将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:アフリカ的段階

120125081998年(平成10年)

 歴史はいちばん先進的な西欧近代との接触点が拡大する側面からかんがえるかぎりは、この「アジア的」な社会もまた、遅ればせに西欧文明のあとから進歩すると同時に「アジア的」は停滞と退歩の精神(内在)史を蓄積していく社会にほかならない。これは外在的に進歩を追跡することは、同時に内在的に退歩を追跡することと同義だという方法を、歴史概念にする以外には解決しようもないとおもえる。そのためには、はじめに原型として「アフリカ的」な段階を設定するほかに普遍性をもちえないとおもえる。
「アフリカ的段階について検1998.1.20試行社

 アジア的な段階は、次第に西欧的に近づいていき、この日本のようにさらに「超西欧的」な段階に至っていく。だが同時に誰もの心の中にある内在史としては停滞と退歩を蓄積していき、やがて「アフリカ的」段階に近づいていく。そしてこの「アフリカ的」段階がそもそもの原型なのだ。私たちの歴史は、「アフリカ的」から「アジア的」そして「西欧的」と歩んできたわけだが、私たちの心の内在史としては、「アフリカ的段階」に退歩していく概念をもつべきということなのだろう。

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 あ、今思いました。島尾敏雄さんが、奥さまのミホさんと初めて出会う昭和19年の姿、とくに昭和20年8月14日、15日の二人の加計呂麻島での姿が、アフリカ的段階の男女の姿と言えるのではないかなあ。
 だから、そのアフリカ的段階から、急に東京に出て、資本主義世界に置かれたときに、ミホ夫人の精神がおかしくなってしまったのです。

 私の 周の書評(島尾敏雄篇) に、この二人の加計呂麻島での出会いのことが書いてあります。ぜひ読んでみてください。そして島尾敏雄さんの作品をぜひ読んでみてください。

  「アフリカ的段階について」 へ

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 私は、私の「周の掲示板」にnkさんが、

アフリカ的段階 投稿者:nk  投稿日:2009年 9月 6日(日)03時30分52秒 

という書込みをされまして、読みまして、「えっ、俺がこれにレスするのかよ。俺には無理だよ」と思うばかりでした。
 私は私がここに書きました

「アフリカ的段階について」
「アフリカ的段階について」の2

に書いたようなことがせいぜい私が書けることなんですね。
 私はそもそもnkさんが展開されたことが、その内容がよく理解できていません。まして、今回選挙で勝利したという民主党の考えていることは私にはまだ理解できないことです。
 ただ私は自民党に投票したものですが、民主党が今後やろうとすることはこういうことなのかなあ……なんてことを少し判って来ているかなあという段階です。

    「アフリカ的段階について」の4 に続く

 

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 吉本(吉本隆明)さんのいう「アフリカ的段階」というのは、「共同幻想論」で展開された中で、「アジア的段階」の前に想定される歴史的段階のことです(ただし、「共同幻想論」では、この「アジア的段階」ということでの展開はありません、だよな、というかもう自信がありません)。
 この「アフリカ的」というのは、三木成郎さんを吉本さんが知ってから、言い出されたことだと思います。人間は動物ではあるわけですが、人間の中に植物的と言われるものがあるということを三木さんの言われることで、判りまして、それでこの「アフリカ的」ということを言われたのだと思います。
 ヨーロッパにおいて、「アジア的段階」というのはいつなのか? それはヨーロッパが封建社会から市民革命を経て資本主義社会に入っていくわけですが、その封建社会の前がアジア的段階です。というと、ギリシアの都市国家がアジア的社会の次の古典古代であり、ギリシアに破れたペルシアがアジア的社会だったのかなあ。
 ギリシアだとミケーネ文明社会がアジア的段階の社会だったと思われます。
 吉本さんがソルジェニーティン「収容所群島」のいくつかの箇所を引用して、ソビエト連邦のアジア的なもの(それはほとんど収容所内の出来事で)を書かれていました。それは実に納得できたものでした。
 それで、でも肝心のアジアではどうなんだというと、中国では、宋の時代以降は封建社会と言えるのかなあ(ここで、私みたいな人が、孔子が周国の時代の封建時代を誉めているのですが、そういうことを言い出すと、混乱しますから、私は言い出さないようにしてください)。
 それでこの日本はというと、これまた大変です。鎌倉時代を定義するのも、安土桃山時代を定義するのも大変です。この日本では、弥生式時代からアジア的段階と言えるのではないかなあ。
 それで肝心の「アフリカ的段階」なのですが、この日本では、縄文式時代があたるのではないかということだと思うのです。そしてこの日本に置いては、沖縄を中心とする南島がそのアフリカ的段階なのだということで(このアフリカ的とかアジア的とかいうのは歴史的段階のことで、どちらがどう進んでいる、進歩しているということではありません)、だからこのことで、沖縄の問題(米軍に占拠されていたこと)は考えられるのではないかということだったと思います。

 私は判っていないと言えるようなことなのですが、まずここまで書きます。

  「アフリカ的段階について」の2 に続く

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 nkさんが、私の「周の掲示板」に次の書込みしてくれました。

>アフリカ的段階 投稿者:nk  投稿日:2009年 9月 6日(日)03時30分52秒

 それで実に長い書込みです。私が思うには、できたらご自分でブログをオープンして、そこで展開されるべきだと思いますよ。私が読んでもよく判っていません。
 でも仕方ないから、少し読んでいくことにしました。

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 ぼくが『アフリカ的段階について』(春秋社)という本のなかでかんがえたのはこういうことだったのです。要するに宗教は宗教としてというふうに <段階> を歴史的にかんがえると、イスラム教がもっているものとキリスト教がもっているものとが、地域としてひきずっているものとして残っている。だけどこの地域特殊性が宗教にもたらしている違いを明らかにしてしまえば、宗教自体としては見かけほど違うものではないということがいえるとおもいます。これをちゃんとかんがえないとだめだというのが、ぼくが『アフリカ的段階について』を書いたときのモチーフのひとつでした。(『還りのことば』2006.5.1雲母書房「環相の視座から」)

 アメリカのネイティブアメリカンの持つ文化なんかが「アフリカ的」といえるのだろうか。おそらく農耕を始めたときに、アジア的と言われる段階になったのだということだろう。ただし、それをマルクスは明確に規定できていなかったと思います。

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