将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:じゃじゃ馬日記

11090707「周の発言」のサイドバーの「周の掲示板」のバナーの下に、私の友人たちのブログページのリストが並べてあります。そのページが更新されるたびに、最新の更新ページ順に上から並び変えられます。
 ですから、ここで「NEW」がついたブログは、必ず私は見にいくようにしています。そして、そのページを見て「なるほどな」なんて頷いたり、「あ、これはトラックバックしようかな」なんて考えているのです。

 ところで、以下のブログで、私が気になることがありました。

  ウェスタ社長のじゃじゃ馬日記(現在はKumie'sBlogという名称になっています)

 いつも私は、この社長のブログは毎日感心して拝見していて、「やはり素敵な社長だな」なんていつも確認しているのですが、以下の書込みには、「これはちょっと言わなくては」と思ったものなのです。いえ、この川本社長の書かれた内容には問題は何もないのですが、私は以下の中で、出ていました。徳川慶喜の写真を見て、それがとても心に残ったのです。

  松戸市中小企業融資資金運営委員会

 再度いいますが、この文章の内容には、私は何もないのです。ただ、私は徳川慶喜の写真が気になったのです。というか、私はこの慶喜がどうしても嫌いなのです。許せないのです。

 慶喜は、水戸徳川家の第9代藩主徳川景山斉昭(烈公)の息子として生まれ、若くして一橋家の養子となり、徳川の最後15代将軍になって、大政奉還をして、いろいろありましたが、とにかく幕府は倒れます。そして慶喜はやがて駿府に移ります。晩年は東京に住んでいます。
 私は生まれは茨城県藤城です。本籍はずっと茨城県笠間にありました。私は「将門Web」と自分のホームページをなずけましたように、この故郷の下総(この下総とは、今の千葉県東葛地区だけではなく、茨城県の南部も含んでいました)で活躍していた平将門様が大好きなのです。
 私は自分の祖先は承平天慶のときに、この将門さまのもとで戦っていたと信じています。そうすると、明治維新のころはどうしていたかといいますと、それはもう当然に水戸天狗党として活動していたわけです。そして明治になってからは、加波山で爆裂弾をもって義挙する仲間であったし、その後は2・26で決起する兵士であり、そしてその後は、60年安保闘争での全学連主流派であり、そのあとは三派全学連であり、そして全共闘であったと思っています。

 そうした私たち水戸天狗党にとって、どうしても許せないのが、この慶喜なのです。水戸天狗党は、いろいろとありましたが、筑波山の蜂起のあと、やがて京都を目指して、中山道を長征します。辛い冬の雪の季節です。
 天狗党はあちこちで戦いながら、最後に越前敦賀で加賀藩に降伏します。それは天狗党が頼みと仰いだ慶喜が現れたからなのです(実際に天狗党の前に出てきたわけではない)。でも慶喜は、自分を頼みとするこの水戸天狗党を見殺しにします。
 このときは、慶喜は、自分も天狗党派と見られるのを恐れたのだといいます。だがために水戸天狗党のほとんどは、ここで刑死し、そして鰊小屋の中で惨めに死んでいきました。
 だが、このとき、天狗党の首領武田耕雲斎の孫の金次郎が、若年(18歳だった)ということで、刑を遠島ということで(実際には遠島にならなかった、明治維新になったからである)命存えます。この金次郎が、維新のとき官軍となって、水戸へ行き、今度は天狗党を殺した、水戸の門閥派、水戸諸生党を殺し始めます。金次郎のかぶる白いシャグマ(幕末官軍のかぶるやつ)は諸生党の血で真っ赤に染まっていたと言われます。
 敵である水戸諸生党は、当初は奥羽列藩同盟の軍に加わり、会津で官軍と戦いますが、会津藩降伏後、新撰組の土方のように函館へ行くのではなく、何故か諸生党だけは水戸へ帰ってくるのです。そこでまた水戸天狗党との最後の血戦、最後の殺戮戦が開始され、そして終ります。当然天狗党が勝利し、またさらに諸生党を根こそぎ殺し始めます。もうお年寄りも、赤子もすべて殺します。実は天狗党も先年、諸生党に、同じように、身内をすべて殺されているのです。
 このために、水戸には、今現在にいたるまで、優れた人材がいないと言われています。みな死に絶えたのです。みな殺してしまったのです。

