将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:おはぎ

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 私はこれは私が常に持っていますでこう書きました。

 私ははそこで最初に、「あ、おはぎちゃん、ブルータスちゃん(もちろん本名で言います)のパパだ」と三人の息子が喜んでくれました。三人の息子はモデルをやっていました。

 こう会話したのは、横浜の中華街の料理店の5階の大きな部屋でした。そこで彼らは国語の授業を受けていました(そこは無認可の学校でした)。
 そこで私は長男のアニーとおしゃべりしました。彼は弟二人と違って日本語が明確にしゃべられます。
 今は航空機の上で仕事をしているといいます。私が「もうモデルはどうするの?」という問いに、彼は

 モデルは背が185センチないと駄目なのです。ボクは183センチなので、もうあきらめて地道に働いていきます。弟たちは米国人ですが、僕はやはり我孫子人です。13112606

 そして、ニューヨークに「おはぎちゃんもブルータスちゃんも来てほしい」といい、「ニューヨークはそんな怖い街ではないです」といいました。
 思い出すなあ。彼が何度か、我孫子の我が家のマンションの1階から話してきて、「おじさん、中に入れて」というのに、ブルータスが「お前ら帰れ!」なんて強く言っていました。「おじさん助けて」という言葉で、結局は私が中に入れるのでした。13112607

 もうこの彼は今は取手市で家庭を持っているそうです。彼が日本人と言わないで、我孫子人と言ったのを強く覚えています。横浜の中華街もいつもこのことで強く思い出しています。

郵便番号
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   萩原たか子 様
                          2007年8月16日
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                               萩原周二
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 前略
 8月4日も11日もお見舞いに行ったのですが、起きなかったね。でも手を握ると、握り返してくれたから、気がついていたのかな。
12072805 7月29日と8月4日と11日のお見舞いのあと、我孫子駅前の「メヌエット」というケーキ屋さんに行きまして、ケーキを買って王子に持って帰りました。ケーキといってもババロアとかカスタードというものです。前のよう単に甘くないから、王子のお義母さんに最初食べてもらいましたが、あまりお気に召さなかったようでした。
 11日には、これまた新しくできた我孫子北口の「福一」という和菓子屋さんのお菓子も買いました。これも、王子の家に持って帰ったら、おはぎにもその彼のミツ君にも喜ばれました。
 こうして、我孫子の北口は美味しいお菓子屋さんができたわけで、おそらく新しい名所になると思いますよ。
 でも思い出せば、我孫子は、ずっと北口なんてなかったわけですから、ずいぶんこれで変わりましたね。驚いてしまうことです。
 14日の午後2時に、マサシから、お母さんが亡くなったことを電話もらいました。ちょうど、おはぎがポコ汰を連れておばちゃんのお見舞いに行くと言っていたところでした。だからきょう、うちのママとおはぎはポコ汰連れて行きますよ。
 それから、きのうは、ブルータスが彼のナオキ君と行きましたね。ひさしぶりにおばあちゃんに会いに行くのに、大変に残念だけど、もう仕方ないよね。
 13日には、ブルータスが結婚して住んでいる君津市へママと、ミツ君・おはぎ・ポコ汰とで行ってきました。私の家族がこれで全部で7人になったのです。
 まだ0歳のポコ汰なのですが、ブルータスに抱かれて絵本を読んでもらっていると、何故かおとなしくてよくブルータスの絵本を読む声を聞いて、絵をじっと見ています。もともと、「いい絵本を選んでくれたんだあなあ」と感心して見ていました。
 きっとブルータスにも、元気で可愛い子どもが生まれます。もうそのときのことを考えると、そのときが早く来てほしいとばかり思っています。これからまたその子とブルータスのことを見守っていてください。
 あちらへ、行って、久二おじいちゃんにはもう会ったかなあ。たぶん、そちらでも勝手な久二父でしょうが、なんとかつき合ってあげてね。そして、いつまでもおはぎブルータスのことを見ていてください。
 お疲れさまでした。さようなら。 早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                          2007年6月12日
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 前略
 またもひさしぶりの手紙になります。
 もうきょうなんか、けっこう暑いです。おはぎは同じマンションですが、あそこのほうが涼しいです。ここの部屋はどうしても暑いです。もう古い部屋で、そのままだから。しかたないよねえ。夏だもの。
12072703 うちの家族は、鹿児島にも住んだわけですが、はやり名古屋のほうが暑かったですね。ただ、このことは住んでみないと判らないでしょうね。今はもっと暑いんだろうなあ。言われることだけど、年々暑くなる年を感じています。このままいくとどうなっちゃうのかな。
 思い出せば、私が一夏過ごしたした府中刑務所も暑かったです。狭い独房なので、ただただ暑いだけでした。ただ中にいると、まったく外の世界のことが判らないので、ときどき面会に来られるかたの話はどうしても私には判らないことが多々あったものでした。
 ただ、私は保釈になってから、こうした拘置所なりに面会に行くときには、そうしたことを判った上でお話しするようにしていましたからね。私が中にいるときは全然無理解な人とは会っても、一応わざわざ面会に来てくれたからという感謝の気持は失わないようにしましたが、独房に長期勾留されているということがまったく判っていないとしか思えないという人もときどきいたものでした。まあ、でもこれは仕方ないことです。
 でも、こうして自分の母親にひさしぶりに手紙を書くようになって、昔を思い出しているのですが、いろんなことを振り返るようになりました。
 私は秋田というところは2カ所住み、名古屋は3カ所だが、鹿児島は1カ所だとばかり思っていましたが、私は原良町に下宿もしていたんだねえ。だから鹿児島は2カ所に住んだことになるんだ。
 浦和は2カ所だとばかり思っていたら、あそこは3つのところに住んでいるんだ。
 我孫子も勝手に3カ所だとばかり思い込んでいたけれど、我孫子の実家にも住んでいたのだから、4カ所なんだねえ。
 私がまったく記憶ないのが、東京の巣鴨に住んでいたということだけなんだけど、あそこはどこにいたのかなあ。私の孫のポコ汰が巣鴨で生まれたから、あのとき、何度も、「自分の住んでいたのはどこらへんだったのかなあ?」という気持でいっぱいでした。できたら、いつかそこ場所を知って歩いて見たいものです。たぶん、何かを思い出すんじゃないかなあ。 早々

郵便番号
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   萩原たか子 様
                          2007年6月1日
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 前略
 ちょっとしばらく手紙を書いていませんでした。どこに郵送したらいいのか判らなかったんです。きょうは、おはぎと孫のポコ汰が、あちらの実家へ行っています。あちらのお母さんにおはぎは可愛がられているんですよ。それはね、このあいだ結婚したブルータスも同じなんです。
12072606 ああいうふうに、相手のお家の家族に可愛がられているというのは、みなおばあちゃんと王子のおばあちゃんが育ててくれたおかげだと思っています。
 思い出せば、横浜で私は大学に入って大学1年の終わりの頃、我孫子に引っ越したものでした。でも私はいいのですが、マサシは横浜の鶴見まで通ったのだから大変だったね。あのときは高校2年の最後の頃だ。だから高校3年は大変だったろうなあ。
 私も我孫子というところは、中学高校の友だちもいるわけではないから、それほど親しい感じがする街とは言えませんでした。私はまた北浦和にアパートを借りて住みだしたしね。でもあの北浦和のアパートは1カ月も住まないうちに、東大闘争で逮捕されることになってしまったね。私が逮捕されて取調を受けていた東調布署というところは、一体東京のどこなのかさっぱり判りませんでした。「東調布」というから、調布市のそばなのかなあ、なんて思っていましたが、のちに、こののちというのは今から10数年前に、私が役員をしている会社が大田区にあって、そのときに税務調査があったときに、その税務署の職員に聞いたものでした。東調布署というのは、大田区の田園調布にあるんだね。驚いて、その日は、夕方わざわざこの東調布署を見に行ったものでした。
 外から、あのときの留置場の位置を確認しましたよ。でもよくあそこまで、みんな差入れに来たりしてくれたものでした。ばあもよく来てくれていました。まだ面会はできなかったけれどね。起訴されて接見禁止が解けたときに、友人が来てくれて、そして府中刑務所に移管になったときに、ばあは来てくれていましたね。あのときに、ばあは「こんな秋田犬を飼いだしたよ」と言ってくれました。私はシロのことがとても心配になって、そのことを聞いたら、「シロはこなくなっちゃったよ」と聞きまして、「ああ、またうちまた秋田犬を飼うのか」という思いで、でもシロのことばかりが気になりました。でもそのまたあとの面会で、シロがまたやってくるようになって、子犬の秋田犬に喧嘩のやり方を教えているなんて話を聞いたものです。
 あのシロという野良犬は、実に面白い頭のいい犬だったねえ。もうたくさんの思い出を残してくれた野良犬でした。 早々

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   萩原たか子 様
                         2007年5月24日
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 前略
 きょうに午前中にまっちゃんから電話があり、28日に病院を移転すると聞きました。でもそこで簡単な手術して、また戻るんですね。
12072310 前の手紙の続きだけど、鹿児島のつぎが横浜だったね。
 実はね、私は鹿児島というところは少しも好きではなかったのだけど、鶴丸高校へ行ってからは実に面白い毎日だったから、けっこう鹿児島というところが気にいってきていたのでした。でもまた転校になりました。
 この横浜という街も面食らいましたね。まず私は皆が平気で話す言葉が標準語でなくて驚いたものです。なんだか、「…じゃん」という音(おん)ばかりが耳について嫌なものでした。でも入った学校には行きたくなかったのだけど、選んでくれた先生が鶴丸高校の卒業生だということで、あの先生と話して覚悟を決めました。
 この高校の2、3年のときのクラスの同窓会をすべて私がやっているのですが、今でも、その場で多くの人が私を鹿児島の出身だと思っているようで、もうこれにはげんなりします。あの人たちは思考法が実に堅くて保守的なんだよなあ。でも今になって、横浜の街を歩くと、なんだか懐かしくてなりません。
 我孫子の家の隣の娘さんの家族が中華街のあるビルの上のほうの部屋で、みんなで学校をやっているのだけど、そこへ行ったら懐かしい思いばかりでしたが、なかでも長男は実に私たち家族が懐かしいようです。おはぎ、ブルータスにニューヨークに来てくれって言っていました。彼は今航空会社で働いているのだけど、その前にはコマーシャルのモデルをやっていて、実にいい綺麗な男だと思うのですが、彼はアメリカ人のモデルというのは193センチ以上ないとだめだから(自分は3センチばかり足りないんだって)、その道はあきらめて、さらには母や父や他の二人の兄弟もアメリカがいいと思っているようだが、僕はやがて日本で生きようと思っています、なんて言っていました。彼は見た目はアメリカの白人だけど、心根は日本の我孫子人のようですね。私は我孫子も好きじゃないけれど、彼の前では、その私の本音が言えませんでした。彼には、我孫子というのは、うちの二人の娘やみーねえ、それに隣の怖い親父(の久二じじ)やばあちゃんの思い出だけで面白く懐かしいところのようです。
 でも彼は、おはぎとブルータスにニューヨークに来てほしい、ニューヨークは思われているほど、怖い街ではないです、と懸命に言っていましたね。私はおはぎとブルータスが子どもを連れてニューヨークを彼の案内で歩いてほしいな。そんな時がきっといつかくることでしょう。 早々

