将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:くしゃまんべ

10091807  くしゃまんべの竹内正則さんからのコメント にさらにコメントをいただきました。

1. Posted by 竹内   2010年09月23日 22:04
ありがとうございます。
お教えいただき感謝です。

メアドと電話番号削除ありがとうございます。
自分を名乗らずに質問をする事に抵抗があり、
つい書いてしまいました。
恐縮です。

そうですか。1968年、昭和43年にはまだ大型遊具は無かったのですね。
今日、中央図書館に行って航空写真を見てみたら、
昭和28年の柳田公園北側に大きいベンチというか
台のようなものが見受けられました。
きっとそこが演台代わりになったのですね。

昭和48年に桜の植樹があり、
その時には大型遊具があったと聞いておりますので、
その間に設置されたのですね。

当店はお客様の8割がお一人様です。
日本酒はまだありませんが、変な古書、
ビール2本まで、などございます。
ぜひぜひ遊びに来てくださいませ。ぺこり。

重ねてご教授感謝申し上げます。

  本当にありがとうございます。メルアドと電話番号の削除のことをご理解いただき、ありがとうございました。私の 周の掲示板 にも幾人もの方が書いていただいていますが、そこでも削除しなければならない書込があります(ああ、これはいい普通の書込ではなく、ひどい書込のことです)。実に困ったものです。
 ただし、私のほうはIPアドレスが分かりますので、明らかに、「これは犯罪だなあ」と思えるときには、それで相手を特定できます。このことは私のこのブログでも同じです。
 でも実は、ここのブログは開設したときから、実に3年11カ月に渡って、海外のプロシキサーバーを使ったコメントがありました。一日に4、5回で、その1回につき最低3回くらいのひどい書込があります。それが実に毎日続きました。この相手のプロシキサーバーは、もう全世界に及びました。
 私はもう実に嫌になり、そのプロシキの一つのスウェーデンのサーバーに英文で、「これを止めさせてくれ」というメールを書きました。何の返事もありません。別に誰も管理していないのでしょうね。
 私はもう、ここのサイドバーに置いてあるサイトから、こうしたプロシキサーバーを告発し続けました。多分、相手はこれでどこも使えるところが無くなったのだと思います。4年目にはそうした書込は無くなりました。なんという無駄でしょうか。でもひどい情熱ですね。私を憎む情熱でしょうか。でも私にも相手を粉砕する情熱がありました。
 私のあるクライアントの若い社員が仲間3人と音楽関係のサイトを作って、懸命にやっていました。実にいいサイトでした。だがあるときに(数年前のこと)、そこの掲示板にひどい書込がありました。私はすかさず削除することをいいました。そうしたら、その彼は、3人でやっているので、この書込は削除するかどうか検討してから、そう決まったらやるとの応えでした。みんな別な会社に勤めるサラリーマンです。こんな流暢なことで、対応できるわけがありません。でも3人全員で決めることが民主的で正しいと思っていたのです。
 でも当然対応できなくて、もう止めました。この止めることも全員で協議したようです。実にいいサイトだったにの、実に嫌になります。もちろん、こうして妨害してくる奴が一番いけないのです。でもそれを粉砕して貫徹することは大切なことなのです。
 今も彼らは、「インターネットは怖い」という印象ばかりでしょう。でも自らを守れなかった彼らもいけないのです。

 柳田公園が整備されるのですね。もうすぐ工事が始まって、来年3月にまったく生まれ変わった姿を見せてくれるのでしょう。そのときには3番目の孫もよちよち歩けるでしょう。私じいじと歩いています。
 そのうちお店にも行きます。誰かと一緒に行きたいものです。

10091803 私の 2010年9月22日のポメラくしゃまんべの竹内正則さんから、以下のコメントを頂きました。ありがとうございます。4時2分に書き込んでいただいたのですが、私がメール電話番号を隠しまして、再び4時32分に書き込みました。竹内さん、申し訳ありません。私のサイトはどうしても嫌な輩が見ていますので(もちろん、ほとんどはいい方々ですよ)、メールや電話番号を書くのは避けていただきたいのです。
 それで竹内さんには、以下の内容のコメントでした。

1. Posted by 竹内正則   2010年09月23日 04:02
周さま

こんにちは。
はじめまして、豊島1丁目で古書カフェ店長をしております竹内と申します。
先ほど、ブログ内のメールはこちらという記事中からメールしてみたのですが、エラーになってしまったようなので、
こちらに失礼いたします。申し訳ございません。

ブログの2005年12月17日記事、
「3・28王子野戦病院闘争」を拝読させていただきました。
貴重な歴史のお話をありがとうございます。

私、記事中に出てまいります柳田公園の事で調べ物をしております。

現在、柳田公園に残る、不思議な形の「すべり台付き大型遊具」が、
いつ設置されたのか?何故あのようなデザインなのか?
という謎を追っております。

記事の当時、王子野戦病院闘争で集会があった際に
あの大型遊具は存在していたのでしょうか?
もしご記憶ございましたら、ご教授いただければ幸いです。

もし当時存在していたのであれば、
集会の演台のような使われかたなどをしたのでしょうか?
非常に興味深く関心を持っております。

お忙しいところ勝手申し上げ、誠に恐縮です。
もし、お時間のある時で結構です。
お教えいただければとてもうれしいです。
どうぞよろしくお願いいたします。

東京都北区豊島1-7-6
竹内正則
(ここのメールアドレスは周が隠しました
03-○○○○-○○○○)

 ええと、私もこの自分の「ブログの2005年12月17日記事」の「3・28王子野戦病院闘争」を今読んでみました。でも自分のその記事を探して読むのにも、ものすごく時間がかかりました。もう私もじいじで阿呆なのですね。探すのに一苦労です。
 それで、あの当時は、あの「あの大型遊具」はありませんでした。集会は北側を演台のようにやっていましたね。1968年の3月28日は、実に大変な闘争でした。今でも、あのときの闘争のことを、偶然聞くことがありますよ。あのときには、王子駅前での戦い(このときは私は野戦病院正門にいました)はもう市民の方がものすごいものだったようです。それでけっこう機動隊相手に戦われた市民の方の話を聞きます。もう60代、70代の方ですが。
 私はいつも柳田公園を通りますが、あの公園のレイアウトや遊具の並べ方は、「もうここでは集会をやらせたくないのだろうな」と思ってきました。でも本当のところはもう分かりません。もう王子闘争も遥かな昔になりました。
 あのときは私は大学1年生で19歳でした。今は62歳ですから、はるかに時間が経過したのですね。住みましたところも、その後あちこちに住んだものです。そして今はこうして王子に来ました。結婚したときも、一時王子にも住んでいたものです。思えば、生まれた二人の娘も結婚して、長女には孫が3人でき、次女には今年11月に女の子が生まれます。
 貴店も毎日あの前を通りますよ。中に入って飲みたい思いもあるのですが、でも私だけでは仕方ないしなあ、と思ってしまいます。

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