10)
2011.04.25  あげあしとり61「ecoさんの言われた教師のこと」(1993.02.10)
2011.04.26  あげあしとり62「性別の問題」に(1993.02.11)
2011.04.27  あげあしとり63「RE:#118 周さんへ」に(1993.02.11)
2011.04.28  あげあしとり64「TR通信48 学校に行かないと」(1993.02.11)
2011.04.29 あげあしとり65「TR通信49 松戸自主夜中取材」(1993.02.11)
2011.04.30 あげあしとり66「島根ナンバーが恥ずかしい」(1993.02.12)
2011.05.01 あげあしとり67「RESあげあしとり61に」(1993.02.13)
2011.05.02 あげあしとり68「この間の論争について」(1993.02.14)
2011.05.03 あげあしとり69「気になったので……」(1993.02.16)
2011.05.04 あげあしとり70「校長以下全員が結婚式へ」に(1993.02.27)
2011.05.05 あげあしとり71「eco の考え・・・」に(1993.02.27)
2011.05.06 あげあしとり72「おひさしぶりです」に(1993.02.27)
2011.05.07 あげあしとり73「鳩山文相『塾の暗躍』発言」に(1993.02.28)
2011.05.08 あげあしとり74「TR通信50 3人で暮らしたい」(1993.03.18)
2011.05.09 あげあしとり75「TR通信51 殺してやりたいバカ女教師(1993.03.28)
2011.05.10 あげあしとり76「和尚さん、どうも」に(1993.03.28)
2011.05.11 あげあしとり77毎日新聞「親と子の教育相談室」に(1993.04.08)
2011.05.12 西川口の悲惨な飲み屋の思い出(1993.12.04)
2011.05.13 友人の教育についての文章(1993.12.08)
2011.05.14 1年に一回千葉日報を見る日(1994.03.08)
2011.05.15 あげあしとり78「ゴトですひさしぶりのアップ」(1994.05.04)
2011.05.16 あげあしとり79「流転のアップです」(1994.05.04)
2011.05.17 あげあしとり80「ホンネで語る教育談義CUG」(1994.05.05)
2011.05.20 あげあしとり81続「ホンネで語る教育談義CUG」(1994.05.06)
2011.05.20 あげあしとり82続々「ホンネで語る教育談義CUG」(1994.05.14)
2011.05.23 あげあしとり83「教育談義CUG/Jm7」(1994.05.16)
2011.05.23 あげあしとり84「CUG」の話と「若者SIG」(1994.05.20)
2011.05.23 あげあしとり85 Jm7さんへ(1994.05.20)
2011.05.24 あげあしとり86「RES:ゴト」(1994.05.21)
2011.05.24 あげあしとり87「レターズ通信NO.1」(1994.05.21)
2011.05.25 1/2+1/3=2/5?(1994.06.05)
2011.05.26 あげあしとり88「元中学校長がセクハラ」1994.06.09)
2011.05.27 あげあしとり89続「元中学校長がセクハラ」(1994.06.10)
2011.05.28 あげあしとり90続々「元中学校長がセクハラ」(1994.07.06)
2011.05.30 あげあしとり91「柏のセクハラ疑惑」(1994.07.11)
2011.05.31 あげあしとり92「家庭環境調査表」(1995.04.26)
2011.06.01 あげあしとり93松戸夜間中学ものがたり1(1995.06.10)
2011.06.02 あげあしとり94松戸夜間中学ものがたり2(1995.06.10)
2011.06.03 あげあしとり95松戸夜間中学ものがたり3(1995.06.10)
2011.06.04 今どうしても怒っています(1995.09.05)
2011.06.05 中村好成県教育長の体罰容認発言(1995.09.06)
2011.06.06 中村好成県教育長の体罰容認発言の2(1995.09.08)
2011.06.07 Re.エコも怒っています(1995.09.10)
2011.06.08 続今どうしても怒っています(1995.09.11)
2011.06.09 あげあしとり96皆さんの意見を聞かせて下さい(1995.11.02)
2011.06.10 あげあしとり97取りあえず思いついたこと(1995.11.02)
2011.06.11 あげあしとり98「どんな子どもに/meme」(1995.11.05)
2011.06.12 あげあしとり99「僕の教育論その1 新井」(1995.11.05)
2011.06.13 Re.「あげあしとり97のレス H」(1995.11.11)
2011.06.14 私の教育実習(1996.06.13)
2011.06.15 あげあしとり100「PTA総会はゴミだった」(1996.06.21)
2011.06.16 土師淳君の事件で(1997.07.08)
2011.06.17 色のことで考えたこと(2001.05.21)
2011.06.18 佐世保の事件について(2004.06.07)
2011.06.19 続佐世保の事件について(2004.06.14)
2011.06.20 文教大学に要望したいこと(2004.10.04)
2011.06.21 文教大学に要望したいこと 最後に(2004.10.25)
2011.06.22 山岡俊介氏の著作の中での校則の問題(2005.01.14)

  今後も、こうした教育のことについて書いていくつもりでします。

PTA総会はゴミだった ゴト(1996.05.15)

 私はPTA総会というようなものに参加したことはありません。でもゴトさんの書いているのを読むと、なんだか随分ひどい光景ですね。「ほんとに、こんなにひどいのか」と思ってしまいました。

 私の娘が行きはじめた墨田区の横川小学校は校長が代わったばかりなのですが、新しい校長、教頭、前校長、教頭が全部挨拶します。その挨拶の内容が、みんな同じリストが頭に入っているらしく、そのリストに入っている人に世辞を言いつのります。まあ、業界内のほめあいです。

11061411 私の埼大の同級生、後輩で公立の教員になった友人たちは、今校長・教頭になりつつあります。傾向として、私たちと一緒に学生運動をやっていたが、検挙起訴暦もないという人や私たちの運動のシンパ層だった人が、今そういう立場になってきています。思えばあの友人たちが、ゴトさんの子どもさんの学校の校長教頭になっても不思議ないわけですが、実際の彼等はこれほどひどくはないだろうと思うんです。

 この前教頭と現校長は、子供を国のために育てるなどと言います。それこそ場所をわきまえろと思います。墨田区は下町空襲で大量の人が死んだ場所です。目の前で肉親が焼け死ぬのを手をこまねいて見ていた子供もいる所です。で、国が何をしたかというと、戦後、爆撃の作戦をねった人物に勲章をやっています。馬鹿ども、そういうことがわかってるのかと思います。

 私が前にUPしました

  1995-03-10「戦争と平和」を語る

では、東京都立化学工業高等学校でしたが、挨拶してくれた校長はこの東京大空襲のことをいつまでも忘れないということで、この講演会を企画したということを言ってくれました。

 最初はこの府立化工の同窓生の東京大空襲の私記の朗読です。朗読してくれたのは、現在の都立化学工業高の1年生の女子高校生でした。私の長女と同じ子たちが、ちょうど50年前の東京大空襲の記録をどのような思いで読んでくれていたのでしょうか。少なくとも、私にはこの朗読してくれた二人の高校生にはこの記録は深く心に残ったのではと思いました。かなりな内容の私記でした。この日の空襲の悲惨さをよく伝えてくれています。

 同じ墨田区の公立なのに、随分校長といっても違うものなのですね。驚いてしまいます。

 こうした苦しい総会が終わると、懇親会というものになります。弁当と酒が出ます。担任が各クラスのテーブルにつきます。内心はここで怒髪天をついています。何で昼間っから酒を体育館で飲むんじ>ゃい。飲みたかったら仕事が終わってから外に行かんかい。誰がこんなことをやりたいんじゃい、出てこんかい――と、心が映画で見た広島弁になっています。

 私は酒を飲むのが好きですが、ここではゴトさんと同じことを感じてしまいます。「飲みたければ、仕事が終ってからにしろよ!」と。なんだか質の悪い業界の会合を見ているようですね。私は、昔業界紙の新聞記者だったときに、その業界での会合をそのまま書いていきました。

  〇〇氏、酒をあおり、唐揚げをほうばりながら、こう発言。
  「………」

このように書くと必ず電話でクレームがきました。でも私はひきません。
 私がいいたいのは、業界の大事なことを決める会合を酒飲みながらやるなよということなのです。酒飲むのなら、その会合を終えてから飲めばいいだろうということなのです。
 PTAも同じなのですか。でもうちの娘たちの学校ではなかったと思います。酒飲むのは、会合が終ってから、先生とお母さん方で外へ出て、どこかのお店でやっていたと思います。

11061108 なんとなくまだ、Hさんのいうことがうまくつかめません。でも私もうまくHさんのいう内容にあげあしさえ取れそうもないので、今回はただこういうのみです。受験戦争のことでも、多分私なんかの思い出とは随分違うようですから、これまたうまくかみあう論議を私ができそうもありません。
 Hさん、できたら直接あっていろいろと話しませんか。どうにもうまく論理的に展開できそうもないけれど、いろいろと話していけばもう少し何かがつかめるのではないのかと思えるのですね。
 それで以下は、あんまりどうでもいいようなことを聞いています。特別に「明確にしてくれ」なんて気ではありません。

特に思ったのは、サークルの女子のひとりが高校にはいるまでバナナの食べ方を全く知らないという話を聞いたこと

と書かれていたことなのですが、この子が知らなかったのは、バナナを皮をむいて食べるということを知らなかったということですか。ひょっとしてナイフとフォークを使ってやる西洋料理のマナーのことではないでしょうね。
 それで、この皮をむくほうだと思いますが、それならどうでもいいことじゃないのかな。私は近年に到るまで、アボガドとかキウイの食べ方を知りませんでした。大学生をすぎるあたりまで、レモンはどうするものなのか知りませんでした(高村光太郎「レモン哀歌」は知っていたけど)。中学生のときに、ある映画でレタスをむしゃむしゃ食べるシーンに笑いが起きたのを覚えています。あのころそんな「レタス」というものを、ほとんどの日本人は知らなかったのだと思います。
 私の親はレモンをどう使うかを家庭で教える常識とは思っていなかったようです。でも私は私の親がこのことで、「家庭教育」の大切さを知らなかったなんていう気はありません。
 なんだか、つまらないことを言っているようですが、私はかなり真面目に言っているつもりなのです。

どんな子どもに/meme(1995.11.01)
 自分の頭で考えて動ける子ども。
 これだけですね。

11060913 私もこの通りだと思います。これは子どもというか、ひとりの市民というか、大人というか、ひとりの個人であり、ひとりの国民というか、とにかくこうした存在になるべきだと私は思うからです。
 随分前に書いたことですが、

   あげあしとり24「10・10保護者授業参観」
でもこの先生も感心する話をいくつもされました。この先生と生徒の1学期からの約束ごとがあるのですが、それをいくつも聞いたから、子どもと話すことがいくつもできました。

 子どもたちが、中学を卒業したら、それこそ独りで生きていくことができるように私も家庭も指導すべきではないか。実際に世の中にでていくのは、高校卒業時とか大学卒業時となるのかもしれないが、すくなくとも中学校を卒業するときにはひとりでもいきていけるようにならないといけないんだよと教えたい。

うまく表現できないのですが、このようなこと述べられました。私もつい喋りましたが、「ああ、いい先生だな」と思いました。

のときの先生も同じことを述べられていると思います。この先生は私と同じ年で、教科は音楽の先生でした。子どもたちに対して、常に一個の人間として対等に付き合っているという姿勢でした。この先生自身も、ひとり自分の頭で考え行動しているように、子どもたちにも、そのように指導していっているという姿勢でした。私の二人の娘はともにこの先生に担任になってもらいましたが、この先生のお蔭で、随分自分たちでやり抜くんだという姿勢を自分達自身で作り上げることができたような気がしています。
 以下のUPで私はおはぎたちが中3のときにクラスでやった演劇を紹介しました。

  FOREVER

 この演劇はたいへんに感動できる内容だったのですが、私はもうひとつこのときの担任の先生にも感激感謝しているのです。
 私が担任の先生にも感謝しなくちゃとおはぎに言うと、

  え、T保(先生は名前がITという)に感謝なんかいいよ、T
 ちゃんは何にもしなかったんだから。

なんて言っていました、クラスの子たちが全員で夕方遅くまで取り組んでいたとしても、T先生は一切何も手伝わなかったようです。ときどき、大道具の落ちている釘を拾って歩いているくらいはやっていたようですが。だからおはぎはじめクラスの生徒たちは少しもT先生には感謝していませんでした。T先生も少しも、自分の存在をアッピールするようには振舞っていなかったと思います。でも、私には、どうにもこの先生の姿は羨ましかった、立派だなと思ったものです。生徒たちみんながひとりひとり自分の頭で考えやり切れるような形をそっと見ていただけなのです。
 私は娘たちの先生方にはなんだかいつも感心していました(もちろんそうではない先生方もいましたが)。いい先生ってたくさんいるし、そして少なくとも、私が思うような希望しているようなことを指導してくれる先生の実践というのはあるのだなと思っておりました。

取りあえず思いついたこと(1995.10.29)

 この文を読んで、あれほど論理的な展開をされてきたHさんが、どうしてこうした展開をされるのかなと思ってしまいました。
 私も家庭は大事なものであると、前々から言っております。Hさんの言われるように「学校に上がる前に」という段階は大事なことだと思っています。
 でもどうして、

学校教育がやるべきことは、まず親を教育してしっかりとした家庭教育をさせることではないでしょうか。

11060820と言われてしまうのですか。私は子どもが二人いますが、まずこの子を教育する学校教育は、私と妻を教育するということですか。そうすると私を教育するのには、また私の父母の教育ということでしょうか。私も妻も、私の父母も、どんな年になってもさまざま学んでいくことは大事であろうとは思いますが、どうしてそれが学校教育でやるべきことなのですか。私は子どもたちの通った学校の先生にも、いろいろな会社等々の職場にも尊敬すべき方々をたくさん知っているつもりですから、それらの方々からたくさんのことを学んできたし、これからも学びたいと思っておりますが、学校教育が私たち親の教育をする場だなんて全く思いません。またそれらの多くの尊敬すべき先生方も、私たち親を教育しようなどという考えをまず持っていないかたであろうと私は断言できます。
 私は教育とは、個と個の人間が触れ合ったときに、互いに影響しあっていくものであると思っています。だから私はさまざまなかたからいろいろなことを学んでいくわけです。私も相手に何かを影響していくこともあるでしょう。だが、家庭でやるべきことを、学校で教わろうなんて全く思いません。それは学校でやることではないのです。

家庭でやるべきことを学校に持ち込んだ結果このように過重な負担を学校が強いられ、結局学校は本来あるべき姿を失いつつあると考えます。

 Hさんの論理は、学校(本来あるべき姿というのも何なのか判らないけれど)がこうなったのは家庭でやるべきことをもちこんだからだといいながら、

 少なくとも、現在学校に求められていることは情けないことですが、基本的な生活習慣を身につけさせることではないでしょうか。

結局は、もっと学校が家庭の替わりをやれと言っています。「歯を磨く」という基本的生活習慣は、Hさんの言い方だと、家庭と学校とどちらが指導しろというのでしょうか。
 また私は

それは、親が受験戦争をあおり、小さいときから勉強しかさせていないことにも一端があるように思うからです。

  こうした言い方も少しも納得できません。私も親ですし、周りの親もよく見ています。どこでこうした言い方ができる根拠を、Hさんは少しでも見いだされることがあるのでしょうか。
 大いに反論、同感、異論さまざま歓迎します。

 私も何か書こうかなと思いました。あいもかわらず「あげあしとり」になるのかもしれません。

皆さんの意見を聞かせて下さい(1995.10.29)
「期待される人間像」だかいうのが、昔文部省から出されたような気がします。

11060813 私が高校1、2年のときだったと思います。昭和39、40年(1964,65)だったかな。確か桑原武夫とか高坂正尭がその論者にいたように記憶しています。 高校2年のときに、私の高校で何人かの生徒を集めてこれへの感想とかを聞かれて論議したことがありました。誰もが「期待される人間像」で言われている内容へ大いに反発の弁を述べていたように思いました。私はそうではなく、「内容なんかより、こうしたものが出されてくる背景が問題なのでは」という発言をして、上級生や先生方に相手にされなかったのを覚えています。私は内容の見当をしはじめたら、それこそ相手の土俵じゃないのよという気持ちがありました。
 まずはそんなことを思い出しました。もう少しあのときいろいろと論議されていたことを思い出してみても面白いかななどと思いましたが、今の私には資料がありません。

今、学校教育は、本気で、「我々はどんな子どもを育てようとしているのか」ということを考えなければいけない時期に来ていると思います。

 戦後の教育が生徒を戦場に送り出したことからの反省から出発したと言われていますが、おそらくいつもこの問は真剣に問われていたことであろうと思います。またおそらくは戦前にも真剣にそのことを問うていた教師はたくさんいただろうと思います。私は教員ではありませんが、「教育とは何なのか」ということは大学生のときから常に自らに問うてきたことであると思っております。「教育」とは、教員に限らず、私たちすべてが深く考えていかなければならないことであると、私は思っております。なぜか特別今が「学校教育」にとってそうした時期という理由(わけ)があるのでしょうか。
 そのように思うときに、私は以下のような問を読んで、そのまま答えることができません。

そこでみなさんにお願いです。

***************************
 今、学校教育は、「どんな人間を育てるべきだ」と思いますか?
 今社会は、「どんな人間を求めている」と思いますか?
***************************

という問いに、色々な方の意見を聞かせていただきたいのです。

 まずえむさんの言われる「学校教育」とは何であるのか、私には真っ先に判りません。小学校教育、中学校教育、高校教育そして大学教育も含むのか。公教育、私教育も同じに論ずるのか。専門学校はどうなのでしょうか。私教育でも、学校法人でやっているところもあれば、私塾、進学教室もあります。これら全部を含むのか、それともどれかは省くのか、私には理解できません。
 例えば、私たちの住む地域に存在しているある私立中学高校で、私が「これはどうにもひどいんじゃないかな」と思える学校があります。私がそこの学校の教育方針はどうにもおかしいと力説し(だから学校教育はこれではいけないのではと主張し)たとしても、「何を言っているの?」と言われてしまうのかななんて、私が危惧してしまうところがあります。
 だから私はなんだか簡単に喋りだせません。喋りだせませんでした。

 それからさらにいいますと、私がこうしてこのように言い出すこと自体が、「それでは前向きの発言ではない」と言われるように私は恐れてしまいます。
 なんだかえむさんのこの提案には、あれもこれも「前向きではない」と拒絶されてしまうのかなと私は最初から思ってしまいます。「前向き」という言葉自体が私にはよく理解できませんが、

たとえば「最近の若い者は〜だ。」で止まってしまい、「だから、こんな若者を望む。」の部分がないような意見だと、なんか、話が前向きでなくなってきます。

同様に、学校批判も、いろいろ聞かせていただきたいのですが、「学校はダメだ。」だけでは、ほとんどの教師は「なに言ってやがんだ。」という反応しかしないと思われるので、これまた前向きではありません。

それから、「学校教育に何も期待してないよ。あんたが一人で力んでみても、教育なんて変わらないよ。」という意見もいいのですが、やはり前向きではありません。

ついでに・・・  「こういう人間を育てる・・・なんていう考え方自体が、思い上がってるんだ。人間は自分で成長していくもんだ。自分達が育てているような気になるんじゃない!」という意見もおもしろいのですが、とりあえず、今は前向きではないので、また場を改めて語るということで・・・(^_^;

とまでたくさん言われてしまうと、

気楽に考えて下さい。

と言われても、「俺が喋ることは、前向きじゃないって言われるのかな?」と、最初から警戒してしまいます。
 私は論議というのは、まずはテーマに沿って思うことを述べていけばいいのであり、その中でさまざまに展開していくものだと思っております。最初から「前向きでない」というような、判らない言葉で規制されてしまうと、「どうせこれも前向きでない」と言われてしまうのだろうなんて、思ってしまいます。まずはさまざま発言がでて、でもえむさんがそのままの言い方だと「論議が先に進まない」とか「どうにもそうした話だと建設的にはできていけそうもないから」と指摘されればいいのではないのですか。
 私は不思議なのですが、えむさんが学級で子どもたちと論議されるときに、最初からこのような規制をされて始められるのでしょうか。子どもも私もそうですが、何が「前向き」で何が「後ろ向き」か、判りませんよ。もし判っているのがその学級にいる先生だけだとしたら、それで話合いになるのでしょうか。
 どうせなら、後ろ向きでもいいだろうと私は思っていますし、こうして喋りだしてしまえば、もう何と言われても、またいい続けていきたいと考えます。

松戸自主夜間中学ものがたりパート3(1995.06.07新井
 こんなに素敵なラブレターをくれました。嬉しいデス。いままで授業を続けてこれたのも「ボクの授業」に参加してくれたみんながいたからです。

11060303 私もいつかこんな「ラブレター」がもらえるようになるだろうかなんて思いますが、今のままでは駄目でしょうね。でも何人かの人でも、パソコンに親しんで、パソコン通信で、このネットにアクセスしてくれたなら、それがこうした「ラブレター」にあたるかななんて思っています。

