将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:さくらももこ

 きょう発売のりぼん2月新春特大号に載っている「ちびまる子ちゃん」が最高に面白いです。

 その77・「まる子 毛糸のパンツをいやがる」の巻

という題名になっています。

 まる子「毛糸のパンツなんてもうはかないよ だれもはいていな
    いもん」
 おかあさん「べつにいいでしょ ほかの人がはいていようがはい
      てなかろうが あったかいんだから あんたは小さい
      んだから よけいなこと気にすんじゃないの」
 まる子「いやだよ たまちゃんやお姉ちゃんもはいていないんだっ
    て言っているもん わたしだけはいているなんて みんな
    にバレたら大恥だよ」
 ヒロシ「なんだよオレなんか町内の旅行でモモヒキはいているの
    みんなにバレたけど ぜんぜんはずかしくなかったぜ」
 まる子「モモヒキならまだいいよ 毛糸のパンツだよ パンツが
    毛糸でできているんだよ よく考えたらヘンだよアレ」
 ヒロシ「ぜいたくな話じゃねェか」

11033015 まる子は幼稚園にいるときから、こんな感じである。でもこんな思いではだれにでもあるのじゃないだろうか。本当をいえば、ヒロシだってあったはずなのだ。大人になるということは、恥をだんだん忘れていくことでもある。「さるのこしかけ」によれば、このまる子が大きくなったさくらももこは、夫のガラパンを毎日はいていてもうそれを恥と感じてはいない。この巻は、よく誰もがもっている子どものときの感性を描いていると思う。 これはまる子だけが特異なのではない。あの恥なんかなにも感じないようなはまじが、花輪君の家に招かれて、靴下に穴が空いていて、それが恥ずかしくて椅子に座りっぱなしのシーンがある。はまじですらそうなのだから、子どもはだれもこんな思いに深く悩んでいることがあるのだ。だけどヒロシはもう忘れてしまっている。ほとんどの大人はそうなのだろう。さくらももこの感性が優れているのは、こうしたことを鮮明に思い出させてくれることにある。
 今後もさまざまに「ちびまる子ちゃん」をもっと眺めてみたいと思います。 それから1月14日「ちびまる子ちゃん」第10卷の発売です。映画もありますね。(1992.12.29)

92-10-19 23:35:36 TR通信・28
TR通信28  まんが家になりたい

 おお、いい子だなと思いました。ウチの下の子も漫画家になりたいと言っています。柏東口の画材屋さんへ行くと、こんな漫画家志望なのだろうなという子がたくさんいますね。

 私は、この子には、学校に行った方がいいと言った。勉強なんてしなくてもいいから、好きなまんがを沢山見たり、漫画の足しになる映画や美術を見る時間をつくるために学校に行った方がいいという返事を書いたのだ。
 そういう事は、この子がアニメの仕事にたずさわった時に、きっと役に立つ、本当は学校の勉強も役に立つが、それは、この子が必要とした時に取り返せる。とにかく、気持ちをのびやかにするようにだけ言った。それが、最良の返事だと考えたのだ。数年後に、ひとりのアニメータが育ってくれる事を、私は願っている。

11032807 私もまったく同じに思います。アニメ専門の学校のほうはあとからでも間に合うのだ。それよりたくさんいろんなこと見たり、調べたりしたほうがいい。それからやはり文章書いたりするのも大事だと思う。学校の勉強も、さまざまいいことを教えているほうが多いんだけどね。こどもの見ている「りぼん」見ると、やはり伸びる新人はさまざま基礎的な勉強はしているように思います。
 さくらももこだって、最初の最初は目がきらきらのおひめさま的な漫画書いていたんだよ。ところが、あるとき、高校のときだけど、現代国語の作文で、日々のことをエッセイ風に書いたら、これぞ「現代の枕草子」なんて褒められて、それでそのエッセイをアニメにしたらって思い付いたんだ。ただたんに、アニメだけ書くことだけやっていたら駄目だったと思う。「ちびまるこ」の昭和40年代の描き方なんか、よく覚えていると思うな。あれはあの時代を、たとえば中学高校時代だってかなり真面目に見つめていたんだと思う。
 いやこんなこと書いても仕方ないけど、こんないい子はそのまま頑張ってほしい。

