将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:また別に書きます

2017073103  長く書いていないので、また別に書きます。大阪のもう一つの街とは十三の街です。
20170731122017073113続きを読む

20170519012017051907  このことを書いていなくて、再度書くの(付け加える)もどうかな、ずるいなと思いましたので、また別に書きます。特に私は「美容院」への思いを書きたいのですね。続きを読む

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 昔この「太宰治『走れメロス』」を私は中学2年のときに読んで、いや高校2年のときに読んでも、私にはこれは太宰治がふざけて書いていると思ったものです。
 以下がその最後の部分です。

 群衆の中からも、歔欷(きょき)の声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶かなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」
 どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、王様万歳。」
 ひとりの少女が、緋ひのマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
 勇者は、ひどく赤面した。
(古伝説と、シルレルの詩から。)


 もう今の私はこれを読んで涙が溢れてしまうのです。やはり、私には夏目漱石と太宰治が(あと一人は芥川龍之介が)この日本では最高の文学者です。これは紫式部・清少納言を含んでもです。
 それで以下に書いています。以下は、らんどくなんでもかんでも4の>以下<にありました。これを書いたほうがいいでしょう。

もうひとつの「走れメロス」…壇一雄「小説太宰治」より
14051202
ある時、小説の執筆のため熱海の旅館に逗留していた太宰でしたが、
手持ちのお金も尽きる頃だし、行って連れ戻してきてほしいと
太宰の奥さんから頼まれた壇一雄が、

幾らかのお金を預かって行ってみると、太宰は大喜び。
一緒に帰京するどころか、壇を引き止めて二人で飲み歩き、
挙げ句、とうとう有り金全部使い果たしてしまいました。
飲み屋のツケやら宿の支払も出来ないので帰るに帰れない二人。

そこで太宰は、東京にいた文学の師、井伏鱒二に頼んで、
お金を借りて、すぐ戻るから、
それまで壇にここで待っているように言い残し、
急いで東京へ向かいました。

ところが数日待っても太宰からは何も音沙汰がない。
とうとうしびれをきらした壇が、

料理屋や宿屋には事情を話し、支払を待ってもらい、
東京の井伏鱒二の家に駆けつけてみると、
太宰と井伏は呑気に将棋を指していました。

人の心配を顧みようとしない太宰に、壇が問い詰めると、
将棋を指しながら、太宰は一言。
「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」14051203
 けっこう今は私はこれをhtmlから書かないとならないので、大変なのです。それで今は以上でUPします。また別に続きを書きます。

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