 それは、個別学習というのは、どうしても一対一の関係になってしまうし、行き詰まると答えを押しつけてしまいがちだ。それに比べて一斉授業は、他人がいる。この他人がいることが大事なのだ。それは、「ものごとを理解するというのは他人に説明できてはじめて理解する」と思えるからだ。自分ではわかったつもりでも他人に説明しはじめると途端にわからなくなってしまうことがよくあることだ。これは、教える側の人に多いのだが、「他人にうまく説明できないのは、じつは教えている本人そのものがよくそのことについて理解していないのだ、ただ知識としてノーミソに取り入れているだけだ。」ということが多いまた、授業のなかで一つの問題にたいして「あ〜でもこ〜でもないと討論していくなかで、「あいつなかなか面白い考え方するなぁ」「以外だなぁ」「なんでアイツはオレの意見に反対なんだ」なんて考える人が出てくる。これは、「他人の素晴らしさを発見できる」ことだ。だから、他人のノーミソを使って新たなる考え方が生まれる。そして真理を実験によって決着をつける。なかには少数派が勝つことだってある。そしてこういうことの営みのなかで、「真理は多数決では決まらない」「他人と話し合うと楽しいな〜学べるな」なんということを体験しちゃうのだ。だからボクは一斉授業にこだわりたいのだ。

 これだけのことに到達している教員って何人いるだろうかなんて思います。いや教員に限らず、さまざま何等かのことを教えている人に感じてしまうことです。大学の先生に限らず、いわゆる知識人という連中に多く感じてしまうところでもあります。
 人に説明するということは、人前で喋ることだけに限りません。こうしてネットで述べていくことでもあります。私は「周さんの本箱」で長く「周の書評」をやってきましたが(このごろさぼっているけど)、あれは書いていくと、一番「いったい俺自身が判っているのかな?」という思いがわいてくるものです。そしてそうすると、また考えますから、それでよりその対象の本の内容が判ってきたり、その著者のねらい見えてきたりしてきます。
 人に懸命に説明しようとすることで、そのものの本質が見えてくることがあるというのは、多いな喜びであると思っています。
 なんにしても、今後また松戸自主夜間中学と、このネツトでいろいろなことお話しましょう。

松戸夜間中学ものがたり2(1995.05.28)新井
一斉授業は出たい人のみ参加するので、「ヘタにつまらない授業を行う」と誰も来てくれません。とくに登校拒否している人は、勉強じたいを食わず嫌いなので、一度も一斉授業には出て来ません。何とかしたいとは思いますが、むづかしいものです。とにかく<楽しい授業>をやっていきます。

11060202 たしかに難しいですね。私は昔けっこう大規模に進学教室をやっていて、しかも室長(会社だったから正式には代表取締役社長だったけど)だったので、たくさんの講師を使ったのです。それでいざとなれば私こそが一番生徒をひきつけられる授業を展開できないとならないわけです。もちろん父母の希望者にも見てもらいますから、そういうときこそ、いわば見せ場でした。それで今はまた仕事で、人前で喋ることも多いわけです。でも、やっぱりそれでも松戸自主夜間中学の一斉授業というのは難しいなと感じています。
 でもなんとか今はパソコンの授業をもっと魅力あるものにできたらなとのみ考えています。そしていつか私も別の授業をやってみたいなと思っています。

 新井さんが、こうして「松戸夜間中学ものがたり」をUPしてくれまして、たいへんに嬉しく思います。

松戸夜間中学ものがたり1  新井(1995.05.28)
         松戸自主夜間中学  Q&A

 私もよく仕事上のクライアントや友人たちに松戸自主夜間中学のことを話すと、ここにあるようなことを聞かれます。

 さまざまな理由で小学校や中学校の義務教育を受けられなかった人々(義務教育未修了者)や、義務教育は「修了」したが十分な教科内容を受けられなかった人々など、義務教育の教科内容を必要としている人々のために、学習の場を保障すること。

11053104 私たち以上の人だと、このことはすぐ理解してくれるのですが、若い人の中には、「義務教育未修了者」という存在がすぐには判らない人がいます。「字の書けない人がいるというのが判らないようです。あと中国残留邦人のことを話したり、現在の学校での不登校児のことなどを話していくと、どうやら判ってくるようです。

☆お喋りに行っていいですか?遊びに行っていいですか?
 じゃんじゃん来てください。待っています。

 そうですね。もっとたくさんの人に来ていただきたいですね。

95-04-20 06:07:29 家庭環境調査表
家族構成やら地図やらと、けっこう面倒くさい。

 いつも私は地図を書く担当でした。けっこううまく書いていたのではと思います。でもたしかに

 「テキストマップ・エディタ」やら「まっぷっぷ」使えるといいな(笑)

11053014だったらいいですね。もういっそのこと全部メールで送れてしまえば一番いいのだけれど。私は会社の関係(いろいろな書類)のはみんなテキストにしていますから、ただそれをハードディスクからとりだして、少し直せばいいのだけれど、こうした学校のは、すべて面倒です。

 友だちみたいな親に見えるかも知れないが、迎合しているつもりはない。叱る必要がないから叱らない。親の言うことを聞かないというのは、親の言いなりにならないと言っていることだと認識している。子どもは一個の人間である。信じているから叱らない。

 これはまったく「いいこと書いているな」と感激です。ついでに私は自分の子どもたちの友人たちとも、友だちのように振舞っています。だって、ひとりひとり愉しい子たちなんだから。
 でもこの「子どもは一個の人間である」という当り前のことが確認できない大人がいかに多いことでしょうか。ここのネットでも過去さまざま「教育」にまつわることを話してきましたが、この点に関して私は、

あげあしとり78 ゴトですひさしぶりのアップ(1994.05.04)
「教える、教えられる」という関係を拒否し、一個の人間としてのみ子どもたちと接する。

あげあしとり80「ホンネで語る教育談義CUG」(1994.05.05) 周
生徒が一人の人格をもった人間であり、原点は人間と人間の付き合いだというのは、私がずっと主張しているところです。

というように主張してきました。これはmemeさんと同じ原点を述べていると思います。だがそうでない意見も、このネットでは述べられてきました。私にはこの原点からの出発からしか理解できないものです。

 保護者会の資料に「子どもに迎合する親が増えてきた」とあったので反抗してみました(笑)

 私もこんな資料があったら、当然「反抗」するな。ようするに分かっていねえんだよ。こういう親や教員とはとことん論争したいものです。
 ただ、私の子どもたちの小学校中学校は、あんまりいろんな問題が少なかった(いやほとんどなかった)といえるかと思いました。随分昔はいろいろと問題があったようなのですが(これはまたいろいろと聞いていました)、その時代にさまざま解決してきた親、子ども、先生たちがいたのでしょう。
 子どもはこうあるべきだと、頭から決めつけている大人が大勢いるんです。その自分の決めつけた子どもの像から、少しはずれていると(大幅にだとなおさら)、なんだかとんでもないかのように言います。時代がとんでもないかのようにいいます。なんなのでしょうか。
 前にも書きましたが、このことを漫画の中の子どもで象徴的にいってみましょう。私は「サザエさん」の出てくるカツオがこうした大人が頭の中で生み出してしまった子どもの象徴だと思っています。いつも明るく元気で、勉強嫌いで、学校から帰ればいつも広場で友だちと野球している。はっきりいって、どこにも存在しない子どもです。
 私が好きになれるのは、「ちびまる子ちゃん」のはまじです。夏休みのラジオ体操でまる子に、ズボンのおしりが破れているのを指摘されても、全然気にしないが、花輪くんのお誕生会に招かれて、自分の靴下に穴が開いているのを気にして、椅子に座りっぱなしのはまじ。毛糸のパンツをはいていくのを嫌がる小学3年のまる子。子どもは総じて、大人よりも、より大人の世界を作り上げてしまっているのです。
 存在もしていないカツオを子どもの姿だと錯覚して、現実の子どもにも理想の子どもとして強調してしまう、そんな大人がいくらでもいるように思います。
 なんだか、もっともっと話していきたくなりました。またここでこうした教育に関した話をしていきたいな。

 柏の元中学校長によるセクハラ疑惑に関して、毎日新聞の総括的な記事がありました。

11052907   フォローアップ千葉
 柏のセクハラ疑惑  当事者への配慮欠く灰色決着  PTA活動の見直しに一石も                                              1994.07.10 24面
 柏市教委幹部職員のセクシャル・ハラスメント(セクハラ)疑惑は、女性数人から被害証言を得たにもかかわらず、同職員を文書による厳重注意、監督者の古谷武雄教育長を口頭による注意処分という“灰色”決着で終った。今回の問題では、調査方法や教育委員会の体質、PTAの在り方が改めて問い直され、教育・PTA関係者に深いしこりを残した。(五十嵐  京治)

  経過
 五月中旬、被害女性の一人が渥美雅子弁護士に相談、「市教委幹部が教頭、校長をしていた当時、懇親会の席で胸など触わられた」と新聞報道された。市教委は六月七日、調査委員会(会長・木島章雄柏一小校長)を設置、聴き取り調査を開始、目撃していた教諭や被害に遭った数人の女性から直接証言を得たが、裏付け調査はされず、六月末で調査は打ち切られた。調査報告書がまとめられ、教育委員会は「女性から被害証言を得たが、幹部職員が否定したため、確証は得られなかった。調査能力にも限界がある」とし、疑惑を招いた責任だけを問う形で幹部職員と、監督者の二人の処分を決めた。

 今回の決着に、渥美弁護士は「被害者の証言を得ていながら『事実が分からなかった』では、ただ調べたというジェスチャーに過ぎない。教育界(者)は、みんな『いい子』にしてしまう」と手厳しく批判する。一方、証言した女性は「納得がいかない。私たちのプライバシーは守られないし、話したことは無視されるし、バカにされている感じ。勇気を持って証言した意味は何だったのか」と不満を募らせる。
 市教委の対応には、幾つか首をかしげることがあった。古谷教育長は市議会で「絶対うやむやにはしない」と言いながら、結果は限りなくトーンダウンした。報告書には被害に遭った女性たちの証言を記載しなかった。しかし、女性らは「記者会見で教育長は、被害にあった日時や場所、弁護士に相談したと思える女性に会えた、などと勝手な憶測で話した。個人が特定されることは明らかにしない約束を守らなかった」と怒った。
 公開が原則の裁判でも、セクハラ訴訟に関しては被害者を公表しないこともあるほどなのに、市教委は最初からマスコミの取材に幹部職員の実名を挙げるなど、被害者、加害者と想定される当事者への配慮が欠け、軽率とも言える発言が目立った。
 証言によると、PTA役員の懇親会の酒席で起こったことで、教師と親の付き合い方が、改めて問われることにもなった。どの学校もPTAの役員のなり手がいない。半面「内心書に関係するから小六と中三の時には役員はなり得」という声も聞かれる。その役員も女性がほとんど。ある関係者は「子供は人質、学校に言いたいことは言えないのはどの親も同じ」と、教師と親との間に深い溝があることを挙げる。今回被害に遭った女性の一人も「子供への影響が怖かった」と話しており、関係者が口を閉ざし、事実の究極の障害になった。
 教職経験のある柏市在住の教育評論家、能重真作さん(六〇)は「今回のようなことは、どこでも起こる可能性がある。元々、PTAは教師と父母がともに子供の教育について考える機関で、学校から独立して子供の教育問題について批判できる存在が理想的だ。しかし、現在は、『学校後援会』になってしまっている。管理職は一般に父母の存在を煙たがっている、と思われがちだが、顔色をうかがっているのは議員や教委幹部らに対してであり、親は学校にこび、教師がそれに甘える構造がある」と、根底にある問題を指摘している。毎日新聞千葉版

 たしかに灰色決着というイメージを最初に思いました。もし「教育界(者)は、みんな『いい子』にしてしまう」という渥美弁護士の言葉に「いやそんなことはない」という教育界の方がいるのなら、なにか発言していただきたいものです。少なくとも私が関係しているさまざまな業界の会社ではこうした決着はつけていないと思います。なんて公教育というのは、ひどい世界なのでしょうか。

 前二回に渡って報告してきました、柏市元校長のセクハラ疑惑事件の続報です。どうやらこれで決着のようです。

元校長ら2人処分  セクハラ疑惑で柏市教委
                       94.07.01  朝刊 24頁
 柏市の市教委幹部職員(五三)が市立中学校長時代にPTA役員の主婦に性的嫌がらせをしていたとされる問題で柏市教委は三十日、この幹部職員を五日付で文書による厳重注意、監督者の古谷武雄教育長を口頭による注意処分とすることを決めた。
 同日開かれた教育委員会議で、市教委が設置した投書問題調査委員会(会長・木島章雄柏一小校長)から「二人の女性から被害証言を得たが、幹部職員本人が否定したため、確証は得られなかった」との報告を受けたが、「疑惑を招いた責任がある」として二人の処分を決めた。
 PTA関係者、被害に遭った主婦の相談を受けた弁護士などの相談によると、この幹部職員が数年前に同市内の中学校で教頭や校長を勤めていた際、役員会の懇親会の席で、PTAの女性役員の胸やおしりを触わるなどの行為を繰り返していた。
 柏市教委は調査委員会を設置し、六月七日から幹部職員が学校長をしていたころの教員、PTA会員ら計四十七人から事実関係を聴いた。この結果、女性二人から「胸に触られた」との証言を得たものの、幹部職員がこれを否定したため、二人の証言を裏付けることは出来なかったという。
 しかし、市教委は「教育に携わるものが、疑いを持たれること自体あってはならないこと」として二人の処分を決めた。
 古谷教育長は「本人が否定したのに加え、調査能力にも限界はある」と話している。  毎日新聞千葉版

11052705 どうにも理解できない決着ですね。そうなるとセクハラ疑惑のみならず、最初の監禁の事実などはどうなるのでしょうか。結局被害者が訴えなかったから、それはなしということなのでしょうか。被害者本人がそれでいいというのなら文字通り仕方ないですね。
 しかし、セクハラ疑惑については、本人が否認したので確証が得られないとはどういうことでしょうか。二人の女性以外の47人の関係者はみなその事実を否定または知らないこととの証言をしたのでしょうか。多分そうなのでしょう。
 これが教育界なのですか。「文書による厳重注意」とは私たち民間人からみれば、やっているなら随分馬鹿にした処分であり、まったくの無実ならこれまたひどい処分です。なんでこうあいまいなまま終ってしまうのでしょうか。
 公教育の世界らしい、ひどい決着の付け方といえるのかと思います。

 昨日の話の続きです。どうやら、この元校長は記者会見で事実を否認したようです。でもそうすると、なんで「進退伺」を出すのでしょうか。不可解ですね。

セクハラ疑惑で会見  元校長、一転し否定
                       94.06.09  朝刊 22頁
 柏市の市立中学校長がPTA役員の主婦に、ワイセツな行為をしていたとされる問題で、疑惑を持たれている市の幹部は八日、市役所内で記者団の質問に答え、「新聞に書かれたような事実はない」と否定した。校長職を退き現在は市の要職にあるこの元校長は七日、古谷武雄教育長の事実確認に対し「酔っていたのではっきり覚えていないが、胸には触わったかもしれない」と一部認めるような発言をしていたが、「ことば足らずで、一般論をいっただけ」と、これも否定した。
 元校長は「意図的に触ったことはなく、もし懇親会のような席で誤解を招くようなことがあったならば、申し訳ない」と話した、進退伺を出したことについては「うわさになったことで、教育の信頼にかかわると思ったので」と話した。毎日新聞千葉版

11052605 私がサラリーマンだったときのことを少し書きます。この「進退伺」に関して思い出したことです。
 私のいた会社の親会社での、幹部会というのが開かれたときのことです。毎回全国から30人ばかりの役職幹部が集まります。3日間くらいかんずめで会議を行うのです。あるとき、最初の日から、社長が猛烈に怒りだし、「俺はもうこんなことでは、社長なんかやってられない」と、途中で退席し、自宅のマンションに引き篭ってしまいました。大変にワンマンな社長なのです。
 その後の幹部会は誠に困窮してしまい、結局は社長にもう一度会議に出席してくれと切実に要望します。社長はしらんぷりです。何度も頭を下げてきた幹部たちに、社長は、それではと話し出します。どうしても、俺に社長を続けて欲しいのなら、今の幹部全員が俺に進退伺を提出せよというのです。
 私は子会社の人間ですが、そちらではチーフだったもので、親会社の担当幹部がいろいろ報告やら相談やらに来ます。私は

  この幹部全員の進退伺なんて、まったく冗談ではない、あなた
 幹部にはたくさんの部下がいるのだから、そういう軽はずみなこ
 とをするな!

と鋭く言い切りました。進退伺を出すと言うことは、同時に「辞職願」も出せということだろうから、もういつ首切られてもいいということだ、それで会社の仕事がやっていけるのか、今も働いているたくさんの部下たちはどうなるのだということなのです。
 幹部の間でも私と同じ意見は全く少数ながらあったようです。でも、多くの馬鹿幹部たちは、もう社長のいうとおりになってしまいました。多少の反対意見は抹殺し、全員が進退伺そろえて提出しました。当然全員が「辞職願」をつけて。これで、社長は会議に何日かぶりにもどってきました。お前らがそれほどいうのなら、俺もまた社長をやろうというのです。
 さてどうなったでしょうか。自分の出した「辞職願」のとおり、約十数人がそのまま退職になりました。私からみれば、すこしは骨のある社長ばかりを向いていない人たちばかりでした。しかし、もう自分から進退伺と辞職願を出してしまったのですから、もう引き返せないのです。
 私はかなりこれらの幹部連を批判しました。ということは、社長も大いに批判したことになります。……………………。

 それはさておき、私は何でこんなことを書いているのかというと、一般の会社では、前回書いたように、セクハラといったら、そのやった社員をどんなにかばいたくたって、会社は解雇してしまわなければならないのです。「進退伺」を出すということは、もう会社の判断対応によっては、もう会社をやめることになってもいいです、という意思表示なのです。そうしたことが、この元校長には判っているのだろうか。だから、もしセクハラしていないなら、彼は進退伺など出すことなく、そんなデッチあげをしようとするものに対して、断乎闘うべきなのです。そうではありませんか。いったいこの元校長はどうしようというのでしょうか。

 昨日の毎日新聞朝刊の千葉版に以下のような記事がありました。

元中学校長がセクハラ? 「PTA役員にキス」
                        94.06.07  朝刊 20頁
 柏市教育委員会は「柏市内の中学校長がPTAの主婦にワイセツな行為をしていた」という内容の情報を得、調査を開始し、七日に臨時の教育委員協議会を開き、この件を報告する。古谷武雄教育長が六日、明らかにした。毎日新聞社の取材で、この中学校の校長は人事異動で現在は校長職を離れた現役の公務員であることが分かった。この元校長は「記憶にない」と否定している。しかし、教育現場の責任者の「親の弱み」につけ込んだ行為ともとられ、関係者にショックを与えそうだ。

11052508 被害に遭った女性の一人によると、数年前、校長など十数人が出席していたPTAの懇親会の席で、元校長の隣に座った際、肩に手を回され下着の中に手を入れ、体を触られた。その後、トイレに呼ばれ、抵抗したにもかかわらず、キスをされたり、スカートをめくり上げられたという。女性がさらに抵抗すると、元校長は「二人の秘密だから」などと強引だったという。
 被害に遭った女性は「その時は恐ろしさと子供のことが頭に浮かび、大声を上げることもできず、ただひたすら驚きとショックだった。あの時のことが今でも頭から離れず、非常につらい。そんな人間が教育の仕事に携わっているとは信じられない」。また「こちらに弱みがあったわけではないが、子供のことを考えると……」と、悔しさを隠し切れない様子。
 複数のPTA関係者、被害に遭った主婦の相談を受けた弁護士の話や毎日新聞社の調べなどによると、元校長は数年前に同市内の中学校で教頭や校長を務めていた際、役員続きとの懇親会などの席で、PTAの女性役員の胸やおしりをさわるなどの行為を繰り返していたといわれる。複数の女性役員が、元校長への不信感を高め、役員の間では「いやらしい校長」としても評判で、役員などが元校長に注意したこともあったという。
 古谷教育長は「教育委員の方々と相談しながら、しっかり調べたい。場合によっては調査委員会を設置することになるかもしれない」と語った。
 女性問題に詳しい渥美雅子弁護士は「開いた口もふさがらない話だ。教育界でこういうことがあるとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。セクハラというよりは、強制ワイセツ罪にあたる。教育委員会に訴え出てみては」と話している。 毎日新聞千葉版

 これはもうまったく身近な事件ですね。柏市の中学校の校長だったのですから、この柏市民ネットの会員も面識があるかもしれません。
 こうした公教育の教員たちの生徒に対するセクハラ(どころじゃない例も多々ありましたが)は、この「TR通信」で何度か報告されていました。そうしたことの事実が私たちのつい身近でもあったわけです。この記事によると被害者はPTAの役員になっていますが、生徒にはなかったといえるのでしょうか。はっきりさせてほしいものです。
 さて次に、この件に関しての本日の朝刊の記事です。この元校長は一部事実を認めたということです。

