将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:わが転向

12021103 2月7日に、吉本隆明全著作(単行本)「わが転向」(1994.03.25)に、文化芸術 DVDさんから、さらに以下のコメントがありました。

1. Posted by 文化芸術 DVD   2012年02月07日 16:35
大阪大学経済学部に在籍中の者です。
2年までは、必履修科目で時間割が決められますので、好きな勉強はあまりできません。
3年から、幅広い講義を受ける事ができます。
ですので、特に学部を悩む事はないと思います。
実際、私は悩みましたが。(笑

 ええと前にもそうでしたが、「何をおっしゃりたいのか皆目分かりませんでした」ということは今回も同じです。要するに、私があまりよく分かっていないことの証左ですかね。
 私が学生であったときは、大昔ですね。私はとくに、大学関係の授業講義では面白いとは思わなかったもので、よく記憶がないし、思い出しもしません。ただ、大学の教官でも事務官でもお付き合いをした方は大勢いました。大学を去ってからも、けっこう付き合ったものでしたね。
 思い出せば、学部とは関係がなくお付き合いしたものでしたね。あ、大学とも関係がなく、違う大学の先生とも付き合ったものでした。

11122810 11月30日に、吉本隆明全著作(単行本)「わが転向」(1994.03.25)に、文化芸術 DVDさんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by 文化芸術 DVD   2011年11月30日 15:51
吉本さんには、「現代批評」1958年11月刊に掲載された「転向論」があります。私たちの誰もが最初のころ目にした吉本さんの論文であるかと思います。

 ええと、私はこれを読みまして、文化芸術 DVDさんが、私およびこの私のブログを読んでいてくれる方に、何をおっしゃりたいのか皆目分かりませんでした。
 私はあまりちゃんとした理解力がありません。もう少し分かりやすく書いてくれると、ありがたいです。

11120210 以下の文を読んで、なんというかまず腹がたちました。どうにも質の悪い文章です。吉本さんのことが全く判っていないというよりも、なんとか吉本さんをけなしたいという意図しか考えられません。

