将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:お葬式

12070505 昨日の夜私の義弟が徳島からやってきました。
 今日叔母のお葬式に私と妻と三人で出かけるのです。雨だから大変ですね。義弟に会えるのもこんな用ばかりになりました。私の孫(おはぎの子ども三人)にも会ってほしいものです。

848d2ef7.jpg 昨日も私の妻に、「お葬式行ってきたの?」と言っていました。もうこの誰かが亡くなったという思いからは離れられないようです。
 私の年下の友人がパソコンを購入して、それでブログを書いてくれています。それを読んで、とっても嬉しいです。そういう友だちが何人も出てきました。そして何人もの友人たちはみなブログを書いていてくれます。
 写真はここの玄関から見た昨日の朝8時12分の景色です。(03/03)

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2009/02/07 11:47今北浦和に向かっています。小道のおばちゃんの葬式です。いくつものことを思い出しています。もうあの時代から、遙かな時間がたちました。
 きょうは、長女家族4人と私たち夫婦で、買い物にいくつもりでした。でもそれは、無理になりました。私が60歳ですから、あの時代から40年が過ぎているのですね。
2009/02/07 11:55でもでも、いくつもの懐かしい思い出の中で、いままたいくつものことが甦ります。小道のおばちゃんと最後に会ったのはいつのことだったでしょうか。
2009/02/07 12:43今葬儀会場に入りました。おばちゃんの遺影の写真を見て、ただただ懐かしく思い出します。もう、遠い遠い日なんですね。
 北浦和から葬儀会場まで歩いてきました。懐かしく思い出されることばかりです。路がバス代値上げ阻止闘争(1967、8年)の頃はまだなかった道です。

 そして以下も書いているのですが、多分帰りの電車の中でしょう。

 あ、でも、違うんだ。鎌倉行きたいな。いつも飲んでいるなあ。

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 1月11日に、兄より、私の母方の従兄の横田千之さんが亡くなったという電話が入りました。横田千之さんは、私より10歳年上ですから、昭和13年生まれです。
 私の母は4人兄妹で、兄と弟は亡くなりまして、私の母も一昨年夏に89歳で亡くなりました。
 それでお通夜が1月17日の午後6時からで、告別式は18日の午前11時からで、葬儀会場は取手市のやすらぎ苑というところでした。
 私はすぐにインターネットで調べると、この「やすらぎ苑」は取手市といいましても、地図で見ると、いわば我孫子市の真北の位置になります。
 私の兄と弟は、18日は用があり、それで各奥さんと一緒に17日のお通夜に出かけました。私のほうは、17日は デイサービス「わが家」での家族交流会 で18日の告別式に行くことにしました。
 それで、18日に朝9時少し前に私は出発しました。それが  今王子駅で乗りました のケータイでのUPと、そのあと電車の中で、ポメラで書きました 18日の朝から夕方まで、電車の中でポメラを打ちました  の記録です。
 ただ、私はつくばエクスプレスに常磐線の北千住駅から乗り換えたのはいいのですが、守谷で降りるところを、忘れまして(本を読んでいたのです)、そのまま急行だったので、つくばまで行ってしまいました。
 でもあわてて戻りまして、守谷に到着し、弟から南守谷駅のほうがいいと聞いていたので、関東鉄道で、南守谷駅まで移動しました。
 でもいわば初めて来た駅です。駅前には、タクシー乗り場もありません。それで、駅員に聞きますと、そこの青電話の上に書いてあるタクシー会社に電話することを言われました。
 すぐに、タクシーが来てくれて、11時10分前に葬儀会場につきます。
 思えば、この森谷というところは、私の家族が札幌から名古屋に来るとき、私が小学校2年の1月頃、父の親戚の家がここにあり、来たことがありました。その頃も、いい住宅街だと思ったのを覚えています。思えば、あれは昭和31年くらいのことかなあ?

 会場に入って、従兄の写真を見つめます。どうしてもこの従兄の千ちゃん(私たちは、この千之<せんし>さんを、千<せん>ちゃんと呼んでいました)のことがいくつも甦ってきます。私が大学2年の12月(1967年)に、我孫子の自宅から埼大のある北浦和に引越したときに、この千ちゃんが手伝ってくれました。
 千ちゃんが、私の新しい下宿で、私の本を何冊か読んでいたのを思い出します。「なんだか、この周二は、反日共系の活動家でもありそうだが、でも『孫子』とか『呉子』とかもあるし、右翼の本もあるなあ」なんて思っていたことでしょう。
 思えば、その1カ月も経たないうちに、私は東大闘争の安田講堂で逮捕されることになるのですが、そのときにも下宿を取り調べに来たデカも、私のことを、「どうも変だな、右翼の本がある」と考えたようです(あ、これは私の読む本を「右翼の読む本だ」と思ってしまう情けなさですが)。

 その後は何度か親戚の集まる席ではお会いしたものでした。私にはただただ真面目に農業に勤しんでいる千ちゃんでした。
 千ちゃんは、県会議員の長く勤め、でも癌に罹っていることから、県会議員を辞め、でもそのあとは養生すればいいのですが、今度は農業組合の仕事で、日本全国を飛び回っていたようです。
 でもその癌が、今度の事態になりました。ただ、最後まで、実に千ちゃんらしい生きざまでした。自分の死を悟り、最後まですべてを整理し、すべてを言い残して逝ったようです。

 ただたた、私の従兄千ちゃんの魂に、今も合掌します。さようなら。

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9ed7f364.jpg 昨日の義母の心配事って判らないのです。とにかく、いつも自分の母親、父親の葬式があったのかとばかり聞いてきています。妻が遅く帰る日は、必ず山口へお葬式に帰っていると思い込んでいます。
 写真は、この家にある小鳥の人形です。これはそもそも何なのかなあ。(11/26)

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 きのう午後2時少しすぐに、私のケータイに友人から電話がありました。でも私はそのときに出ても話せませんでした。あるところで、ある手続きのまっさい中だったのです。
 それで、そこでは話せないことをいいまして、しばらくして外へ出てこちらからケータイをしました。ただそこで、聞いたのが、友人の李讚輝さんが27日に亡くなったことだけです。

 そのあと、すぐに電話すると、本日30日午後6時からお通夜があり(このときには、その連絡だけで、あとでFAXをくれるということでした)、明日11時からお葬式です。

 なんだか、彼李さんのことを思い出していました。いくつも思い出が浮かんできます。思えば、最後に実際に会ったのはゴールデン街の「ひしょう」でかあな。
 彼は実際の年齢は私よりも2つ上だったと思いますから、60歳だったのかなあ。もう髪が真っ白だったですね。
 とにかく、今もまず合掌します。

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