 だが許せないのは慶喜です。このとき、両派の殺戮戦を黙ってみているのが、当時水戸に蟄居している慶喜です。私は声をあげていうのです。

  お前が何故出て行って止めないのだ。お前なら止められるじゃ
 ないか。

 私にも水戸天狗党の血が流れています。諸生党はやっぱり憎いです。でもでも、このときの殺戮戦はやめるべきです。絶対にやめるべきでした。そしてそれをできたのは、水戸斉昭の息子であった、慶喜ではないですか。このときもまた、慶喜がわが身だけが可愛いかったのでしょう。そんな男です。そんな人物です。
 だから私は嫌いです。大昔から嫌いです。彼の写真を見ても、彼のやったことを読んでもただただ不愉快な思いだけです。
 後年明治の終わり頃、慶喜はある新聞記者の問いに応えていることがあります。何故簡単に朝廷に政権を帰したんだという問いに、こう応えたのです。

  それは我が水戸藩には、代々神君家康公の遺訓が伝わっていた。
 「それはいつの日か、徳川宗家と、朝廷が戦うような事態になっ
 たら、水戸家はあくまで朝廷側に立つようにすること」というこ
 とであった。私はあくまで、水戸家に代々伝わるこの家康公の遺
 訓に従っただけだ。

 この話を読むと、

  隆慶一郎「影武者徳川家康」

をはじめとする隆慶一郎のいわれたことが本当に思えてきます。

 あ、それから、念のため。私はこの慶喜を、「ケイキ」とだけ読みまして、「よしのぶ」とは読んでいません。「よしのぶ」なんて誰がいいはじめたのですか。「ケイキ」という音(おん)の読みは間違いではありませんが、「よしのぶ」は判りませんよ。この字の本当の読みが判るのは、親父の徳川斉昭と、慶喜(ケイキ)本人のみです。このことはまた別に書いていきます。

 慶喜は大正2年まで生きています。大正2年というと私の父が生まれた年です。慶喜は写真も好きだったようですね。ほかにもたくさん趣味があって。
でも、政治にだけは一切関わりを持ちませんでした。
 彼は、聡明だと言われ、最初14代将軍の候補の最右翼でした。この一橋慶喜を推す勢力(一橋派)と紀伊紀州藩主徳川慶福を推す勢力(南紀派)が、それぞれ水戸徳川斉昭と井伊直弼を旗頭に対立しました。これに南紀派が勝利して、一橋派を弾圧したのが、安政の大獄です。
 このときが、慶喜は政治の恐ろしさをまず最初に感じたのではと思います。

 その後の歴史は、以下の通りでした。

元治元年(1864)
 3月 天狗党、筑波山挙兵
 6月 新撰組、池田屋を襲う(池田屋事件)
 7月 禁門の変
 8月 第1次長州征伐
 12月 天狗党、加賀藩に投降
慶応元年(1865)
 2月 天狗党処刑される
 4月 長州再征発令
慶応2年(1866)
 1月 薩長連合成る
 7月 将軍家茂、大坂城中で没
 8月 慶喜、徳川宗家家督相続
 12月 慶喜、将軍に補任される
慶応3年(1867)
 5月 兵庫開港勅許
 8月 「ええじゃないか」起こる
 10月 大政奉還。討幕の密勅下る
 12月 王政復古の大号令
慶応4年(1868 明治元年)
 1月 鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争起こる)
 1月6日 慶喜、大坂城を脱出、8日海路江戸に向う
 3月 五箇条の御誓文
 4月 討幕軍江戸入城、慶喜水戸へ蟄居
 9月 明治と改元
明治2年( 1869)
 5月 函館で、榎本武揚降伏
 6月 版籍奉還

