将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:おじいさんの旅

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 周の雑読備忘録「アレン・セイ『おじいさんの旅』」ナミちゃん から次のコメントがありました。

1. Posted by なみんと    2007年10月29日 22:58
周さん☆今晩は。早速読んで下さってありがとうございます。嬉しいです。すぐにでもコメントを書きたかったのですが胸が一杯になってしまって・・。
いくつもの故郷を持ったというのはそれだけ豊かなんだと思います。札幌・秋田・横浜・名古屋・鹿児島<間違っていませんか?順不同で失礼!>とよく生活されてきましたね。その時は少しも好きにならないという気持ち!わかる気がします。でも確かに家族で住んでいたんですよね。<お母様・・よくやられました。きっと必死にお子さん達の為に出来たのでしょうね。>今は・・懐かしさを感じられる事は幸せだと思います。心のポケットを沢山もっている周さんは沢山の故郷をもっているのですね。「おじいさんの旅」の絵本をこんなに感慨を持って味わえるのは周さんのお陰です。ありがとうございます。

 私はこの絵本のことをナミちゃんのブログで知ったときに、詩吟の宗家の荒國誠先生のことを思いだし、また実際に手にとって読んでみて、自分のいくつもの故郷を思いだしたものです。私たち3兄弟は、転校ばかりしていました。
 兄は小学校へ入ったのは、茨城県佐貫(今現在は藤代市になっています)、そのあと東京巣鴨、そのあと秋田市で、小学校から中学へ入学し、そのあと札幌、名古屋と中学校が3つでした。名古屋の南区の中学に入ったのが中学3年の2月ですよ。ただし、兄はそののち名古屋の高校を経て東京の大学に入ったので、寮に入り、鹿児島には住んでいません。
 私は小学校を札幌で入学し、そのあと2年生の3学期に名古屋南区へ引越して、そのあと、名古屋千種区、北区の引越して、小学校は3つ在籍しまして、6年生の7月に鹿児島に引越して、中学高校と進みまして、中学3年の2月に家族は横浜に引越になりまして、私は高校は下宿していまして、すぐに横浜の高校に転校しました。
 弟は、小学校が名古屋3つと鹿児島で、中学が鹿児島と横浜で、高校は横浜だけでしたが、最後は我孫子から横浜まで通学していました。

 どの街も、私は思い出すと、私自身が本当に心の底から嫌っていたところばかりです。どの街も、私が嫌いなことがいくらでも思い浮かんできます。でもやっぱりそうなわけなのですが、でもでも今になると、どの街にも何故か懐かしさがこみ上げてくるのです。札幌も名古屋も鹿児島も私には大嫌いな街でした。でも今はみな懐かしい。
 横浜は私にはまったく汚れた街としか思えませんでした。みなが話す横浜弁が、もう私には理解できなく、「えっ、この人たちは日本語が喋られないのか」としか思えずに、そして横浜を流れる川も海も、実に汚く嫌な臭いに満ちていました(これは大昔の話。今は横浜の街の川も海も綺麗ですよ)。
 でも今は横浜に行くと、いつも涙が流れそうな懐かしい思いを抱きます。たしか今から5年くらい前に、中華街の中(元町のすぐ近くでした)のあるアメリカンスクールで、我孫子の隣の家のアメリカ人と我孫子人の混血の3兄弟と会ったのですが、彼らは、「あ、くにちゃんとさよちゃんのパパだ」と言って懐かしがってくれて、そのときに、私の中ではあんなに嫌いだった横浜の中華街や元町が、とても優しい街に変化してしまいました。

 でもそのあとも、私は我孫子から浦和に住み、東大闘争で逮捕起訴され、府中刑務所に勾留され、保釈ののちまた別件で逮捕起訴勾留され、そのあと我孫子に戻りました。でももう70年なので、ほぼ日々闘争ばかりで、我孫子にいることが少なかったです。
 浦和は全部で3つ住んでいます。沖縄でも働き住んでいましたし、一時千葉県船橋市にも住んでいました。東京の早稲田に住んでいるときに、結婚して、すぐに王子に住んで、それから我孫子に住んで(家は3カ所替わりました)、ここで二人の娘は、小学校中学校を卒業し、高校はそれぞれ別な学校でしたが、大学は同じ大学に進みました。

 私はきょうは、朝8時には、我孫子の自宅へ行きまして、資源を出しまして、そのあと10時45分に世田谷へ行きます。そしてそのあと人形町へいきます。我孫子は私たちには、今も自宅であり、二人の娘もここからお嫁に行きました。
 我孫子は二人の娘には、懐かしい思いのする故郷なのです。私にもやっと今になって、そんな思いも生まれてきました。
 私には、この我孫子も故郷であるし、そして今いる東京北区王子もまた私の故郷であると言えるかと思っています。

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おじいさんの旅
 ナミちゃんの紹介で、本日王子図書館で手に入れ、読みました。この絵本を見ていて、私は思わず涙を流しそうになりながら、妻の前なので、それを隠していました。

