将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:まっくまっく

12041306 周の歌集(周の「僕たちの唄」の「はじめに」)まっくまっくのプラムさんからの以下のコメントがありました。

1. Posted by プラム   2012年04月15日 22:25
周さん、お久しぶりです。
久々に訪問しました。
相変わらずお酒、飲んでいるのでしょうか。
お孫さんに囲まれて毎日賑やかにされているのでしょうね。その様子が浮かびます。
私ですが、結構なんだかんだと忙しくしてまして中々プログ更新できないでいます。今度、機会がありましたら是非お会いしたいです。

 もちろん今も毎日飲んでいますが、昔のようには腹いっぱいは飲んではいませんよ。今は一日カンビール2缶です。
 でも孫は、長女おはぎのところが三人で、これはものすごく可愛くて可愛くて仕方ないです。昨日も行ったのですが、昨日はうまくポニョには会えなかったのです。今日はもうしきりに会いたいです。
 そして次女ブルータスのじゅにももう可愛いばかりです。少し前に、ブルータスのお義母さんから、電話がありました。

  あんなに、毎日のように会っていたのに、もう今はおじちゃんが来ないので、今度来てください。

という内容でした。
 そうよね、じゅににも会いたいです。今のところ仕方ないのかなあ。でも今度私もじゅにに会いに行きます。

 プラムさんのブログは読んでいますよ。大阪へ行って、息子さんと街を歩いたのですね。素敵な写真を何枚も見ましたよ。
 大阪は遥かな昔行った思い出があります。今度義母の納骨で、神戸へ行きます。そのときに、お墓の前で、義父のこと、義母のことを、いくつも思い出すでしょう。

 私の友人の まっくまっく に行きましたら、4月19日のUPに「父が亡くなりました」という記録がありました。
 悲しいよね。82歳だったのですね。「父の娘で本当に良かった、又、来世も父の子供でありたい」というところで、また涙がでました。
 そのあとで、3月26日の「観て下さい」を拝見しました。この渡辺謙さんの「宮沢賢治『雨ニモマケズ』」の朗読を聞いて、また元気をもらいました。
 この詩は、私が小学5年生のときに、担任の先生から知りました。そのときから、私の大好きな詩になりました。私の好きな吉本(吉本隆明)さんもまた、宮沢賢治が大好きです。
 とにかく、このユーチューブをここに載せます。

08123101 まっくまっくに、このUPがありました。動画が二つあります。もう見ていて可愛いです。
 えッ、どうやって動画を撮るのかなあ? たしかデジカメかケータイで撮っているんだよね。私でもできるのかなあ? 私はセンスはないけれど、やる気はあります。あ、でも私は撮るものはないか。孫を撮るくらいですね。
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「一ヵ月半ぶりのパソコンですよ」に、この私のUPしていたご当人の まっくまっく のプラムさんが、以下のコメントをくれました。

1. Posted by プラム    2008年08月18日 11:33
毎日のようにお手紙書いて頂いてありがとうございました。
おかげ様で予定通り退院できました。家に帰って来たらリハビリを自分なりにやらなくてはいけないのに、やたら眠くて眠くてどうしようもありません。これではいけないと思い、今日から頑張ろうと思います。
体の方が落ち着いたら、一緒に食事でもしたいですね。

 どうして眠いのでしょうね。たぶん、入院生活というのは、何もしていないように思えるけれども、やっぱりかなり肉体も精神も消耗するのでしょうね。だから、そのぶん、肉体も精神も休みたい、眠りたいと思うのじゃないかな。
 私は今は昔のように一日4時間の睡眠で済んでいるわけではなくなりましたが、でもやっぱりまだそれほどの睡眠時間はとっていません。でも私のこの生活は、実はいつでも眠りたいのよ。だから、私の孫を眠らせようとして、私が添い寝をしていると、私のほうが先に必ず先に眠ってしまいます。
 これは、私は孫の前に、自分の子どもを育てるときに、よく経験したことなのです。娘がまだ小さいときに、隣で添い寝しているはずなのに、私がゴーッと眠ってしまい、娘が呆れて私を見ていたようです。

 思えば、なんでこんな具合になったのかなあ。私も昔少年の頃はなかなかすぐに眠られない神経の持ち主だったのですが、あるときから、すっかり変わりました。
 あのですね、会えるときになったら、そのときは、何かお菓子を持っていきますよ。ただし、その前に「このお菓子は食べられるかな?」というケータイメールを入れますね。

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 まっくまっく のプラムさんが、退院してから、始めてのUPをしてくれました。

14日に46日ぶりに自宅に戻って来ましたよ。なんだかんだ言っても、やっぱり我が家がいちばんね(^∀^)