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   萩原たか子 様
                         2007年5月20日
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 前略
 きょうは柏の病院にいるのかなあ? あとでまっちゃんに電話して聞いてみます。
12072303 私は今、おはぎとブルータスにも手紙を書いていますよ。やっぱり、こうして父親から手紙をもらうということも、いいことだと思うんだね。
 我が家族は鹿児島にも住みました。思えば、家族としてはちょうど3年半ほどいたんだね。名古屋にいた期間と同じ長さですね。ただし、名古屋は3カ所に住んだから、東千石町だけに住んだのは、長い期間だったね。そして私だけは、そのあとも鶴丸高校で下宿していたから、私だけは小学校・中学校・高校と過ごしたのです。小学校と高校はわずかの期間だけど、中学が一つの学校だけというのは、私だけでしたね。兄のカンジは、秋田・札幌・名古屋の3つの中学だったし、マサシは、鹿児島・横浜の二つの中学でした。
 だから私には、かなりな思い出がたくさんあるのが鹿児島です。おそらく今でも天文館へいけば、いくらでも同級生に会えると思うんだね。
 私が26歳のときに、鹿児島を歩いて、本当に驚くくらい天文館で昔の甲東中学の同級生と再会したものです。
 ある飲み屋に入って、そこのママに、「ここにAさんという方がいませんか?」と言って、その苗字ばかりでなく、名前もあげたら、「えっ、Nは私の息子です。さっき、ここの来たのが息子です」といいまして、すぐに彼を呼んできたものです。数分前に、この店の業務用の大きな氷を運んできていたのが、彼でした。お母さんはすぐに、本人を呼んできてくれたから、彼が、「あっ、萩原じゃないか」と言って、「今も下駄はいているのか」と懐かしい表情になりました。もう風貌が変わっていたので、数分前には判断できなかったのです。
 そのお母さんは、すぐにばあちゃんのことを思い出してくれたよ。「お母さんはお元気ですか。あなたのお母さんのことはよく覚えています」といくつものことを思い出してくれました。
 もうそのあと、何人もの友だちに会えたものでした。中学2年3年と同じクラスだった黒岩君がラーメン屋になっていたのは驚きました。でもこの「黒岩ラーメン」が今では、大きなチェーン店になっているんだよ。
 いや、実は鹿児島で私たち家族がお会いした人たちは、みなその息子さんなんかが、店を継いでまた元気に活躍していますよ。もう懐かしい思いばかりがしてきます。やっぱり私たちがおつき合いした方たちは、鹿児島市で、すべてで頑張っている方たちでしたね。 早々

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   萩原たか子 様
                         2007年5月16日
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 前略
 たった今、まっちゃんと電話でお話しました。今度簡単な手術をするということですね。

12072210 もう5月も半ばです。きょうなんかずいぶん暑くなってきました。今いる王子の家で、ある部屋の冷房器械の調子が悪いので、明日見にきてもらいます。ちょうどおはぎのところも同じように調子の悪い機器のある部屋があるから、一緒に見てもらいます。こんなときに、こうしてすぐそばに住んでいることはいいなあ、と思いますね。
 こうして暑い夏になってくると、「暑い」ということで、名古屋を思い出します。あそこには3年半ほどいたんだね。そして南区若草町・千種区今池・北区大曽根と住んだね。夏は3年過ごしたんだ。その次に住んだ鹿児島よりも、この名古屋のほうがずっと暑かった思い出があります。鹿児島は陽射しは強烈だけれど、名古屋ほど蒸し暑くはなかったものでした。
 インターネット上で、今池にいたときに通った内山小学校の4年生の同級生を見つけて、メールしたのだけれど、彼には私のことが名前だけでは思い出せないようでした。私は日本中をあちこち歩いたわけだけど、同級生のことはどこでも覚えているんだけどね。
 名古屋といえば、小学校5年のときに出会った伊勢湾台風の思い出が強烈です。あれほど怖ろしい台風は他には知りませんね。今でも、あのときの台風の怖ろしい音はよく覚えています。
 普通なら、私たちの住んでいた家の壊れ方だとテレビにでも放映されるんでしょうが、あのときは、どこの家もそうでしたね。翌日は、実にいい天気だったのをよく覚えています。あのとき以来、我が家では台風が来るというときは、かなりな防衛策をしたものでした。でも実際に台風がきても、それほどの被害もなくて、いつも拍子抜けの気持になっていたものでした。
 私がこの名古屋の出身の人がいるところで、このときの「伊勢湾台風の歌」を唄っても、誰も知らないのですね。何でわすれちゃうのかなあ。担任の島先生が、「いつまでも、この台風のことを忘れないようにしましょう」と言って教えてくれたものです。あの先生は旅行好きの人でした。いつも、日本中を旅行したときの思い出を私たち生徒に話してくれていました。
 このときは六郷小学校でしたね。名古屋の最初は桜小学校でした。もうみなたくさんのことを覚えています。 早々

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                         2007年5月11日
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 前略
 手紙を1日に出してからもう1週間が過ぎてしまいました。なんやかやと忙しいものなんですね。12072104

 ブルータスがお嫁に行きまして、我孫子の台田の家を引き払わないとなりません。けっこう大変な作業です。当初は、あの大きなピアノをブルータスが持っていくということだったのですが、やはりそれは止めにしました。そうすると、あのピアノを廃棄しないとならないのです。廃棄するのも大変な作業です。
 あの台田のマンションに、私たち家族4人が引越することになって、あのピアノを王子の家から持ってきました。おはぎもブルータスも、あのピアノをよく弾いていましたよ。
 おはぎは、やがて音楽よりも美術が得意だということで、そちらに精進しましたが、おはぎはピアノが大好きでした。だから、小学校でオーボエをやって、先生になってからは三線をやっていますが、その基本にはピアノをやったことにあるのだと思っています。
 ブルータスはね、実はピアノにしろ何にしろ、音譜を見るのではなく、指で覚えちゃうのですよ。だからよく、我孫子の家で、テレビのアニメなんかの放送の曲をピアノで弾いていることがあって、私が「あの曲は何の曲だ。あの曲はテレビ番組で流れているだけで、音譜がないだろう?」というと、ママが、「あの子はね、音を指で覚えちゃうのよ。それで弾いているの」と言ってくれたものです。この能力は私には、全然備わっていないものです。
 思えば、この能力は私ではなく、マサシにはあるものですね。よく子どものときからハーモニカを吹いていたことを思い出します。それがああして尺八を自在に演奏できるようになったんだろうね。
 でも子どものときから、私にはない能力といか、私には想像もできない能力ですから、マサシが羨ましかったものでした。
 思えば、私たち3人兄弟はかなり違った性格と能力なのでしょうが、いつもマサシにはたくさんのことをやってきてもらっていました。親父の葬式のときも法事のときも、いつもマサシがすべてを仕切っていたね。私はいつもマサシの下で小回りよく動き回ろうと思っていただけです。
 でもいつも長男である兄貴のことは必ずあらゆることを支えているつもりですよ。これはマサシも私も同じです。
 思えば、こんな兄弟でよかったな。 早々

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   萩原たか子 様
                         2007年5月1日
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 前略
 今ブルータスの結婚式をビデオに撮ったものを見ていました。撮ってくれたのはミツ君です。DVDというもので、撮ってくれたので、今ママと見ていました。全部で2時間くらいあります。ブルータスの結婚式はとてもいい式だったよ。もう親として実に感激感動していました。
12072004 ブルータスは、本当にいい娘になって、そしていい教師になりました。もう私は嬉しいばかりです。これは、うちの二人の娘を育ててくれたたくさんの人がいたからだと思っています。
 そんな人たちが皆、ブルータスの結婚式の映像に中に映っていました。いないのは、我孫子ばあちゃんと、王子のおばあちゃんです。それにもちろん、久二じいも、八郎じいもいません。これは見ていて、いつも少しさびしくなるところです。
 でもこうして、私も二人の娘をお嫁に出すことができて嬉しいです。そして二人とも実にいい彼で、そして実にいいお父さんとお母さん、そしていいご兄弟がいてくれるのです。
 今は、娘たちの友だちを見ていると、結婚するのが、みなけっこう遅くなる人が多いようです。私の二人の娘は早いほうだよ。娘二人の友だちは私も昔から、よく知っているから、いつも「あ、あの娘は結婚はまだなのかしら?」って思っています。
 このブルータスの結婚式の映像には、おはぎのポコ汰も映っていて、ポコ汰が映像に映ると、ただただ私は嬉しくなっています。孫ってこんなに可愛いものなんだね。
 だから、ブルータスにも早く子どもができてほしいし、おはぎにも、早く、ポコ汰の弟か妹が欲しいです。
 二人にもっと子どもが出来たのなら、もう私はそれらの孫を一同に集めて、いろいろなことがしたいです。思えば、ばあちゃんには、孫が5人だったね。みな女の子ばかりだった。でもばあちゃんも、我孫子じじもただひたすらこの5人の孫を可愛がってくれたことを私はいつも見ていました。
 私もあんなことを、そのままやっていきたいのです。二人の娘に子どもがもっとできれば、もうとても嬉しいとても愉しいことになります。もちろん、みーねえや、しほちゃん、かなちゃんの子どもと遊ぶわけだから、この子たちの時代は、はとこ同士につきあいも活発になるのです。そしていつも中心に私がいるつもりです。   早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年4月25日
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 前略
 ちょっと手紙を出すのを3日空けてしまいました。
 一昨日は嬉しいことがありました。くにちゃんの子どものポコ汰(ばばのひ孫だよ)がちょっとした病気で入院していて、でもきのう元気に退院したのです。もうとっても元気で、そばにいるだけで嬉しいです。
12071815 でもおはぎがいうのには、23日夜私が帰ったあと、パパは来ていたのですが、そこに看護婦さんが来て、その人がポコ汰に打つわけではないのですが、注射器を持っていたそうです。それで、最初はその注射器を見て、驚いた顔をしていましたが、あの痛い注射をされると思ったのか、「ワアッー」と大声で泣き出したようです。可哀想だね。
 その前にも、大きな注射を打たれたときは、大泣きしたと聞いていたので、そのときには、「よし、今度はそんな注射は、じじが代わりに受けるから」と思って、そう口に出しそうでしたが、おはぎやパパに笑われるので、黙っていました。

 この手紙に我が家族に関係した犬の思い出で、名古屋若草町にいたときに出会ったクロのことと、我孫子のシロのことを書きました。ずっと飼っていたケンのことも書きました。まだまだたくさんの犬のことを思い出します。ケンの奥さんだったヒデ(秀峰姫という実に綺麗な秋田犬だったね)のことは、もう忘れようがありません。実にきかない犬でしたが、ケンに惚れていたんだろうね。ケンとヒデの子どもは、何頭育てたでしょうか。たしか名古屋大曽根で5頭の子犬が生まれ、鹿児島では5頭と7頭が生まれたんじゃなかったかな。
 でももう子犬たちが少し大きくなってからは、ヒデお母さんのところへ寄っていくと、怒って寄せつけないところがあったね。ヒデとしては、針金のように尖っている子犬たちに、乳房を噛まれるのが嫌だったのだろうね。でもその代わり子犬たちは、大勢で父親のケンに襲いかかっていました。ケンは耳噛まれても尻尾噛まれても我慢していましたが、そのうち逃げ出します。子犬たちが、お父さんの背中から転げ落ちるところをよく覚えています。
 でもそれで遠くへ逃げ出したケンを、また子犬たちがみんなで追いかけていたのをよく思い出します。それでまた同じことが起きます。そのうちケンはまた耳を噛られ、尻尾を振り回されます。思えば、実に優しい父親だったんだね。 うちの二人の娘は、犬も何も飼ったことがないから、本当は飼ってあげたかったなあと思っています。早々