 これだけの短い期間に、これだけのことが起きています。慶喜にとっては、実にその後の人生のほうが長かったことでしょう。まあ、誰もがいうことですが、決断力のない方でしたね。決断したのは、身内(武田耕雲斎と慶喜はとても親しかった)の天狗党を切り捨てることと、鳥羽伏見のときに、部下たちを見捨て、大阪から逃げることに関してだけでしょう。
 ただ、捨てられたほうは大変でした。今に至るも、私のように、そのことを怨んでいます。

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 私の「かにた婦人の村」を今思い出した川本久美惠 さんより次のコメントをいただきました。

3. Posted by 川本久美惠    2007年03月28日 22:20
11年10ヶ月お世話になった事務所の引越しでバタバタしていています。
引越しのあいさつ代わりに、じゃじゃ馬日記最終号を配布しようか(旧体制が虎視眈々としているそうですので)、となり、自宅パソコンにデーターがなく、久々に将門webを訪問し、ブログも拝見しました。
お嬢さんおめでとうございます。

「かにた婦人の村」読みました。
テレビで紹介され知っていたつもりでいましたが、分かっていなかった。

従軍慰安婦のこと、分かりやすく説明いただきありがとうございました。
この問題は、左右どちらの側の言い方も嫌悪を覚え、慰安婦にされた方々にただただ胸が詰まる思いのまま思考が停止してしまっていました。

 ありがとうございます。「旧体制」というのは、あの悪質な弁護士や会計士等々が多い連中とその尖兵でやっていた事務所ですね。私は、とにかく私があそこに存在することはそれらのの抑止力にはなっていたのかなあ、という思いでしたが、いつまでもそれにつき合っていられません思いでした。
 とにかく、私は自分の義母の介護が一番大事です。
 私の母は、私の義姉が実によく介護してくれています。もう私は頭が下がる思いです。そして、私のことを弟としてちゃんと遇してくれています。
 私のこの義姉のことで、私の長女おはぎが、「なんでまっちゃん(義姉は町子という名前なので、こう言われています)は、うちのパパと仲がいいの?」なんて聞いたことがあります。義姉は、「ああ、何でかしらね、でも弟だからよ」なんて言っていたような気がします。

 私の次女が結婚できて、もうとにかく感激感動です。あとは、夏に家族旅行で、全部で7人家族の旅行になります。
 でも過去の旅行のときは、ホテルで「じゃ、お風呂いこうぜ」と4人でわいわい行きましても、いざお風呂に入るとなると、妻・おはぎ・ブルータスは3人で入りますが、私は一人です。前に中伊豆に行ったときも、結局温泉には一人で入ります。それで、でも中に入っている人とお喋りでもしようかと思っていると、素敵な大きなお風呂なのですが、中に一人しかいなくて、しかもその人はすぐに出て、私はすぐに独りです。だから、身体を洗って、すぐに部屋に帰り、冷蔵庫からビール出して、独りでテレビ見て飲んでいました。そうすると、3人がにぎやかに帰ってきます。
 でも昨年夏の湯西川温泉のときは、おはぎの彼ミツ君もいてくれたので、温泉は男組が二人でした。
 でもでも、今年から、男組が4人になるのです。女組は、妻・おはぎ・ブルータスと3人のままですが、男組は、私・ミツ君・ナオ君、そして0歳のポコちゃんがいます。ポコちゃんも、立派なちんちんを持っています。これはものすごく嬉しいことです。お風呂のあとの酒が美味しいだろうなあ。

 私が 98-04-29かにた婦人の村と「噫従軍慰安婦」 で次のように書いた内容があります。

 ある方から以下のような書き込みがありました。

>大連においても、見境もなく女たちを襲うソ連兵の防波堤となって、
>市の有力者の懇請を受け、犠牲となって働いた女性たちがいました。
>彼女等の勇気有る献身が大和撫子を守ったのです。