 まずはおめでとうございます。私はあなたの入院を知って、驚きまして、そして7月4日から手紙を書き出したものでした。最初に以下のように書きましたね。

 あなたのブログの6月29日に、「長〜い病院生活」になるということが書
いてあってびっくりしています。長いというと、退院はいつごろになるのでしょ
うかね?
 でも間違いなく元気に退院され、また元気にブログを書いてくれることを信
じています。

 でも私がこうして書いていたことがそのまま実現されて嬉しい思いです。でも毎日手紙を書きまして(3日休んじゃいましたが)、いわばそれがどうでもいい内容でごめんね。旦那様も、息子さんたち3人も、私のことは知っているにしても、なんだか毎日自宅に届く手紙にとまどわれたかと思います。でも中身はたいしたことはないですからね。思えば、少し羞しいな。

 ランディーもプラムさんの帰還にさぞ嬉しかったでしょうね。

ランディーに何回も何回も顔を痛いほどなめられてしまった。久々の再開にランディーは本当に嬉しそうだったよ。そんなランディーが可愛くて可愛くてどうしようもなかったね(´∀`)

 でもね、手紙に書いたけれど、ソルジェニーツィンが亡くなったことで、サヴィンコフのことを少し思いだし、書きましたね。それで、私はこの社会革命党戦闘団の闘いや、サヴィンコフの苦しい長い闘い、そして彼の自殺(と言われている)のことを、詳しくまた手紙に書こうと思ったのですが、でも考えてみれば、入院中で苦しいあなたにはあまりに関係ないことだと思い直したものでした。また別なところで書くべきだよね。

 とにかく、無事退院おめでとう。そしてもっと元気になったら、なにか美味しいもの、美味しいお菓子を届けます。

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08071601 まっくまっくの彼女のブログに次のようにあります。

今日で手術後11日、やっと抜糸して、いくらか足の突っ張り感がなくなって楽になってきた。一人で横向きに寝られようにもなったよ。毎日毎日、良くなっていくのがわかる。

 あ、良かったな。嬉しいです。思えば、まだまだ若いんですよ。思えば、私はもうすぐ2人目の孫が生まれます。まっくまっくさんは、3人の息子さんがこれからお嫁さんをもらうんだものね。
 でも読んでいまして、お見舞いに来てくれたご近所の方が嬉しいことですね。
 思い出せば、私は入院したことなんてないものね。あ、思い出すと、20歳のときに、ハンガーストライキをやって、大学の事務棟から救急車で運ばれたのが、入院の思い出の最後かなあ。あ、そのあと精神病院で看守のアルバイトをしていたときにも、何かで倒れた思い出がありますね。
 私は病院はいつも見舞にいくばかりでしたね。今後もそのまま行きたいものです。

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86e6fdc7.jpg 私のこのブログのサイドバーでリンクしています まっくまっく の彼女が6月30日から手術で入院しています。ちょっと私には何の病気だか判らないのですが、9日のブログのUPでは、順調に回復していますよ ということで、嬉しい限りです。
 私が彼女の入院に気がついたときから、7月4日に和紙で手紙を書き始め、5、6、7日と書いて出してきました。でもその翌日8日は鎌倉を歩きまして、そのあと外で飲んでいまして、手紙が書けませんで、翌9、10、11、12日と手紙を書いてきました。
 そうしたら、昨日夜10時代にケータイメールをくれました。私の手紙を息子さんが病院まで持ってきてくれたということです。最後にこうあります。「毎日、外は暑いようですが萩原さんも体に気を付けてこの夏をお過ごし下さい」。ありがとう、私はまったく元気に毎日飲み続けていますよ。
 元気になったら、また鎌倉を歩きましょうね。
 あのね、私の手紙は毎日書いていますから、ときどき息子さんが届けてくれると思います。私の手紙なんて、面白くないかもしれないけれど、あなたが回復して病院を出るようなったら、その私の手紙は届かなくなりますよ。その日を私も早く切望しています。今のところは、毎日手紙を書いて、あなたの息子さんが届けてくれることでしょう。
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 まっくまっくこのUP がありました。

疑問だ!
回覧の中に、『春日部市立病院の充実と小児科・産科の再開を求める請願書』という、ある団体名と会長の名前で 春日部市議会議長宛ての請願書が入っていたのだ。

う〜〜ん、ちょっと待てよ、こういう内容のものがなんで回覧の中に入っているんだ?おかしくな〜い?

だってこの団体が自発的に運動しているものなんだから、この団体のひとりひとりが請願書に書いてもらうように動くもんじゃないのかい?