郵便番号
 住所(この日から医院の住所のページ)
   萩原たか子 様
                         2007年4月22日
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                               萩原周二
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 前略
 きょう会いに行きました。でもばあちゃんは目を開けてくれませんでした。でも義姉のまっちゃんの話だと、私のことは判っていると聞きましたよ。
 マサシにも会いました。今も相変わらず彼は真面目ですね。兄として、いつも私が存在していることが羞しい思いになります。
12071710 私の二人の娘、おはぎとブルータスもいつもおばあちゃんのことを心配しています。おばあちゃんが私の手をしっかり握っていてくれたよ、ということを今度も伝えました。
 きょうは、私たちがいなくなったあと、シホちゃんとカナちゃんとミチヨさんが来てくれましたね。みんな大好きなばあちゃんの孫と嫁です。私もみな大好きですよ。
 一昨日書いたことですが、きょうは、やはりまた突如思い出しました。名古屋の南区若草町にいたときに、我が家に、何故かクロという野良犬がきたよね。あのノラ公は一体何だったのかなあ?
 もちろん私は可愛がりました。そして近所の悪ガキたちも、みな可愛がりましたよ。でもあのクロは何故、我が家にきたんだっけ。
 クロも雄犬だから、うちのケン(剣光号という雄の立派な秋田犬)に恋したわけじゃないよね。でも、ケンに惚れていたのは間違いないなあ。「親分!」という感じだったのだろうね。
 いつも、このクロのことも思い出すのだけれど、私は何もいいませんでした。いつもいつも犬の記憶は、思い出すだけで、ただただ悲しくなってしまうだけなのです。
 実はあの頃、私は小学3年生のときだけど(もう4年生になったら転校しました)、私の友だちと何回か、あのクロと遠く遊びに行ったことがあるんだよ。天白川を遠く歩きました。そのときのある時に、クロは天白川に、突如落ちて、そしてそこはものすごく深い恐ろしげに流れが渦巻いているところでしたが、クロは最初はもがいていましたが、すぐに悠々と泳いでいたものでした。たぶん、最初は焦って、実際に焦ったが、私たち小さい少年が大声をあげているので、もう面倒なので、悠々と泳いだものでしょう。そんなクロが実に格好よかったものです。
 私の生涯で、たくさんいた秋田犬は、どれも懐かしい思い出に溢れていますが、それでもこの名古屋南区若草町で会ったクロと、我孫子で会ったシロのことが、私には一番大きな犬の思い出になっています。早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年4月19日
                                            周の住所                                                                                      萩原周二
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 前略
 今度4月23日にお見舞いに行きます。当日は、我孫子の台田のライオンズマンションの部屋のゴミの収集日に合わせた時間にいきます。もうあの部屋は誰もいないので、ゴミが資源の収集日に出せないのです。
 我孫子市は真面目な市だから、前日に出したりできないから、当日朝早く行ってやらないとなりません。
12071613 きのう19日の手紙では、「ブルータスは結婚して、彼の家の2階に今住んでいますが、その家に近くにアパートを借りて、5月から二人で住みます」と書きましたが、今月25日からということです。だから我孫子のあの部屋からいくつも持っていくものがあります。そしてそれが終わったら、あの部屋をすべてかたずけないとなりません。

 思い出すと、あの部屋に住みだしたのは、1992年で、おはぎが6年生、ブルータスが5年生でした。あの部屋が日当たりが良くて、広いので、二人が大変に喜んでくれたのを、よく覚えています。そして我孫子じじがよく来てくれて、部屋のかたずけ整理をよくやってくれました。
 じじは、フロントにいる管理人さんと親しくなって、あの管理人さんは、じじのことを、「すごい人だ」なんて言っていたのをよく覚えています。

 もうあんなに小さかった二人も、白山中学校へ行って、二人とも生徒会をやって、二人とも三年生のときには、副会長をやったのでした。あんなに小さいときには引っ込みばかりのおとなしいブルータスが、お姉ちゃんの応援演説をしたり、自分でもやりだしたときには、もうとても驚いたものでした。
 ブルータスは、保育園よりも小学校のほうがすっと面白かったそうです。でもさらに中学校はもっと面白かった。そして高校はもっと面白くて、そして大学こそはもっと最高だったようです。
 そしてまた就職して教員になったら、それがまた面白くてやりがいがあってもう実に面白く充実しているようです。
 そんなことを聞いていると(いや親の前ではあんまり話してはくれないのですが)、本当にこの娘をもって私こそが一番幸せなんだなあ、と思っているところです。早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年4月18日
                郵便番号  周の住所
                          萩原周二                          12071604                 
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 前略
 きのうもきょうもお見舞いにいけませんでした。
 王子のMのお母さんも、きょうの毎週水曜日はデイサービスがお休みで、一日家にいます。この同じマンションの4階におはぎ夫婦が住んでいるから、きょうは昼の12時少し前におはぎが、息子のポコ汰を連れて来てくれました。ポコ汰は今年1月3日生まれです。とっても可愛いですよ。この子は、ばあちゃんの3人目のひ孫です。みーねえのところが二人。そして次が、ポコ汰です。
 次は、マサシのシホちゃんか、私の娘のブルータスか、それともおはぎの二番目の子どもが早いか判りませんが、ばあちゃんの4人目にひ孫が生まれますよ。全部で何人になるのかなあ。おはぎは、子どもが4人ほしいと言っています。そしてたぶんブルータスにも4人の子どもができます。
 だから、ばあちゃんにはたくさんのひ孫ができるんだよ。
 ブルータスは結婚して、彼の家の2階に今住んでいますが、その家に近くにアパートを借りて、5月から二人で住みます。それが1階と2階が一緒にある部屋なんだって。私なんかのときには、考えもできなかったアパートだね。それで彼のご両親の家のすぐそばだそうですから、これは良かったなあ、と思っています。
 この部屋に住みだした頃、私もブルータスの新居に行ってきます。
 それと今は、ブルータスには、たくさんの手紙を出しています。そうすると、おはぎが「何で私には手紙がこないんだ」というので、おはぎにも手紙を出しています。ただし、切手は貼らないで、おはぎの部屋番号のポストに入れるだけです。
 昔、私が東大闘争で府中刑務所に勾留されていたときに、ばあちゃんは、よく手紙をくれたね。でも、私はほとんど返事を書かなかった。いや、その前の高校1年のときにも、鶴丸高校で下宿していた私にたくさん手紙をくれていたね。でもそのときも返事を書いていませんでした。今そのことをものすごく反省しています。だから今はこうして手紙を書いています。遅い反省ですね。 早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年4月15日
                郵便番号  私の住所
                                       萩原周二                            12071405                      周のURL
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 前略
 きのう、ブルータスに会えたね。ブルータスの彼にも、その彼のお母さんにも会えたんだよ。それできょうは、おはぎとその彼と一緒に来ました。
 おはぎの子どものポコ汰は、まだちっちゃいので、ばあばに預けてあります。
 きのうは、ばあちゃんの手を握る力が強くて嬉しかったよ。それでそばにいるときにいろんなお話をしました。
 秋田には3年半くらいいたのかなあ? それから札幌には2年半くらいいたよね。札幌の幼稚園には、私は7カ月居て、卒園だった。
 そのあと、名古屋には3年半、ただし3カ所住んだ。南区、千種区、北区だった。そのあとの鹿児島には、3年半くらいいましたね。
 それから、横浜にもちょうど3年半くらいだったかな。
 そうすると、ばあちゃんは、我孫子に住んでいるのが一番長いんだね。
 東京の巣鴨に住んでいたのは、どうくらいだったのかなあ? 私は小さかったから全然覚えていないよ。ただ、たしか6年くらい前に、浅草のほおずき市に行ったら、何故だか、「あ、ここには小さいときに来たことがある」って、なんだか光景が甦ってきたのよ。久二じいと、昭和24年くらいのとき、私を浅草のほおずき市に連れて行ってくれたことがあったのじゃないかなあ。

 それから、まだばあちゃんが子どもの頃、茨城の佐貫に住んでいたのではなく、いっぱい千葉県を引越したのでしょう。どこにどのくらい住んで、そう引越したのかは、私にはまったく知りません。元気になったら、そんなことも教えてください。
 私にもポコ汰という初孫ができたから、とても可愛いです。この孫を、ばあちゃんが、私の二人の娘やみーねえやマサシの二人の娘を可愛がってくれていたように、絶対に可愛がります。ばあやじいがあれだけ可愛がってくれたから、みんな実にいい娘になりました。
 だから、それを私もただただ真似していきます。 早々              

11120109 今必死にプリンタが年賀状を印刷しています。私の年賀状に、おはぎ、ブルータスの年賀状がありますから、これは何日かかることでしょうか。そのあとに私の会社の年賀状も印刷します。それと今年は切手を貼らないといけないから、もっと時間がかかりそうです。(1999/12/25 22:51:40)

 萩原 ママ パパ
 31日からとてもお世話になりました。どうもありがとう。
 おいしいゴハン、広いお風呂、ぬくいふとん
 と、とてもしあわせでした。
 またあそびにくるね。
 ママはよくねて下さい。 おはぎ

 上は31日に来て、元旦夕方には帰った(今度は彼の実家へ行った)長女が残していったメモです。2日朝このメモをテーブルの上に見つけて、たいへんに嬉しかったものです。
11080605 31日に、長女夫妻は草津温泉から、我が家に帰ってきました。午後7時に着くというので、妻は必死に掃除をして料理を作っています。私もなにかを必死にかたずけています。私のパソコンの周辺は、もう仕方ないから、そのままです。
 それでこの日家族5人で楽しく食事しまして、私は早く眠ってしまいました。そして翌日元旦また私は朝4時頃起き出します。
 いつもこの元旦は、私の親族(姻族も含まれていますが)がみな集まります。もともとは父母の家に集まっていたのですが、父が亡くなってあと、この3年くらいは、兄の長女夫妻の家でやるようになりました。母の家は日本家屋で、要するに寒いのです。でも今年は、また母の家になりました。
 我が家からは、私たち夫婦、おはぎ夫婦、ブルータスの5人。弟夫婦とその次女カナちゃんで3人、兄夫婦と母で3人。兄の長女ミオリちゃん夫婦とその子どもたち二人で4人。弟の長女シホちゃん夫婦が二人。これで総勢17人でした。
 我が家は午前11時に行きましたら、集合時間は12時だといいます。でももういいや。もう飲んじゃえ。かくして、私は日本酒を飲み始め、ついでに持参のワインを開けます。
 母の実家は狭いので、昔から、子ども組と大人組で、別な部屋で食事したり、お喋りしていたのですが、私がその子ども組みの部屋の一番奧へ座りこんでしまいまして、もうバラバラです。そしてどんどん人が増えていきます。そしてどんどん、みなばらばらな話題で喋りまくります。このみんな、ばらばらな話題で喋っているというのは大きな特徴ですね。私はこれは茨城人の特性ではないかな、なんて思っています。
 いつも毎年のことですが、ここで持参の年賀状を交換します。でもちゃんとポストに入れた人のほうが真面目なのに、ここで交換している人のほうが愉しい感じがしまして、「なんかこれは変だな」なんて私がいいますと、あとで妻が、「あれはあなたが始めたのよ」と言われます。そうだ、私がそんな怠惰なことをやり出したら、みんなも真似し出したのです。
 でも母の家は寒いのです。私たちの入り込んだ部屋は、最初なんと5度でした。暖房をがんがんかけても寒いのです。酒を飲んでもまだ寒い。でもそのうち私なんかはもうわけが判らなくなります。
 そして私は全員で集合写真を撮ろうと、三脚まで持って行ったのに、もうすっかり忘れ果てました。私は飲みすぎで、大声で怒ったり、笑ったり、号泣したり(しかもこの泣いたのは、どうも野外でらしいのです)とかしたらしいのですが、覚えていないのですよね。
 でも今回、兄の長女ミオリちゃん、弟の長女シホちゃん、私の長女おはぎ、それぞれの彼氏が、みんなこの会を愉しく嬉しく思ってくれたことが判りました。私たち全員が愉しかったのですが、とくに、ミオリちゃんの彼なんか、「周ちゃん、ちゃんといるかな」と私がいることが、一番の期待だったようです。いえ、実は彼も秋田県生まれの酒好きですかですから、私がいると安心なんですね。
 とにかく、愉しい嬉しい元旦の集まりでした。

11072604   Saturday, February 01, 2003 9:53 AM
「メルマガを読んで」
いつも読ませてもらってます。
私の話が出てきたり、妹の話が出てきたり
まったく私の知らないパパのことがわかったりして
面白いね。
今回は確かに「短いなあ」という気がしました。
パパ、元気ないのかしらと思いました。元気ですか?