柏のセクハラ問題  元中学校長が進退伺  市教委などに調査委
                        94.06.08  朝刊 18頁
 柏市教委は七日、臨時の教育委員協議会を開き、元中学校長がPTA役員の主婦に、ワイセツな行為をしたとされる問題を調べるため、市教委と柏市小中学校長会(会長・木島章雄柏一小校長)にそれぞれ三人からなる二つの調査委員会を設置した。また、校長職を退き現在は市の要職にある元校長は同日、古谷武雄教育長の問いに、事実を一部認め、進退伺を出した。
 教育委員協議会では、古谷教育長見がこれまでの経過を報告。より詳しい事実を調べるため、二つの調査委が独自で調査し、その結果を教育委員会で照らし合わせることにした。
 一方、元校長は古谷教育長の事実確認に対し、「酔っていたのではっきり覚えていないが、胸には触ったかもしれない」と答えた。「疑惑を招き、公務の執行を妨げて申し訳ない」と、進退伺を出したが、調査結果が出るまで、古谷教育長が預かることにした。
 古谷教育長は「教育界の信頼と名誉を取り戻すため、時間をかけてしっかり調べたい。決してうやむやにしない」と語っている。  毎日新聞千葉版

 いったいこんなことを一般の会社でやったらどうなるでしょうか。私はいろいろな会社をみていますが、さまざまな「すけべえ社長」とでもいう人はいますが、さすが絶対にこんなことはやりません。心の中でいくら思っても、絶対に口に出したり、手を出したりはしません。そんな傾向のある人はたくさんいますし、判りますから、前もって冗談ぽく私がその会社で口に出して警告しておきます。でもさすが各社長連は絶対にそんなことはやりません。もしあったら、私がぶん殴っています。
 しかし、残念なことに若い社員でいたことがありました。やはり酔っていたときのことです。女性の上司の身体にさわってしまったのです。しかも彼女は酔いすぎて記憶がありません。だが、それをまたその若い男性社員が別な席で喋ってしまった。それを聞いた女性は、驚きと怒りで会社を休んでしまいました。彼は、けっこう真面目で私のことしたってくれ、会社にも必要な人材だったのですが、当然解雇です。これが、一般の会社での決着の付け方です。このことはまた別なところで詳しく説明検討してもいいかもしれません。
 この元校長は進退伺を出したということですが、当り前ですが、「辞職願」も付けて出したのでしょうね。ちょっと普通の会社の常識をいうと、「進退伺」とは同時に「辞職願」も同時に出すものなのです。進退については、あなたに預けますということなのだから、当然いつでも辞職するということなのです。そんな常識は公教育の世界でも当然でしょうかね。
 こうして私たちの身近でおこってきたことは、過去この会議室でゴトさんがUPし、私たちが論議してきたことをかなりあっさりと露呈してくれたように思います。私は過去のLOGを読み直してみました。さて、こうした身近で起きた教育に関した事件をまたどのように多くの人は考えていくのかなと思いました。
  ちょうど私はゴトさんの以下のUPが眼にとまりました。

93-02-26 20:33:51 おひさしぶりです ゴト
 私がここでアップして来た手紙は学校の一面を表出しています。これらの手紙によって、学校は私たちの社会の鏡となっています。学校という鏡に写し出された私たちの社会の姿(私たちの姿)は醜いものです。これを見るのは不愉快な体験です。しかし、できるならここから目を離さないで、自分の意志を形成したいものです。
 私がここでアップしている事はどこか遠くの国の出来事ではありません。今、自分の子供が程度の低い教員や、馬鹿な子供のためにひどい目にあう事もありえますし、その逆に、自分の子供が他の子を殺してしまうかもしれないのです。
 駄目な個人を排除するというのは、穏便な考え方ではありません。しかし、このTR通信を読んでいただいていれば、そう考える理由はわかっていただけると思います。子供か大人(教師)かのどちらかを排除しなければならないとしたら、どちらを選ぶのかを決めねばならない。事態は穏便な解決ではすまない所にまで行っているのです。
 本当は、教員の職場環境が良い方がいいし、子供たちにはのびのびとしていてもらいたいのです。しかし、それが現実に矛盾するなら、子供を取るしかない。同時に、なぜ教員が子供を迫害するようなところにまで行くのか。本当にその教員が悪質な人間なだけなのか、判断して行かねばならないと思います。 悪質な人間が教員になる状態があるなら、そこを問題にしなければなりませんし、そうでなく、教員になってから、そのように追い込まれるののだったら、そこを問題にしなければなりません。どちらにしても、それは私たちが構成している社会の問題です。私たちが、現在の学校を、現在のように存在させているのです。
 ひどい教師をこのままのさばらせておくことは民主主義の崩壊と社会の荒廃につながります。憲法と教育基本法を守れない教師、また、それらと矛盾する通達などを出す文部省、教員の採用に議員の介在を許している教育委員会など、でたらめな解釈で事を進める違法な存在を排除できなければ民主主義の基本は維持できないのです。そして、民主主義を維持できなければ、我々は子供を大切に考えているとはいえないのではないでしょうか。

 私たちの生きている一般の会社等々では、私の知る限り、当り前にやっています。さて公教育の世界ではどうなのでしょうか。どうするのでしょうか。

94-05-19 22:11:30 レターズ通信NO.1:ゴト

11052410 これはまた嫌な話ですね。私の長女のおはぎも女子高に入って、バレーボール部のマネージャーになりました。毎日なんだかくたくたになって疲れて帰ってきます。日曜日もどこかへ試合とかいうので出かけています。まあ私はいいことだと思っていますが、この岡山の高校の野球部の伝統はどうにも許し難いことですね。

もちろん、マネージャーと部員のことです。指導教師が知らないはずはありません。積極的に薦めないまでも、黙認はしているでしょう。何せ「伝統」です。野球をはじめ、一部の運動指導者に、あまりに程度の低い、野卑な人間がなっています。

 これはこの通りでしょう。ひどいことです。私が高校に入ったのは、鹿児島県でしたが、私たちの友人たちが行った高校で、Aクラスといわれる成績優秀者と、甲子園にも出る野球部の部員は毎日掃除する義務から免れているというのを聞きました。今思い出してもひどい話です。今でも似たような話の高校は、この関東にも存在するようですが、いくら考えてもひどい話です。有名大学への進学できる子どもと甲子園に行く子どものみが評価されているのです。
 なんだか、私が見聞した私たちのごくまわりにある中学高校でも、かなり驚いてしまう話があります。そんなことをどこでどう話していこうかななんて思っています。

 Jm7さん、

94-05-16 01:22:15 RE;あげあしとり82by周さん/Jm7

を読みまして、やっぱりなにかしら書いて良かったなと思いました。

 以下Jm7さんのUPを読んで考えたことを書きたいと思います。

文字だけで顔もキャラクターもよく分からない限定されたメディアでのこうしたやりとりというのは、やっぱり難しいものなのだなあ、と思ってしまいました。

11052309 たしかにこれは私もいつも感じているところです。互いに顔を見ながら話せれば、その時の雰囲気や顔つきから判断できることが、テキスト画面だけでは、どうしてもぎくしゃくしたものになりがちです。だから、私はくどいほど丁寧に書き込んでいくことこそがいいと思っています。幸いなことに、もし現実の時間の空間で行われる議論の場とは違い、議長や司会がいて、整理したり、また議事録を書く係も必要ではありません。そのまま記録として各人の言うことがそのまま載っているのですから。
 それと私たちの柏市民ネットでは何回かのオフラインミーティングで顔を合わせていることが多く、私は論議している相手の顔を思い浮かべられますから、その点では少しは論議があまり先鋭化もしないように出来ているように思います。ですから、今後OFFが開催されるときには、是非Jm7さんも参加してください。誰しも、またこのテキスト画面からは、想像できないような愉しい面をもっていることにきずかれるかと思います。

さきに明言するのが難しい、と明言してしまう(^^;のはずるいやりかたかもしれませんが、私の言うその「評論家」を具体的に例を挙げて説明するのは、なかなかむずかしいです。というのも、この言葉を使ったとき私の頭にあったのは、いつ頃でしたか「一億総評論家時代」なんて言葉がマスコミに登場したときの、その「評論家」という言葉のニュアンスに近いものだったからです。

 これでなるほどなと思いました。私は評論家全般を駄目な存在とは思っていません。駄目な多くの評論家と、ごく少数だが優秀な評論家もいるということだと思います。とくに教育については、私にも子どもがいてさまざまに身近なことですから、どうしても気になってしまうのだと思います。そして「教育評論家」という肩書の人のいうことを聞いていると、なんだかうなずけない人が多いのは事実です。特に戦後教育界に君臨してきた「国民教育論」の数々の論者には、私は嫌になるばかりです。いまそうした教育論が破綻したからこそ、この「ゴトさんのTR通信」のような場ができているのだと思っています。

自信はないですけど、1回の書き込みで自分の感じているイメージをすべて伝えられるとは思えない(大体それだけの表現力が私にはない、スミマセン)ので、イメージを共有して戴くためのやりとりをまた続けていくことができれば幸いです。

 私もそう思います。何度かこうして書いていくことによって、きっと何かが生まれてくるはずです。パソコン通信の世界ではこうして、自らが発信したときに、何かしら違うものを自らが受け取ることができるようになっているということにきずくのではないかと思っています。

94-05-15 11:55:51 「CUG」の話と「若者SIG」 em
「評論家と論議したくない」というのは、確かにそうです。まぁ、「評論家」という言い方が、どのような人を指すのか、またムズカシイ論議になってしまいそうですけれど・・・(^_^;)
私自身の感じ方としては、そこで、「評論家とはどのような人のことを言うのか、例をあげて論議していきましょう。」と言われてしまうと、書き込むのが億劫になってしまうということです。言葉も慎重に選ばないと書き込みもできない・・・という気がしてしまうのです。だから、もっと、気楽にやりたいと思います。

11052306「気楽にやりたい」という言葉も気持も判ります。だが、私があのように書いていくことが、「億劫」にさせているとは思いません。emさんは、私の表現を「これじゃ気楽になれないから、こんなふうに言わないでほしい」というのでしょうか。Jm7さんのいわれる内容に、私は理解できないことを感じたから、それをそのまま書いただけで、それに対してJm7さんも答えてくれたかと思います。論議はそれのほうがいろいろと話しやすくなるのではないでしょうか。 私は前々からいっていますように、より多くの人が書き込めるような体制を作るの大いに賛成なのですが、だからといって自らの表現をなにかごまかして書いていくようなことはやる気はないのです。本音で書いていくことが大事だと思っているからです。

 ちょっと遅くなりましたが、Jm7さんのUPされた

94-05-11 02:35:10 教育「談義」CUGについて/Jm7

について再び書いていきたいと思います。

ただ、教育の問題はどうも理念と実践がなかなか噛み合いません。理念ではいろいろと卓越した考えが浮かぶし、人にも披露できるのですが、こと自分で行う実践となると(これはご自身が自分の子供に行う教育のことを考えて戴くと分かりやすいのではないかと思いますが)どうも頭で考えたとおりにはいきにくいのが(私としては)正直なところです。理念を具体的な指導のレベルにおきかえて考えたときに、すごくいろいろと工夫を凝らす必要があるし、工夫をこらしたつもりでも理念を実践しきれない、と反省することしきり、という実感を持つのが教育の難しさだと思います。(これが教育だけにあてはまることかどうかは私には分かりません。少なくとも教育にはそういうことが言えるのではないか、と思うだけです)

11052301 こうした理念と実践ということでは、どこの世界でも同じことだと思います。私はよくこのことを学生時代に話したことを思い出します。ちょうど学生運動の盛んな時でした。「理論と実践」というようなことで、じつにさまざま話したものです。
 世界を変革しようと考えるときに、世界を把握しなければならないのだから、世界の変革ということには、世界を把握することがふくまれているんだということが私などの主張でした。つまり実践するためには、当然に理論が必要です。そして実践により、その理論はいくらでも修正されていきます。そうしてやっていくのが私たちの実践であると考えています。

ひとつは、教育評論家という肩書で飯を食っている人が存在するように、教育を「論議」する、というスタンスです。理念に照らして実践はどうなっているか、実践からみてとられる理念はどの程度妥当なものなのか、という視点は普段教育実践に携わっていない人も参加できる、高みからの視点です。あえてぶっちゃけた表現を使えば、「今の若者は・・・」というのと似ている「今の教育は・・・」という視点です。いい/悪い、合っている/間違っている、の2分法も使えるし、その判断に基づいてもっとよい理念や方法を提案できる、アプリオリな(おっとこの言葉も誤解を招きやすい表現かな?)態度です。

 この教育評論家というのが、いったいどのような人をいうのかわかりません。前の文脈からは、「理念」のみにたずさわっている人というように読めます。

それに対してemさんが教育「談義」ということばを使われたように、まず実践があって、それをどう考えて次の実践につなげていくか、そのためには、実践に携わっている人の気持ちになって考えてみる、その上でこれは難しいとか、やりたいけどやれないとか、もっとこうやれたらいいなあとか、自分の立場からするともっとこうやってくれたらいいと思うとか、いずれにしても、あくまでも評論家の視点ではなく、自らの体験と体験に関する能動的な想像とを通して進めていく話合いが存在しうる、と思います。(どっちが理念型なのかといわれるとこれも微妙な問題で「やってみなければわからない」ともいえるし、「それもひとつのイデオロギーだ」とも言えると思います)

 私が現役の教育評論家の中で、評価するのは次のふたりです。

 五十嵐良雄 昭和5年生まれ、4つの大学を転々とし、すべての教科の教
      員免許をとりながら、一度も公教育の教員にはなれませんでし
      た。彼が革命運動をやっていたことがあったからでしょう。い
      くつかの大学では講師になっています。現代書館の「反教育シ
      リーズ」などに数多く執筆されています。

 村田栄一  昭和10年生まれ。川崎市の小学校教員として長く勤務する
      中、たくさんの教育に関する評論を書いています。現在は教員
      をおやめになっています。たくさんの著作がありますが、私も
      以前周推薦35で「学級通信このゆびとまれ」を紹介しました。
      川村徹というペンネームで執筆していることもあります。

 私はこの二人とも、優れた実践家である教育評論家であると思っています。このふたりについてはまたその著作を紹介していきたいと思っています。また私はこのSIGのゴトさんも優れた実践を通した教育評論家であると思っています。こうした評論家の視線がJm7さんのいう「高みからの視点」とはどうしても思えません。

emさんのおっしゃることを代弁しようというわけではありませんが、私なりに、でも過激な表現を使えば、評論家と議論をしたいわけではない、ト。論が正しいかどうかが大切なのではなくて、けっきょく実践に始まって実践に戻るしかない、というスタンスで話を進めよう、ト。そういうスタンスに共鳴してくださる人と話がしたい、という意思表明として私はえむさんの提案を理解し、そうした話合いの場への参加表明をさせて戴いたつもりです。

 私は教育評論家、あるいは評論家であっても話合っていきたいと思います。その人が「教育評論家」という肩書をもっているかいないかに関わらず、評論家と見られる人もいますが、どちらにしろそうした方との論議を拒むものではありません。私があげた教育評論家の3人はまた優れた実践家だと思っているからです。教育について、この場で話していくことが大事なのであり、相手を選別することが必要とは私には思えないのです。
 ともあれJm7さんが発言されたことは大いに歓迎したいと思います。どうしてもこうしてテキストだけだとなかなか自分の思っている真意が伝わらないと感じられるかと思います。自分の書いたことをこのように受けとってしまう人もいるんだというところで、さらに相手にどう自分の真意を伝えようかと考えることにもなるかと思います。その努力はけっして無駄なことではないと思います。
 また話していきましょう。

11052001あげあしとり81続「ホンネで語る教育談義CUG」(1994.05.06)

でUPしてから、まだこのことへのUPが続いています。

 やはりこの「ホンネで語る教育談義CUG」については、こうして話していくうちにいろいろなところが見えてきたように思います。
 私は

94-05-11 23:25:06 laface「CUG」について

のUPでなんだかよい結論だったように思いました。もうこれでほぼ明確にいいつくされているように思いました。

CUGのメンバーは例えばKCNという母体となるネットのメンバーの部分集合である.
CUGはどんな目的を持つ事も許されるし, 入脱会についてはこのCUGというサブネットの中のシスオペおよびCUG運営委員(もしそういうものがあれば)に一任される.
従って母体となるネットの運用者並びにメンバーに対して何らかのレポートをする義務は持たない. (無論自主的に広 報などの意味で活動を報告するのは自由である)

 このことは大事な前提であると思います。とくに3番目のことは、私ももっと早く指摘すべきだったなと思いました。というのは、

94-05-05 10:06:50 教育CUGについて DA
但し、CUGの議長は以下のルールは明確にした方が良いですね.
1.参加する時の条件
2.脱退する時の条件
3.議事録の作成 (サロン等でこれはオープンにした方が良いと思います.

というように考えられてしまうと、これはわざわざCUGを設ける意味をただ面倒にするだけのように思ったからです。わざわざ議事録をつくるルールを作ったとしたら、それこそそれをつくる人は大変だし、しかも論議の内容も、どんなことでも「ホンネで」気軽に発言というわけにもいかないのではないでしょうか。

そして私の私見ですが, このようなサブネットワークの許容が可能なのは大規模なBBSか, もしくは(小規模でも)商用ネットに限られるのではと思います.
 つまり私は一般に言うCUGをKCN上に開放する事は困難であると思います. その理由を以下のとおりです.
(1) あるCUG [A]の開設に際しその開設の是非を決定する基準が存在しない.  つまり,
  CUGを無制限に許容していく事は出来ないわけで, 何らかの基準の下でCUG[A]を開設すべきかどうかの判断をしなければならない. しかし 本来CUGとは, その様に母体ネット上でCUG[A]の目的が議論されるべきではない. だってそれはSIGとの差異を無くす事なのだから.

 まったく開設の基準はありません。私はどんな理由があれ、なんらかの表現行為の場をつくろうということはいいことだと思い、「ヤレバ!」というのですが、そのCUGの内容を細かく討議して規制していくのは、本来はおかしいと思います。今後他にもCUGを希望するグループが出てきたとしても、それがあまりに柏市民ネットの存在のコンセプトから逸脱したものでないかぎり認められてあたりまえだと思います。ただ、その際に、そのメンバーを募集するにあたって、なんらかの広報でもされるときに、私たちは、「オレは参加しないよ」とか「面白そうだな」と考えればいいことでしょう。そのとき、ひとりひとりのメンバーがある価値判断をしているわけです。

えむさんはROMを心配されているという事のようですが, 「教育談義CUG」でその様な微妙なな発言をされる可能性があるというのは, それは実践的というよりプライベートな問題に関わってくるからだと思うのです. もしそうであれば, これは明らかに私のいったSIG的運用ではだめで, CUGでしか実現出来ないでしょう.