公の場の回覧を利用するもんじゃないと思うのだ。

ましてや、この会長の裏にはたちの悪い政党が潜んでいるのだからね。益々、おかしいと思うのだ。

 まったく、ここを読みまして、同じことを思います。どんな団体で、どんな政党だかは私には判らないのですが、ここを読みまして、このまっくまっくの彼女と同様に思うのです。
 でも、こういうことって、けっこう平気で行われているものですね。そしてこういうふうにこの彼女みたいに指摘していかないと、こういう傾向は修まりません。
 思い起こせば、私も過去何度も、あちこちで、自分の頭で普通に、「これはなんだか変だな」ということを指摘してきたものです。そのときの、相手の当事者の対応をいつも思います。一番多いのが、「あなたは馬鹿なのか、こんないいことに反対なのか。それはただ邪魔しているだけなんだよ」という対応でした。でも私はいうのも、やるのも止めませんでした。一番の問題は、相手の中に弁護士や税理士・会計士がいて、頭っから、こちらを見下している場合です。でも、私は決していうのを止めません。だから、間違いなくやがては、私の言うことのほうが通ったものでした。
 よく、あとで言われたものでした。「あのときには、最初は何て馬鹿なことを言う人だろうと思ったものでしたが、やがて判りました。あなたの言うことが、普通の正しいことなんですね」。そんなときのことをいくつも思い出します。

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 この まっくまっく のブログも私は毎日読んでいます。ただ、昨日のこのUPを読んでただただ驚きました。そして今も読んで涙ばかりになっています。
 先週金曜日の夜12時くらいに、まっくまっくの彼女の二つ下の妹さんが突然亡くなられたということです。私はただただ、「えっ、どうしたんだろう」と、このブログを読み進みました。
 この妹さんについて、まっくまっくの彼女は次のように書いています。

妹はこの世での使命を全てやり抜いて旅立って行った。

「素晴らしい財産を残していってくれた」

と言う旦那さんの言葉が心に残る。

長男と長女は介護福祉士となって老人ホームで仕事をしている。次男は調理師の免許を取ってお店を持ちたいと、今は飲食店で働いて修行している。次女は高校3年生で、お母さんが体が不自由なので、卒業後は自分がお母さんの代わりに家の事をするつもりでいたらしい。でも1月に介護福祉の検定試験があるので受験するようなことを言っていた。

親思いで兄弟思いで仲が良くて、素晴らしい4人の財産を残していったのだ。

13歳離れた旦那さんも体に障害はあるが、21歳で結婚して4人の子供を育てあげた妹は本当に立派だ。

いつもニコニコ笑っていた。

なんでも興味津々で、車イスの時でもどんどん外に出て何かしら挑戦していた。

 私は普通の身体を持つ私自身が羞しいです。ときどき意気地なく落ち込んでしまう私ですが、そんなことじゃいけないな、羞しいな、と思います。
 まっくまっくの彼女とは、ときどき飲んで話したけれど、思えば、彼女の家族のことは話を聞いていませんでした。ほんのわずか聞いたことはあったかと思います。いつも彼女の3人の息子さんのことは聞いていました。私は娘が二人ですから、「やっぱり娘と男の子は違うな」と感じていたものです。でももっとこの妹さんのことも聞いておくべきでした。

11月13日、妹はこの世の使命を終えて天高く舞い上がって行った。

何処からか、あの声で、

「ねえちゃん!」

って、私を呼ぶ妹の声が聞こえてくるのだ。

 なんだか、私は涙ばかりが浮かびます。今後も甥や姪の方との連絡をよくして行ってくださいね。こうした親戚のおばちゃんの思いやりというのは、かなりな励ましになりますよ。私の二人の娘も、いつも私の二人の兄弟の奥さん方のまっちゃんとみっちゃんの存在が大事なことでした。今また娘二人は、自分の従弟妹である妻の弟の子どもたちにも大きな存在であると思っています。

 また今度飲むときに、妹さんの思い出を話してください。

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07080101 まっくまっくを見て、やっぱり驚いて、そして実になんだか爽やかな感じで、嬉しくなりました。ちょっと可愛いすぎ? にその説明があります。
 いいですね。今は夏でどうしても暑いから(当たり前のことですが)、こんなデザインがとても素敵です。

 それでね、欧風菓子「メヌエット」に写真を載せましたが、この「果莉桃」他を持っていきますね。ただし、持っていったら、その場で食べないとだめです。あなたの自宅に持って帰る時間の余裕はないはずです。普通のケーキなら大丈夫なんだけれど、あまり長く時間がかかるところには駄目なんだと思うんです。
 でも、私の長女が妻がいうのにも、美味しいよ。こんなケーキ屋さんがある我孫子って、いいところでしょう。もう私も我孫子が好きになりつつなってます。

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 まっくまっくこの記事 がありました。実はもうこれに書かれてすぐに私も読んでいたのですが、「もう何と書いたらいいだろう」という思いだけで、書くことができませんでした。
 今思いましたことを書きます。