11032508書  名 さくら日和
著  者 さくらももこ
発行所 集英社
1997年7月20日第1刷発行

 さくらももこの作品は、漫画もエッセイもすべて読んできました。新刊が出て、私が手に入れていないと、娘から注文が入ります。
 このエッセイでは、さくらももこの離婚のこと少し語られます。私たち家族にとっては、ご夫婦含めて親しい感じがしていたものですから、「どうしたのかな?」と気になっていました。でも、ほんの少し判ったような気がします。
 今回のエッセイでも、やはり父ヒロシが面白いのです。私の長女は店頭で立ち読みしていて、声をあげて笑ったようです。
 吉本ばばな(彼女はももこと親友のようです)がヒロシに会ってしまうところが圧巻です。なんと父ヒロシは吉本ばななを知らないのです。

  いつまで経っても父ヒロシが来ないので、もう一度呼びに行く
  と、モタモタとトイレから出てきて「よう」と呑気に私に声をか
  けてきたので私は「”よう”じゃないよアンタ、今、吉本さんが
  来ているんだから、ちょっとあいさつに来てって言ってるじゃん」
  と言うと父ヒロシは「お、吉本さんってアレか、果物の」という
  ので「そうだよ、ばななだよ」と、ヒロシにしては果物というと
  ころまでよく覚えていたと一瞬感心したが、考えてみれば今朝ま
  で「ばななさんが来る」という話題でもちきりだったのだから、
  正式に果物名まで覚えていないヒロシはやはりどうかしている。
  私がヒロシを連れて来たとたん、ひと目見るなり吉本さんは本
  人の前で大爆笑だったのである。        (「ヒロシの調子」)

 やはりこんなヒロシが私は一番好きです。「ちびまる子ちゃん」の父ヒロシとまったく同じではないですか。
 私は世界がどんなことになろうと、こうした姿でいるヒロシをいつも想像していたいものです。
 このヒロシの姿が、実はさくらももこの姿でもあるように私には思えます。
 なんだか電車の中ですぐに読み終わってしまったものです。(1999.09.20)

11022508 さくらももこ『ヒデじいのお見舞いにいく』ティーカッププードル さんにに以下のコメントをいただきました。

1. Posted by ティーカッププードル   2011年02月21日 15:55
 ちびまるこちゃん、大好きで〜す・・。

 ありがとうございます。私はいつもこのちびまる子ちゃんが好きで、実は最初の巻を買ったときに大変なことになったものでした。
 私は手に入れた日に横浜の二俣川の友人のレストランの飲み会で、来てくれた後輩の女の子の娘さんに、この巻をあげたのでした。でもその後、この最初の巻はどこでも売れ切れで大変でした。二人の娘には、「まだ手に入らないの?」と責められ、大変でした。たしか5日後くらいに、どこかでやっと手にれたものでした。
 だから、こうした巻は2巻手に入れるようにしたものでした。
 私は、私の友人に誰にも、この『ちびまる子ちゃん』を推薦していましたから、テレビ放送のときには、誰もが見ていてくれました。私の友人の男性・女性、その奥さん、旦那さん、それに、息子さん、娘さん、みんなです。
 ある息子さんなんか、小学校低学年の子どもでしたが、みんなの前でこの『ちびまる子ちゃん』のテーマソングを自然に唄ってしまい、そこでは先生はじめみんなに笑われましたが、みんながこの番組のファンになってくれたようです。

11022102 まんがの『ちびまる子ちゃん』の登場人物は私にとって、みな興味深い人たちなのですが、ヒデじいのこともいつも私は気になってきました。そのヒデじいの過去があきらかになるお話です。これはもうコミックス版に収録されています。

題 名  ちびまる子ちゃんその93、94「ヒデじいのお見舞にいく」の巻
著 者  さくらももこ
発行所  集英社「りぼん」1994年9月、10月号

 花輪クンのうちの執事のヒデじいが夏バテで寝込んでしまい、まる子とたまチャン、はまじ、永沢くんがお見舞に行く話です。そのお見舞の席で、花輪クンがヒデじいの過去をみんなに語りはじめるのです。
 ヒデじいはなんと、この花輪家に45年も勤めているのです。花輪クンのおじいさんに使えていたのです。そのおじいさんは弁護士兼大地主でした。私の想像ではヒデじいは弁護士おじいさんの秘書兼執事兼代書屋みたいな存在だったようです。23歳で大学を卒業したばかりの春、この家にやってきました。
 さくらももこが私より17歳下で、まる子はももこだと考えると、小学3年生であるのは昭和50年になります。そうするとヒデ23歳というと昭和5年のこととなります。93話では、ヒデとトシ子さんという女性との恋が少し語られます。なんと若き日のおヨネばあさんも出てきます(でも、このおヨネさんが登場したのは漫画では初めてのことです。おヨネばあさんは2世帯住宅のコマーシャルでまる子と友蔵といっしょに出ていた)。 さてこの恋がどうなるのかが94話の回になります。ちょうど日本はまさしく戦争への道をひた走っている時代です。いったいどうなるのでしょうか。