教師をやっていると、というか、仕事ばっかりしていると
どうしても自分の考えに偏ってしまうけど
こうやって文章でも自分の父親や、ほかの人の考えを聞けるということは
貴重なことと思っています。

これからも愛読させていただきます。

おはぎ

   Sunday, February 02, 2003 9:42 PM
「Re: メルマガを読んで」

 メールをありがとう。
 いつも君たち二人のことを書かしてもらっています。128号はたしかに少し短かったかなと思っています。ただ別に元気ないわけじゃないですよ。いつも何ごとも元気にやっています。
 二人の話を聞いていると、「教員って大変な仕事だな」と感じていますが、大変ということはやりがいのある仕事であるとも言えるのだと思いますよ。
 できたらこれからも、たくさん友人たち、大学時代の友人、今の職場の友人たちとたくさんつき合って行ってください。そうした友人を大事にしてくださいね。とくに教員以外の人ともおおいにつき合ってください。

これからも愛読させていただきます。

 ありがとう。それから君の彼氏もこのメルマガを購読してもらって、ありがとうと伝えてください。萩原周二
(第129号 2003.02.03)

2016122601

11012005 ちょっと前になりますが、「周の掲示板」で、2年前に朝日テレビの北野たけしの番組に出たことを書きました。その中で、ピアスのことをいいました。私たちおじさんは、若者がピアスをするのをどうしても許せないものだそうです。私はその当時も「そんなのは、個人の勝手だろ」ということしか思いませんでした。
 ところが問題は、私の娘たちです。次女ブルータスがそのころ言ってきました。

 パパ、ワタシ「ピアス」つけたいんだけれど、いい?

  私はまさか、自分にこのことが降りかかってくるとは思ってもみませんでしたが、まさか駄目だとはいう気はありません。私はすかざずいいました。

 私「え、何、ピアスやるのかよ。だったらパパもやっちゃうぞ
 ブルータス「えッ、パパもピアスやるの?
 私「馬鹿いうな、パパはピアスなんかやらないよ、俺は背中に刺青入れる
  んだ

 ブルータス「!?
 私「背中にサ、北一輝の顔を入れるんだ。西川口に刺青の店があるから
   入れちゃおう

ということで、その北一輝の肖像(私の持っている本にありました)を見せたものでした。北一輝が中国服を着ているものです。
 ところがつい先日、長女が言いだしました。長女は来年4月から東京都の教員になるのですが、教員になったらピアスできないから、今やりたいのだそうです。

 おはぎ「パパ、私ピアス入れるよ
 私「ええ、それじゃ俺は刺青いれよう
 おはぎ「入れれば、刺青入れればいいじゃない。私はピアスだよ

ということになりました。私はいよいよ刺青か、そうすると、あの西川口の店での会話を予想しました。私が北一輝の肖像を見せて、刺青師がけげんな顔してるのを、

   この人は「支那革命外史」という本を書いていましてね、そこ
  でね………

なんて話だす私の姿です。
 でも途端に、ずっと黙っていた妻がいいました。

 妻「あなたが刺青入れるんなら、ワタシ離婚する
 私「ええ!

 私は妻に棄てられたら大変です。私もやりきれません。
 こうして、次の日長女の耳にはピアスがついていました。そしてその2日後次女のブルータスの耳にもピアスです。そのときブルータスの言ったことです。

 ブルータス「パパごめんね。私もピアスいれちゃった。パパ刺青
            できなくて可哀想だね。でもママに棄てられちゃ大変
            だものね

 二人の耳にはピアスがついています。私の背中は何もありません。

11011401 私の次女ブルータスが大学に入学して、そのときのことを私は以下に書いています。それで私はきょうここに掲げたこのハガキを見つけたのです。

 私の次女は、もう赤ちゃんができています。「じゅに」というハンドル名です。それで今朝10時35分にケータイメールをくれて、じゅにの顔写真が添附されています。もう私はその写真を見て笑うばかりです。彼にそっくりなこと。そしてブルータスの顔も思い浮かんできます。もうポコ汰やポニョも見ているかな。ポポは見てもよく分からないでしょうが、きょう私がおはぎの家に行って、見せて説明します。
 以下に書きましたが、

ブルータスがパーマをかけた(1998.03.15)
http://shomon.livedoor.biz/archives/51890735.html
ブルータスは本日退院です(1998.05.09)
http://shomon.livedoor.biz/archives/51891328.html

 こんなときもあったのですね。
 それでそのときのハガキが、ここに掲げたものです。

 このハガキにある、「元気になったら鳥ぎん」に行こうね!」というのは、鳥ぎんの銀座本店です。私の義父が好きな店で、私たちは、義父に何度も連れて行かれました。私の二人の娘も何度か行っています。
 私たちが最後に行ったのは、日比谷野外音楽堂で、ザ・ブームのコンサートを家族4人で見に行ったときでしょうか。もう6年くらい前かなあ。
 ブルータスもおはぎも、ここのやきとりは大好きで、二人ともここでモリモリ食べます。私はひたすらビールを飲んでいましたものです。義弟ともみんなで一緒に行ったことがあります。ブルータスにも、おはぎにも大変にいいお店で、実に楽しい時間だったことでしょう。そういえば、私の埼大の後輩何人かと入ったこともあるなあ。
 今度は、おはぎとブルータスの彼と、そして4人の孫も一緒です。たぶん、ポコ汰もポニョもいっぱい食べられるだろうな。私はビールもお酒も控えめに飲むことでしょう。(2011.01.14)

 6日に正式オープンしたブルータスのホームページに続いて、姉のおはぎのホームページも20日に正式オープンしました。

   おはぎ屋

といいます。以下のようなイラストが最初の表紙にあります。

kunikoshou ええと、実をいうとこのイラストは、あの「おはぎ屋」のホームページ(表紙)にあるイラストではありません。その小型版なのですが、おはぎはうまく作ることができないので、なぜか違うものが出来てしまっているのです。姉と妹くらいの違いがこの二つのイラストにはあるのです(でも、どうでもいいことだけれど)。
 さてさて、こうして出来たとは言っても、まったく更新はできていません。だって、私が無理やり「20日オープン」としたから、18日夜に必死にやりだして、このイラストをパソコンで書いて、それから壁紙も探しだし、それで表紙ができました。19日夜には「もう、こんなところでいい」という感じで、疲れて(ホームページの作成で疲れたのじゃないよ)すぐ眠ってしまいました。とにかく、それでも20日にオープンということにはなりました。
11011107 でも、その後も少しも更新が出来ていません。「更新記録」とか「リンク集」とか、そんな比較的簡単なものさえ少しもできないのです。どうするんだ。
 それでも、さまざまな方々が掲示板に来てくれまして、書き込んでくれていますから、本人も、「これはやらなければ」という気にはなっているようです。
 あとは、私がデジカメとスキャナを買わないといけないな。おはぎは、たくさん書いてきた絵や、その他の作品を、「美術館」という部屋に掲示したいのです。だから必要だよな。だけど、お金がいるからね。それと、デジカメは何を買えばいいんだろうか。悩みます。
 思えば、私ももっとホームページの更新をまともにやらないといけないな。(このおはぎのホームページは現在稼働していません。2004.02.18)

11010301「周の掲示板」で岡さん(これは岡本昌巳さんのことです)に聞かれました。

かわいい名前 投稿者:酒精・岡  投稿日:10月29日(木)00時11分06秒
娘さん、おはぎちゃんとブルータスちゃんですか。最初、おはぎちゃんのところではかわいい名前と思いましたが、次にブルータスちゃんとなると、あーニックネームって分かりましたが、やや、ひょっとしたら本名(笑)。

 ということで、娘のハンドル名のことを書きます。
 長女が中2、次女が中1のときに、二人とも柏市民ネットというパソコン通信の会員になりました。そのときに、ハンドル名をこう名乗りました。
 長女は子どものときから、友だちにこう呼ばれていました。苗字が「萩原」だからでしょう。そして今も彼女はE-MAILアドレスでも「ohagi」と入れているくらいです。
 次女のブルータスというのは、次女が小学生1年生のときから4年くらいまでずっと書いていました漫画の主人公の名前です。「いつも元気だ、ごきげんブルータス君!」という漫画を描いていました。ブルータスとは、「いつもぼおっとしているまぬけな鳥です」。そのほかに登場するのは、おなじ鳥の友人である「キリキ君」「チィーちゃん」がいました。ひとことも言葉を発さない「海ぼうず」というのもいました。あと何人かのキャラクターがいたと思います。この連中が、どうでもいいような会話をして、どうでもいいようなことをやっていく漫画でした。この漫画のブルータス君を次女はずっと育てたかったらしくて、そこでこれをハンドル名にしたものです。
 たぶん、そのうちに、このブルータス君(漫画の主役のほう)が復活して、私のホームページのあちこちに登場するようになるかもしれません。
 こんなのが、娘たちのハンドル名です。

10122408 私の義姉は実に楽しい人です。名前を町子といい、みんなから「まっちゃん」と呼ばれています。
 つい先日、ウチの娘たちがこんなことを言っていました。

 おはぎ「ワタシ、ちっちゃいときに、まっちゃんって、歌手なのかな
        と思っていたの。だって、いつもいつも、大声で歌を唄ってい
        るんだもの」
 ブルータス「そうそう、まっちゃんはいつもどこでも大声で唄ってい
            た。しかも、だんだん大きくなって判ってきたんだけれど、
            まっちゃんの唄う歌は、歌詞がデタラメなの」
 おはぎ「そう、あんなにデタラメな歌を、あんなに大声で唄えるまっ
        ちゃんって、なんだかとっても不思議な人だった」

 娘たちは、私も妻も働いていましたから、保育園から帰ってくると、父と母の家で遊んでいました。そして義姉は、それこそ二人を自分の娘のように可愛がってくれました。そうしたときのそれこそ面白い出来事をたくさん聞いています。

10121807 25日にDOMさんが私の自宅へ来ました。どうしてもDOMさん宅に届けなければならないものがあり、早めに帰宅してきて、DOMさん宅へ電話しましたら、彼がバイクで私のところへ来てくれることになりました。
 私が自転車で行くつもりだったのが、逆になって、私の自宅はパニック状態になりました。我が家はお客さんに見せられるような状態を成していないのです。さあ、我が家は、妻、おはぎ、ブルータス、私とてんやわんやです。
 もうリビングにあるさまざまなものを、私たちの寝室と娘二人の部屋にもっていきます。洗濯物をどこかへ押し込めたり、玄関の靴をそろえます。家族4人、みんなで「わあわあ」いいながらやっています。「あ、俺は何着ればいいんだ?」なんていう問には誰も応えてくれません。
 お、どうやら少しはましになったかな。「やればできるじゃん」なんて言っているうちにDOMさんの声が玄関テレホンから聞こえます。「どうやらセーフだ」。
 それでDOMさんと少し話しました。今度は前もって日を決めれば、奥さんと二人できてくれればいいな。私の家はそのように出来ているのです。ふいの客には応答のしようがないのですね。前もって判れば、きっと楽しくお酒飲んだり食事したりできます。
 DOMさんが帰ったあと、私たちはリビングが整然としているのを崩したくありませんでした。