 私もこうしたことを最初から感じていました。だからそのような質問をえむさんにしたかと思います。こうしたことでCUGが形成されるとしても、それはそれでまたいたしかたないということではないでしょうか。
 以上でこの問題に対する、lafaceさんのUPに私もほぼ同じように感じているということを述べたわけです。
 さてそれで、lafaceさんも最後に述べている、「実践的」ということについて、さらに述べていきたいと思います。
 この実践的かどうかという問題は、

94-05-11 02:35:10 教育「談義」CUGについて/Jm7 (110L)

で述べられています。私が大いに首をかしげてしまったところです。
 この「ホンネで……」というCUGでの論議が教育を「実践」しているかたの論議ができるところであり、それ以外のオープンな場での論議は、「高みからの視点」だといわれるのでしょうか。Jm7さんのUPされた内容は私にはそのような言い方に読めるのです。
 私はゴトさんが、「ティーズロード」という雑誌で「学校はイマ」という連載を続けており、そしてその連載をみた全国のたくさんの子どもたち(もちろん、その親である大人もいる)からの手紙のすべてに返事を書いていることなど、どうみても大変に手間のかかる立派な教育実践だと思っています。彼には、そうした全国からの子どもたちのたくさんの声が聞こえているから、あのような論議ができるのです。
 私が前々から述べていますように、公教育にたずさわる人のみが「教育」を実践しているわけではないのです。また、子どもを持っているいないも関係ありません。また教育評論家(Jm7さんが具体的にどのような方を、こういっているのかわかりません、Jm7さんのいう評論家とはどのような人なのか、例をあげてもらえばよく判るのですが)だろうが、何であろうが、どんな論議をしてもいいのです。ただ、その論議にうなずけるところがあるか、いや私は反対だなというかというところでしょう。そうしたことを述べていくことだって、優れた実践だと思っています。

11051710 emさんが「ホンネで語る教育談義CUG」の開設について述べられてから、いくつかのUPが続きました。以下の通りです。

 けっこう短期間なのに、UPされた数は多いかなというところです。
 さてこれを私なりに分析しますと、まずこの「CUG」の開設について異議をとなえた人は、私周とTAさんです。あとの方は「賛成」あるいは「参加する」との表明だったかと思います。
 異議の側の意見は、

 1.何で「ホンネで」というのか。
 2.どうしてクローズなのか。
 3.今でも「子供達の為に」「ゴトさんのTR通信」という教育
    関係のボードがあるではないのか。

に集約されるかと思います。それで、その異議に対して、emさんが何度か説明されてきました。しかし、TAさんは

94-05-05 10:34:24 やはりわからない「ホンネで..」 TA

にても「どちらにしてもこのようなことでCUGというクローズな、排他的なグループで柏市民ネットの領域を専有することには反対します」と述べられています。私はどう考えても、たしかにTAさんのいわれる方が筋が通っているように思われます。
 ただ、私はこのえむさんの「CUG」開設には反対しているわけではありません。積極的に賛成もしないし、参加する気もありませんが、「ヤレバ!!」といっているのです。私はなんにしてもemさんがより多く話合いできる場を作ろうと考えることはいいことだと思うからです。その立場から述べていきたいと思います。
 たしかに、TAさんの反対意見を読んでいると、「もっともだな」というところで、なかなかその筋の通った論理を打ち破るのは困難だなと思ってしまうのですが、とにかく私はこう考えるのです。emさんが、他のこととは違って「教育」は特殊なことがあるからクローズにしていきたいというのは、私はなんだか賛成できないのですが、そのほうがより多くの人が話合いに参加しやすいのではと考えるのは、判る気がします。それがはたしてどうなのかなという検証にはなるのではと思います。私自身はより多くの人が参加するのは、その話合いや論議の内容だと思っていますから、クローズかどうかは関係ないと思っていますが、それがはたしてどうなのかは、これで判るのではと思います。またCUGを作り上げていく方々の努力により、私の予想に反して活発になっていくのなら、それはそれで嬉しいことでもあり、私の「柏市民ネットにおけるCUGの存在」ということにも、認識を新たにしなければならないかと思います。
 ただし、この「CUG」の開設がOKということは、今後も他にでてくることはもはや認められるということだと思います。「教育」に関することのみが特殊なことではないはずです。emさんは、

94-04-21 23:27:08 「ホンネで語る教育談義CUG」のこと  周
さらに少しいいますと、やっぱりどうしても「教育」こそは「特別」なものなのだというような傾向を感じてしまいます。

という私の言い方に、

94-04-22 02:57:10 教育談義CUGについて em
私は「教育」が特別だとは思っていません。

といわれながらも、また

94-04-24 01:00:53 「ホンネで〜CUG」について em
「教育は特別なのか」という問いには、「特別だとは思っていない。」と答えますが、「教育現場には特殊な事情がある。」とは言いたいです。

ともいっています。だが、emさんにいいたいのですが、こうした言い方だと、これは「教育」に限らず、何だって同じなのですよ。「先生と生徒」という関係に対して「クライアントと下請け」、「代議士と選挙民」という言い方だってできるかもしれません。どこにだって特殊な事情があるのです。だから例えば、国会勢力の政治について述べるのにはクローズでやりたいという言い方だって出てくるように思います。そうしたことも認めなければならないでしようね。
 さて、それで再び私の立場をはっきりさせますと、えむさんたちの「CUG」には「やれば!!」といいたいと思います。しかし私はまったく参加する気ありません。私はオープンな場で「教育」についての何らかのことを述べて行きたいと考えています。それから参加しないのは、emさんの

94-05-05 03:39:49 「ホンネで語る〜」について em

を読んで、「あげあしとり80」で書きましたように、かなりな違和感を感じたからです。これは、TAさんが、

94-05-05 10:34:24  やはりわからない「ホンネで..」 TA
えむさんの意見の合わないひとと話したくない「土俵が違う」「肌が合わない」といっているのと同じように(私には)おもえます。

といわれているのと、同じように思ったのです。

94-05-05 03:39:49 「ホンネで語る〜」について em
私は、教育論議にイデオロギーを持ち込みたくありません。

というイデオロギーで、異なった意見を排除する傾向を強く感じました。また、

自分の意見を主張したい人の集まりではなく、他人の意見を聞きたいがために、自分がまず自分のホンネを述べていこう・・・とする人の集まりでありたいということです。
ひたすら自分の意見を主張して、他を圧倒しようとするTR通信とか柏の街作りのボードの雰囲気での議論はしたくありません。土俵が違うと思うのです。

というところからは、今まで「ゴトさんのTR通信」等で私たちが述べてきたことが、なにか非常にとんでもないことをやっていたところのように思っているのかなと考えてしまいます。これは私にはemさんの偏見にしか思えないのですが、こうした偏見の場へ私は参加する気にはとうていなれません。 もっとも、emさん、私はえむさんに対して怒っているわけではありません。ただ、emさんのUPだと、私にはこのように読み込めるのだということです。これから、「CUG」をおやりになるのなら、ここらのことを充分織り込んで論議されることを期待します。

94-04-06 04:32:10 ゴトですひさしぶりのアップです
何だか関西方面はメチャクチャだなというのが、最近の印象です。

11051403 私も少しそう思ってしまうところがあります。部落問題とか、ヤクザ関係の問題とか、私たちだと直接あまり知り得ないことも、関西の方が接する機会が多いようなことを、関西出身の人たちによく聞きます。そしてまた関西も日共の勢力も強い。
 私の後輩の埼玉の教員でも聞いたことがあります。いつも日教組の主流派(埼玉県は日共)にいじめられている女性の先生がいて、彼はもちろん彼女をかばうわけだが、日共のいじめる本当の理由が、彼女が部落解放同盟員だからだそうだ。ひどいものですね。

この間、雑誌で暴力教師のことで「こういう人権を知らないヤツはアカだから、中国や北朝鮮に行け」と書いたら、反論の葉書が来ました。
「中国や北朝鮮でも人権はあります。それじゃまるで北朝鮮や中国が部落みたいじゃないですか」という文面で、ちょっと驚きましたが、おそらく日共の強い学校なのでしょう。まじめないい子なので、天安門事件のことや北朝鮮の現状について、社会主義国がどれだけ人間を抑圧しているか、戦前の日本と変らない部分をアジアの国の中でも、社会主義という格好で専制が残った国は色濃く持っているということを、ちゃんと書いたら、納得してくれました。この子も関西の子でした。そうも偏向した教育をされているみたいで、可哀想です。

 社会主義国の現状をそのままいうことが、なんだかとんでもない右翼偏向教育のように思われている時期がありました。冗談ではない。そしてそれが多くの普通の教師までそんな傾向があったものです。いまでは、そうした傾向が残っているのは、日共系の連中だけなのでしょうね。
 私が、教育実習をしたときの経験でいいますと、日共民青の連中は本当に授業でマルクスレーニン、共産主義がいいというようなことを平気で喋ります(もっともこれは元気な民青同盟員の場合)。これはとんでもないことなのです。ちょうど戦前に八紘一宇の愛国教育しているのと全く同じことです。もっとも日共も「愛国教育」という言葉を使いますね。だから、教育実習をされる側の学校は校長以下かなり警戒しています。私はその日共などよりも、過激で暴れ者の三派全学連、全共闘の活動家です。だから当初校長以下みんなかなり警戒したようです。私が授業をやると、校長以下大勢が見学にきました。だが、すこしは安心したようです。私は民青のように、子どもをあるところへ連れていこうとするような、偏向はしませんでした。だが、私にいわせれば、もっと彼らは警戒すべきだったのです。私は、子どもを、「愛国教育」などにより変えようなどとしていたのではなく、「教育」そのものを、その前提すらをぶちこわそうとしたのですから。だから、私はたえず

 「教える、教えられる」という関係を拒否し、一個の人間として
 のみ子どもたちと接する。

と主張していました。先生方はどうにせよ、この考えが判らなかったようです。

相談の手紙はコンスタントに来ていて、時間がたりなくて困っています。ちょっと他のことをしていると、すぐに返事を書かねばならない手紙がたまります。

 いつでも手伝えるものならば、手伝いますよ。

11051005 明日(9日)は、松戸自主夜間中学で和尚さんのパソコンの授業がありますが、その夜間中学で中心に活動されている藤田先生が毎日日本教育会館にて行っている活動を紹介した記事が6日の毎日新聞に載っていました。
 ここはゴトさんがもう何度か取材にいっているところです。私もときどき自転車で近くを通るのですから、そのうちに寄ってみたいと思っています。

[教育]登校拒否などの悩みをファクスでも受け付け−「親と子の教育相談室」
                     93.04.06  東京本紙朝刊 17頁
 勉強や登校拒否問題、子育てなど、子供の生活全般にかかわる悩みの相談を、約十二年前から受け続けてきた「親と子の教育相談室」(東京)が、電話やファクスで相談に応じる態勢を整えた。
 これまで手紙と電話で相談を受け、後日に相談委員の助言を手紙で送る方法をとってきた。即応できる態勢が整ったことで悩める親子の心強い指針として期待されている。
 相談室は一九八〇年暮れに「困っている相談者に寄り添い、ともに悩み、ともに考え、誠実で面倒見のよい相談室であること」を基本に日本教職員組合、国民教育文化総合研究所と日本教育会館が共同で設立した。さらに寄せられた相談の教訓を学校現場で生かす目的もある。相談委員は教育学の大学教授や学校現場の経験者らの専門家が当たってきた。
 当初は手紙による相談を基本にスタート。電話でも受け付け、ケースによっては面接にも応じていた。しかし、受けた相談を相談委員に回し、助言を手紙で返送するため、せっかくの助言が遅れがちだった。
 これまで約三千件の相談を受けてきた。内容は、当初は子供の非行問題が主流だったが、現在は登校拒否が最も多く、次いで進路・進学問題、生活全般のくずれ、成績・勉強、学校批判など。
 登校拒否の相談例では、子供が前の晩に時間割などを整えているが、朝になると玄関を出られない。学校に行かなければ、という自覚、義務感はあるが、行こうとするとはき気や頭痛などを起こしてしまう。「今日は行かなくても良いよ」と言ってやるとホッとした表情を見せる。しかし着替えた制服が脱げないまま、というケース。また、暴力を振るわれ、いじめられている友達を助けてやれなかったことから自己嫌悪に陥って登校拒否になった例など相談の内容は多様。
 藤田恭平室長は「教師の暴力など、本人のプライドや尊厳を踏み付けるような場合、子供にはいやし難いものを残す。人間不信に陥っている子供には、内面を回復してやらなければいけない。家の中で、親がその子をまるごと受け入れてやることです。不登校は不道徳でも病気でもないのだから、責めないでほしい」と言う。
 電話とファクスを備えた態勢では、月曜から金曜の午前十時から午後四時まで相談委員が交代で待機。相談委員は▽宇野一・大東文化大学講師(教育学)▽鈴木喜代春・日本児童文芸家協会理事▽小沢牧子・和光大学講師(臨床心理学)▽田中喜美子・児童教育研究家▽藤田恭平室長をレギュラーに、専門の児童精神科医も加わる。相談は無料で、個人の秘密は厳守する。手紙相談も従来通り受け付ける。
 電話は03・3234・5799、ファクスは03・3234・4110。手紙相談は〒100東京都千代田区一ツ橋2の6の2、日本教育会館内・親と子の教育相談室。   毎日新聞社

 これまで3千件の相談を受けてきたとありますから、できたらこれをデータベース化できないのかななんて思ってしまいます。私たちのネットの「ゴトさんのTR通信」はいまのところこのネットにアクセスしてもらえば、だれでも見ることはできるわけです。このTR通信ももっと多くの人にみていただきたいし、藤田先生のおやりになっていることも、もっと私たちがみていきたいものだと思います。
 データベースといったって、ようするにそれらの相談ケースを、プライバシーを侵さないような形で私たちが見られるならと思うのです。もっともっと知れば、少なくとも今よりはほっとできる子どもや親が出てくると思うのです。

93-03-28 10:03:41 和尚さん、どうも
 私は、親が腹をくくれば、子供はかなりのことに耐え、まっすぐに育つと思います。しかし、この教師の追放はいまのところ無理だろうと思います。

 まったく親はそうすべきです。しかし、この教師が追放できないのはまったく残念です。

しかし、時として、何か先生と生徒が対立した時などに、「お前の家は母子家庭だから……」という言葉が生徒に向かって吐かれるのです。自分の体験もふくめて、2、3の例を知っています。

 どうにも許すことのできないことです。

 その人が、「校門圧死事件の時、まず、あの学校の組合がこちらかどうかを気にして、代々木だったんでほっとして、それでおしまいだった」と、日教組内部での、あの事件への反応を語ってくれました。
 私は開いた口がふさがらなかった。
 こちらには代々木も日教組も非組合員もありません。悪いものは悪いというだけです。

11050906 これはいったいどういうことなのでしょうか。私は日本共産党が大嫌いです。「代々木」というだけで嫌な感情がはしります。近頃は、考えてみれば代々木という地名には何も責任はないわけで、しかも日共の本部は代々木という地名のところではなく、多分あそこは千駄ケ谷だろうから、日共だけを憎んで、代々木という文字は嫌いでは無くなりましたが、それにしても、このようなものいいは絶対に認めたくありません。私はたとえ大嫌いな日共でも、それを弾圧するところがあるとしたら、それを認める訳にはいかない。また日教組の主流派とやらが、このような言い方することは許してはいけないと思う。これでは日共と同じ土俵になってしまうのだ。
 それにしてもこんな連中が教員なのですか。

93-03-23 01:09:41 TR通信・51
TR通信・51 殺してやりたいバカ女教師

 これを読んで思い出したことがあります。まえにUPしたことです。

92-08-16 15:58:28 周推薦57 大谷美和子「きんいろの木」
私の長女が確か小学2年のころ、学校帰りに少し知恵遅れの子の10メータくらいあとを友達と二人でついて歩いているのを見たのです。私は「お前なにしているんだ」とききました。実はその子のことを他の男の子たちが学校帰りにぼろぼろに殴ったことがあるんです。私はそれを聞いたとき、「うぬ、そいつらみんなぶん殴ってやる」とおこったのですが、そのとき長女は「パパそんなことやめて」といったのです。それでその結果が、こうして学校帰りに娘が友達と毎日その子の周りを見はっていたのです。「でも○○くん、なかなか家に帰らないから、大変なんだ」といってました。

11050706 今長女にこのこと聞いてみました。もう忘れていたみたいですが、思い出してくれました。この子も片親でした。「でも今は〇〇くんはしやわせだよ」といっています。転校してしまったのですが、おとうさんが再婚して、いまはたのしい毎日のようです。
 いまきくと、このときのことは、学校の先生と相談してやっていたようです。でもよかったなと思います。馬鹿な男の子たちも、うちの娘の正義感の前にはかなわなかったでしょうから。きっと先生の判断もよかったんだなと思います。急に私がいって、子どもたちをぶん殴ったりしたら、それこそまた別にもめていたでしょう。このときの馬鹿な男の子たちも、分かってくれたのではないかなと思います。
 それにしても、これに出てくる担任の先生は問題ですね。しかし、いいかげんでひどい人間はどこにでもいるのでしょうが、どうしてこうまで教員の世界に多いのでしょうか。

 これは来たばかりの手紙ですが、このクソバカ低能女教師にゾッとするのは当然ですから、学校になど行かせなくていいという返事を書くつもりです。

 いまはこれしかないですね。学校なんか行かなくていい。でも

93-03-25 00:50:20 TR通信・51を読んで 和尚
 今回の話は、お母さんからの投書ですよね。子どもが教師に対して運動を起こすのは難しくとも、大人が関与しているのであればなんとかなるのではないかと思いました。この話のバカ教師を追放する手段がなにかあるのでないか、と感じたのです。いつもは子どもたちがその胸の中で悶々と悩み続けている話ですが、少なくとも今回は、問題に対して身近な大人が憤慨している。なにか打開策があるのでないでしょうか。

と同じように私も思います。私の前にこんな教師が現れたら、もうそれはただじゃおかないぞとかたく決意します。

11050803 ひさびさの「あげあしとり」になります。実はもう

93-03-06 02:06:24 TR通信・50
TR通信・50 3人で暮らしたい

が読みたくなかった。さっと目をとうしただけでした。

50回目のTR通信です。いつも通り、ひどい話です。

 本当に「いつもの通り」の「ひどい話」で、嫌になります。しかし、読むことだけでも避けてはいけないと思い、読んでいきます。

私は何もしていません。でも イジメられるのがイヤで学校をずっと休んでいたら、ある一枚の手紙 それは担任からでした。よんでみたら 学校へこないと三人で住めなくなるよ。民生もきられちゃうよ。とかいてありました。

 こんなことを、教師がいうのだろうか。あんまりにひどくないだろうか。どうしてこれで、義務教育を教えられるのだろうか。教科は何だか分からないが、日本の教師、中学の教師、義務教育を教える教師として、もう完全に失格です。
 私のあるクライアントの社長の奥さんが、民生委員やっています。毎回いくたびにさまざま話すのですが、こんなひどい話聞いたことありません。まったく、

この担任教師は相手が子供で弱い立場にいるとあなどって、教育者として犯罪者であり、公務員として背信行為、違法行為をしています。

の通りです。

 このような非道がどこかででも存在するという事は、我が国の教育全体に病んだ部分があるという事です。このような八つ裂きにしてもあきたりないような外道が教育を担っているという事は、私たちの社会の根幹を蝕む事です。

 たしかに、すべてが病んでいるように思います。いま、とくにこのごろ公教育の先生方のいわゆる「不祥事」が目だっていませんか。「あんなことは、あんな教師は昔もいた」という言い方はやめたいと思います。あきらかに、いま覆い隠しようのない事態になっているのだと思います。たいへんなことになりつつあるのだと思います。
 もっと考えていきたいと思います。できたらもっとさまざま話していきたいと思います。

11050603 昨日テレビで埼玉県の教育委員会の業者テスト追放というようなことで偏差値の話をしていました。たしかに私の後輩たちの中学の先生の話をきくと、かなり偏差値による進学指導ということを感じます。まず本人の希望より偏差値を目安とした合否判定による進路指導というのが先にある傾向があるようです。しかし、それはまた別の機会に検討したいと思いますが、そのテレビの中で鳩山文部大臣の発言でかなり気になったことがありました。
 海江田万里というひとの

  ……しかし、結局子どもたちを学習塾に追いやるだけではない
  のか

という質問に、

 確かに、当分は塾が暗躍するでしょうが……

と答えてました。これはひどい発言だと思いませんか。よくまあ、厳然として頑張っている一つの業界である、学習塾に「暗躍」なんて言葉を平気で使うものですね。鳩山のような文教族には、民間の学習塾なんて邪魔なゴミみたいなものなのかもしれません。だが、いまも大勢の子どもたちは通っているし、その業界で働いているたくさんの労働者もいるんですよ。まったく役人だけを相手にする、公教育の一面しか見ない馬鹿な発言だと思います。まずあんな発想では、どうせこの偏差値に関する問題もまともに解決はできないでしょう。
 本当なら、学習塾で働く人たちがすぐ抗議すべきなんです。そうしないからなめられるんです。
 私が昔携わっていたサーフィンの業界では、例えばテレビドラマでどうみてもサーファーと見られるような若者が、ドラマの中で女の子に暴行するシーンがあったりしたときは、必ず抗議しました。「サーフィンこそ、海を愛する真面目なスポーツなのだ、何故あのようにサーファーを描くのだ」と。そのかわり、サーファーの中で、マリファナやったとかいう選手は、アマプロ問わず、永久追放していました。これは、今の日本サーフィン連盟、日本学生サーフィン連盟とも同じ姿勢を貫いているはずです。そのくらい自分の業界を大切に考え、本当にこのスポーツを愛しているのです。公教育の先生方にこのくらいの姿勢があるのでしょうか。あると信じていたいのですが。
 鳩山の嫌味な発言ききまして、こんなこと考えました。

1105050693-02-26 20:33:51 おひさしぶりです ゴト

 何度も読み返しました。やっぱりこのネットでこうしてさまざま話してきてよかったなと確信しました。

※1
 前に夜間中学について文部省に問い合わせをした事があります。松戸自主夜間中学を知る前でした。
「夜間中学ですか、資料はありませんね。そういうのは民間の方があるんじゃないですか」
 という答えが返って来ました。
 こういう言い草があるものではありません。

 こういう言い方って、私もかなり経験していますね。私としては法務局とか、社会保険庁でかなりこのような不愉快な経験があります。このSIGでなくともまたそのような役人の傲慢さをさまざま問題にしていきたいななんて考えています。

※3
 権力についてはジル・ドゥルーズという人がミシェル・フーコーという人の理論を要約して、
1、権力は本質的に抑圧的なものではなく、煽動したりするものだ。ようするに奔騰ではあっても、沈潜しないし、させないものだ。
2、権力は所有される以前に流動しているもので、限定された形態(例えば国家とか階級とか)に出会わなければ所有されることはない。
3、権力は被支配者も支配者も、おなじように貫通する。
と言っているのに、考えさせられます。
 これについて、この要約を紹介した吉本隆明さんは「この三つの規定のどこが偉大なのだろうか。それはわたしたちが知らず知らずのうちに、生体と社会体の近くで実感する抑圧と、制度のうえの社会体や国家のような上部とを直かに結びつけてしまうことで作り上げた権力の像を、それは虚像だと言った、最初の人物のたぶん最初の言葉が、このドゥルーズの三つの要約のなかに含まれているからだ。それこそがフーコーの偉大さであるといえよう」(『新・書物の解体学』)
 と書いています。

 私なんか昔「反権力委員会」などというものを作ったことあるから、恥ずかしい限りです。ちょっとやはり「新・書物の解体学」を読まねばと痛切に感じます。だけど吉本(吉本隆明)さんのあの本は大変そうなんだよな。
 それにしてもまたさまざまなこと考えていきたいと思います。すこしさぼりがちなんだななんて反省しています。