吉本隆明「わが『転向』」――新左翼の理論家から消費社会を擁護
          95.04.02 本紙朝刊 19頁 写図有(全1891字)
 戦後五十年、日本は大きな変遷を遂げ、保革連立政権が誕生するなど、考えられなかった現象が生まれている。思想界でも、新左翼の教祖というイメージが強かった吉本隆明が「わが『転向』」(文芸春秋)という本を出し、ちょっとした話題を集めている。若いころライバルの文芸評論家、花田清輝を「転向ファシスト」と呼んで糾弾するなど人一倍、「転向」に敏感だった吉本が、今なぜ「わが『転向』」なのか、その周辺を探ってみた。 今の若者にとって吉本隆明は、思想家というよりも「吉本ばななのお父さん」というイメージが強いかもしれない。
 吉本自身も「わが『転向』」の中で、「中野重治は神様のような小説家ですが、新しい世代は公然と『知らねぇ』と言う。それは僕も同じことで、『吉本隆明って、何か六〇年頃流行ってたらしいぞ』と言われたりするようになりましたがと率直に打ち明ける。
 しかし、団塊の世代より上の人なら吉本が新左翼の理論的指導者だった印象が強いだろう。吉本は六〇年安保では全学連の学生と行動を共にし、国会突入で逮捕された。その後、「自立の思想的拠点」や「共同幻想論」などの理論的著作によって多くの若者を魅了し、六〇年代末から七〇年代にかけては、全共闘運動の高まりに大きな影響を与えた。
 その吉本が変わったと言われ始めたのは八〇年代から。「マス・イメージ論」「ハイ・イメージ論」などで少女コミックや広告のコピー、ファッションなどのサブカルチャーに目を向け、若者の新しい感性、高度消費社会、都市文化を積極的に擁護し始めた。
 また思想的にはノーベル賞作家大江健三郎が「あいまいな日本の私」で強調した戦後民主主義の理念を、旧ソ連が産みだした文化理念の「良心的同伴理念」と批判するようになった。逆に新保守主義とみられる小沢一郎の著書「日本改造計画」については「常識に富む本」として高く評価している。
 「わが『転向』」は、こうした八〇年代以降の思考の変遷を、雑誌「文芸春秋」編集部のインタビューにこたえて率直に分かりやすく語っている。 それにしても「転向」とは刺激的な表題である。吉本は若いころ、文学者の戦争責任を追及し、戦争中は国家社会主義者の中野正剛の「東方会」に属し、戦後は革命的芸術運動の指導者となった花田清輝を「転向ファシスト」として批判し、文学史上有名な論争を展開した人である。
 その本人が編集部がつけた「転向」という言葉をそのまま使うことを承知したのは、「七二年前後に対する現状分析を契機にして、わたしに思考の転換があり、わたし自身のこしらえた概念と定義によれば、社会総体を把みそこねたために起こる思考転換が『転向』にほかならないから、わたしの軌道修正をそう呼んでもいいと思ったからである」と説明する。
 では七二年を境に、日本がどう変わったというのであろうか。まず第三次産業の従事者の人数が第二次産業よりも多くなった。高層ビルが次々と建ち始め、日本の経済活動が生産から消費へと移行していった。個人消費が国民所得の六割から七割の間を占めるようになった。従来の資本主義が生産本位だったのに対し、超資本主義、あるいは消費資本主義と呼ぶ高度な資本主義社会が到来した。
 吉本は、日本人の九割が自分を中流と考え、所得格差は社会主義より少ないという事実を前にして、社会主義は善で資本主義は悪という考えはもはや成立せず、「体制―反体制」といった意味の左翼性は必要も意味もなくなったというのである。
 たしかにこれでは新左翼の理論的指導者どころか、消費社会擁護論である。その認識は理論の深さを別にすれば、経済新聞を熱心に読んでいるビジネスマンとそれほど違いはないだろう。吉本があげている様々なデータ分析は、常識人からみても納得のいくものばかりである。
 しかし、バランス感覚からいえば、吉本の思考はあまりにも整理され、新しい出来事や若い世代に対して物分かりが良すぎるようにも思える。若い評論家、大塚英志は「吉本隆明はいつ『ばなな』を生んだか」という評論で、吉本が変わったのは、二人の娘と七八年に映画館でアニメ「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見たことが影響しているのではないかと推測しているが、興味深い指摘だ。
 何も思考の転換を悪いといっているわけではない。変化は当然だろう。ただ「戦争の実体に、おのれの生存の中核でぶつかった、わたしどもの評価のアクシスを、こういうひとかけらの自己批判もない言辞をロウして通りすぎることはできない」(一九五九年)と激しく「転向」を批判した事実にふれていないのがやや物足りないのである。編集委員 浦田憲治 日本経済新聞社