 周  「おい、このままを保とうぜ」
 ブルータス「そんなの簡単だよ、もうみんなそれぞれの部屋で生活して、
      このリビングに足を踏み入れなければいいんだ」
 周  「そうだ、そうだ」
 ママ 「そんなわけにいかないでしょう」
 おはぎ「だから、もういろいろなものは、すべてすぐ自分の部屋にもって
    いくことにしよう」
 周  「洗濯したものは、それぞれが自分の部屋をもっていく、そのあと
    は自分でその部屋で整理する」
 ママ 「食事したら、それぞれが食器をかたずける」
 周  「あ、俺はやってるよ、お前等やれよ」
 ママ 「どうしてもここが(テレビ前の座る応接セット)が、かたずかな
    いから、ここでなんか食べた人は、自分でかたずけること」
 周  「そうだ、そうだ、俺はそんなところで何も食べないもんね」
 ブルータス「酒瓶をかたずけろ」
 周   「CD(シーデエと読む)もかたずけろ」
 おはぎ 「とにかく、この美しさを保とうよ」
 みんな 「そうだ、そうだ」

とばかり、我が家は不思儀に衆議一致したのでした。これもDOMさんの出現のお蔭です。
 でもたった今、私は見ているのですが、もう1日で我が家は前に戻ってしまいました。なんでこうなるのでしょうか。

0e9f07f0.JPG  でもそのあと来てくれた長女家族が来て、ミツ君が出かけてこの、くちなしの花を買ってきました。この花はミツ君のクラスへ明日持って行きます。
 しかし、ベランダに出て遊ぶと、もうじいじの私は「疲れた」と言って逃げ出してきました。

83ab8a86.jpg

 この日は午後から、ブルータスの家へ行きました。いえ、私と妻はブルータスの彼の実家に泊まります。

2010/03/27 07:56もう「ニュースさとう」は、明日の分まで送りました。きょうは、ブルータスの家に泊まるのです。
 でもまだあと「読書さとう」か「歴史さとう」か「コラムさとう」を2つ書く気なのですが、何を書くかはまだ何も考えていません。パソコンの前に座ってから考えます。
 思えば、パソコンの前に座ってから考えるというのがいいですね。だから思えば、ここでノートを広げても同じなわけですが、でもここは食事をしたり酒を飲んだり、テレビを見たりする場ですからね。
 さて、「ウェルかめ」の最終回です。もう終わるのですね。早いものです。
2010/03/27 08:14もう始まります。始まりました。
2010/03/27 08:32「ウェルかめ」が終わりました。いい物語でしたね。
2010/03/27 16:57ブルータスに会いに、長女家族4人と私たち夫婦の計6人で来ました。でも今はみんなどこかへ行き、私はお父さん、お母さんの家に一人で残っていましたが、「上野貞紀『漢詩と吟詠』」という分厚い本も読み終わって困っていたら、このポメラの存在を思い出しました。ただこのポメラは辞書が面倒なのですね。でもケータイよりはいいやと思いましたものです。
 でもきょうはブルータスの家に泊まるのです。長女おはぎからは、お酒を薦められても決して飲まないようにときつく言われています。一杯くらいならいいのかなあ。妻がかばってくれないものかなあ。あ、二人の孫は私の味方だ(な、はずだよね)。
 しかし、私のブログでももっと披露しなくてはならない詩がいくつもありますね。やっぱり漢詩は実にいいです。いやそのほか、日本のいくつもの短歌も俳句もいいですね。いや、その前の歌もいくつもいいです。

 八雲立つ出雲八重垣妻籠みに 八重垣つくるその八重垣を(須佐之男命)

 大和は国のまほろば畳(たた)なづく 青垣山籠れる大和し美し(倭建命)

 いくつもいくつも歌を思い出します。でもこのポメラで打っていくのは大変です。

  いろは歌 高野大師
 色は匂へど散りぬるを
 我が世誰ぞ常ならむ
 有為の奥山今日越えて
 あさき夢みじゑひもせず

 俳句には苦手意識しかないのですが、少し書いてみます。

 富士の風や扇にのせて江戸土産(松尾芭蕉)
 永き日もさえずりたらぬひばりかな(松尾芭蕉)
 箱根越す人もあるらし今朝の雪(松尾芭蕉)
 五月雨のふりのこしてや光堂(松尾芭蕉)
 物いえば唇寒し秋の風(松尾芭蕉)
 焼け鎌の背中にあつし田草取り(宝井其角)
 鐘ひとつ売れぬ日は無し江戸の春(宝井其角)
 梅一輪一輪ほどのあたたかさ(服部蘭雪)
 蒲団着て寝たる姿や東山(服部蘭雪)
 鶯や内のもなけば野から来る(向井去来)
 岩はなやここにもひとり月の客(向井去来)
 うぐいすや茶の木畠の朝月夜(内藤丈草)
 ほととぎす平安城を筋違ひに(与謝蕪村)
 元日や上々吉のあさぎ空(小林一茶)
 目には青葉山ほととぎす初がつお(山口素堂)
 手折らるる人にも薫る梅の花(加賀千代)
 手鞠唄かなしきことをうつくしく(高浜虚子)
 桐一葉日当たりながら落ちにけり(高浜虚子)
 雲の峰雷(らい)を封じて聳えけり(夏目漱石)
 手向くべき線香もなくて暮の秋(夏目漱石)
 分け入っても分け入っても青い山(種田山頭火)
 海に出て木枯帰るところなし(山口誓子)

 もっとあるのですが、私が名前は知っているが、知らない句をあげました。いや句は知っていても正確に作者を知らなかった句もあげてみました。
 でもみんな帰ってきました。

 みんなで食事しまして、それからお風呂(銭湯)に行ったので、私は残りました。そして私はお義父さんとお酒を飲んでいました。

46d0748d.jpg

 私の 今私の顔写真が必要になったのですが鈴さんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by   2009年12月21日 10:18
お久しぶりです お元気ですか?
おはぎさん 絵が上手なんですね
周ちゃんの特徴 よく捉えてますね(^−^)
寒さに気をつけて 良いお年をお迎えください
                  ひとみ

 鈴さん、ありがとうございます。私は元気ですよ。お酒は毎晩の晩酌くらいです。
 でもね、一つ前に書きましたように、私は自分のケータイを壊してしまったのです。ですから、ひとみさんのケータイメールもケータイ番号も今判らないのですね。
 今はもうケータイでこんなことになると、もう大変な事態ですね。それに私はスカイプ名も換えたので、スカイプでも連絡できないのです。だから、ケータイ番号、アドレス等々を私のGメールに教えてもらえますか。
 でも書き込みをありがとう。私の長女のおはぎは、小学校の図工の教師で、もともと大学も文教大学の美術課は私が選んだのです。たぶん、私の父は、このおはぎの大学の推薦入学を知って亡くなりました。おはぎもじいちゃんがとっても好きなはずでした。
 次女のブルータスも何故か同じ大学を目指しまして、今は千葉県の教員になっています。
 私は娘が好きですから、娘の働く学校へ行くのですが、娘は迷惑らしくて、嫌がっているみたいです。実は姪たちの学校へも、運動会や授業参観に行くのでしたが、みんな心からは歓迎してくれないようでした。
 今は姪の子どもものイベントにも行っています。もちろん、これからは私の孫のイベントにはいっぱい登場しますよ。ようるするに、「ハイ!」なんて手をあげなければいいのです。
 いつも綺麗なひとみさんを思い出しています。そしてブログをUPしているのが、ものすごく嬉しいです。
 私も自分のブログだけでなく、他にも書いていますよ。
 あ、私はひとみさんに私の赤いふんどしを見せたことがあるかなあ?

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 家族4人の中伊豆の旅を思い出しました をUPしたのですが、あのときブルータスと次のメール交換をしました。

周「嵯峨沢館やっているよ」
ブルータス「嵯峨沢館だったんだ〜料理ばかりでよくわからなかった。また行きたいね。」
周「そうだよ。また行きたいね。おはぎは今日は出勤です。」

 ちょうど、ブルータスも同じ番組を見ていたのでしたね。もうこの嵯峨沢館のことをいくつも思い出していました。今度はいつ行けるのかなあ。

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 大きな台風ですからね。さきほど午前5時すぎに愛知県の知多半島に上陸したそうです。
 私は昨日の夜に次女ブルータスにケータイメールをだし、すぐに返信が来ていました。昨夜ちょうど午後9時00分に私のブルータスに出したメールです。娘たちの名前等はハンドル名に替えています。

パパは、昭和29年の洞爺丸台風に札幌で会っています。その晩洞爺丸に乗るはずの女性を6歳の私が止めました。昭和34年の伊勢湾台風には名古屋市北区大曽根で会っています。もうとてつもなく大きな恐ろしい台風でした。それと同じくらいの規模の台風が来るよ。気をつけてね。さっきおはぎの家へ行きましたよ。もう元気なポコ汰とポニョがいまして、勝手に大騒ぎでした。

 そうしましたら、9時17分に次のケータイメールが来ました。

明日は学校が休校になりました。が、仕事はあります。今前の学校の先生から電話があり、物干し竿などしまうよう指示されました。萩原家のベランダも大丈夫ですか?気を付けようね。

 私は昨日の夜ベランダも見て回りました。ベランダの雨で大量に水がたまってしまうことがあるために、そうならないように気をつかました。
 このあとまたブルータスにケータイメールをします。あ、そうだおはぎにもしよう。もう今朝は保育園も休んだほうがいいんじゃないかな。でもおはぎもミツ君も出勤はするだろうから、それなら、私が行きます。

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 昨日の午前10時55分に、次女ブルータスから「姉さんところへつくよ」というケータイメールがありました。妻と私はあわてておはぎの家に向かいました。もちろん、二人で王子駅前の東武ストアで買物をして行きます。
 家を出る前におはぎに電話したら、みんなで公園に来ているといいます。
 でも私たちが着いた頃は、もうみんなお家に帰っていました。
 もうブルータスおばちゃんとナオキおじちゃんの前で、ポコ汰もポニョも笑顔でいろんなことをしています。そのうちに3Fで4人で、列車の線路を引いて動かしています。でもポニョは参加したいのですが、何故か線路を壊しそうです。このポニョの相手をブルータスがしてくれます。たぶん、ポコ汰にはものすごく嬉しい時なのでしょう。
 ここの画像の手拭いは、ブルータスが先日新潟に友人の結婚式で行ったときに、私に買ってきてくれたものです。もう私はすぐに嬉しくなります。
 ブルータスはダイソーの掃除機を持ってきました。先日購入したので、それで掃除がしたいのです。姉おはぎの家の掃除もですが、できたら汚いだろう、私の自宅もです。かくして、午後2時半頃私の自宅に来ることになります。でもポニョは眠ってしまいましたが、ポコ汰はまだ元気に二人と遊びたいのです。
09092304 かくして、私の家まで来ます。でも私は感動です。ビール缶24本のケースを私にプレゼントしてくれます。あちらのお父さんとお母さんからです。ありがとうございます。
 またブルータスが掃除をしてくれます。私のいる部屋も掃除します。「でも、パパはここで寝ているの?」。なんだか、私がここで生活しているのが不思儀なのでしょう。もう本が溢れていて、ただパソコンがあるだけです。
 でもそのうちに、ポコ汰がナオキ君の背中側に横になったと思ったら、すぐに眠ってしまいました。
 それで、ブルータスとナオキ君が帰ることにしました。ポコ汰が起きたときに少し悲しいだろうな、なんて私が思います。でも仕方ありません。
 そのうち5時をすぎると、義母も介護のデイサービスから戻ってきます。
 そして、長女家族3人が来てくれます。ポニョはもう元気いっぱいです。でもポコ汰はもうずっと起きません。たぶん、夢の中でまだブルータスとナオキ君と遊んだり、お喋りしたりしているのでしょう。
 そして、愉しい夕食となります。私はビールを飲みます。その頃ポコ汰が起きます。たぶん、もうブルータスおじちゃんもナオキおじちゃんもいないから、寂しかったでしょうね。でもでも、また元気なポニョです。もういっぱい食べています。