 またあげあしをとってしまうわけですが、

93-02-26 22:49:53 eco の考え・・・   eco

でいわれていることが全くよく理解できないのです。

エコのUPした事でいろいろなRESを頂きましたが、一つだけ付け加えます。れは「あの様な事は日常茶飯事で、エコがUPしたところで今更驚くに値しない」と言う考えだったことです。ですから、RESに対して吃驚したのが感想です。

b5ca28da.jpg これは本当ですか。「日常茶飯事」というのは私は信じられないのです。私の娘の行く、我孫子市立白山中学ではこのようなことはありません。私の友人たちがたくさん教員をやっていますが、「あの様な事」はまずないと思います。私は馬鹿な教師は確かに一部にはいるが、大部分は当り前に働いている人たちだと信じています。もう本当にそれが「日常茶飯事」なら、かなりな問題の学校ではありませんか。もしそうならこれは教育委員会なりに、公開質問状でもだす問題ではないでしょうか。この「日常茶飯事」というのは、私は信じられません。

ここでeco の立場をはっきりしたいと思います。
起こり得る問題はすべて当事者の問題として解決の道を見出す。
当事者同士が公平に語り合える土俵を提供する、学校・先生の組合・その他一切の権力権威を排除します。同時にその問題で直接利害関係のないかたも排除します。如何なる人も評論は認めない。但しその様な勉強の場は別に設ける。そして、土俵は、「人として」の一言で構成します。

 これがまったく何をいわれているのか分かりません。私がeco さんの学校の問題女教師のことで、eco さんがいわれた「公私混同」というのに同意したとしても、「如何なる人も評論は認めない」というのですか。私が

93-02-27 15:38:30 あげあしとり70「校長以下全員が結婚式へ」に 周

で述べたようなことも、「その問題で直接利害関係のないかたも排除します。如何なる人も評論は認めない」といわれるのでしょうか。私は佐原の小学校の親でも小学生本人でも教員でもありませんから、「直接利害関係のない」わけですが、なぜ評論することすらいけないのですか。

◇森毅・京大名誉教授の話 結婚はプライベートなこと。学校全体で休む必要はなく、校長先生が先生たちの出欠を調整すべきだったと思う。だいたい学校の教師は、何でも「学校をあげて取り組む」ということに美談を感じるもの。プライベートなことにはそれなりの対応があるはずだ。

という森さんの発言にも「如何なる人も評論は認めない」といわれるのでしょうか。
 私もはっきりいいましょう。私たちはなにを言う資格も権利もあります。言っていく義務もあると考えています。私もこうしてさまざま「教育」ということに関心を持ち、なにか言ったりやったりしていきたいと考えているのです。もしeco さんのいうことを認めるしたら、もう「ゴトさんのTR通信」もやっていけないのじゃないですか。ゴトさんも私もみなさんも「直接利害関係のない」存在ですよ。私はこうしたことの当事者だと思っていますから、こうして発言していくわけですが、「如何なる人も評論は認めない」という立場とは正反対にいます。

4bfe8ddf.jpg こんなことがあるのかというようなことがありました。以下の記事の内容です。あきれはてます。

校長以下全員が結婚式へ 土曜の授業、1時限で切り上げ−−千葉・佐原の小学校
                    93.02.25  東京本紙朝刊 27頁
 ◇児童早退、父母びっくり
 千葉県佐原市の市立湖東小(松本滋校長、児童数百十四人)で今月二十日の土曜日、午前中の授業を一時限で切り上げ、校長、教頭ら全職員が同小の女性教諭(25)の結婚披露宴に出席していたことが二十四日、分かった。児童の早退に驚いた父母からの連絡で、市教委が調査。取りやめた授業は二十五、二十六日に振り替えて行うことになったが、松本校長は「軽率な行動だった」と話している。
 ◇和服着付けに時間必要と
 同小は校長、教頭を含め教職員十二人で、各学年一学級。松本校長の話によると、新郎も別の小学校の教諭で、実家はいずれも同県勝浦市。披露宴は佐原市から直線距離で約百キロ離れ、両家の実家に近い鴨川市内のホテルで二十日午後四時半から行われた、という。
 土曜日の授業は午前八時二十五分から三時限で、このあと十一時十五分から各クラスで「帰りの会」を行い、十一時半下校で組まれていた。
 しかし、披露宴に招かれた職員のうち七人が女性のため、和服の着付けなどの時間が必要と考え、授業を一時限で切り上げ、児童は午前九時半ごろ帰宅させていた。
 校長ら同校教職員十一人は、礼服などに着替えたあと正午に集合。マイクロバスで鴨川市内の披露宴会場に向かったが、渋滞などで会場に着いたのは午後四時半の開宴十五分前だった、という。
 これについて、佐原市教委の柏崎旭教育長(63)は「学校の授業時間を私的に使ったと批判されても仕方がない。授業を途中で取りやめる場合、事前に許可を得るシステムになっているが、前日に電話で簡単な連絡があっただけだ。早急にPTA役員を集め、事情説明させる予定だ」と話す。同小PTA会長の香取和典さん(43)は「飲み会などでこのようなことを起こしたら問題と思うが、今回は先生の結婚披露宴なので……。判断が難しい」と当惑の表情。
 同小はJR佐原駅から北へ約六キロの農村地帯の学校。松本校長は「職員には休暇願を出してもらい授業を取りやめたのだが軽率だった。結婚する先生にとって人生最良の披露宴だったのに……。このような波紋を広げ、反省している」と弁明している。何でも学校あげて、に疑問
 ◇森毅・京大名誉教授の話 結婚はプライベートなこと。学校全体で休む必要はなく、校長先生が先生たちの出欠を調整すべきだったと思う。だいたい学校の教師は、何でも「学校をあげて取り組む」ということに美談を感じるもの。プライベートなことにはそれなりの対応があるはずだ。毎日新聞社

 いったい一般の会社でこんなことあるでしょうか。たとえば、小さな会社で社員の誰かが結婚するとして、こんなことやれるでしょうか。ちょっと考えてしまうのは、PTA会長の発言です。「飲み会などでこのようなことを起こしたら問題と思うが、今回は先生の結婚披露宴なので……。判断が難しい」とは、どういう判断なのでしょうか。飲み会にしても、先生の結婚披露宴にしろまったく私的なことではないのですか。これは良くない、いけないことだくらいの判断ができないのでしょうか。なにかこのPTA会長は、教師の世界は特別なものと考えているのでしょうか。あきれはてます。

93-02-12 11:53:20 気になったので…… ゴト
 とりわけ、バブル経済の時期は、日本がソ連・共産圏との最後の決着をつけた時期ですから、左傾知識人のもたらしていた知的な抑圧とはまったく別のところで多くの女が自己の能力を発揮し、経済的にも力を持ちつつあった時期でした。それはあともう一歩だったように思います。それをつぶしたのは国家官僚と、官僚の躍らされて倫理的(儒教の日本的展開であったところの、ほとんど普遍性をもたない倫理です)にバブル糾弾をうたった新聞・テレビなどの「進歩」マスコミを構成する一部の似非インテリです。
 それは、似非知識人と国家官僚が同じ型の思考と利害に乗っているために起きた事です。その利害とは、権威という名前を持っています。皇太子の婚約報道の談合をアメリカによって破られたように、連中は妙なところで気脈を通じています。そういうアジア型の倒錯した部分を、私たちの社会は高度な中に残存させています。おそらく問題なのは、その点だと言う風に今の所私は思っています。

11050209 これは私も全く同感です。この国家官僚と似非知識人が今どうしようもなくなってきた情況をまだごまかしていこうとしているように思います。それはまた別に論じていきたいと考えますが、このTR通信で出されている問題もこのことを象徴しているように思えます。教育委員会ならびに日教組共に私はこの敵側に思えてきます。「アジア型の倒錯した部分」が残存しているというのは、まったく実感できます。
 いったいソ連共産主義を打ち破ったのは何なのでしょうか。それをあいまいにする似非知識人の犯罪性を深く感じます。ソ連共産主義が負けたのではなく、アメリカを中心とする資本主義も勝利出来なかったのだとくやしまぎれにいいたい左傾知識人がたくさんいます。堂々といおうではないか。全体主義を打ち破ったのは、資本主義国のバブル経済です。バブル経済が、全体主義統制経済に打ち勝ったのです。
 私はいままた不安です。総評に代表される組合に依拠する知識人が、まだ「資本主義国もまた負けたのだ」などといってまわることを。それを子どもたちに言い続けることを恐れます。この傾向を私は少し感じとっています。
 昔神宮外苑から子どもたちを「アジアの解放のため」とか言って送り出した、教師たちが、また今も全体主義を擁護するのを私は許さない。「連中は妙なところで気脈を通じています」本当にそうですね。
 またこのことは話していくべきでしょう。

11050201 この間「ゴトさんのTR通信」を中心としてかなりな論争(?)があり、それがかなり私が「あげあしとり」を執拗にとっていることによりも起きていることもあると思い、さらにはこの論争(?)をかなり注目している方もいることをメール等で知りましたので、私なりに整理していきたいと考えました。どうせまた私の独断ですから、また別な観点から整理されたり、私のを批判されたり、また全く無視されてもそれはご自由だと思います。

 しかしこの「ゴトさんのTR通信」は今のSIGのときもその前の掲示板「柏の街作り−子供達の為に」にUPされていたときにも、あまりUPは少なかったように思います。ゴトさんと私がかけあい漫才をやっているように感じられた人もいたかもしれません。私はゴトさんとはかなり古い付き合いでしたが、彼が「ティーンズロード」という女の子の暴走族向けの雑誌で「学校はイマ」を掲載しているのを知り、さらにその内容の切実さに目を見張りました。そしてこのネットへの入会を勧め、やがて「ゴトさんのTR通信」というSIGの誕生になりました。
 私はもともとは中学か高校の教員になろうと考えて、大学学部を選んだわけですが、私たちの時期の学園闘争の波の中で、教師になることではなくても「教育」に携わっていけるのだ、いやいくべきなのだという決意で社会に出てきました。だからこのネットでも教育について何か話そうと提案してきましたし、TR通信には何としても何か書き続けていきたいと思ってきました。そしてできたらたくさんの方々の意見を聞いてみたかった。
 それがこのような形で実現できたことには、まず良かったなと思っています。ゴトさんが、

93-02-12 11:53:20 気になったので…… ゴト
 という事ですが、このTR通信が楽しいものだと感じる人は、まずいないと私は思います。私自身は、楽しいとは思いません。楽しくはありませんが、学校の出来事を知る事から、できるならば、私たちの社会の現実について考えるところにまで行ければというつもりで書き込んでいます。

と書かれているように、私もTR通信は楽しくありません。読むのも嫌になるようなことの連続に、どうやらカーソルで字を追っているだけです。でもでも、やはり何か言っていきたい、できたら何かやっていけたらと考えているのです。
 この「柏市民ネット」で私はこのようなSIGができたことが大変に嬉しく、またさまざま話していけることがまた嬉しいのですが、それは私の感覚であって、また違うように感じる人もいるのかもしれません。今回の論争(?)とやらで、私はさまざまなものが露出してきたように思います。
 私なりゴトさんなりの言い方が、「一方的」であり、「攻撃的」であり、うっとうしいものと感じられる方もいるのかもしれません。とにかく私はまたくどく、しつこくあげあしとりをしていきたいと思います。
 まず、ゴトさんが

93-01-18 03:37:25 山形の中学生窒息死に思う ゴト

の中で、

 馬鹿な女教員と、馬鹿な母親は、劣った知能のままに暴力を信仰しているだけで、戸塚ほどの力も、努力も、実存の投入もない。
 その学校はみんなマイカー通勤をして来るので、校庭の3分の1が駐車スペースと化していたという。女教師の割合が非常に高い学校だった。
 最低の話だ。

と述べられている事に関して、YOKOさんから、

93-01-22 19:08:27 RE:#88 ゴトさんへ  YO
「女教員」という言葉の使い方に、なんとなく女性教師を男性教師より劣っているという意味合いが感じられて、そうだとしたら残念です。そもそも、「男教員」とは言わないのに、わざわざ「女」とつける必要があるのでしょうか?それから、「女教師の割合が高い」ということが良くないことなのでしょうか?世間にはまだまだ同じ仕事をしても女性を評価しなかったり、落度があるとすぐ個人の問題ではなく「女だから」とくくってしまう傾向が残っています。教師の資質は個人レベルの問題で、男女は関係ないと思うのですが。

という疑問が述べられました。同時にDAIちゃんから、

93-01-23 20:38:45 RE:# ゴトさんへ  DAIちゃん
 馬鹿な女教員、馬鹿な母親……と言う具合に、教員、親を表現をしている ことについてです。すごく気にかかるのです。
 こうした表現にこそ、ゴトさんらしさがあるかも知れませんが、どうも、私には、ゴトさんらしくないな−と感じるのです。日頃、ゴトさんが対象としている子供達と同じ様に、そうした教員、親達にも、同じような立場にたって、手をさしのべ、継続的にコミュニケ−ションをしていっていただければ、と思うのは、私だけでしょうか。

という疑問も述べられました。それに対してゴトさんは、

93-01-29 11:20:43 YOさん DAIちゃんさん へ

のRESで答えています。私はYOさんが述べられたような感じをゴトさんの文にはそもそも感じてはいなかったので、ゴトさんが丁寧に答えられた内容に関しては、またさまざま学ぶところがあったと思っています。

 かつて、共産党運動にかかわった人たちから「利敵行為」という形で党への批判を封じられたということを聞いています。私は、短いタームでは不利であろうと、事実は有利不利という事を越えて問題となるのだと思っています。

 私もここらへんのことをさまざまなところで感じることが多いものですから。いわゆるこれが「党派」の発想だと思います。
 DAIちゃんに対してのRESでは、

 私は、大人は大人を相手にするように相手にしなければ礼儀に反すると思っています。私ごときが手を差し伸べるというのは、僭越でしょう。
 また、はっきり言って、大人はそこらで野垂れ死にしても、自分の責任です。暴力をふるうような教師は、即刻解雇すべきである。後は知らないというのが私の態度です。もちろん、能力のある教師は、それ相応のペイによって報われるべきです。
 これはそんなに過酷な話ではありません。ほとんどの人は、この通りに生きています。子供たちは、その必要があり、そうされるべきであるのに放置されていますが、大人は違うでしょう。
 だから、駄目な態度は駄目なんだと、大人同士でけじめだをつける姿勢を持たなければ、どうしようもないのです。

という分かり切ったことですが、私もまったく同感します。ここの点は私は誰にでも確認できていることのように思っておりました。

 次にecoさんが

93-01-29 18:05:46 女教師の件 他      eco

のUPをされました。ここでかなりな情報がありました。私は驚いたものです。以下の内容です。

事実だけを書きますが、長男が小学校の時、担任は女の先生でした。小さな子供がおられて、授業が終わると保育園に迎えに行かれるため、テストの答案や解説は遅れぎみになり、いじめが起こった時は「当事者で話し合って下さい」との発言、2学期になり産休を取られ、替りの先生になりました。その次は、今学年の事ですが、長女のクラスで1才半になるお子さんをお持ちの先生が担任になりました。びっくりした事に、自分のクラスのお母様方へ順番に「子供を1日預って頂けませんか」との電話。担任の先生の事だからと応じた家もかなり有りました。

 この女教師にはeco さんが「公私混同」という言葉を使っていますが、私はだれもがまずそう思うだろうと思っていました。私は多分この教師にはさまざま事情があったのだろうが、例え事情がどうあれ、これはまず

93-02-06 23:59:51 あげあしとり58「女教師の件他」に 周
このふたりの女教師は教師失格ではないですか。ゴトさんが紹介している中で出てくる駄目な教員と全く同じです。

といいきってしまうことは大事だと思いました。もし「いやたいへんな、このような事情があったのだ」というのなら、それはこの女教師が弁明すればいいことです。私たちがわざわざ調べるようなことではないと思います。
 この点に関してまたさまざま言い分が違がってきたと思います。私以外の方のUPを列挙したいと思います。

93-01-30 19:11:42 RES  ゴトさん、ecoさんへ
しかし、自分の子供を父兄に預って貰うと言うような話、にわかに、信じたくないですね。その教師には、相当せっぱ詰った理由が、あったんじゃないんでしょうかね。
 うわさというのは怖いもんですよね。これは、一般論ですが、何事に関しても、一般人の私たちには、双方から言い分をきくという機会はほとんどない。どちらかの情報によってしか判断の機会が与えられていないということ(例えマスコミといえども)を充分に把握しておくことが大事なような気がします。DAIちゃん

93-02-08 03:07:28 おひさしぶりです ゴト
 さて、eco さんの「女教師の件 他」を読んで驚きました。とんでもない女教師がいるもんですね。誰だって銭が欲しいから仕事をするわけですが、
貰うものに見合っただけの仕事をする責任があります。子供がいるのは私事ですが、その私事を優先したり、仕事に絡めるような奴は、とんでもない職務怠慢ですね。そういう奴は首にすべきです。それができないから、子供にしわ寄せが行く。まったく、そういうゴミのような奴のために払っている税金を使われるなんて、どぶに捨てるよりももったいない。何とかしたいものです。
 そういう怠慢な者は、男であろうと、女であろうと関係はありません。
 保育園に預けてある自分の子供を迎えに行くのを母親ばかりがしなければならないという夫婦関係をそのままに、女の職業云々と言い出されたら他人はたまったものじゃありません。まったくふざけた教師です。
 こういう馬鹿な女が、他の、多数のまじめな女の足を引っ張っているんだと、私は思います。

93-02-08 22:46:15 エコさんの言われた教師のこと  ぷぅ〜
 で、もちろん生徒には申し訳ないと思いながら、あと数年、もう少し大きくなるまで、と思いながらしのいでいる、というのが現実ではないかと思います。それで今現在目の前にいる生徒はどうなのか、といわれれば、「今の状況でできる限りのことをしてはいる」ということで頭を下げる以外にないのではないでしょうか。
 そういう、全力投球できないという意味で女性の(特に小さい子供のいる)教師が一段低く評価されるなら、それはしょうがないこと、とも思います。私は教師ではありませんが、きっとそのくらいの覚悟はして、おんな先生をしているのではと思います。

93-02-09 12:57:47 RE:#108 ぷぅーさんへ YO
私は母親ではないのでなんとなく書けなかったのですが、私も全く同じように感じました。 子育てと職業という問題、(本来は男性にもあるはずですが)女性にとってこれほどむずかしいものはないですね。

93-02-09 21:24:25 ゴトさんへ   #106へのレス
 はからずも、ぷぅ〜さんがそれなりの事情があるのではないかと書かれておりますが、私はそれを確かめてからでも、そして、それを防ぐにはどうしたら良いかを考えてからでも、公私混合の断を下すのは遅くないと思います。だからといって、この問題について、私はこれ以上深入りするつもりもありません。

93-02-09 23:47:03 「今学校は」真剣に考えたい  eco
第1に事実の確認ですが、すべてeco 自身が対面した物だけをUPしました。本来なら当の先生との話をUP出来れば良いのですが、それはかなっていません。では、現実に如何対処したのかを書かせて頂きます。最初の体験は、エコの転居(高田小から柏五小)で解決?しました。松葉へ来てからは、エコの連れ合いが学級委員をしている時、お母さん方の先生排斥運動、教育委員会への提訴運動。この件は連れ合いから相談を受け、事実関係を当の先生に連絡しました。その結果は、過程はしりませんが先生の移動で解決?しました。現在進行形の、「担任の家庭に子供をあづかって」の件は、うちの子が中学へ行くので解決???。これらの件についてのecoの心情はぷぅーさんと全く同じです。

 またこれらのUPに対してまたRESがUPされます。私はこれらのUPの中にかなりな問題点が含まれているように思いました。まずぷぅ〜さんとYOさんのには、女性(とくに小さい子どものいる)の職場での問題点です。私はぷぅ〜さんの「女性の(特に小さい子供のいる)教師が一段低く評価されるなら、それはしょうがないこと」という点が気になったのです。これらに関する話は、

93-02-10 02:58:32 あげあしとり61ecoさんの言われた教師のこと 周
93-02-13 02:27:51 RES00117あげあしとり61に    ぷぅ〜
93-02-13 13:11:30 KCN00060  あげあしとり67「あげあしとり61に」 周

というふうに続いています。私としてはこれはかなりぷぅ〜さんと、いい話ができたと考えています。
 DAIちゃんの

93-02-09 21:24:25 ゴトさんへ   #106へのレス

にはこの女教師の問題から考えられた大きな問題点が出てきたと思います。

 ゴトさん、私はこのことを言いたかったのです。そこからしか、互いに理解 する努力からしか、現実におきている問題点の真の解決方法は出てこないのではないでしょうか。特に大人の世界での互いのレッテリはりの不毛性は繰り返したくない。切り捨てて、レッテルはって、なにが生まれるのか。
  はからずも、ぷぅ〜さんがそれなりの事情があるのではないかと書かれておりますが、私はそれを確かめてからでも、そして、それを防ぐにはどうしたら良いかを考えてからでも、公私混合の断を下すのは遅くないと思います。
 だからといって、この問題について、私はこれ以上深入りするつもりもありません。
 ただ、いつ自分が、自分のしていることで、自分が知らないところで、断罪される立場になるかも知れないので、こういうのは、すごく気になるのです。

 私はこれはちょっと簡単に見逃せる問題提起ではないと思いました。いままでゴトさんの「TR通信」なり私の「あげあしとり」でやってきたことを、「特に大人の世界での互いのレッテリはりの不毛性は繰り返したくない。切り捨てて、レッテルはって、なにが生まれるのか。」と見てこられたのかと思ったのです。もしそうなら、もっと早く指摘してくれればよかったと思うのです。そうすればもっと「TR通信」のさまざまな事例で話合いが出来ていたのではないでしょうか。私はDAIちゃんのUPから伺えるのは、いままでのゴトさんなり私のUPしてきた内容をそのような目でみていたのかなと想像してしまうのです。そのことは、私は

93-02-10 00:43:52 あげあしとり60「ゴトさんへ#106へのレス」に 周

で反論しました。いや私はかなりいらだったので、反論というよりも、かなりな攻撃に感じられたかもしれません。私が

そうしたらもう私は何も意見をいえなくなります。もうUPできません。
 私はまだまだいい続けるのをやめません。それが違っているとか、嫌だというのなら、そう言っていただきたい。そうした意見を見て、私は私なりに態度を決していきたいと考えます。

とまで書いたのは、かなり怒っていたのです。考えてみれば、やはりなるべく冷静に話していくべきだなと反省しています。
 同様にゴトさんも

93-02-10 02:56:57 ecoさん DAIちゃんさんへ
 いいですか、私は、大人の他人の問題まで解決する責任は誰に対しても負っはいないんです。
 最後に、DAIちゃんさんに限らず、私は、このネットのみなさんを読者だとは考えていません。当事者だと思っています。

とUPされました。私のUPよりは、

また、現実に起きている問題の解決方法の一部分は、暴力をふるうなどの問題行動を起こす教師の解雇であり、教育体制としては生活指導の全廃であり、6334の縦の連結の切り離し、つまり、633を飛ばしても試験さえ合格すれば大学に入る事ができるようにする事であり、また、今はない横の連結、つまり、私立と公立を問わずに、単位取得者であれば、それに合わせていくらでも転校を可能にする事(特に高校と大学)でありという事です。

というような具体的提案があり、よりよく考えているなと思いました。私もここの点に関しては、この提案には賛成です。
 またecoさんが、

93-02-02 23:57:26 バカな親について     eco

のUPに関しては、

93-02-06 20:41:36 バカな親とは  和
93-02-07 01:06:14 あげあしとり59「バカな親について」に 周

のRESがありました。私はこのeco さんの書かれた内容も、かなり気になりました。

ゴトさんは大人に述べる言葉は無いかの様に書かれていますが、私たち自身の啓蒙にご助力下さい。

の部分です。eco さんは感じないのかもしれませんが、私なんかには、これはかなりおかしく感じることなのです。
 次にeco さんからの「職業名と性について」の提案があります。これも上記で述べたことと問題が絡まって展開されました。
 まずeco さんから、

93-02-03 00:09:07 職業名と性について    eco
提案なのですが、職業名や立場を表す言葉(文法的には何といったっけ)に男・女の性を表す言葉を付けるのは止めませんか。
もちろん、性の区別を付けなければならない場合は別ですが。理由は書けば長くなるでしょうけど、・・・・・

との提案があり、

93-02-04 20:43:18 re:01731) 職業名と性について

にてB-CATさんから、

これってたとえば「女性アナウンサー」とか「女流作家」とかのことですか?