 まずいつの時点で吉本さんが「新左翼の理論的指導者だった」のでしょうか、この浦田編集員にそれを言明していただきたいものです。こんな物言いを私はこれで始めて眼にしたものです。吉本さんは私たちのいわゆる三派全共闘世代が運動していたときに、なんら私たちのことを支持したことも、なにか指導的な物言いをしたこともありません。1967・10・8の羽田闘争に際しては、「無知が栄えた例(ためし)はない」というマルクスの言葉で三派の行動を評しました。また私たちのやった学園闘争のことを、一貫として学園紛争としてしか言ってきていません。私はこれだけは「闘争」と呼んでほしいのだけど、まあ今思えば、それは吉本さんへの甘えかなといえるでしょう。
 ただし、私たちの時代のさまざまな表現行為、アジビラやタテカンに書かれていた言葉に吉本さんの言葉がより多く使われていたのは間違いありません。吉本さんの言葉ほど、情況を適確に表現し、私たちの気持をまた適確に表現してくれる言葉はほかになかったのです。
 私たち学生活動家は、「よしましょう、昼寝をしますよ」という吉本さんの言葉を知りながらも、「でも俺は街頭に行く」とデモに出かけたものなのです。吉本さんのこの「昼寝をしますよ」という言葉を利用して私たちの行動をけなすいわゆる「吉本主義者」こそ嫌悪したものです。今こうして吉本さんの大いなるファンであり、崇拝者になった私でも、今も「吉本主義者」とは絶対に呼ばれたくありません。
 しかし、どうして「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見たことが吉本さんの変わったということに影響しているなどと言えるのでしょうか。吉本さんが変わったというのなら、それは「現在」という全情況、全存在の影響なのです。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト」には動画による人物描写の単純化・類
 型化・形態の飛躍が、ちょうど宇宙のうえドラマの単純な思想が、
 その融合点にぴたりと適応し得ていた。わたしはこの日本的な心
 情と、ヘーゲル流にいえば自由なのは一人の専制者だけで、あと
 の人間は自由の何たるかを知らないようなアジア的な思想の純化
 されたイメージが、宇宙フィクションのあらゆる映像技術を採り
 入れたような手法と融合している無類の宇宙動画の世界にもっと
 も衝撃をうけた。宇宙の平和をまもるために地球連邦に属する宇
 宙戦艦ヤマトの元の乗組員たちが、ひそかに集結してふたたび宇
 宙戦艦ヤマトに乗組んで、宇宙を侵略し席巻しながら太陽系に近
 づいてくる白色彗星に挑戦する日本製の <スターウォーズ> であ
 る。だが <スター・ウォーズ> をヤンキー式のスリル・スピード
 の面白おかしい西部劇とすれば「さらば宇宙戦艦ヤマト」はおお
 まじめに観客を泣かせる心情の迫力をもった日本的な特攻物語で
 あるといえよう。登場するヤマトの登場員たちは、いずれも旧帝
 国軍人の思想の最良の部分がもっている倫理を、そっくりそのま
 まうけ継いだ <男らしさ> と <勇気> と <献身> と <健康さ> の
 権化であるように設定されている。吉田満の手記『戦艦大和ノ最
 後』が手法によってでなく、描かれた事実の強烈さで衝撃をあた
 えるのとおなじような意味で「さらば宇宙戦艦ヤマト」は日本的
 な心情の観客、つまりわたしたちすべてに、衝撃を与える要素を
 もっている。        (「宇宙フィクションについて」
              「映画芸術」昭和五三年一〇月号)

 この「宇宙戦艦ヤマト」も結局は「夏を越していない」(この夏とは終戦の年の夏のこと、すなわち戦争を越えていないということ)といわれているのです。なんで今また、「御国の為に」死んでいく特攻隊の姿を見て、それで「消費社会を擁護」するようになるのだ。
 吉本さんが自らの変化を「転向」と呼ぶのなら、それはそれでかまわないといっているだけで、それをどうして花田清輝の破廉恥な「転向」と比較できるのでしょう。いったいこの浦田編集員は吉本さんの「転向論」を読み込めているのでしょうか。

  転向とはなにを意味するかは、明瞭である。それは、日本の近
 代社会の構造を、総体のヴィジョンとしてつかまえそこなったた
 めに、インテリゲンチャの間におこった思考転換をさしている。
 日本的転向の外的条件のうち、権力の強制、圧迫というものがと
 びぬけて大きな要因であったとは、考えない。むしろ、大衆から
 の孤立(感)が最大の条件であったとするのが、わたしの転向論
 のアクシスである。
  (「現代批評」一九五八年一一月刊に掲載された「転向論」)

 この吉本さんの転向論からは、吉本さんの転換が戦前の「転向」などというものをまったく質の違うものだということが判るはずなのです。吉本さんのどこに「大衆からの孤立感」があるのでしょうか。
 そもそも、この浦田編集員は、この「わが『転向』」そのものすら読み込めていないとしか思えません。

  ですから、僕は「転向」したわけでも、左翼から右翼になった
 わけでもない。旧来の「左翼」が成り立たない以上、そういう左
 翼性は持たないというだけです。だから僕は「転向」したといわ
 れても一向に構いませんが、自分自身では「新・新左翼」と定義
 しています。
  そして「七二年頃からどうやら時代の大転換があった」と分析
 できてからは、挫折の季節を経てなお、かつての考え方にしがみ
 ついている人との付き合いは免除してもらうことにしました。こ
 れまでは、責任がないわけではない、と思ってきましたが、時代
 が変わってしまったんだから罪報感もこれきりにさせてもらおう、
 つきあいにエネルギーを費やすのではなく、自分の考え方を展開
 して公にすることにエネルギーを使おう、と考えるようになりま
 した。