今、帰りの電車の中なんですが・・・
40代と思う女性が途中で乗ってきたんだけど・・・
えっ? っとおもわず見てしまったよ(?_?)
歯を磨きながら乗ってきたんだもの。歯ブラシを口に入れながらコチョコチョして、暫らくして歯ブラシにキャップしてバックにしまった。女の人のお口はそのまま・・・
今だに電車の中で化粧している人見掛けるけど、歯を磨いている人は初めて遭遇したよ。
うわぁ〜! ここまできたかとびっくらこいてしまっただよ(∋_∈)

 これは驚くよね。もうそのときの驚きは想像できます。ただ、もう電車の中では驚くことがたくさんあります。電車の中でものを食べる人がたくさんいますね。汽車のボックス席で食事するのは判るのです。旅行のときなんかは、それが実に愉しいことです。
 でも、どうみても通勤電車の中でサンドイッチ等を食べている人には驚きます。そして、これはもう人種・民族・性別・年代・男女の差なく、誰もがやっていることがあり、それを目の前にした私はただただ驚いています。
 つい半年くらい前、京浜東北線の中昼の3時頃、一人でサンドイッチを食べていた外人女性がいました。たぶんアメリカ人の女性でした。綺麗な方なのですが、なんであの席(普通の横並びの通勤用の椅子)で、一人でサンドイッチが食べられるのでしょうか。
 何年か前に、柏祭りの際に私たちのやっているすぐそばで、二人の男性がビールを飲んでいました。60代と50代の方です。私たちの机の前で、私たちの椅子に座っています。別に私たちは、そのような席を用意しているわけではありません。
 缶ビールを飲むだけでなく、私たちのものにまで手を出し、口に入れます。私はついに、怒りました。そうしたら、その二人の男性は、「まあ、そんなに怒るなよ。これでも食べてくれよ」と私に、そこにあるつまみを出します。でもそれは彼らのものではありません。私は怒り出しました。そして私よりも年上の方に、「どうしてあたり前の常識がないのだ」と怒りました。その二人は、私の怒りにすぐに去りました。
 原宿のラフォーレ原宿の私のクライアントへ行ったときに、たしか4階から5階の階段にびっしりと大勢の人がしゃがみこんでいる光景を何度も見ました。若者だけではありません。私と同年代、私より年上の女性も見ました。私は当初何かのことでの待ち合わせで並んで待っている事態なのかと思いましたが、そうではありませんでした。聞いていきますと、ラフォーレ側もこの事態には困ったようです。
 上に書いた柏祭りでは、年々外国人の人が増えてきました。アメリカ人も大勢いますし、中国、韓国人も多いのですが、ブラジルの人も多くなってきて、その他南米の人も実に多くなりました。そこで感じたことは、もう何人が駄目なのが多いというようなことでなく、いろいろな外国人も日本人も、年代に関係なく、駄目な人は大勢いるし、まともな人もいるということです。
 平気でどこでもものを食べて、ゴミをそのまま、まき散らす人もいれば、ちゃんとかたずける人、ゴミを自分で持ち帰る人もいます。これはもう民族・性別・年代・男女の差はありません。
 なんだか、嫌なことですが、こうした事態を目の前にして、自分はちゃんとしていこうと思っています。自分の子ども、自分の孫はちゃんとさせようと思っています。そしてそうでない人とは、私は友人であることを止めます。
 もうそのくらいしかできないという思いなんですね。

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 まっくまっくまたまた、美味しいもん発掘してきましたね へのコメントをしてくれた方が以下のブログです。

   http://liberajoy.exblog.jp/  Pushpin Diary(L.J.Style Book)

 コメントに次のようにありました。

 周さんのブログから来ました。
わたしは、王子に住んでいます。たぶん、想像するところ、周さんが住まわれているところは、わたしの自宅とJR王子駅の中間地点ぐらいかな? と思います。

 ということは、一体どこなのかなあ? 私が今住んでいるのは、豊島1丁目です。昔はここには置屋があったのだと聞いています。だから、このマンションの周辺に不思儀に、いくつもの飲み屋さんが多いのですね。

 この方のブログは実に綺麗な写真がUPされています。

だいたい、1日平均3つずつ投稿しています。

ということですから、それで長く継続されているのですね。
 私ももはや王子の住民と言ってもいい存在ですから、いつか実際にお会いできるかもしれません。そのときを期待しています。
 私のこのブログ将門のサイドバーの「東京都北区王子のホームページ」でリンクしています。