ということを確認したうえの、

そうでしたら、私も同感です。ものすごく気になるので、自分でも使いません。

という賛成の意思表示がありました。さて、今度は反対の意見をもっているものがUPしなければなりません。こうした提案にもし反対の意見がでないとすれば、この提案がネットの意思として認められると思います。また賛成反対でなくとも、提案者にその提案内容の理解できないことを説明をもとめるのもあたりまえだと思います。私はこれが民主主義のルールだと思います。
 ある意見の提案があり、その説明がなされ、そこで賛成意見反対意見が求められ、そのうえでさらに討論します。それで提案意見がそのままあるいは修正されるかもしれませんが、それで認められるかもしれません。またかなり時間をかけて論議して、もう意見は出尽くしたが、やはり賛成反対に別れるようで、みなもう決をとってもいいだろうというとき、多数決の原理で決定していっていいだろうと思います。これが民主主義の原則です。
 私はだから、まず提案の理由が示されないので、質問したわけです。

93-02-04 23:31:03 「女子プロレス」も「プロレス」と 周
 よく分からないのですが、
というのは、以下のような言葉をいうのですか。今思いついたままですが。
93-02-04 23:55:02 違いました。ラ・ギャラクティカです  周

 私は説明がないので、ある程度推測で書かざるをえないところもありました。これは

93-02-05 12:39:28 職業名と性別のこと YO

のYOさんも同じではなかったかと思います。YOさんも、この提案に同感とも反対とも書いてはおられません。

私個人は、なるべく世の中のことを「男対女」で論じるのではなく、個人個人の問題としていけたらいいと思いますが、本当に差別的な言葉(その定義は問題ですが一応の了解があるものとして)を除いては自由でいいと思います。 そして、カチンとくることがあったら、誰でも自由に文句を言っていけばいいのではないでしょうか。

という言い方をされています。私はしつこいので、さらに

93-02-06 09:17:47 続「女子プロレス」も「プロレス」と 周
感じたことを続けたいと思います。

と続けました。そして私が以前に

93-01-31 11:13:17 新続金丸と青島とどっちか選ぶ 周

での中で「あんな馬鹿女代議士を先頭にする運動なんて」という言い方をしたことの解説をしました。要するに私はこのことに関しては「馬鹿女代議士」という言い方をやめないぞということを説明したかったのです。その説明の中で、私はかなり前から大事なことだと思っていた、公安条例のことを持ち出しました。
 このUPに対してeco さんから、

93-02-07 23:43:54 性と職業 くどいかな?   eco

でRESをいただきました。eco さん、ここでかなり大事なことがあるのです。

周さんは職業について興行としてのビジネスベースで作られたものと性別を問わず社会から求められるもの、そして性差が有るがゆえに存在するものを同一視されていませんか。

といわれますが、eco さんからは提案されたときに説明がされていないのだから、私が誤解あるいは間違えたとしても、私はいたしかたないのではないでしょうか。このことは、ゴトさんも

93-02-08 03:07:28 おひさしぶりです ゴト
 eco さん、こういう事は、いくら長くなっても理由をきちんとしなければならないんじゃありませんか。

といっています。私もそのことは、

93-02-08 01:59:01 続々「女子プロレス」も「プロレス」と 周

でまた述べました。eco さんの説明が明確でないから、

ひとつひとつ明確に判断して表現しなさいということでしょうか。女子プロレスは使ってもいいが、女性アナウンサーはやめようというのでしょうか。では「女優」は、「女言葉」はどうなのだと、いくらでも疑問がわいてきます。そして私たちはいつの時点でそのような判断ができるような存在になるべきなのでしょうか。私は少なくとも、このような教育は受けませんでした。今の教育ではどうなのでしょうか。もしeco さんのいうことが正しいなら、やはり教育のある時点で子どもたちにこのことを教えるべきでしょうね。

と言っているのです。
 eco さんはこの文の中で逆に明確にいいきっているところがあります。

新聞記事の紹介もされていましたね。一言で話は済みます。読者(すなわち我々)迎合のサービス精神の表れです。周さんが怒るべきは、代議士でもなく・弁護士でもなく・女性でもなく、新聞を始めとするマスコミでしょう。でもね、これも仕方ないんですよ。
「犬が人を咬でもネタにはならないが、人が犬を噛んだらネタになる」それだけの事でしょう。

 私はこれはひどいなと思いました。私が言った新聞記事からみのことが、憲法違反の公安条例のこと含めた話が、どうして「一言で済む」のですか。「周さんが怒るべきは、代議士でもなく・弁護士でもなく・女性でもなく、新聞を始めとするマスコミでしょう。」なんて、どうしていいきってしまうのですか。私はこんなものいいをしたことはありません。ここのところはもう民主主義の原則からかなり逸脱していると思います。論証や説明抜きに、こんなこと断定されたって、私が「はあ、そうですか」なるわけないじゃないですか。eco さんが、いいきった言葉に自信なり責任なりを感じているなら、これを説明いただきたい。何故「一言で済む」のか、何故「怒るべきはマスコミ」なのか、説明いただきたいと思います。このようにやっていかないと、民主主義の原則は守れないのだと思います。
 逆に私がこういう言い方をしているところがあるのなら、ぜひともご指摘いただきたく思います。
 さてこの提案にはさらにUPがありました。

93-02-05 12:39:28 職業名と性別のこと YO
93-02-09 01:19:07 「性と職業」の件は重たすぎるな eco
93-02-10 02:56:57 KCN00151  ecoさん DAIちゃんさんへ

 私はこの中でYOさんのUPの中で、

しかし現実に私自身、仕事探しをしていた時に女性であるために選考の最初からはずされた経験があります。

に驚きました。YOさんが明らかにどこかに就職しようというときに、女性であることによって差別されたのだと思ったのです。それで

93-02-11 02:44:49 あげあしとり「性別の問題」に 周

のUPをしました。そんなふざけた企業なり、せめて名前くらい知りたかった
のです。しかしYOさんは私のいったことを、その相手を「攻撃」せよととったようで、

93-02-11 15:23:24 RE:#118 周さんへ  YOKOより
周さん、せっかくのお誘い(?)ですが、私はこのネットでそういう具体的な団体の攻撃をする気は全くありません。 

とUPがありました。私のいうことにはそんな雰囲気を感じるのかなと思いましたので、いやそうではないのだと、

93-02-11 18:45:32 あげあしとり63「RE:#118 周さんへ」に 周

とUPしました。ゴトさんもそういう風にはとらなかったようで、次のUPがありました。

93-02-12 11:53:20 気になったので…… ゴト

ただこれらの話の中でゴトさんは、以下のように言っています。

 そんな中でも、色々と言い合い、やりあうのは、また別の楽しみであろうと、私は思ってきましたが、それが、みなさんをおっくうにさせ、気楽に発言し、書き込みを楽しむ邪魔になり、多くの人が書き込める雰囲気を壊すという事なら、このSIGを閉鎖しましょう。私はそれでかまいません。

これは、YOさんの

93-02-11 15:23:24 RE:#118 周さんへ  YOより
周さんやゴトさんの熱心で真面目な議論は面白く読ませていただいていますが、私がちょっと心配なのは、それ以外の人たちが気楽に意見を書き込めなくなるのではないかという点です。不用意な発言にいろいろ指摘されるのではないかと心配したり書くのがおっくうになったり。少なくとも私はちょっとそういう気分がしています。それは周さんの望むところではないのではと思います。みんながそれぞれのスタンスで気楽に発言して、それぞれの書き込みを楽しんで読めたらいいなと思います。それは不真面目とかいい加減とかいうことではないと思います。

以前にネットの拡大の話題がありましたが、多くの人が書き込める雰囲気を作ることが大切だと思うので、あえて書きました。

によります。私はこれはDAIちゃんのUPと同じことを言われているように感じました。私もゴトさんと同じ返事をするしかないと思います。それならもうこんな迷惑なSIGはやめちゃったほうがいいと思うのは当然ではないでしょうか。
 ただその後

93-02-12 19:35:37 周さんへ  YOより
93-02-12 19:36:12 ゴトさんへ  YOより

のUPがあり、また問題点がはっきりしてきたように思います。

ただ、周さんやゴトさんとはスタイルが違う人(私とか)もあんまり身構えずに一緒になって話せる方法がないだろうかと思っているのです。

というように「スタイルが違う」といわれると、もうどう話をしていったらいいのでしょうか。そういう問題ではなかったと思うのです。
 私は大事だと思うことがらに、さまざま論争しても、別にそれがこのネットの雰囲気をまずくしているとかは思いませんが、そう思われる人もいるのかなと思いました。また、いままでTR通信を読んでいて、双方の事情、双方の言い分を知った上でないと、その言い方は「レッテル張り」だから「切捨て」だといわれるのなら、もうTR通信なんてやっていけないなと思ったのです。
 私やゴトさんがそう感じてしまうのは当り前だと思います。

 私はあくまでこのネットでは、民主主義の手続きを大事にしたいと思います。誰だってニコニコ笑って付き合える関係がいいのですが、そうでなく意見が違ったら、それで大いに話合うべきだと思います。よく他のネットで、どうしてもテキスト情報だけのやりとりなので、かなりな険悪な言い合いと取り返しのつかない関係になってしまうのを知っています。でもこの柏市民ネットではそのような関係はつくってきませんでした。どんなに論争し、言い合っても、それだからこそルールを守ってやってきたと思いますし、今後もそのような姿勢を貫けると思います。それができないとしたら、どこかいいかげんにやってきてしまっているのです。
 また話していきましょう。いや違うというなら、そう話してほしい。そうではなく、こういうことをしつこくやるから、このネットの雰囲気が壊れるのだといわれるならまたそのようにはっきりいってください。私はそのとき私の態度をはっきりさせたいと思います。私はこのようにやっていくことこそがいいことだと思っていますから。

  あいもかわらず、周はくどくしつこいのですが、

93-02-13 02:27:51 RESあげあしとり61に    ぷぅ〜

を読みまして、また書いていきたいと思います。
11050101 いま妻と私たちの友人たち夫婦のこといろいろ考えていました。それで驚いたのですが、私の同じ埼大関係の友人たちの夫婦には「専業主婦」という人はいないのです。奥さんが教員というのが多いのですが、もちろん教員でない仕事についている女性もたくさんいます。それできっと仕事と子育てと妻の役割ではいろいろな話がきけると思います。ああ、いいテーマができたな、今度会ったらいろいろ尋ねてみようと思いました。ある夫婦で「できたら専業主夫」になりたいという男がいましたが、奥さんに怒られて、今もまた外で働いているのがいます。
 ひとつは「夫に甲斐性がない」(私の意見)とか「みんなしっかりした女性だから」(私の妻の意見)なのかもしれません。でもみんな働いているから、一緒に飲んだりしたとき、「だから周君はダメなのよ」(後輩の女の子はこういういいかたではありませんが)どと、私にからんだりできるような気がします。勿論専業主婦がいけないとかいっているのではありません。ただ男性と同じ職場なりでかなりな時間を過ごしているから、みんなあんなに迫力があるのでしょうね。

私が言った「一段低く」というのは、評価の意味です。差別とおっしゃるなら、そうかもしれません。先にも書きましたが、一人前の労働力として機能することが難しい、という意味で、そして、普通の労働者のようには仕事量を調節することができないという意味で、小さい子供のいる女の教師は二級の労働者としてみられても仕方がないのではないかと、私が思っていたからです。そして、実際、教師だけでなく、小さい子供のいる女性労働者はそういう差別、というか偏見(といっていいのか)をもたれているのでは、と思っています。

 という風には私は一度も思ったことありません。私はそんな偏見は全くもっていません(私自身はあらゆるものに偏見をもっている人間ですが、このことに対してはもっていません)。ちょっと考えてみてください。この「小さい子供のいる女性労働者」というところを「身体の不自由な人」とか「日本語のうまく喋れない外国人」とか私の友人の熊さんのような「耳のきこえない人」とかに置き換えてみてください。私たちは差別とか偏見はもってはいないのではないでしょうか。
 私が前にブルータスに対して書いたことをまた書きます。

 「同じものは同じように扱う。異なったものは異なるように扱う」
  というものです。同じ人間なのに異なった扱いをして差別するの
  は不正義である。それとは逆に、たとえばハンディキャップを負っ
  ている人を健常者と同じように扱うのも不正義である。
  

 私も同じことをいいたいのです。私の妻は子どもがまた小さいときには、必ず会社を5時半に退社していました。その会社の社長とそういう約束でやっていました。勿論たまにはどうしても残業が必要なときには、私が協力しました。しかし妻の会社の社長は妻を「二級の労働者として」はみてなかったと思います。どんな職場でも、今は小さい子どものいる女性の労働者の存在はあたりまえですから、そのハンディキャップを職場としてかばっていると思います。そうしないとやっていけないはずです。

だって、どんなに家庭で協力してもらえても、やっぱり独身の人、家庭を心配する必要のない男の人と100%おんなじに仕事をすることは難しいことだと思うのです。

 100%同じ仕事というのはありえないでしょうが、100%同じ価値の仕事はできているはずです。私は子どものために早く帰社する女性の労働者がいたときにも、その仲間を「二級」だなんて一瞬たりとも考えたことありません。
 赤坂の広告関係の会社にいたときに、ある女性(マネージャー級でしたが)が他の女性社員が生理休暇をとることに、イャモンをつけたことあります。もちろん公にいいだしたのではありませんが、同じマネージャー級の私に同意を求めるのです。私はそれこそ驚きました。私は女ではありませんから、身体のことは実感できませんが、どうしたって身体がきつくて休まなければならない女性だっているわけでしょう。それを同じ女性の上役が非難するなんて、一体どうしたことでしょうか。私はそれこそこの女性を非難しました。まあ分かってくれたかどうかは分かりません。女性に生理休暇があるからといって、「男の人と100%おんなじに仕事をすることは難しい」とは思いますが、同じ価値の仕事はできると思います。事実多くの女性労働者は、男性労働者と同じ価値の仕事をしていると思います。
 私はこのように考えています。しかし私も日頃の自分を反省しました。「家庭を心配する必要のない男の人」といえば、私のことでもあるなと思いました。私は全くそれを忘れて飲み続けていることがほとんどです。まずいですね。私が帰らないと、ゴミだしとか資源回収に応じられないことがほとんどなのです。だんだん娘たちにやらせるようにしないといけませんね。
 ぷぅ〜さん、周はいつもしつこくあげあしばかりとっていますが、まあこの若干嫌味な性格は変わりそうもありません。これからもよろしく。

 本日の毎日新聞の朝刊の27面で気になった文があります。

 「佐川」再々喚問
 疑惑まみれの元首相に
 『真相を』『辞職を』大コール

という記事の中の文です。

  竹下氏の地元の島根県出雲市、家事手伝い、日野香さん(25)
   知人の中には、島根ナンバーの車で県外に出るのが恥ずかし
    いと言う人もいる。県民としては、証人喚問で今度こそ、すべ
    てを話して、けじめをつけてほしい。(以下略)

11042904 何が気になるのかというと、この25歳という女性が「島根ナンバーの車で県外に出るのが恥ずかしいと言う人もいる」とまで言ってしまうことなのです。たとえ竹下がどうあれ、何故同じ県だと恥ずかしがらねばならないのでしょう。日経新聞の最終面の「私の履歴書」というところで、どなたかが、栃木県足利市の生まれで、軍隊に入隊したときに、生まれをきかれて答えたら、上官に「なに国賊(足利尊氏のことでしょう)の出身地か」といわれビンタはられたと書いていました。このひどい時代の上官の考えとこの25歳の考えとは同じじゃないですか。
 またも思うのです。いったい戦後って何だったのだろう。戦後民主主義って何だったのだろうかと。
 昨日夕方ゴトさんが事務所にきて、さらに私の友人のデザイナー泊氏から電話があり、3人で「松屋」というそばやで飲みました(ゴトさんは飲めません)。
そのときにいろいろ話したのですが、その中で、

あげあしとり59「バカな親について」に(1993.02.07)
「九段の母」で息子が戦死したのに「母は泣けます 嬉しさに」と唄う母親と同じです。あれだけの戦争があって、あれだけの人が死んで、あれだけ戦後やってきて、まだこんな母親がいるのですね。しかし、あの「九段の母」なんて母親は、本当は絶対に存在しなかったのですよ。

なんて私は書いたけど、自分の子どもに「死んでくれ」といった親だっていたんだよなというような話をしました。末松太平「私の昭和史」に書かれている内容です。ゴトさんが詳しく説明してくれました。泊氏も「そんな話きいたことあるな」なんていってくれました。またこの本は紹介しますが、たしかにあの戦争のときには人間としては異常なことがたくさんあったのです。それだけの経験から、私たちはもうそういう時代、そういう親と子の関係はつくらないぞという決意で、この戦後を生きてきたはずです。それなのに「ウチの子はどんどんぶってください」などという親がいたり、この新聞の記事のような若い女性がいるのです。いったい何なのでしょうか。
 ゴトさん、私はよくあの泊氏とあんな話をするのですよ。彼も当り前に当り前に考えているでしょう。また機会つくって話しましょうや。

1104281393-02-10 02:55:54 TR通信・49
TR通信・49 松戸自主夜間中学の取材をしてきました
 いつも3人で仲良くかたまっている中学生(和尚さんの授業に出てプロレスラーの名前を書き込んだ子達です)は中学1年と2年の学年で、登校拒否をしており、中1の子は教師の暴力が原因で学校に行かなくなりました。
 可愛い子たちなので、楽しくながめていたのですが、どうして自主夜間中学に来ているのかという質問した時に、「馬鹿だから」という答えが返って来た時に、その落ち込んだ感覚が痛々しくてまいりました。
 学校に何か言いたい事はないかと質問したところ、ひとこと「なめるなよ」と言いたいという事だった。「なめるなよ」という言葉は、まったく正確な言い方だと思う。彼らはなめられたのだ。頑張っておとしまえをつけてもらいたいと思う。

 この子たちと接したとき、どうしてここへきているのかな、普通の優しい子たちなのにと思いました。これで訳が分かりました。松戸自主夜間中学の事務局の榎本博次さんから手紙がきました。その中に