書 名 おじいさんの旅
文・絵 アレン・セイ
発行所 ほるぷ出版
定 価 1,500円+税
発行日 2002年11月25日第1刷発行(原作は1993年発表)
読了日 2007年10月28日

 このおじいさんの気持が何故か自然に判るような気持になるのです。
 この絵本を知ろうとするのには、今すぐには以下のサイトで読まれるといいと思います。

 http://www.yamaneko.org/mgzn/dtp/2003/02b.htm#hehon 月刊児童文学翻訳2003年2月号書評編「―― ふたつの故郷を旅するおじいさんの心 ――」

 もちろん、私にこの絵本を教えてくれたナミちゃんの紹介も私には最高のものです。

 http://blogs.yahoo.co.jp/namint7/24444569.html 絵本「おじいさんの旅」

 ナミちゃんが次のように言っています。

・・二つの祖国を持つことの意味を叙情感と共に静かに問いかけている絵本です

 私は今に至っても、海外などに旅したことはありません。でもナミちゃんが、次のように言っていることは、私も強く感じています。

日本にいると海外に憧れます・・住んでみたい・・
そして・・住んでみると日本が懐かしい。
海外に限らず・・そこに住み・・産み・・育て・・育ち・・送り
時間が流れたという確かな軌跡があるとき・・この本の作者の気持ちに通じるものを感じるかもしれませんね。

 このことが、私が何故か、このおじいさんの気持が判るようになることなのだろうと思うのです。
 以下に書きました

 http://shomon.livedoor.biz/archives/51167819.html 絵本「おじいさんの旅」のことで思い出しました

 私のもともとの詩吟の宗家である荒國誠先生のことでも思い出すことであるわけです。

 そしてまた私は海外には住みませんでしたが、生まれたときから少年期・思春期を日本中のあちこちですごしました。私が記憶がはっきりする3歳くらいから、18歳くらいまで、私が過ごした地方は、秋田、札幌、名古屋、鹿児島、横浜です。どの街も秋田以外は、住み始めたときから嫌いな街ばかりでした。でものちになると、どの街も懐かしくなります。この中では、横浜なら今でも手軽に行ける距離にありますから、ときどき出かけては、懐かしく思い出せる街を彷徨い回っています。
 どの街も、私に冷たい思いがしたものですが、それは私のほうが一方的に嫌っていただだけなのです。いくつもの故郷を持つというのは、嫌なことだと思っていたのですが、今ではどこの故郷も懐かしいだけなのです。
 そんなことを思いだして、またこの作者の作品はすべて読んでみたいと思っています。

 ナミちゃんが書かれていますが、

アレン・セイの絵も素晴らしいです。絵本というよりは一枚一枚の絵が芸術品のようです。
作者が丹念に時間をかけて描いた様子が伝わります。

 このことも大変に見ていて感じることです。

 この作者の本は他に以下が翻訳されています(アレン・セイは日本語でも書いていますから、「はるかな湖」が椎名誠の訳、「さんねんねたろう」がもりたきよみの訳です。

 アレン・セイ(Allen Say)邦訳作品リスト
1.1982「じてんしゃのへいたいさん」(The Bicycle Man)
 水田まり訳 新世研 1988
2.1989「はるかな湖」(The Lost Lake)椎名誠訳 徳間書店 1999
  http://www.yamaneko.org/dokusho/shohyo/osusume/1999/lake.htm
3.1988「さんねんねたろう」(The Boy of the Three-Year Nap)
  原作ダイアン・スナイダー 翻訳もりたきよみ 新世研 2000.11
4.2005「紙しばい屋さん」(Kamishibai Man) ほるぷ出版 2007.03

 でもこうして実際にこの絵本を読んでみて、私の子どものときからのことを思い出していました。いや、それはナミちゃの紹介を読んだときから、私のもともとの詩吟の宗家のことと、私が子どものときに過ごしたたくさんの故郷をことがずっと思い出されてくるのです。懐かしい大切な思い出です。

 最後に、ナミちゃんが書かれていることで、私にも大変に印象に残ったところです。

子ども達の通った小学校の先生から帰国時に贈られた本です。彼もノルウェーからの移民であったおじいさんを思うときこの本を読んだそうです・・そして・・これからもずっと・・この本を読む時は貴方達のことを思い出すよ・・貴方達の幸せに満ちた未来を願って☆☆☆。

 周の雑読備忘録「アレン・セイ『おじいさんの旅』」へのコメント へ

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 絵本「おじいさんの旅」のことで思い出しましたナミちゃんが、以下のコメントをこれました。

1. Posted by なみんと    2007年10月27日 21:09
周さん!こんばんは。日本語訳の「おじいさんの旅」を私も読んでみたいです。下手な訳で恥ずかしいです。細かい所のニュアンスを確かめたいです。荒國先生のお話。。この本と少し似ているところがありますね。収容所にいたことがあるのですか。オペラ歌手の勉強をずっとされていたとの事ですから・・さぞ高くて力強く美しいお声なのでしょうね。周さんの声も高く力強いですね。