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06122202 まっくまっくこのUP がありました。

あたしってパソコンを使って仕事をしているけど、初期的な事が未だに出来ないというか、いつまでも分かろうとしないと言うか・・・。
困った自分の性格の事は分かっているんだけど・・・
料理はパソコン使わないからいいよなぁ〜。
補助的には利用するけど、パソコンが料理創るわけじゃないからさ。
料理して、みんなが美味しいって食べてくれて、その笑顔をみて満足できるような仕事がしたいなぁ。
ずっとずっとあたしの夢なんだけど・・・

 まず、最初コメントでUPしようと考えたのですが、少々長くなりますので、こうしてトラックバックします。

 あのですね、「パソコンが料理創るわけじゃない」というのは、なんでも同じことだと思いますよ。たとえ、あらゆるプロミングを機械であるパソコンができるようになったとしても、それに命令を与えるのは、人間です。
 ただし、こういうことは言えるのではないかと思うのです。

 私の我孫子の自宅マンションで、この数日に起きたことです(ホント、ほんの数日)。次女が連絡してきてくれて、自宅のガスが使えないことが判りました。ただし連絡は、昼の時間帯にケータイメールです。それで、私がガス会社に電話しましたら、すぐに行ってくれて、また電話くれまして、自動的に我が家だけガスが止ったということなのです。ガス会社は松戸で我孫子まですぐ行きましたが、マンション内に入れないので、管理人さんが来るまで待ってもらって、それで中に入って調べて直してもらいました(部屋に入らなくてもできます)。
 それを次女と妻には、ケータイメールしておきました。

 ところが2日後(実は昨日)、次女が帰ったらまたガスが使えないといいます。一昨日は遅かったので、ストーブをつけないで寝てしまい、判らなかったようです。
 それで、妻と次女が電話で話している中、私はガス会社に電話しましたら、偶然先日私のところへ行ってくれた方が出てくれて、「直したはずですが……」ということで、「でもすぐ行きます」ということになりました。結果はすぐ直ったのです。えーッと、ようするに私の次女の操作が少し阿呆だったようです。そしてもともとも原因は、私の次女のミスでした。
 ガスの機械は、なんらかのトラブルがあると事故が起きないようにガスを止めてくれるのです。これで、ミスを犯しがちな私や私の次女はとても助かっているのです。

 財務会計ソフトというのも、どんなに操作方法が簡単になっても最初の発生したときの事柄をやるのは人間です。でもどんどん、機械とソフトが進んで行って仕訳の発生の判断から、入力までパソコンができるようになるかもしれません。いや間違いなく、そうなるでしょう。でもその最初の仕訳をする出来事の最初は、私たち人間のやることなのです。
 どっかで社長と社員が打ち合せで、近所の店で軽く打ち合せでビールを飲んだとします。そのときに使った金額をどう処理するのか、どう仕訳するのかというのは、そのうち機械とソフトで判断できるようになるでしょう。でも最初の出来事、近所の店で、「あ、もうコーヒーではなく、ビールにしよう」と判断して、そしてそのビールを飲むのは、人間なのです。
 だから、どんなことがあっても、パソコンもソフトもでしゃばってきません。あくまで人間がやらないとならないのです。
 いつの日か、機械がいくらでも料理を作るようになるでしょう。でもその料理を食べて、「美味しいなあ」とか「これ美味しいから、ちょっと遠くにいる母にも勧めてみよう」とか、考え実行するのは人間なのです。

 あくまで、美味しい料理を食べるため、家族に食べさせるために、機械をよりよく使っていかなければならないのです。
 機械には、一度作った料理を記憶させ、同じことを繰り返すということが、実に得意です。だが、それを口に入れて、「やはり美味しい」とか「前のときより、なんだか違うな。でも同じに作っているんだから、私の体調がおかしいのかな」と判断できるのは、私たち人間自身なのです。

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 私は、今の王子に住もうと決意したときから、この王子のいくつもの店を好きになってきました。もちろん、なんといいましても、お酒屋さんが一番親しんでいるわけですが、いくつものお菓子関係のお店も新たに知ってきました。
 でもどうしても、自分ではまだ口に入れられるものが少ないので、そもそもどう知ったらいいのか難しいところです。

 でも先日、このお店を 王子生活 で詳しく知りました。もちろん、お店の存在は前々から知っていたわけでしたが、なにしろ、私ではレポートのしようがないのです。でも、この王子生活の 石鍋久寿餅店 で詳しく知ることができました。この王子生活には、私は実に感謝しなくてはいけないですね。
 だから12月1日に、ここへ寄りまして、久寿餅を二つ買うことができました。
 一つは、市ヶ谷の私のクライアントへ持っていきまして、もう一つは、まっくまっく の彼女と行きましたコンサート会場へ持っていきました。
 彼女は、この久寿餅のことを、またまた、美味しいもん発掘してきましたね に書いてくれています。(あ、ただ少し心配だな。彼女は10キロ痩せたいのだそうです。でも私のせいじゃないよ)。

