将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:うちのおかあさん

101212032010/12/13 12:02きょうがニチイの介護サービスの日だとは分かっていたわけなのですが、私の友人の「長春有情」のここを読んでいたら、すっかり忘れ果てていました。
「吉川英治『三国志』」で廬植が檻車に入れられて行くところに劉備が会って話をするのですが、張飛が、「もうこんなのは、この官軍とやらを皆殺しにして、先生を救おう」といって劉備が止めるところですが(きょうのところはそれまで)、私は昔高校生のときには、「張飛はしょうがないな」と思ったものですが、今ではこの張飛のやり方が一番正しいのじゃないの。廬植だって、そのまま引き立てられたって、仕方のないことなのです。もはや後漢はただのひどい情けない国です。ここで廬植が逃亡して、劉備と一緒に戦えばいいのだ。
 でも所詮は無茶なことを私が言っているのかもしれません。
 さて、私はガラパゴスもIS01もケータイもいくつも打てるもの、書けるものがあって嬉しいです。

101209092010/12/10 11:46またもうすぐニチイの介護サービスの時です。
 今この機会に「青空文庫リーダー」を使ってみようと思ったのでしたが、ここでは駄目でした。パソコンでないといけないのでした。またノートを持ってきて、起動するわけにはいきません。あとで午後一時過ぎたらやってみます。
 そういえば「浅野」にも行きたいのですが、なかなかチャンスがないなあ。夜は無理だから昼食に行くしかないのですね。でもそれも難しいな。
 きょうはシャープの電子書籍リーダーのガラパゴスが来るはずなのですが、いつなのかなあ。
 ちょうど12時5分前にニチイの方が来てくれました。
こうして、ポメラで書いて、IS01も時々書いて(今はこの機器ではまだツイッターしかできないけれど)、電子書籍で小説を読めれば嬉しいです。私は最初に「長塚節『土』」を読むつもりなのですが、さてどうなるでしょうか。私は長塚節と、そして彼の書いた『土』がどうしても深く思い出されるのです。「青空文庫」で読めるのです。思い出せば、中学2年でこの作品は読んだのですが、また読み直すことになるなあ。
 長塚節は、若くして亡くなったのですね。彼の歌集は、母のものがあったのに、我孫子の家を引っ越する前に下北沢の古書店に売ってしまいました。今からあの古書店に行っても見つからないだろうな。
 私が書いている『吉本隆明鈔集』で長塚節の言葉も出してきて、私はそれでの歌はも覚えていますが、あとの歌はなにも記憶に甦りません。
 あ、すぐあとで私の『吉本隆明鈔集』での長塚節に関する隆明鈔の言葉を書きます。
2010/12/10 12:30今日の介護サービスは終わりです。大変なお仕事ですね。実にありがとうございます。

101208032010/12/08 11:59ニチイの介護サービスの時です。実は6日にもおいでいただいたのですが、私がよくわかっていなかったのです。
 でもこれで30分経ちましたらこのサービスは終わりです。なかなか私もこのサービスがよくわかっていなのです。
 さてでも、私は私が義母の年齢になった頃はどうなるのかなあ。今はこうしてポメラで打ちまして、そしてこれをパソコンでUPします。でも私があと20年経ったら(生きていないかもしれませんが)、どうなっているのかなあ。
 このあとこれをブログにUPします。
 さきほど曹操の『苦寒行』をUPしました。明日は同じく曹操の『短歌行』をUPします。昨日までは、曹植、曹丕の詩をUPしたのですが、でも漢字熟語が出てこないものがあるのです。それが少し大変です。でも曹丕は現在実際に残っている詩は私のブログでほとんどUPしました。曹植はすべてはやっていないです。岩波書店に詩集がありますから、それで見ればいいでしょう。
 曹操もいくつかUPしましたが、今度は『歩出夏門行』をUPしないとならないです。ただ長大な詩で大変なのです。
 でも私は三曹の詩をインターネット上に多く紹介しているほうです。あと曹叡という人の詩も紹介しないとなりません。
 ただポメラだと漢字熟語が出てこないから、あとでパソコンで打つときにすべて(すべてじゃないけれど)打ち直します。それがなんとなく不便だと感じるところです。