 彼女たちの行動に限りなく敬意を感じます。そしてソ連およびスターリンをどうしても憎いと思います。私が学生のときに、三派全学連とともに行動していたわけですが、その中で彼らはマルクス主義共産主義を信奉しながらも、どうして日本共産党民青ではなく、三派系になったのかというと、このスターリン主義が許せないのだ、ということがおおきかったと思います。とくに日ソ不可侵条約を一方的に破り、我が日本の婦女子たちを強姦強殺したソ連そのものを絶対に許せないのだ、という言葉会話はよく聞いたものでした。私はマルクス主義は嫌いでしたが、こんな心情こそはまったく同じだと感じていたものです。

 このことを私に教えてくれたのは、昭和一けたの女性です。彼女とは靖国神社へ一緒に行ったことがあります。彼女と同じ昭和一けたの男性たちも大勢いたのですが、彼らは、靖国神社の遊就館で、ただただ涙を流している私のことが不思儀だったようです。なぜなら、その涙を大量に流している私が、彼らがいつも嫌っている戦後生まれの団塊の世代で、三派全学連、全共闘で実際に闘っていた私だったからです。そして彼らの多くは、靖国神社も私のようには好きになれないようでした。
 このときに関係の友人たちとは、他でも会いましたことがありますが(私が真っ先にオフ会をやりました)、大正生まれ、明治生まれの方とは、私は話が合うのですが、昭和一けたの方(の多く)とはどうにも、感覚が合わなかったものでした。

 でも川本さんの会社が御徒町に自社ビルを作られたのですね。おめでとうございます。地図で見ると、あのあたりもいいところですね。私は学生のときのアルバイトやその他のことでも、御徒町は親しみを覚えるところなのです。

 あ、それとスカイプはいかがですか。もうバージョンが3.0を超えて、もう実にいい内容になりましたよ。100人までの会議ができますから、たくさんの女性、多くのメンバーと打ち合せをするのには最適だと思いますよ。カメラで互いの顔姿を見ながら会議できます。たとえ、米国でも豪州でも英国でも中国でも御徒町でも、みな何時間でも会議が無料でできます(あ、でも会議は何時間もやっていては、そういう会社は駄目ですが)。
 このごろ、よくスカイプのことを聞かれています。いいことですね。嬉しいです。50代、60代の方とスカイプでお話するのは愉しいです。

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 私の「王子の周ちゃん」に、 川本久美惠のじゃじゃ馬日記 の川本さんから、以下のコメントをいただきました。

1. Posted by kawamoto    2006年10月29日 13:04
御茶ノ水を引き払ったのですね。
私も20才若い社長に会社を任せ、会長になりました。
ほんとうにお世話になりました。
ホームページは社長が更新するものだと、ホームページビルダーの使い方を教えていただいたおかげで、インターネットの楽しさを覚えました。

次々取り入れられる周先生のテクニックについていけずにいますが、諦めずに挑戦してみます。

会社のページは新社長の戦略に任せますので、これからは、ブログで会社を支援することを考えようと思っています。

とりあえず、私の仕事の経験を若い方に伝えるブログとしてエキサイトブログを試してみました。
カスタマイズするテクニックが必用です。

 ありがとうございます。そしてもっと早くレスしなければならなかったのですが、申し訳ありません。いろいろとやることが多くて、順番にやっていて、時間ばかりがかかっています。
 このブログにしても川本さんはちゃんとやる気持があって、ちゃんとやっておいでになります。ここで私は何度か少しぐづぐづ書いたことがありますが、インターネット上のホームページにしても、ブログにしても50代、40代でも少しもできない、やらない方がおいでになります。

   ちゃんとインターネット上で広報することが大事なのに、やろうとしません。そして口先だけでは、「もう、インターネットの時代だ」というようなことだけは言っています。でもその彼や彼女の実態はお寒いばかりです。
 スカイプも教えても、実際にやられたのは、50代以上では川本さんだけです。40代以下ですと、実際のビジネスや生活に使っている方がいます。建築や不動産の関係の方で、実際に便利に使っている方がいますよ。
 でも、私たちの年代のおじさんたちは何なのでしょうね。