 でもこうして、実に愉しい面白い家族です。こんなにみんなで会えるのがとっても嬉しいです。

608828b3.jpg きょうも、「では行こうかな?」なんて思いましたら、「ああ、きょうはあちらのじいじとばあばが来ているんだ。それにリノちゃも来るんだ」と気がつきました。あ、じゃあ、私が行くと、また「王子じいじは嫌い」なんて言われてしまうかもしれません。
 昨日は、ポコ汰が懸命に自動車を整理していたら、そこへポニョが勝手にそばへ寄って、その自動車を勝手に触って、そのうちに、そばにポイッと棄てます。もうこれが嫌で、ポコ汰はポニョがそばに寄ると、そのうちに泣き出します。もうポニョに頭突きなんかしています。でもポニョはもう平気でお兄ちゃんのそばに寄りたがります。
 もうおはぎが言いましても、ポニョは全然言うことを聞きません。結局私がポニョを抱いて、おはぎのそばへ連れて行きます。でもそのうちに、またお兄ちゃんのそばへ行きまして、また自動車をいじっています。またポコ汰が悲鳴をあげて、私がまただっこしておはぎのそばへ連れていきます。
 でももう私には、二人の孫がもうただただ可愛いのです。
 リノちゃんとは、11日の夕方にごみを棄てに家を出ましたら、リノちゃんとママと偶然会いまして、私のそばに来てくれて、私はリノちゃんと手を合わせました。そんなことも私はポコ汰には報告しています。
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9ea2ca4a.jpg 当初は私の長女家族と一緒に出かけるつもりでいましたが、ミツ君は昨日まで房総で生徒たちを3泊で海に連れて行っており、昨日の夜越谷の実家に帰っているので(そこにおはぎと、ポコ汰、ポニョも行っています)、私を連れて出かけるのは大変です。
 それで私は昨日から、自分一人で、電車で出かける気持になっていました。
 今はここのサイドバーに置いてあります「駅探・乗換案内」で、調べまして、それを自分のケータイに送れるのです(あ、もちろんもっと昔からできますが)。
 それで、私は長女の家へ行きまして、あるものを取りまして、一人で上中里から我孫子の湖北へ出かけます。そうすれば、長女家族はあとから、来ることができます。
 とにかく、私は正泉寺に10時35分には着いているでしょう。
 あ、きょうは母のもとに、みんなと会えます。
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 おはぎからの連絡で、私は出かけました。8時5分前におはぎの家に着きました。こうなると、ポコ汰が一人で保育園に行くのが少し大変です。

2009/07/31 08:01ポニョがお熱が少し出ましたので、じいじが来ました。少し前にポコ汰がママと保育園に出かけました。ママは学校に行きます。
2009/07/31 10:40ママが帰ってきてくれて、ポニョとお医者さんに行っています。
 さて、私は帰ろうかな。
 あ、ポニョが帰ってきました。

 私は家に帰りましたが、家にも大事な用があったので、帰って良かったです。

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 長女とその彼のミツ君、ポコ汰がミツ君の友人の結婚式に行きました。その長女おはぎとポコ汰が帰ってくるのを私は王子駅に迎えに行きました。でも北口で待っていたのに、私は会えませんでした。私は阿呆なんですね。

2009/05/23 14:48えっ、今は23日だと気がつきました。王子駅改札で、ポコ汰と長女を待っています。もうポコ汰がくるはずです。でも考えてみれば、この改札口とはかぎらないんだ。
2009/05/23 14:57さてどうかな。

 たしか35分くらいから待っていたのでしたね。でももう長女たちは、家についていました。家には、義弟の元さんも来てくれていました。ポニョはずっと預かっていました。

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 昨日も妻のところへ行きました。妻の同じ部屋の方が昨日退院だということでした。良かったですね。

2009/04/30 09:51日本がんセンターの妻のところにいます。実は私は昨日は一睡もしなかったのです。いつも酒を飲んですぐ眠る感じでしたが、昨日は眠くなかったのです。いい天気で柏の葉キャンバス駅からここまで来るバスは実にきれいな路を走ります。もう感激ですね。
2009/04/30 10:34もう手術というのは大変ですね。けっこういろいろな打ち合わせがあります。私はまったく判りません。
 そういえば、28日ここで「藤沢周平『暗殺の年輪』」を読み終わりました。
 もう思えば、ここにいても仕方ないから、帰るかな。帰りに本屋によろうかなあ。
2009/04/30 10:43さて、もう飽きてしまいました。しょうがない亭主ですね。

 でも帰りには、柏駅まで行ってしまいました。ちゃんと行き先を見てバスに乗らないといけないですね。

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 朝長女おはぎが来てくれました。私がちゃんと妻の必要なものを用意できているか調べにきたのです。でもこれがよかったです。私たちはとっても優しい娘を持っています。それにいい孫(この朝はポコ汰が)を、持っているのです。
 でも私は馬鹿です。イヤホンをリモコンと間違えていました。

2009/04/29 08:38今王子駅を出ました。これから妻の入院先へいきます。
 朝長女が来てくれました。ポコ汰も一緒に来ました。ポコ汰を抱き上げると、もうとっても重いです。おはぎは、私が妻に言われたものをちゃんと用意できているか見にきたのです。
2009/04/29 08:49今日暮里駅を出ました。でも長女が来てくれてよかったです。私は妻に言われていたものを間違えていたのです。テレビに耳に入れて聞くもの(あ、イヤホンというのかな)を私はリモコンだと間違えていました。しかも2つも用意していました。娘が来なかったら、そのままでした。
2009/04/29 09:01今はもう北千住で乗り換えました。これだと近いですね。
 きょう長女家族4人が行きましたら、妻は喜ぶだろうな。私じゃしょうがないけれど。私は妻あての手紙を書いています。また、その内容は不満だろうなあ。金子みすゞの詩と漢詩が書いてあるんだものな。
 さて、本を読もう。
2009/04/29 11:29今は妻の病室から、同じ階のロビーにいます。長女家族が来るのを待っています。もう二人の孫に会いたいばかりのじいじです。
 これから妻の昼の食事です。
 孫に会ったときの妻の笑顔が見たいです。
2009/04/29 15:25今長女家族と帰りです。つくばエクスプレスに乗りました。
「ららぽーと柏の葉」に寄りましたがもうすごいところなので私はびっくりしました。私は初めて行ったところでした。
 思えば、どんどん変わりますね。ミツ君とCD屋に入りましたが、詩吟もないどころか、高倉健の映画のDVDもありません。私の詩吟の宗家のCDなんかありません。もう私なんか、ついていけなくなるのかな。
 でも、長女が今朝きてくれてよかったな。テレビのリモコンを持って行かなくてよかった。

 帰りに ららぽーと柏の葉 に寄りましたが、ここにはブルータスとも一緒に来たかったものでした。でもポコ汰とポニョはぐっすり眠っていました。でもかえってそれでよかったかなあ。おきていたら、興奮しちゃったかなあ。

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 この日は、夕方長女の家に行きました。最初の写真は、まずサミットストアに行ったときの帰りに撮りましたものです。
 私はここで、ポコ汰へのお菓子を買いたかったのですが、実は私には、お菓子を買うというのが大変なことなのです。09040502私は甘いものを一切食べませんので、選ぶのは、もう一苦労なのです。だから、その店と親しくなりまして、選んでくれると私は実に助かるのです。

2009/04/05 17:51今ポコ汰とポニョのそばにいます。ポコ汰にお菓子を持ってきたのですが、ポコ汰がそればかり食べるのが心配です。

 このときのお菓子は、3月20日にマザー牧場で、私が買ってきましたお菓子でした。でももうとっても甘いものだそうです。これは私は大変に困りました。
0904050409040505 もう食べないでね。じいじが阿呆です。今度からは、長女にちゃんと聞いてみよう。あのときは、ばあばもいなかったから、私が勝手に選んでいたのでした。
 この日は、おはぎの家のそばの地下路を潜って、長女の家に至りました。

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 周の雑読備忘録「戸部けいこ『光とともに』1」SHIROのポメラ日記の斎藤さんから次のコメントがありました。

1. Posted by 斎藤史郎    2009年03月16日 21:58
「SHIROのポメラ日記」の斎藤です。
いつも見ていただいて、ありがとうございます。
「光とともに…」も読んでいただいたんですね。レディースコミックなので、周さんは手に取りづらいかと思っていたのですが、読んでいただいて嬉しいです。
私の日記の方では、以下のページで取り上げています。
http://d.hatena.ne.jp/shiro0922/20090222/
最近また「子どもと携帯電話」の続きを書いていますので、よかったら見てやって下さい。

 ごめんなさいね。このごろレスしていくのが遅くなってしまいました。これでも仕事もしているので、けっこう大変だったのです。きょうもいくつもあるのです。
 でもいつも貴ホームページを読むことは忘れていませんよ。
 あ、そうか。このページにあったのでしたね。そして私はそれへのレスを 「大人の皆さんへ:(8)怒る回数を減らすには?〈口で言うより紙に書く〉に書いていたものでした。
 私は子ども二人が女の子だったので、けっこう女の子の漫画は読んだものなのですよ。だから、

   http://shomon.net/manga/ 周の漫画館

には、いくつもそうした漫画のことを書いてあります。私二人の娘も、漫画を描いていたものでした。だから、私のこのホームページのバナーは、以下なのですが、そこには長女おはぎと次女ブルータスのイラストが入っているのです。
mangas このイラストを使って、二人はホームページを展開していたのですが、今は長女おはぎは、mixiをやっているだけですが、次女ブルータスは以下のホームページを続けています。

   http://members3.jcom.home.ne.jp/kanesayo0325/ I'm brutus

 ただ教員で忙しいのか、なかなか更新してくれません。
 でもね、今度20日に、家族8人で千葉のマザー牧場に行くのです。もうブルータスおばちゃんとナオキおじちゃんに会えたポコ汰とポニョは、どんなに嬉しがることでしょか。でも一番喜んでいるのは、私なのです。
 でも昨日、おはぎのところへ、ポコ汰と留守番をするために行ったのですが、長女おはぎから言われました。ちゃんと毎日散歩をしたらどうかということをです。それで、私もその気持になりました。きょうから30分から1時間の散歩をします。そうしないと、私はこのまま、「アル中に憧れるアル中」になってしまいます。