 きょうも、12時からの30分でした。でもそれ以上長くやってくれました。ありがたいです。

101125122010/11/27 12:53あ、きょはニチイの介護サービスはお休みなのですね。そうか、ちゃんと知らないといけないですね。

  あ、土日はお休みだったのでした。ツイッターをやるも何もないです。IS01はいつも使っています。

101125112010/11/26 11:58これで三日目の義母の介護の日です。
 あれ、今ポコ汰の写真がここにないことに気がつきました。あ、あれがないと私は不安です。
 ポコ汰もポニョもポポも、そしてじゅにも私には大事な可愛い私の孫なのです。
 でも義母はこうして介護サービスでもっと寿命が延びるはずだと思いますね。
 でも、私はこのときに、あと「周のポメラ」も書いて、「周のツイッター」もやって、ケータイメールも書きます。
2010/11/26 12:28さてきょうの介護サービスも終了です。けっこう大変なことですねよ。これを私もすぐにブログにUPします。

 きょうは、12時からの30分でした。どうやら、私も慣れてきました。

101123042010/11/25 10:54きょうが私には二日目です。
 義母がトイレに行くときに、付き添ってくれるからありがたいです。私はどうしても義理の息子で男だからどうしてもやりきれないのです。
 私の目の前にポコ汰の写真があるのはいいですね。この写真に向けていっぱい喋っています。じいじも頑張っているからね。
2010/11/25 11:14実によくやってくれていて、私はポコ汰とおしゃべりして(私が話しかけるだけですが)、実にいいです。

  きょうは、11時からの30分でした。いつも5分前に来てくれます。私はリビングにいて、ポメラで、これと「周のポメラ」とIS01でツイッターを打っています。それにケータイメールもしました。飲みものの位置が分からなかったので、妻に携帯しました。

101122122010/11/24 12:29これで始めます。これで「うちのおかあさん」の開始とします。
 ニチイの方がやってくれて、私なんかではどうしようもないことがこれで解決です。ありがたいですね。
 昨日は私は次女ブルータスとその赤ちゃんのじゅにのところへ行きました。だからきょうが、このニチイ学館さんの介護サービスに始めて接した日です。あとで、妻にも長女おはぎにも、次女ブルータスにもケータイメールで報告します。
 あ、なおいつも写真も添附しますが、この本文とは関係ありません。関係のある場合は、その旨書きます。
 きょうの画像は、22日の夕方長女おはぎの家でその長女ポニョが見せてくれました足の靴下です。

10112109わが家のおかあさん」を約4年を超えて書き続けてきました

 最初に、2006年2月21日に以下から開始しました。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50460391.html
             「わが家のおかあさん」を開始します

 だから4年9カ月書き続けたことになります。
 思えば、この最初のときには、私の義父は病院にいたのでしたね。その病院に何度も行ったことを思い出します。
 この「わが家」というのは、義母の介護サービスをお願いしていたところです。北区志茂にありまして、私は何度か実際に(今まで3度かな)行っています。
 でもこれからは、この家での介護です。実にニチイ学館さんがよくやってくれます。実にありがたいです。
 その最初のときから、「わが家」のお便り帳に、私が書いたことを、私の書いたことのみを私のブログにUPしてきていました。私は手では一切書けないので(漢字を知らないというか、ひらがなもカタカナもローマ字も知らないのです)、パソコンで書いたものをプリントしてお便り帳に貼ってきました。
 今度は、お便り帳はないわけですが、私がこの私のブログにUPしていきます。「わが家のおかあさん」は、私のブログの中で一番多いUPでした。今度から書きます「うちのおかあさん」もやがて、ものすごい量になっていくはずです。

  バナーは以下の通りです。もうサイドバーに貼りました。
utino

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