 こうして吉本さんは無駄なことへエネルギーを使うのではなく、さらに適確なる「現在」への把握へ向うわけです。

  今の都市は工業都市ではなく、第三次産業都市というか、「超
 都市」になっています。この、都市から超都市へ移っていく過程
 をキチンと論評しなくてはいけないと意識しはじめたんですね。
 僕の著書としては、大衆文化論にあたるのが『マス・イメージ論』
 であり、超都市論を『ハイ・イメージ論』で、これはまだ完結し
 ていませんが、正面から論評してみようとしたわけです。これら
 は『共同幻想論』の続きとなっており、『共同幻想論』が、共同
 体のあり方を、過去に遡って論じてみたとすれば、『マス・イメー
 ジ論』や『ハイ・イメージ論』は、現在から未来への共同体のあ
 り方を規定しようとしたものです。

 結局はこの浦田編集員は、こうした吉本さんの現状が不満でならないわけなのでしょう。「どうして吉本は都市資本主義を評価するのだ」という気持が紛々と匂ってきます。ソ連が崩壊し、しかしながら、それを崩壊させたのが「反スターリン主義」である世界の「新左翼」ではなかったことが不満なのでしょう。
 しかし、浦田編集員がどう不満だろうと何を言おうと、私たちが今存在している「現在」の姿を適確に把握し、表現できるのは、もはや吉本さんしかいないことは自明なことなのです。この浦田君ですら、自らのさまざまな思考法や分析の中に、吉本さんの方法が入ってしまっているのを気づかないわけがないのです。
 なにはともあれ、こうしたまとはずれで嫌味な書評を書いたことだけは、吉本さんは気にもしないでしょうが、私はこの浦田君をよく覚えておきたいと思いました。     

題名  わが転向
著者  吉本隆明
発行所 「文藝春秋」1994年4月特別号に掲載され、文藝春秋社より発刊
1995年2月20日第1刷

11112908  吉本さんには、「現代批評」1958年11月刊に掲載された「転向論」があります。私たちの誰もが最初のころ目にした吉本さんの論文であるかと思います。この文を読んで、私たちに何かどうしても重くかかわってくる「転向」ということを鮮やかに解明してくれたように思ったものでした。

    転向とはなにを意味するかは、明瞭である。それは、日本の近
  代社会の構造を、総体のヴィジョンとしてつかまえそこなったた
  めに、インテリゲンチャの間におこった思考転換をさしている。

    日本的転向の外的条件のうち、権力の強制、圧迫というものが
  とびぬけて大きな要因であったとは、考えない。むしろ、大衆か
  らの孤立(感)が最大の条件であったとするのが、わたしの転向
  論のアクシスである。

  私は私の後輩の活動家が拘置所にいたときにもこの「転向論」の収録されている「芸術的抵抗と挫折」を差し入れしていますが、ちょうど私と同じところにアンダーラインや印しがつけてあります。誰も同じようなところにひきつけられたに違いないと思ってしまうのです。

  さてこの「転向論」の時からはもう36年たってしまっているわけです。もはや戦前の共産主義運動にかかわった人たちの転向の問題を私たちの問題としてひきつけて考えるよりも、私たち自身の今の存在を考えなければならないでしょう。私たちも総じて転向してしまったのです。その私たち自身のことを考えようとする目の前に、吉本さんのこの文が提示されました。私は早速手にしたものです。
  読んでまったく「いいな、いいな」と言っている自分に気づきました。そしてよく頭をめぐらすと、「しかしこれはまたいろいろな連中を刺激するだろうな」と思いました。もうあちこちの飲み屋で、私とこの吉本さんの文に文句をつける連中との言い合いの細かい内容まで見えてくるようです。その人たちは、昔は私も一緒にスクラムを組んで闘った人たちです。そして今も、左翼だと思っている人たちです。左翼がまだ、社会主義がまだ有効性をもっていると思っている人たちです。でも私はまだ、その人たちを友だちだと思っているから、まだまだあちこちで言い合いを続けていくでしょう。これは当分致し方ないなと思っているところです。

    ですから、僕は「転向」したわけでも、左翼から右翼になった
  わけでもない。旧来の「左翼」が成り立たない以上、そういう左
  翼性は持たないというだけです。だから僕は「転向」したといわ
  れても一向に構いませんが、 自分自身では「新・新左翼」と定義
  しています。
    そして「七二年頃からどうやら時代の大転換があった」と分析
 出来てからは、挫折の季節を経てなお、かつての考え方にしがみ
 ついている人との付き合いは免除してもらうことにしました。こ
 れまでは、責任がないわけではない、と思ってきましたが、時代
 が変わってしまったんだから罪報感もこれきりにさせてもらおう、
 つきあいにエネルギーを費やすのではなく、自分の考え方を展開
 して公にすることにエネルギーを使おう、と考えるようになりま
 した。

