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 11月30日に、この本を持ってでかけましたので、電車の中で読み終えました。

忍びの者をくどく法
 大坂の豊臣氏が滅んだときを舞台にしています。城内にいるお女中の一人が忍びの者といい仲になります。
 城が最後落ちるときに、このお女中のお阿茶は、この忍びと城から逃げます。お阿茶は、忍びの背負われてしがみついています。この忍びはどうやら猿飛佐助のようです。きっと二人にひっそりと生きていくのでしょう。


かげろうの女───右大将道綱の母───
 私は「蜻蛉日記」は、昔から好きでした。そして田辺聖子の書く蜻蛉日記もいいです。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50927378.html 周の雑読備忘録「田辺聖子と読む蜻蛉日記」

 でも蜻蛉(この女性をこう呼んでしまいます)の次の歌はいいですね。

   なげきつつひとり寝る夜の明くる間は
     いかに久しきものとかは知る

 でもこの蜻蛉の夫である兼家の描き方はいいです。こんな自分勝手な男だったのでしょうね。でも大変に魅力があります。


あとがき
 田辺聖子は、「蜻蛉日記」のことを次のように言っています。

 これは哀切でやるせない私小説であるけれども、見方をかえると、ものすごいユーモア小説である。それが私のパロディ欲をそそった。 <荘厳と滑稽は紙一重の差だ> とナポレオンもいっている。『蜻蛉日記』はどんなにでも深刻に現代語訳できる古典で、事実、そんなのを好む人も多い。

 また、兼家について、このように言っています。

 兼家という男にピントを会わせればユーモア小説になり、蜻蛉という女にピントを合わすと深刻な悲劇の、 <女の一生> ものになる。私はユーモアのほうが好きだから、男にピントを合わせた。

 うん、だから面白いのですね。

 最後の解説で、池内紀さんが次のように言っています。

私たちはいつも、つい「この時代」に生きなくてはならないと思いがちだが、それはそう思い込まされているだけであって、これらの主人公が手本を示しているとこり、勝手に、自分の好きなように時代を選びとって生きることもできるのである。

 これは私にいいことを教えてくれてくれました。

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