店 名 石鍋久寿餅店
住 所 114-0021
    東京都北区岸町1丁目5番10号
    電話03-3908-3165 FAX03-3908-4971

 王子駅から、王子稻荷神社へ行く途中にあります。店の中でも食べられます。私が買いましたときには、けっこう何人もの方が店の中においでになりました。
 もう100年以上も続いている店ということです。とっても綺麗な店内で、すっかり気に入りました。
 そして、この日お土産に持っていきました会社でも、まっくまっくの彼女でも、すっかり気に入ってくれたようです。

 写真は、私が1日に最初に行きました会社で食べてもらった久寿餅です。
 私は喜んでもらえるものを、こうして私がとても嬉しいです。また買って、誰かへの手土産にします。

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 まっくまっく の彼女が、昨日王子に来てくれました。でも王子駅で少し待たせちゃったな。私は郵便局で書留を出す用で、思いの他時間がとられちゃったのです。自転車で王子郵便局から、王子駅まで急ぎました。思えば、この王子に来るのは始めてのことなんですね。
 それで、この 明治堂 に案内しました。彼女は、もう以前に食べていますので、前から直接このお店に来たかったのです。
 このきのうのことを 王子のパン屋さんに立ち寄り にUPしていてくれます。
 彼女は実にたくさんパンを買っていました。私も買いましたが、家で留守番(義母の世話で)をしてくれていたおはぎに、私の購入したものを、笑われました。私の思い込みは間違えていたようです。でもまあ、美味しいからいいわい。

 でもいいお店でしょう。この王子はいいお店がたくさんあるのよ。私が乗っていた自転車も、その明治堂のすぐそばで購入したものです。
 もう私は自転車で、王子の街をあちこち走り回っています。
 またきょうは、他の和菓子を買いまして、他の会社へ行きます。そしてそのあとも、また忙しく動き回ります。

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 まっくまっく の彼女が、私のことを次のように言ってくれています。

一日何時間でもパソコンに向かっていても、目は疲れないわ、肩は凝らないわ、腰は痛くならないわの周さんらしいのです。

いつもパソコンやら入っている重いリュック(7,8キロはあるのかしら?)持ち歩いているのに、足やら腰やら平気だと言うし・・・。

なんでそんなに平気なのか聞いてみた。

「5月生まれだからよ。寒い時期に母親のお腹にいたからだと思うよ」

と言っていましたが、あれ、あたしも5月生まれなんだけど、腰は弱いわ、肩は凝るわ、目は直ぐショボショボしちゃうし、全く正反対なんですが、どうしてかなぁ〜〜。

どうも思う事によると、あたしはお酒は好きですけど、直ぐ顔が赤くなってしまうので、そんなに飲まないのですね。

ま、ここらへんが違うのではと思ったしだいで・・・。

 ええとですね。私が生まれたのは、昭和23年(1948)5月30日です。生まれたのは、茨城県佐貫(今は藤代市内にあります)でした。それでこの年は、もう戦後でも食料事情等々は極めて悪かったようです。
 それで母は食べるものは、いわばひどいものばかり食べていたようです、今でいうと「粗食」というよなものですね。いわば、例えば大根だとすると、柔らかい大根の部分は食べられずに、シッポのほうばかりしか口に入れられなかったようです。もう本当にあらゆる食料でも悲惨な部分ばかり食したようです。
 でもこれが良かったのです。私が母の胎内にいたのは、昭和22年の8月から23年の5月で、いわば寒い時期にいたわけで、母は、ひどい時代でも、少なくとも身体を暖めるようなものを食べました。それが実は私には良かったのです。
 私の兄は昭和17年2月生まれです。日米開戦の前に母の胎内にいたわけで、まだ日本はそんなにひどい食料事情ではありませんでした。だから、却って兄はとても身体が丈夫ではないです。
 私の弟は昭和25年4月生まれですが、生まれたのは秋田市で、24年の夏ごろからは、そんなに秋田は食料事情は悪くなかった。だから、粗食ではなかったから、これまたそんなに身体が頑健ではありません。
 私は、いわば母が粗食で、生きている中で胎内にいたわけで、しかも寒い季節に母が胎内を暖めるようなものを食していたわけです。ですから、私は丈夫です(実は丈夫でないところもあるのですが、まあそれは頭かなあ)。
 こうして丈夫に産んでくれたことは、私にはとてもいいことでした。