  私はこのようなところまで到れていないわけで、まだまだ過去の付き合いのなかにぐずぐずしています。まあ私などはどうでもいいのですが、吉本さんはこうして、「マス・イメージ論」と「ハイ・イメージ論」の世界に到るわけなのです。

    今の都市は工業都市ではなく、第三次産業都市というか、「超
 都市」になっています。この、都市から超都市へ移っていく過程
 をキチンと論評しなくてはいけないと意識しはじめたんですね。
 僕の著書としては、大衆文化論にあたるのが『マス・イメージ論』
 であり、超都市論を『ハイ・イメージ論』で、これはまだ完結し
 ていませんが、正面から論評してみようとしたわけです。これら
 は『共同幻想論』の続きとなっており、『共同幻想論』が、共同
 体のあり方を、過去に遡って論じてみたとすれば、『マス・イメー
  ジ論』や『ハイ・イメージ論』は、現在から未来への共同体のあ
 り方を規定しようとしたものです。

  ここのところが、多くの進歩的評論家等々が吉本さんと合わなくなっていくところだと思います。「どうして吉本は都市資本主義を評価するのだ」というところでしょうか。それはそれらの人たちがこの時代の分析ができていない証左だと私は間違いなく思っています。あいかわらず、社会主義やマルクス主義やロシア革命が間違っていたのではなく、スターリンが悪いのだですませたいのでしょう。
  またそうした連中が一番引っかかってくるのが、こうした吉本さんの流れからでてくる「小沢ファシスト論の雷同者こそファシストだ」という刺激的な言葉だと思います。これでまた間違いなく、私も攻撃され私は当然に大声で反論していくことになると思っています。
  私は小沢一郎というと、密室政治、料亭政治、恫喝政治のみの政治家であり、平気で嘘をつく奴だと思ってきました。それが昨年政権をとってからは、どうも少し違うようだなということに気がつきはじめました。違うというのは、小沢が変わってきたことと、私の見方も変化したことがあります。もはや自民党の明治大正生まれの政治家がやっていた時とは、かなり何もかもが違ってしまったのです。
  吉本さんは細かく「小沢のどこがファシズムか」といって展開していますが、読んでいてなるほどとうなずくところばかりです。

    ですから、ここ十年、十五年までの間に限っていえば、小沢一
 郎の意見に僕は異論ないですね。現状のように「体制−反体制」
 の対立や左翼性が消滅した時代が続き、その都度の「イエス・ノー」
 が時代を動かすことになるんじゃないでしょうか。

  この「その都度の『イエス・ノー』」というところは本当によく判ってきます。反体制だから、左翼だから、労働組合だから正しいのではなく、その都度の判断なのです。だから例えば、私のまったく評価しない嫌いな社会党が、「福祉税法」などというアメリカ向けの悪法を潰してしまったのは、「その都度のイエス・ノー」の原則に従って、断乎評価し誉めたいところです。

  最後に「新しい『マルクス』の誕生」というところで、ロシア・マルクスの思想が蘇生することはないが、マルクスは十年、十五年後に蘇生するかもしれないといっています。これも私など感激して読んだところなのです。でもまたこのところも誤解しかしない人がいるんだろうなとは思っていますが。

    あるとしたら、かってマルクスが資本主義が興隆し、都会が隆
 盛し、労働者街が出来て公害病としてロンドンで肺結核が流行し
 ているのを見て、資本主義はだめだというふうに思ったように、
 十年、十五年後の超資本主義が行き詰まった時代に、「新しいマ
 ルクス=救世主」が登場し、僕らには思いもよらない思想を提示
 してくれる時でしょう。もちろんその「マルクス主義」は、「左
 翼」とは全く関係ない主義主張でしょうけれど、そういう「マル
 クス」なら、ぜひとも誕生してもらいたいですね。

  いま何かこうしたマルクスがやがて誕生するような気がしています。その時私たちは、マルクスのいう「人類の前史が終った」といえるのではないのかと私は思っているのです

↑このページのトップヘ