 私はこのヒデじいのような人が一番好きになれるのです。きょうのことしか考えずひたすら自分の仕事をもくもくとやりとげようと努力しているヒデじいというような感じがしているのです。
 さて94話では、ヒデはトシ子さんと結婚します。

 昭和5年春───
 ヒデ24歳
 とし子19歳
 若い2人の門出であった

 まる子やはまじは喜びます。トシ子さん20歳のときの写真を見て、とても美人なのでみんな声をあげます。
 昭和6年に春にはヒデ夫婦に娘が生まれます。「春子」と命名します。この春子はこのまる子たちが生きている昭和50年(計算するとそうなるはず)には、もう43、4歳になっています。

 春子は元気に  素直に  すくすく大きくなっていった
 ヒデはとても幸せであった
 とし子「ほら  おとうさんよ  おかえりなさい」
 ヒデ「ただいま」
 愛する妻と可愛い子供に囲まれて平和な日々をすごしていた

 ところが、やはりこの昭和は戦争の時代であるわけです。幸せなヒデ家族の姿を思い浮かべていたまる子やたまちゃん、はまじ、永沢くんも、この「戦争」という言葉に茫然としてしまいます。

 昭和18年
 ついに  ヒデのもとへ赤紙が届く  ヒデ37歳  妻32歳
 「とし子  今までありがとう」
 「春子  おかあさんの言うことをよくきくんだよ」
 娘春子は11歳であつた

 ヒデは南方戦線に出征したようです。島で若い戦友と二人で敵陣に迷い込んでしまいます。この光景はちょうど大岡昇平「野火」「俘虜記」を読んでいるような気になります。米兵に見つかって「ホールドアップ」をかけられ、死を覚悟しますが、その米兵が地雷に触れて倒れてしまいます。その米兵も死ぬ直前に写真の恋人か妻に別れを告げています。

 Good……bye Mary……
 ……I love……you forever………

 もうヒデもこの死んだ米兵も誰も戦争の意味なんて分かっていません。はやく終ってくれればいいのです。ただここらへんの描き方は、著者の思い入れなのだなと思いました。ヒデには戦争が終るのがもうそろそろだということが分かっているようです。これにはまた違う思いもあるように思います。戦争が無意味だとか、いつ終わるとか何にも疑問を抱かなかった若者が大勢いたように思うのです。
 やがて戦争が終り、ヒデの死を覚悟していたトシ子と春子のもとに帰ってくることができました。おそらく多くの日本人と同じく、これからヒデはまた懸命に働いていくことになったのでしょう。

 まる子「よかった ヒデじいはもうずっと家族みんなでいられる
    んだね  一生はなれないで」
 ヒデじい「さくらさん 一生はムリですよ  娘は16年前に嫁に
        行きましたし 妻は10年前に亡くなりました」

 トシ子は「幸せでした ありがとう」といって亡くなりますが、もうヒデは生きる希望を無くしてしまいます。そのときにヒデを救ってくれたのが、花輪クンの誕生でした。ヒデは花輪クンの世話役をたのまれることことにより、生きる目的と希望をもっていくのです。花輪クンの誕生を

 私を助けてくれる天使が現れたのです

とまでヒデじいはいうのです。このことは花輪クンも始めて聞く話のようです。花輪クンは誰も見えないように涙をこぼします。あのキザな花輪クンにもこうしたシーンがあるときがあるのです。ただし彼はそうした自分の姿を友だちにはけっしてみせようとしません。
 こうしておっちょこちょいのはまじも、暗い永沢くんも、みんなヒデじいの話を聞いていきます。どんな子どもにも判ることっていくらでもあるのだと思います。子どもたちに大人が出逢ったさまざまなできごとを教えていくのはいいことなのだと思いました。
 また花輪クンとヒデじいが出てくる時に、まる子たちも私たちも優しい気持で見つめていくことができるように思います。(1994.09.08)