 授業を受けさせていただいた3人は、あの日初めて「松戸自主夜中」に来た生徒たちです。「授業を受けさせていただいてとても楽しかった」と言っておりました。昨日の2日(火曜日)にも、あの生徒3人は、楽しそうに揃って登校(?)してきました。

とありました。嬉しいですね。2月5日にいったときも3人で来ていました。私は「今度プロレスの話をしようぜ」と言っておきました。でも私がラッシャー木村で、彼等が馳浩やムタで、全然かみあわないかな。「週刊ファイト」を買って、こんどこれで話そうかとも思ったのですが、あれにはかなりダイヤルQ2の広告が出ていて、どうも彼等の前ではひろげにくいですね。「週間プロレス」にしようかな。
 彼等にはプロレスの雑誌を見て話するのが、最初は教科書といえるのかもしれません。こんなにプロレスに異常に執着しているおっさんもいるのだと分かったら、彼等はきっと嬉しいと思うんです。松戸自主夜間中学で見ていると、いわゆる学校の勉強をするのではなく、先ずは彼等とさまざま話をすることが最初にやることのような気がします。
 これから先生になろうとしている大学生の女子学生が毎回ひとりくらいずつボランティアに加わってきます。それはいいことだなと思います。単なる教育実習の経験だけで教師になるよりはいいと思います。
 それと和尚さん、ゴトさんから言われて思ったのですが、パソコンの授業で毎回1度は柏市民ネットにアクセスして、アクセスした人に1つずつでも質問をしてもらいませんか。パソコンのことでも、学校のことでも、プロレスのことでもなんでも。そしてその問に、皆で答えていきませんか。そして次回またそれを彼等にみせましょう。そうしたら、彼等のいったことをこんなに何人もの人がみているんだということが、実感として分かると思います。松戸自主夜間中学に参加できないおおくの柏市民ネットの人も、こんな形で触れ合うことができるのではないでしょうか。先日のeco さん、若林さんをはじめとする皆さんのコメントは、今度印字して松戸自主夜間中学に持っていきます。

93-02-08 23:25:27 TR通信・48
 TR通信・48 学校に行かないと……
 中学に行かなくても卒業はできるという文章をTRに掲載したのですが、これは最初に来た反応でした。

 あの文は少なくともまずこの子には嬉しい情報だったのですね。本当に良かった。「ティーンズロード」とそして藤田恭平先生に敬意を感じます。
 でもこの子の住んでいるところにもあの松戸自主夜間中学みたいな存在があればいいと思います。TRを読んでくれていただけでも良かった。

でもまわりで言うんです『学校行かないと……行かないとしせつに入れるよ!』なんて言い出したんです。

11042709 こんなこというのは誰なんだろうか。なぜ子どもを怯えさせるのだろうか。つまらない大人の浅知恵で言っているのだろうが、まったく逆の結果になっている。
 でも手紙書いたのだけでも本当に良かった。
 唐突に思い出したのですが、私が沖縄で働いていたときに、飯場の私の二段ベットの上に寝ていたのが、加藤明君といって、中学をまともに出ていなかった18歳の青年だった。高校は当然行っていなく、大検で大学へ入る勉強を飯場でしていた。でもよく仕事のできない私に、仮枠大工の仕方とか、鉄筋工のやり方とかよく教えてくれた。しかし飯場では当然私たちは腹いっぱい飲むわけで、結局は彼の足をひっぱってしまった。彼は中卒の資格しかありません。でも彼は今でもあの時代のことは楽しい思いでのようです。私と会うとにやにやしながら、「本当に毎日毎日泡盛飲んでいたね」と懐かしそうに話します。そののち彼は吉祥寺の「曼陀羅」で働いていて、結婚し、いまでは子どもが2人います。別に中学にまともにいかなくたって、彼みたいにまともに社会で生きていけるのです。
 いくらでもそののち元気に生きている不登校の子はいるのだと思う。

『学校行かないと……行かないとしせつに入れるよ!』

なんて言葉に惑わされずに生きてほしい。

93-02-11 15:23:24 RE:#118 周さんへ  YOより
周さん、せっかくのお誘い(?)ですが、私はこのネットでそういう具体的な団体の攻撃をする気は全くありません。 

 YOさん、私はなにもそこの団体とやらをYOさんが「攻撃」すべきだなどといっているわけではありません。

すくなくとも、その相手大学(あるいは企業)の名前くらい明らかにして、今後のたくさんの後輩たちに教えるべきではないでしょうか。

といったはずです。名前くらいだすのが、そんなに

11042422多くの職場で女性に対する差別が選考・昇進等について有形無形にあることはみんな知っていると思います。
でもそれが「常識」であり問題視されて来なかった時に比べれば、ここ数年、少しづつ状況が良くなっている面があることも事実です。
例えば私の大学でも少ないとはいえ女性教員がここ数年増えつつあります。その背景には社会の変化もあるし、女性達の実績もあると思います。この問題はそうやって解決していくべきであって、

ということとそんなに違うことなのでしょうか。それから

ついでに言ってしまえば、周さんとは違って、論点を細かく指摘したり反論したりということも私はネットではあまりやりたくないのです。

といわれるのは、YOさんはそうであったとしても、私は私の発言をこれは誤解しているな、私の言い方がたりなかったなどと感じたときにやっているのです。

私がちょっと心配なのは、それ以外の人たちが気楽に意見を書き込めなくなるのではないかという点です。不用意な発言にいろいろ指摘されるのではないかと心配したり書くのがおっくうになったり。少なくとも私はちょっとそういう気分がしています。それは周さんの望むところではないのではと思います。

 このように論議するのはいいことだと思っています。私は明確にしたいだけなのです。

みんながそれぞれのスタンスで気楽に発言して、それぞれの書き込みを楽しんで読めたらいいなと思います。

 まったく同じに思います。だが私の書いたことでそんなに無茶な「指摘」とやらをしているのでしょうか。eco さんの書かれた女教師に対して、「公私混同だ」と感じてそう書いたりすることが、「不用意な発言にいろいろ指摘されるのではないかと心配したり」することなのでしょうか。

以前にネットの拡大の話題がありましたが、多くの人が書き込める雰囲気を作ることが大切だと思うので、あえて書きました。

 私のやっていることが、この雰囲気をこわしているということでしょうか。そもそもこんなふうにいちいち「あげあしとり」するなということでしょうか。私はいまやっていることが民主主義の原則だと思っています。私が不用意に他の方たちを誹謗中傷していたりしていたら、それはいけないよと忠告してください。でも私はそんな発言はしていないつもりです。それでも私のような形のUPは「ネットの拡大」には逆行するのだとおっしゃるのでしょうか。前にも述べましたように、それが柏市民ネットのみなさんが感じていることだとしたら、私はその時点で態度を決していきたいと思います。

93-02-08 13:59:19 性別の問題  YO
ふう。パソ通というのはあくまでも書き言葉のやりとりなので、言葉の問題で議論してしまうことがままありますが、それで疲れてしまうこともありますね。

11042405 結局私なんかつかれませんから、いくらでもやっていきたいと思います。あまり「言葉の問題で議論」されたとも思っておりませんが。できたら、YOさんのような言語の専門家から、さまざま教えていただきたいと思ってます。そしてすくなくとも私は、話の形をつくってきたつもりですので、今後も真面目にやっていきたいと思っております。私がさまざま問いかけをされたことに、なんら答えていないことがありましたら、ご指摘いただきたいと思います。
 それでなのですが、私はYOさんのUPで驚いたことがあります。

しかし現実に私自身、仕事探しをしていた時に女性であるために選考の最初からはずされた経験があります。

 これはもちろん事実なのでしょうから、YOさんとしては、この大学(あるいは企業)の名前を明確にあげるべきではないでしょうか。もしこれが大学とすれば、明確に男女差別をしているわけですね。こんな大学の存在を許していいのでしょうか。YOさんが「女性であるために選考の最初からはずされた経験があります」ということなのですから、こんな大学は許してはいけません。私が知っている限りの民間企業はこんなことをやっていません。YOさんとしては明確にこの事実を体験しているわけですから、そのままにしておいてはいけないと思います。いまさら、その大学(あるいは企業)を訴えるわけにはいかないのかもしれませんが、すくなくとも、その相手大学(あるいは企業)の名前くらい明らかにして、今後のたくさんの後輩たちに教えるべきではないでしょうか。この間のYOさんの発言を見ていまと、それは当然やるはずだと思います。YOさんがと当然にその大学(あるいは企業)名をあげたなら、私たちはそこを、そこをそれだけのひどいところかといろいろいっていきたいと思います
 YOさんやりましょうよ。

93-02-08 22:46:15 ecoさんの言われた教師のこと  ぷぅ〜

11042302 これを読みましていろんなことを感じたり、考えたりしました。私のところも妻も働いていますし、私の弟のところもそうですし、私の大学関係の友人たちもそのほとんどがみな、夫婦とも働いています。私のご近所にも何人もいます。奥さんのほうが教員というのが多いのですがね。勿論夫が教員で、妻が一般会社というのもあります。さまざまです。でも比較的妻のほうが教員というのは多いと思います。
 それでさらに思うのですが、

 保育園のお迎えの時間があるので、試験の採点が遅れがち・・ということはありそうなことだな、というのが私の気持ちです。
 そんなのは無責任では、といわれれば、全くその通りだと思います。でも、保育園にはお迎えにいかなくてはいけませんから、7時ごろまで学校に残っている、というのは無理でしょう。普通はおじいちゃん、おばあちゃん頼みで乗り切ったりしますが、そうそう頼める人ばかりではありません。
  あとは持ち帰りで間にあわせるしかないのですが、子供が起きている間はまずたいしたことはできませんから、結果的に「遅れがち」になってしまうだろうと思います。

というのは、私も「ありそうなことだな」というのは感じます。でも「ありそう」でも、はたしてこうしているでしょうか。もっと普通の労働者として当り前のことやっていると思いますが。私も保育園に何度も迎えに行きました。私の友人でもそうです。
 それと私は私の両親がよくやってくれました。私たち夫婦および子どもは恵まれていたのかもしれません。でも私は私の妻も働かなければならないから、両親のそばに引越してきたのです。それまでは東京の王子にいました。その前は早稲田に。私は絶対に我孫子になんか来たくありませんでした。でもその当時どうしても妻が私の会社で働かないとなりませんでした。私がいくら元気でも、同じ時間に二つの場所にはいられなかったからです。私はいつかはまた我孫子を離れようと思っていました。……今はもうそう思っていませんが。
 とにかく人はいろいろあるのだと思います。それでもなんとか必死に働いているのです。私は教員は時間的には恵まれている方だと思います。私は「ありそうなことだな」ということはわかりますが、そのままやってしまっている人など、ちょっとひどすぎる、職務怠慢だと思います。結果的に「遅れがち」になって、クライアントなりユーザーなりに迷惑をかけ、会社に損害を与えたりして、そのまま許されてしまう会社などあるでしょうか。
 私は以前広告の制作会社の責任者をやっていました。1カ月に30点ばかりの制作物を企画から印刷納品までやっていました。たとえば、200万枚のチラシを「結果的に遅れる」わけにはいかないのです。新聞広告の記事下の広告を「結果的に遅れる」わけにはいかないのです。もしそんなことになったら、私は腹切るじゃすまないんです。1度だけ、かなり大きな会社がチラシの納品が間にあわなかったことあります。私はかなり怒って、配るべき地域の新聞販売店に徹夜でその印刷屋に運ばせました。驚くほどおおきな印刷屋でしたから、まなじりをけっして何台もトラックを動員してやりました。だがこのトラブルで私は、この印刷屋に支払いはしませんでした。その会社の専務までかけあって了解させました。担当者が責任ということを分かってなかったからです。
 私は仕事は、労働はそういうものだと思っています。そのために夫婦のかたちをつくっていくのではないですか。私は妻の同様のことがあったら当然さまざま協力しています。働く母親も父親も同じです。 

 もう一つの、生徒の親に自分の子供をみてもらった、というのは確かに公私混同しています。でも、詳しいことはわかりませんが、これは保育園で預かってくれないとき(風邪の予後とかトビヒ・はしかの、伝染力がなくなったとき)だったのではないかと推測します。保育園は集団生活ですから、7度5分以上の熱があったり、トビヒが一個でもあるとアウトです。水ぼうそうなども伝染病ですからもちろんだめですが、元気はいいわけで、もうやった子とだったら遊べますが保育園はもちろんだめです。

 ぷぅ〜さんがよく考えてあげたいという優しい気持は分かります。でも「保育園で預かってくれない」トビヒとかはしかとか水ぼうそうとかいうとき、それこそ生徒の親のところならいいのでしょうか。よく考えてあげると、この先生は電話で、相手の家にはもうはしかにかかっていない子どもはいないのかとか聞いたのでしょうか。私の子どもも保育園に長く通っていましたから、ここらのことはよく分かっているつもりですから、

もうやった子とだったら遊べますが保育園はもちろんだめです。

というようなことは充分分かります。そのように対処していました。この先生はどうなのでしょうか。そしてそこまでぷぅ〜さんが推測してあげることがいいのでしょうか。普通に働いている母親はたくさんいると思います。

で、もちろん生徒には申し訳ないと思いながら、あと数年、もう少し大きくなるまで、と思いながらしのいでいる、というのが現実ではないかと思います。
 それで今現在目の前にいる生徒はどうなのか、といわれれば、「今の状況でできる限りのことをしてはいる」ということで頭を下げる以外にないのではないでしょうか。

 こんなふうに働いているのでしょうか。少なくとも私は女ではありませんが、こんなようには働いていません。私の妻は女ですが、こういうふうには働いていません。生徒に対してこんな感じで接していられるのが教員なのでしょうか。私たちは仕事上でこんな感じでやれるわけがありません。私は教員だって私たちと同じではないかと思います。

そういう、全力投球できないという意味で女性の(特に小さい子供のいる)教師が一段低く評価されるなら、それはしょうがないこと、とも思います。私は教師ではありませんが、きっとそのくらいの覚悟はして、おんな先生をしているのではと思います。

 この「一段低く」という意味が分かりません。給与が安くという意味ですか、昇進が他の人より遅いということですか、その覚悟ならこんな態度で職業を、労働を続けてもいいということでしょうか。この文の教師というところを「労働者」と置き換えたらどうなるのですか。全力投球できない小さい子どものいる女の労働者は、一段低く評価されてもいいということですか。でもそれは子どものいる女性労働者を差別していませんか。差別でなくても、偏見をもたれても仕方ないということだと思います。
 私はたくさんの働く女性たちを、このようにみることはできません。だってみんなけっこう普通に働いてますよ。普通じゃない人が、こうしているということを知って私なんかは、その人自身に対して怒っているのです。
 ぷぅ〜さんが、やっぱりこの人たちにもいろいろ事情があるのではと推測してあげたい気持はわかります。しかしあらゆる職場でそのようにみてあげようとしても、結果として仕事ができないのなら、私なんか、私の妻なんか、腹切るじゃすまないんですよ。それはたくさんの労働者も同じだと思います。まして、どうしてもチラシが入らなかったとしても、別に最終的には金銭なりで解決つくのかもしれません。しかし、おおくの子どもたちはどうなるのでしょうか。

11042201ここを見誤ってしまうと、もう子供の真の心の姿は見えなくなって仕舞う。

 などと私も思いましたので、いつもいつも余計に話に加わりますが、まあいつものことです。

93-02-09 21:24:25 ゴトさんへ   #106へのレス
しかし、ことが、大人同士なった場合、やはり、まずもって、双方の言い分を聞くべきではないかと思う。最低、互いの状況をふまえてからでも、議論はすることは出来る。一方的(eco さんごめんなさい。私の子供もエコさんと同じ小中学校に通っているので。)な情報で言うことは、このましくないと感じるのです。もし、それらの事で、そうした教師とUPした方が自分で現実にやりあっているならば、私も単純なこういう言い方はしません。

 はっきりさせましょう。双方の言い分とは誰と誰ですか。ひとりはゴトさんですかeco さんですか。もうひとりは誰ですか。もうひとりはeco さんがいった女性教師ですか。このひとの情報を得てから「公私混合の断を下」すべきだというのですか。そうしないと

 ゴトさん、私はこのことを言いたかったのです。そこからしか、互いに理解しる努力からしか、現実におきている問題点の真の解決方法は出てこないのではないでしょうか。特に大人の世界での互いのレッテリはりの不毛性は繰り返したくない。切り捨てて、レッテルはって、なにが生まれるのか。

 レッテルはりだというのですか。どういうレッテルとやらをはっているのでしょうか。あれを読んで私も「公私混同」だと思いました。そう思うこと自体が「レッテルはり」なのでしょうか。そう思ってそれを言って何がいけないのでしょうか。この場合どこがいけないのでしょうか。何がレッテルはりなのでしょうか。私はこういう言い方は非情に嫌な気持になります。ようするに何もいうなということなのですか。
 私たちはこの事実をどうやって調べろというのですか。私は「金丸と青島とどっちか選ぶ」で私なりに得た情報で私の意見を展開しました。私のあのUPにも「それなりの事情があるのではないか」「それを確かめてからでも、そして、それを防ぐにはどうしたら良いかを考えてからでも」遅くないじゃないかとおっしゃるのでしょうか。どうしてか私のこのUPに対しては、そういう意見はききませんでした。
 私はいくらでもこの問題に深入りするつもりです。もしDAIちゃんのいいかただと、深入りしてこの女性教師側の事情を調べないと、双方の言い分を知ってからでないとこの問題から「深入りするつもりはありません」というのは、まずいのではないですか。

特に大人の世界での互いのレッテリはりの不毛性は繰り返したくない。切り捨てて、レッテルはって、なにが生まれるのか。

とまで言われて、それで

だからといって、この問題について、私はこれ以上深入りするつもりもありません。

では、もうどういうことなのでしょうか。それで
 
こんな風に考える読者もいるもんだな〜でながしていただければ、幸いです。

ということは、いったいどうしろということなのでしょうか。
 私がDAIちゃんのUPから思ったのは、今までの教育論議なり「ゴトさんのTR通信」なりで書かれていることが、そのつど「双方の言い分」を聞いていないから、「レッテルはり」だと思われていたのかなと感じたことです。もしそうなら、もっと早く言ってほしかった。そうすれば私だって、こんなにいきりたつことはないのにと思います。私は教員にはなりませんでしたが、さまざま考えてきたつもりです。そしてこの柏市民ネットという場で、私なりの「教育」というものへの考え、感じかたを述べてきました。そしてゴトさんが入会してきて、さらにTR通信を読むことにより、もっと厳しいさまざまな現状に驚いたり、怒ったり、悲しんだりしてきました。そして私はもっと深入していきたいと思っています。何故「レッテルはり」などと言われるのでしょうか。私は私なりの情報収集しかできません。そんな情報収集しかできないのだから、「公私混同だ」というくらいの判断もしてはいけないというのでしょうか。そうしたらもう私は何も意見をいえなくなります。もうUPできません。
 私はまだまだいい続けるのをやめません。それが違っているとか、嫌だというのなら、そう言っていただきたい。そうした意見を見て、私は私なりに態度を決していきたいと考えます。

93-02-02 23:57:26 バカな親について eco
ゴトさんは大人に述べる言葉は無いかの様に書かれていますが、私たち自身の啓蒙にご助力下さい。

11042111 私はこれは違うように思います。大人を「啓蒙」する必要なんかありません。私も啓蒙なんかされたくありません。啓蒙なんかされません。私も啓蒙もしたくありません。子どもに対しても、大人に対しても。
「ゴトさんのTR通信」で書かれている馬鹿な親たちを啓蒙する必要なんかありません。犯罪を犯しているような大人の教師たちを、私たちが啓蒙する必要はありません。そんな馬鹿馬鹿しいことを、ゴトさんがやる義務もないし、やる意義もありません。だいたいに

93-01-18 03:37:25 山形の中学生窒息死に思う ゴト
 日本人初の宇宙飛行士となったTBSの秋山豊寛さんの子供は小学校1年の時、何かというと担任の女教師に物差しで折檻されたという。秋山さんは父兄会で、その事に苦情を申し立てたが、他の母親が「ウチの子はどんどんぶってください」と発言した。彼はあきれはてて子供を転校させた。

 こんな馬鹿母親をどういうように啓蒙するのですか。もしなにか考えられるなら、その啓蒙の内容を教えて頂きたい。私が秋山さんがやるべきこととしては、この「転校させた」で正解だと思います。あと考えられるとしたら、この女教師を告訴して、この馬鹿母親も証人に呼ぶことですね。裁判所でもこの母親は、「ウチの子はどんどんぶってください」というんでしょうね。「九段の母」で息子が戦死したのに「母は泣けます 嬉しさに」と唄う母親と同じです。あれだけの戦争があって、あれだけの人が死んで、あれだけ戦後やってきて、まだこんな母親がいるのですね。しかし、あの「九段の母」なんて母親は、本当は絶対に存在しなかったのですよ。しかしこの馬鹿母親は現在存在しているわけです。吉本(吉本隆明)さんの「戦争が露出してきた」という言葉をまた思い出してしまいます。

93-01-29 18:05:46 女教師の件 他 eco
事実だけを書きますが、長男が小学校の時、担任は女の先生でした。
小さな子供がおられて、授業が終わると保育園に迎えに行かれるため、テストの答案や解説は遅れぎみになり、いじめが起こった時は「当事者で話し合って下さい」との発言、2学期になり産休を取られ、替りの先生になりました。その次は、今学年の事ですが、長女のクラスで1才半になるお子さんをお持ちの先生が担任になりました。びっくりした事に、自分のクラスのお母様方へ順番に「子供を1日預って頂けませんか」との電話。担任の先生の事だからと応じた家もかなり有りました。