 それで今後もまたレスをさせてください。この「光とともに…」にも、1冊づつ借りて、今後私のこのブログで、その感想を書いてまいります。

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 昨日の13日土曜日、私の長女の家に、私の家族8人が集まりました。私の来年の年賀状で、家族8人の写真を載せるので、その撮影のためです。でも長女家族は午前中用があり、午後1時に集まろうというのが、午後1時30分になりました。
 結局、私よりも妻のほうが先に出発しました。もう出かけようとしていたところに、妻が帰宅して、それで「じゃ、先に出かけるよ」なんて言っていた私が、結局あとになりました。私はいつも何故かとろいのですね。
 妻が自転車で走っていると、長女おはぎが後から声をかけてきたそうです。
 それで、私が少し遅れて長女の家に行きますと、家の前の広場で、ポコ汰が自分の自動車に乗っていました。まだ自分で足ではこげないのですが、とっても気に入っているようです。なかなか、家に入りません。
 そのうちに、次女ブルータスからケータイがあり、もうすぐそばまで来ているようでした。ブルータス夫妻が車を降りると、そこには、ポコ汰が懸命に自分の車に乗っています。
 みんなでお家へ入って、お喋りします。ポコ汰はもう大変に嬉しそうです。ポニョも笑顔になっています。
 そして、私のデジカメで全員で撮影です。でも私はうまくデジカメが設定できないで、ミツ君にやってもらいました。もう頼りにならない私なのです。
 でもいい写真が撮れました。ポニョだけがデジカメのほうを見ていません。あとは全員がちゃんと写真機を見ています。
 2年間、喪中ということで、年賀状を出しませんでした。でもひさしぶりに我が家族からの年賀状が、来年元旦に私の友人には届きます。ここのブログのサイドバーにも、その年賀状を元旦から7日まで、載せていきます。
 また、私の過去の年賀状は、以下に掲載しております。

   http://shomon.net/profil/nen.htm 周の年賀状

 今度は、私の家族はみんなで8名です。だんだん、私の家族も数が増えていきます。そして孫はだんだん大きくなっていきます。私はますます、じいじになっていくのです。

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 ポコ汰が回復しましたナミちゃんが次のコメントをくれました。

1. Posted by なみんと    2008年11月06日 21:53
周さん〜今晩は☆ポコちゃんの手足口病・・少しよくなってきたのでしょうか。
おはぎママの記事!とってもいいですね。多く共感します。若いママとして忙しいでしょうがいよいよ充実しているのがよく分かります。本当にかけがえの無い二度と戻らない素敵な時間ですね。
ちなみにウチは手足口病は記憶によると突発疹の後の病気だったのではないかな。二才代だったかな。
奥様と同じで母子手帳をみれば分かります。
この手帳とっても参考になりますがそれは奥様がきちんと記録されていたからだと思います。

 そうですね。それで、私の妻は、今の手帳にも、ポコ汰のことも書いているので、それで下の娘のポニョとも比較できるのです。
 そういう意味では、私はパパの時代もじいじの時代もあまり役にたっていないですね。羞しいです。

 でもきょうは、夕方ここの家におはぎがポコ汰とポニョを連れて来てくれたのです。それで、そのあとにミツ君も来てくれました。もうポコ汰はすっかり手足口病は直ったらしく、元気になんでもいっぱい食べていました。ポニョはニコニコ笑ってくれます。
 私が近くのセブンイレブンへビールを買いに行くときに、ポコ汰と「じゃ、一緒に行こうか」といいましたら、一緒に来てくれました。でも、歩いて行こうとしたら、ポコ汰は「ちんちん…………」といいます。どうやら、私が自転車で乗せてくれると思っていたようです。それで、また自転車まで戻って、乗せていましたら、そこへミツ君が到着。
 そこで、私たちはセブンイレブンに向かいます。でも、お菓子を買ってあげるにしても、ポコ汰は何を買ったらいいか判らないだろうから、40円のチョコレートのビスケットを買いました。これなら、ママに少し許可してもらって、あとはママといパパが食べればいいと思ったのです。私には、ポコ汰にじいじと買物に行って、お菓子を買ってもらったという思い出が残ればいいのです。

 でもまた明日の朝、二人の孫に会いに行こう。

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 昨日の朝長女おはぎから次のケータイメールをもらいました。

ちょっとよくなったよ  笑顔になりました♪

 そして、ポコ汰の笑顔の写真が添付されていました。もう私は嬉しくてたまりません。
 またおはぎの昨日のMixiには次のようにあります。

昨日はポコが病気なのでまたまた室内遊び。今日は段ボールで電車を作った。
ドアや出発するときに押すスイッチを作り、ポコが入れるように。
短い廊下を30往復ぐらい、いったりきたり。
布団駅に停車し、そこで必ず「ごろん」笑顔でまた電車に乗り、スイッチを「ぴっ」と言いながら押して、「バイバイ」と手を振って出発。たまに私も乗せてくれて二人乗り電車になる。
途中ガムテープをもってきてハンドルにして「ブーブ」と言うので、電車から車へ変身。今度は大きなヒヨコのぬいぐるみを後ろに乗せて出発。
ほんとに何度も何度も繰り返しては遊んでいる。

そうやってポコと遊んでいると私の小さいころの記憶がよみがえる。
押し入れが大好きで、小さいぬいぐるみをたくさん運んでは一緒に寝ていたこと。積み重ねられた布団に走って飛び乗ったこと。段ボールや箱に入って妹とおままごとをしたこと。
そーゆう記憶。母や父が1番大切で、ちょっとでも元気がなかったり、「頭が痛い」と言ったりしたら、「いなくなっちゃうんじゃないか」ってすごくすごく不安になった。
自分が子供の時は「大きくなれば大人になる」と思っていたけど、今思うことは「子供は大人のミニチュア版」でない、ということ。知識や経験はないけれど、子供は無限の想像力や希望や夢を抱えている。そしてそれはもはや私には記憶の片隅でしかないもの。今の私は持っていないものだ。
そんなことをポコと遊んでいて思った。
だからこそポコやポニョと遊ぶ時、少しでもあのころの記憶を思い出し、たくさん夢を共有したいと思う。

さてさて今日は何をしようかな。

 ここには、ダンボールの電車に乗っているポコ汰の写真が2つあります。私はそれを見てもう嬉しいばかりです。嬉しくてたまらない感じなのです。

 こうしておはぎのMixiを見ますと、あの我孫子の最初の小さな家にいたときのことが思い出されてきます。こうしておはぎが思い出してくれるとおりでした。ただただ私にも思い出されてきます。
 今回ポコ汰が手足口病になって、お熱のこととか心配していると、私の妻が昔の手帳を持ち出してきて、その記録を読むと、「あ、お姉ちゃんは、何歳何ヶ月のときに、こういう熱を出している」、「あ、ブルータスは、こうだった」と思い出してくれるのです。だから、今のポコ汰のことをとっても心配するのですが、それには、昔の二人の娘の赤ちゃんのときの記録が一番参考になるのです。
 こうしたことは、娘たちが是非真似してほしいです。

 二人の娘には、今はそれぞれ二人のお母さんがいます。私の妻もそうでした。そしてそれぞれのお母さんから、たくさんのことを教わってきました。だからまた、私の二人の娘もたくさんのことを学んでほしいのです。
 そしてそれをまた自分の子どもに伝えてほしいのです。

続きを読む

a9fd351f.jpg 昨日の夕方、長女家族が来てくれました。私はなんとビールを1缶に制限されました。
 それでそのときに、長女おはぎが、このの画像を僅かな時間に描いていました。それを今スキャンしました。でもこうして勝手にブログにUPすると怒られるかもしれません。なんだか確実です。
 でもうちにある画用紙にメモしたのだから、仕方ないよなあ。
 これはポコ汰の画像を、僅かな時間に描いていました。ポコ汰はこんなに可愛い子です。もうまた会いに行きたくなります。

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 昨日18日は、前日に朝長女家族がこちらに来るということだったのですが、来ないので、ケータイメールで、「迎えに行く」というのを入れましたら、「そんな無駄なことをしなくていい」と入りましたが、結局8時40分すぎに自転車で迎えに出ましたら、すぐに私の長女おはぎと、ミツ君に出会いました。二人はそれぞれ、おはぎはポニョを抱き、ミツ君はポコ汰を後のお椅子に乗せていました。ポコ汰もパパの後の席に乗るようになると、これは大きくなっているわけです。
 もう家に入って遊んでいても、もうポコ汰は外に出たがります。外は寒いので、心配です。
 それで、私の部屋に入ってきて、パソコンに触りますが、私はポコ汰を私の部屋の窓から出るベランダに出ます。
 このベランダで、ポコ汰はあちこちを見ています。その間に、義母はデイサービスに出かけました。それで、長女家族は、秋葉原のヨドバシカメラに行くということで、12時に王子駅で待ち合わせます。私の妻は、いつもの鍼灸治療に行って、御茶ノ水ですから、ヨドバシカメラの前で待ち合わせます。

 でもでも、私はそのあと、別なことをパソコンで書いていたら、すっかり忘れ果てていました。それで、12時5分前に、おはぎから、ケータイをもらい、「あ、そうだ」とあわてて王子駅まで走りました。
 ホームで会うと、ベビーカーの乗っているポコ汰もポニョもみな眠っています。それで電車に乗って、妻にケータイメールします。でもどうやら、私のおかげで、秋葉原ヨドバシカメラで、妻を少し待たせそうです。ごめんなさい。
 それで、ヨドバシカメラの店の前で、会えまして、早速買物です。私は電話を買いに来ていたのでした。私のこの王子の家に、新しく電話を入れますので、電話機が必要なのですが、私はそんなことは簡単なことだろうと考えていたのですが、前に来たときに、それが大変に簡単なことでないことを知ったわけです。それでそのときは、いくつかのメーカーのパンフレットのみ持って帰り、それでいくつか調べて、さらに入れる北ケーブルテレビにも電話して質問していました。
 それでどうやら、目的のものを購入しました。

 ただし、ミツ君が買いたいものは、もう売れきれてしまったようです。
 それでポコ汰に、おもちゃの自動車を買います。おもちゃ売り場が、驚くほどたくさんのものがあるのでしたが、まだポコ汰は眠り続けています。
 このあと、私たちは、9階のレストラン街へ行きました。根津に「海上海」へも行こうと考えたのでしたが、新御茶ノ水駅で乗り換えるのも、大変ですし、根津駅だとエレベーターがありません。
 それで、レストラン街で、畳のある店にしました。そこで大人4人と、ポコ汰とポニョで入ります。ここでポコ汰は眼を覚まして、私のお隣に座っています。ポニョは、おはぎの隣でねんねしています。
 私には、このときが一番愉しい思いでした。ポコ汰がとってもいい子になって、「お子様ランチ」をいっぱい食べているのです。ああ、またブルータスもナオ君も一緒に、みんなで、こんなレストランに来ていたいなあと痛烈に思ったものでした。

 そしてまたみんなで、王子に帰りまして、駅前でおはぎたち家族と別れます。私と妻は、家に帰りますが、またすぐに妻は、自転車で、長女の家に向かいます。でも私は、電話機をつけてみないとなりません。
 でもそれが終わって、私もおはぎ宅へ向かいます。

 そこでも、やっぱり可愛い二人の孫です。でもミツ君は、3階に眠りに行きました。ミツ君はこのごろずうっと、朝早く(5時前から)、ポコ汰に起こされて、外を歩いているので、眠くなるのです。
 ポコ汰は、もう買ってもらった自動車で遊んでいます。でも私は行きましてから40分くらい経つと、家に帰る必要があるのです。それで妻と帰って、妻は駅前で買物をして、私は先に帰ります。私は義母のお迎えがあるのです。