2017010920
2017010919

10123114書  名 ちびまる子ちゃん
著  者 さくらももこ
発行所 集英社

「りぼん」に連載されていた漫画でした。もう連載は終わっています。我が家では、「りぼん」に連載のころから皆で注目しだし、単行本になったときにも早速購入しました。テレビ放映になったときにも、全員で懸命に見ていました。
我が家の年賀状に次女が小学2年生のときに「ちびまるこちゃんのようなマンガをかきたい」というコメントを書いて、いろいろな私の友人家族から、「ちびまる子ちゃんって、何?」なんて質問されたものでした。それで私の友人たちもテレビ放映されるときには、注目して見ていたようです。
この漫画の中についてはいくつも書きたいことがあります。ここではとくに父ヒロシとおじいちゃんの友蔵のことを書いてみます。

この漫画のなかで、私の好きな人物を順にあげると、

父ヒロシ
おじいちゃん友蔵
母すみれさん
ハマジ

ということになるでしょう。ちびまる子そのものはあんまり好きになれません。

まず、ちびまる子の父「ヒロシ」ですが、このおとうさんは何なのだろう。まずなにを商売にしているのだろう。誰もからよくきかれます。「答えは八百屋です」ということにしていますが、これでいいのでしょうか。この答えは作者自身が言っているのだけど、あの漫画をみているとどうもそう思えません。
作者は野菜とか、店風景かくの面倒だからといっているのですが、実はいまどうしょうかと考えているのではないかな。「あんたねえ、このワタシがそんなこと悩んでるわけないじゃん」という、さくらももこの声がきこえる気がしますが、やっぱり私には、あのヒロシはサラリーマンなのではないかな、なんて思えてしまいます。テレビの「ちびまる子ちゃん」では、やってきたヒロシの年下の同僚と屋台で飲むシーンがありました。あの同僚の愚痴とかヒロシのなぐさめかた考えると、やっぱり「地道な八百屋」とは思えません。「地道なサラリーマン」なのではないかのかな。
ところでこのヒロシ、昭和ひとけた生まれです。私は、よくこの世代と東京でも、私の住んでいるあたりでもそうなのですが、ディスカウントショップで遭遇したものでした。よくいろんなもの買い込んでいますね。やっぱり青春がなんにもない時代だったからなのでしょうか。
おもえばこの昭和ひとけたとは、いろいろなところでぶつかりあいました。むかし学生運動やっているころもよく飲み屋で喧嘩になりました。特攻隊にあこがれたひとたちがいちばんうるさかったものです。よく喧嘩して、何度も何度も言い合ううちに親しい友だちになったひとも何人もいます。言い合いして、「俺のうちへこい」といわれ、ついていくと、予科練のその時代の写真いっぱい見せられたことあります。この先輩は特攻隊でいっちゃったんだとか、俺はいまこうして生きているんだとかいろいろ話しましたね。でも私は私の主張をやめません。それがよかったんだろうけど。
ヒロシは、水洗トイレをうけつけない。ディスコをデスコという。

「ばかぬかせっ。水洗便所ほどケッタくそわるいもんはないぜ ありゃ  クソが水にまきこまれて苦しみながらながれていくじゃないか おまいはあんなもん毎回見たいのか。このヘンタイ」(「ちびまる子ちゃん」第1巻)

「デスコ? おまえデスコにいこうっていうのか」
父はディスコといえない。“さすが昭和ひとケタうまれ”とみょうに納得してしまった。(「ちびまる子ちゃん」第1巻)

  まる子は「おとうさん」といわない。「ウチのヒロシはね」なんて喋る。まる子とは友だちのようだ。

父ヒロシは、昭和九年に清水市で生まれ、それから何十年もその地で育ってきた。子供の頃から呑気者で、別に何のとりえもなく、他人から憎まれもせず誉めるられもせず、また他人を特に憎みもせず、ただただ酒と魚を食べて生きている男である。(「たいのおかしら」)

このエッセイのこの書きだしを読んだだけで、私は「いいな、いいな」と思ってしまうのです。私もできたら、こんなふうに描かれるような存在になりたいなと思います。

相変わらずヒロシは大笑いもせず怒りもせず、気ままに生きている。『ちびまる子ちゃん』に描かれるようになってから、他人にまで「あ、父ヒロシだ」などと呼び捨てにされる事もあるらしいが、それでも平気で生きている。
母の話によれば、ヒロシは最近太ってきた様子である。腹が出てきて仕方ない、と母は力なく語っていた。腹が出ようが出まいが、ヒロシにとってはそんなことはどうでもいいのである。彼にとって一番の問題は、近所のおいしい魚屋が定休日 のときはどこで買うのがベストであるか、という事ぐらいなものなのだ。(「たいのおかしら」)