 粗食ばかりを身体に入れてきたから、母が作ってくれるものは、なんでも美味しかったです。だから、学生運動で、留置場での食事も実に美味しかったです。府中刑務所の食事はもう私には驚くほど美味しかったのです。もう麦シャリが良かった。感動でした。
 私の母の食事は、決してちゃんとした料理ではありません。母は、料理なんて習ったことがないし、ただただ毎日口に入れられるものを作ってきてくれただけです。
 私の家には、ずっと秋田犬がいましたから(常時2頭以上、多いときは10頭くらいになる)、それの食事の用意も大変だったでしょうが、あの犬たちも私も懸命に必死に食べていました。
 私の妻も決して料理はうまくありませんが、ただただ私は美味しく食べています。
 というか、そもそも私は1日2食なので、いつも腹が減っているので、とにかくまずお酒が美味しいのです。
 ア、そうだ、お酒で思い出した。先日怖ろしいことがありました。私の長女のしうちです。でも私がおかしいのだという意見もあるかもしれません。また書きます。

 この「丈夫なわけ」続き

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00bce4e5.jpg 昨日行きました私のクライアントの経理をやっているまっくまっくの彼女の若き日の写真が掲載されています。
 このバレーボールの試合の写真の中学生の少女が彼女です。
 なんだか、これはきのう彼女の会社に行ってから見たので驚きました。えっ、すごく若々しくて綺麗な女の子じゃないのよ。
 できたら、これからもこうした写真をブログで掲載してほしいな。
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06071402 まっくまっくすっごく混んでいて観れなかったよぉ〜がありました。さいたまスーパーアリーナで開催されている大ナポレオン展に行ってきた報告です。7月16日までやっています。
 たしか今回は最初は東京富士美術館、次に大江戸博物館でやっていましたね。

 大ナポレオン展が日本で開催されたのは、最初は1966年で、東京日本橋三越でした。その後1980年代にも開催されたと思いました。私はどちらも見に行きましたものです。最初は私が高校3年生のときでしたね。
「大ナポレオン」というのは、もう一人のナポレオン、甥のナポレオン3世がいるからです。ちなみにナポレオン2世というのは、ナポレオンとマリア・ルイズとの間に生まれた子どもで、1832年7月22日 肺結核で21歳で亡くなっています。
 そうねえ、ナポレオン4世という人もいるんですよ。

 フランスはもうずっと共和制ですが、王制帝政を望む人もいるらしくて、それらの方が、あげる王家というのが、ブルボン家系統、オルレアン家系統と、そしてこのナポレオン家系統があるそうです。

 私はこの大ナポレオン、ナポレオン・ボナパルトがずっと好きでした。今も大好きですよ。「孫子」を常に座右に置いていた戦略家ですからね。私がずっと好きでした存在でした。ナポレオンに関する本は、何冊もずっと読んできたものです。
 ナポレオンのいくつもの言葉が大好きなのですが、そうですね、今思い浮かびましたのは、以下の言葉です。いえ、我孫子の自宅に帰らないと、本を手にすることができませんので、私のホームページ上にある言葉なのですが。

 一遠征計画を立てるとき、予以上の小心なるものはいないであろう。予は凡ゆる危険を過度に大きく思い、凡ゆる状況を不利に見る。そのときの興奮は極度に達する。これ予の周囲の人々に全く愉快そうな顔をしたことのない所以である。
 然し、一度決したるときは、今までのことを全部忘れ、ただ一途に如何にして、その決心を実行すべきやを考えるのみである。
(ナポレオン・ボナパルト)

 私が常に座右にしている言葉です。

 それと、ナポレオンがゲーテを好きだったことも、これまた私にはいい思いを抱くところです。ナポレオンは「若きウェルテルの悩み」を17回読破したということです。そしてドイツのエルフルトという街で、ナポレオンはゲーテと会っています。
 ゲーテもたびたびナポレオンについて書いていますね。

 私が東大闘争で逮捕勾留されて、府中刑務所に勾留されていたときに、独房には1冊のノートが渡されます。何を書いてもいいのですが(もちろん、「これは駄目だ」という規則はありますよ)、普通には日記を書くわけでしょう。
 そこに私はいくつものことを書きましたが(例えば私は、「三太郎の日記」「三太郎の日記補遺」の詳細なことを書きました)、その3分の1は、このナポレオンに関する思いを書いているのです。
 私はこのときに、岩波文庫の「孫子」も差し入れてもらいまして、すべて手で書き抜いたものでしたが、そのときに、「ナポレオンは、この『孫子』を読んでいながら、なんで敗北したのかな、やはり読み込めていなかったのかな?」なんて思っていたものです。

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 私は本日午前中に、「医龍」を10巻まで読みました。9、10巻に関しましては、今朝私の心の中の動揺を書いたつもりです。
 とにかく、驚いてしまっているのですね。その驚きとは、実に私は独りで、ただただ涙を流していることで、もう明かなのです。