 でも今になると、また二人の孫に会いたくなっている私です。

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93b61908.jpg 昨日の夜12時近くに、私の次女ブルータスから長文のメールをもらっていて、それに朝気がついてとっても喜んでいます。もちろん返事を手紙で書きました。私はこの子の結婚が決ってから、ずっと手紙を書いているのです。今年の2月からは、和紙ですべてプリントしてそれでこれまで56通出しました。最初からは、もう100通を越えているでしょう。長女おはぎにも、最初「私には手紙はないの?」と聞かれたので、「同じマンションだから」といいましたが、でも手紙を手でポストに入れるようになりました。今も自転車で行きまして、持参するようにしています。二人には、違う内容の手紙を出しています。今は、長女には、漢詩の解説を書いています。
 義母は、どうしても自分の記憶の曖昧さに不安になるようです。いつもどうしても自分の父、母、夫のことを聞いてきます。そのたびに応えてはいるのですが、でも覚えられないようです。
 写真は先月9月28日の夜の谷中銀座です。雨が振っていましたね。(10/10)

adceb2b5.jpg 20日の夕方次女ブルータスが長女おはぎの家にやってきました。それでそれからずっとあることを長女とやっていて、昨日の昼頃こちらへやってきました。でも私はそのときは、次女とポコ汰に会いに、長女宅へ行っていました。ポコ汰は次女と愉しく過ごしましたが、この次女が去るときには、やはり大泣きしたそうです。
 この次女がこちらで義母の隣の部屋で眠っていたのですが、それを見ても義母はよく判らなかったようです。
 でも、私はパソコンの前にずっと座っているので、これまた次女に「なんだか変だ」と思われたようです。
 写真は9月15日午前に撮りました都電の栄町の停留所です。(09/22)

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 自転車で走るのでした は6日(土)のことです。翌日7日にも私は出かけます。9時30分に出かけて、41分に到着です。でも長女一家は出かける用意をしています。なんと地下鉄南北線に乗って美園に買物に行くというのです。それで10時に歩いて出かけます。王子まで一緒に歩きます。ポニョはミツパパが抱いて、ポコ汰はベビカーに乗ります。私は自転車を押してついていきます。
 南北線の王子駅は、エレベーターが北とぴあの前なので、そこまでいくのではなく、東武ストアの前で駅に入っていきます。ベビカーはミツパパが持って、ポコ汰は階段を歩いて降りていきます。私は心配で、ずっと見ていました。ポコ汰は最初は階段を歩いていましたが、そのうちにママに抱かれます。そして私をずっと見ていてくれましたが、すぐに駅に入っていきました。

 でも私は地下鉄の中で、二人は泣いているんじゃないかと心配でしたが、あとで聞きますと、二人ともとっても元気だったようです。
 あ、それから前日の6日は、私たちが帰ったあと、長女家族4人と、あちらのじいじ、ばあば、おじちゃんは、みなで 根津の海上海 へ行ったそうです。もうポコ汰は、何でも食べるようです。

 そしてこの日の夕方、おはぎママとポコ汰は二人で自転車に乗ってきてくれました。でも突然雨が降るかなという天気で大急ぎで帰りました。

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「いたずら」のことで に昨日の夜、ブルータス当人が以下のケータイメールをくれていました。

パパ、私が押し入れに流したのは麻婆豆腐です。焼きそばよりやっかいですね。

 あ、思い出した。麻婆豆腐でした。本当に大変なことでしたね。私はお姉ちゃんの結婚式での焼きそばのことで、思い違いをしていたのでした。
 私が以下に書いた内容です。

長女おはぎの結婚式(2004.05.03)

 この中で、以下にように書いてある内容で、私はすっかり、「やきそば」だと思い込んでいたものでした。

 このあと、新郎新婦の紹介を、それぞれのお兄ちゃんと妹が紹介してくれました。
 そのブルータスの姉の紹介が以下の内容でした。ブルータスは、紙芝居で、この紹介をしました。実は、前日の夜からこの紙芝居を作っていたものでした。だから、私がこの紙芝居を最初に見たものなのです。

 でもこの私の次女ブルータスのケータイメールではっきり思い出しました。小さいブルータスが押し入れに流したのは、麻婆豆腐です。本当に焼きそばどころではありません。
 これを思い出すと、今の私の孫のポコ汰はいい子だなあ。あの子がいけないのは、自分があまり得意でない野菜やなにかを、私じいじの口に持ってきて食べさせてしまうことかなあ。阿呆なじいじの私は、「ああ、美味しい」なんて言ってたべちゃうから、どんどんと口に入れてくるのです。
 思い出せば、本当に大変な娘でした。ブルータスのおじいちゃんもおばあちゃん(私の父と母)にも実に大変な孫だったでしょうね。おいじちゃんになんか、誰も逆らわないのに、ブルータスはかなり逆らってもいました。もう私も妻も、「この子はどうなっちゃうのだろう」と心配でした。それでも、町子おばちゃんが、「さよちゃんもいい子よ」と言い続けてくれたものです。でも今ではみないい思い出です。

 ブルータスに伝えます。早くお姉ちゃんの家に来てね。もうポニョが可愛い子だよ。どんどん、大きくなっています。そしてそれをポコ汰が優しいお兄ちゃんとして、可愛がっています。私はじいじとして、このポコ汰とポニョが可愛くて可愛くて仕方ありません。

 今は運動会の練習で忙しいことでしょうね。私もその運動会へ行っていいかなあ?

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 ポコ汰の悪戯 に書いたのですが、「いたずら」と言っても、本人にはまったくその意識はないでしょう。それでいろいろと思い出しました。
 私の次女ブルータスは、そんなにたくさん食べない子でした。それでいつも、ご飯のときに、「もっと食べなさい」と励ましたものでした。
 ある朝、やきそばを「もっと食べなさい」と言っていたところ、お皿のやきそばを全部食べたようでした。喜んでいたのですが、その日帰ってきて、判明しました。ブルータスは食べているふりをして、やきそばをすぐ近くの押入れの中に入れていたのです。もちろん、押し入れは食べてくれるわけではありませんから、これはすぐにバレてしまいます。
 おはぎは、少し高いところから、「雪ん子、雪ん子」と叫んで、何かいくつもの小さな紙を降らしたことがありました。でもそのあとは、「ごめんなさい」と謝ってくれたものです。
 みーねえは、よくにんじんを握って、マイクのようにして唄っていたものでしたが、そのマイクをつけものの味噌の中に入れてしまったことがあります。

 みんな誰でもいたずらはするもの、したものですね。それで、私の娘の父である私はどうしたかというと、実は私のことは、私自身では記憶がありません。私の弟がしたいたずらはいくつも覚えています。

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a8b4d60a.jpg 妻が昨日の朝言っていたのです。私には記憶がなかったのですが、「夜1時半頃電話が鳴らなかった?」というのです。
 でもこのことが夕方おはぎの証言で判りました。夜中に起きたポコ汰が、ママのケータイを勝手にボタンを押していたのです。ママのおはぎがきずいてあわてて電話を切ったそうなのです。
 もうポコ汰は、こういうケータイのようなものが大好きなのです。
 でもでも、ひょっとすると、この被害はうちだけではないかもしれません。おはぎの友だちにも無言の電話がかかっているかもしれません。ポコ汰はまだ喋られませんから。
 だんだん、こうした悪戯をしていくようになるでしょうね。思い出せば、私の二人の娘も、けっこういろんな悪戯をしていたものでした。でもそのころの電話は黒電話で、さすがこれは手に届かないところにありました。今の電話でもケータイでもどこでも簡単に手にできますから、そしてほぼ短縮ばかりでかけるようになっていますから、気をつけましょうね。
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 周の掲示板 に原田直示さんから、次の書込みがありました。

お礼  投稿者:原田直示  投稿日:2008年 8月27日(水)21時31分25秒
拙著をお読みいただきありがとうございました。また、身に余る感想をいただき恐縮です。
周さんのお嬢さんこそ立派に「独立」され、素晴らしいですね。残りの人生、(私はせいぜい20年か)「芸術」とか「文学」の意味を追求していけたらとも思います。

 ありがとうございます。私こそいい本を読まさせてもらいました。そして私の思いなのですが、「本を読む」ということは、本を読んだ自分が、その思いを文章に書いていくことで、もっとその本のことが理解できるようになると思っています。
 だから、こうしてインターネット上で、ブログに書いていくことはとってもいいことなのだと私は思っています。その本を読んだことへの自分の思いを書いていくには、読んだ本でもまた再びその読んだはずの本を手にとって、またあちこち見たり読んだりしているのです。そうすると、前に、ちょっと直前に読んだはずなのに、また違うことが見えてきます。私は「幸田文さん死去」と書いてあることに、「あ、これは何だろう?」と思ったもので、でもそれで原田直示さんがファンであったことを知りました。
 そして私は幸田文さんの本は、何を読んでいたかなあ? と必死に思いだし、そしてまたお父さんの幸田露伴のことを思い出していました。『五重塔』のことは、内容を細かく思い出せますが、その他の作品を思い出していました。そうですね、私は『平将門』が好きかなあ。
 あ、そういえば、私は谷中の墓地の五重の塔の跡地で、いつも何度もお花見をしてきたものでしたよ。

 娘は二人とも結婚し、長女は二人の子どもがいます。長女は一昨日引越しました。でも昨日の朝は、私は自転車ですぐにこの新居へ行ってきました。私が「じゃこれから行く」というと、妻が「何でこんな早い時間に行くの? もう迷惑よ」と言われて、また時間を遅くして出かけたものです。でもポコ汰は、もう私のことよりも、新しい家で、たくさんのことで、面白そうでした。
 長女おはぎからの一昨日のケータイメールが以下です。

引っ越ししても遊びに来るし、遊びに来てね。なんと言っても近いんだから、これからもいろいろお世話になります。よろしくお願いします!
だから淋しくないからねおじいちゃんのパパがしょんぼりしていると光汰朗が変に思うよ〜。

 その引越の最中にきた、次女ブルータスのケータイメールが以下です。

引っ越し手伝えなくてごめんね。頑張っていますか?私は明後日からもう学校です。こうたろみくいい子にしていますか?

 私はしょんぼりなんかしていませんが、でもなんだかやっぱり寂しいのです。
 原田さんと私は同じ年齢ですね。でも大学を出たあとの軌跡はかなり違うと思いますが、でもこれからもいい人生をおくられることを期待します。

 それから、きょう原田さんあてに手紙を書きますね。

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 私の長女おはぎがきょうの午後神田明神へ家族3人(お腹にはポニョちゃんがいます)で行きます。大学のときからの親友のモリキが結婚するからです。
 彼女とは、同じ文教大学の美術科に入学してからの友人です。彼女は四国香川県から来ていまして、卒業して同じく東京都の教員になりました。ただし、彼女は新宿区の中学の美術の教員です。彼女は、よく長女の家にも来てくれていました。大学にいたときには、彼女のお父さんとお母さんにも会ったことがあります。
 こうして長女のいい友だちが結婚することを、私はものすごく嬉しいです。
 長女に手紙を書きました。その中に、次のようなことを書き記しました。

 きょう7月26日大安の日に、あなたの親友のモリキが結婚するというのは、とっても嬉しいです。しかも結婚するところが神田明神だといいます。祭神はもちろん平将門様ですが、明治維新の明治7年に、祭神からはずされて、大己貴命(だいこく様、大国主名)、少彦名命(えびす様)が祭られました。ただのちに昭和59年に将門様は復活されました。
 私はこの将門様をずっと尊敬崇拝しておりますので、この神田明神が大好きです。そこで結婚の誓いをするというのは、実に私には嬉しいことです。好きな男女が対幻想の相手である相手と結婚するというのは、実に嬉しいことです。そのことによって、やがて光汰朗やポニョちゃんのような可愛い子どもを授かるのですから。

 私もとっても嬉しいです。そしてこんないい娘と友だちになれたおはぎが羨ましいです。でもきょうは、ポコ汰も一緒に行きますから、さて結婚式場で驚くかな。できたら、モリキたちの前でも、あの笑顔でいてくれたら嬉しいなと思います。
 ミツ君、よろしくね。そして、モリキ! 本当におめでとう。お幸せに!

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