 ありがとう。昨日は、すごい雨でした。午前中10時台の王子図書館に行きましたが、この本の予約では、まだ本が用意されていませんでした。今インターネットを見ると、もう用意されています。9時すぎたら行ってきます。
 荒先生のことをはるかにたくさんのことを思い出していました。思えば、私が一番好きな詩吟である、黒澤忠三郎「絶命詩」も、この國誠先生が1970年に國誠流の日米加の合同の大会があった(この荒先生の國誠流は、米国だけでなくカナダも会員が多いのです)ときに、私の詠う詩として、私が指名されたものです。おそらく、先生は、私に一番合っている詩として、この詩を選んでくれたものだと思われます。
 この詩は、私は1970年の安保闘争でも、埼大の集会の中で、これを詠いました。いつもこころの中でも吟っている詩です。

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 ナミちゃんのブログで、この絵本の紹介がありました。私はいつもナミちゃんがこうして絵本を紹介してくれたときに、いつも王子図書館で借りるのですが、今はあるクライアントにいるため(午後3時台です)に、身動きできません。あ、そういえば、私は今いるところのそばで墨田川にも行きたいのですが、いつも時間が足りませんね。
 もう予約しましたから(インターネットでいつでもできます)、明日は手にできるでしょう。でもこのナミちゃんの書かれている内容で、私は私の詩吟の宗家を思い出したのです。荒國誠先生は、福島県の生まれですが、米国でオペラ歌手になるために、イタリアンオペラを必死に学びました。そして米国では琵琶を教えていたそうです。
 でもとにかく稼ぐのには、必死に働いていたようです。実は、先生とそのオペラを教えてくれていた方の娘さんとの先生の恋物語りもあったらしいのですが、でもすべて日米戦争でだめになりました。
 先生は、カネーギーホールでテナー歌手としてオペラを歌えるところまで行ったのですが、でもすべて戦争になりました。日系人は、みな収容所に入られました。その収容所の中で、先生は収容されている人たちの中で、日本の歌を詠ったのです。それが多くの人の前で詩吟を始めるきっかけでした。
 そして戦後日本に帰ってきて、最初はビクターから歌手としてデビューしましたが、やはり詩吟の歌手として大成しました。いくつものレコードを出しています(私の我孫子の自宅に、もうたくさんの先生のレコードすべてがあります)。

 先生には、この日本が祖国でもありますが、同時に米国も自分の祖国という気持ちがありました。その気持ちをずっともたれてきていたのです。だから先生は、その日本と米国を敵にしているとしか思えない、全学連なんていう存在は大嫌いでした。みな共産主義を目指している、ひいてはソ連を利するようなことばかりを考えていると思っていました(この先生の認識は間違えています。いわゆる60年のブンド全学連も敵に考えていたのは、日本帝国主義であり、米国を敵とは考えていないし、ソ連はまたどうしようもない存在だと考えていた。でも先生の年代だと、違うように思い込んでしまっていたのです)。
 だが、その先生の思い込みに、全然違うものが存在してきたのが、私が突如逮捕起訴された事件でした。私が1969年9月19日の芝浦工大殺人事件(真相は殺人でもなんでもありませんが)で12月10日に逮捕されたときには、かなり驚かれたようです。そして、私が共産主義者なんかではないことも知って、随分何かを感覚として判ってくれたようです。もちろん、その同じ年の1月に私は東大闘争でも逮捕され長く勾留されていたのですから、先生には大変に驚くことだったと想像します。(ここらへんから、夜に書いています)。
 その後も私は何度も先生の詩吟を聞き、習い、そして先生の米国・カナダの詩吟の仲間ともおおいに交流しました。

 今強く思い出すのは、先生が亡くなりまして、お葬式が青山葬儀場であったのですが、大勢の方が参列されていましたが、その葬儀会場に大きく流れていたのが、先生の「廣瀬武夫『正気歌』」です。もう素晴らしい、先生の声でした。先生らしい、強い高い声でした。あの声を忘れることはありません。
 そして生意気なことに、この「廣瀬武夫『正気歌』」は、私も一年に一度くらい、どこかで吟う詩になりました。実にいい詩ですし、私の吟う声にも合っている気がするものなのです。ただ詠うのに、少し長い詩なものですから、やたらに飲み屋なんかで披露するわけにもいかないので、それが残念です。

 ナミちゃんの絵本のことから、こうして日本と米国で、詩吟やオペラ・カンツオーネに邁進されていた私の荒國誠先生のことを思い出させてもらいました。
 でもきょう、蛎殻町から人形町まで歩くときに、この『正気の歌』をずっと詠っていました(もちろん、他の人には聞こえないようにですよ)。いい詩です。荒國誠が詠われるのに、一番合っている感じがしてしまう詩なのです。

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