この父ヒロシは、このエッセイに書かれたことも一生知らないで過ごすかもしれないようです。私はそんなヒロシこそ、いい存在だなと思ってしまいます。誰だってきょうのことくらいしか考えずに生きられるなんていいことなのですよ。
たぶん戦中、戦後大変苦労していまの「さくら家」をつくりあげたのでしょう。まる子がなんといおうと、いつまでも毎日酒飲んでいってほしいものです。

おじいちゃん友蔵も大変愉快な人物です。さくらももこの本当のおじいさん友蔵は、作者にいわせれば、「祖父は全くろくでもないジジィであった」(「もものかんずめ」)ということですが、この「ちびまる子ちゃん」の友蔵は、作者も大好きなおじいさんのようです。
まる子の夏休みの宿題を家族が手伝って、おじいちゃんが日記を担当すると、

8月15日天気晴
けふは終戦記念日なので、私は目をつむり、感無量になりました。思へばあの日、父母とラジヲの前で(「ちびまる子ちゃん」第1巻)

と書いてしまいます。そうすると年はいくつなのでしょうか。生まれは明治40年くらいかな。戦時中に米軍の焼夷弾攻撃の中みんなを指揮して町の被害を最小限に防いだと死後、町で最初の「名誉町民」にされます(もっとも「おじいさんはただ逃げまわっていただけ」とおばあさんがバラすが)。とすると日中戦争くらいは参加したのかな、年金生活者だから軍人恩給をもらっているのかな、なんて思ってしまうのです。
いつもいつもまる子にだまされています。それでもまる子にかまわれるのがたのしいようです。この友蔵もまる子の友だちのようですね。

「サザエさん」とくらべると、さくら家は友だち家族なのですね。
子どもたち小さいときに、よく友だちがあっまったときなんか、この「サザエさん」と「さくら家」の家の間取りはどうなっているのだろうなんて話すことがありました。間取りだけでなく、いろんなところ、この二つの家族は対照的ですね。「サザエさん」の家族は、かろうじて家父長制を保っている気がします。「さくら家」だと、みんな友だちなんですね。わが家もみんなそんな感じです。(1992.06.25)

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10102616 私のブログのサイドバーに、Facebookのバナーを置きました。今朝起きたら何人もの方と「友達」になりました。
 ツイッターは日本語だと漢字を使えるのがいいのですね。欧米語も漢字も一字は同じなのです。そのことを「ニュースさとう」に書きました。
「読書さとう」で「さくらももこ『まる子 毛糸のパンツをいやがる』」を書きました。「子どもはだれもこんな思いに深く悩んでいることがあるのだ。だけどヒロシはもう忘れてしまっている。ほとんどの大人はそうなのだろう。さくらももこの感性が優れているのは、こうしたことを鮮明に思い出させてくれることにある」と私は書きました。私はさくらももこが好きです。吉本隆明と吉本ばななと島尾敏雄と同じくらい好きです。
 写真は、10月26日の午後1時12分の谷中の路で撮ったものです。ある骨董屋の前です。(10/28)

8d73f4e9.jpg「静岡県で震度6弱 伊豆諸島と静岡県に津波注意報」に書きましたように、私はこの 周の書評(さくらももこ篇) をすべて読み直していました。やはりさくらももこはいいですね。
 なんだか自分が過去書いたものを、読み直していて、また涙を流していました。
 思えば、このさくらももこは何度読んでも私はいつも実に何もかもが涙を流す思いになります。
 こんな朝の地震で、ちびまるこちゃんをものすごく思いだし、そしてまたさくらももこを再度ちゃんと読まなくちゃいけないな、と強く思いました。
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c4ef90a3.jpg 私も起き出してしまいましたように大きな地震でしたね。しかも前々から言われていた静岡県です。私が書いています 周の書評(さくらももこ篇)では、この地震のことそのものは書いていません。
 でもこの「ちびまるこちゃん」の漫画で、ももこの小学校の校長が地震訓練のときにある男の子の生徒を怒るシーンがありました。もうあれを読んだのは15年くらい前のそのさらに前でしょうが、静岡県って、こんなに地震に関してシビアなんだと思ったものでした。
 でも思えば、あの校長が正しいのですね。彼はみんな生徒を一番心配しているのです。いえ、漫画では怒っている顔ばかりが思い出されるのですが。
 こういうときになると、いつも真っ先に娘のことを心配してしまいます。誰も同じでしょうね。
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