 それで、これに関して、まっくまっくの彼女も、私より速く読まれたようです。
 第1巻への私のUPには、次のようなコメントをもらいました。

え?周さん、漫画本も読むんですね。
なんか以外です。
この医龍は面白くて毎回テレビで観るようになりました。本屋さんに行ってアニメの感じはどんなものなのか見てもきました。
今いちばん気になるテレビですね。結構、内容はありえない事が起こるのでだから面白いのです。

 私は漫画は昔からよく読みましたよ。だから 周の漫画館 というページを持っています。ただ、もう少し読んだ漫画をここで紹介していかないといけないなと思っています。

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 私が毎日読んでいます まっくまっくこのUP がありました。

自分の子には、とにかく小さい頃から隣近所の人には、挨拶をきちんとこちらからするようにしつこい程言ってきたつもりだ。

時々周りの人から、うちの子達に会うとよく挨拶してくれる事聞くとなんかホッとするのだ。

 私の自宅のある我孫子のマンションでは、みなご近所の方とかなり親しくて、いつも挨拶をしています。だからうちの娘たちも、普通に挨拶ができます。
 でも、私が今住んでいます王子のマンションでは、私が結婚して、ここに住んだときには、住民同士の挨拶というのは皆無でした。私はわけが判りませんでしたが、「都会のマンション生活というのは、こういうものなのかな」と思い込んでいたものです。でもどうしてもこれは嫌なことでしたから、我孫子に住んでからは、自分の娘にもちゃんと普通に挨拶できることを教えてきたものでした。
 だからというわけではないでしょうが、我孫子の自宅のマンションでは、みな住民の方の挨拶が聞かれます。

 ところが、この頃住んでいます王子のマンションなのですが、私がとまどってしまうことがあります。あれほど、誰も挨拶を交わさなかった記憶のあるマンションなのですが、今はどこでも挨拶されるのです。エレベーターに乗っても、1階の出入口でもみな挨拶してくれます。とくに、子どもたちがちゃんと挨拶してくれます。私は「え、ここは違っていたのに」という思いで、半秒くらい遅れて挨拶を返しています。そして今では、反省して私のほうから声を出そうと必死です。

 でもこれは気持いいことです。嬉しいことです。

もう何年も前から朝会うおばちゃんに、こちらから挨拶してもうんともつんとも返ってこなく不機嫌な顔をしているので、もういい加減あたしも気分が悪くなるのでその人の顔を見ず知らん振りしている。世の中にはこういう気分を悪くする人が多々いるので係わらない方がいい時もあると思うのだよ。

 こういう人って、ときどき人生の中で出会いますね。最初はとまどうのですが、やがては、「この人はこういう人なんだな」ということで、もうその人のことは、もう「かかわらない」という気持になります。実はこのことは、その人にとって大変に人生を損しているように思うのですが、その人はもう変わらないのでしょうね。
 いつも読んでいて、愉しい思いをありがとう。

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 まっくまっく に この「栃木県芳賀郡で5月25日に生まれた」7匹の子犬のことが写真入りでUPされています。
 写真で見ても、生まれたての赤ちゃんだって判りますね。可愛い子犬たちです。もすうぐすると、目があいて、歩き回るようにあると、もう大変な騒ぎですよ。

 私の家族が昭和27年に秋田市に住んだときから、犬を飼いだしました。その後札幌・名古屋(ここは3カ所住みました)・鹿児島と、犬を連れて大移動でした。その後我孫子ではほんお数頭しか飼っていませんが、秋田からは、全部で200頭を越える犬を飼ったものでした。
 それでほぼ秋田犬ばかりですが(ほかの種類は、3匹だけです)、この子犬が生まれたというのは札幌で1回、名古屋で2回、鹿児島で2回あります。いつも5匹でしたが(7匹生まれたことが一度あります)、もう可愛い愉しい、そして大変な出来事でした。

 子犬はね、すぐ大きく歩き出すと、もういたずらばかりです。母犬の秀(ひでと読んでいました、ちゃんとした名前は秀峰姫という実に綺麗な犬でした)は、怒りっぽいお母さんで、子犬が悪さすると、すぐに怒ります。父犬の剣(剣光号といいました)は、実に優しくて、でもいつも自分の子どもたちには閉口していました。もう大きなお父さんにいたずらばかりするのが、子犬たちでした。
 子犬たち、はやく行き先が決まればいいですね。私の二人の娘も小さいときに、「犬飼ってね」と強くせがんでいたのですが、あるときに、私の家に泊まっていった可愛い野良犬を二人がなで回したときに、下の娘が毛に対するアレルギーがあるのに気がつきました(顔が腫れちゃうのです)。それで諦めました(というか、親の私たちは少しほっとしました)。

 犬は可愛いですね。私はときどきあちこちの犬をいろいろな思いを込めて、ずっと眺めていますよ。

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