 川本さんの、女性と仕事 を拝見いたしました。エキサイトは、画像をUPするのに最適なブログなのですね。私のサイドバーでリンクしているorigaさんが、日替わりスナップ というブログ で毎日素晴らしい写真をUPされています。彼は、浜松で教師を退職されて、今はこうして毎日写真をUPされています(実はorigaさんは、ホームページも他のブログも運営されています)。実は、彼はNHK教育テレビでも出演されたことがありますよ。

 私はちょっと画像が自信がありません。娘に

   あんな道端の石ころみたいな写真ばっかりUPしている

と言われています。「石ころで何が悪い!」と思っているのですが(口に出せないんだよなあ。なんせ、強い可愛い娘たちですから)。

 御茶ノ水の周さんが王子の周さんになってしまったけれど も読みました。ありがとうございます。ただ、こうしてブログが2つになると大変ですね。
 ただ、大変だとしても、うまくおやりになると信じています。

 スカイプは、携帯型のが出ているんですよ。パソコンがなくても使えるのです。でも9月末の売り出しで、すぐに売れきれました。なんとなく、私は面白くありませんでした。だって9月末は動けなかったのです。そこに「売れきれ」のニュースです。そして今度は12月入荷ということです。今度こそと意気込んでいます。
 おそらく、スカイプはもっと使う人が増えていきますよ。スカイプ同士の通話はもちろん無料ですが、NTTやケータイにスカイプからかけても、そのほうが通話料が少し安いのですから。

 あ、それで、王子もかなり不動産の建設ラッシュというところですよ。王子に限らず、この南北線のさらに北の川口も盛んです。実は私の自宅のある我孫子もとなりの柏もすごい動きです。ただただ驚いてしまいますね。

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 川本久美惠のじゃじゃ馬日記この記事 がありました。

知人が主催している≪喃の会≫という集まりで、某エレベーター会社の方のお話がありました。シンドラーのエレベーターの事故に関して「悪いのは誰か」という話がありました。(2006.06.17)

 やっぱりどこでもこの話が出るんだな、という思いです。そしてそこでみな何らかの判断を降していると思いますよ。

^貳岼いのはエレベーター製造会社
エレベーターはドアが閉まっていないのに動くことはあってはならない。
行政の入札制度
入札資格をクリアしていれば、後は、質の良し悪しは関係なく同列で金額だけで決めてしまっている。
メーカー系列の管理会社でない≪管理会社≫の管理
長期の管理での利益を想定し、メーカーはエレベーターでは儲けてこなかった。
独占禁止法違反だということで、外部の≪管理会社≫に部品の提供はしているが、微妙なノウハウは提供していない。
管理会社はメーカーのOBを採用してカバーしているが、最新の機械のことはわかっていないし、質にばらつきがある。

 この通りですね。私が シンドラー社「52基に欠陥プログラム」にも書きましたが、

ドアが完全に閉まる直前に「開」のボタンを押すと、ブレーキがかかったまま扉が開いた状態でかごが上下する欠陥がある

というのは、想像しただけで怖いことです。私がエレベーターでよく一緒になります小さな子どもたちや、明るく挨拶されるお年寄りには、私なんかよりも数倍怖いはずです。

港区の事故は管理会社が変わったばかりの死亡事故ですから、管理会社が悪いというのは、ちょっと違うと思うのですが、やっぱり、大手のエレベーターとその系列の管理会社に追い風が吹いていますね。

 私は友人にも、このエレベーター保守をしている人が何人もいます。毎日淡々と業務を遂行しているだけだと思いますが(割と地味な仕事だなという印象があります)、でも実に大事な仕事です。とにかく「事故をおこさない」ことです。「事故をおこさないように淡々と保守管理する」ことです。

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