11042104 これを読んで驚きました。この話は事実なのだから、かなりな問題です。私の子どたちの小学時代を妻と共に思い出しましたが、こんな先生はひとりもいなかったと思います。このふたりの女教師は教師失格ではないですか。ゴトさんが紹介している中で出てくる駄目な教員と全く同じです。それがこんな身近にいるなんて、かなり驚きました。これはかなり問題として指摘すべきことではないでしょうか。これは、

社会の現状を追認するなら、女性の働く場所は先生に限らずかなり無理が有るでしょう。
問題は社会が女性を受入れる体制になっていないと結論づけされ、それでも貴方はこの問題をうんぬんしますか。となってしまうのです。

というような類の問題ではありません。全く信じられないくらいひどい先生です。いったい、私たちの関係している職場で、働いているたくさんの母親で、これに類した話を聞いたことありますか。これは社会の問題ではありません。この教師が悪いのです。
 私たちはもっと子どものために考え、行動しなければと思います。少なくともeco さんがこのことをUPしてくれたのはいいことだと思います。だって私はこんなことしらなかったのだから。
 ゴトさんの子どもさんはまだ小さいから、ゴトさんはあの「ティーンズロード」での子どもたちからの手紙で、この教育の世界の悲しい怒るべき現状を知ったのだと思います。本来なら私たちのように、もう子どもが小学校、中学校と経験している親のほうがいろいろ知っているはずです。もっともっと、そんなことを教えていきませんか。たくさんのたくさんの子どもたちがこれからも、こうした学校に通っていくのですから。

93-01-18 03:37:25 山形の中学生窒息死に思う ゴト
 山形県新庄市の市立明倫中学の体育館用具置場で1年生の児玉有平君が窒息死した。原因は卓球部員によるいじめ、殺人だ。

11041604 このニュースがテレビで報じられたとき、私の一家4人全員が大声をあげた。なんという事件だろう。なんと嫌なことだろう。なんと彼は悔しかったことだろうか。
 その後の新聞等の情報では、さらにひどい内容が報じられている。犯人たちは、アリバイ工作までしようとしていて、また校長以下このいじめの事実を知らなかったといいはろうとした。なんてことだろうか。もうこうした場は変えようがないのかもしれない。もうそんな学校はなくていい、ないほうがいい。

 このような事も、もとはと言えば、教師の暴力が許されているせいだ。

 まったくそう思います。でもこの秋山さんの子どもさんの学校の話もひどい
ですね。

何かというと担任の女教師に物差しで折檻されたという。秋山さんは父兄会で、その事に苦情を申し立てたが、他の母親が「ウチの子はどんどんぶってください」と発言した。彼はあきれはてて子供を転校させた。

 こんな親はいったい何なのだ。秋山さんならもっと闘ってほしいとも思うところだが、もうこの学校という現状を知るとき、早いところ「転校」させて正解だとおもう。戸塚のほうがマシです。私はあの事件のころもよくこの戸塚ヨットスクールのこと考えたものだが、

彼に自分の子供を引き渡した親が一番無責任だと思う。

と私も結論つけたものです。
 とにかく私たちは、私たちの子どもたちのことは、自分たちで守っていこう。

93-01-13 04:42:09 TR通信・47
TR通信・47 ちょっと自慢

 こうした手紙が来るのは嬉しいですね。

担任にすすめられると、あれもイヤ、これもイヤという状態でした。
今は、何かちがうような気がします。何か勉強を少しでもいいからしてみたいと思っています。

11041304 こんなになってくれるのはいいなあと思います。本当は私たちも、もっとゴトさんと同じようにいろんな子どもたちと接していくべきなんでしょう。松戸自主夜間中学なんかもその少しのところをやっているのでしょうけれど、それが大事なことなのでしょう。毎日仕事やさまざまなことに追われていると、ついなにかにそのまま甘えて流されてしまいます。やはりいろいろと考えたり、やっていきたいと思います。

93-01-06 22:55:27 TR通信・46
TR通信・46 夢があります

 どうにもこれはまともに読めなかった。途中で読むのやめてしまった。詳しく読んでいられないのだ。

その為小・中を精神科の子供と言う目で丸で汚れた物を扱う様な目で周囲の人々にいじめられて来ました。

11041307 何故なのだろうか。どうして教育の現場でこんなことを教師が許しているんだろう。小・中といったい何人の先生がいたことだろうか。ただのひとりもまともにふるまえる教師がいなかったのだろうか。私はいま電車では、「橋のない川」を読んでいます。2卷読み終りました。この中でもひどい差別をする教師がいるわけなのですが、そうでないまともな先生もいます。読んでいてほっとします。涙がうかぶところがいくつもありますが、安心するところもあります。しかしこの子の小・中の先生は一体何なのでしょうか。親しい友人も全くいなかったようです。私にはそれは多分教師のせいだと思わざるをえません。 そしてこの絶対殺してやりたい教師がいます。もうここは読みたくありませんでした。なんかもうたくさんです。でも私が読むことくらい日和ったら、この子の悔しさ悲しさなんかになんにも迫れないと思い、なんとか字を追いました。
 こんな教師はまた別の生徒を狙っているでしょう。いったいどうしたらいいのでしょうか。
 なんとかこのような教師には制裁を加えないとならないと思います。でもどうしたらいいのでしょうか。
 この子の夢はかえさせてあげたい。そんな嫌な高校なんか行かなくたって、各種学校だって、通信教育だってあるんだから、なんか方法があるはずだ。きっとそういうところからのほうがいいと思う。きっと友達も見つかるはずだ。 気が重く、この手紙の子のこと考えることだけで、なんだかもうこの世が嫌になる。どうしたらいいのか分からないからだ。でもこうして、

私は『TR』を毎回楽しく拝見させていただいてる

ということだけでも少しは「ああ、でもまだよかったな」と思い直します。

92-12-23 05:24:43 TR通信・45
TR通信・45 おばあちゃんと子供

 これを読んでなんだかこんなおばあちゃんの存在が嬉しくて、何か書きたくなりました。

その答えが返ってきた時、私は学校に行かなくなったのです。うちの祖母は「行きたくないのならムリに行かなくてもいいよ」と言ってくれました。

 これだけのことを、たくさんの親たちがいいきれたらなと思います。

祖母は「高校に行かないんだから、産んで育てなさい」と言って、はげましてくれました。「おなかの子は立派な人間。殺すなんて絶対ダメ」って。'93の3月に学校卒業。予定日は7月11日です。担任は「育てられるわけないだろ!堕ろせ!」と言いましたが、祖母は「そこまで担任に言われるすじあいはない」と言ってくれました。

11041117 この担当教師の愚劣さはどうだろうか。このおばあちゃんは本当に立派です。なんだか怒りと嬉しさが交互に浮かんできます。
 私は自分の母のことを思い出しました。私の母は大正6年生まれで、いまも元気です。私は、大学時代の大学の職員からも、埼玉県警からも今でも「あなたのお母さんが一番印象的だ」といわれます。だれも忘れないようです。
 私が最初逮捕起訴されたのは、東大闘争の安田講堂でした。69年の8月20日に220日ぶりに保釈になり、府中刑務所から出てきました。ところがまたその年の12月10日に芝浦工大事件(69年9月18日)でまた逮捕されました。最初の内ゲバ殺人事件といわれた事件です。逮捕状には「殺人、殺人未遂、建造物侵入、凶器準備集合」とありました。新聞テレビででかでかと書かれましたから、親は大変だったはずです。この事件の真相をいまさら話してもしかたないのですが、拘留理由開示裁判で言った私の発言、

  この事件は学生運動の腐敗を示している。だが、殺人というデッ
 チあげで私たちを脅してくる権力を私は許さない

というので象徴できると思います。
 とにかく、親兄弟はつらかったことでしょうが、とにかく母は元気だったようです。埼玉県警のデカが今でもそのことを楽しい思出として話してくれます。私は昔赤軍派の親たちが、マスコミに頭を下げるのを見て、心底嫌になりました。何故、

  息子のやったことと、私は関係ない。だだ個人的にはいい息子
 だったと思う。

くらいなことがいえないのだろうか。20歳すぎて勝手なことやっているのは、そいつ本人の責任で、親はもう関係ないのだ。いったい戦後社会というのは何だったのだ。
 私の母が私のこどもたちに話したので、傑作なのがあります。

 母は日本橋に勤めていました。茨城の佐貫から通勤していました。昭和5、6年のころのことでしょうか。帰りが残業で遅くなり、真っ暗な道を帰るとき、暴漢に襲われたのです。母は組み付かれて、とっさに「人殺し」ではなく「ドロボー」と叫びました。そうしたら一軒の家が明りを付けたらしいのです。男は逃げ出しました。普通ならそれで終りなはずなのですが、母はどうしてか違います。腹がたったので、丁度近くにあった大きな石をもって、その男を追っ掛けたそうです。そして石をその男にぶつけて、今度こそ逃げてきたそうです。
 なんかこの話を子どもたちから聞いたとき、ああ母らしいなと思いました。面白いですよ。

 そして、それよりも、「そんな事を言われるすじあいじゃない」と、毅然としていたおばあちゃんが正しい。

 本当にそうですよ。私はこのおばあちゃんに私の母親をだぶらせて見てしまいました。

92-12-14 23:04:01 TR通信・44
TR通信・44 たすけて

 もう学校なんかいかなくていい。死んではいけない。学校なんて人生のある瞬間だけなのだ。こんな嫌なところならいく必要はない。
 教師は「俺がこんないじめは許さん」と他の子たちにいうことなのだ。それだけのことだ。それが

先生にも「来るな授業のじゃま」と言われました

とは何ということだろうか。教員である前にまず人間なはずなのだが、何なのだろう。
11041113 しかし学校へ行かなくて、家にいるだけだとやはり不安になるだろうな。そこがさまざまな焦燥のところなのだろう。学校へいかなくたって、高校は受験できるということをもっと知ってもらう必要がある。「死にたくなる」ような学校へ行かなくたって、高校も大学も受験できるようになるべきだ。学校はこんな子を守ることができないのだから、それくらいの便宜ははかるべきだ。
 いろいろ考えたのだが、教師が子どもをある自分の価値観に染めたいと思うのが、かなりいじめの原因であるように思える。こういう考えはかなりどの先生にもあるように思う。義務教育は子どもを一人の市民として生きて行けるよう最低限のことを教えるだけでいいのだ。その子がどのような価値観を持とうと、それはひとりひとりの自由だ。
 私が大学生のとき、教育問題研究会というサークルがあった。私は歴史研究会で、両方とも反日共系新左翼の拠点だった。よく私たちと、野球大会や酒のみ会を対抗してやったものだ。そのサークルでよく「国民教育論批判」をやっていた。私はよく何かあるとからかいにいっていた。「国民教育論を批判するのは当然だが、反国民教育論がまた一つの国民教育論になるおそれがあるんじゃないか」と。どうも教育を真面目に論議する人は、また逆に教育的になるところがある。これは私たちの後輩たちにかなりな傾向のあるところである。
 日共のあまりな犯罪性を憎むあまり、そのまま反日共の姿勢をくずさず、どうしてか社会へでてからも、そのまま結局社会党の使い走りになってしまう。いったい共産党と社会党というのはどう違うというのだ、もっている文化論、教育論にどれだけの違いがあるだろうか。自分たちだけで立つべきなのに。
 ここらへんのことをもっと考え論議していきたいと思っています。

92-11-23 00:02:34 TR通信・42
TR通信・42 先生の権利

 またまた、なんという学校、なんという教師たちだろうか。おそろしいのは先生全員が同じことをやっていることです。この子に対して同じ意思をもっていることです。

それから修学旅行にいかせないとか、クラス写真にいれないとか、そういう思い出になることを先生がなくす権利ってあるんですか?

11041102 先生にこんな権利はない。もしも親がこのことで争う気になったら、学校は反論できるのだろうか。多分なにかをデッチあげるのだろうなと思う。もうそんな手が予想できる。なんて嫌な教師たちなのだろうか。
 いつも私は心配になる。この学校には私の大学の後輩がいるのだろうかと。このTR通信が始まった頃は、私の同級生や後輩だけは、けっしてここに書かれているひどい教師ではないと思っていた。しかしなんだかこのごろは自信がなくなってきました。だってこのように学校の全員の先生がそうなのだから、私の後輩がいる可能性はある。いや埼玉県でなければいいのだが、もし埼玉県の学校だともう間違いなく私の関係者はいる。もう私は自信がないのです。
 ひとついえることは、私たちの同級生後輩で教員をやっている連中が、ちかごろとみに元気のないことだ。なにか宴会があっても、前のように出席してこない。きても私たちのように元気がない。教員たち同士で集まるほうが気が楽なようだ。なんだかこれが気がかりなんですね。

92-11-22 00:56:18 TR通信・41
TR通信・41  優等生の悩み

 この文面を読んでいると、どこが「優等生」なのかなと思ってしまう。しかし、

By 死にたい女。

のところでなんだか非常に嫌になってしまう。この子を親も教師も分かってあげようとしていない。

何のために細胞分裂覚えなくちゃいけないのでしょう。
何のために、日本地理覚えなくちゃいけないのでしょう。
何のために、英単語覚えなくちゃいけないのでしょう。
何のために、漢字100字も覚えなくちゃいけないのでしょう。
 そんなの覚えんでも
 人間生きてゆけるんや。

11041005 こういった問に教師は答えなくてはいけない。
 前に私は自分の教育実習のときのことを書いた。そのとき私のことを非常に気にいってくれた3年生にS君がいた。
 彼は非常にユニークな子だった。まず授業中、けっして教科書を開かない。先生がなにかいってもいうことをきかない。しかし彼も人の子で、他の子たちに成績でも負けたくない。同級生にかなり優秀で、先生方の評判もいい子がいた。S君はひそかにこの子になんでも負けたくないようだった。この優等生が、かなりな読書家で、たとえばロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」を読破しているというようなことだった。S君は私に相談してきた。もっとすごい本を読みたいというようなことだった。きっとその優等生も知らないような本を教えて欲しかったようだ。それで私が、例えばランボーでも薦めれば、彼は満足したのかもしれない。あるいは私は過激派なのだから、その類の本でもよかったのかもしれない。でも私がいったのは、「君はまず教科書を開いたら」ということだった。彼はかなり驚いたようだ。
 私は今の教科書がかなり問題のあるところがあったとしても、かなりな内容を含んでいるわけで、まずはそれを読んで、次にそこに掲載されている著作で、気にいったものがあれば、それから読みはじめるんだねといいました。教科書すら読まなかったら、その内容が詰まらないとか、駄目だとかすらいえないよと。
 次の日から彼の机には教科書がおかれました。
 細胞のことも日本地理も、英単語も、漢字も勉強することは大切なのです。ただこういうことはいえるかもしれません。漢字を覚えるのに、書き順とか、一点一角まで細かく指導するというのは、すなわち、ここははねるとか、とめるとか細かくいうのは私は間違いだと思います。子どもを漢字嫌いにするだけです。漢字の一番の教科書といえるであろう「康煕辞典」なんか、間違いがたくさん掲載されています。だいたい明確な規則なんかないのです。中国の漢字の根本的な教科書がいいかげんなのですから、まして日本の子どもに根拠のない漢字の規則を強制させるなんてどうかしています。漢字嫌いにさせ、本を読むのをおっくうにさせるだけです。
 ともあれ、教師はすくなくとも義務教育で教える範囲のことは、人間として生きていくのに最低限必要なことだと子どもたちに分からせるべきです。
 この子の手紙を読むかぎり、この子の先生方はまったくそれができていない、わかっていないということが分かります。

 腹立たしいことだが、こういう卑しい馬鹿に金をくれてやっているのは私たちなのだ。

 腹立たしいことです。

92-11-23 12:53:47 感想をふたつ書きます。 YO
生徒やその親では利害の対立もあり、内申書等の問題もあり、直接教師に意見することもむずかしいケースがあるでしょう。PTAもよく言われる「子供が人質にとられて」いるという問題がある。

11040710 私はあまりこの子どもが人質にとられているという感じはもちません。私のまわりで接している親たちはもうすこし力強い存在のように思います。それとけっこう子どもたちも元気です。まあ私たちの子どもたち、親族、近所、子どもたちの友達たちだけなのかな。
 しかし長女から聞きました。塾では他の学校の子と一緒になるから、他の学校の現状もよく聞くわけで、それを聞いて、えなんだ「TR通信」の学校と同じじゃないかというのがあります。
 休み時間に教室を出てはいけない、喋ってはいけないというところがあるそうです。トイレはいいのですが、それも連れ立っていってはいけない、もしトイレで女の子たちが何人かで喋っていたりすると、女教師が来て怒られるそうです。なんだかスターリンのラーゲリみたいです。「TR通信」に書かれていることが、私の子どもたちのすぐそばにあるのです。私の子どもは運が良かっただけです。
 私のクライアントの社長の弟さんで、中学の教員をやっている人がいます。私のことを気にいってくれて、ときどき話すのですが、彼は自分の子どもを絶体に公立中学へは入れないと言っています。「それはなんかずるいよ」とも言いたいところですが、現状は本当に救いようが無くなっているようですね。

もっと流動的にいろいろな人が教師をやったり、教師が別の職業についたりということが頻繁にできれば

 私もこう思います。だからまだ学習塾の方がいいのですよ。できたら公立なんかなくして、全部学習塾にすればいい。私は前々からそう思ってきました。
 それにしても、どうしてもこの「ゴトさんのTR通信」のところだけはうまく書けないですね。なんかなんとも虚しくなってくるのです。結論が書けません。まとまったことが書けないのです。いくらこうして打っていても、なんだか無力な感じがしてしまいます。

もうひとつ、「家庭や家族の大切さ」ということをゴトさんが言われ、周さんも同意されています。 私も当然そう思いますが、具体的にどういうことなのかというとよくわかりません。

 私はこうしたことを解決していけるのは家族だと思います。「家族」ということだけはどんな時代になり、どんな人類になろうと残っていくものだと思います。共同幻想である国家はいつかは消えてしまうと思いますが、家族そのものは永遠に残っていくと思います。
 私は私の妻とは、けっしてかなりな恋愛関係で結ばれたわけではありません。かなりいいかげんに一緒になってしまいました。でも別にそれで良かったのです。あまり愛し合っていなかったから、努力します。この努力はいいことです。理解しあおうと思っています。そして子どもが二人出来て、けっこうまた二人の努力がさまざま必要になりました。「子どもをきちんと育てる」ことですね。いつかは二人の子どもも私たちのところからでていくでしょう。そうなっても、私と私の妻という「家族」は永遠に残ります。

いわゆる伝統的な意味での良い家庭(両親が揃っていて子供をきちんと育てている)が減少しているという危機意識の現れです。しかし、これは中身としては中絶の禁止であったり、女性に伝統的な役割分担を迫る考えであったり

 私は女性が家庭を守り、夫が外で働くというのが当たり前だなどとは思ったことありません。男も女も同じ形のことをやるべきです。ただし、子どもを含めた家族の中では、父親の役割と母親の役割は違います。今はあまりに母親が父親の役割まで演じているように思えます。
 私は現在の教育の問題も家庭がしっかりしていれば、あらかた片がつくのではないかと思っています。
 できたらここらのことはもっと話していくべきですね。

1104070592-12-06 01:34:59 TR通信・43
TR通信・43 ひーき男

 なんだかこの教師は怖いですね。

手紙を読めば、この教師が人間的にだけではなく、性的に未熟、ないし問題があるように感じる。

 私も感じます。何か嫌なものを感じます。私は教師に聖人君子になれとはいいませんが、こんな未成熟な人は教師になってほしくない。とにかく嫌です。

 私には1つ年下の友達以上、恋人未満ってかんじの人がいます。べつにつき合ってるってわけではないのですが、ただ私の片思いなだけなんです。けど彼も私のこと好きだって言ってくれました。けど、今みたいな関係のままの方がいいので、お互い、告白などはしません。

 それに比べて、この子はいいですね。こんな関係は私たちの時にもありました。ほほえましくいいことです。

吉本隆明さんによれば、ミシェル・フーコーという思想家はこうしたことを「微細な権力」の問題としており、最終的に残る権力の問題はこれであると指摘しているらしい。

 私にはフーコーとはまだとてつもなく分からない人です。ただ吉本(吉本隆明)さんと対談したときに、もっととんでもないことをいいだすのかと思っていたが、かなり丁寧に話されるので、かなりな感動でした。

   ミシェル・フーコーが死んだ。現存する世界最大の思想家の死
  であった。かれはわたしたちのあいだに、「人間」は現実のたく
  さんの具体的な物の秩序のなかに、目立たないようにはさまった
  裂け目にすぎず、いまから二世紀ほどまえにはじめて生みだされ
  たもので、やがてもうすこし新しい考え方がみつけられれば、そ
  のうちに消えてしまうものだということを、目のさめるように鮮
  やかに啓示した。  (吉本隆明「ミシェル・フーコーの死」)

 もっと私もやらなければと反省します。ここらへんはよく分からないのです。

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